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「新・田園都市構想」研究会の開催--感性的研究生活(20)

2007/04/26
「新・田園都市構想」研究会の開催--感性的研究生活(20)

4月23日(今週の月曜日)、千葉大学園芸学部(千葉県松戸市)で、「新・田園都市構想」研究会が開かれた。
出席者は、私以外に、古在豊樹千葉大学学長、菊池眞夫千葉大学園芸学部長、藤井英二郎千葉大学園芸学部教授、藤田伸輔千葉大学医学部教授、丸尾達千葉大学園芸学部助教授、木下剛千葉大学園芸学部助教授ほか、大学院生も含めて20名ほどである。
メンバーを見るだけでもかなり内容の濃いものであることはお分かりになるだろう。

第1回「新・田園都市構想」研究会………………………………………………◆
【日時】4月23日(月) 16:00~18:00
【場所】千葉大学園芸学部 http://www.h.chiba-u.jp/
【発表内容】
私、「地域史と構想」
丸尾達、「植物生産工場・伝統野菜生産構想」
櫻井清一、「フードシステム構想」
木下剛、「道の駅構想」
藤田伸輔、「衣食住一帯の地域医療構想-柏の葉プロジェクト」
萩野一彦、「矢切地区土地利用構想」
【質疑】 約30分
……………………………………………………………………………………◆
初回の研究会なので、かなり粒度の荒い研究会ではあったが、それでも私の発表に比べて皆さんのお話は研究実践の裏づけのあるものばかりで、ずしりと重い。
私の発表には、プロジェクトの背景となる「地の利」「天の利」「人の利」を取り上げた。与えられた演題は「地域史と構想」なので、「地の利」を歴史的に語る内容が期待されているようだった。しかし、「地の利」を語るのであれば、天・地・人それぞれについて語らなければバランスが悪い。現代が人類史上どの位置にあるのかを説いて、「天の利」を語った。「国策」「市の政策」「農家の現状」など取り上げて「人の利」を明らかにした。
「地の利」の点からは、古来交通の要衝であるとともに食品加工業の栄えた土地であることを強調した。未来型農業は、作物の販路も確保しなければ可能性がないことを指摘し、ファーマーズ・マーケットの設立や食品加工業の誘致・振興を図ることが必要であると強調した。

Photo_12
図 松戸は古代からの交通の要衝、NapFanの地図に私が加筆した。

「天の利」の点からは、2005年から2015年は「食・健康・医・介護・清掃」の自助組織が成長するとの予想を述べ、市民参加型の農業、自助努力型の運営体の時代が来るので、時宜にかなっていることを述べた。ついでに「柏の葉をロハスタウンに」と最初に言い出したのは私であり、「ロハスタウン」という言葉が、流山、松戸、鎌ヶ谷、我孫子などに広まるきっかけとなったが、私がやみくもに「ロハスタウン」という言葉を使用したのではなく、私のこの時代観に基づく発言であったことも明らかにした。
「人の利」の観点からの発表内容は、ここには書かない。
皆さんに与えられた発表時間は各自10分ということだったが、私には15分割り当てられた。それでも私は気がつくと30分はしゃべっていた。3部構成の発表資料の第二部は割愛し、早口でまくし立てたのに、予定よりも倍かかってしまった。まだ修行が足りていないようだ。
未来型の農業は、市内で1箇所ではなく、数箇所の拠点が考えられること、植物工場だけであれば、北松戸や五香の寂れた工業団地のあき建物を活用しても良いと考えられることなどもあわせて述べた。
特筆したいのは、萩野氏の発表だった。彼は、都市計画を専門とするコンサル会社の現職社員でありながら、千葉大園芸学部で博士課程に属して、学位を目指している。若くして、物事を統合化する能力があると見受けられた。最終的に報告書をまとめるとすれば、この人のような方に力を発揮してもらうのが一番だろうと、私は内心躍り上がらんばかりによろこんでいた。

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琵琶

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びっくり、第三者のサイトKarettaに、このブログの3つのシリーズがエントリしている。--その他、シリーズ外の記事

2007/04/24
びっくり、第三者のサイトKarettaに、このブログの3つのシリーズがエントリしている。--その他、シリーズ外の記事

(株)タイムインターメディアが主催しているボランティアサイトKarettaに私のブログのシリーズが登録されている。しかも3本もである。

1)「社長の条件」シリーズ(Karetta版)
 「社長の条件」シリーズ(原版一覧)
2)「心理、教育、社会性の発達」シリーズ(Karetta版)
 「心理、教育、社会性の発達」シリーズ(原版一覧)
3)「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズ(Karetta版)
 「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズ(原版一覧)

なぜ、ここに掲載されているのかというなぞに答えるには、かなりの説明が要る。掲載を勧めてくれた方がいた、掲載の手間を全て引き受けてくれたご奇特な方がいた、その後、懸賞募集が始まった、という事実を羅列してみるとなんとなく分かっていただけるかもしれない。

出版を希望するが引き受けてくれる出版社のあてがないという人は、Karettaにぜひとも登録してみていただきたい。注目度が高いので、引き受けてくれる出版社が現れる確率が飛躍的に高まる。
私の会社はシステムハウスだが、出版も事業として行っている。しかし、自分の書いた文章を自社で出版するのは気が引ける。他社で引き受けてくれるところがあればうれしいと思っている。
皆さんも是非、Karettaに投稿してみてはいかがだろうか。

Karettaの懸賞募集開始のニュースリリースは下記のとおりである。参考にしていただきたい。
-----------------------------------------------
タイムインターメディアが「karetta.jpで本を書こう!大賞」を募集開始
--------------
http://karetta.jp/show/site/award-2007
株式会社タイムインターメディア(本社:新宿区、代表取締役:佐藤孝幸、資本金: 12,325 万円)は、株式会社オライリー・ジャパン(本社:東京都新宿区)、株式会社サイエンスハウス(本社:東京都北区)の協賛で、同社が運営する執筆支援サイト karetta.jpで4/23(月)から「karetta.jpで本を書こう!大賞」の候補作を募集します。
- 企画応募締切り: 2007-06-30 (土)
- 企画審査発表: 2007-07-15 (日)
- WebBook完成締切り: 2007-11-18 (日)
- 本選発表: 2007-12-16 (日)
* [1] 賞金
- 大賞 30万円 (1点)
- 佳作 10万円 (数点)
- 読者賞 10万円 (数点)
* [2] 応募資格
- ジャンル不問(エッセイ、実用書、小説、... etc.)
- 未発表作品に限る
- 受賞作の出版権はkaretta.jpに帰属します
- karetta.jpにユーザー登録し、本が書けること
- 2007-06-30 (土)までに企画書を書いて応募できること
- 2007-11-18 (日)までに本を完成できること
* [3] 審査員 (順不同)
- 伊藤 篤 (株式会社オライリー・ジャパン)
- 飯箸 泰宏 (株式会社サイエンスハウス)
- 藤原 博文 (株式会社タイムインターメディア)
* [4] 応募方法
http://karetta.jp/show/apply-award-2007
応募方法については上記URLの応募手順をご参照ください。
* [5] karetta.jp(かれった・どっと・じぇーぴー)とは
karetta.jp ( http://karetta.jp/ )はWebで本が書ける執筆支援サイトです。
ブログやWikiを使ったことがある人なら誰でも使うことができます。会員は本を書いて Webで公開することができます。また、複数の執筆者が共同で本を書くこともできます。
2007年4月現在約20冊以上のWebBookが執筆中または完成し、Webで公開
されています。
* [6] お問い合わせ
- 株式会社タイムインターメディア
-- 〒160-0002
-- 東京都新宿区坂町26-17
-- http://www.timedia.co.jp/
-- 電話: 03-5362-9009
-- karetta.jp運営グループ
--- 担当: えんどう
-- メールアドレス: support@karetta.jp
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琵琶


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団塊の世代、退職しても「市民参加型社会への意欲」は続く--情報社会学、予見と戦略(9)

2007/04/16
団塊の世代、退職しても「市民参加型社会への意欲」は続く--情報社会学、予見と戦略(9)

4月7日のヤフーニュースは、団塊の世代について、下記のように毎日新聞の記事を掲載した。時間がたつとヤフーのニュースは消えてしまうので、ここに引用しておく。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070407-00000057-mai-soci
----------------------------------------
<団塊世代>売れ筋商品に法則なし 業界は試行錯誤
4月7日14時6分配信 毎日新聞
今年から始まった団塊世代の大量定年。3年間で約50兆円ともいわれる退職金や、人生を見つめ直すための自己投資の行方に注目が集まっている。産業界はあの手この手の知恵を絞るが……。【野島康祐】
■売れてます
20~30代の女性向けとして昨年9月に発売された化粧品が、団塊の女性たちに人気を呼んでいる。コンサルタント会社の「ヒューマンディスカバリー・インターナショナル」(東京都渋谷区)が開発した「CVFクリアジェル」だ。カボチャやニンジン、トマトなど5種類の野菜エキスと、金属のプラチナを混ぜた、ピンク色の化粧ジェル。見た目にも若者向けだが、インターネットや口コミで人気が広まった。
1個7980円と高価だが、50代の購入が目立つ。尾形圭子社長は「肌荒れに困っている若い女性の会社員が多いので開発したら、意外な形で人気をいただいた」と驚く。
ドイツの高級車「BMW」は、昨年の国内販売台数が4万9014台で、前年(4万4980台)と比べ約9%増えた。売れ筋は400万~1000万円。広報担当者は「団塊世代の客が核になっており、『一度は乗りたかった』という声をよく聞く」と話す。
■悩んでます
国立社会保障・人口問題研究所によると、1947~49年の3年間に生まれた団塊世代は、昨年10月1日現在で約675万人。国内の就業者(今年1月現在で約6373万人)では、7.8%に相当する約500万人が団塊世代とみられる。
だが、団塊世代とひとくくりにしても、生活・消費スタイルに一定の法則があるわけではない。産業界には「団塊向けの商品開発は極めて難しい。味の好みが一定でないから」(大手ビール会社)という声や、「年輩者向けのセールは売れ行きが悪い。『まだ若いんだ』という気持ちが強いんでしょう」(大手百貨店)という悩みがある。
また、団塊世代の定住や就業を図る自治体もあるが、成功例はまだ少ない。大和総研の鈴木準主任研究員は「団塊世代は、これまでの60代よりも働く機会を求める傾向があり、雇用機会の多い都市部を離れにくい」と分析する。
利殖の面ではどうか。野村総合研究所の中川慎(まこと)・上級コンサルタントは「団塊世代は、働き盛りの40歳前後でバブルを経験し、資産が目減りしてひどい目に合っている。だから、不動産や株式に目が向くとは思えない」と話す。
■こんな知恵も
旅行業界は、JTBや近畿日本ツーリストなどが団塊世代の趣味に合わせた旅行を商品化し、多様なニーズに合わせようとしている。「団塊世代はただの有名観光地に行かない」という業界の常識があったためだ。
一方、思わぬ形で団塊世代の人気を集めたケースもある。大手旅行会社「クラブツーリズム」が昨年6月から始めたツアー「大人の社会科見学」だ。
旅行先のほとんどが観光地ではなく、自動車やビールの工場、自衛隊基地の見学、山歩きなどだ。当初は「客が集まるのか」と疑問の声が社内にあったが、合計2000~5000人の募集枠がすぐに満杯となった。中心は、団塊世代やその前後の人たちだ。同社の担当者は「苦肉の策で始めたが、思わぬ結果になった。観光客に慣れていない見学先との交渉は難しいが、当社の柱の一つになりそう」と話す。
最終更新:4月7日14時6分
----------------------------------------
団塊世代は気まぐれで、なかなか売れ筋商品を絞ることができないという話題である。私も広くいえば団塊の世代である。正確に言えば団塊世代より1歳年長になる。
気まぐれという捕らえ方は皮相に過ぎる。だれも正しく捕らえていないようだが、私の捕らえ方は次のとおりである。
この世代は、上意下達を嫌い、自分の考えを組織に反映することに意欲と努力を払ってきた。所属組織だけではなく、所属する社会に対してもそうしてきた。だからこそ、団塊の世代が働き盛りだった1980年から今日まで社会が上意下達型から、市民参加型へと変貌を遂げてきたのである(参考1参考2参考3参考4)。私の予想では、この傾向は2010年まで続くのである。団塊の世代は、退職してもなおその意欲と行動力を失わない。政治の世界では無党派層の実態がこの世代であり、地域起こしや市民ボランティアのリーダ的担い手でもある。社会科見学などは軽い範疇である。組織や地域や国境を越えて広くウオッチするバイタリティがあり、組織や行政や国家や世界に向かって、いつでも堂々と発言できる決意があるのもこの世代である。小金を出してお金稼ぎしませんかなどと呼びかけられても、そんなに心を動かされる世代ではない。大衆を煽動するかのような宣伝に対しては警戒心の強い世代でもあるのである。デマゴギーに対しては耐性の強い世代ということができるのである。金増やしに身を焦がす者の数は、この世代の先輩たちと同程度にとどまるはずである。
もし、この世代をビジネス・ターゲットにするのであれば、地域や国境を越えた自助組織の立ち上げや運営を支援することであろう。団塊の世代は、国家や行政の権威が嫌いである。自分たちのことはできるだけ自分たちでやろうと意欲をたぎらせており、行動力も持っている。1995年ころからこのムーブメントは始まっている。そして、このムーブメントは、団塊の世代ばかりではなく、次の世代の30歳代が次世代としてこの動きに参画しているのである。世代交代は確実に始まっている。やがて、この30歳代が、30年後の地球国家や人類社会を打ち立てる社会の主人公となるだろう。
その最終局面に私の世代の多くは立ち会うことなく、この世を「卒業」しているだろうが、次世代の皆さんには、艱難辛苦あれども、ぜひとも君たちの時代を成功裏に切り開いてもらいたいものである。
ふんばれ、気張れ、・・・どこにいても、生死を問わず、私は同世代の皆さんとともに皆さんを応援し続けたい。

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(10)
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創発支援とシミュレーション、1984年eLearning事始め--アルゴリズム戦記(15)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/04/12
創発支援とシミュレーション、1984年eLearning事始め--アルゴリズム戦記(15)

1984年から1987にかけて、我々は教育用のシステム開発に携わることになった。システム開発とともに出版編集関係の仕事もしていた当社ゆえのつながりではあったが、教科書出版大手のT社から声がかかった。当時は技術家庭科の情報処理教科書の企画やその教科書に載せるプログラムの作成のお仕事も私たちがさせていただいていたので、自然な流れではあった。
当時の教育用のソフトと言えばアメリカからの輸入とその物まねばかりであったが、画面に四則演算の問題が1行表示されて、次の行に答えを入力し、あっていればOKと表示され、違っていればNGと表示されるというような無味乾燥なものがほとんどだった。私たちの提案は2種類あり、一つは「問題文と解説が表示され解答するとその解答の様子に応じて詳しい解説が表示される自習型ソフト」と子供たちができる「仮想実験(シミュレーション)ソフト」というものだった。どちらもピカソ開発から派生し実績を積んだパネルシステムを利用するもので、つめこみではなく、子供たちに考えさせるソフトウエアであった。シナリオもシステム企画もほとんど私が書いた。
狙いは、CAI(Computer Aided Instruction)から、CAL(Computer Aided Lerning)への時代的転換であった。

1.自習型学習ソフト
これは従来のドリル型から大きく踏み出たものであった。現在、学習者の学習履歴を取りこれを解析するなどのことは当たり前のことのようになっているが、日本でそのようなことを始めたのは私たちが初めてだった。この方面のソフトでは、その後、外国語学校や電算専門学校にも頼まれて次々と発展を遂げた。
2.仮想実験(シミュレーション)ソフト
「仮想実験(シミュレーション)ソフト」は、画像がふんだんに利用された。あるとき顧客はアニメーションを希望したが、アニメーション制作は我々の専門外である。アニメーション制作を外注すると我々が受託金額の3倍は支払わなければならない。事情を説明しても、納得してなかなかもらえない。
我々は、擬似的なアニメーションの実現に取り組んだ。たくさんのタイトル(20-30本)を複数のチームで同時並行で作成したので、全部に言及することはできないので、特に印象に残っているいくつかをここでは取り上げる。
すべて、世間では高い評価を受け、顧客の関係者もおおむねたいへん喜んでくださった。
2-1.遺伝の学習(正式のタイトルは忘れた)
メンデルの法則などをシミュレーションするもので、アニメーションや映像のような一方的なものではなく、学習者が意図して、交雑をさせると、その結果が画面に現れると言うものである。学習者の能動的行為を喚起する教材である。この種の実験は、実際にやってもできないことはないが、植物の場合でも1つの実験に1年を要することになる。動物の実験などはできない。通常は理科の時間のお話だけで終わるところであるが、パソコンの中では実験ができる。これに関するタイトルの開発のときである。かなりの大かがりのソフト開発になってたので、年度にまたがって開発されたのだが、えんどう豆の種から芽が出て、成長し、花をつけ、実を結び、種の中身がこぼれるという一連の動きを見せたいと言うことになった。これは私のシナリオにはなかった要求である。なるほど、ここでアニメーションができるといい。現在ならば、FLASHなどのツール類があるのでそれほど問題がないが、当時はセル画を重ねるアニメーションや登場するキャラクターをPUT、XORなどで移動させるくらいしか方法はなかった。しかし、アニメーションはコストの点でとても実現できるものではなかった。画面に登場させるキャラクターがシナリオでは、画面いっぱいに大きくなるのでセル画を張り込むのと大差はない。私は、プログラムと知恵で解決せよと当該プロジェクトのメンバーに命じた。彼らは、四苦八苦していろいろな案を作ってきた。私にはどれも満足が行かなかった。ピカソで生成した画像をセル画のように次々に表示するという案が一番有力だったが、1画面を表示するのに当時の最新鋭のパソコンPC9801で20秒ほどかかった。画像が動いているようにはまったく見えない。ユーザーは、一枚ずつ、別の絵がかぶってくるのをじっと待つことになるのである。却下ッ、である。--ジャア、どうするんですか、担当者は口をとんがらせて、怒り心頭である。まぁまぁ、私には閃いた方法があるんだ、となだめるが、なかなか承知しない。私のアイディアは次のとおりだった。
当時のパソコンの上位機の画面は縦400ドット×横640ドットであった。この画面全体にビットデータを全画面にを貼り付けるだけで20秒以上かかるが、縦8ドットに切ったらどうか。描画時間は1秒未満だろう、と言うのが私の思い付きだった。縦8ドット×横640ドットの矩形を作り、裏画面(第2画像メモリ)に成長の次の絵を描き、表の画面(第1画像メモリ)に下のほうから順に転送したら、植物が生長しているように見えるだろうというのが私の発想である。
画像のビットファイルを1画面に展開するには20秒でも、自動生成したプログラムを使うと(うまく描くと・・・)2-6秒程度で絵が表示できる。しかし、このまま、植物の小さい絵を描いて、これを消して、次の大きさの絵描くと言うのは、何をしているのか、見ている人にはさっぱりわからない。ヒカソで描いた絵を自動生成して再現するプログラムは、絵を一筆書きのように描いてゆくからである。しかし、スピードは速いので、裏画面に書くのは人目に触れないので、問題はない。裏画面に書いて、表には上部からではなく下部から8ビットの高さずつ転送するのである。転送完了までには十数秒を要するが、植物が下のほうからむくむくと動いて形が少しずつ変わり、大きく成長してゆく。一瞬、人がその画像に見とれている間に上画面では数秒でピカソの自動生成プログラムが次に必要な絵を描いているのである。何度か成長を繰り返した後は、やがて、先端部分だけが裏から転送されて花が咲き、花の部分だけが画像転送を受けて実になり、やがて実がはじけると言う具合に次々と画面が変化する。えんどう豆は、かくして、タネから芽を出して成長し、花を咲かせ、実を結び、実がはじけるまでになるはずである。私はスタッフに何度も、紙に書いて、そう説明した。彼らは持ち帰ってチームで検討するとして帰るのだが、翌日になるとできるはずがないという結論になったなどと言って、タダをこねるのである。画像がいくつも重なったとき、どのように人間に感じられるのかという感性がこのチームの誰にも備わっていなかったのだろう。3回目くらいの押し問答の後、私は、「実はテストバージョンを作ってみたんだが、見てくれ」と言って、私が作成したテストプログラムを見せた。元絵は画面上に実物そっくりの絵を描くことができるスタッフがいて、写真よりも本物らしく見える絵が用意された。むくむくとえんどう豆は画面の中で見事に育った。やったァ、後ろのほうで覗き込んでいた誰かが叫んだ。チームは勢いづいた。開発はぐんぐんと進んだ。やはり、百聞一見なのだ。やって見せねば、・・・、人は動かじ、でもある。
しかし、このソフトがこのシリーズではピークだった。次のプログラムは、システムとしては成功し、市場でも成果を挙げたが、顧客の担当者の理解が得られずに、シリーズの最後になったものである。
2-2.地震波の地球内伝播シミュレーション
地球には、内核、外核、マントル、地殻、地表と言うような階層構造がある。最近では、マントルを下部マントルと上部マントルに分けて考察することが多いが、当時の中高校生向けには、マントルは一つとして教えていた。地震波の伝わり方をシミュレーションして見せて、これらの構造があることを理解させようと言うタイトルがあった。
実際、地球物理学者も地下のマグマの中をもぐって調べたわけではない。マグマからの噴出物(溶岩やその溶岩が固化したもの、火山からの噴出物など)を調べたり、地震波や地電流、地磁気などを探って地球の構造を推定しているのである。中でも地震波の伝わり方を調べることは地球の構造の発見に決定的な証拠になった事柄である。この発見の感動を子供たちにも疑似体験させてやろうと言う企画であった。大きな地震が地球の反対側で起きると、津波が太平洋を渡ってくる場合も、身体に感ずるか感じない程度の地震波が伝わってくる場合もある。しかし、場所によっては、地震波がまったく伝わってこない地域(シャドウゾーン)が生じたり、特異的に強められて伝わる領域もある。
このころ、顧客の担当者が変更になった。この方は、事情がわかっていないのでまたアニメーションを要求してきた。もう、何を考えているんだお客さんは、、、と嘆いてみても仕方がない。それでも、お客さんはお客さんである。また一から説明しアニメーション製作会社から見積もりも取り寄せてお見せして事実を理解してもらった。私は裏画面でホイヘンスの法則とスネルの法則どおり、地球の断面図の中を時間刻みの波面を書いては、表画面に転送することにした。
スネルの法則は、中学生でも習うようなものだが、実際プログラムで波面に展開しようとすると、それほど簡単ではない。波面を連続して無数に計算しようとすれば時間がかかりすぎる。震源地を中心として360度に発生する波面ををたとえば360方向に分割し、各放射線の先端の直交短直線を波面とみなすことにした。地表からはみ出す放物線は地表の位置で消滅させるのである。地球内部の階層の境目を波面が渡る瞬間と時間刻みは必ずしも一致しない。どの放物線の波面は何時その境を通過するかは事前に計算しておく必要がある。その時刻で波面はホイヘンスの法則とスネルの法則による屈折と弱化を体験することになる。その時刻から当該波面の進行方向も変わることになる。その後、10000万分の?秒か後に、表示すべき波面の時間刻みになるので、そのときの波の進行方向に直交する短直線を描くのである。
実は、はじめ、表画面で、計算しつつ順次短直線を描いてみたが、扇をバラバラと広げるように短直線が描かれてゆくので、波"面"には見えなかったのである。したがってやはり、裏画面ですべての短直線を描いてから、裏画面を表の画面と入れ替えて表示し、裏に回ったもともとの表画面を消して書き直すと言う、あやかしもどきの手法をとることにした。表画面と裏画面の切り替えは数千分の1秒で実行できる。このときは、もう、どうせ、やって見せなければスタッフも納得しないだろうからと、波面が動いてゆくさま、すなわちこのタイトルではコアの部分は、完成形を私がコーディングしてしまった。スタッフにはそれを前後のプログラムの中に組み込んでもらった。地球内部の絵も、前述のスタッフが描いた。美しい絵だった。
見事なできばえだった。それは当たり前である。やっているのは大学の研究室や国立の研究機関でやられているシミュレーションとまったく遜色がない手法をとっているのである。
しかし、顧客のその担当者にはどう説明しても、アニメーションとしか思わないようだった。このアルゴリズムならば、震源をどこに指定しても地震波は地球の構造にしたがって正しく伝わって、屈折し、消波したり、干渉して強まったりして地球の表面に到達してゆく。他方のアニメーションはいったん作成してしまえば別の震源を選べない。
その違いがこの担当者にはどうしても納得が行かないのである。アニメーションにするとコストがまかなえないという事実から派生し、それゆえに担当者も十分納得して始めた開発のはずなのに、納品後に「アニメーションに直してくれたら、この開発費を値引くことができるのか」などという質問までしてくるので、人柄が悪いわけではないものの、この担当者にはまったくがっかりだった。おそらくその担当者は理工系のご出身ではなかったので、シミュレーション=擬似的実験=というものの意味が理解できなかった上に、ホイヘンスの法則やスネルの式がまったく理解できなかったのに違いない。人材豊富な会社なので他の方が担当されていれば十分に理解していただけただろうにと誠に残念であった。結局はそのままこのソフトは発売になり、市場に出て行った。その点では私たちは満足だった。しかし、この開発を最後に、私たちはこの顧客のプログラム開発のお仕事をしていない。この会社もその後長く教育ソフトから遠ざかっているようだ。
このブログのシリーズの名前には「戦記」という言葉が入っている。"勝負に勝って戦に負けた"のかもしれない。しかし、くだんの担当者たちの上司のさらに上司に当たる部長さんとはその後も長く交流が続いた。この会社が日本で初めて技術家庭科で情報の教科書を作った方である。コボルやフォートラン全盛の時代に、子供たちにはBASICを教えようと私が提案するやすぐに理解を示してくれた方でもある。彼はながく、脆弱な当社の経営基盤を心配してくださった。この方はその後、この会社で副社長になり、相談役も勤め、その後は悠々自適の老後を過ごされた。

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  ・独創力の創り方シリーズ
  ・心理、教育、社会性の発達シリーズ
  ・社長の条件シリーズ
  ・アルゴリズム戦記シリーズ
  ・情報デザイン研究ノートシリーズ
  ・「情報社会学、予見と戦略」シリーズ
  ・感性的研究生活シリーズ
  ・街に活力をシリーズ
  ・交友の記録シリーズ
  ・オヤジと家族のお料理ライフシリーズ
  ・我が家の愛犬様シリーズ
  ・妻が、車に撥ねられるシリーズ
  ・その他、シリーズ外

めぐる季節、めぐらす食の知恵--オヤジと家族のお料理ライフ(11)

2007/04/01-
めぐる季節、めぐらす食の知恵--オヤジと家族のお料理ライフ(11)

季節が変われば、食も変わる。今日も明日の元気の素、お料理を作る。オヤジにとっても料理は楽しい。大学の授業が始まるまでの数日は、私の作る料理がまだ多いだろう。その後は、奥さん、息子君、頼みます。

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[日曜日(4/01)]
日曜日だが、昼から出社の予定である。締め切りに追われているスタッフが出社している。朝、老母が買い物に行きたいと言う。このところ、車を出さなければ、少しだけ遠い家庭用品のショップに出かけるのは難しくなっている。年を考えれば当然である。11時を期して、妻と老母を車に乗せて目指すショップに出かけることに。そういえば、以前「サクラが咲いたら、サクラ見物に行きたい」と老母が言っていたのを思い出した。私の街にはサクラの名所が多い。帰りがけに地元のサクラの名所を通って帰る事にしよう。老母を自宅に届けたら、車に乗ったまま会社に向かうつもりである。会社で待っているスタッフさん、ちょっとだけ待っていてくれ。まてまて、買い物の前に、まずは、老母に本日のお料理を届けなければならない。
・アジのミリン漬け焼きの準備
お刺身用のアジを少し多めに買って冷凍してあったので、解凍して姿のままミリンと塩にしばらく漬けた。次のウドの酢味噌和えを作っている間、そのままにしておく。
・ウドの酢味噌和え
ウドを長さ3センチ、3-4ミリ角に切って、沸騰したお酢入りの熱湯に一瞬通す。灰汁を抜くためである。すぐに冷水にさらしてよく水を切る。カツオだしと味噌、スリオロシショウガ、ミリン、琉球黒酢、三温糖を加えてよく練り合わせて、この中にウドを入れる。箸先で軽く混ぜ合わせて出来上がり。春の香りがする。
・アジのミリン漬け焼き
ガスレンジの遠火でゆっくりと焼く。ミリンが少しこげる香ばしい香りが周囲にしている。料理は味ばかりではない。この香りも大切である。
[月曜日(4/02)]
今日もいつものように起き抜けに仕事部屋で仕事をしていると、いろいろな理由を挙げて息子が夕食にも食べられる造り置きのできるものを作ってくれといってきた。自分の夕食を手抜きしたいらしい。いったん、私の仕事部屋を出た後、もう一度戻ってきて、「カレーとかね」と言った。フムフム、それならそうと早く言ってほしいものだ。カレーを食べたいのか、と仕事に一区切りつけて、台所へ。
・田舎風カレーライス
台所に行くと調理台に少し高価な固形カレールー(10皿用)が置いてあった。これを使えと言うことか、と納得。冷蔵庫などをのぞくとネギはなかったがエシャーレットがあった。瞬間それなら和風カレーにしようと決める。まず、大き目の鍋に水を半分くらい入れて、火にかける。隣のガスレンジにはフライパン。和風カレーには、ネギが入ると良いのだが、エシャーレットのほうがもっと良い。
タマネギを1個半用意し、半分は千切り、残りは1.5センチ四方に切る。千切りの部分は溶けて姿がなくなるように、残りはやや形が残る程度になることを狙っている。エシャーレットの白い部分の薄皮むいて3-4ミリの長さに切る。大き目のニンジンを太いほうから半分程度を使って1センチ角くらいに切る。小さめのにんじんならば1本分だろう。シメジが半パック文残っていたのでねこれもほぐす。熱したフライパンにサラダアブラと胡椒を少々入れてこれらをあわせて炒める。タマネギがしんなりしたら鍋に入れる。フライパンは息子が担当する。
ジャガイモ、大きめを4個、大根、葉に近い部分を4センチくらい使って、これらも1センチ角に切る。これらは炒めずに鍋に入れる。同じフライパンに、バターとニンニクを追加して鳥手羽元を炒める。太目のものが12本ある。フライパンの部分は引き続き息子が担当した。手羽元の表皮に焦げ目がついていいにおいがしてきたところで、そのままフライパンの汁ごとザッと鍋にあけてもらう。
ひと煮たちしたところで、カレールーの素を入れてかき混ぜる。
最後にターサイ(中国野菜の一種)を2センチくらいの長さに切って、入れる。小松菜でも良いが、熱が加わったときの緑の濃さは小松菜よりもターサイのほうが優れている。
ルーを小皿とって味を確かめて、ターメリック、カツオだし、醤油、ワインを追加して、もう一度沸騰させて出来上がり。老母には手羽元1本と野菜たっぷりのルーを電子レンジOKの受け渡し用の深い小どんぶりに入れて息子が届ける。所要時間約40分。
われわれは、大皿に暖かいご飯を載せてそれぞれ手羽元2本といい香りのルーを掛けて食する。ネギ系のピリッとする味が気持ちいい。カレーの陰に大根とお醤油の和風の暖かい味がほのかにする。醤油の代わりにソースを少々加えても良いが、今回は純和風にこだわってみた。
奥さんと息子は大満足。お替わりもしてくれた。私もほっとする味に我ながら満足。これならば、老母も十分食べられる味である。
[火曜日(4/03)]
年度始めで、妻は会社の仕事がいそがしい。私も早出が多くて、朝食がなかなか作れない。
愛犬様の散歩を妻が担当して、料理は息子が担当した。
[水曜日(4/04)]
息子が担当した。
[木曜日(4/05)]
朝、息子が担当した。
私と妻は、来客があったので夕方は外食した。
夜、12時くらいに帰宅すると、息子が夕食を食べていないという。連日、食事作りをしていて、ちょっと飽きたらしくこの日は作る気がしないらしい。造り置きの料理も昼に食べてしまったとのこと。息子任せで放りっぱなしだったことをちょっと反省。息子のために、大慌てで一人分の料理を作ることにした。
・シラスと梅ご飯
シラスと梅を混ぜたパックが、冷凍庫で凍っていた。電子レンジで解凍して、塩小さじ1、ミリン大さじ1、調理用の酒大さじ1程度を加えて、良く混ぜて、4合ほど残っていた電気釜に保温されていたご飯の上にそのまま乗せ、再加熱する。加熱中に次の料理を作って出来上がったところでしゃもじで縦に切るように混ぜて出来上がり。酢飯を作るときのヒノキのおひつもあるのだが、この日は夜も遅いので、簡単のために電気釜の中でませてしまった。
・豚肉のリンゴ焼き
ショウガ焼き用の大き目の豚肉が2枚、半端のまま冷凍庫でやはり凍っていた。ちょうど良い。電子レンジで解凍しつつ食品庫を覗くと、リンゴがたくさんある。ちょっとひらめいて、豚肉をリンゴ焼きにしようと決定した。
リンゴ1個の皮を剥いて、薄切りにする。サラダ油を軽く敷いて、リンゴの薄切りを並べて一気に加熱。すばやくリンゴの裏表を返して、全体に透明感が広がったら、調理用のワイン大さじ3、酢(琉球黒酢)大さじ2、三温糖大さじ1をいれ、塩小さじ1と胡椒大目を加えて、沸騰したところに豚肉を2つずつに切って(この場合4つになった)、上に乗せ、汁に浸すように裏表を返す。お肉に火が通ったら最後にシナモンをやや大目に振って完成。お皿にレタスを敷いて、その上にリンゴが豚肉の上下になるように豚肉3枚を並べて息子用にする。1枚は2ミリ幅くらいに切って、小さめの皿にレタスを敷いてリンゴとともに乗せてラップし、翌朝の老母用に冷蔵庫にしまう。オリジナル料理だが、味見すると予期したとおりシナモンの香りがいっぱいで甘スッパイ仕上がりで、食が進むはずである。
息子は、シラス梅ご飯で豚肉のリンゴ焼きを全て平らげた。野菜が足りていないということで、下に敷いたレタスもすっかり食べてしまった。
[金曜日(4/06)]
・シャケのミリン焼き
シャケの切り身を調理用のポリ袋にいれ、スリオロシショウガ、塩小さじ1、ミリン大さじ2を加えて、揉むようにして切り身に調味料を良くまぶす。取り出して、ガスレンジの遠火の細火で焼く。
・八宝菜風の肉団子煮込み
昨夜見た冷凍庫に、ブタひき肉2袋、トリひき肉1袋があったので、これを使って、肉団子にしようと決定。ポンカン2個の皮を剥いたものを4つ切りにして、さらにそれを4つ切りにする。リンゴ1個の皮を剥いて、1.5センチ角くらいの大きさに切る。大根4センチ厚くらいを切りとって、皮を剥いて、1センチ角くらいに切る。大和芋1つを同様に切る。これらを少な目の水を加えたなべに入れて加熱。ここに白菜を1.5センチ角程度に切ったもの、セロリ、にんじんなどアマリ野菜を何でも投入。解凍したブタひき肉2袋、トリひき肉1袋をボウルに取り、水20CC、調理用の酒大さじ1、スリオロシショウガ、塩小さじ1.5、カタクリ大さじ1、ミリン大さじ0.5を加えて、まずは周囲から持ち上げて真ん中に畳み込むように繰り返し、ほぼ具材が混じったら、ボウルの肉の中で掌を泳がすように回転させる。十分な粘りが出てきたら、なべも沸騰し始めているので、ここに団子状にした肉を落としてゆく。我が家の台所では左側に沸騰したナベがある形になるので、右にボウルを置き、右手の大さじで肉をすくい、左手に渡して、左手で軽く丸めて、そのまま沸騰したナベに落としてゆく。左手が丸めている間に、右手で次の肉をすくっている。一人流れ作業である。簡単、スピーディ。ナベをかき回して、肉団子に火が通ったら、塩小さじ2、酢(琉球黒酢)大さじ3、三温糖大さじ2、酒おおさじ2、醤油おおさじ1を加えて、最後にカタクリコでとろみを出す。出来上がり。
老母には、豚肉のリンゴ焼きとシャケのミリン焼き、昨夜作ったシラス梅ご飯を少々を届ける。料理の両が多いので、八宝菜風肉団子煮込みは取り分けて冷蔵庫にしまう。翌日届けることにしよう。
[土曜日(4/07)]
妻は朝から講習会に出席する。何しろ忙しい奥さんである。早朝、私が愛犬様の散歩、帰ってくるなり、妻が出かける支度で玄関にいたので、愛犬様をそのまま愛犬様の定位置である車の助手席に乗せて、妻を後ろ座席に乗せ、最寄の駅まで送る。愛犬様はドライブが大好きだ。るんるん。妻は朝食をファーストフードか何かで済まそうということらしい。
・ヤマイモ納豆
老母が、自分で納豆を買ったが食べきれないと残りを持ってきた。息子の提案で、これを使ってヤマイモ納豆にした。納豆は2パックあった。同量程度の大和芋を目安に切り取って皮を剥いて納豆豆と同じ位に小さくサイの目にする。このサイの目のヤマトイモと納豆をあわせて卵1個を加えて、添付されていたカツオ味のタレを入れてかき混ぜる。あわ立つようにかき混ぜると色合いがキレイである。タレ以上に塩や醤油を加えると足が濃くなりすぎるので、これ以上はなにも加えない。小さなどんぶりと浅立ちのどんぶりに盛り分けて、三つ葉のみじん切りをそれぞれに乗せ、焼き海苔を揉んでそれぞれに振る。簡単出来上がり。
・目玉焼き
息子の好みの半熟目玉焼きにする。休日の朝には、ちょうどいい。
朝食は、久しぶりに息子と二人である。残り物の八宝菜風の肉団子煮込み、目玉焼き、ヤマイモ納豆と炊き立ての白いご飯、ちょっと会話も弾んだ。
老母には、取り分けておいた八宝菜風の肉団子煮込みとヤマイモ納豆を届けた。
昼は、これから始まる大学の講義の準備に没頭した。夕方、私は明治大学の情報コミュニケーション学部の授業担当者懇談会に出席した。30分も遅れて到着したので、食べ物はすでに何もなかった。ワインだけはいただいて、顔見知りのかたがたと歓談する。お開きになって、空腹のまま帰宅途中、自宅に電話すると妻はハードなカウンセリング実習を終日やって、やっと帰宅したところでヘロヘロだという。息子も妻も食事していないという。やれやれ、「帰ったら、うどんを作る」と予告して、帰路を急ぐ。途中のコンビニでうどん玉を買う。とにかく、手早く作れるものにしなければ、みなの空腹をすぐに満たすことはできない。
・スピードうどん
焼きカシワうどん、というほうが近いかもしれない。大ナベに半分くらいの水をいれ、カツオだし、昆布だし、ミリン大さじ2で汁を作る。トリ胸ニクが冷凍されていたので、解凍して一口大に切る。調理用のポリ袋に入れて、スリオロシショウガとミリンと塩小さじ1を加えて揉み、お皿に並べて電子レンジの「煮物」でチン。「煮物」メモリで加熱するとこげずにいい具合に火が通る。レンジ加熱中に、別の小なべに大ナベの汁をお玉で2杯ほど取り分けて、ミリン大さじ2、薄口醤油おおさじ2、三温糖大さじ1を追加し沸騰させる。小なべのほうに、油揚げを2つ切りにしてさらに三角に切ったものを入れる。ひと煮立ちしたところで皿にとる。続いて、小松菜を3センチくらいに切って、同じ小ナベでひとに立ちさせる。これも、皿に取っておく。小ナベの残りの汁は大ナベに加える。油揚げと小松菜の味と香りが大ナベに移る。そうこうする内に、大ナベが沸騰してきたので、うどん玉をを放り込む。電子レンジのチンという音がする。トリニクを取り出して、どんぶりも調理台に並べる。さて、調理の佳境である盛り付けが始まる。全ての動作がスポーツ感覚である。うどんを大ナベから、3つのどんぶりに取り出す。量が均等になるように、オヤジとしては気を使う。大ナベの汁をどんぶりに追加して、取り出しておいた油揚げ、小松菜、トリニクをどんぶりの上に盛り付ける。色鮮やか。うまそうに見える。所要時間25分。食すると空腹のせいか、結構おいしかった。難点はトリニクの出汁が出ていないことだろうか。しかし、さっぱり味に仕上がっているということもいえる。息子が、「具を別に煮るなんて、なかなかやるじゃん」とほめてくれた。
大ナベの汁と、うどん玉、別に調理した具は、一人分取り分けて冷蔵庫においた。明日、暖かい状態で、老母に届ける予定である。
[日曜日(4/08)]
・車麩の味噌汁
カツオだしと昆布だしで沸騰した鍋に、白菜2枚分の千切り、もやし一掴み、を加えて、車麩を4個いれる。煮立つ前に、一人分は老母のために取り分けておく。車麩は大きい。普通の汁椀では入らない。煮立ったところで、大き目の塗りの椀(我が家では雑煮などに使う)に入れて、三つ葉のミジン切りを散らして食卓におく。しっかりした麩なので、噛み心地がよく、味噌味がしみていて、実にうまい。
この日の朝、私が作ったのはこれだけである。実は、昨日、うどん玉と一緒に買い込んできたお弁当を温めて、この味噌汁と一緒に食べた。日曜の朝はのんびりしたいと言う怠け心の結果である。
今日は、私の亡父の元部下たちが、老母の家にやってくる。昭和21年生まれの皆さんということである。今年の3月で定年を迎えた。亡父の仏前に退職を報告するためという。私と同年の人たちで、父にとっては、校長として最後の部下たちになるのである。
10時半ころ、見覚えのある方たちがやってきた。父が最後に奉職した松戸市立矢切小学校の当時の教師の皆さんである。関口先生や芦田先生(旧姓大木先生)ら男性ばかり3名の方々であった。当時は元気のいい先生たちで、父はこれらの先生方と交わっているのがうれしくてたまらないという風だった。自宅にもよく来て勉強会をやったり飲んで大声で議論していたりしていたので、老母も良く覚えている。私の妻は、茶菓を用意して接客かかり、私は亡父の代わりにお話で応対することになった。
まずは皆さんが父の仏壇におまいりして、ひとしきり歓談した。関口先生からは、当時の皆さんの写真などもいただいて、老母も感激の面持ちだった。
昼近くになって、別の訪問先もあるとの言葉を残して皆さんは退席された。父の小物入れに残っていたという未開封のポリ袋に入っていたハンカチーフを各自に形見分けではないが差し上げた。老母にとっては久しぶりのにぎやかな時間だっただろう。皆さんが引き上げた後、少し疲れた様子だった。老母は、私と妻と一緒に、残った茶菓子をつまんで、お茶をすすった。
あとかたずけを妻に頼んで、私は自宅に戻ると昨日残しておいた材料を使って、一人分の暖かいうどんを作る。今朝の車麩の味噌汁を電子レンジで熱くして、三つ葉のミジンを散らして、息子に持たせる。
以下は、わが家族の昼ごはんである。
・シメジと卵散らしのお吸い物
うどんのタレを活用して、大根の千切り、白菜の千切りを入れ、残った鶏肉とシメジを加えて沸騰させ、最後に溶き卵を散らして出来上がり。立派な一品である。
・豚肉ブロックの塩ゆで、ユズ味噌掛け
うどんやお吸い物を調理している横に別の大き目の鍋で豚肉ブロックを塩ゆでにした。
小鍋に豚肉を煮ている鍋から茹で汁をお玉に3杯ほど取り分ける。ここに、最後に収穫したユズ2個の皮を剥いて千切りにし、実は絞って汁のすべてをナベに入れる。スリオロシしょうが大さじ3、ミリン大さじ2、三温糖大さじ1、味噌(仙台味噌)大さじ4、酢(さっぱり系の穀物酢)大さじ4を加えて、溶かしながら沸騰させる。最後に片栗粉でとろみをつける。ユズ味噌の出来上がりである。
茹で上がった豚肉ブロックをナベから取り出して、薄切りにする。薄切り3-4枚を取り分けて、さらに千切りにする。残りは大皿に盛って、ユズ味噌をかけて食卓へ。千切りにした茹で豚は小どんぶりに入れてユズ味噌をかけて冷蔵庫に取り分けておく。老母用である。
3人で昼食を済ませると、私はスタッフが出社しているオフィスに向かった。
[月曜日(4/09)]
前夜、妻がタケノコの甘酢煮とホウレンソウの卵とじを作っていた。
私はこの日は人里はなれた地球観測センタへに出向く予定があり、朝から忙しかった。私は、前日作ったユズ味噌を利用して、ラム肉のユズ味噌焼きを作った。
・ラム肉の酢味噌焼き
フライパンにサラダ油を入れて加熱し、ラム肉を入れる。両面を軽く炒めて白っぽくなったら、残っていた昨日のユズ味噌100CCくらいを入れ、よく返しながら、味噌が少しこげるように香ばしいにおいがしてきたら、火をとめる。ユズ味噌だけでは味にアキが着ていることとラムの生臭さが完全には消えないので、胡椒を多めに振る。老母用には、1切れをマナイタにとって、千切りにして個どんぶりに盛り胡椒を振って冷蔵庫にしまう。
・タケノコとカツオブシのご飯
息子がお米の白いご飯に飽きたと言うので、甘酢煮にしてしまったタケノコの一掴みを短冊に切る。大根も同じくらいの量を同じように短冊に切る。花カツオ2掴みくらいを加えて、昆布だし適当とミリン大匙2、醤油大匙2、酢(琉球黒酢)大匙2を加えて、電子レンジの「煮物」でチン、電気がまの白いご飯の上にあけて再加熱をして、しゃもじで具ごと湖畔を切るようにして混ぜる。
老母には、このタケノコご飯と昨日作った煮豚のユズ味噌掛け、妻の作ったタケノコの甘酢煮とホウレンソウの卵とじを届けた。
[火曜日(4/10)]
本日より、大学の講義が始まる。忙しい朝である。
・身欠きニシン
圧力釜で昨日仕掛けておいたもの。大き目の身欠きニシン3本があったので、2つずつに切って、圧力釜のそこに並べる、水150CCくらい、昆布だし少々、酒大匙2、ミリン大匙2、スリオロシショウガ適当量、三温糖大匙3を入れる。圧力鍋のフタを締めて、強火にして圧力調整便が左右に触れるようになったら、ごく弱火にして、15-20分。火を止めて、冷えたら、取り出す。
老母には、昨日つくり置いたラム肉のユズ味噌焼きと身欠きニシンを届けた。
-------------------------------------

(つづく)

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琵琶

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世界は変わる、OSS(オープンソースソフトウェア)、ネットコミュニティ、ネット共和国--感性的研究生活(19)

2007/04/06
世界は変わる、OSS(オープンソースソフトウェア)、ネットコミュニティ、ネット共和国--感性的研究生活(19)

3月31日(先週の土曜日)、水道橋の会場で、次のように第51回SH情報文化研究会が開かれた。

第51回SH情報文化研究会………………………………………………◆
「世界はネット共和国を目指す」
【日時】3月31日(土) 14:30~17:30
【場所】貸教室・貸会議室 内海 http://www.kaigishitsu.co.jp/access.htm
【発表内容】
飯箸泰宏(サイエンスハウスほか) 「世界が向かう先~情報システムの課題~」
藤原博文(タイムインターメディア) 「OSSの利用からOSSの自主研究開発まで」
森素樹(NECソフト) 「OSSコミュニティへの参画 ~JALCEDOプロジェクトの例~」
【懇親会】18:00~ 会場 近く居酒屋にて

研究会会費 無料(いつも無料)
懇親会会費 実費3000円くらい(学生半額) 発表者は無料。
最寄り駅 「JR水道橋駅」
初めて参加される方は、事前にご連絡ください。
連絡先 :systems@sciencehouse.co.jp
……………………………………………………………………………◆
会場は初めて借りたところである。建物は古いが、長く予備校として使われていた教室の空き時間を貸し出しているものらしい。電源とネット環境、プロジェクタなどの点では問題がない。
年度末ぎりぎりの日で、しかもサクラ満開のピークの週末と重なって参加者は多くはなかったが、内容は大変濃いものだった。
最初の演者飯箸泰宏氏は、荒唐無稽になる恐れを断りながら、未来予測を語った。人類史の大局観にたっての話で、これでもかこれでもかとその理由が明かされる。およそ30年後に迫り来る地球国家または人類社会の必然性と、その途中段階でのネット共和国の時代という解説があった。グーグルの幹部がビジネスの向かうところをこのネット共和国においているのだという具合に考えれば納得の行く説明だった。
講演の最後に、オープンソースソフトウエア(OSS)は、基本的にはボランティアSEたちによる労力奉仕によって作られる社会的インフラであるとの説明があった。昔はその土地の人々の労力奉仕(道普請など)で社会的インフラは整備されたが今は国民国家がこの社会的インフラのコストを担っている、OSSも今は労力奉仕によって成立しているが、やがてくる地球国家または人類社会がそのコストを負担するようになるに違いないと述べた。なるほど、OSSは基本的には社会的インフラたるべきもので構成されていて、しかも受益者は国家の枠を超えているのだから、国民国家もコスト負担をしないという事実をよく説明している。国民国家を超えた世界政府というものができるすればその政府がコストを負担することになるはずだが、いまだそのようなもの(地球国家、世界政府、人類社会など)がない以上は道普請ならぬOSSボランティアでやっているのだ、ということになる。
続く演者は、藤原博文氏である。今は株式会社タイムインターメディアの常務さんだが、10年以上前のこと、「藤原博文の館」というホームページで、優良企業のホームページの欠点を遠慮なくしかも的確にばっさりと切り捨てる怖い存在だった。また別名JAVAの神様とも言われており、JAVAに関する国際会議には日本を代表して出席するような人だった。今は「数独」の陰の仕掛け人としてテレビ出演することが多くなっている有名人である。かれは、自分の会社がどのようにOSSにかかわっているのかを順次説明した。OSSの利用者としても、開発者としても参加していることを説明した。実際にいくつもの実用的なOSSを開発しており、現実に使用されている実態を説明した。OSSでは開発の直接的対価が支払われないので、なぜ私企業がOSSに取り組むのかと言う事情についても説明があった。まず、このことによって良い人材が集まってくる、企業が評判を勝ち得る、他社との差別化がはかれて競争優位に立てるということのようであった。
参考:
タイムインターメディアのOSSについての取り組み
・OSS WEB|Zope Solution
第三の演者は、株式会社NECソフトの森素樹マネージャである。かれはJALCEDOというプロジェクトチームの一員としてリッチクライアントシステム向きのEclipseのプラグインを開発している。最初講演をお願いした時には、JALCEDOの紹介をしてくださるということになっていたが、藤原氏の発表内容の予告を知って、急遽、OSSコミュニティに参加することの意義や苦労などについてお話してくださることになった。まず、なぜNECグループがお金にもならない(かも知れない)OSSに取り組むことになったかという経緯の説明があった。OSSを利用するだけでは、ユーザから運用保守の責任を期待されているSIとしては対応できないことが多い、利用しているOSSを修正できるだけの権限を持たなければならない、しかもOSS全体のコミュニティでは利用するだけのユーザは嫌われる、貢献しないと支援も得られないという雰囲気がある、からであるとの説明があった。なるほど、である。Eclipseというのは、JAVAの開発環境で、もともとはIBMがOSSコミュニティに提供したものである。IBMは自分でも人的・資金的コストを提供するものの、多くはコミュニティの膨大な人的資源の恩恵を受け、高度で快適な開発環境を廉価に手に入れることができるという利益を受けている。Eclipseのコミュニティは急速に拡大しているが、ここに関与できる人になるためにはこのコミュニティに貢献をして多くの関係者に認められなければならない、ということである。そのあたりのコミュニティの空気を読むことが大変重要であり、大変な苦労もしたと言うことだった。おかげで、今年3月には、サーバベースの簡易型のデータベースのモジュールをEclipseの環境に追加することが認められ(未確認)、6月のEclipse新バージョンに同梱される手はずになっていると言うことであった。EclipseのコミュニティはOSSコミュニティの一つだが、他のコミュニティでも同様のことが多いに違いない。
参考:
・学生の皆様へのご紹介(プロジェクト紹介)
http://necsoft.saiyo.jp/2008/project/04_1.html
・正式公開サイト
・プロジェクトサイト
・アップデートサイト
・ユーザガイド
・問合せ
さて、SH情報文化研究会の後の懇親会は会場近くの庄屋にふらりと入って行うことになった。相変わらずにぎやかに進んだ。参加者の一人が焼酎を1ボトル1本をほぼ一人であけてしまったが、森氏も藤原氏もお酒が強い。OSSに関連して取り組んでいる事柄が似ていることもあってお二人の会話は尽きない。ボトル1本あけた御仁は画家にしてデザイナなので、畑は違うが、未来社会のことになると過激な議論が口をついてくる。はじめの講演に触れられていた人類史に刺激されて日本の民俗史や風俗史にも話題は及ぶ。画家にしてデザイナさんはここぞとばかりに口から泡を飛ばして自説を主張する。と言って、他人を邪魔する風でもないので、たいへん明るくてよい酔人だった。
議論の熱さめぬうちだったが、最後はおにぎりやお茶漬けで締めて、散会となった。
懇親会まで内容が濃かったのは、久しぶりかも知れない。次回はもっと参加者が増えるように主催者である私は心に誓った。

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人生に詩歌あり、絵画あり、筆あり、声あり、魂あり。--人生に詩歌あり(1)

2007/04/04
人生に詩歌あり、絵画あり、筆あり、声あり、魂あり。--人生に詩歌あり(1)

世の評価に従えば、私は理系である。
しかし、自分を観察するに、理系や文系という区別はないように感ずる。
成長が遅いのか、世に擦れていないのか、情念と熱中は少年のように私を襲う。好奇心も去りがたい。
何よりも人が好き、家族が好き、人との付き合いが好き、社会が好き、自然が好き、動物が好き、植物が好き、地球が好き、宇宙が好き、・・・。
幼年のころ、絵描きを目指した。
少年のころ、文学を夢見た。2つの同人誌に属して、連載小説と詩と歌を書き続けた。
青年のころ、科学を志して人類の行く末を案じた。
成人して理工系専門出版社で取材・執筆・編集・制作に寝食を忘れた。
壮年のころ、アルゴリズムの魔力に取り付かれた。
会社の経営は26年間続けてきた。
教壇に立つこと25年、教え子は3000人~4000人になるだろう。
緊張と弛緩、理詰めと情動、損得と情け、教鞭と学習、共存し沸騰する様々なことたち、・・・。
ふと、今でも、意識のかなたから湧き上がるように詩歌が脳裏に浮かぶ。それはいつも突然のことである。
自宅に帰ったら書き留めて置こうと思っても、ほとんど忘れてしまう。
このブログには、忘れる前にと、あわてて書き留めたものが幾つかある。
私の中で、詩歌は、科学を志したときを境に、40年以上、長く封印してきたものだった。心に浮かぶと、いかんいかん、とクビを振って忘れるようにしてきた。父の3回忌の日、その重石は取れていた。理由は、自分の心に尋ねても定かではない。自分らしく生きよ、と亡父がささやいたのかも知れない。
うまい下手は、どんなに言われようと、一向に気にしない。
私の歌だから。

3回忌--交友の記録(6)から
2005/05/01 牡丹花、父の丹精、子ら拝む。
2005/05/03 義母の墓、頭を垂れて、つづじ花。

夜明けの散歩、巨大犬との遭遇--我が家の愛犬様(9)から
2005/12/11 朝陽注ぐ、ジジヒゲの凍てつくや、蘇る。

社会と情報システムの今後、世界はネット共和国を目指す--感性的研究生活(18)から
2007/03/17 山陰(やまかげ)に、草木もとける、春の風。
         (朝、大阪に向かう車窓から、静岡あたり)
2007/03/17 陽炎(かげろう)に、段々畑の、空高く。
         (昼、大阪に向かう車窓から、関が原あたり)
2007/03/18 話終えて、春初雪(はるはつゆき)の、富士を見ゆ。
         (昼近く、東京に向かう車窓から、静岡あたり)

妻の心の支えと私の老母の出会い、美術文化展--交友の記録(14)から
2007/03/26 輝いて、公園口を語りすぎる、振袖あでやか、はかまりりしく。
2007/03/26 遠路来て、老いたる母に老画家は、妻の母を語る、濃尾の流景。
2007/03/26 たまに来て、上野の花の早咲きに、歌碑ゆらいのふみ、老母聴く。

オーレッ!!、名誉教授の数学談義とフラメンコ--交友の記録(15)
季語なし。
2007/03/26 ダンサーの あどけき顔立ち 母に似て。
2007/03/26 学問を 窮めてなおの 思い沸き。
2007/03/26 踊り子や 歌声、弦音 躍動、足打ち 知性渙発の夜の 燃えるオーレィ。

琵琶

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オーレッ!!、名誉教授の数学談義とフラメンコ--交友の記録(15)

2007/04/02
オーレッ!!、名誉教授の数学談義とフラメンコ--交友の記録(15)

3月30日(金)、徳島大学の数学の名誉教授伊東由文先生がわが社までやってきた。わが社にいらっしゃったのはこれで2回目である。一度目は平成5年2月だったので、14年ぶりである。
わが社は、伝統あるシステムハウスなのだが、理工系の出版も設立当初から手がけている。実は、この日の2日前の3月28日に新刊書--伊東由文著、「複素解析学」、サイエンスハウス(2007)--が刊行された。絶妙のタイミングである。出版打ち上げをかねて、当社と姉妹会社の編集プロダクションの社長も呼んだ。
伊東先生は、学会への出席のついでに当社にこられるというのである。17時頃来社の予定だったが、15時をやや超えたとき、私の携帯電話が鳴った。先生はすでに最寄の駅にいらっしゃるとのこと、地図もお持ちのようだったが、一度いらっしゃった場所とはいえ昔のことなので迷われると大変なのでお迎えに駅まで参上した。
14年前よりもずいぶんとふっくらとお元気そうなお顔になっていた。かく言う私の太り方は先生以上だ。駅に到着しても先生は私のことに気づかない。私ではない初老の老人に迎えの人かと聞いていた。私はあわてて、「伊東先生! 私です!」と声を張り上げる。
会った瞬間から、もう数学のお話である。発刊になったばかりの「複素解析学」は、通常の本のように"解析学のついで"あるいは"解析学の付録"のようなものではなく、まずは複素数の定義から説き起こすもので、解析学と並列同等の扱いをしていること、少し前に刊行した「新量子論Ⅰ」は量子論から神秘のベールを剥ぎ取ったもので、人間の主観を離れても物理現象は物理現象として存在するということを数学的見地から明らかにしていることなどを淡々とした語り口であふれるように口をついてくる。当社に向かって歩くのももどかしい。内容の深い部分は私に理解をはるかに超えているが、先生の心意気は十分伝わってくる。湯川氏や朝永氏のレベルではなく、アインシュタインやマクスウェルの仕事と同等の高みで仕事をされてきた方である。学会主流からは外れているという理由だけでその世界で十分な重きを置かれていないのが誠に歯がゆい。
わが社から出版した伊東先生の数学の本は多い。
・解析学上
・解析学下
・解析学の基礎
・数理統計学
・算術の公理
・量子力学の数学的原理新理論
・測度論・積分論
・新量子論Ⅰ
・複素解析学
いずれも数学の歴史を塗り替えようというようなきわめてラディカルな内容である。それでいて、学部学生が読んで実にわかりやすく納得しやすい書き方になっている。これは、伝統的な数学のテキストが、古い説明のしかたを踏襲して換骨奪胎しつつ複製されてきたために、ごたごたとしていて、わかりにくくなっていることの裏返しでもある。古い説明のしかたをすっぱりとやめて、新しい時代の知見や自ら確立した理論を取り入れて数学的真理を系統的に説明すれば、すっきりとわかりやすくなる。出版責任者の手前味噌かもしれないが、どの本もそんな素敵な本である。
論理の世界の統一性だけを追及するような学問に、見えている事物はあまりに少ない。見えている限度の外に広がる広大な自然と接する中に、人間には未解決の問題が、人間が知っていることをはるかに超えて存在する。これらの人の外にある物質界と論理の整合性を考慮しない学問に何の価値もない、とさらりと言ってのけるあたりは小気味がいい。うかがっていると難しくて分からないところは(当たり前に)やはり分からないのだが、現代の理工学の世界では懐疑主義や神秘主義が幅を利かせていて、カルトにその軒先どころか母屋まで明け渡しているような論説が多いことを常々苦々しく思っている私などはうれしくて仕方がない。
社に到着して3時間近くがあっという間に過ぎたころ、当社の姉妹会社(有)東行社の古友孝兒社長が到着した。彼は早稲田大学教育学部の数学専攻だったので、数学は私よりは専門に近い。最近の伊東先生のご本の編集はもっぱら彼が担当している。来るなり彼も加わって数学談義である。さてさて、時間も良いころあいなので、一緒に打ち上げ会場に向かう。スタッフが忙しくしているのを横目にごめんと心の中で言いつつ、常務(私の家内)も連れ立って会社を出る。前回はフランス料理のお店に行った覚えがあるが、今回向かったところは最寄り駅の近くのスペインレストラン「アルハンブラ」で、今日はなんとフラメンコダンスショーが予定されていた。
スペインの少し酸味の強い白ワインを頼んで、スペイン料理のコースを選んだ。舞台から見ると我々の席は一番後ろだが、一段と高くなっているのでショーの舞台は良く見える。料理は、料理ごとに大皿で人数分一緒に盛られて出てくるので、それぞれの小皿に盛り分けてゆく。テーブルを囲む一人一人が順繰りに大皿から取り皿に移すその手わざが人々の親近感をいっそう増してゆく。
フラメンコショーが始まる。もう、圧倒され続けた。第一回のショーには12歳の少女が舞台に上がった。3歳のときからフラメンコを踊っているそうである。完璧な踊りで、場内を圧倒する。スペインで開かれれる国際コンクールにも毎年参加しているのだそうだ。フラメンコ界の浅田真央だね、とは家内の感想である。フラメンコギター、フラメンコのボーカルが踊りを盛り上げる。ギターもボーカルも世界的水準の人らしい。4人の大人の女性ダンサーたちと男性ダンサー一人が次々に踊る。曲目が変わり、激しく歓喜し、激しく嘆く。手拍子とダンサーが打ち鳴らす靴の音が会場を埋め尽くす。オーレーッ!!、・・・オーレーッ!!。
伊東先生は、それでも数学談義が止まらない。私の耳に口を寄せて、これからの研究の方向性、脱稿したい本のお話などを話し続ける。私の心は、半分オーレッ!!に奪われながら、先生のお話にも耳を傾ける。
よく見ると、踊っている12歳の少女のあどけない顔立ちに見覚えがあった。女性オーナーの顔立ちそっくりである。あぁ、このお店の女性オーナーのお嬢さんなのだ! 私には納得がいった。レストランのフロアには接客をしているたくさんの男性陣に混じって品の良い若い女性がいる。この方も12歳のダンサーとそっくりの顔立ちである。どう見ても姉妹だろうと思われた。オーナーのお嬢さんたちに違いない。フロアで立ち働く姉と思われる女性に聞いてみようかと思ったが、忙しそうなので遠慮した。36-7年前はじめて私がこのお店を訪れたとき、亡くなった先代のオーナーであるお父さんがいた。この方にはお嬢さんがいて、当時は高校生くらいだった。夕飯を食べによくこのお店にやってきていた。お父さんが若くして亡くなると、そのお嬢さんが大学に通いながら店を切り盛りしていた。この頃、彼女を助けていた店のシェフ(スペイン系の男性)とやがて結婚して、その後はご夫婦がそろって店を切り盛りしていた。その彼女の顔立ちとそっくりなのだ。この子供たちがおそらくこのお店の跡を継ぐのだろう。うらやましいことだ。
ショーの合間は1時間、その間も伊東先生の数学談義が続く。場内が少し静かになっので、伊東先生を中心に私と古友氏の3人で話が進む。家内は、お話が高尚過ぎると言って、お酌の役に回っていた。
また第二回目のショーが始まった。時間も遅くなったからだろう。今度は12歳のダンサーは舞台に上がらない。舞台を降りてソデの位置で手拍子で参加している。よく見ると、近くの席では小学生くらいの女の子たちが4-5人親に連れられてきていて、舞台と一緒に踊っている。実はこの周辺にはフラメンコダンス教室がたくさんある。舞台のダンサーたちも大半がそれらの教室に所属している先生たちでもある。小学生くらいの女の子たちはそのような教室の生徒たちなのだろう。教室の先生であるダンサーの晴れ舞台をこの生徒たちが見に来ていたのである。ほほえましくも頼もしい。身振りはまだ頼りないがリズムはしっかり踏んでいる。ショーの途中に、お店の従業員が店の制服のままドラマーとして舞台に上がるパフォーマンスもあった。迫力満点の演奏である。ウェイターは仮の姿で、実はプロのドラマーに違いない。ここは東京芸大に近くて、絵描きも多いが音楽家も多い土地柄である。伊東先生も2度目のショーには目も耳も釘付けになっている。
伊東先生のホテルは遠い。早めに戻りたいということなので、ショーの途中で、目立たないように席を立って、出口に向かった。通りすがりに、男性ばかりのフロアー係に混じっていた唯一の女性に、「オーナーさんのお嬢さんですか」と思い切って聞いてみた。「えっ、はい、店長の娘です」ということだった。やはり私の予想は当たっていた。怪訝な顔をしているので、「お顔立ちがそっくりですね」と言い残して、しつこくならないようにさっさと通り過ぎた。
先生も、たいへんご機嫌でお店を出てこられた。
すばらしい時間をすごすことができた。
私は伊東先生のこれからの活躍、古友氏のお仕事の発展を心の中で祈り、みなはまたお会いできることを口々に言いながら散会した。

季語なし。
ダンサーの あどけき顔立ち 母に似て。
学問を 窮めてなおの 思い沸き。
踊り子や 歌声、弦音 躍動、足打ち 知性渙発の夜の 燃えるオーレィ。

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