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日本初人工知能システムの経験--アルゴリズム戦記(5)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2006/09/09
日本初人工知能システムの経験--アルゴリズム戦記(5)

実は、1981年4月から1982年7月までの期間、誘導制御システムのアルゴリズム開発を済ませつつ、私はM造船様向け「全船種対応簡易設計積算システム」の設計・制作指揮・製造にあたっていた。「全船種対応簡易設計積算システム」は日本でフレーム理論をはじめて応用した人工知能システムとなったのである。おそらく実用的な人工知能システムとしても日本初だっただろう。フレームユーティリティは前年に國井研究室の先輩が完成しており、これを活用してゆくことになっていた。SE20名、プログラマ50名、パンチャー20名ほどの体制だったと思う。プロジェクトの元締めは日本科学技術研修所だった。4月に当社に入社したF君(修士)と私はコンビを組んだ。タンカーなのかカーゴ(貨物船)なのか、油も荷物も運ぶのか、総排水量はどのくらい、などの数十項目の基本要件を入力すれば船舶の基本的な簡易設計ができてご予算の見積もりもできるはずという経験豊かな現場の皆さんの思いを実現する仕組みだった。脱落者が相次いだので、途中から私がサブリーダのひとりとなった。徹夜続きで後半になると帰宅できるのは月に2度くらいだったと思う。元締めのボスはF女史という知力と体力と気力に満ちた女性で、この方の迫力に引きづられたといってよいかも知れない。
ハードウエアはIBM3000シリーズ、開発言語はS-FORTRAN(構造計画研究所製、構造化フォートラン)であった。データフレームと論理フレームに分離し、論理フレームには処理の選択が記述できるようにした。論理フレームは実は多量のCASE文で書かれた。論理フレームとは今で言う「予期駆動型フレーム」の原始的なものであった。お忙しい現場の皆さんに多大な時間を費やして作成していただいた簡易設計の手順書や見積もりの手順書を元にフレームは書かれたが、数千枚に上るフレームの大半をF君と私が書いた。フレームがなければ、膨大な見積ルールを計算するプログラムは果てしなくて完成にはいたらなかっただろう。

フレームの概念図:(私の講義録から)
Photo_8

開発の途中からスクリーンエディタが導入されたので、キーパンチャの必要性はほとんどなくなった。時代の変化というものである。そのころから私は3名ほどいたサブリーダの一人になっていた。
ユーザと応答するインターフェイス、フレームを駆動してアプリケーションシステムにくみ上げる部分、各項目に付属する処理プログラム(今風に言えばメソド)は、プログラムにしなければならない。プログラマと言えば当時実業の世界にはコボルのプログラマくらいしかいなかった。M造船の採用担当部署では大量の面接をこなしてコボルプログラマの中からいくらかでも柔軟な頭脳の人を探し出して採用するようにしていたようだが、ヒトの思考法をそのままプログラムに記述することになれたすばらしいプログラマであっても、ヒトの思考方法の道具を「思考の背後」にまわって作るとなると、混乱し、わけがわからなくなり、出勤しなくなり、都内からどこかに転居してしまうようなひともいた。「思考の背後」にまわりこむなどという体験は、それまでほとんどのヒトに体験がなかったからである。私とF君は引き続きHIPO(Hierarchy plus Input Process Output)といわれる設計書を書いてプログラマに渡す仕事に移っていった。HIPOも二人で数千枚は書いただろう。
最終段階は、作業場所が霞ヶ関ヒビルの52階(?)くらいのフローアに移った。私は、ナレッジエンジニアとプログラマとSEとPGの全部を任務としてやっていた。人工知能の考え方があまりにも従来のプログラムとは異なるので脱落者が多く技術者の補充が利かなくなっていた。開発は遅れがちで予算もなくなっていた。最後の数か月は無給だった。さすがにF君には引き上げてもらった。ついには、プロジェクトリーダに繰り上がった×高氏とサブリーダの私の2人だけになって、黙々と深夜に及ぶ作業をしていた。
ある日の午前3時頃、突然の地震が東京を襲った。×高氏は帰宅し、広い作業場には、私と、若くて屈強な男性オペレータさんの二人だけだった。高層ビル上層階のゆれは大きい。嵐の大波に揺られる船の中のようにフロアの端から端までゆっくりと大きく揺れる、その上にこぎざみな揺れが加わってくる。電灯はすぐに切れた。こぎざみのゆれでも1.5~2.0メートルくらいのゆれ幅はあっただろう。巨大な画面がついた端末機が、奥行きのある作業台から次々と床に落ち、大音響を立てて炸裂する。私は立つことができない。私は床の上に転がり激しく滑ってとめようがなかった。一緒にいたオペレータさんも転がっていた。オペレータさんはシステムをシャットダウンしようと何度も立ち上がってマシン室に駆け寄ろうとするが到底できることではない。もう、間に合わな~い、マシンがコワレる~、オペレータさんの悲痛な声が響いたがどうにもならなかった。マシンはとうとう復旧しなかったが、半日前までの開発成果はディスクパックに残っていて無事だった。
こんな体験をしながらも何とかシステムは完成し、それまでM造船では50名ほどの営業チームが2か月もかけて作成していた見積書が2人で2-3日も作業すれば完成することになった。激しい受注競争において国際競争力を確保したのである。M造船の担当者の皆さんが新橋の居酒屋で開いてくれた慰労会でのお酒が本当においしく感じた。「このシステムこそが、日本の造船業界の救世主になる」とどなたかが話していた。
この仕事で私が発明したものはないが、人々に知られることの少なかった人工知能システムの実際に取り組む貴重な体験を非常に早い時期にしたのである。先人の経験が聞けない仕事の大変さも十分に味わったが、私は人工知能の何たるかを体で理解した数少ない日本の技術者の一人になったのである。

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琵琶


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