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創め言葉(Logos)ありき、言葉は人々を結集する「ピカソ誕生秘話-その3」--アルゴリズム戦記(9)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/01/31
創め言葉(Logos)ありき、言葉は人々を結集する「ピカソ誕生秘話-その3」--アルゴリズム戦記(9)

ミニシリーズ:アルゴリズム戦記「ピカソ誕生秘話」(全7回)
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1.ヘタの横好きから生まれた「ピカソ誕生秘話-その1」
  --アルゴリズム戦記(7)

2.卸探し、パソコンパッケージ事始め「ピカソ誕生秘話-その2」
  --アルゴリズム戦記(8)

3.創め言葉(Logos)ありき、言葉は人々を結集する「ピカソ誕生秘話-その3」
  --アルゴリズム戦記(9)

4.女神は微笑む、いつの間にかオブジェクト指向「ピカソ誕生秘話-その4」
  --アルゴリズム戦記(10)

5.ユーグリッド原論の世界とマシン語「ピカソ誕生秘話-その5」
  --アルゴリズム戦記(11)

6.世界初、プログラムの自動生成「ピカソ誕生秘話-その6」
  --アルゴリズム戦記(12)

7.MSより早く、パネルシステムへ「ピカソ誕生秘話-その7」
  --アルゴリズム戦記(13)

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「創めロゴスありき」(旧約聖書)のロゴス(Logos)という言葉は、「Word」という意味にとどまらない。「論理(Logic)」というに近い。実は、Logosは英語のLogicの語源である。言葉は論理の力を持つものと考えられていたので、「言霊」といったほうが正しいのかもしれない。
新しい仕事を始めるには、新しい主導的論理(リーディングロジック)が必要である。新しい言葉がその役割を担うことは多い。今までにない言葉を作り上げる。過去の概念を仮借しつつ、同じでないことを主張する、そんな言葉が新しい仕事を引っ張ってゆくのである。わがアルゴリズム戦記も、創めにロゴス(Logos)があったことを綺羅かにしたい。現代の言霊(Logos)、それは新しい概念の幕開けを告げたと主張したい。

1.ベクトル描画ツールを狙った理由
お絵かきソフトを作るというのは、パソコン上の業務ソフトとしては日本初という困難だけではない、いろいろな困難と期待が渦巻いていた。
振り返って見れは、まず、ペイントツールにすべきかベクトル描画ツールにすべきかという問題があると思うのだが、私は何が何でもベクトル描画ツールであることを宣言した。ペイントツールは眼中になかった。描画速度が遅すぎてハナシにならない、と断じていた。実は、ベクトル表示が速度を稼げるに違いないとにらんだことのほかに、描画プログラムの自動生成機能を作るという大それた野望をひそかに持っていたのである。
プログラムをいつまでも人が汗を流して書くというのはあまりにも原始的で、ダサすぎると私は思っていた。
ゲームソフトなどの画面に絵が施されているものを見ると、明らかに絵を描くためのプログラムを手で一つ一つ書いているのがわかる。大変な労力である。労力が大きすぎるので、おのずと絵は荒く、手抜きとしか思えないものになっていた。私には、そんな手抜きの絵が我慢ならなかった。
画面でカーソルを走らせて絵を描くと、その手の動きのとおりのプログラムが自動生成できるとすれば、どんなにかすばらしいことか、思うだけで胸が躍った。当時はまだ、そんな構想をしゃべっても誰も信用してくれなかった。だから、仲間の誰にもこれを口にせず、ひそかな野望にしてプロジェクトを開始したのである。
この野望の顛末は、後日記すことにしたい。

2.新しい仕事では新しい言葉が必要である。
まず、言葉である。
点を打つ、線を引く、線の種類を決定する、・・・。しかし、とりあえず使用できる文字はアルファベットとカタカナしかなかった。ひらがなも、ましてや漢字も使えない。
辞書を片手に、point, line, l-color, KofLineなどのコマンド名を決めてゆく。すべて手探りである。 その頃、CAD専用機が世の中に存在していたが、ほとんどが輸入で主要な言葉は日本製も含めてすべて英語であった。結果として多少言葉にかぶるものはあったかもしれないが、これらの先例にとらわれずに良かれと思う言葉をどんどん採用した。ウインドウもマウスも自由に使えない時代である。ファンクションキーにコマンドを割り振り、ファンクション表示エリアに表示した。コマンドは、捜査の簡素化のために上級者用に、[Cntl]+[P]でpointingなどとも対応させた。
やがて、日本語が使用できるようになると、これらの言葉の日本語を決めなければならない。しかも、狭いファンクションキー表示領域に表示できなければならない。親しみやすい漢字2文字で正しく表現できなければならない。私は「打点」「起点」「終点」「線種」「線色」「描線」「塗色」・・・などの言葉を20個以上案出した。これらのいくつかは今でも広く使用されている。その後CAD専用機の世界も日本語対応機が遅れて登場するが、そこにも私が作った言葉が使われるようになった。「ピカソ」の盗作や物まねソフトがあふれていたので、後発日本語対応システムは、先行するどれをまねたか自覚はないかもしれないが、これらの用語のオリジナルは私だったのである。誰に知られることがなくとも、私の誇りの一つである。
新しい仕事には新しい言葉が必要である。新しい言葉が的を射ていれば、人々はその言葉の下に結集し、一つの仕事をするようになる。私の確信は当たっていた。
周囲にいた若い技術者たちが次々とこのプロジェクトに参加してきた。その中には理工系の学生たちもいた。夜明けまで働き、寝袋で仮眠すると授業時間に合わせて大学に出てゆく学生たちは少なくなかった。オフィスで"暮らしている"社員やスタッフも多かった。まさに、現代の梁山泊という様相を呈していた。
このころの仲間たちの多くは、今、日本の国家や大学、企業の中枢を担う管理職やリーダである。

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琵琶


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  ・交友の記録シリーズ
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  ・妻が、車に撥ねられるシリーズ
  ・その他、シリーズ外

大好物は「干し芋」と「お米ご飯」、和犬の証明?--我が家の愛犬様(19)

2007/01/30
大好物は「干し芋」と「お米ご飯」、和犬の証明?--我が家の愛犬様(19)

愛犬様は、食べることが大好きである。
通常の食事は、ドックフード(市販のトリ肉野菜入り)に、ドック用煮干4-5本(塩抜きしてある)とビーフジャーキーを4-5切れをトッピングしたものである。一日に2回ないし3回たべる。
たいていは、散歩の後に、おねだりして食べる。好きなものの順に食べる。おいしいものを後回しにするなどのような人間様がやるような小ざかしいことはしない。いつものトッピングご飯の場合は、まずビーフシャーキーをすべて食べてしまう。次に煮干をすべて食べる。そして主食のドックフードにとりかかる。一般にこのトッピングご飯のときはドックフードを少ししか食べない。どういうわけか残しておいて後で数回に分けて食べている。
ドックフード(市販のトリ肉野菜入り)は、市販のさまざまなドックフードをいろいろ試したところ、これが飽きずに一番良く食べることが分かったので採用した。素材よって色分けされた粒がミックスされているもので、少しずつにおいや味が違うらしくて、続けて食べさせても飽きないようである。1日目は一生懸命食べるドックフードでも2-3日続くとほとんど食べなくなるものもある。どうやら、単一の味のものは飽きるようだ。
主食のドックフードのほかで、一番お気に入りのものは、ビーフジャーキーである。以前はネリモノのビーフジャーキーを与えていたが、愛犬様の鼻のてっぺんや目、口の周りがただれるアレルギーがときどき出るので取りやめにして、牛肉の薄切りをそのまま乾燥した自然なものに替えた。これが良いらしい。以来アレルギーはおさまっている。
おやつとして、トリ肉ささみの姿干がある。これは大喜びする。老母は、散歩の行きかえりに家に立ち寄る愛犬様を楽しみにしているのだが、このとき決まってあげるのがトリ肉ささみの姿干である。愛犬様もドアの外でヒュェーと短く、音を尻上がりに高くする鳴き方で小さく何度か老母を呼ぶ。老母はうれしそうに急いで部屋の奥から出てきてトリ肉ささみの姿干を手にドアをあけるのである。愛犬様は一度伸びをして、愛想いっぱいの表情で正座する。あごを引いて前足を空踏みして催促する。お手をして老母と挨拶するとトリ肉ささみの姿干がもらえるのである。うれしい、うれしいと体で表現しながら愛犬様はこれをたべるのである。この後、塩抜きした煮干(ドック用として市販されている)を4-5本たべて、さらに出された清水をおいしそうに飲むと老母にバイバイして、尻尾ふりふり、次なる目的に向かうのである。
トリのささみは我が家にも常備されていて、良いことをしたときなど、ご褒美として愛犬様はありつける。
実は、これらのものよりももっと好きな食べものが愛犬様にはあるのである。意外なことに「干し芋」と「白いお米ご飯」である。
干し芋は、愛犬様の先代も好物だったので、あえて上げてみると、やはり夢中になって食べる。干し芋には獣のにおいはしないし、味も肉とは違うだろうに夢中で食べるのである。人と暮らす犬が人からもらうイモを好むようになったのか、犬科の動物はそもそも地中のイモも掘り起こして食べるのか、私は知らないが、なんとも不思議である。おやつとして、まれに与えることにしている。
ある日のこと、私が都内のおにぎりやさんで握ってもらったおにぎり(塩昆布、からし菜などで魚肉はない)を袋に下げて帰ってきた。通りかがりに愛犬様が立ち上がって、この袋に強い関心を示してにおいをかぐのである。あれっ、、、愛犬様は何に関心を示したのだろう。私は考えた。もしかして、、、と考えて、おにぎりの端をちぎって「お米ご飯」を差し出すと初めて見る白いご飯におそるおそる鼻を近づけ、そのまま小さくくわえて、私の顔を見ているのである。「大丈夫」と私が小さくうなづくと、そのまま口に入れ、くちゃくちゃと咬んで飲み込んだ。すぐ愛犬様は立ち上がって(チンチンの姿勢)、その袋に鼻を近づけて次をねだるのである。もう少しちぎってやると「お米ご飯」をだいじそうにお行儀良く食べるのである。私は本当にびっくりした。
それから、2-3か月に一度くらい、煮干、ビーフジャーキーをトッピングしたドックフードの山の横に、人間様が食べる白いお米ご飯をピンポン玉くらい乗せてあげる。愛犬様は、好物のはずの煮干やビーフジャーキーをよけてまずは白いご飯にそうっと鼻を近づけると大事そうにそうっとくわえて食べるのである。トリのささみの姿干やビーフヂャーキーのようにがつがつと食べる態度とは一変して、大切そうに真っ先にそうっと食べるのである。神聖なものを食べるときの儀式のようでさえある。愛犬様はジャポニカ米(クメ)を日本にもたらせた海の民が帆船で連れてきたと伝えられるオオカミ(ジャッカル?)に近い犬なので、太古の民が大切に食べた白い米をやはり大切に食べるのかなと感慨深く空想したりした。
「干し芋」も「白いお米ご飯」も大量に食べることはない。少量だから良いようだ。
いずれにしても、和犬だからなのだろうと思うことにした。日本人と日本犬、長いおつきあいだもの、好物だって似てくるよ。ねぇ、愛犬様。

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琵琶

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卸探し、パソコンパッケージ事始め「ピカソ誕生秘話-その2」--アルゴリズム戦記(8)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/01/29
卸探し、パソコンパッケージ事始め「ピカソ誕生秘話-その2」--アルゴリズム戦記(8)

ミニシリーズ:アルゴリズム戦記「ピカソ誕生秘話」(全7回)
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1.ヘタの横好きから生まれた「ピカソ誕生秘話-その1」
  --アルゴリズム戦記(7)

2.卸探し、パソコンパッケージ事始め「ピカソ誕生秘話-その2」
  --アルゴリズム戦記(8)

3.創め言葉(Logos)ありき、言葉は人々を結集する「ピカソ誕生秘話-その3」
  --アルゴリズム戦記(9)

4.女神は微笑む、いつの間にかオブジェクト指向「ピカソ誕生秘話-その4」
  --アルゴリズム戦記(10)

5.ユーグリッド原論の世界とマシン語「ピカソ誕生秘話-その5」
  --アルゴリズム戦記(11)

6.世界初、プログラムの自動生成「ピカソ誕生秘話-その6」
  --アルゴリズム戦記(12)

7.MSより早く、パネルシステムへ「ピカソ誕生秘話-その7」
  --アルゴリズム戦記(13)

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1983年夏、私たちは、栄光のパッケージソフト「ピカソ」を発売した。"昔の青年"の皆さん、現在40-60歳代のかたがたにはご記憶の方も多いに違いない。
実は、当時、業務用パッケージソフトの販売のルートというものがそもそも存在していなかった。それでは売りたくとも売れるはずがないではないか。
1981年秋の頃だったと思うが、私は業務用パッケージソフトの販売ルートに頭を悩ましていた。まだ「ピカソ」の開発は単なる構想段階だったが、作るものの企画構想に頭を悩ませる一報で、売る方法についても頭の痛い問題があった。当時マシンを売るマイコンショップがちらほら登場しており、ゲームソフトはそれらのマイコンショップに置かれ始めていた。ゲームソフトなどの遊び向きソフトパッケージを扱う業者は出現し始めていたが、学術系・業務系のソフトウエアパッケージを扱う流通業者はなかった。
当社は出版事業の関係で、書籍の取次店に口座を持っていた。「書籍の出版、ソフトの出版」というサブ標語は、ソフトウエアの取次店を継がすという意味も含まれていた。
取次ぎ店の存在価値はきわめて大きい。1970年代前半「直販」ブームがあった。取次店なしに商品を流通させるというものである。70年代の後半には一部の例外を除いて失敗に終わっていた。時代が少し早すぎたのである。いずれも直販業者が取次店の足腰(物流と人的営業)にかなわなかったのである。足腰の強い取次店が一番だった。
私は、ソフトの取次店となるところを探した。まず、書籍の取次ぎである書籍流通業者数社の担当者に打診した。ほとんどの取次からは相手にされなかった。日本書籍販売(現ニッパン)だけが、もし該当する商品ができれば検討するという回答だった。まだ、ソフトのパッケージなどというものに対する理解は一般に薄かったのである。まるで気味の悪い話を聞かされたという表情を見せた流通業者さんもいた。
そのうち、あるひとから、これから日本で初めての学術系・業務系ソフトウエアの流通業をはじめるらしいといわれる人の情報を得た。その人物とは、昆野晴暉氏だった。当時昆野氏は翻訳を主たる業務とする編集プロダクションを経営していた。私は、すぐに電話して、数日後、明治大学の坂下に位置する錦華公園前の昆野氏のオフィスを訪ねた。事前の予約をしたにもかかわらず、多忙な昆野氏はすっかり忘れていて、他のスタッフと喧々諤々の最中だった。お話の様子では編集プロダクションを閉じる話をしているところだったようである。私を後ろに待たせてしばらく議論が続いたが、やがて議論を中断して、昆野氏は私のそばに寄ってきた。私は、手短かにパソコンのパッケージを作る予定があるが、販売ルートに乗せていただける可能性があるかとたずねた。彼の答えは、今でも覚えている--「品物しだいです。できた商品を持ってきてください。私は、今、まさにパソコンソフトの流通業を始めようとしているのです」。私はすかさず尋ねた--「どのような流通の仕組みを考えているのですか」。彼は答えた--「事務用品を売る小売店を組織して、ここに業務用のソフトウエアを卸すつもりです」。・・・、私は心の中で手を打って叫んだ--"これだ。それならば業務ソフトの流通業は立ち上げられる"。私は昆野氏のビジネスに対する眼の確かさに、この日、瞠目したのである。
私たちが「ヒカソ」を発売するとき、タイムリーに彼が立ち上げた流通会社「ソフトウエアジャパン」の初回商品群に光栄にも我々の「ピカソ」も加えていただいたのである。まともな流通業者がまだ存在しない時代のことである。
昆野氏との出会いもまたまことに幸運であり、その後の当社の発展にどれだけよい効果があったかは口舌に尽くしがたい。直前の記事で取り上げた渡辺和也NEC支配人と並ぶ幸運だったと思う。
続いて、廣済堂出版から分社したマイクロハウスがソフトウエア流通にも進出したのでここにも「ピカソ」は卸した。やや遅れて日本出版販売も当社のパッケージソフトを扱うようになった。
その後しばらくの間、我々は次々に新レーベルのパッケージソフトを世に問い、パソコンパッケージソフトの会社としての地位を固めていた。

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琵琶


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ヘタの横好きから生まれた「ピカソ誕生秘話-その1」--アルゴリズム戦記(7)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/01/24
ヘタの横好きから生まれた「ピカソ誕生秘話-その1」--アルゴリズム戦記(7)

ミニシリーズ:アルゴリズム戦記「ピカソ誕生秘話」(全7回)
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1.ヘタの横好きから生まれた「ピカソ誕生秘話-その1」
  --アルゴリズム戦記(7)

2.卸探し、パソコンパッケージ事始め「ピカソ誕生秘話-その2」
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  --アルゴリズム戦記(13)

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1982年(昭和57年)10月ころから、我々は独自パッケージソフトの開発に取り組んだ。三井造船の人工知能システムはエキサイティングで面白かったが、これを含めて他の開発案件も実態は人材派遣と変わることはなかった。今でもシステム開発といえば人材派遣が主流である。
当時の派遣は今と違って実入りが多かったが、問題がないわけではなかった。スタッフの自社に対する愛着心が育ちにくく、一方では売り上げ貢献度が派遣料金というあざとい形で露骨に現れる。オレの稼ぎはだれが使っているのか、とシステムスタッフは不満を抱きやすく、売り上げも粗利も小さな出版事業担当のスヌッフと衝突することが多かった。社内にはたちまちすさんだ空気が漂ってきた。
幾夜もスタッフと話し合って、「派遣は、やむをえないとき以外は、原則としてもうやめよう。その代わり、自前のパッケージソフトに転換しよう」と決めた。実は、創業の時にパッケージ開発を軸に据えたいという希望がそもそもあった。当時の社内には「書籍の出版」と「ソフトの出版(パッケージの販売)」というサブ標語もあったくらいである。しかし、資本蓄積のないままには「ソフトの出版(パッケージの販売)」は困難という理由で、まずは受託(その多くの実態は派遣)業務にならざるを得なかった。社内の空気を正常化することを目指して、業務の方向性を創業時の精神に戻したというのが真相である。
まず、取り組んだのは、お絵かきソフトである。理由は、私に絵描きになり損ねた経歴があり、私がヘタの横好きというべき絵画好きだったからといってよい(挫折の後に「アルゴリズム」ありき--アルゴリズム戦記(1))。実は、当時のパソコン(マイコン)のパッケージ(実はゲームばかり)の画面といえばテキストを並べたものや、稚拙な図形の組み合わせにとどまるものが大多数だった。もっと豊かな表現力のある画面が利用できれば、人とコンピュータはもっと親しくなれるに違いないと私は確信していた。この企画は多分日本で始めての試みだったと思われる。しかし、発売時には、1つだけ、ほぼ同時に類似の他社製品(=GT)も登場して驚いた記憶がある。時代の力は。、独立した人々に似たアイディアを授けるものなのだろう。
お絵かきソフトは名無しのまま開発を進めていた。開発マシンは当時の富士通製のマイコンFM-8であった。性能不足に悩みながら開発を進めていた。スタッフらからは、8ビットマシンでは過剰スペックかも知れない、、、という嘆きが聞かれ始めていた。実は、他にも難題はいくつもあった。そのいくつかは別の記事に書く予定なのでこの記事では触れない。
このころ、当社の別のチームは、マイコン辞典(広済堂出版)の編集実務を引き受けていた。実は私の当時のペンネームは森口晶(もりぐち・あきら)で、マイコン雑誌「RAM」の常連執筆者の一人だったのである。マイコン雑誌「RAM」の版元が広済堂出版であったこと、私の会社には出版事業の部隊が半数を占めていたことが、そのようなお仕事のつながりの背景にはあった。編集打ち合わせの後、広済堂出版の砂沢副社長と一緒に新橋のスナック(「ポコ・ア・ポコ」といったと思う)に繰り出した。その酒席でのことである。客は数組という比較的すいているときだったと思う。我々は、そのときまさに開発中のお絵かきソフトについて、興奮状態で語っていた。そのソフトが完成したら、雑誌「RAM」に書きたいので請けてくれというような交渉にまで及んでいた。思わず大声を上げていたのだろう。少し離れた席にいた客が何度か振り向いた。我々と同席していた広済堂出版の副社長が、あれ、と言って振り向いてよそのグループの人物のそばに駆け寄って、挨拶した。すぐに私を呼んで、引き合わせた。その人物こそ、当時のNECの支配人渡辺和也氏である。すらりとした風貌で優しげなまなざしが印象的だった。その後ノベル㈱の社長に転進したネット業界の巨人のお一人である。
「何の話をしていたんだい」というようなことを聞かれて、一気にそのソフトの概要を語った。渡辺支配人はそれを聞き終わると、日本電気では16ビットマシンを開発しているが、そのマシンを世に出す前に、つなぎとして8ビットマシンで16ビットマシンに近い性能を出すマシンを計画している、詳細はいえないが、君たちの製作中のソフトを当社のパソコンの上で動作できるようにしてくれないか、とおっしゃったのである。コンピュータ業界の中では当時の我々は無名のガレージ企業である。大会社の支配人からこのようなお申し出があろうとはまったく思いもよらないことだった。私は、ただちに同意し、現在富士通マシンで開発中なので、開発マシンを日本電気から貸していただけないだろうかとはしたなくも申し上げると、支配人の口から出たものはジャンパーマシン(多数のジャンパー線がむき出しになっている実験機の意味)でよければ貸し出し可能だろうというご返事だった。私は、うれしくて飛び上がらんばかりだった。旧来の8ビットマシンでの動作に暗雲が感じられていたときのことである。私は、これでボトルネックは突破できると内心踏んだのである。
ややあって、われわれは日本電気パーソナルコンピュータ販売推進本部の一室に呼ばれた。パソコン関係上位10社を呼んだという説明だった。実際やってきた会社は6社ほどだったと記憶している。なるほど、当時大型計算機だけではなくパソコンで(も)システム開発をする企業といえばマイコン辞典でみるかぎり120社くらい、その中でゲーム専業と会計専業以外で業務系の仕事をしている会社の上位10社に我々も入っていたのである。その昔、コンピュータ、ソフトなければ、タダの箱、というCMがはやったが、NECは新発売のパソコンがお遊びマシンではなくて、ビジネスユースに向けたものであることを鮮明にするつもりであった。業務ソフトをパッケージにして売り出すパートナーを探していたと言うような考えが明かされた。
機密保持誓約の上、開発計画が明かされ、ジャンパーマシンとのご対面となった。スペックを調べてみると、開発中のソフトはほとんどそのまま動きそうである。
ヘタな横好きが出発点にあり、出版のご縁が、スナックでの酒席の縁につながり、渡辺支配人からの長いご厚情の始まりになったのである。
お絵かきソフトは「ピカソ」と名づけられ、PC8801の発売を告げる新聞の全面広告の下のほうに「PC8801用ソフト同時発売」の記載に名前を連ねることになった。ここに掲載されたソフト名はたったの2つ、当時のパソコンの雄NECに選ばれた栄誉に浴したことになるのである。同時に雑誌「RAM」には、ベーシックで書かれたバージョン0.5のソースコードの全部とともに、お絵かきソフト「ピカソ」の紹介記事が華々しく掲載された(商品版はバージョン1.0)。記事を書いたのは私である。「ピカソ」はパソコン用の業務パッケージとしては日本で初めての成功事例となった。狙い通り、パソコンユーザは沸いていた。手ごたえは十分だった。人は現存するものに欲望を燃やすのである。まだ世に登場する前には弱い要望しか生まれない。「ピカソ」を見て、ユーザインターフェイスは絵でなければならないと人々は確信したのである。マイコンゲームメーカーからの注文が殺到した。月間2000本という当時としては驚異的な注文を受けた。パッケージ生産を引き受けてくれる業者など当時はほとんどなかった。ゲーム向けのパッケージが扱える業者が散見された程度である。マニュアル、パッケージカバーなどは出版のノウハウが活用できるに違いないというわけで、パッケージ生産を手作りで行うしかなかった私たちは、社員スタッフ総出の大忙しになった。このときから、パソコンはゲームお遊びマシンから脱却を開始しビジネスマシンに進出したのである。出版とソフト販売による統合的情報産業へという、時代を先駆けて抱いた我々の思いは実現に向けて小さな一歩を踏み出していた。
業務ソフトパッケージのパソコン向け販売ルートも当時はなかったので、その開拓も並行して進めた。そのお話も後日の楽しみにさせていただきたい。
その後、バリエーションをつけて各機種にも移植し、PC-88,PC-98,PC-60/66,FM-8,7,11,PASOPIAなど多数のマシンで「ピカソ」は動作した。
まだワープロがない時代のことである。文字入力機能を付加して「ピカソⅡ漢字」というバージョンを発売したりもした。上位ソフト「図学君」というものもこの発展である。
中高年であれば、「ピカソ」についてはご記憶の方も多いと思う。たくさんの方にお買い上げご利用いただいた。感謝の気持ちばかりだ。
エピソードもたくさんある。交友も広げることができたが、一方では盗作や物まねもおおくて、陰で仲間たちとよく笑っていた。(「盗作や物まねが出るというのはオレたちが本物だという証明だぜッ!・・・」)
ゆとりがあったら、技術的(主としてアルゴリズム)なエピソードだけでも続編を書こうと思う。

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琵琶


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反社会性人格障害、その家族性を考える--心理、教育、社会性の発達(33)

2007/01/19
反社会性人格障害、その家族性を考える--心理、教育、社会性の発達(33)

昨年12月4日早朝、私は「実例、教員資格認定にメンタルテストを--心理、教育、社会性の発達(32)」という記事を書いた。
東京都羽村市の小学校男性教諭(渡辺敏郎、33歳)が、死亡した子どもらの遺体写真などを興味本位(性倒錯、猟奇的)にネット掲載し、遺族らが告訴を進めているとの報道を取り上げたものである。
直後から、この記事に対するアクセスは急増し、一時は一時間あたり約1000件という過熱ぶりだった。その記事の私の論点は、教員の資格認定や採用時または再認定の際には、メンタルテストを課すべきであるというものであった。明らかに人格に障害が認められる実例と推測されたからである。
この記事の直後、別の報道によって、この教師の父親(渡辺泉郎)にも問題があったことが発覚した。この父についてはたくさんの解説記事があるが、一つだけ引用しておく。
寺澤有, 『警察官の犯罪白書』(1999年版), 2000年6月24日
写真説明が端的である。
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渡辺泉郎元神奈川県警本部長は警察大学校長を最後に退職(1999年2月)。その後、NKK顧問に天下っていた。2000年5月29日、横浜地裁で「犯人隠避」の罪により、懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受ける(確定)。
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警察本部長の犯罪(薬物犯罪の隠匿)という意味でも驚愕だが、有罪確定後に、警察大学校の校長を勤め、つい最近まで、汚職事件で名高い水谷建設の顧問をしていたということなので、マスコミでは一時話題独占という状態だった。
それはそれでいろいろな解釈も意見もあるだろうが、私は、この事例を知ったことをきっかけに「(仮性の)反社会性人格障害」の家族性について調べることにしたのである。
渡辺親子の例が家族性であったという断定は難しいだろうし、私もそう断定するつもりはない。
しかし、「(仮性の)反社会性人格障害」をマクロに見れば(統計的にみれば)、家族性の要因が極めて強いことが推定されるのである。
下図は、最新の犯罪白書(平成17年度版)からの引用である。
Photo_10
見にくいが、戦後の犯罪件数には、小さなピークも含めると次ように8つのピークがある。
1)1947-48年(昭和22-23年) --欲望優位
2)1954年(昭和29年) --経済犯
3)1960年(昭和35年) --社会否定
4)1970年(昭和45年) --欲望優位
5)1978年(昭和53年) --欲望優位
6)1989年(平成元年) --経済犯
7)1993年(平成5年) --社会性の喪失
8)2001年(生成13年) --欲望優位
犯罪心理の観点で、各ピークの特徴を右側に書いた。
次のように並べ替えてみるとどうだろうか。
「1)1947-48年(昭和22-23年) --欲望優位」/「5)1978年(昭和53年) --欲望優位」
「2)1954年(昭和29年) --経済犯」/「6)1989年(平成元年) --経済犯」
「3)1960年(昭和35年) --社会否定」/「7)1993年(平成5年) --社会性の喪失」
「4)1970年(昭和45年) --欲望優位」/「8)2001年(生成13年) --欲望優位」
犯罪心理の特徴が左右にそろうように並べてみると、各行の左右の年度の差は、次のようになる。
30.5年
35年
33年
31年
実に犯罪の周期は30年+αである。これは、親から子へ犯罪性向は伝授されてゆくということを示しているように見える。
これは必ずしも遺伝子のせいということはできないだろう。遺伝子が年代斉一的に発現するとは考えられないからである。むしろ犯罪性向はいわば負の文化として親の世代から子の世代に伝承されると考えたほうが妥当だろう。
"「・・・」/「・・・」"で示した各行ともに、時代の社会現象と密接な関係のあることが見て取れる。
最初の一行の左は、戦後の食糧難、物資不足の時代である。悪いと知りつつも生きてゆくためには犯罪に手を染めただろう人々は多かったに違いない。この行の右側はその子供たちの世代である。
2行目の左は、朝鮮特需の好景気の終わりに位置する。一時的に一気に収縮した経済に駆り立てられるように経済犯罪は頻発した。この行の右側はその子供たちの世代である。
3行目は、戦後口先だけの民主主義の標榜に戦後民主主義教育を受けて来たエリート学生らが、本当の民主主義なるものを求めて起こした暴動の年(60年安保)であった。当時の社会制度を否定しようとする風潮がこの時代に席巻した。社会を否定したが彼ら自らは倫理観に基づいた行動を心がけていたため、直接犯罪に手を染めることはなかった。この行の右側はその子供たちの世代である。この子供たちは、社会制度を否定する親たちに育てられたために、社会性を育てる機会がなく、それを見失ってしまったのだ。社会の規範が身についていないままなのだから、本人にとっては自然な振る舞いがそのまま犯罪という罪の意識なき犯罪が発生することになる。
4行目は、第二次世界大戦直前の経済低迷社会的閉塞感から、社会が混迷した時代(1937-39年)の30年後、すなわちその子供たちの時代である。欲望かあれば悪いと分かっていても犯罪に手を出す傾向を示している。この行の右側はその子供たちの世代である。
このように見てゆくと、実はもう一つのピークのペアが隠されていることになるのだろう。
「4')1970年(昭和45年) --社会否定」/「8)2001年(平成13年) --社会性の喪失」
これは、いわゆる70年安保世代(全共闘旋風の世代)とその子供たちのペアである。全共闘旋風の世代の担い手たちは60年安保世代と違って、大学生の大衆化によってエリートであることをやめざるを得なくなりかかった当時の青年たちである。実はこの人たちの直後の大学大衆化世代が団塊の世代なのである。その全共闘旋風の世代の子世代のピークが、欲望優先のピークと重なってしまったことに厄介な現象になった理由がありそうである。つまりこのペアは全共闘旋風の世代とその子供たちの世代である。親たちは、倫理観に満ちた行動をとったにちがいないが、子供たちに社会というものを教えなかった世代である。子世代には罪の意識なき犯罪が多発した。つまり2001年(平成13年)の前後の犯罪者には、欲望優先という反社会的行動様式の子世代と社会性を見失っている子世代が複合的に併存する。
2つのピークが重なったことで、犯罪発生率はかつてない大きさになっている。これは上記のグラフでもはっきりと見て取れるのである。
こうしてみてくると、「(仮性の)反社会性人格障害」は親の世代の生活信条が子に(ゆがんで)伝承され反映することによって発生しているという事実がありそうである。
私は、もとより犯罪心理学の専門家ではない。専門家の皆様のご批判を賜りたくここにある角度からの見方を明らかにするものである。

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琵琶


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ケチこそアルゴリズム追究の真髄、仏像データベース--アルゴリズム戦記(6)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/01/13
ケチこそアルゴリズム追究の真髄、仏像データベース--アルゴリズム戦記(6)

日本発の人工知能システムに取り組んでいるころ当社では、東京芸術大学から仏像データデースのお仕事を請けていた。仕事は人工知能システムのお仕事よりも前に始まり、2年後に終わった。私は人工知能システムに取り組む前と後にこれに参加した。また、当然のことながら途中でも技術的な相談には乗ることになった。
仏像のいわば戸籍謄本に当たるデータを整理して、検索しやすくしようという狙いである。
実用機といえば大型計算機しかない時代のことである。当社にはCRT付きの世界初パーソナルコンピュータTRS-80があった。TRS-80は、米国製、当時の価格で本体価格が約500万円、当社の資本金がまだ200万円の時代だった。とうてい買える代物ではなく、お金持ちの友人が道楽で買ったものを借りていたのである。PC8001が登場する前後の話である。TRS-80は8ビットマシンで記憶容量は乏しかった。外部記憶装置は音楽用のカセットテープリーダである。ご依頼主はこの事実を知って、パソコンでデータベースを実現してほしいというのである。OSはCP/M、マルチプランがかろうじて使用できた。これは無謀な相談のように思えた。しかし、他に機材はないので、このマシンの上でマルチプランを活用したデータベースシステムの開発を開始した。
データ量が次第に明らかになるとTRS80の本体だけではとうてい用途にそぐわないことが鮮明になってきた。フロッピーディスクドライブが使用できる補助記憶装置を購入するとさらに350万円を要することが分かった。友人は当社がTRS-80の補助記憶装置を購入することを期待したが、TRS社のコンピュータ事業の行く末にもかげりを感じていた私は頑固に購入を拒否した。(ゴメンね、Mさん) 100万円台以上の金額は社の命運を左右する大きさだった。当社は始まったばかりだったが、会社の存続は私の責任だった。すでに従業員は数名いたのである。ビジネスではケチが美徳なのだ。
私は、社運をかけるつもりで意を決し、TRS社ではなく、発売を待ってNEC製のパーソナルコンピュータPC8801を購入し、補助記憶装置として、当時は贅沢のきわみと考えられた8インチフロッピーディスクドライブを購入した。実は、これらを購入しても約250万円で機材はそろったのである。
私が直前に所属していた大学の研究室では大型計算機上のリレーショナルデータベースの研究に取り組んでいたので、私も必然的に巻き込まれていて、教授(國井教授)の知らないところでIBMのデータベースシステムの解説記事を雑誌に書いて後に露見して叱られたりした。学徒が生意気なことをしてはいかんということだった。一方、パソコンにはその便利なリレーショナルデータベースマネージメントシステム(RDBMS)は存在していなかった。
あれこれと文献を漁ったり、知人友人に尋ねて、Btree(バイナリーツリー)システムと称するユーティリティが売られていることを知り、数万円で購入したような記憶がある。もしかすると十数万円したかもしれない。これは2分岐探索を利用したアイサムファイル形式の簡易検索システムだが、当時としてはきわめて高速な検索を実現できる仕組みであった。
もとより、リレーショナルデータベースのように複数検索項目の指定などはできないので、Btreeでの検索を多重に繰り返し実行することで、あたかも複数の検索キーに対応しているかのように見せるアルゴリズムを採用した。
さて、担当していたプログラマは、データが増えるとメモリ不足で、マシンがハングアップしてしまう事態に遭遇していた。何日が悪戦苦闘したが、どうにもうまく行かない、もう、こんな仕事はできない、などと弱音を吐いていた。私の出番だった。当時は腰が抜けるくらい高かったミニコンなどに移植すれば問題はなかったに違いない。しかし、顧客はあくまでも安価なパソコンにこだわっていた。たしかにお金をかけるだけが能ではない。道具は安物でも性能を達して見せよう。良いアルゴリズムとは最小の資源で最高のパフォーマンスを上げることである(造詣を深めよう「アルゴリズム」と「よいアルゴリズム」--アルゴリズム戦記(2))。言葉を変えれば、ケチこそアルゴリズム追求の真髄である。私は、半日呻吟して、ある抜け道を発見した。データ量に比べて極端に少ないメモリを活用するには、メモリ上のデータの退避ファイルをフロッピーディスクに作成する手がある。私はその着想に心が弾んだ。必要は"発明の母"である。"発明の父"は、なんとしてもやってのけようとするがむしゃらな高ぶる気持ちだろう。
次の時代にパソコンでもハードディスクが使用できるようになるとそのノウハウはさらに見事に役立った。主記憶装置の退避領域をハードディスクに生成する処理を頻繁に採用した。さらには、バッファリング、ディスクアクセス処理のマルチタスク化、・・・。ディスクコントローラを直接コントロールすればきわめて高速な処理がいっそう可能になった。アルゴリズムの勝利である。これらの多くは市販のRDBMSが進化すると自前でやらなくともよくなったが、当社のDBシステムが今でも他社よりも快適であるとの評価をいただけるのは、この時代から積み上げてきたディスク関連のアルゴリズムの部厚いノウハウの裏づけのせいに違いない。小さなものでパフォーマンスを上げようとすれば、おのずと工夫が要求される。私は、当時持っていたレジスタとメモリの関係についての知識を、メモリとフロッピーディスクに置き換えてみたのである。無関係と思われる知識を流用して新しい場面に変形を加えて適用し、新しいものを創造できるのは人間(ホモサピエンス)だけに許された力である。この力を活用しない手はない。たぶん大型計算機の歴史を紐解けば類似の先行事例もあるだろうが、パソコンの世界ではおそらく初めてのことだったに違いない。
のちにマシンは富士通製のFM8、PC9801に乗り換えられて機能の拡充も引き続き担当したが、この仕事はパソコン上で実用DBシステムを作成する初めての仕事となった。我々の手を離れたあと、我々がさんざんに苦労した仏像データベースは、当時はまだ健在だったミニコンに乗せかえられてデータは継承されたと聞いている。このプロジェクトが始まった当初はまだ"目の玉が飛びだしてしまう"くらいの高額なミニコンだったが、そのころには低価格なパソコンに引きづられて苦戦したあげく、"目の玉が飛び出しそうになる"程度にまでは価格が下がってきていたのである。それは、ミニコンが電算史の表舞台から降りる直前の最後の小さな輝きを見せた時代だった。
技術開発は、躓いて隘路に落ち、涙と汗を流してブレークスルーを見出して歓喜する、ことの繰り返しである。歓喜の快感は今のように思い出され、涙と汗を流した苦渋の時は次第に忘れてゆくものである。振り返れば、歓喜に満ちた半生だったとしみじみと思う。しかし、薄れつつある記憶をたどれば苦悩も多かったのだろう、たぶん、否、きっと多かった、・・・、でも戦いきって乗り越えた喜びは何よりも大きかったのである。

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琵琶


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乱こそ機会なり、チャンスを生かすも殺すも人しだい--社長の条件(30)

2007/1/1
乱こそ機会なり、チャンスを生かすも殺すも人しだい--社長の条件(30)

年頭所感:

今は新たな乱世の夜明けである(参考1,参考2)。
マイコンブームの始まりから、直近の過去30余年は、市民参加型の社会の完成に向けた大きなうねりが続いた。このうねりはようやく一つの高みに到達し、収束に向かいつつある。WEB2.0もこのうねりの名残りの表れに過ぎず、小さな余波に終わるだろう。市民参加型の社会のために、市民が自発的に情報を収集し、市民が自ら情報を加工し、市民が自由に情報発信できるように、高度情報化が進んだのである。
すでに流行は過去のものとなったが、ロングテイル(long tail)やCGM(Customer Generated Media)は、市民参加型の社会の完成を象徴するものである。これらを含む市民参加型の社会の完成の上に、新たな世界史的なムーブメントがすでに始まっている。人類社会の成立に向けた大きなうねりである。
今は、まず生理的欲求に密着した食と環境と医療と健康と介護と・・・に自助組織が成立し、生活者が同時に経営と労働に参加している。社会のいたるところで労働者がそのまま経営する新しい時代のライフスタイルが始まっている。労働と経営はますます融合し、資本だけが実業からますます遊離している。
電子的ネット共同体は国境を越え、国民国家は国民買収政策(福祉や補助金)をやめて市民の自立支援に転じ、軍事力強化を誇示し合って大資本の国外流出を引止めようと躍起になっている。市民は自衛のために、暴力の危険を自ら引き受ける行動に決起することになるだろう。戦力と暴力は流動性をたかめるために、あちこちで衝突する不安定な時代が出現する。乱世である。乱世の半ばから、ネットを介した世界規模の消産直接取引きなども本格的に始まり優勢を強めて国際経済も大きな変化を遂げることになるだろう。国境を越えた人と人の経済の小さな無数の結びつきは、やがてくる地球国家または人類社会の確固たる基盤となるだろう。
乱世はリーダシップの時代でもある。さまざまなカリスマも活躍するはずである。乱世は引っ込み思案では乗り切れない。乱世はやりたがり屋のトップ引きが生き残る。強烈なやりたがりが情勢をじっとうかがう我慢を備えれば勝機は広がる。粘り腰は身を助ける。後ろ向きの弱音と行動は強者の餌食になる。前向きで、なんとしてもやり遂げようとする意思があり、その手段を探す工夫の勘と努力があれば必ず勝てる。
まずは、何はともあれ機会はつぶさないことである。機会あれぱ一つ一つ、なんとしても成功させる努力と工夫が身を助ける。一つの機会を逃さなければ次の機会も回ってくる。一つの機会を逃せば次の機会は向こうから逃げてゆく。
機会を失う理由はいくらでもある。忙しい、他の顧客の案件がある、難しすぎる、人手が足りない、、、。こんな理由で逃げ出そうと考える者は、さっさと会社を辞めたまえ。とうてい社長などにはなれやしない。忘れてはいないだろうか、同業他社はライバルだが仕事仲間でもある。互いに仕事を分け、協力して機会をモノにすべきである。連絡し、協調することに時間がないという者は、おそらく仕事というものが分かっていないのだ。「仕事には、何のために行うのかの目的意識の部分(目的意識)、環境と道具を整える部分(労働手段)、材料を調える部分(労働対象)、自分で手を動かす部分(労働の投入)がある。実は、そのほかにこれらを目的に向かって制御する情報管理の部分(制御)がある。従来の技術論は情報管理の部分(制御)に気づていない。情報管理の部分(制御)こそ組織と社会の成立と構成にかかわっている」 これは、40年前の私が、敬愛する故菊池昌典先生の前で繰り返し展開し絶賛された最新の技術論である。一人で完結する仕事の場合でも、これらを常に自覚的に対応していれば、多数で取り組む仕事の際に協働する他者との情報交換も難しくはない。情報管理の部分(制御)が正しく意識されているはずだからである。さらに、情報交換の中に新しい発見も工夫も生まれるというものである。
仕事を失う理由はいくらでも考え付くだろうが、敗北の道である。仕事を失う理由を封じて、工夫に汗をかく者だけが生き残る。乱世はやりたがり屋しか生き残らない。だからこそ、やりたがり屋には、乱世こそチャンスである。チャンスに挑戦するものに本質的に失敗はない。つまずきがあっても学ぶことのほうが多い。後ろ向きの者は学ぶ機会もない。ましてや成功すれば得るものが大きい。何よりもチャレンジする者には次のチャンスもその次のチャンスも与えられる。チャレンジしない者には次の良いチャンスはない。
まさに、乱世は始まりを告げている。今はわれらに機会あり。われらは永遠の挑戦者である。
新年にあたり、社長の候補の諸君に、いっそうの蛮勇を促す。

△次の記事: 社長の条件(31)
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