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人類社会は次の激動再編へ--情報社会学、予見と戦略(2)

2006/7/16
人類社会は次の激動再編へ--情報社会学、予見と戦略(2)

私は、早くから1980年ころから始まる高度情報化社会は「参加型市民社会」の時代であることを指摘してきた。

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この図は昔私が奉職した大正大学での講義用に作成したものである。
「ホスト-端末」といわれたシステムが幅を利かせていた時代は、社会組織は主として軍隊を手本に組織されていた。企業も例外ではなく、指揮官である職制が命ずることに逆らうことは基本的に許されなかった。時は大量生産時代、大規模工場でベルトコンベアーが人々の作業速度も制御していた。コンピュータには、「社内ルールの徹底」という任務が課せられていた。いわく「コンピュータがこうなっているので、このやり方をしてください。そうしないと小口現金も清算できません」などという具合に、社内ルール徹底の最大の口実になっていたのである。コンピュータは理不尽な巨人として社員の前に常に立ちはだかっていた。
1980年ころ、マイコンブームが始まる。マイコンブームはマイコンという技術があったから始まったわけではない。社会が理不尽なコンピュータを嫌ったこと、企業は社員の創意工夫を結集能力を持たないと競争に勝てなくなってきたことが、その背景である。事務職の現場では、伝票の転記作業に代表される「固定姿勢、単純反復作業」が大量の若い事務員を必要としていた。彼らの多くは、短期間で体を壊して職場を去っていった女子事務員である。一日中「固定姿勢、単純反復作業」に追われる彼女らは、「ひどい肩こり」「腰痛」--「頸肩腕症候群」という病気にもなった。「頸肩腕症候群」とは、一部の職種では「キーパンチャ病」ともいわれた病気である。「頸肩腕症候群」に罹患すると、重篤の場合、首の周囲の筋肉が壊死して硬くなり、血管を圧迫するために脳の血流が減少し、廃人同様になるケースも発生した。マイコンは、企業の効率化の論理によって歓迎されただけではなく、事務員の生理的苦痛からの解放という切実な要求に支えられて普及して行ったのである。
「人に近づくコンピュータの時代」(1980-1990)
「人類の共生を支援する情報技術の時代」(1990-2000)
「自己実現を支援する情報技術の時代」(2000-2010)
という一連の言葉は、いずれもそれぞれの時代の始まりのころ、私が作ったものである。「人に近づくコンピュータの時代」という言葉は、当時中小企業大学校(当時の通産省、現経産省の管轄)で情報系の技術研修と経営研修の講師を務めていたおかげで、受講生たちが本務部署(省やその関連の団体、試験所、検査所など)に帰って、「人に近づくコンピュータの・・・」という助成金事業や開発支援事業を大規模に展開したために言葉としては一番普及したかもしれない。
「人類の共生を支援する情報技術の時代」とはインターネットの商用利用が普及する時代だった。ちょうどこのころ私は大病からの復帰を契機に、元NHK教育テレビのディレクタだった桜井教授のお誘いで大正大学に奉職することになり、この標語を掲げてこの大学で初めての情報関連講座をひらくことになった。3年ほどしたところで、「共生」という言葉が大正大学ではイメージワードとして建学のころから使用されていることを知った。大正大学への奉職では、偶然がいくつも重なった。大学に初めて訪れたとき、迎えてくれたのは年長のいとこ(仏教学部の教授、後に文学部長)だったのも、ご縁ではあろうけれど直接の手引きというわけではなかったので、まことに不思議な偶然であった。
1997年ころ、情報化の進展が、このような言葉で表されるある種の階段を上るように発展することに、私は関心を抱いた。以前からやぶにらみ的関心分野であった心理学の世界の「マズローの欲求5段階発展説」を当てはめてみると見事にはまるかのごときに見て取れた。この関係も上図には書き込んである。しかし、「マズローの欲求5段階発展説」は、あくまでも「仮説」であり、しかもすべてに当てはまるわけではない。これも偶然の産物なのかも知れない。したがって、私は、あくまでも「まるで、マズローの仮説が当てはまるかのように、社会の情報システムは発展している、、、発展したきた」と説明することにしている。
5つの段階はほぼ10年ずつからなり、各段階は前後5年程度の重なりを見せながら次々と情報化の階段を上ってゆくことがわかったのである。上図を仕上げたのは1998年のことだったと思う。
1980年ころにはじまった高度情報化の波は、30年程度の間に一気にこの5つの段階を駆け上ってきたのである。残りはわずか(4-5年)である。

さて、この市民参加型社会の後にくるものは何なのだろうか、またしても暗黒の時代なのだろうか。「人類社会」または「地球社会」の成立だろうと、私は大胆不敵に捉えることにした。「人類社会」または「地球社会」の成立の法が早いか、地球や人類の破滅を意味する核戦争が早いか、それは私にはわからない。競争関係にあることは事実だろう。「人類社会」または「地球社会」の成立が早ければ、地球や人類の破滅は避けられる。核戦争が早ければ、「人類社会」または「地球社会」の成立する前に、人類は滅びてしまうだろう。

人はいろいろなとき、世界政府の成立という夢物語を語ってきた。世界政治の世界でも第一次国連、第二次国連がそのように期待されたこともある。SFの世界では、もっと華々しい。しかし、現実には、国や地域を越えた本当の社会はまだできていないし、そのための基盤もないのである。政治は社会の発展なくして理想だけでは実現しないのである。職場や地域、家族を基盤にした行政組織や経済組織が磐石である。これは同位置性に基づく単位組織の形成にその根拠が存在する。だからこそ、海や川、山脈などで仕切られた国境の意味があり、これを超えられないのである。単位組織の「同位置性」こそが、世界政府の成立という夢物語を根底から裏切ってきたのである。

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上図は無理やり縮小したので見にくいが、現在の社会構造を端的に表現した私のモデル図である。学会発表としては今年の情報コミュニケーション学会で使用したのが初めてであるが、このモデル図は昨年(2005年)5月ころから私の授業で使用しているものである。
人は、一人で同時に、家族、地域の行政組織、サークル、大学、職場、など多様な組織に属していること、どの組織も3-7名程度の単位組織から構成されており、巨大組織と言われるものも単位組織が3-7個ずつ階層的に積み上げられたものになっていることを示している。どの組織も構成員が次々と入れ替わるが、それぞれの組織としての性質には机辺的な変化は生じない。組織は定常流的実在である。階層的に積み上げられる組織の形式をメタ組織関係という。一方、しばしばメタ組織の枠組みを越えて、人や単位組織はネットワークを構成する。社会はメタ組織関係とネットワーク関係がいわば社会の縦糸と横糸のように構成されている。健全な社会はメタ組織関係とネットワーク関係がバランスよく内包されている。
すべての単位組織は、メタ組織関係を通じて国民国家に統合されているのが、今日の社会の特徴である。この形態は二つの世界大戦を経由して成立したものである。たとえば、企業は、「班」や「グループ」と称される単位組織(3-7名)を3-7個集めて「課」に統合し、3-7個の「課」をまとめて「部」を作る。「部」は同様にして事業部に統合されたり、「分社」にまとめられる。これらが3-7個集まって企業となっている。企業は業界団体に集められ、業界団体は国の行政によって指導されている。また、お楽しみの組織であっても事情は似ている。テニスサークルを例に取れば、地区連合会、県連を経て、全国連合となり、文部科学省に統括される。
国民国家はいずれの国でも多様な民族を内包するが、海岸線や河、山脈など自然の境界によって分けられている。物資とお金の流れは国境を容易に越えてゆくし、人の行き来も多い。多国籍企業も珍しくない。しかし、本質的に越えていないものがひとつあるのである。わずかな例外を除けば、人の集団を成す基礎的要素=単位組織が基本的に国境や地域を越えては構成されていないのである。単位組織が成立するためには、そこに参加する3-7人が同一位置に局在していなければならないのである。単位組織が同一の民族である必要はない。血族や家族の目的をともにして組織としての相互信頼が成立していれば単位組織になりうる。しかし、同一の場所にいなければ単位組織にはならないのである。この制約があればこそ、国民国家が海岸線や河、山脈など自然の境界によって分けられて成立するのである。
さて、近い将来、単位組織の成立要件として同位置性という制約がなくなったら、どんなことが起こるのだろうか。地域やオフィスという制約を離れた企業やボランティア団体が飛躍的に増えるだろう。そのようなものは今でも存在するのだから、新しいことではないと言うものもいるだろうが、その比率が圧倒的に逆転するのである。今は地域やオフィスという制約の下に成立している企業やボランティア団体が圧倒的多数を占めていて、その制約を離れているものは、珍しい存在してテレビに取り上げられるほどなのだ。これからの変化はその比率を逆転する。質の変化は圧倒的な量によって気づかされることになるはずである。
こうなれば、地域行政や国の行政が把握できない経済組織(企業など)や諸団体(スポーツ、芸能、芸術、宗教など)、政治的・社会的組織(政党、組合、…)、反社会的組織(ヤクザ、マフィア、カルト、…)、が地域や国境をまたがって自在に編成されるようになる。これらの組織を束ねる上部機関(メタ組織)は、どの国にも所属しないものになりがちになるのである。社会は国ごとの社会(日本の社会、アメリカの社会、中国の社会、…)ではなく「地球社会」「人類社会」という様相を強めるだろう。国民国家が社会組織を掌握し得ない事態となるのである。
とはいえ国民国家は急にはなくならない。当面の間は、いろいろな対策を講じてこのままの組織を維持しようとするだろう。一方の社会組織は「国家は一人のことを扱うには大きすぎるが、世界のことを扱うには小さすぎる」と不平を鳴らし、国民国家にはもっと小さな政府であることを要求し続けるだろう。その軋みは、さまざまな問題を引き起こすだろう。新しい社会の海の苦しみである。他方では、新しい(地域や国境を越えた)単位組織の上部機関(メタ組織)は安全保障と政策的調整役としての新しい上部組織を要求するだろう。これは世界に群雄割拠と不安定をもたらすに違いない。この時代を人類が努力してそこそこの平和を維持して乗りれきることができれば、世界政府というようなものが成立するかも知れない。そうならなくとも、少なくとも国民国家は今までの社会の最上位の地位を失い、「地球社会」または「人類社会」の下に位置せざるを得なくなるだろう。
2010年からの30年(一世代の時期)は、おそらく、国民国家の力が弱くなり、「世界社会」「人類社会」という様相が強まり、世界的群雄割拠が進み、軍事的・国際政治的不安定の時期を経験するだろう。社会の仕組みはガラガラと変化し、若者たちのビジネスチャンスは大きく広がるだろう。情報システムは単位組織の同位置性(局在性)を前提とする現行のものがすべて役立たなくなり、単位組織の非局在性を前提とするものに作り変えられることになるだろう。情報システムにかかわる企業や人材にチャンスはまた大きくめぐってくる。社会の変化を見間違えなければ、私の若き後継者や教え子たちには活躍の場が大きく広がるはずである。
さて、私の年齢からすれば、2010年ころから始まる数十年の世界史的不安定・発展期が終わるまでの間に、おそらく私は人生を終えているに違いない。私の予言が正しかったかどうかを私が知るのは難しそうだが、私の若き後継者や教え子たちは、その歴史過程を全力で走りぬけ、世界的不安定を何とか人類滅亡の危機にいたらせぬ知恵を持って切り抜ける責任と勇気が嫁せられているのではないだろうか。
ゆけ、若者よ。勇気をもって。

満60歳の記念に。

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琵琶

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