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"一人にしない" を政府も、高市少子化相「国民生活白書」--心理、教育、社会性の発達(40)

2007/06/27
"一人にしない" を政府も、高市少子化相「国民生活白書」--心理、教育、社会性の発達(40)

私は、長く"一人にしない"を訴えてきた。

2006.01.01
「"一人にしない" 情報コミュニケーションシステム」へ、新春に思う--社長の条件(18)
2006.01.26
一人にしない教育者と、一人にしない教育を--感性的研究生活(6)

私がおおやけにこのことを言い始めてから1年半を経て、政府も同じようなことを言い始めたようだ。
私のブログの記事、特に「心理、教育、社会性の発達」には、文部科学省や厚生労働省内からのアクセスがしばしば確認されている。ご関心を持っていただいているようである。その上、「社会性の発達」を教育改革の議論の俎上に乗せていただいたりもしている。まことにありがたいことと感謝している。
昨日のヤフーニュース(読売新聞)によれば、昨日の閣議に高市早苗少子化対策相から「国民生活白書」が提出され、その内容は、薄れる「人のつながり」に警鐘を鳴らすものであるとのこと。まだ国民生活白書を仔細には読んでいないので、正確なことは申し上げられないが、私の記事と重なる内容がそれなりに盛り込まれているものと期待される。
おそらく、私と白書の基本的な違いは、人類史的最適化の考え方と当面の政策期間での国民ウケを狙ったものの違いであろう。私は社会の全体的最適化と個別の最適化はしばしば対立することもあるという点に配慮をしているが、後者は個別のまたは個人の最適化を最優先する考えに傾いている。これは時代的制約というべきもので、ある程度はやむを得ないだろう。しかし、歴史的問題箇所についての認識はほぼ共通しており、出されている結論の多くも一致しているように思う。

(例)6月26日ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070626-00000102-yom-pol
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薄れる「人のつながり」に警鐘…国民生活白書
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6月26日11時7分配信 読売新聞
高市少子化相は26日午前の閣議に、「つながりが築く豊かな国民生活」と題した2007年版の国民生活白書を提出した。
今回で50回目となる白書は、家族、地域、職場という3つの「場」での人の「つながり」に焦点を当て、個人や社会に与える影響を分析した。長時間労働やIT(情報技術)化などで、いずれの場でも人間関係が希薄化し、個人の精神的不安定、家庭でのしつけ不足、地域の防犯機能や企業の人材育成能力の低下など、経済・社会に深刻な影響を与えると警鐘を鳴らしている。
家族に関して、小中学生の子供を持つ主婦に、平日に家族全員がそろう時間の平均を尋ねた調査(05年)では、最も多かったのが「0~2時間台(0を除く)」の44・5%で、次に「3~5時間台」の42・8%だった。「なし」も4・7%あった。1985年の調査では「0~2時間台(同)」が39・4%、「3~5時間台」が54・2%、「なし」は2・7%で、家族全員で過ごす時間の減少が浮き彫りになった。
最終更新:6月26日11時7分
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私のささやかな発言が、いくらかでも世の退行を押しとどめ、進歩改善に役立っているのであれば、望外の喜びである。
関係者の皆様に、この記事を通じて感謝申し上げたい。

なお、平成19年度の国民生活白書は、ネットで見ることが出来る。

平成19年版「国民生活白書」、"つながりが築く豊かな国民生活(要旨)"
平成19年版「国民生活白書」、"つながりが築く豊かな国民生活(全文)"

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琵琶


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懐かしき顔、懐かしき歌、中学の同窓会--交友の記録(17)

2007/06/25
懐かしき顔、懐かしき歌、中学の同窓会--交友の記録(17)

6月23日(土)、私は大学での講義を終えると、電車に乗ってある会場に向かった。
この日は、中学の同窓会があった。
かねて、幹事会も何度か開かれたらしいが、途中までその動きは知らなかった。途中で「あいつも仲間に入れよう」と言い出す者がいて、私も呼ばれるようになった。なにしろ、私は当時生徒会長だったのだから、呼びかけ人からはずすわけにはいかんだろうというということになったようだ。私は、地元の付き合いが他の人たちよりも薄い。多くの同級生は農家や商家を継いだり、地元に就職したりしたものである。私は、高校のときから都内に出て、そのまま活動の場所も都内になってしまった。勢い、地元のスナックでの会合は、地元組だけで盛り上がってしまう。私は、途中で思い出していただけただけでも御の字と、いそいそとその会合に通った。
この日、私は風引きで、頭がはっきりしなかった。駅からワンメータのところにある会場のはずなのに、タクシーの運転手さんには指示を間違えた。うろうろと探し回って、最後は到着したのだが、メータは4000円にもなっていた。
会はすでに盛り上がっていて、自分の席に向かう途中、いろいろな人から声がかかる。男性たちは、今までも何度か会う機会があったので、ほとんど顔がわかるが、女性陣は、45年ぶりの人も多くて、まったくどなたかわからない人が多い。
自分の席にたどり着いて、同じクラスだった面々と再会を喜んでいるうちに、次々に女性たちがやってくる。Oさん、Fさん、Hさん、A1さん、A2さん、Yさん、Kさん、・・・。みな、昔のマドンナたちである。なんと私を覚えてくれていたのである。小学校のときの通学路を行きも帰りも一緒に歩いた男の子も女の子も、おじさん、おばさんになって、私の周囲に人の輪ができる。子供何人? 子供たちはどこに勤めた? 孫が4人居る! など、爺婆の普通の話題である。中学で同じ部活をした仲間たちもやってくる。同じ高校に進学した同級生もやってくる。地元でITボランティアをやっている同級生(女性)が、実は、私がやっているボランティア団体(学術の森)のホームページとすでに相互リンクしているのだと打ち明けた。「あの時、メールをやり取りしたのは私よ」と、言われておどおどとするばかり、あぁ、そうだったのか、だって姓も違うし、まさかと思ったよと私。
プログラムが進んで、昔の「学校賛歌」(当時はまだ校歌がなかった)を、歌手の経験もある同級の女性たちの歌唱指導で、思い出しつつ、大声で歌い上げる。
司会役のO君が、私の名前を告げて、中締めの挨拶をしてもらうというのだ。おっと、もうそんな時間なのかと驚きながら、壇上に上がる。司会者がなにやら私のことを紹介している。「システムハウスの経営者で、大学でも教えている~~」、・・・、私は、途中で司会を制して、「生徒会長の、××で~すっ」と名前を告げる。その頃よりもかなり太っているので、それまでは私とは分からなかった人も居たようである。「懐かしい歌、懐かしい顔、とてもうれしい~」というと、みな立ち上がって手を突き上げワーンと音がホールいっぱいに充満した。「5年後、もう一度、同窓会をやる予定なので、みな元気ですごして、また再会しよう。終わりっ」と言って、私の中締めは終わった。
壇上を降りると、また会場の遠くから駆け寄ってくる人が居る。一人、二人、・・・、ただただ、手を握って、再会を喜んだ。こんなとき、言葉なんか要らない。何十年も経て、再会できたというだけで、ひとはこんなにもうれしいのだと実感して、2次会に向かうマイクロバスを横目で見ながら、私だけは帰途についた。風邪引きなので、夜明けまで飲むに違いない2次会にはとても付き合えない。バスからは、たくさんの人たちが手を振ってくれた。「また、会えるさ」と私は自分に言い聞かせて、足を速めた。

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琵琶


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Karettaに、さらに私のブログの2つのシリーズが追加エントリされている--その他、シリーズ外の記事

2007/06/22
Karettaに、さらに私のブログの2つのシリーズが追加エントリされている--その他、シリーズ外の記事

前回の記事では、次の3つの記事が(株)タイムインターメディアが主催しているボランティアサイトKarettaに採用されていることを書いた。

1)「社長の条件」シリーズ(Karetta版)
 「社長の条件」シリーズ(原版一覧)
2)「心理、教育、社会性の発達」シリーズ(Karetta版)
 「心理、教育、社会性の発達」シリーズ(原版一覧)
3)「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズ(Karetta版)
 「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズ(原版一覧)

今回、気づいてみると、さらに2つの記事が追加されている。

4)「妻が、車に撥ねられる」シリーズ(Karetta版)
 「妻が、車に撥ねられる」シリーズ(原版一覧)
5)「我が家の愛犬様」シリーズ(Karetta版)
 「我が家の愛犬様」シリーズ(原版一覧)

Karettaに掲載されているこのブログのシリーズをまとめて書くと以下のとおりである。
1)「社長の条件」シリーズ(Karetta版)
 「社長の条件」シリーズ(原版一覧)
2)「心理、教育、社会性の発達」シリーズ(Karetta版)
 「心理、教育、社会性の発達」シリーズ(原版一覧)
3)「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズ(Karetta版)
 「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズ(原版一覧)
4)「妻が、車に撥ねられる」シリーズ(Karetta版)
 「妻が、車に撥ねられる」シリーズ(原版一覧)
5)「我が家の愛犬様」シリーズ(Karetta版)
 「我が家の愛犬様」シリーズ(原版一覧)

Karetta版の記事のアクセス数はカウントされていて、カウント数が多いと何かいいことがあるらしい。特に謝礼は出ませんが、ちょっくちょくアクセスしていただければ幸いである。(^-^)
なぜ、ここに掲載されたのかは、かなりなぞだが、前回同様、掲載を勧めてくれた方がいて、掲載の手間を全て引き受けてくれたご奇特な方がいた、ということである。

どうやら、「我が家の愛犬様」シリーズは、開発テストツール業界のさる著名人が推薦してくれたらしい。彼はたいへんな猫好きである。いや、猫が彼を慕うらしい。猫紳士が、なぜ愛犬の記事に注目しているのか、これもなぞといえばなぞである。

琵琶


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次の激動再編へ、IBM関係者らも一部表明--情報社会学、予見と戦略(11)

2007/06/21
次の激動再編へ、IBM関係者らも一部表明--情報社会学、予見と戦略(11)

私は、これまで、情報ネットワークサービスの進化と社会の変化は、相互作用を繰り返しながら、次の数十年の間に社会の大きな変動をもたらすであろうことを繰り返し指摘してきた。

2006.07.16
人類社会は次の激動再編へ--情報社会学、予見と戦略(2)
2006.07.28
鍵を握る単位組織=擬似家族--情報社会学、予見と戦略(4)
2006/8/16
空間を越えた擬似家族成立の条件--情報社会学、予見と戦略(5)
2006.12.05
つまずくWEB2.0、マイスペース、ユーチューブ、ミクシィ、グーグルに暗雲--情報社会学、予見と戦略(6)
2006.12.10
直近未来30年の人類史激動の予測図--情報社会学、予見と戦略(7)
2006.12.25
世界の富の集中と格差拡大、国民国家の命運--情報社会学、予見と戦略(8)
2007.03.23
発表: 社会と情報システムの今後、次世代大学教育研究会--感性的研究生活(18)
2007.04.06
世界は変わる、OSS(オープンソースソフトウェア)、ネットコミュニティ、ネット共和国--感性的研究生活(19)

私が、このようなことを言い始めた一年前ころは、実に荒唐無稽なことのように受け取られていたようである。
しかし、数日前のマスコミ報道によれば、一年遅れで、IBMは米国時間6月15日、マサチューセッツ工科大学(MIT)のMedia Labにおいてイベントを主催し、事実上、私の見解を追認するような表明をしたかのようである。

6月18日ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070618-00000007-cnet-sci
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仮想世界はビジネスや社会を改造する可能性もつ--IBM関係者ら語る
6月18日13時30分配信 CNET Japan
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マサチューセッツ州ケンブリッジ発--IBMは、「Second Life」や「World of Warcraft」のような今日の仮想世界が、将来のウェブの様子を示すものであり、ウェブが普及したときと同様にビジネスや社会を改造する可能性を秘めていると考えている。
IBMは米国時間6月15日、マサチューセッツ工科大学(MIT)のMedia Labにおいてイベントを主催した。イベントでは、ビジネスをより効率化し、社会問題に対応させるための仮想世界の利用方法に関して専門家らが見解を示した。
丸1日間の同イベントには、IBM関係者や学者、メディア関係者のほか、エンターテインメント業界、小売業界、ホテル業界の関係者など、仮想世界を利用する企業の関係者が集まった。
一部の参加者からは、仮想世界の誇大広告やセキュリティ上の問題について懸念が示されたが、IBMのデジタルコンバージェンス担当バイスプレジデントであるColin Parris氏は、今日の仮想世界が、商業や検索など既存のウェブサービスと組み合わされば、社会や企業の「大規模な構造改革」が起きるだろうと述べた。
同氏は、「われわれは今、参加と協調を中心とした新しい(ウェブ)プラットフォームの誕生を迎えようとしている」と述べた。「企業が協調型の革新を促すための方法を考案する上で、共同作業とコミュニティの力は、革新への最大の促進力となる」(Parris氏)
Parris氏は、高度なトレーニング、没入型ソーシャルショッピング空間、ビジネスプロセスの学習および実践シミュレーション、イベント主催など、仮想世界をビジネスに活用するIBMの最初の試みをいくつか紹介した。
15日午前にも講演したMIT Media LabのディレクターであるFrank Moss氏は、仮想世界は、「3Dインターネットの最初の数分、あるいは数秒」というまだごく初期段階にあると述べた。学生らの中には、仮想世界に関するプロジェクトに取り組む者もおり、例えばより容易に建物を建造したり社会生活を営んだりするための方法を模索しているという。
仮想世界は、人間の行動の理解とパーベイシブコンピューティングの発展と組み合わされることになるだろうと同氏は述べた。
(中略)
この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。 海外CNET Networksの記事へ
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インプレスが株主総会をSecond Lifeでライブ中継 - 2007/06/13 13:26
日本の国会議員もSecond Lifeに事務所開設--5月には演説会も - 2007/04/26 13:33
Linden Labs、Windward Markから技術買収--Second Lifeでリアルな空模様を実現へ - 2007/05/24 17:00
ジミー・ウェールズ氏、Second Lifeに現る - 2007/05/23 08:00
[CNET Japan]
http://japan.cnet.com/
最終更新:6月18日13時30分
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表明されたIBMの考えは、バーチャル空間やWeb空間からものを見ているだけであり、私のように社会の構造の人類史的進化を見ていない。その意味で表層的で浅いものである。
私の記事を読んだ上の言動なのかどうかは不明だが、日本IBM関係者が私が発表した研究会に出席していたり、米国IBMからのこのブログへのアクセスも観察されている。もっとも、歴史的事実は、世界各地で同時に発見されるものでもあるので、IBMが独自に発見したものとみなしてもよいだろう。それよりも、他の企業よりもいち早く、私が見出した世界の動きを追随して発見したという点をほめてあげたいところである。
彼らの見方は、表層的であるだけではなく、コンピュータ主導世界観に毒されているように私には見えてしまう。コンピュータは社会に大きな影響も与えているが、あくまでも人類にとっては手段に過ぎないということを忘れてはならない。また、変化は、取引形態やビジネスマナーにだけ限定されるものではなく、社会や政府のあり方にまで決定的な変化が現れることをまだ十分彼らは理解していないようだ。彼らは、頭のよい人たちの集団である。IBMに就職した私の同級生を見ればそればよくわかる。いずれは、彼らも理解するであろうが、しばし、私は、優越感に浸ることができるようだ。

社会は、思わぬ背後から、思いもよらぬ巨大な地殻変動を開始しているということを、私は、指摘しておきたい。IBMも気づいたということは、もはや、私の単なる荒唐無稽な思いつきでないということも、裏付けたように思うのである。

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(12)
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琵琶

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ビデオゲーム中毒を精神障害と認定、米医療情報学会(AMA)--心理、教育、社会性の発達(39)

2007/06/19
ビデオゲーム中毒を精神障害と認定、米医療情報学会(AMA)--心理、教育、社会性の発達(39)

6月15日配信のニュースとして、マスコミ各社は、米医療情報学会(AMA)が「インターネット/ビデオゲーム中毒」を「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)IV」の次の改訂版に正式な診断名として含めることを「強く推奨」したことを伝えた。

(例)6月15日ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070615-00000071-zdn_n-sci
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「ネット・ゲーム中毒を精神障害に分類」――米学会が推奨
6月15日16時33分配信 ITmediaニュース
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米医療情報学会(AMA)が、ビデオゲーム中毒を精神障害に分類することを提言している。
AMAは最近公表した報告書の中で、ビデオゲームの過度の利用には、ほかの嗜癖障害に似た社会的機能障害・混乱のパターンが見られること、依存症状が未成年にも起こり得ること、対象への没頭、家庭生活や学校生活の崩壊が起きることを指摘している。
このことから、同学会は「インターネット/ビデオゲーム中毒」を「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)IV」の次の改訂版に正式な診断名として含めることを「強く推奨」している。ゲーム中毒は、このマニュアルに掲載されている症状の中では「病的賭博」と最も行動パターンが似ているという。
同学会は、ビデオゲームの過度の利用はどの種類のゲームでも起こり得るが、そうした症状が最もよく見られるのはMMORPGだとしている。これまでの研究では、社会的に取り残された人、孤独感を強く感じている人、実生活で人との交流がうまくいかない人がこの種のゲームに没頭しやすい傾向が示唆されているという。
ほかにもAMAは、ゲーム時間を1日1~2時間とすることや、保護者が子どものインターネット・ビデオゲームの使用を監視し、制限することを勧めている。
同学会は、ほかのメディアと同様にビデオゲームには良い効果もあるかもしれないとしながらも、ビデオゲーム業界はプレイヤーの年齢に合わない映像やマーケティングを使う傾向があり、これがてんかんなどの身体的症状や、社会的不適応行動などの副作用への懸念につながっていると指摘。政府機関や公益団体がゲームのレーティングを見直し、改善することを求めている。
【関連キーワード】 ネット中毒
インターネット中毒の少年が母親刺殺
86時間連続ネットゲームで死亡?
ネットゲームプレイ中に興奮死 中国のネットカフェ
5時間連続ゲームプレイ中、脳死に
http://www.itmedia.co.jp/news/
最終更新:6月15日20時37分
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私は、このブログで、たびたび学習困難と学習障害の問題を取り上げてきた。
学生たちが、学習に集中できない、教師の話が理解できない、という問題に端を発するものではあるが、社会生活が困難と成ることから、ニートや社会的引きこもりの原因とも共通するものを指摘していた。
 気がつけば全般的学習困難と学習障害--心理、教育、社会性の発達(10)
 多すぎる、社会性の発達阻害の原因--心理、教育、社会性の発達(15)
発達阻害の原因はいくつもあるが、その中野無視できない一つの要因に「パンチドランカー/ゲーム・オタク」の問題があることを指摘し続けた。
 もう一つのパンチドランカー/ゲーム・オタクへの心配--心理、教育、社会性の発達(12)
 ゲーム・オタクへの心配--心理、教育、社会性の発達(13)
 「脳内汚染」を読んで--心理、教育、社会性の発達(16)
これらの記事を私が書いたのは、主に1年半も前の2005年のことである。直後、いろいろな動きがあったが、多くは、お金のための貧乏研究者のウソツキか、すでに異常を来たしているゲーム精神被害者の逸脱した精神状況のなせるわざと推測された。彼らには常軌を逸した言動があり、身の危険もたびたび感じた。
日本は長く経済が低迷し、ビデオゲームくらいしか輸出産業が好調とはいえない時代が続いていたのだから、「悪も、また身を助ける」とばかりに、その好機にしがみついている人がいてもある意味では仕方がなかった。今、あらためて産業界を見渡せば、ケーム業界は韓国・中国・インドにその裾野を食いちぎられていて、いまや満身創痍である。5年後生き残れるゲームメーカは現状の3割程度だろうといわれている。日本ではかつては公害産業といわれた企業が環境保護優良企業に変身している。脳破壊型ゲームメーカが、これからは精神衛生保護優良企業に大きく転進してほしいものである。そうしなければ、あなたたちの将来に生存の余地はないのだから。
さて、健康被害が推測されるタバコの箱には「健康のためすいすぎには注意しましょう」と控え目だが注意書きがある。ビデオゲームにも「精神の健康のために長時間の繰り返し遊戯は控えましょう」くらいの注意書きがほしいと思っていたのだが、これまでは日本のゲーム業界からの積極的な動きはなかった。
日本のゲーム業界はダメでも、諸外国から動きは始まるのではないかと思っていたところ、産業界ではなく米医療情報学会(AMA)が動いた(上記のヤフーニュースの記事参照)。この学会は、「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)IV」に直接の影響力を及ぼすところではないので、今後の推移は不透明だが、まずは地殻変動の一歩が始まったというべきだろう。 
しかし、社会性の発達阻害は、ゲームだけが原因ではない。ゲームを与えて子供たちを放置する親たちの養育態度にこそ大きな問題がある。飴玉をしゃぶらせる感覚でアヘンを吸わせているようなものである。しかし、親にも言い分があるだろう。このように子供から発せられる絶え間ない諸事情に親が対応してあげられない社会経済事情も大きな問題である。また、「社会性の発達」が教育の技能習得の対象から除外されていることも重大な問題である。これらが解消し、親が子供たちと向き合う時間が増え、教師たちの目配りが昔のように戻ってくれば、自然にテレビゲームの利用とその弊害は減るだろうとも予想されるのである。
米医療情報学会(AMA)の指摘は、「社会性の発達阻害の原因」を取り上げるというよりも、嗜好物依存症という本物の精神障害、すなわち、アルコールや薬物への依存症、賭博熱中症、などと類似の「ゲーム依存症」とも言うべき精神障害を認定しようというものである。この考え方が採用されれば、「社会性の発達阻害の原因」の一つも同時に抑制されることになるので、私は歓迎である。
日本の教育界、精神医学界、心理学界の皆さんの、多くのご意見を賜りたい。

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ボクを一人にしたら許さないゾ! ぷんぷん、カミカミ!--我が家の愛犬様(21)

2007/06/17
ボクを一人にしたら許さないゾ! ぷんぷん、カミカミ!--我が家の愛犬様(21)

最近の日曜日のお昼近くのことである。
隣の隠居所に居る老母が電話を掛けて来た。パンがなくなったので、買ってきてほしいというのである。
老母は、昼食をパンですることが多い。数日分は買いおいているのだが、たまたま切れてしまったようだ。老母の食事時刻は正確である。12時かっきりに食事を開始する。時計を見ると11時20分。「いいよ」と言ったが、忙しい。どうせならば、近隣では評判のおいしいパン屋さんまで行ってこようと、そそくさと身支度を始めると、愛犬様も落ち着かない。
私が電話口でなにやら話していると、いつでも、愛犬様は正座して耳をピンとたてて聞き耳を立てる。私が受話器を置いて身支度を始めると、もう大変である。そわそわと落ち着きがなくなる。愛犬様を無視していると、じれったそうに、キューんと鳴いたり、小さくワンとほえて、わたくしの様子を見ている。車で外出するに違いない、、、と愛犬様は見当をつけているのである。それでも無視していると、ワァン、ヴァンと大声でほえる。
私が「一緒に行こう。クルマ!」と言うのを待っているのだ。一緒に出かけないときには「オルスバン」というのである。「オルスバン」と私が言うと、つまらなそうにうつむいて、恨めしそうに私の動きを眼で追いながら、力なく、座り込んだりする。どちらか私が宣言するまでは、「連れてって! ワンワン」と叫び続けるのである。
この日は、「ヤレヤレ」と思いながらも、連れて行ってやることにした。「ゆくぞ。クルマ!」というと、もう狂気乱舞の状態である。ハーネスを床におくと、向きを変えて、ハーネスの上に前足を置くように移動する。胸のあたりを抱えてハーネスに前足を通してやると、うれしさの爆発寸前の状態になってくる。自分で綱を銜えて、ドアの前でノブに手をかけようと立ち上がったり、耳を両脇に伏せて目じりまで下げて、落ち着きなくクルクルと回ったり、頭をしきりに上下させたりして私を待っている。愛犬様はクルマでの外出が大好きである。愛犬様には、理解できるヒトの言葉がいくつかはあるのである。「クルマ」「ジドウシャ」と私が言えば、"ボク、車で外出できる!" と飛び上がらんばかりに思うのである。
玄関ドアを開けると、口には綱を銜えたまま、ちょんちょん跳ねしながら、私の周りを走りめぐって、クルマへと誘導するかのように近づいてゆく。私が車のドアの鍵をあけ、ドアノブに手をかけるのがもどかしい。ドアが開けば、一気に車内に飛び込んでゆく。ドアの近くの運転席が私の席、その左隣の助手席が愛犬様の定位置である。助手席のシートカバーに頭や目クビなどをこすりつけて、テリトリを宣言する。うれしくて、私の席や後ろの席などの他の席にも跳ねてゆく。私は、「コラコラ、シート!」 と叫ぶ。愛犬様は、あわてて自分のシートに戻って正座する。「シート!」の掛け声は、愛犬様の定位置のシートに戻れという合図である。
愛犬様が定位置に座れば、安全ベルトの替わりに用意してある綱でハーネスを固定して、エンジンキーを回して、私も安全ベルトを装着し、サイドミラーを広げて、出発進行!である。「シュッバツ!」と小さく声をかけると、愛犬様は前後の振動を予想して、まっすぐ前に向きを変えて中腰になる。後は、周囲の風景がすばやく過ぎ去ってゆくのがうれしくてたまらないという様子で、左右を見たり、窓に手をかけたり、フロントガラスに顔を押し付けたりと忙しい。散歩中の他の犬とすれ違おうものならば、優越感からに違いないが高い位置から猛然とほえて威嚇する。窓を閉めておくので、それほど大きな声には聞こえないかもしれないが、すれ違いざまに窓越しに犬の声がするのだから、散歩しているヒトも犬もびっくりして振り返る。「ご、ごめんなさい」と内心私は恐縮しているのだが、愛犬様は一向に意に介さない。
さてさて、そうこうしているうちに、駐車場のある近隣では有名なパン屋さんに到着した。
いつもは、車を止めると一緒に外に出るところだが、いくらなんでもパン屋さんの店の中に愛犬様を連れて入るわけには行かない。定位置の座席に座らせたまま、私は外に出る。私がドアをばたんと閉めるまでは、何が起こるかわけがわからないという顔をして私の様子を窺っていた愛犬様は、そこで気がついたらしい。運転席に身を乗り出して、私のほうに向かって、猛然と吠えている。窓越しに愛犬様の声が聞こえる。「ごめん、ごめん。すぐ帰るからね」と言ってもわからないに違いない。急いで、店内に小走りに入る。入ってみてびっくり。客が、レジの前でずらりと列を成しているのである。人の列は、パンの陳列棚の間を巡って、ずうっと続いているではないか。最後尾は、私が入ったばかりの店舗の入り口である。このパン屋さんの人気は異常というしかない。仕方がないので、そのまま列の最後に私は加わるとレジを終えて出てゆく人の分ずつ、少しずつ進む人の動きに身を任せるようにして移動しつつ、目の前に出てきたパンを選択してゆく。どれもおいしそうだが、老母の好みを思い出しながら、さらに老母の食べられそうなやわらかいパンを、と選んでゆく。店の外では、かすかにわが愛犬様の声が聞こえている。窓越しに見やると、別のお客さんが連れてきたワンちゃんたちが、4-5匹も私の車の横のクルマ止めの杭につながれている。愛犬様は、気になってたまらないのである。このワンちゃんたちに激しく吠えたかと思うと、車の窓と店の窓の二重のガラス越しに見え隠れするご主人様(私)の姿にも、激しく吠えている。私の心も急くが人の列は急には進まない。パンは少し多めに買って、老母に食べたいものを選んでもらうことにしようと決めて、いろいろなパンをトレイに積み上げてゆく。愛犬様の声が途切れなく聞こえる。気が気ではない。
やっと、レジを終えて、店のドアを開けると、愛犬様は激しく尻尾を振って、クルマの窓に伸び上がってしがみついて吠えている。私は小走りにクルマに駆け寄って、ドアを開けて、運転席に乗り込んだ。そのとき、愛犬様は普段見せない、行為を見せたのである。頭と眼を運転席の私の胸にぐりぐりと押し付けたかと思うと、パッと顔を上げると、ハンドルを握ろうとする私の腕をかんだのである。両耳を左右にぴったりと降ろして、目じりも下げている。激しく尻尾も振っている。それはうれしさの表現を目いっぱいにしているのである。それで、ガプガプと腕を噛んだのである。手加減はしているのだろうが、痛い! 。思い切り、飛び上がってしまった。それでも愛犬様はやめない。ガブガブ、ワンワン、カブガブ、ワンワン。・・・、「コラコラ、シート!」私が大声で怒鳴ると、愛犬様はあわてて定位置に下がって正座する。すぐにクルマを発進させると、もう、周囲の光景が後ろに後ろにと飛びすざるのが面白くて仕方がない。やれやれ、今の"ガブガブ"はなんだったのか、一人にされてさびしかったということなのかな、とぼんやりと考えつつ、帰途に着く。我が家の玄関先に愛犬様をつないで、まずは老母にパンを届ける。老母はミニサンドイッチとプチクロワッサン、フルーツパンを選んだので、残りのバンは我が家の食卓用とした。
さて、この日はそれだけではすまなかった。
夕方の買い物を済ませて、荷物を満載のままクルマで帰ってくると愛犬様も息子とお散歩から帰ってきたところだった。その瞬間、私の携帯がなって、家内が外出先からまもなく駅に着くという連絡である。「ご主人様が電話で話をしている-->車で出かけるかもしれない」と彼は推測するのだ。愛犬様は、またしてもクルマで外出できる! とおおハシャギである。
愛犬様は、開きかけたクルマのドアからさっさと車に乗り込んでしまった。仕方がないので、そのまま、愛犬様をクルマに残して、私は買い物の荷物をクルマから自宅内に運びこむ作業をはじめた。一往復して、車に戻ると、パン屋さんの駐車場で見せた表情そのままに、愛犬様は車の中で激しく吠えている。また、ボクを一人にしたな、と怒っているのだろうか。しかたがないな、と私は、愛犬様をクルマから出して、次なる荷物を自宅にまで運び始める。愛犬様は、綱をつけたまま、私の後ろでちょんちょん跳ねして着いてきているなと思った瞬間、彼は、ぽんと高く飛び上がると、宙に浮かんだまま、私の肩を背後上空から、ガブガブと噛んだのである。あぁ、痛い! と思ったが、両手は荷物でいっぱいである。3度くらい噛み付くと、一度着地して、次の瞬間にはまた高く飛んで宙に舞ったまま3度くらい立て続けて噛み付くのだ。たまらんぞこれは、私は思わず走って逃げ出した。愛犬様は走るのも大好きである。大喜びで私を追ってくる。玄関先でまた宙に飛んだ愛犬様に私はつかまって噛まれてしまった。ドアを閉めて、中に入るとドアの外で、愛犬様はドアを鋭いつめでガリガリと音を立てて、私の出てくるのを待っている。荷物を室内に置くと、私は愛犬様の綱を引いて、用心深く、噛まれないように愛犬様を身から引き離して、クルマに戻った。先にクルマに乗り込んだ愛犬様は、うれしくて仕方がないという態度を示して、後から乗り込んでくる私の胸に頭や眼のあたりをグリグリと押し付けてくる。そのまま、クルマを発進しようとすると、また、いきなり、今度は私の胸をガブガフと噛みだすのである。"ボクを一人にしたな、もう一人にしちゃダメだよ、もう噛んじゃう、噛んじゃうぞ"と言いたいらしい。
たまらん!、私は、腕を振り上げて「コラッ、シート!」と叫ぶ。あわてて、愛犬様は頭を下げて、後ずさりして、定位置の助手席に正座して、出発を待つ体勢をとった。
甘ったれな、愛犬様。おかげで被害甚大だ。ぶつぶつ言いながら、私は家内を迎えにクルマを走らせた。
えっ、この日、わが奥様は何をしていたのかって? 勉強好きなのか、若いころの不足を補いたいのか、彼女は勉強会やセミナーにせっせと通っている。日曜日の私は、自宅で仕事をこなしながら、もっぱら彼女のアッシー君を勤めて、お留守番をしているのである。
彼女は我が家の愛犬様のお出迎えを格別楽しみにして帰宅するのである。

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琵琶

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人類究極の目的、種の保存と人々の生命の発露--情報社会学、予見と戦略(10)

2007/06/15
人類究極の目的、種の保存と人々の生命の発露--情報社会学、予見と戦略(10)

1.人類究極の目標
近年、「人類究極の目標」「人類究極の目的」という話題が多く登場する。
(1)×××宗××会
一切の人生苦の根源である死の解決こそ一生参学の大事であり、全人類究極の目的なのです。
<--あれれっ、「老病死別」の四苦を取り上げて、そのうちの「死」という構成にしないと、本来の仏教理論としては不十分なのではないでしょうか。どうして「四苦」なしで「死」なのでしょうか。
(2)m***a! ニュース
人類究極の目的の1つ“不老長寿”をテーマにみな様のお役に立つ最新情報、
<--はぁ、ソウですか。個人の不老長寿が人類の究極の目的ね。言ってみれば自己矛盾です。
主として野人間の究極目的ですから、個人の不老長寿ではいくらなんでも足りないのではないでしょうか。言ってみれば「種としての人類のsustainability」のほうが重いのでは・・・。まぁ、これを書いた人はそんな重い議論のつもりではなかったですね。
(3)第120回国会 予算委員会 第8号、国会議員K氏(元参議院議長)の発言
「もちろん平和は人類究極の目的であります。崇高なものであります。」
<--立派な発言ですが、K先生は父の教え子で、息子である私も個人的には親しくさせていただいています。誤解しないように言いますと、もちろん彼は軍備増強論者です。平和は、人の生存可能性を大きくする状況の一つに過ぎませんから、人類究極の目的というには、少し弱いのではないでしょうか。もっとも委員会の論戦中に噴出した言葉の一節ですから、深い意味はありますまい。
 ☆6/13補足 この記事は、6/8の夜に思い立って書き始めた。この部分は、書
  き初めの部分なので、6/9以降は見直していなかった。他の部分を追記して、
  昨朝(6/12朝)アップした。ところが、昨夜(6/12夜)、K氏のご長男H氏の訃
  報に接した。39歳、6/10、くも膜下出血で亡くなったそうである。ちょうど私が
  この記事を書いている間の出来事だったことになる。子に先ただれる悲しみは
  言葉では言い表せないものだろうと思われます。衷心より、お悔やみ申し上
  げます。
(4)LOHAS
<--LOHAS(ロハス、ローハス)とはLifestyles Of Health And Sustainabilityのことで、"個人の健康と人類の永続を実現する生活様式"という意味で、この言葉のルーツはゾロアスター教にあり、数年前にアメリカではやったものです。日本でも、私が千葉県柏の葉の開発で、「ロハスタウン柏の葉」という概念を提示してからはやり始めました。

2.生の生産と再生産
人類究極の目的は、生の生産と再生産にあると繰り返し述べたのはエンゲルスであり、マルクスも幾つかの草稿の中にこれを書き記している。経済の法則の実現にだけ、自分たちの思想を矮小化されることがいたたまれなかったようである。しかし、彼らは、「生の生産と再生産」の意味や理解を詳しく述べたことはない。彼らがこの点を深く追究しなかったのは、彼らの限界であり、歴史的失敗であると私は思う。もう少し生の生産と再生産について深く考究していれば、人類史でいえばごく短期間の現象に過ぎない大量生産時代の到来という当時の狭い時代的範囲にとらわれることなく、その先にある人類悠久の歴史を概観する機会に彼らも十分恵まれたに違いない。私たちは、彼らが鋭く指摘した弊害に満ちた大量生産時代をすでに通り越して、その先の時代を生きているのである。彼らにも今の時代やそのさらに先に続く未来の有様を教えてあげたかったと思うのは私だけではあるまいと思う。
(この項は文献1参照)

3.アレテー(徳)、美のイデア、最高善
ソクラテスは、アレテー(徳)を収めることをヒトの究極の目標と述べた。現代語では、アレテーをもっぱら「徳」と訳すようだが、当時のギリシア語では、アレテーとは「役に立つ・実効ある能力」という意味だったようである。たとえば、「刀のアリテー」とは「よく切れること」という意味だと指摘する言語学者もいる。ソクラテスのアレテー(徳)とは、プラトンなどの弟子たちの解釈を別にすれば、周囲の人々(アテナイの人々)に役立つ能力(個人の)という程度の意味と理解して良いと私は思うのである。ソクラテスは、理論的批判家で他人の理論的矛盾を許さなかったが、その代わり(逆に批判にさらされるかもしれない)自らの新しい概念を定立してみせる人ではなかったので、正確なところはわからない。
プラトンは、ソクラテスの弟子にして、抽象化能力に優れ、ソクラテスが批判するだけで構築することなく亡くなると師のかわりに、いくつもの概念定立を試みるのである。彼は対話という弁証法を哲学の方法として採用し、彼は美のイデア(エイドス)の存在を主張した。人には先見的美の意識があるという考えである。その美意識を信じて実現することがヒトの道であると説く。この考えは後世の人々に大きな影響を残すが、プラトン本人は、人生の後半、イデアという概念を捨てたように見える。たぶん、ヒトは生まれつきの「先見性」だけでは行動規範を構成しないということに気づいたからに違いない。
ソクラテスも、プラトンも個人の生き様の優劣を論じただけで、人類の究極の目標を語っていない。
プラトンの弟子、アリストテレスは対話だけではなく、経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。経験的事象を元に帰納法的ではなく「演繹的」に分析するというところが、きわめて特徴的である。これが中世の「論理学」の基になってゆく。
以下は、主として文献2からの引用である。
アリストテレスの知的活動は、多岐にわたっており、「自然科学」(天文学、気象学、動物学、植物学など)では、原因を「質料因」と「形相因」に分け、後者をさらに「動力因(作用因)」、「形相因」、「目的因」の3つに分けるなど、現代の自然科学の考え方の古い原型を示している。そのほか「範疇論」「倫理学」「政治学」なども手がけた。
倫理学においては、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である最高善があるとした。人間にとって最高善とは幸福、それも卓越性における活動のもたらす満足のことである。幸福とは快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または人間の霊魂の固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた。
アリストテレスは政治学を倫理学の延長線上に考えた。彼は「人間は政治的動物である」と定義する。自足して共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である。これらとは異なって人間はあくまでも社会的存在である。国家のあり方は王制、貴族制、ポリティア、その逸脱としての僭主制、寡頭制、民主制に区分される。王制は父と息子、貴族制は夫と妻、ポリティアは兄と弟の関係にその原型をもつといわれる。
アリストテレス自身はひと目で見渡せる小規模のポリスを理想としたが、時代はすでにアレクサンドロス大王が登場しポリスを超えた世界国家の形成へと向っていた。
アリストテレスは、アテナイの国家内部での倫理と政治に関する心構えと若干の手法を語っただけで、人類の目標についてはまるで考えていないというべきである。
(この項は文献2参照)

4.徳治主義、法治主義
アジアの思想の代表といえば儒家と法家であろう。
儒家の思想は、東周春秋時代、魯の孔子によって体系化されたもので、徳治主義を主張した。
巨大な官僚制度を支える思想で、仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えた。
法家(ほうか)とは、中国の戦国時代の諸子百家の一つ。法治主義を主張した。
秦の始皇帝は、法家思想による統治を実施したが、微罪を重く罰したため国の滅亡を早めたといわれている。
儒家の「徳」も法家の「法」も、統治する者、統治を代行する官僚の心構えと方針を述べているだけで、人類の目標は語っていない。

5.経験論と合理主義
経験論とは、たとえば、ジョン・ロックのタブラ・ラサが言ったとされる「人間は生まれたときは白紙である」とするような考えで、経験論は哲学的唯物論や実証主義に結びついていた。
経験論は我々の理論は世界についての我々の観察に基礎に置くべきだとする近代の科学的方法の核心になっている。実験による調査研究、帰納的推論、演繹的論証などが含まれている。
経験論は特にイギリスで発達したため、大陸哲学と区別されてイギリス経験論と呼ばれることが多い。
アリストテレス、フランシス・ベーコン、ジョン・ロック、ジョージ・バークリ、デイヴィッド・ヒューム、ジョン・スチュアート・ミルなどが挙げられる。
合理主義哲学は大陸合理主義とも呼ばれる。17世紀、フランスのデカルト、オランダのスピノザ、ドイツのライプニッツやヴォルフ、フランスのマールブランシュなどがいる。
 イギリス経験論=人間は経験を通じて様々な観念・概念を獲得する
 大陸合理主義=人間は生得的に理性があり、基本的な観念・概念の
 一部、もしくはそれを獲得する能力をもつ & 理性の能力を用いた内
 省・反省を通じて原理を捉え、そこからあらゆる法則を演繹できる。
イマヌエル・カントは、経験論と合理主義を統合したといわれている。
人間の認識は外部にある対象を受け入れるものだという従来の哲学の常識に対し、カントは人間は対象そのものを認識することはできず、人間の認識が現象を構成すると考えた。
ヒトは先見性を持って生まれるかといわれれば、現代の科学は、ほんの少しの遺伝的な性向と親から子などの家族からのたくさんの知恵の伝授が先見性のように見えるだけで、後の公的な教育や社会的経験による知識は膨大であると解答する。両者がなくてはヒトの人格と知性は成立しない。先見的な使命(命の継続を優先するなど)もあるだろうし、その後、歴史によって形作られている所属文化から学んだ使命感も多くのヒトは共有しているはずである。
経験論も合理主義もカントも、人類の目標というものに解答はしなかった。

6.近代的知性から現代的知性へ
ルネ・デカルトは、フランス生まれの哲学者・自然哲学者(自然学者)・数学者で、ギリシア語で"コギト・エルゴ・スム"「私は考える、ゆえに私はある」フランス語でJe pense, donc je suisは有名。
幾何学を重視し、社会学や政治学に関心が薄かったといわれている。
また、個人の知性にだけ関心があり、人類の目標には関心がなかった。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、ドイツの哲学者で、フィヒテ、シェリングらとともにドイツ観念論を代表する。作家のゲーテ、音楽家のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、画家のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒが同世代である。
ギリシァ哲学以来の伝統である対話法=弁証法を現代的に取り上げた。しかし、思弁の世界から踏み出してはいない。個人の思考の方法の正しさを追究することに関心が向けられていて、人類の目標にはやはり関心はなかった。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテはドイツの詩人、劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家であり、政治家としても文学者としても優れていた。ドイツの統治については関心があったが、人類の究極の目標には関心が及んでいない。

7.経済界からの発言
私は若いとき理科Ⅰ類の学生だったが、東大でポール・サミュエルソンの経済学を学んだ。まだ邦訳がない時代で、英語のテキストを必死に読んだ覚えがある。学年の途中で邦訳が出版されたので、日本語訳を読んで試験に臨んだら、教室に200名ほどはいたはずの学生のうち十数名ほどしか試験場には来なかった覚えがある。単位を取得したのは私を含めて1ケタ台だった。サミュエルソンの経済学には、人類の未来に対するまなざしが感じられた。経済の世界の人々がこのあたりのことについて、何を言っているのかを目に付く限り引用してみる。

(1)稲盛 和夫 (著) 稲盛和夫の哲学―人は何のために生きるのか (PHP文庫) PHP研究所 (2003)
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「人間は何のために生きるのか」。カリスマ的な経営者として知られる稲盛和夫は問いかける。「人間性を磨き、素晴らしい人格を身につけることこそが、人生の本当の目的なのです」。稲盛は、さまざまな試練や苦難、困難なども自分の向上心を試そうとする試練なのだと受け取り、感謝しつつ、人間性を高めていくことが大事なのだと説く。「幸運とか成功に恵まれたときに、どのような心構えで対処するかによって、その後の人生が天国にも地獄にもなるのです。成功して有頂天になり、鼻持ちならない人間に堕している一方、成功が自分だけの力でなしえたことではないことを悟って、さらに努力を重ね、自らの人間性を高めていく人もいる」という言葉には、ハッとするものがある。
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彼も、個人の人生目標をたかるだけで、人類の目標については語っていない。かれは、稲盛に利益を集中するための精神論=稲盛イズムに盲従する使用人をたくさん作ることに関心を持っているが、社会や人類の行く末に本当の関心はなかったように私には感じられる。

(2)北尾 吉孝 (著) 何のために働くのか (単行本) 致知出版社(2007)
出版社/著者からの内容紹介
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人間は得てして楽なほうへと進みたがるが、著者は逆の道を選ぶ。仕事上で何か目標を立てるときは、普通の人よりも圧倒的に高い目標数値を設定する。「あえて艱難辛苦の道を行く」それが著者の考え方だ。
 この強い精神力の源は何か。それは、幼少より親しんできた中国古典だという。『論語』から学んだ「信(信頼)・義(正義)・仁(思いやり)」という三つの言葉は、物事の判断基準として、いまでは著者の生き方の根本になってい
る。人は「何のために働くのか」。冒頭に著者は次のような言葉を記している。「私が『働く』ことに求めてきたのは、そこに生きがいを見つけることでした」--。仕事をしている人、これから仕事をするようになる人すべてに送る、出色の仕事論。
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儒家思想の焼き直しで、主人に奉仕するサラリーマンのための精神論に過ぎない。この北尾思想にどっぷりつかった人は、北尾が自在にコマとして存分に利用することが出来るはずである。「(社会の)最大多数の最大幸福」などは彼の眼中にはないように見える。せいぜい、株主の最大利益しか眼中にないだろう。逆に人類の目標などには関心がないだろう。

(3)ジェレミ・ベンサムは功利主義者である。功利主義=正しい行為や政策は最大多数の最大幸福をもたらすものと考えた。
ジョン・ステュアート・ミルはベンサムの弟子であるが、「ベンサム主義」は、国家の政策目標の自由主義的概念の主要な要素になった。
」、P. J. ケリーがさらにこれを強力に理論化し普及させた。

(4)ジョン・メイナード・ケインズは、有効需要が市場メカニズムに任せた場合には不足することがあるが、減税・公共投資などの政策により投資を増大させて、回復することが可能であることを示した。

(5)ポール・サミュエルソン(Paul A. Samuelson, 1915年5月15日 - )
古典派経済学にジョン・メイナード・ケインズのマクロ経済学的分析を組み合わせたとして評価されている。マクロ経済学とミクロ経済学の統合という言い方もされていた。当時の東大の教師(後に日本未来学界会長となる)はマルクス経済学とミクロ経済学を統合するものだと、嬉々として語っていた。
ポール・サミュエルソンの経済学は、社会の効用を最大化することを目標とする経済学であると謳われていた。事実、理論は限りなく、その目的のために発展させられていた。しかし、2度の石油ショックで生じた「スタグフレーション」(*)に対応できなかったことで、人々は彼を負け組みと認定してしまったようである。今では、「スタグフレーション」に対する一定の対応策も存在しており、日本の金融政策も完全とはいえないが一応成功しているかのように見える。サミュエルソンの経済学を正しく発展しうる後継者の登場が望ましい。
現代の経済(学)の世界では、サミュエルソンが、人類の目標にもっとも近づいた人物だったが、「社会の効用の最大化」以上ではなかった。
 * スタグフレーション 1973~74年の第1次オイルショック、1979年の第2次オイルショックにみられた経済現象で、インフレやデフレとは違って、(原材料高などを原因とする)生産の萎縮が「物価上昇」と「雇用と賃金の低下」を同時に引き起こす不況現象である。

8.文明の盛衰と世界宗教
宗教はもともと、ヒトがムレをなして行動する際に、より良い生存のための知恵の累積であったに違いない。生存のための知恵は、親から子へ子から孫へと伝えられ、伝えられる知恵の源泉である祖先への憧憬と尊敬の念がまといついていったに違いない。死者を悼む気持ちはネアンデルタール人の遺跡からもうかがえるので、祖先を敬う気持ちは人類にムラをもたらせた新人(ホモサピエンス)よりも前からあったに違いない。
ムレが共有する知恵の集積は、やがてムラの共有となり、やがて部族や民族の共有資産になっていったと考えられる。
民族の枠を超える国際宗教は、拝火教(ゾロアスター教)が初めである。
農耕は1万5千年~1万年ほど前に始まり、最初は播種と収穫だけが人の手で行われ、耕作作業や肥料や水の管理、雑草の除去などは意図的にはされなかったに違いない。紀元前9000年ころ運河を作り灌漑する技術を持ったシュメール人たちが、メソポタミアの地に文明を起こすと大規模な農耕が行われた。チグリス・ユーフラテスの下流域が開拓しつくされると次第に上流が開拓された。農耕は高い生産性を約束するが、労働力も多く必要とした。労働力としての人口が増加すればその人口に見合う食料を生み出すより広大な土地を必要とした。耕作地の拡張は人々の悲願であった。紀元前7000年~6000年前になると焼畑の技術が知られるようになる。焼畑はチグリス・ユーフラテスの氾濫域の周辺も耕作地に変えることに成功した。農耕の生産性は狩猟採集に比べると一気に50~1000倍にも向上するのである。ユーラシア大陸を200-300年でその焼畑技術は伝播し尽くしたと言われている。このとき、この火は意図的に起こされるが延焼を防いで適度に鎮火させなけれはならない。恐ろしい火勢に用意周到に立ち向かう当時の人の知恵と勇気は感動するものがある。この火の取り扱いに関する知恵は拝火教の原型をつくり上げ、異民族の文化と宗教を次々に飲み込み、人々をしてインターナショナル化に進めさせたに違いない。拝火教は古代イランの時代に王族たちの支持を得ていて、その下で教義を発展させ、紀元前1000年ころにザラスシュトラが整理統合したと考えられる。
初めて成立した世界宗教は、異民族に寛容であり、これに従わない個別民族の宗教に対しても寛容であった。ユダヤ教、キリスト教、バラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教、マニ教など今日インターナショナルな装いをした宗教は全てこのゾロアスターの庇護または影響下で生まれて普及したといってよいのではないだろうか。
さて、拝火教では、焼畑による生産性の急激な伸張を背景に、ヒトの生産(性愛、交接、出産、子育て)は神聖で尊いものとされた。一方、焼畑農耕が一巡すると、余計な人口増は社会不安の原因となるので、むしろタブーとされ、宗教においては、表向き禁止(少なくとも聖職者においては)されることになった。性愛、交接、出産は秘め事になり、子育てさえ私的行為として社会からは切り離されて行われる時代もあった。
今も、我々は、ヒトの生産をおおやけの場ではタブー視する文化の中に暮らしている。
ヒトの生産は、ヒトが置かれている環境によって、神聖視されたり、タブーとされたりするのである。宗教でさえ、時代によって、これを持ち上げたり忌避したりするのである。後の世の政治においても同じで(戦時下では)「生めよ殖やせよ」であるが、(平時では)「優性保護政策」や「人口抑制策」もある。中国では貧困時代の「一人っ子政策」から高度成長期にはいったことを背景とする「一人っ子政策反対暴動」も起こっている。

9.ヒトの遺伝子と文化の多様性と人類の究極の目標
ヒトの先見性といわれるものは、遺伝子と家族の文化を通して親から子に伝えられる人格や知識である。ヒトは先見性によってはわずかなことしか出来ないし、万人共通でもない。長じて教育や社会生活の中ではぐくまれる人格や知識は大きい。
極論すれば、ギリシャの哲学者たちが考えた人に普遍の目的というものは、人類の究極の目的とは別ものである、と言ってよいと考えられる。ヒトは社会を構成することによって生き残ることが出来、高度な文化を発達させた。それでは、社会を構成することが人類の普遍的究極の目標かといえば、それは違うだろう。人類の普遍的究極の目標のための主な手段、主たる便法にすぎないに違いない。
実は「社会の最大多数の最大幸福」(ジェレミ・ベンサム)を願うヒトは確かに多いが、他人の生命や財産を奪って自己の生存を永続せしめようとする反社会性人格障害者もいる。
反社会性人格障害者の中にも、先天的反社会性人格障害者と後天的な反社会性人格障害者があるが、先天的反社会性人格障害者といわれるものの中にも、遺伝的なサイコパス(他人の生命や財産を奪って自己の生存を図ろうとするヒト)と、家族の気風としての反社会性人格障害者がいる。彼らは少数派なので、「人格障害」と分類されるが、現生人類という狭められた種がもつ数少ない多様性の一つであり、文明の崩壊時などでは、他の普通の人々を獲物のように狩り取りつつ、ヒトの遺伝子を一気に消失させることなく、かろうじて子孫に残す役割を果たしているものと思われる。崩壊した文明のあとには、反社会性人格障害者の比率が高くなるのが道理だろう。
文明は広大な大地から地味を奪いヒトを住みにくくするとともに、崩壊後には反社会性人格障害者がその勢力を伸ばすので、社会性を持つ人々は殺されたり、いじめられたりして、その地を去らざるを得なくなるのである。日本は文明とは呼べないし一つの文化社会に過ぎないが、いま、同様にして、日本という一つの文化社会が崩壊し、イジメが横行し、理由を説明しにくい殺人も増加しているのである。
一方、反社会性人格障害者は彼らだけでは社会が構成できないので、社会性の高い人々に寄生してしゃぶりつくして生きてゆくしかないのである。
ヒトの種が持つ遺伝子と文化の多様性を否定することは出来ない。「社会性の追求」は人類大多数の手段であって、少数の裏の手段として「反社会性の追求」も人類にはセットされている。これらのいずれもが人類普遍の究極の目的というのは当たらないのである。

10.来るべき生殖政策の必然
「"環境にやさしく"は結局人類が死に絶えれば済むこと」と皮肉交じりにいう人は少なくない。この人たちは、人類の生存と環境保全のどちらが大切なのかという皮相な対比をしているのである。また、人類の滅亡の危機を煽り立てて宗教的結束やカルト的結束を計ろうとする人は多い。人類の生存に対する相対的危機や激しいプロパガンダに心が揺れない人は少ない。つまり、人類の滅亡を歓迎したり、人類の滅亡を目的に活動する人はめったにいないということである。いるとすれば、人類全てを敵にするので、たちまちつかまるか殺害されることになるだろう。
人類という種が永続することを願わない人はほとんどいないということである。そのために、人口増加促進策(子育て支援など)や人口抑制策(一人っ子政策など)が、時と場合に応じて出たり、引っ込められたりしているのである。経済政策に金融緩和があれば金融引き締めもあるように、人口政策に増加促進と抑制があって当然なのである。
反社会性人格障害も根絶することは出来ないし、根絶してしまうのは進化の理に反するだろうと思われる。人には生まれてきたからには、いかなる障害を持っていようとも、他人に危害を加えぬ限りは最低限の快適さは保証され生きてもらうのが当然だろう。
一方、単純に放置されれば、社会に寄生して生きてゆくほうが楽なので、反社会性人格障害者の数が増加し、ある瞬間に、ソドムの町のように、カタストロフィックに社会が立ち直れない崩壊に向かうのだろうとおもわれる。
すなわち、反社会性人格障害者が一定以上に増えてしまえば、どこでも(日本でも)社会崩壊が起こる。大規模に起これば、立ち直れない文明崩壊地(メソポタミア、ギリシア、ローマなど)のようになってしまうだろう。スリとカッパライと詐欺師と人殺しばかりが眼につくところになってしまう。そうなると、歴史は、その地の文明は2度と栄えることはないことを教えている。
反社会性人格障害者の比率をある限度内に押さえ込むことは必要なことなのだが、これが大変に難しい。教育の役割も大きいだろうが、家族性(非遺伝性)に対抗するには教育の現場はあまりにもひ弱である。遺伝性の反社会性人格障害に至っては、明白な犯罪として裁判を経ない限り殺すこと(死刑)も生殖を抑制することも倫理的に困難で、かつ現行の法体系上出来ないことになっている。
反社会性人格障害者にも(法に触れない限り)生命の発露の権利があるからである。
一方、世の中の趨勢を見ると生殖医療はきわめて高度化しており、生物学上産まれれるはずの人も産まれる時代になっている。生物的には産まれないほうが幸せと思われる子供たちも生まれてくる。
この事態が、このまま継続すると人類は生存の危うい種にたちまち転落するだろう。人類の存続はそれ自体が風前のともし火になっているといって良いのかもしれない。
この危機に瀕して、手っ取り早く子供や精子・卵子を金銭で購入するという人が現れてきても不思議はない。それでは、子供や精子・卵子が売買されるようになるとすれば、どのようなことが起こるだろうか。いや、すでにそのような時代になっているのである。ただし、今は、子供の親、精子・卵子の親の遺伝情報を見て選択的に購入されることがないという建前上の制約がある。むしろ、今後は、遺伝的欠陥のある子供や精子・卵子は売買してはならないというPL法(製造者責任法)が制定される必要性が出てくるだろう。子供の売買(有償の養子縁組)も闇で横行しているので、犯罪や予期せぬ悲劇が伴うのである。合法化して、法の下で規制し、PL法が適用されるようになれば、粗悪な遺伝子の拡大再生産は抑制されることになるだろう。これは、楽観論にすぎるだろうか。反社会性の親は反社会性の子供を好む傾向を持ち、社会の分化が種の分化に進む危険性も秘めている(「反社会性人格障害、その家族性を考える--心理、教育、社会性の発達(33)」)。社会を構成しようとする者と社会を構成する努力を免れて社会に寄生しようとする者は、クロマニヨン人とネアンデルタール人がヨーロッパで覇権を争ったように、日本社会とカルト教団オーム真理教が鋭く対立したように、社会構成型人種(人系)と社会寄生型人種(人系)としていずれ地球の全域で覇権を争うこともあるのかも知れない(「反社会性人格障害を減らす戦い--心理、教育、社会性の発達(28)」)。
命を掛けた覇権抗争によって、人の種の生存能力を弱める遺伝子の広がる危険性が人類史的妥当性の範囲で抑制される可能性も生じてくるのではないだろうか。もっとも、犬や猫の売買のようにかわいいしぐさの子供だけが売買されるなどということはないようにしなければならないのはいうまでもない。
(この項は文献3参照)

11.それでも、人類の究極の目的
それでは、そもそも人類の究極の目的などはないのだろうか。私は、それでも、人類の究極の目的は存在すると大胆に宣言したい。私は、「種の保存と人々の生命の発露こそ、人類究極の目的」という仮説を今は採用したい。
そのためには、大多数の人々の社会性が大切であり、生まれてしまった少数の反社会性人格障害者をも社会の中に組み入れて生きてゆけるようにしなければならない。そのためには、われわれ反社会性人格障害者にあらざる者は結束してことに当たらなければならない。今後は反社会性人格障害者がこれ以上増加しないように願いながら・・・。反社会性人格障害との戦いは始まったばかりである
コンピュータ・ネットワークと情報処理技術は、一人一人が世界中から情報を容易に集められ、加工でき、世界に向かって発信できるようにした。これを使って、地球人類に必要な政策を大多数の地上の人が理解でき、地球政府というものが出来るならば、瞬時にその意思を決定して、実行に移せるようになるだろう。また、そのための混乱と軋轢があっても、極力血の代償を少なくして、実行に移してゆかなければならないだろう。その日は、そう遠くはないと私は思うのである。高々30年ほど先のことに過ぎないだろう。
地球社会の人々は文化と人種の多様性を互いに楽しみながら、人類の世界を総力を結集して守り育てる時代がまもなくやってくるのではないだろうか。
そのとき、初めて人々は世界的規模で、「人類の究極の目的とは何か」を改めて思うのではあるまいか。
(この項文献4参照)

参考文献:
1.エンゲルス、「自然の弁証法」、「家族、私有財産、及び国家の起源」など。
2.愛知哲ニ、ギリシャ哲学への招待状、http://philos.fc2web.com/index.html(2007.06.11)
3.浅井美智子・柘植あづみ編、浅井美智子・柘植あづみ・土屋貴志・永田えり子・中山まき子著、「つくられる生殖神話:生殖技術・家族・生命」
4.琵琶、「直近未来30年の人類史激動の予測図--情報社会学、予見と戦略(7)」

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琵琶

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子供たちに自己有用性の確信を!、昨年の学生・生徒自殺過去最悪886人--心理、教育、社会性の発達(38)

2007/06/11
子供たちに自己有用性の確信を!、昨年の学生・生徒自殺過去最悪886人--心理、教育、社会性の発達(38)

6月7日、マスコミ各社は、警視庁の調べとして、「自殺者数、9年連続で3万人超え」と報じた。

(例)6月7日ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000039-san-soci
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自殺者数、9年連続で3万人超え 警察庁まとめ
6月7日15時50分配信 産経新聞
---------------------
昨年1年間の自殺者数は3万2155人で、前年より1・2%減少したものの、9年連続で3万人を超えたことが7日、警察庁のまとめで分かった。統計を始めた昭和53年以降6番目に多い。特に学生・生徒らの自殺は同2・9%増の886人で、53年以降、最悪となった。
年齢別では、前年比2・1%増となった「60歳以上」が1万1120人で全体の34・6%。以下、「50歳代」7246人(同22・5%)▽「40歳代」5008人(同15・6%)▽「30歳代」4497人(同14・0%)-の順。男女別では男性が約7割を占める状況は変わらないが、女性が9342人で前年より330人増加した。
自殺した学生・生徒ら886人のうち、小学生は14人で前年の2倍。中学生も22・7%増の81人。高校生は220人、大学生は404人だった。
(後略)
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実は、中でも深刻なのは、子供たちの自殺の増加である。

6月7日ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070608-00000005-san-soci
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昨年の学生・生徒自殺 過去最悪886人
6月8日8時1分配信 産経新聞
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≪いじめ深刻≫
昨年1年間の自殺者は計3万2155人で、前年より1・2%減ったものの、9年連続で3万人を超えたことが7日、警察庁のまとめで分かった。このうち学生・生徒の自殺者は同2・9%増の886人で、昨年のいじめ自殺の続発を背景に、統計を始めた昭和53年以降で最悪となった。
年齢別では、前年比2・1%の増加となった「60歳以上」が1万1120人で全体の34・6%。以下、「50歳代」7246人(同22・5%)▽「40歳代」5008人(同15・6%)▽「30歳代」4497人(同14・0%)-の順。男女別では、男性が約7割を占める状況は変わらないが、女性も9342人で前年より330人増加した。
自殺した学生・生徒ら886人のうち、小学生は14人で前年の2倍。中学生も22・7%増の81人。高校生は220人、大学生は404人だった。
自殺者の32・5%に当たる1万466人が遺書を残しており、原因・動機は「健康問題」が4341人で41・5%を占め、依然高率。次いで「経済・生活問題」が3010人(28・8%)だった。
遺書を残した自殺者の動機を年齢別にみると、60歳以上と20~30歳代で「健康問題」が最も多く、40~50歳代は「経済・生活問題」が最も多かった。いじめや成績などの「学校問題」を理由に書いた人は、前年より28・2%多い91人で、統計の残る平成10年以来最多。遺書だけでなく、警察の調べで「学校問題」が原因と判断された自殺者は242人で、前年を9人上回った。
-----------------------------------------

イジメの影響も大きいが、いじめられて抵抗を試みる心のエネルギーもない子供たちが多数をしめていることが見て取れる。
誤解のないようにはじめに断っておくが、抵抗しない子供がいけないというような主張をする無能な頑固ジジイのまねをする気はない。抵抗できない子供たちを放置している親と家庭とこれを取り巻く環境や教育機関にこそ問題があると言いたいのである。
私が接しているのは、大学の学生たちである。彼らは体こそ大きいが、精神はまことに幼い。誰も彼らの心をオトナになるように育てていないのである。学生たちは、いつでも「教えてくれないからわからない」という言い訳をする。私は、拳固を振り上げて「馬鹿タレ、自分で考えろ!」などとおどけて見せ、学生たちも笑いながら逃げるまねをするというようなことはあるが、ほとほと、学生の言うことがもっともだと思うこともある。
まず、彼らと接すると、ライフコンペティンシー(生活の手段、生存の方法)に関する確信らしいものを持ち合わせていないことに気づく。将来に対しては、不安と不確実性だけしか感じていないのである。昔風に言えば、な~に、自分を世間が認めてくれないなら、乞食になっても生きてゆくサ、という最後のよりどころもないのである。我々の世代(60歳前後)でも、自分を世間が認めてくれないなら、パチンコ屋の住み込みをしてででも生き抜いてみせる、というぐらいの気概はどこかに秘めて生きてきた(のは、私だけ?)。
年寄りには考えも及ばぬ若者の弱さに付け入る輩も登場する。大学の教育の現場にさえ、カルトもどきの怪理論を無責任に振りまく学者も、詐欺師まがいに"人をだましてこそナンボ"と教えるセンセイも居るのである。
 スタディ オン ザ ××元助教授の講義内容--感性的研究生活(17)
この種の問題は、立場上、支障がないとはいえないので今は詳細を語ることができない。しかし、学生らのライフコンペティンシー(生活の手段、生存の方法)の欠如は、実際大きな社会的問題であると思う。
さらに、ゼミなどで学生らと、じっくりと話し合ってみると、もっと重大なことがわかってくる。学生らは、「生存の方法を確信していない」だけではなく、「生存の自己理由をほとんど確信していない」のである。
学生が、ポツリと「卒業したくないっスよ。社会に出て何をしていいのかわからないっス」というとき、たぶん、彼は、単に「生活の手段、生存の方法」がわからないといっているのではないに違いない。大学の手だれの教師の皆さん、皆さんは、この言葉をどのように解釈されるだろうか。私には、自分が生きていることの意義、これから生きてゆくだけの価値がわからないと訴えているように感じられる。それこそ「誰も教えてくれなかった。だからわからない」と、言葉には表さなくとも彼は肩を落として、体で訴えているのである。
そんなとき、「そんなことがわからないのか!」とは、私にはとてもいえない。--、君が考え込むことはもっともだ、人は一人では生きてゆけないのさ、逆に言えば君は誰かのために役に立つことによって相手は生きてゆけるのさ、君は自分だけのために生きてゆく価値をすぐには見つけられないかもしれないが、誰か他の人のためになることはできるだろう、君が66億人の人のために、平均すればそれぞれに66億分の一の貢献をすることが期待されているんだ、聞こえない声は世界から君を呼んでいる、とやや芝居がかってと語りかけることもある。こんなときは私がどんなにおどけて見せても、学生は真剣な顔をして私の話に聞き入っている。他所では聞けない話だからだろう。もっと他所でも、違った言葉で、青年たちに、君たちは生きてゆくことがたくさんの人々から期待されている、と、告げてもらいたいものである。そう、これこそが、今オトナたちが子供たちにしてあげるべき、最大の仕事ではないのだろうか。
自分が、66億の民から、たとえ66億分の一ずつであっても期待されているということは、彼らにとってはとってもうれしい話のようなのである。場合によっては涙を流して聞き入る学生も居るくらいである。解答用紙を片手にお前はだめだ、ここの成績が悪い、ここを直さなければ、いい学校には行けないぞ、・・・と、学生は20年近く追い回されて育ってくるのである。自分は、果たして誰かに望まれてこの世に居るのだろうかと、疑問にならないほうがおかしいと言ってよいだろう。
特に男子学生にこの肯定感の希薄化が顕著に見受けられるのである。女子学生は、恋をするととたんにある程度は自己効力感と自己肯定感に満たされるようである。男の子は、よい彼女に恵まれても、自分の存在に確信がもてないと、どこか幸せ感が欠けているのである。

さて、自己肯定感や自己有用性などという言葉か出てくると、心理学の皆さんは、我が意を得たりといろいろなことをおっしゃりたがるようである。しかし、待ってほしい。皆さんの多くの議論は、青年には自己効力感や自己肯定感を渇望するものが多かれ少なかれそもそも備わっていて、ここを刺激すれば誘導効果が発揮できるとおっしゃりたいのであろう。立派なご説である。子供の心理を操作することがお仕事の人はそれでよいと、それに私も異存はない。
(1)浦上昌則、自己効力理論を用いた進路指導(南山大学文学部)
http://www.nanzan-u.ac.jp/~urakami/pdf/edu99.pdf
(2)今野芳子、自己をコントロールする力が育ち、自己肯定感が実感できる学習の在り方(第2集)、京都府総合教育センター、第3章自己コントロール力が育ち、自己肯定感が実感できる学習の在り方
http://www.kyoto-be.ne.jp/ed-center/ed04/kyosi/h13/selfcontrol/02self-04.pdf
しかし、いまどきの青年たちは、おっしゃるようなそもそも自己効力感や自己肯定感を渇望しておらず、そのようなモノがこの世にあるということを知らないようなのである。この事実を皆さんはどのように感じられているのだろうか。専門家ではない私は、専門家の皆さんに対してずうっと疑問を持ち続けているのである。
青年の多くは、そもそも自己効力感や自己肯定感を自分がもっていいのかと、不安に駆られ疑いに悩まされているのである。否、そもそも自分が生きてゆく価値があるのかという点に肯定的な感情がわいてこないのである。
このような人格は、大学に入って急に作られるわけではないだろう。幼児期に自分は母親を求めているのに母親は「抱き癖をつけないように」子供を求めないように努力している、学校に行くと友達はみなライバルで敵であると教えられ友達から頼りにされる経験はつまない、子供は友を求めようとすればイジメに会う経験をする、教師は学級崩壊やイジメを警戒して友達と仲良くしないように指導する、高学年になり中学に進み高校に進学しても友達はすべてライバルで互いにけんかにならぬようニコニコ顔で接するが内心では互いに窺うように暮らしており、他を求めたりしないのである。孤独である。だれからも求められず頼りにされない、見えない檻に囲まれる半生の中で、どうして自己効力感や自己肯定感が生まれる余地があるのだろうか。
こう言うと、自己効力感や自己肯定感ではなくて、自己有用性を強調する学者の皆さんも居ると思うが、他人から自分がヒトとして求められていないのにたとえ特殊な技能があっても、自己の有用性を感ずることができるだろうか。どんなに技能があっても自分が求められているという実感がなければ、自己の技能は何の意味もないのである。
青年たち、子供たち、幼児に、--君は世界から求められている、それだけではない、君のご家族も、君の友達も、そして私も、君たちの存在を喜び、君たちの活躍を求めている。私は、そう声を大にして言いたい。
世間の親も、小中高の教師の皆さんも、大学の教員の皆さんも、子供たちに、死ぬな、君たちの存在と成長は世界から求められているのだ、君の家族も君の友達も、そして私も君の存在と成長をこそ喜びにしているのだ、と言ってほしい。場合によっては抱きしめて、繰り返し、言ってほしい。こう言ってあげないと(特に男の子は)自分の生存への確信を保てなくなり、その継続努力を放棄してしまうことがあるのである。
子供は、宝である。大切に育てよう。自殺者を増やす家庭環境や教育環境は、なんとしても改めなければならない。ヒトとの交わりの喜び、ヒトから求められていることの充実感、ヒトの交わりに貢献する醍醐味を子供たちに、もっともっと体験させてあげよう。
社会性を育てるとは、ヒトから自分が求められていることと、期待されていることにこたえることによって自分が活かされる実感を積み重ねることによってなされるのであると私は思うのである。私は、古いと言われようと子供を抱きしめる教育をこそ、と思うのである。

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琵琶


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コムスンの不正、欲の亡者のダッチロール--社長の条件(31)

2007/06/08
コムスンの不正、欲の亡者のダッチロール--社長の条件(31)

介護ビジネス最大手のコムスンに対して、厚生労働省は介護事業所の新規開設や更新を認めないよう都道府県に通知した。
その後も、親会社のグッドウィル・グループは同一グループ内の別の子会社に事業とさせて規制逃れを画策したが、都道府県の幾つかはこれに反発し、厚生労働省もいったんはグッドウィル・グループの規制逃れを容認する態度を見せたものの、昨夜になって子会社への売却を凍結するよう態度を変えた。厚生労働省の真意はどの辺りにあるのかも測りかねるが、常習的に不正を働いてきたコムスンはダッチロールを開始しており、行く末に暗雲が広がっている状況である。

2007年6月6日ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070606-00000032-mai-pol
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<コムスン>厚労省、介護不許可 撤退は不可避か
6月6日11時44分配信 毎日新聞
-----------
グッドウィル・グループ(GWG)の訪問介護最大手「コムスン」(東京都港区)が青森、兵庫県で運営していた事業所で雇用していない訪問介護員を勤務しているなどと偽って申請し、事業所指定を受けていた問題で、厚生労働省は6日、コムスンの介護事業所の新規開設や更新を認めないよう都道府県に通知した。介護事業所についてこうした処分が下されたのは全国初めて。コムスンは介護サービス事業から撤退する可能性が強まった。
同省老健局によると、コムスンは06年7月に青森県、今年1月に兵庫県内の事業所の新規指定を受けたが、その際、勤務実体のない職員数を水増しするなどの虚偽の申請をした。
コムスンは、04年4月~今年1月、東京都、岡山県、青森県、群馬県、兵庫県の計8事業所の新規指定の際に虚偽の申請をしたことが各都県の監査で発覚。各都県は各事業所を廃止処分にした。
介護保険法では、事業所が廃止されると、より厳しい「指定取り消し」処分ができなかったが、昨春の同法改正で「居宅サービス等に関し不正または著しく不当な行為をした」申請者に対し、指定取り消し処分ができるようになった。このため同省は、昨春以降に指定された青森、兵庫県のケースについて規定を適用し、申請者であるコムスンが全国展開する事業所の新規指定・更新を認めないようにした。
今回の処分により、申請者のコムスンの役員が、別会社で介護サービス事業を行うこともできなくなる。利用者は、更新期限を迎えるまでは各事業所でサービスを受けられる。
コムスンは全国に約2081事業所を展開しているが、今後、更新期限(6年間)を迎える事業所が順次廃止されていくことになる。その結果、コムスンの事業所は2011年度には426カ所になり、事業継続は困難になる。【柴田朗、清水健二】
◇コムスン 人材派遣大手のグッドウィル・グループが100%出資し、88年に設立。老人福祉事業を全国で展開しており、民間の信用調査会社によると、06年6月期の売上高は638億円。事業内容としては、在宅サービスや通所サービスを行っている。利用者は約6万人。
最終更新:6月6日13時32分
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コムスンは、これまでも長年にわたって、不正が発覚すると、直接関係する事業所だけを閉鎖して、認可取り消しなどを回避してきた。今回のように、コムスン全体に規制の網がかけられると、この手は使えない。そこで、グループ内の別の子会社に事業譲渡して、規制対象法人の網から逃れようというのである。コムスンは不正なくして事業利益をあげられない体質なのだろうか。不正を自ら正して、不正のない業態を確立するという姿勢は少なくともこれまでは聞こえてきていない。不正体質をそのままに、その場しのぎをしているとしか思えないのである。コムスンはその意味で首尾一貫しており、変化は見られない。
今、迷走しているのは、コムスンというよりもむしろ厚生労働省である。

6月7日ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000192-jij-pol
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「コムスン譲渡は凍結すべきだ」=GWGに白紙撤回迫る-厚労省
6月7日21時1分配信 時事通信
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厚生労働省は7日、グッドウィルグループ(GWG)が、傘下の訪問看護最大手コムスンへの行政処分への対抗措置として全事業をグループ会社の日本シルバーサービスに譲渡して事業の存続を図ろうとしていることに対し、同一グループ会社への事業譲渡は利用者や国民の納得を得ることができないとして、事業譲渡の計画を凍結すべきだとの見解を発表した。
同省は、2008年3月末まではコムスンが責任を持って現行利用者へのサービスを提供し、それ以降の受け皿づくりについては、同省とコムスンとの間で調整していく方針という。 
最終更新:6月7日21時1分
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私のやってきた経営は、介護事業とは無関係だ。後継社長の候補者たちもこの分野に事業としての関心はないだろう。しかし、「事業コンプライアンス」の観点から、どうしても見過ごせない思いが募る。
この間のニュースで 「同省とコムスンとの間で調整していく方針」という点が、私から見ると気に入らない。
介護事業を民営化することを決断した以上は、民のことは民に任せるべきではないだろうか。官とコムスン1社がヒソヒソ話をして「官とコムスン1社」だけが納得できる結果を出そうという姿勢は許されるべきではない。時代錯誤もはなはだしい。
介護事業に参加している民間企業は多い。経営基盤の脆弱なところが多いが、志あってこの事業に参加している経営者も従業員も少なくはない。NPOや生協、労働者協同組合などの参加も目に付く分野である。私の母もすでにかなり前から介護事業者のお世話になっている。身近にいる介護事業者を観察してみれば明らかである。真面目に事業に取り組むところほど経営者が貧乏し、働く人々は最低賃金ぎりぎりの報酬に甘んじている実態がある。
ヤフーでこの間のニュースを追ってみると、次のようになっている。

(1)2007年6月6日11時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070606-00000032-mai-pol
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<コムスン>厚労省、介護不許可 撤退は不可避か
6月6日11時44分配信 毎日新聞
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(2)2007年6月7日0時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000004-mai-bus_all
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<コムスン>連結子会社の日本シルバーサービスに譲渡
6月7日0時24分配信 毎日新聞
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(3)2007年6月7日9時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000204-reu-bus_all
----------------------------------------------
グッドウィル株が売り気配、コムスン全事業譲渡でも売り収まらず
6月7日9時11分配信 ロイター
----------------------------------------------

(4)2007年6月7日13時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000104-yom-soci
----------------------------------------------
コムスン事業継続、新子会社の申請認めず…和歌山県知事
6月7日13時25分配信 読売新聞
----------------------------------------------

(5)2007年6月7日15時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000006-yom-soci
----------------------------------------------
厚労省、コムスン社長聴取へ
6月7日15時33分配信 読売新聞
----------------------------------------------

(6)2007年6月7日19時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000153-jij-pol
----------------------------------------------
「コムスンは退場を」丹羽氏=自民から批判相次ぐ
6月7日19時1分配信 時事通信
----------------------------------------------

(7)2007年6月7日20時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000175-jij-bus_all
----------------------------------------------
コムスン事業譲渡を批判=「明らかな脱法行為」―日商会頭
6月7日20時3分配信 時事通信
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(8)2007年6月7日21時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000192-jij-pol
----------------------------------------------
「コムスン譲渡は凍結すべきだ」=GWGに白紙撤回迫る-厚労省
6月7日21時1分配信 時事通信
----------------------------------------------

(1)の動きは、コムスンに事業からの撤退を要請するものとマスコミ各社は受け止めたようである。しかし、グッドウィルは、その日の夜のうちにすばやく(2)を発表し、子会社への事業譲渡によって事業継続を図ることを表明した。この決定を表明した自社のホームページには、この事は厚生労働省と打ち合わせ済みであり、問題がないとしていた。マスコミは厚生労働省に問い合わせをして、「(子会社の役員とグッドウィルの役員に重複がなければ)法的には問題がない」という立場を確認してこれを報道した。「出来レース」と報じたマスコミはなかったが、いかにも、厚生労働省とコムスン(グッドウィル・グループ)の出来レースのように私の眼には映った。
その後、マスコミには子会社の役員とグッドウィルの役員が今年の1月までは一部重複していたという事実も明らかにされた。この役員の重複就任を解除するのを待って、厚生労働省が今回の発表を行ったという見方も否定できないのである。
このような動きに、市場は猛反発した(3)。株価は暴落を続けた。事業コンプライアンス(法令順守)なき企業に市場は強い警戒感を持ち、冷淡に扱ったのである。
許認可権をもつのは都道府県である。ニュースでは和歌山県が一番早かったようだが、多くの都道府県は子会社への事業委譲にもノーを突きつけた(4)。この日午後、厚生労働省は、厚労省、コムスン社長を呼んで協議した(5)。厚生労働省の思惑がこのままでは世論の同意を得られないということに、厚生労働省もやっと気づいて、コムスン側と協議したのである。ここでも厚生労働省は、あくまでもコムスンにおもねり、擦り寄る姿勢が強く現れている。ここまで来るとあきれるというほかない。放っておけば自民党にも与党としての責任のとばっちりが及ぶ。自民党も動いた(6)。丹羽氏が「コムスンは退場を」と表明した(7)。「コムスン事業譲渡は明らかな脱法行為」と日商会頭も批判した(7)。
厚生労働省は、夜になって、やっと「事業譲渡凍結を」とコムスンにお願いをしている体たらくである。その上、まだ、コムスンにおもねり、今後については「同省とコムスンとの間で調整していく方針」というのである。貧乏に甘んじて、歯を食いしばり、頭を下げ、貢献に見合う対価の10分の一でも、と小さくつぶやくばかりでやっとの思いで事業を維持してきた零細企業の経営者の一人としては、「まだ、こんな政商がのさばる時代なのか」と歯噛みするばかりである。
私と同じ思いをもつ民間人は少なくないに違いない。その民意を反映するかのようなマスコミ記事に以下のようなものもあった(産経新聞)。

(7)2007年6月7日21時ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000010-san-bus_all
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グッドウィル、コムスン事業譲渡 したたか「退場逃れ」
6月7日8時1分配信 産経新聞
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■利用者保護優先、逆手に
訪問介護大手、コムスンの事業所への新規指定・更新を認めないとした厚生労働省が、コムスンの全事業を同じグッドウィル・グループ傘下の介護サービス会社、日本シルバーサービス(NSS、東京都目黒区)への譲渡を認めたのは、約6万5000人に及ぶコムスン利用者へのサービス継続に配慮したためだ。だが、行政の配慮を逆手に成長性のある事業からの撤退を免れた手法は、“検査逃れ”に通じるしたたかな企業体質をみせつけたといえそうだ。
今回の事業譲渡についてコムスンは「7万人近い顧客が不利益を被らないための措置」(広報室)と強調した。24時間介護など独自のサービスを必要とする利用者は多く、同業他社のサービスを受けるのが困難な地域もあり、「利用者の間に広がる不安を払拭(ふっしょく)させたかった」(同)という。
事業譲渡に伴いNSSは新たに指定申請を行うことになるが、厚労省は「認めざるをえない」(老健局)状況にある。行政は悪質事業者を排除しつつ、利用者保護も優先しなければならない。
一方、グッドウィルは経営面の打撃を最小限に抑えられそうだ。人材派遣と介護事業を経営の2本柱とする同社は、昨年10月に人材派遣大手のクリスタル(現グッドウィル・プレミア)を買収したことで人材サービスの比重を高めた。
それでも、関係者の間では「介護保険法改正の影響で一時的に停滞しているが、介護ビジネスは成長産業」との見方が強い。グッドウィルはグループ内の事業譲渡で介護事業消滅の危機を脱し、社会的非難をかわして再起する可能性がある。
6日の株式市場では、業績の先行き不安の高まりで大量の売り注文が殺到し、値幅制限の下限となる前日比1万円安の7万1800円とストップ安だった。だが、事業譲渡の方針決定は株価に微妙な影響を与える。
グッドウィルの折口正博会長兼最高経営責任者(CEO)は、日本初の24時間365日体制の老人介護サービス進出にあたって社会的責任や公益性を語らず、「ビジネスチャンス」と公言した経営者だ。そのしたたかさを市場はどう評価するのかが、注目される。
最終更新:6月7日8時1分
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しばらくの間、コムスンのダッチロールは続くだろう。厚生労働省は軟着陸を望んでいるのかも知れない。しかし、グッドウィルとコムスンは、人の目を掠めて生き延びる道を虎視眈々と狙っていることは間違いがない。日商会頭のように退場を求め、願う人もいる。
しかし、脱法ビジネスに手を染める者の末路は、常に哀れである。ライブドアの堀江氏、村上ファンドの村上氏の記憶は新しい。
企業経営に許される対価は、元来、社会貢献に対する見返りだけである。それ以上のものを求める者は、どうぞ退場してください。あなたたちのいるおかげで、ビジネスをする者の地位や志が低くけがれた者のようにみなされるのが、どうしても我慢できない。この思いは、私だけだろうか。ビジネス界に、志が低い欲の亡者ははっきり申し上げるが、まったくいりません。出来ることなら、そっくり返品したい。
ごまめの歯軋りとはこのことだろう。私ごときが何かを叫んでも、直接には何一つ影響は与えられない。遠くにいて、事の成り行きを見守っているしかない。
コムスンは、今までと同じように豪腕をふるって、この問題を巧みにかわして、いっそう巨大化を続けるのかも知れない。テレビでの会見とは裏腹に、グッドウィル折口会長はお金が好きなだけで介護事業に思いいれがあるわけではないに違いない。最悪でも、丸ごと売却してこの事業から撤退し、売却益を得ようという魂胆かもしれない。それでも、何も出来ずに、私たちは、じっと見守っているだけだろう。歯がゆいが、それもまた人生かとも思う。

せめて、私の後継者の君たちは、欲の亡者になることなかれ。
欲の亡者になれば、世の批判にさらされ、余計なエネルギーを使って批判に対抗しなければならないのは確かである。心正しければ、余計なエネルギーを使うことなく自分たちの社会的使命を着実にこなしてゆくことの中に活路が見出せる。
法と倫理を守って世間から益を授けられることの醍醐味の経験を重ねよう。君たちならば、それが出来ると確信する。法と倫理を尊重して社会に貢献する集団であれば、周囲の皆さんから、これまで同様、そして若い君たちならば、これまで以上に周囲の皆さんからのご支援もいただけるに違いない。胸を張って、堂々と一歩前に、そしてもっと前に。そして、全力で走り出せ。

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琵琶


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フルオブジェクト指向システムJ-Star Jr.Jシステム開発への参加、日本初テクニカルライティング・チームの立ち上げ--アルゴリズム戦記(16)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/06/04
フルオブジェクト指向システムJ-Star Jr.Jシステム開発への参加、日本初テクニカルライティング・チームの立ち上げ--アルゴリズム戦記(16)

1985年-1986年、またしても私たちは日本初の仕事に挑戦することになった。
現代では当たり前になっているオブジェクト指向システムであるが、当時はまだ目新しいものであった。我々は、すでに「ピカソ」の開発の過程(ピカソ誕生秘話その1その2その3その4その5その6その7)で、オブジェクト指向に到達してしまっており、Mac上のSmallTalkなども試していたりした。
当時、私がマイコン雑誌「RAM」の常連執筆者(ペンネーム、森口晶)だった関係で、「RAM」の発行元であった廣済堂印刷から紹介があり、富士ゼロックス様にお邪魔した。開発コードしか明かされず、何もかも秘密のベールに包まれた開発であった。はっきりとしているのは、オブジェクト指向型のシステムの開発ということだけだった。集められた幾つかのチーム(システムハウス)が合同で何度か会合を持ったが、我々以外はオブジェクト指向という概念になじみがなかったようである。少しすると、マニュアルを作成する人がいないということに関係者は気がついた。当社が出版関連の仕事も(!)しているということに気がついた関係者らは、我々にもっぱらマニュアルの執筆と制作を頼んできた。廣済堂印刷も大いに気をよくして、我々と廣済堂印刷は合同してこのプロジェクトを進めることになった。
マニュアルは、すでに「ピカソ」など自社製品のために何通りも書いていた。ノウハウも蓄積していたので、自信はあった。
計画では700ページほどになるはずだったが、紆余曲折を経て、最終的には1300ページほどのマニュアルになった。
契約に先立って、富士ゼロックスの担当者が当社を視察に来るということで、廣済堂印刷の営業担当者はあわてた。当時、我々のオフィスは、戦前に建てられた築60年くらいの傾いた民家を改造してその2階に居たのである。1階は居酒屋である。廣済堂印刷の営業担当者は、事務所の移転を主張した。当時のスタッフは12-3名。ちょうど、オフィスも狭くなっていたので、スタッフは、新しいオフィスを手分けして探した。2人1組で3チームの探索隊が1日あたり2-3時間を費やして都内を探したが、3日かかってもちょうど良いオフィスが見つからない。探しあぐねた末に、あるチームが休憩を取ろうと路地裏に入ると、どうしたわけか、一人の紳士が道路の掃き掃除をしていた。小さいが美しい佇まいの新築中らしいビルの前だった。ビルの工事現場から道路にはみ出して出るゴミを取り除いているらしかった。「きれいなビルが建ちますね。入居は受け入れているんですか」とスタッフが訊くと、「来月からオープンでね、ワンフロア分はまだあいているんだ」とおっしゃった。お値段を訊くと、「お安くするよ」とその場で条件を提示してくださった。スタッフは、名刺をいただくと大急ぎで帰ってきて、私に、こう言った。「予算の上限を少し超えているけれど、きれいな新築なんだ。労働意欲がわきますから、倍働きます、ここに決めてください」、・・・。こんな殺し文句に、弱くない社長が居るだろうか、私は、すぐに「ダマサレルこと」にした。社長は社員にいつでもダマされる覚悟が必要だ。フリでもいいからまずはダマされようというのが私の信条の一つである。後はじっくり観察して、「やっぱりウソだったネ」とか「いや~、けっこうやるじゃないか」とか思えばよいのである。
そのビルは、その後にわかったのだが、著名な建築デザイナーの長谷川逸子先生が設計したもので、長谷川事務所の所有ビル(長谷川ビル)だったのである。ビルの前で掃き掃除をしていた紳士は、長谷川逸子先生の弟さんでかつ長谷川事務所の社長を務める、やはり建築家の長谷川博先生だった。スタッフが一目ぼれするだけのことはある、すばらしいオフィスだった。
我々は、このビルに嬉々として転居した。
ライティング・スタッフもいろいろな伝手を使って、次々にリクルートした。その数、当初で約50名、途中交替もあったので、延べ70名ほどのスタッフがライティングを行ったことになる。
まず、私は、オブジェクト指向とは何かをスタッフに解説した。ゼロックス社を開祖とするデスクトップ思想についても薀蓄を何度も傾けた。オブジェクト指向やデスクトップ思想を、マイクロソフトの発案であると勘違いしている人もまだ居るようである。いや、アップル社の方が古い、と主張するマックファンも居るようだ。しかし、どちらもハズレである。正解は、ゼロックス社のパラアルト研究所で1970年代の10年間研究開発された事務用マシンの上に実現したものが、オブジェクト指向やデスクトップ思想なのである。ゼロックス社を退職した数名の技術者がアップルに転職してアップル社のオブジェクト指向やデスクトップ思想が始まり、マックの成功に手を焼いたマイクロソフトがアップル社の技術者を数十名引き抜いて始めたのがウインドウシステムの開発なのである。その意味で、オブジェクト指向やデスクトップ思想の開祖はゼロックス社である。これは、アップル社とマイクロソフト社の歴史的な裁判が連邦裁判所で結審を迎えた後、判決の前の間隙を縫って、ゼロックス社が、これも歴史に残る名記者会見を行ったことの記憶もまだ新しい。ゼロックス社は記者会見で「著作権の権利は我にあり。ただし、創始者の名誉は享受するが、金銭的権利は行使しない」と表明したことに、全世界が感動し、賞賛し、これ従った、印象深いエピソードがある。
我々を大切に扱ってくれた富士ゼロックスに敬意を払って、ゼロックス社の名誉を改めてここで確言しておきたい。
富士ゼロックスは、富士写真フイルムと英国ランク・ゼロックス社との合弁により設立された企業なので、通常はゼロックス本社のマシンやソフトを日本に持ち込むスタイルになるのだが、今回ばかりは、すべてを日本で開発するというのである。富士ゼロックス側は何もかもはじめてである。受託している下請企業もみな初めての概念に取り組むことになっていた。我々は、概念になれていたが、テクニカルライティングをチームで実施するという日本では前代未聞の作業に取り掛かることになったのである。本来ライターは、だれも個性を重んじ、他人と同じ文体の文章を書くなどということは信じられない暴挙と見えたに違いない。フォームを決め、文体を指定し、原稿はすべて私が読んで赤字を入れることにした。
出だしは順調のように見えた。入門編の原稿は、私が書いた。ツアーリングを書く提案をして受け入れられたからである。従前の使えないマニュアルを克服するというのが私の提案だった。入門編(ツアーリング)には、「システムの起動」を冒頭に書くことは当然としても続く章では「システムの終了」をセットで書くようにした。これより以前のマニュアルでは、開始の記述は冒頭に、終了の説明は最終章に書かれていた。初心者は、まずは試しにシステムを立ち上げて何もせずに終了する場合が多い。起動に続いて終了がかかれていないと、大混乱を引き起こすのである。おそらく、その後の日本のマニュアルのライティングスタイルの開祖は紛れもなく私だろう。ハードウエア編とソフトウエア編に分け、トラブルシューティングは別冊にした。しかし、せっかく書いた入門編(ツアーリング)は無駄になってしまった。仕様が変更になったからである。
マシンとソフトウエアの開発は遅れがちである。システムの完成と同時にマニュアルができていなければならない。ライティングは、手作業である。時間画がかかるのである。先行して進めたいが、仕様が変わってしまっては何にもならない。それでも、妥協して、機能設計書ができたら、それを読みながらマニュアルを書くということにした。ライターたちは不平たらたらだったが、何とかこのプロジェクトの意義を理解して協力してくれた。ほとんどすべての原稿が完成し、5度目くらいの修正が終わった頃、ある事件がおきた。
最後に、日本語の文法の問題で、悶着が起こった。富士ゼロックスに雇われたプランナの一人が、我々の書いたマニュアルを読んで、主語がふたつあるのはおかしいなどといい始めたのである。典型的な日本語音痴の発言なのだが、これには、誠に困り果てた。なぜかといえば、主語がふたつあるのはいけない、などという「日本語文法」は、戦後日本に無謀にも持ち込まれたもので、GHQが英語を日本の国語にしようとして失敗したあと、日本語文法の英語化を図って取り入れ、義務教育に持ち込ませたものだからである。「象は、鼻が長い」などのように日本の文章は、正しい日本語である。英語の文法になくとも、日本語の(隠された)文法にはれっきとして存在する日本の伝統的な言い回しである。この問題については、日本語研究者の大野晋などが膨大な研究をしているし、元朝日新聞記者本多勝一の著書にも詳しい(末尾の参考図書参照)。正しい日本語である「象は、鼻が長い」が解釈できない、小中学生向けのいわゆる「日本語文法」なるものは、「日本語文法」なるもののほうが間違っているのである。これ以上、ここではこの文法問題に立ち入らない。
一方、富士ゼロックスの社員の皆さんは英語の達人ばかりである。日本語よりも英語のほうが上手で、日本語は下等な言語といってしまいかねない方々なので、日本語音痴でトンチンカンな雇われプランナーを説得できるわけもない。
私と私のチームは背景に退くことにして、後は、廣済堂印刷が集めたコピーライタ(理屈ぬきに文章を整形できる人々)に引き受けていただいた。廣済堂印刷のコピーライタの皆さん、本当にご苦労様でした。
システムが完成し、マニュアルの印刷製本も何とか間に合って、発売になった後、富士ゼロックスのご担当の皆さん、廣済堂印刷の皆さん、そして私たち、現場で苦労した人たちだけのささやかな祝宴が開かれた。ともかくも、関係者の皆さんからの感謝の声の嵐の中で大団円を迎えることができた。
最後に少しばかり改悪が加わってしまったが、世間ではこのマニュアルが絶賛され、私は、さまざまな講演やセミナーに講師として呼ばれることになった。マニュアルライティングのノウハウを日本のほとんどの優良企業の担当者の方たちにお話したことになるのではないかと思う。もちろん、日本語文法の不幸と真実についても、トンチンカンプランナーの話は伏せて、十分解説したのはいうまでもない。その後、受講者だった大手各社の著名な方々とは、長くおつきあいが続いた。私の講演やセミナーの受講者の多くが、またマニュアルの専門家として、各地で独立したり、講習会を開いたりしたのである。
簡単にまとめると、完成したシステムは、「J-STAR Jr.」(開発コードM6060,フルオブジェクト指向システム)で、60-70名のテクニカルライターを動員し、全11巻(総ページ数約1300ページ)であった。
今は昔、日本のオブジェクト指向の黎明期の記念すべき出来事だった。

(参考図書)
三上章、「象は鼻が長い - 日本文法入門」、くろしお出版、1960年
大野晋、「日本語の文法を考える」、岩波書店(岩波新書)、1978年
大野晋、「係り結びの研究」、岩波書店、1993年
大野晋、「弥生文明と南インド」、岩波書店、2004年
ほか
本多勝一、「日本語の作文技術」、朝日文庫、1982年
ほか


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琵琶


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