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「ユビキタス」&「リッチクライアント」でおしまいか--情報デザイン研究ノート(3)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2006/3/6
「ユビキタス」&「リッチクライアント」でおしまいか--情報デザイン研究ノート(3)

「リッチクライアント」という、いかにも魅力的な名前が流行している。否、流行した、というべきかも知れない。この流行に踊らされた人は多かった。「ユビキタス(もどき)」の後は、「リッチクライアント」だ、と大騒ぎした人もいる。大手コンピュータメーカでも、「ユビキタス(もどき)」事業部を縮小したり廃止して、「リッチクライアント」事業部を新設したところもあった。約1年ほど前のことである。
今は、どうか。すっかり廃れたかといえば、そうともいえないが、「リッチクライアント」でザックザックの大もうけというわけでもない。その前の「ユビキタス(もどき)」もそうだった。ここでいう「ユピキタス(もどき)」とは誤解された「ユピキタス」、一知半解の「ユピキタス」のことである。「ユビキタス(もどき)」も「リッチクライアント」も情報コミュニケーションの分野の進化の一面ではあるが、「革命」というほどのインパクトはない。「革命」という言葉は、歴史上は、易経「湯武革命、順乎天而応乎人」に初めて見られて、これは殷の湯王が夏の桀王を追放し、 周の武王は殷の紂王を打ち倒したことを意味している。つまり支配権を覆すことである。「ユビキタス(もどき)」も「リッチクライアント」も、情報化社会(情報化された社会)のそれぞれの進歩ではあるが、誰かの支配権を覆すということはない。実は、情報デザインの未来の発展には、これらとは別のあるものがあるのである。そこでは主客を転倒する出来事が待っている。そのあるものが見え始めると、「ユビキタス(もどき)」も「リッチクライアント」も色あせて見えるというものである。私の目には見えている情報デザインの未来の発展については、別の項で書くことにする。
ここでは、「ユビキタス」と「リッチクライアント」の意味を振り返っておきたい。
(1)ユビキタス
「ユビキタス」についての解説は多いが、誤解も多い。まず、「ユビキタス」はラテン語ではなく、英語(ubiquitous[ユビクィタス])である。語源はラテン語(ubiquitas)にあるが、発音が違う。カタカナ書きにすると[ウビークィタース]となる。意味は、どちらも、どこにでもある、いたるところにある、偏在するという意味だ。
この語義に引きずられて、「ユビキタス」とは携帯電話のことだと勘違いした人たちがいる。それも少数とはいえない人たちである。3年ほど前、ある企業のユピキタス事業部に出かけたときのこと、総勢100名ほどの人たちがそのフロアーにはいた。案内役の皆さんは、PHSはもう古い、携帯電話こそ「ユビキタス(もどき)」の本命であると頭から湯気が出るほど熱弁を振るってくれた。どこか、私は、その熱気に違和感を感じて、思わず冷ややかな目でその皆さんを眺めることになってしまった。ご意見は、と聞かれても絶句である。言うまでもなく、「ユビキタス」はPHSのことでもないし、携帯電話のことでもない。「ユビキタス」を実現する数千もあるであろう道具の一つがPHSや携帯電話であるかも知れないし、別のものかも知れない。彼らは、道具と目的を完全に取り違えていた。こんな極端な例も、日本のコンピュータ業界の覇者にこそ少なくないというあたりには、どこか絶望感に似たものを感ずる。
別のある著名な大学人は、"巨大なサーバを用意して、どこからでもユーザがアクセスできる万能のデータベースを用意しておくのがユピキタスだ"と講演されていた。これも外れてはいないかも知れないが、的中でもないのである。
ウエアラブル(身につけられる)コンピュータが「ユピキタス」だという人もいる。背広の裏にフレキシブルモニタとキーボードがあって、いつでもどこでも背広のボタンをはずして、内ポケットの替わりにキーボードが打てるなどのことをイメージしているのである。なるほど、いつでもどこでもパソコンが使える、、、だから「ユピキタス」なのか。これも外れてはいないが本質とは違うのである。
「ユピキタス」の日本の元祖と言われた坂村健 東京大学大学院情報学環教授によれば、真正の「ユピキタス」は人と事物すべての分散協調のことである。すべての人と事物は、たとえばRFIDタグのような誰にも気にならないほど小さなチップをいつも身に着けていたり、埋め込まれていて、本来の生活や機能を損なうことなく、不断に交信し、自然に協調して行動しうる状態をイメージしているのである。確かに分散協調こそ、情報コミュニケーションの基本的な有様の大きな側面である。さすがに、坂村教授である。
【WPC EXPO】坂村健教授、「ユビキタスIDとAuto-IDは方向性が違う」 、Interner Watch、2003/9/17(2006.06.05確認)
情報コミュニケーションの電子化は、1945年以来、計算用具を電子化する革命が始まって今日に至っているので、「ユピキタス」がその究極の姿をイメージしているとは言え、革命を意味しているのではなく、革命の仕上げを意味しているのだと思う。カタストロフィック(破局的)な変化ではなく、エボルリューショナル(漸進的)な進化の果ての姿である。1945年に始まる大変革の波の中にもいくつかの革命といっても良い変化はあった。1980年に開始されたパーソナルコンピュータの登場は、コンピュータを支配者の道具からその他大勢の道具に変えたという意味で革命だった。支配権は明らかに移動した。このとき、「ホスト-端末」のシステムから、「サーバ-クライアント」システムに変化したのである。「ユピキタスコンピューティング」とは、このとき確立した「その他大勢のためのコンピュータ」を人間を取り巻く環境にまで押し広げて徹底した姿である。「ユピキタスコンピューティング」をRFIDタグのことであると言うものまた、違うのである。
坂村先生がどう考えているか歴史観まではうかがっていないが、私は、地上の人と事物がすべて分散協調型に統合する人類史の次の第一歩を意味しているのだろうとおもうのである。
(2)リッチクライアント
名前がすばらしい。「リッチ」である。なんとも上滑りである。こういう命名は最初から誤解されることを狙っているとしか思えない、と皮肉が言いたくなる。これは、サーバ-クライアント間の分散処理形式(クライアント側にもプログラムを置くやり方)のうち、軽く動くように工夫されたシステムのことである。サーバ-クライアント間の分散処理形式は、古来いろいろある。実は、「ホストコンピュータ-パソコン間の分散処理形式(MML、マイクロメインフレーム)」の開祖は、事実上ほかならぬ私なのである。
琵琶ほか、「マーケッティングデータベースシステム MDBS」、研究報告「情報システムと社会環境」、情報処理学会、IPSJ-IS87017002、1987年 11月、Vol.1987 No.081、1987-IS-017
http://fw8.bookpark.ne.jp/cm/ipsj/particulars.asp?content_id=IPSJ-IS87017002-PDF
アメリカでMMLという概念が登場した頃、私はすでに、上記のようなシステムを完成していた。構想時点(1985年)で言えば2年以上アメリカに先んじていたことになる。血気盛んな若かりしころの仕事である。
サーバ-クライアント間の分散処理形式(クライアント側にもプログラムを置くやり方)は、この後に続いた技術である。開祖の私から見れば、昔に比べればはるかに進化した現在のハード&ネットの環境で、この程度のシステムができなくてどうする、と思うので、あえて「"リッチ"クライアント」などと言われてしまうと、興ざめである。
それはさておき、現在の「リッチクライアント」とは何かを説明する。
そのためには、少し歴史に付き合っていただかなければならない。
thin,fat,poor,richという言葉をまず説明したい。thin,fatとはクライアント側のプログラムが軽いか重いかという違いを意味している。thinは軽く速く動作することを意味して、fatとは重くて遅いことを意味している。poor,richとは、クライアント側のプログラムの機能が貧弱か豊富かを意味している。もし、クライアント側のプログラムがこのような言葉で分類できるのでれば、thin&richは機能が豊富で軽く早く動くということだから一番いいということになる。fat&poorは最悪だ。機能が少なくて遅いという意味だからである。システム技術者ならば誰でも知っているし、ユーザもそう感ずるに違いない。
1945年から1985年までの40年間、thin&poorだった。この時代は、ホストコンピュータというセンターマシンが空調のきいたマシン室に鎮座していて、一般の人々は近づくこともできなかった。処理はすべてこのホストコンピュータで行われていた。データの入力やコマンド送信(処理の依頼)は、ホストコンピュータにつながるダム端末(インテリジェント機能のない端末)から行い、ホストコンピュータが処理を終えると、その結果がまたダム端末から印字されて出てくるという仕組みであった。ダム端末はほとんど何もしないのである。絵やグラフを表示することもなかった。これは、まさしく、thin&poorだった。
1985年から1988年、私は有頂天だった。ダム端末の替わりにその当時登場したばかりのパソコンを回線につないだのである。パソコンにパネルシステム(Windowsのような自作のフロントエンドシステム、その後Windowsがこれに替わった)を搭載し、バイオスを直接コントロールして無理やりホストコンピュータとの交信を実現した。パソコン側に入れたプログラムは目的にあわせた特化したシステムなので、動作は速かった。すなわち、当時の環境では最高のthin&richだった。これを私たちは平易に「パソコンとホストコンピュータの分散協調システム」と称した。その後、アメリカでは、マイクロ・メインフレーム・リンク(MML、Micro-MainFrame Link)という概念が生まれた。われわれが完成品について、情報処理学会に招かれて発表したころ、アメリカでは、われわれを追うように概念ができただけで、作られたシステムはなかった。有頂天の時期は長くは続かなかった。インターネットが急速に普及し、すぐに、クライアント-サーバシステムが世界を席巻し始めた。われわれのMMLは日本では2-3年ほどもてはやされただけで廃れた。それは時代のなせることであった。
初期のクライアント-サーバシステムは、パソコンの性能が今ほどではなかったことと、パソコン側にできるだけ汎用的なプログラムを入れようとしたので、どうしても動作は遅かった。つまりは、fat&richだった。ただし、汎用化されたので特注品に比べれば安価になったのである。われわれは、動作が遅くなったことに不満を感じながらもこの新しい流れに、身をゆだねることにしたのである。
その後、ブラウザは進歩し、パソコン側にプログラムを作りこむ必要性が減った。アクセシビリティやユーザビリティを多少犠牲にすれば、安価なシステムができるということで、パソコン側にプログラムを埋め込むことは相対的に少なくなった。現在Webシステムと呼ばれるものはほとんどがHTMLでできていてブラウザにほとんどを任せているものを意味している。このクライアントシステムは、軽いが、今だからこそやろうとすれば実現できる機能を犠牲にしていると言う意味で、thin&poorである。
さらに最近では、パソコンの性能も向上し、回線速度も大きくなった。メモリもたっぷり使用できるようになると、もっとクライアントサイドの機能を充実したいという欲望が生まれてもおかしくはない。されば、ビジネスチャンスではないか、と製造元は考えた。それがリッチクライアントシステムである。thin&richである。軽く動く機能豊富なクライアントシステムを提供しているのがリッチクライアントシステムのメーカである。主なユーザは、定型的なデータエントリが多い人たちである。ネットワーク未接続時においてもクライアント業務処理ができることが重要な条件になっている。いちいちネットを介してサーバシステムと応答しながらデータ入力していたら、イライラが募るばかりだからである。それ以外の人々は期待を込めて導入しても、結果は「ざんね~ん。!!!(去年の流行語)」となる。キラキラチカチカするだけのニギヤカシソフトであるのは認めるが、ウザッタイだけで、邪魔という声も多い。
すなわち、製造元が考えただけなので、売りたいが市場がなかなか形成されないというジレンマがある。ジレンマは、3年になる。3年続いて売れないと、多くのメーカは売るのをあきらめるのである。たくさんあったリッチクライアントメーカはほとんど姿を消した。今は、マクロメディアなど、ビジュアル系の大手が残っているだけである。残ったメーカはさすがに本物を出しているが、まだ「製造元が考えた」という仕様の範囲を超えていないもどかしさがある。
ここには、多くの欲求不満が残っている。人々が期待しているクライアントシステムは、そんなものではないのだ。もっとなにか、、、。そのタネ明かしは別の項で行う。
情報コミュニケーションは、「ユビキタス」でも「リッチクライアント」でも終わらない、ということだけは確かである。


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琵琶

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ユビキタス ユビキタスとは、「ubiquitas」というラテン語をを語源とする「ubiquitous」という英語である。 どちらの言葉も、「どこにでもある」という意味の言葉である。 そのため、「ユビキタス=携帯電話」と勘違いされがちであるが、それは正しくない。 「ユビキタス」はもっと普遍的なものであり、厳密に規格化されていない。 東京大学大学院情報学環教授の坂村健教授は、ユビキタスを「人と事物すべての分散強調」としている。... [続きを読む]

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