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「教育心理学」の限界と希望--心理、教育、社会性の発達(2)

2005/08/20
「教育心理学」の限界と希望--心理、教育、社会性の発達(2)

7月17日、「学生は変わったか--心理、教育、社会性の発達(1)」という記事を書いた。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/07/post_e5f7.html
その後も、いろいろと考えさせられることが多く、ゼミの学生向けのブログにも「「日本人の社会性の喪失」を考える」(http://99521633.at.webry.info/200508/article_1.html)や「 「日本人の社会性の喪失」を考える。 -その2- 」(http://99521633.at.webry.info/200508/article_2.html)も書いた。
思うところが多々あるので、順次、述べてゆきたい。

さて、7月16日の某研究会こと、大学における教員養成の教育課程に問題があるのではないかと、私は無鉄砲にも発言した。その趣旨は、教員養成の教育課程で必修とされる「教育心理学」には時代が教育に要請しているある大切な部分が欠落しているということである。つまり、幼児-児童-生徒-青年の成長の過程に「社会の成り立ちへの認知発達」を一切含んでいないといういささか荒っぽい指摘だった。
この研究会には文部科学省の関係者も参加していたが、直後に発表された施策は、「複数学年同居の合宿で社会性を獲得」と言うもので、研究会の活動の成果を示しているのかもしれない。

さて、現在の多くの大学の「教育心理学」は、ピアジェ(1896-1980)の発達心理学に依存していること、その後の学問的発展に追随していなことに私は苛立ちを感じていた。ピアジェが人の初期の認知発達の様子(発生的認識論)を心理学の立場から明らかにして、児童-生徒の学校教育の方法(学年制教育法)を正当化することに役立ったことは広く知られており、その功績は大きい。しかし、彼は、大きな間違いを2つ犯していた。1つは、人は必ずしも自然年齢の刻みだけで認知発達が進むのではないことに無頓着だった。もう一つは、子供たちがあるとき社会の成り立ちに強い関心を抱き、社会性を大きく発達させる心(認知)の発展を遂げる時期がある、ということを無視していることである。前者については、「学年制教育制度に対する批判」と言う形で広く語られるようになっているので、私の専売特許と言うわけではない。他方の後者についてはどうだろうか、心ある人の筋の通った見解を聞いたことがない。学校教育の担い手である教員の多くが「ヒトの社会性の発達」を知らないまま、教壇に立っているのである。これほど恐ろしい現実があるだろうか。もっとも現役の教員自体も「社会性の発達」を促す教育を受けてこなかった世代が圧倒的である。社会性を十分身に着けているとはいえない学校教師が現場で「社会性の発達」を自分たちが教えないことに何の疑問も持たないのは当然である。本人らは責められても、何を言われているのかさえ見当がつかないはずである。
しかし、私がその研究会の会場からこれを指摘するイレギュラ発言をしたときには、私にその確信があったわけではない。漠然とした恐れと懸念に過ぎなかった。発言しながら、一方では、本当に大学における教員養成のための「教育心理学」が社会性の発達を無視しているのか、を知りたかった。証拠(evidence)がほしかった。
帰宅してから早速アマゾン(日本)で「教育心理学」を検索してみた。336件の該当の書籍があった。売れ行き順に検索結果を表示した。この中には、大学の教科書と思われるものとそうでなさそうな本が混在している。すべての本を買って精査するほどの時間もお金もないので、10位以内に入っている教職課程の教科書とみなせるものに絞って購入した。次の4冊である。
石隈利紀,「学校心理学」,誠信書房(1999)--1位(☆5.0個)
下山晴彦,「教育心理学(2)」,東京大学出版会(1998)--3位(☆3.5個)
大村彰道,「教育心理学(1)」,東京大学出版会(1996)--4位(☆4.0個)
多鹿秀継,「教育心理学」,サイエンス社(2001)--7位(☆4.0個)
2位、5位、6位、8位、9位、10位の本は、一般人向けの読み物だったり、荒れる学校対策の実践本だったりするようだった。教育課程の教科書とは見えなかったのでそれらは省いた。
該当する4冊のどれを見てもヒトの心理的発達において、「社会性の獲得・発展」は存在しないようである。仔細に読めば本文のどこかに社会性に触れているところが皆無ではないのかも知れないが、少なくとも章や節に堂々と取り上げているものはない。そのようなことを書けば、異端としてこの学問の世界からは排斥されるのだろうかと心配になってしまう。私の危惧は的中していたのである。
とはいえ、"大村彰道,「教育心理学(1)」,東京大学出版会(1996)--4位(☆4.0個)"は、東大の教育心理学の定番テキストのようだが、ここにはさすがに「4.2 社会的認識の学習と社会科学習」という節がある。さすがに東大ともなれば、「社会的認識」の必要性を無視したわけではないということである。しかし、「第1章 認知の発達」「第2章 言語の発達」「第3章 数概念の発達と算数・数学の学習」「第4章 科学的認識・社会的認識と教育」・・・のような章立てを見れば分かるように、ヒトの自然な発達の中に「社会的認識の獲得」は位置づけられてはいない。「算数・数学の学習」までは「(数概念の)発達」が必要とされているが、「社会的認識の獲得」はわずかに銀行の役割の理解など、金銭的な現象に対する認知と結び付けられて説明されているに過ぎない。「社会性の発達」についても他人の学説が幾分紹介されているが、筆者の確信としては語られていない。学生たちが「金だけが人生の目的か」と絶望的になるのも止むをえないのである。主として、社会科教育のために利用する教材の例として社会の制度が語られているにとどまっているとしか見えない。ヒトの心理的発達において、お金関係以外に「社会性の獲得・発展」の時期はないのだろうか。「社会的認識」の前提として「心の社会性の獲得」がなければ、社会への関心が生まれないだろうし理解も不十分だろう。他の3冊にいたっては、社会科教育の教材としてさえ社会性の獲得の扱いはないのである。
いや、ご専門の方からは、そんなことはとうに織り込み済みであり、教員養成にそんな些細なことまで教えないだけなのだという反論が聞こえてきそうである。しかし、「社会性はヒトの成長とともに育くまれ、獲得され、成長するもっとも大切で基本的な人格の一つの側面なのではないのだろうか。社会科や理科は暗記物として、教師が叩き込めばいいのだろうか。心の発達を伴わない社会科や理科が果たして身につくのだろうか。それでも、「ヒトの社会性の心を育むのは些細なことに過ぎない」なのだろうか。「教員養成にそんな些細なことまで教えない」とすれば、現場に立つ学校教師たちは(教育を受けていないのだから)、知らずに教育現場の悲劇の再生産に加担していることになるのではないだろうか。教師たちこそ、いい面の皮である。

では、「社会性を育む」教育を進めるテキストはまったくないのかといえば、アマゾンの上位には見出せなかったが、次のようなテキストがあった。大半の教職課程の「教育心理学」とは違っている。これは希望である。
桜井茂男編,「たのしく学べる最新教育心理学」,図書文化(2004)
「第9章 社会性を育む」があり、全体で19ページを割いている。その中の節として「I 向社会的行動」「II 道徳性」「III 親子関係の発達」「IV 仲間関係」がある。それぞれの節は多数の項目に分かれて詳細な議論を展開している。欲を言えば、社会性の獲得には、恋愛の心の働きが極めて大きく作用するはずであるがこれに触れていない点だけだろう。編者は、これより先に、次のような本の翻訳をしているが、前述の本には次の本の原著からの影響が見られるようだ。
桜井茂男訳,「人を伸ばす力」,新潮社(1999)
章のタイトルを引用するが、なかなか示唆に富んでいる。
第1章 権威と服従
第I部 自律性と有能感がなぜ大切なのか
第2章 お金だけが目的さ
第3章 自律を求めて
第4章 内発的動機づけと外発的動機づけ
第5章 有能感をもって世界とかかわる
第II部 人との絆がもつ役割
第6章 発達の内なる力
第7章 社会の一員になるとき
第8章 社会のなかの自己
第9章 病める社会のなかで
第III部 どうしたらうまくいくか
第10章 いかに自律を促進するか
第11章 健康な行動を促進する
第12章 統制されても自律的に生きる
第IV部 この本で言いたかったこと
第13章 自由の意味

私の組織論(http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/8_600d.htmlなど)の授業を聞いて、「人生はお金だけではなかった、と安心して、思わず涙がこぼれてしまった」と語った学生がいた。いかに現代の教育が子供たちの素朴な心を縛りつけ傷つけていたのかと私のほうも、思わず眼が潤む思いだった。
上記の本の「第2章 お金だけが目的さ」では、お金で釣って何かをさせようとすることのおろかさを心理学の実験の成果を示しながら、完膚なきまでに暴いている。「社会性を育む」とは、「金をチラつかせる」こととは違うのである。

大学の教職の授業で「社会性の発達」を教えている先生はいないのだろうかと、インターネットを探ってみたところ、シラバスで見る限りは大阪府立大学の人間教育学科岡本真彦先生などが授業で「社会性の発達」を教えていらっしゃるようだ。
http://wwwhs.cias.osakafu-u.ac.jp/psy/DocJ/class.html#education
もちろん面識はないし、見当違いかもしれないが、私にとっては希望の持てる先生のお一人ような気がしている。
そのほかにも、いろいな先生方がいらっしゃる。
千葉大学の林洋一先生
http://www.l.chiba-u.ac.jp/Syllabus/undergraduate/2005/1st/intensive/824/
宇都宮大学橘川真彦先生
http://www.zuisousha.co.jp/book2/4-88748-015-6.htm
江戸川大学柴田良一先生
http://syllabus.edogawa-u.ac.jp/detail.php?oh_code=1270&nendo=2005
大正大学柴田良一先生
http://www.tais.ac.jp/syllabus/syllabus/3271.html
他にも何人もの方がいらっしゃるようだ。
これらの先生方の努力は、まことに時代に合致するものであり、心強いものを感ずる。大半の「教育心理学」の嘆かわしい現状はともかく、これらの意欲的な研究者・大学人の活躍を希望を持って見つめていたいと思う。

ところで、余計なことだが、心理学の世界は、主要な学派だけでも40くらいに上るらしい。どの学派がどのような主義主張なのか門外漢の私にはよく分からない。資格制度をめぐって利権の争奪戦もあるのだという。政治家と結びついて政治運動をする学派もあるらしい。華道やお茶の世界と似て、どの学派にいるかによって、考え方も行動も違うようである。組織論の立場から見ると、学問的知見の流通が阻害され、学問の発達にはなはだよろしくないように思うのは私だけだろうか。統一した学会または連合会があるといいと思う。

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琵琶

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