草原に生きる習性--我が家の愛犬様(13)
2006/05/04
草原に生きる習性--我が家の愛犬様(13)
大型連休の合間である。今年は、あまり愛犬様のお遊びに付き合っていない。3大学6教科8コマの講義をこなすというのは容易ではない。特に、コンピュータ系の講義なので、毎年講義録を書き換えなければ時代の進歩には付いてゆかない。「毎年」と書いたが、春学期と秋学期に同じ科目を繰り返す大学の講座もあるのだが、学期を越えるともう講義録は古くなっている。3か月もすれば、記述はもう古いのである。
私は、すべての講義で講義録を自分で作成する。当日の朝、学生にはメールなどの電子的手段で届けられる。学期の期間中は寝る暇もおしい。これに加えて、今年は大学院大学の設立のお手伝いを頼まれた。うまくいったら専任教授にしてくれるというエサが付いている。さもしいようだが、正直魅力も感じなくはない。どのような結末になるかは不透明だが、まだ事柄は進行中なので多くは語れない。ネットワークを介した通信制を採用しようという試みである。本拠のある美しい地方都市との往復、書面の精査、システム仕様の検討など、ボランティアの活動が重くのしかかった。今年は申請を見送ったが、来年また申請することになりそうだ。
その合間に、本業のシステムハウスの経営と営業をみなければならない。このブログの更新も滞り勝ちである。
本日の午後は、思い切って仕事を中断して愛犬様を遠くに連れ出すことにした。妻と息子にも早くから宣言して、同行してもらうことにした。
実は、愛犬様は季節や良しで発情気味である。多少、体力を消耗しないと元気をもてあまして、大変なのである。
出かける直前息子はいきたくないと言い始めた。眠くなったのだという。愛犬様は私の外出しそうな気配に有頂天になって叫び飛び上がって騒いでいる。ええい、ままよ、息子を置いてゆこう。愛犬様に「クルマ!」と小さく叫ぶと彼は乗用車に向かって一目散に走る。ドアを開けると一気に助手席へ。助手席は愛犬様の定位置である。妻とともに車にのりこんで、走ること15分、愛犬様は上機嫌である。助手席の左右に忙しく行き交いながら通り過ぎる犬たちに激しく吠え掛かる。私はあわてて左の耳に耳栓をする。ほうっておくと鼓膜が傷ついてしまうのだ。そうこうするうちに、妻の携帯がなる。息子からである。外出の支度をしているうちにわれわれに出られてしまったと息子はややご機嫌斜めらしい。取って返すことにした。愛犬様はかくしてドライブを予定よりも長く楽しむことができたのである。
もう一度、私たちが乗る乗用車は、江戸川の土手を目指した。愛犬様にとっては初めての道も通ったので、後半はやや緊張気味、窓から鼻を突き出してにおいをかいだり、周囲の景色を確認したりと忙しい。
やがて、緑豊かな農地が広がる江戸川沿いに到着する。愛犬様の興奮は頂点に達している。実は、このあたりにはめずらしい駐車場があるのである。駐車場にクルマを入れて、歩き出すと、もうたまらない。愛犬様はこの青々とした草の茂みが大好きなのである。ぐいぐいと綱を引いて愛犬様は進む。息子は40メートルの綱をいつもの引き綱に継ぎ足す。すぐに土手に到着する。土手は、初夏の若草に覆われている。イネ科らしいツンツンとした葉の草が高低を作って60-90センチには伸びている。1メートルを超える箇所もある。夏には150センチから2メートル以上にもなるが、今の時期はまだそこまでは大きくない。野生化した大麦の葉や穂も混じる。ヨモギやアカザの大株もある。愛犬様は、ケモノ道らしい細い踏み固められた場所をすばやく見つけると、これを駆け上がる。私も一緒に走る。愛犬様は草の中を掻き分けて走るのは大好きである。一気に土手の上に上がるとそこは舗装された人の道である。とはいえ、両側は高く草が茂る。胸を張って、風を切るように半ば走り、半ばはや足で駆け抜けてゆく。時々、道端の草群れにおしっこをかけてテリトリを宣言することも忘れない。河原に下りる階段を見つけると、愛犬様は走って降りようとする。綱を引く私は足元が危ない。息子が駆け寄って、綱ヒキを替わってくれた。妻も私も河原に到着すると、愛犬様を先頭にわが群れ(家族)は、川に近い土手下を上流に向かってこぞって走る。左手にとうとうたる川がながれ、右手が小高い土手である。河原は最近草が刈られたらしくほぼ平坦である。一方、右手の土手は伸びた草がそのまま茂っている。土手の斜面に私が足をかけて誘ってみると、すっかり喜んで、愛犬様は土手の中腹に駆け上がり、草の中を駆け回る。急勾配の土手もたいそう気に入っているらしい。胸を張り、クビをピンと上に上げた体勢で走る。威風堂々という風情だが、良く考えると、草の茂みの中で行動する際のもっとも合理的な体勢である。下のほうは草が密集しているし、草の葉は硬い。上に行くにしたがって、草の密度は下がり、葉は柔らかいのである。顔に当たる打撃は、顔を上げておくことで少なくなる。私は感心して観察しているが、私の関心などどこ吹く風である。群れ(家族)がそろって近くにいる、草の中を走ることを許された、と、まぁ、これだけのことでうれしくてたまらないのだ。愛犬様は上に行ったり、下に行ったり、前に走ったり、後ろに向かったり、長い綱を操る息子は大忙しである。
私は、土手の上に移動して愛犬様を手招きで誘うと、一気に土手上に駆け上がってくる。土手上をさらに上流に向かって歩くことにした。愛犬様は、尻尾をフリフリ、人の道を歩く。左右は高い草の壁である。右手の土手下から幼子のはしゃぐ声が聞こえた。と、このとき、愛犬様は、びっくりするような行動をしたのである。右の草の壁に駆け寄ると二本足をそろえて、ひょいと立ち上がったのである。クビも長く伸ばして、顔は声のする方向に向けた。草の丈は、立ち上がった彼の頭をまだ越えているが、上にクビを伸ばせば草の密度は低くなる。その高さは、外からは犬がいるとは見えない程度には隠れながら、相手はしっかり見える位置なのである。あぁ、この犬は、広大な草原で生きる犬なのだと納得がいった。
思い返してみると、愛犬様は、いつもの散歩道でも、草の生えているところを好んで歩く。ウンチをするところも、草の生えているところである。土がむき出しになっているところや、コンクリートの道路では決してしない。そういえば、庭の出入り口に生えている芝代わりのシジヒゲの一画では、もぐりこんだり、腹ばいになったり、仰向けになったりして、体を擦り付ける姿がよく見られている。草とともに生きていた動物の習性が彼の体の中には脈々と流れているのだ。
今度は、左で大人の声がした、土手下に来た人々が大声で笑ったらしい。愛犬様は早速左に走り寄ると、またひょいと立ち上がって、土手下の河原の人影を草のすだれ越しに確認している。いわゆるチンチンの姿勢である。結構長く立っていられるのにはあきれるくらいだ。そうかそうか、私たちに甘えるポーズをするときに、立ち上がって、とんとんと手を私たちの体に打ちかけるのは、このしぐさの応用動作なのだ。
なんだか、愛犬様についての理解が深まったような気がした一日だった。愛犬様は、今、ぐっすりと寝込んでいる。やや疲れて満足したのかも知れない。
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琵琶
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