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特許取得、ラスター・ベクター変換プログラム--アルゴリズム戦記(14)

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2007/03/30
特許取得、ラスター・ベクター変換プログラム--アルゴリズム戦記(14)

ピカソ開発1234567)の副産物だが、ペイントソフトで作成された画像をベクトル化できないかという課題が持ち上がった。ベクトル化ができれば、ベクトル処理ソフトである「ピカソ」が扱えることになる、というのが開発のきっかけである。

開発を担当したのは、比較的ベテランのスタッフで、はじめFORTRANでアルゴリズムの確認を始めた。輪郭線抽出、が最初の仕事である。1ドットずらした画像を2つ用意して、andやxorのビット演算を試していたが、うまく行かない。当たり前である、0度と180度の位置では輪郭線に直交して1ドット分ずれていても、90度と270度の位置では輪郭線に直交しては0ドット分しかずれない。途中ではその中間のずれとなるのである。ヒトは思い込みというものがある。頭の良いヒトほど思い込みのわなにはまりやすい。
画像をマクロに捉えてビット演算する方法では、実際何をやっているのかさえ、よくわからない。私は、むしろ、愚直に、一方向から、グラフィックメモリのビット状態をドットごとになめて、同じ値が続く間は無視して、前後に異なる値がある場合(幾つかの場合に分かれる)は真ん中のドットの値を別のグラフィック空間にプロットするという方法をとることを勧めた。彼は、画面に向かって左右のドット列をなめるプログラムを走らせた。それらしいドットのプロットができたことが確認できた。うれしそうに報告がされた。私はドット列を1列だけではなく引き続き全列のプロットを作成することを求めた。アシスタントのスタッフがその後をコーディングして実行した。アシスタントの若者が持ってきてくれたテスト画像には、色つきの四角や丸、斜め線を重ねて描いてあった。結果は、かなり良いが、良くない部分があった。それは、縦線に近い輪郭は鮮明だが、水平線に近い輪郭はほとんど消えてしまっているという点である。このテスト結果を見て、私はひらめいた。いや、うまく行く方法(アルゴリズム)があるぞということである。
その場で、アシスタントの若者に、私は「悪いが、同じロジックで縦方向にスキャンした結果も見せてくれ」と言った。彼は口をとんがらせて、「横を縦にするだけだもの、結果は似たようなもんでしょう。わざわざやる価値なんかあるんですか」と言う。「まぁ、いいから、だまされたと思ってやってみてくれ」と私。押し問答したが、彼は、自分の意見では通らない、と思ったのだろう。直属の上司を呼んできた。彼に作業を指示した先のベテラン氏である。彼は、一通り自分の部下の言い分を述べて、「社長が人件費を無駄にしても良いという判断なら、彼にやらせます。いいんですね」という。彼の言うことはいちいち皮肉に聞こえる。取り合っていると時間がかかるので、「まぁいいさ、私が責任を負うよ。あなたのせいじゃないということだけははっきりしている」と私。ベテランの上司は「テスト用の画像データはどうしますか」と言う。「同じものを使用してほしい。1ドットも違わないものがいい」と私。「わかりました」とベテラン氏。アシスタントの若者を呼んで、「・・・ということなので、社長命令なのでやってくれ。後の指示も私はしない。社長に聞いてくれ」とベテラン氏。オイオイ、と思ったが、まぁいいかと、私。彼の視線を無視して、アシスタント君に「頼むよ」と重ねてお願いをした。
アシスタント君は、2日ほどすると、新しいテスト画像を作って、横スキャンと縦スキャンのテスト結果を持ってきた。彼は、その図を見せながら、「ほらっ、ボクが言ったとおりでしょ。縦でも横でも、同じように中途半端な図になっているでしょう。これでは使い物になりませんよ」と、なんだか得意げである。私は、この2つのテスト結果を見て、実は彼の話などそっちのけで、やった!と内心は叫んでいたのである。彼に向かって、「よくやってくれたね。これでいいんだ。これでうまく行く」と私。キョトンとするアシスタント君。私は畳み込むように、上司のベテラン氏を呼んでくるように話した。「あっ、はい」と不満そうな彼。
やがて、ベテラン氏が登場する。彼も不満そうである。「こんな具合ですから、もうあきらめましょう。何なら、斜めスキャンもやってみますか」とベテラン氏。「まてまて、そうじゃないんだ。この2つの結果を別々に得て、二つをorで重ねたらどうなるだろうね」と私は、ベテラン氏に誘い水を向ける。ベテラン氏は、じっと私の顔を見て、私が自信に満ちた顔をしているのを確認すると、「待ってください。確かめてきます」と退席した。アシスタント君もあわてて後を付いてゆく。小一時間もした頃、二人はそろってまた登場した。「こんな風になりました」とベテラン氏。--私は声を出すのも忘れて、見事な輪郭線の完成に見とれた。しばらく沈黙が続いた。私は、「どこかに破綻している部分ははないかね。45度付近とか、、、、」といいながら、完成した画像をくまなく点検し始める。「いや、完璧のようです」とベテラン氏。彼は続けた、「でも、どうして??、理屈がわからないんですが」。「論より証拠さ。水平方向と垂直方向のスキャンは、前後3ドット分の比較によって写像を生成する行為なので、直交系をなすので相補的だとにらんだのさ」と私。「見てごらん、水平方向のスキャンで欠けてしまう輪郭線は、垂直方向のスキャンでははっきり出ている」とさらに続けた。「中間の方向の輪郭線は、かすれているものの、両者をあわせれば、ドット構成の意味で1本の線に違いないとめぼしをつけたのさ。そのとおりになっているね」とご満悦な私。実は、アシスタント君がプログラムを完成するよりも先に、私はBASICでテストルーチンを作って確認していたのである。こういうときに、BASICは便利である。画素の値はPEEK関数で取得した。彼らには先回りしていたことは内緒にした。
さて、ここまでが、ラスター・ベター変換の第一段階である。ここでできた輪郭線をたどって、線分ベクトルの連鎖を過不足なく生成しなければならない。私は、線分ベクトルを構成できたら、その都度その部分のドットを即座に消してしまうアルゴリズムを提案し過剰線分を生成しないようにした。最速ですべての線分を残すことなく発見するアルゴリズムも提案した。また、線分をたどってもとの位置(正しくは元の位置の隣の画素)に戻ってきたら、その線分に囲まれた部分の内部にある元の画像の色を取得することも処理に加えた。内部と外部を区別するアルゴリズムも教えた。
これらは、すべてうまくいった。
しかし、難題はさらに続いた。ベテラン氏らは、これらの作業が最終に近づくと、「これらは意味がない」といい始めたのである。処理に時間がかかりすぎて、実用にはならないというのである。確かにフォートランで実行すると、簡単な1画面をベクトル化するのにも、10分くらいかかるのである。ちなみに、BASICインタープリタで実行すると数十分かかる。しかし、この処理は、最初から最後はマシン語にすると宣言して始めたプログラムである。「できない」ことを前提に、この仕事をしていたベテラン氏と彼のアシスタント君は着々と成功に向かっていることに明らかに不満だった。
私は、以前の記事にも登場してもらったマシン語ライタの二人に高級言語で作成したプログラムをマシン語にしてもらうことにした。完成したマシン語プログラムの実行は数秒で終わってしまった。文句なしである。
ベテラン氏は、この結果を受けて、数日後、私が特許申請書類を書きます、と申し出てきた。彼は以前勤務していた企業で特許関係の仕事もしていたのである。ありがたくやってもらうことにした。かれと私は和解した。しかし、まだ難問はつづくのであった。開発に投入した予算や特許取得に要する費用を取り返すべきであると彼は主張した。ごもっともである。
当時、ソフトウエア特許は珍しかった、我々の申請の前に、日本で認められたソフトウエアの特許はわずか2件であった。大変な困難が予想された。申請後、手続きをしている最中に、取引先に、特許取得中であることを告げて、用途があるかどうかのリサーチをかけることにした。一社が当時のお金で1千万円を用意するので利用させてくれといい始めた。この話を持ってきたのは、某H社の下請け会社の営業マンである。記憶が定かではないが、開発を担当したベテラン氏の知り合いだったと思う。良かろう、と私はお話を進め事にした。ところが、その営業マンは、その特許の内容を教えろとしつこいのである。何回もやってきて、微に入り細に入り、アルゴリズムの詳細を聞こうとするのである。理由は、使用価値があるかどうかの社内判断の材料にするからというものである。さんざん、私の話を聞いて、私が作った説明資料を受け取ると、満足そうな顔をして帰っていった。
その後、ぷっつりと音信がなくなり、彼とは連絡が取れなくなった。例の案件はどうしたのかと彼の上司に問い合わせると、上司が「いや、その話は、某H社さんにライセンスそっくり買っていただくことになっていると聞いています」と、聞いたこともない驚くような話だった。「ちょっと待ってください。それは当社の特許で、使用料をいただく話だったはず。そちらの会社が別の会社にライセンスを売る話というのはおかしいですね」と食い下がると、調べるからと電話が切れた。数日すると、その上司がやってきて、「あの特許は、某H社の特許だったので、私たちは無関係です」と理解に苦しむ説明をする。何?!、私は、とんでもないことが起こっていることに気づいた。彼が教えてくれた某H社の担当者に電話すると、「どこにあなたの会社の発明であるという証拠があるんですかねェ、法で争いましょう」と、ニヤついた声で言う。明らかに大会社の威光を借りた小ざかしい態度だ。馬鹿な、私は、その場で激怒した。「とんでもない。おっしゃるとおり法廷でやりましょうか。こんなことが明るみに出て傷つくのはあなた方ではないんですか。受けてたちますよ、何なら私たちから告訴しましょうか」と言いかけると、ガチャンと電話を切った。私は、すぐに、この会社の社長室長をしていた大学の同級生に詳細な資料を添付して、手紙を書いた。訴訟にすると君の会社の担当者は言っている、我々は受けてたつ用意があるが、こんな無法なことを大企業であるH社がして良いのかと詰問の内容である。会いたいと、書いておいたが返事がない。2週間を経て、電話をすると電話口に本人が出て、「待ってくれ。君の怖さは十分知っている。マスコミを総動員するくらいのことはやりかねないのも承知だ。担当者が馬鹿で君を知らすぎただけだ。誓って善処する。ボクが保証する。必ず、納得できるような落とし前をつける」と昔の口調で言う。「わかった、後1-2週間は待っていよう。それ以上は待たないよ」と私は電話を切った。約束の2週間が過ぎようというころ、社長室の別の人から、当社に電話があった。私が出ると、「誠に恐縮です。副社長の都合がどうしても付かないので、期限をあと2日延ばしてほしい」というのである。えっ、副社長が出てくるということか、と私は驚いた。「結構ですよ。御茶ノ水の本社にうかがえばよろしいですか」と私。「いえ、副社長は大甕工場長も兼務していますので、必ずしも本社にはいらっしゃいません。そちらにうかがうということです」とのこと。「それは恐縮です、私がうかがいます」と私。「いえ、こちらがうかがうべきことだと聞いています」とその人物は譲らない。そして2日後、雨が振る中、運転手つきの専用車でH社の副社長はやってきた。お供は一人である。当時の我々の会社は、居酒屋の2階、急な狭い壊れかけた階段を上ったホコリだらけの和室の幾つかを改造した事務室である。副社長は、巨体を困ったように揺すりながらノシノシとゆっくりと階段をあがってきた。「申し訳ありません。遅くなりました」と、言って、名刺を出して、頭を下げるなり、階段を上ったところで、床に頭をつけて動かない。「まぁ、お顔を上げてください」と私。お供の人が大きな包みを差し出して、「これで済むとは思っていませんが、皆さんで召し上がってください」と言う。包み紙を見るとおせんべいだった。
「わかりました。私も矛を収めましょう。だから、どうぞおたちになってください」と私。おつきの人が、「類似の研究を社内でもやっていたことは間違いありません。しかし、特許は先願主義ですから、このまま、御社で特許をお取りください。我々はこれに異議を唱えることはしないとご理解下さい。それでよろしいでしょうか」という。「わかりました。しかし、事実関係だけは知りたいと思いますが、お時間はございますか」と私。お供の人は「いえ、副社長はお忙しい方なので今日のところはこれで勘弁をお願いします。無法なことをした関係者は必ず処分いたします。それをもって、ご説明に変えさせていただければまことにありがたく思います」という。副社長も頭を下げたまま「お願いします」という。大会社がいったん決意すれば、ここまでやるのだということが良くわかった。彼らの言葉にウソはあるまいと感じた。私は、「わかりました。適正な処罰が確認された時点で、当社は一切を水に流します。お忙しいでしょうから、今日のところはお引き取りください」と私。所要時間20分程度だったであろう。副社長は、よろよろと立ち上がると、後ろ向きに、うつむきかげんのまま、階段を下りていった。スタッフは、遠巻きにこのやり取りを見ていた。彼らが帰った後、ことの次第をスタッフを集めて説明した。
数か月後、H社の問題の下請け企業の営業マンの上司から電話があり、「あの営業マンは網走支店に転勤になりました。これでご理解をいただきたい」と述べた。H社内の人物が処罰されたかどうかは不明だったが、H社からの指示でかの営業マンが処罰されたと確信した。われわれは、そのことをもって、それ以上の追及をやめることにした。
悪事は、いずれ露見して崩壊するのである。
アルゴリズムでは敵なし。しかし、私にとっての敵は、ときによりあらぬところから現れるヒトの邪心であった。
ラスター・ベクター変換の特許は現に当社に所属する。もしも、当社に無断でこの特許を使っている企業があったならば、早めに申し出られたほうが良い。後で露見すれば、過去にさかのぼって賠償金がかさむことになる。自ら申告するものであれば、リーズナブルなお値段で使用を許諾する用意があるので安心して申し出ていただきたい。

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琵琶


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妻の心の支えと私の老母の出会い、美術文化展--交友の記録(14)

2007/03/27
妻の心の支えと私の老母の出会い、美術文化展--交友の記録(14)

昨日(3月26日、月)、私は朝から仕事で駆け回った足で、上野公園に到着した。公園内にある東京都美術館で、お会いする人がいるのである。
12時過ぎに公園に到着すると、まず会場までの道を歩いてみる。桜の花が、早くも1分咲き程度だった。中でも動物園の入り口近くの花は華やかに8分咲きというところで、観光客らしいおばさんたちが盛んに花をバックに写真を撮り合っている。
約束の時間は3時だが、妻と老母、私の息子が2時半ころにJR上野駅に到着予定であった。まだ時間はある。国立博物館の前にゆき、東京芸術大学の正門前をめぐってきびすを返し噴水の広場での大道芸人のパフォーマンスにしばし見とれて、桜並木を広小路の方向にゆっくりと歩いて上野の画伯(路上似顔絵画家)を遠目で確認してから引き返してきた。桜並木を引き返すころには桜は2分咲きくらいにまで開花が進んでいた。気温が高いので花の開くのが速い。しかし、まだ、まだ時間がある。JR上野駅公園口の信号を渡ったあたりの縁石にたくさんの人たちが人待ち顔に座っている。私も、その一角に座り込むと目立たないようだ。たくさんの人が通りかかる。次第に、酒やブルーシートを手にした花見狙いのおじさんたちや、場所取りを命じられたに違いない若いサラリーマン風の人たちが多くなってくる。若い女性も多い。ボンヤリと眺めていると、若い女性たちの服装がキャンパスで見る女子学生に比べてひどく地味であることに気づく。なるほど上野公園には野遊びに来るのと同じ感覚なのだな、と思う。背広がまだまだ多いおじさんやお兄さんたちよりもその落差は大きいような気がする。TPOは男より女のほうがしっかりしているのかもしれない。外国人も多い。男女のペアが圧倒的である。外国の女性がたこ焼きやチョコパナナを食べたいと男性の手を引いて屋台に近づくケースが多いようだ。屋台は日本人より外国人に受けている。いずこの国でも、女性のほうが積極的で男性は女性に指図されるのが普通らしい。フィリピーノの一団がやってきた。ニットやセーターのチープな衣服だが、複雑な混血の華とも言うべき微妙なかわいらしさは独特である。数が多い上ににぎやかなので、人ごみの視線は彼女らにしばらく奪われていた。しばらくすると男たちの人並みがその余韻をかき消してしまう。やがて、その中に、振袖にはかまという凛々しくて美しい若い女性たちがちらほらと混じって通りかかる。たいていは同様に着飾った母親がついている。中には同世代らしい男性の腕に手をかけて、輝くような笑顔で通り過ぎる娘もいる。どこかの大学で卒業式があったのだろう。そのうち、八丈紬の若い女性が通りかかる。黄八丈の鮮やかな小袖である。紺の縦じまが周囲の空気を圧倒するほどに目立つ。いまどき珍しい。八丈紬のお嬢さんのいでたちは一見庶民的で時代劇の町娘の風情だが、黄八丈は高価なことで知られる。しかも大胆な柄である。拝見すると上品な顔立ちである。このご衣装で向かう先はどんなところなのか、想像もつかないナと思っていると、携帯電話が鳴った。妻からである。上野駅に着いた、という知らせである。まもなく、公園口に到着するだろう。立ち上がって、信号機のそばまで進んだ。
老母は86歳である。私と妻は再婚で、結婚式も挙げなかった。妻の実家が遠いこともあって親類縁者との交流は少ない。これからうかがう客人には伝えていないが、老母は、その客人が、私の妻が密かな誇りにしてきた縁者であることを知って、ぜひとも会いたいと願うようになっていた。おばあちゃん子の私の息子も老母の介添え役という役割のためについてきた(いや、「ちがうよ、お母さん孝行をしようと思ったのさ」と本人は異論を唱えるかも知れないが)。
東京都美術館では、美術文化展が開かれている。美術文化協会は、戦前から続く前衛的な作家の集まる絵画集団である。日展や二科会に飽き足らなかった前衛的な人々が集まっている。
戦時中に戦争反対を唱えて獄中生活を余儀なくされた人々も多かったようだ。この日、お会いしようとする人は、岩田哲夫氏。この協会の理事のお一人である。
昨年の初冬、突然思い立って愛知県一宮市博物館の個展に押しかけたときの主でもある。以前の記事にも書いたが、繊維不況で大変な苦労をした家族たちの誇りであり、子供時代の妻にとっても目標であり、心の支えであった方である。若いころ、東京に出てきて、食べるものに事欠く日があっても、くじけず、身を持ち崩さずにがんばってこれたのは、岩田先生がいるという誇りが支えだったというのである。約束の時間よりも少し早めに、入り口に近づくと、遠くを探すような目線でいてもたってもいられないという風情の恰幅の良い白髪の老人がいらっしゃる。間違いない、岩田氏である。老母の足は遅い。妻と息子は老母を囲むようにゆっくりと近づく。岩田氏は妻以外に私だけではなく、老母も息子もいたことに驚いたようだった。
室内に入ると、老母に語りかけるように展示された絵画とその作家のことを岩田氏は説明してくれた。老母は、活け花の龍生派の家元の最高顧問という肩書きをいただいている。ご隠居ということだが、いまだにお弟子さんをとっている。絵画も彫刻も焼き物も見て歩くのは大好きで、活け花のヒントになると言う人である。残念なことに耳が少し遠くなっているので細かい話が聞き取れないようだが、岩田氏の話を熱心に聞いていた。私も、岩田氏のお話に耳を傾けながらさまざまな作品に視線を走らせていた。昔、伯父(石川茂)が審査委員も勤めた二科会の皆さんの作品に近い作風の方が多いようだ。日展の作風とは明らかにことなる。
岩田氏の作品は、地下1階に2つの小品、地上1階に大作2点が置かれていた。地上1階の休憩室で腰を下ろすと、岩田氏が妻の実家を教員時代に訪れたときのこと、妻の母が高等女学校時代岩田氏の生家に寄宿し、兄弟姉妹のように育った話、妻の母の大きな実家の敷地や柿の木の話などを説明してくれた。
わが老母は、北総では成田山の次に大きな寺と言われた寺の娘として生まれて、その寺最大の後見人であった豪商松本家の紹介で、松本家と江戸時代から縁戚になる武道家一族の直系の子孫で、教員をしていた父に嫁いだ。父は当時若くして母も父もなくすという過酷な運命に見舞われて天涯孤独となり、旧い家屋敷を売り払った代金で、常磐線馬橋駅の近くに当時としては珍しい赤レンガの屋根をもつ「洋間」のある新しい家に住んでいた。嫁いだ先は開明的で文化的ではあったが、貧乏な教員だったので、経済的には苦労した。しかし、心正しく生きることだけを誇りにして生涯を通した父に従って、自分にも子供たちにも贅沢を戒め厳しい生活態度を貫いた。この世代には珍しく、男に負けないを信条に民生委員、母子福祉推進委員、福祉ネットワーク委員長などで地域で活躍した。活け花の教授としても若いときから活動を貫いたので、子供たちは夕飯を自分たちで料理することが多かった。今はもう活け花以外の活動は全て後進に譲ったが、自立した女と見られることが多い女性ではある。しかし、その実、教員であった父を誇りにすることを基準に全てを律する人でもある。岩田氏も教員を務めてその後は教育委員会に長く勤務された方なので、老母は尊敬の念とともに大変親近感を持ったことは間違いがない。
母の年齢を思うと、次にお会いすることはできないかもしれないが、老母から見れば長男である私の妻の係累の様子の一端が理解でき、ようやく安堵もしたに違いない。無理な日程の中で、何とか岩田氏を引き合わせることができたのはたいへんな幸運だったと思う。日程調整はほとんど妻がした。妻にもつよく感謝する。
岩田氏のもとをおいとました後、我々は、ゆっくりと花見しながら桜並木を歩いて西郷像を目指した。西郷像の近くに松本家の歌人 松本翠影 氏の歌碑があり、最近、母の実家の光明院住職(私の従兄弟、椎橋俊恭)の働きで歌碑の説明板が立ったとの知らせがあったので、これを見ておきたいとの老母の願いのためである。途中の階段は老母にはかなり大変だったろうに老母はがんばりとおした。もともとの歌碑の場所も移動したらしく、見つけるのに手間取って、寛永寺清水観音堂の職員に尋ねたりもした。結局その清水堂の裏手に歌碑(「鶴の檻 さくら吹雪の 中にあり」松本翠影)があり、その左に説明板があった。説明板は鉄柵の向こうにあって、目がよくなければよく読めない。私は、絵画鑑賞用に度の強いめがねをかけていたので、遠目に説明板を大声で読んで老母に聞かせた。
老母のような年になると親しい人たちの係累やその先祖のことがことのほか気になるものらしい。久しぶりの親孝行になったようだ。
年度末で飛び切り忙しい職場のスタッフが気がかりだった。明日からはまた現場に復帰するからと心でつぶやいた。ごめんよ。

輝いて、公園口を語りすぎる、振袖あでやか、はかまりりしく
遠路来て、老いたる母に老画家は、妻の母を語る、濃尾の流景
たまに来て、上野の花の早咲きに、歌碑ゆらいのふみ、老母聴く

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琵琶


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気の向くままに包丁とキーボード--オヤジと家族のお料理ライフ(10)

2007/03/22-3/31
気の向くままに包丁とキーボード--オヤジと家族のお料理ライフ(10)

ちょうど1年ほど、このシリーズの記事は書かなかった。理由があったわけではない。ほかに書くべきことが多すぎたのかもしれない。
相変わらず、家族は、分担してお料理に取り組んでいる。老母は、私たちのお料理だけが理由というわけではないだろうが、1年前に比べて、ずいぶん元気になったように思う。
これからは、私が作った料理についてだけ書くことにする。それも気の向いたときだけ書くことにする。
妻も息子も自分のホームページを作りかけている。二人は、それぞれ自分のホームページに自分の作った料理を紹介するに違いない。私が紹介するまでもないに違いない。料理は作ることに達成感がある。おいしいと言ってくれる人がいる。会話が弾む。家族が楽しくなる。だから、そのうちホームページに書くだろう。

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[木曜日(3/22)]
昨日は、料理を作りすぎて、老母が「明日はいらないよ」と言っていた。それもさびしいだろうから、付け合せになりそうなものを2品作った。我々の朝飯は、これら付け合せと目玉焼き、味噌汁だった。おいしくいただく。
・蕗(フキ)とカツオブシのお煮しめ
水煮したフキが安く売っていたので買ってきたのである。季節のものだが、我が家の庭のフキはフキノトウ状態が少し伸びた程度でまだ茎が食べられるほどではない。10本ほどあった。端をちぎってしゃぶってみると、あく抜きもされているようだ。それでもやや渋みはあるので、ちょっとだけ工夫することにした。
フキは1.5センチくらいに切って、小鍋に入れフキの高さの1.5倍くらいになるまで水を加える。細く切ったアブラゲを加えて強火で暖めながら、ハナカツオを小鍋に山盛りくらいいれる。昆布だし(小袋状の市販品)、摩り下ろしショウガ、ミリン、しょうゆでアジを整える。最後に琉球黒酢を加えた。酢を加えることで渋みが消える。琉球黒酢は最近手に入れたもので、やや高めだが、香り良し、味良しで私は気に入っている。ふつふつとあわ立つところを掬って味を確かめてみて、グッド。しかし、他の料理の付け合せにするには、パンチが足りないので、輪切りの唐辛子少々を加えてみる。ますます良し。少々時間をかけて煮詰めることにする。平行して、もう一品と味噌汁を進める。
・ヒジキとシラスの炊き合わせ
ヒジキを水にさらして、少量の水と一緒に、別の小鍋に入れる。加熱して沸騰したところでシラスを入れる。シラスは水から炊くと生臭くなる。沸騰水に入れるとおいしいにおいを放つ。これに小さく作られている麩(ふ)を加えてアクセントにする。ミリン、しょうゆ、砂糖(三温糖)を加える。シラスのダシでヒジキがおいしく染め上げられる。
・味噌汁
いつもの麩を買うとき、そばに車麩(くるまふ)が売られていたのでつい買ってしまった。奥さんの実家はその昔麩の製造販売をしていたそうで、奥さんは麩が大好きである。ヒジキに入れた小さな麩とは味も歯ごたえも異なるものなので、味噌汁に入れた。大根の千切りと三つ葉もくわえる。車麩(くるまふ)を味噌汁に使うのは2度目だが、実にうまい。
・目玉焼き
息子の好物。厚焼きの玉子焼きよりも半熟の目玉焼きを好む。トマトケチャップを添えて食卓へ。
【評判】フキの煮物とヒジキの煮物、季節のもので、老母の評判も良かった。日持ちもするので、少しずつ食べて、残りは冷蔵庫で保管してもらう。我が家でも好評。ただし、純和風なので、老母ほどではないようだ。
味噌汁は我が家だけで食べる。味噌汁がたっぷり含まれた車麩は息子もおいしいと言って食べた。
[金曜日(3/23)]
昨日は、純和風のものが中心だったので、豚肉のオリジナル料理に挑戦した。
・豚肉のバター&ユズの酒煮
生姜焼き用の豚肉があったので、我が家の庭のユズの実の取り置きとあわせて、一味違うものを作ろうと思い立った。お酒と塩だけで炊くという料理もあるのだが、ユズを使いたかった。
水と調理用のお酒を150CCくらいずつ入れて、小鍋で沸騰させる。昆布だし、カツオだしを加えて、ショウガのオロシ汁、ユズの実の絞り汁、ユズの皮のミジン切り、バターの輪切り5ミリ厚くらいを入れる。ここに、レンジで解凍した豚肉を一枚ずつ広げながら落としてゆく。10分ほど中火で煮る。豚肉を2枚ほど取り出して、まな板に載せて細く刻む。老母が食べやすいようにするためである。肉の細切りはレタスを敷いた小皿に盛った。実は1か月ほど前、牛肉の薄切り(シャブシャブ用)をねぎと一緒に甘辛に煮てあげた。老母は、口に入れたらおいしくてノドが意に反して勝手に飲み込もうとしてしまったらしい。牛肉が長かったのでその途中でノドに引っかかってしまうという事故直前の出来事があったのである。極薄切りなので、多分噛み切れるだろうと私が油断したのが良くなかった。その後は、肉類はことごとく小さく切って届けるようにしている。
わが家族の分は、肉をそのまま引き上げて、レタスを敷いた大皿に盛った。これと平行に作ったのは、ブリ大根と味噌汁である。
・リゾット風の雑炊
作る予定ではなかったが、捨てようとした豚肉の煮汁の香りがあまりに良かったので、味を見るとやや濃い目の味、ただし強烈にうまい。捨てるに忍びなくなって、水で倍に割って、沸騰させ、炊きたてご飯を目分量で落として、再度沸騰したところに溶き卵を流し込んだ。一口、味見すると、バターの香りがかすかにするのに和風の味と香りが勝っていて、実にうまい。老母にも小どんぶりに入れて届けることにした。
・ブリ大根
ブリの切り身が冷凍庫で固まっていたのでレンジで解凍、昨日購入した大根がなぜか2本あったので、1本を大きな輪切りにして、さらに4分割したものと一緒に圧力釜に入れる。使い切る寸前の残り味噌少々としょうゆ、カツオダシ、昆布だし、ミリン、砂糖少々を加えて、フタを閉じて、強火で5分、圧力調整弁がカタカタと左右にゆれ始めたら、弱火にして15分、後はさめるのを待つばかりで出来上がる。食事開始までに、温度がサガリ切らなかったので、朝食では食べないことにした。今晩のお楽しみということである。
・味噌汁
小松菜、モヤシ、アブラゲ、いつもの仙台味噌がブリ大根に使ってすっかりなくなってしまったので、白身魚の生の和え物などを作るときなどに使うやや高級な白味噌の残り3分の一を贅沢に全部使ってしまった。
【評判】リゾット風の雑炊が一番人気だった。豚肉のバター&ユズの酒煮もさっぱりとしていて良かったようだ。アイディアの勝利だ。オリジナル料理がヒットするとうれしい。
[土曜日(3/24)]
老母には、昨日のブリ大根を取り分けて置いたものと、下記の肉団子の一部を届けた。夜には、私道1本を隔てただけの姉の家で「こぶしの花をめでる会」がある。おつまみと兼用である。
・肉団子
ブタ約250gとトリのミンチ約250gをボールに取り、ショウガとカタクリ粉、塩少々、七味を加えて、水を30CCほど加えて練った。水を加えるのは、肉団子をやわらかく仕上げるためである。七味を加えたのは、おつまみにも適するようにややピリ辛にしようという狙いである。塩が加わると肉は粘りを増す。ショウガは、買い置きのスリオロシがなくなっていたので生ショウガを息子がおろし金でスリ下ろしてくれた。
ナベに150CC水くらい入れて沸騰させる。カツオだしと昆布だし、ミリン、しょうゆ、砂糖(三温糖)を加えて沸騰させる。
ここに、右手の大さじでやや柔らかめの粘土状になった肉をすくい、左手に放り込み、左手で丸めてナベに落とす動作を繰り返す。団子が生のまま接触するとくっついてしまうので、ナベの中で生の団子のない位置をすばやく探して投入する。ナベはときどき団子が崩れないよう、ゆっくりとかき混ぜる。最後に水で溶いたカタクリ粉を加えて出来上がり。出来上がってみると、最後のカタクリ粉がやや多すぎたようでタレが少し固すぎた。また、タレには酢も加えたほうがよかったかもしれない。老母用には、子どんぶりに2個、我が家の朝食用と夜のつまみ用には別のやや大きめのどんぶりに盛る。
・豚肉のカラアゲ
かつて我が家に呼んだ中国人夫婦にも評判のよかったのがこれ。豚肉の薄切り(ショウガ焼き用)を半分の大きさに切って、スリオロシショウガと塩とカタクリ粉を入れて混ぜた調理用ポリ袋の中に、1枚ずつ肉を落としてまぶしてゆく。程よく温度を上げた油の中に、この肉を1枚ずつ手で広げて落とす。4-5枚ずつ、上下をひっくり返す。キツネ色に揚がったら、油を切って、一時置きの皿に取り出す。油が十分切れたら、別の皿にレタスを広げて盛る。ラップをかけて冷蔵庫に入れておく。簡単、おいしい。おつまみ専用のつもりだったが、形が崩れたものを取り分けて試食用とした、食卓では息子と妻が目ざとく見つけて食べてしまった。
【評判】肉団子は老母に好評だった。しかし、夜の部では、冷蔵庫の中でタレが固まってしまったので、とりにくく、団子が崩れてしまう現象が、・・・、残念。息子の評価は×。朝のうちはタレもちょうど良い具合だったのだが、夜の部を考えるとカタクリ粉はもう少し少なめにすべきだった。
豚肉のカラアゲは、少々塩ッパイと私は反省したが、概して夜の部でも好評。おつまみにはちょうどよかったのかも。
[日曜日(3/25)]
・キンキの煮付け
小ぶりだがキンキが6匹入ったパックが売られていたので、買ってあった。キンキは身が柔らかくおいしいが、ヒレが固く、鋭いハリのようになっているので、ヒレが気にならない程度にまで柔らかく煮付けるのはなかなか難しい。煮すぎると身が崩れる。煮方が足りないとヒレが邪魔になる。我が家には、昨年末から加わった圧力鍋の味方があるので、これを使って初めてキンキを煮ることにした。ネギは親類からいただいた見事なものがあったので斜め薄切りにして1本分で山盛りになるくらいを半分くらい水を入れた圧力釜に盛り込んで、ショウガ、塩、香り付けにしょうゆを小さじ1杯程度入れた。キンキを浮かせるように入れて、ふたをして沸騰したら、弱火15分、冷却30分で出来上がり。骨もヒレも柔らかに仕上がった。身が溶けそうなくらい柔らかくなっているのが、むしろ難点かもしれない。老母には、このままネギ汁に浮かせて2匹持参。
・セリとコンビーフのオムレツ
セリを使った変わりオムレツである。セリを小さく切る。茎の部分は5ミリ長、葉っぱの部分は1センチくらい。コンビーフは4枚ほどを2ミリ幅くらいに切る。フライパンを熱して、サラダ油少々にバター5ミリくらいにニンニクを小さじ半分くらいを入れる。バターが溶けてニンニクがあわ立ってきたら、山椒の粉と黒胡椒を振ってセリとコンビーフを加える。すばやくかき混ぜ、セリが鮮やかな緑になるのを確認したらすぐに溶き卵を加える。卵を広げて具が中に入るようにまとめて、二つ折りにして、2-3度裏返すと出来上がり。時間との勝負だが、スピーディ料理である。
【評判】キンキの煮付け、評価は聞かなかったが、老母の好きな料理なので文句はないだろう。我が家では好評。
セリとコンビーフのオムレツ、ニンニクが入るといつもは老母が喜ばないのだが、食べてくれたようだ。セリの香りと中和したかも知れない。
[火曜日(3/27)]
・サバのから揚げ
サバの切り身にスリオロシショウガ、塩をすり込み、カタクリ粉を振って、温度を上げた油に落とす。2切れずつ、二度上げする。一切れ分を老母に。
・納豆大根生卵
時々作る、簡単得意料理。大根を一ミリ角くらいの小さな角切りにしてボールに入れる。納豆と生卵を加えてタレを入れよくかき混ぜる。あわ立つほうがおいしそうに見える。小皿に盛り分けて老母に。
【評判】聞かなかった。
[水曜日(3/28)]
今日は、遠くに出張する日、時間が無いので、スピード料理。老母には、「仔羊のバター焼き」と「鮭の山椒柚子焼き」を届けた。
・仔羊のバター焼き
バター、スリオロシショウガ、黒コショウ、ニンニク少々、しょうゆ少々で裏表を焼く。老母用には食べやすいように線切りにして、レタスの葉を敷いた小どんぶりに小さく盛り上げ、、マヨネーズを載せて出来上がり。
・鮭の山椒柚子焼き
鮭の粕漬けがあったので、フライパンに入れ、山椒の粉と柚子の千切りをたっぷり入れ、調理用の酒を加えて水気がなくなるまで返しながら加熱。
・味噌汁
家族に好評な車麩(新潟名産)、水菜、モヤシに、かつおダシと昆布ダシで炊く。味噌はいつもの仙台味噌。
【評判】所要時間30分の早業に家族は賞賛。その手には乗らないよ、と私。4月になれば大学の授業が始まる。大学に行く日には私は料理している時間が無い。以前の分担が復活するはずである。
[木曜日(3/29)]
本日、妻は早く家を出た。出版営業を担当しているので、新刊書の出た日は、私よりも忙しい。早朝に外出した。必然的に今日も私が老母のための料理をすることになった。
・赤魚の糟煮
カツオだし、昆布だし、ショウガ、ねぎを長く切って入れる。ミリンを加えて沸騰させる。大きな切り身だったので、2つずつに切って、沸騰したなべに入れる。湯に触れた瞬間に、切り身がクルクルと反るのが面白い。酒糟を1枚ほぐしながら加えて、もう一煮立ちさせる。出来上がり。老母には、小ぶりの切り身を1つ、浅立ちに酒糟汁を盛ってこの中に浮かせる。
・小籠包
出来合いのものである。皿に並べて、電子レンジでチン、もう一度チン。これで包みの中のスープが完全に温まって溶ける。タレだけは、しょうゆと酢、酒、豚コンソメで作っておく。老母のためには、小皿に3つ取り入れてタレをかける。
2種類で所要時間、20分。あわただしく、私も外出した。
【評判】
息子は、留守中3人前のはずの小籠包を全部食べてしまった。おいしかったが、食べ終わったら、結構脂っこかったような気がすると贅沢なコメント。赤魚の糟煮は、二人とも、翌朝に食べた。満足したらしい。妻は食べたかった小籠包がキレイになくなっていたのでやや不満。
[金曜日(3/30)]
・鳥肉の旨煮
鳥ムネ肉2枚を長さ2.5センチくらいの薄い短冊状にきる。切り口の広い部分が肉の繊維と直角になるようにすると味がしみるのも早く、老母にも噛み切りやすい。大根6ミリ厚の輪切り4枚を8分割、にんじん1本を薄く乱切りの要領でそぎ落としたもの、いろどりの水菜を3センチくらいに切りそろえたものを用意する。水を半分くらい入れたナベに昆布だし、大目のミリン、ショウガ汁を加えて、大根にんじんを入れて沸騰させる。沸騰したところで、切ったトリ肉、水菜を入れる。灰汁が出るので適度に掬う。醤油少々、三温糖大さじ1杯半で一煮立ちさせて出来上がり。汁ごとおいしい。私の定番料理の一つ。老母も好むものである。
・目玉焼き
普通の目玉焼き、半熟に仕上げる。それぞれ小皿に盛ってイタリア製のトマトケチャップをそれぞれに垂らして終わり。このトマトケチャップはたまたま買ったものだが、塩分などがほとんど含まれていない。濃厚なトマトジュースに限りなく近い、トマトを潰しただけのような仕上がりのものである。もともと、塩も胡椒も使わない単なる目玉焼きをどちらかといえば好んで食べるわが家族にはちょうど良い味わいである。
[土曜日(3/31)]
昨夜は、名誉教授と会食し、者に戻って仕事をしてから、某デザイナに依頼物件の材料を届けて自宅に戻った。自宅に到着したのは午前2時半。本日は、午後から私と家内が主催するSH情報文化研究会がある。寝坊した上に時間がない。大慌てで料理する。
・シュウマイの甘酢煮
琉球黒酢、カツオだし、ミリンで沸騰したナベに、すりゴマと大根のイチョウ切りとありあわせの水菜のザク切りをいれ、崎陽軒のシュウマイを入れる。最後に香り付けにごま油をたらす。ひと煮立ちしたら出来上がり。シュウマイがとんでもなくおいしく感じられる。シュウマイの代わりに餃子を使ってもよい。老母にも好評な簡単料理である。
・鳥肉の卵餡かけ
昨日の鶏肉の旨煮が残っていたので、水と一味トウガラシを加えて三温糖と昆布だしを追加し、沸騰したところにナベをゆっくりとかき回しながら溶き卵を流し込む。鳥肉の卵餡かけの出来上がり。昨日の料理のつい回しであることを老母にも説明して届ける。
・眼光りのカラアゲ
なかなか手に入る食材ではないが、メヒカリ(眼光り)という魚がいる。実が柔らかくて、甘みのあるおいしい魚である。眼が大きくて、光って見えるので、この名がある。
たまたま手に入ったので、今回はカラアゲにしてみた。1匹分を届けた。
【評判】
シュウマイ、卵餡かけについては聞かなかったが、メヒカリのカラアゲについては老母から質問があった。「あのサカナはなんだい。おっかない顔をしているのでまだ食べていないんだけど、・・・」 ・・・、参ったなぁ、よろこんでもらおうと思ったのに、見慣れない食材だと、なかなか食べてくれないようだ。メヒカリというサカナについて、ひとしきり私が講釈すると、次の食事で食べるとのこと、(本当に食べてくれるかな)、後で、感想を聞いてみることにする。
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琵琶

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発表: 社会と情報システムの今後、次世代大学教育研究会--感性的研究生活(18)

2007/03/23
発表: 社会と情報システムの今後、次世代大学教育研究会--感性的研究生活(18)

3月17日(先週の土曜日)、大阪経済大学で第12回次世代大学教育研究会が開かれた。会長の家本教授の大学である。研究室の見学に重きを置いた研究会であったが、まずはいつものように発表と質疑が行われた。発表者は家本教授と私である。
前日(16日)の朝、東京には雪が降った。この冬はまったく雪が降らなかったので、この春の雪が初雪となった。17日も寒い朝だった。健康に自信のない私は、東京を離れるときは家族の誰かに同行を頼むことにしている。今回も息子に荷物持ちを頼んだ。最初は乗り気ではなかった息子も、「好奇心をもって聴いていればよい」と私が説明したことで納得して、研究会とその後の懇親会に付き添ってくれた。私は安心して過ごせた。結果として、息子も、見識高い諸先生のお話にまんざらではなかったようである。
家本先生のお話は、大学制度の未来をめぐるもので、大学設置基準に学生の卒業基準を盛り込むことや、大学入学資格に日本的バカロレアを導入することなどに話題が及んだ。家本教授は文部科学省の内部深くに入っているので、おそらく現実的な動きと連動しているお話であろう。学生の卒業基準を設定すると、大量の留年や退学が発生する大学も数十%に及ぶであろうこと、日本的バカロレアを導入すると学生を十分には集められない大学が半数近くになるであろうことが質疑の中で明らかにされた。大学としての経営ができなくなる大学では、専門学校への衣替えなども検討しなければならず、日本の大学制度自体に大きな変革が生ずるのは間違いないだろう。
私の発表は「社会と情報システムの今後、世界はネット共和国を目指す」というものである。昨年度、各大学の私のクラスで初めて語った内容を幾度か改定したもので、今回は「Second Life」や「モバゲータウン」などの新しい動きも事例として取り込んだ。今後、肉付けを進めながら、あちこちでお話をするつもりである。
冒頭、私は、荒唐無稽な内容になる危険性があることを断って話し始めた。私の発表内容は、「直近未来30年の人類史激動の予測図--情報社会学、予見と戦略(7)」と重なる。国境のない、すなわち関税のない経済圏成立の可能性や、NPOや株式会社の軍隊、などはすでに現実化していることを説明した。
国境を越えた単位組織(擬似家族)の成立については、ネットだけで友人はできないというような会場からの反論もあった。そのとおり!、私は待っていましたとばかりに説明を続けた。単位組織の成立には、「友人候補の選択」-「会って、飲食または寝食を共にする」-「仲間と認め合う」-「仲間を維持する」といういくつかの段階があることを指摘した。単位組織(擬似家族)の成立に必要な友人の候補がたまたま一緒にいる人だけに限らず、その範囲がネット内に大きく広がったことと、直ちにネット友が仲間になるわけではないことの2面を説明した。従来は同位置性が友人選択対象の絶対条件であったが、これからは、ネット友のなかから候補を選んで(さらに会って)仲間になるというプロセスもありうるのである。現にネットだけで知り合ったマイ・ミクシィの一員からオフ会を経てリアルな友人になる人もいるのである。さらに、仲間を維持するにも従来のように四六時中近くにいなくともよくなるはずである。いったん仲間になったもの同士がしばらくはネットだけのつながりであっても持続した関係を維持できる(華僑が電話と手紙だけで、家族関係や盟友関係を100年以上保つ例などもある)という事実も指摘した。
こうして、国家を超えた単位組織が社会の基礎となり、基盤を構成するようになると、これまでは国民国家にすべてが統合された社会が、国境を越えて地球規模で統合される機運に導かれることも指摘した。しかし、一気に地球社会が出現するわけではなくて、混乱と暴力の時期も必然的に通過しなければならないだろうとの予測も述べた。その混乱期は、カリスマが人々をリードする時代でもあるので、小泉流首相がもてはやされたのもその走りといえるし、家本大阪経済大教授や阪井明治大教授がこれから東西それぞれのカリスマになる可能性もあると述べると皆さんの口が急に軽くなって、会場は大変にぎやかなうちに進行するようになった。
そういえばバーチャルリアリティで成りすましした場合には単位組織の成立はどうなるのか? とか、ヒト形ロボットとヒトはどう区別するのか、とか議論が沸騰した。いや、その前に人の遺伝子をどう守るかも重大関心事だと私が発言すると、いやいや、現在の人間が生存し続けるのは地球にとってはよくないので、人間は自然消滅のほうがよいのではないかという会場からの発言まで聴かれた。
すっかり和やかな雰囲気になったところで家本教授の研究室見学となり、ぞろぞろとキャンパスを横断して家本研究室にむかった。その研究室は驚くほど整備されており、おそらく日本で最高のシステム環境であることが推定された。キャンパス自体の仮想空間がシステム上に構成されていて、パソコン上の操作でキャンパス内の掲示板のある位置に移動すれば、その掲示板も読めるという具合になっている。リアルの掲示板も電子的に表示されているので、同じデータをLAN内に配信すれば、リアルタイムでバーチャル空間でも新しい掲示を読むことができる。このほか授業をめぐる学生同士または教師と学生の討議は時間外のボイスチャットで実現できるようになっており、学生が自宅にいても24時間対話することができる。海外の提携大学にも学生がいるので、文字通り24時間実践されることになるのだろうが、教師の睡眠時間が心配である。聞けば、専任のサポータがいるようなので安心した。
その後は、鶴橋の焼肉屋さんに繰り出して、懇親会である。家本先生が予約したお店は鶴一というお店だった。この店は、日本で初めてお肉をタレに漬けて焼く今風の焼肉屋を実現したお店だそうで周囲を圧倒する威容を誇っていた。出てくるお肉が厚くてジューシーで、いくらでも食べられそうだったが、さすがに私たちの多くはもうそんなに若くはなかった。一人2人前ずつくらいのお肉と野菜、ビールにウーロンハイ、マッコルリ(韓国風にごり酒)をちゃんぽんにやっているうちに2時間ほど経過してもう限界というところになってしまった。私は最後に息子と1つの冷麺を分け合って、満腹。そして大満足。それでも一人当たり約6000円と格安だった。基本的には割り勘だったが、先生方が気遣ってくれて息子の分は端数(150円ほど)分負けてくれた(^-^)/。まだ飲み足りない先生もいたようだが、一応お開きになった。店を出ると駅に向かう道幅1メートルほどの路地の両脇はすべて焼肉屋さんばかりである。どの店もほとんど満席で若者の歓声が満ちている。圧倒されてしまう。ホテルは一駅向こうにあったので、地元の家本先生が私と息子を連れて案内してくださった。不案内の土地で本当にありがたかった。息子ともども心から感謝申し上げるものである。
翌朝は、ホテル近くのケンタッキーフライドチキンで息子と二人で朝食を済ませると、そのまま東京に向かった。年度末なので社員らが出社して働いているはずである。早く合流してあげなければ申し訳が立たない、、、。というわけである。

17日(土)朝、大阪に向かう車窓から、静岡あたり
「山陰(やまかげ)に 草木もとける 春の風」
17日(土)昼、大阪に向かう車窓から、関が原あたり
「陽炎(かげろう)に 段々畑の 空高く」
18日(日)昼近く、東京に向かう車窓から、静岡あたり
「話終えて 春初雪(はるはつゆき)の 富士を見ゆ」

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"農長者"への道あり、ファーマーズマーケットなど、地元の講演会--街に活力を(9)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/03/21
"農長者"への道あり、ファーマーズマーケットなど、地元の講演会--街に活力を(9)

日本の農家は、国策が変化するごとに翻弄され、その対応に追われてきたといわれている。確かに、そうだろう。しかし、この10-20年、近郊農地は、それ以上に、後継者難、経営難に苦しみ、その挙句に土地バブルとその後遺症に激しく翻弄されてきたともいえる。
わが街には、東京近郊にも係わらず農地が多い。1箇所に1万数千ヘクタールに及ぶ農地がまとまっているところもある。東京から千代田線または常磐線で江戸川を渡ると、すぐに目に飛び込んでくるのが、松戸の豊かな緑である。この広大な緑の一帯が矢切耕地である。線路の足下から広がる農地の東の奥に小高い森がある。農地からこの森へ向かう途中には斜面を競りあがってゆく林(斜面緑地)が広がる。東京の隣町に良くぞこのような緑が残っていると驚かされる。矢切ネギの産地として知られるが、寅さんの柴又から矢切の渡しを渡し舟でわたった土地でもある。伊藤左千夫の小説「野菊の墓」で政夫と民子の悲しい恋の舞台にもなって、その記念碑も立っている。戦国の時代には激戦場にもなり、数千人の兵が死んだところでもある。観光客もやってくるが、休日には緑の中を市民が散策する姿が良く見られる。なぜ、このような緑がいまに残されているのかといえば、この地が市街化調整地域だったという理由が第一に挙げられる。しかし、そればかりではない事情もあった。
この耕地を巡っては、土地バブルのころからきな臭い話が絶えなかった。農家も、まだら模様になり、後継者難、経営難から土地を手放したい方、ネギなどで収益を上げてゆきたい方、先祖から受け継いだ土地を緑のまま残したいが、高齢化のために自分では耕作が困難とする方が入り混じっていた。とくに、バブル崩壊の前後に矢切の台地に鉄道の駅ができるかもしれないという可能性を信じて地元が誘致活動に専念した時期もあった。周辺の宅地化を期待してのことである。しかし、誘致運動は事実上失敗のまま終焉した状態である。バブル崩壊後、日本中に、地上げされたまま放置された土地が多数残されている。これに見られるように宅地は過剰供給状態になり、良いことか悪いことか、その後日本の人口は減り続けているのである。近年、世間はそれほど新しい宅地を求めていなかったということである。
駅誘致運動の主役だった「矢切耕地の将来を考える農家組合」はその後、「いろり端会議」と名前を変えて、有志だけで、耕地の未来を議論する会として続けられていたようだが、最近になってまた活動を再開した。いろいろな願いが交錯していることは間違いがない。従来どおり宅地化を願う者。宅地化の後のマンション建設の受託を狙う者、首都を取り巻く環状線の建設の進展を見込んで、ここからの道路引き込みの工事を受託したい者、数万坪の流通センター用地をここに確保したい者、この地に温泉を掘って観光地にしたい者など、農家というよりも、周辺の思惑が先行していて、農家の心を騒がせたことも事実だろう。これらに期待する農家もあったかも知れない。これらを嫌って農業の継続環境の整備を強く願っている農家もあったかもしれない。
いま、振り返れば、政治・経済・社会の環境は、宅地化ではなく農の近代化を求めるようになっていた。日本を含む世界が根こそぎ市民参加型社会に移行しつつあることが、食の安全と安定を求める市民の強い声になり、農の重要性に目覚めさせるエネルギーになっているようである。
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補:私は、システム屋であるが、世間が「高度情報化社会」と言うことに大変違和感を感じてきた。「高度情報化社会」といわれるものは、市民参加型社会への変貌期を意味しているに過ぎないというのが私の実感である。情報システムはその道具として発達してにすぎない。本質を忘れた議論は私は嫌いである。このことは、1980年代のマイコンブームのころから私はずうっと言い続けている。この話題は数日前大阪で行われた研究会でもお話してきたので、また後日触れることにする。
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3月16日、この矢切耕地に係わる講演会が開かれた。都市整備本部長の峯岸氏のお誘いで、私も聴衆の一人として参加した。
講演会の名称は「第一回矢切耕地の将来を考える農家組合協議会による講演会」である。
参加者は、矢切耕地の将来を考える農家組合のメンバーらしい農家が20数名、都市整備本部の峯岸本部長、勝間氏や上野氏など都市整備本部のメンバー数名、農家組合の事実上のまとめ役である深山市議、中川元市議会議長、澁谷市議、松戸都市総合開発山田社長、など顔見知りのかたがたが参加しており、その他の人を入れて約50名である。講師派遣団体関係者も数名来場していた。
司会は、深山市議(深山建設社長)が勤め、冒頭に、農家組合協議会の会長高安勇氏、都市整備本部長峯岸氏が挨拶し、(財)都市農地活用支援センター尾崎莞爾氏が市街地の農地政策と講師山本雅之氏の紹介を行った。今回の講演は、国の予算によるアドバイザ派遣事業の一環ということである。
講師山本雅之氏は(社)JA総合研究所に属しており、東大工学部建築学科卒という。工学出身で、農の仕事をされてきた珍しい方である。
講演の趣旨は、市街化調整地域では宅地化せずに農地の保全と活用を図ることを基本に儲かる農業経営を行わなければならない、という基本方針を説明し、その具体化のために、「ファーマーズマーケット戦略」(JA千葉など19箇所の実施例)と「体験農業戦略」(練馬の例など)を組み合わせるべきであるとした。具体的な事例を詳細に紹介した。彼の解説は国策そのものである。
この施策は、農家やJAの自助努力を促す方針であり、以前のように直接補助金をちらつかせるような方針ではない。国家は、小泉政権成立時以降、軍備増強と自立支援、多額納税者優遇に転換しており、補助金や福祉によるいわゆる国民買収政策をやめているのである。
そういえば今年の国会では、農地法および関連法案の改訂が予定されており、市街化調整地域の宅地化に対する制限が厳格化されることになっている。それらの施策と対応する農業振興策なのである。
この講演は、レクレーション施設建設や宅地化推進、マンション建設などの考えを、すっかり破壊しつくすほどの破壊力のあるものだった。
国の方針は数年前からこちらに向かっていたのである。峯岸本部長ら市役所サイドが根回しして実現したこの講演会は、矢切耕地の開発の方向性に急カーブをきるためのためものだったであろう。
会場の農家は一切意見を述べなかった。今月26日に農家組合協議会を開いて検討すると深山市議は述べていた。農家組合協議会での苦渋の議論が予想に難くない。地元農家の同級生も多い私は、その苦悩をおもいやると、言葉も出なかった。なによりも農家の皆さんでの十分な議論が必要だろう。
そのうえで、山本講師がいうように、農家が、生産ばかりではなく販売の主導権をも握るファーマーズマーケットや体験農業に希望を持って取り組むのは悪くないと思われた。千葉大が推進する土地あたり生産量40倍にはなる植物工場なども取り入れれば、"農長者"への道も開かれるのではないだろうか。私のような市民も、これらの方策には力の限りご協力を惜しまないつもりである。
さて、一部にはすっかり不機嫌で、イラついた質問をして、帰りがけもご立腹のご様子のまま急いで帰ってしまった方もいた。
峯岸氏は、農の活性化に体験農園などのリクレーションも取り入れることで温泉施設は入れられないにしてもリクレーション導入派などの支援は取り付けたい意向のようである。
講演者の山本氏とは名刺を交換し、後日、改めてご連絡させていただく約束をした。千葉大学長の古在先生が会長を務め、私が事務局を務める「学術の森松戸(準)」と協調しうるお考えの持ち主と見えた。
まだまだ紆余曲折はあるだろうが、わが街の農業の行くべき方向性については、バブル期の大きな迷走以来、ようやくその方向性を見出す時期に到達しているようにみえる。

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琵琶

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専守防衛、咬ませ犬を撃退--我が家の愛犬様(20)

2007/03/19
専守防衛、咬ませ犬を撃退--我が家の愛犬様(20)

愛犬様は、自分から仕掛けてけんかすることはない。本当の敵と思えば、静かに近づいて自慢の牙で相手を切り裂く。一瞬のことである。むやみに吼えたりしない。
しかし、無謀なワンチャンなどが身の程知らずに仕掛けけてくると吼えて威嚇する。むやみに近づくと危険だと警告するのである。愛犬様は大きさからすると中型犬、それも小さいほうに属する。小型犬よりはさすがに大きいが、大型犬やいわゆる猟犬の多くの犬種からすると小さいほうに属する。見くびって、居丈高に咬みつこうとする輩もいないわけではない。
昨日の朝の散歩では、そんな犬に出会ってしまった。
愛犬様が大好きな町会の子供広場(周囲が濃い緑に囲まれている)に到着すると、私と一緒にやや走って、愛犬様がお好みの茂みに駆け込むと、いきなり"大"をした。いい気分だ。私が健康そうなオオキイヤツを始末する間、じっと待っていた愛犬様は、私が立ち上がるとルンルンと歩き始める。いつもの道筋を通って出口に向かう。出口近くに別のワンチャンがいた。相手は気づいていないようだ、愛犬様は友達になれる犬かどうか、ちょっと注意を払いながら近づいてゆく。
相性のいいワンチャンなら、相手がオスだろうが、メスだろうが、尻尾ふりふり、互いに近づいて、においをかぎあって、互いに後ろ足だけでなかば立ち上がり、お互いの両前足をばたばたと絡ませながら左右の首筋を交互にすり合わせる。見ているとこの瞬間に互いの上下関係を確認しあうようだ。2度目に遭うときには、明らかに2頭の間で上下関係ができている。そして友達になるのである。
さて、今回は、様子がちがった。相手の猟犬らしい犬の後ろには飼い主がいたのだが、なんと、綱を外して丸めて手に持っている。愛犬様は立ち止まった。その距離は約10メートルにまで近づいていた。私も綱を引き締める。相手のワンチャンもこちらに気づいた。相手のワンチャンが自分の飼い主の顔をチラとみあげる。何てことだ、この飼い主は、アゴで、自分の犬にヤレと合図したのである。相手のワンチャンは猛然と吼え、戦闘態勢でこちらに向かい始めた。愛犬様は、ちらりと私を見る。私はすでに身構えて、待ち受ける体勢だ。本当に襲うなら、けりの一撃くらいは入れてやろうと理性はともかく体が反応していた。瞬間的に愛犬様も身を低くして吼える。相手は見るからにケンカ慣れしている。クビを地面近くに下げ、左右に小さく飛ぶように首と体を振りながら近づいてくる。愛犬様よりも一回り大きい。愛犬様も、こいつは本気だと気がついた。愛犬様の定位置である私の左横から私の前に出る。ここはオレに任せろ、お父さんの出る幕じゃないという態度だ。愛犬様の家族思いは徹底している。しかし、その場から前には進まない。自分から進んでけんかする気はないという余裕も見せている。愛犬様も体勢を低くするが、相手とは違うところがある。後ろ足のつま先は小さくそろえてひざを横に広げて腰はかかとの上におくようにしている。相撲取りの「見合って」の時の体勢(蹲踞、そんきょ)に似ている。立会いの瞬間の飛び出す力が最大になる体勢である。前足は、大きく広げて背中の逆髪も大きく広がっている。相手からは身が2倍にも大きく見えただろう。愛犬様の首は長い。重心は相手より低いのに首は相手よりかなり高くもたげている。これは得意のジャンプ力を生かして、空中から相手の背の首筋を狙う作戦である。相手がスピードを上げて左右に飛ぶと、それに呼応して愛犬様もクビを高く掲げたまま左右に飛ぶ。剣の使い手が剣を上段に構えたまま相手に合わせて、右左に回りこむのと同じである。しかし、どう見ても愛犬様の動きのほうが数段すばやい。相手が動き始めるときにはすでに相手のスキを狙える位置を愛犬様は確保している。あと十センチというところまで相手は近づいたが、相手からみて愛犬様には襲うべきスキがない。それどころか自分がスキだらけになっていることに相手は気がついた。ヒッというような声を小さく上げると飛びすざって逃げた。十数メートル逃げたところで、相手は自分の飼い主の顔を見る。飼い主は、またイケという合図を自分の犬に送っている。バカな、と私はおもったが、またその犬が引き返してくる。また、我々はその場にとどまって迎え撃つことになった。戦闘体勢で、迎える。相手はまた左右に飛びながら近づいてくる。また相手はあと十センチというところに近づく、そこからもっと近づこうとする、愛犬様は一瞬長い首を立てに振った。私は必死で綱を引く。すんでのところで、相手の鼻先を愛犬様の牙先が通過した。触ってはいないだろう。十分に綱をひきつけたからと安堵はしたが、とたんに相手の犬は目をつぶって、横に倒れこむように逃げて、そのまま走っていってしまった。どこまでも振り返りもせずに走ってゆく。骨の髄まで恐怖を感じたのに違いない。私が綱をすばやく引かなければ、彼の鼻筋は真っ二つだったに違いない。恐怖しても当然である。相手の飼い主は、がっくりと肩を落としてそばのコンクリートの塀に手をかけて顔を伏せている。ケンカに自信があったのだろうが、他人の飼い犬にケンカを仕掛けるとはとんでもない飼い主だ。警察に「傷害未遂罪」で通報してやろうかともおもったが、あの猟犬は恐怖心が焼きついているので、2度とわが愛犬様に刃向かえないだろうから、永久に"未遂"となるだろう。わが愛犬様の勝利であった。
愛犬様は、敵が去れば平常心にもどるのである。得意満面(舌をだらりとさせ、ニッと歯を見せて笑う)で私の顔を見上げると、戦闘態勢を解くとさっさと公園の外に向かって歩き始める。相手の飼い主のそばを通るが、相手は謝ろうともしない。綱を離していたこと、自分の犬を捕まえようとも制止しようともしなかったこと、アゴや肩で犬をけしかけたこと、面白半分としてもすべて犯罪を構成する。私はこの男にずうっと視線を向けて通り過ぎたが、相手は視線を避けて下を向いている。こいつの顔はわすれないぞと、記憶に刻んだ。愛犬様も、近くを通るときにはすばやく相手のにおいを確認して通過していた。

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琵琶

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ベトナムにゆく人、、山の上ホテルのレストランにて--交友の記録(13)

2007/03/16
ベトナムにゆく人、山の上ホテルのレストランにて--交友の記録(13)

数日まえのこと、朝早く私は大手町で顧客を訪問し、その足で、山の上ホテルに向かった。
澤村太郎氏(仮名)とランチをともにする約束だった。あいにく、地下鉄が停止していて、約束の時間に大幅に遅刻した。澤村氏は外で携帯電話を構えて待っていた。ごめんなさい! 私は走りよりながら謝った。彼は、東京大学理学部化学科の後輩である。彼は日本アイ・ビー・エムに勤務し、社長候補と呼ばれた時代が長かった。私は、その最後のころ彼の部下である日本アイ・ビー・エムの営業社員の皆さんの前で講演をさせてもらったこともある。謝金は出ないがと申し訳なさそうに皆さんと一緒の豪華なお食事に誘われたことを思い出す。5年前、社長レースから自ら降りて退職し、別の大きなシステムハウスに移籍した。
彼とは久しぶりに先日の研究会でお会いした。わざわざやってきてくれたのである。会場から学生と教員としての私に鋭い質問を浴びせた。相変わらずである。その日、近々に会う約束をした。
レストランの席に着くと、挨拶もそこそこに、矢継ぎ早に私は質問し、彼のお話を聞くことになった。彼は、今月下旬に誕生日を迎えて定年退職になること、近いうちにベトナムに出向いて、第二の人生の手かがりをつかもうとしていることなどを整然と説明してくれた。
食事は春野菜を中心にした肉と魚の和風のセット料理だった。久振りの対面とおいしい食事に思わず雑談沸騰したが、ベトナム人の気質に話が及んだり、日本人と文化的な共通性(ドラビダ語族)に及んだりした。「どうしてベトナムなんですか」(私)。「なにね、知り合いが、べトナムと組んでシステム系の仕事をしているんだ。その絡みですよ。ところで、大学教授や非常勤講師になるには、人脈頼りですかね」(澤村氏)。「非常勤講師は比較的オープンな募集がされますが、教授のポストは建前はともかく実態は、引いて(pullして)下さる方がないと難しいですね」(私)。・・・。会話は、ときに核心に触れ、ときにとんでもなく遠くに発展し、しばらくつづいた。
食事もほぼ終了というとき、ふと、彼は顔を上げて、「日本のシステムハウスに失望したんです」と言った。私は、手を止めて彼の顔を見た。他人の悪口など一切口にしたことのない彼が、一生に一度という決意をみなぎらせて緊張した面持ちを見せていた。日本アイ・ビー・エムの営業部長だった彼は、現役時代、他社と競合しても決してライバル会社の悪い点をあげつらったりはしなかった。自分の提案の利点をひたすら理を尽くして説明する態度だった。今回は、よほどのことがあったのだろう。できるだけ聞き役に回ることにした。
「再就職した会社では、最初の3年くらいは楽しかった。いわば、仕込みの期間なので、自分の主張が周囲に聞き入れられていると感じていた。しかし、実行に移そうとすると、すべてそれは事実上阻止されてしまった」(澤村氏)「どんなこと?」(私)。「顧客は馬鹿なことも言いますが、時代の先を見た要求も含まれていますよね。その要求をよく聞き、分析し研究すれば、近未来に大きなビジネスが顧客との間に生まれる可能性がありますよね」(澤村氏)。「そのとおりです」(私)。「今の会社は、それをさせてくれませんでした」(澤村氏)。「私は、あるコンサルタント会社の知り合いから頼まれて、何度か受注前の企画立案の仕事をしたことがあります。私以外にいろいろなジャンルの専門家が2-3名参加して、顧客にも会い、幾度か提案を繰り返して、企画をつめてゆく仕事をしたことがあります。1件の案件で受注前の企画立案のための外注費としてはせいぜい1千万から2千万円程度だったと思います。それでも、結果として契約したものは5年プロジェクトで15億円、10年プロジェクトで100億円などの大型プロジェクトでしたから、決して高くない投資だったと思います」(私)。「そうなんです。そういうことをしたかったのですが、あの会社、いや日本の会社ではだめでした。人材派遣業に安閑としていて、人月60万円で下請けから人材を受け入れて、顧客に70万円か75万円で売るという商売しか眼中にありません。企画立案のために人をつけてほしいと願っても、派遣案件があれば元SEだった総務部員まで派遣に出してしまう体質ですから、企画立案などまったく手につきませんでした」(澤村氏)。「う~ん。日本のシステムハウスでは多いですね」(私)。「だから、申し出ればまだ勤務を続けられたかも知れませんが、これを機会に退職させてもらうことにしたんです。本当に、最後の2年間はつらかったです」(澤村氏)。「そうですか。これからは自由に羽ばたきましょう」(私)。「また、研究会に呼んでください。ベトナムに出かけても、5月か6月にはいったん帰国しますよ」(澤村氏)。「そのとき、また会いましょう。いや、ベトナムに出かける前に、間に合えば一回研究会を計画しますから、都合がついたら参加してください」(私)。
支払いは、私を制して彼が払った。私のほうが遅刻して登場したのにとひどく私は恐縮して私に払わせてほしいと述べたのだが、彼がさっさと払ってしまった。まぁ、いいか、次の機会は私もちということにしよう、と心に決めた。
帰り道、駅に向かいながら、彼は、つらかった2年間をさらにポツポツと語った。しかし、別れ際には、いつもの明るい顔に戻って、「じゃ、また」といって別れた。私にもいろいろつらいことはあったし、彼にも散々こぼしたものである。今回ばかりは聞き役だった。
次回は、第二の人生についての明るい見通しについてでも聞くことにしよう。待ってますよ、澤村さん。

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琵琶


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友人とその息子、市議会議員--交友の記録(12)

2007/03/12
友人とその息子、三代つづく市議会議員--交友の記録(12)

前回の記事で、割愛した事情をここに書くことにする。
私は考えるところがあって、社会に入ってからというもの極力政治から距離を置いていた。しかし、51歳で大病し、幾度目かの死の覚悟が空振りに終わって自宅に戻るとその直後、私の中学の同級生から市議会選の応援を頼まれた。拾った命なのだから、人助けもよいかと深く考えることなく引き受けてしまった。この同級生の父親は地元では有名な保守系の大物である。この父親が選挙戦の直前に突然斃れてしまったのである。葬儀も終わったと風の便りに聞いた数日後、息子で私の同級生から35年ぶりに電話があった。「どうしよう、俺は出るつもりはなかったんだけれど、後援会が承知しないんだ」とのこと。「どうしようって?。私に電話してきたということは、覚悟はできたんだろう」と私。彼は家業である米の卸問屋の経営をやっていた。老獪にして中央の政官界にわたる人脈を駆使する多忙な地元の政治的リーダになった父にかわって年商数百億の米問屋を切り盛りした。彼は商売が好きだった。政治とは無縁の根っからの商売人という風だった。彼の父親は子供をかまう余裕もないほど忙しすぎた。彼はただ子供として、父親の愛がほしくて、稼いだお金をせっせとその父親に貢いでいるだけのように私は見ていた。本人は明らかに政治に素人だった。いろいろなやり取りがあったが、結局、私は、彼の政策立案の相談役の一人になった。保守系だが父親と違って無所属で出馬するということだった。それならなおよいと私はまたもや深く考えもせずに答えた。1期目はいわゆる父親の弔い合戦で、有利な選挙戦だった。45人の定員の上位から5位。初の議会質問では、私の下書きに沿って演説し、「倒産やリストラによって市内には失業者や職に不安を抱える人々があふれている。市内の雇用を増大させなければならない」と彼が声を張り上げると、議場全体から大きな拍手が起こった。拍手の大きさは、誰の演説よりも大きかったと思う。どちらかといえば野党席からの拍手のほうが大きかったかもしれない。その1期目の終わりに本人は体調を崩してしまったが、2期目も病院から立候補した。宣伝カーには主として奥さんと子供たちが乗った。苦戦の末、それでも20位台で当選した。彼はガンだった。私には後継者の氏名を伝える間もなく、彼は亡くなってしまった。ほんとうに残念だった。松戸の活性化=「仕事おこし」は、彼と一緒にやりたかった。彼は混濁した意識の中で、私にいろいろなことを言った。意味の理解できたことと、どうしても理解できなかったことがある。私がはっきりと理解したことは、「万一のときは、残った家族、とりわけ子供たちをよろしく」ということだった。彼の子供は息子一人と娘が2人である。
彼は、亡くなる直前、自分の長男を病床に呼び、病院から逃げ出したくて、自分を自宅に連れて行けと甘えて訴えた。息子は、父親が息子である自分を頼りにしていることを、このときはじめて悟ったのである。そして、逡巡し言いよどんでいた彼の結論を父親に伝えた。「僕が、立候補する」。・・・、2006年11月、その息子が最初の選挙選を戦うことになった。私も、同級生であり亡くなったその父親の遺言を守るために、またもや彼を支援することになった。
前回の記事で、「突然問われて私がある候補者のために(30分で) 作成した松戸市の農業政策」と書いたが、私に質問したのは、この候補者(亡くなった同級生の若い息子)ということである。
私は、今でも、自分は政治の世界からはできるだけ遠くにいたい、と願っている。心の底から、・・・。
ただ、頼まれるかぎりでは、黒子で良いならば、地域の人々の公平・公正・安全・繁栄のためになる政策の立案のためであれば、その他の・・・ならば、何重にも「ならば」の条件付で、もとより限りある命の限り、ささやかな知識と経験、決断の時期についての相談ならば、どなたにでもお応えしてゆくつもりである。

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わが街の農業の未来--街に活力を(8)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/03/12
わが街の農業の未来--街に活力を(8)

この話題を説明するには、本当は少し前置きがいる。そのゆとりがないので、その説明はあとの記事に譲って、2006年11月の市議会議員選挙選のさなかのことだったとだけ述べておきたい。
突然に問われて私がある候補者のために(30分で) 作成した私の住む市の農業政策についての回答案がある。とっさの文書なので、偽りのない私の考えになっているに違いない。ちなみに、この候補者は幸いにも当選し た。
てにをは、を一部訂正して、ここに採録する。
----------------------------------------------
農業について
1.現状の把握
(1)この市は、千葉県内で7番目に農地面積の大きな街である。
(2)過去において、この市は近郊農業というよりも都市密着型の農業で一定の成功を収めてきた。
(3)しかし、保存・輸送技術の進歩に伴って、北海道・沖縄や中国・台湾・フィリピンなどの遠隔地や周辺諸国からの農産品の流入に価格競争の点で耐えられなくなっている。
(4)農業従事者の高齢化、後継者不足で、このままでは松戸の農業は数年で死滅するといわれている。
2.この市の農業の未来について
(1)都市融合型の農業(未来型農業)の振興支援を行いたい。
(2)未来型農業には、次のようなものがある。
 ・体験農業(クラインガルテン型、長期滞在型、短期滞在型、市民農園型、福祉対応農業療法型、その他)
 ・高付加価値無菌栽培(水耕、砂耕、ロックウール、ハウス栽培、安全トマト、大粒イチゴなど)
 ・千葉大式植物工場(閉鎖型植物工場)による高付加価値野菜の生産
 ・食品加工業との融合(予約生産、自家加工など)
 ・野菜くずのバイオマス化/有効利用
 ・くず根野菜(イモ類)のバイオアルコール化
(3)むやみに農地を宅地開発する時代は終わった。市街地の再開発で現行または増加人口を吸収することは可能なので、農地は緑のまま残るように工夫する。
(4)農業従事者が高齢化によって農作業ができなくなっても、貸農園の管理者兼指導員はできる。
(5)地域の特性、農家の考え方などにあわせて多様な方法を取り入れる。画一化は、失敗の元と考える。地域の特性、農家の考え方などに合わせた未来型農業を支援する。
(6)駅や幹線道路からの距離、台地か江戸川沿いの多湿地帯か船の便、陸送の便、宿泊施設が可能か否か、農家の希望はどこにあるか、によって取り入れる方策は異なる。
(7)株式会社、NPOなどの多様な法人による農業を支援する。
(8)民間資本の農業誘致に力を入れる。
(9)地場産品のブランド化、差別化を推進する。
(10)地場産品の流通のため、共同配送、共同出荷体制を整備する。
(11)地場の作物は、土地の人々の家庭の食卓と街のレストランで新鮮なうちに食べられるように、農産品の域内流通に留意する。
(12)市街地の再開発に当たっては、壁面緑地、屋上農園などによって都市の中に緑を取り入れてゆく。
(13)景観を含めて都市融合型の農業(未来型農業)を振興支援してゆく。
-------------------------------------------------------

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琵琶

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  ・心理、教育、社会性の発達シリーズ
  ・社長の条件シリーズ
  ・アルゴリズム戦記シリーズ
  ・情報デザイン研究ノートシリーズ
  ・「情報社会学、予見と戦略」シリーズ
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  ・街に活力をシリーズ
  ・交友の記録シリーズ
  ・オヤジと家族のお料理ライフシリーズ
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  ・妻が、車に撥ねられるシリーズ
  ・その他、シリーズ外

わが街の産業振興、未来型農業と食品加工業--街に活力を(7)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/03/09
わが街の産業振興、未来型農業と食品加工業--街に活力を(7)

私の住む街は、江戸川(旧利根川)の東に位置し、40-50年前までは、田んぼと畑ばかりの近郊農業地帯だった。農家は、自分たちが消費する以外に、東京、昔は江戸の庶民が口にする野菜や果物を供給した。土地は関東湿地帯の隆起によって拡大を続け、漸増を続けていた。旧利根川河川敷の地味は豊かだった。関東ローム層の丘も長く落葉樹に覆われていたので表層は腐葉土に覆いつくされていた。
九十九里や銚子から江戸に向かう、物資の大動脈、利根川と江戸川の沿線には、米、大豆、麦などを原料とする食品加工業が栄えた。味噌、醤油、酒、せんべいなどの江戸の庶民の口に入る加工品が供給されていた。人と文化は主として水戸街道を通して行き来した。「松戸(まつど)」は水戸街道沿いの宿場町として知られている。松戸に隣接する馬の中継基地「馬橋(まばし)」、その北の宿場町「小金(こがね)」などは有名である。人の流れは水戸街道に勝るものはなかった。しかし、人と物と金と情報の流れは水戸街道だけではない。銚子港に集まる物資は、旧利根川の支流(現利根川)を関宿まで遡上し、東京湾に注ぐ江戸川(旧利根川)を経て江戸に向かった。この水運は、米、大豆、麦などの重量物の大量運送に利用された。これは物資の大動脈であった。江戸川沿いに、いまでいう食品加工業の野田、流山、松戸の各地域がある。
鮮度を要求される九十九里の海産物が江戸に向かう最短距離は木下(きおろし)街道を通るものである。街中に木下街道が水戸街道に合流する道標が今でも残っている。
水戸藩、伊達藩などの北の諸藩は九十九里の浜に米や大豆などの巨大な蔵を数多く築いた。江戸の市況を見てすばやく出荷できる商の立地を求めたのである。この倉庫群からの荷物も銚子を経て利根川と江戸川を回る水運を利用するものと時間を争う木下街道とに分かれた。
これらはすべて江戸に入る直前のわが街松戸に合流していた。
そればかりではない、江戸幕府誕生以前から、古来西からの物資の流れがあり、江戸期の終わりまで続いた。西からは能登・島根などの日本海側の物資、九州・四国・遠くは琉球の物資を積んだ船が大阪堺港を経由して黒潮に沿って北上し、房総の南端安房や江戸湾(現東京湾)の中の浦安のあたりに着岸し、西国の商人らは陸路北の豊かな土地に向かった。往路は浦安から陸続きのわが街を通って水戸街道に入り北上した。帰路は北の珍しい文物を手に水戸街道からわが街を通って南の港に向かった。わが街の豪農たちはこれらの商人ら一行の宿泊場所を提供できることを自慢にしていた。
この地は温暖で実りが豊かだったので、食料や焚き木に事欠くことがないため、心広く誰でも受け入れる土地柄だった。周囲を豊かな自然に囲まれ、農地が広がるわが街松戸は人々と物資と文化が交差する街でもあった。
農業、陸水運、食品加工業は、わが街の隠された背骨である。
第二次大戦後、1950年代後半ころから始まった土地開発によって、土地の半ばは宅地化され、松戸は東京のベットタウンとなった。新しく移り住んだ人々は「新住民」と呼ばれたが、「松戸都民」とも呼ばれるように心は東京、実態は松戸生活となっていた。「新住民」の子供たちは、この地に定着せず、若い間は都内のアパートマンションで生活する者が多く、都内に勤務し、伴侶を得るとより住宅の安い柏、我孫子などの遠隔地、中にはもっと遠い埼玉県や茨城県に庭付きの一戸建てを求めて移動してしまった。わが街には、60歳-70歳の老人ばかりが残った。私のような「旧住民」は、この地を一度も離れることはなかったが、やはり老人なってしまった。
若者に魅力のある産業がなければ、若者がここに帰ってくることはないだろう。
私は、この街の隠された背骨を捜した。それは、農業と陸水運と食品加工業である。
現代の若者にとって農業は魅力がない。かがみこみ労働が多いというだけで、敬遠される。土日もなく働くことが当たり前である。雨の日も、日照りの日も、寒風吹きすさぶ中でも作業は欠かせない。後継者がいないのである。
ここに、未来型の農業(閉鎖型植物工場など)を導入すれば、どうだろうか。作物と対話して育った農家の子弟で大学は工学部に通った人、農業を避けて工場勤務をしてきた人などは多い。農作業には、子供時から作物と対話し、その顔色や訴えを理解できる潜在的能力が必要である。親の代からサラリーマンという人よりも、実家は農家という人のほうが有利だろう。
さて、「未来型農業」というと、それだけで飛びつく農政関係者もいそうだが、ことはそう簡単ではない。作った作物の買主が必要である。農家は「××がいい値で売れる」という言葉に散々だまされてきた。確実に売れる、つまり確実に買ってくれることが保証される作物以外は作りたくないのである。
幸い、わが街には今でも食品加工業者は多い。日本で最大のパンの製造販売業「山崎製パン」、カリーパンの「銀座中村屋」、「宝酒造」、「那須与一漬け」、生産高日本一の白玉粉のメーカ「玉三」、などなどが目白押しである。
未来型農業の振興は、作物の買取先である食品加工業の振興とセットでなければなるまい。誘致も積極的に進めるべきだろう。高度成長期にわざわざ市内数箇所に工業団地をつくり江東区などから誘致した町工場は相当数が廃業または休業状態である。工業団地はゴーストタウン化している。ここに植物工場も食品加工業も立ち上げればよい。建物も新しくする必要はない。少しばかり改造すれば使えるような立派な建物は多い。
わが街の再生は、農業と食品加工業、陸水運の最新科学によるリニューアルによってできる、と思われる。隠された背骨に血を通わせて、背筋をピンとさせれば、わが街は再生する。
現在も海外からの農水産物(銚子港に水揚げされる)は主として水戸街道を通ってわが街松戸を経由して東京に向かう。その途中、いくばくかは、わが町の食品加工業によって加工されて東京の市場に届けられる。昔、水戸・伊達などの諸藩からの農産物がわが町の周囲で加工されて江戸に運び込まれたのと、同じ構造である。
わが街で採れる農産物は、新鮮なまま都内の家庭の食卓に上がるとともに、街の中の食品加工業者に引き渡され、加工後に都内の市場に出てゆくことになるはずである。農家も食品加工業者にもうれしい関係がここには生まれるはずである。食品加工業者に隣接して、製薬会社や生命科学関係の研究所なども誘致できるに違いない。
こう考えると、わが町の再生には大きな希望がある。
こんな考えに同調する方がいたら、ぜひ、ご一報をいただきたい。一緒に考え、一緒によい汗を流しませんか。

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琵琶

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  ・独創力の創り方シリーズ
  ・心理、教育、社会性の発達シリーズ
  ・社長の条件シリーズ
  ・アルゴリズム戦記シリーズ
  ・情報デザイン研究ノートシリーズ
  ・「情報社会学、予見と戦略」シリーズ
  ・感性的研究生活シリーズ
  ・街に活力をシリーズ
  ・交友の記録シリーズ
  ・オヤジと家族のお料理ライフシリーズ
  ・我が家の愛犬様シリーズ
  ・妻が、車に撥ねられるシリーズ
  ・その他、シリーズ外

「仕事おこし」と「不動産開発」の間--街に活力を(6)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/03/07
「仕事おこし」と「不動産開発」の間--街に活力を(6)

「街に活力を」と私が願う趣旨は、"仕事おこし"である。
街おこしという言葉はいろいろに使われてきた。市民の多くは、わが街の活性化をねがっている。しかし、若者は街を出て東京に職を求める、伴侶を見つけるとわが街よりもいっそう遠い郊外に出てゆく、安い土地建物と安い生活費、よい空気とみどり豊かな自然がそこにはある。若者は出て行ったまま、戻ってこないのである。
孫や子のにぎやかな声が満ちていた昔のわが街が老人ばかりの街になっている。静かだが、未来への希望も活力もない街になっている。
街の住人は、子供たちのにぎやかな声がこだまする街の再来と再起を希求して、「街おこし」という。それは正しいというべきだ。
しかし、一方では、「街おこし」を「土地売買」や「不動産開発」と同義とみなす人々もいる。私が、このシリーズに属する事柄について、長い間、沈黙し、この方面の記事を書かなかったのは、この2種類が混同されることが懸念されたからである。実は、私の個人ブログの初期にこの種の記事がいくつかあるが、その後は途絶えている。そのころ、私は、一部の業者の方からの、いきなりの激しい敵意に直面したからである。ここでは、あなた方の敵意は的外れであると申し上げたい。いい加減にしないと、法的な対抗措置を発動するとも申し上げておく。
あれから、すでに3年が経過している。私がやってきたことは、「土地売買」でもなければ「不動産開発」でもないことは、ずいぶんと知られてきたと自負するものである。ここまで来て、まだ、トンチンカンな誤解をするような人は正常な人格とはいえないだろう。
私は、人々と街に優しい、美しく正しいビジネスをたくさん立ち上げられる環境を整えて、若者に希望と生活の基盤を与えたいと願うだけである。とりわけ、人生とビジネスでは、私はほんの少しだけ先輩になるので、若者たちの起業をボランティアとして支援したいと思っているのである。土地や建物の売買に私は本質的に興味や関心がない。
「仕事おこし」-「街おこし」-「不動産開発」という概念を並べてみよう。「仕事おこし」はある意味で「街おこし」に近いだろう。また、「街おこし」は「不動産開発」にも近いかもしれない。しかし、「仕事おこし」は「不動産開発」とはかなりの距離がある。たとえば、いまゴーストタウン化している工業団地の建物に少しだけ手を入れるだけで、前回話題にした「植物工場」などは十分に起業できる。新しく地上げしたり、農地を宅地化する必要はまったくない。建物でさえ、中古を少しばかり改造すればすむ。新築の必要もない。
「仕事おこし」と「不動産開発」の間には、深い河があるのである。私は、「仕事おこし」にしか関心はない。
一方、街の"仕事おこし"をお手伝いいただける方ならば肩書きやお仕事の種類によらず、互いに"肩書き抜きの"一般市民同士として良いところを出し合って大いに提携してゆきたいと願うところである。
「不動産開発」の方々とは手を結ぶことはあっても、基本的には皆さんのテリトリーを侵すことはないので安心されたい。繰り返すが、私はその方面には格別の関心がないのである。

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琵琶

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私の個人のホームページの開始--その他、シリーズ外の記事

2007/03/05
私の個人のホームページの開始--その他、シリーズ外の記事

私のホームページを開くことにした。
そろそろ、私はそろそろ引退せねばならぬ歳になっている。跡は現在の社員らが継いでくれるだろう。私はしあわせ者だ。
勤務先のホームページはすでに存在していて、アクセスもそこそこある。ブログも、「鐘の声 ブログ」以外に用途別にいくつかある。
これらとは別に個人のホームページがほしくなった。
企業活動とは相対的に異なる、家族や地域の活動、教育やボランティアなどを紹介するページを中心にしたい。それらは、勤務先のホームページは基本的には載せられない。スタッフの手を煩わせることもはばかられるので、簡便に私が作成したり修正できる範囲で作ることにした。
荒っぽいつくりで恥ずかしいが、商品にはならない作品である。さまざまな用事のほんの少しの合間の時間で作成している。満足というには程遠いがが、とりあえず公開した。すでに気づいている不具合も多い。ご指摘もあわせて、少しずつ気長に修正させていただきたいと思う。ご容赦いただければ幸いである。
琵琶の個人サイト「心まかせ、風まかせ」はここである。
http://heartland.geocities.jp/mori_biwa/index.htm
なお、このサイトの一部を割いて、「鐘の声 ブログ」の記事マップを掲載した。「鐘の声 ブログ」の記事は180を超え、シリーズも9個とかなり錯綜した状態になっている。このマップはこれらの記事の見出し(リンクつき)をグループ化して見やすくしたものである。
「鐘の声 ブログ」の読者の皆さんのお役立つことを念願するものである。

琵琶


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イジメ防止の間違った方針、正しい方針--心理、教育、社会性の発達(37)

2007/03/02
イジメ防止の間違った方針、正しい方針など--心理、教育、社会性の発達(37)

今回の記事は、久しぶりに長文である。今の私には、短文にまとめる時間と能力が不足しているので、お許しいただきたい。
記憶にも新しいが、福岡県筑前町の中学2年の少年が、昨年10月いじめを苦に自殺した事件があった。
この事件の後、ようやく福岡県警は、目だった役割を果たした少年グループ9名の内の5名に限って、法的手続きをおこなった。14歳になっていた3名を書類送検、当時13歳の2名を非行事実で児童相談所に通告したという。
警察もやっと動いたという点では大変評価されるところだが、マスコミ報道では警察筋も認めるとおり、この少年らの中に、この事件のイジメのリーダは含まれていない。いわば実行犯だけが法的手続きの対象になり、言葉のイジメを主導し暴行を教唆煽動をした黒幕が無罪放免だったということである。市民感情としては釈然としないものがある。また、教育界の片隅にかかわっているものとしては、憤激やるかたないものがある。巧みに教唆煽動するワルを鋭く特定し処罰しない限り、再発防止の効果は薄い。私が見る限り、このようなイジメのリーダは確信犯であり、また自分が処罰されないような方法を身につけているのである。大人は子供に反撃できないということを事実として確信しているのである。逆に言えば、子供といえども悪事は裁かれるということを彼らは学習していないのである。彼らにこそ、悪事は厳しく処罰されるという教育を子供のうちにすべきであると考える。私は、あえて、ここでは、この点をつよく指摘しておきたい。

さて、この事件では、2点ほど考えさせられたことがあった。
(1)教師の教室運営の方法
(2)イジメ防止の間違った方針、正しい方針

1.教師の教室運営の方法
福岡のこの事件では、初出記事の直後は、教師がイジメに加担したというマスコミ報道がされた。教育委員会や校長の責任回避に終始する発言が国民的怒りをかったので、そのあおりで直接少年らに接していた教師に対する怒りにもなっていた。いまだに真実は不明確だが、以前の記事にも書いたとおり、「加担したに近い」ということはあったかもしれないが、積極的に加担したとはいえないかもしれない
しかし、イジメ集団に対して迎合的態度を取ったことはたぶん真実であるに違いない。「あの子は、いじめられやすい子」という教師の言葉が中学に進学して収まっていたイジメを非行グループが再開するきっかけになったとの報道は事実に違いない。教師も、それがその後の事件に結びつくなどとはそのころは思いもよらなかったというのが真相だろう。教師自らが「いじめターゲット」を示唆するというようなことをしてはならないのは当然で、教職者としては技能が低かったというべきである。
この事件での心理的障害の後遺症も心配されるが、ご本人のもともとメンタルな部分が教職に耐えるものだったかどうかも慎重に検討されるべきである。当然のことだが、雇用時の判断責任は採用側にある。
一方、「信頼の原則」(下記「補足」を参照)に照らせば、教師の技能に不足があったことは認めても、子供たちの善良たるを信じた教師を重く処罰できないのも当然である。主として処罰されるのは犯人であるイジメグループである。名指しされたの女性教師はその後、休職中で寝たきりの状態と伝えられている。教育界の指導者の大半が正しい方針を説明できなかった中でおきた事件である。どの教師であれ、この事件に遭遇する危険はあった。職業における失敗は常にありうること、罪がないとはいえないが、罪を本質的に償うのは失敗を克服することによってのみ可能である。過った教育姿勢や方針を新しく正しい教育方針に置き換えて克服し続けることこそ、日本の教育界の進歩と改善に役立つのである。あなたは、自ら新しい教育方針と教育姿勢に目覚め、広く訴えることができる一番近い位置にいるのである。早く立ち直って、教育の改革に役立つあなたの体験と心の痛みを広く発信していただきたい。世間は現場の教師の本当の苦悩をまだ知らないのだ。
よく考えてみれば、いじめられた少年以外の関係者(同級生も教師も、子供の反社会的行為を見逃したその親たちも)全員が加害者であると言えなくもない。命令されてたり脅されたりしてイジメに加担した子供も、傍観した子供たちも、うっかりイジメターゲートになりそうな子供の名前を挙げてしまった教師も、処罰するにはあたらなくともすべて加害者である。すべての出発点はここにあると思う。
反省点を明確にして、しかし、多数の教員や教育関係者がまだ同じ過ちの中にいる重大な事態を変えるという壮大にして困難な仕事に加わっていただきい。
また、この教師のように直接事件に巻き込まれることからは、かろうじて免れている教員の皆さんも、明日はわが身であることが否定できない現実に身をおいているのである。教育の改善に、知恵を絞り、こぞって参加していただきたい。
補足: 「学生諸君に、「信頼の原則」を--心理、教育、社会性の発達(31)」(記事の目的は異なるが、参考にはなると思う)

2.イジメ防止の間違った方針、正しい方針
イジメ防止の方法については、いろいろに試みられてきた。
・友達を作らせない
・厳格な教室をつくる
・なれ合い学級にする
など
これらは、すべて教師の過ちである。
これらに対して、次のような方針こそ、正しいとお私は思う。
・イジメられた子以外はすべて加害者であるという前提を認める。
・イジメ防止の運動を教室ぐるみ、学校ぐるみ、地域ぐるみで起こす。
・イジメの常習犯、コアメンバー、実行犯は、厳しく処罰する。
など
である。

まずは、2-1~2-3で誤った方針について述べる。2-4~2-6で、正しい方針とおもわれることを書くことにする。

2-1.友達を作らせない(誤った方針)
この問題は、「やはりあった「教師の本音」--心理、教育、社会性の発達(14)」で取り上げた。
----------------------------
・・・、教師たちは、学級崩壊を避けるためには、子供たちの自由な結合を禁止して、人間関係を築かせないようにアンテナをカメレオンの目のようにめぐらせながら、子供たちの共謀を防止しようと躍起であること、しかし、武力で制圧された民族がテロとゲリラで抵抗するように、子供たちは仲間を募って教室をひっくり返してしまうことをあきらめるかわりに、突然教師に殴りかかったり、机や椅子を投げつけたりするようになる・・・。
----------------------------
「子供たちの自由な結合を禁止して、人間関係を築かせない」という方針は間違いである。とはいえ、小中高の教員の間では広く信じられ、採用されている。大変困ったことである。
教員は、この方針とは反対に、子供たちの社会性をはぐくみ、友達を支え、集団の規律を自発的に守れる子供たちに育てなければならない。それが、当然である。

2-2.厳格な教室(誤った方針)
ならば、子供たちに規則を守らせ、口答えや相談を許さないという方針はどうだろうか。規則を守らせるには、厳格に子供たちは平等であらねばならないと考える教員が多数いる。運動会では、1等賞などという不平等は許さない、一緒に走った子たちは全員手をつないで、一緒にゴールする・・・パチパチパチ、「全員一等賞~!」というわけである。学業においても、一人だけずば抜けた才能を示すと、「他の子の迷惑になる、こんなに良い成績をとってはいけない」などとお小言を言ったりもする。古い話だが、私の息子は、現代国語の成績だけが他の子供たちよりも頭一つ抜け出ていたので、高校1年生のとき、クラス平均48点、本人98点という結果になったとき、国語の教師から「他の子の迷惑になるから、こんなに良い成績をとってはいけない」としかられた。本人は、ほめられると思ったのに、逆だったので、ひどくしょげて帰ってきた。「ボクがいけなかったんだ。もうこんな成績はとらないよ」と私につぶやいた。私は困惑して怒りを見せてそんなことはないと力説したが、このとき教師から受けた子供の心の傷は今でも癒されていないように思う。こんな教室もあったのだ。いな、今もあるのだろう。
子供の生きる勇気をへし折るばかりではない。学業成績の斉一性まで要求する教室では、細部にわたる管理が行われている。理不尽な服従が連日続く。大人でも耐え難い環境である。子供たちは、教師の見えないところで、イジメや器物損壊などの息抜きを始めるのである。
教師の斉一性への圧力は、子供たちが恨みのマグマを次第にためてゆく原因になっている。子供たちがいつか爆発するための燃料を、教師が子供たちに絶え間なく与えているようなものである。このような教室では突然対教師暴力として、噴出するのである。(参考:「急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)」「さらに増加する小学生の対教師暴力--心理、教育、社会性の発達(26)」

2-3.なれ合い学級(誤った方針)
子供をバラバラにして管理しようとするのも失敗、斉一性への圧力をかけることも失敗、ということが知られてくると、次に教師らの間ではやってきたのは、「なれ合い学級」である。
「なれ合い学級」とは 都留文科大の河村茂雄教授の命名である。昨年末からNHKやいくつかの新聞で取り上げられたので、ご存知の方も多いだろう。今年1月からは、教育新聞で河村教授の連載が始まった。

12月5日のNHKのニュースのまとめ
NHKニュースクリップ
http://www.nhk.or.jp/nhkvnet/f-news/f-main2.html
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いじめを苦にした子どもの自殺が後を絶たないなか、学校生活の満足度が低く集団が確立されていないクラスでいじめが起きやすいという調査結果がまとまり、専門家は、いじめを加害者と被害者の関係だけで考えるのではなく、クラス全体の状態を踏まえた対策が必要だと提言しています。
この調査は、心理学が専門の都留文科大学の河村茂雄教授が去年10月から今年1月にかけて全国の小・中学生およそ1万人を対象に行ったもので、クラスの状態といじめとの関連について調べました。
それによりますと、小学校では、規律やルールが定着し子どもたちの人間関係が親密なクラスでいじめにあった子どもは100人中1.4人でした。
これに対して、集団生活のルールはつくられているものの人間関係が乏しく活気のないクラスでは100人中3.4人と2.5倍に、授業中に私語が飛び交い小さなトラブルが頻発するクラスでは100人中5人と3.6倍にそれぞれ増え、全般に学校生活の満足度が低く集団が確立されていないクラスでいじめが起きやすい傾向にあることがわかりました。
また、誰からいじめられているのかをきいたところ、「同じクラスのいろいろな人」が小学校では全体の47%とほぼ半数を占め、「決まったひとりの人」と答えた子どもは13%でした。
この結果について、河村教授は、いじめを加害者と被害者という個別の関係だけで見ずに、集団生活に対する「不満のはけ口」ととらえて、クラスの状態を踏まえた対策をとることが必要だと提言しています。
[2006年12月5日(火)]
----------------------------------------
上記の説明だけでは、よくわからないが、次のアサヒコムの記事を読むと、河村教授の意図するところが良くわかる。

Asahi.comの記事
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200612050358.html
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教師と子どもの「なれあい型」学級、いじめ発生率高く
2006年12月06日01時11分
教師が子どもに合わせ過ぎ、集団のルールが守られていない「なれあい型」学級は、ルールを守り子ども同士が主体的に活動している「満足型」学級に比べ、いじめの発生率が約2~4倍高いという調査結果を、都留文科大の河村茂雄教授(心理学)がまとめた。
河村教授は約10年前から、全国の児童生徒にクラスの満足度を聞くアンケートを実施。学級のタイプを「なれあい型」「満足型」のほか、教師の厳しい指導でルールを形成している「管理型」などに分類している。
この分類手法を用いて、04、05両年の冬に小中学生各3200人から得た「いじめ」アンケートの回答を分析。その結果、いじめ発生率は「満足型」を1とすると、「なれあい型」は小学校で3.6、中学校で2.1。「管理型」はやや低く、小学校で2.5、中学校で1.7だった。
河村教授は「なれあい型では、リーダー的な子どもたちによるいじめがクラスをまとめるための必要悪と教師が考え、強い指導ができない可能性がある」と分析。日常的な子どもの観察だけではいじめの発見には限界があり、集団としての学級の状態にも目を向けるべきだ、と提言している。
----------------------------------------
学級のタイプを「なれあい型」「満足型」「管理型」などに分類しているところは、これまで私が述べたことに似ているが、根拠はもっとしっかりしている。
河村教授の問題に対する切り口は鋭い。この問題に対する切込みを図るにあたって、心理学における新たなツール(アンケートの設問用紙と分析の方法論)の開発も行っている。
「満足型」ではイジメが少ないが、「管理型」でも「なれあい型」でもイジメはなくならないことが述べられている。
「管理型」は、上述した「斉一性への圧力をかける教室運営」と重なる概念である。「なれ合い型」は、福岡三輪中の教師の例で推測した教師のタイプと重なる。
「なれあい型」では、勉強のできる子や力の強い子、声の大きい子など、クラスのリーダに教師が頼る傾向があり、教師は子供たちの友達という具合である。クラスは仲良しグループでうまくいっているように見えるが、教師が強く規範やルールを示さない傾向があり、規範やルールがあいまいなので、教室内が騒がしくて、リーダの子供が秩序を破壊しようとしたり、秩序を破壊する子供に迎合的な態度をとると収集がつかなくなり、イジメや学級崩壊に突き進みやすいというものである。なるほど、私の体験に照らしてもうなづけるところが多い。
子供たちと仲良くなること自体は悪くはないだろうが、その中にもルール(押し付けではなく、みんなで決めた)を守る厳しさもなければならないというのが本当のところだろう。厳しいだけの「管理型」も失敗するが、厳しさを欠いた「なれ合い型」も失敗するということを、教育関係者は肝に銘ずるべきである。「満足型」とは中庸を行くものだろうが、河村先生のご本を読んでも私にはぴんと来るものはなかった。河村先生にとっては「満足型を実現する方法」は当面の関心ではないかもしれない。失敗する教室の典型に「なれ合い型」があるということを指摘された点が出色の功績ということができる。私の考える「満足型」については、後述する。一度、お会いする機会があればこのあたりのことについてもお話をうかがってみたいと考えている。
参考文献: 河村茂雄、「データが語る学校の課題」、図書文化(2007)
      河村茂雄、「Q-U入門」、図書文化(2006)

2-4.教室ぐるみ、学校ぐるみ、地域ぐるみでイジメ防止の運動を(正しい方針)
イジメられた子以外はすべて加害者であるという前提で、イジメ防止の運動を起こす。
この項の末尾に、この項に関して参考にした書物を引用する。一読をお勧めする。
・教師は目を凝らす、本人や家族からの被害情報はまずは真に受けよう。
イジメは、加害者から通報されることはまれである。加害者も被害者もイジメの事実をひた隠しにしている。どちらかといえば、被害者の親から情報がもたらされることが多いに違いない。
私の体験では、グループ学習に加わっていない学生について所属グループのリーダに問い合わせたところ、そのグループのリーダからは「僕らに挨拶しに来なかったから、仲間にしなかった」と正当性を主張するメールがとどいた。言葉を選ばなければいわば「村八分」である。大学生にもなれば学生の自己責任で本人からの申告があってもよさそうだが、イジメをチクったと知られれば、どんな報復を受けるかわからない。いじめられたほうはただただ黙りこくっているのである。教師が気づくのは例外的な出来事である。しかし、耳を澄まして、眼を凝らしていれば、まれに発見できることもある。とりわけ、学生参加型の授業を実践していると上記の私の体験のように事実が見えるときもある。
・イジメが発覚したら、教師はまずイジメの事実を認めて、関係者に報告することが第一の仕事である。
ここで、隠蔽すれば、後での被害が大きい。事態の回復も難しい。校長や教育委員会、事務当局が隠蔽に走るようならば、新聞記者に直接告げるのもよいと思う。教員の上部がもたもたしていると事態はもっと悪くなる。あとで校長や教育委員会、事務当局に責められようとも、勇気ある告発者は、別の勤務先や新たな職種に活路があることを知るべきである。
・クラスの児童・生徒・学生を全員集めて、イジメの事実を告げ、イジメにあった子以外は、全員加害者であると宣言し、反省の上にイジメ防止策をこれから考えて実行しようと呼びかけるべきである。
ここでは、中心的加害者ばかりでなく、命令されたり脅されたりして追随した者、手は出さなかったがはやし立てたりした者、傍観者を決め込んで被害に眼をつぶっていた者、これらはすべてイジメの加害者であると宣言することである。イジメに気づかなかった教師も加害者であるというべきである。教室に関係する者はいじめられた一人以外は全員加害者だったのだ。
こうすると、傍観者だった子供たち、脅されてイジメに加担した者など、周辺的な関与をした子供たちが、イジメの中心メンバーをゆっくりと包囲し、イジメの再発を抑止するようになる。命令されても、脅されても同調しない子供が増えればイジメは成立しない。
包囲網を寄り強くするために、子供たちの互選で「イジメ撲滅委員会」を選んで活動を支援するなども効果的だろう。
・教室でイジメの事実を教室で明らかにした日に父兄に呼びかけを実施する。
子供たちには、父兄に集まってもらうべくプリントを渡すのである。イジメの中心メンバーの父兄には、それとなく電話をかけて確認を取ったほうが良いだろう。その際に問われれば、一人以外はすべて加害者であると教師は考えているという説明に終始すべきである。それでも、父兄にはなんとなくそれらしいことはわかるものである。集まった父兄には、子供たちに述べたように、いじめられた子以外は全員加害者であると説明するのである。イジメグループを特定しようとすれば、「うちの子に限って・・・」という猛反発が起こって収拾がつかないに違いない。全員に罪があるのである。自分の子だけではない、と思えばイジメ実行犯の親も納得しやすい。
参考文献: 山脇由貴子、「教室の悪魔」、ポプラ社(2006)

2-5.イジメの常習犯、コアメンバー、実行犯は、処罰する(正しい方針)
前項のように、イジメ対策が始動したら、これと平行して、警察に協力して、イジメの黒幕と実行犯を推定し、その加害の程度に応じて処罰の実行に協力することが必要である。処罰は、学内だけでは無理がある。体罰の規制は緩和されたが、相変わらず抵抗感は大きい。出席停止なども処分もよいが、反社会性行動のある子供は、家庭や学校の外で時間を持て余せば、もっとひどいこともしかねない。出席停止にする、などの処罰を加えるのであれば、市民社会の防衛のためには事前に警察にも通報をしておく必要がある。
参考: 「イジメ関連での検挙・補導過去最高、加害者に厳しい処断は当然--心理、教育、社会性の発達(36)」

2-6.総合的対策(正しい方針のまとめ)
下記のことをどれも手を抜かずに、実行しなければならない。まずは、「満足型教室」を実現しなければならない。ここは、教師の腕の見せどころである。
また、日本では、学校内に、学校ポリスのような暴力装置はないので、反社会的行動の制圧は市民警察によって実行されなければならない。教育的配慮だけでは「なれあい学級」に堕することになる。警察任せでは、満足型の教室は成立しない。
「全員加害者」という自覚にたったイジメ再発防止策と警察との協力は両輪である。
これまでの議論を以下の(1)~(4)にまとめる。
(1)「満足型」の教室を実現すること
河村先生の議論では見えにくかったが、参加型学習、社会的学習、正統的周辺参加型学習、学習組織の活用などがキーワードであると私は思う。
教室内の満足度は飛躍的に高まるというのが、実感である。
これらの学習実践への取り組みは、今のところ周囲からは孤立した実践になっているが、学部ぐるみ、大学ぐるみになれば効果が高いと思われる。小中高においても学校ぐるみで取り組まれることを検討していただきたい。
参考: 「「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)」 「個性と社会性--心理、教育、社会性の発達(5)」 「狙われる「社会性の発達阻害」--心理、教育、社会性の発達(7)」 「モチベーションを育てる、涙ぐむ--心理、教育、社会性の発達(17)」 「学習の社会性について--心理、教育、社会性の発達(18)」 ほか
(2)イジメのキャッチに努めること
・参加型授業に努めていると、非参加の学生・生徒・児童が発見できる場合がある。
・教師も、子供の机や衣服の汚れなどに気を配る。忘れ物が多いなども要注意である。怪我のチェックだけでは不十分である。イジメでは、服の下など教師からは見えないようなところを傷つけるのである。
・イジメ被害者の親から申告があったら、その言動はすべて正しいという前提でお話を聞く。疑いをさしはさんだりすればお話を1割も聞けない。
・先にあげた、山脇由貴子、「教室の悪魔」、ポプラ社(2006)には、巻末にイジメに気づくチェックポイントの一覧も掲載されている。参考にしたいものである。
(3)イジメをキャッチしたら
・イジメには教師も命がけで対応する必要がある。教師がイジメを知ると、イジメ加害実行犯はイジメ被害者が告げ口したと確信する。実行犯からのイジメ被害者への報復攻撃が激化する。イジメ被害者がそのことを察知したら自殺する危険もある。さらに実行犯からは教師への報復が予想される。イジメに気づいたら「ちょっと言ってみる」はやめるべきである。その場で決意して命がけで対抗するというメッセージを情報提供者に発信し、下記の根回しに取り掛かるべきである。中途半端な態度はイジメ加害実行犯の餌食になるだけである。知った->行動開始は半日以上かけたら失敗する。知った->行動開始は1時間以内とすべきである。
・イジメ被害を認識したら直ちに学校関係者・教育委員会等に通報する。学校関係者・教育委員会等が隠蔽する傾向があったら、命と職をかけてマスコミなどに公開する。
・子供たちを集めて、いじめられた子以外は教師も含めて全員加害者である、イジメをなくすためにみなで「イジメゼロ」を誓い合おうと確認する。イジメをなくす委員会を子供たちで構成して、支援する。イジメに関する日常的な話し合いを継続する。子供たちに告げたその日に父兄にプリントを渡して、父兄を呼び集める。
・父兄にも、イジメの事実を告げて、いじめられた子以外はすべて加害者であることを周知させる。見過ごした教師も父兄も全員同罪であることも明らかにする。
(4)イジメの処罰
・警察には、初期の段階から通報し、スタンバイを依頼する。
・初期環境が整ったら、イジメ加害の中心メンバーの処罰も平行して開始する。
・場合によっては、出席停止なども実行するが、その場合は、警察に対して、出席停止した子供の自宅周辺や近くの盛り場などへの監視を依頼する。
・加害状況の大きさによっては逮捕、送検、保護施設への送致などに進むので、警察の調査に全面協力する。

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