「情報組織学」から「情報社会学」へ--情報社会学、予見と戦略(1)
2006/7/15
「情報組織学」から「情報社会学」へ--情報社会学、予見と戦略(1)
これまでも、情報組織学に関しては研究発表もしてきたし、このブログにも記事をいくつか書いてきた。
「戦略的情報組織学」,SH情報文化研究会,2005.4.23
組織を活かす力、改革する力--社長の条件(6)
戦略的情報組織学(再論)--社長の条件(8)
話力は組織を作る、永崎一則氏の発言から--社長の条件(13)
組織破断限界シミュレーションの試み--感性的研究生活(5)
「組織破断限界シミュレーションの試み」,SH情報文化研究会,2005.12.10
「"一人にしない" 情報コミュニケーションシステム」へ、新春に思う--社長の条件(18)
情報コミュニケーションの社会性="影響関係"--感性的研究生活(11)
「組織と情報コミュニケーションにおける影響関係モデルの提案」,情報コミュニケーション学会,2006.2.26
これらの記事を書きながら、私は、一方で、いまひとつもどかしいものを感じていた。
情報"社会"学に向かう私の心に手かせ足かせがついているということだった。私の長い長い精神(こころ)の漂流は、愚かしいことと思われるかも知れないが、私なりの精一杯の生き様だった。社会人となって以来、私は長く、「社会」や「政治」という世界や言葉に嫌悪し、恐れ、遠ざかってきた。固く封印してきたと言ってもいい。同級生(故人、保守系無所属)の選挙を手伝ったり、議会での演説草稿を書いてあげたりということはあったが、友達づきあいの範囲と割り切ってきた。彼は例外と言っても良かったが、少なくとも彼以外の「政治」は、テレビとは違って今でもあまりにも暴力的で汚れている。今の私の手には負えない。手を出せばわが身だけではなく家族の身の安全も守れないだろうと思う。今後も決して本気ではこの世界にかかわることはないだろう。それを臆病というならばいいたまえ。
かかわりなくとも、危険は身近にあるのである。
「妻が車に撥ねられる」シリーズのトップページ
しかし、今の社会がどこから来てどこに向かうのか、人はどこから来てどこまで行くのか、というのは(ほかの多くの子供たちと同様に)子供のころから私の心を捉えて離さないテーマだった。なぜ自分が大学で理工系を専攻し、今もエンジニアを生業としているのか不思議なくらいである。今の心の動きは、あまりにも子供じみた感傷かも知れないとも思う。しかし、もうとまらない。私はビジネスと教育の分野で情報システムに半生をかけた実績の上に、情報社会学の世界にもささやかに発言を試みたいと思うのである。ここでも先人の皆様のお叱りをたくさん承ることになるだろうと覚悟をしている。
なにとぞ、暖かくご善導賜れば幸甚です。
「情報組織学」から「情報社会学」へ。
今、私は、「情報社会学、予見と戦略」シリーズを書き始める。
△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(2)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/07/2_8d37.html
琵琶
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