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「闇の職安」は不気味な未来予告、愛知女性拉致殺害--情報社会学、予見と戦略(13)

2007/08/30
「闇の職安」は不気味な未来予告、愛知女性拉致殺害--情報社会学、予見と戦略(13)

名古屋市千種区で24日夜、磯谷(いそがい)利恵さん(31)が拉致され殺害された事件は、耳新しく痛ましい事件である。人としてとうてい許すことのできない事件である。磯谷利恵さんのご冥福をお祈りし、母上の心痛に心から共鳴するものである。
犯人は、川岸健治容疑者(40)、堀慶末(よしとも)容疑者(32)、神田司容疑者(36)の3人である。3人は、「闇の職安」という名前の携帯サイトで知り合ったばかりで、行きずりの犯行を行っていたとされる。
主犯格は神田司容疑者(36)だったようだが、このサイトで仲間を募ったのは、川岸容疑者であった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070828-00000006-yom-soci(2007.08.28)
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ヤフーニュース
闇サイトで共犯募った川岸容疑者、多額借金で夜逃げ
8月28日14時37分配信 読売新聞
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名古屋市千種区で24日夜、帰宅途中の同区、契約社員磯谷(いそがい)利恵(りえ)さん(31)が拉致され、岐阜県瑞浪(みずなみ)市内の山林で遺体で見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された住所不定、無職川岸健治容疑者(40)が、多額の借金を抱えて夜逃げするなど、生活に困窮していたことが、愛知県警特捜本部の調べで28日、わかった。
川岸容疑者がインターネットの闇サイトに共犯者を募る書き込みをしていたことも判明。特捜本部は、同じように金に困っていた他の2容疑者が川岸容疑者の呼び掛けに応じたとみている。
調べによると、川岸容疑者は、1999年8月に愛知県瀬戸市内で、住宅ローンを組んで分譲マンションを購入、家族と暮らしていたが、税金を滞納したため、2002、04年に瀬戸市などに部屋を差し押さえられた。
最終更新:8月28日14時37分
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毎日新聞の記者が、とんでもない実験を行っている。記者が「裏求人」への闇の求職者を装って、電話をしているのである。その顛末がニューズになっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070829-00000062-mai-soci(2007.08.29)
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ヤフーニュース
<闇の職安>制限なき犯罪の温床 すぐ返信「女の子襲う」
8月29日15時10分配信 毎日新聞
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名古屋市千種区の派遣社員、磯谷(いそがい)利恵さん(31)が拉致・殺害された事件で、死体遺棄容疑で逮捕された住所不定、無職、川岸健治容疑者(40)ら3容疑者を結び付けたのは、インターネットの闇サイト「闇の職業安定所」だった。闇サイトで募った面識のない仲間と違法行為に手を染める事件は後を絶たず、犯罪の温床になっている一方、サイトへの書き込みの制限は難しいのが現状だ。闇サイトで何が起こっているのか。記者がアクセスしてみた。【影山哲也】
■アクセスは簡単
ネット上に数多く存在する闇サイト。記者は28日、その中の「裏求人」をクリックした。「当社はまぢでがっつり稼がせます」との書き込みが目に飛び込む。内容をメールで尋ねると「電話で」と返信があった。こちらの電話番号を知らせないと、応答できないらしい。番号を知らせると、若い男性から電話がかかった。
「裏ロム(パチンコの不正部品)取り付けや、携帯電話の飛ばし(他人名義の売買)だね。1日5万円(の収入)だよ」と屈託がない。「今まで一回もミスはない。捕まったら意味ないから」と男性の声は陽気だった。
この間、約30分。携帯電話を操作する記者の指には、じっとりと汗がにじんでいた。
■「犯罪する人」
1日にアクセスが約3000件あるという「闇の職業安定所」は、今回の事件を受け、閉鎖されていた。記者の取材に対し、サイトの管理者はメールで回答を寄せた。
それによると、これまで犯罪を想定させる約80の「禁止ワード」を設定し、1日約50件の書き込みを削除してきた。「犯罪は許可していない」と管理者。それでも「『仲間募集』と書き込まれた場合は対処できない」という。
28日、ある闇サイトに「今日一緒に犯罪してくれるひと」(長野県・20歳)と書き込みがあった。記者が「犯罪って何するの?」とメールしてみると「女の子襲う!」「襲って、持っている物を盗む」との返信が即座にきた。
■罪に問えない
闇サイトをきっかけとする犯罪の増加を受け、警察庁から委託された財団法人インターネット協会(東京都)が昨年6月、「インターネット・ホットラインセンター」を設置した。1年間に約6万件の通報メールを受け、書き込み内容自体が刑法などに触れる9439件を「違法情報」と判断、警察に情報提供し、削除要請した。
ただ、殺人の依頼や請負の書き込みを禁じる法律はなく、「表現の自由との兼ね合いもあり、規制は難しい」(同センター)という側面がある。闇サイトには今日も不気味な“求人、求職”があふれている。
【ことば】闇の職業安定所 インターネット上に開設された仲間募集用のサイト。匿名で書き込みができるため犯罪に悪用されやすい。警察に摘発された強盗事件や他人名義の銀行口座の売買、違法風俗店による少女の求人などで利用されていた例も数多くある。現在は類似の闇サイトも多く出てきている。
最終更新:8月29日15時10分
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これらの事件に遭遇すると、私の予見した未来型の社会はもう闇の部分から現実化しているという、不気味な現実を知らされる。
私は、このようなネットを介した社会的単位組織が成立することを予見し、その基礎の上に、人類史はネット共和国へとカジを切ってゆくと説明した。
以前の記事の中で、通常の社会的単位組織は、次のようにして成立すると私は書いた。
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1)共同の目的(できれば生死をともにする目的)をもって息遣いの聞こえる一箇所に集まっている。
2)その集団が頼りにする自分たちのための炎がある。
3)寝食を共にする。
4)場合によっては、自他共に許すときにともに(酒などで)少しだけ理性を失う。(酒の代わりに絶叫マシンでという人もいるようだが)
5)(狩猟の旅のように)共同の目的のために共同で行動して、失敗の苦しみも成功の喜びも共有する。
(中略)
これからの社会が、「人類社会」「地球社会」となるにあたっても、この事情は本質的には変わらないに違いない。他方、"これからはバーチャル社会になる"とはやし立てる者が結構いる。否、どんなに社会が変わっても、本当にバーチャルな人間関係だけでは社会は成立しないと言うのが私の立場である。
バーチャル空間で人々がつながりを探し通信仲間や言葉を求めて、右往左往するだろうし、そうしている実態はすでに存在する。しかし、彼らはそれだけでは決して本当の仲間ではないのである。
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人々がつながるための前提として、ネットで単位組織の構成メンバーを募ることは求める仲間を広く求められるという点で優利であるし、若者にはその傾向がすでに見られる。そうはいっても、現在では、一度も会ったことのない人間同士が友達になったり仲間になったりはしない。ネットはあくまでもきっかけに過ぎないが、きっかけは隣に住んでいること、一緒の教室に居ること、一緒の職場に居ること、たまたまレストランで隣り合わせになったこと、という「隣り」という条件を超えている。「隣り」でなくとも良くなったのである。その形式は、国境まで越えてしまう特質を持っていることを私は繰り返し指摘してきた。
事実として、今回の犯罪者は、国境こそ越えてはいないが、もともと遠隔の地で生活していた3人の犯人が、携帯の闇サイトで知り合って、その後ほとんど1週間行動をともにしている。犯罪といういわば命がけの行動をともにして仲間意識を高めていたに違いない。上記の単位組織構成の条件に良く当てはまる。しかし、彼らの失敗は、寝食を共にするという過程がなかったことだろう。悪の信頼関係は、不完全だった可能性がある。

やがてくる社会の悪の部分が先行して、目立ってしまったのが今回の事件だった。青少年たちのもっと可愛い「プチ友関係」やネット文通から結婚して家庭を築くなどの明るい事実も多いのだが、なぜかニューズはこんな暗いものばかりが取り上げられる。
いずれにせよ、私の予見はゆるぎないものであり、良きにつけ悪きにつけ、人類の社会は着実に予見どおりの方向に変化していることを裏付けている。今はすでに、この社会の変化に追いついて、闇社会を許さない体質と体力を現行社会制度が備えなければならない時期に来ていることを意味している。

さらに、同じ記事で、ネットを介した社会的単位組織は、次のようにして成立するようになるとも私は書いた。
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バーチャルリアリティの世界の研究の進歩には著しいものがある。
1)共同の目的(できれば生死をともにする目的)をもって息遣いの聞こえる一箇所に集まっている、かのような立体映像システムはまもなく完成するだろう。
2)その集団が頼りにする自分たちのための炎の儀式くらい、いつでもバーチャルに実現できる。
3)仮想空間でいつでも寝食を共にすることができるようになる。
4)場合によっては、仮想空間で気を失うような仕掛けはいくらでも可能なので自他共に許すときにともに理性を少しだけ失うことが可能になるだろう。
5)(狩猟のたびのように)共同の目的のために共同で行動して、失敗の苦しみも成功の喜びも共有することは事実としてすでに可能である。
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会ったことも、ともに食事をしたこともない仲間はそう多くは出現しないだろうが、ありえないことではなくなるだろう。さらに、一般的には、遠隔にいるために頻繁には会えない人々も仲間としての結合を持続することの出来るネット環境は整備され発展するだろうと言うことである。

見える、・・・、私の眼には、確かに新しい社会の形がみえるのである。
現行の社会制度は、人々の幸福と悠久の生存のために、新しい社会の中でも悪を制し正しきを助けてほしい。
心ある人々よ、ともに歩むことを決意してほしい。

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琵琶

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山口県で祖父を殺す、禁じられて(?)、「少年のゲーム嗜好と殺人-その1」--心理、教育、社会性の発達(44)

2007/08/29
山口県で祖父を殺す、禁じられて(?)、「少年のゲーム嗜好と殺人-その1」--心理、教育、社会性の発達(44)

ミニシリーズ:心理、教育、社会性の発達「少年のゲーム嗜好と殺人」(全3回)
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1.山口県で祖父を殺す、禁じられて(?)、「少年のゲーム嗜好と殺人-その1」--心理、教育、社会性の発達(44)
2.パーソナリティ形成への環境的障害と抑圧、「少年のゲーム嗜好と殺人-その2」--心理、教育、社会性の発達(45)
3.ゲーム考、「少年のゲーム嗜好と殺人-その3」--心理、教育、社会性の発達(46)
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また、痛ましい事件がおきた。
8月21日山口県で、祖母をトイレにおしこめた上、祖父をバットで殴り殺害し、そのまま家出した高校生が、翌22日秋葉原で所持金もなく、スナック菓子100円相当を万引きして逮捕された。
亡くなった老人も痛ましいが、この子の行動を知るとなんともやるせない。計画性がなかったとはいえないかもしれないが、逃げる方途までは考えが及んでいない。スナック菓子100円相当を万引き、とは、胸が締め付けられる。出来る子、いい子だった彼を取り巻く環境と繰り返された挫折、度重なる転校で友人が少なかったことなども報じられた。
下記は、逮捕時のニュースである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070821-00000930-san-soci(2007.08.21)
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山口で祖父殺害の高校生を逮捕 都内で万引き 所持金は50円以下
8月21日21時3分配信 産経新聞
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山口県上関町で祖父(79)を殺害したとして、殺人容疑で逮捕状がでていた高校1年の男子生徒(16)が21日、警視庁万世橋署に身柄を確保された。男子生徒は事件への関与をほのめかしているという。万世橋署は山口県警に連絡、指紋から男子生徒本人と断定し、殺人と殺人未遂容疑で逮捕した。
万世橋署によると、男子生徒は21日午後5時ごろ、東京都千代田区外神田の大手量販店でスナック菓子1個(約100円相当)を万引きしたところを警備員に見つかり、同署に引き渡された。
同署で事情を聴いたところ、男子生徒は祖父殺害について「やった」と供述。「山口からはバスで来た。金がなくなったので盗みをした」と話したという。所持金は50円以下だった。シャツに白いズボン姿で逃走直後と同じ服装だった。逮捕事実を署員が示すと「はい分かりました。おじいちゃんは死んだんですね」と答えたという。
男子生徒は19日午後8時半ごろ、上関町の自宅で、祖父と口論になり祖父の頭をバットで殴ったうえ、首を電気コードで絞めて殺害。祖母(76)も殴り軽傷を負わせた疑いがもたれている。祖母は頭をバットで殴られた後にトイレに閉じこめられたが、自力で脱出していた。
男子生徒は広島県内の親元を離れ、昨年8月ごろから祖父母と3人で暮らし山口県内の県立高校に通学していた。事件直後に行方が分からなくなっていたことから、山口県警が逮捕状を取り行方を追っていた。
男子生徒は両親とも医者で、進路相談の際に男子生徒も医者を希望していたという。
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どうして、このような痛ましい事件が起こるのだろうか。
そのなぞを解く鍵の一つが、「少年たちのゲームへの傾斜」と「厳格な親や祖父による禁止」にあると思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070823-00000176-jij-soci(2007.08.23)
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「隠れてゲーム、怒られた」=祖父殺害の高1、弁護士に-山口
8月23日22時1分配信 時事通信
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山口県上関町で無職男性(79)が殺害された事件で、殺人などの容疑で逮捕された孫で県立高校1年の男子生徒(16)が「隠れてゲームをしていたのを祖父に見つかって怒られ、(殺害の)一因になった」と話していることが23日、分かった。
同日、田井正己弁護士が生徒が拘置されている県警平生署で初めて接見し、明らかにした。
田井弁護士によると、生徒は今年、お年玉などで携帯型ゲーム機を購入。隠れて遊んでいたが、7月から8月にかけて数回、祖父に見つかって「続けると学校を辞めさせる」と怒られた。 
最終更新:8月23日22時1分
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ゲームが殺人のきっかけらしい、と述べると、おそらく、それだけで万余の激しい論説が殺到しそうである。おそらく、ゲームが殺人をそそのかしているのだ、と単純なゲーム禁止論を買って出る世の自称「識者」がいて、それに大反発する面々がいる。私がゲーム廃止論者に違いないと勘違いして、聞く耳も持たずに罵詈雑言を吐きかけるゲーマの皆さんもいるだろう。どこぞから金を貰って攻撃を仕掛けるプロもいるらしい。一度、冷静にものを考えてみていただきたい。金を貰っている人も、良く考えていただきたい。私は、ゲーム廃止論者ではない。ゲームには良いゲームもあるができの悪いゲームが多いことを残念に思っているだけである。ここで述べようとしていることで、一銭の得もないのである。欲得がらみでモノを考えていないことをよく理解していただきたい。人は欲だけで動くのではないことを、少しは理解してほしい。
今回の事件では、まだはっきりとは分からないが、ゲームの思想が少年を殺人に至らしめたというよりは、ゲームを禁止されたことが、殺人に向かわせたらしいということである。
たしかにゲームの思想にいかがわしいものがたくさんあることは私も十分承知している。背徳的ゲームのほうが売れるという事実もある。その背徳的行為に共鳴して事件を起こしたらしい犯罪者も過去にはすくなくない。背徳ゲームを取り締まるのは、倫理綱領があり、公序良俗に反すれば刑事罰を受ける出版・映画などと同じにゲームでも必要だろう。しかし、背徳的書籍や背徳的映画を除いても出版は出版、映画は映画である。出版や映画全てを禁止することが妥当ではないように、だからと言ってゲーム自体を全て禁止にするのは間違っているのである。背徳的とはいえないゲームも、脳を破壊するとも言えないゲームも少数とは言え存在するからである。
なぜ、一般的に少年らはゲームを欲して、なぜ大人たちの多くはゲームを禁止しようとしているのだろうか。
少年たちは、本能的に欲しているものがあるのである。それを誤って理解し、売れるからというきわめて打算的意図で誤った背徳的疑似体験を与えたり、脳を破壊する単純打鍵ゲームを提供するやからが多いというのが病理の根源である。この問題については、別の稿で少し詳しく述べたい。
今回の事件に限定して言えば、少年が本能的に欲しているものに似た疑似餌たるゲームを取り上げて、その代わりになるものを与えなかったことが、少年をして、人の道を踏み外させるきっかけになったのである。
人を殺してはならないという、人として生きてゆく上での基本的性格を獲得できていないという人格形成の未熟さ(社会性の欠落)も見られるので、問題は複合的で深い。離婚、進学優先の教育、成績優先の転校、友人関係の軽視、厳格な祖父、どれも少年にとっては不幸だった。そして、最悪なことに殺人という罪を犯してしまった。
これらを、いくら振り返っても、亡くなった人の命は元に戻らない。
ご冥福をお祈り申し上げます。
また、今回の事件は、次の犠牲者が少なくなるように、もう一度、深く考える良い機会であるとも思う。

<続く>

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琵琶


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厳粛壮大な「栗山秀澄大僧正(叔父)」の葬儀への参列--交友の記録(18)

2007/08/27
厳粛壮大な「栗山秀澄大僧正(叔父)」の葬儀への参列--交友の記録(18)

8月15日、叔父 栗山秀澄大僧正 が亡くなった。その日は盆の中日で、いかにもお坊さんにふさわしい日だったのかもしれない。この日の朝、7時45分ころだったそうである。病室の朝、いつものように看護士と大声で話した後、数分後、もう一度、看護士が見回りに行くと、すでに息を引き取っていたそうである。96歳と8か月。大往生だった。
私の母は北総では成田山に次ぐと言われたこともある寺でうまれた。兄弟に男はいない。母の母はたくさんの子を産んだがすべて女だった。成長し、家庭を築いたのは6人の姉妹である。母の父は男の子がほしかったに違いない。実の息子には恵まれなかったが、母の父がまるで息子のように可愛がり、将来を期待した青年法師がいた。彼は2番目の姉妹と結婚した。その青年法師が後の大僧正である。
彼は、志願して努力して仏門に入り、厳しい修行と勉学に明け暮れていた。努力の人であり、知恵と実行力を備えていた。最初は軍隊に入り中尉となって終戦を迎えた。戦後は自衛隊に参画し、中隊長を務めたが、檀家が一軒という小さな荒れ寺を宗派から任されて本格的なお坊さんになってゆくのである。最初は中学の教師を兼務して教育に携わるが、続いて、少し離れた土地に廃寺同然となっていた中規模のお寺を2つ任された。新たに任された2つの寺は、元の一軒檀家の寺からは少し離れていたが、それぞれは比較的近くにあったので、英断を持って統合し、新しいお寺を創出した。千葉県流山市にある西栄寺というお寺である。ここから、彼の寺院運営の力量は開花し、このお寺は檀信徒を大幅に増やして、大発展する。教学にも力をいれ、千葉県の宗派の教学組織を再興させると、常にその中心的役割を果たした。
世事にも通じていた彼の説法は、坊主でもない私にもわかりやすく、しかも、時々の世相に対して鋭く切り込む内容があり、いつも聞き入ってしまうものだった。
彼の息子は私のいとこに当たるが大正大学の文学部長まで努めた人で、西栄寺からは少し離れた栗山家の最初の寺である一人檀家のお寺(長聖寺)に檀家数を増やしてオープンな寺院に変貌させるという事業に若くして取り組んだ。私の父がこの事業に檀家総代として参加してこれに協力した。その縁で、父の墓もこの長聖寺にある。今は500家族に近い檀家がいる。秀澄大僧正は、この息子とともに、西栄寺と長聖寺に続いて、別の1つの寺を再建し、さらにもう1つの寺を興した。事業家であれば大変な大成功である。
しかし、彼はあくまでもお坊さんであった。言行を一致させ、お坊さんとはこのような人に違いないと思わせる人柄だった。
さて、この栗山家や我が家を含む6人の姉妹による6つの家族は、いつも一緒で、まるで一つの大家族のようだった。本家の寺は、6人姉妹の長女とその婿殿が跡をとったが、何かといえば大家族はこの本家の大きな寺に集合した。私も父や母に連れられてよく参加した。
この叔父も忙しい身でありながら、家族とともによく一緒に本家に来ていた。本家のご主人が亡くなると、大家族の長である責任も果たしていたようである。
私も当然よく面倒を見ていただいた。詳しくは述べないが、年に1-2度はきかされる大衆を前にした説法の中で、おそらく私の身辺事情を斟酌しての内容と思われるお話にハッと考えさせられたり、心慰められたりした。お坊さんらしい、さりげない心配りだった。
大僧正はここ3-4年は入院していたので、ある程度の覚悟はしていたが、亡くなったとの報を受けた後、10数分の間、私は呆然と座り込んでいた。気を取り直すと、私の兄弟たちに連絡し、老母にも連絡を入れる段取りをした。
通夜には私の弟夫婦、告別式には私の夫婦が手分けして参加した。
通夜はおそらく1000人以上の人々が詰め掛けていたようで、弟夫婦は久しぶりに従兄弟たちとも交流ができたようだ。
告別式は、昼間参加できる人に限られるのでそれほどの人数ではない。粛々と葬儀が進められ、宗派の体表者らの挨拶のあとに流山の井崎義治市長の挨拶があった。政治家の挨拶といえば、ヒナ形の文章を秘書などが「代読」するものが多いのだが、今回は、ご本人が長い時間待機した後に、長い弔辞を読んだ。心こもる内容で、流山市で保護司を早くから務め、社会福祉の分野でいかに重要な働きをしたか、犯罪傾向のある少年たちをどのように教育的に接したかをよくわかるように語ってくれた。たくさんの政治家の弔辞を聞いた経験のある私にも、これほど心に沁みる弔辞はなかったと思う。秋元前市長も駆けつけており、やはりご本人が続いて挨拶した。
葬儀の途中、秀澄大僧正の長女の家族から、なくなる6日前、病院を見舞ったときの様子を聞いた。長女の家族を見つけるや、意識もうろうとしているはずの大僧正が、手を合わせて朗々と般若心経を唱え始めたそうである。長女の嫁ぎ先もお寺なので、長女もその家族たちも般若心経をそらんじている。あわてて大僧正にあわせて手を合わせ、唱和して般若心経を口にしたそうであるが、大僧正は最後まで間違えることなく唱え終えたという。大僧正にとって、お坊さんこそが天職だったのだと思う。
続いて、封棺前のお別れの会があり、私たちも秀澄大僧正の尊顔を拝して花を添え、封棺に合掌した。
秀澄大僧正のご冥福をお祈りし、残されたたくさんのご家族と壇信徒、ご法類の皆さんのご清栄を心からご祈念いたします。
長寿まっとうを喜びたいと思いつつも、やはりさびしい思いが胸を去来する。

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琵琶


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市と大学、開闢以来の研究委託契約、助役らとの面談--街に活力を(10)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/08/24
市と大学、開闢以来の研究委託契約、助役らとの面談--街に活力を(10)

8月21日、市と大学のスタッフは、また一堂に会する事になった。
場所は市庁舎内の市民サロンである。ここで、このメンバーが会合するのは、2度目である。
私は、一市民の立場で参加した。

実は8月1日、長い紆余曲折の果てに、市役所と大学は「委託研究契約」を締結した。
峰岸都市計画本部長からは感謝のメールが届いた。
私は、ひとまず、自分の街での大きな仕事を成し遂げられたことを天に感謝した。
この街に、子供たちの元気な声が帰ってきてほしい、と私は願っている。どの街でも同じ悩みがあるだろうが、この街は放置されれば老人の街になるしかないのである。地元にまともな産業が少ないからである。生産的産業がもっと盛んにならなければ街の健全な発展はない。
私は、この町の再生は、学術都市としての道しかないと、長く言い続けてきた。幸い、この市には、4つの大学がある。大学など学術拠点こそが街興しのテコになるととの思いからである。
大学と行政の生産的な結合はどうしても必要であると考えて、孤独で苦しい折衝をボランティアで続けてきた。
私のささやかな思いがたくさんの人に通じたのだろうか。素直にうれしかった。

8月21日の会合には、市役所側としては、宇田川助役、峰岸都市整備計画本部長以下8名、千葉大学園芸学部側としては、菊池学部長、藤井副学部長以下5名、市民は私を含めて2名である。
この会では市民は脇役なので、沈黙拝聴に徹するつもりで参加した。
冒頭、ぼんやりとしていると宇田川助役が挨拶し、「わが市は、実に学術都市であり、4つの大学を擁しています。中でも千葉大学は老舗であり、前身の園芸学校から見れば実に100年の歴史があります。・・・」と述べた。私が予想だにしなかった発言だった。正直、びっくりした。私が作った「学術の森」のホームページに書かれた文言そのものだったからである。あぁ、助役が直接読んだわけではないかもしれないが、関係者の誰かがこれを読み、私を喜ばせようとしたに違いないと、我田引水かもしれないと思いつつ、胸の熱くなる思いであった。また、私に向かっては「このたびの契約に当たっては、大変なご尽力をいただき」と最大限の言葉で敬意を払ってくれた。
続く峰岸本部長の挨拶にも私に対する感謝の言葉があり、身の置き所がないような感激をした。
千葉大側からは、依頼事項に関する報告が3-4件行われ、質疑が行われた。実務的な密度の高いお話が続き、2時間半ほどで散会した。
その後は、菊池学部長のお誘いで、千葉大園芸学部に場所を移して、千葉大の諸先生と私とで議論を続けた。
次への発展の大きなステップが踏まれた。
実は、優良な耕作地が千葉県内には多いのだが、農家の高齢化が進んで、耕作が続けられなくなりつつある土地がたくさんある。当市だけではなく、他市からも千葉大には次に向けた調査研究の依頼が持ち込まれていることが報告され、今回の契約研究は、それらのモデルケースにしようと話し合った。
新しくて、刺激的で、生産的な活動のさなかにいる興奮と喜びを感じた一日であった。
この喜びと可能性を一人でも多くの市民の間に広げてゆくのが、おそらく私の次の仕事だろうと思う。

△次の記事: 街に活力を(11)
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琵琶

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デザイン理論を知らなければ社長失格--社長の条件(34)

2007/08/22
デザイン理論を知らなければ社長失格--社長の条件(34)

この記事のタイトルに、「デザイン理論を知らなければ社長失格」と書いたが、「オレのデザイン・センスは優れているのだから、いまさらそんなものを知る必要はない」と思う人も居るのかも知れない。
逆に、「オレはデザイナでもないのに、そんなことまでできない」と思う人も居るかもしれない。
どちらの人も少し我慢して、この記事に少々付き合ってほしい。

ここでいうデザインとは、「商業デザイン」のことだが、商業デザインとは商業行為である。遊びではない。
ここで、デザインというと、感性だけのものと思っている人がいる。そんな人の多くは、感性とは自分の好みのことだと勘違いしている人が多い。自分の好みを押し付けるだけの傍若無人が、商売に通用するならば、こんなラクなことはないだろう。
デザインには感性が必要だが、自分の感性(自分の好み)だけに照らしてデザインのよしあしを言うのは、社長どころか社会人として失格である。商業行為である以上、思いつきや自分の好みだけで済むはずはないのである。顧客の思いや感受性に心めぐらせるはるかに高くて遠い世界を思いやる感性こそが必要なのである。
求められている「感性」のありようが考えたらずの未熟者とは逆であることを理解しなければならない。「自分の好み」を捨てられる勇気と、顧客(エンドユーザ)がもっているであろう願いや思い、好ましく思う色や形、音や旋律、リズムやテイスト、その感受性にビリビリと感応できる感性が必要である。そのような他人を思いやる力は「自分の好み」とはまるで違うということを理解しなければならない。
このブログの記事として、最近「色と形とテイストと、だれが正しい?、何が正しい?--情報デザイン研究ノート(14)」という記事を書いた。このシリーズの記事は、「情報コミュニケーション理論と情報デザインに関する思索」を記したものであるが、この記事の内容と、これから述べようとする事柄には深い関係がある。

サイトの画面の色や形、テイストや、書籍のカバーや本文のレイアウト、リーフレットやカタログなどの配布物の表紙や中のイラストの色や形、テイストなど、事業を進める上で、必須のデザインは数多い。これらはどれも会社の顔であり、顧客に向けた強いメッセージの一つなのである。
これを個人の好みや思いつきで作ってよいわけはない。企業としての事業の意義と目的を正しく、力強く表現できるものでなければならない。本人の好みが極×風のキンキラキンであっても、事業に関連するものをキンキラキンで飾り立ててよいわけはない。キンキラキンにすれば、心優しい普通の消費者は、二度と当社の顧客にはならないだろう。色や形、テイストは企業や、その事業、またはその一つの商品やサービスの意味や意義をまだそれらを手にしていない消費者に伝える手段なのである。一つの商品やサービスの意味や意義を無視して、自分の好みを押し付けることの愚かさがわかろうというものである。
一方、会社の顔なのに、なおざりにする社長がいれば、犯罪的でさえある。「自分はデザイナではないから」と逃げ腰なのは、「自分は会社の代表者として責任はもてない」と言っているのと同じである。そんな人は社長になどなれないので、あきらめてほしい。

それでは、一体、何をどうしたらよいのだろうか。
もちろん、私は、社長候補の諸君がデザイナでないことは十分承知である。
他方の職業的デザイナは、さまざまな色や形や、それらの組み合わせを知っている。職業的デザイナが知っているのは、それだけではない。一般に、あるカタマリのコンシューマは、どのようなテイストを好ましく思い、どのような色や形を好まないかを知っているのである。個衆の生活様式と思想と感性を知っているのである。個衆の種類は多い。さまざまな個衆がある。優れたデザイナはたくさんの個衆を知っており、それぞれの好みを知っているのである。では、デザイナに任せておけばよいのだろうか。ここに陥穽がある。任せておけばよいと思っていると、とてつもなく、はずれなデザインがまかり通ることになる。なぜなのだろうか。
それは、今対象にしているサービスや商品の受け手が誰か、すなわち対象にすべき個衆はどんな人たちかを特定するのはデザイナではないのである。それをするのはデザイナに協力をお願いする君たちである。それだけではない。その個衆に、そのデザインを提示したとき、どのような変化を生じるのが望ましいのかも、わかっているのは君たちだけである。その商品やサービスの意義や目的をデザイナに理解してもらい、無数にある個衆のだれをターゲットにしているのかを特定し、それらのターゲット個衆がデザインを提示される前に見せている性質と、見せられた後好ましい変化を示してくれるとすれば"かくあるべき"という目標とを示せなければならない。職業的デザイナに、それを考えろというほうが無理というものである。
えっ、そんな作業はどうしたらできるのかって。そのとおり、プログラム一本書いたらできるというほど簡単なことではない。職業的デザイナさんと企業とプロジェクトを代表する君とが、共通の理解に向かって、長い果てしない歩みを続けることが必要になってくるのである。数式をとくように、決まったプロセスはない。機械のハンドルを動かせばよいというような決まった動作に決まった結果が付いてくるようなものではない。他人同士が目的に向かって共通の理解を構築してゆくという、きわめて泥臭い、手間のかかる作業がここには必要なのである。
では、これらの、茫漠たる作業はどのようにできるのだろうか。
すべての職業的作業には、ウォーキングパス(Walking path)ならぬ、ウァーキングパス(Working path)がある。
デザイン・ワークのウァーキングパス(Working path)は、おおよそ、別の記事に書いたように次のようになる。これらの課題を一つ一つ、数日ずつかけながら進めてゆくのである。一瞬にして決まるなどということはめったにないと思わなければならないのである。
ええ、デザイナさんがお酒に強い人が多い理由がわかりますよね。これらの話を、身内やクライアントとグラスを傾けながら延々と続けるのが、一般的だからである。経験をつむためには、杯を重ねにければならず、飲むほどに体を壊す、という因果な商売だ、、、と言い残して、若くして重い肝硬変で亡くなったデザイナの友人もいる。
君たちは、酒はほどほどにして、議論は楊ほどに深くして、よいデザインを発見してほしい。"この石の中に、ビーナスが閉じ込められている。これを救い出すのは私の仕事だ"といったのは古代ギリシァの彫刻家だそうだ。なんでもない石くれの中にも、最適なデザインは隠されているに違いない。
1)その活動の目的はそもそも何であり、現代的意味は何なのか
2)その目的は主催者にとっても社会にとっても正しいか。
3)その目的を実現するためには、環境(情勢)のどこが有利でどこが不利か。
4)主催者やプロジェクトのメンバーの持っている能力、資材、予算、人脈などに有利不利があるか。
5)すべて(または大部分)の不利を克服する有効な方法があるか。
6)すべて(または大部分)の有利を生かして活用する方法はあるか。
7)戦略は決まったか。
8)戦略実現のための施策の一覧と、実行計画はできたか。
9)これらの施策を有利に進めるカラーと姿とテイストは何か。
10)それぞれの制作物の色と形とテイストはいかにあるべきか。
よくある誤解は、この最後の10番目の工程だけがデザインの仕事だと思っている点にあるのである。デザインワークには、その前にここでは、およそ9つの工程があるということをよく記憶しておいてほしい。しかも、これらの9つの工程は、自分たちの会社に責任を持つ人物が命を削って参加するような仕事である。中小零細な当社のような会社では、他人任せにできるはずはない。社長が会社に対する全責任を背負って、命を削る思いで、参画し、進める仕事なのである。
では、9番目までの工程をつつがなく完了して、10番目の工程をデザイナに依頼したら、後のことはお任せのままでよいのだろうか。・・・。そうは行かないのである。
出来上がってきたカンプ(comprehensive、これから進めるデザインの概念を示す小さないたずら書きのような絵図)を見て、9までの工程で達したはずの内容を実現しているかどうかを点検しなければならない。そう、(中小零細企業の)社長は、デザインを見る眼もなければ失格なのである。自分で描くことはできなくとも、見るものが、自社の目的、存在意義、提供するサービスや商品を押し広げてゆく上で有用なデザインになっているかどうかを判断できる目がなければならない。
ここでも勘違いしてはならないのは、その眼とは、"自分の好み"ではないということである。自分の好みは、自分が育ってきた環境や年齢、社会的地位などで縛られていることが多い。顧客の好みは、それとはまるで違うことがほとんんである。決して同じだろうと思ってはならない。それほどに君たちは一人一人個性的なのだ。個性が明確なのはたいへん結構なことではあるが、商業デザインにとっては邪魔以外の何者でもない。
ましてや、想定する顧客に「好ましい変化=お金を出して買いたいと思うようになる」をおこすためには、顧客の好みを満足させるだけでは足りないのである。顧客に快適な印象を与えつつ、次への行動を引き起こすようなものでなければならないのである。出来上がってきたカンプはその要件を満たしているかどうかを判断すべきものである。
カンプが理にかなったものになっていたら、デザイン版下、そして見本の作品などがデザイナから提出されるに違いない。それら制作の進行に合わせて順次それぞれの作品を点検するのである。すべてがクリアになってから、商業デザインは世に送られてゆくのである。
それで終わりではない。世に出て行った商業デザインの色や形や、テイストや、場合によってはリズムや音色や旋律も、いったい、顧客にどのように受け取られたかをよく反省しておかなければならない。成功したならば、成功のパターンを、失敗したならば失敗のパターンを記憶し、それぞれの理由をよく考えておかなければならない。このように実際の社会の反応を反省し、次のための栄養にしておくことは、強い社長になるための常套手段なのである。
私は今社長である。社長だからデザインにあれこれ言わざるを得ないというだけではない。たくさんの成功体験-幸いなことにこの方面では私には失敗体験がほとんどない-があるから、時代と状況の変化を読みながら、今に応用して、デザインに口を挟むのである。経験のない、薄っぺらな発言ではないとだけは言っておこう。
諸君は、デザインにも努力してあと数年もすれば私などよりははるかな高みに到達できるだろう。がんばれ、若いのだから、やればすぐに身に付くだろう。期待しているのだから、どんどん取り組んで、いろいろな意見を出してほしい。失敗も勉強のうちだから、やってみればよいと思う。

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琵琶


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色と形とテイストと、だれが正しい?、何が正しい?--情報デザイン研究ノート(14)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/8/20
色と形とテイストと、だれが正しい?、何が正しい?--情報デザイン研究ノート(14)

今回は、いつもと違って、アカデミックな話題を離れて、実務の現場から良くある勘違いについて取り上げる。

(1)「ハァーッ、と思わないからデザインができない」自称デザイナー
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☆以下は全て作り話であって、登場人物も事物も全て架空であり、たまたま同じ名前が存在していたとしていても、実在または実在だった人やモノとは、一切関係がないとご理解いただきたい。
昔のことである。
若いころ、私は10年間ほど出版社に勤務しいわゆる猛烈社員だった。当時としては斬新なサイエンス雑誌(月間)の一つの編集担当をしていた。編集部員には、正社員がほぼ常時3名いて、企画、執筆依頼、取材執筆、紙面レイアウト、版下作成までの全部をこなした。先輩たちは口ばかりで働かなかった。すぐに私がほとんどの紙面を埋めるようになっていた。
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あるとき、先輩たちは自分たちの雑誌の表紙が気に入らないといい始めた。どこがいけないのか、彼らはいえないのだが、いっぱしの不満だけは言い立てた。確かに良くはない。なぜ、悪いかを私は説明した。毎月掲載される雑誌のオモテの絵と文字からなるデザインは、中年女性のお出かけ着のテイストで、色もまさしくその時々の流行色だった。まず、私はそれを指摘した。この自称デザイナさんは、この雑誌の内容を捉えていないのである、だから、衣服のデザインの流行から色や形を借用しているだけなのだ。雑誌の表紙とは何かをよく考えてみて、その本質を理解してもらわないと良いデザインにならないだろうと述べた。逆に良く考えていただけたら良いデザインになるかもしれないと述べた。まじめに雑誌の編集というものを考えたことのない男性先輩編集者らは、それでいいから、デザイナを呼んで言ってやってくれと言った。事情を説明し、編集長の許可を得てその自称デザイナを会議室に呼んだ。男性先輩編集者は呼んでも出てこない。彼らはその自称デザイナが怖かったのである。何が怖かったのかといえば、その中年の女性デザイナ(自称)の旦那は学会のボスであり、自社の命運を左右しかねない権力者だと彼らは知っていたのである。私に、ネコに鈴をつけさせようという魂胆だったのである。
しかも、その会社のそのときの女性編集長はこの女性デザイナ(自称)の同級生なのである。二人の同級生は同じ専門を大学で学び、一人は編集者になり、ひとりは勉強嫌いで、当時一番人気だったグラフィックデザイナ亀倉雄策の事務所に助手という名目でもぐりこんでいた。言ってみればただのアルバイトである。大学の専門の勉強はしなかったが派手ないでたちが男たちの目を引いて、当時助教授だった先生の奥さんになったのである。有閑マダムだった自称デザイナである奥さんを表紙のデザイン担当に起用したのはお友達の女性編集長である。この奥さんは、自称デザイナではあったが、本物のデザイナではなかった、と私は断言する。おそらく、デザイナにひたすらなりたかっただけの人である。
その後、努力して一流になれたのだろうか。後日談を知りたいものである。
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私はといえば、当時東京デザイナー学院で講師も勤めていた同級生を含めて、本物のデザイナたちにたくさんの友人・知人がいた。何度か触れたが、私ももっと若いころ絵描きを目指していたことがあるので、その時代の仲間たちなのである。学生時代は、彼らのデザイン事務所に転がり込んで、無償でコンペの手伝いなどをしていたので、プロのデザイナが何をするかぐらいは十分に体で知っていたのである。
デザインに取り組む場合に、何も考えずに色や形がパアーッと頭に浮かぶという人は、世界に何10万人も居るといわれるプロのデザイナのうちでも1人くらいしかいないに違いない。もし、あなたたちの周辺に「何も考えずに色や形がパアーッと頭に浮かぶ」という(自称)デザイナが居るとしたら、その人はタダの素人に過ぎないはずである。デザイン(design)とは意図すること、企画すること、を意味している。人間は、目的なくして、意図したり、企画することはない。目的は何か、それを実現するために有利な条件は何か、不利な条件は何か、とまずは思い巡らすのが普通である。
いや、まてよ、今目的といわれている事柄も、本当にそれでいいのか。その目的で企業や団体、人が意図したり、企画していいのか、犯罪ではないのか、などと深く考え込むことも多い。それが、商業デザインの現場の実態である。
通常、「"商業"デザイン」のデザイナたちは、顧客(の担当者)、プランンナ、プロジューサなどを交えて、取り上げたい商品やイベントの意味は本来なんであったのか、現代的な意味はどこにあるのかという議論を何日も繰り返すのである。目的とその意義が十分確認できたら、そのための環境の有利な点、不利な点を徹底的に洗い出すのである。その上で、不利を克服して有利を生かす戦略(企画)にはどんなものがありうるかを議論する。利用しうる資源の有無や有利不利も議論する。戦略論議は分裂しやすい。最後は多数決で決定したり、少数派はこのプロジェクトから降りたりする。
目的が決定され、意義が理解され、環境情勢と自軍の兵力を分析し、戦略を決定する。この狭められた条件の中で、さまざまな施策が決まって、それらを支援するためのメインシンボルカラーやキャラクター、ポスターや小物の数々の色や形が決まってくるのである。施策とは、ポスター、チラシを出すのか出さないのか、テレビ放映はするのかしないのか、新聞広告は出すのか、リーレットは用意するのか、他の雑誌に広告するのか、交換広告を依頼するのか、、、ラジオのCMは活用するのか、店頭ポストは利用するのか、ポップや独自タナを展開するのか、、、、と果てしなく選択肢はあるのである。
施策なしにデザインはない。戦略なしに施策はない。情勢(環境)や自軍の兵力を正しく把握することなしに戦略は立てられない。興そうとしている活動の目的がはっきりして、しかも正しい行いであることに確信がもてなければ戦略は立てられない。
1)その活動の目的はそもそも何であり、現代的意味は何なのか
2)その目的は主催者にとっても社会にとっても正しいか。
3)その目的を実現するためには、環境(情勢)のどこが有利でどこが不利か。
4)主催者やプロジェクトのメンバーの持っている能力、資材、予算、人脈などに有利不利があるか。
5)すべて(または大部分)の不利を克服する有効な方法があるか。
6)すべて(または大部分)の有利を生かして活用する方法はあるか。
7)戦略は決まったか。
8)戦略実現のための施策の一覧と、実行計画はできたか。
9)これらの施策を有利に進めるカラーと姿とテイストは何か。
10)それぞれの制作物の色と形とテイストはいかにあるべきか。
いわゆる色や形のデザイン作業はこれら10の作業工程の10番目、最後の工程である。
これで、「何も考えずに色や形がパアーッと頭に浮かぶ」などと吹聴するヤカラがいかにいかがわしくて、まやかしの素人かが良くわかるだろう。マヤカシの自称デザイナは、前段の9つの工程を知らないのである。
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会議室には、そのデザイナーとその同級生の女性編集長と私の3名である。
女性編集長は、「あなたの考えを言ってご覧」というのである。なにやら雲行きが怪しかった。なにやら、私を威嚇しに来たという風情である。コナクソッ、負けてたまるか、私の反骨精神に火がついた。
私は、まず、当時よく読まれていた日経サイエンス(あっ、ごめんなさい、今でも読まれていますね)の表紙を取り出して説明した。
「この雑誌のこの号の特集は、"科学の未来"という内容です。雑誌の表紙は明るくて、希望に満ちているように見えます。雑誌の内容をよく表現していますね。なぜでしょうか。デザイナが、何も考えずに、この絵を描いたと思いますか。デザイナはその号の雑誌が訴える内容、目的をよく理解し、この雑誌が書店の店頭に並んだときの効果を計算して、この絵を描いていると思いませんか」(私)
「・・・」(デザイナ)
「この表紙の絵の大部分は若い青い麦の畝(ウネ)です。空は明るい華やいだ淡く青い春の空です。やわらかくよく耕された畑地に、麦の若芽は畝目に沿って淡い黄緑色で描かれています。かすかな風に揺らいでいるようにも見えますね。この絵はシンプメな遠近法を利用して描かれていますが、全面に限りなく広がるこれらの若い麦の畝が描く放射線を逆にたどって行くと、地平線のかなたに収束して、空の光の中に溶けていっているように見えます。放射線状に広がる遠近法のたくさんの線が地平線や水平線の一点に収束し達している場合、人々はここに永遠とか無限という意味を感ずるものですね。絵画理論の基本の一つです。しかも描かれている季節は萌えいずる春、麦の若芽も前途に希望が満ちています。この絵を眼にする人は、ほとんどの場合、未来に対する明るい確かな希望を感ずるはずです。これが、今の流行色だからといって小豆色に白の水玉が描かれていたら、この雑誌の訴えたい"明るい科学の未来"が台無しでしょう」(私)
「えっ、私は有名な亀倉雄策先生の下で学んだのよ。感性が人とは違うと言われているから、描いているんです」(中年の女性デザイナー)
「デザインは、誰の弟子かは関係がありません。作品のよしあしだけが評価基準です」(私)
「・・・」(中年の女性デザイナー)
「それでは、これが、今月号の私たちの雑誌の表紙のデザインです。なぜ。この濃い小豆色の背景色が全面に塗られているのでしょうか。最近買われたワンピースの色合いと同じですね。空中に浮かんでいる花のように見える図形は、編集部がお渡しした文中に使われている説明図の一部をデフォルメしたものにすぎませんね。この図形はこの雑誌全体を代表する図形ですか。一つの記事の中のほんの片隅にある解説図の一つに過ぎません。しかも、濃い小豆色の中に漂っているこの図形のあしらいかたでは、この図形の意味はまったく伝わりませんよね。このデザインを意図した理由をお聞かせください。ちなみにデザインとは意図するという意味の英語ですよね。」(私)
「それは、エーと、・・・。こう、なんか、パッと思いついたから・・・」(中年の女性デザイナー)
「それはデザインとは言いませんね。思いつきといいます」(私)
「待ちなさいよ、この方は亀倉雄策先生の下で学んだ人なのよ。亀倉雄策先生ってどんな人だったか知ってるの」(女性編集長)
「はい、亀倉雄策先生は知っています。作品のいくつかも見ています。忙しくて弟子の面倒は見れなかったと本人はおっしゃっていますね。ご本人の書いたものによれば、何人かの弟子が大成したのは、自分のやっているのを見て覚えたのであって、自分が教えたからではないと書いています。しかも、こちらの方のお名前はお弟子さんのリストにはなかったと記憶します」(私)
「亀倉雄策先生はね、すばらしい活躍をされたのよ」(中年の女性デザイナー)
「過去の方ですけれどね。承知しています。先生がどんなに優れていても弟子がすぐれているとは、・・・」と私が言いかけると、女性のデザイナは、「ちょっと用事がありますので、・・・」といって席を立って会議室を出て行ってしまった。女編集長も「今日はこれで終わり」と宣言して席を立った。
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事件は、続いたのだが、私にとって悲惨な後日談はここでの目的ではないので割愛する。
ついに、私は職業的謝罪にうがい、引き続きこの中年女性デザイナさんにデザインを頼むことになったのだが、期限が来てもデザインの案すら提出されてこない。困って電話すると、「何か、こう、バアーッと来るものがないので、かけないのよ」という、強気のお話だった。わかってもらっていなかったのである。いやはや、プロとして訓練されなかったおエライ素人と実務でお付き合いするのはほんとうに大変である。
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(2)社長の気に入るのでいいですよ
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☆以下は全て作り話であって、登場人物も全て架空の人物であり、実在の人物とは、一切関係がないとご理解いただきたい。
これ(「社長の気に入るのでいいですよ」)は、よく聞く言葉である。情けない発言である。
当社では顧客のためにサイトを構築することも多い。技術者に任せておくと、自分の感性で色や形を決めてしまうのである。おろかである。
なぜ、その色で、その形なのか、と私が問いただすと、「なんとなくパアーツと思いついて。いいでしょう」などと得意げである。私に言わせれば、「自分が気に入るようなデザインをして、何が"いいでしょう"なんだ」と思ってしまう。デザインは、自分の感性を満足するためにある、とこの若い技術者は考え違いしているのだ。
デザイン(商業デザイン)は、顧客の満足、もっと正しく言えば顧客の思いを実現する手段を満たすものでなければならない。
さらに言えば、顧客が好きな色や柄だとほめてくれても、成功とはいえないのである。その顧客の意図する事業の成功につながらなければ良いデザイン(商業デザイン)ではないのである。デザイン(商業デザイン)とは気に入る、気に入らないの問題ではないのだ。
しつこいようだが、もう一度、ここに原則を確認しておくと次のようになる。
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1)その活動の目的はそもそも何であり、現代的意味は何なのか
2)その目的は主催者にとっても社会にとっても正しいか。
3)その目的を実現するためには、環境(情勢)のどこが有利でどこが不利か。
4)主催者やプロジェクトのメンバーの持っている能力、資材、予算、人脈などに有利不利があるか。
5)すべて(または大部分)の不利を克服するすべての方法があるか。
6)すべて(または大部分)の有利を生かして活用する方法はあるか。
7)戦略は決まったか。
8)戦略実現のための施策の一覧と、実行計画はできたか。
9)これらの施策を有利に進めるカラーと姿とテイストは何か。
10)それぞれの制作物の色と形とテイストはいかにあるべきか。
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それでは、と若い技術者は畳み込むように、「普遍的ないいデザインの基準というものはありますか」と聞いてくる。
私は即座に「ない」とこたえる。
技術者は、それ見たことかと「だからスキズキだって言うんでしょうがァ」と、勝ち誇って、得意満面である。
「確かに、別の意味で、スキズキだが、お客さんの事業の顧客たちがもっとも快く受け入れてくれるデザインが良いデザインだ。君の感性にあっているかどうかではないよ」(私)
「お客さんの数だけ、いいデザインがあるならば、その時々に瞬間的に決めなくちゃ駄目じゃないですか。私がやっちゃいけないんですか。社長はやっているじゃないですか。社長が決めればよくて、ホクらが決めたら駄目なんですか」(若い技術者)
「いいかい、この種の顧客層にはこのようなデザインが好まれるというある程度普遍的な尺度はあるんだよ。それをたくさん知っていて、描くこともできるのがデザイナという職業の人たちなんだ」(私)
「普遍的な尺度はないって、今言ったじゃないですか」(若い技術者)
「"唯一の"普遍的な尺度というものはないんだ。その代わり顧客の個層ごとにその時々の時代にあった普遍的尺度があるんだよ」(私)
「普遍的尺度がたくさんあるってヘンじゃないですか」(若い技術者)
「たとえば、大手企業に勤める50歳代の男性サラリーマンは、18-9歳の女子大生の好む色合いを好むだろうか。一般には、落ち着いた色合いで、なお、力強い印象を与える形を好むだろう。30歳代の男性は、50歳代の男性よりはやや明るい色を好むが力強いというよりは軽快な行動力を示すような形を好むはずだね」(私)
「社長に任せておけばいいってことですか。ホクらは口を挟んじゃいけないんですか。もう、~、社長の気に入るのでいいですよ」(若い技術者)
「まてまて、デザインについても、フランクに話し合うのはいいことじゃないか。オイコラ逃げるなよ。でもね、大事なことは、自分の意見を言うとき、それは自分の感性に照らしての意見なのか、顧客の意図を実現するための意見なのかをはっきり区別することだね」(私)
「エーッ。自分の感性じゃないことを考えるんですかァ」(若い技術者)
「そりゃそうさ。商業デザインは趣味の問題じゃなくて、優れて商業的な行為なんだよ。商業的行為だから、前提となる戦略で一致しさえすれば、プロが複数集まって来てもバラバラではなくて、一つの結論に達することができるのさ」(私)
「そ、そうなんだ。・・・、で、じぁ~、今ここに、新しいサイトのトップページの案があるんですけれど、社長は、A案とB案のどちらがスキですか」(若い技術者)
「ば~か、A案もB案も私の趣味ではないけれど、女子高生向きのこのサイトではB案だと言っているんだよ、私は。。。まったく、もう。何を言わせたいの。私は60歳代のシジイ、女子高生じゃないんだから、自分の感性で決めたら、ヘンだろ」(私)
「あっはは、へぇ~。わかったで~す。」(若い技術者)
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色と形とテイストと、だれが正しい?、何が正しい? は設問が間違いである。しいて言えば、正しいのは"顧客の好ましい行動が生じるデザインが正しい"のである。
デザイン(商業デザイン)は商業的行為である。
デザイン(商業デザイン)は、目的と事業戦略を支援する手段方法の一つである。
デザイン(商業デザイン)は、自分の感性に従ったら負けである。失敗である。素人である。
デザイン(商業デザイン)は、"事業主のその先にいる"顧客の感性に合わせるのが正解である。
いわゆるデザイン(色・形・テイスト)は、情報デザインの一種である。何を伝えたいのか、何に共感してほしいのかがわからなくて色・形・テイストは決められない。デザイン行為の目的は相手に好ましい行動の変化をもたらすことである。事業の目的がわかり、戦略が決まれば、相手の持つ知識のデータベースと推論の方法を推測して、理解し、その上、その人たちのもつ感性に載せて情報を伝える営為である。
自分の感性だけを頼りにしたら、失敗してしまうのである。

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(準備中)
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琵琶

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ユーザを待たせないアルゴリズムへ「世界初MMLシステム-その2」--アルゴリズム戦記(18)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2007/08/14
ユーザを待たせないアルゴリズムへ「世界初MMLシステム-その2」--アルゴリズム戦記(18)

ミニシリーズ:アルゴリズム戦記「世界初MMLシステム」(全4回)
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1.花のマックスファクターとの出会い「世界初MMLシステム-その1」
  --アルゴリズム戦記(17)

2.ユーザを待たせないアルゴリズム「世界初MMLシステム-その2」
  --アルゴリズム戦記(18)

3.早く到達しすぎたリッチクライアントシステム「世界初MMLシステム-その3」
  --アルゴリズム戦記(19)

4.MMLの終息、そして今へ「世界初MMLシステム-その4」
  --アルゴリズム戦記(20)

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前回の記事から続く

(1)販社にも集計分析結果を返す。
販社にも集計と分析結果を透明性を担保して間髪入れずに返してあげれば、もっと頻繁にデータを本社に送信することをいとわないに違いない。
(2)分析軸は、商品のルート別、商品分類別、時系列の3軸である。
帳票法に従って集められた情報に基づけば、これらの3軸の組み合わせを対象範囲を小さくまたは大きくとりながら整理しているのである。それぞれの軸の性質と対象範囲をもう少し詳しく分析すべきである。
(3)メインフレームとパソコンの結合が必要である。
大容量データの大量高速処理に向いたメインフレームとカラー帳票やカラーグラフが容易に表示できるバソコンを結合することが利用率の飛躍的向上につながると確信した。

この観点を引っさげて、マックスファクター電算室の担当者Aさん、室長のBさん、他のスタッフ数名と、私、私の会社の主だったスタッフ数名は、伊豆高原で合宿した。朝から夜まで疲労と睡魔と闘う討論であった。周囲の散策をする余裕もなく緊張のうちに終わった合宿は、大きな成果を挙げた。
この会議には、マックスファクターで勘定系のシステムを担当しているシステムハウスも参加した。彼らはCOBOLの達人たちである。

商品のルート別、商品分類別、時系列の3軸だから3次元空間が一つかというと、そう単純ではない。
商品のルート別の軸には、「本社-販社-営業所-小売店」と「全国-都道府県-市区町村」という2種類がある。
商品分類には、「大分類(ブランド)-中分類-小分類」と「ライン(ユーザの嗜好傾向)」がある。
時系列には、「フィジカル年(カレンダ年)」と「年度」の区別があり、それぞれに「年-月-日」の系列がある。
これらは、主としてディレクトリ構造を形成するが、商品の「ライン(ユーザの嗜好傾向)」だけはディレクトリにはなじまない構造である。商品の「ライン(ユーザの嗜好傾向)」だけは、分析軸からははずした。
すなわち、軸の構成は以下のとおりにした。
商品のルート別の軸: 「本社-販社-営業所-小売店」と「全国-都道府県-市区町村」
商品分類: 「大分類(ブランド)-中分類-小分類」
時系列: 「フィジカル年(カレンダ年)の年-月-日」と「年度の年-月-日」
これらの軸を入れ替えつつ、構成する4種類の3次元データの空間が想定されることになった。
さて、3次元空間をいかに表示するのかというと、画面は2次元である。表形式もグラフも2次元にしかならない。3次元表示をしても見にくいだけである。
一つの3次元空間は3つの平面であらわすことができる。したがって、用意するのは12個のテーブルデータである。

さてさて、ユーザインターフェイスはいかにあるべきかといえば、ターンアラウンドタイム5秒以内と決めることにした。先刻のA氏は、わけもなく「1秒以内」を主張したが、N5200ではテキストだけの表でさえ1画面分を表示するのに2秒程度かかるという時代なので、データの要求、ホストマシンでのデータ取得、データの端末への転送、表やグラフの表示のすべてを行うには、普通にやれば20分~30分はかかるという状況だった。

当時のマックスファクターのシステムはACOS2(NEC)とN5200である。処理のボトルネックは「集計データの生成」と「必要データの検索」と「通信速度」だった。
データベースの導入を提案したが、電算室はそれを渋った。NECはRIQSⅡというリレーショナル型のDBを勧めていたのだがかなり高価だった。電算室は他のさまざまな(旧式で安価な)データベースの導入の検討を依頼してきたが、データ量を見てもまるで無理ということになった。
ついに、電算室もRIQSⅡの導入に賛同した。このとき、気づいてみるとNECの営業担当者と支援SEたちは全員我々の味方になっていたのである。予想外のことだったが、とてもうれしいことだった。
「集計データの生成」は、N5200側から要求される都度生成するとすれば、場合によって1時間以上もかかることになる。ユーザを待たせるにもほどがあるというものである。これには、私の発案で前夜全国から転送される基礎データを夜半から明け方にかけてのバッチ処理で集計しておくという方法を採用することにした。しかし、「年別のデータ×小売店別のデータ」をデータベース全体から選択的に収集するととてつもなく遅いことも十分推測できた。同社に入り込んでいた別のソフトハウスは、都度選択的に収集するという方法を主張したので、彼らに実測してもらうと、20分から40分程度かかることがわかった。データがあっても、仮想テーブルで選択的に都度収集する(ランダムアクセス)という方法は遅いのである。動作を速くするには、シーケンシャルアクセス(連続番地の一気読み)しかないのである。そのためには、仕掛けが必要である。必要な軸の組み合わせと集計レベルに合わせて、すべての組み合わせを、シーケンシャルアクセス対応に(順形式で)生成しておく必要があるのである。販社からのデータ要求があったときには新しいデータセットを構成しなおすのではなく、すでに出来上がっているデータセットの一部を転送するだけというようにしておくということであった。
さて、あらかじめ用意するこの組み合わせを作成するに当たって、困ったことがあった。たとえば、本社-販社-営業所などの軸は固定のように見えて固定ではないのである。営業所の統廃合や新設は日常茶飯事である。小売店も新規取引開始も日常的に多いが、閉店や取引解消も同じくらい多い。固定のバッチプログラムでは、始終プログラムの改修に追われることになる。都道府県はめったに変わらないが、あまり知られていない事実であるが、市区町村は始終変わるのである。商品にいたっては、大幅変更が年に2回、小変更は日々発生している。
私は、考えた。ここは、三井造船で体験した「フレーム理論」の応用場面であると心を燃やした。各分析軸(5種類)とその他の管理データ7種(だったと思う)のあわせて12種類の管理データを用意し、これらのデータをリレーショナルデータベースのテーブルに置き、LAN内のオンラインでいつでも手軽に訂正できるようにしてやることにしたのである。基礎データから、各種の集計データを作成し、順編成データファイルをRIQSⅡの中に生成しソートをするキーとして、その軸のデータを参照するバッチプログラムを作成しておくのである。こうしておけば、軸のデータ(たとえば小売店が入れ替わっても)が変化してもそのバッチプログラムは変える必要がない。
これらの管理データは、クライアントの側でも表側表示やグラフの軸データに必要である。どちらにも使用できるようにしておくのである。
さて、もう一つのネックはデータの転送である。A氏は、N5200から要求があれば、そのデータのすべてをN5200に転送することを主張した。私は反対だった。私の考えは、要求されたデータを必要な一画面分を転送するにとどめるという考えだった。専用回線ではあったが、当時のデータ転送はきわめて遅かった。1画面分の転送でも、回線状況によっては30秒以上かかるという時代だったのである。回線状況が良いときには2-3秒である。私は、1画面分のデータをまず転送し、端末の画面に端末が表示し終えると続いて次の画面1ページ分だけは送っておくという仕掛けにしたのである。前ページを要求された場合は前ページを表示した後、前々ページも(あれば)送っておくというものである。ユーザは最初の1画面では少しばかり時間がかかるが、次からは比較的スピーディに画面表示と印刷ができるということになるのである。
ここで、重要な事柄をあっさりと書き流したのだが、実は当時にしてはとんでもなく、ぶっ飛ぶような発想がここには潜んでいた。画面に表示される表やグラフなどはホスト側で描かないのである。当時は、端末に表示させる表やグラフもホストで描かせてから、そのデータを端末に送るのが定石であり、それ以外にはできなかったのである。なにしろ、当時までは端末には描画機能などはなかったのだから。しかし、幸い、N5200はパソコンであった。描画機能も罫線機能も備えていた。ホストに描画させたり計千色歩させていたら、端末(N5200)がデータを要求してから画面に表示されるまでいくら時間があっても足りないのである。ホストコンピュータのCPU能力を考えても全国の営業所からの要求にこたえることは到底かなわないというものである。人間の試行錯誤や画面への配置処理という端末ごとに違った処理が発生するものは端末に任せようというのが私の発想の素であった。
実は、この「端末には端末の得意な処理を、ホストにはホストの得意な処理をさせる」という発想こそがMicro Mainframe Link(MML)というものの考え方そのものであったのである。
とりわけグラフィック画面の生成は端末のほうがはるかに速いこと、もしもホストでグラフィック画面を生成してから端末に送るのであれば、元になるデータの数千倍ものデータ量を転送しなければならないのである。それは、ありえない選択だったのである。

マックスファクター株式会社様向けに開発したマイクロメインフレーム(MML)タイプの情報システムには、以下のようなものがある。全てを取り上げる余裕はないので、この記事では主にその最初のシステムを取り上げている。

昭和60~62年(1985年から1987年)
マックスファクター株式会社様向けマイクロメインフレーム(MML)タイプの意志決定支援システム「MDBSコース検索」を企画設計製造。アドバイザとしての活動の端緒となる。全国ネットシステム。後に当社から「DSS-CUBIC 希望」の名称でパッケージ販売する事になったものである。プロジェクトリーダー。
ACOS2,COBOL/S,ETOS52G,PTOS,COBOL5

昭和62~63年(1987年から1988年)
マックスファクター株式会社様向けマイクロメインフレーム(MML)タイプの意志決定支援システム「キャプテンサポートシステム(経営支援システム)」をアドバイズ&企画設計製造。全国ネットシステム。プロジェクトリーダー。
ACOS2,COBOL/S,ETOS52G,PTOS,BASIC

昭和63~平成1年(1988年から1989年)
マックスファクター株式会社様向けマイクロメインフレーム(MML)タイプの意志決定支援システム「プレゼテーションサポートシステム」を企画設計製造。PTOSの限界と言われたグラフィック処理を実現した。全国ネットシステム。アドバイズ企画設計。プロジェクトリーダー。
COBOL5,FORTRAN

平成1年~平成4年(1988年から1991年)
マックスファクター株式会社様向けマイクロメインフレーム(MML)タイプの意志決定支援システム「MDBSオーダ検索」をアドバイズ企画設計製造。予期駆動型フレーム理論を適用した人工知能型の検索、システム自動生成、帳票の自動生成の機能を持つシステムである。全国ネットシステム。顧客企業が他の企業に買収され事実上解体されため、プロトタイプの完成をもってプロジェクトを中断した。プロジェクトリーダー。
ACOS2,COBOL/S,COM-XE(通信ユーティリティ),
OS/2,PM,SmallTalk

(以下、つづく)

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琵琶


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「テキスト類似度・飯箸法」がアピール、第16回次世代大学教育研究会「知の発掘」(東京)--感性的研究生活(25)

2007/08/07
「テキスト類似度・飯箸法」がアピール、第16回次世代大学教育研究会「知の発掘」(東京)--感性的研究生活(25)

第16回次世代大学教育研究会「知の発掘」(東京)が明治大学12号館で開催された。
松木俊之氏(ジャストシステム法人ビジネス部)によるチュートリアル「体感するテキストマイニング」がメインの研究会であるが、テキストマイニングと言えば、テキスト類似度の汎用的尺度「飯箸法」の開発者にも発表させないわけには行かない、というわけで、プログラムの最後に申し訳程度の時間が加えられていた。

第16回次世代大学教育研究会「知の発掘」(東京)
--------------------------------------------------
【主催】
 次世代大学教育研究会 http://groups.yahoo.co.jp/group/next-edu/
 明治大学情報基盤本部 http://www.meiji.ac.jp/isc/
【日時】2007年8月7日(火) 13:30-18:30
【場所】明治大学駿河台校舎12号館★9階メディア教室1★
 会場へは、JR御茶ノ水駅か地下鉄神保町からが便利です。
 駿河台校舎までの地図は下記をご覧ください。
 http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html
 会場の12号館というのは、大学会館の隣になります。
 http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html
■タイムスケジュール
 ・13:30-13:50「未定」
   家本修(大阪経済大学経営情報学部)
 ・13:50-15:00 チュートリアル「テキストマイニングの概要」
   松木俊之(ジャストシステム法人ビジネス部)
  (休憩)
 ・15:15-16:45 チュートリアル「体感するテキストマイニング」
   松木俊之(ジャストシステム法人ビジネス部)
  (休憩)
 ・17:00-17:50「未定」
   田村恭久(上智大学理工学部)
 ・18:00-18:20「テキスト類似度」
   飯箸泰宏(明治大学法学部)
  (移動)
 ・18:30-20:30 アミにて懇親会
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まず、会長の家本先生の概説があり、家本先生が、若いころ林先生らの数量化理論のパッケージを大阪大学に持ち込み、そのお守りをされたというお話があった。
当然のことだが、松木俊之氏のお話は、ジャストシステムの製品売り込み営業が半分含まれていた。この部分を差し引いても、十分面白い内容で、最後まで、眠くならずに参加者は付いてゆくことができた。
「テキスト類似度」についても、参加者の多くは関心があり、たとえばグーグルと富士通が提携してすでに製品化しているシステムやこれから製品化するものなどについて、雑談や質問の中で語られていた。飯箸氏の発表もこれらと同等のものであろうとの推測の上で、内容はたいしたことはあるまいという雰囲気が流れてリラックスした軽口発言が交わされていた。
飯箸氏は、壇上で話し始めると、家本先生と同時代を同じようにたどってきたことに触れて、大学を卒業する直前、東海村の原子力研究所の中性子線照射実験のスケジュールの都合上、半年のブランクが生まれて、学費と生活費稼ぎのために、当時の有名技術系システムハウスの研究員の肩書きを持つ名刺をもらって、日本経済新聞社に数量化ⅠⅡⅢ類や主成分分析のプログラムをパッケージ化して納品するアルバイトをした経験を語った。数値計算には十分すぎる実績である。聴衆の視線は熱くなり、会場は少し静かになった。
飯箸氏はその後10年間の出版編集の仕事にかかわって、著作権問題に関心を深めた。著作権違反事案は、意味論的類似性と外形的類似性を争うものである。意味論的類似性があっても外形的類似性がなかったり軽微な場合は著作権法違反とはならないのが通例であり、外形的類似性を客観的に算出できる方法がほしいと願っていたことが語られた。27年ほど前からは、専門学校で教壇に立ち、途中からは大学の教壇に立つようになった飯箸氏は、ここで学生らのコピーレポートに常に悩まされ続けた。この問題も是非クリアにしたいと願っていたのだと述べると、会場は笑いと共感を示すざわめきが起こった。
しかし、公に知られている外形的類似度を計算する方法は、古典的なlevenstein法しかなく、この方法には致命的な欠陥のあることが示された。これを克服するものとして、飯箸法が発案されたということが良くわかるように解説された。
1993-4年ころ、(社)パーソナルコンピュータソフトウエア協会(現(社)コンピュータソフトウェア協会)の研究員の肩書きの名刺で、ジャストシステムの中心メンバーにテキスト類似度に関する解説をしたことや、1996年には、すでにカオス研究会(阪井明治大学教授主催)で飯箸氏はテキスト類似度に関する研究発表をしていることなどが次々に語られた。
2005年の情報コミュニケーション学会全国大会で、飯箸法第1類の発表を行い2006年の情報コミュニケーション学会全国大会では飯箸法第1類の発表を行っていることに言及がされ、その違いが解説された。
飯箸法第1類は、ランダムテキストを前提として文字列のオリジナル度や類似度を計算するもので、計算式は指数関数と対数関数のかたまりになっていることが示された。ランダムテキストとは、いわば おサルのタイプライターがランダムにキーをたたいたときにできる文字の羅列のことである。すなわち、ランダムテキストを前提にするとは、文字の出現確率がどの文字種でも同一という仮定しているということである。
飯箸法第2類は、文字種の出現確率は対象となる文字列空間ごとに決まっているという前提でなされるのである。第2類の前提に関連して、シャーロックホームズの暗号解読の話が持ち出された。シャーロックホームズの推理小説の中で、暗号解読に取り組むホームズが、ロンドンタイムスの記事を解析して、もっとも多用されている活字は「e」であることを突き止め、暗号文中にもっとも多く出現する文字種「g」は、実は「e」を意味しているなどとワトソンに説明したくだりがある。これを例に説明たので聴衆にはわかりやすくて納得がいった。文字種によって出現確率が異なることを考慮して作成された類似度計算式(飯箸法第2類)も開示されたが、やはり指数関数と対数関数のてんこ盛りだった。
続いて、これらの式を使って実際の文字列を比較した結果もいくつか示された。その最後は、和歌の世界では有名な「本歌取り」の例である。飯箸氏は、「えーと、これって、盗作じゃないんですよね。本歌取りというんですね」などととぼけて見せて、会場からは笑いを取っていた。
  「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」(万葉集)
  「田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」(新古今集)
両者についての類似度とLevenshtein距離(参考)は次のようになることが示された。
 飯箸法第一類類似度 飯箸法第二類類似度 Levenshtein距離
 71%            78%            7
二つの歌の「意味の違い」は100%という人も、違いはわずかという人もいるだろう。「意味の差異」に関する判断は優れて主観的である。解釈にもよるが、前者は田子の浦から小舟に乗って海に乗り出し、揺れ動くであろう小舟の中から雪の降り積もった白い富士の高嶺を仰ぎ見て、富士の威容に感動している様を歌っているもので、素朴な躍動感あふれる内容である。後者は、田子の海岸線に出てきたもののその浜にとどまって(船には乗っていない)、美しい白に染まるかすかな富士を背景に目前を雪が降りてくるという絵画的な美しさを解説する歌で、知性は感じさせるが野性的躍動感はない。野性的躍動感の有無を捉えて100%の意味の違いを説く人もいるだろうし、「田子の浦」「白い富士」「雪」などのモチーフの共通性から、意味の差異は少ないと説く人もいるだろう。そもそも、意味の差異に大小や程度を一次元尺度を当てることさえ、無理があり、やるべきではないと思う人も少ないないはずである。意味は、おそらく多次元(無限次元)に置かれているものだからである。
一方の外形的類似度には、ある種の客観性があり、人々の判断に大きな違いはない。外形的類似度に限れば、上記の二つの歌の例では7-8割の類似度と言って異論ある人は少ないだろう。フューリスティックな計算法が想定されるのである。その方法を数式化したものが飯箸法の利点である。
その飯箸法の結果の数値については、狙い通り、会場にいた人々の人間感性的類似度と大きな齟齬はなかったようだ。異論を唱える人はいなかった。
Levenshtein距離については、この数字が類似性が高いのか否か、まったくわからない代物であることも実感できたに違いない。
話が終わるころには、会場の皆さんは、飯箸法がそれぞれに予想していた仕事とは全く異なるものであることが、はっきりしてきたようだった。
まとめとして発表者は、「この方法は、お金稼ぎには全く関係がありません。アルゴリズムが公開されていないグーグルによる文書類似度、形態素解析をベースとするジャストシステムの類似度検出システム、その他の「意味の類似性」をいくらかでも取り入れようとされているさまざまなシステムはそれぞれの利便性があるでしょう。それぞれに大いに発展させご商売にまい進されることを期待するものであります。私のこの方法は、意味論的類似性を一切排除していますので、外形的な類似度を客観的汎用的にはっきりと示すはずです。皆さんのそれぞれの方法が示す値がある方法では81%の類似度、別の方法では74%というケースは大いにありことです。一方、外形的類似性に限れば、たとえば、アルゴリズムも公開されている飯箸法第2類では79%であるというような共通の認識にいたることができます。すなわち、私の目指してきたことは、テキスト類似度の汎用的尺度を提供しようということに尽きるのです。これは皆さんのご商売とは抵触しないで、むしろご支援する研究なのです」と述べた。飯箸氏のこの日の発表はこれで終わりである。
司会の阪井教授が会場に向かって「質問は?」と呼びかけると、会場は発表直前と空気が一変していた。会場は圧倒されて押し黙っていた。しばらくの沈黙の後、家本会長が手を上げて「えっと、たとえば文章の前後を入れ替えただけの2つの文章はどの程度の類似度になりますか」と質問した。飯箸氏は即座に「100%の類似度になります」と述べた。続いて、「学生のレポートではその手のもの、つまり友人のレポートを丸写しにして前後を入れ替えたようなもの、が良くありますが、すべてアウトと判定されます」と述べたので、会場はどっと笑って、急に和やかな雰囲気に包まれた。さぁ、皆さんが楽しみにされている懇親会場への移動である。ルンルン気分で私も移動をはじめた。

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琵琶

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小学生の風船の手紙、校長先生に拍手--心理、教育、社会性の発達(43)

2007/08/01
小学生の風船の手紙、校長先生に拍手--心理、教育、社会性の発達(43)

千葉県松戸市小金北小学校と言えば、我が家に近い小学校である。
ここに、すばらしい実践をする校長がいた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007070502029841.html(2007.07.05)
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風船飛ばし膨らむ交流、児童へ「風の便り」続々 千葉・小金北小
7月29日16時58分配信 産経新聞
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■浦和レッズ、自衛隊からも
千葉県松戸市立小金北小学校(斉藤正校長、児童数594人)の全児童が創立40周年記念に手紙を付けた風船を飛ばしたところ、首都圏各地から約100件の連絡が寄せられた。個人や学校などのほか、サッカーJリーグ・浦和レッズや自衛隊からも返事があり、これを機に新たな交流も始まった。子供たちは風の届けてくれた思わぬプレゼントに驚き、喜んでいる。
同小は創立記念に、子供たちの思い出に残るイベントを計画。環境保護のため自然に分解される素材の風船に、子供たちが自分で書いた手紙や絵を付けて6月11日、校庭から飛ばした。
すると同日以降、「届いた」という手紙やファクスが届くようになり、7月下旬までに約100通に達した。内訳は埼玉県から7割、都内が2割、神奈川県が1割。100キロ近く離れた神奈川県大和市や東京都八王子市からも連絡があった。
多くは個人からで「風船も手紙も大切にします」といった返信のほか、風船爆弾などの「風船の歴史」を調べたメモや拾った子供が描いたお礼の絵もあった。
中にはサプライズも。
浦和レッズからは、さいたま市にある2面の練習グラウンドに落ちた風船2個を整備係が発見したと連絡が届いた。記念として選手のサイン入りボールが贈られることになっている。
陸上自衛隊立川駐屯地(東京都立川市)からは風船が発見された時の写真が同封されてきた。夏休みには手紙を書いた児童が駐屯地を訪問する予定だ。
埼玉県川口市立神根東小学校からは拾った2年生児童のクラス40人の文集が贈られてきた。小金北小も文集を贈る準備を進めている。今後は学校ぐるみで交流したいとしており、風船がつないだ縁が大きく広がっている。
斉藤校長は「これほどの反響があるとは、子供たちも先生も驚いている。これを機にさらに多くの交流が生まれるとうれしい」と話している。
【関連記事】(省略)
最終更新:7月29日16時58分
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このような実践は、子供たちに大きく広がる社会や世界を身近に感じさせる貴重な体験になるものと思われる。社会性の発達に、ともすれば背を向けて、孤立と競争だけを強要する学校が、少しその姿勢を変えようとしている現われなのだろうか。いや、この学校に限り昔からこのような取り組みをしているのだろうか。

実は、わが亡父も、風船を飛ばす小学校の校長だった。それは、戦後、食べるものもなく、貧しくてお弁当を持ってこれない子供たち(欠食児童)が昼食の時間に校庭で無駄に時間を潰して午後の時間になるのを待っているような時代のことだった。大人は自信を失い、今日の食事のために血眼だった。満たされない子供たちは、モノを壊したり、カッパラッたり、喧嘩したり、と問題をおこし続けた。人恋しくてチンピラに混じる子さえいた。
父は、農家から庭先で咲く花のタネを貰い受けて、学校の庭の片隅にまいた。毎日水をあげている姿に子供たちは関心をもち、手伝う子供たちも出てきた。子供たちは植物の生長に深い関心を寄せ、心が和むようだった。学校中のクラスで学級花壇を作ることを決め、秋にはタネを収穫して、花のタネを手紙とともに風船に結んで飛ばした。たくさんの手紙が返信されてきた。遠くはニュージーランドや中国、韓国からの手紙もあった。子供たちは、校庭で行われる全校集会でそれらの手紙が紹介されると歓声をあげて喜んだ。その後も長く手紙の交換をした子供たちもいたようだった。
父が奉職した最初の学校は、松戸市中部小の分校(現松戸市北部小)だった。次に転校した先は小金小学校(先の記事の姉妹校)で、ここで終戦を迎えた。小金小学校で花壇の小さな試みを始めたと聞かされているが、本格的には教頭として赴任した次の学校、松戸市中部小(本校)だったようだ。ここでは全校的取り組みになっていた。その後は校長として千葉県北部を転々とするが、そのたびに花と風船の実践は着いて回った。新聞に「花の校長」という見出しで自分のことが紹介されると、うれしそうに子供である私に見せたりしたものである。
花と風船を通じて、多くの子供たちに、命をはぐくむことの喜びを教え、広い世間と世界への目を育てたことを、父は誇りにしていた。私は小学校の教員にはならなかったが、今、大学でささやかに教員をしている。曲がりなりにも教員を体験すると父の思いが痛いほど分かる気がする。
急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)
死ぬな、校長先生。教育現場の改革に生きてこそ--心理、教育、社会性の発達(29)

父が引退してから、長く、この地で、このような試みは絶えていたが、今、小金北小学校で同じような試みが行われたことに感動している。
良い実践は、もっと広がればよい。斉藤正校長に敬意を表して、この項を終える。
がんばる校長先生に、皆さんからも大きな、おおきな拍手を!

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