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社長は最高の営業マン、「上から下まで-その5」--社長の条件(28)

2006/09/29
社長は最高の営業マン、「上から下まで-その5」--社長の条件(28)

ミニシリーズ:社長の条件「上から下まで」(全5回)
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1.目指すは上流にあり 「上から下まで-その1」--社長の条件(24)
2.システム開発業の上流工程と下流工程「上から下まで-その2」--社長の条件(25)
3.上流工程と下流工程の複雑な経済事情「上から下まで-その3」--社長の条件(26)
4.上も下も「上から下まで-その4」--社長の条件(27)
5.社長は最高の営業マン「上から下まで-その5」--社長の条件(28)
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社長たるものが企業の舵を取る際の留意点について、さまざまに述べてきたが、社会の生産活動には上流工程から下流工程にいたるとうとうたる流れがある。数回に分けて、この問題について、説明する。

(前稿から続く)

5.社長は最高の営業マン
(1)感謝される営業マン
「社長は最高の営業マン」という言葉がある。この言葉があるからと言って、「社長」になればだれでも「最高の営業マン」になれるのかというとそうは行かない。それはひどい誤解である。「最高の営業マン」であれば「社長」になれる可能性があるのである。
「最高の営業マン」とは、手練手管で相手を篭絡するに長けた人のことではない。もちろん値引きさえすればよいというわけでもない。
「最高の営業マン」とは顧客が、「ありがとう」と言って感謝を込めてお金を支払いたくなるような人のことである。どうすれば顧客は感謝してくれるのだろうか。「顧客が言っていることをして差し上げる」という人は30点である。実業の世界では落第である。「顧客が望むことをして差し上げる」のが正解である。
「顧客が言っていること」と「顧客が望むこと」は実は相当に異なっている。「顧客には望んでいること」があるのに、正しく表現できないことが多い。顧客はシステムの専門家ではないのだからシステム用語をいろいろと取り違えている場合もあるが、「今までにない何か」を実現しようとしているのだから、それは従来のビジネスモデルにもビジネス用語にも存在していないことが多い。正しく表現することなど土台無理なのである。そればかりではない、激しい欲望やかつてない利益の可能性などが脳裏に掠めているとき、人は突然シャイになり婉曲な表現しかできなくなる傾向がある。それとなくそれを察したら、正当な経済活動である限りは、恥じることではないですよ、と軽く話しかけてみるとよいことさえある。
「顧客が言っていること」の中から「顧客が望むこと」をすくい出すのは、口で言うほど簡単ではない。そのために優れた営業マンは顧客の趣味の話題(巨人軍、亀田親子、つり情報、映画、直木賞発表などなど)をさりげなく交えながら、リラックスした関係の中で顧客に本音を語ってもらいながら、聞き取ったことを手元で図や文章にまとめて、お望みはこのようなことですね、と示すことが肝要である。それらが「お望みのとおり」であれば、発注され、完成したときに、顧客の口からは「ありがとう」の言葉があふれ出てくるに違いない。
「お望みのとおり」とおりと思ったことも、たびたび起動修正に迫られることがある。抽象化された「要件定義」は肉付けしてしてゆくにしたがって、後から付加される内容がどんどん多くなる。広く採用されているウォータフォールモデルでは、付加しても付加する前と基本的には内容は同じはずというトンデモ理論に基づいている。内容が付加されれば付加される前とは異なる部分を含むのである。こんな簡単なことがなぜ一般的に認知されないのか不思議な業界である。付加される前とは異なる部分が顧客の「望みどおり」であれば問題はないが、望みどおりであることは理論上保証されているわけではない。肉付けする営業マンか、彼から仕事を引き継いだクリエイティブ技術者のどちらか、の眼力と顧客理解能力が高ければ、「望みどおり」でない危険性は減るが、完全になくなるわけではない。肉付けを進めるごとに顧客にその内容を伝えて了解を取る必要がある。最後のユーザテストになって大きな食い違いが発見されるようではどこかでそのコミュニケーションがうまく行かなかった結果に相違ない。最初に決めた取り決めが完成時にはまったく別物になっていることもままあるのである。システムの開発が進むにつれて、時間とともに、顧客も開発側もできる事を新たに発見したり、両者協議の上困難な課題を回避したりすることもよくあるからである。開発側も変化し成長するがお客様も知識を増やして賢くなってゆく。変化する両者がキャッチボールしながら軌道修正を進めるのであるから着陸点が当初の予定地点からかなり離れてしまうこともあるのである。では無限に離れてしまう危険性はないのかといえば、ないわけではない。その危険性に歯止めをかけるものは納期と予算である。開発する側は、システムの仕様を変化されながら、変化に伴う予算と納期の変更可能性(危険性)を常に提示している必要がある。この変化の幅を理解しながら顧客は着陸点を探すことになるし、開発側もスタッフらに対するたずな捌きを加減することになる。
最初から最後まで、気持ちよく軌道修正を進めて、顧客が最終的に望むところに軟着陸ができれば、顧客は満面の笑みを顔を浮かべて「ありがとう」と言って約束のお支払をしてくれるに違いない(「営業の極意--社長の条件(20)」参照)。

(2)社長は最高の営業マン
社長は社員や協力者、仕入先からの信頼も厚くなければならない。銀行や監督官庁からも信用されなくてはならない。そしてなによりも社長は顧客からもっとも信頼される人物が望ましい。
顧客は、自分の望みを理解してくれて、妥当な品質と価格で実現する手段方法を提供してくれる人を信頼する。上記(1)の意味で「最高の営業マン」でなければ信頼されることはない。
「社長であれば最高の営業マン」ではなく、「最高の営業マンでなければ社長にはなれない」のである。諸君には最高の営業マンになることを期待する。諸君には、その潜在能力が十分にある。営業マンとして鍛えられる機会も多い。いまはまだ不十分でも、すぐに良い営業マンの一人にはなれるだろう。その後「最高の営業マン」に達するには、なんといっても経験と努力しだいである。
言い方を変えると、社長は最高の営業マンであり続けなければならないのである。
(本稿、ミニシリーズ「上から下まで」はここで一応終了である)


△次の記事: 社長の条件(29)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/10/29_669e.html
▽前の記事: 社長の条件(27)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/09/427_67f9.html

琵琶

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上も下も、「上から下まで-その4」--社長の条件(27)

2006/09/28
上も下も、「上から下まで-その4」--社長の条件(27)

ミニシリーズ:社長の条件「上から下まで」(全5回)
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1.目指すは上流にあり 「上から下まで-その1」--社長の条件(24)
2.システム開発業の上流工程と下流工程「上から下まで-その2」--社長の条件(25)
3.上流工程と下流工程の複雑な経済事情「上から下まで-その3」--社長の条件(26)
4.上も下も「上から下まで-その4」--社長の条件(27)
5.社長は最高の営業マン「上から下まで-その5」--社長の条件(28)
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社長たるものが企業の舵を取る際の留意点について、さまざまに述べてきたが、社会の生産活動には上流工程から下流工程にいたるとうとうたる流れがある。数回に分けて、この問題について、説明する。

(前稿から続く)

4.上も下も
(1)「目指すは上流」は、最初の一歩
「目指すは上流」と初回に書いたので、「上流だけを目指せばいいんだ」と勘違いしている者がいるかもしれない。前回の記事「上流工程と下流工程の複雑な経済事情、「上から下まで-その3」--社長の条件(26)」を虚心に読んだ人は、「大切なのは上流工程だけではない」ということに気づいただろう。
私は大学教育の現場の立場から「心理、教育、社会性の発達」のシリーズで、社会性の発達不全を取り上げてきた。一方、企業の中にも「会社人」(「社会人」ならぬ)としての発達が不十分で、下流工程だけに拘泥している未発達の社員がいたりすることもよく知られている。これらの人たちは上流工程に真摯に取り組む先輩たちをくさしたり、仕事の妨げになったりしている。かれらは先輩の迷惑、仲間の迷惑、会社の迷惑である。しかし、知らない者は知らないのだからやむをえないとも言えるので、未発達の人たちのために「目指すは上流」と呼びかけたのである。だからといって、「上流を目指す」ところでとどまっていたら社長候補はまだ失格である。上流工程だけに拘泥して足腰に当たる中下流工程をないがしろにすれば日本的経営環境では企業が生きてはいけないからである。
(2)上中下流一貫体制こそが日本の健全な会社経営
いとことで言えば、顧客にとってほしいのは結果である。「部分的な作業」がほしいわけではない。結果に対して正当な支払いかどうかを、さまざまな経済バランスの中で図っているのである。上流工程も中下流工程も実は結果とは無関係であるが、よく見えて判断できるのは顧客の希望に密着している上流工程だけである。下流工程に行くほど顧客からは見えにくく、勝手にやってくれればいいと思う作業である。しかし、上流工程に正当な支払いをしようとすれば口利き屋が横取りするかも知れないので、上流工程の相場は低く抑制的になっている。低くした分を名目上中下流工程に支払うのである。上流工程の相場は低いということは、口利き屋が介在していなくとも厳然として存在するので、顧客担当者が上司に予算を相談するときに仕事に対する正当な金額を提示すれば即座に却下されてしまうのである。
・上中下流一貫体制
 よい仕事をすれば、総額は多く支払われる。
 上流工程が内実高く評価されるが低く支払われ、下流工程は内実の評価は低いが高めに支払われる。
 下流工程のほうが工数・部品が多いので単価がわずかでも高くなると総額が多くなる。
・上流工程だけの体制
 よい仕事をしても、相場は低く総額は少ししか支払われない。
 上流工程が内実高く評価されるが低く支払われ、下流工程は請け負わないので支払いの対象にならない。
・中下流工程だけの体制
 よい仕事をすれば、フリータと同じくらいの人件費程度が支払われる。
 下流工程しかできない集団は内実の評価が最悪なので低く支払われるにすぎない。
 下流工程ではたくさん働いて総額が小さくなる。
どの体制がよいのだろうか。答えはひとつである。「上中下流一貫体制」だけが健全な経営の可能性を約束するのである。
この原理は日本に固有の原理であり、欧米にはないようである。どんな立派な経営学の教科書にも載っていない日本固有の原理である。あぁ、また、他には知られたくない知識をここで公開してしまった。
(3)上中下流工程の短縮、一体化について
産業革命が起こり、一人の職人がひとつの製品を材料の調達から仕上げまでを担当する生産活動が一変した。分業と協業が始まりマニュファクチャが興った。蒸気などの動力が導入され、工場生産となり、分業と協業はいっそう深化した。べルトコンベア式の組み立て工場も、ひとつの部品を筐体に取り付けるだけを担当する労働者を大量に必要とした。生産性は向上したが、何かが変だった。チャップリンは、そのおかしさと非人間性を彼の喜劇で痛烈に風刺した。
第二次大戦後、復興する日本で「サークル活動」「品質向上運動」というものが工場の作業現場に急速に広がった。部分的な労働に明け暮れる現場で不良品が絶えず、生産性の伸びを著しく阻害していたからである。作業者が仕事の後に車座に集まり、全工程のどこに不良品が発生したかを上流工程の作業者も下流工程の作業者も語り合い、明日の改善を約束して散会する「サークル活動」だった。工場主や資本家だけがこの運動を喜んだわけではない。労働者もこの運動を楽しみにしており、喜んでいた。なぜだろうか。人はものづくりでは全工程を理解し、全体を正しく制御することに喜びを感ずるのである。部分的な労働よりも、一人でひとつの作品を作る職人が憧れの対象なのは昔も今も変わらないのである。この憧れを生産性工場のために抑制してきた人たちはサークル活動にこの救いを求めたのである。
実は、情報システムはこの分業と協業の間を埋めるものとして発展してきたのである。この話題は別の機会に述べる(「菊地昌典ゼミの思い出」と関連している)。一連の作業を分業し協業するためにはそれぞれの作業の間を制御統合するする必要がある。これは監督と呼ばれる管理職の仕事だった。否、今でも管理職の仕事の大切な部分である。しかし、別の経営が別々の工場間の制御統合も必要であり、情報の共有などの課題も多い。作業者の間、工場や別の企業間の情報の交換と企業を超えたスピーディな制御が必要であった。この要請にこたえるべく発達したのが情報システムであると言ってもよい。
高度情報化社会といわれる情報社会の高度化発展の時期も後数年を残すばかりである。続く高度に発達した情報社会(発展してしまった後の)では、もう一度、一人の人がすべての工程を成し遂げる方向に一部は回帰しつつあることも事実である。システム開発においてはアジャイルソフトウエア開発のスタイルなども広がっている。
もしかすると、システム開発企業が上中下流工程の一貫体制を作るということにとどまらず、一人の技術者が全部の工程を一貫してできることが絶対条件となる時代がもうすぐそこに来ているのかも知れない。少なくともシステム技術者として尊敬を集めるのは、全工程をカバーするクリエイティブ職人に限られるのは目に見えている。実は、すでにいまもそうなっていることにシステム技術者ははっきり自覚しなければならない。「プログラムがかけます」だけではだれも尊敬はしてくれないのである。いまどきの「プログラマ」という言葉には、はなはだ残念だが、「貧乏な便利屋」というイメージがチラついてしまう。上から、下まで、全工程を熟知し使いこなせなければ尊敬されないのは、紛れもない事実である。
システムハウスの社長は職人の頭(かしら)である。配下の職人だけではなく周囲の職人からも尊敬される技能の持ち主でなければならない。「社長はクリエイタ」でなければならない理由もここにもあるのである。
(本稿「上から下まで」は次回につづく)

△次の記事: 社長の条件(28)
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琵琶

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上流工程と下流工程の複雑な経済事情、「上から下まで-その3」--社長の条件(26)

2006/09/27
上流工程と下流工程の複雑な経済事情、「上から下まで-その3」--社長の条件(26)

ミニシリーズ:社長の条件「上から下まで」(全5回)
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1.目指すは上流にあり 「上から下まで-その1」--社長の条件(24)
2.システム開発業の上流工程と下流工程「上から下まで-その2」--社長の条件(25)
3.上流工程と下流工程の複雑な経済事情「上から下まで-その3」--社長の条件(26)
4.上も下も「上から下まで-その4」--社長の条件(27)
5.社長は最高の営業マン「上から下まで-その5」--社長の条件(28)
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社長たるものが企業の舵を取る際の留意点について、さまざまに述べてきたが、社会の生産活動には上流工程から下流工程にいたるとうとうたる流れがある。数回に分けて、この問題について、説明する。

(前稿から続く)

3.上流工程と下流工程の複雑な経済事情
(1)目指すは上流工程
一般論として、利益を生む工程は上流工程にしかない。下流工程では、常にフリータと競合するはめになる。フリータの価格は、フリータの生活費とほぼイコールである。企業は直接人件費(=社員の生活費)のほかにオフィス代や営業人件費などが必要である。システムハウスは、通常、最低でも直接人件費の2.1~2.2倍の売り上げがないと倒産する。フリータでも立派な仕事をする人は多い。よい仕事をする人は、当社のようなシステムハウスにも雇われるが顧客に直接雇われることもある。当社のような企業がフリータの人たちと同じ仕事だけをするというのであれば、顧客はフリータを直接雇ったほうがはるかにお安いのである。彼らのお値段と同じ価格で当社などが顧客から受託すれば何が起こるだろうか。オフィス代や営業人件費などの経費は当然支払えない。たちまち倒産してしまうだろう。
上流工程は、中流から下流にかけてたくさんの人間が働く道筋(方向性)をつくる仕事である。たくさんの人たちを効率よく働かせることのできる仕事は、成功すれば大きな利益を生む仕事である。顧客に大きな利益を生む仕事は他の仕事よりもたくさんの分け前に預かってこそ正当である。
(2)上流工程は採算割れが現実
しかし、事柄はそう簡単ではない。日本の商慣行には、上流工程に多額の支払いをするという考えが存在していない。これは、利権屋(*)(=口利き屋)が横行する日本の商環境ではやむを得ないことなのである。何もしない口利き屋があたかも上流工程をこなしているかのように振舞って、真に知性的な仕事をする上流工程の技術者を食い物にするからなのである。顧客は、名簿上上流工程を担当している人や会社に対して高額の支払いをすることを躊躇する。名簿上上流工程を担当している人が本当に上流工程をこなしているのかどうかほとんどわからないからなのだ。当社のように明らかに社長が身なりも構わず眠い目をこすりながら自ら実務をこなしているのはわかりやすいが、高そうなブランド品に身を包んだ口利きや屋が顧客の前で下請けから聞いてきた話を口パクしているのはわかりにくい。口利きや屋はおおむね演技力が優れているのである。したがって、日本における上流工程の相場は実態から離れてひどい低価格なのである。
--------------
 (*)利権屋(=口利き屋) 実は彼らをすべて「利権屋」としてくくるのは正当ではない。8割のいかがわしい口利き屋のほかによい顧客に我々のような良質の企業を紹介してくれてかつ心正しい2割の仲介業者がいる。この人たちは、たいてい上流工程のすべてまたはその一部をこなして、かつ利益配分についても商人道に則った心正しい気配りを見せる人たちである。この人たちは日本の経済活動にとってある意味で必要で正当な役割があり、その意味で正しく報われるべきである。我々が上流工程のすべてをカバーでき知名度も大手に比べて遜色なければ仲介業者も不要だが、われわれにも及ばないところも多い。努力してもわれわれの及ばない領域での能力を発揮する人がいる。われわれもその2割を見極める眼力を磨き、その人たちをも超える努力を不断に払いつつも、越え得ない場合は引き続き尊重し活用する必要がある。しかし、残りの8割はひどい者たちなので、顧客も口では尊重しつつ、横を向いて顔をしかめているのである。ひどい8割と2割はなかなか見分けられない。気づいた時にはすべてが終わっているころであることが多い。 

(3)なぜ、上流工程を握ると利益が生まれるのか
この実態に手を焼いている顧客は、優れた成果を上げる業者に対して総体では高く(正常価格を)支払うのである。何を言っているのか、わからない? 上流工程には採算割れの単価を設定し、その代わり、中下流工程にはやや高めの単価設定を認めるのである。言い換えれば上流工程で優れた成果を上げる業者の中下流工程は、高い単価となっているのである。ここで、経営や営業の素人は、とんでもない誤解をするのである。素人マンたちは、「ならば、安くてタイヘンな上流工程は省いて、高めの中下流工程だけにすれば楽でたくさんお金がもらえる」とトンチンカンに考える。そして、現在せっかくいただいた顧客からの上流工程のお仕事をありがたがるのではなく「こんな仕事やってらんねぇよ」などとふてくされたりする。そんな考えの人は、フリータになるべきである。そんな人が社員である限りそれは顧客の迷惑、会社の迷惑、仲間の迷惑である。自ら進路を考え直すべきだろう。なぜ? って、まだわかりませんか。だって、その彼が(単価が安いから)いやな上流工程の仕事をやって見せなければ、顧客は中下流工程に高い単価など支払うはずはないのである。上流工程は別の人に頼んで、中下流工程はフリータに頼めば安くても喜んでやるだろう。もし、会社が受託する仕事の単価がフリータの単価よりいくらかでも高いならば、それは上流工程を会社の誰かが直接は報われなくとも安価に黙々と引き受けているからなのである。顧客は上流工程に支払うべき料金を中下流工程に上乗せして払っているのである。
わが社では、今までは、主として年寄りばかりが上流工程に取り組んできた。この年寄りたちはまもなくもっと年老いて会社を去ってゆくのである。今の若い諸君が上流工程を目指さないでどうして会社経営などできようか。
少年よ大志を抱けという言葉があるが、青年はもっと強く大志を抱かなければならない。君たちならばきっとできるだろう。たいした努力もせずに(失礼)ここまでこれたのだから、少しの努力を毎日重ねれば、たちまち年寄りの技術者たちに追いつき追い越すことができるはずだある。いまよりも、ちょっとだけ余計に気を働かせて仕事に取り組むことをお勧めする。
(本稿「上から下まで」は次回につづく)

△次の記事: 社長の条件(27)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/09/427_67f9.html
▽前の記事: 社長の条件(25)
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琵琶


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システム開発業の上流工程と下流工程、「上から下まで-その2」--社長の条件(25)

2006/09/26
システム開発業の上流工程と下流工程、「上から下まで-その2」--社長の条件(25)

ミニシリーズ:社長の条件「上から下まで」(全5回)
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1.目指すは上流にあり 「上から下まで-その1」--社長の条件(24)
2.システム開発業の上流工程と下流工程「上から下まで-その2」--社長の条件(25)
3.上流工程と下流工程の複雑な経済事情「上から下まで-その3」--社長の条件(26)
4.上も下も「上から下まで-その4」--社長の条件(27)
5.社長は最高の営業マン「上から下まで-その5」--社長の条件(28)
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社長たるものが企業の舵を取る際の留意点について、さまざまに述べてきたが、社会の生産活動には上流工程から下流工程にいたるとうとうたる流れがある。数回に分けて、この問題について、説明する。

(前稿から続く)

2.システム開発業の上流工程と下流工程
わが社が取り組んでいるシステム開発の仕事にも、上流工程と下流工程がある。
世の中のシステム構築のテキストには書かれていないことをここに明らかにしよう。
上流工程には、次のようなものがある。

<上流工程>
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(1)要求要件定義
顧客の意図を解明する。
(2)システム目標の策定
開発すべきシステムの目的と目標を確定する。
(3)情報設計
情報の収集(分布と歴史、ルーツなど)、情報の組織化、ナビゲーションシステムの設計、検索システムの設計などを進めて、情報設計(情報デザイン)の基本を定める。
(4)アルゴリズム提案
アルゴリズムを創案する。
-----------------------------------

世の中のシステム構築のテキスト(腐ったテキスト)には、これらのことが何も書かれていないことが多い。本当のことを知らぬ物書きがいかに多いかがわかろうというものである。これらの続く中流工程には次のようなものがある。

<中流工程>
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(5)要求仕様の策定
情報デザインとアルゴリズムに基づいて、要求仕様が決定される。要求仕様は、いわば未然のマニュアルのようなものである。
(6)システム設計
システム設計が行われる。システム設計には、ハードウエア環境とネットワーク環境、そしてソフトウエアの構成が明らかにされる。
「システム設計書」にプログラムの仕様書を書いているものがいるが、システム技術者と自称しながら、実は「システム」というものを知らないに違いない。コンピュータのシステムは、プログラムだけでは成立しない。コンピュータハードウエアとネットワークとプログラム、これに人間たちが加わって初めて「コンピュータシステム」になるのである。
(7)ソフトウエア基本設計
機能設計、視覚設計、構造設計を行う。
(8)プログラム仕様
プログラムマに対する作業指示書である。
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これらの作業を上流工程と勘違いしている者がいる。これらの作業は、すでにその前に考えられたある種の枠組みの中でしか意味のない作業である。
これらの中流工程の作業成果に踏まえて、デザイナやプログラマ、オペレータが実際の制作を進めるのである。この実際の制作が下流工程になる。

<下流工程>
-----------------------------------
(9)プログラミング
最適なプログラム言語を組み合わせて使用し、プログラムを書き進める。
(10)デザインワーク
事前に制作した設計書類に応じて、色や形を編み上げてゆく作業である。
(11)音楽や映像の制作
場合によっては、音や音楽、映像(ストリーミング)の制作をする。
(12)テスト環境、本番サーバ環境等の設定
オペレータの仕事であるが、なかなか厄介な作業ではある。
(13)監督
これらの作業の進捗と統合された方向性を維持する。SEの仕事である。
(14)テスト
テスト要員は、別のプログラマクラスが担当することが多いが、設計に携わったSEが責任を持って承認する。
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(9)~(14)までが、いわゆる下流工程にあたる。
下流工程は、各自の作業範囲が明確で、作業内容の良否は監督者の責任にもなるので、事細かな指導が受けられる。駆け出しのシステムエンジニアもどきには最適な工程である。
一方、上流工程は、顧客の気まぐれに翻弄される部分であり、我慢と柔軟な姿勢が必要で、縦横無碍にして強靭な精神が要求される。人付き合いが苦手というシステム技術者は多い。そのような人たちは、下流工程にばかりとどまろうとする傾向がある。
実は、顧客の気まぐれと見えるものは、顧客の願いと仕事をする側の意識のずれにしか過ぎない。顧客のせいとはいえないのである。わざと意地悪をする客も多少はいるが、わずかである。

ところで、ここでは、上流・中流・下流と工程を分けて記述したが、必ずしもこの順番で作業が進むわけではない。かならずこの順番で作業は進むと仮定するのがウォータフォールモデルであるが、これは堂々と語られているウソ、または誤解である。ウォータフォールモデルは元請けが下請けイジメをかるためには格好の「理論」だか、現場にいてその正当性を信じている人はほとんどいない。まじめに仕事に取り組んでいるほど新しい考え方(「スパイラルモデル」「アジャイル開発モデル」)に熱心である。実際、これらの工程は、渦を巻くように行きつ戻りつ、作業が進むのである。このことについては、別の記事(「人類社会成立の予兆、ミクシィ・WEB2.0など--情報社会学、予見と戦略(3)」の「3)アジャイルソフトウエア開発・オープンソフトウエア開発」の項)でやや詳しく述べてある。
(本稿「上から下まで」は次回につづく)

△次の記事: 社長の条件(26)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/09/2006_1.html
▽前の記事: 社長の条件(24)
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琵琶

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目指すは上流にあり、「上から下まで-その1」--社長の条件(24)

2006/09/25
目指すは上流にあり、「上から下まで-その1」--社長の条件(24)

ミニシリーズ:社長の条件「上から下まで」(全5回)
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1.目指すは上流にあり 「上から下まで-その1」--社長の条件(24)
2.システム開発業の上流工程と下流工程「上から下まで-その2」--社長の条件(25)
3.上流工程と下流工程の複雑な経済事情「上から下まで-その3」--社長の条件(26)
4.上も下も「上から下まで-その4」--社長の条件(27)
5.社長は最高の営業マン「上から下まで-その5」--社長の条件(28)
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社長たるものが企業の舵を取る際の留意点について、さまざまに述べてきたが、社会の生産活動には上流工程から下流工程にいたるとうとうたる流れがある。これから数回に分けて、この問題について、説明する。

1.目指すは上流にあり
世に上流工程、下流工程という言い方がある。ファッションブランドの基本デザインを決定するデザイナの仕事がある。基本デザインにしたがってさまざまな体型や年齢層に合わせて展開するモディフィケーションデザインのお仕事もある・これらは比較的上流の工程に属している。出来上がったデザインをもとにプリント地の生産を担当したり、切り型を起こしたり、縫製したりボタンづけする作業は下流工程という。出来上がった洋服にタグをつけたり、たたんで箱に詰めたり、発送したりするようなもっと下流の仕事もある。配送された品物を店頭に飾って、店頭にやってきたお客様とやり取りして品物を買っていただくさらに川下(かわしも)のお仕事もある。下流工程のお仕事は下等であるとは言えない。仕事に貴賤はない。どのお仕事がなくとも、ファッション製品のお仕事は成立しない。
ここで取り上げる「上流」とは皇族・華族などのことではない。ましてやヒルズ族などの「族」とは無関係である。
どんな業界であれ、上流工程から下流工程までの滔々たる流れがあるのである。
経営者は、上流工程から下流工程のどこに自社を位置づけるのか、どの部分に特化するのかを正しく判断しなければならない。上流工程に特化する考えもあるだろうし、下流工程にいてどこにも負けない企業もある。とぢらにも一長一短があり、それぞれの苦労もある。たとえばアパレルでは服地の生産は下流工程になるが、デザイン会社よりはたいてい立派な大企業である。上流工程の企業が大きくて下流工程の企業が小さいという先入観は間違いである。ところで、各企業が思い定めたそれぞれの会社としての仕事の範囲の中にも上流工程と下流工程がある。服地の生産会社にも顧客(市場)の要求にこたえるべく種類と生産量を決定する企画者がいる。素材や加工技術を開発したり調査する人たちがいる。これらの上流工程をこなす人たちがいなければ、工場で機械を調整する下流工程の人たちの仕事はできないしやったとしても無駄になってしまう。
駆け出しのサラリーマンは、たいていはその会社の中の下流工程の仕事をさせられる。これに満足して、そのまま下流工程に甘んずれば立派な下流社会の一員になってしまう。そのまま歳だけ取ってゆく社員は会社のお荷物である。たいていは途中で退職となるはずだが、こんな考えのサラリーマンがそのまま社長になれば、会社はよくて誇りもなければお金もない三流会社、悪ければたちまち倒産だろう。
「秀吉のぞうり取り」の逸話のように、下に甘んずれば手抜きもしたくなるだろうが、いずれ天下を取るつもりならば、下の仕事も熱意と工夫で取り組んでいずれは上を狙わねばならないのだ。社長候補の諸君の目指すは上流にあるのである。手と体は今の仕事に没頭していても、目線と気働き、陰で密かに学ぶものは、一歩先、二歩先の上流工程である。"いまに見てろ、自分だって"という心意気がなくてはならないのだ。

いま車窓からみえる田んぼには刈り入れ前の稲が実りの秋を告げている。その光景はまさに「稔るほど頭をたれる稲穂かな」である。ビジネスでは人前でひたすら頭を下げる。自分が威張って商売になるはずがない。信長に滅ぼされた御堂筋の日本史上で初めての「商人」たちのように、「たなごころ(親指と人差し指の間の付け根の柔らかな筋肉部分)を揉んで、理不尽なことにもひたすら耐え」て、「ありがとうございます」と言うのが商売である。わが誇りはわが心底にあり、顔で笑って腹で耐える。なんと言われようと人々が必要なよい品物やよいサービスを妥当な価格で提供することによって、人が群がり、やがて大切にしてくれるのにちがいないと固く信じて商うのが「商人道」というものである。信望が集まらなくてはお金も集まらない。
この原理原則をまっとうしてなおお金が集まらないのは、複雑な分業と協業関係からなる社会的生産工程のどの領域に経営の資源を集中するのか、あるいはバランスをとるのかに間違いがある場合があるのである。
次回以降数回に分けて、このテーマについて述べることにする。
(本稿「上から下まで」は次回につづく)

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琵琶


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WEB情報アーキテクチャの構成要素と実現技能--情報デザイン研究ノート(13)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2006/9/20
WEB情報アーキテクチャの構成要素と実現技能--情報デザイン研究ノート(13)

ここでは、主として「お茶碗のサイト」の例に沿って説明する。「お茶碗?、サイト?、簡単ジャン」と思った人は、たいてい、この世界の負け組みである。そう思った人は、長文だが、まずは、最後まで読んでみてください。

少し前に、WEB情報デザインについて、次のような記事を書いた。
「WEBデザインにおける3つの重要概念--情報デザイン研究ノート(10)」
「7つのナヒゲーション--情報デザイン研究ノート(11)」
WEB情報デザインは情報デザインの一部なので特別なものは少ないのだが、「WEB情報」に限って注意すべきこととして世の中で取り上げられることが多いものもいくつかある。上記のもの2つがそれである。
ここに、もうひとつ、「WEB情報」に限って注意すべき内容を取り上げる。しかし、実は、それは「WEB情報」を例に取り上げているだけであって、一般の情報デザインにも共通する部分が多いということをあらかじめお断りしておく。
WEB情報アーキテクチャは、アクセシビリティやユーザビリティを支えるもので、ここで失敗するとユーザの不興を買うことになるというお話は「WEBデザインにおける3つの重要概念--情報デザイン研究ノート(10)」に書いた。WEB情報アーキテクチャの主要な部分はナビゲーションであるというお話は「7つのナヒゲーション--情報デザイン研究ノート(11)」に書いた。それでは、WEB情報アーキテクチャのナビゲーション以外の問題はどこにあるのかということになる。システムエンジニア(SE)やシステムエンジニア希望者(SE候補)の立場に立って、以下の説明を書くことにする。筆者はもともと情報デザイナであって、かつSEであって、大学教員である。しかし、絵描きではないので、お許しをいただきたい。

1.WEB情報アーキテクチャの構成要素と設計の実務
WEB情報アーキテクチャを構成するものは、3つある。
・機能の実現
・視覚への表現
・サイト構造の組立て
これらに立ち向かうためには、それぞれの設計が必要になる。したがって、それぞれの要素は「設計(デザイン)」に対応している。WEB情報アーキテクチャの構成要素は事前に存在するわけではない。設計によって生まれて配置されるのである。人が設計して生み出すものである。
WEB情報アーキテクチャの設計
・機能設計
・視覚設計
・構造設計
WEB情報デザインに取り組む"クリエイタSE"="システムエンジニアにしてクリエイタ"は、どのような作業をすることになるだろうか。
(1)機能設計
まず、画面の概略の設計を行う。パワーポイントなど簡便に絵が描ける道具が使われることが多い。トップページから、画面の遷移にしたがって、画面の概念図を仕上げてゆく。これは「画面設計書」と呼ばれる。多くの場合はブラウザの中に実現されるフォルダやボタン、プルダウンリストの位置、テキストの表示位置などを示して行く。たとえばフォルダのタグとボタンは機能(意味)が違うので、他人が見て誤解されないような工夫は必要である。クリエイタSEは訓練された絵描き(いわゆる色と形の専門家=デザイナ)ではないので、カラーバランスや微妙な位置や大きさまでは配慮できないだろうが、機能を書き分けるだけの力は必要である。この作業は、実は機能設計そのものである。一部は訓練された絵描き(いわゆる色と形の専門家=デザイナ)の作業にヒントになる色や形も含んでいることも事実であるが、その領域の責任は絵描きさんの領分である。"クリエイタSE"の責任範囲は、機能をはっきりと区別して示すということである。機能は位置関係などに微妙に影響される。横に並べる場合、左が優位にあり、右に行くにしたがって順位が下がる、などの基礎的な「情報デザイン」の知識がここでは活かされる。この後に"クリエイタSE"から指示を受け取ることになる絵描きさんは、位置関係や大小関係がむちゃくちゃの「画面設計書」を受け取ると、"クリエイタSE"の能力を疑ったり、せせら笑ったりすることになるのである。絵描きさんに笑われない画面設計書が書けるようになれば一人前である。
とはいえ、絵描きさんには機能は推測できないのである。機能を知っているのは機能を設計しているSEなのだから、機能設計はSEにしかできないのである。勘違いして、機能設計をデザイナさんに頼むようなSEがいるが、それはよほど無能か考え違いかのどちらかである。
(2)視覚設計
視覚設計は、絵描きの仕事である。とはいえ、絵描きならば誰でもできるかといえば、そうではない。WEBのデザインになれた絵描きさん(WEBデザイナ)でなければ、ことを仕損ずるのである。画面のサイズ制約、ブラウザ上に表現できることは限られているので、ブラウザというキャンパスの制約や特性に精通していなければならない。逆に、グラフィックデザインの基本を知らない絵描きさんも困りものである。デザイン学校などで、マックやウィンドウズの上で、お絵かきツールを習って、一人前のデザイナになったつもりの人もいるので要注意である。彼はお絵かきツール・オペレータであってどんな意味でも絵描きさんですらない。オペレータに視覚設計はできない。視覚設計ができる人は、クラフィックデザインの素養を身に着けて、その上で、WEB世界の制約や特性に熟知していなければならないのである。絵描きさんの中では限られた絵描きさんに"クリエイタSE"が機能設計書(「画面設計書」)を手渡して、このWEBサイトが何をするものかを懇切に説明してよく理解してもらうことができて初めて視覚設計が始められるのである。WEBデザイナさんが作り上げてくる絵コンテを見て、"クリエイタSE"全般的なよしあしが判定できることが望ましいが、少なくとも自分が指示した機能が正しく盛り込まれているか否かの判定はできなければその存在意義はない。WEBデザイナさんが勘違いしているとすれば、それはWEBデザイナさんの生ではない、「画面設計書」を書いた"クリエイタSE"の責任である。自分の失敗を棚に上げて怒り出すSEがままいるが、自分の能力のなさ、人間的下劣さをあらわしているに過ぎない。
(3)構造設計
"クリエイタSE"が行う構造設計は、幅広くも幅を狭くも捕らえることができる。幅を広く取れば、サーバ構成や(プログラムの)オブジェクトの構成、データベースの配置やテーブルの設計なども含まれてくるが、ここではそこまでは含めないことにする。一番狭く解釈すると、画面遷移図(画面のツリー図)を書き上げるということになる。どの画面からどうすれば別の画面に到達できるかを図に示すのである。この場合の注意点は、①主要な情報は3階層以内に登場するような工夫をすること、②相互リンクはできるだけ少なくすること、である。この画面遷移図(画面のツリー図)のほかに主要なナビゲーションについての説明書(図解)を添えることも多い。
「画面遷移図(画面のツリー図)」+「主要なナビゲーションについての説明書(図解)」は、視覚設計にも役立つので、"クリエイタSE"は「画面設計書」と一緒に完成して、WEBデザイナにそろえて手渡すことが多い。WEBデザイナは、「画面設計書」+「画面遷移図(画面のツリー図)」+「主要なナビゲーションについての説明書(図解)」をもとに視覚設計を進めるのである。

2.実現技能
WEB情報アーキテクチャの構成要素である「機能設計」「視覚設計」「構造設計」を実行するのに、必要な技能にはどんなものがあるかという話題に進もう。
2-1.そのサイトは何?
まず必要な技能は、取り組んで実現しようとしているサイトがいったい何なのかを問い詰める能力である。
たとえば、あなたが、「茶碗サイト」に取り組もうとしていると仮定しよう。「茶碗なんてよく知っているし、サイト制作だってオチャノコサイサイ」と簡単に思ってしまうようでは、失格である。
(1)茶碗とは何か、を知る
「茶碗」といわれているものにはどんなものがあるだろうか、まず心に浮かべてみよう。・・・「茶碗って、ご飯を食べるときのあれだろう?、何を考えろって言うんだ!」と思った人は、この時点でもう負けているのである。考えても思いつかなければインターネットや書物にも当たるとよい。「茶碗」にはご飯を盛る「飯盛り茶碗(めしもりちゃわん)」または「飯茶碗(めしもりちゃわん)」だけではない。「煎茶(せんちゃ)」や「白湯(さゆ)」を飲むための「湯飲み茶碗(ゆのみちゃわん)」、お酒をいただくための「ぐい飲み茶碗(ぐいのみちゃわん)」もある。茶道のための茶具としての「茶碗(ちゃわん)」もある。木製、陶器、石製など材質もさまざまである。茶碗とは呼ばれなくとも、その周辺には肴皿(さかなさら)、徳利(とくり)、猪口(ちょこ)、パン皿、スープ皿、小皿などがあり、どんぶりに広げれば飯どんぶり、うどんどんぶり、ラーメンどんぶり、浅立ち、小どんぶりなどもある。歴史を紐解けば、このような食器に類する器は古くから存在した。オモトなどの大型の草の葉や柏の葉のような自然の葉を使用したこともあったに違いない。土器が登場する以前には主として木器が使われただろう。土器が使用されるようになっても木器も平行して使われたに違いない。木器は一部は漆器となり現代にまで使われている。平安期に「かわらけ(器)」と呼ばれたのは素焼きの食器だった。千利休(せんのりきゅう)らが創めた茶道では、まぎれもない「茶碗」が使われた。当時はすでに「茶碗」ということばも「茶碗」とよばれる器もあったに違いないが、現代の「茶碗」という言葉のルーツ=原型はここにあるといってよいだろう。茶道の「茶碗(茶器としての)」は、うつわの下に宛てた手の手触りは素焼きのザラザラ感と釉薬のつるつる感がない交ぜになったもので、茶が盛られる内側と口の当たる周囲は釉薬(ゆうやく、うわぐすり)がかかって茶の湯が浸透せずまた滑らかな口ざわりになるように作られている。ひとつの茶器が人々の間を行き来する茶会ではザラザラ感とつるつる感がない交ぜになった感触がひときわ意味を持っていたはずである。肌触りのザラザラ感とつるつる感の混ざり具合は茶器に固有で二つとして同じものはない。茶席に同席した主(あるじ)と客(きゃく)またはまわし飲んだたくさんの客同士が互いの手触り(握手など)のかわりに感触の記憶として残り強烈な印象を残したことだろう。ほどよく釉薬にヒビがはいり茶渋がえもいわれぬ模様となればこれもこの世に唯一つの文様である。その茶器を使用した人の記憶を呼び覚ますものとして珍重されるものになったはずである。茶器の感触と人を幻惑するかのような釉薬の色加減と茶渋の文様は、殺伐たる現世に身を置いて離れ離れになりがちな戦国の世の人の心と心を繋ぎ止める大切なツールであったに違いない。
「飯盛り茶碗」には飯を食べやすくするという機能がある。家族の団欒を誘うという意味が込められる場合もある。「湯飲み茶碗」には湯や茶をくつろいでのむという機能と意味がある。「ぐい飲み茶碗」には、日ごろの上品仮面を脱ぎ捨てて心を裸にして酒を飲むという機能と意味がある。そして日本人は、「茶碗」というものに対して、格別な思いがあり、人と人の心と心をつなぎたいという切ないまでの思いが込められている。
「茶碗」というものを考えてみると深くて広いということがわかってくる。
(2)このサイトの社会的な位置づけ
さて、茶碗というものが何なのかがおぼろげながら理解できたら、今取り組もうとしているサイトは何なのかを考えてみよう。公共のサイトなのか、利益追求のための経済活動のためのサイトなのか、個人の趣味や研究のためのサイトなのか、と考えてみる。多くの場合は利益追求のための経済活動のためのサイトだろうが、場合によっては利益追求とは無関係なさいともある。ここでは、「茶碗の卸業者が、小売店に注文を促すサイト」だったとしよう。ただめでて場よいという物ではないし、安売りを宣伝するだけでは効果はないに違いない。他に類似のサイトが有るのかどうか、あるとすればどんなサイトなのかをじっくり見る必要もある。
(3)このサイトの目的はなにか
大局的な目標は、「茶碗の卸業者が、小売店に注文を促すサイト」であることが分かったが、目立てばよいとばかりに派手派手しく飾り立てれば小売店が注文を増やしてくれるだろうか。多分否である。安かろう悪かろう製品に違いないとサイトを出している卸業者の品格が疑われ、安く買い叩こうという客はきても、よい品をそれと理解して買いに来る小売店は少なくなってしまうに違いない。取り澄ましたデザインで、何が言いたいのか分からないイメージ画像だけのサイトもよくあるが、「美人必ずしもモテず」の法則に当てはまってしまうに違いない。他のサイトにはない何かを依頼主は実現したいはずである。これをしっかりとつかまなければなにも始まらないに違いない。
そのとき、"クリエイタSE"依頼主の気持ちにどこまで共感できるかが勝負である。依頼主は、扱っている「茶碗」というものに寄せる人々の思いを実現する品々を小売店を通して届けたいと念願しているのである。茶道の道具である茶器は除外されていて、庶民の「茶碗類」を扱うこの卸業者は、戦国の時代から伝わる茶碗に寄せる日本人の思いに深い思い入れがあり、それにふさわしい品物を全国から仕入れているのである。この業者は茶道具に近い高級茶器セットを中心に長年の実績があり、楽しい家族団欒を演出する飯茶碗、粥茶碗、作家の個性とメッセージが伝わるどんぶりの数々、デザイン酒器セットなどが主力商品である。外食産業向けの没個性的なあっさり系のどんぶり類なども扱うが、あくまでも家庭と団欒がターゲットである。
依頼主は、小売店の皆さんに単価だけで品物を見てほしくはないのである。この製品はいかに家族を和ませるか、家族の絆を強めるか、外の厳しい活動から解放されて帰宅した家族の一人一人がこれらの製品でいかに心癒されるか、を理解していただき、その思いを最終ユーザにも伝えてもらいたいのである。思いを伝える品々とその品々を世に送る卸業者の思いを伝えるサイトが融合し小売業者の心を捉えることが出来ればそのサイトの目的が果たせたことになるのである。
このサイトの目的は、言葉にしてみれば「茶碗に託する老舗の思いを協力業者の皆さんを通してご家庭の消費者に伝える」ということである。

2-2.設計作業の背後にあるもの
設計が決まったもののように準備無しにすらすらと進むと思っているのは、まったくの門外漢か素人である。「1.WEB情報アーキテクチャの構成要素と設計の実務」で書かれた設計作業は、準備無しには手も足も出ないというのが本当のところである。「2-1そのサイトは何?」で述べたような思考作業が準備段階の前半にあたるのである。
準備段階の前半で手に入れたさまざまな情報を、設計に結びつくように整理してゆく作業があるのである。
(1)情報の組織化
準備段階の前半で手に入れたさまざまな情報を整理することそのものであるが、整理した結果は、秩序ある階層構造と秩序を超えたネットワークからなっていることに注意が必要である。この点ついては、別の機会にもう一度詳しくのべるつもりであるが、ネットワークだけの知識はとらえどころのないこんにゃく知識であり、自分にとっても他人とっても近未来の予測や予定のためには役に立たない。階層構造だけの知識は他の知識との整合性が保障されないので、統合失調となりがちである。
情報の組織化については別の目的で別の記事(その1その2)に書いた。実は、情報を組織化するには2つの軸に沿って行われる。
 ・具体的事実や下位の概念から抽象化によって上位概念を作り上げてゆく、
  下位の概念や具体的事実の間に矛盾がないように具現化して検証する。
  <--いわば帰納的作業と演繹的作業を観念と事実の間で往復繰り返しする。
    もっとも重要な長期記憶は階層的記憶である。
 ・情報の階層化に当たって、脳内ネットワークを通じてすでに構造化された他
  の概念(ピラミッド的に階層化された概念)を参考にして作業をすすめる。
  すでに構造化された概念(ピラミッド的に階層化された概念)と新しく構造化
  された概念の間に矛盾がないかどうか、脳内の知識ネットワークを通じて検
  証する。
  <--知識は、ネットワークによって正当性が担保される。
    知識のネットワークがない知識は人格の統合不調をもたらせる。
(2)ナビゲーションシステム
ナビゲーションは、ユーザの行動を予想して企画する。人は人であるがゆえにどのような行動を取りがちなのか、このサイトの利用者はどのような行動になれているか、このような場面を用意すると人はどうするか、などをよく考えるのである。当方の意図する情報に労せずして接近できるように工夫することがこの作業の目的である。ナビげーションシステムの詳細については、すでに述べたので、そちらに譲る。
(3)ラベリングシステム
情報を構造化するにあたって、まったく新しい事実的知識に遭遇したり、事実的情報から抽象的な概念を抽象化して作り上げたりすると、これまで使用されていたものとはことなる意味でこれに名前をつける必要が生ずる。名前をつけること、がラベリングである。よく考えてみれば従来もある名前を使用すれば事足りる場合も多いのでやたらと新しい名前を作るのは混乱の元なので避けたほうがよい。普段あまり使用しないが古い言葉にぴったりのものがある場合もある。単語を2つ3つ組み合わせて合成語を作る場合もある。外国語から借用する場合もある。いずれにしても名前のない概念は始末に終えないので、まずは名前をはっきりしておくことが大切である。名は体を表すように、与える対象概念にふさわしいものであることが望ましいが、取りあえずよい名前が思いつかない場合は、仮の名前をつけておくのも便法ではある。比喩や暗喩を利用するのもよいだろう。
類似の概念は類似の名前をつけ、上位下位がはっきりしているものはそれと分かる命名がよい。順位が有るものは数や五十音など順番を明示できる符合をつけたり、符号を含む命名をするのがよいだろう。
ラベリングは、情報の組織化の前には出来上がっていなければならないと思う人もいるだろうが、実は情報を組織化している最中にふたらしいラベルの必要性に気づくことが多いのである。ラベリングと情報組織化は同時に進行するのである。
(4)検索システム
情報の組織化が完了すると組織化された情報(知識)に沿って、画面構成(画面ツリー)が出来上がることが多い。知識のネットワークはリンクの形で実現は容易だが、錯綜しているので記憶に残りにくく、必要な情報にたどり着くためには不向きである。まったくなくすことは出来ないが、最小限度にとどめるべきである。
さて、このような構成がサイト上に出来上がると、特定の概念やデータがどこにあるのか一目では見通せなくなる。規模が大きくなればなるほど見通しは困難になる。検索機能を適宜用意する必要が生じてくる。目的のページを直接探し出すダイレクト検索(ダイレクトナビゲーション)もあるが、リレーショナルデータベース(RDB)に格納されているような大規模データから目的のデータを検索しうるようにするためには、それ相応の工夫が必要である。ここで、耳ばかり発達している依頼主は「RDB-MS(リレーショナルデータベースマネージメントシステム)のカタログには、誰でも簡単に検索できると書いてあるじゃないか。なぜ新たに検索システムを作る必要があるのか」と口から泡を飛ばして抗議するケースも多い。やれやれ、であるが、説明責任はわれわれのサイドにあるのである。技術者に提供されているような機能をたくみに使いこなすことが出来るユーザであれば、RDB-MSの機能をそのまま開放すれば事足りるだろうが、そんなユーザは100万人に一人くらいなものである。あなたはDB技術者なのでしょうか、あなたの会社の社員の皆さんはDB技術者ですか、これから作るサイトのユーザはDB技術者として訓練された人ですか、と丁寧に聞く必要があるのである。
さて、検索システムを考えるにあたって、考慮しなければならないのは、次の諸点の見極めである。
・ユーザがあらかじめ知っていることはなにか
・ユーザが手助けすれば(プルダウンなどで)、思い出せる情報は何か
・ユーザがまったく思い出せそうにないものはなにか
これらの見極めができれば、検索システムを設計する準備は完了である。

「2-1.そのサイトは何?」「2-2.設計作業の背後にあるもの」の2つの準備が終わると、「1.WEB情報アーキテクチャの構成要素と設計の実務」の設計が出来るのである。
あなたが、WEB情報デザイナに慣れるとすれば、これらのことを繰り返し繰り返し体験し、体で覚えることである。
体得しなければWEB情報デザイナにはなれないのである。

さて、最初に「お茶碗?、サイト?、簡単ジャン」と思った人も、ここまで読むと思ったほど簡単ではないことに十分理解が行っただろうと思う。しかし、ここまで読んで、逆に「なるほど、こうやれば何とかなるぞ」と思った人も少なくないに違いない。「なるほど、こうやれば何とかなるぞ」と思った人はきっとこのWEBビジネスの世界で勝ち組になるだろう。そうなってくれればたいへんうれしいと思う。

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社長は"クリエイター"--社長の条件(23)

2006/09/13
社長は"クリエイター"--社長の条件(23)

1.はじめに
会社の経営は、日々新しい事件との遭遇であり、その解決のための苦慮奮戦である。
こういうと、受身の「たいへん」ばかりと思う人がいるのかも知れない。しかし、社長とは、逆に、実は日々新しい企画を考え、人の配置を思いつき、道なき道を切り開いているものでもあるのである。一般に生きた仕事では、昨日やったことを今日も繰り返していて良いというものはほとんどない。昨日良かったことは今日はもう良くはないのである。日々反省して日々改善するという意味でも、昨日と同じことをしていたのではだめである。企業はいつも器用そうしているのであり、昨日と同じレベルにとどまっていたら、今日の競争にはもう負けているのである。
さて、「漸進的改善」だけでは、まだ足りてはいないのである。新商品を開発し、世に問う責務を負っているのはたいていの場合社長である。大手企業では、新商品発売の決断が社長にゆだねられている。中小企業では新商品の開発も販路開拓も社長がその先頭で汗をかいているものである。中小企業は、自分たちの商品に託した社会貢献のよしあしで競争をしているのである。社会貢献というと、本筋のご商売とは別に寄付をしたり、道路清掃したりすることだと勘違いしている人が多いが、本筋のご商売が犯罪だったり、犯罪とはいえないまでも社会の役に立つものでなければ、やがてすたれて廃業にいたるのである。中小企業の社長は、自然によりよい社会貢献を自分たちの商品に託したいという激しい衝動に動かされているのである。よりよい商品を日々作り出すこと、それは創造の世界である。
また、当社のように主として受託開発をしている「下請け企業」は、顧客の期待に応える方法を日々編み出してゆかなければならないのである。"「下請け企業」は言われたことをやるだけなので、創造は不要だ"と思うのはとんでもない考え違いである。「下請け企業」一般にいわれる社会という広い範囲は対称にしていないが、特定の顧客の役に立つ何かを毎日作り出しているのである。発注主がすべて考えきって手取り足取り作業を指示してくれれるほど世の中は甘くはない。発注主が呻吟して答えをだすよりも答えを用意して持ってくる下請けがいればその下請けを採用するのである。下請けは昨日と同じものを顧客に提案しても、今日はすでにライバルも同じ提案をしているかもしれない。ライバルは新しい方法を考える手間を省いてまねているだけならば、手間が省かれているだけにお安く提案しているに違いない。昨日と同じ提案を持ってゆけば、それはすでに負けているのである。
中小企業は常に厳しい競争にさらされていて、一歩でも先の新しい提案を届けなければ生存しないのである。その社長は、会社の生存を守り発展させる全責任を負っているのである。"創造"の全責任者でもあるのである。

2.「クリエイター」と「クリエイター社長」の違いは責任範囲の違い
「創造するひと」を英語で言えばCreator(クリエイター)である。日本には「クリエイター」という職種がある。主にデザイナの親玉のような存在で、顧客にデザイン提案する人のことである。社長はそんに日本的な「クリエーター」よりもはるかに広範囲で深い意味のクリエイターなのである。社長はたいてい日本的「クリエイター」を雇ったり指導したり叱咤激励したりしているのである。この事実を理解しない限り、社長にはなれないだろう。「クリエイター」にかしずくような社長がいたら、「クリエイター」が気持ち悪がるに違いない。
日本的クリエーターが書いてきた提案書を顧客に提出するだけの中小企業の社長はどうだろうか。クリエイターの提案が優れものであればなおのこと顧客はあきれてその中小企業との契約を解除して、クリエイタと直接契約するだけだろう。やがてその中小企業は破綻する。社長失格である。
また、社長はクリエイタでなければならないが、クリエイタはすべて社長になれるわけではない。これも、社長たるための条件の厳しさを示唆している。
社長は日本的「クリエイター」よりも広範囲の分野で深くクリエイターでなければならないのである。

3.クリエイタ社長の資質
芸術家は自分の意図を具現化してゆく。社長は顧客の意図を具現化する。他人の意図を具現化するほうが簡単と思う人と、難しいと敬遠する人とがいる。
他人の意図を具現化するにはその他人の意図を理解しなければならない。意図は見えないことがほとんどである。
商品を売る人は、新製品を小出しにして、消費者の反応を見るのである。「いや、市場調査をするんだ」というひともいるかも知れないが、たいていは膨大な無駄をするだけに終わる。商品の開発は、消費者と長年交流して蓄えて経験的知識と度胸とその反応の分析で成り立っているのである。市場調査は、よほど幸運なストーリがない限り、手を出してはだめである。
一方、受託生産している下請けは、"新製品を小出しにして、消費者の反応を見る"などということはできない。"提案書を書いて、顧客の反応を見る"のである。提案書が書けなければクリエイタにも劣ることになる。

4.提案書の書き方
「提案書の書き方」という本はたくさんある。読んだ人も多いだろう。もちろん、読んだほうがよいが、それだけではたいていは不足している。
提案すべきことがあり、それをいかに顧客に訴求するかを中心に書かれている本がほとんどである。顧客との何気ない会話の中から、提案すべきことを発見するという、クリエイターやその上の社長の一番肝心のことが書かれていないことが多い。
とうしゃのSEは全員が社長候補である。当社のSEの場合を想定してやるべきことを列記する。
(1)当該事業理念(どこで社会貢献するのか=対価を得るのか)について
顧客の話の中から、これを聞き出しておく。
これを理解するには、企業の創立理念などが8割程度のヒントになる。顧客のお話を聞く前に、顧客の企業理念や創業の理念を調べたり、伺っておくことが望ましい。顧客の担当者によっては、「命じてやらせるだけ」と勘違いしているだけではなく、「命ずる言葉が日本語になりきれていない」人もままいるのである。(お客様、ごめんなさい!) 発注主だからすべての人が理路整然としているとは限らない。支離滅裂な言葉から理屈を聞き取るためには、その方の会社の事業理念を知っておくと便利である。
(2)目標について
売り上げ金額や売り上げ数量、獲得ユーザ数などだけが語られることはない。多くの場合、時間的展望(スケジュール)、場所(エリア)、商品やサービスの種類が目標として掲げられているはずである。これらと売り上げ金額や売り上げ数量、獲得ユーザ数などがクロスで語られる。これ以外の要件も語られることも多いだろうが、聞き手としては、この3つのうちのどれかが欠けていたらその場でたずねて補足しておいたほうがよい。「時間的展望(スケジュール)」「場所(エリア)」「商品やサービスの種類」はビジネス分析軸の3本柱である。この3本柱はよく記憶しておくとよい。いろいろな場面で役に立つ。
(3)機能とテイストと、クリエイタ
提供する商品やサービスの機能を聞き出すのは当然大切なことである。しかし、機能だけでは商品やサービスは出来上がらない。提供する商品やサービスのテイスト(味、雰囲気、感じ、・・・)もしっかりと聞き出さなければならない。
ここで、おおくの若者は勘違いする。提供する商品やサービスのテイストなんて、デザイナに聞いてもらえばいいんだ、俺たちは関係ない、・・・。これはおおきな間違いである。テイストは機能を引き立てるために決められる。一見、機能を裏切るように見えるテイストも結果としてその機能を引き立てるものでなければ意味がない。デザイナは機能を理解するだろうか。もちろん理解してもらわなければならない。理解しなければトンチンカンなデザインテイストになってしまうだろう。提供する商品やサービスの機能への理解を低めるようなデザインはやらないよりも悪いということになる。
デザイナはすぐに「色」や「形」にしたがるのである。勘違いでも「色」や「形」が商品のコンセプトを際立たせる効果を偶然にも生めば、OKなのである。努力しないで、報酬がもらえることになる。しかし、そんなことがうまく行くのは千にひとつ、あるかないかの幸運に過ぎない。手を抜かぬ良質のデザイナは悪戦苦闘して、商品やサービスの機能を理解しようと努力する。このとき、顧客が何度もデザイナとやり取りしてくれるとは限らない。まずはデザイナの言葉と顧客の業界の言葉はすれ違うだろう。理解するまでに両者ともに疲れて互いに仕事をあきらめてしまうかも知れない。機能を理解し、デザイナさんの言葉に翻訳できるのは顧客と会っている下請けの人しかいないのである。すなわち、中小企業の社長は機能を理解し、デザイナさんの言葉に翻訳できなければ勤まらないのである。デザイナと同じだけの素養は必要がないが、言葉が通じるくらいの知識は必要である。
まずSEは顧客の要求する機能とテイストを理解しなければならない。
(4)SEのやるべきこと
さて、いろいろと聞き出しても、自分が理解したと思っていることは勘違いであることも多い。それを確かめなければ、先に進めない。
まず、要求仕様をパワーポイントなどで書き上げることである。書くにあたって、パワーポイントの操作テクニックがあればできるのかといえばまったくのウソである。これを聞いてギョッとなった人はSE失格であり、到底社長にはなれない。
 1)顧客の希望を整理する。
 2)法律、社会環境、市場環境、技術環境からできることとできないことを区分けする。
 3)顧客の希望をもっともコストパフォーマンスよく実現できる方法を考える。
  このとき、顧客の希望や環境条件を高度にくみ上げる知的活動が必要である。抽
  象化もビシバシと進める。
  「これぞ」と思う高みの理想をつかむと要求仕様の20%くらいは出来上がったことに
  なる。しかし、これで安心してしまうのは素人である。この先がまだあるのだ。
 4)抽象化すれば、捨象したものもあるはずである。抽象化に伴って捨てた諸概念を
  もう一度拾い出して、「これぞ」と思った高み概念とつき合わせて、矛盾がないかど
  うかを詳しく点検する。
 5)法律、社会環境、市場環境、技術環境に矛盾していないかどうかも、詳しく点検す
  る。
 6)最後に、その「これぞ」が、顧客の提示している「時間的展望(スケジュール)」「場
  所(エリア)」「商品やサービスの種類」というビジネスの3要素と矛盾がないかどう
  かを点検する。
 7)当然、あちらを立てればこちらがたたず、ということはたくさん出てくるはずである。
  それらの問題をすべてなくすように、さまざまな妥協や変更を加えてゆく。
 8)これらのうち、もっとも重視すべき制約は、「時間的展望(スケジュール)」である。
  よい企画で、予算にも合致するが、スケジュールが合わないのは意味がない。
  「これぞ」と思ったものも、「時間的展望(スケジュール)」にあわずに没になることは
  頻繁にあるのである。
 9)最後に書きあがった要求仕様書は「時間的展望(スケジュール)」に、しっかりとあ
  っていなければ意味がないのである。
これらのことに踏まえて、書き上げるのは「要求仕様書」と「画面構成図」または「操作説明書(案)」である。
さて、これだけではない。
(5)デザイナさんとの共同作業
当社でもWEBページの制作のご依頼は多い。このとき、デザイナさんとの共同作業は多いが、デザイナさんが何かを提案してくるまでじっと待っているだけのスタッフがいたりすることがある。そんな間抜けなことは許されるはずがないのだが、本人はいたってまじめに「デザイナが何も持ってこないから、ボタンの配置も決められないんです」と平然と言ったりする。「馬鹿たれっ。デザイナにボタンの意味や数や重要さの順番などを教えたか。教えなくては仕事をしていないなのと同じだ」などと私から怒鳴られたりしている。デザイナに教えなくてはならないのはボタンの意味や数や重要さの順番などだけではない。ポップアップや文字列の意味、プルダウンの位置やその意味など、数限りなく存在する。いちいちすべて口では説明できないほどである。そこで、私は、デザイナさんにお願いをする際は、「HTMLへのへのもへじ」を作るということを実践している。「HTMLへのへのもへじ」とは、デザイン処理する前の「HTML」という意味で、味も素っ気もないが、とりあえずSEとしては機能を満たすひとつの配置はこれだというものを作るのである。白い紙に「へのへのもへじ」と書いたみたいに、味気ないがちょっとこっけいなHTMLの画面ができるので、これをデザイナさんに渡すのである。デザイナさんは、さまざまな手かがりのひとつとして、この「HTMLへのへのもへじ」も活用してくれる(くれているはずである)。
これで、デザイナさんのカンプ(デザイン概念を示す簡単な絵)が出来上がれば、見積書と一緒に要求仕様書に添えて顧客の判断を仰ぐのである。
まだ終わりではない。
(6)何度も往復すること
顧客と制作側の下請けの意思が一致するには、1回の要求仕様提案ではすまないことがほとんどである。二度三度、場合によっては十数回も行き来したことがある。
「これでよろしいでしょうか」と書いた資料を提示すると顧客は、それを手かがりにもっと先の要求を思いつくこともあるのである。次にそれらを取り込んだ新しい提案書を持っていっても、さにらその先という場合もあるのである。
いずれにしても何度かやり取りして、これで行こうと互いに納得して初めて実作業がスタートする。
これらのことは、SEであっても、できなければならない。
顧客はSEにできることは社長にはもっと上手にできるだろうと期待している。上記のことが、手際よくできて当たり前、できなければ社長候補としてはだらしないということになる。

5.社長は最高の営業マン
「社長は最高の営業マン」という言葉がある。「社長」になればだれでも「最高の営業マン」になれるのかというとそうは行かない。「最高の営業マン」であれば「社長」になれる可能性があるのである。
わかっています、聞きたくありません、といわれそうだが、もう一度ここには書かせていただく。
指示待ちプログラマならば、フリータにもたくさんいる。諸君らが社長を引き受けるのであれば、フリータのプログラマとハンディなしの競争をしても勝ち目はない。会社組織のコストを背負っているものが、それらのコストを背負わない個人の気楽なフリータと競争しても、お値段では必ずまけるのである。差別化して、競争社会に生き残るための担保は、ただひとつ提案能力である。社長の営業でも、揉み手がうまくても成功の確率は低い。顧客は実質を求めているのである。昔は、飲み食いの接待が効を奏したこともあったが、今は接待すれば無能な会社だからに違いないと低く見られることさえある。接待も成功率は高いない。何か有効かは、明白である。それは提案力である。
社長もまた本物のクリエイターでなければ会社は生き残れないのである。
君たちを信頼しているので、がんばってほしい。

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琵琶

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さらに増加する小学生の対教師暴力--心理、教育、社会性の発達(26)

2006/9/13
さらに増加する小学生の対教師暴力--心理、教育、社会性の発達(26)

私は、以前に書いた「急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)」という記事の中で、2004年度の調査に基づく記事の紹介とこれへのコメントを書いた。
続く2005年度の調査結果についても文部科学省の調査結果が発表され、新聞各紙がこれを伝えた。ここにはアサヒ・コムの"増える小学生の校内暴力"という記事(以下に全文引用)とNIKKEI・NETは"小学生の校内暴力、過去最悪に・「対教師」が急増"(全文引用)を2つ引用しておく。

アサヒ・コム,"増える小学生の校内暴力"
http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000180609010001
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【きょういく@東京】
増える小学生の校内暴力
2006年09月01日
小学生の校内暴力が、都教育委員会の調査によると、増えている。05年度は60件で、前年度の約1・7倍になった。教員からは「子供と信頼関係が築きにくくなり、荒れる原因も把握しづらい」と戸惑う声が聞こえる。学校が学力向上に重心を移すなか、子供たちをどう受け止めればいいのか。先生たちの悩みは深い。
「オレばっかりじゃねー」。7月、多摩地区の小学校で2年生を担任する女性教諭が、おしゃべりしている男子の1人に注意すると、いきなり暴れ出した。抱いて落ち着かせようとしたが、腕をかまれ、歯形が残って内出血をした。「反抗というより、感情を爆発させるという感じ。幼さゆえだと思う」
都教委によると、05年度の小学生の校内での暴力は35校で60件。04年度より10校、24件増えた。うちドアなどを壊す器物損壊は29件と、04年度に比べ倍以上に。教師への暴力は15件で、過去5年で最も少なかった02年の5倍になった。それでも、女性教諭は話す。「いちいち報告していたら大変。都内で15件なんてあり得ない。増えている実感はある」
「子供が学校でも勉強に追われるようになり、息を抜く場所がない」。生活指導に詳しい男性のベテラン教諭は、「荒れ」の背景をこう見る。
信頼しあっていると思っていた児童に、教室でいきなりカバンを投げつけられた。その時は「自分だから思いをぶつけてくれたのか」と納得したが、その信頼への自信も揺らぎ始めている。
学力向上が求められ、その結果が教員の評価にもつながる。「子供と勉強以外の話をすると、職員室で浮いてしまう」とベテラン教諭。「教師と子供が信頼し合えない中で『荒れ』は静かに進行し、突然爆発する。理由の把握は困難」
ある区立小の養護教諭は、保健室に駆け込む子供と接する中で「担任との関係がこじれたのをきっかけに荒れるケースが多い」と気づいた。先生にしかられただけで「あの先生がいるから学校に行きたくない」と言う。注意される様子を見たほかの子供が呼応し、集団化していくこともある。
「教員としての経験の長短は関係ない。一人ひとりと我慢強く向き合わないと、本当の原因はみえてきません」と語る。
荒れる子供の傾向について、大東文化大の村山士郎教授(教育学)は「最近は欲望や抑圧感を発散するというより、心にため込んだ結果であることが多い」と話す。
「家庭でも学校でも競争に追われ、『やっていられない』という思いがある。暴力をふるうことで周囲から隔離されることを望んでいる」とも分析。「テストの点数など、結果からしか子供や先生を評価しない仕組みが問題。普段の取り組み方や生活態度など、子供中心の視点を学校に取り戻すことがまずは必要ではないか」という。
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NIKKEI・NET「小学生の校内暴力、過去最悪に・「対教師」が急増」
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060913AT1G1302S13092006.html
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小学生の校内暴力、過去最悪に・「対教師」が急増
2005年度に全国の公立小学校で起きた校内暴力の件数は前年度に比べ6.8%増の2018件で、3年連続で過去最多を更新したことが13日、文部科学省の調査で分かった。先生が被害者となるケースが4割近く増えており、突発的に暴力を振るう子どもにどう対応するかが課題になっている。
調査は「生徒指導上の諸問題の現状について」と題し、全公立小中高校が対象。小学生の校内暴力は1997年度から調べている。
調査結果によると、中学の校内暴力は2万3115件でほぼ横ばい。高校は5150件で前年度比2.5%の増加にとどまり、小学校の件数増が際立っている。
小学校の校内暴力の内訳は「対教師」が464件、「生徒間」が951件、教師・生徒以外の「対人」が21件、「器物損壊」が582件。生徒間暴力は前年度に比べ4.1%減ったが、対人は16.6%、器物損壊は6.9%増え、対教師は38.0%増だった。 (18:49)
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1年経って、事態が改善されたのではなく、事態がもっと悪くなっているというのは、うなづけるような気もするが根本的な対策がされていないことを物語っている。

大東文化大の村山士郎教授(教育学)はアサヒ・コムの記事中で、次のように語っている。
------------------------------
「家庭でも学校でも競争に追われ、『やっていられない』という思いがある。暴力をふるうことで周囲から隔離されることを望んでいる」とも分析。「テストの点数など、結果からしか子供や先生を評価しない仕組みが問題。普段の取り組み方や生活態度など、子供中心の視点を学校に取り戻すことがまずは必要ではないか」という。
------------------------------
ここで、村山先生はわかっているのだろうに、おっしゃっていない事実がある。
子供たちが『やっていられない』と感ずるのは、教師から「教室で他の子供たちと仲良くしてはいけない。大人になればみなライバルなのだから、口をきいてもいけない」という指導を受けているからなのである。ウソだと思うかもしれないが、これは学級崩壊を防ぐ特効薬として、どこの地域の教員でも先輩や事例研究の発表会で教えてもらっている手段なのである。これは教師の職業上の機密なのかも知れないが、結果として、子供たちは子供たちの中で孤立し子供たちが「仲がよすぎて喧嘩する」というありがちなことも起こりにくくなっているのである。当然、教師に当り散らすために子供たちが結束することも少なくなったが、斉一性への圧力をかけ続ける教師に向かう一人一人の子供たちの心の中にどろどろとした反発心は日に日に蓄えられ高まっているのである。爆発がこの程度で収まっているのが不思議なくらいなのかもしれない。子供たちは教師に毎日敵意を少しずつ高めているのである。来年はもっとひどい調査結果を見ることになるのではないかと心配である。
競争をあおり仲間の結束を弱めようとの策略を、教室の子供たちにめぐらせてよいはずはないと思うのは私だけでしょうか。先生方はご自身がそんな風にされたらとてもたまらないと感ずるはずです。小学校1年生から10歳くらいまでの間は、子供同士の喧嘩や交流を通じて社会性を獲得する大切な時期である。子供たちは、子供同士の交流能力だけではなく、子供とクラスの関係を学んだり、隣のクラスの子供たちとの組織同士の交流の方法を学んだり、クラブ活動などを通じて組織の階層構造やネットワークの基本を知る大切に期間なのです。ここで、このような社会観を身に着けないと、大脳は「知性なき丸暗記」で進歩を止めて、正常な思考能力を身に着ける機会を失ってしまいます。おとなしい落ちこぼれをこれ以上作りたいのでしょうか。
小学校の先生方にお願いします。体力も時間もたいへんですが、もっと子供たちと一緒に遊んでください。そして子供たち同士で、もっと遊ばせて上げてください。
自信をもって社会に入ってゆける子供たちを育ててください。
心ある教育者の皆さんのたくさんの知恵をいただきたくお願いいたします

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琵琶
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ぼんやり考える力と階層的思考能力--心理、教育、社会性の発達(25)

2006/9/10
ぼんやり考える力と階層的思考能力--心理、教育、社会性の発達(25)

9月7日(木)の朝日新聞の夕刊の文化欄(p.14)に「ぼんやり思考 苦手な若者」という随想が掲載された。書き手は工学博士で大学での教員生活も長かった作家の森博嗣氏である。緑の小道(牧草地か)に牧用犬らしいワンチャンがだらりと尻尾を下げたまま何をか考えながら歩いてゆくかのような後ろ姿の写真が掲載されていた。写真を撮ったのも森博嗣氏らしい。記事の内容は覚えていなくとも、この印象深いワンチャンの写真を覚えているひとは多いに違いない。
森氏は、いまどきの若者は礼儀正しく上品になり、入試小論文やワープロ、ネットへの書き込みなどで文章もうまくなっているとたいそう持ち上げた(私も同意するが)上で、「・・・/ボクが感じる彼らの少ない欠点のひとつと言えば、それは、ものごとを抽象的に捉える能力の欠如である。/いきなり具体的に思考する。・・・/それらのビジョンは、おそらく映像化された過去の誰かの具体例が引用されているのだろう。/・・・/・・・お金さえ出せばすぐに目の前にやってくる。豊かになったために、ぼんやり考える機会を失ったのだ。/・・・」と鋭い観察を披瀝している。森氏について深い知識はないが、慧眼というべきだろう。
確かに、若者は「抽象が苦手で、ぼんやり考えることが少なく」なっている。具体例をたくさん記憶していて、まくし立てることはできる、時系列に沿って次々に文章に書くことはてきる。しかし私は「だから、何?」とときとぎ聞き返したくなる。我慢しきれずにときに聞いてみると、はじめから再びくどくどと同じような事実の羅列を語るのである。その事実の羅列の背後に何か言いたいことがあるのだろうに、それが言えないのだ。本人ももどかしがっているようだが、聞いている私だってもどかしい。
かと思うと、極端に抽象化して切り捨てた剰余の概念を振り返らないあぶない困ったちゃんの若者もいる。たとえば、練習問題で2階に居間を作れと間取り図を求めると、居間はあるが、1階から2階にあがる階段のない家の見取り図を得意げに作ったりする。本人はその間違いに一向に気づこうとはしない。居間だけを抽象化していて、居間を巡るヒトの行動が捨象されてしまっているのである。
抽象とは、とりもなおさず事実の羅列の中から共通する事柄、背後に流れる概念を取り出すことであるが、これが苦手な若者が多い。多数派であるといってもいいかもしれない。逆に少数派ではあるが、抽象化はできるがその際に捨象したものを抽象化した概念と関連付けて具体的な世界の中に再現する能力が欠落しているものも少なくないのである。
「抽象化」と「具現化(*)」という2つの思考の方向を自在に行き来することができなければ、ヒトとしての基本的生活はできないだろう。「抽象化」だけして澄まし顔に、現実社会との整合性を再現して「具現化」する能力が足りないと、観念だけが現実生活と乖離してゆくので(擬似)統合失調症的言動を引き起こす。本人は、自分のおかしげな言動にそれとは気が付かない。注意されたりすると、周囲こそ自分の優れた抽象化能力に嫉妬しているのだなどと勘違いしたりするのである。
-----------------------------
(*)「抽象化」の対語は「具象化」だが、この言葉はシュールレアリズムなどの世界で少し垢が付きすぎているので、誤解を避けるためここでは「具現化」という言葉を使用する。

さて、このような「抽象化」「具現化」能力とは、ヒトの認識能力のどこに当たるのだろうか。以前の記事「"記憶"の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)」に書いた私の分類で言えば、「長期記憶」の「構造化(メタ化)記憶」と関係しているということになる。コンピュータの知識で言えば「フレーム」に該当する。

表3 ヒトの記憶とコンピュータの記憶
「"記憶"の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)」より
-------------------------------------------------
1 感覚記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・データ以前のヒトの記憶
2 短期記憶(STM) ・・・・・・・・・・・・・データ直前のヒトの記憶
3 作動記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・データ化作業中のヒトの記憶
 3.1 中央制御系
 3.2 音韻ループ
 3.3 視空間スケッチパッド
4 長期記憶(LTM) ・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のデータ・情報・知識、プログラム
 4.1 陳述記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のデータ・情報・知識
  4.1.1 エピソード記憶 ・・・・・・・・事例ベース
  4.1.2 意味記憶 ・・・・・・・・・・・・意味ネットワーク
 ◎4.1.3 構造化(メタ化)記憶・・・・フレーム
 4.2 非陳述記憶 ・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のプログラム
  4.2.1 手続き記憶 ・・・・・・・・・・・プロダクション・ルール
  4.2.2 プライミング ・・・・・・・・・・・ZigZag(意味ネットのノードが事例または
                      知識ユニット)
 ◎4.2.3 社会的配慮(連合記憶)・予期駆動型フレーム
5 自伝的記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・・文書ファイル
6 展望的記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・・文書ファイル
-------------------------------------------------
上記の表の左の列はラリー・スクワイアの表に二重丸(◎)の項目を私が追加したものである。右側の列は対応するコンピュータ技術の概念を私が書いたものである。◎の項目は、私の発案ではあるが、西欧人は概念の階層構造を捉えるのが苦手で、東洋人はできて当たり前(だった)ので、このような合成の表になったのである。
ヒトは、具体的な個別の記憶のほかに抽象化した上位概念を持つことができる。たとえば、ヨモギ、イラクサ、マツ、スギ、ツゲ、・・・と並べてみるとこれらはみな「植物」である。ヨモギ、イラクサ、マツ、スギ、ツゲ、・・・は個別概念で、「植物」は上位概念である。「植物」と並ぶ概念には、ヒトやウシ、ウマ、・・・の「動物」や、シイタケ、マツタケ、ナットウ菌、・・・の「菌類」がある。「植物」「動物」「菌類」という個別概念はあわせると「生物」という上位概念に対応する。
このような概念構成は社会の構造とよく似ている。たとえば、ムラには戸別の家があるだけではなく、ムラ役が取りまとめているような社会構造が形成される。社会構成はこのような階層構造のほかに階層構造を超えるネットーク構成もあわせて持っているので単純ではないが、ネットワーク構成だけで社会は構成できない。そして他方の概念も社会構造と同じ階層構成をなすのである。思想の構築とはとりもなおさず、この階層構造を矛盾なく作り上げることである。この概念の構造は上位概念だけでは成立しない。健全な上位概念は下位の具体的な記憶と結びつき矛盾しないはずである。周囲の知識とも矛盾していないかどうかは、思考のネットワークで検証される。
この知識(記憶)の階層構造を作ることが下手だったらどういうことになるだろうか。下手な人が得た具体的な知識は、類似の概念や関連する概念と付き合わされて上部概念でまとめられたりはしないだろう。事実の羅列としてしか記憶されないだろう。よしんばたまたま一部から上部概念が生まれても、その上部概念の取り扱いに慣れていないので、具体的な知識とその上部概念の間には矛盾がないかどうかを検証したり、周囲の知識との間に矛盾がないかどうかを検証することができなかったり、怠ったりするのである。このようなときに(擬似)統合失調症的言動かみられるようになるのである。たとえば、ムラ役だけがいて村人はすべて抹殺されたようなムラ社会を観念してしまうのであるから、周囲は困惑してしまうのである。仕事や生活を一緒することはとてもできないということになる。
具体的な見聞を右から左に横流しする浅薄なマスコミ的行動様式ならば、ぼんやり考える必要はない。具体的な知識から抽象化を経て上位概念を作り上げ、その上位概念の正当性を検証する作業は、具体的事物の観察とは相対的独自の活動で、網膜に映る映像や耳に響く音に心奪われていては到底なしえない複雑な大脳内作業である。これは、いわばぼんやりと考えている状態が必要であることを意味している。しかし、このぼんやりは、今の若者の「ボンヤリしちっゃて」のボンヤリとは異なるものである。昔は「沈思黙考」という言葉があった。今はあまり聞かなくなった。禅僧で言えば「内観」に相当する。脳みそは熱く燃えるように活動し、これまでに蓄えたさまざまな知識をつぎつぎに想起しながら思索は激しく行き来する。新しい概念は、ああでもないこうでもないと反芻しながらスクラップ・アンド・ビルドされてゆく。これは楽しくてやめられないし、精神(こころ)の生きている証でもある。今の若者にはその「脳みそが熱く燃えるような活動」が少ないのである。ぼんやりと考えこんでいるときほど、健全な大人は脳みそに汗をかいているのである。はっと気が付くと手に汗を握っていることもある。脳みそには汗を掻かない「ボンヤリ」はただの休憩ばかりである。少しの例外を除くと多くの若者は、「ボンヤリしちっゃて」いるばかりで、上位概念に行き着かず、万一上位概念をひとつふたつ思いついても、その後の検証ができないのだ。
階層的な概念構成が形成されないと、未来を予測したりすることも出きないし、マニュアルには見当たらない事態に遭遇すると何も考えられないし何もできなくなるのである。階層的な概念構成があればこそ、新しい事態であってもこれまでの抽象化概念に該当するものかそれとは異なるものなのかの適切な判断がすばやく下せて、手馴れた方法で切り抜けるか、新しい対応法を編み出すべくよく観察するのかの切り替えしも巧みにできることになる。もちろん抽象化の先には未来も見えてくるのである。
森氏が言うように、「・・・。お金さえ出せばすぐに目の前にやってくる。豊かになったために、ぼんやり考える機会を失ったのだ」という一面もあるだろうが、それだけでもないように私には感じられる。ヒトは社会を構成するほどに抽象化能力を身に着けたが、社会ができると、社会がヒトの成長(個人史的発達)に多大な影響を及ぼして、記憶や知識の階層化を促すのである。「抽象化」能力と「具現化」能力の両方を備えないヒトは社会を構成する生物としての生存ができなかったはずである。今の若者は、成長(個人史的発達)の過程で、社会と交流しつつ概念の海を力いっぱい泳ぐような楽しい精神(こころ)の営みを抑圧され、社会性の発達を阻害されてしまったのである。記憶や知識は階層化されず、ぼんやりと考えることも少なく、勝手な思い込みから実世界との衝突を繰り返して、(擬似)統合失調症的言動ゆえに深い挫折を味わい絶望しノイローゼになってゆくのである(30歳台がノイローゼのピーク)。この新しいタイプのノイローゼは、神経質なヒトがなる従来型のノイローゼとは違って、注意深くない、もともとはいささかおっちょっこちょいの普通の若者がおちいるのである。
豊かになったために、社会性を身につけなくとも(家から出なければ)生きてゆけるようになった(ニート)ので、面倒な社会性は身につけない(社会的引きこもり)者がふえているのも間違いはない。一方、経済的に恵まれない子供のほうがニートになりやすいという統計もあるのでそれだけではないと思うしだいである。社会性のない教師は論外なのでとりあえずここでは語らないが、健全な小中高大の教師は社会の成り立ちとヒトとヒト、組織と組織の関係、社会生活というものにおける、人とその心の暖かさ、豊かさを子供たちに命がけで教えてもらいたい。もちろん、家庭でもそれは同じである。
つまるところ、社会性の発達阻害の原因を取り除きながら、社会性育成に力を入れて若者にぼんやり考える力を育てたいものである。大人たちは「ボンヤリしちゃって」いてはだめである。本人たちも、また、「ボンヤリしちゃって」いないで、ぼんやり考える(「内観」「沈思黙考」する)ことを始めよう。
森博嗣氏は最後の締めくくりに次のように書いている。
---------------------------------
若者こそ、もっと抽象的に思考してもらいたい、というのが僕の願望である。メディアに囚(とら)われず、本質を見極めてほしい。ジャンルにもスタイルにも、手法にも、時間にも、言葉にも文化にも、なにものにも拘(こだわ)らず、ただなんとなくこれだ、と判断できる感性を磨いてほしい。
---------------------------------
これに、私は、その感性は次のように磨かれると申し添えたい。関連する事実概念を基にして抽象化によって概念の高層建築を作り上げてはその土台たる事実概念や現実との整合性を確かめる「事実検証」を行うという、日々概念の海のなかを行ったり来たりする楽しくてやめられないヒトの精神(こころ)の営為によって磨かれるのであると。
いままで大人は目には見えにくいその精神(こころ)の楽しみを若者に説明するのを怠ってきたのかもしれない。概念の高層建築は社会の成り立ちを手本にしているのだから、基本的には同じ構造をしているのだ。社会の成り立ちを手かがりとして脳内概念構成物もまたよく理解し、自在にその上下左右を行き来し結びつけるのがよい。
組織の中で下にばかりいるのは芸がない。使い走りの役にしか立たない。一方、上にばかり立ちたがるのも人間としては失格だ。いつか足元をすくわれる。近隣の組織との調和も大切である。上も下も横もよくよく知り尽くし楽しく調和を保てる人がよい社会人である。
知識の世界でも基本は同じである。個別知識ばかりなのはいかにも芸がない(「知性なき丸暗記」その1, その2, その3)。役立たずの使い走りだ。逆に概念を抽象化して上に積み上げるだけでも人らしい知性の持ち主にはなれない。抽象化するということは捨象するものがあるということである。捨象した事物が見えなくなって思考が分裂したり自滅する危険がある。上部構造は土台の事実概念との整合性がなければ意味がない。近隣の知識との間に矛盾がなく協調できなければ一人前ではないのである。現実世界から新しい事実概念を意欲的に取り入れて、上下左右の概念や現実世界との整合性を絶え間なく楽しげに検証し、新しい概念構築をしている人が健全な精神の持ち主である。

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日本初人工知能システムの経験--アルゴリズム戦記(5)

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2006/09/09
日本初人工知能システムの経験--アルゴリズム戦記(5)

実は、1981年4月から1982年7月までの期間、誘導制御システムのアルゴリズム開発を済ませつつ、私はM造船様向け「全船種対応簡易設計積算システム」の設計・制作指揮・製造にあたっていた。「全船種対応簡易設計積算システム」は日本でフレーム理論をはじめて応用した人工知能システムとなったのである。おそらく実用的な人工知能システムとしても日本初だっただろう。フレームユーティリティは前年に國井研究室の先輩が完成しており、これを活用してゆくことになっていた。SE20名、プログラマ50名、パンチャー20名ほどの体制だったと思う。プロジェクトの元締めは日本科学技術研修所だった。4月に当社に入社したF君(修士)と私はコンビを組んだ。タンカーなのかカーゴ(貨物船)なのか、油も荷物も運ぶのか、総排水量はどのくらい、などの数十項目の基本要件を入力すれば船舶の基本的な簡易設計ができてご予算の見積もりもできるはずという経験豊かな現場の皆さんの思いを実現する仕組みだった。脱落者が相次いだので、途中から私がサブリーダのひとりとなった。徹夜続きで後半になると帰宅できるのは月に2度くらいだったと思う。元締めのボスはF女史という知力と体力と気力に満ちた女性で、この方の迫力に引きづられたといってよいかも知れない。
ハードウエアはIBM3000シリーズ、開発言語はS-FORTRAN(構造計画研究所製、構造化フォートラン)であった。データフレームと論理フレームに分離し、論理フレームには処理の選択が記述できるようにした。論理フレームは実は多量のCASE文で書かれた。論理フレームとは今で言う「予期駆動型フレーム」の原始的なものであった。お忙しい現場の皆さんに多大な時間を費やして作成していただいた簡易設計の手順書や見積もりの手順書を元にフレームは書かれたが、数千枚に上るフレームの大半をF君と私が書いた。フレームがなければ、膨大な見積ルールを計算するプログラムは果てしなくて完成にはいたらなかっただろう。

フレームの概念図:(私の講義録から)
Photo_8

開発の途中からスクリーンエディタが導入されたので、キーパンチャの必要性はほとんどなくなった。時代の変化というものである。そのころから私は3名ほどいたサブリーダの一人になっていた。
ユーザと応答するインターフェイス、フレームを駆動してアプリケーションシステムにくみ上げる部分、各項目に付属する処理プログラム(今風に言えばメソド)は、プログラムにしなければならない。プログラマと言えば当時実業の世界にはコボルのプログラマくらいしかいなかった。M造船の採用担当部署では大量の面接をこなしてコボルプログラマの中からいくらかでも柔軟な頭脳の人を探し出して採用するようにしていたようだが、ヒトの思考法をそのままプログラムに記述することになれたすばらしいプログラマであっても、ヒトの思考方法の道具を「思考の背後」にまわって作るとなると、混乱し、わけがわからなくなり、出勤しなくなり、都内からどこかに転居してしまうようなひともいた。「思考の背後」にまわりこむなどという体験は、それまでほとんどのヒトに体験がなかったからである。私とF君は引き続きHIPO(Hierarchy plus Input Process Output)といわれる設計書を書いてプログラマに渡す仕事に移っていった。HIPOも二人で数千枚は書いただろう。
最終段階は、作業場所が霞ヶ関ヒビルの52階(?)くらいのフローアに移った。私は、ナレッジエンジニアとプログラマとSEとPGの全部を任務としてやっていた。人工知能の考え方があまりにも従来のプログラムとは異なるので脱落者が多く技術者の補充が利かなくなっていた。開発は遅れがちで予算もなくなっていた。最後の数か月は無給だった。さすがにF君には引き上げてもらった。ついには、プロジェクトリーダに繰り上がった×高氏とサブリーダの私の2人だけになって、黙々と深夜に及ぶ作業をしていた。
ある日の午前3時頃、突然の地震が東京を襲った。×高氏は帰宅し、広い作業場には、私と、若くて屈強な男性オペレータさんの二人だけだった。高層ビル上層階のゆれは大きい。嵐の大波に揺られる船の中のようにフロアの端から端までゆっくりと大きく揺れる、その上にこぎざみな揺れが加わってくる。電灯はすぐに切れた。こぎざみのゆれでも1.5~2.0メートルくらいのゆれ幅はあっただろう。巨大な画面がついた端末機が、奥行きのある作業台から次々と床に落ち、大音響を立てて炸裂する。私は立つことができない。私は床の上に転がり激しく滑ってとめようがなかった。一緒にいたオペレータさんも転がっていた。オペレータさんはシステムをシャットダウンしようと何度も立ち上がってマシン室に駆け寄ろうとするが到底できることではない。もう、間に合わな~い、マシンがコワレる~、オペレータさんの悲痛な声が響いたがどうにもならなかった。マシンはとうとう復旧しなかったが、半日前までの開発成果はディスクパックに残っていて無事だった。
こんな体験をしながらも何とかシステムは完成し、それまでM造船では50名ほどの営業チームが2か月もかけて作成していた見積書が2人で2-3日も作業すれば完成することになった。激しい受注競争において国際競争力を確保したのである。M造船の担当者の皆さんが新橋の居酒屋で開いてくれた慰労会でのお酒が本当においしく感じた。「このシステムこそが、日本の造船業界の救世主になる」とどなたかが話していた。
この仕事で私が発明したものはないが、人々に知られることの少なかった人工知能システムの実際に取り組む貴重な体験を非常に早い時期にしたのである。先人の経験が聞けない仕事の大変さも十分に味わったが、私は人工知能の何たるかを体で理解した数少ない日本の技術者の一人になったのである。

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琵琶


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「体感」なくして「正解」なし--アルゴリズム戦記(4)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2006/09/06
「体感」なくして「正解」なし--アルゴリズム戦記(4)

1981年5月から1981年8月までの期間、「誘導制御アルゴリズムの開発」の仕事に従事していた。作業名に「~のアルゴリズムの開発」という名称が付くのは珍しいが、システムまでは作る必要がないという意味である。
発注主は日本の著名な企業の中央研究所である。紹介者も立派な研究者だった。私は、発注主に「どのような物体を誘導制御するのか」と聞いたが返事はなかなかもらえなかった。代わりに「実装コンピュータはどんなものか」と聞いてみた。回答は「ここにはないけれど、アナログコンピュータ(*)である」というものだった。「それではテストも出来ないではないか」と食い下がったら、顧客は自分達への発注主がテストプログラムを組んで実装テストを行うので心配は要らない、あくまでもアルゴリズムだけでよいのだと言うものだった。いささか妙な依頼だった。路上か、水上か、はたまた工場のロボットアームのようなものかとさらに突っ込んで聞くと、答えを渋った挙句、10日ほど待たされて、「空中を浮かぶものである。目標物も動いているもので、ここに自分を重ねることが目的である、それ以上詳しくは話せない、それ以上詳しく知りたいならばこの仕事はないものと思ってくれ」ということだった。「自分が目標物に当たって壊れてしまっても良いのか」と聞くと「まぁ、えーと、どこまで言って良いんだったかな。・・・、そういうことです」というご返事だった。口外しないという誓約書も場合によってはほしいということだったが、結局、誓約書は交わさなかった。口にはしなかったが、「わかった、それは、空対空ミサイル」である。あぁ、日本の自衛隊もついに空対空ミサイルを作るのか、と内心おもった。実は、その推測はある意味で大間違いだったのだが、仕事上の認識としてはそれほど外れてはなかったのである。
私は今も貧乏だが、当時の私はもっと貧乏だった。普通に言えば、失職して、お金を消費するだけの研究室に所属していたのである。会社は設立したものの私の貯金を運営費に投入している有様だった。家族との生活もあった。お話には、やや不透明な部分はあったが、お仕事を引き受けることにした。
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(*)アナログコンピュータとは
コンデンサや抵抗器を接続して作成した計算装置で、応答性が高く、動作部の制御に向いている。マイコンチップが今日のように普及していない時代には制御装置に組み込まれることがあった。回路はアルゴリズムごとに組み立てられた。計算精度が低いこと、コンデンサの劣化が進みやすくて使用可能な期間(耐用期間)が短いなどの欠点もあり、最近ではめったに使用されていない。

なに、簡単だよ、ウィーナさんがいる、と私はほくそえんだ。
第二次世界大戦直後、ノーバート・ウィーナー(Nobert Wiener )が提唱していた「Cybernetics」は大戦中の誘導弾の誘導システムに大きなヒントを得ていることは知っていた。学生時代、みすず書房から出ていた「人間機械論」などを心躍らせて読んでいた私は、簡単だと思ったのである。しかし、私は、図書館にこもって一両日ノートにいろいろと書きとめてみたものの何か満足が行かなかった。ノーバート・ウィーナーのフィードバックシステムは関連資料をみても、位置のずれ(差異)を基にして操舵するという仕組みであった。スピードの差異は無視してよいのか、・・・、いや、それだけではないぞ、もし、私がこんなにして相手を追いかけるときに、「操舵」だけではないはずだ、距離感だけで打ちかけても空振りするぞ、「速度感」か、いや、もっと、こう、そうか、「加速度感」をつかんでいなければ、相手に追いつかないではないか。私は、高速で空中を疾駆する弾丸になりきって考えた。まてよ、同じものが世の中に現存するならば、なぜ新しいアルゴリズムを開発する必要などあるのだろうか。通常の研究だってまずは既存ペーパーの調査からするのがあたりまえだ。顧客が過去の技術を知らないはずはないではないか。
翌日、私は顧客を訪ねた。「なぜ今までの技術ではいけないということになったのでしょうか」、私は率直に聞いた見た。「えっ、そこまで言わなくてはならないの? こまったなぁ、ちょっと待ってくれ」とお客さん。長い時間待たされて、回答は「目標物の速度が向上したために、従来型の制御システムの命中率が悪くなっているためである」だった。私は、さらに突っ込んだ。「従来のシステムは、位置の差異を見つけて操舵するタイプですか、速度も見ているのですか」と私。従来システムが速度までは見ていないならば、速度までを見れば命中率は向上する、その程度ならば簡単だ、と踏んだのである。回答は「位置と速度を見て、速度の制御もしている。それでもうまく行かないので、新たなアルゴリズムが必要になった」と冷や汗をかきながらのご回答だった。そうか、それはそれほど簡単なことではなかったのだ。ノーバート・ウィーナーの技術は実践の分野ではとっくに超えられていた。しかも、一歩先を行くはずの速度制御でも足りなくなっているという現実がここにはあったのである。私は、思わず、体の中が熱くなった。速度じゃ足りない、加速度だ! 叫びたくなる思いをこらえて、顧客の窓口担当者に礼を言い、その場を辞してきた。
私は、それから夢中になって、あることの思考実験を繰り返した。わが一族は武術家(吉川柳剛流)の末裔である。相手の竹刀が空を斬って襲い掛かる。単純な一本調子の切っ先ではない。右に左に上や下に自在に変化してくる。この切っ先をかわしたり、振り払ったりしながら、相手をしとめるのである。わが身も、右に左に飛び、空に浮かんで、体をかわす。このとき、わが体は、相手の位置、速度だけではなく、速度の変化を見ている。ゆっくりと誘いながらも急激に変化して襲う気だな、相手の顔の表情は読み取れなくとも切っ先の動きからこれを読み取る。わが身も、これをかわすべく、右下から一気に竹刀を振り上げなければならない。腕や肩の力だけでは足りない、背や腹の筋肉、腰の筋肉、腿(もも)、ひざ裏の腱(けん)、脹脛(ふくらはぎ)、アキレス腱(けん)、足指の先まで、力のかかるところの全てに一気に指令して力を分担して集中して一気に合成する。通常ではありえない速度の私の竹刀が、相手の左下から右上に駆け抜ける。目にも留まらぬ早業とはこれがうまくいったときのことである。そうだ、相手の加速度を読み、わが加速度(力)をコントロールすることにこそ、誘導制御の極意があるに違いない。私は、何度も状況を変えてこの思考実験を繰り返した。間違いはないと確信した私は、アルゴリズムの概要をフローチャートに一気に書き上げると、それを顧客に持参した。
相手は、私の「体感」の説明も聞いてうなづくと、しばらく、私の文書を読んでいたが、満足げな表情を浮かべて、「最終顧客が納得するかどうかは別にして、私は満足です」と言ってにっこりした。あわてて、私は「実装環境が分からないので、打ち切り条件や範囲外例外処理などについてはなにも触れていないのですがいいんですか」と聞く。「いいんだ、今回は基本概念さえつかめればOKなんだ」と言いつつ、私の文書をしまいこむ。「最終顧客って自衛隊ですか?」と突っ込んでみた。担当者は「近いけどね、日本じゃないんだ。ア×××さんでね」と言って、しまったという顔をした。えっ、ア×××さん、、、私は、ちょっとだけ背筋が寒くなっていた。今にして思えば、現在のピンポイント爆弾や地対空ミサイルの誘導制御システムの基本形を提供したことになるのだろうか。もっとも、今のそれは、相手の行動予測や気象条件などに対する配慮などの点でもう少しだけ進んでいるはずである。しかし、「操舵」だけから「操舵と推力のコントロール」へと制御の基軸を飛躍させたのは私のアルゴリズム開発にあったことは間違いがない。
今まで語ったことはないが、拘束力のある約束も存在しないし、どんな法律にてらしても機密保持期間はとうに過ぎているので、ここにこのお話を書くことにしたのである。いずれにしてももはや軍事関係者にとっては旧聞に属することに過ぎないものとは思う。
この、私が案出した操舵と加速度による制御という考えは、後日、平和利用の技術として、大切な場面で2度ほど活躍することになる。
ここで強調しておきたいのは「体感」とは、人類が200万年の時を掛けて、あるいは70億年の生物の歴史の中で体得した貴重な知識であり感覚である、ということである。正常な人体にやどる体感を裏切れば失敗し、これを尊重すれば成功するということである。
一方、このときの担当者とは違って、この体感のない人も多いということは後日理解し、苦労することになるのである。自家用車を運転していても、私は、スピードは主として目で確認しながら、加速度や、カーブの遠心力は主として体が感じている。これは、もしかするとスポーツマンや武術家だけの感覚なのだろうか。一般のドライバ十数名ほどに聞いた限りでは、速度しか感じないし、速度しか制御しないそうである。アクセルやブレーキを踏んだりハンドルを左右に切るのは、私の感覚では頭の芯やノドの奥、首周り、胸やお腹、に力を感ずることであるが、他の人には違うのかもしれない。耳を澄ませて目で測り五体で感じて車を疾駆させてこそ爽快と思うのは少数派なのだろうか。
蛇足ではあるが、ヒトは訓練か遺伝子の違いによって感じている世界も違うのかも知れない。
あなたには、健全な「体内センサー」がありますか?

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琵琶


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一緒に走るのって、好き!--我が家の愛犬様(16)

2006/09/06
一緒に走るのって、好き!--我が家の愛犬様(16)

愛犬様は、基本的に走るのが大好きである。(「うれしい! 怖い! 大雪!--我が家の愛犬様(10) 」「草原に生きる習性--我が家の愛犬様(13) 」、など)。
ときどき、広い公園にサッカーボールが落ちていることがある。地元の少年サッカーチームがよくこの公園使っているのだ。私が、サッカーボールを蹴るとほぼ水平に10数メートル飛んだ後、ボールはほとんどバウンドせずに一直線に転がってゆく。着地点からはその距離20メートルほどだろうか。愛犬様はここぞとばかりに飛び出してゆく。私の足からボールが宙に舞う瞬間には走り出していて、着地点でほぼ同体(一緒)になるとボールと一緒に走るのである。両手を広げて人間で言えば腕立て伏せの低い姿勢のように体勢を低くして、首をボールの側に向けて鼻先はボールの下側2-3センチのところに近づける。ウワォー、ガゥ、ガゥ、ウワォーと歯をむき出してケモノの声でボールを追う。どうしてこんなにおぞましい声をあげて、まるでヒキガエルのような格好で噛みつかんばかりに擦り寄って駆けるのか、と思もうばかりだった。自慢のお前の細くて長い脚だって台無しじゃないか。・・・あぁそうか、あの牙の位置は、イノシシや狸ならばなま首を下から狙う位置だ、と納得がいったのは、最近のことである。ボールがでこぼこの地面の抵抗に負けてやがて止まると、彼はちょっとだけボールのにおいを嗅いで何事もなかったかのように、後を追ってくる私のそばに走りよってくる。結局のところ、相手が生き物でなければ関心はないのだが、走るもの、激しく動くものに対しては強い関心を持ち、スピードでは決して負けまいという意地と根性を見せ付けるのである。
ところで、最近、頻繁に愛犬様の散歩係りを引き受けている我が家の奥さんは非常に重要なことを発見した。
そもそも、我が家の愛犬様は、メス犬が大好きである(「メス犬大好き--我が家の愛犬様(7)」)。散歩の途中で気に入ったメス犬と遭遇するとメスを追って縄抜け(ハーネス抜け)をやってのけたり、突然走り出して奥さんを振り切ってしまうことがあるのである。さぁ、奥さんは愛犬様がおとなしく振舞っているときこそ注意百倍にしないとだまされてしまうのだ。愛犬様は奥様の油断を誘って、一気に行動を起こす。あっと叫んだときにはもう遅いのだ。そんなある日、奥さんが遠くに愛犬様のお気に入りのメス犬を発見した。かの方向は、いつものお散歩コースからは離れている。そこで、奥さんはメス犬を無視していつもの方向にちょっと走ってみた。愛犬様は、奥さんをチラリと見やると、大喜びで奥さんの走る方向に走り出した。表情は喜色満面である。何よりも愛犬様は"一緒に"走るのが好きだったのである。群れの仲間と走るのであれば、何があろうと、走る、を優先する。群れが一斉に走り始めるオオカミの時代の本能が彼を貫いているのである。走るときの愛犬様の表情はほんとに嬉しそうだ。
その後、ライバルのオス犬と出遭ったときでさえも、奥さんは走り始めることにしたのだそうである。そうすると、なんと、不倶戴天のライバル犬のはずなのに、さっさとこれを見捨てて奥さんと一緒に走るのだそうである。
これは、大変な発見だった。これは、お散歩でトラブルを避ける重要な方法を発見したことになる。奥さんは大喜びだ。
そういわれてみると、私にも思い当たることがある。愛犬様は、私とのお散歩で、あるときからライバル犬に出遭うと、私の左側にぴたりとついて、離れないのである。すぐ近くの右手をライバル犬がすれ違うその瞬間でも、私の目線だけを見てライバル犬に視線を送らないのである。完全に無視する態度である。無視された相手の犬も、私の顔はうかがっているが愛犬様の方は見ない。なるほど、犬の習性とは面白い。相手の犬が完全にボスに従っていれば相手のボスしか相手にしないのだ。ということは、愛犬様は私を野外での行動においてもボスと認めたことになる。いつからなのだろうか。
実は、私には思い当たる日の出来事があった。「夜明けの散歩、巨大犬との遭遇--我が家の愛犬様(9) 」 このとき、巨大犬が去った公園で、奥まった高台の木立の茂みに走りよったとき、愛犬様は私に対して巨大犬と戦った同志的結束感を抱いていたに違いない。私と一緒に奥まった高台の木立の茂みに向かって走るとき、愛犬様はふとスピード緩めて、私の右端に並んで走り始めた。こんなときは夢中で全力疾走するはずなのに、かれは、まるでわれに返ったように私の走りに合わせたのである。途中には1メートルもない段差があったがこれを駆け上がるときは横目でしっかり私の動きを観察し、こけたり、遅れたりしていないことを確認していた。あくまでも並んで行くことに彼はこだわっていた。同じスピードで段差を駆け上がれたことにかれは明らかに満足していた。高みに駆け上がると、口を大きく開けて嬉しそうに舌を振り回して顔を私に向け私と視線を交わすと、また並んで走り続けたのである。一緒に、とびきり強そうな敵と対峙したこと、一緒に一歩もひるまなかったことは、彼をして私を外でも頼りになるボスと認識させたのに違いない。その直後の行動の変化は明らかにそれを意味していた。以降、私とのお散歩ではいっそう私の歩調にあわせるようと愛犬様は気を配っているように感じられる。--親バカならぬ愛犬バカかな--でも、私には愛犬様がとてもいい子になったような気がする。

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琵琶

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伝統的職人技に学ぶ、良いアルゴリズム--アルゴリズム戦記(3)

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2006/09/04
伝統的職人技に学ぶ、良いアルゴリズム--アルゴリズム戦記(3)

1980年9月から1981年4月までの期間、私は「国立国文学研究資料館」で書籍の全自動編集システムの開発というお仕事の現場にいた。
マイコンブームの始まるころで、プラモデルと見まごう位の組み立てキットが売られ始めていた。当然画面はなく、せいぜい4桁の数字が並んで光るLEDが付いていただけである。楽しかったが実用にはまったくなるものではなかった。実用コンピュータといえば大型コンピュータしかなかった時代のことである。
日本で初めて(ということは、世界で初めて)漢字プリンタが世に登場するというニュースが新聞をにぎわしていた時代である。登場しかけていたのは、コンピュータ制御機能付き電動漢字タイプライタということになる。日本発の漢字プリンタ(日立製)が国の予算をいただいて実験段階からようやく実用にこぎつけようとしているとき、これを利用した画期的な応用事例を作ろうというプロジェクトが始まっていた。「国立国文学研究資料館」等が所蔵する日本の古文書の総カタログを自動編纂しようという試みであった。背後には手作業でやれば3年以上かかるものを数か月で完成させたいという悲願があったようである。ご予算は当時の文部省(現在の文部科学省)から出ていた。
10年ぶりに戻った東京大学の研究室のボス(國井利泰教授、当時)が私に行けと命じたのである。プロジェクトが行き詰まっているようだから、とにかく行け、という説明だった。現場に行くと5年プロジェクトですでに1年半が経過していた。会議は1週間に1度開かれていたが、まったく進捗していないように見えた。現場には、ラディックス(現存しない)という当時最先端のシステムハウスがいた(企業買収により現「全労災システムズ」となる)。困っていたのは、ここの安楽泰宏社長(故人)だった。「国立国文学研究資料館」には、二種類の研究者がいた。一方の研究者は日本の古文書(石文、木簡書、和綴本、、、) の専門家であり、他方の研究者はシステム科学者だった。古典的な和書の作り方は詳しいが現代書籍の作り方はわからないとおっしゃる方々と、座標位置の決め方さえ教えてくれたらプログラムの設計はできるというコンピュータの専門家たちがいつも合わせて5-6名集まって毎週会議を行っていたのである。お互いに説明していることが、たいへん高尚な内容であることは互いに認識していたことは間違いがないが、理解に努めても、現代書籍の編集手法の糸口が見つからなかった。
私は、まず、両者の通訳を勤めることになった。私はシステムが理解できて、和書の作り方もわかっていたので、通訳は難なくできた。私にとってそれはハマリ役だった。一方で和書の言葉を現代語に翻訳して見せた--システム科学者はようやく目を輝かせた。他方でシステム科学者のカタカナ語を和語にして説明した--和書の専門家はようやく納得がいった。システム技術者が「文字の座標を決定するルールを教えてくれ」と繰り返す意味もようやく理解された。和書の専門家は質問の意味が理解できたことには感激したが返答には窮した。2度通訳を務めた会議の後、私はラディックスの安楽社長を訪ねて、このままではこのプロジェクトは失敗すると申し上げた。会議に出席していたラディックスの別の社員さんも別の言い方で、現状はうまくないと重ねて説明していたことは、後で聞いた。私は、現代書籍の編集手法が関係者に理解されない限り、システムはできないと強く述べ、その一部をかいつまんで説明した。彼は目を丸くして聞いていた。「うん、直感的にその必要性はわかったが、私には詳細が理解できない、現場の連中に理解してもらうことにする。ちょっと待機していてほしい」と言った。彼のこの直感が、このプロジェクトを救うことになったのである。私は、安楽社長に説明しながら、あることに思い至っていた。システム技術者は文字を印字する座標をいかに計算するかに腐心していた。安楽社長はこの困難を聞いていてそれを懇切に説明してくれた。わかった! 私は、心の中で叫んだ。「小組み」だ、この概念は新聞編集(整理)にでしか言われていないが、書籍にだってあるということを解明すればよさそうだ。私は、グーテンベルク以来の発見を瞬時にしてしまった。もちろん細部をつめたのは帰宅してからのことであり、「小組み」だけではなく「合纂素」という概念も新たに必要であることも数日の間の七転八倒の中で考えた。必要は発明の母である。
かつて自費出版の活動に参加していたとき、組版所で職人さんたちに私は「ヒライ(拾い)」という作業を教えてもらった。職人たちは、いきなり版組みをしたりしない。版の枠組みを決めると本文に入る一連の活字(書体や大きさが同じものという基準を頼りにして)を手持ちの枡の中に拾い集めてゆく。これが「ヒライ(拾い)」である。文字は裏返しで、文字の並びは一見逆になる。枡の中の文字がまとまると、行間や空白を埋めて一カタマリにまとめて、版の枠組みの中においてゆく。いくつかのまとまりが1ページ分の版の枠に入り、これ以上入らなければ、隙間をバランスよくつめて1個の版にする。余剰の隙間をバランスよく詰めてゆくあたりには職人のウデが現れる。職人たちはこの作業に小組み概念があるなどとは思っていなかっただろうし、今も思ってはいないに違いない。しかし、私は、この作業を心の中でたどってみれば、まさしく「小組み」概念が隠されて生きている、ことに思い至ったのである。詳細は別の記事(その記事の後半)に書いたので、ここでは述べない。はっきりとしているのは、伝統的な職人の技に学べばよいアルゴリズムに到達することがあるということである。職人たちは、いかに少ない材料で、いかにすばやくきれいに仕事を仕上げてゆくかを日夜研鑽しているのである。自分の工夫だけではない、親方の時代の工夫も当代の職人には受け継がれている、先々代の職人の技も今の職人の手わざに生きている、・・・、良くないアルゴリズムなどあろうはずがないのである。"経験知に基づく手法"は今日"ヒューリスティックス"と呼ばれて自然アルゴリズムの一種としてその地位を認められるようになっているが、当時はまだ邪道であるかのような扱いがされた。しかし、アルゴリズムとは、とりもなおさず「段取り」のことなのだから、専門家(エキスパート、職人)の知恵が悪いはずがないのである。
1週間後、私はラディックスの会議室(社長室と兼ねていたと思う)に出向いた。会場には20名余の技術者が立ったままぎっしりと詰め掛けていた。私は、数枚のレジュメを用意して説明を始めた。私の説明は、会場からの質問でたびたび中断された。「先生は、"天下り"を"テンサガリ"と言いましたが、"アマクダリ"の間違いではないんですか?」(会場から、笑い)、「書籍のテッペンの平らな部分を"天(テン)"というんですよ。昔、本の"天(テン)"は鋭い刃物できれいに化粧断ち(ケショウダチ)しました。"天(テン)"は職人たちにとって重要な意味があったのです。この"天(テン)"の切り口から、本文が始まる位置までを"天(テン)"からの"下り(サガリ)"という意味で、"天下り(テンサガリ)"というんです。官僚の天下り(アマクダリ)とは意味が違うんです」(私、会場からはフーッというため息)、という具合である。予定の時刻を過ぎても話は終わらない。延々とレクチャは続いた。文字位置(座標)を決めるルールは合纂素ごとに存在し、ひとつの階層化された合纂素のそれぞれに属する合纂素の中にある「小組み」の階層構造によって決められるのである、ということがようやく理解された頃には、帰りの電車がなくなりかけた頃だった。
実は、一方で、システム科学者の一人がPascalですでに試作プログラムを作り始めていた。彼は飛び切り頭のよい人だったので、現代書籍を分析してアバウトな数式を導き出していた。一文字ごとに十数ページにわたる数式を多段階に座標計算をするもので、1ページを組み立てるのに最先端のコンピュータで半日以上の処理時間がかかっていた。500ページにもなりそうな総カタログの制作には実用的とはいえなかった。彼の数学力はたいしたものだったので、天動説の複雑な数式に似た数式の体系をあみだしていたのである。しかも、文字の位置は、誤差が累積して、人の目にはガタガタでそろって見えていない。読むに耐えない有様だった。処理スピードを上げるためには計算をを省略しなければならず、計算を省けば文字列の不ぞろいはもっとひどくなる。他方、現状以上に文字列の不ぞろいを減らそうとしても、そのアルゴリズムが思いつかないと、ややノイローゼ気味だった。
2-3日後、彼と会うと私は「小組み」の概念を語った。私が身を寄せた国井研究室出身のそのシステム科学者はたちどころに「理解」した。手を打って「これならばいける」と言った。小組みをページ内に入れてから、できた隙間を比例配分で調整するなどのアルゴリズムが特に気に入ったのである。近くに配置される文字の相対位置を重視する私のアルゴリズムでは、文字列がガタガタになるなどのことはありえそうでなかった。しかも、計算量は3桁以上は減るに違いないというという目論算は自明だった。地動説の数式が天動説に比べて単純明快であったように、私のアルゴリズムはきわめて単純で強力だった。
一気にシステム設計は進んだ。開発言語はPL/1と決まった。PL/1はCOBOLにもFORTRANにも近い言語である。COBOLのプログラマもFORTRANのプログラマも同時進行で仕事に取り掛かれることになった。FORTRANしか知らなかった私もPL/1で初めてプログラムを書くはめになった。こうして私のお約束の期間はハッピーにたちまち終わった。この期間が過ぎた初夏のころ、研究室にはアメリカ数学会会長のKnuthによるTEXのマニュアルの非公開版("Confidential Edition")が密かに持ち込まれて皆で検討会なども開いたが、タブ言語である点を除くと私のアイディアのごく一部がそこには重複して見られるに過ぎず、新しい知見はなかった。TEXはまだ"ゆりかごの中"にあったのである。仕事が進むにつれて、まったく新しい仕事にはつき物のつまずきはしょっちゅう発生した。しかし、私は期間後も持ち込まれる問題に次々と新しい概念で克服していった。ここでご一緒した研究者の皆さんが後に桐生や西陣のソフトハウスの皆さんと作成したのが日本語ワープロや日本語DTPシステムである。日本語ワープロや日本語DTPシステムの基本概念は、誰がなんと言おうと、私が元祖である、と私は思っているのである。ちなみに桐生や西陣では、ジャガード式幡織機を制御するシステム開発の会社とその技術者がうでを競っていたのである。和の絹糸の織物(アヤ)から和の字の文(アヤ)へ。歴史には必然性が貫かれているのである。
開発はそれから1.5年で終わり、テスト稼動と部分修正に半年ほど掛けた。そして、プロジェクトは1年間あまってしまった。予算も1年分あまったはずだが、どう処理されたのかはわからない。安楽社長からは事後、かしこまって私にとっては身に余る多額の謝金をいただいたように記憶している。私もかしこまってこれを押し頂いた。金額は覚えていないが、大きな立派な熨斗袋だったことは覚えている。
当時、プロジェクトのメンバーで「国立国文学研究資料館」の職員の方が、書籍における小組みと合纂素の概念は私の発案であることを後世に残しておきたいとおっしゃって、当時の「国立国文学研究資料館紀要」にことの次第を書いてくださった。そこには私の実名と仕事についての記載がされている。当時は一介の素浪人であった私の名誉を律儀に守ってくださった心温かい方々に心底から御礼を申し上げたい。

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琵琶


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國井利泰先生のバースディ・パーティ--交友の記録(10)

2006/09/02
國井利泰先生のバースディ・パーティ--交友の記録(10)

本日(9月2日、土曜日)、昼の時間帯(12:00~14:00)に、東京ドームホテル42階で、國井利泰先生の誕生会が行われた。69歳になられたそうである。私とは9つ違いの大先輩である。
以前の記事にも触れたが、國井利泰先生は若き日、東大駒場(教養学部)のクラブ=TSG(Theoretical Science Groupe)の初代総代だった。4年後、3代目の総代となった私は、ときどき本郷(専門課程)からやってくる怖い先輩と接することになった。この先輩が、國井利泰氏だった。一度社会に出てから東大に入られた國井先輩は、私の3-4年上の学年にいたはずである。当時、日本は科学技術では世界の落ちこぼれになるのではないかといささか"憂国の念"に駆られていた理工系の学生たちの集まりだったそのクラブは、シュポルスキーの物理学のテキストを輪講に使っていたことなどを思い出す。
私が、大学を出た後、骨をうずめるつもりだった出版社勤務10年の最後にその会社の社長と大喧嘩をして退職すると、そっと私をかくまうように研究生として受け入れてくれたのは、この國井利泰先輩(当時は理学部情報科学科の教授)だった。1年間の研究室の生活は、心の傷を癒して再起のためのエネルギーと情報技術の最新知識を蓄えるよい期間だった。
当時、私を教育してくれた金崎克巳氏や飯沢篤志氏(年下の先輩たち)も、来場していた。もう、49歳と48歳になるそうで、時の過ぎる速さを思い知らされた。彼らは、國井利泰氏の奥様(國井秀子女史)が社長を勤められたリコー中央研究所の人的エンジンとしてフル稼働し、今は、リコー全体に目配りする立場に立っているらしい。ご本人らの能力からすれば当然過ぎる成り行きである。
今日の会の幹事は、茅暁陽(MAO, Xiaoyang、山梨大学大学院医学工学総合研究部助教授)である。多彩な弟子に恵まれている國井先生ではあるものの、この先生は中でも異色の人材かもしれない。
奥様は、あい変わらずエネルギッシュで、リコーの執行役員である傍ら、政府のご意見番のお仕事からご主人の健康管理までをこなしているご様子には、ただただ頭の下がる思いだった。
筑波大学と会津大学の名誉教授の池辺八洲彦先生、國井学長のころの会津大学で副学長をされた村川久子先生も出席されていた。お二人のお話をそれとなく伺うとまたなにやら國井先生がらみで新しい大学を作る企画が進行しているよし。いつになっても意欲的でお元気な人々である。来場されていた現役のトップは、私と同時代に研究室にいた(年下の先輩)だった北川博之教授(筑波大学第三学類長)だろう。歳は重ねてもどこか親しみやすい顔は変わっていなかった。東大が支援するベンチャ1号のお弟子さんも、リコーから独立した3Dグラフィックスのベンチャ(NASAに納入している)の社長も来ていた。日本テレビの役員で日本テレビサービスの会長を務める平林邦介氏、海音社の社長平林幸恵女史とマネージャの松永覚氏も来ていた。日本のデータベースとグラフィックスの開祖は國井利泰先生といってもよいので、これらの人々も集まったのだろう。そのほかにも40歳台以下の若い元気な人たちがたくさんいた。
國井先生は、今年5月、締め切りに追われて1か月に4本の論文を徹夜で書き上げて、あごの骨の骨髄炎になって入院していたのだそうだ。相変わらず無茶をするひとである。声帯を制御する神経の片側が切れてしまったのは10年近く前で、声はかすれているが、聞き取れないほどではない。前回のお誕生会(4年前)よりは、声が明瞭になっている。5月の入院で出会ったドクターが声帯の専門家で、加療すればかなり良くなるはずとおっしゃっていたそうである。國井先生はこのドクターを頼って治療に挑戦するつもりらしい。声が今以上に出るようになればもっと活躍が期待できる。2年前に胃も切ってしまったというので、食事はこまめにとる必要があるらしいが、野球の王さんをはじめとしてその手の人は多いのでそれはさほど心配はないだろう。
近況報告では、私も生きている間は精一杯生きるつもり、今日の集まりを見ても明らかなように國井先生をたよりに生きている人は私も含めてたくさんいるので、これらの人々に広く強い光をください、これからもぜひ活躍しつつ長生きを、とやや大げさに申し上げた。
話し終えてから、内心で「しまった、私にパーマネントの仕事をくれと宣伝するつもりだったのに忘れてしまった」と悔やんだが、後の祭りだった。わが人生の今までどおり、前のめりに倒れるその日まで熱意は誰にも負けないという自信があるのだが、世間の皆さんはどう見てくれているのだろうか。社長業は今の若い候補者たちに直ちに譲って、大学の教員かNPOの事務局などに専念できればありがたいと、切に切に希望しているのだが、・・・。下心というものは、うまく行かないものである。それに私の会社の跡継ぎの若者たちにも皆様からのご発注をと言うのも言いそびれた。
國井先生、お元気なお誕生日、おめでとうございます。次のお誕生会でも、その次でも、・・・、お元気なお姿をいつまでも拝見したいと念願しています。

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琵琶


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