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モチベーションを育てる、涙ぐむ--心理、教育、社会性の発達(17)

2006/2/11
モチベーションを育てる、涙ぐむ--心理、教育、社会性の発達(17)

先月の「次世代大学教育研究会」(1/26)に私は「一人にしない教育者と、一人にしない教育を」を発表した。このことは、私のブログのシリーズ「感性的研究生活」の一つにも書いた。
この研究会で発言した内容の一つでもあるが、「社会性を育てる」ためには、学生たちに「社会性の獲得に向かうモチベーションを育てる」ことが不可欠である。実は、私がこのことを真に理解したのは、昨年の初夏のことであり、その前の4-5年間は、悪戦苦闘の連続だった。
地方出身者の多い、H大学やK大学では、グループ活動、参加型授業が比較的簡単に導入できた。ほとんど最初の年から成功したといってよいだろう。しかし、首都圏都市部(都内か川崎横浜)の出身者が多数を占めるM大学ではそう簡単ではなかった。最初の1-2年は、他の大学での成功もあり、学生らの反応が少ないのは、都市部の学生の特徴だから、それが普通だろうと高をくくっていた。しかし、明らかに学生たちはあくまでも受身で授業を受けているだけで、教育効果は上がっていなかった。グループでの活動を促しても、ダメであった。他の大学では、教師(私)の音頭で、学生たちは、ぞろぞろと席を立ち、グループのメンバーが額を寄せて、秘策をいろいろと練るところで、M大学の学生らは、席を立つものも少なく、グループ内で相談する姿もほとんど見られない。学生のアンケートをとると、「グループで相談しろというのは、無駄な時間」「ウザッタイ干渉」などと書く学生もいた。他大学の学生とは明らかに違っていた。その後、私はグループの課題を与えると学生たちの席の間に立ち、彼らの活動の手順やひそひそ話や学生同士のメールを画面上から読み取ることなどにいっそう努力した。機会を見ては、声をかけ、他のグループメンバーへの助力を促したり、分担や相談をアドバイズした。M大学の学生たちは、多くの場合、これを無視するか、学生同士一瞬見合わせてそのままにすることが多かった。内心「教師の指示を無視するのか」と怒りもこみ上げてくるが、一方何か理由があるのだろうとその理由が知りたかった。私の指示に「ハイ」と言ったまま、凍り付いてしまう学生もいた。
昨年、M大学の最初の1-2回目の授業で、授業終了後、教壇に出席票を置いてかえる学生を何人か呼び止めて、いろいろと雑談をした。教壇に出席票を置いてかえるようにするのは、以前からのことで、学生たちと一瞬でも目をかわすことができるようにという理由である。雑談の中で、やっと次のような学生たちの心の内がわかった。「学生同士で相談するということは、他の学生から教えてもらうということになるので、できませんよ。そんなズルイことですから・・・」「他の学生に教えてやるなんて、そんなことをしたら自分がソンしちゃうじゃないですか」というのである。グループで学習活動することには、当然教えたり教えられたりすることが含まれる。それを「ソンしてしまう」「ずるいことはできない」と感じてしまうというのである。子供たちはなんというさびしい学校生活を送ってきたのだろうかと、背筋が寒くなった。
そうか、この子達は、互いに助け合うことを激しく禁止され、競争させられてきたのだ。隣の席の子よりも1点でも多く取るためには自分が理解したことを教えたりしてはソンしてしまう、、、隣の子に聞くのはズルイことだから教えてほしいなんて口が裂けてもいえない、、、と、この学生たちは頑なに信じているのである。不真面目でグループ活動ができないのではない。まじめだからできないのだ。グループ活動や参加型学習活動の「やり方」をいくら教えても、この学生らは「できない」のだ。グループ活動や参加型学習活動のスキルが問題なのではない。モチベーションが欠けているのである。というよりもモチベーションに厳重なフタがされているのである。
ならば、幼稚園児にやるように、お手てをつないでお遊戯からはじめなければならないのか。ジャンケンごっこもオシクラマンジュウも経験していないに違いない。果たして? しかし、このヒゲも生えた男子学生やお化粧も上手になりかけている女子学生に「お手てをつないで、、」はないだろう。いや、実は必要かも知れないのだが、それは別に取り上げることにする。いやいや、情報の授業で「お手てつないで」とやったら、間違った風説が心配だ。
考えあぐねて、「情報組織論」の講義を実施することにした。これは、折りしも、2005/4/23のSH情報文化研究会で発表した内容と重なった。この話をM大学の授業向きに発展させた講義を行った。学生たちは思わぬ反応を見せた。いつもはいくらかざわついて、上半身がせわしなく動く学生も多いのに、このテーマの講義を始めて5分もすると教室は静まり返って、誰しもじっとしている。誰一人身動きしない。前の方に座っていた学生が、一人上を向いて涙をこらえているのが分かる。すると、また一人、うつむいてハンカチで目をぬぐう学生がいる。なぜ、、、。私は、悲恋物語を語ったわけでもなければ、レ・ミゼラブルを話したわけでもない。社会と組織と人間の関係を語り、その中で、「情報」が、人類史的にどんな意味を持っているのかを語っただけである。社会学の範疇ではあるが、あまりにもベーシック&シンプルなので社会学の先生も授業では語らない内容かもしれない。ある経済学者が語ったと伝えられる言葉、「ひとりは、1つ以上仲間のために役に立つ。仲間は互いに助け合う。そのグループは社会に貢献する」を紹介したりしただけのことである。
学生たちは、その授業の感想として、「大学を出たら、金だけの人生かと思ってつらかったが、そうではないことが分かった」「社会に出たら他人と競争するだけと思っていたので、他人とかかわりのない生活を望んでいたけれど、別の考えが浮かんだ」「社会に出たらさびしい生活だと思っていたのに、先生の話でそれは違うとおもったら、涙が出てきてしまった」と書いてきた。彼らは、こんな話を親からも小中高の先生たちからも聞いていなかったのだ。「だから、先生はグループ活動など社会に出ても困らないように進めてくれていたんだと分かった」とあったのには、手を打って私も喜んだ。教えられるべきことが教えられていない学生たちに、遅ればせながら教えられることは教えてあげるというのは年長者の務めではあるだろう。普通は、自然な成長の過程で身に着けるはずだった「社会性へのモチベーション」に、学生たちは、大学にまできて、私の授業で初めて遭遇したのである。しかも、大学生は大学生である。礼儀作法は知らない(「だって教えられていないッモン」)が、知的水準もかなり高いのは当たり前である。「社会性へのモチベーション」も「お手てつないで、お遊戯」ではなくて、知性に語りかけることによってかなりの成功を収めるということが分かったのである。これは、私にとっても感動的で衝撃的な体験となった。M大学のグループ活動がその後は順調に進展したのはいうまでもない。実技も半分は含まれている私の授業ではグループ活動が成功するかしないかでは、教育効果が大きく異なる。実業の世界でも、作業を体得するのはグループ活動の中のほうが極めて大きい。昔、農作業や浜仕事、道普請などは誰でも参加して上達した。ビデオ教材もCALもなかった時代のことである。周囲の人たちのやりようを見て覚えた。仲間のやりがちな小さな失敗は笑いながらも教訓にした。グループ活動の教育効果は何者にも変えがたい。
H大学やK大学でも同じ「情報組織論」の講義をやってみた。不要かと思われた田舎からやってきた学生たちにも、この講義は沁みたらしい。教室での活動は一気にブレークした感じがある。
2005年度は、「グループ活動」を教える前に、グループ活動のモチベーション、すなわち社会性獲得のためのモチベーション=「情報組織論」を教えるのが正解であると確信した1年であった。今年は、どの大学のどのコースでも第1時限目にこの講義をしてみようと思う。新入直後の学生に、こんな話を受け入れるだけの落ち着きとゆとりがあるかどうかが少し心配だが、、、。

振り返って、幼、小、中、高の教育においても、「社会に参加することのモチベーションを育てる」教育をしながら「社会参加」を教えていただくのが良いのではないのかと思います。私は、その方面については門外漢です。現役の教師の皆様、すなわち専門家の皆様からは、空理空論といわれるかも知れません。もっと「競争」を教えるべきなのだ、「協調学習」は無用だとお叱りもあるかも知れません。皆様、私は、大学の教壇に立つ情報教育専門のしがない非常勤の分際で申し上げることに過ぎませんが、どうか、子供を孤立させ、さびしい、惨めな人生に引きずり込まないでください。仲間と喜びも悲しみも、歓喜も落胆も分かち合い、ともにできる心豊かな子供たちを育ててください。いじめや学級崩壊を心配して幼児、児童、生徒たちが結束することを嫌う向きもあることは承知しています。しかし、悪い仲間にはいることを防止して、良い子のグループを育てることが、いじめや学級崩壊を防ぎます。昔は近所のおばチャンが優しく厳しく「いじめっ子と一緒に遊んじゃダメ。いい子同士仲良くしなさい」と言ってくれたものです。それは差別発言ではありません。「いい子同士も仲良くしてはいけない」などとおばチャンたちは言いませんでした。いい子はいい子の仲間に紹介して「この子をお仲間にしてくださいね」と母親もおばチャンたちも言ったものです。同じ力が、社会性を育む教師の指導力としてますます必要になっていると思うのです。おばチャンたちも母親らしい母親もめっきりいなくなってしまったのですから、頼りになるのは教師の皆さんだけです。子供たちのことを信じてあげてください。そして、社会の健全な仕組みや人との交流の意義を解き明かして、社会性の発達を促してください。大学の教師の個人的努力だけでは、もはや支えきれなくなっています。
場合によっては、「社会性を育てる」件においては、幼、小、中、高、大の保母・教師・教員が横断的な連絡をしあう必要があるのかも知れません。
たくさんの方のご意見をいただければ幸いです。

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琵琶

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