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「人生はお金」の学生に効く言葉--心理、教育、社会性の発達(22)

2006/6/29
「人生はお金」の学生に効く言葉--心理、教育、社会性の発達(22)

1.学生の人生観4区分と8キュービックモデル
私は、今週、すでに3大学6コマの講義を済ませている。明日は「情報システム論」と「情報デザイン論」講義を行う。明日の講義終われば、先週末の「次世代大学教育研究会」の発表以降に実施される講義はすべて一巡することになる。
発表までは、これに間に合わせるべく発表資料を作らなければならないし、そのためのデータの整理もおおわらわだった。発表後、突然、実はとてつもない宿題を負っていることに私は気がついた。
研究会で、私は、いまどきの学生たちの人生観は「社会活動への意欲のある.vs.なし」×「人生はお金だ、YES.vs.NO」という直交する2軸で分析できるということを示した。

             社会活動意欲大 社会活動意欲小
 人生は金じゃない    (A)         (B)
 人生はお金だ       (C)         (D)

この分析は正解だった。(A)(B)(C)(D)の各グループは、場合に応じて成績が伸びたり伸びなかったり、まとまった動きを示してくれた。この4グループに学習成果の大小の直交軸を加えると、立体的な8区分になるので、8キュービックモデルとなったのである。

2.どの種類の学生に教えるのか
一般論として、高等教育に進んでくる学生は、「社会活動意欲がある」×「人生は金じゃない」グループ(A)と考えられていて、このグループ向けに教育がされてきた。実際、このグループは、ハナから社会的リーダになりうる資質が備わっている。その他の(B)(C)(D)の学生群は切り捨てても、人数的には問題にならなかった。よい教師は「もっと社会に目を向けろ」「人生金だなんて了見は捨てろ」といっていればよかった。今でもそういう熱血教師はいる。10年前は、このグループはおそらく90%を占めていただろう。今回の調査の結果では実に30%しかいなかった(1年生対象分、以下同)。

3.ニート予備軍は無視できない大群
しかし、私はニート予備軍の学生が大量に発生していること、そして彼らは、「社会活動意欲がない」×「人生は金じゃない」グループ(B)だろうとめぼしをつけた。このグループは10年ほどには5%位だっただろう。しかしこの種の学生は徐々に拡大して、今回の調査では実に50%に達していた。教育起因性でしかも教師からも見捨てられ放置された学生の大半がこのグループに属しているのである。このブログのシリーズ「心理、教育、社会性の発達」はこの点に焦点をあわせてきたといってもよいだろう。(B)に無理に「金を稼げ」と仕込もうとした教師は多かった。政治家や行政は無批判にこの方針を推奨してきたように私には感じられる。ところがこの学生らは「そんな下劣なことはできっこない、大人ってキタナイ」という心理的抵抗を超えることはなかった。私が行った方法は、学生らの破壊された社会性を再構築するという果てしない徒労とも思える方針だった。学生をグループに分け、グループでの活動を推奨した。調査も手分けして協力すれば早くよい結果がでることを体感させた。グループ活動の成果はどんどん発表させた。グループ活動の楽しさを徹底的に体感してもらうようにした。
その努力の甲斐があって、いくつかの大学ではこのグループの学生も社会性を再構成することに成功し、学習効果も上がった。単位を落とす学生が目に見えて減った。私の教え子にニートは少ないだろうと思った。しかし、1つの大学だけはどうしても成功とは呼べないクラスがあった。グループ活動を呼びかけても、他大学のようにすぐに立ち上がって集まって相談を始めるような様子はない。ちょっとだけ互いの様子を窺うが、立ち上がらない。そばに行って手をとって、さぁ話し合おうと語りかけても男の子は下を向いて、身を硬くしている。他の学生と話し合うのが怖いのだ。密かに冷や汗をながしている学生もいる。
2005年6月ころ、思い立って、この大学のクラスでは講義の演題とは一見関係なさそうな「社会の成り立ち」の講義を実施した。ロビンソンクルーソーの話をして「おおむねヒトは社会なしには生きてゆけない」といったり、「単位組織では、一人は他のメンバーのために1つ以上役に立ち、仲間は互いに助け合い、そのグループは社会に貢献する」という話をした。学生は、シンとなって、私の顔を凝視したり、うつむいたり、上を向いて涙をこらえていたりした。この日の講義の感想文には「大学を出たら、金ばかりの人生かと生きていも仕方がないような気がしていたけれど、違うことがわかってほっとした」「他人はすべて敵と言われ続けていたので、社会に出たら、できるだけヒトとかかわらずに生きていたいと思っていたが、ヒトはみな支えあって生きているとわかってなんだか涙が出てきた」と書いた学生もいた。
学生たちは、無理やり社会性を奪われ、心を捻じ曲げられていたのだ。彼らの十数年の成長期に占める私の話はたった1時間半。わずかなものに過ぎないが、閉じ込められていた本来の自然な心は解放されたのだろうと確信した。続いて、すべての大学で同じ講義を実施した。今年は4月の早い時期にこの講義を行った。手ごたえは十分だった。
彼らの学習効果も上がった。今回の調査では、どの大学の学生も(A)グループ(30%強)だけではなく、(B)(C)グループ(それぞれ、50%強、8%強)もすべて好成績にランクされた。圧倒的な成功だった。それは私にとって誇りにすべき快挙だった。
しかし、発表しながら、心は晴れなかった。わずか10%強とは言え、成績が十分あがらない(D)グループがいるのだ。好成績グループは平均90点くらいになっていた。そうでないグループは平均80点というところだ。これは過去の実感からみても矛盾はない。平均80点くらいの伸び悩みグループの裾野にいる学生は単位を落とすのである。
この10%を救う手立てはないのか。私は悩んだ。

4.「人生は金」×「社会性なし」の学生
「人生観=人生は金」×「社会性なし」の学生について考えてみる。社会性のない人格のまま社会に入っていったらどうなるだろう。社会のルールは彼らにとって快いだろうか。ウザッタク感ずるだけだろう。社会のルールをウザッタク思いながら、金と財産を追い求めたら何が起こるだろうか。自分でこつこつ稼ぐようなことはまだろこしく感ずるのではあるまいか。手っ取り早く、会社の金庫から金をわしづかみにしても心に痛みは感じないだろう。この性格でそこそこかしこければHモンやMファンドの代表くらいにはなるかもしれない。いずれにしてもそれは犯罪である。すなわち(D)グループは犯罪予備軍と言ってよいに違いない。
彼らを放置してよいのだろうか。というと、すぐに「犯罪予備者にお前は迎合するのか」という交ぜっ返しが聞こえてきそうである。いな、そう言われた経験もないわけではない。「迎合」するのではない、正しく導く方策はないのだろうかということである。まぁ、私が「何かよい方法は?」とたずねたのがよくなかった。解を用意しない質問は嫌われる。学生もよく平気で「答えを教えてくれなければ解答できません」などというくらいだから、大学教師だって似たようなものである(?)。

5.「専門性獲得」と「人望の獲得」と「時の運」
今週、各大学の教室で、私は10%の学生に語りかけた。
実は、この学生たちは、私の講義を実につまらなそうに聞いている。たまに寝ている学生もいるが、このグループに属する者たちが多い。おきていても、青ざめた顔をしていて、いかにも義務で座っているという風情なのだ。金にもならない話など聞きたくもないのに、という不満が顔に満ちている。学生の授業評価を実施すると「役に立たない話ばかりでつまらなかった」「答えも教えてくれないで、問題を解くように言われた」というような悪評価(と本人は考える)を激しく書き込むのもこのグループである。
私は、いすから立ち上がってしっかりと前を向いて話し始める。
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統計によれば、「人生の目的は他人よりもお金や財産を持つこと」と回答したヒトは全体の2割弱(18%強)だった。そのうち、社会とかかわりを持つことに喜びを感ずるヒトが8%、ヒトとかかわりを持ちたくないヒトは10%だった。
君たちにはまず、次のような注意をしたい。君たちの多くは、「人生は金じゃない」と答えたクラスメイトが信じられないでいるに違いない。「本音は金だと思っているのに、オモテを飾っているだけだろう」と考えているヒトもいるだろう。しかし、それは間違いだということを注意しておきたい。人生観は人それぞれだが、「人生は金じゃない、棺おけに入るときに周りの人たちに惜しまれて感謝されるようなヒトにこそなりたい」と本気で思っているヒトは多いということを知ってほしい。私もその一人だから、お金はないが、幸いヒトには感謝される後半生を送っている。実際のところ、君たちとこのクラスで過ごす時間が一番楽しい。お金には換えがたい喜びだ。
君たちは、少数派なのだということを自覚してほしい。8割の学生は「人生は金じゃない」と思っているんだよ。
さて、それでは「人生はお金だ」と思っている君たちは間違っているのか、といえば、間違っているわけではないということもはっきりと言いたい。人生観は人それぞれで、誰が間違いということはない。8割強の学生も間違いではないが、2割弱の君たちも間違いではない。それは思想信条の自由というものである。
ただし、「人生はお金だ」のうち「社会性小」の10%の人たちは、他の人々に比べて犯罪を犯しやすいということをよく考えてほしい。自分が、少なくとも犯罪者にならないように心を配ってほしい。警察のご厄介になればお金も財産も失うことになるということをよく理解しておいてほしい。
<ここで、該当する学生らが、驚いたように顔を上げて私を見る>
さて、ここからが大切なところだ。お金を稼げるようになるには、3つの条件がある。
<私は次の3項目を板書する>
①専門性を身に着ける。
②人望を集める。
③時の運に恵まれる。
「時の運」は、ヒトにはどうにもならないが、初めの2つは自分の努力しだいだ。
<顔を上げた数名の学生は、あわてて板書した3つをノートに書き写す>
他人よりも高い専門性を身に着けなければ、他人から尊敬されないしお金も地位も提供してもらえないね。人望がなければどんなに高い専門の知識や技能を持っていても誰も相手にしてくれないよ。自分と周囲のヒトの間の関係をよく観察してみて、自分の人望にかけているところがあれば、それを克服する努力をしなくちゃいけないね。
我田引水だが、高い専門性を目指すならば、私のこの講座くらいは、軽くクリアしておかなくちゃいけないのではないだろうか。
<うんうん、と同じ数名がうなづく>
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手ごたえはあった。私の言わんとしていることは伝わったような気がする。いや、まだ気がするだけかも知れない。しかし、私は私の学生らの理解力を信じている。きっとわかってくれたさ。私は自問自答している。そして、明日もまた自問自答することになるだろう。
結果は、期末テスト後の成績評価(総合評価)の後に見ることにしよう。やや大げさだが、私は、不安と期待で胸がつぶれそうだ。

たくさんの方のご意見をいただければ幸いです。

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琵琶

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いまどき学生の人生観と学習モチベーション--心理、教育、社会性の発達(21)

2006/6/25
いまどき学生の人生観と学習モチベーション--心理、教育、社会性の発達(21)

人生観と学習:「エイトキュービックモデル」の提案--感性的研究生活(13)で述べたように、私は、学生らの人生観と学習モチベーションの関係を部分的ではあるが実証的に捕らえることにどうやら(やっと)成功したようである。
これまでは、このあたりの捉え方はすべて勘に過ぎなかった。他の教員の皆さんに説明しても、いろいろに誤解されるばかりで、正しくは伝わらないもどかしさを感じていた。完璧とはいえないが、事実の一端はしっかりつかんだ。これは紛れもない証拠である。
私は今回の発表で、いまどきの学生の人生観は、次の2軸で説明することが大筋可能で、これらと学生らの学習効果の軸が密接に関係することを示した。
(a)「私欲追求大-私欲追求小」の軸
(b)「社会的評価追求大-社会的評価追求小」の軸
上記2軸(a,b)を従属変数とみなして下の学業成績(c)を目的変数とみなしてもよいかもしれないが、ここでは、その考え方はとらない。学生らの学習経路は迂回路がいくつか考えられるので、学業成績の向上が社会性獲得や私欲抑制に向かわせる可能性もある(と願望している、といったほうがよいかもしれない)。したがって、3つの軸は、極力対等に扱うことにする。
(c)学習効果(学業成績)の軸
Photo
各軸を大胆に大小2つずつに分けると、学生らは(a)×(b)×(c)=2×2×2の8つの立方体に分布する。この新しいモデルを「エイトキュービックモデル」と私は呼ぶことにした。現行入試制度のおかげで学生らは成績で輪切りにされ、入学当初は横一線で入学すると考えられる。その後の学業成績がどこまで向上するかが、教師の腕の見せ所となるわけである。とはいえ、学業成績の伸びは、学生本人の資質と努力にも左右されるので、比喩的にいえば学生の能力と教師の能力の掛け算で決まるということになるのだろう。
「エイトキュービックモデル」は、上に掲げた。
Photo_1
先行するモデル(「成績で釣る--自己撞着的モデル(図の左)」「社会性の獲得と知能の増加--社会的学習モデル(図の下)」「市川伸一の外的要因・内的要因-2要因モデル(図の右)」)と私の「エイトキュービックモデル(図の中央)」の関係は、上図のようなものである。
いずれのモデルも、乱暴に言えば「エイトキュービックモデル」を一平面に縮約したり、1次元に縮約しているものになっていると考えられる。
ちなみに、2要因モデルは、市川伸一、“生徒の発達段階に応じた動機づけの手法を考える”、情報教育サイト、ベネッセ、http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2004/04/01toku_05.html(2006.06.23確認)を参照した。
さて、この「エイトキュービックモデル」に基づいて、学生らにアンケートを実施した。アンケートの実施時期は履修面接時または初回講義の日である。
A大学(情報基礎、1年生、文科混成)、C大学(電算機概論、1年生、経営工学)、E大学(情報処理、1年生、商学部)に実施したアンケートでは、3大学をあわせて159名から回収ができて、142名分が有効回答となった。
着目したのは、次のアンケート項目である。
--------------------------------
(前略)
6.人生についての考え方
 6-1. お金や財産について(択一)
  ①お金や財産は、他人よりも多く持つことが人生の目標だと思う 
  ②お金や財産は、人生の目的とは思わないが、人並みに持ちたい
  ③お金や財産に特別な興味はない
  ④お金や財産に目がくらむような人にはなりたくない
  ⑤その他(具体的に:                             )
 6-2.人や社会との交わりについて(択一)
  ①人や集団と交わって生きてゆくことが楽しい
  ②他人や仲間が喜んでくれたり、他人や社会に役立つ人になりたい
  ③他人や社会に交わるのはできるだけ少なくなして暮らしたい
  ④他人や社会に煩わされずに生きていたい
  ⑤その他(具体的に:                             )
7.教室運営について
 7-1.(省略)
 7-2.知識の獲得について(3つまで選択可)
  ①資格などに結びつく専門的なことを覚えたり、技術を身に着けることが、大学の授業だと思う。
  ②思考の方法や社会の仕組みなど、資格などに結びつかない話は無駄だと思うので、教師はしないで欲しい。
  ③他人よりお金や財産が得られるような知識や技術を学びたい。
  ④思考の方法や社会の仕組みなど、どんな場面でも生きてゆく上で手かがりなるような深い知恵こそ、大学で身につけたいと思う。
  ⑤思考の方法や社会の仕組みなどの基礎的で深い知恵と、専門的な知識や技術をバランスよく、学びたいと思う。
  ⑥よりよい社会の実現のために、自分も貢献できるような深い知恵を学びたい。
  ⑦その他(具体的に:                             )
--------------------------------
6-1では①選択肢を選んだ者を私欲が大きい者、6-2では①と②を選んだ者を社会活動への意欲の高い者とみなした。該当する学生は2×2に分類される。これらの学生の構成比率は、下図の右のようになった。赤字で書き込んだ数字が各部分の比率である。
1
「私欲小×社会性大」という社会的リーダの可能性を示す学生が30.5%いるというのは頼もしい。ニート予備軍である「私欲小×社会性小」のグループが50.4%と相変わらず他を圧倒しているのが目立った特徴である。しかし、私欲大グループが社会性の大小を問わなければ合計で18.6%と無視できない比率を占めていること、中でも犯罪を犯す危険性が高い「私欲大×社会性小」の学生が10%も占めているのは、かなり憂慮すべき事態であると思われる。このような危険性は10年前にはこれほど大きくはなく、1-2%程度ではなかったのか、と思う。経年調査してこなかったので、数字で示すことは難しいが、教室での実感からはそう感じている(発表では、私の教室での実感を図示して示した)。私欲大グループは、ひたひたと忍び寄るように増大しているというのが実感である。
これら4つのグループに属する学生らが6月第一週までに得ている成績をクロスして得られたグラフが上図の左の図である。入学時には、ほぼ全員が60点程度の成績であったと仮定すると、成績の悪いグループが平均80点、よいグループは平均90点程度に上昇したものとみなすことができる。これは過去の実績に照らしても妥当な結果である。中間的な成績は出席点と毎週の課題成績によっており、これから迎える期末テストの成績は反映していない。最大多数のニート予備軍(「私欲小×社会性小」のグループ)の成績が、上昇しているのは、ここ2年ほどの実感と一致しており、このようになるまでのその前の3年間の悪戦苦闘(笛吹けど踊らず)の成果であり、私としては心底誇りにしたい部分である。2005年度と本年度の成功は、それまでの学生参画型の授業に加えて、「社会の成り立ち」という講義を追加したことによるものであると確信している。
2005年度と本年度の成功によって、学生らの多くの学業成績の向上が図れたことになるが、ひたひたと忍び寄る「私欲大」の学生たちには、学業成績の向上が弱いままである。
彼らは、いったい何を望んでいるのかというアンケートの結果は、次のとおりである。
Photo_2
左の図は、私欲抑制的学生群(手前)と私欲優先型学生群(奥)が7-2の選択肢のどれをどの程度選んだかを示している(複数選択)。④⑤の選択肢は口当たりのよい建前的な回答である。当然のことだが建前的な回答では両群にほとんど差が生じていない。複数選択にすれば建前の回答以外の本音の選択肢も選ばれるはずだと期待して設計したアンケートであるが、そのとおりになったようである。実際、私欲優先型学生群は私欲抑制的学生群と比べて①③を多く選び、⑥を少なく選んでいる。
その対比(=私欲優先型学生群/私欲抑制的学生群)をグラフにしたものが、上図の右の図である。
私欲優先型学生群は私欲抑制的学生群に比べて、①を36%も多く希望しており、③については、2.7倍近くも多くを望んでいる。他方、社会貢献の意欲⑥は、半分以下程度しかないことが示された。これは、大学というよりは専門学校に寄せる期待感とよく似ているように思われる。私欲優先型学生群は明らかに私欲抑制的学生群とは違った人生観と就学観を持っているのである。
 ①資格などに結びつく専門的なことを覚えたり、技術を身に着けることが、大学の授業だと思う。(135.8%)
 ③他人よりお金や財産が得られるような知識や技術を学びたい。(265.9%)
 ⑥よりよい社会の実現のために、自分も貢献できるような深い知恵を学びたい。(46.8%)
これからは、これら私欲優先型学生向けの「資格対策コース」を別に立ち上げるか、入学時に切り捨てるのか、通常授業でも専門家教育的要素を取り入れるのか、といろいろな戦略が考えられるのであるが、それぞれの大学運営の方針と絡むところなので、一非常勤講師には判断が難しいところである。
2-3年生に対するアンケートの調査と成績の関係も調べたが、私が担当する2-3年生はすべてA大学の情報コミュニケーション学部の学生である。この学部の1年生は私の講義を受けていない。アンケートの結果は学部の特殊性なのか、上位学年に特有の現象かの判断は困難だが、ニート予備軍(「私欲小×社会性小」のグループ)の数が、80%を超えるというきわめて特異な分布を示しており、コミュニケーションに困難を感ずる学生らが入学していることを示しているものと推定される。2-3年生なので当然専門性の高い教育を実施しているためか、私欲優先型学生群の成績の伸びは大きいが、逆に「手や体を動かしながらの協働参画授業」とはなりにくいために、ニート予備軍(「私欲小×社会性小」のグループ)の成績の伸びが芳しくないことが判明している。私はこの学部の1年生の教科を担当していないが、できれば1年生のうちに克服していただきたい問題ではある。この事実=[教室にやってくる2-3年生はいずれもニート予備軍(「私欲小×社会性小」のグループ)が圧倒的に多い(83.0%)]=は、今回の発表のため作業を通じて、私も初めて知ってかなりのショックを受けているところである。
さて、「エイトキュービックモデル」の有効性ははっきりとした。これには、私はかなりの満足である。学生の人生観と成績の伸び率は大きな関係があり、教師が適切な授業戦略を持って講義に望めばかなりの改善が見込めるだろうところは推測できることになった。
しかし、では、では、具体的には、どうするか、、、。来週からの授業をまた一から考え直さなければならないだろう。悩める大学教師の試行錯誤は、まだまだ続くことになる。

たくさんの方のご意見をいただければ幸いです。

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琵琶

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人生観と学習:「エイトキュービックモデル」の提案--感性的研究生活(13)

2006/06/24
人生観と学習:「エイトキュービックモデル」の提案--感性的研究生活(13)

6月24日(土)は、2つの講義(「情報システム論」「情報デザイン論」)の後、「次世代大学教育研究会」に参加した。私の発表があった。
私の講義の教室と研究会の会場が同じ建物の階違いという便利さだ。
しかし、私はといえば、風邪は引いているし、2つの講義(準備と講義の両方)でへとへとになっているし、発表資料の作成で徹夜はしているし、と最悪のコンデション。ままよ、と参加したものの、前半のおえらいお二方の講演では、こっくりこっくりと居眠りがでる。I先生、S先生ごめんなさい。隣に座っていたY先生が盛んに私のひざをつついて起こしてくれた。感謝です。
後半のトップバッターは私。講演タイトルは「いまどき学生の人生観と学習モチベーション」である。学習モチベーションをめぐる従来の1次元モデルと2次元モデルを質的に超えて、3次元モデルを提案した。それが「エイトキュービックモデル」である。社会性の軸と私欲の軸を直行系とみなして、さらに学生らの学習成果の軸を加えたモデルである。結果として、いまどきの学生をめぐる問題の核心をえぐり出すことに成功したように思われる。
そして、会に参加した大学関係者の心をえぐる発表となったようである。
発表の内容については、別の記事で述べる予定である。

いまどき学生の人生観と学習モチベーション--心理、教育、社会性の発達(21)

研究会後の懇親会では、この研究については文部科学省から予算が出るのではないかというご意見も出された。うれしい限りだが、この種の研究で、私は研究費をいただいたことはない。可能性があるのかどうか、慎重に関係各位にうかがってみたいところである。

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アニミズム的情報デザイン説に微笑む--情報デザイン研究ノート(8)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2006/6/5
アニミズム的情報デザイン説に微笑む--情報デザイン研究ノート(8)

「情報デザインのワーキング・パスを明かす--情報デザイン研究ノート(7)」では、情報デザインの本質が人間が先天的または後天的に獲得している「推論方法=推論能力」に働きかける営為であることを示した。
この真実を知ってしまうとその後の説明はいかにもけだるい。つまらない言葉の落穂拾いに過ぎないように感じるようである。
言葉の落穂拾いも実は重要なのだが、特に若き学徒は結論をせきたがる。過去の人々による具体的な思考の産物を知らなければ、教師(私)がこともなげに語る思考の成果の重要性がわからろうはずもないのだが、私の出した結論から見ると過去の人の発言はいかにもつまらなく感ずるらしい。
先週の情報デザイン論の講義で私は情報デザインの分野で登場している十数の概念について解説した。解説のトップは「アフォーダンス」である。
ここでは、この概念を例に取り上げて、当たり前の結論が思想の世界ではそう簡単に受け入れられているというわけでもない事実を指摘しておきたい。
私の講義録には次のように記した。
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アフォーダンス(Affordance)
「物体の持つ属性(色、形、etc.)が、物体自身をどう取り扱ったら良いかについてのメッセージをユーザに対して発している、とする考え。」
私--実は、先天的または後天的に形成されている人の推測・識別能力に依存している。
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「アフォーダンス(Affordance)」とは、1966年、心理学者ジェイムズ・J・ギブソン(米・James.Jerome.Gibson)が提唱した、(英)(他動)afford(~を与える)に接尾語-anceを加えて名詞、形容詞化した造語なのだそうである。
ジェームズ・ジェローム ギブソン (著), エドワード リード (編集), レベッカ ジョーンズ (編集), 境 敦史 (翻訳), 河野 哲也 (翻訳)、「直接知覚論の根拠」、418p、勁草書房 (2004)
アマゾンの著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)の記述は、ギブソンのいう「アフォーダンス」を簡潔に表現している。
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ギブソンが提唱したアフォーダンス(「生活体との関係において規定される環境の特性」)の概念は、生活体と環境との相互依存関係を指し示している。ギブソンの思想の根幹を成すのは、認識の対象とは「身体内部や脳で生じる外界の表象」ではなく、外界に存在する事物や事象だとする、直接知覚論である
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「物体の持つ属性(色、形、etc.)が、物体自身をどう取り扱ったら良いかについてのメッセージをユーザに対して発している」"かのように見える"のではなく、受け手の人間がどう考えようと物体自身がメッセージを発しているのだという考えである。あたかも事物に精霊がすんでいるかのような考えである。このようなアニミズムとも言うべき稚拙な考えが科学を僭称して大々的に発表されていたのが、わずか40年ほど前の1966年のことなのだから、人類もそう進歩しているわけではないということになるのかも知れない。アニミズムは数100年前に絶えたことになっているはずなのだが。
科学を神秘主義の衣で飾りたい人は多いので、私のように「頭脳が先天的または後天的に獲得した推論能力によるものだ」とミもフタもないことを言ってしまうと、袋だたきに遭いそうである。
たとえば、手ごろな高さでヨコに張った木の枝の近くに人間が近づくと、思わず木の枝をつかんでしまう行動がみられる。これを、神秘主義を尊ぶヒトはそれは木の枝が持っている神秘的な力である、と言いたいのだ。「ヒトがサルだったころの記憶のなせる行為である」と無粋にいうよりは、"神秘的な力"と謳い上げるほうが詩歌のファンタジーとしてはまことにすばらしい表現である。「眼の高さの宙を横切るモミの木の枝は、私の心を捉えて、私の手を自然にその枝へといざなうようだった、、、そのモミの木の枝には明らかに目には見えない精霊がいた」とでも言えばいいのだろうか。美しい表現だ(私は若いころ、詩作をしたりコピーライタをしていたこともある)。しかし、それは、科学だろうか。
このような神秘主義的考え方を支持する実存主義哲学者がいることは私も知っている。予定調和論者も含まれるが、実存主義からの派生である。私は、これらのヒトを批判するつもりもないしこれらのヒトと論争するつもりもない。敬して近寄らないだけである。彼らは神秘主義者で、神秘に仕える神官の身分がほしいだけなのだと地位も身分もない私は(ちょっぴりひがんで)思うだけである。私のような在野の実践的研究者には縁のない雲上の方たちである。
1988年、ドナルド・ノーマンは、これを人間の主観性に依存するものと主張し、ジェイムズ・J・ギブソンの客観説を否定した。
ドナルド・A. ノーマン (著), 野島 久雄 (翻訳)、「誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論」、新曜社認知科学選書、427p、新曜社(1990)
この説の登場によって、「客観説」はとどめを刺されたかに見えたが、通俗的科学の分野ではそうも行かなかった。もちろん学問的分野ではノーマンは勝利し「主観説」が正統理論として受け入れられているのは間違いがない。しかし、通俗的科学の分野では、以来、ジェイムズ・J・ギブソンの「客観説」とドナルド・ノーマンの「主観説」は長く争われている。詩歌を愛するヒトと科学者の違いのようなものだから、両者には歩み寄るすべはないようだ。
ここにきて、実は、「客観説」を擁護する言説がにわかに露出している。
佐々木 正人 (著)、「アフォーダンス-新しい認知の理論」、岩波科学ライブラリー (12)、117p、岩波書店(1994)
佐々木 正人 (著)、「レイアウトの法則―アートとアフォーダンス」、245 p、春秋社(2003)
エレノア・J. ギブソン (著), Elenoar J. Gibson (原著), 佐々木 正人 (翻訳), 高橋 綾 (翻訳)、「アフォーダンスの発見―ジェームズ・ギブソンとともに」、260p、岩波書店(2006)
ほか
いずれの出版も、ドナルド・A. ノーマンの発表よりも後になされている点に注目すべきである。学問的決着とは別に神秘主義好みのマニアックな読者がこのムード的言説を支持しているのかもしれない。
神秘主義を楽しみたい人は、私などが進めている地を這うような実践的研究とは別の世界の人々である。少し微笑んで、学生やスタッフらとともに少しだけ遠ざかることにしたい。
「主観説」にも最近の大脳研究の成果が反映していないもどかしさと限界を感ずるが、「精霊の実在」を要求するような理論よりはましというべきだろう。私は言ってみれば「大脳の知識処理能力説」論者である。あえて「主観説」という言葉を使用しないのは、「主観的」という言葉には実証的ではないという意味が付きまとうので、これを避けるためである。
私は、ときには甘美にして主観的な詩歌の世界にも酔いながらも、我に返ればあくまでも"精霊は主観的にしか存在しない"と言いたいのである。「大脳の知識処理能力説」の立場は、「アフォーダンス」と呼ばれる現象の客観的なプロセスは脳の神経生理学的活動にあると考えるものである。
「アフォーダンスとは、実は、先天的または後天的に形成されている人の推測・識別能力に依存している」と。


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琵琶

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