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「戦い」について--社長の条件(3)

2005/02/27
「戦い」について--社長の条件(3)

経営者の基礎的な資質については、前回のべた。資質を満たさない者が経営をしてもうまくは行かないが、基礎的な資質を持つ者でも経営の実務につく、とうまく行かないことがある。
今回は、経営の実務に関することのうち「戦い」について述べる。
9.キツネのように用心深く、獅子のように荒々しく
企業経営は、競争である。多くは、理念の優劣と利益の寡多を争う競争である。しかし、競争は、それにとどまるものではない。勝てば官軍、しかし、負ければ賊軍である。仕掛けてくるものは紳士ばかりではない。詐欺師もいれば、×××も居る。これらの人々は、ますます巧妙になり、NPOや労働団体を偽装してくることもある。同じ業界の一見紳士的に見えた企業が突然奇妙な攻撃を仕掛けてくることもある。のっとりや倒産を脱法または脱法すれすれの商売にしている者もいる。かれらに負ければ、その会社はつぶれてしまう。必ずしも勝つ必要はないが、負けてはならないのである。経験上、私の会社のような目立たない小さな会社でも仕掛けてくる者は、年に1人ではきかない。2-3あるのが普通である。彼らとたくみに戦って、負けないことも経営者に必要な条件である。
善良な経営は、自分から他社に対してあざとい攻撃を仕掛けてはならない。理念の優劣と利益の寡多を争う競争で勝てばよいのである。他社に対してあざとい攻撃を仕掛ければ、いつか他社や他社に勤めていた人々からうらまれる。余計な敵が生まれると経営環境は劣化する。余計な敵を作ってはいけないのである。
あくどい詐欺や攻撃を受けたら専守防衛が基本である。大人の戦いは、2者で決着するものではない。2者を取り巻く野次馬が決めるのである。「専守防衛」は、誰があざとい攻撃をしているかを世間に広く知らせる最も良い手段である。大人の喧嘩では世間を味方にした者が勝つのである。「専守防衛」の極意は、「キツネのように用心深く、獅子のように荒々しく」である。怪しい動きは見る前に感じるように感覚を研ぎ澄ましておくこと、敵を発見したら直ちには争わず十分ひきつけて、証拠を収集し、その事実を世間にひそかに広く知らしめておくことである。こちらが反撃しなければ、敵は図に乗ってどんどんせめて来るだろう。それはまさしく願ってもないことである。敵が言い分けも逃亡もできないように自分たちの領域に迷い込んでくれればしめたものである。(エリ首をつかんで)押さえ付けてから、一気に反撃するのがただしい戦い方である。他人の領土に迷い込んで戦うのは、古来不利と分かっているのである。自陣に誘って戦うのは戦上手である。イラクのアメリカ軍の苦戦がその良い例である。カウンターパンチほど威力のあるパンチはない。
すなわち、むやみに戦わず、十分にひきつけてからカウンターパンチを浴びせるのが効果的である。身近な例では、日本語プログラミングコンテストで「名誉毀損攻撃」を繰り返した連中に対する反撃であろう。私は、彼らの攻撃に長くじっと耐えた。彼らは図に乗ってたくさんの証拠を残した。これらを元に各自の周囲を十分に調査することができた。最後の最後に「名誉毀損」で、警察と検察に動いてもらった。彼らは身辺に涼しい風を感じて肝を冷やしたことであろう。以降の攻撃は止んだのである。表彰式の会場に彼らが予告どおり押しかけてきても、暴力に対する万全の備えを敷いていた。専守防衛は「暴力的威力業務妨害」に対しても堂々として実行しなければならない。万全の備えは強い抑止力となった。彼らはついに予告した暴力を実行できないまま、表彰式の日を悶々としてすごしたのである。
直接勝つ必要はないが、負けないことが経営者には求められるのである。
「キツネのように用心深く、獅子のように荒々しく」、変幻自在に戦うことのできる能力が社長の一つの条件である。
条件を満たす者が多ければ、よりよく「キツネのように用心深く、獅子のように荒々しく」できる者が社長に選ばれる可能性が高い。

続く。(情報収集能力、先見性、決断力、深謀遠慮など)
補足: 実際のところ、これらの条件のすべてを満たす人はいないだろう。しかし、これらの条件の少しでも多くを満たす人が後継者となることは疑いがない。

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琵琶

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企業理念と8原則--社長の条件(2)

2005/02/27
企業理念と8原則--社長の条件(2)

「社長の条件」といえば、この種のセミナーは多いし、書籍も多数存在する。
内容は重複しているだろうが、私が思うところの「社長の条件」を列記してみよう。
当社のような零細な企業を継承する社長という前提があるので、一般的ではないかもしれない。ままよ、思いつくままに、書くことにする。ここに書くことは、後で訂正したり削除したり追加したりすることにもなるかもしれない。
1.当社の企業理念を継承する者であること
当社は、設立に当たって「最新の科学技術を万人のために」というスローガンを掲げた。生意気なスローガンだが、ささやかとはいえ、その目的に沿った活動をしてきたと自負している。このスローガンは当社の企業理念を示している。この理念を継承する者は、手段方法が違っても当社の社長になる資格の一つを持っていることになるだろう。
逆にこの理念以外の企業理念を持つものは、別の新会社を設立すべきだろう。よくも悪しくも、当社はこの理念の下に顧客も協力会社も支援者も集まっている。企業理念を変えれば、これらの資産を活用することは困難であり、むしろイメージを一新した新会社を立ち上げるほうが有利となるに違いない。従来の企業理念をよりよく実現しようとするならば、現有の資産(顧客、協力会社、支援者、・・・)は大いに役立つに違いない。
該当者が多ければ、よりよく実現する者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
2.人品高潔なる者であること
「人品卑しからざる者であること」と言い換えてもよい。私生活と公的活動の全体にわたって、教養に満ちていて、品性があり、私利私欲に堕することなく、社会と集団に貢献することを優先する者であることである。品性は「人望」にも通じるが、腕力が強く、私利私欲のために他人に服従を強いることがしばしば「人望」と間違われる。声が大きく腕力が強いだけでは、一時的な発展は望めても、たちまち世論に押されて社会から抹殺される。これからの時代の経営はますます民の声を大切にしなければならなくなる。人品高潔にして人望のある者はもっと望ましい。
該当者が多ければ、人品においてより優れた者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
3.人の心を理解する者であること
企業である以上、営業は大切である。営業のできないものは社長の条件を満たさない。
営業の極意は、小手先の駆け引きにあるのではない。顧客の話を理解する能力にあるのである。しかし、「顧客の話を理解する」だけでは営業に成功しない。顧客は、専門用語を正しく操ることはできないので、事柄を正確に表現していることはほとんど皆無である。したがって、「顧客の話を理解」しただけでは、顧客の望むことは何も分かっていないのである。営業の現場で、「お客さんがこう言ったから、そのようにしました」と説明して顧客が怒り狂う場面は多い。顧客の思慮の不足、途中での心変わりも大いにありうるが、顧客が希求することを聞き手が理解していないため発生するトラブルは多い。顧客の話を理解するだけでは不足である。顧客の心を理解しなければならないのである。顧客の心を理解していれば、顧客がいつ、何をきっかけで心変わりするかも事前に予想できるものである。顧客の思慮の不足を顧客の望むことに沿ってそれとなく補って理解を助けることもできるようになる。結果として、顧客の希望しないものを作ってしまうというトラブルをかなり減らすことができる。
「人の心を理解する能力」は、仕事に関わるすべての場面であまねく必要である。社内の同僚や部下の話(言葉尻)だけを捕らえて行動を起こせば期待はいつもうらぎられるだろう。社内の同僚や部下の言っている言葉の影にある本当の心を捕まえられなければ社長の条件を満たさない。社長に必要な能力として「人心の掌握」をあげる人は多い。人心の掌握とは、「人の心を理解する能力」によって始めて実現できるのである。「クビ」や「賃金切り下げ」などの権力を振りかざす脅しや、言葉の暴力や、社内いじめによって他の役員や社員を服従させようとする経営者も世の中には多いが、これらの経営者は、いずれ惨めなクーデターに遭遇するだろう。
人の心を理解する人は、職場に向かない人に向かって「あなたは別の職場を探したほうがよい」と語っても本人から反発を受けることは少ない。逆に人の心を理解するところが少ない人が、同じように語りかけたら、本人からは大反撃を受けることになるだろう。
社長になる人は、顧客だけではなく、同僚や部下の心も理解することが必須である。もちろん社外の協力会社や協力者の人の心についても同じである。
該当者が多ければ、人の心を理解するところがより多い者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
4.「入りを増やして出るを減らす」者であること
当たり前のことであるが、企業は利益を出さなければ存続しない。理念を守るためには利益を確保しなければならない。利益のために理念を曲げることは本末転倒であるが、理念ゆえに利益が出ないならば、その会社の歴史的使命は終わったのである。会社を解散して、別の理念のために別の新しい会社を創出したほうが良い。
理念のために、会社の利益をよりよく確保する者が社長になりうる大切な条件であることは言うまでもない。利益をだすには、古来「入りを増やして出るを減らすこと」であるといわれてきた。単純明快である。売り上げを伸ばして、コストをぎりぎりと下げ続けることである。油断すればコストは上昇し、顧客はいなくなる。たちまち会社は経営難となる。たとえば、雑用係や下働きを必要以上に身の回りに配したがる経営者もかつてはいたが、人件費の無駄遣いである。有能な社長は自分のことは何でも自分でやってのける。中小の優良な企業では便所掃除もお茶汲みもやる社長が多い。営業に努めて顧客を増やさなければ、顧客は年々減少する。サービス業においては、年度を越えて継続して顧客となる相手は努力しても平均して8割程度である。ほうっておけば、3年で売上げは2分の一になってしまう。新規顧客の獲得ができなければ経営者として失格である。「入りを増やして出るを減らすこと」は、日常的な経営活動そのものである。「入りを増やして出るを減らすこと」ができることは社長に選ばれる条件である。
該当者が多ければ、よりよく「入りを増やして出るを減らすこと」ことのできる者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
5.技能と職務に精通している者であること
当社は情報サービス業に属している。明らかに専門職の集団である。技能の劣る者は、部下をもてない。技能が抜きん出て優れていなければならない。もちろん、すべての分野の技能に優れるのは神ならぬ身では不可能である。せめてその主要に分野のいくつかでは、他を寄せ付けないくらいの技能が必要である。専門職人の尊敬を集めなければ、指導者たる社長は務まらない。
該当者が多ければ、よりよく「技能と職務に精通」している者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
6.社会通念に限りなく近い行動様式を守れる者であること
演技でも良いが、身なりは普通のビジネスマン、遅刻や欠勤は少なく、言葉遣いも正しく丁寧であることが条件である。私生活においても、近隣や友人たちと礼儀正しい交際ができ、肉親や親族にも礼儀を欠かさない者が望ましい。業界によっては、Tシャツ・ジーパンが格好がいい、ともてはやされる場合もあるが、情報サービス業(サービス業の一部)なので、周囲から要らぬ誤解を受けるのは致命的である。礼儀正しいサービスを提供する者として、日々自分をアピールしていることが大切である。社長は会社の顔である。会社の顔が社会的規範に反しているようでは、会社の事業自体が大きく疑われる。
人は人ごとに違う性格と嗜好を持っている。それらは個性というべきであり、個性を発揮するのは大いに結構である。しかし、会社が疑われるような行動様式は社長にはふさわしくない。社長になる人は本心でなくとも社会通念として許される行動様式が取れなければならない。どうしても社会通念に近い行動様式が取れるようにならない人は、人間としての尊厳は少しも損なわるものではないし、大いに共感もするが、少なくとも社長にはふさわしくない。
社会通念に限りなく近い行動様式を守れる者が多ければ、よりよくそのことができる者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
7.個人資産が多い者であること
実際のところ、日本の企業は適度の借入金によって日常的な運転資金を得ている。中小零細企業に運転資金を貸す金融機関は、ことごとく、社長の連帯保証を要求する。当該企業のもつ社会的価値や将来性にかけて運転資金を貸す金融機関は皆無である。「社長の連帯保証」を求めるということは、社長の個人資産を担保にするということと同義である。24年間の会社経営で、私は結果として親から受け継いだ個人資産のほとんどを金融機関に貢いだことになるが、すくなくとも私が会社の借入の連帯保証ができたから、この会社が存続しているともいえるのである。
なぜ、そのようなことになるのかについては諸説があるが、税制上、運転資金として自前資金を蓄えると高い税金を払うことになるので、もともと利益率の高くない中小零細な企業はたちまち運転資金を税金として吸い上げられてしまうという現実があるのである。金融機関からの借入金については数%から10数%の利息の支払いが必要だが、数十%から60%に上る税金に比べればある意味ではマシという「毒マンジュウ」にも似た社会的経営慣行があるのである。これを避けるには、無借金経営、すなわち、「税金の高額納税企業」になることである。事実上、これは大変に難しいのである。
後継者の人は、連帯保証はしても資産を失うようなヘマはやらないだろう。私が経営した過去には、信じた顧客が倒産したり、経営難となって支払いが不能となったケースがあり、その都度、社員の給与や外注さんへの支払いのために個人資産を提供してきた。「井戸塀政治家」という言葉があるが、私は「井戸塀経営者」だった。その意味で、その結末は経営者としてはあるまじき不覚だった。もって他山の石として、後継社長は「豊な社長」となってほしいものではある。いずれにしても、個人資産がなければ運転資金を確保できないという現実がある。
該当者が多ければ、より多くの個人資産を持つ者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
8.人を育てられる者であること
能力が高く人柄もよい人を活用することのできる人は多い。能力が高く人柄もよい人を活用できない経営者は反社会的な経営者であって、問題外である。能力が高く人柄もよい人を活用できるのは最低の条件である。しかし、それでは実際のところ足りているわけではない。
ところで、能力が高く人柄もよい人を育てられる人は少ない。中小零細な企業では、端(ハナ)から有能な人材が集まることは少ない。採用しえたとしても、それはきわめてまれである。荒削りの若い人材を集めて、有能で人品高潔なる者に育てることが経営者には課せられる。そして、社会通念をよりよく守る人になるように指導することが求められる。極端な場合には、企業は、脱法青年を社会復帰のためのリハビリとして預けられて受け入れることもあるほどである。このような例には、社会が企業に求めていることの深い意味を垣間見ることができる。荒削りの若い社内の人材が、いつまでたっても荒削りのままになっていれば、その会社の社長の資質か問われる。経営が疑われる。営業成績が落ちてゆくのである。
人を育てられる人が、社長になる人の条件の一つである。
該当者が多ければ、よりよく人を育てられる者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
続く。(情報収集能力、先見性、決断力、深謀遠慮など)
補足: 実際のところ、これらの条件のすべてを満たす人はいないだろう。しかし、これらの条件の少しでも多くを満たす人が後継者となることは疑いがない。

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次の社長たちに--社長の条件(1)

2005/02/27
次の社長たちに--社長の条件(1)

中小零細の企業の数は多い。毎日、たくさんの企業が生まれて、毎日消えてゆく。「倒産」や「解散」という明白な形を示さないままに、社員が去り、社長が勤めに出るというような形式で、事実上廃業してしまう零細企業は多い。社長が病気で倒れたり、死んだりすれば、零細な会社はたちまち行き詰まってしまう。中小零細の企業は、社長の技能、社長の人脈、社長の人柄で持っていることが多いからである。
円滑に代替わりができる企業は幸せである。
私が経営する小さな会社も創業25年目を迎えて代替わりを模索している。実は設立した24年前のその日から代替わりを模索していたといってよいが、過激な経営環境に恐れをなして、社長候補となるべき多くの若者はしり込みして、辞退し、舞台を降りていった。この間、私は、仕事でも資金繰りでも困難が生ずれば、だれよりもその困難を自分が引き受け、戦い、向こう傷のほとんどを私が引き受けた。満身創痍であった。他の役員や社員らに良かれと思ってそうしていた。しかし、振り返ってみれば、それは、後継者を育てない、ひ弱な役員と社員の集団を作り上げていたのである。
7年前、私が大病をしてからは、私も真剣にならざるを得なくなった。病院のベッドで1か月をすごした。その間もノートパソコンと携帯電話でベッドから顧客に連絡を取り、企画書や報告書を作成した。資金繰りのために銀行の担当者とも間断なく連絡を取り合った。主治医は苦笑いして「仕事が好きだね・・・」と、ため息混じりに語ったものである。退院しても数年は、10分も続けては歩けないほど心臓が弱っていた。このころ、大学の非常勤講師へのお誘いを受けた。死に直面して、しゃにむに仕事をするよりも今まで蓄えたものを誰かに伝えておきたいと思う思いのほうが強くなっていたので、喜んでこれを受けた。当時はスタッフも極端に少なくて、週に1回程度社長が社内にいなくと何も支障はなかった。大学で学生たちに接するのは楽しかった。乾いた砂が水を吸い取るように、若い男の子や女の子が私が準備する教材とわき道に属する知恵の数々をたちまち吸収し咀嚼して自分たちのものにしてしまうのに驚嘆しながら、学生たちとはいつの間にかタメグチになっている自分を発見していたりもした。
その後、社員が少しばかり増えた。親しい大学教授の弟子や私の教え子も社員に加わった。私が非常勤講師をしていることが、会社の技術水準に対する顧客の信頼感も増すという予期せぬ効果も見えてきた。私が教壇に立つことに対する社員らの支持も得られているようだ。教える講座の数も増えてきた。いつの間にか健康も回復していた。
私は、私が教壇に立つようになってまもなく私のこの行為が社員らの意識に革命的な影響を与えていることに気がついた。社員らは、「(いつ会社に現れるかわからないので)あてにならない」社長の判断を待ったり、問題を社長任せにして責任逃れをしたりするのをやめていたのである。これは、すばらしい進歩だった。私の会社の歴史には希求していたにもかかわらずかつて起こりえなかった革命だった。スタッフが60名ほどだった人材豊富な時代にも各部門の部門長はちょっとした困難が発生すると私の手助けをいつも待っているだけだった。彼らと違って、今の社員らは、職場の自己責任を全うしようと真剣なのである。親鳥はヒナに栄養豊なエサを食べさせないと育たないが、親鳥がエサを与え続けていればヒナは巣立たない。こんな単純なことをいまさらのように思い知らされているのである。
おそらくこの社員らから当社の次代の役員や社長が生まれるに違いない。誰かに叫んで知らせたいくらい幸せな気分である。
さて、かれらに、社長になる条件のようなものを理解してもらわなければならない時期にさしかかっているようだ。あるときを見れば、社長はその会社に一人である。多くの会社では社長が代替わりすれば、10年から30年は続けてその責任を果たすことになる。一方、私が知っている範囲でも、頻繁に社長を交代する会社もあるし、約束して主要メンバーが1年交代で社長を務めている会社もある。そのとき、その人が社長になるのは、どんな条件をみたしているときなのか、今の社員らに伝えて、自薦と他薦が一致する価値観を醸成する必要が生じている。自薦ばかりでは喧嘩となるし、他薦ばかりでは決まらないし、決まったところで積極的事業などできるはずがない。
したがって、幸せな気分に浸ってばかりはいられないのである。急がねばならない、と思う。

△次の記事: 社長の条件(2)
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参考記事:
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/03/post_2.html

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