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急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)

2005/09/23
急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)

(1年後の追記)この記事は2004年度の文部科学省による調査報告に基づくものである。続く2005年度の文部科学省による調査報告が公表されたされたのは1年後の2006年9月初めである。新しい結果についてのコメントは後の記事「さらに増加する小学生の対教師暴力--心理、教育、社会性の発達(26)」で書いた。(2006/09/14)

本日(2005年9月23日)の朝日新聞朝刊は、一面左の記事で大きく「小学生の校内暴力--先生相手 急増」を取り上げた。文部科学省が昨年度(2004年度)の調査結果を公表したことに関する記事である。小学校の校内暴力は全体で27%増、内訳では子供同士や器物破損などの増加は10%だったものに対して、教師に対する暴力は33%増と突出している。
指導が成功すれば「暴力」としての届出がないのが通例なので、おそらくはこの数は氷山の一角であろうとは記事も指摘している通りである。
個々の事例の背景などについてはいくつか例示があったが、いかにも歯がゆい内容である。新聞という立場ではこれ以上を求めることは困難なのも分かるが、だれも本質をついたコメントができていない。洞察力のある人物にたまたまインタビューできなかったということか。
むしろ問題は文部科学省の下請けで調査した調査会社の資質なのかも知れない。個々の事例を調べただけでは、本質は分からない。分からないままに調査しても得られるものは少ない。調査しないよりもましではあるが。
調査の軸(家族構成別、年齢別、過程外幼児教育の有無と量、・・・)は、教育経験豊富な洞察力のある人物が発見しない限り、調査の対象にすらならないからである。
私の父の顔を思い浮かべてみた。85歳でなくなったが、生きていれば、まもなく88歳だっただろう。30歳台の前半で小学校の校長になり、市内の小学校を転々とした。若い教員だった頃に終戦を迎えていた。終戦直後、荒れる子供たちをなごませようと農家の父兄にお願いしてタネをいただいて子供たちと一緒になって校庭に花を咲かせたのがはじめで、各地の小学校で「花の校長」と呼ばれるようになった。クラスや班ごとに花の見事さを競った。晩年は自宅で菊を育てて、展覧会に出品することを生きがいにしていた。彼だったら、現在の小学校の荒廃をどう見るだろうか。
彼は死の病に伏していたある日、ニートや親殺しのニュースを見ながら、「彼らにはアイデンティティの確立が見られないな」と強く言ったことが思い出される。一瞬、私は父がボケたのかと思った。その後、良く考えると、パーソナリティ(アイデンティティ)の確立なくしては社会性の獲得がない、という青年の発達の2つの分けがたい特徴を言い当てていたことに気づかされたのである。ニートや親殺しの青年たちの社会性の欠如は誰の目にも明らかだった。その原因を言い当てて取り除こうという声はなかったものの、誰もがその現象については言いはやした。父は、青年らのアイデンティティの確立を助けなければその社会性の獲得が現実化しないということに、強い思いを抱いたのだった。これは、まだ父にはかなわない、と私は思った。
この思いを抱きながら、私は個性と社会性について、過去の記事(昔あった「教育心理学の不毛性」の議論--心理、教育、社会性の発達(6))に書いた。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/6_9cb7.html
教員たちには気の毒だが、「いじめ」「学級崩壊」「校内暴力」などは、社会性の発達を阻害する教師起因性であるとも書いた。教室内が安定せず、不安定が生ずれば、教師は防衛上、子供たちに斉一性の圧力を大きくしてゆく。子供たちは本能的に(ウソでも)自分を受け入れてくれそうな仲間を探して、教師の目の届かないイジメグループに接近してすぐにその餌食になってしまうのである(「金もってこい。そうしたら仲間にしてやる」「俺たちは仲間だろう。仲間が大事だったら、万引きしてこいよ」・・・)。「仲間にしてやる」というエサは、成長期の子供たちや青年たちには抗いがたいものである。バカなことと言うなかれ。かく言うあなたも、どこかに似た記憶があるのではないだろうか。イジメるな、イジメグループに接近するな、余計なことをするな、と斉一性の圧力が強まれば強まるほど子供たちの言い知れぬ反抗心が湧き上がってくる。理屈では説明のできない反発である。子供たちは自分の個性を認めて受け入れてくれる場を求めているのだ。個性を殺すことを求められ、かつまた優劣の比較(「かけっこはボクのほうが速いよ」「歌は私のほうが上手でしょ」・・・)を禁じられた子供たちに理論で反論するだけの力はない。教師の教育理論の前に屈服するしかないだろう。しかし、それでも承服しがたいものは承服しがたいのだ。「ボクたちの話を聞いてくれない」「教え方がヘタ」「何を言ってんだかわかんない」というとてつもない言葉が子供たちの口から吐き出される。教師はただただ逆上してしまうのである。自分が愛してやまない子供たちから、教師に向けられた侮蔑の言葉だ。「私の気持ちがなぜ分からないの」というわけである。教師以外の人たちにその苦痛と苦悩を分かってもらえるだろうか。教師たちの絶望感は深い。教室の秩序を維持するためには、子供たちに対する斉一性の圧力をますます強めることになる。強圧によって、子供たちを押さえ込むことに成功する"有能な"教師は多いが、押さえつければ何かのきっかけで爆発する。学級崩壊である。いま教師は学級崩壊と戦っている。学級崩壊を避けるためには、子供たちの自由な結合を禁止して、人間関係を築かせないようにアンテナをカメレオンの目のようにめぐらせながら、子供たちの共謀を防止しようと躍起である。しかし、武力で制圧された民族がテロとゲリラで抵抗するように、子供たちは仲間を募って教室をひっくり返してしまうことをあきらめるかわりに、突然教師に殴りかかったり、机や椅子を投げつけたりするようになるのである。教師に向かって刃物を振り上げる子供までいる。「校内暴力、とくに教師に対する暴力」が増大しても事の成り行きの通りで当然なのではないのだろうか。
原因は取り除かれることなく放置され、何の手当てもされず、むしろ、悪い要因を増加させる「斉一性への圧力」を強める技術だけは教員の世界の中だけで蓄積され磨かれてゆく。たいへん恐ろしい現実である。
教員養成の責を負う大学をはじめとして教育委員会、教員の各種研究会のリーダの皆さんなどに、ぜひとも「社会性の発達」に関する知識と教育技能を現場の教師の皆さんに教えていただきたい。現場の教員の多くの皆さんは、およそ2世代にわたって、「こどもたちの社会性の発達」という成長段階を知らされずに来てしまった歴史的被害者なのである。
教師の皆さん、子供たちに斉一性への圧力をかけるのをやめよう。子供たち一人ひとりにある同じではない長所をそれぞれに認めてあげよう。子供たちのとんがりたがるキモチを大切にしてあげて、それを受け入れてあげよう。教室の中でよい仲間が互いに作れるように手助けしてあげてください。イジメグループよりももっと楽しくて有意義な仲間がいることを自然に発見できる教育の場を創造してあげてください。それが愛するあなたの子供たちにできる教師の勤めではないだろうか。暴力を振るう子供は、何かを長い時間、押しとどめられ、くじかれているのである。くじかれているものに、心の添え木を与えてください。傷が癒えて子供らしく元気にいろいろな夢を膨らませ、語るのを聞いてあげてください。適切な友達付き合いができるように目配りと手助けをしてください。子供たちは友達付き合いもまだ大人の手助けと誘導を必要としている。「共同体成立の条件(*)」を子供向けに少し書き換えると次のようになるだろう。

・自分のことは自分でできるように
・一人は、一つ以上のことで仲間からほめてもらえるように
・仲間は互いに助け合うように
・仲良しグループはクラスや学校、地域のみんなの祝福が受けられるように

教科指導とは関係ないことのように見えて、社会性の発達は驚くほどの認知発達を促す良薬であることも体験してください。

研究者の皆さん、教育心理学にはピアジェの認知心理学だけでは足りないのです。発達心理学や社会心理学の成果を是非とも教育の現場にも届けてください。

* 共同体(組織)成立の条件
 ・自分のことは自分でする。
 ・一人は、1つ以上、仲間の役に立つ。
 ・仲間は互いに助け合う。
 ・共同体は、社会に貢献する。

私は、目立たないしがない大学の教員にすぎない。小中学校の教育は専門ではない。素人が余計なことを言うなとのお叱りはごもっともである。教育をめぐる素人の「言説」は、何かと現場に混乱をもたらすものとして、大変嫌われている現状も理由なしとはしないと私も同意している。
しかし、大学の教壇に立つと、まさしく「社会性の発達阻害」「パーソナリティの発達阻害」の弊害を抱えた青年男女の大波が押し寄せてくる。グループ研究に取り組ませようとすると研究の方法を教える以前にやるべきことが多すぎる。仲間同士の会話を成立させることに時間と労力の大半が必要である。「記憶(認知)の社会性=知識・認知の高度化構造化」が欠如しているために、知の戦略ととしては「知性なき丸暗記」という戦略しか持ちあわせていない学生に、発見的研究などできるはずがないという現実にも直面する。大学の教員の多くは、このことに気づくとたいていは発見的研究の方法を教えることすらあきらめてしまう。事実、ほとんどお手上げである。半年の講義期間の十数コマの内の貴重な数コマの講義時間を割いたとしても過去20年間近くの教育をやり直すことなどできこっないではないか、と言うことである。
それでも、私は、グループ活動に固執し、学生が泣き出すまで、議論させる。そうしているうちに稀に「知性なき丸暗記」の頑なな殻が少しだけ溶けてくることもある。いつもいつも成功するわけではない。成功することもあるという程度である。えぐい、きびしぎる、教えることが高度過ぎると学生からは非難されている。そんな声は承知のうえである。負けてなるものか、と日々教室に向かう日常である。
大学の教員には大学の教員としての踏ん張りが必要であることは十分に認めるが、子供たちの成長にかかわる20数年の全体のプロセスを抜本的に改革しない限り、社会では役に立たない「知性なき丸暗記」の子ばかりが成績優秀と褒め称えられて社会に出てゆき、社会性が欠如しているがゆえにミスマッチ退職と再就職困難に直面してニートに転落する。この子供たちを救うことはできないのだろうか。
ちなみに、単に私の授業に出ていたことがあるというだけのつながりで私のところに相談に来る卒業生たちを見る限り、「ミスマッチ退職」とは「職種のミスマッチ」が原因ではない。「社会組織というものへのミスマッチ」すなわち「社会性の欠如ゆえの脱落」なのである。本人も社会に出て初めて自分が社会に受け入れられない人格であることに気づいて愕然とし、現実の社会に絶望してしまう。仮に心奮い立たせて職種を変えて再就職運動をしてみても、当然「再就職困難」となってしまう。そうなってからでは、救済は困難を極める。
もう、このような不幸を再生産しないよう、関係者の皆様の英知とご努力を心からお願いする次第である。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(10)
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琵琶

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