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MOLDAの吉田弘氏のご逝去--交友の記録(5)

2005/03/29
MOLDAの吉田弘氏のご逝去--交友の記録(5)

昼間「日本コンピュータ化学会」の会誌が届いた。当社はこの学会の賛助会員である。夜半近く、社員らが帰宅した後の静かなオフィスで、何気なく会誌を開くと、信じられない文字が躍っていた。
http://www.sccj.net/event/nenkai/2005sp/program/program.htm
会誌の巻頭にある数編の記事が「吉田弘先生のご逝去を悼む」などの追悼記事だった。胸もつぶれる思いだった。インターネットの情報では、亡くなったのは1月2日、私が知ったのは3月29日の夜半である。私の元に訃報が届かなかったのは私の平素の不行跡の故なのでやむをえない。しかし、その驚愕と落胆は、あまりにひどく、言葉では言い表せないものだった。
吉田弘氏は、広島大学の助教授というよりも分子モデリング&表示システム「MOLDA」の作者として有名である。いろいろな意味で、当社と、いや私とはかかわりが深かった。まず、彼は大学の同じ学科の後輩だった。彼は、いまからおよそ20年前の学生時代、駒場祭(東大教養部の学園祭)でMOLDAを発表した。多くの化学の先輩らはこれを子供の遊びとみなして見過ごしたようだ。しかし、私よりは若くいが優れた数名の友人の研究者が、私に目を剥いてこれを報告した。「すごいぞ。あなたは、日ごろから科学は頭じゃなくて目に教えろといっていたじゃないか。彼のソフトは画期的だぞ」 私は、心躍った。彼と会える日を楽しみに友人らに会えるように手配を頼んだ。
彼は目のクリクリとした童顔の学生だった。歳の割には落ち着いていて、世の中を達観しているようなところがあった。やがて、指導教官の教授、研究室の助手の方とご本人の3名連名の「パソコンによる分子のモデリングと分子力場計算入門」という本が出版されることになった。彼が大学4年生のときである。理工系の分野では、学部学生が専門分野に近い書籍を世に問うなどということは、ほとんどありえないことだった。陰に陽に風当たりがあるであろうことを予測して、教授以下の研究室の皆さんが名前を連ねてくれたのである。出版した会社はもちろん私のところである。当初はソフトウエアもパッケージ化して別売りにしていた。発売元も当社だった。
http://cssjweb.chem.eng.himeji-tech.ac.jp/symp/96conf/a204/abst.html
案の定いろいろなことがあったが、どの事案もご本人と私と研究室の善良な先輩たちによって穏便にかつ紳士的に事柄を処理していった。何があっても動じないこの若き研究者に舌を巻きながら、私もつい熱が入っていた。
「パソコンによる分子のモデリングと分子力場計算入門」は、吉田弘氏のデビュー作となっただけではなく、当社の「科学パソコンシリーズ」の第2冊目になり、当社がソフトウエアと出版を融合して進めるという事業形態を鮮烈に世に印象付けるものになった。
別の経緯から、私は、福井高専吉村忠与志先生や姫路工大の中野英彦先生を中心とする「化学ソフトウエア学会」と親しくするようになったが、この学会でも若きエースとして吉田弘氏がいつも活動の中心にいた。後には「化学ソフトウエア学会」が他の化学系団体と合同で「日本コンピュータ化学会」を立ち上げることになったが、私も横滑りして新しい学会の賛助会員となり、ここでも吉田弘氏の活躍を身近に見ることになった。
吉田弘先生を十分にサポートできたかといえば、うそになるだろう。零細な企業経営者にできることは少ない。バブル崩壊に伴う未曾有の未回収金に瀕死の事態も体験した当社が一時戦列を離れたこともある。思えば、やって差し上げたいことがたくさんあった。しかし、できなかった。あなたは早すぎた。なぜ、・・・。ほんとうに悔しい。
はてなダイアリーのブログ「こども省」にも、彼のことが引用されている。
http://d.hatena.ne.jp/ecochem/200501
彼の人柄とあふれんばかりの才能がしのばれる記事である。
ご冥福をお祈りいたします。

△次の記事: 交友の記録(6)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/05/post_842e.html
▽前の記事: 交友の記録(4)
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琵琶

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緊急、緊急、、、わが仕事--その他、シリーズ外の記事-復旧記事

2005/03/26
昨年書いた記事が、インターネット上のキャッシュに見つかったので、ここに採録する。消されていたものである。
あぁ、昨年もこんなことがあったのです。ことしの今も似た状況です。緊急、緊急、・・・、今朝も報告書の最後の1つのヒント作りをしていた。

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2004/3/18
緊急、緊急、、、わが仕事--その他、シリーズ外の記事-復旧記事

一昨日(3/16)は、予告どおり、先輩が東大工学部を退官するにあたっての最終講義と記念パーティに出席した。
講義内容は予告どおり、エキサイティングな内容だった。ないようについては、後に述べることにする。
講義の間は、携帯電話を切っていたのだが、記念パーティの会場に移って、乾杯の後に携帯のスイッチをいれると、早速、携帯電話がビリビリと震えだした。緊急連絡である。1週間前にアップしたある官庁のWEB-DBシステムで「春」がおかしい、というのだ。電話の向こうでプロジェクトリーダのTの声は明らかにあせっていた。
この官庁ではあいまい検索を採用しているために季節の定義が普通ではない。
春 3月~6月
夏 6月~9月
秋 9月~12月
冬 12月~3月
となっている。6月は春でもあり、夏でもあるということになる。データの更新をする人が「春」と入力しても、システムは「夏」かも知れないとファジーに判断することになるのがただしいのである。電話の向こうの声は「ハル、春がおかしいんです」「ナツとやっても出てこないんです」と叫んでいる。最近まで使用していた旧版では正しく動作していたのだから、改訂版のときのミスに違いない。電話で、怪しいと思われる箇所を何箇所か指摘する。5分後、「直りました」と安堵の電話。やれやれ、会場の周囲のみなさんは、怪訝な顔、顔、顔、、、。事情説明に冷や汗である。
と、また携帯がぶるぶると震える。私にメールが届いているという秘書役さんからの電話である。これは前日緊急課題として投入されたプロジェクトの仕様をめぐる質疑内容である。電話だけではよくわからないが、数時間待たせて夜半に対応しても大丈夫そうだ。頭の中では、対応すべき仕様変更の影響や代替案がめぐる。おちおち、歓談どころではない。しかし、110人もいる会場の70名くらいは旧知の人々である。回遊してくる人々たちとは、次々と挨拶と近況報告をかわさなければならない。1人1分でも1時間以上はかかる勘定だ。あっ、食べたいと思っていた半生のカモ肉のワイン付けがなくなりそう・・・、また、携帯電話がなる。・・・。
いつの時間か判然としないが、学生時代の親しかった友人たちだけ数名で、大学近くの古い居酒屋にいた。私も他の人々も相当に酔いが回っている。政治、経済、社会問題、学術研究テーマや予算配分の不明瞭さに対する悲憤慷慨、・・・言いたいことは互いに理解しあえているのに、理由説明が互いに理解できない。論理がとんでもなく飛躍していて、それぞれ自分だけが納得してしまっているからだ。まぁ、いいや、学生時代は、いつもこんなだったなぁと思っているうちに散会となった。どういう経緯か、最終講義には同行していなかった奥さんと一緒に帰途に着いた。
帰宅するころには、酔いもほぼさめて、電話でもらった宿題とメールで届いている問い合わせなどに回答に時間を費やす。気を失うように寝入ったのは、たぶん、丑三つ時はとうに越えていたに違いない。
昨日(3/17)午前5時半、隣の隠居所からつながるホットラインの非常ベルがなる。まだほとんど寝ていなかったような気がする。飛び起きて、母のいる隣家に飛び込む。激しい下痢で一睡も出来なかったらしい。話を聞いているうちに少し落ち着いてきたので、かかりつけの病院が開く午前9時に車でつれて行くことを約束する。大事でなくてよかった。2時間ほど仮眠して、車の運転に備える。
母は風邪だったらしい。母を病院からつれて帰ると、約束の時間が迫っている。早稲田大学での蛋白質WEB-DBシステムの打ち合わせである。直行する以外にない。社員のみなさん、申し訳ないと心で手をあわせる。
早稲田大学から帰ると、官庁の2003年度のWEB-DBシステム構築改善プロジェクトの最終報告書の作成担当者(社外)から電話があった。いやな予感がした。「今日が締め切りなのだが、後半が書けてない。手伝ってくれ(担当)」「・・・(絶句)、(私)」である。飛び込みの特急仕事の仕様変更に伴う仕様書の書き換えと関係者への連絡を済ませると、私はキーボードを機関銃のように打ち始めた。--、これが私の仕事、、、。心も体も休めたものではない。緊急、緊急、、、わが仕事である。
(3/18)夜が開けて、先ほど、報告書のお手伝いが、やっと一段落した。まだ完成ではない。午後から、この続きをやることになるだろう。肩が痛いような気もするが、緊張しているので、自分でもよくわからない。興奮が醒めていないので、眠くもない。健康によいはずはないなぁと思う。

先輩の東大教授のお話については、後日、報告したい。これから、朝風呂を浴びて、昼までに出社の予定である。徹夜するとなぜか汗まみれになっている。はやくさっぱりしたい。。(社員のみなさん、私は仕事をせずに遅刻しているのではないですよ)

今日は、ここまで

琵琶


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学会発表-テキストの類似度--感性的研究生活(1)

2005/03/24
学会発表-テキストの類似度--感性的研究生活(1)

最近出来た新しい学会がある。新しい時代にふさわしい新しい内容の学会である。昨年の春できたばかりだが、親しい教授が会長をしている。なかなか盛況のようだ。近々、年会が開かれるので、お誘いを受けて、私も研究発表を予定している。
テーマは古くから取り組んでいる「テキストの類似度」である。ネット時代になって簡単にコピーが行われ剽窃が容易になった今日、著作物がそれぞれどの程度似ているかを客観的に示す必要が生じている。現在のところ鑑定人が目で見比べて類似性を判断するということになっているが、汎用的な客観的データもほしいというのが本音である。
このテーマは、今までも少しずつ内容を高度化しながら何度かいくつかの小さめの研究会等では発表してきたが、今回は他の類似度の尺度との比較をしてみることにした。比較をしてみると私の提案がどの程度有効化が見やすくなるに違いない。大きな学会で発表するのは今回が初めてになる。
今回、私が発表するのは、今までどおりの類似度の尺度(第一類)であるが、実は私の手元では第二類、第三類まで用意してある。今までのところ計算式の導出と計算例はすべて手作業である。今回も手作業だった。次回の発表の機会には、計算システムも用意して発表しようとひそかにたくらんでいる。次回こそ、学生かスタッフを共同研究者に加えて、少々規模の大きな計算も試みてみようと思っている。
今は、じっと我慢で、個人作業にとどめて社会的な認知だけを求めることにしている。学会での反応が楽しみである。

△次の記事: 感性的研究生活(2)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/04/post.html

琵琶

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「友人の新会社の設立」と「社長の練習」」--交友の記録(4)

2005/03/15
「友人の新会社の設立」と「社長の練習」--交友の記録(4)

友人が株式会社の設立を決めた。56歳である。
深い理由は聞いていないが、会社勤めに飽きたからだろう。とりあえずは税理士と司法書士を紹介した。今どきは、いわゆる1円設立という方法がとりうる。資本金が1000万円に満たなくとも、株式会社の設立登記ができる。なんとも楽になったものである。ただし、5年以内に資本金が1000万円になるように増資しなければならない。何とかなるだろう。とりあえずは、彼の手元の300万円を資本金に充当することにした。これから5年間で700万円分の増資をすればよいのである。
頼まれて、役員も引き受けたが、発起人は引き受けなかった。われわれが会社を設立したころ(24年前)は、少なくとも7名の発起人が必要だった。全国に散っていた友人らが郵送で回覧式に書類に順繰りに署名捺印してくれて、印鑑証明も送ってくれた。大変だったがまるでお祭り騒ぎだったことを覚えている。いまどきは、発起人はたった一人でもよいのだそうである。今回は、会社設立をする友人がそのたった一人の発起人になった。
この友人は、会社経営に伴う苦労の数々を実地に体験しているわけではない。比較的大きな会社の大事な一部門を任される部門長ではあったが、経営者ではなかった。大丈夫か???、と言ってみたところで止められるはずもないだろう。奴の無鉄砲さは学生時代から変わっちゃいない。まぁ、経験してみればわかるさ、と私は腹をくくったという次第である。私だって、知識としてはわかっていたが、本当の苦労を知ったのは、自分の会社が始まってからあとのことだった。つまり、私だって無鉄砲だったわけである。
さて、振り返ってみると、当社の後継候補者たちはどうだろうか。手放しで「やってごらん」といえば、うちの会社は3日と持たないような気もするのでなかなか踏ん切りつきそうでない。しかし、いつまでも私がついていては、本当の教育にはならない。私が会長や顧問に退くというのも手ではあるが、それでは、今までと大して代わり映えがしそうではない。幸い、私には、あと4つの会社がある。すべて休眠会社である。株式会社もあれば有限会社、合資会社もある。これらの会社を眠りから覚まさせてその社長を彼らにやらせて、実地に社長の練習をさせて見たいという衝動も起こってくる。やってみれば、いろいろとわかるだろう。強くなるだろう。
彼らの様子を見ながら、提案するタイミングを図ってみようと思う。このブログをたまたま見れば、私のたくらみが知れてしまうが、社員というものは社長のブログなどは、めったに見ないものである。チャンスが来るまでは、それは秘密にしておこう。

△次の記事: 交友の記録(5)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/03/molda.html
▽前の記事: 交友の記録(3)
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琵琶

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3つまたは5つの戦略--社長の条件(4)

2005/03/06
3つまたは5つの戦略--社長の条件(4)

10.経営の理念と戦略
社長になるための条件として、他人から信頼される生活様式ができること、仕事に関係する能力が高いこと、人の心が理解できること、用心深くまた荒々しくも戦うことができること、などなどについて書いてきた。
いずれも社長になるための必要条件である。
社長になるためには身につけておかなければならない能力はいろいろである。社長はその会社ではトップであり、全部の責任を負っているのである。すなわち全能であることを要求されている。このように言うとあまりにも漠然としていて、何をして良いかわからなくなる。
社長といわずも経営者ならば、経営の戦略を持たなければならない。ここで、戦略というからには、目的があるのである。時々、会社経営者からお話をうかがうと戦略論ばかりで、「経営目的」について語ることのない人に出会うことがある。多くは伝統ある企業の重役の皆さんである。こんな人が社長になると会社はたちまち傾いてしまう。「目的なき戦略」は人の心を捉えないのである。人心を捉えない社長はどんなに立派な戦略を掲げても、誰もついてこないので、戦う前にすでに負けているのである。初代の創業社長がなくなると、続いて会社も市場から退場するのはこのようなケースではよくある。
逆に、すばらしい「経営理念と目的」を掲げていても、戦略なき社長の場合はたちまちにして行き詰まるのである。この種の社長は、スピンアウト起業を果たしたベンチャーの社長さんに多い。
「戦略」は「経営理念と目的」に従属し、「経営理念と目的」は「戦略」によって支えられる。「経営理念と目的」と「戦略」は一体のものであって、両者が矛盾なく成立していなければならないのである。
私の会社の「経営理念と目的」は、「最新の科学技術を万人のために」である。商売がどんなに私利私欲のために行われるように見えても、この目的から外れることがなければ、まずは社会に役立っているのである。「会社は、お金が儲かればいいのだ」という人も多いが、社会に役立たない仕事は、やがて社会から抹殺される運命にあるのである。社会は他人に危害を加えるような商売にそれほど寛容ではない。社会にとって役立たないというだけでも、無視されて、立ち枯れ状態となる。企業が存続を許されるのは、社会にとって役立つからである。人も社会に生かされているが、企業もまた社会によって生かされているのである。
11.経営戦略
ては、そのような「経営理念と目的」を実現する「経営戦略」とはどのようなものだろうか。主要な戦略は、「前方戦略」「社内戦略」「後方戦略」である。これらを「主要な3つの経営戦略」と呼ぶ。
(1)「前方戦略」
顧客に商品やサービスを買っていただくための戦略
消費財であれば、商品開発、ルート開拓、小売店優遇制度、宣伝広報などが前方戦略の内容である。
サービス産業であれば、顧客情報管理、告知戦略、キャンペーンなどが該当する。
(2)「社内戦略」
経営理念の徹底、モラルの向上、技術教育・商品知識の周知、人事考課などである。
(3)「後方戦略」
仕入れルートの開拓、外注・下職さんから信頼を得ること、などがここには含まれる。
このほか、「海外戦略」「学術戦略」を加えて、5つの経営戦略となる。
(4)「海外戦略」
言語や文化の違う海外との取引のためには、エージェントを利用したり、特別な社員教育を必要としたりすることも多い。国内とは異なるポリティカルリスクや文化リスクもある。宗教上の理由で取り扱えない品物もある。リスクがあっても海外との取引は避けて通れない。これらに対応するものは、主要3戦略の中にないので、別の扱いにすることが多い。これが「海外戦略」である。
(5)「学術戦略」
企業が提供する商品やサービスは、陳腐化すれば市場から見捨てられてしまう。市場では常に競争にさらされるので、日々より安価でよりよい商品やサービスを提供する必要がある。市場のニーズを探るとともに、新たなシーズを探さなければならない。学術分野は、ぼんくらがみれば役に立たない情報ばかりだが、顧客の心を良く知る者がじっと目を凝らせば、そこは豊かなシーズの大海である。大学や企業の研究成果に目を凝らし、研究者とよく交わり、可能性の豊かな研究室から人材を採用し、社内の人材を学術界に送り出す。商品開発やサービスの開拓、市場ニーズの変化などについて、常に大学人や社外のシンクタンクの意見を聞ける環境を整備しておく必要がある。これが「学術戦略」である。
さて、会社の経営者は、これらの5つの戦略のすべてに精通していなければならない。それぞれの戦略がどんなものか、実践を経験して身に着けていなければならないのである。小なりといえども、当社が24年間も継続してきたのは、それぞれの戦略をいつも自覚して、微力といえども努力してきたことが効を奏しているともいえるのである。
次の社長になる人たちは、これらのことにも精通しなければらない。これらは社長の条件である。たいていの企業で社員はこれらのことを知らされることはないだろう。大手の開かれた企業では、選ばれたエリート社員にだけ伝授されるだけだろう。世襲制の企業では、一子相伝で伝えられるだけに限られる。零細な企業では、創業者が夢中で身に着けた戦略戦術を社員らに伝えるまもなく高齢を迎えて引退または死去して、社員らは会社を支えるノウハウ(戦略)に気づかぬ間に、会社も倒れてしまうことが多いのである。
私の会社は、小さい企業だが、オープンな会社である。一子相伝というわけには行かない。社長を目指すものは、経営戦略をよりよく理解し、学び、また実践の中で力をつけなければならない。「戦略・戦術」には、経営者の「瞬発力」がものをいう。事態の変化に気づいたら、間髪いれずに行動する行動力が必要である。これらの能力を身に着けた者が社長になる資格がある。これらの能力を身に着けた者が多ければ、よりよい能力を身に着けた者がより社長に近いということができる。
別の機会があれば、それぞれの「戦略」について、このブログに書いてゆきたい。

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琵琶

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若者の展望-年収200万円以上の男性なら結婚するか--その他、シリーズ外の記事

2005/03/06
若者の展望-年収200万円以上の男性なら結婚するか--その他、シリーズ外の記事

今、興味深い発言をしている学者がいる。東京学芸大学教授の山田昌弘氏である。彼は、「パラサイトシングル」という流行語を作った人として知られているが、ニューエコノミーの登場によって生じたさまざまな社会現象を「1998年問題」という言葉で表現している。
http://www.works-i.com/special/newgeneration8.html
青年たちのアパシーやニートの原因となっている絶望感の根拠がここにあるというのである。
東京ではまだ不明確だが、すでに、地方ではこの社会的現象に順応してしたたかに生きてゆこうとする動きが顕著になっているようである。山田氏らが、青森県の弘前で25~ 35歳の人たちを対象とした調査の結果では、 年収が400万円を超すのは公務員くらいで、100万円未満という男性もかなり存在した。独身女性に「相手男性の年収がいくらくらいなら結婚してもよいか」という質問をしたところ、200万円以上という回答が多数寄せられた。ということである。
現在進行している二極化現象の中で、圧倒的に多くなるはずの庶民は、低収入男女が共働きして年収400万円を確保するという時間的展望(生活戦略)になるだろうことを示唆している。今回は、山田教授に共感しつつ、私の思いを書くことにする。
1990年代の初め、日本のバブル経済は破綻し、戦後の高度成長経済は終焉した。かつての高度成長経済の時代には、小中高生はまじめに勉強し大学を目指し、大学を卒業すれば安定した企業に就職でき、それなりに日々豊かになる安定した生活が予想できた。予想は例外を除いて裏切られることは多くなかった。1990年代の半ばになると、安定した生活の象徴ともいうべき大手の企業が経営難になり、倒産したり大規模なリストラを実施することになった。安価な製品を提供するアジア・中南米、とりわけ中国の経済力が台頭し、日本も国際競争の嵐にさらされることになる。終身雇用・年功序列を守る企業は敗者となって市場から脱落してゆく。正社員は激減してアルバイト・パート雇用が増大した。ニューエコノミーの時代が到来したのである。
青少年は、学校と両親から、古いパラダイムを聞かされて育った。長じるにしたがって、社会の現実を知るようになる。大学を卒業しても社会に出ても良いことは何も待っていないのではないか。それよりも今いる自分の家族の存続さえ危ういではないか、・・・。疑念と失望が青少年たちの内面に広がる。しかし、大人たちは子供たちよりも現実理解が遅れたり、現実を知っても理由を説明できなかったり、近未来の家族の生活戦略を立て直すこともできなかった。多くの大人たちは夢の崩壊というあまりにも過酷な現実に立ち往生して、戸惑うばかりだったのである。
家族の時間的展望が描けないときに、自立を求められる青少年に時間的展望が描けるだろうか。親たちすら立ち行かぬ家族を自分が作ることなどできるだろうか。親たちが頼りにできないと嘆く企業になぜ自分の未来をゆだねることができるだろうか。絶望感は青少年に広く深く、広がっていった。青少年たちは勉学に熱意を失い(アパシー)、就職にも熱意を失った(ニート)。青年たちが熱意を失った社会の損失は大きい。
ここで、私は、200万円以上の年収のある男性ならば結婚するという女性たちのたくましさに感動する。ささやか過ぎる考えかも知れないが、それが現実的な生活の戦略なのである。将来収入が漸増してゆくという保証は何も無い。しかし、それが現実なのだから、その条件の中で、より良い生き方を探してゆこうとする心意気が必要である。ばら色の夢は無くとも、果敢に生きてゆこうとすることの中に希望がある。東京にはまだ壊れた夢の破片を追う惨めな人たちがたくさんいるが、地方には、もう気持ちをしっかりと切り替えて、充実した人生を築こうとする若者が生まれているらしい。頼もしいことである。
公教育では、一斉授業のコンダクタであった教員たちが子供たちに斉一性圧力をかけ続けた結果、異質の子供に対する子供同士のいじめが多発した。私は、公教育が担ったかつての使命はもう終わったので、公立の小中高校の大半は民営化すべきだと考えている。子供たちは生来多様で個性的である。一人ひとり違った能力と可能性を持っていて、それぞれの夢を抱いていてよいのである。時代の変化に敏感な子供の中には、教師の虚言に疑念を抱く者もあっただろうに、教師による空疎な夢を押し付けられた子供たちは、未来を空想したり、自分なりの将来の夢を抱くことを許されなかった。自分のできることを将来生かしてゆきたい(自己効力感)と思っても、平等主義の教師によってコテンパンにやっつけられてしまった(子供たちは絶望感へ)。教師たちは「自分を殺しておとなしく生きてゆけばよい」と教え続けた。他の子供たちよりかけっこが速くとも、特定の科目で成績が突出していても教師からはほめられるどころか白い目で見られたりひどい場合には叱責されたりするので「良い子」ほど深く傷ついてしまった(成功回避性向、囚人のアパシーに似ている)。それなのに、社会に出ようとする時期になるとそこには激しい「競争」が待ち受けており、「自分を殺しておとなしくしていれば成功する」という教師の教えた成功神話は微塵も見出せない。いまさら「自分のいいところを生かして就活をやれ」(自己効力の達成)などといわれても、やりようが無いではないか。自己効力感は教師によってコナゴナにされてしまっているのである。しかも、いわゆる「いい会社」などどこにも無いのである。昔は大きな企業は頼もしく見えた。しかし、ニュースが伝えるところでは、「会社」は社員にはとても冷たくて、リストラの名前で平然と首切りをやる。定期昇給も無ないに等しい(能力給)。要するに生活が保証される事などはなくなっているのである。そして、「正社員」はますます狭き門になっている。
今の青少年は、ニューエコノミー社会にたくましく生きぬくことが要求されているのである。まずは、ありえない夢を忘れよう。ありえない夢を押し付けた大人たちの責任は大きい。総懺悔が必要かもしれない。壊された自己効力感を取り戻そう。自分は社会に何が提供できるかを一人ひとり、振り返ってみよう。子供ころの夢をもう一度思い出そう。壊されてしまった子供ころの夢の中に、自分が今の社会の中でできる何かがあるのではないだろうか。夢のままではないかも知れないが、現実を直視して、形を変えてみれば、自分がやりたかったことは、仕事で自分の力が発揮できることそのものではないのだろうか。もはや、高収入が目的ではない。自分が社会に役立っていることの実感を求めて働くのである。年収200万円では結婚生活は難しいが、二人の収入を合わせて400万円ならば贅沢は無理としても何とかやってゆけるだろう。幸い少子化が進んだので、どちらかの両親の家に住むことができるカップルも多いだろう。この場合は家賃が要らない。そうでなくとも、住宅は過剰供給なので居住費は下がっている。
展望を見失った青少年よ、見方を変えれば希望が見えてくる。新しい視座を獲得して、自分の時間的展望、家族の展望をたくましく思い描くことをお勧めしたい。弘前のうら若き女性たちに続こう。

琵琶

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オフで会う人たち--交友の記録(3)-復旧記事

2005/03/04

昨年の消えた記事が、数日前に、発掘されたので、採録する。
昨年の5月のもので、妻の事故から、1か月半ほど経過したころの記事である。そのころ、すでに妻は退院していたが、まだ仕事には復帰していなかったことを記憶している。

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2004/5/19
オフで会う人たち--交友の記録(3)-復旧記事

最近、オフ(ネット以外の現実の場)で、会う人が多くなっている。
琵琶への書き込みが少ないので、WEB日記風に記す。

15日(土)
私が主催する「SH情報文化研究会」があった。ここに初めて参加した元東大工学部教授(今年3月定年退官)と会が終わってからコーヒーを飲みながら、のん びりと面談。現在はJSTに再就職して、?億円/ワンプロジェクト規模のものを扱っているようだった。「何かいいタネはないかな」と深刻そうだった。持ち 込まれる案件の大半は、ろくでもないものだという。いくつか実例を聞いたが、すでに完成しているものを新規案件として持ちこまれるもの、実際は何もしなく とも、「はず」と「つもり」だった、という言い訳が、今から予想されるもの、達成しても学問的にも経済的にも意味のないもの、・・・、聞いていても頭が痛 くなるよう情けない物ばかりだった。これらを取り除いてゆくと、選べるものがないという嘆きだった。良い人と良い提案を紹介する約束をして分かれた。

16日(日)
都内で、会合が有り、遺伝子医療にかかわる医科大学のドクターの皆さんと、会議と会食をする。血液中のマーカー検査と適切な免疫治療を選べばすでに、癌と 「心臓と脳の疾病」は克服できる道筋ができたとの説明があった。同一の遺伝子に関係する複数の疾病の関係が判明しつつあり、併発する病気を一緒に(統合的 に)治療したり予防したりすることが現代的な意味で可能になった、経験的知識としては漢方で語り継がれてきた内容が実証されている部分も有り、大筋で矛盾 がない、とも語られた。なかなか心強い話である。
ふと、この種の先生方を柏の診療所や松戸の市立病院に連れてこられたら、などと夢を抱いたりした。
17日(月)
紹介していただける人が有り、グリーツーリズム学会の会長を努める東洋大学のA教授と会食した。
宮崎の自然と生物と人の紹介をした映画「風といのちの詩」の上映会(虎ノ門パストラル)に招待されてのことである。青木教授は、偶然にも新・浪漫亭の常連でも有り、雑誌「かがり火」の発行人である菅原氏とも知り合いということで、暖かく迎えていただいた。
沖縄のグリーン開発を手がける会社社長のもてなしで、虎ノ門パストラルの日本食レストランで、飛び切り上等な和食と泡盛をご馳走になりながら、お話をうか がった。このスポンサは、ワーカーズコーポの小野寺さんのお友達ということで、私はびっくりでした。隣のテーブルには虎ノ門パストラルの社長も食事してい たので、ときどき杯を交換しつつ、楽しいひと時となった。
松戸の「学術の森」にたいそう関心があるご様子でした。氏は、農地にペンションを付属させたような施設を全国3村に創設しており、都会の人たちを半定住さ せて、農業を半ば本格的にやらせようという試みを展開しているようだった。市民農園の歴史にもくわしく、屋上緑地などにも関心が有りそうでした。過疎化す る農村に軸足を持つ考えの方で、松戸のような寂れるばかりの地方都市に軸足を持つ私とは、たいへん似た問題意識を持ちながら立場に微妙な違いもあるようで した。しかし、知恵の宝庫のような方で、飲むほどに次々とアイディアが示されて、息つく間もなく夜もふけてしまいました。
流山には講演等でしばしば訪問しているということなので、地元でまたお会しましょうという約束をした。

18日(火)
午前中は、某ソフトハウスの社長と面談。
システムの受託開発は、体力的に限界に近づきつつある。中小零細企業とNPOを対象にしたホームページ制作とサーバ保守事業に転換したい、という内容だった。私の会社(サイエンスハウス)は、一部、この種の事業では先行しているところもあるので、いろいろとお話した。ついでに「パソコン・レスキュー」的な事業(当社では「スポットサービス」という名前で先行している)を取り入れることも提案した。当社が使用している価格表も差し上げた。
緻密で計画性のある彼のことだから、きっと成功するに違いないとおもいつつ、市場の風は気まぐれなのを心配した。
午後は、千葉県東葛地区で活躍する都市開発の会社の社長との面談。
彼からのたっての願いによるものである。開設予定の「柏の葉駅」周辺のショッピング街(約1万坪)の企画作成に協力して欲しいというものだった。
・漢方薬のショップ
・薬草(ハーブ)ショップ
・薬膳レストラン
・薬膳弁当ショップ
・玄米、玄米食ショップ
などなどについて語り合った。千葉大学柏の農園との連動を意識するもので、ある種の一体感を持たせた街づくりを意図した。話ながら、私は「柏の葉駅」周辺 の開発についてのグランドブランの全貌を知らないことがもどかしく感じられていた。一度どなたかにうかがいたいものと思った。また、都市開発には光の部分 と影の部分があるはずなので、包括的な知識を得たいとも感じた。

19日(水)
まだ、なにが起こるか、わからない、・・・。
一秒後は未知である。

以上

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琵琶


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「優しい」と「親切」の間--その他、シリーズ外の記事

2005/03/02
「優しい」と「親切」の間--その他、シリーズ外の記事

今日は「社長の条件」をお休みして、別の話題である。

私は、しばしば「優しい人」と言われる。これには、ひどく違和感がある。
私は、いつも「厳しい人」であるようにしているはずなのだ。
「優しい人」であるかのような評価が周囲から返ってくると、相手は私を誉めてくれているようなのでうれしいはずなのに、内心、ムッとしている。他人からは「脇が甘い人のように見えるのか」、「実は私はどんな人でも許す人なのか」、、、。
実は、私に対する「優しい人」というこの評価は、なかなか厄介なしろものである。
まず、大学で、大方の学生たちの私に対する評価は「優しい先生」である。しかし、学期末になって、期末テストも終わって、採点した後になると、学生たちは「チェッ!」と舌打ちする。「優しい先生」のはずなのに、自分の評点が「C」だったり、「追試対象」だったり、単位外(「D」)だったりするからである。もちろん「A」も「B」も多いのは当然だが、サボり気味の学生に限って、「自分はできる」と誤解しているものだから、「チェッ!」といいたくなる結果が待っているのである。学生たちは、なぜ私を「優しい先生」と誤解するのだろうか。まず、授業のはじめに学生たちに好きなメンバーでのグループを作らせる。予習、復習、レポートの作成で、グループ内での相談をするように徹底している。また、期末試験の一発勝負を回避するために、出席点とレポート点を評点に含めている。講義緑は、これでもかというほど詳細である。一度くらい欠席しても、休んだ時の講義緑を読めば次の授業にもついて行けるようにしている。期末試験の前には、「まとめ」と称して重点事項の復習をするので、期末試験にはほぼこの「まとめ」から出題されるとわかるのである。私はつまり勉学するものに対してとことん「親切」にしようとしているのである。一方の学生は「優しい先生」と誤解するのだ。しかし、私は「親切」だが、「厳しい」。「優しく」はない。出席点、レポートの採点は厳格だ。期末試験の採点も容赦しない。全員「A」評価する先生もいるようだが、私に限っては絶対にそんなことはない。点数に満たなければ、落第もありである。とことん「親切」にしてあげているのに、なお、結果としてできない学生は実力がつかなかったのだから、もう一度勉強しなければいけないではないか。私は、ここでももう一度「親切心」を働かせて、再履修または「落第」を宣告するのである。しかし、私に対して「親切にして厳格」という評価が学生たちにあってもよいと思うのは、今のところあまり聞かない。
つぎに、職場ではどうか。やはり、同じである。新人の社員に対しては、書籍を買ってあたえる、本物の仕事をやる前に練習問題をやらせて徹底的に教える、仕事に役立つ検索サイトを教える、時間中に必要な本を読み、ネットをくぐるのは、当然許可する。わからなければ質問を許す(ただし、同じ質問は2回までOK、3度目は拳固を振り上げて教える-最近は振り下ろさないが)。先輩たちを教育係りにして常時質問に答えさせる。などなどをする。たいへん「親切」である。これを「優しい」と勘違いする不心得者がいるのである。ここまでして、成果をあげられない者は、給与を引き上げないし、下げることもある。理由をはっきり説明して職種を変更することもある。ここまできて、やっと私の厳しさに仰天する者もまれにはいるのである。「優しい社長だから、時間どおり出社していたら、ただで給与がもらえる」と誤解していたに違いない。そんな社長だったら、私の会社などとっくにつぶれていただろう。今日まで、約24年間続いてきた会社である。ここの社長(私)は、「親切だが、甘くはない」のである。
顧客に対しても同じである。できうる「親切」はすべてやるのが私流(当社流)である。しかし、「優しい社長」と誤解した顧客が対価を踏み倒そうとしたりすることもまれには発生する。そんなときの私は厳しい。相手が大慌てになることは必定である。たいていは、結果として平謝りに支払を実行してくれることになる。
「親切」は、「優しさ」に似ているが、まったく違う種類の行為なのだと私はおもうのである。

琵琶

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