カテゴリー

  • 日記・コラム・つぶやき
  • 経済・政治・国際

« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »

迷い犬の飼い主親子たちが尋ねて来た--我が家の愛犬様(6)

2005/09/24
迷い犬の飼い主親子たちが尋ねて来た--我が家の愛犬様(6)

昼ころ、ドアの外で声がした。我が家の愛犬様は、たまたまお昼寝のために玄関の中にいた。玄関の中から愛犬様は激しくほえる。玄関のドアを開けるとわが家の愛犬様が外に飛び出すだろうという状況である。おおあわてで、愛犬様を引き綱につないで、ドアをそっと開けてみる。男の子が二人とそのお母さんらしい女性が、なにやら大きな荷物を持って外に待っていた。子供たちはそれぞれ小学生と中学生のようだった。二人の子供たちは、頭をぺこり、ぺこりと下げて「ありがとうございます」と言った。犬は連れていないが、飼い主の親子に違いはないだろう。奥さんは「ありがとうございました。マ○○○です。もらって1か月半だったんです。朝の8時5分くらいに、小学校の裏手の倉庫のそばまで犬を連れてでると倉庫で作業している先生方らしい人がいました。迷惑がかからないように抱き上げていると、倉庫の扉がバッターンと大きな音を立てて閉まったんです。あの子はその音にびっくりして、腕から飛び降りて走って行ってしまったんです。たまたま、私は足が痛くて走れなくて捕まえられませんでした。こんなところまで走ってきたんですね」と言う。「ええ、我が家で見つかったときは8時過ぎでしたから、その後すぐだったんでね」と私は予想(もしかすると前の晩からいたのか)に反していたので少し驚いて答えた。
それにしても、あのワンちゃんが私をぐいぐいと引っ張って向かった方向とはずいぶんな方向違いである。と言うことは、ワンちゃんは、新しい飼い主さんの下ではなくて、元の飼い主さんの自宅に帰りたかったのであろう。豆柴犬は飼ったことがないが、柴犬はかつて飼ったことがある。現在の我が家の愛犬様よりはやや控え目だが、喧嘩上手で周囲の大きな犬にも負けたことはなかった。帰巣本能はきわめて強い。和犬に共通して、「主人は生涯一人しか持たない」といわれるくらい、最初の主人に執着する。もらわれた先の主人には洋犬のようにすぐになついたりはしないのである。聞いてみれば、いろいろと事情が判明してくるものである。
もらわれて1か月半、ワンちゃんはその間もずうっとさびしい思いをしていたのだろうなと思うと、不憫である。大きな音に驚いたときも、安心できる元のご主人の下に一目散で走ってゆきたかったのだろう。その途中、行き先に迷って、我が家に迷い込んだのだ。しかし、今の飼い主にそう説明するのは、気の毒に感じたので、このことについては何も言わなかった。
ひとまず、「ニセの飼い主かも知れない」などと疑ったことを反省した。息子たちのはしゃぎようを見れば、ニセの飼い主ではないことがわかるというものである。
そうこうしているうちに、我が家の愛犬様は、珍しい客に激しく挑みかかるようにほえていたかと思うと、体を激しくくねらせて、首輪を見事に抜いてしまった。とりあえず庭中を一回駆け抜けると、玄関先に戻ってきて、お客さんたち(飼い主の親子たち)を玄関の私と挟み撃ちにする位置で、激しく吠え立てる。猟犬が獲物をご主人様の方向に追い立てる行動である。こうなっては大変。息子も家内も飛び出してきた。息子は、鎖をもって愛犬様を追いかけ始める。家内は、一度様子をうかがってから、家の中に戻って、乗用車の鍵を持ってきた。なかなか機転が利いている。実は、我が家の愛犬様は、車に乗るのが大好きなのだ。牝犬を追いかけて家出をしてしまったときも、車で追いかけて、お目当ての牝犬の家の前に行くと、車に飛び乗ってくる。お気に入りの牝犬の前では、主人である私の制止も聞かずに、引き綱を振りきって牝犬に突進してゆくのが常なのだが、車が来るとそれほど好きな牝犬さえ見捨てて、車に乗ってしまうのである。これを思い出した家内が、車の座席を捕獲用のワナに仕立てたのた。案の定、車にドアを開けて家内が呼ぶと、息子に追われてかなり遠くまで行っていた愛犬様が猛スピードで車のある位置に駆け寄ると躊躇なく座席に飛び乗った。車のドアを閉めて、家内が私を呼ぶ。家内は勝ち誇った顔だ。
困ったことに、この騒ぎで飼い主たちとの会話は中断されてしまった。ともかくも、と、大きな梨の実の一袋とコージーコーナーの大きなお菓子の箱をいただいた。私は「ありがとう、ボクたち、ワンちゃんと仲良くして、大切にしてあげてね」と言うのが精一杯だった。親子たちは帰った。
これからが大変である。我が家の愛犬様は、不満を募らせている。せっかくいいことをしてあげようと、"獲物らしき"親子連れを追い込もうとしたのに、逆に自分が追い払われて、ことのついでに庭先を存分に走ろうと思ったら、計略にかかって、車の座席に押しこめられてしまった。一度は、私の誘導で車から降りて玄関先に向かうかに見えたが、不満を爆発させて、私の手を激しく咬むマネをして自由の身になると、また庭中を走り始めた。私の顔をちらちらと見ながら、隣家の庭もなんのその、休むということを知らないのかとあきれるくらいに何度も何度も走り抜けてゆく。舌の先からは彼の唾液が空を切って飛んでゆく。仕方がない、と私はまた車のドアを開ける。今度も近づいてきたが、中には入ろうとしない。もう、だまされないぞ、という態度だ。「分かったよ。お父さんも車に乗るから」と愛犬様に語りかけて私が手招きしながら運転席に乗り込む。愛犬様も私のひざの上を駆け抜けるように車に乗り込む。助手席が愛犬様の定位置である。私のズボンは泥で犬の足型がいくつもついた。息子も後ろの座席にあわてて乗り込んでくる。
まもなく、車は滑り出して、周囲の散歩道をゆるゆると走る。愛犬様は、ご満悦だ。車の疾走感はたまらない。眼はランラン、息は荒く、前足でフロントの小荷物入れの辺りをがりがりとやってみて、左のガラスの隙間から外のにおいをかいでは、長くたらした舌を左右にゆらゆらと揺らせる。明らかに興奮状態である。
周囲を一周してまた自宅に近づくと、私が「おうち、に帰るよ」と言う。愛犬様は、いつものように、耳を半分私のその声に向けると、座席の中央に戻って、興奮をやや抑えるのである。これでエキサイティングなお楽しみは終わりなんだと彼は納得するのである。
自宅に帰って、首輪が抜けてしまったときの引き綱を見ると、なんと首輪につながる金具の部分が壊れていた。金具が割れていたのである。新しい引き綱を買ってくるしかないだろう。体を激しくくねらせたと見えたとき、金具は彼の硬い牙によって破壊されていたのだ。なんという乱暴な奴なのだろうと、改めてあきれてしまった。

△次の記事: 我が家の愛犬様(7)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/10/7_0406.html
▽前の記事: 我が家の愛犬様(5)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/5_1ff2.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)

2005/09/23
急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)

(1年後の追記)この記事は2004年度の文部科学省による調査報告に基づくものである。続く2005年度の文部科学省による調査報告が公表されたされたのは1年後の2006年9月初めである。新しい結果についてのコメントは後の記事「さらに増加する小学生の対教師暴力--心理、教育、社会性の発達(26)」で書いた。(2006/09/14)

本日(2005年9月23日)の朝日新聞朝刊は、一面左の記事で大きく「小学生の校内暴力--先生相手 急増」を取り上げた。文部科学省が昨年度(2004年度)の調査結果を公表したことに関する記事である。小学校の校内暴力は全体で27%増、内訳では子供同士や器物破損などの増加は10%だったものに対して、教師に対する暴力は33%増と突出している。
指導が成功すれば「暴力」としての届出がないのが通例なので、おそらくはこの数は氷山の一角であろうとは記事も指摘している通りである。
個々の事例の背景などについてはいくつか例示があったが、いかにも歯がゆい内容である。新聞という立場ではこれ以上を求めることは困難なのも分かるが、だれも本質をついたコメントができていない。洞察力のある人物にたまたまインタビューできなかったということか。
むしろ問題は文部科学省の下請けで調査した調査会社の資質なのかも知れない。個々の事例を調べただけでは、本質は分からない。分からないままに調査しても得られるものは少ない。調査しないよりもましではあるが。
調査の軸(家族構成別、年齢別、過程外幼児教育の有無と量、・・・)は、教育経験豊富な洞察力のある人物が発見しない限り、調査の対象にすらならないからである。
私の父の顔を思い浮かべてみた。85歳でなくなったが、生きていれば、まもなく88歳だっただろう。30歳台の前半で小学校の校長になり、市内の小学校を転々とした。若い教員だった頃に終戦を迎えていた。終戦直後、荒れる子供たちをなごませようと農家の父兄にお願いしてタネをいただいて子供たちと一緒になって校庭に花を咲かせたのがはじめで、各地の小学校で「花の校長」と呼ばれるようになった。クラスや班ごとに花の見事さを競った。晩年は自宅で菊を育てて、展覧会に出品することを生きがいにしていた。彼だったら、現在の小学校の荒廃をどう見るだろうか。
彼は死の病に伏していたある日、ニートや親殺しのニュースを見ながら、「彼らにはアイデンティティの確立が見られないな」と強く言ったことが思い出される。一瞬、私は父がボケたのかと思った。その後、良く考えると、パーソナリティ(アイデンティティ)の確立なくしては社会性の獲得がない、という青年の発達の2つの分けがたい特徴を言い当てていたことに気づかされたのである。ニートや親殺しの青年たちの社会性の欠如は誰の目にも明らかだった。その原因を言い当てて取り除こうという声はなかったものの、誰もがその現象については言いはやした。父は、青年らのアイデンティティの確立を助けなければその社会性の獲得が現実化しないということに、強い思いを抱いたのだった。これは、まだ父にはかなわない、と私は思った。
この思いを抱きながら、私は個性と社会性について、過去の記事(昔あった「教育心理学の不毛性」の議論--心理、教育、社会性の発達(6))に書いた。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/6_9cb7.html
教員たちには気の毒だが、「いじめ」「学級崩壊」「校内暴力」などは、社会性の発達を阻害する教師起因性であるとも書いた。教室内が安定せず、不安定が生ずれば、教師は防衛上、子供たちに斉一性の圧力を大きくしてゆく。子供たちは本能的に(ウソでも)自分を受け入れてくれそうな仲間を探して、教師の目の届かないイジメグループに接近してすぐにその餌食になってしまうのである(「金もってこい。そうしたら仲間にしてやる」「俺たちは仲間だろう。仲間が大事だったら、万引きしてこいよ」・・・)。「仲間にしてやる」というエサは、成長期の子供たちや青年たちには抗いがたいものである。バカなことと言うなかれ。かく言うあなたも、どこかに似た記憶があるのではないだろうか。イジメるな、イジメグループに接近するな、余計なことをするな、と斉一性の圧力が強まれば強まるほど子供たちの言い知れぬ反抗心が湧き上がってくる。理屈では説明のできない反発である。子供たちは自分の個性を認めて受け入れてくれる場を求めているのだ。個性を殺すことを求められ、かつまた優劣の比較(「かけっこはボクのほうが速いよ」「歌は私のほうが上手でしょ」・・・)を禁じられた子供たちに理論で反論するだけの力はない。教師の教育理論の前に屈服するしかないだろう。しかし、それでも承服しがたいものは承服しがたいのだ。「ボクたちの話を聞いてくれない」「教え方がヘタ」「何を言ってんだかわかんない」というとてつもない言葉が子供たちの口から吐き出される。教師はただただ逆上してしまうのである。自分が愛してやまない子供たちから、教師に向けられた侮蔑の言葉だ。「私の気持ちがなぜ分からないの」というわけである。教師以外の人たちにその苦痛と苦悩を分かってもらえるだろうか。教師たちの絶望感は深い。教室の秩序を維持するためには、子供たちに対する斉一性の圧力をますます強めることになる。強圧によって、子供たちを押さえ込むことに成功する"有能な"教師は多いが、押さえつければ何かのきっかけで爆発する。学級崩壊である。いま教師は学級崩壊と戦っている。学級崩壊を避けるためには、子供たちの自由な結合を禁止して、人間関係を築かせないようにアンテナをカメレオンの目のようにめぐらせながら、子供たちの共謀を防止しようと躍起である。しかし、武力で制圧された民族がテロとゲリラで抵抗するように、子供たちは仲間を募って教室をひっくり返してしまうことをあきらめるかわりに、突然教師に殴りかかったり、机や椅子を投げつけたりするようになるのである。教師に向かって刃物を振り上げる子供までいる。「校内暴力、とくに教師に対する暴力」が増大しても事の成り行きの通りで当然なのではないのだろうか。
原因は取り除かれることなく放置され、何の手当てもされず、むしろ、悪い要因を増加させる「斉一性への圧力」を強める技術だけは教員の世界の中だけで蓄積され磨かれてゆく。たいへん恐ろしい現実である。
教員養成の責を負う大学をはじめとして教育委員会、教員の各種研究会のリーダの皆さんなどに、ぜひとも「社会性の発達」に関する知識と教育技能を現場の教師の皆さんに教えていただきたい。現場の教員の多くの皆さんは、およそ2世代にわたって、「こどもたちの社会性の発達」という成長段階を知らされずに来てしまった歴史的被害者なのである。
教師の皆さん、子供たちに斉一性への圧力をかけるのをやめよう。子供たち一人ひとりにある同じではない長所をそれぞれに認めてあげよう。子供たちのとんがりたがるキモチを大切にしてあげて、それを受け入れてあげよう。教室の中でよい仲間が互いに作れるように手助けしてあげてください。イジメグループよりももっと楽しくて有意義な仲間がいることを自然に発見できる教育の場を創造してあげてください。それが愛するあなたの子供たちにできる教師の勤めではないだろうか。暴力を振るう子供は、何かを長い時間、押しとどめられ、くじかれているのである。くじかれているものに、心の添え木を与えてください。傷が癒えて子供らしく元気にいろいろな夢を膨らませ、語るのを聞いてあげてください。適切な友達付き合いができるように目配りと手助けをしてください。子供たちは友達付き合いもまだ大人の手助けと誘導を必要としている。「共同体成立の条件(*)」を子供向けに少し書き換えると次のようになるだろう。

・自分のことは自分でできるように
・一人は、一つ以上のことで仲間からほめてもらえるように
・仲間は互いに助け合うように
・仲良しグループはクラスや学校、地域のみんなの祝福が受けられるように

教科指導とは関係ないことのように見えて、社会性の発達は驚くほどの認知発達を促す良薬であることも体験してください。

研究者の皆さん、教育心理学にはピアジェの認知心理学だけでは足りないのです。発達心理学や社会心理学の成果を是非とも教育の現場にも届けてください。

* 共同体(組織)成立の条件
 ・自分のことは自分でする。
 ・一人は、1つ以上、仲間の役に立つ。
 ・仲間は互いに助け合う。
 ・共同体は、社会に貢献する。

私は、目立たないしがない大学の教員にすぎない。小中学校の教育は専門ではない。素人が余計なことを言うなとのお叱りはごもっともである。教育をめぐる素人の「言説」は、何かと現場に混乱をもたらすものとして、大変嫌われている現状も理由なしとはしないと私も同意している。
しかし、大学の教壇に立つと、まさしく「社会性の発達阻害」「パーソナリティの発達阻害」の弊害を抱えた青年男女の大波が押し寄せてくる。グループ研究に取り組ませようとすると研究の方法を教える以前にやるべきことが多すぎる。仲間同士の会話を成立させることに時間と労力の大半が必要である。「記憶(認知)の社会性=知識・認知の高度化構造化」が欠如しているために、知の戦略ととしては「知性なき丸暗記」という戦略しか持ちあわせていない学生に、発見的研究などできるはずがないという現実にも直面する。大学の教員の多くは、このことに気づくとたいていは発見的研究の方法を教えることすらあきらめてしまう。事実、ほとんどお手上げである。半年の講義期間の十数コマの内の貴重な数コマの講義時間を割いたとしても過去20年間近くの教育をやり直すことなどできこっないではないか、と言うことである。
それでも、私は、グループ活動に固執し、学生が泣き出すまで、議論させる。そうしているうちに稀に「知性なき丸暗記」の頑なな殻が少しだけ溶けてくることもある。いつもいつも成功するわけではない。成功することもあるという程度である。えぐい、きびしぎる、教えることが高度過ぎると学生からは非難されている。そんな声は承知のうえである。負けてなるものか、と日々教室に向かう日常である。
大学の教員には大学の教員としての踏ん張りが必要であることは十分に認めるが、子供たちの成長にかかわる20数年の全体のプロセスを抜本的に改革しない限り、社会では役に立たない「知性なき丸暗記」の子ばかりが成績優秀と褒め称えられて社会に出てゆき、社会性が欠如しているがゆえにミスマッチ退職と再就職困難に直面してニートに転落する。この子供たちを救うことはできないのだろうか。
ちなみに、単に私の授業に出ていたことがあるというだけのつながりで私のところに相談に来る卒業生たちを見る限り、「ミスマッチ退職」とは「職種のミスマッチ」が原因ではない。「社会組織というものへのミスマッチ」すなわち「社会性の欠如ゆえの脱落」なのである。本人も社会に出て初めて自分が社会に受け入れられない人格であることに気づいて愕然とし、現実の社会に絶望してしまう。仮に心奮い立たせて職種を変えて再就職運動をしてみても、当然「再就職困難」となってしまう。そうなってからでは、救済は困難を極める。
もう、このような不幸を再生産しないよう、関係者の皆様の英知とご努力を心からお願いする次第である。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(10)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/10/10_737c.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(8)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/8_7e26.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

よかった! 迷い犬の飼い主登場--我が家の愛犬様(5)

2005/09/22
よかった! 迷い犬の飼い主登場--我が家の愛犬様(5)

本日は某大学の秋学期授業の遅い始まりである。キャンパスはそこそこに遠い。授業では工学部の学生を対象に社会組織の構造を解説してインターネットがつながる工学的原理を教えた。同じ内容で2つのクラスを連続して教える日なので、喉がからからになる。ここからの帰り道、まだ電車の中だった。マナーモードにしてある携帯電話がポケットの中でブルブルと震えた。電車の中なので、躊躇していると切れてしまった。誰からなのだろうと取り出して眺めていると続いてまた携帯が震えだした。今度は家内からだった。「息子から電話があって、飼い主が現れたそうよ。飼い主にウチの電話番号を教えてよいかどうかと警察が言ってきているということです」「了解。教えてよいと伝えてくれ」と短く会話を済ませる。さっきの電話はきっと息子からだったのだろう。私につながらないので家内に電話したに違いない。
そうか、飼い主が現れたんだ。心が躍った。
しかし、余計な心配もふつふつと沸き起こる。仔犬がほしいだけで、飼い主を詐称してくる場合はどうだろうか。しかし、飼い主とニセ飼い主は、ワンちゃんが見分けるのではっきり区別ができるだろう。警察で犬を預かっている担当者が犬好きならば犬の微妙な態度の差に気がつくだろうしと悪い推測を打ち消したりもした。
電話番号を教えてよいと言ったのは、ニセの飼い主だったら取り返してやろうという魂胆がむらむらと起こったからである。
私の場合、大学の仕事が終われば、会社の本業が待っている。オフィスに戻って、社員と打ち合わせをしたり、雑用をこなしたりした。帰宅したのは23時頃である。
帰宅してから、息子からいろいろと聞いた。
13時半過ぎころ、隣の家の大工仕事に来ていた職人が、家の前の張り紙「迷い犬、小柴犬、メス、1歳位、××警察に預けてあります」をしげしげと見ていた。3時半頃に警察から、「飼い主という方からの申し出があって、今警察署のほうに向かっています。到着したらお宅の電話番号を教えてもよいでしょうか」という電話があった。約20分後、警察からはまた電話があり「ただいま飼い主さんがきました。99%正しい飼い主だと思いますが、電話番号を教えてしまっていいですか」と言う。「結構です」と息子は応えた。
それから、1時間半ほど後に、飼い主の奥さんらしい人から電話があり「マ○○○といいます。今、犬を連れて自宅に戻ったところです。ありがとうございました。××高校の近くに張り紙をしてくれたのでしょうか」とおっしゃった。「はい、父が張り紙をしていました」と息子。「ありがとうございました」と飼い主の奥さんらしい人。それ以上の会話はなかったようだ。あのワンちゃんを連れて帰った飼い主らしい人の住所も電話番号も分からない。マ○○○という人は周辺にたくさんいる。ほとんど手かがりはないに等しい。息子が言うには、この奥さんは直接張り紙を見たわけではなさそうで、誰かから聞いたと推測されるということである。息子は、張り紙を見ていた若い大工さんが、たまたま飼い主を知っていて教えたのではないのかと推測しているらしかった。
「ニセの飼い主だったら、いやだなぁ」と私が渋い顔をしていると、家内は「ニセの飼い主でも飼ってくれるのであればありがたいですよ。処分場送りになるのが避けられるだけでもほっとしたわ」という。なるほど、そういう考え方もできるな、と関心した。
いや、たぶん、正しい飼い主なのだろう。だから、堂々と電話をしてきたのだろうと楽観的に考えることにした。ワンちゃんを引き渡すにあたっては、警察も「飼い主」を吟味しただろうし、何よりもワンちゃんが識別しただろう。家内が言うように、万一ニセの飼い主でも飼い主は飼い主。ワンちゃんを生かしてかわいがってくれるのであれば、ありがたいと思うことにしよう。
ひとまず、一件落着だ。日曜日にはじまった心労のタネは一つ解消した。万歳! ばんざい!

△次の記事: 我が家の愛犬様(6)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/6_0f1d.html
▽前の記事: 我が家の愛犬様(4)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/4_a017.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

かわいい迷い犬--我が家の愛犬様(4)

2005/09/18
かわいい迷い犬--我が家の愛犬様(4)

我が家の周囲は市街化調整地域で、緑が多い。ねぎ畑が広大に広がる。周囲の住民にとっては、格好の散歩地帯である。
本日(9/18)の朝、我が家の裏庭によその犬がいた。隣に住む老母が8時頃に気がついて、われわれに知らせた。息子が駆けつけ、私と家内が続いた。小柴犬(メス、推定1歳くらい)である。小型犬用のハーネスを付けて、引き綱もついたままである。立ち尽くしていた。いかにも散歩途中のいでたちだ。体にまったく土ぼこりがついていないので、室内犬だろうと推測された。
おとなしい犬だ。我が家の愛犬様とは正反対と言ってよいだろう。不安で、人が近づくと、必死で後ずさりする。しかし、そっと、私の手を差しのべるとペロリなめて、身を寄せてくる。人なれしているので、飼い主に大切にされていた犬だろう。抱っこしようとすると嫌がるので、抱っこには慣れていないらしい。私がワンちゃんを前向きに抱っこして前に回した私の右腕に前足をかけてあげるとやや安心した様子だ。他の家族も真似てみたが激しく抵抗して腕を抜けてしまう。抱っこがかりは私と決まってしまった。
今は、××警察署に届けてあるので、この記事に気づいた飼い主さんは、警察に連絡されるとよいだろう。
ここには続いて、警察に届けるまでの間のワンちゃんと一緒の大冒険を書いておきたい。なんだか忘れがたい1日となってしまった。

ワンちゃんを発見すると、すぐに、近くに飼い主がいて探しているとかわいそうだと考えた。車に乗せて、周囲を何度も回ってみる。車に乗るのは慣れていないらしく、抱きかかえて車に近づくと抵抗した。車に乗ってきたのではないとすれば、歩ける距離の範囲かなと推測する。日曜日の朝なのでほとんど人通りがない。一方通行の小道にも入る。やや、大きな周回道路も回ってみる。一方通行の途中で、自転車に乗った若い主婦らしい人とすれ違う。バックミラーで後ろを見ると、自転車を止めて、畑のあぜ道に少し入り込んで何かを探している。「しめた飼い主か」と大回りして、後ろの道からもう一度一方通行に入って主婦の自転車に近づいて、声をかけてみた。「違います!」という返事。探しているのは犬ではないらしい。子供かも知れなかった。残念。やむなく、また自宅に戻る。
気を取り直して息子と一緒に近くの交番にも行ってみたが、「現在事件に対応中のため留守にしています」の小さな看板があるきりで無人だった。また自宅近くに戻って、近隣の人に、見覚えはないか、聞いて歩いてみた。誰も知らないらしい。
そのうち、このワンちゃんが突然走り出した。地面のにおいを確認しているので、一度は歩いた道に違いない。かなりの確信を持っているような勢いである。ついて行ってみることにした。小走りに走る、いや、かなり必死だ。私は引き綱を握りしめる。息子が後ろから走ってくる。走りながらの会話。「お父さん、歳なんだから、そんなに走ったらダメだろう(息子)」「なに大丈夫(私)」「自販機で水を買って、、、犬に水を飲ませないと、熱中症になっちゃうよ(息子)」「小銭の持ち合わせがないぞ(私)」「お父さんも水を飲まないと(息子)」「あっ、千円札ならばポケットにあったぞ。自販機を探してくれ(私)」・・・、その間もワンちゃんは、地面に鼻を近づけたまま、必死に走り続ける。私も必死についてゆく。息子も併走する。地元の町会の役員たちとばったり出くわす。見ると町会の会館の前だ。出くわしても不思議ではない。この犬に見覚えがないかを聞く。「いや~ぁ、見たことはないね」とつれない。
ワンちゃんはなおも先に進む。曲がり角も、確信があるように走り抜ける。半地下の鉄道の線路をまたぐ道を駆け抜ける。めったに来たことのない町会長の立派な家の前を通り過ぎる。なおも走り続ける。お寺の門の前にたどり着く。手前の駐車場に入り込む。
駐車場の突き当たりは木が茂っているが、その先は切り落としになっていて道はない。しきりににおいを嗅いで、南東に向かってその先の遠くを見やっている。方向的には、そちらの方向に自宅があるのかも知れない。しばらく、その中を何度も行き来した。「もう、帰ろう」と私が声をかける。
駐車場を出ると、来た道に戻る気配はなく、その先に勢いよく進む。寺の門の前を行過ぎて、どんどん進む。地面のにおいを嗅ぎながら必死だ。そうか、もっと先なのか。私と息子は、犬の走るに任せて一緒に進む。右に折れて、畑に続く道に入り込む。その道は行き止まりである。畑の一画の未耕作地の中をしきりに嗅ぎまわる。南東の方向の空を見上げている。自信がなさそうである。少し戻ってあぜ道に入ってみる。立ち止まって、周囲を見回す。南東の空を眺めている。また未耕作地にもどる、どうも臭いの道を見失ったようだ。
しばらくすると、元の道に戻り始めた。私も息子もついてゆく。畑に続く道に曲がったところまで戻ると、元から来た道を進行方向へと直進する。勢い込んで進む。右手すぐ近くの農家の庭先に入ってゆく。その農家にも犬がいた。ほえられて、あわてて出てくる。元の道に戻るとまた進行方向にずんずんと進む。どこまで行く気か、とそろそろ心配になってきた。かれこれ、1時間近くになる。
突然、屈強そうな大きな犬が道に立ちふさがるように現れた。私たちの連れているワンちゃんは立ち止まって、私の顔をそっと見上げる。明らかに救いを求めている。このワンちゃんは私たちを頼りにしているのだ! 任せておけ、と私が身構えると道沿いの農家から主婦らしいおばさんが走り出てきて、この屈強な犬の名前を呼びながら駆け寄り、首輪をつかんで抱え込むようにする。すかさず、私は「このワンちゃんは、迷い犬なんです。ワンちゃんに任せてここまで来たのですが、見たことははないでしょうか」と語りかけた。おばさんは、屈強な犬を押さえ込むのに必死だったが、ジッと目を凝らしてくれて、「見たことない犬だね」と心配そうに言ってくれる。私は「そうですか、、、」と途方にくれる。内心では、ここまできたら、もうワンちゃんの自宅の近くであってもおかしくはないだろうにと思っていたのである。残念だが止むを得ない。「もう帰ろう」とワンちゃんに語りかける。
軽く引き綱を引くと、しぶしぶワンちゃんは後ろ向きになって歩き出す。しかし、どうも納得がいっているふうではない。足取りは重い。とはいえ来た道を素直に引返す。先ほど通り過ぎたお寺の門の前をまた通る。鉄道の上を再び渡ってもどる。左手の民家の庭に入り込む。しきりに臭いをかぐ。庭を通り過ぎて、その先の畑に足を踏み入れて、南東の空を仰ぐように空気を嗅ぐ。方向はやはり南東の方向なのかと思う。行き先を失ったように、また来た道に戻る。すぐ先の民家にも同じように入り込む。おうちの方たちごめんなさい、と心の内で声をかける。祝日の午前中なので家の方たちはみなまだ寝ているのだろう。どの民家も人の気配を感じない。同じように庭の向こうの畑に一歩だけ足を入れて、しばらく空の臭いを嗅いでいた。
力なく、ゆっくりと振り返って、元の道にもどる。戻りかけながら、急にまた小走りになる。向かうのは帰る方向ではない、先ほどの道の方向だ。一気に鉄道の上をもう一度走って渡り、お寺の門の前を通過し、屈強なワンちゃんの家の前を走り抜ける。なにやら確信に満ちている。突き当たりの丁字路を迷わず右に曲がって、小走りを続ける。林の中に続く細い道だ。「この先行き止まり」の看板が目に入るが、ワンちゃんはお構いなしだ。どんどん走る。私たちも走る。ワンちゃんの体が少し左右に揺れているようだ。息子が「だめだよ。水を飲ませないと、ワンちゃんが倒れるよ」と小さく叫ぶ。しかし、ワンちゃんは、夢中で走る。左へと緩やかなカーブをきる農道である。左には林が続き、右手には農地が広がってきた。「行き止まり」という看板からもずいぶん入り込んだが、道は続いていて、民家も先に数件まとまってあるようだ。このまま進めば、道は西に向かうことになる。民家の集まりに届く前に、ワンちゃんは農道を離れて右の長いあぜ道に入り込む。どんどん進む。あぜ道の突き当たりは、木が茂っているが、その先はまた切り落としになっている。関東ローム層の台地はどこでも同じようなものである。進むべき道はない。ここで立ち止まるとやはり、南東の方向に鼻を上げて臭いを嗅ぐ。しばらくたたずむが、力なく引き返し始める。元の農道に戻ると、また小走りになって、その先に進む。臭いを嗅ぎながら、確信があるかのようだ。民家のかたまりを右手に見て、その先に進もうとする。もうすでにワンちゃんの体力は限界に近い様子だ。体の左右のゆれは大きくなっている。道路際の民家の前に水道の蛇口が見えた。水を飲ませてあげようと、引き綱を引いて立ち止まらせて、水のありかを見せたが、激しく抵抗する。前に行くんだ、そんな暇はない、とワンちゃんは言っているようだった。農道は、林の中の小道になってしまう。人ひとり、と言うより、犬一匹が通れる程度のけもの道である。ワンちゃんの足取りも慎重になる。私も息子も続く。台地の切り落としを巻き込むようにして、ゆっくりと下に降りてゆく道である。木々の枝を透かしてみるとはるか下には県道らしい舗装道路がある。ずいぶんと遠くまで来たものだ。県道までの高さが次第に小さくなるがなかなか道は下に届かない。高さが2.5メートルほどになったとき、突然けもの道が崩れている部分に遭遇する。人が滑り落ちたらしい痕跡である。土の色はまだ新しい。半日も経っていないかもしれない。その下の細い木の枝は数本折れている。さらにしたの大きめの杉の枝は何かを大きく受け止めたように表面がささくれ立っている。何かがずり落ちた後らしい新鮮な土の部分はこの辺りで終わっていた。人が倒れていないか、とっさに周囲を見回してみたが、それらしい影はない。ワンちゃんの様子を見ると、ワンちゃんもここで立ち止まって、崩れた小道の部分とその下のほう、そして小道の先を何度も観察している。ときどき、私の顔を見上げる。何かを訴えているようだ。下に降りようかというしぐさも見せる。なかなか動こうとしない。しかし、下に降りるのは怖いらしい。もしかして、ご主人とここで別れたのかな、と思われた。傷の残る杉の大きな枝から県道までは1メートル程度の高さである。飛び降りても降りられないことはない。ご主人は小道から落ちてしまったが、途中の杉の枝に抱えられるようにして助かった。このワンちゃんは下に降りられなかった。あわてて、遠回りして下に出ようとしたか、誰かを呼ぼうとして走り続けているうちに我が家に迷い込んでしまったのかも知れない。想像にすぎないが予想が膨らむ。ワンちゃんの家のある方向は、南東方向だが、ご主人と別れたのは、ここなのかも知れないと思う。誰も見つけられないことを確認すると、ワンちゃんはしぶしぶのようにもとの方向に戻り始める。
農道に戻って、民家の集まりの脇に出る。民家の庭に一軒ずつ入って臭いを嗅ぐ。力なく農道に戻る。ワンちゃんの体は、よれよれと左右に揺れている。もう限界に違いない。
息子が「もうだめだよ。父さん、抱いてあげて」と叫ぶ。そうか、抱っこ係は私だ。抱き上げようとすると、少し抵抗した。しかし、前向きにして、私の右腕に前足をかけさせると、おとなしくなった。左手でワンちゃんのおしりを支える。私はもと来た道を歩きはじめた。ワンちゃんは重くはないものの、私も疲れているのか、少し息が弾んでいる。息子が、「先に帰って車を取ってくる」と叫んで、走り出す。「町会の会館前あたりで待ち合わせよう」と私が叫び返す。息子は走りながら、おおきくうなづく。
抱っこして歩きながら、考えた。この犬はずうっとおしっこをしていないぞ。そうか、室内犬だからおしっこパッドがないとおしっこをしないのかも知れない。ちょっとかわいそうだなと思った。町会の会館に到着して見回しても息子はまだ到着していなかった。会館の庭に入って、庭の水道の蛇口を開けて、ワンちゃんに水を勧めてみたが、近寄ろうとしない。私の手に汲んで近づけても飲もうとしない。ワンちゃん用の容器でしか飲んだことがないのだろう。我が家の愛犬様とは大変な違いだ。のどが渇けば、ドブの水だって飲んでしまうような粗野な奴なのに、それに比べればこのワンちゃんはなんと上品なのだろう。おしっこもしていないので、水も飲めないのかも知れない。不憫だ。
やがて、息子が車に乗って会館前に到着。ワンちゃんを抱えて車に入れる。やはり車に乗る瞬間は抵抗する。助手席に乗せるとおとなしくしている。立ったり座ったり寝そべったりする。車の座席の表面はじゅうたんに似ているので室内犬には嬉しいのかも知れない。息子は冷蔵庫からペットボトルの水を持って来た。しかし、ワンちゃんに飲む気配はない。家で飲ませようとそのまま車のエンジンをまわす。我が家に到着すると、ワンちゃんは、さっと、小走りに、今朝このワンちゃんが発見された栗の木の下に駆け込む。そこが自分の居場所だといわんばかりである。息子は庭を案内するようにワンちゃんを庭のあちこちにつれてゆく。我が家の愛犬様が初めて異質な犬の存在に気づいて、激しくほえる。ワンちゃんは萎縮して逃げ出そうとする。やはり2匹のイヌを同居させるのは困難だ。近くの私道の真ん中には、このワンちゃんのものらしいウンチも見つかった。やや乾いているので、前の晩から来ているのかも知れない。我が家の庭は、乱暴にして激しいわが愛犬様のおかげで、他の犬が入り込むことはめったにない。このワンちゃんは、そっと入り込んで不安のために気配を殺して、物音を立てないようにジッと立ち尽くしていたのに違いない。
「迷い犬 小柴犬、メス1歳位、預かっています」と大書した紙を道路に面した塀に張り出す。もう昼の12時に近かった。
息子とは、仕方がないから警察につれてゆこうと相談した。息子はいやなのか、「お母さん連れて行ってよ」と母親に役割を振る。母親がなぜ?という顔をしながらも「いいわよ」と引き受ける。息子はワンちゃんと別れるのが辛いのである。
私はワンちゃんを南のベランダの近くに連れてきてつなぐ。我が家の愛犬様からは見えないところで、人からは顔の見えるところがよいだろうという考えである。この時間帯は日陰にもなる。母親は、ダンボールを探して持ってくる。古いタオルも備えた。水を器に注ぐと勢い良く飲む。がぶがぶといつまでも飲んだ。よほど喉が渇いたのだろう。ダンボールの上のタオルの上に腹ばいになる。少し落ち着いたように見えた。このワンちゃんは土の上では決して腹ばいになったりしない。やはり室内犬なのだろう。
さて、私が自宅にいるときは私が食事係りである。昼どきの準備をしていると、息子がベランダから「お腹がすいたみたいだけど、どうする」と叫ぶ。舌なめずりしているのだろう。「ウチの犬のえさを分けて上げたらっ!」と私が叫ぶ。母親が食器棚から少し古いスープ皿を取り出して、「これをワンちゃんのものにしよう」と息子に手渡す。息子が淡々とエサをそのスープ皿に盛り付ける。ドックフードとビーフジャーキーを混ぜてやるのが我が家流である。これで食べてくれるかどうか少し不安だったが、ワンちゃんに差し出すとワンちゃんは夢中で食べる。我が家の犬と同量程度をすっかり食べてしまった。体格差を考えれば、通常の量の倍は食べたことになる。よほどお腹がすいたのだろう。
人間様の食事の用意もできて、もう一度ベランダを見やるとワンちゃんは、横になって足を投げ出して寝ている。四足動物は、不安があると横になって寝たりはしない。すぐに立ち上がれるように腹ばいのままのはずである。このように足を投げ出して横に寝る仕方は、この家を自分の家にしてもいいかなと思い始めた兆候である。
食事の後、いよいよ、ワンちゃんを警察に連れて行くことにした。かわいそうだが仕方がない。
母親と私がワンちゃんと一緒に車に乗り込む。寝床に用意したタオルにくるんでやる。はじめは落ち着いていた。途中、信号でブレーキを踏むたびに座席から落ちそうになる。やや重心が定まらない。少し落ち着かなくなっている。もしかしておしっこがしたいのかなと思う。後ろの車は気になったがゆっくりと進む。警察書に到着。
黒い車が横付けになって、黒いベストを付けた私がタオルでくるんだ何か大きな包みをもって警察署の入り口に近づく。ドアを開けて受付に向かおうとすると、若い長身の警官が、制服を付ける間もなかったのだろう、シャツのまま、小脇の拳銃に手を当てながら、受付に向かう私をさえぎるように通路からあわてて半身をせり出して、「何でしょうか」と言う。ヤクザのカチコミとでも勘違いしたのだろうか。やれやれ、「マヨイイヌです」と私は立ち止まってゆっくりとはっきりと言う。警官はとたんに漫才師がやるようなどっと崩れるしぐさを見せて、ワンちゃんの頭に手を伸ばして「マヨイイヌなの!」とため息とも叫びともつかない声を上げる。「何だ、なんだ」と別の警官も制服を片手に腕を通し損ねた状態で、拳銃に手を当てて後ろから前の警官を飛び越える勢いでやってきたが、小さなかわいいイヌを発見して、「へぇー」と声を上げる。別の警官が白い紙(コピー用紙)もって駆けつけてきた。「ここに住所を書いて」と言う。家内が住所と電話番号を書く。その間、イヌとじゃれている警官たちに私が経緯をかいつまんで説明する。「すぐに見つかるよ。大丈夫です。お預かります」と警官が言う。遺失物の調書も取らないのかなと考えたが口にはしなかった。なんだか、安請け合いのようで頼りなかったが、そのまま、預けることにした。持参したドックフードと数種類のイヌのおやつを手渡す。「言うことを聞かないことがあったら、イヌのおやつをあげてみてください。素直になると思います」と説明した。タオルごと預けた。振り返るのもかわいそうでそのままドアの外にでた。
そういえば車から出て、抱っこしたとき、タオルが濡れていたなとその感触を思い出した。あいつ、来る車の中でタオルにおしっこをしたんだ。やっとおしっこができてよかったが、あのタオルが、警察署ではおしっこパッドになるぞ、説明しておかなければいけないんじゃないかと心の中で反芻した。しかし、もう一度ワンちゃんの顔を見る勇気は出なかった。つれて帰りたくなるのが少し怖かった。
家に帰ると張り紙を書き換えて「迷い犬 小柴犬、メス1歳位、××警察に届けてあります」として張り出した。××警察の電話番号も書き添えた。飼い主さん、早く、警察に連絡してあげてください。

△次の記事: 我が家の愛犬様(5)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/5_1ff2.html
▽前の記事: 我が家の愛犬様(3)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/3_91cc.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

超える努力--心理、教育、社会性の発達(8)

2005/09/13
超える努力--心理、教育、社会性の発達(8)

1.知性なき丸暗記と超える努力
戦後の教員養成の教育は、主として大学で行われた。大学の教育心理学は、時代の制約を受けて「子どもたちの社会性の発達」を捕らえることのなかったピアジェの心理学だった。その教育は今も続いているのである。
このことは、以前、私のブログ(「教育心理学」の限界と希望」--「心理、教育、社会性の発達(2))に書いた。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/2_4ce5.html
教員は「子どもたちの社会性の発達」を教えられていないので、「社会性の発達」を促進することなど出来るはずがない。「社会性の発達阻害」の被害を受けた子どもたちが成長して大学に入り大学の教員となり、「社会性の発達」を知らぬままに教師になるべき学生たちを(世代を変えて)教えるのである。戦後は60年を経過して、「社会性の発達」を知らない教員は2巡して、いわば系統栽培を受けてますます純化し確信に満ちているのである。子どもたちは、自然の摂理のまま、個性を氾濫させようとするし、社会性の獲得を目指して教師に反抗的な行動を起こすのである。教師は、学級崩壊、イジメ、自殺などの危機にいつも瀕している。教師に残されている手段は、子どもたちに斉一性への圧力をかけ、訓育し、おとなしく、反抗しない子どもたちに仕立てることである。子どもたちは本来外に向かって氾濫させるエネルギーを内向させ、個性の芽を自分でくじいて、社会とのかかわりを出来るだけ少なくしようと身を縮めてしまう。教師たちによる斉一性への圧力こそが、不登校、イジメ、学業不全、退学、ニートを大量に生み出した源泉である。子どもの個別の人格や家庭の問題にして、その責任を逃れることは出来ない。教師たちは、なぜ「斉一性への圧力」などいう心理的暴力を振るうことになったのかは、子どもたちの天性にある「社会性の発達」を捕らえて、精一杯伸ばしてやることを教えられていないという点に起因する。教師もまた被害者ではあるのである。
この実情を変えようとする努力は大変なものである。
まず、入学してきた学生は、生きてゆく最大の戦略を「知性なき丸暗記」に頼ってきているのである。「丸暗記」があればこそ、大学の狭き門を突破できたのである。この「知性なき丸暗記」自体、実は社会性の発達阻害に起因していることも、私はすでに述べた(「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3))。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/3_e921.html
「知性なき丸暗記」は、見かけよりもずっと根深いというのが、私の結論である。
この学生たちに、感じたこともない、聞いたこともない「社会性の発達」ということを教えようとするとどうだろう。出来のよい学生は何を勘違いしたのか単語帳を取り出して、書き込むのがせいぜいである。「用字用語の意味を覚える」ための学習方略なのだ。心の向きをかえるなどど言うことに思い当たることはない。何とか、気づかせようと大学の教員が苦心惨憺すると、「じぁ、答えを教えてください」と言ってくる。彼らは、「正解を丸暗記すれば、難関も突破できる」と教えられ、実際に難関と言われた大学の門を通ってきたのである。どこに間違いがあるのか、と彼らは憤激するのである。「正解を教えても意味はないから、自分で考えて見てください」などと大学の教師が言えば、「××先生は、教え方が下手で、答えも教えてもくれなかった」と、教務に告げ口したりするのである。はやりの「学生による授業評価」では、その大学教員に組織的な悪評が投じられたりする。同僚の先生方もたいていは「社会性の発達」とか「知性なき丸暗記の克服」などということには冷淡なので、「もっとスマートに教えればいいのに」などと当該教員の評価を下げているのである。
当該教員の学内評価が下がれば、学生らは敏感にこれを知ることになり、ますます自分たちの「知性なき丸暗記精神」と「社会性の獲得忌避」を正当と確信しまうのである。
常勤の大学教師ならばともかく、こうして、非常勤の大学教師はたちまち失職してしまう。常勤の先生方も意気阻喪して、宗旨を変えるかいずれは大学を去ることになってしまうのである。
このような逆風の中で、「社会性の発達」を教えていらっしゃる先生方には、驚嘆を持って敬意を払うものである。

2.超える努力の人々
たまたま手元にあった本を今回は取り上げる。これは、「社会性の発達」を取り上げない大多数の「教育心理学」の逆をゆくものである。なお、この本の著者らは、「子どもの期間」を乳幼児期から青年期までの期間と捉えている。

堀野緑,濱口佳和,宮下一博編著,「子どものパーソナリティと社会性の発達」,北大路書房(2000年)
第1部 子どもの発達と環境
 第1章 子どもをとり巻く人間関係
 第2章 子どもをとりまく社会・文化的要因
第2部 子どものパーソナリティの発達
 第3章 自己意識の発達
 第4章 自我発達-精神分析的発達理論の視点から
 第5章 達成動機の発達
 第6章 原因帰属の発達
 第7章 価値観と性役割の発達
 第8章 パーソナリティ発達上の問題に対する支援
第3部 子どもの社会性の発達
 第9章 遊戯行動(遊び)の発達
 第10章 道徳性の発達
 第11章 向社会的行動の発達
 第12章 自己制御の発達
 第13章 社会的問題解決能力の発達
 第14章 ストレス対処方略の発達
 第15章 社会的不適応児に対する支援

かつて、私は、パーソナリティ(アイデンティティ)の発達と社会性の発達は表裏の関係にあると述べた(個性と社会性--心理、教育、社会性の発達(5))。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/5_8182.html
内容は、見事に符合するようだ。
また、私は、異性を意識する時期と社会性の発達の時期はシンクロナイズしていることも述べている(「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3))。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/3_e921.html
この点についても、別の角度からこの本は取り上げている(「第7章 価値観と性役割の発達」)。
我田引水かも知れないが、わが意を得たりと感動さえ感じた。
この本は、18人の分担執筆である。すばらしい先生方なのだろう。

とはいえ、日本の心理学の世界には20-40の学派があり、優劣と覇を競っているそうである。堀野先生らがどのような学派に属するのかは、門外漢の私にはさっぱりわからない。お会いしたこともメールを交換したこともない。機会があれば、お目にかかって、ご指導を仰ぎたいものと願うものである。勝手な引用をいたしましたことを、なにとぞお許しいただければ幸いである。

別の折には、別の先生がたの努力を取り上げる予定である。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(9)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/9_c332.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(7)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/7_f580.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

出会いのころ--我が家の愛犬様(3)

2005/09/13
出会いのころ--我が家の愛犬様(3)

以前飼っていた飼い犬が死んでから3年半が経っていた。犬の家族はほしかったが、死んだときの悲しみを想うとなかなか新しい犬を求める決断ができなかった。
休日の買い物の途中、ペットショップに立ち寄って、子犬を見て、ため息をついていた。前にいた飼い犬の最後の顔が思い浮かんだ。ため息には、もう一つの意味もあった。当時も当家は貧乏だったので、そのお値段と、その後の飼育の費用を考えると我が家の生活が成り立つかという心配があった。私は、社員が「世界で一番貧乏な社長」とはやし立てる貧乏暮らしである。社員に給与を払うのが精一杯なのだ。実は、月額3万円ほどの講師料は貴重な収入である。子犬をまた飼い始めることは長く躊躇していた。
ある日、家内が、自転車で30分ほどのところのセミナーに出かけた際に、近くの公園を通り過ぎようとすると、なにやら人だかりがあった。家内は、私の携帯に電話をしてきた。「××公園にいるよ、犬の赤ちゃんがたくさん・・・」 私と息子が自転車を取り出すと、その公園に向かった。いた、いた! いろいろな種類の犬がいる。大人の犬もいるが子犬もいる。まだ眼があいたばかりらしい赤ん坊もいる。本当にたくさんいる。息子に「ほしいか?」と聞いてみる。「う~ん。お父さんの好きにしたらいい(息子)」 息子は、我が家の経済状態を慮って、私の顔を見る。実は、私には私の狙いがあった。いまこそ、私の家族には、新しいメンバーが必要だと思っていた。
この犬たちは、飼い主から捨てられたり、ブリーダやペットショップが処分することを決めたような犬猫の里親を探しているボランティアの人たちが展示していたのである。譲り受ける場合の条件などを聞いているうちに、一つのオリに入れられているある一群の赤ちゃん犬たちが気になり始めた。真っ黒い犬である。眼は開いているらしいが、いかにもまだ歩くのもぎごちない。5匹いた。あまりにもやせていた。栄養が足りていないに違いない。こいつらの一匹をもらおう。私は、ボランティアの一人に「この中で一番元気のいい奴はどれ」と聞いた。「あっ、別にしてありますから、つれてきます」と言って、後ろにおいてあった車まで取りに行ってきた。「オスメスあわせて6匹の兄弟です。これはオスです」と説明された。ここで、その理由を深く考えるべきだったかも知れない(一緒のオリに入れられないほど元気とは、どういう状態?)。しかし、そんなことは思う余裕はなかった。そっと抱いてみると、私の手をガシガシと咬むが、まだ歯が発達していないので、小さな傷がついて痛かゆい程度である。「おー、おー、なるほど元気」などと言いながら、抱き上げる。子犬の背中を私のお腹にくっつけて乗せるような具合に抱っこして、前に回した私の腕に子犬の手を乗せると、おとなしくなった。それでも、盛んに手を咬むしぐさを見せる。小さい・・・。早速、息子にも抱っこさせてみる。まんざらでもない顔である。そのころ表情が極端に乏しくなっていた息子がわずかに微笑んだのを確認すると、「これにしよう。いいね」と強引に決めた。「一番、元気のいい奴」は、こうして我が家にやってくることになったのだ。
生後10日ほどと言っていた。すぐにもらって帰ろうとしたが、予防接種などをしてからということになり、さらに6週間ほどした11月28日に我が家に「元気印」はやってきた。我が家の愛犬様になったのである。逆算すると、10月1日ころが、我が家の愛犬様の誕生日である。
我が家の愛犬様がやって来た日から、悪戦苦闘は始まった。やせていて、いつもいらだっているようだった。エサは食べてくれるが、激しい気性をむき出しにして、ヒトを近くに寄せ付けない。近寄ろうとすると激しくほえる。手を出すと、咬み付く。エサのあるときにうっかり手を出そうものなら、ヒトは大出血となる。動きは速くて、眼に留まらないとはこのことである。首をかすかに左右に振ったかに見えると、ヒトの手はバックりと切り裂かれている。息子の手はたちまちバンソウコウと包帯だらけになってしまった。家内もやられた。私もついにやられた。子犬の牙は細くて長い。ふざけているようなときでも、手の甲を簡単に貫通としてしまう。散歩に連れ出そうとしてもハーネスを嫌がる。最初の3日間は、夢中だった。ハーネスはその後も嫌がって、噛んで切り裂いてしまった。2-3か月の間、3つも買い換えることになった。散歩の途中で逃げ出すこともしばしばで、散歩がかりの息子はますます傷だらけだ。
ところで、最初の3か日で、私は、大発見をした。このワンコの胸の辺りにすばやく手を入れて、かきむしるようにすると、咬んだ口をそっと離すのである。恍惚の表情さえ浮かべる。これは、70-80%程度で成功する。その後、私の手の傷は、牙の刺し傷に限定されるようになり、切り裂かれることは少なくなった。しかし、他のヒトが同じことをしても成功しない。ワンコの胸の辺りに手を近づけるだけで、手はもう一度切り裂かれてしまう。
愛犬様がやってきてから2-3週間目のころ獣医のところに出かけた。獣医が、なかなか近づいてこない。「この犬は、自分で引き綱を咬んで引っ張るような奴でしょう。一番怖い奴です」という。しかし、獣医はさすがにプロである。ワンコが獣医に噛み付こうとした瞬間、ワンコの開いた口の中に指を突っ込んで、ノドチンコを押さえつけたのである。ワンコはゲッという顔をして、口をあけたまま、身動きができなくなった。ワンコは悲しい悲鳴に似たうめき声をあげるだけである。これだ、私は、その後、愛犬様に咬まれる確率が極端に減ることになった。この技は、私しか真似できないが、絶大な効果をあげることになる。この技を使うごとに、愛犬様は、家族を咬むことを躊躇するようになったのである。家人の被害も激減した。が、今でも、家族外のヒトや、気に入らないことがあれば誰にでも、断固として咬むのである。犬らしく簡単にシッポを振るようなヤワさは微塵もないのがこの犬の特徴らしい。しつけができていないといえば、その通りなのだが。
ノドチンコ攻撃の後は、仰向けにひっくり返して、胸や腹を掻いてやるのである。興奮がまだ醒めないと、この瞬間にまた咬まれるので、まだノドチンコ攻撃をするのである。咬まなくなれば、しばらく胸や腹を掻いてやるとおとなしくなる。
これで、この「こわもて犬」の「ごろにゃん」の始りがどこにあるのか、その秘密が分かったに違いない。我が家の愛犬様は、胸や腹、あごの下を私にかきむしってもらうと「キモチイイ~」という体験をかさねたのである。その後は、「キモチイイ~」をしてもらわないと寝付けなくなってしまったのである。

△次の記事: 我が家の愛犬様(4)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/4_a017.html
▽前の記事: 我が家の愛犬様(2)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/2_719c.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

「こわもて」の「ごろにゃん」--我が家の愛犬様(2)

2005/09/12
「こわもて」の「ごろにゃん」--我が家の愛犬様(2)

我が家の愛犬様は元気がよくて、はなはだ乱暴であると書いたが、反面、大変な甘えん坊である。

とは言っても普段はその本性を隠して、ひたすら「こわもて」の面ばかりを強調して生きているのである。郵便屋さんも宅配のお兄ちゃんも、たいていは、愛犬様のツナの届かぬ遠くから、携帯電話で家人に救いを求めてくる。我が家の愛犬様は、耳をぴんと立てて、上目遣いにうなり声を上げ、ツメを立てて、地面を掻いて見せて、爪の鋭さを見せ付けて威嚇するのである。それでも立ち去らない相手には、牙を剥いて威嚇する。あの牙を見たら、よほどの犬好きでなければ、恐怖におののくしかない。

しかし、彼には、他人に知られたくないもう一つの面があるのである。ご主人である私が帰ってくるのが待ち遠しいのである。夜はさびしくてたまらないのだ。私が帰ってくると、立ち上がっておねだりすることがあるのだ。「抱っこ」である。彼は、私が「抱っこ」してあげないと安眠できないのである。こんなことを運送屋のお兄ちゃんに知られたらどうしよう、と思っているかどうかは知らないが、とにかく「抱っこ」は欠かせない。

彼は玄関のタタキの部分にしつらえてある立派な寝床(息子が作った)で寝るのであるが、夜、私が帰宅するとそわそわと落ち着かない。両手を前にして2本足で立ち上がったり、ジャンプしたり、かわいく鳴いてみせて呼んでみたりする。タタキとフローリングを仕切ってある低めのサクを取り払ってあげるといそいそと私に寄ってきて、頭を押し付けて、ゴリゴリともがくのである。「抱っこ」をおねだりするときの彼の精一杯のゼスチャなのだ。私がどっかとフローリングの玄関マットの上にあぐらをかくと、愛犬様は私のひざの上にのっくる。あぐらの上で向きを変えて、頭を右に前足を右のひざに後ろ足を左のひざに乗せると、頭を上に向けて、のけぞるしぐさを見せるのである。その方向にひっくり返して抱っこしろというゼスチャなのだ。その通りしてやると、頭は左のひざを枕にして、お腹とお×ん×んは仰向けで丸見えの状態になる。この状態で、胸、腹、あごの下を満遍なく指先で掻いてあげるのである。愛犬様は仰向けのまま口を半開きにして舌をだらりと出して恍惚の表情を見せる。それまで激しく動いていた愛犬様が急におとなしくなる。私の奥様は、「まぁ、甘えちゃって!!」と嫉妬の声を上げるのがつねである。ときどき、恩返しのつもりか、私の手をなめる。手の甲を激しくしゃぶるようにすることもあるが、母犬の乳を思い出しているのかも知れない。
しばらく、そのままにしていると、眼はうっとりとだんだんと狭くなり、眠気と戦う状態になってくる。このころあいで、「お部屋に行って、寝んねしな」と言うと、寝ぼけ眼のままあわてて、身を反転して、本来の寝床にふらふらと向かうことも多い。いつもこうならばいいのだが、寝ぼけ眼のまま、身を反転してから、あわてて、イヤイヤをする様子で、もう一度、ひざの上で仰向けになろうとジタバタともがくこともある。こうなるとなかなか寝てくれない。仕方がないので、抱きしめたり、もう一度仰向けにしてやったりする。何度か、「お部屋に行って、・・・」と、「抱っこ」を繰り返しているうちに、愛犬様が根負けしてすごすごと寝床に向かうか、私が短気を起こして寝床に強制的に運び込んでしまうことになる。母親が赤ん坊を寝かしつけるときの悪戦苦闘と似ていなくもない。
しかし、どうだ。昼間の猛々しい様子と、この夜の甘えんぼぶりの落差は。まぁ、人間でも、似たようなことはあるのだろうな、と思いながら、夜な夜な、嬉しくも大変な時間をくりかえしているのである。

△次の記事: 我が家の愛犬様(3)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/3_91cc.html
▽前の記事: 我が家の愛犬様(1)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/1_2b47.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

我が家の愛犬様(1)

2005/09/12
我が家の愛犬様(1)

我が家には、まもなく4歳になる雄犬がいる。はなはだ乱暴な犬である。中型犬に属しているから、散歩道で出会うレトリバーなどから見るといかにも小さく見える。しかし、全体に黒くて、眼は釣りあがっていて、口はややだらしなく、いつも半開きにしていることが多い。赤い唇の中には、いつも自慢の鋭い牙が見えている。長い犬歯ばかりではなく、奥歯まで鋭利である。その様子はいかにもオオカミである。飼い主以外にはなつかない。
昔、イヌ科の動物を研究している研究者がイヌとオオカミの違いを説明してくれたことがある。飼い犬は足の裏の肉球が退化しているのでフローリングやコンクリートの上を歩かせるとツメが床にあたってカタカタと音がする、オオカミはぬれた岩肌でさえ滑らないで走れるように、また音を立てずに獲物に接近できるように足の裏の肉球が発達している、ということだった。我が家の愛犬様は、玄関のフローリングを歩いても石畳みの上を歩かせてもツメの当たる音はしない。肉球が著しく発達しているのである。背後から音もなく近づいているのに気がついてびっくりすることがしばしばある。
疾走する速度はきわめておおきい。正確に測ったことはないが、500メートルくらいの距離ならば軽々と15秒程度で走り抜ける。1キロを30秒かかることはないだろうと思われる。換算すると100メートルを3秒程度で走ることになる。跳躍力にもしばしば驚かされる。私の背中から音もなく走りよってきて、いきなり肩に手足をついて軽く飛び越しながら、「やった」とばかりの得意満面の表情で振り向きながら着地することもある。ご主人を出し抜いてやったという快感なのだろう。彼の堅くて鋭い牙は、たいていのものを、金属の刃物でスラリと切り払うように切り裂いてしまう。こうして肩越しにヒトを飛び越えられるということは、そのヒトが敵であれば首筋を一瞬にして切り裂いているに違いない。我が家に来たばかりのときは、ふざけるつもりで軽く私の手を咬むと当時から2センチ以上あった鋭い牙がいとも簡単に手の甲を貫いてしまうのであった。ここであわてて手を引っ込めたりすれば、牙の刺さったままの手の甲は真っ二つである。実際、右手の小指の下のふくらみは2回も切り裂かれた経験がある。鋭利な刃物で傷ついた人ならば記憶にあるだろうけれど、その瞬間はぞくっと悪寒が走るが痛みも打撃も感じない。人の肉など、躊躇なくいささかの抵抗もなくスパッと切る。
必要運動量は猛烈にある犬なので、一日3回の散歩を要求する。家族が交代で散歩させるのだが、人間様がへばってしまって、最近では1日に2回に減らしてもらっている。愛犬様は大いに不満である。

似たわんちゃんのホームページ
http://tetu.nsf.tc/

処分されるはずの犬や猫を引き取って里親を探すボランティア団体からもらったので、血統書はないが、見かけと性癖から判断して、甲斐犬系統の雑種と推定される。シェパードの血が幾分混じっているような気がする。甲斐犬は日本で一番オオカミに近い犬といわれる種類である。
この、我が家の「こわもて」の愛すべきやんちゃ坊主について、折に触れてここに書いてみたい。

△次の記事: 我が家の愛犬様(2)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/2_719c.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

高度な技術と"安^3(アンスリー)"--社長の条件(9)

2005/09/9
高度な技術と"安^3(アンスリー)"--社長の条件(9)

当社の受託する開発費は実際のところ大変安価である。コンサル会社や大手コンピュータメーカの受託金額のおよそ半額から4分の一であることが多い。われわれは、コンサル会社や大手コンピュータメーカと競合して営業することはめったにない。たいていは大手コンサル会社や大手コンピュータメーカの下請けである。優良な下請けシステムハウスとして、大手コンサル会社や大手コンピュータメーカがそのときそのときに保護してくれたのが、25年もの長きにわたって生き残ってきたもう一つの理由かもしれない。顧客企業や元請企業の専務さんや常務さん、事業部長さんだった人たち、中には元社長さんまでがいまだに私たちのイベントには出てきてくれる。本当にありがたいことだ。これは、そのときの信頼関係からだと信じている。
われわれの残してきた作品を見るとどれもかなり高度である。初期の新聞社の統計解析アプリケーション、某国国防省のミサイル誘導システム、外資系企業の全国オンライン経営支援システム、MMLシステム、全社情報システム、日本の学術ロケット誘導システム、自動車の安全運転支援システム、官庁系のホームページ自動生成システム、・・・。
http://www.sciencehouse.jp/materials/results.pdf
難度の高いシステムばかりのように感じられるだろう。いかにも、お値段が高そうに見えるかもしれない。どうやら、そう考えられて、敬遠する人もいるようだ。その実は、その時代の標準に比べるとかなり安価だったのである。
社長を志す君たちは、高度で崇高なシステム開発の仕事に取り組んでいる。それを誇りにしている。そしてその技術力の高さに強い自信を持っている。それでよいと思う。
しかし、世間はそれだけでは、振り向いてくれない。当たり前だが、いつの時代もコストパフォーマンスが大切である。安心・安全・安価(="安^3"、アンスリー)に、高度な技術を提供すること、をモットーにしてきた事実を忘れてはならない。商売なのだから当然といえば当然であるが、案外そのような努力は当たり前すぎて宣伝してこなかったが、これからは自信を持って、"安^3(アンスリー)"でやってきたし、これからも"安^3(アンスリー)"でやってゆくことを改めて表明してほしい。
1981年3月、当社は設立された。出版とシステム開発の仕事が半々だった。今は、出版の売上は3%、システム開発の売上が97%という比率であるが、この変化は徐々に起こってきたことである。最初、システム開発は、大型計算機を利用する派遣だった。Fortran-SやAPLを利用した人工知能型のシステムの構築で、世界でも新しいシステムだった。1981年の夏には、Fortranでできる仕事のある部分はBasicでも出来ると判断して、パソコンの世界に突入した。TRSのスタンドアロンのパソコンがあったころである。富士通のFM8やPC8000が後を追っていた。
徐々に派遣の仕事を離れてパソコンのパッケージ(安価にシステムを供給できる)に転じていった。パソコンと大型計算機の両方の技能を持つことが買われて、企業システムや官庁システムに復帰するが、これがMML(マイクロメインフレーム)の発明(世界初)につながった。このころのわれわれの標語は「自分たちの仕事を減らすシステム開発が本物のシステム開発」だった。モジュール化できるものはモジュール化し、自動化できるものはできるだけ自動化して、コストのかからないシステムの開発に専念した。世間では、わざわざ(かどうかは分からないが)下手なシステム作りをしてその後の仕事を増やす手合いもいるのである。「自分たちの仕事を減らすシステム開発が本物」というと顧客は目をぱちくりする。なかなか信じてもらえないが、一仕事が終わってみれば、納得というものである。下手なシステム作りをしてその後の仕事を増やす手合いは、その当座は儲けたかもしれないが、結局、数年で消えてゆく。お客様も決して見ていないわけではないのである。
出版の事業では、写研と決別して、パソコン組版のミチヤと組んだのは1984年で、東京では初めての冒険だった。ミチヤはともあれ、組版コードは持続すると踏んだからである。現在はTEXとワードの組版に転換している。ワードは市販のソフトだが、作成されたファイルはrtf形式にすれば、国際標準なので、汎用性と持続性・保持性に
問題がないのである。組版作成コストは飛躍的に安くなった。業界は3年遅れでわれわれを追ってきた。今では当たり前になりつつある。
直近の決断では、ユニックスばかりではなくlinuxにし、FortranやC++ばかりではなくJAVAテクノロジーを採用し、オラクルなどの市販のデータベースばかりではなくPostgreSQLやMySQLを2002年に採用した。
すべての選択は、安心・安全・安価(="安^3")のためである。フリーウエアやシェアウエアならば何でもよいわけではない。国際的コンソーシアムが開発を支援していることが必須の条件である。世界中のSEが寄ってたかって開発するものの安定性は何者にも変えがたいものがある。1社が作成するものはたとえ世界的大企業であっても、バグ付きの可能性を避けられないし、発見されたバクの修正が遅い。
私企業が独占するOSやツールに縛られることは、警戒しなければならない。利益追求がこれら企業の目的であるから、結局、長年にわたって多額の利益が吸い上げられるようになっている。顧客にも迷惑、われわれも疲弊することになるからだ。
私が勝手に命名している「コンピュータの暗黒期(1945~1980)」には、「コンピュータのバージョンアップをしなければ御社は営業できなくなってつぶれますよ」と言って巨額の利益を手にしていたコンピュータメーカもあった。はっきりしているのは、今は、コンピュータを握って顧客の命の玉を握っているかのような営業戦略をとる時代ではないということである。われわれは、オープン環境の時代に生きているのである。自由な競争の時代であり、顧客に選択の自由を100%任せても、わがほうに快く仕事を頼む関係を作ることである。そのためには、高度な技術と"安^3"(=安心・安全・安価)を常に考究し、顧客に提案し続ける姿勢を堅持することである。
現在検討中のツール類には、exCampus、Xoops、Moodle、a-Blog、Thingamablog、MovableTypeなどがある。いずれも、「ホームページの自動生成」や「ブログツール」として利用できるものであり、現在需要の高いシステム開発に利用すれば他社に比べて格別に安価にシステムを構成し提供できることが期待されている。これらはいずれも国際的な開発支援組織がしっかりしていることも特徴である。
.netは魅力的だが顧客がその基盤利用コストに難色を示す問題があった。しかし、monoプロジェクトが登場してlinuxで.netが扱えるようになってその問題も軽減できる。javaは手作りの煩雑さがやや重荷だったがTigerなどの登場によって負荷が軽減されるようになっている。
われこそはと思うものは、よいツールをどんどん世の中に出すがよい。われわれは、それらを活用して、社会組織に適合した、モラルの高い、どこにも負けない、システムに仕上げて見せるだろう。これが、エンドユーザに密着したわれわれの生きる道である。
高い技術とともに"安^3(アンスリー)"(=安心・安全・安価)を堅持し、日々更新し続けることが、この業界で生き残る基本的方略である。
ちなみに、これらは、3つの経営戦略の一つ「後方戦略」の一部であるのは言うまでもない。

△次の記事: 社長の条件(10)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/10/10_45df.html
▽前の記事: 社長の条件(8)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/8_600d.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  社長の条件シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

狙われる「社会性の発達阻害」--心理、教育、社会性の発達(7)

2005/09/08
狙われる「社会性の発達阻害」--心理、教育、社会性の発達(7)

社会性の発達が阻害されている若者が充溢している現代では、カルト教団、カルトビジネスに簡単に若者が取り込まれてしまう現実がある。
最近も、危うく、カルトビジネスに取り込まれそうになった学生(女子)からの相談があり、何とか思いとどまらせることができた。本人は、集会に出かけて感激したものの、何か引っかかるものを感じたのだろう。一人の秘め事にせずに、私を含めたみんなに相談した。これがよかった。
この団体は「私利私欲だけでいいのか」と若者に迫って、「ボランティアで、時間外に教義のために農作業などの作業に従事しなさい」というものらしい。「私利私欲だけでいいのか」という言葉は、若者の心の底にある善良な思いをひどく刺激するのである。現代の健全な若者は「私利私欲だけでいい」とは到底思えないのに、小中高大の教育とマスコミは、私利私欲を賛美してやまないのである。乗っ取り屋が時代の英雄にさえなっているのである。「私利私欲だけでいいのか」とささやかれて、グラリとくる青年はむしろ正常かも知れない。
現代の若者は、「社会に貢献して、自分と家族の生存と安全を保障してもらう」という普通の社会的原理を大人たちから聞いていないのである。そんな当然のことをなぜ大人たちは言わないのか。と常にどこかでのどの奥に突き刺さった小骨のように疑問が続いているのである。
こんなとき、その団体の勧誘員は、「私利私欲だけでいいのか」とささやいたのである。社会経験もなく、社会の仕組みも社会に対する感性さえ形作られていない女子学生が、「あぁ、いい人がいる。いい人たちがいる」と勘違いして、感激して舞い上がってしまっても不思議ではない。
舞い上がっている若者を洗脳するのはわけがない、「婚姻制度を廃止して原始共産制を現代に再現するために、ボランティアで働きなさい。稼いだお金は、わが団体(実は株式会社)に寄付しなさい」と畳み込むのである。彼女は土壇場で「で、私はどうやって生活のすべを手に入れればいいのでしょうか」と小さな声で聞いてみたが、大声で教義のすばらしさをまくし立てられて、それ以上の追求は出来なかったというのである。彼女は就活がうまく行かずに悩んでいてうっかりこの団体のメンバーに相談してしまったのに、肝心のその返事が得られなかったのである。
「ボランティアで働きなさい。稼いだお金は、わが団体(実は株式会社)に寄付しなさい」とは、ずいぶんな話である。この会社はもともと建築屋だったが、カルトビジネスにじわじわと転向したらしい。このカルトビジネスを、彼らはあるところで「すばらしいビジネスモデルである」と自画自賛している。幹部は教義に身を投じているのではない。あくまでもビジネスとして、信じてもいない教義を流布し、叩き込み、洗脳して、信者の身から骨の髄まで搾り取ろうというビジネスモデルである。法的にどうかは知らないが儲からないはずがない。
教祖Aが逮捕された「×××真×教」(後継組織=「ア×フ」)も「私利私欲だけでよいのか」と若者を迫った。教祖Fが逮捕された「法の×三××」(後継組織=「よろこび家族××」)は逆に「私利私欲」をあおりたてて誘い込んだ。社会の実体験をもっていたり心の社会性を発達させたバランスの取れた若者であればそれらのまやかしに騙されるはずはなかっただろうにと悔やまれる。
「超心理学研究(=反オカルト、反カルト研究)」の専門家が身近にいるので、頼もしい。この先生にも大いに助けてもらわなければなるまいとも思う。
今、正常に社会性を育成する教育が必要である。若者が簡単にカルト教団やカルトビジネスの餌食にならないように、・・・。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(8)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/8_7e26.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(6)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/6_9cb7.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

昔あった「教育心理学の不毛性」の議論--心理、教育、社会性の発達(6)

2005/09/05
昔あった「教育心理学の不毛性」の議論--心理、教育、社会性の発達(6)

昔(2000年頃)、「教育心理学の不毛性」という議論があったそうである。「教育心理学の不毛性」はとうの昔に分かっていたことになる。それにしては、対策や克服する提案としての決定打を耳にしないのはなぜだろうか。
当時の議論を知るすべはないが、その痕跡は下記のようなネット上の記事に見ることが出来る。
このテーマで書籍を世に送っていらっしゃる方もいるので、本来ならば、書籍を読まなければ何も申し上げるべきではないのだろうと思う。準備不周到のままの発言ははばかれるのだか、お叱りを覚悟で書かせていただく。

「教育心理学の不毛性論議のゆくえ」http://www.win-3.com/sake/mori-1.htm
「日本における学校心理学の展望」
http://homepage1.nifty.com/sc/jspa/kinenkouen.htm
「[sigce 1048] シンポジウムのお知らせ」
http://ce.tt.tuat.ac.jp/ML/sigce/msg00871.html

インターネット上の痕跡から垣間見るそれぞれの考究にはすぐれたところが多く、到底私のとやかく言うところではない。いろいろな側面の問題が取り上げられ精緻な議論がされているように感じれる。
しかし、ニートなどの社会への非参加者の群を育てた「教育(小中高大院)の責任」については、明言されている部分は発見されなかった。もちろん、上記の人々は、個人的資質にすぐれた教育者であり、多くの立派な参加型社会人を育てた功労者で、社会への非参加者の群を育てた「教育(小中高大院)」の責任の咎は、これら以外の人々にあるのだと思う。

教職課程て学んだはずの「教育心理学」が教育現場に役に立たなかったという現実は「教育心理学の不毛性」という昔の議論の中で語られていたらしい。しかし、そこでは次のような問題は語られていなかったようだ。
(1)学年制教育制度の限界
(2)「社会性の発達」が含まれていない「教育心理学」
学年制教育制度の限界については、語る人が増えてきたと感じているが、一方の「社会性の発達」が含まれていない「教育心理学」の問題については、私はまだ聞いたことはない。大学の教職課程で教える「教育心理学」は大半がピアジェの心理学に依存しており、ピアジェの認知発達理論には「社会性の発達がない」という限界を私は指摘してきた。
「「教育心理学」の限界と希望--心理、教育、社会性の発達(2)」http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/2_4ce5.html
これらの限界を超えようとしている大学の先生方も少なからずいることも分かったが、まだ多勢に無勢である。
もう一度、「教育心理学の不毛性」という後ろ向きな議論ではなく、ニートなどの社会への非参加者をなくして、「市民参加型社会へ意気揚々と参加する若者を育てる教育心理学」の再構築を図りたいものである。
次回以後、折を見て、「社会性の発達」を教える大学人の書物や見解を勝手に取り上げてみたい。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(7)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/09/7_f580.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(5)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/5_8182.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ