カテゴリー

  • 日記・コラム・つぶやき
  • 経済・政治・国際

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

「美空ひばり学会」を聞く--感性的研究生活(14)

2006/12/30
「美空ひばり学会」を聞く--感性的研究生活(14)

今回は、いつもと違って忘年会で拾ったわき道のお話である。
いよいよ押し詰まった年末である。例年よりは少なかったが、それでも忘年会は今年9件ほどこなした。昨日は、本年最後の忘年会であった。飲み会といえばほとんどがシステム系の人たちとご一緒することが多いのだが、昨日集まったのは出版界の人々である。
その中に、近年「美空ひばり学会」に参加しているという人がいた。へぇー、そんな学会まであるのかと酔った勢いで根掘り葉掘り聞いてみた。いや、いや、昨年の忘年会でも同じ話を聞いた覚えがあるが、聞き流していた。改めて聞いてみると面白い。この紳士は川田正美氏と言い、私よりもやや年長の色白の美男子である。法政大学在籍時代は平家物語の文学研究に参画していたというが、社会に出て理工系出版社に入社、歴史学からは遠ざかっていたらしい。出版社勤務のころには出版健保の理事なども経験しているが、そのころ別の出版社にいた私と知り合った。しかし、親しくなったのは、それから20年ほどたった後のことである。彼は折り合いの悪かったその出版社の社長ととうとう決裂して、定年まであと1年という時期に長年勤めた出版社を憤激のあまり退職してしまった。退職届をたたきつけたその日の晩、自宅に向かう道すがら彼は私のところに電話をしてきた。フリーの編集者として生きてゆくためのアドバイズを求めてきたのである。私は、慎重で我慢強い彼がそんなことをするとは思えなかったので、耳を疑ってしばし絶句してしまったが、まずは、古くからフリーの編集者をしている心安い友人の電話番号を教えた。
苦労がないということはないのだろうが、その後の彼は生き生きとしている。束縛されない人生--かつて彼は身をかがめて生きていたが--今は、背筋をしゃんと伸ばして生きているのである。
彼は、仕事以外にもいろいろなことに手を広げていた。「美空ひばり学会」もその一つだった。彼は熱っぽく語る、たとえば、「美空ひばり」という芸名は、いつから使用されていると思うか? 実は、2つの有力な文献でそれぞれに異なる説が採用されている、昭和22年説と23年説である、有力なのは23年説であって、横浜国際劇場公演の後の23年秋に命名とされているというのだ、一方、有力でない説によれば、昭和22年10月4日日劇小劇場の楽屋で命名されたことになる・・・。
それで、彼は、その二説の真偽を確かめるため、国会図書館に出向いた。彼は昭和22-23年の膨大な資料を読み漁って、一つの新聞広告を見つけた。昭和23年6月1日付け神奈川新聞に掲載された1段16行くらいの小さな広告である。広告主は横浜国際劇場である。ここには、出演者の一人として小さな文字で「美空ひばり」の記載がある。この日の新聞に「美空ひばり」が記載されているということは、この日の後の23年の秋に命名されたというのはウソであろう。この真実を突き止めるまでのドキドキ感を彼はうれしそうに語った。
 川田正美、「ひばり歌謡年表(12)」、美空ひばり学会ニュース、p.7-9、2007年1月1日号(2007)
「美空ひばり学会」には学術部門と学芸部門があるのだそうだ。いわゆる学会という通念とはいささか異なるようだが、いかにも楽しそうである。真実の探求という活動も地道に行われているのが面白い。平家物語の文学的研究からはずいぶんと離れた世界だろうが、研究という意味では同じだろう。私の主たる興味の対象ではないが、大いに親しみを覚えた。真実を突き止めるまでのドキドキ感は、どんな分野でも同じはず、強い共感を感じざるをえなかった。
大いなる発展を期待したい。

△次の記事: 感性的研究生活(15)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2007/02/sh15_06a0.html
▽前の記事: 感性的研究生活(13)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/06/13_ba6d.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  感性的研究生活シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

世界の富の集中と格差拡大、国民国家の命運--情報社会学、予見と戦略(8)

2006/12/25
世界の富の集中と格差拡大、国民国家の命運--情報社会学、予見と戦略(8)

少し前になるが、12月10日アサヒコムは、次のような記事を掲載した。
世界の人口の10%で世界の富の99%の富を所有し、世界の貧困層は、1%の富を世界の人口の半数で分け合っているに過ぎないと指摘されている。
とりわけ、もっとも富裕な世界の人口の1%は世界の富の40%の富を所有している。

「1人あたりの富は日本が世界一--国連大学研究所の調査」、アサヒコム、2006.12.10
http://www.asahi.com/international/update/1206/006.html
-------------------------------------------------
1人あたりの富は日本が世界一 国連大学研究所の調査
2006年12月06日12時04分
国連の研究機関が5日発表した「世界の個人の富の状況」調査で、為替レートで計算した1人あたりでは米国や欧州、産油国も上回って日本が世界で最も豊かな国となる結果が出た。また、世界の成人人口の1%が世界中の家計の「富」の約4割を所有し、世界の約半数を占める貧しい人々は「富」の1%しか所有していないという地球規模の格差の実態も浮き彫りになった。
調査は、国連大学直属の研究機関である国連大学世界開発経済研究所(ヘルシンキ)が初めて実施。00年時の各国政府や国際機構の統計をもとに、不動産や預貯金、株式などの個人の資産から借金などの負債を差し引いたものを「富」と定義した。国有資産となっていることが多い原油などの資源や大企業の資産は除外された。
それによると、世界中の家計の富を合計すると125兆ドル。1人あたり2万500ドルとなった。国別に見ると日本は1人あたりの富が18万1000ドル(約2000万円)でトップ。米国の14万4000ドルなどを上回った。
ただ、物価水準を考慮した購買力平価で計算すると、日本はスイスや米国、英国などを下回った。
日本の特徴について、調査は「90年代の不動産や株式の市況の低迷も反映し、預貯金など流動性の高い資産を強く好んでいる」と指摘している。
貧しい地域では、コンゴ(旧ザイール)が1人あたり180ドル、エチオピアは193ドルなどで、北米やヨーロッパ、日本などとの1000倍規模の激しい格差を示している。世界を10人の集団にたとえると、1人が99%の富を独占し、残りの1%を9人が分けている状態だという。
世界で最も資産の多い1%は、37%が米国に、27%が日本に住んでいた。
-------------------------------------------------
ニュースソースは下記と推測される。
国連大学による英文のプレスリリース
国連大学による日本語のプレスリリース
ニュースソースによれば、これは、2000年の国際的な家計調査に基づく報告で、国連大学世界経済開発研究所(UNU-WIDER、ヘルシンキ)が本年12月5日に発表したものである。
ここで、もっとも富裕な世界の人口の1%は世界の富の40%の富を所有しているという事実は大きいだろう。世界の富の集中は、以前にまして極端になっているように思われる。その後もこの傾向には歯止めがかかっているようには思えない。
おそらく、このもっとも富裕な人々の多くは、世界の地域間格差を利用して富を獲得する国際商取引によって富を得ているに違いない。このことによって、彼らは、矛盾する2つの行動原理を持っている。世界が国民国家という区切りによって隔離されていることが、世界の地域間格差を固定する唯一の制度的保障であるのでこれを支持する。しかし、他方、国民国家の縛りは、国際商取引の障壁となって立ち現れ、しばしば高額の関税や法人税を支払わせられる。彼らは、関税や法人税などが安くて、言語や習慣などの文化的障壁も少ない地球上の地域に逃げてゆきたがるのである。彼らは、多数の国民国家を競わせて、特定の国際的に富裕な階層を優遇する国にだけ税金を支払おうとするのである。
世界を覆いつくす国民国家群は彼らが収める税金が国家財政を左右するので、彼らの誘致に躍起になっている。各国ともに累進課税率を下げ、いろいろな理由をつけて特定の富裕層に外交官特権並みの特権を与えているのが実情である。日本も、累進課税率の引き下げをますます進めようとしている。今回の報告で2000年での日本は貧富間の格差が少ない国(日本のジニ係数0.55、アメリカ0.80、世界平均0.89)とされているが、その後の日本の貧富間の格差は急速に拡大しているはずである。この拡大はさらに進むだろう。格差社会は避けようがなく、やってきている。
国民国家の富裕層優遇競争は激化の一途をたどるはずなので、1家で国民国家並みの財産を有する人々が増え、数軒が連合すれば国民国家でさえ買収できるようになるだろう。アメリカはすでにこの状態に近いという指摘がされて50-60年が経過している。ブッシュが中東で危険な賭けに出たのも、アメリカの石油資本の意向が大きいといわれている。
国民国家は、格差が進むと所得税を国民多数から満遍なく取っても、一人当たりの富は少ないのだから、総額は少なくなってしまう。累進課税率も下げざるを得ないから、その埋め合わせを富裕層に求めることができない。消費税だけが、安定した税収の源ということになってしまうのである。
国民に対して福祉行政と補助金ばら撒きで求心力を図ってきた国民国家はそのための財源を失っており、福祉と補助金を削減し続けている。数年前、ある行政マンは、私に、福祉行政と補助金ばら撒きに熱を上げていた半生を振り返って、「あの政策は、国民買収政策だった。あのバラまきがあったからこそ国民はついてきた。あのバラまきができなくなった今は国民の反逆が心底怖い」と語った。私は「プチ経営者を多数作って私たちのような貧民層に自己責任を負わせ、警察と軍隊を強化するのが国家の安定の唯一の道というわけだね」と応じた。彼は、深くうなずいて「自立支援というのは、就職も排除しないが、未来永劫資本蓄積のありそうにないお金のない"経営者"をたくさん作って国民の不満を自己責任の名を持って抑制するということ、防衛庁の省への昇格・警察改革警察官増員は強い国家をアピールしてお金持ちが日本から逃げ出さないようにするとともに国民の不平不満の増加による社会的混乱に備えるものということだね」と語った。これはおそらく国家の行政を預かる人々の偽らざる本音であり、ある意味でまことに潔い発想である。
世界は、日本も含めて、省福祉の時代と戦乱・暴力の時代を迎えようとしているのである。この暴力の時代を、市民は自己防衛のために、地域を越え国境を越えて生存のための結合を進めるだろう。国境を越えて行動するのは特定の富裕層だけではない。大量のわれら貧民層であっても同じである。電子的ネットワークの進化はそれを可能にしていると言うのが、私の未来予測の根底にはあるのである。省福祉の時代と戦乱・暴力の時代をいかに被害少なく乗り越えることができるか、それは、現在の若者たちの知恵と勇気いかんである。
歴史を紐解けば、中国で殷の国ができる前、中国北東部の地域では、人口が漸増して3000万人に達すると戦乱とこれに続く流行性感冒(インフルエンザ)によって人口が10分の一の約300万人にまで急減することを繰り返したといわれている。春秋戦国時代の宋の首都周辺地域では、5-6000万人の人口が戦乱の時期にやはり10分の一程度の5-600万人にまで急減したと最近の中国の歴史研究は伝えている。戦乱・暴力の時代がいかに過酷かを垣間見ることができる。人類は歴史から多くを学んでいるはずであり、またかつてよりは社会科学も自然科学も進化しているはずである。何よりも情報技術の進化は目覚しい。来る混乱の時代を被害少なく乗り越える英知と渾身の働きを、次の世代の人たちに期待したい。

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(9)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2007/04/9_0f7e.html
▽前の記事: 情報社会学、予見と戦略(7)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/12/307_9f96.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  情報社会学、予見と戦略シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

愛犬様は声楽家?!、モーツァルトで歌う--我が家の愛犬様(18)

2006/12/19
愛犬様は声楽家?!、モーツァルトで歌う--我が家の愛犬様(18)

昨夜のことである。NHKテレビにはモーツァルトの演奏が流れていた。
ウァー、ウゥー、ウィー、イー、イー、、、愛犬様は、重低音からソプラノまでの音程をつけて、鳴くのである。きちんと正座して鼻を天高く突き上げて、ウゥー、ウィー、イー、イー、、、ソプラノの上の音域は出ない・・・。それは無理というものだよ、と私。
モーツァルトの曲は、一瞬悲しげに見えたかと思えば華やかに軽やかに曲は展開し、憂いを見せたかと思えば愉快そうに奏でられる。指揮者とオーケストラの変幻自在な演奏に私も妻も酔っていた。その傍ら、わが愛犬様もモーツァルトに酔いしれていた。曲が盛り上がる場面で愛犬様は、声を張り上げる、曲が静かに落ち着くと、愛犬様も首を下ろして、舌なめずりする。曲が盛り上がるとまた声を張り上げる。まるで合唱しているかのようだ。
私が呆れ顔で、いな感心して愛犬様を眺めていると、妻が言う。「これで2度目なのよ。モーツァルトだと歌うのね」。はぁ、なるほど、モーツァルトだと歌うのか。なるほどモーツァルトの曲は心地よい。ヒトの心の奥底に働きかけてくる。そうか、ヒトより前の哺乳類のリズムと旋律なのだ。愛犬様は私たちと共通の祖先を持つ哺乳類、彼もモーツァルトには心地よく歌うことができるのだろう。
犬の歌、ヒトはこれを遠吠えと言うのだろう。仲間を求め、敵を知らせ、獲物に向かう隊列を整える、、、そのときの遠吠えは犬の歌。ヒトも太古の時代、隊列を組み狩に出かけたり、群れの移動や敵と戦うときに、あるいは大量の果物や魚介類を手に入れたときに、雄たけびの歌、行進の歌、労働の歌、戦いの歌が歌われたのだろう。恋の歌も、新しい命誕生の喜びの歌もあっただろう。歌は人々の命の躍動の一部だったに違いない。モーツァルトの曲はそんな古い、移ろいやすいヒトの心の一瞬を歌う古代の歌につながっているような気がする。
愛犬様も共感できる曲、それがモーツァルトなのかも知れない。
しかし、愛犬様は、毎日、ある時間になると遠吠えする。市役所の防災放送機が、一日1回、午後5時に「良い子の皆さ~ん、もうおうちに帰る時間ですよ~」と放送するそのときである。防災放送機の動作確認をかねているそうで市民の間には騒音と感ずるヒトもいて賛否あるのだが、この放送の瞬間、愛犬様は立ちあがって、鼻を天に突き出すと、ウォーン、ウォーンと雄雄しく遠吠えするのである。そうでした。モーツァルトばかりじゃありません。愛犬様は防災放送にだって合唱してしまうのである。耳を澄ますと近隣の犬たちも皆遠吠えしている。
鳴き方は微妙に異なっている。防災放送の時は、ヒトのハラワタをえぐるようなすざましい迫力である。モーツァルトのときは、ややかわいいかな、というのは私のひいき目だろうか。
とりあえず、愛犬様はクエッションマーク付きで声楽家?ということにしておきたい。
ウォーン、、、、。

△次の記事: 我が家の愛犬様(19)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2007/01/19_48bf.html
▽前の記事: 我が家の愛犬様(17)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/12/17_af17.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

脇の下に顔、親離れ失敗--我が家の愛犬様(17)

2006/12/18
脇の下に顔、親離れ失敗--我が家の愛犬様(17)

愛犬様は、今年9月ころ親離れをしようとしてあがいていた。それはけなげな葛藤であった
しめしめ、と私はほくそえんでいたが、事はそう簡単ではなかった。我が家族が、いろいろと妨害するのである。
私が、夜、愛犬様のそばを通りかかると、愛犬様は「どうしよう、どうしよう」と動揺を隠せない。今までのように、一目散に駆け寄ってきたり、玄関口に上がろうとしたりはしない。愛犬様用に玄関の脇に詰まれた布団に頭を押し付けて、もがいてみたり、目の周りを手で仕切りとぬぐって、私をわざと無視する態度をとるのである。そこで、そっと立ち去れば、恨めしそうに私を見上げながら見送っておしまいになるはずだが、息子や奥さんが声を出す。「ほらっ、お父さんが行っちゃうよ。いいの!?」「お父さん駄目だよ。彼はお父さんを待っているよ」・・・。
ええっ、・・・、思わず私も動揺する。私が躊躇すると、すかさず愛犬様は、玄関を駆け上がって、全力で私の腰の辺りに体当たりする。やむなく、愛犬様を受け止めて腰を降ろすと、愛犬様はひざの上で早速仰向けになって、甘えのポーズ!!!・・・。あごの下やお腹をさすってあげていると、舌をだらりとして、両腕の力が急速に抜けてゆく。「おいおい、もう寝床に行きなさい」と私が言うと、仰向けのまま顔を両手で隠すように抱えて私のお腹の下にもぐりこませるようにする。「いないいない、ばあ」の表情である。私のお腹はいい加減に膨らんでいる。その下がちょうどいいらしい。彼の手の間から目は見えているのに、「見えないでしょ」と赤ん坊が言うような態度を見せるのである。ウチの息子もこんな時代があったなぁ、などと思うと、私の力も抜けてしまう。しようがないか、しばらくそのままにしてやれ、と考える。
やがて、オネムになると、愛犬様は体勢を横向きにして、お腹を私のお腹にぴったりとくっつけて、顔を私の胸にうずめるようにする。唇の先でビチュビチュと小さな音さえ立てる。母犬ならば、乳をねだられたと感じてじっとするところなのだろう。「こらこら、お父さんにはオッパイはないからな」と私はときどき怒ったようにいう。妻と息子がそばで笑いこけている。
そんなときには、そっと、寝床に押し出してやれば、素直に自分の布団に丸くなることもあるのだが、最近はさらに粘るのである。最近のワザは、「寝床にゆきな」というと、すばやく体勢を変えて、私の脇の下に顔を突っ込んでくるのである。テコでも動かないぞ、という態度である。そのまま、寝息を立て始める。妻が、そうっと、私の背中に回って、私の腕の下から愛犬様の顔をのぞく。愛犬様は、眠くてたまらないのに、何か気配を感じて、あわてて目を白黒させる。そのあわてぶりがおかしいと、妻と息子がかわるがわる遊ぶのである。たわいのない家族である。
かくして、我が家の愛犬様の親離れは失敗に終わった。子育てはほんとに難しい。我が家の愛犬様は依存性人格障害、否、依存性犬格障害になってしまうのだろう。もはや元に戻ることはないだろう。飼い犬には多い症状だ。子育ての理論は立てやすく、実践は難しい。

△次の記事: 我が家の愛犬様(18)

http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/12/18_0994.html
▽前の記事: 我が家の愛犬様(16)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/09/16_53d3.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

直近未来30年の人類史激動の予測図--情報社会学、予見と戦略(7)

2006/12/10
直近未来30年の人類史激動の予測図--情報社会学、予見と戦略(7)

以前にも指摘したが、私は、早くから1980年ころから始まる高度情報化社会は「参加型市民社会」の時代であるとしてきた。
注: このブログでは大き目の図は無理やり縮小されるので、読みにくくなってしまう。図にマウスカーソルをあてて、マウスの右クリック-ポップアップメニューから「リンクを新しいウィンドウで開く」を選択すると少し見やすくなるだろう。

60

この市民参加型社会は、30年前団塊の世代が働き手として社会の中心を占めることによって始まり、団塊の世代が社会を卒業する今終わりを告げようとしている。私も、人生の軟着陸を模索する歳になっている。さて、次の時代はどうなるのだろうか。私の時代はもう終ろうとしているので、「その後」のあらましの予測は躊躇していたのだが、人々は日々生起する現象を追うばかりで、その本質を見ようとしていないように感じられ、黙っていられなくなってきた。5年後、10年後、30年後のことなど、あっという間にやってきてしまうのである。
先週末(12月8日、金曜日)、ある団体の集まりでお話をする機会をいただいたので、予測を少し整理してみた。
私が、現時点で予測する今後世界の約30年は次のとおりである。
前図の右端の赤い矢印が次図の左端の矢印に相当する。海原の波も、時代の波も、前波の返す間に次の波がやってくる。

060

5年ずつ重なりを見せる10年程度ずつの5つの区切りを経て、2030年ころからは人類社会または地球国家とも言うべき社会が成立するという予測である。
図では見にくいので、その重なり合う五段階を記すと次のようになる。
近未来の5段階予想:
1.食品・健康・介護の自助組織など(2005年-2015年)
2.自警・防犯・軍事自助組織など(2010年-2020年)
3.ネット共和国・二重国家状態など(2015年-2025年)
4.消産直接取引き・地球エンターテイメントなど(2020年-2030年)
5.人類社会または地球国家など(2025年-2035年)
グーグルの幹部は、「もし、世界政府というものができたならば行うであろう情報サービスのすべてをグーグルが行う」と語っているそうである。彼らも、またかなり先を見ていることになる。彼らは、私の予見に沿って言うならば2015年ころから2025年ころにやってくるであろう「3.ネット共和国(二重国家状態)」を予想しているということになる。他方、「1.食品・健康・介護の自助組織など」「2.自警・防犯・軍事自助組織など」「4.消産直接取引き・地球エンターテイメントなど」「5.人類社会または地球国家など」は視野にないようである。これはいかにも中途半端であり、どこかでつまずく心配がある。現に、新聞に「グーグル誤算?」などと大々的に書かれるような事態にもなっている。それでも、他のどんなシンクタンクよりも彼らは先を的確に見ていると私には感じられる。顧客からの精一杯のわがままを委細もらさず実現しようと寝食を忘れて戦ってきたシステムの老兵士である私の目には、精一杯のわがままの先にあるもの、未来の世の中が見えているのである。グーグルさん、君たちは偉い。もう少しで私が見えているものに届きそうだ。
今は、新たなステージの上で人がその生理的欲求を満たそうとする時代である。食品・健康・医療・介護などの市民的自助組織が急速に普及している。
上図を見ればわかるように、未来はばら色ばかりではない。人類社会または地球国家に至る前には、武装する市井の団体(NPO軍隊、株式会社軍隊)などがやむなく広がるような混乱した戦争と暴力の時代を通過しなければならない。これが食品・健康・医療・介護などの市民的自助組織が急速に普及した後に(正確にはその途中から)来る世界情勢である。その時代のはしりはもう始まっているのである。報道されることが少ないがアラブにはNPO形式の軍隊があり、紛争各地に派遣されている。アメリカから見ればそれらはすべてテロ組織の一部であろう。そのアメリカには株式会社の軍隊が多数存在している。この株式会社の軍隊は退役軍人を中心に作られており、イラクで正規の米軍よりももっと危険な任務についている。軍隊の民営化は始まっているのである。市井の軍隊はもうすぐである。この時代をできるだけ抑制的にいかに被害を小さくして通過できるかに、人類の英知が試される。これらの後、正確にはその途中からグーグルが少しゆがめて予想しているネット共和国の時代が始まるのである。その時代は10年ほどで終わり、世界にまたがる消産直接取引きや地球エンターテイメントなどの華やかな時代をはさんで、地球国家・人類社会が人類ネットを統治の下に統合するだろう。
旧秩序が壊されて新しい秩序が模索される時代は、いつでもカリスマが要求された。常に身の危険に晒される人々は、カリスマの指し示す方向に一気に走る。みんなで走れば、敵は突破できる、と思うのが人の心情である。ヒットラーの再来が懸念される。しかし、人々は歴史からかなりのことを学んでいるので、ヒットラーを許さないだろうと、私は楽観的に考えることにしている。心配すればきりはない。人は信頼してこそと、私は自分に言い聞かせるのである。世界の各地で、社会のありとあらゆる分野で、自己犠牲をモットーに心正しく人類の悠久を見据える力強いリーダ多数の出現だけがこの混乱する時代を乗り切ることのできる条件だろう。社会が人類社会として安定し集団指導体制に移行するまでの間、カリスマの時代はしばらく続くに違いない。

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(8)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/12/post_47b5.html
▽前の記事: 情報社会学、予見と戦略(6)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/12/web206_fb8d.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  情報社会学、予見と戦略シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

つまずくWEB2.0、マイスペース、ユーチューブ、ミクシィ、グーグルに暗雲--情報社会学、予見と戦略(6)

2006/12/5
つまずくWEB2.0、マイスペース、ユーチューブ、ミクシィ、グーグルに暗雲--情報社会学、予見と戦略(6)

昨日(12月4日)の日経産業新聞は、「グーグル誤算?」という記事を掲げた。
グーグル検索、マイスペース、ユーチューブは、いわばWEB2.0の代表格とみなされたWEBサービスである。この記事は、これらの利用数にかげるが見えるというのである。
ユーチューブがグーグルに買収されると、日本のコンテンツ企業などから、無法な利用に対する警告や損害賠償の予告が出始めており、法的に正しく運用すればすべてのコンテンツの無料での自由な閲覧ができなくなるというジレンマに陥りつつある。これまでは無名のかわったサービスに過ぎなかったので大目に見てもらえた無法行為がグーグルという「大人」に引き取られたからには社会的責任を果たせといわれているようなものである。無法のシステムはどんな便利であってもいずれは衰退する。グーグルも大きくなりすぎて目が曇ったかといわれているところである。
また、マイスペース(人脈サイト)が利用者数に頭打ちの傾向が見られ始めている。実は、日本では早々とミクシィが頭打ちになっている。11月20日のネットレイティングス株式会社レポートは、すでにこのことを指摘していた。この報告の冒頭の図を下に引用する。
Photo_11
マイスペース(人脈サイト)やミクシィ(日本的SNS)が急成長したのにも、頭打ちになったのにも、理由があるのである。
社会組織は、家族が多数複合してムラを構成するように、3~7人程度の「擬似家族」が階層的に積み上げられた構造をなしている。人と人、人と単位組織、単位組織と単位組織の間にはコミュニケーションすなわち影響しあう関係が存在して社会組織が構成される(「人類社会は次の激動再編へ--情報社会学、予見と戦略(2)」の二番目の図参照)。それぞれの影響関係は、参加と服従といういわば縦の関係とネットワーク型という横の関係にたとえられる関係が組み合われている。この構造こそが社会の構成の有様である。原子が組み合わさって分子が構成されるように、家族や家族類似の単位組織が組み合わさって社会が構成されるのである(「鍵を握る単位組織=擬似家族--情報社会学、予見と戦略(4)」)。電子的に提供されるサービスがこの社会の構造を映し出し支援するものであれば人々は受け入れ、社会の構造に抵触し妨げるものであれば、やがて衰退し破滅に至るのである(「空間を越えた擬似家族成立の条件--情報社会学、予見と戦略(5)」)。
マイスペースやミクシィでは、情報の開示範囲が登録されている友人の間だけ、または友人の友人まで、会員全部にまでのような制約がつけられる。2チャンネルなどの匿名掲示板よりも安全なので、これらのサービスは大いに普及した。急成長したのは、単位組織から社会が構成されていることの一部をまねしたためである。友人という単位組織を真似している。しかし、単位組織を出発点に、その構造は、友人-->友人の友人-->契約者全員のように3段階の拡散的同心円である。また、単位組織の大きさも制限されていない。数千人という規模の「友人グループ」もまれでない。数千人では、本当の「友人」ではないに違いない。なのに「友人」のつもりで気を許していると、突然牙を剥いて襲ってくる者、紛れ込んで言葉巧みに悪の道に誘う者、詐欺師、ペテン師、暴露屋(FD)などが、実はとなりにいるという状況になるのである。心許す環境を作り出すために、参加者は実名とある程度の個人情報をグループ内で開示することが推奨されているので、いったんそのグループに潜入できれば、個人情報も取り放題である。マイスペースもミクシィも、巨大化したおかげで、個人情報の流出事件は頻発している。安全なはずのSNSが安全とはいえなくなってきているのである。
もともと無法系であるユーチューブはユーザ数を減らすことになり、無法者を野放しにした2チャンネルは衰退を開始し始め、仕組み上無法者の侵入を防げないミクシィは頭打ちになっている。インターネットが人類の社会と融合を深め普及を広げるにつれて、「社会性(倫理性)」が要求され、「社会性(倫理性)」のない仕組みは嫌われるという運命が待ち受けているのである。「社会性(倫理性)」は心の持ちようも大切であるが、これを支える社会の構造(「擬似家族的」単位組織の組み合わせの仕方)も、人類史の知恵とその成果にかなう姿を持たねばならないということである。
私は、こんなことが報道されるかなり以前の7月17日、「人類社会成立の予兆、ミクシィ・WEB2.0など--情報社会学、予見と戦略(3)」で、"「2チャンネル」から「ミクシィ」へのユーザの移動は、「単位組織を持たないフラットな巨大情報空間」から「曲がりなりにも(安全な)単位組織をもつ複合的情報構造空間」への移動である"と書いた。ここには、「ミクシィ」の大発展の理由が、曲がりなりにも社会の構造を映している点があるからであることを意味しており、「曲りなり」であるがゆえに、いずれ隘路に立つことを示唆していた。
苦しい事業展開を強いられ始めているソフトバンクが起死回生を期して提携したマイスペースがつまづき、無法系のユーチューブが頭打ちになった。グーグルは、マイスペースと全面提携しており、無法系のユーチューブを買収によって参加に収めたばかりである。グーグルも一緒につまづいたのかも知れない。ミクシィはこれより1-2か月早くかげりを見せている。WEB2.0ともてはやされたものがすべてまとめて、つまづいてしまったかのような印象さえある。
そもそも、WEB2.0というくくり自体が現象を並べただけで本質を捉えていない言い方であると私は常々にがにがしく言い続けてきた。現象の背後にある本質は、電子的ネットワークを用具として使いこなす「地球社会」または「人類社会」の成立に向けた、いわば揺籃期にもならぬ胎児期にあたるのが、ここ数か月~1年程度の動向なのである。ここだけを見て、WEB2.0であると大々的にはやし立てた人たちは、胎児期を過ぎ揺籃期に入れば、不要になった胎盤を捨てるようにWEB2.0も捨てるしかないだろう。お世話になったものでも不要なものは不要である。浅薄な人たちは、あくまでも本質を見ずに、目先の変化に一喜一憂するのである。今は、不要になりかけたWEB2.0にまだしがみついているらしい。
我々は、1か月先のことよりも、30年先、100年先を見ていなければならない。WEB2.0と騒いだ人は、まもなくWEB2.0が廃れて自分の心も捨てるに違いない。我々はもっと豊かに未来を予測し、じっくりと、人類100年の計ならぬ、悠久の人類の未来史に貢献する仕事に取り組まなければなるまい。
やがて来る「地球社会」または「人類社会」は、人類が永続的に生存しうるかどうかの正念場である。50-60万年前、小さなムラの成立から始まった人の社会は地球上に分布を完了し、これらを高度に組織化しなければ生存が困難な人類社会の始まりの手前に私たちは立っているのである。
SNSと呼ばれるようなサービスも、その予兆のほんの一部を反映したが、その本質を反映していない。今を越える社会サービスを創造できるのは、20代、30代の若者だろう。否、10代の青少年かも知れない。これから生まれてくる子供たちかも知れない。
今、私は、この圧倒的な予見を君たちに伝える。君たちが地球の主役である。期待と希望を君たちに託したい。

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(7)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/12/307_9f96.html
▽前の記事: 情報社会学、予見と戦略(5)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/08/5_a401.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  情報社会学、予見と戦略シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

実例、教員資格認定にメンタルテストを--心理、教育、社会性の発達(32)

2006/12/04
実例、教員資格認定にメンタルテストを--心理、教育、社会性の発達(32)

本日早朝、小学校男性教諭(33)が、死亡した子どもらの遺体写真などを興味本位(性倒錯、猟奇的)にネット掲載し、遺族らが告訴を進めているとの報道がされた。ここでの主たる論点からは外れるが、警察はこのような事例を見つけてもほとんどの場合何もしてはくれない。被害者やその保護者などが声高に叫ばなければ何も改善されないのが現実である。
小中高校の教員による不祥事のニュースはほぼ毎日あるくらいで、すっかり慣れっこになっている感もあるが、この事件は、あまりにおぞましい。この教員は馬鹿ではないかもしれない。しかし、自分のホームページに「3度の飯より遺体が好き」などと書き込むような精神構造なのである。人としての普通の感情の規範を外れている。普通の社会人としての人格を持っていないのである。まさしく人格に障害があると推測される。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061203-00000068-mai-soci
---------------------------------
<交通事故>死亡した子どもらの写真をネット掲載 告訴へ
交通事故死した6人の子どもの写真が、インターネットのホームページ(HP)上に無断で大量に掲載されていたことが3日、分かった。HPには子どもの生前の写真と遺族を侮辱するコメントも掲載。遺族らは4日、HPを制作した東京都あきる野市の小学校教諭の男(33)を侮辱容疑で警視庁に告訴する。また、別の子どもの裸の写真を掲載していたとして、児童ポルノ処罰法違反容疑での告発もする。
関係者によると、HPには東京の片山隼君ら6人の遺族が事故の悲惨さを訴えようと立ち上げたHPから無断転載した写真を掲載。さらに遺族の感情を逆なでするコメントがあった。また、男は「写真が載ったHPがある」と匿名のメールを遺族にも送りつけていた。
隼君の父、徒有(ただあり)さん(50)らが弁護士らと調査を進め、男が交通事故のほか、虐待や災害で死亡した子どもの遺体や裸の写真などを大量に掲載したHPも制作していたことを突き止めた。さらに「クラブきっず」という名前でHPを運営、別のHP上で「3度の飯より遺体が好き」などと名乗って自らのHPを紹介していたことが分かり、告訴・告発に踏み切ることを決めた。
徒有さんは「HPで、誰もが自由に発言したり、議論するのは大事なことだと思う。しかし、興味本位や性的倒錯の気持ちで見られるのは遺族にとってはたまらない。サイト管理者が自己規制してほしい」と語った。
名古屋市緑区の保育園で02年9月、屋上駐車場から落下した車の巻き添えになり死亡した片岡樹里ちゃん(当時3歳)の母、朋美さん(42)は「まさかこんなことをされるとは本当に信じられず、娘にも申し訳ない。命を軽視する人は放置できない。厳しく処罰してほしい」と話した。
◇女児写真掲載で9月書類送検も
男は現在、東京都羽村市の小学校に勤務。名古屋市で事故死した女児の写真を無断掲載したとして、今年9月に愛知県警が著作権法違反容疑で書類送検していた。【永井大介、鈴木顕】
(毎日新聞) - 12月4日1時25分更新
---------------------------------
先に、私は「教員資格認定にメンタルテストを--心理、教育、社会性の発達(32)」と言う記事を書いた。日もおかずに、この必要性を示す事例がニュースになった。一般企業は、社会性の低い人材は採用しないように努力する。職場にトラブルを抱えるからである。教員採用においては社会性の低い人材も、(目をつぶって)採用している現状がある。志高くして健全な教員志望者の中に、自覚してか否かは別として、紛れ込む人でなしが何の咎めも受けずに採用されてしまうのが小中高の教員採用の実態である。
最近採用される教師には、このような教師(仮性の反社会性人格障害者)が男女合わせて10%以上居るのではないかと推測される。私が教える複数の私立大学(上位校~中堅)の学生らを予備的に調査した結果そう考えざるを得ないとの結論に達しているのである。
もはや猶予はない。教員採用にメンタルテスト(精神鑑定と人格検査)の導入を、採用後の資格再認定にもメンタルテスト(精神鑑定と人格検査)の導入を、切に希望するものである。人格高潔で知能高き、気高き多くの教員にとって、これらの人々が職場に紛れ込んでくることはたいへんに迷惑である。彼らが居るおかげで余計な仕事が増える上に、教員全体が社会から疑いの目で見られることになる。教員の最低のプライドを確保する上でも、メンタルテストの導入が望ましい。これによって問題教師の早期発見と予防措置が可能になるだろう。

さて、もう一度、大学ではどうか。私も大学教員の末席に居るので、教員の目で見渡すと迷惑な方も居ないわけではない。教育すべき学生らには明らかに仮性の反社会性人格障害が急増している。彼らと心の格闘劇を演じている合間に、聞き違いかも知れないが、そのかれらを容認または煽るような発言が聞こえることがある。見間違いかも知れないが、そのような行動が見えることもある。福岡の中学でイジメを推奨または容認する発言をしたとされる教員が報道されたが、大学にも心配な人が居ないとは断言できない。暴露屋(FD)の集会でハッキングを実演して許可なく取り出したある団体の個人情報を会場で配布するなどして有罪となった大学教員などもいるくらいである。また、裁判中で処罰されるかどうかは未定だが、社会の迷惑となるソフトを開発し不特定多数の利用を許して良心に呵責がない(罪の意識がない)らしい大学職員もいるのである。

幅の広い議論が必要であると思うので、たくさんのご意見をいただければ幸いです。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(33)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2007/01/933_2cc9.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(31)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/11/29_8799.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »