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快刀乱麻になりうるか--情報デザイン研究ノート(1)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2006/2/15
快刀乱麻になりうるか--情報デザイン研究ノート(1)

今まで、人は、情報デザインを、組織や社会と人間の知識構造から説明を試みることがなかったようである。
「人の社会」と「人の知性」の発達は、人が猿人から原人へと進化したときに開いた同根の二つの花である。情報デザインはその「人の社会」と「人の知性」を股に掛けた美しくもあやうい人の営為である。これを「人の世」と「人」のために正しく使用しうるかどうかは、高度情報化社会以降のわれわれ人類悠久の成否にかかわる鍵となっていると考えられる。

1.はじめに、組織と情報コミュニケーション
・「組織なくして情報コミュニケーションなし」「情報コミュニケーションなくして組織なし」
情報デザインとは、何か、いろいろな人がいろいろな定義を述べてくれている。ここでは、私なりの考えを述べる。
情報デザインを説明するには、ヒトの社会というものから説明する必要があるだろう。ヒトの社会や組織については、別に述べた「戦略的情報組織学」「組織を活かす力、改革する力」「モチベーションを育てる、涙ぐむ」)ので、そちらに譲って、ここでは詳しく述べない。
定常流的実在である組織や社会を成立させるものは、参加しているヒトや単位組織やその複合体などの間にある一種の「関係」である。これらの間にある「関係」とは「相互の影響関係」であり、互いに他を変化させようとする作用が相互に繰り返されていることを意味している。「影響関係」は、他のヒトの知性に働きかけるための情報の行き来(対話、会話、マスコミ、・・・)と身体的制御を目指す身体活動(民主的手続きや政治活動、治安活動や軍事行動、・・・)がある。前者を「狭義の情報コミュニケーション」、後者まで含めて「広義の情報コミュニケーション」ということにする。このことは、近々学会で発表する予定なので、詳しくは、その後、機会を見て、ここにも書くつもりである。ここでは、狭義の情報コミュニケーションに絞っておくことにする。
すなわち、ここでいう情報とは、相手の知性に影響を与えることによって、相手の活動に変化を引き起こすものである。
いずれにしても、次のように言うことができる。
「組織なくして情報コミュニケーションなし」「情報コミュニケーションなくして組織なし」

2.データと情報と知識
・「情報ななくして、組織なし」「組織なくして、情報なし」
情報とは、情報コミュニケーション(影響関係)の成立を目指す行為に必要な道具なので、相手に理解され、相手の知性に影響、または相手の地位や権限に影響を及ぼすことを目的としている。この目的のないものは、データであっても、情報ではない。また、目的は影響関係の成立であっても、そもそも相手に影響を与ええないものは、情報になりえない。呪術だけでは「実現不能犯罪」とみなされるのと同じく、そもそも相手に影響を与ええないものは、「影響不能データ」に過ぎない。
さて、私は、古くから、コンピュータの世界では、データ、情報、知識、推論の間には、次のような関係があると言い続けてきた。
データ:ヒトが計測した事実を記号や数値によって表したもの。
情報:データを人間が理解しうる形にまとめたり加工したりしたもの。
知識:質問に答えられるように情報に条件分岐を付けて整理したもの。
推論:質問に答える手順を記述したもの。
いま必要なのは、ヒトの世界におけるデータ、情報、知識である。上記をヒトの組織に拡張すると、次のようになる。
データ:ヒトが察知または認識した事実を言葉や数値によって表したもの。
情報:データを相手(自分も含む)に理解しうる形にまとめたり加工したりしたもの。
知識1:外部の刺激や環境の変化に応じて取り出せるように加工され脳に定着した情報や行動様式。
知識2:外部の刺激や環境の変化に対応する手順を記憶したもの。
これらについては、「記憶」の社会性「一人にしない教育者と一人にしない教育を」で少しばかり述べている。
「情報なくして、影響なし」「影響なくして、情報にあらず」
「影響関係なくして、組織なし」「組織なくして、影響関係なし」
すなわち、次のようになる。
「情報ななくして、組織なし」「組織なくして、情報なし」

3.邪悪な情報操作と心正しい情報提供
・できることと、やってよいことの間には、千里のへだたりがある。
情報は、相手の知性に影響を与えることによって、相手の活動に変化を引き起こす。情報デザインとは、その変化すなわち影響を計画することである。その狙いが、邪悪なものであっても心正しいものであっても、変化を引き起こすことが目的である。邪悪な狙いは、社会とその構成員に不利益をもたらすので、広義の影響関係の中で取り除かれようとする。心正しい狙いは、社会とその構成員に利益をもたらすので、広義の影響関係の中で賞賛され、その担い手は地位と権限を保証される。健全な組織や社会は、邪悪な情報を絶えず監視し、除去に勤めており、心正しい情報を推奨する力が発揮されている。今、日本は健全な社会かどうかは、これらの営為が正しく機能しているかどうかにかかっている。ホリエモンとライブドアの邪悪な情報操作は暴かれた。しかし、ほかにも同様の邪悪な行為はないのだろうか、、、。また、情報の洪水の中で、推奨される情報はどこにあるのか、人々は正しく「知って」いるのだろうか。
邪悪な情報操作の例として、「あやかしの術」について書いたことがある。ほかにも、いろいろと存在する。これらの情報操作のテクニックを「情報コミュニケーション"力"」と主張する者がいるのも事実である。この種の人々に嫌気がさして、「情報無用論」や「情報コミュニケーション力無用論」を口にするヒトもいる。無用なものは、邪悪な情報操作である。必要なものは心正しい情報提供である。元来、情報コミュニケーションは健全な組織と社会を支えるものである。邪悪なものは少数であり、例外であると思いたい。心正しい「情報」や「情報コミュニケーション」をもっと発展させる前向きの行動こそ必要なのではあるまいか。邪悪な情報操作については、別に解説する機会を作りたい。
邪悪なものでも「やろうとすればできてしまう」ものも確かにある。開けっ放しの他人の家の玄関の中に札束入りの財布があるようなとき、盗ろうと思えば盗れないことはないだろう。できることだから、やってよいのだろうか。やってしまえば犯罪である。やってよいことととできてしまうことの間には大きな違いがあるのだ。情報操作も「できるからやってよい」とは決していえない。やってよいこととできてしまうことはまったく違うのである。
できることと、やってよいことの間には、千里のへだたりがある。

4.情報デザインとは、影響を計画すること
・受け手のもつ知識を見抜ければ、情報はデザインできる
ここでは、ひとまず、心正しい情報コミュニケーションと情報について、述べることにする。
相手の活動に変化を引き起こすために、まずは相手の知性に影響を与える必要がある。そのためには、相手の持つ知識に変化をもたらせなければならない。新しい知識を付け加えたり、変化させたり、間違った知識を無効にしたりする必要がある。
昔から、ジャーナリストは、分かりやすく書くには、次の手法を用いていた。私も大学を出て約10年雑誌の取材編集記者をしていた。駆け出しの頃、この世界のたくさんの先輩らにかわいがられ、凄腕の記者たちから、次のように教えられた。
1)例示する。
2)対比する。
3)類似を示す。
4)比喩を用いる。
5)言葉を換える。
実用的で、すばらしい手法である。実は、大宅荘一の書物で同様のことをすでに読んだことがあったのだが、現場で聞くのはまるで違って聞こえた。すごい、といっぺんに感得した。通り一遍の知識は、現場の体験と一緒に聞く一言にまったくかなわないのである。
これらの、手法に共通していることがある。私は、そのとき、それを発見した。要するに、どれも、情報を伝えようとする相手の心の中または脳みその中にある知識に結び付けて開設するということである。ジャーナリストは新しい概念を読者や視聴者に伝えなければならない。まったく新しい概念は、そのままではまったく理解されない。頭の中を素通りするだけならばまだしも語ろうとした者の精神に疑いを挟まれることさえある。読者や視聴者がすでに知っている例を挙げて、新しい概念をたかったらどうだろう。今までの知識に付け加えたり、今までの知識を変更したり、今までの知識が間違っていると考えて無効にしたりすることが読者や視聴者にとってもできることになる。これが、理解できたとか、理解がすすんだという状態である。例でうまく行かなければ、似ているが異なる事象を取り上げてみたらどうか。たとえば、バッタを知っていてクモを知らないヒトに、「バッタは足が6本、クモは8本」「バッタには羽があるが、クモにはない」「バッタは糸を吐かないが、クモは獲物を取るのに糸を吐く」などと対比させて説明すれば、それなりの概念は伝えられるだろう。「ゴリラは、ヒトと同じで一夫一婦制」などと類似を示したり、「お前と俺は、月とすっぽん」などのように比喩を使うことも同じである。相手の心すなわち脳みその中にすでにある概念と結びつけてゆく作業なのである。概念の多くは言葉として記憶されている。「ナズナ」と言って分からなければ「ぺんぺん草」と言い換えてみるのも同じである。
情報は、伝え方を工夫すれば伝わるのである。どう工夫するかは、ヒトしだいであるが、基本的原則がいくつかある。例示、対比、類似、比喩、換言もその例である。肝心なことは、情報の受け手のもつ知識を見抜いて、伝えたい情報とそれらと結びつけることである。情報の受け手のもつ知識を見抜ければ、情報の伝え方(情報デザイン)に工夫ができる。情報の受け手のもつ知識を見抜くことが困難な場合は、情報デザインは困難を極める。
受け手のもつ知識を見抜ければたいてい情報はデザインできるが、受け手のもつ知識を見抜けなれば情報デザインは困難を極める。

5.未知の相手に情報デザインは可能か
・ヒト類の知識構造の共通性に着目すれば、未知のヒトへの情報のデザインも不可能ではない
昔ヒトは、互いに親密でありうる範囲で群れをつくり命をつむぎ暮らしてきた。その歴史は150万年に近い。50-60万年前猿人から原人となり、社会組織を構成するようになってから、さほど親密でないヒトとも情報コミュニケーションをとるようになった。高度情報化社会となり、人々はますます未知のヒトと情報コミュニケーションしなければならない状況にある。もとより、私的な交流(プライベートコミュニケーション)であればそうともいえないが、公けの情報伝達(パブリックコミュニケーション)の場合は今のところ避けようがないといって良い。マスコミや電子的ネットワークコミュニケーションでは、プライベートコミュニケーションも行われるが、パブリックコミュニケーションもその比率を大きく伸ばしてきている。
親密に行動をともにしている者同士であれば、「あれ、あれだよ、昨日の居酒屋で見たあれさ」という話でも伝わらないことはない。昨日一緒に居酒屋にいたもの同士でない場合には、「あれ、あれ」と言っても通じやしない。相手の持っている記憶や知識が異なっているのだ。
未知のヒトでも自分同様にもっているに違いない知識に近づけてあげなければいけないのである。
ヒトの認識についての著作は多い。認知哲学など言って、哲学もある。最近では、脳科学の進歩も目覚しいので、その方面からの知見や発言も多い。
ここでは、健常者の誰しもが承認しやすい、5つの概念を取り上げる。
1)3次元ユーグリッド空間と時間軸
 すなわちデカルトの直行座標の一部、「空間」と「時間」という人もいる。
2)共通知識
 「カテゴリ」という人もいる。
3)認識対象とその態様
 「物質とその運動」「オブジェクトとその属性」などという人もいる。「名前」と「動き」という人もいる。
4)比較
 「随伴、例示、対比、類似、比喩、換言」がある。換言は、同一物を比較することである。
5)因果律
 原因と結果の関係である。
情報の伝達は、これらの概念の一つまたは2つ以上を組み合わせて、初めて実現する。実際のところ、ごく単純な物事以外は、2つ以上組み合わせなければ情報は伝わらない。
これらのそれぞれについては順次説明する。ここで協調したいのは、未知の人でも、人であればたいていは共通にもっている知識の枠組み概念があるということである。
たとえば、空間的な位置関係は、説明すれば、おおよそは理解される。時間の前後関係、出来事が発生した年代についても説明すれば、おおむね伝わる。
甘い、辛い、しょっぱいなどの味や、目や鼻、口などの顔の部位の知識はたいていの民族にも共通している。赤や青という色についても大きな違いはない。知識に共通する部分はある。細部は異なっているが、階層化概念や関連性についての認識で共通するものもあり、これを補うことができたりもする。共通しない部分もあるので、その見極めは簡単ではない。この見極めが大胆かつ的確にできる人が情報デザインに優れた人物である。
人は、古来、「物質とその運動」「オブジェクトとその属性」というように事物を観察してきた。哲学の世界でそう書かれているが、人々の自然な認識の方法を成文化しただけのことである。これを、最近の「情報デザイン屋さん」は、「名前と動き」と言っているようだが、考えが足りていない。もちろん、書籍やホームページの表面的なデザインだけ考えるのであれば何とかなるだろうが、内容の組立てや解説の仕方までを想定するのであれば、名前と動きだけで処理できる話ではない。「認識対象とその態様」という枠組みが人の認識の枠組みの大きな柱なのである。このことを知らずに情報デザインは語れない。
比較は人の認識の方法論である。ギリシャの逍遥学派が、アリストテレスと弟子たちが歩きながら対話したように、プラトンが「対話篇」を残したように、ヘーゲルが弁証法を唱えたように、人はすでにある概念と別の概念を対にして比較して、より高い概念を構成するのである。比較は、情報の受け手に新しい概念を誘発させる打出の小槌なのである。
何かの原因があってこそ何かの結果がある、と人は考えるのである。偶然もありうるが、原因が説明できることに人は安堵と喜びを感ずる。しばしば、ウソでも因果関係があるかのような説明が好まれる。カルトや詐欺の土壌にもなっている。因果関係の有無とそのつながりを正しく語ることは、人の理解を確実なものにする。
今後、情報デザインを語るとき、私は、これら5つの概念を多用する。情報の現場を知らない空理空論と、現場引きづられ過ぎて技術の進歩についてゆけないデザイナ理論をばっさりと切って捨て、分かりにくい情報デザインを簡潔明瞭に整理したい。
私は、出版編集者もシステム技術者も激しくこなしてきました。現役のシステム大工の棟梁です。還暦を迎える年寄りですが、ウデにもいささか自信がないわけではありません。そして、近年は、大学でシステム工学や情報社会学、情報デザインを教えてきました。たたき上げの職人and/or教師ですが、あえてこの世界に乱入する失礼を御免こうむりたく、なにとぞよろしくお願いいたします。皆様からはご寛容に賜り、ご意見をいただき、ご鞭撻をいただきたくお願いを申し上げます。

△次の記事: 情報デザインの研究(2)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/02/2_f05f.html


琵琶

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人の社会、組織を成立させるためには「相互の影響関係」が必要であり、相手に知識に影響を与える情報コミュニケーションが必須であるのだ。そして情報コミュニケーションをするための情報がカギを握り、情報をデザインすることが大切となる。だが、その情報はやりかたによっては邪悪なものにもなるので、心正しい狙いを持ってやることが大切だ。そして、この情報をデザインする方法には
1)例示する。
2)対比する。
3)類似を示す。
4)比喩を用いる。
5)言葉を換える。という五つのやりかたがある。
この方法により相手の持つ知識をデザインしていくことができる。

~感想~
ネットワーク社会であるいま、いろんな情報が飛び交っているが、まちがった情報をどのようにして正しいものであると証明するかは本当に難しいと感じていた。ただ正しい情報を相手に伝えるだけではだめであり、いかに伝えるか、という方法が大事なんだなと思った。
相手の脳(知識)を変える=情報デザインというものは、自分のコミュニケーション力によって変わってくるなと感じ、ほんとに興味深く感じた。この学部に入って、正直いままで情報コミュニケーションとはなんなのか、はっきりとわかっていなかったが、この文章を読み、大まかに知ることができた。そして現代社会では情報コミュニケーションが欠かせないと感じ、この学部で真面目に勉強することでこれから社会でいかに役立つのかが分かった。
自分の持っている情報をうまく伝えるため、自分のコミュニケーション能力をあげていくことに努力しなければならない。そのために、例として、家庭内での親とのコミュニケーションを今までは適当な返事しかしていなかったところを、これからは自分から会話を持ち出し、会話を違った話題にもっていくなどとうことを日々意識してやれば、それが訓練となり、能力が向上していくのではないかと考えることができた。

人の社会、組織を成立させるためには「相互の影響関係」が必要であり、相手に知識に影響を与える情報コミュニケーションが必須であるのだ。そして情報コミュニケーションをするための情報がカギを握り、情報をデザインすることが大切となる。だが、その情報はやりかたによっては邪悪なものにもなるので、心正しい狙いを持ってやることが大切だ。そして、この情報をデザインする方法には
1)例示する。
2)対比する。
3)類似を示す。
4)比喩を用いる。
5)言葉を換える。という五つのやりかたがある。
この方法により相手の持つ知識をデザインしていくことができる。

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ネットワーク社会であるいま、いろんな情報が飛び交っているが、まちがった情報をどのようにして正しいものであると証明するかは本当に難しいと感じていた。ただ正しい情報を相手に伝えるだけではだめであり、いかに伝えるか、という方法が大事なんだなと思った。
相手の脳(知識)を変える=情報デザインというものは、自分のコミュニケーション力によって変わってくるなと感じ、ほんとに興味深く感じた。この学部に入って、正直いままで情報コミュニケーションとはなんなのか、はっきりとわかっていなかったが、この文章を読み、大まかに知ることができた。そして現代社会では情報コミュニケーションが欠かせないと感じ、この学部で真面目に勉強することでこれから社会でいかに役立つのかが分かった。
自分の持っている情報をうまく伝えるため、自分のコミュニケーション能力をあげていくことに努力しなければならない。そのために、例として、家庭内での親とのコミュニケーションを今までは適当な返事しかしていなかったところを、これからは自分から会話を持ち出し、会話を違った話題にもっていくなどとうことを日々意識してやれば、それが訓練となり、能力が向上していくのではないかと考えることができた。

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