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第3回「新・田園構想」研究会への参加--感性的研究生活(24)

2007/07/30
第3回「新・田園構想」研究会への参加--感性的研究生活(24)

この日、第3回「新・田園構想」研究会が開かれたので、私も参加した。

1.第2回研究会以降の調査・ヒヤリング結果の報告
2.今後の研究体制について
3.7/3に松戸市から検討依頼のあった農業法人について
4.その他

私が、この日用意したのは、「市役所が園芸学部に期待していると推定される事柄」というレジュメで、私のレジュメをきっかけに議論が盛り上がった。
実は、この会が行われるのと併行に、市役所と千葉大学園芸学部の間では契約の実務が進んでおり、数日後研究委託契約が成立した。
千葉大と市役所の間に実務的な交流を実現したいと念願していた私にとっては、躍り上がらんばかりの成果である。過去には美しい言葉のやり取りにもかかわらず、ほとんど何も実現しないというむなしくもおびただしい交流の歴史があった。
この街の仕事起こしは、学術的英知が必要であると私は長く主張してきた。英知が実際の仕事に固定化されて花開くには、金銭的対価が支払われなくてはならないというのが私の持論である。知恵はタダと思っている限り、その知恵は実務の世界に花開かない。
今回は、わずかな金額であるが、研究委託費が千葉大学に支払われることになった。当市にあっては初めての出来事である。これを慶事と言わずして何事が喜びか、というくらいうれしい。
少し生臭い話になったが、研究も実務に活かすには対価が必要ということである。

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琵琶

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参院選自民大敗の人類史的意味--情報社会学、予見と戦略(12)

2007/07/30
参院選自民大敗の人類史的意味--情報社会学、予見と戦略(12)

私は、本質的に今の政治には関心がない。政治に命を削る皆様には頭が下がるが、自分から関与しようとは思わない。

しかし、今回の参院選(2007.07.29投開票)は何かと興味深かった。自民大敗という結果である。
自民敗北の原因、民主党の過半数越えの大躍進の理由などについては、たくさんの解説がすでに出されている。どれもなるほどと思わせるものである。これからも、詳細な検討がされるだろうし、政治に命を懸けている人々にとっては必須の大事である。私も頼まれれば、膨大なデータのヤマから次の選挙に役立つ手かがりをいくつでも取り出して見せる自信はあるし、そのことで大きな対価をいただくこともある。
しかし、今、ここでそんなことをいろいろと解説する気はない。タダでは言えない、ということもあるが、それよりも実はもっと大切なことを今回の党開票結果は示していると思うのである。しかも、その大切なことは、お金の対象にもならず、あまた流布している政治批評とも無縁なのである。
我が家のマネージャさんは、よくなげいている。世間では話のネタでお金を稼ぐ人が多いのに、あなたは大事なことはブログに書いてしまって、一銭の得にもならないことをしている、・・・。我が家の家計のことを考えてくれているの? ・・・。ご免なさい。
しかし、これは、まだ講演依頼のタネにもならないので、我が家のマネージャさんにはご理解をいただいて書かせていただく。
2007.07.29投開票の結果は、「市民参加型社会の成熟の兆し」を意味しているということである。フランスでは移民の子サルコジ女史が大統領になった。来年に迫ったアメリカの大統領戦挙の予備選では、WASP(White Anglo-Saxon Protestant)以外の候補の活躍が目立っている。エスタブリッシュの男性ではなく、女性の進出も目覚しい。権威や家系が威力を失いつつあるのである。
日本でも、権威や家系の威力が地方から崩れ落ち、代わりにマニフェストが重視された。候補者の主張(移ろいやすいかもしれない)に皆さんが投票したのである。
硬直した旧時代は1980年ころから崩れ始め、市民参加型社会は、ステューデントパワーの同世代(団塊の世代)が世界の先進国で営々と作り上げてきた。だから、世界各国の大きな社会的変動は時代的同期を示しているのである。ステューデントパワーの世代とは、各国とも第二次世界大戦の直後に生まれた子供たちなのである。彼らは、権威ある父の世代が名誉ある戦死をした後に生まれており、古い考え方や制度に縛られることが少なかったのである。
日本でも、この世代が古い社会や因習に風穴をあけ、市民参加型社会を飽きることなく少しずつ作り上げてきたのである。30年、人の人生にとってはひどく長い時間だが、人類史にとってはまばたきする間もないくらいの短時間である。
こうして、今、政治の分野でも、権威ある自民党だから当選するということはない時代になっているのである。今回の選挙結果は社会が市民参加型になったように、政治界も市民参加型に舵を切り始めていることの証左である、と言うのは言いすぎだろうか。少なくとも、市民参加型社会への人類史的転換が完了に向かう歴史的傍証にはなっていると思うのである。
評論家の皆さんがなかなか言わないので、私はここでもはっきりとこれを指摘しておきたい。

さて、これは、良いことなのかどうかといえば、良いことでも悪いことでもなく、歴史的通過点をただしく通過中であるとしか言いようがない。過去の権威だった者が現在も権威かどうか分からないまま支配しその他が支配されるという不幸な時代は基本的に終わりつつある。これは良いことだが、統制が取りにくく、政治界でも個別利害のために人々が奔走する不幸なことも起こりがちになる。これは不幸なことの始まりである。
民主党が多数を占めたから、新しい安定多数派となるかといえばそうはいえない。勝ち馬に乗るのは人の常である。民主党が勝ちそうなときに、集まってきて一緒にやった方々も、内部は様々な利害の代表者である。通例によれば、野党は政権に手が届きそうになると分裂するのである。それまでは表面化しなかった党内の政策の違いが表面化するからである。民主党が多数を占めたための苦労と苦闘はこれからである。小沢氏が熱を出してしまうわけである。
小沢氏ならば、それでも民主党の一本化に成功するかもしれないが、相当なエネルギーが必要なのは間違いがない。
私の心配は、小沢さんのご苦労にあるのではない。ましてや安部さんの進退にあるのではない。
市民参加型の社会が全面化する(2010年ころ)と、デマゴギーと私利私欲小集団の暴走が始まるという心配である。全体と部分の利害の対立は、いつでも人々を悩ませて苦しめてきた。60万年前に人類が始めてムレからムラに移行して以来、この苦悩は続いている。市民参加型社会は、部分の利害だけを追求する小集団が大声を上げやすくなるということでもある。今回も、いわずと知れた様々な利害集団がそれぞれの候補者を担いだ。党の公認という表面だけを見ていたらもう真実が見えない時代になったのである。少数派が不当に抑圧差別されることが少なくなる代わりに、私利私欲が全体の利益を損なう事態は増大するにちがいない。人々の間に争いが増加し、さや当てや、刃傷沙汰は数知れず、という時代の到来が心配されるのである。私利私欲の範囲を超える広域の出来事については人々は思考を停止するので、(「参戦しないと日本は損をする」などのように)私利私欲に結び付けて広域行政や政策を訴えると、人々は熱狂的にこれを支持するという傾向が生まれるのである。デマゴギーと衆愚政治の蔓延である。
このような混乱は、30年後にならないとやってこない次の安定期の到来までは続くだろう。

2006.07.16
人類社会は次の激動再編へ--情報社会学、予見と戦略(2)
2006.07.28
鍵を握る単位組織=擬似家族--情報社会学、予見と戦略(4)
2006/8/16
空間を越えた擬似家族成立の条件--情報社会学、予見と戦略(5)
2006.12.05
つまずくWEB2.0、マイスペース、ユーチューブ、ミクシィ、グーグルに暗雲--情報社会学、予見と戦略(6)
2006.12.10
直近未来30年の人類史激動の予測図--情報社会学、予見と戦略(7)
2006.12.25
世界の富の集中と格差拡大、国民国家の命運--情報社会学、予見と戦略(8)
2007.03.23
発表: 社会と情報システムの今後、次世代大学教育研究会--感性的研究生活(18)
2007.04.06
世界は変わる、OSS(オープンソースソフトウェア)、ネットコミュニティ、ネット共和国--感性的研究生活(19)
団塊の世代、退職しても「市民参加型社会への意欲」は続く--情報社会学、予見と戦略(9)
人類究極の目的、種の保存と人々の生命の発露--情報社会学、予見と戦略(10)
次の激動再編へ、IBM関係者らも一部表明--情報社会学、予見と戦略(11)

人類は、より賢くなっているので、これらを難なく解決、より良い社会に進むのだろうと思う。そうあってほしい。

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琵琶

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命がけの「一案件採算主義」--社長の条件(33)

2007/07/24
命がけの「一案件採算主義」--社長の条件(33)

世には1円入札というようなやり方もある。初年度は競争入札なので1円で応札して、次年度からは業者を変えるのが難しいだろうから、随意契約となるに違いない--とりあえずは赤字で受託して次年度には2年分のコストと利益を回収しようというのである。
うまくいったら、おなぐさみというところだが、初年度は大赤字でも耐えられるという資本力のある大手だけが取りうる戦術である。しかし、これがうまく行くようならば競争を排除し、その仕事を1社独占にするというのだから、法律には触れなくとも「競争妨害」であることは間違いはない。どうしてこんなことが許されているのだろうかとは、対抗するにも先行する資本力を持たない当社のような零細企業の僻みなのだろう。
いずれにせよ、我々が取るべき戦術ではない。われわれは、あくまでも愚直に、一案件ごとに採算を願うばかりである。

わが社は、誰にも恥じない(!?)立派な零細企業である。余分な先行投資はできない。毎回、1つの案件ごとに採算の合う支払いとお仕事のバランスが取れていないと経営を維持できないのである。
1つの案件ごとに採算の合う支払いとお仕事のバランスを図ることを「一案件採算主義」という。
我々は、零細企業であるからこそ、「一案件採算主義」を採用しており、これを変えてはならないのである。

バブルのころには、たちの悪い顧客がいたものである。顧客というよりも顧客のフリをしたハイエナである。「この仕事で赤字になっても、この赤字予算で請けてくれれば別の仕事もあるから、・・・」と盛んに、別のエサをちらつかせて大幅値切り交渉をしてくることがしばしばあった。この手のハイエナが、別の仕事で赤字を埋め合わせてくれたことなど皆無といってよい。彼らは口先三寸で、職人の汗と知恵の値段を値切ると、それまでに自信たっぷりに口にしていた別の案件のことなどすっかり忘れてしまうのである。都合の良い健忘症なのだ。あるとき、この手の顧客担当者に、「あなたは同じようなことを2度おっしゃって繰り返している。その結果、補填の仕事はなかった。3度も裏切られては当社の経営は持たないので、次回の仕事の具体的内容をここに書いてくれ」とメモ用紙を差し出した。彼は、即答を避けて、数日後、私以外の社員を呼び出して、こう言ったそうである。「あなたのところの会社は、受託開発以外にパッケージも出版もしているのだそうだね。パッケージや出版で儲かっているのだろうから、うちからの受託仕事を赤字で請けてくれてもいいんじゃないか」 これを聞いた当社の担当者は、なるほどと思ったのか、半ばその話に乗って私に意気揚々と説明した。「パッケージや出版で儲けて、あの会社からの受託仕事を値引いてもいいんじゃないか」と。
君たちは昔の当社のこの担当者が正しいことを言っていると思うだろうか。喜んで、採算割れの受託に応ずるべきだろうか。私は、断固反対した。会社の存続は社長の責任である。彼のいる前で電話機を取り上げて、相手の担当者にお断りを申し入れた。・・・。
また、バブルの絶頂期の終わりに当時は最大の顧客だったマックスファクタが事実上の倒産をすると、事実上、最後の1年分の支払いがそっくり踏み倒されて、たちまち、当社は経営に窮するようになった。たくさんの対策が採られて、命を削る努力とたくさんの涙と断腸の別れと、たくさんの善意が集まって、今日では窮状を脱しているが、その過程で、採算割れの顧客をお断わりするという荒療治も何度か実行した。顧客は顧客だが、利益をむさぼるだけでその反対側にいる下請けには赤字だけを押し付けるケースは切り捨てたのである。
その昔の石山寺の御堂筋の商人たちは「もうけは半々(利益は折半)」と言い習わした。自分だけ利益を取って、相手に利益を渡さないことや、赤字を押し付けることは結局安定的な取引を損なうのでやめなさいということを意味していた。しかし、顧客に扮したずうずうしいハゲタカやハイエナは、相手にその半分の利益を渡さないばかりか、赤字を押し付けることに躊躇しないのである。顧客に扮したずうずうしいハゲタカやハイエナは、気をつけていないといつの間にか取引の中にもぐりこんでくる。これをときどき大掃除のつもりで、すっぱりと切り捨ててみると、ずいぶんと楽になったことを実感したものである。
「一案件採算主義」を採用しないと、このような大掃除がなかなかできないので、全体の経営を圧迫して、倒産の危険性すら生まれるのである。また、「今、自分が担当している仕事は赤字だが、彼が担当しているのは黒字だから、会社としてはOKだろう」という、安易な怠惰も生み出しかねないのである。単純に考えても分かるが、赤字を出し続ける担当者は、むしろ会社から切り離すべきである。そうすれば、黒字ばかりの仕事になるので、経営は安泰である。
ちなみに、最近では、顧客の数が限られているので、切りたくなる顧客はめったに入り込まない。むしろ怖いのは、社内の慢心である。社内の慢心は、他人の血と汗の成果を吸い取る悪魔の所業となる。心して避けなければならない。
「一案件採算主義」は、零細な企業が外部からしかけられる陥穽や、社内にいて生き血を吸う寄生虫から身を守るきわめて大切な原則である。我々にとっては、命がけの原則である。
ゆめゆめ、"この案件で赤字でも、あの案件があるから"と思うなけれ。"あの案件で黒字のように、この案件でも黒字にしよう"と決意しなければならない。一案件、一案件、それぞれに黒字でなければならない。大もうけしなくともよいが、一案件内で赤字になるものは、地面に額をこすりつけてお客様にお詫びしてもお断りすべき案件である。

諸君らには、「一案件採算主義」をぜひ心に刻んで経営に当たってほしい。

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琵琶


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台風の中の大冒険--我が家の愛犬様(22)

2007/07/16
台風の中の大冒険--我が家の愛犬様(22)

昨日(7/15)の朝は、前日から断続的に続く豪雨だった。
しかし、愛犬様は、雨が降ろうが槍が降ろうがお散歩は欠かせない。ウンチをするという大切な日課は、お散歩のときしか出来ないのである。巣の中や巣の近くでウンチをする軟弱な飼い犬が多くなった昨今、愛犬様は断固として野生のままに、ウンチは巣から遠く離れたところにするという習性を堅持している。
激しい雨のために夜中に何度も目覚めていた愛犬様は、まだ暗いうちからお散歩を要求して、キューンキューンと家族を呼ぶ。
私は、やや風邪気味で奥様が散歩に連れ出すことになった。休日の散歩は私か家内の仕事である。平日はなかなか出来ないからである。
ドアを開けると、それはそれは激しい雨である。台風は鹿児島あたりにまだいるらしく、風はまだ強くない。台風に刺激された梅雨前線が激しい雨を降らせているのである。愛犬様は、いつものように奥さんと一緒にルンルンというぐあいに、出かけてゆく。愛犬様は雨に打たれて歩くのも平気である。たちまち、愛犬様は全身ずぶぬれびっしょりである。私は、ステテコ姿のまま、後姿を見送ってドアを閉めた。帰ってくるまでに暖かい朝食を用意しておこうかなと殊勝に思って台所に向かうと、玄関ドアがバタンと開いて、奥さんが困った顔をして、ちょっと顔を見せて! と叫んでいる。愛犬様が、我が家の敷地を出て、やや先の一族全体の敷地を出るあたりで、突然、周囲を見回すと、後ろ向きにぐいぐいと綱を引いて戻ってきたしまったのだという。愛犬様は、玄関から頭半分だけ中に入れて、私を見上げて誘うように頭をしきりに上に振る。一緒に来いというポーズだ。ええっ、このカッコウ(ステテコ姿)じゃ外に出られないし、風邪気味なのに、この雨の中に出てゆく自信はない、「(お父さんじゃなくて)お母さんと一緒にお散歩。行っといで! バイバイ!」と身振りを交えて、言うと、愛犬様は、いやいや言うことを聞くときにするポーズであるが、耳を後ろにそろえて、舌を長くたらすと、後ろに向きを変えて、しぶしぶ歩き出す。奥さんもついてゆく。ドアを閉めてまた私は台所に向かう。
一息入れると、またドアがバタンと音を立てる。もうダメ! と奥さんの声。同じところまで行くと愛犬様は走って戻ってきてしまったのだそうだ。やれやれ、こんなことはめったにないのだが、愛犬様は、この激しい雨が不安なのだ。群れのボスである私にもついてきてほしいというのである。仕方がない、急いで身支度して、私が綱を握って改めてお散歩に出発。奥さんもついてくる。傘はさしているがほとんど役に立たない。すぐに私も全身がずぶぬれになってゆく。
愛犬様は、いつもよりもかなりゆっくりと進む。草が茂っていて、大好きな鉄塔通の安全地帯で少しだけ走り回るとブルブルと雨水をふるい落としてから、すぐに町会の公園に向かってゆく。最近、喧嘩した犬がいるので警戒してここ1-2週間はクビを下げてその公園には警戒モードで接近するのに、この日はそんなことはお構いなしに一直線に公園に向かう。公園の奥の草の茂みを激しい雨の中、をいつものようにうろうろとした後、またブルブルっと雨水をふるい落とすと、いつものように元気なウンコをする。愛犬様は、すぐに公園から出てゆこうとする。いつもならば、私や奥さんがウンコの後始末をしている間は横で砂かけ行動をしたりしながらしばらくは待っているのに、これも珍しい行動だ。激しい雨のために先を急ごうというのか、それとも激しい雨のときは砂かけ行動も意味がないということなのか、考えているうちに、奥さんの愛犬様の後始末が終わり、散歩は再開である。公園を出て、しばらく行くと我が家に戻る道へと分岐するところがある。ここで、さっさと帰宅の道を選ぶことも多いのだが、この日は、先に行こうと綱を引っ張る。この先に行くと、この一帯では一番古い神社があって、そちらに行くことも出来る。神社を詣でて、ここから畑の中の農道を通って大回りする散歩道も愛犬様は大好きである。
やれやれ、この雨の中をあの道に行きたいのか、しかたがないなぁ、と彼の願いをかなえてあげようとしたのが、この後の惨劇の始まりだった。
神社の脇の道に入り込んで、畑の中の農道を通って大回りして帰ろうと歩き始めて、後ろを見ると農道はもうすでに川のようになっている。ほんの20-30秒の間に雨脚はいっそう激しくなっていた。後ろから、乗用車がゆるゆると入ってくる。めったに車は通らない道なのだが、地元の人だけが知る抜け道で、たまに小型トラックや乗用車が通り抜ける。我々が道をよけて、道路わきに佇むと、その横をそろそろと乗用車が抜けてゆく。前を見ると、車は車輪の半分ほどを水に沈めている。農道がえぐれてしまっているのだ。わだちが見えないので、車は激しく左右に振られて止まった。水は激しく農道を流れていて、川と変わらない。乗用車も我々の位置から20メートルほど前に進んで、立ち往生し、ギアを激しくきしませてUターンして帰ってくる。また我々が道の脇に逃れると、その前を通って来た道を帰ってゆく。さて我々は、と前後を見ると農道は前も川、後ろも川である。どちらもとうてい進めない。つまりは帰れない。愛犬様も当惑した顔をして私を見上げる。「心配ないぞ、お父さんについて来い」と言う。見回すと、農道に直交する畦道の何本かは冠水を免れている。それらのひとつを通って、少なくとも、遠くに見える舗装してあるやや広い道の近くまではたどり着けそうだ。私は決断すると、奥さんにも、この畦を伝って行くぞ、と声をかける。奥さんはすでにもう声も出ない。ただ黙ってうなづく。愛犬様に、手で方向を示すと、彼はそのあぜ道に向かって進み、あぜ道を歩き出す。私は愛犬様の後ろを歩く。私の後ろを見ると、奥さんは右隣のあぜ道に入ったようだ。やはり冠水は免れたあぜ道の一つである。
少しの時間だっただろうに、かなり長い時間のようにも感じた。あぜ道をわたりきると、一枚の畑が横たわっていて、その先の舗装道路にゆく道はない。右に行くと、耕したばかりらしいやわらかそうな畑地がしばらく続く、左に行くと泥沼化した林である。私はどちらかといえば林のほうが安全だろうと判断して林に向かって愛犬様を誘導する。奥さんは、さらに右の先のあぜ道を見つけたらしい。遠くを通り抜けてゆく。
愛犬様は、通りがけに林の中で、大好きな草を発見して、豪雨をものともせずに、この草たちを食べている。まったく、と私はつぶやくが、愛犬様は夢中である。しばらく食べさせてから移動しようと心に決める。そのうち、舗装された道に先に到着した奥さんが、舗装された道に沿って近づいてくる。良く見ると、腰から下が泥だらけである。最後の畦に渡るとき、滑って転んだらしい。
私はといえば、愛犬様の手綱を握り締めたまま、ひざ近くまで泥に浸かって、愛犬様の隣に立ち尽くしていた。しばらく、愛犬様が道草を食べるに任せたあと、私は「おい、もういいだろう。行くぞ」と声をかける。「ユクゾ」の掛け声は、行動開始の合図である。愛犬様は耳をぴんと立てて、歩きはじめる。雨は激しくて、眼を凝らさないと5メートル先でも良くは見えない。その先に奥さんの姿をかすかに見つけると愛犬様は、尻尾を激しく振って、泥の上を、私よりははるかにたくみに歩いてゆく。彼の体は沈まない。私の足元はスブズブと泥に沈むのである。単に体重の差だろうかと思いながら、私はえっちら、こっちらと泥沼から舗装道路に這い出す。愛犬様は、ブルブルッと雨水を吹き飛ばすと、また、豪雨の中を自宅の方向に歩きまじめる。もう、足元は大丈夫である。これで風も強かったらと思うとぞっとした。
・・・。
家に着くと、私はそのまま泥だらけのスニーカーを玄関脇の流しで洗って、雨の当たらない玄関の中にいれ、愛犬様を誘い入れるとその体を古いバスタオルで包むようにして入念にこすってあげる。愛犬様はこうしてもらうのが大好きで、うれしそうにじっと立っている。一通り拭き終わると、自分で自分のお布団の上に上がって、自分のベロで全身をくまなく舐めている。
奥さんも、泥だらけになったスラックスを洗濯機に入れたり、着ていたものをすっかり取り替えている。いやぁ~、無事でよかった。
私は、愛犬様の朝飯を作って、キレイな水も整えてやる。愛犬様はうれしそうに食べる。
やっと、お散歩も終わりである。
愛犬様、お前が私を頼りにしてくれるのはうれしいが、悪天候の中をたくみに行動できる能力という点では、お前さんにかなわないのだから、いい加減に手加減してくれよな、と語りかけた。愛犬様は、きょとんとした顔で、かすかに尻尾を振ってお愛想した。
分かったのかな、・・・。しかし、お父さんは疲れたよ。
台風の中の大冒険、それは愛犬様にとってというよりも、人間様にとっての大冒険だったかもね。

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  我が家の愛犬様シリーズの記事一覧 (GO!)
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花のマックスファクターとの出会い「世界初MMLシステム-その1」--アルゴリズム戦記(17)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/07/11
花のマックスファクターとの出会い「世界初MMLシステム-その1」--アルゴリズム戦記(17)

ミニシリーズ:アルゴリズム戦記「世界初MMLシステム」(全4回)
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1.花のマックスファクターとの出会い「世界初MMLシステム-その1」
  --アルゴリズム戦記(17)

2.ユーザを待たせないアルゴリズム「世界初MMLシステム-その2」
  --アルゴリズム戦記(18)

3.早く到達しすぎたリッチクライアントシステム「世界初MMLシステム-その3」
  --アルゴリズム戦記(19)

4.MMLの終息、そして今へ「世界初MMLシステム-その4」
  --アルゴリズム戦記(20)

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1985年-1989年、J-Starのお仕事と平行して、化粧品のマックスファクターの全国システムに取り組むことになった。ここでも私たちは日本初の仕事に挑戦することになった。J-Starのお仕事が終わると、こちらのお仕事が急拡大していった。
最初は小さな案件のつもりでお話を承ったが、うかがう内に、どうやら狙いは大きなものであることがわかった。
日本のマックスファクターは、本社法人が2重構造(アメリカ本社の子会社と日本法人)になっているほか、5つの販社、その営業所、商品を受け入れて消費者に売る小売店と本社以外に3層構造になっている。
企業システムと言えば、当時はメインフレーム(大型計算機)しかありえない。マックスファクタは、IBMからNECにマシンを切り替えたばかりで、日本法人の中には大型のACOS2マシンと小型のオフコンであるN5200が複数台存在した。N5200は開発室に5-6台、社内各部署に必要に応じて展開していた。販社にも各1台が導入されていた。
我々が訪れる直前までは、オンラインで日本法人と販社がつながれていた。販社からは、1か月ごとの売り上げ実績が報告されるのだが、1か月では激しく変動する事業に追随するには報告の頻度が低く、経営の舵取りには間に合わないという代物であった。当時は企業秘密であったが、今となっては語っても良いだろう。その上、押し込み販売、返品隠しなどが横行していて営業の実態とはかけ離れた数字が横行していた。
実は、当時の日本マックスファクターは、後にプロクター&ギャンクブル社に買収され、事実上解体消滅し、今はブランドと一部の製造工場だけがプロクター&ギャンクブル社によって管理されている状況である。当時のマックスファクターと今のマックスファクターの間にはブランドの連続性はあっても、組織と人の連続性は基本的に存在しない。もはやすべては時効であるし、単なる思い出話であると思われるので、少し立ち入った話も書かせてもらうことにする。
我々が最初に受けた依頼は、当時集まっているデータを見やすく加工して画面に出力してほしいというものである。依頼主は、我々がヒカソを出展していた展示会で我々を見つけたのである。画面に美しい絵が次々と表示されるデモ画面に魅惑されたものらしい。「何でもできるでしょう。ほら、あの画面みたいに、ほしいデータが得になってドンドン出てくるようにしてほしい」というのがご担当者Aさんのお言葉である。「何でもできるといえばできるが、何もできないといえば何もできない」のがコンピュータである。何を欲しているのかを聞きたくて、私は、手を変え、品を替えて説明しても、ご担当者にはわからないらしい。いっとき、わかったような返事があっても、その次の瞬間に彼の口から出てくる言葉は「ほしいデータが絵になってドンドン出てくるようにしてほしい」ということである。やれやれ、「何が出てくるようになってほしいのか」、彼にも本当はわかっていないようだった。やむなく、上司の方Bさんにあわせてくれと言うと、すぐに引き合わせてくれた。
慶応大学の管理工学科出身という上司Bさんのほうが幾分筋が通っていた。集まっているデータが1か月に一度というのでは荒すぎる。もっと頻度を上げたいが販社の協力が得にくい、集まったデータの有効利用がされていないので、全社的協力が得られていない、数字ばかりの帳票は出るのだが、見る気にならないという社員が多くて、前向きの声が出にくいというのである。
まず、私は「帳票法」を開始した。集まったデータを元に作成されている帳票のすべてがほしいと要求した。70種以上の帳票が集められた来た。その過程で、押し込み販売や返品隠しのきな臭いお話があちこちから聞こえてきた。集まった帳票を見て、販社別営業所別の売上げや返品の帳票類、6000種ある商品の分類(カテゴリーやラインなど)ごとのの売上げと返品の数量や金額などが多いことがわかった。実際は、これらを定期的に作成して、時間的前後関係にある帳票を見比べている可能性があるらしかった。
さらに、コンピュータシステムに関連するスタッフの皆さんが何を望んでいるのか、ヒアリングもさせてほしいと願い出た。当時の電算室は財務部の中にあり、取締役財務本部長Hさんの管轄の下にあった。電算室長Bさんは財務本部長Hさんに私を引き合わせた。財務本部長Hさんは見るからに鬼軍曹という面立ちである。しかし、見かけとは違って人の良い方で、何よりも私利私欲よりも社の利益を優先する方だった。彼から面と向かって経営論を聞いたことはほとんどないが、彼の言動から勝手に会社経営とはかくあるべきという精神を学んだように思う。財務本部長Hさんの手配で、電算室内のスタッフの皆さん、営業部長さん以下主だった営業の皆さん、商品企画部長、販社の社長や営業部長など広く関係者の皆さんからご意見をうかがうことができた。
売上げ(グロス)の日変化が知りたい、返品(リターン)の日変化を知りたい、いや、ネット(グロス-リターン)がいい、という声が強かった。なるほど、販売動向を正しく知りたいという本社(日本法人)の意向と、インセンティブを多くしてペナルティを小さくしたい販社がせめぎあっていた。そうは言っても、販社も飾った数値だけをほしがっていたわけではない。自分たちの営業活動のためには、正しい数字が必要であることも熟知していた。
私は、次の3点に到達していた。

(1)販社にも集計分析結果を返す。
販社にも集計と分析結果を透明性を担保して間髪入れずに返してあげれば、もっと頻繁にデータを本社に送信することをいとわないに違いない。
(2)分析軸は、商品のルート別、商品分類別、時系列の3軸である。
帳票法に従って集められた情報に基づけば、これらの3軸の組み合わせを対象範囲を小さくまたは大きくとりながら整理しているのである。それぞれの軸の性質と対象範囲をもう少し詳しく分析すべきである。
(3)メインフレームとパソコンの結合が必要である。
大容量データの大量高速処理に向いたメインフレームとカラー帳票やカラーグラフが容易に表示できるバソコンを結合することが利用率の飛躍的向上につながると確信した。

この観点を引っさげて、マックスファクター電算室の担当者Aさん、室長のBさん、他のスタッフ数名と、私、私の会社の主だったスタッフ数名は、伊豆高原で合宿した。朝から夜まで疲労と睡魔と闘う討論であった。周囲の散策をする余裕もなく緊張のうちに終わった合宿は、大きな成果を挙げた。

ところで、マックスファクター株式会社様向けのシステムとして、次のようなものを製造している。ここで主に取り上げるのは、1つ目のシステムである。

昭和60~62年(1985年から1987年)
マックスファクター株式会社様向けマイクロメインフレーム(MML)タイプの意志決定支援システム「MDBSコース検索」を企画設計製造。アドバイザとしての活動の端緒となる。全国ネットシステム。後に当社から「DSS-CUBIC 希望」の名称でパッケージ販売する事になったものである。プロジェクトリーダー。
ACOS2,COBOL/S,ETOS52G,PTOS,COBOL5

昭和62~63年(1987年から1988年)
マックスファクター株式会社様向けマイクロメインフレーム(MML)タイプの意志決定支援システム「キャプテンサポートシステム(経営支援システム)」をアドバイズ&企画設計製造。全国ネットシステム。プロジェクトリーダー。
ACOS2,COBOL/S,ETOS52G,PTOS,BASIC

昭和63~平成1年(1988年から1989年)
マックスファクター株式会社様向けマイクロメインフレーム(MML)タイプの意志決定支援システム「プレゼテーションサポートシステム」を企画設計製造。PTOSの限界と言われたグラフィック処理を実現した。全国ネットシステム。アドバイズ企画設計。プロジェクトリーダー。
COBOL5,FORTRAN

平成1年~平成4年(1988年から1991年)
マックスファクター株式会社様向けマイクロメインフレーム(MML)タイプの意志決定支援システム「MDBSオーダ検索」をアドバイズ企画設計製造。予期駆動型フレーム理論を適用した人工知能型の検索、システム自動生成、帳票の自動生成の機能を持つシステムである。全国ネットシステム。顧客企業が他の企業に買収され事実上解体されため、プロトタイプの完成をもってプロジェクトを中断した。プロジェクトリーダー。
ACOS2,COBOL/S,COM-XE(通信ユーティリティ),
OS/2,PM,SmallTalk

(以下、つづく)

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琵琶


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子供の遺体写真の元教員に有罪判決、残された問題--心理、教育、社会性の発達(42)

2007/07/09
子供の遺体写真の元教員に有罪判決、残された問題--心理、教育、社会性の発達(42)

7月5日、元小学校教諭渡辺敏郎被告(34)にようやく有罪判決が行われた。
このブログには、この元教諭の犯罪について、早くから取り上げてきた。

実例、教員資格認定にメンタルテストを--心理、教育、社会性の発達(32)
反社会性人格障害、その家族性を考える--心理、教育、社会性の発達(33)
死亡児童の写真の教諭、本日逮捕--心理、教育、社会性の発達(34)
最初の記事などは、ブログの記事がアップされるや、1時間当たり1千件を超えるアクセスのラッシュに見舞われた。
人々の関心の高さがヒシヒシと伝わってくる。
判決は一つの区切りではあるが、解決していない問題も多い。
判決の様子は下記のとおりである。子供の遺体をおもちゃのごとく掲載されたご遺族にすれば死刑にしても飽き足らないくらいの犯人=渡辺敏郎であろう。判決は懲役二年六月、保護観察付きの執行猶予五年だった。量刑相場から見れば妥当なところだろう。しかし、このように再犯危険性の高い人物に対する量刑がこのようなものでよいのだろうか。

東京新聞: HPに死亡児童写真 元教諭に有罪判決 保護観察付き猶予
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007070502029841.html(2007.07.05)
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HPに死亡児童写真 元教諭に有罪判決 保護観察付き猶予
2007年7月5日 夕刊
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交通事故で死亡した子どもの写真を無断でホームページ(HP)に転載したなどとして、著作権法違反と児童買春・ポルノ禁止法違反の罪に問われた元小学校教諭渡辺敏郎被告(34)の判決公判が五日、東京地裁で開かれた。井口修裁判長は「卑劣な手段で遺族の心情を踏みにじった」として、懲役二年六月、保護観察付きの執行猶予五年(求刑懲役二年六月)を言い渡した。
井口裁判長は「遺族の受けた精神的被害は到底軽視できない。被害児童の死をいたむような体裁をとりながら、ゆがんだ性的好奇心をあおるコメントをつけ、自らの性的嗜好(しこう)を満足させた動機に酌量の余地はない」と指摘。
さらに「遺族らがHPを見て強い衝撃を受け、不眠や休職を余儀なくされるなど深刻な被害を受けているのに、自主的にHPを閉鎖することもなく、指摘されるまで謝罪文も送らなかった。児童を性的な興味の対象としてもてあそんだのは、小学校教諭という職責に反する言語道断の振る舞い。教育者に対する社会一般の信頼も損なわれた」と厳しく述べた。
最後に、執行猶予者保護観察法の改正で性犯罪者に再犯防止プログラムの受講を義務づけられるようになったことをふまえ、「性的欲求を制御するすべを身につけるためには社会内での自力更生が適切」として、猶予中の保護観察を付けた。
渡辺被告は起訴事実を認めて謝罪し、猶予付き判決を求めた。
判決によると、渡辺被告は二〇〇五年九-十月、交通事故で死亡した名古屋市の片岡樹里ちゃん=当時(3つ)=や片山隼君=当時(8つ)=ら子ども五人の写真計十六枚を遺族のHPから無断で掲載し、著作権を侵害した。また同年八月ごろ、HPにアクセスしてきた二人に、性器などの写った裸の男児の隠し撮り写真を送信した。
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時事通信出版局、教育関連ニュースは、渡辺敏郎に反省の気配かあるというやや同情的な記事を掲載している。

時事通信出版局、教育関連ニュース アーカイブ
http://book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20070705-3(2007.07.06)
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2007年07月05日17時15分
●元教諭、厳しい指弾にうなずく=児童写真掲載
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 「ゆがんだ性的好奇心をあおった」。交通事故死した児童の写真のインターネット無断掲載事件で、元小学校教諭渡辺敏郎被告(34)は5日、東京地裁の法廷で、裁判長の厳しい指弾に時折うなずきながら、判決を聞いた。
午前10時前、ダークグレーのスーツ姿の渡辺被告は一礼して、法廷に入った。「判決を言い渡します」。裁判長が告げると、証言台に立った渡辺被告は両手を体の前で組み、懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の主文に聞き入った。
「児童の被害をまったく考えていない」「教諭の職責に反する振る舞い」。壇上の井口修裁判長が渡辺被告に厳しい視線を送る。「被告人が自らの性癖を制御することは容易ではない」と執行猶予期間中に保護観察を付けた理由を告げられると、渡辺被告はこくりとうなずいた。
傍聴席の遺族らは約15分間の判決理由朗読にメモを走らせていた。言い渡しが終わると、渡辺被告は遺族の方を向き、さっと頭を下げた。(了)
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犯人に対する思いはいろいろだろうが、再犯危険性の高い犯人に対して、執行猶予期間中に保護観察を付けるという新しい試みの判決であることは間違いがない。新しい試みが、効を奏することを期待したい。

ここで、残されている問題をまとめておきたい。
(1)再犯危険性の高いこの種の犯罪者には実効ある抑止策を
再犯危険性の高いこの種の犯罪者に対する量刑相場が、このままでよいのかと言うことである。実刑であるべきだったのではあるまいか。
さらに、アメリカでは州によって実刑を受けたあとでも発信機を足首につけるなどのことが義務化される場合もある。日本では不可能なのだろうか。
(2)教員採用と再試験にはメンタルテストを
先行する記事で指摘したように「教員採用試験や10年ごとの再試験にメンタルテストを」導入すべきである。他の職業に精神疾患や心理的問題の制約を明文化しておきながら教員はフリーパスというのは現代ではあまりにも手抜きというべき制度である。その昔は、そもそも崇高な精神を抱かなければ教員に志願しないというものであったのかも知れない。いな、少なくとも、そう期待されていたというべきかも知れない。今は、教員職は無法行為の隠れ蓑という程度の曲がった心根で応募している者がいるという現実をしっかりと見据えなければならない。メンタルテストで、これらの不心得者をいくらかでも除去できれば、教育現場は今よりは救われるのではないだろうか。隣人に迷惑おばさんや迷惑おじさんがいたら逃げ出したくなるのも道理で、教育現場に紛れ込んでくる迷惑人格障害者はできるだけ少ないほうがありがたい。大学教員の端くれの私でさえそう思うのだから、小中高の教員の皆さんもたぶん同感ではないだろうか。
(3)家族性の反社会性人格障害の連鎖を断ち切れ
親(渡辺泉郎元神奈川県警本部長)がとてつもない、権力犯罪者であったことはすでに周知である。なぜ権力の地位についてしまったのかについての詳報はないので不明ではあるが、犯罪者が裁く側の権力者になってしまっていたというのは誠に不幸であった。彼は十分な裁きを受けているは言いがたい。その息子が今回の犯人である。犯罪の連鎖を断ち切るのは、親をしっかり裁くこと、犯罪性向のある親の下で子を育てさせないことである。現行法で難しいならば、立法も視野に入れるべきである。

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琵琶


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「決断」が社長の仕事--社長の条件(32)

2007/07/06
「決断」が社長の仕事--社長の条件(32)

これについては、たくさんの解説が世に出ている。熟慮と拙速はどちらか良いかというようなものである。
一般論としては、拙速がさげすまれて、熟慮がほめられるのだろう。社長業はその一般論では通用しない。世の社長たちは、拙速が大事という。そのとおりである。
私も、逆説のようだが、コトあれば、熟慮こそ敵、と言いたい。

以前にも書いたが、私は、武術家の末裔である。ご先祖は戦略家でもあった。
小兵を率いて不意に多勢に囲まれたらどうするかといえば、まずは多勢が体制を固める前にその囲みを突破することである。小兵の隊列が前に向かって勢いを維持しているのであれば、そのまま矢車の陣形を取って全力で前方に襲い掛かり、壁を破って、安全な陣地に駆け込むことになる。じっくり周囲を観察して、周囲の囲みの弱点を入念に探し、強い翼を避けるというような余裕はない。たまたま右手前方に弱点を見つけて、それがワナでなさそうであれば、「右手前方に突破口あり。南々西の方向に向かって矢車の陣形を取れ。・・・突撃ッ」という号令をかける。ただそれだけである。号令をかけなければ、隊列は四方八方から襲い掛かられて壊滅する。決断が1秒でも遅れればそれは命取りである。
格別な突破口がなければ、どこに向かおうと同じである。まずは、腹をくくって前に進め、下がるな、進め、すすめ、死んでも進めッ、である。

今、社長候補の皆さんは、たくさんの案件のどれを受託しようかと思い悩み、それぞれの案件をそれぞれどの協力会社さんに協力をお願いしようかと悩み、システム構築の基本方針のどれを顧客にお勧めしようかと思い悩んでいる。
私ならば、3週間前に決断してしまっているものがほとんどだ。そして決めればテコでも動かない。勝ち抜くまで方針を変えない。愚直にその方針で最後までやり抜いてみせる。それが私のやり方である。今は、諸君が社長になる練習期間だから、私は、じっと我慢して君たちの様子を見守っている。
熟慮か拙速かではない。本当は期間内で選べるいくつかの案のどれかを期間内に決断するだけである。どれを選んでも、選ばないよりはマシである。「決断」は社長の仕事である。期間内に全力で頭を働かせよ、期間が過ぎるくらいならば、どれか一つに決めてしまえ。明日に決断を延ばして利益が巨額になるなら伸ばしても良いが、5%も変動がないならヘタな考えは辞めにして、決断してしまえ。待たせる者は、関係者を待たせただけの全体利益があるのかを反省すべきである。これが、結果として、あたかも「拙速」のように見えるというだけのことである。
できることなら、即断・即決である。1日以上待たせることはほとんどないはずだ。諸君も、その日のうちには決断するという習慣を身に着けてもらいたい。

社長が直面する事態はそう単純ではない。昨日出遭った事件に今日また出遭うというようなわかりやすいことも少ない。日々新たな事態に直面する。明日に決断を延ばせば、今日の問題と明日の問題が未解決問題として残ってしまう。つまり加算されることになる。その次の日の問題に躊躇すれば3日分の未解決課題が山積になる。決断しなければ、社員も顧客も、協力会社さんもみな待っているのである。
これらを待たせたツケはいつでも大きい。彼らは一人ではない。その彼らの人件費はあわせればかなり大きい。待たせている自分の人件費などは小さいものである。何人分もの人件費を無駄にしているのである。多勢の3日分ならばその3倍である。1週間分ならばその7日分も浪費していることになる。そのコストはだれがあがなうのか、だれの責任なのか? --いわずと知れた決断しない社長の責任である。いずれはその責任を取れと周囲は君に迫ってくるか、だれも君の言うことを聞かなくなるのである。他人の時間は最大のコストである。
どれを選択すべきか悩ましいことは多い。どれにも一長一短はある。最善の選択はできないかもしれないと不安になることも多いだろう。しかし、どちらかを選択するかによって生ずるコストや利益の差が、他人を待たせるマイナスのコストと比べて小さいならば、どれを選択しても同じである。どれを選択しても大差はないということになる。このときに、むしろ悪いのは選択していないということである。選択を決断していないために今日も新たに膨大な無駄が生じている。自分は他にもやることがあるのだから今日は無駄をしていないと言いたいかも知れない。しかし、君以外の多数の人が労力と知力を無駄にしているのである。「社会の効用の最大化」(P.サミュエルソン)こそ経済の原理である。
私は、今日できる決断は今日せよ、と言いたい。
お客様もお待ちである。・・・。

孫子いわく、「故兵聞拙速、未睹巧久也」。
「故に兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久を睹[み]ざるなり」。
石原光将、「孫子の兵法 完全版」、http://maneuver.s16.xrea.com/cn/sonshi.html(20070706)

いや、私が心配するまでもなく、明日には、諸君は猛々しく決断しているのかもしれない。社長候補の皆さんには、そう期待したいものである。

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"信頼の原則"再論--心理、教育、社会性の発達(41)

2007/07/02
"信頼の原則"再論--心理、教育、社会性の発達(41)

1.はじめに
私は、かつて、オフィス氏事件(河合一穂氏によるハッキング事件)を例にとって、「信頼の原則」を解説した。
説教強盗で裁かれるのは強盗犯であり被害者ではないのと同じように、ハッキングしたものが一番重い罪になって、ハッキングされたものは別の軽微な罪を負うのである。
その記事では「信頼の原則」を理解しない学生が多くなっている現状を報告した。この種の学生はその後も私が教える学生全体では10%程度で年度を追って微増を重ねているように見える。理由はわからないが、特定のある大学では特異的に半数を超えている。

学生諸君に、「信頼の原則」を--心理、教育、社会性の発達(31)

2.強盗にあわないように用心すること、しかし強盗はしてはならない重罪
強盗にあわないように用心するに越したことはない。しかし、強盗は重い罪である。この2つの区別があやふやな人も居るようである。
むしろ、あやふやにして強盗を無罪放免にしたい人や強盗の罪を軽くしたい人も居るだろう。心からそう思う人は反社会性人格障害と呼ばれるのである。処世術としてそう思い込むことにしている人は反社会的人格である。
反社会性人格障害者や反社会的人格でなくとも、「用心しない人も悪い」「用心していない人が悪い」と感じてしまう人たちも少なくない。多くの場合、親からそう教えられているのである。悪いやつらに囲まれて生きてゆかなければならない我が子のために、せめて生きてゆける知恵を授けなければならないと思えば、親は、「用心しない人も悪い」「用心していない人が悪い」のだから、「用心して生きてゆきなさい」と教えるのである。それはそれで正しいだろう。
悪いやつらに囲まれて生きてゆかなければならない我々の処世術としては正しいだろう。しかし、あなたの親は「強盗をやっていい」と教えただろうか。普通の親は「強盗なんかする子は、うちの子じゃない。牢屋に入って償いなさい」というだろう。「強盗をやってはならない」と「強盗を用心しなければならない」は同じ人生訓の裏と表である。これをセットで身に着けなければ正常な人間とはいえないだろう。
しかし、「強盗を用心しないひとには、強盗してもいい」という詭弁が、それでもじわりと若者の間に増えているのは不気味である。反社会性人格障害者や反社会的人格がじわりと増えていることを意味している。おそらくは、反社会的人格というよりも彼らは(仮性の)反社会性人格障害者なのである。

3.ハッカー上等?!、強盗上等?! --指導に疲れる
今年も、同じ大学では、ハッキングした者に罪はなくて、ハッキングされた者がすべての罪を負うべきであるとレポートに書いた学生のほうが多かった。今では明示的に法令にも違反する見解で情けない限りである。事前には、刑事事件における「信頼の法則」、個人情報保護法などの条文を学習してもなおこの始末である。注意を促しても、その学生らはきわめて頑固で、決して訂正を受け入れない。年々のその比率は高まっているのが不気味である。去年は一人で最後まで戦ったが、今年は徒労感が強く一人の教員の力ではもう無理かもと正直なところ少しあきらめかけている。
他の大学でも10%程度はこの種の学生がいるのだが、特異的なこの大学ではすでに60%を超えている。何か理由や事情があるのだろうかと、いぶかしく思う。彼らは、ハッキングは正しいのに抑圧されていると信じているらしい。このまま大学を卒業して行ってよいのだろうか。彼らの何人かはハッキング確信犯になる危険性がある。人の目が緩めば、容易に犯罪者になってしまうはずである。
かれらには、ライブドアの堀江容疑者や村上ファンドの村上容疑者が間違いなく神様である。いつか、その後を追って、かれらも務所暮らしとなるのだろうか。

参考:
人生観と学習:「エイトキュービックモデル」の提案--感性的研究生活(13)
いまどき学生の人生観と学習モチベーション--心理、教育、社会性の発達(21)
「人生はお金」の学生に効く言葉--心理、教育、社会性の発達(22)

後日談と反省、おごりの約束:
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この記事を書いた約一週間後、期末試験の予告をした。その際、私はいつもの習いで、復習すべき重要事項の一覧を作成し、期末試験の練習問題を配付した。
ここの学生たちは、試験には敏感だった。たちまち、googleやyahooから、重要事項が探索されたのに違いない。私のブログの記事にも学内からのアクセスが殺到した(ネット検索を介して)。「信頼の原則」に触れた私の記事にもアクセスは殺到した。重要事項の一つに書かれていたからに違いない。
学生諸君に、「信頼の原則」を--心理、教育、社会性の発達(31)
"信頼の原則"再論--心理、教育、社会性の発達(41)
それで、試験の結果は? と思われる読者も多いに違いない。
試験にも、信頼の原則に触れてもよい記述式問題があった。触れなくとも解答は可能だが、触れても不思議はないという問題だったのである。
学生らは、なんと全員が信頼の原則に触れて解答を書いて提出していた。十分咀嚼されていない解答も散見されたが、全員が信頼の原則を事前に調べたに違いないと思われた。多くの学生は正しく、(相手が法を守るに違いないと思われる相応の状況下で)信頼をしている人が事件や事故に巻き込まれた場合には、法を破った相手が犯罪者で、巻き込まれた人は被害者であると理解しているようだった。
「たとえばハッキングは犯罪である」と(今度は正しく)書いて提出した学生もいた。
学生らは、機会があれば理解できるのである。少し手助けしただけで、もうあきらめかけた学生らがこんな良い反応を見せてくれるなんて、私はウルウルものだった。学生諸君、ありがとう。もう少しで、君たちを見放すところだった。心弱い教師だったと、大いに反省する。ごめんなさい。
やっぱり君たちは、ボクの大切な信頼すべき学生たちだった。君たちが心正しく、大きく羽ばたくことを期待する。心正しく、大きく羽ばたく権利は君たちに十分にあることを保証する。この講義は1日3時間という長時間の講義だった。よく君たちはがんばった。感謝したい。半期で終わりの授業では短すぎたかもしれないので、試験中にも言ったように、君たちがこれから私の自宅に遊びに来るのは、歓迎だ。手料理を用意して待っているから、事前に連絡してからやってきてほしい。
すこし、疑ったお詫びに、うんとおいしいものを用意することを約束するぞ。自宅に来てまで、「解答用紙に書いたのは建前だけ」なんて、私を悲しませるようなことはまさか言わないよね。
キャンバスの中ではまた会えるし、引き続き楽しく交流しよう。
-------------------------------

4.親も教師も普通ではない?! --反社会性の家族性
第2項で、私は"普通の親は「強盗なんかする子は、うちの子じゃない。牢屋に入って償いなさい」というだろう"と書いた。
しかし、何人かの問題学生と言葉を交わしてみると、どうやら事情がそうとばかりは言えないらしいことが分かってくる。

(学生1)「先生、先生の言っていることは建前でしょ。落ちてる金があったら、
     見ている人がいなければ拾って自分のものにするでしょ。フツウ」
  (私)「・・・。泥棒だろ、そんなこと親が許すか?」
(学生1)「だって、だれも見てないんですよ。親だって良くやったって言います
     よ。それが大人でしょ」
  (私)「見てなくても、取ったらドロボウ。後で発覚すれば警察に捕まる」
(学生1)「発覚しないッショ。フツウ!!」
(学生2)「先生、瀕死の人のポケットに大金があったら、先生どうします。だれ
     も見てなきゃ、とっても分からないじゃないですか。」
  (私)「死にかけている人を救うのが先決じゃないのか。まずは救急車を呼
     ぶね」
(学生2)「呼ばないッスよ。死んでしまえば、お金取られたなんて言わないん
     スよ。そっとしとけば死んじゃうんだから」
  (私)「それで、君は心痛まないの?」
(学生2)「そんな弱気で生きていけないッすよ。心強くして、しっかり取るもの
     は取って生きてゆかなくちゃビジネスだって出来ないッスよ。」
  (私)「人を裏切れば、自分も裏切られるぞ」
(学生2)「自分はうまくやりますよ。取られるやつがアホなんですから、取れ
     ばいいんです」
  (私)「大人の世界は、そんなことは通らないよ」
(学生2)「先生だけヘンですよ。他の先生だってそう言っていますよ。親に聞い
     たって、同じこと言いますよ、フツウに」

この学生たちは、歴史ある名門大学のいわゆるエリート学生たちである。少なくとも、彼らの眼に映る大人たちの論理は、スキあれば奪え、なのである。それが、彼らのライフコンペティンシー、生きてゆくよりどころ、生涯をかける処世術になってしまっているのである。彼らに「ちょっと注意」したくらいでは、彼らはその生き方を変えるようなことはないと感じてしまう。鉄壁の信念になっているのである。
以前、このブログで私は「反社会性人格障害、その家族性を考える」という記事を書いた。
反社会性人格障害、その家族性を考える--心理、教育、社会性の発達(33)
学生らを善導しようとすれば、親を変えねばならない。そして、教師もこぞって変わらなければなるまい。よもや、このブログを読まれている親や教員(小中高大)の皆さんの中には、「生きてゆくためには犯罪も積極的に犯すべき」と教えている方はいないでしょう。また、「ビジネス成功の極意は人知れず悪事を働くことだ」などと教えている大学の教員はいないとは思う。しかし、このブログの読者以外の人たちには、どうも、「他人の生命財産を奪って生きてゆけ」と教えているオトナがいるらしいのだ。
スタディ オン ザ ××元助教授の講義内容--感性的研究生活(17)
最近は、なぜか徒労感が私の中でも強くなっている。

参考:
会社経営が、裏切りによっては成立しないことについては、別のシリーズで私は繰り返し述べている。
「社長の条件」シリーズ

5.お願い
大学の教員の皆様にお願いします。こぞってお力をお貸しください。みなで、これらの問題学生に信念を持って立ち向いましょう。
小中高の教員の皆様、どうか子供たちを罪人にしないよう、「信頼の原則」に基づくライフコンペテンシーをしっかりと教えていただきたい。特に小学校の教師の皆さんは、10歳くらいまでに人の生涯を貫くライフコンペテンシーが形成されるという事実に踏まえて、どうか、「信頼の原則」を教えてあげていただきたい。

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琵琶


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