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妻の心の支えと私の老母の出会い、美術文化展--交友の記録(14)

2007/03/27
妻の心の支えと私の老母の出会い、美術文化展--交友の記録(14)

昨日(3月26日、月)、私は朝から仕事で駆け回った足で、上野公園に到着した。公園内にある東京都美術館で、お会いする人がいるのである。
12時過ぎに公園に到着すると、まず会場までの道を歩いてみる。桜の花が、早くも1分咲き程度だった。中でも動物園の入り口近くの花は華やかに8分咲きというところで、観光客らしいおばさんたちが盛んに花をバックに写真を撮り合っている。
約束の時間は3時だが、妻と老母、私の息子が2時半ころにJR上野駅に到着予定であった。まだ時間はある。国立博物館の前にゆき、東京芸術大学の正門前をめぐってきびすを返し噴水の広場での大道芸人のパフォーマンスにしばし見とれて、桜並木を広小路の方向にゆっくりと歩いて上野の画伯(路上似顔絵画家)を遠目で確認してから引き返してきた。桜並木を引き返すころには桜は2分咲きくらいにまで開花が進んでいた。気温が高いので花の開くのが速い。しかし、まだ、まだ時間がある。JR上野駅公園口の信号を渡ったあたりの縁石にたくさんの人たちが人待ち顔に座っている。私も、その一角に座り込むと目立たないようだ。たくさんの人が通りかかる。次第に、酒やブルーシートを手にした花見狙いのおじさんたちや、場所取りを命じられたに違いない若いサラリーマン風の人たちが多くなってくる。若い女性も多い。ボンヤリと眺めていると、若い女性たちの服装がキャンパスで見る女子学生に比べてひどく地味であることに気づく。なるほど上野公園には野遊びに来るのと同じ感覚なのだな、と思う。背広がまだまだ多いおじさんやお兄さんたちよりもその落差は大きいような気がする。TPOは男より女のほうがしっかりしているのかもしれない。外国人も多い。男女のペアが圧倒的である。外国の女性がたこ焼きやチョコパナナを食べたいと男性の手を引いて屋台に近づくケースが多いようだ。屋台は日本人より外国人に受けている。いずこの国でも、女性のほうが積極的で男性は女性に指図されるのが普通らしい。フィリピーノの一団がやってきた。ニットやセーターのチープな衣服だが、複雑な混血の華とも言うべき微妙なかわいらしさは独特である。数が多い上ににぎやかなので、人ごみの視線は彼女らにしばらく奪われていた。しばらくすると男たちの人並みがその余韻をかき消してしまう。やがて、その中に、振袖にはかまという凛々しくて美しい若い女性たちがちらほらと混じって通りかかる。たいていは同様に着飾った母親がついている。中には同世代らしい男性の腕に手をかけて、輝くような笑顔で通り過ぎる娘もいる。どこかの大学で卒業式があったのだろう。そのうち、八丈紬の若い女性が通りかかる。黄八丈の鮮やかな小袖である。紺の縦じまが周囲の空気を圧倒するほどに目立つ。いまどき珍しい。八丈紬のお嬢さんのいでたちは一見庶民的で時代劇の町娘の風情だが、黄八丈は高価なことで知られる。しかも大胆な柄である。拝見すると上品な顔立ちである。このご衣装で向かう先はどんなところなのか、想像もつかないナと思っていると、携帯電話が鳴った。妻からである。上野駅に着いた、という知らせである。まもなく、公園口に到着するだろう。立ち上がって、信号機のそばまで進んだ。
老母は86歳である。私と妻は再婚で、結婚式も挙げなかった。妻の実家が遠いこともあって親類縁者との交流は少ない。これからうかがう客人には伝えていないが、老母は、その客人が、私の妻が密かな誇りにしてきた縁者であることを知って、ぜひとも会いたいと願うようになっていた。おばあちゃん子の私の息子も老母の介添え役という役割のためについてきた(いや、「ちがうよ、お母さん孝行をしようと思ったのさ」と本人は異論を唱えるかも知れないが)。
東京都美術館では、美術文化展が開かれている。美術文化協会は、戦前から続く前衛的な作家の集まる絵画集団である。日展や二科会に飽き足らなかった前衛的な人々が集まっている。
戦時中に戦争反対を唱えて獄中生活を余儀なくされた人々も多かったようだ。この日、お会いしようとする人は、岩田哲夫氏。この協会の理事のお一人である。
昨年の初冬、突然思い立って愛知県一宮市博物館の個展に押しかけたときの主でもある。以前の記事にも書いたが、繊維不況で大変な苦労をした家族たちの誇りであり、子供時代の妻にとっても目標であり、心の支えであった方である。若いころ、東京に出てきて、食べるものに事欠く日があっても、くじけず、身を持ち崩さずにがんばってこれたのは、岩田先生がいるという誇りが支えだったというのである。約束の時間よりも少し早めに、入り口に近づくと、遠くを探すような目線でいてもたってもいられないという風情の恰幅の良い白髪の老人がいらっしゃる。間違いない、岩田氏である。老母の足は遅い。妻と息子は老母を囲むようにゆっくりと近づく。岩田氏は妻以外に私だけではなく、老母も息子もいたことに驚いたようだった。
室内に入ると、老母に語りかけるように展示された絵画とその作家のことを岩田氏は説明してくれた。老母は、活け花の龍生派の家元の最高顧問という肩書きをいただいている。ご隠居ということだが、いまだにお弟子さんをとっている。絵画も彫刻も焼き物も見て歩くのは大好きで、活け花のヒントになると言う人である。残念なことに耳が少し遠くなっているので細かい話が聞き取れないようだが、岩田氏の話を熱心に聞いていた。私も、岩田氏のお話に耳を傾けながらさまざまな作品に視線を走らせていた。昔、伯父(石川茂)が審査委員も勤めた二科会の皆さんの作品に近い作風の方が多いようだ。日展の作風とは明らかにことなる。
岩田氏の作品は、地下1階に2つの小品、地上1階に大作2点が置かれていた。地上1階の休憩室で腰を下ろすと、岩田氏が妻の実家を教員時代に訪れたときのこと、妻の母が高等女学校時代岩田氏の生家に寄宿し、兄弟姉妹のように育った話、妻の母の大きな実家の敷地や柿の木の話などを説明してくれた。
わが老母は、北総では成田山の次に大きな寺と言われた寺の娘として生まれて、その寺最大の後見人であった豪商松本家の紹介で、松本家と江戸時代から縁戚になる武道家一族の直系の子孫で、教員をしていた父に嫁いだ。父は当時若くして母も父もなくすという過酷な運命に見舞われて天涯孤独となり、旧い家屋敷を売り払った代金で、常磐線馬橋駅の近くに当時としては珍しい赤レンガの屋根をもつ「洋間」のある新しい家に住んでいた。嫁いだ先は開明的で文化的ではあったが、貧乏な教員だったので、経済的には苦労した。しかし、心正しく生きることだけを誇りにして生涯を通した父に従って、自分にも子供たちにも贅沢を戒め厳しい生活態度を貫いた。この世代には珍しく、男に負けないを信条に民生委員、母子福祉推進委員、福祉ネットワーク委員長などで地域で活躍した。活け花の教授としても若いときから活動を貫いたので、子供たちは夕飯を自分たちで料理することが多かった。今はもう活け花以外の活動は全て後進に譲ったが、自立した女と見られることが多い女性ではある。しかし、その実、教員であった父を誇りにすることを基準に全てを律する人でもある。岩田氏も教員を務めてその後は教育委員会に長く勤務された方なので、老母は尊敬の念とともに大変親近感を持ったことは間違いがない。
母の年齢を思うと、次にお会いすることはできないかもしれないが、老母から見れば長男である私の妻の係累の様子の一端が理解でき、ようやく安堵もしたに違いない。無理な日程の中で、何とか岩田氏を引き合わせることができたのはたいへんな幸運だったと思う。日程調整はほとんど妻がした。妻にもつよく感謝する。
岩田氏のもとをおいとました後、我々は、ゆっくりと花見しながら桜並木を歩いて西郷像を目指した。西郷像の近くに松本家の歌人 松本翠影 氏の歌碑があり、最近、母の実家の光明院住職(私の従兄弟、椎橋俊恭)の働きで歌碑の説明板が立ったとの知らせがあったので、これを見ておきたいとの老母の願いのためである。途中の階段は老母にはかなり大変だったろうに老母はがんばりとおした。もともとの歌碑の場所も移動したらしく、見つけるのに手間取って、寛永寺清水観音堂の職員に尋ねたりもした。結局その清水堂の裏手に歌碑(「鶴の檻 さくら吹雪の 中にあり」松本翠影)があり、その左に説明板があった。説明板は鉄柵の向こうにあって、目がよくなければよく読めない。私は、絵画鑑賞用に度の強いめがねをかけていたので、遠目に説明板を大声で読んで老母に聞かせた。
老母のような年になると親しい人たちの係累やその先祖のことがことのほか気になるものらしい。久しぶりの親孝行になったようだ。
年度末で飛び切り忙しい職場のスタッフが気がかりだった。明日からはまた現場に復帰するからと心でつぶやいた。ごめんよ。

輝いて、公園口を語りすぎる、振袖あでやか、はかまりりしく
遠路来て、老いたる母に老画家は、妻の母を語る、濃尾の流景
たまに来て、上野の花の早咲きに、歌碑ゆらいのふみ、老母聴く

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琵琶


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