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寄せられた若き感想--社長の条件(21)

2006/05/15
寄せられた若き感想--社長の条件(21)

私のゼミ学生たちが、私のブログの記事を読んで、感想を書いてくれた。今回は、学生らの感想を紹介する。

非常勤の教師が大学でゼミを持つことはほとんどない。正直なところ他に例を聞かないのだが、私が通っている大学のひとつでは、非常勤の講師の幾人かにゼミを担当させる試みをしている。社会の風に学生らを触れさせる機会を設けさせているとも考えられる。大学の意図とは別に、学生らの本音に触れて切り込んでは打ち返されるゼミの時間は、私にとっては、いつもスリリングで楽しい時間だ。
私のゼミは「問題発見ゼミ」と総称される複数のゼミのうちの一つで、私のシラバスでは「戦略的情報組織論」を柱にすると宣言している。また、25年の実業経験をもつ私は、社長業についても語る予定であるとも書いてみた。今年は、結果として集まった学生の中には、すでに会社経営に参加して取締役となっている者もいた。これから、起業したいと思っている者もいる。もちろん、会社の経営には関心はないが情報組織論に関心があると言うもののほうが多い。19歳から21歳までの学生たちである。・・・いかにも、若い。
さて、私のブログの記事のうち「社長の条件」としてシリーズに加えたものは、これまでのところ次のような20本になっている。
次の社長たちに--社長の条件(1)
企業理念と8原則--社長の条件(2)
「戦い」について--社長の条件(3)
3つまたは5つの戦略--社長の条件(4)
人望は必要か--社長の条件(5)
組織を活かす力、改革する力--社長の条件(6)
部下の教育指導--社長の条件(7)
戦略的情報組織学(再論)--社長の条件(8)
高度な技術と"安^3(アンスリー)"--社長の条件(9)
無駄なことにも価値がある--社長の条件(10)
海外人材はお安いか、と"安"スリーツール類--社長の条件(11)
「株主利益最大化」のまやかし、クリステンセンはかく語る--社長の条件(12)
話力は組織を作る、永崎一則氏の発言から--社長の条件(13)
報償について、もう一度クリステンセン--社長の条件(14)
損をしない価格破壊者になれ--社長の条件(15)
貧すれども貪せず、われらアネハにあらズ--社長の条件(16)
「あやかしの術」を見抜く力を--社長の条件(17)
「"一人にしない" 情報コミュニケーションシステム」へ、新春に思う--社長の条件(18)
本業こそ社長の仕事、ライブドアは本業赤字--社長の条件(19)
営業の極意--社長の条件(20)
社長の条件(1)~(20)となっている。今書いている記事は社長の条件(21)であり、順次(22)、(23)、、、となってゆくはずである。
ゼミ学生たちは、各記事の要約を作成して、その上で感想を述べている。各記事ごとに感想を書いている学生もいるし、まとめて、感想を書いている者もいる。
その、いくつかをここで紹介してみたい。
若き感想(1)は総合的感想の紹介で、若き感想(2)は個別の記事についての感想の紹介である。

☆若き感想(1)--総合的感想の紹介
「(a)現役学生取締役のイ君」の感想はきわめて控えめである。今遭遇している実体験のほうが文字で読む間接的教訓よりも強烈だろう。その他の学生の感想と対比してみるとおもしろい。
「(d)経営云々には今まで全く興味が無かったニ君」の感想は、私が予想していた感想に一番近いものである。ロ君やハ君の感想は、中間にある。

(a)現役学生取締役のイ君
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これから自分も実務などを通して、肌で感じられたら社長になる条件をクリアしていけるのかなと思います。
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今回社長の条件を読んでの感想として、今すぐ役立つ情報が多かったかと言われればそれほどたくさんあったようには感じませんでした。
営業やあやかしに関しても自分にまだまだ経験がないので、自分である程度経験を積んだときに本当に社長の条件の価値が出てくるように感じます。
自分が未熟すぎてまだまだ実感が沸いてこないだけであり、記事自体はやはり尊敬すべき情報ばかりでした。
これから自分も実務などを通して、肌で感じられたら社長になる条件をクリアしていけるのかなと思います。
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(b)三度の飯よりサッカーが好きなロ君
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当たり前のことを当たり前のように考えることの素晴らしさを深く実感したのです。
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自分が『社長の条件』を読んで感じたことは、企業は一人じゃ成り立たない。と、いうことです。確かに当たり前であり、幼稚な感想かもしれません。しかし、当たり前のことを当たり前のように考えることの素晴らしさを深く実感したのです。事実、この中で「人脈」、「顧客への配慮」、「社会への貢献」、「組織」といった多くの言葉が出てきます。これらの関連してきた人々がいたからこそ、今の企業が、そして自分が成り立ってきたということを指していると思います。また、自分自身、この文章により再認識出来ました。今後も忘れてはいけないと感じました。
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(c)仕事を放棄して生活できないか考え中のハ君
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求められる条件を見ると意外にも基本的な人間として重要なことが多い気がします。
教育ができるのが重要というのがなるほどと思いました。
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社長の条件という題だの文章でしたが、求められる条件を見ると意外にも基本的な人間として重要なことが多い気がします。
大きな事をするには大きな人間でなければならないということでしょうか。
自分の受け持った章を読んだ感想からすると、教育ができるのが重要というのがなるほどと思いました。
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(d)経営云々には今まで全く興味が無かったニ君
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「社長の条件」を「コミュニケーション巧者の条件」と置き換えて読んでいくと共感できる部分が多かった。
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経営云々には今まで全く興味が無かった自分であるが、「社長の条件」を「コミュニケーション巧者の条件」と置き換えて読んでいくと共感できる部分が多かった。
社長を目指す、起業を目指す…ということ以前に、この「常識やルールを守りつつ自分と他人を同時に動かしていく」という行動は、対人コミュニケーションにおいて他者/他集団とのコミュニケーション・コンフリクト(抗争)を回避する上で最も基本的でありながら非常に難しいことである。
このコラムで改めて確認した「社会に出るうえで当然のこと」を常に頭に入れつつ、他者とのより円滑なコミュニケートを図りたいと思う。
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次の「若き感想(2)」では、個別の記事についての感想を紹介する。紹介する感想の書き手は、「若き感想(1)」で紹介した学生と重なる者もいるが、重なっていない者もいることをあらかじめお断りしておく。

☆若き感想(2)--個別の記事についての感想の紹介
「あやかしの術」を見抜く力を--社長の条件(17)
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A君
経営において駆け引きというのはどんな場面でも重要なものであると考える。これは少ないながらいろいろな方に対して交渉、契約、セールスを行ったことに基づいてのものである。この駆け引きの一つにあやかしの術がある。あやかしの術というのは、戦術の一つであるのはもちろん認識してはいるがやはり常套手段と考えてはいけない。戦術と詐欺は紙一重なようなところも多くある。これはこちらの判断ではなく、あちらの判断に委ねられるところであり、どれだけ相手がこれはあやかしではないと認識することがもっとも重要であると考える。ここに相互利益の考えがなければ、とても難しいと考える。駆け引きにおいて法的と人道的なあやかしの判断や定義が同じでないことからこのことは難しいとは思うが、私は決して人道的に反しない駆け引きが結果的に大きな成功をもたらすと考えるので、いつでも正々堂々が一番だと考える。
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「"一人にしない" 情報コミュニケーションシステム」へ、新春に思う--社長の条件(18)
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B君
インターネットの爆発的な普及により、日本は高度情情報社会となった。それに伴い、いろいろな社会的弊害を巻き起こしていった。これはある種のバーチャルによる疎外感が原因かと思う。一人なのにその他大勢とつながっているようでつながっていない満たされない気持ちが存在したのだと思う。
しかし、ハード面の技術的発展がソフト面での今のような新しい流れを巻き起こした。ネットは今やインフラが整えられ、生活必需品となっている。これにより、バーチャルはよりリアルに近くなり、顔の見たこともない人と普通にコミュニケーションとできるようになっている。これこそが本当の意味での「一人にしない重層的組織構造」である。そして、これが当然となっている、なるのが今後の情報社会の流れである。
企業に関して言及すれば、「情報ネットワークシステム」を導入するのは当然とされ、今後どのようにこれを利用し、効率的にコミュニケーションをとっていくのかを議論するステージに来ている。今後このシステムを上手く企業に導入し、上手く使いこなしていくことが強い組織を作っていくのに重要になってくると考える。
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本業こそ社長の仕事、ライブドアは本業赤字--社長の条件(19)
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C君
従業員を育て、的確な指示を与えて効率良く利益を出すために、統率者としてのリーダーという存在があるわけだが、その利益を出すまでのプロセスにおいて最も大切になってくるのが、トップに立つ人間の「格」だと思う。トップの人間1人だけが優れていても組織として成り立たない。従業員への教育がしっかりできる、また、よい教育者を見つける優れた目を持っていることが重要だ。他にも具体例をあげればたくさん大切なことがあるが、1番重要であると思ったのが、世に役に立つことを考えることです。自分たちはこの世に生かされていると思える人は、きっと素晴らしい人格の持ち主であるし、そのような人間がトップにいることで、その会社の「空気」も良くなるだろうし、社会からの人望が集まる流れに乗れると思う。社会から必要とされる会社を生むには、信頼され、必要とされる人間の存在が必要ないはずないと思う。
D君
私もIT企業を経営しているということから深く考えなければいけないと思った。周りからは、「ホリエモンみたいになるんでしょ?」や「ヒルズに会社もちたいでしょ?」、「お金とか有名になるために起業したんでしょ?」などと未だによく言われる。ただ、私が目標にしているのはそんな低い次元ではないと思っている。
私の目標はあくまで「日本を代表する企業を作ること」である。松下、HONDA、SONYのような世界から評価される企業を作ること、ただそれだけである。私は、あまりお金にも名声にも興味がなく、「一度きりの人生なのだから、悔いの残らない人生を送りたい」からとことん大きな目標を掲げて、それに挑戦し続けることが楽しいだけなのである。
もちろん、経営者である以上貪欲に利益を追求することは必須である。堀江氏のやり方はそれが間違った方向に向いてしまったのである。株主のためといっておきながら結局一番損をしたのは皮肉にも株主である。
私は、自分の会社を立ち上げる前から会社は社会に存在する以上公のものだと思っている。始めから会社は株主のものという認識はないし、これからもそう思うことはないと思う。会社は、私のものであり、従業員のものであり、お客様のものであり、社会のものであり、国のものであると思っている。
ライブドアの場合、誤った利益追求をしたせいで結果的に社会、株主などの多くの方に多大な迷惑をかけた。利益やお金というのは、ただしいサイクルで得るものだと思っている。会社がお金を得るためには、対価としてお客様がお金払うサービス・商品を売らなければいけない。これを売るためには、クオリティーをあげなければいけない。そのためには、従業員がきちんと働く給料を払わなければいけない。このためには会社はお金を得なければいけない。というサイクルを行うことで結果として、会社は利益を得て、株主も喜ぶ。マクロで見れば、これは日本の経済活動の一部を担い、どこかに社会貢献しているのである。
私は、正しく利益追求することこそが本当の社会貢献であると思っている。これが、私の目指す日本を代表する企業像である。
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営業の極意--社長の条件(20)
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E君
私自身営業を行っている中で、営業の難しさを痛感している。失敗例としては、弊社の商品を売り薦めることだけを考え、一方的にセールトークをし、あまり好感触を得ることが出来なかったことがあった。別の機会で、ラフな感じで食事をしながら聞き役に徹し、最後にほんの少し商品をお客様に合わせて条件を整え提案したところ、あっさり契約書に判が押されてしまった。仕事を取る気は全くないときに仕事を得るような経験をした。
営業は、お客様の話を真摯に聞き、お客様をよく観察し、ニーズを見つけ、それに合わせて提案していくことが重要であると思う。最近は、営業というもの自体セクション分けすることは無意味なように感じている。誰かと外で会うこと自体営業であり、口コミを発生させる広報であり、その場で企画制作を担うものだと思っている。
なので、私は営業というのはとても一つに表すことができないものであると思っている。むしろ、相手は人なので仕事だろうとプライベートだろうと人間としてのほうが大きく関わっているように感じる。自分自身まだまだ未熟なのでもっと経験したときにまたこのことについて深く考えたい。
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学生らの感想は未熟かもしれないが、大人たちに比べて率直である。

△次の記事: 社長の条件(22)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/08/22_5aa4.html
▽前の記事: 社長の条件(20)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/02/2006.html

琵琶

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情報デザインのワーキング・パスを明かす--情報デザイン研究ノート(7)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2006/5/10
情報デザインのワーキング・パスを明かす--情報デザイン研究ノート(7)

間取りを考えるときには、「ウォーキング・パス(walking path)」というものを考える。その家で生活するヒトが、日常、どのように歩くかを考えるのである。「ウォーキング・パス」がもっとも単純化し、総距離がもっとも短くなる間取りがもっともよい設計である。
さて、音は似ているが、別の言葉に「ワーキング・パス(working path)」というものがある。
たとえば、家を建てるときは、まず土台を作ってから、柱を立て棟を立ち上げ、そして屋根を葺く、、屋根ができると、床や壁を張る、、、というようにもっとも効率的で失敗の少ない手順(ワーキング・パス)がある。弁慶・義経の糊作りにも、飯粒はいっぺんにつぶさずに少しずつつぶすのがよいというワーキングパスの教訓が述べられている。それでは、情報デザインに取り組む際のワーキングパスはないのか、ということになる。

情報デザインの作業にもワーキング・パスはあるのである。今まで多くの人が情報デザインの原理をいろいろに提案している。多くは、経験主義的な思いつきの範囲を超えていない。ここに、私が書くことが、おそらくこの分野では本質的に初めての原理に触れる内容となるだろう。機会を見て、いずれかの学会で、少し詳しく発表する予定であるが、その予告編でもある。

先の記事(情報デザイン研究ノート(5)情報デザイン研究ノート(6))で、私は、情報デザインとは、情報コミュニケーションの断面であることを明らかにした。
私は「情報コミュニケーション」に関する新たなモデルを提案しているので、これに沿って説明を続ける。
詳しくは、発表論文発表時に使用したパワーポイントに譲る。
発表論文にも記載したモデルによれば、情報は人によって受け取られると、「知恵」-->「心構え」-->「行動」、または「知恵」-->「権限」-->「地位」-->「行動」に影響を与えることが示されている。すべての情報が「知恵」によって受け取られるとは限らず、「心構え」-->「行動」となったり、「権限」-->「地位」-->「行動」となったりもする。
しかし、情報の多くは、「知恵」に働きかけ、「行動」や「地位」に影響を与える。今しばらくは、「知恵」について、考えてみよう。
ここでいう、ヒトの「知恵(知性)」とはなにか。「知恵(知性)」には「知識」と「知識処理の方法」という2つの側面があるというのが、私の考えである。
ここで、もう一度、ラリー・スクワイアの記憶の分類を見てみることにしたい。下記に引用する表は、ラリー・スクワイアの記憶の分類表を私が拡張したものである(記憶の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)の表4)。おおむね左の列にラリー・スクワイアの記憶の分類を書いた。右の列は、ラリー・スクワイアの記憶の分類にあわせて私が既存のコンピュータ技術を対応させたものである。また、左の列に二重丸(◎)をつけた行は、ラリー・スクワイアの分類にはないものである。私が付け加えた。したがって、ラリー・スクワイアの記憶の分類を下敷きに、私が大幅に加筆したものと理解していただきたい。

長期記憶の分類の拡充
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4 長期記憶(LTM) ・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のデータ・情報・知識、プログラム
 4.1 陳述記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のデータ・情報・知識
  4.1.1 エピソード記憶 ・・・・・・・・事例ベース
  4.1.2 意味記憶 ・・・・・・・・・・・・意味ネットワーク
 ◎4.1.3 構造化(メタ化)記憶・・・・フレーム
 4.2 非陳述記憶 ・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のプログラム
  4.2.1 手続き記憶 ・・・・・・・・・・・プロダクション・ルール
  4.2.2 プライミング ・・・・・・・・・・・ZigZag(意味ネットのノードが事例または
                      知識ユニット)
 ◎4.2.3 社会的配慮(連合記憶)・予期駆動型フレーム
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ここで、スクワイアのいう長期記憶は、「陳述記憶」と「非陳述記憶」に分かれている。この分類は、やや神秘主義的で、私は気に入らない。西洋人は大脳の働きを神秘主義のベールに包みたがるので、その悪しき傾向が出ているような気がする。私は、この二つを「知識のデータベース(知識ベース)」と「知識処理の方法(知識獲得と推論のエンジン)」であると大胆に宣言したい。スクワイアのいう「非陳述記憶」とは、記憶ではあるが「体得的推論方法の記憶」であり、記述できるような「知識のデータベース」ではないのである。
簡単のために「一瞬の知恵(知性)」も、ここでは割愛する。「長期の知恵(知性)」に限れば、ヒトの「知恵(知性)」には、「知識のデータベース(知識ベース)」と「知識処理の方法(知識獲得と推論のエンジン)」があるのである。
ここで、先に述べたもうひとつの簡単化(情報が知恵を経由して受け取られるという仮定)をすれば、情報デザインとは、受け手の「知識」と「知識処理の方法」に到達しやすく情報を加工するということになるのである。
情報デザインとは誰かが作ってくれたり、出来上がっているもののことではない。すなわち、人々が日常的な営為として行っているデザイン作業なのである。この営為が目指すものは、よりよき情報コミュニケーションである。とすれば、よりよく相手の「知恵」に働きかけなければならない。よりよく相手の「知恵」に働きかけるということは、とりもなおさず、受け手の「知識」と「知識処理の方法」に到達しやすすいように情報を加工することである。
相手の知識とのよりよい結合を果たし、相手の推論の道筋に乗りやすい形で情報を提供することが情報デザインの営為なのである。
ジャーナリストはわかりやすい記事を書くために、「例示」「類似」「対比」「比喩(暗喩)」などを多用する。また、「要点は3つ」などのように、ヒトが知識を整理する際によく使う方法(「知識処理の方法」)を利用するのである。情報デザイン作業をする際に、今のこの瞬間は「知識」と「知識処理の方法」のとぢらに働きかけようとしているのかを意識すれば、ずいぶんと意欲的で効果的なデザインが出来上がるはずである。たとえば、WEB情報デザインの7つのナビゲーションシステムも、受け手が予想する「知識処理の方法」にあわせていることなのだと理解すると、もっと柔軟な応用が生まれてくるはずである。
経験主義的な「ワーマンの帽子掛け」の呪縛から開放され、もっと自由で効果的なWEBデザインが発見できるはずである。

すなわち、情報デザイン作業におけるワーキングパスは、受け手の「知識」と「知識処理の方法」のいずれかに向かう道である、ということができる。

ここで、「情報の受け手」という言葉を使用したが、「発信者」や「受信者」には、どんな種類があるのかについては、別の機会に述べる予定である。
また、情報デザインの場面も「知恵(知性)」を対象としない場合や、短期記憶にかかわる場合についての補足は、別途取り上げる予定である。

△次の記事: 情報デザイン研究ノート(8)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/06/8_c5a7.html
▽前の記事: 情報デザイン研究ノート(6)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/03/2006.html

琵琶

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  ・その他、シリーズ外

キャンパスメイト制の提案--心理、教育、社会性の発達(20)

2006/5/9
キャンパスメイト制の提案--心理、教育、社会性の発達(20)

以前、キャンパスメイト制の導入を提案したところ、会場での反響もあったが、その後の反響にも大きなものがあった。
ネットで「キャンパスメイト制」と検索すると、このことを取り上げた私のブログの記事「一人にしない教育者と、一人にしない教育を--感性的研究生活(6)」が出てきてしまうくらいである。
海外の教育事情に明るくないのだが、アメリカのいくつかの大学では、CampusMateProgramという名称で、私が言うキャンパスメイト制に近いものが導入されているようだ。
私が提案するキャンパスメイト制は新入生と先輩ボランティアをセットにするもので、下記のようなものである。
キャンパスメイト制--私の提案
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新入生4-5人に先輩ボランティア1-2名でキャンパスメイトを作る。
大学生活のイロハを先輩とともに体験する。
先輩ボランティアにはあらかじめ「ノートのとり方、ごみの出し方」などの講習を受けてもらってメイトリーダ資格を与える。講習は半期15回相当の選択制で、1単位を授与が望ましい。メイトリーダのボランティアを1年間実践したら、さらにもう1単位授与するというもの良い。
優秀なメイトリーダは表彰する。
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国内では、「キャンパスメイト」というソフトウエアパッケージが売られていたり、大学のホームページに「キャンパスメイトのページ」があったりするが、人間の制度としてのキャンパスメイト制はないようだ。
私のイメージに一番近いキャンパスメイト制は武蔵大学のキャンパスメイト制で、もっぱら留学生を対象にしたものである。武蔵大学の試みは大いに賞賛すべきである。しかし、一方、今の日本人の学生も、親元を離れた留学生のようなもの、海外からの留学生と同様にキャンパスメイトをつけてあげなければ大学生活と学習のマナーに戸惑うばかりというのが実情なのではないだろうか。
また、私の提案は、サークル活動に参加すればおのずと解消するという意見もないとはいえないが、学生のサークル離れは言われて久しいし、現在のサークルが以前に比べるとこれらの機能を果たしていないように思えてならない。大会で優秀するためのジムや訓練所にはなっていても社会性の獲得には無関心な指導者が多いような気がする。実際、指導者たちは社会性の獲得の教育を受けてこなかった世代なのだから止むを得ないとも思われるのである。現在の指導者たちが受けたころ、教育現場に立っていた教員はすでに「社会性を教育することを知らない」世代だったのだから(「教育心理学」の限界と希望やはりあった「教師の本音」)、まったく止むを得ない現象なのだ。ましてや、学生たち同士に任せていては、成果に大きなばらつきが生まれる。
私は、すべての講義でグループ学習を導入して、学生らの助け合う活動を奨励しているが、学生任せにしていればうまくゆかないのには100余の例がある。常に教師が愛情を持って学生らの活動を見守っていて、いつでも手助けしてあげるつもりでなければうまくは行かないのである。本来の社会性は彼らの体の中にあるので、少しだけ手を貸してあげれば、息せき切ったようかれらは成長する。その瞬間がたまらなくて、今日も私は教壇に向かうのである。

参考
1)私の提案に一番近いが、留学生対象に限定。これを新入生全体に拡大適用したら良いと思う。
武蔵大学の留学生向けのキャンパスメイト制度
2)人間ではないキャンパスメイト制
富士通の製品
横浜市立大学のサービス
3)その他の例
学生アルバイトの例
(キャバクラの店名にもこの種のものがあるようだが、当然ながら割愛した)

いろいろな大学で、各大学の実情にあった大学の新入生向けのキャンパスメイト制を導入してみてはいかがだろうか。
たくさんの方のご意見をいただければ幸いです。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(21)
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▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(19)
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琵琶

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金沢大学のいらだち--心理、教育、社会性の発達(19)

2006/5/8
金沢大学のいらだち--心理、教育、社会性の発達(19)

YOMIURI ONLINEは、5/7の記事として、下記を掲げた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/kikaku/064/13.htm
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生活の基礎必修科目に
金沢大学が新入生に
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金沢大は2006年度から、ノートの取り方からゴミ出しの方法、薬物乱用や悪徳商法への注意などの指導を授業として行う「大学・社会生活論」を全新入生の必修科目(1単位)として設ける。いわゆる一般常識を大学で教える形だが、文部科学省によると、入学時のガイダンスではなく授業で行うのは「聞いたことがない」という。
 大学・社会生活論は前期のみ全15回。毎回テーマを変え、学内外の専門家を講師に招いて講義する。
<後略>
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金沢大学では、以前から、同様の試みをしていることが知られている。
http://www.kanazawa-u.ac.jp/faculty/kiko/houkoku050908.pdf
これを読むと金沢大学の教員の皆さんの焦燥感-苛立ちが痛いほど伝わってくる。この焦燥感は、日本全国に共通するもので、決して金沢大学固有のものではない。むしろ、全学を挙げた対策に乗り出しているという点で、まことに特筆すべき快挙と言うべきだろう。
しかし、学生らの評判は、いろいろのようで、父兄らの驚きも隠せない。批判的な学生の代表的な意見は、「こんなことをする時間があるのならば、もっと別の教科に時間を当てたい」というものである。教員らは、通常の教科の講義をしても付いてこれない学生が圧倒的に増えた現状に対する苛立ちを感じているので、批判的な学生の思いと教員たちの思いは完全にすれ違ってる。いつの時代も「親心、子知らず」なのだ。おそらく、批判的な学生らは、自分たちの悲惨な有様に気づいていないのである。
一方の教員の側もよく考えなければならないことがある。「ゴミ出しのしかた」、「ノートのとり方」なども、大切である。しかし、これらの知識だけを与えても、これらの学生には効果的だろうか。ゴミの捨て方が悪い学生に注意したことのある教員ならば、何度か「捨て方くらい知っていますよ。ただ、今は、ちょっとうっかりしただけです」という反論を聞いたことがあると思う。彼らは、「(暗記した)知識」はあるのだが、実際には知識を使うべき場面やその使い方をしらないのだ。ましてや習慣になどなってはいないのである。「知性があれば、知識も活きる」が、「知性のない知識は、役に立たない」のである。
「知性を磨く」にはどうするのか。昔は、賢人の書物を読んで仮想的な知的体験を積むことによって知性は磨かれた。今の学生が賢人の魂に触れて感動するだけの事前体験をしているだろうか。否である。社会のいろいろな出来事を理解し、賢人が対処した感動的なドラマを理解するには、それ以前に家族や学校、地域などでの人とのふれあいや、交流、社会の成り立ちや、組織の中での立ち居振る舞いのイロハを知らなければ無理というものである。
社会性の発達なくして知性の発達はないのである。知性なくしてマナーを教えても、マナーは丸暗記されるだけで、実際の場では利用されないに違いない。
金沢大学の先生方に僭越ながら申し上げます。学習と生活のマナーを学生たちに教えるという偉業に心から敬服いたします。多くの大学でも見習うべきでしょう。しかし、他方、学生たちに社会性の獲得を促す手助けもしていただければ幸いです。もちろん、他の大学においてもです。
高校までの各学校(幼小中高)の先生方にもお願いです。子供たちに孤立と競争を教えるだけで済ませることは辞めてください。社会貢献こそ、わが身を助けると教えてください。子供たちに互いの信頼と協調とを教えてください。仲間たちと力をあわせた行動の成果を褒め称えてください。社会では、人は知識の寡多で評価されるのでなく、人をいかに助けたかで評価されるという事実を教えてください。
キャンパスで、学習と生活のマナー教育をすることとともに必要なもう一つの提案を次の記事には書きたいと思う。

たくさんの方のご意見をいただければ幸いです。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(20)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/05/20_31a1.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(18)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/04/18_3db6.html

琵琶

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草原に生きる習性--我が家の愛犬様(13)

2006/05/04
草原に生きる習性--我が家の愛犬様(13)

大型連休の合間である。今年は、あまり愛犬様のお遊びに付き合っていない。3大学6教科8コマの講義をこなすというのは容易ではない。特に、コンピュータ系の講義なので、毎年講義録を書き換えなければ時代の進歩には付いてゆかない。「毎年」と書いたが、春学期と秋学期に同じ科目を繰り返す大学の講座もあるのだが、学期を越えるともう講義録は古くなっている。3か月もすれば、記述はもう古いのである。
私は、すべての講義で講義録を自分で作成する。当日の朝、学生にはメールなどの電子的手段で届けられる。学期の期間中は寝る暇もおしい。これに加えて、今年は大学院大学の設立のお手伝いを頼まれた。うまくいったら専任教授にしてくれるというエサが付いている。さもしいようだが、正直魅力も感じなくはない。どのような結末になるかは不透明だが、まだ事柄は進行中なので多くは語れない。ネットワークを介した通信制を採用しようという試みである。本拠のある美しい地方都市との往復、書面の精査、システム仕様の検討など、ボランティアの活動が重くのしかかった。今年は申請を見送ったが、来年また申請することになりそうだ。
その合間に、本業のシステムハウスの経営と営業をみなければならない。このブログの更新も滞り勝ちである。
本日の午後は、思い切って仕事を中断して愛犬様を遠くに連れ出すことにした。妻と息子にも早くから宣言して、同行してもらうことにした。
実は、愛犬様は季節や良しで発情気味である。多少、体力を消耗しないと元気をもてあまして、大変なのである。
出かける直前息子はいきたくないと言い始めた。眠くなったのだという。愛犬様は私の外出しそうな気配に有頂天になって叫び飛び上がって騒いでいる。ええい、ままよ、息子を置いてゆこう。愛犬様に「クルマ!」と小さく叫ぶと彼は乗用車に向かって一目散に走る。ドアを開けると一気に助手席へ。助手席は愛犬様の定位置である。妻とともに車にのりこんで、走ること15分、愛犬様は上機嫌である。助手席の左右に忙しく行き交いながら通り過ぎる犬たちに激しく吠え掛かる。私はあわてて左の耳に耳栓をする。ほうっておくと鼓膜が傷ついてしまうのだ。そうこうするうちに、妻の携帯がなる。息子からである。外出の支度をしているうちにわれわれに出られてしまったと息子はややご機嫌斜めらしい。取って返すことにした。愛犬様はかくしてドライブを予定よりも長く楽しむことができたのである。
もう一度、私たちが乗る乗用車は、江戸川の土手を目指した。愛犬様にとっては初めての道も通ったので、後半はやや緊張気味、窓から鼻を突き出してにおいをかいだり、周囲の景色を確認したりと忙しい。
やがて、緑豊かな農地が広がる江戸川沿いに到着する。愛犬様の興奮は頂点に達している。実は、このあたりにはめずらしい駐車場があるのである。駐車場にクルマを入れて、歩き出すと、もうたまらない。愛犬様はこの青々とした草の茂みが大好きなのである。ぐいぐいと綱を引いて愛犬様は進む。息子は40メートルの綱をいつもの引き綱に継ぎ足す。すぐに土手に到着する。土手は、初夏の若草に覆われている。イネ科らしいツンツンとした葉の草が高低を作って60-90センチには伸びている。1メートルを超える箇所もある。夏には150センチから2メートル以上にもなるが、今の時期はまだそこまでは大きくない。野生化した大麦の葉や穂も混じる。ヨモギやアカザの大株もある。愛犬様は、ケモノ道らしい細い踏み固められた場所をすばやく見つけると、これを駆け上がる。私も一緒に走る。愛犬様は草の中を掻き分けて走るのは大好きである。一気に土手の上に上がるとそこは舗装された人の道である。とはいえ、両側は高く草が茂る。胸を張って、風を切るように半ば走り、半ばはや足で駆け抜けてゆく。時々、道端の草群れにおしっこをかけてテリトリを宣言することも忘れない。河原に下りる階段を見つけると、愛犬様は走って降りようとする。綱を引く私は足元が危ない。息子が駆け寄って、綱ヒキを替わってくれた。妻も私も河原に到着すると、愛犬様を先頭にわが群れ(家族)は、川に近い土手下を上流に向かってこぞって走る。左手にとうとうたる川がながれ、右手が小高い土手である。河原は最近草が刈られたらしくほぼ平坦である。一方、右手の土手は伸びた草がそのまま茂っている。土手の斜面に私が足をかけて誘ってみると、すっかり喜んで、愛犬様は土手の中腹に駆け上がり、草の中を駆け回る。急勾配の土手もたいそう気に入っているらしい。胸を張り、クビをピンと上に上げた体勢で走る。威風堂々という風情だが、良く考えると、草の茂みの中で行動する際のもっとも合理的な体勢である。下のほうは草が密集しているし、草の葉は硬い。上に行くにしたがって、草の密度は下がり、葉は柔らかいのである。顔に当たる打撃は、顔を上げておくことで少なくなる。私は感心して観察しているが、私の関心などどこ吹く風である。群れ(家族)がそろって近くにいる、草の中を走ることを許された、と、まぁ、これだけのことでうれしくてたまらないのだ。愛犬様は上に行ったり、下に行ったり、前に走ったり、後ろに向かったり、長い綱を操る息子は大忙しである。
私は、土手の上に移動して愛犬様を手招きで誘うと、一気に土手上に駆け上がってくる。土手上をさらに上流に向かって歩くことにした。愛犬様は、尻尾をフリフリ、人の道を歩く。左右は高い草の壁である。右手の土手下から幼子のはしゃぐ声が聞こえた。と、このとき、愛犬様は、びっくりするような行動をしたのである。右の草の壁に駆け寄ると二本足をそろえて、ひょいと立ち上がったのである。クビも長く伸ばして、顔は声のする方向に向けた。草の丈は、立ち上がった彼の頭をまだ越えているが、上にクビを伸ばせば草の密度は低くなる。その高さは、外からは犬がいるとは見えない程度には隠れながら、相手はしっかり見える位置なのである。あぁ、この犬は、広大な草原で生きる犬なのだと納得がいった。
思い返してみると、愛犬様は、いつもの散歩道でも、草の生えているところを好んで歩く。ウンチをするところも、草の生えているところである。土がむき出しになっているところや、コンクリートの道路では決してしない。そういえば、庭の出入り口に生えている芝代わりのシジヒゲの一画では、もぐりこんだり、腹ばいになったり、仰向けになったりして、体を擦り付ける姿がよく見られている。草とともに生きていた動物の習性が彼の体の中には脈々と流れているのだ。
今度は、左で大人の声がした、土手下に来た人々が大声で笑ったらしい。愛犬様は早速左に走り寄ると、またひょいと立ち上がって、土手下の河原の人影を草のすだれ越しに確認している。いわゆるチンチンの姿勢である。結構長く立っていられるのにはあきれるくらいだ。そうかそうか、私たちに甘えるポーズをするときに、立ち上がって、とんとんと手を私たちの体に打ちかけるのは、このしぐさの応用動作なのだ。
なんだか、愛犬様についての理解が深まったような気がした一日だった。愛犬様は、今、ぐっすりと寝込んでいる。やや疲れて満足したのかも知れない。

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琵琶

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