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高校3年生男子、集団的で陰湿な恐喝を受け自殺--心理、教育、社会性の発達(47)

2007/09/25
高校3年生男子、集団的で陰湿な恐喝を受け自殺--心理、教育、社会性の発達(47)

また、陰湿な恐喝で自殺する少年が出てしまった。自殺したのは、今年の7月3日のことで、マスコミが報道したのは、9月17日ころからである。
誰かが勇気をもって発言を始めないと、黙殺され、事実は永遠に隠蔽されてしまう。親御さんとしてはいたたまれないことと思われる。悲しみとともに怒りをもって、私は、この報道を聴いた。
この事件は、明らかに加害少年らの集団のイジメ、というよりも集団的恐喝事件である。警察もさすがに恐喝事件としてこの事件を扱っている。
しかし、この自殺した少年や自殺に追い込んだ少年らが通っていた高校の校長や教師らは、ごく最近まで、この恐喝の事実を認めず、イジメでもないと言い張っていたのである。犯人らの言葉を採用して、自殺した少年は成績不良を苦に誌を選んだと言い張っていたのである。死を選んだことは必ずしも良いことではないが、死をもって抗議した少年がまったく浮かばれない。理不尽に殺されたり、不遇に追い込まれた人たち、の周辺にはこんな訳知り顔をした共犯者がたくさんいるのである。物言わぬ死者の声を聞け、といいたい。ぬけぬけと生き残った犯人の言い分だけをを聞いてどうするのだ。加害者の罪をあえて見逃してやったり、その加害者に味方したりするのは共犯である。被害者を見捨てたり、被害者をさげすんだりするのは劣情というべきである。
さて、自己保身のために加害者に味方する者は心にやましいものを隠して生きてゆくのである。私は、非科学的といわれるかもしれないが、彼らは必ずや心を病んで肉体を蝕み、精神を狂わせて自滅すると指摘しておく。よく考えてみたまえ、君たちは、この社会に生きる資格のない下劣な人格である。
私には、死を選ぶまでの少年の心の軋み、悲しみ、叫びが聞こえてくるようだ。

神戸新聞WebNews
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同級生を恐喝未遂で逮捕 高校生飛び降り自殺
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070920-258971.html
2007/09/17
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神戸市内の私立高校で飛び降り自殺した三年生の男子生徒=当時(18)=から、金を脅し取ろうとしたとして、兵庫県警少年捜査課と須磨署は十七日、恐喝未遂の疑いで、西宮市内に住む三年生の男子生徒(17)を逮捕した。容疑を認めているという。この生徒を含む同級生ら数人のグループが、日常的に自殺した生徒に金を要求し、その金額は少なくとも計四十万-五十万円に上っていたとみられる。同課などは、自殺との関連についても調べる。
調べでは、逮捕された生徒は今年四月から七月ごろ、うそをついた罰金と称して自殺した生徒から金を脅し取ろうとした疑い。六月二十五日ごろには、「おれは五万円でいい。ほかの人(同級生ら)にはとりあえず一人三万円ずつ払え」「夏休み明けまでに払わないとどうなるか分からない」と携帯電話でメールを送っていた。
自殺した生徒は、グループの同級生に「一回うそをつくたびに一万円払う」などと約束させられていたという。
遺書には「毎日のようにメールが来るけど、払えるわけがない」などと、同級生らから金を要求されるなどの嫌がらせを受けていた内容が記されていたという。逮捕された生徒の名前はなかったが、別の文脈で複数の同級生の名前もあり、同課などは慎重に関連を調べる。
同課などは、亡くなった生徒が食料を一人で買いに行って金を支払うよう求められるなど、グループ内で嫌がらせを受けていたことを把握。メールの記録などから、こうした金品の要求が常態化していたとみている。
男子生徒は七月三日午後二時ごろ、校舎から飛び降り自殺した。
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ここで取り上げられている「うそをつけば、・・・」という罰ゲームなるものを、「子供の遊び」として解説している評論家の記事を掲載した新聞があった。それは、とんでもない間違いである。子供たちの校舎の陰の生態を少しでも知っているものならば、だれでも容易に推測がつくことである。
「金をもってこい(加害少年ら)」「でも、・・・(被害少年)」
「あさってまでに、もってこい(加害少年ら)」「お金、ない・・・(被害少年)」
「今約束しろよ(加害少年ら)。約束できへんなら、ゆるささへんで。あさってまでになら何か方法あるやろ。約束やで(加害少年ら)」「できるかどうかは分からんで(被害少年)」
「約束したんやからな。あさってまでにもってこなんだら、罰金1万円やで(加害少年ら)」「罰金やで、払えへんで(被害少年)」
「罰金なら、貯金しておいたっていいで。今、お前罰金の貯金7万円やで、これが8万円になるだけや。・・・、約束破ったお前が悪いんだからな(加害少年ら)」「・・・う、うん(被害少年)」
無理やり約束させられた日にお金が払えなければ、「罰金」がたまってゆくのである。罰金がたまれば、罵声とイジメはエスカレートするのである。
巧妙に仕組まれた陰湿な恐喝の枠組みが「罰ゲーム」なのである。どこが「遊び」なのか、死んだ少年に替わって、私が叫びたいくらいである。
下記の続報は、"イジメ"が恐喝の手段として行われていたことを示している。イジメすら認識できない感度の鈍い学校の教師などは考えられない。「構内恐喝犯罪」の実態を隠すために行われた意図的な隠匿行動に違いない。「恐喝」は犯罪であり、その犯人を隠匿すれば犯人の蔵匿罪に当たる。警察は、「知っていて、これを隠匿した教師ら」もしっかりと調べるべきであろう。

NikkanSports.com
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自殺した高校生罰ゲームでモヒカン刈りも
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070920-258971.html
2007年9月20日
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神戸市の私立高校で同級生の少年(17=恐喝未遂容疑で逮捕)に現金を要求され、自殺した3年の男子生徒(18)が今年初め、頭髪を特殊なモヒカン刈りにされ、友人に「罰ゲームだから」と打ち明けていたことが20日、関係者の証言で分かった。
また、自殺当日、遺品の弁当箱に、母親が入れたのとは別のおかずが詰め込まれていたことが判明。昨秋には机の上に粘土が塊にして置かれるなど、1年近くいじめや嫌がらせが続いていた実態が浮かび上がった。
高校関係者によると、生徒が強いられた髪形は丸刈りに近く、後頭部の髪を角のようにされていた。地元の中学校で流行していたという。
生徒は7月3日午後2時ごろ、校舎の渡り廊下から飛び降り自殺した。校長が後日、弁当箱のおかずの話をすると、多くの生徒が「誰かに嫌いなおかずを入れられたのだろう。いじめではないか」とうわさしていたという。
自殺後、一部の生徒から「いじめがある」と指摘されたものの、高校は現金を要求した少年の説明をうのみにし、実態を把握しないまま兵庫県に中間報告。「いじめは認められなかった。成績が落ちたのが自殺の原因ではないか」と説明した。
高校は7月30日に約70人の生徒から聞き取りを終えたが「中間報告の内容と変わらない」との理由で、県に最終報告の結果も伝えなかった。
[2007年9月20日20時41分]
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学校がとった隠ぺい工作は、犯人蔵匿と証拠隠滅の行為に当たる。ちなみに、法律は下記のように定めている。
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(犯人蔵匿等)第103条
罰金以上の刑に当たる罪を犯した者又は拘禁中に逃走した者を蔵匿し、又は隠避させた者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
(証拠隠滅等)第104条
他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
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教育の現場に携われば、反社会性人格障害と思われる子供たちに遭遇することは決して少なくない。この種のゆがんだ人格は、くみしやすいと思った相手を見つけると、だましたり脅したりしながら、ネコがネズミを抵抗できなくなるまでいたぶりつづるように生身のヒトの身と心をいたぶり、万引きさせたり、現金を持ってこさせることに快感を感じていると見えるのである。快感を覚えているその様子をみて「遊び」だなどという評論家はとんでもない人格か、相当なおバカさんである。加害少年らのその様子こそ、自分の利益のために、弱みを見せた相手を徹底的にしゃぶりつくすことに快感を見いだす反社会的人格障害の姿なのである。その野獣のごとき仕草と言動を発見してゾッとする人は正常である。ゾッとない人は、教育者にも人の親にもなる資格もない。ゾッとしないというあなたもその仲間なのかと思ってしまう。この種の人格のゆがみを生じないようにするのは教育である。また、ゆがんだ性格を見つけたら、これを矯正するのも教育である。はっきり述べたいのは、そのゆがんだ人格ゆえに犯罪の実行に手を染めたら、処罰されるということを教えるのも教育である。教えてなお犯罪に手を染めれば、直ちに厳罰が下されるべく警察に通報すべきである。これも、事実を持って教える崇高な教育の姿である。教育は仮構の世界の出来事ではない。仮想的現実を見せて教えるという手段も多用されるが、生身の人間が血と汗と精神の火花を散らす切磋琢磨の現実の場でもある。子供たちの笑いも汗も、涙も悲嘆も、教師の熱意も奮闘も、全ては現実である。仮構ではない。善行は現実に人々に賞賛され、非行と犯罪は厳罰に処せられるという体験も大切な教育である。ここに一切の躊躇はいらない。
しかし、教師にも言い分はある。そうですよね、教師の皆さん、実際のところ、教育の現場で、千余の賞賛と1回のゲンコツ、を両方とも実践していますか。どちらもやっていないという教師はいないでしょうが、千に一つのゲンコツは難しい。体罰は全て反対という犯罪許容傾向の強い親もいる。犯罪容認的な教師すらいる。千に一つのゲンコツが直ちに法務トラブルに発展するケースもある。それでもあえて教育的ゲンコツを振るう教師もいる。他方、それはあまりにもリスキーだというのが現場の大半の声である。だから千に一つのゲンコツがなかなかできないのである。ゲンコを加えてやってほしいという親もいるが、その現場の教師の苦悩もわかってほしいと思う。
ならば、警察を呼んで法の裁きを受けさせたら良いのである。教育的ゲンコツを私憤による暴力と言い立てる者には、代わりに公権力の暴力を甘受してもらう以外にないのである。
教師の皆さん、「警察に対する自己防衛のための緊急避難的通報と救援依頼」は市民一般の正当な権利です。犯罪許容傾向の親や上司がいたとしても正当な権利を行使して、警察に引き渡して、権利を行使すべきである。直接鉄拳をくわえる代わりに、正当な権利行使によって、犯罪に及ぶ児童生徒学生には、堂々と、教育的鉄拳を与えるべきであると私は声を大にしたい。警察のみなさんも、善悪を峻別する目を研ぎ澄ませて、ますます、しっかりと対応していただきたい。
それが、死をもって最後の抗議をした少年に対するせめてもの報いであると思う。

万一、あなたの勤務先が正当な権利行使を許さない学校であるならば、さっさと辞めるか、転校の要望を繰り返し提出してしまうことにしよう。勇気を持って、犯罪は小さなうちにその芽を刈ること(ブロークンウインドウ理論)に教師魂の炎をもやそう。それが大好きな教室の子供たちから将来重大な犯罪者を出さないようにするためのもっとも効果的教育方法である。それができない学校は、やがて競争に敗れて教育市場から敗退するにちがいない。
腐った学校から、心正しい教師はさっさと逃げ出そう。学校内での改革ができるならば救いはある。今回報道の高校が自己改革できる学校かどうかはまだ分からないが、一般に学校内だけでは改革できないところが大多数である。改革しようとすれば教員室内でのイジメに遭うに違いない。イジメ体質が教師にもあるからこそ、児童生徒学生にもイジメが多発するのが普通だからである。良い教師が黙ってどんどん逃げ出せば、かえって父兄が黙っていないし、理事会も気がつくに違いない。なによりも、敵対的行動は何もないのに、教育の質がますます低下し、学生の応募者は漸減してゆくに違いないからである。

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琵琶


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國井利泰先生の70歳のお誕生会20070908--交友の記録(20)

2007/09/12(1/3)
國井利泰先生の70歳のお誕生会20070908--交友の記録(20)

出版界のお歴々と飲んだ翌日(9月8日)は、3つのパーティが続いた。こんな日はめったにないことで、過去を振り返っても多分はじめてのことだろう。
午前11時、東京ガーデンパレスで國井利泰先生の70歳のお誕生会が開かれた。今年は30歳台の若いお弟子さんたちが幹事を勤めてくれた。
まずは、國井利泰先生のお声がよく出るようになっていたことには、びっくりしてとてもうれしくなった。声を出す筋肉の周りにご自身の体脂肪を移植するという最新の手術を施したのだそうである。お話好きの國井先生は、昨年も大いにお話したが、声が出にくくてお気の毒だった。今年は、正常にかなり近いお声だった。
奥様のお話では、もともと國井利泰先生はひどくスリムなため、体脂肪を集めることにお医者さんはずいぶん苦労していたとのこと。さもありなんとは思った。何はともあれ、内心ブラボーと叫びたくなるくらいうれしい。先生とは学部の1-2年生の時代のクラブの先輩としてのお付き合いだから、ご迷惑かもしれないが、私の心の中では兄弟(お兄さん)という感じなのだ。
最近は金沢工科大学で博士課程の学生を教えることに専念されているようだが、昨年は古巣の東大の東大発ベンチャー企業の支援を頼まれたと嬉々として語っていた。実は、彼は若いころアメリカに5つの会社を持っていると豪語していたことがある。米国に遊学している間に作ったのだという。その次には弟子の一人である私をそそのかして会社を作らせた。その後もたくさんの企業を育てていたのかと勝手に想像していたのだが、そうでもなかったようである。今回の東大発ベーンチャー企業は、東大が始めて手がけるベンチャー育成支援プロジェクトの第一号企業である。東大を捨てるように去って、会津大学の学長になり、その後さまざまな大学の「起爆剤」として呼ばれて転戦を続けてきた彼にとって、古巣の若い意欲的な後輩に頼りにされたことがこよなくうれしかったに違いない。
皆さんの挨拶は予定外に長くなる傾向があるというので、司会をされた幹事が大きな紙に「時間です」と書いて掲げることになった。3人目の挨拶が私だったのだが、早速、「時間です」が掲げられたので、話しかけのまま「あっ、終わりにします」と宣言して終わりにした(^^;/。会場は爆笑して、いっそう和んだようだった。
実は、昨年のお誕生会の記事もこのブログに書いたのだが、1年間で約4000件のアクセスがあったこと、「國井利泰」で検索してくる人が大半ではあるが、なんと奥さんの「國井秀子」で検索してくる人も4割近いという話もしようと思っていたのだができなかった。奥様はリコー中央研究所の社長を経て現在はリコー本社の重鎮でもある。女性のSEたちに対する応援活動も手広く実践されていて、国の審議会にもしばしば登場している。ご主人はもちろん有名人であるが、奥様も相当なものである。
國井利泰先生のバースディ・パーティ--交友の記録(10)
奥様が最後の挨拶に立って、国の審議会の席で、たまたまお隣に東大の今の学長がお座りなり、いきなりご主人には大変お世話になっていますと挨拶されたと最近の話を披露された。現在の東大の学長は國井先生よりもはるかにお若いし、面識もない。学長は、ベンチャー育成事業に大変熱心で、その成否を大変気にかけているところのようで、その成功を國井先生の企業指導に期待しているのだとのことのようだったと説明された。東大に幾分なりとも恩返ししているという実感なのだろう。横で聞いていた國井利泰先生も顔をほころばせて聞いていた。
散会して、ホテルの外に出て歩き始めると、リコーの飯沢氏が遠くから私の名を呼ぶ。喫茶室でお茶でも飲みませんか、というのである。大いに結構、と取って返すと、ホテル内のバープラネットに國井夫妻と主要な弟子たちが集まっていた。酔い覚ましもかねて、私はジュースをいただきながら、飯沢氏と久しぶりの会話を楽しんだ。彼と知り合ったころ、私は30歳を越えた出戻り学生、かれはまだ22-3歳のはちきれんばかりの俊英だった。いまでも温厚な人柄の中に秘められた鋭い英知が垣間見える会話ができた。私はただただうれしかった。

お茶会も散会すると、私は、周囲を散策しながら、次の会場に向かうことにした。

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琵琶


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台風到来、大切な出版界の重鎮たちとの会合20070907--交友の記録(19)

2007/09/10
台風到来、大切な出版界の重鎮たちとの会合20070907--交友の記録(19)

9月5日から、超大型の台風が日本沿岸に達していた。速度はきわめてゆっくりとしていて、沖縄、九州には大きな被害を出していた。9月6日はいよいよ関東に上陸というニューズが朝から流れていた。明日は大切な会合(といっても酒席のみ)がある。そのさらに翌日には、3つパーティが予定されている。台風の進度いかんによってはいくつかは影響が出るかもしれないと思われた。
最初の9月7日の会は、10数年続くものである。出版界の隠れた重鎮たちがひそかに集まる日である。たいていの人たちは年に1度しか会わないが愉快な仲間たちである。10年ほど前にも、一度だけ、この会合の日は台風に直撃され、会合開始直前の夕刻、私の少し離れた実家に住んでいた両親からSOSの電話が入ってきた。水害の予報はなかった。関東平野の開けたところつまりは古利根川のかつての扇状地のはずれにある実家は、しかし、突然、浸水の危機に瀕していた。床下にひたひたと水が入り込んでいるというのだ。昔に比べれば排水の便もよくなり、めったなことでは床上浸水はありえないが、老人二人で、大切なものが水にぬれないように、たんすの上などに移動しているということだった。いざとなれば、腰まであがるだろう水の中を私も駆けつけなければなるまい。危機がどの程度あるのか、図りかねた。宴会は始まってしまう。危機が去れば行くが、駆けつけられないかもしれない、と会場には連絡した。
夜6時、床下の浸水は多くなっていた。台風の目は1時間ほど前に過ぎて、雨は小降りなっていた。増水は台風が過ぎた直後から数時間が一番危険である。
夜8時、床下20センチくらいまで増水したが、それ以上にはあがらないようだ。ひとまず事態はこれ以上悪くなることはあるまいと判断されたが、老人の健康のほうが心配である。緊張して体力作業をしたのだから、夜半に具合が悪くなるなどのこともないとはいえない。会費の支払いに間に合うぎりぎりの時間に、再び会場に電話して、幹事さんに、ごめんなさい、会費は後日届けるというと、「こんな日に会を強行したほうも強行したほうだと思うので、今回は、参加しない人は会費免除にします!」とのこと。やさしい幹事さんだこと! でした。実際参加したのは数名らしかった。しかし、ザンネン、という思いもしないではなかった。
今回もまた台風のおかげで、会はめちゃくちゃになるのかな、という心配が頭を掠める。会の前日の6日早めに仕事を片付けておこうというあせりもあって、いつも忙しいスタッフらと夢中で仕事をしていて、気がつくと11時、ラジオは「神奈川県に上陸したもよう」と叫んでいる。今が神奈川県ならば東京の東側には後2時間の猶予があると、たまたま自家用車で出社したので、車で帰宅することにした。電車はすでにどこもかしこも止まっていたので、車以外での帰宅はありえない。
車に乗ろうとすると、駐車場の車の下には、風で飛ばされてきたらしい、工事用の赤い三角目印の棒がタイヤの下に挟まるように数本たまっている。これらをずぶ濡れになりながらやっとの思いで蹴りだすと、風でそれらがたちまたかなたへと転がるように飛んでゆく。傘も、一気にオチョコになって、飛ばされた。ひどい風だ。
万やむなし、心を決めて車で走り出す。無事に帰宅できないと、明日の会に出席できないぞ、ど自分に言い聞かせて、アドレナリン満開でハンドルを握る。同乗している妻はのんきなもので、いつもの冗談を言ったりしている。国道までは、それほどでもなかったが、広い国道にでると風は抵抗を受けずに強くなっているようだった。風でハンドルが取られるように感ずる。風の向きによって、ハンドルをやや右や左に傾けていないとレーンを外れてしまいそうになる。並んで走っている他の車のドライバも同じことのようだ。
小さな交差点を横切ろうとすると、その瞬間、右から受けていた風が、左から強烈に吹いた。路地を伝って、反対向きの風が国道を横切っていたのである。車は右に一気に寄る。危ない、瞬間にハンドルを左に切る。ハンドルの遊びを少なく調整したばかりなので、愛車の応答がよく大事には至らない。むしろ、左前を走っていた車がいきなり自分の車に急接近してきたのには、ギクッとした。軽くブレーキを踏み、対向車が居ない反対車線にやや車をはみ出させて、これをかわす。
しばらくして、左の風が続く国道で、今度は逆に右からの突風に見舞われる。右から、左からと車は翻弄されながら走り続ける。荒川を越え、江戸川を越える。川を越える橋の上が一番危険である。車がふわっと持ち上げられそうになる。スピードは抑え目、急ハンドルはご法度である。おっとと、対向車線の外側を走るトラックが風にひどく傾いている。こちら側に倒れ掛からんばかりだ。橋の周囲は風がまいている。右や左とはいえない、いろいろな方向から力が加わる。前を走っているバンが、右や左に小さく移動する。私の車も外から見るとそうなのか、・・・。ドライバーである私は必死である。
やれやれ、自宅に到着したのは12時直前。ニュースにかじりつくと、台風の一番ひどい時に台風と一緒に移動したようなものだった。無事でよかった。ほっとした。
翌朝、晴れ間が見えた。庭に出た奥さんが、大声で私を呼ぶ。庭に出ると、柿の木の大枝が根元から折れている。実が一番たくさんなっていた枝である。あーぁ、今年は楽しみにしていた柿の実は台無しだな、というのが最初の感想である。この柿の木は、膝より下のところで、枝分かれしていて、幹は腰の高さくらいしかない。ここから四方に張った大枝が広く台地を覆っていた。枝の選定や、実の収穫に便利なように仕立てていたのである。その一番大きな枝が実をいっぱいにつけて、大地を這うように大風に揺られていた。夜半過ぎ、とうとう枝の付け根がその力にたえられなくなったのだろう。千切れかかった枝の根元が無残である。
そのままにしておくと腐って、幹を痛めるので、早速、枝きりを開始した。まず、千切れかかった大枝の根元をすっぱりと切り落として、大枝が分かれる二股を二つに切り分けた。一つのままではとても人間が運べる重さではない。二つの枝を、別々に妻と一緒に、開けた家庭菜園に運ぶ。今は、たまたま何も栽培していない部分である。ここで小枝を切り落として、小さく切ってゆく。ゴミとして出せるようにである。

午後にはよい天気となった。戸外は暑い。早々と仕事を終わらせると、時間に間に合うよう電車を乗り継ぎ足早に会場に向かう。時間より10分前なのに、3分の2の人々がもう席に座っている。というかすでにビールをガブガブと飲み始めているのである。昔かたぎの編集屋の集まり(平均年齢67歳くらい)なのだから、当然といえば当然だろうが、酒もタバコもヘビー級の面々ばかりである。
思い出話、近況報告、日本の思想状況や政治の体たらくに風論煥発の喧騒の中で、あれれ、ずいぶん久しぶりの御仁らがいた。かれらは、地元に大病院がないので誘致を仕掛けているのだそうである。仲間を広げようという魂胆で久しぶりにやったきたらしい。なんと、昨年まで、私がやっていた誘致運動の続きのような内容である。私は2年間がんばって、あきらめていたのだが、続きをやってくれる人たちが居るならば大歓迎である。早速、署名用紙に署名し、メンバーになる約束をした。年はとっても世のため人のためならと、元気な連中である。
前夜の台風の緊張がウソのような楽しい宴を体験して、すこぶるよい気分で私はご帰館となった。

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琵琶


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ゲーム考、「少年のゲーム嗜好と殺人-その3」--心理、教育、社会性の発達(46)

2007/09/05
ゲーム考、「少年のゲーム嗜好と殺人-その3」--心理、教育、社会性の発達(46)

ミニシリーズ:心理、教育、社会性の発達「少年のゲーム嗜好と殺人」(全3回)
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1.山口県で祖父を殺す、禁じられて(?)、「少年のゲーム嗜好と殺人-その1」--心理、教育、社会性の発達(44)
2.パーソナリティ形成への環境的障害と抑圧、「少年のゲーム嗜好と殺人-その2」--心理、教育、社会性の発達(45)
3.ゲーム考、「少年のゲーム嗜好と殺人-その3」--心理、教育、社会性の発達(46)
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<前の記事>

私は、前回の記事で、『「本能的な社会性獲得への抑止」や「本能的な仮想体験への禁止」が、防衛機制という動因を背景にして攻撃が引き起こされたのではないかと推測している』と書いた。
また、『ここに彼がたまたま触れたゲームが背徳的攻撃を助長する内容であれば、「観察学習による攻撃性」(社会的学習説)も原因に加える必要があるかもしれない。しかし、彼が熱心にやっていたゲームの内容が明らかでない今は、「観察学習による攻撃性」は疑いが残るというにとどまる』とも書いた。

ところで、コンピュータゲームはなぜ青少年の心を捉えるのだろうか。苦々しい思いを抱いている親たちも多いに違いない。
逆に、ゲーム漬け少年や、ゲームニート、ゲームフリーター、ゲームの達人を自称するゲーマーたちからだけではなく、普通のゲーム好き少年たちからは、ゲームを眼の敵にする大人への激しい憎悪とさげすみの言葉が聞こえてきそうである。
まず、何度も断っているが、私はゲーム禁止論者でもゲーマー推奨者でもない。よいゲームも悪いゲームもあるし、ゲームを健全に遊ぶ人も不健全極まりない人も居るということを、私は冷静に分析しているのである。

(1)ゲームとは、まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験する手段方法の一つ
この社会に存在を許されるとしたら、おそらくそれには社会的存在意義があるはずだ、と私は思うのである。
「ゲームとは、まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験する手段方法の一つ」
と私は述べたい。
このような定義を述べる人は、私以外に、現時点では、まだ存在していないだろう。
社会的存在意義のないものは社会から見捨てられるのである。まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験し、将来現実に似た事態に遭遇したときに人はこれに心の準備を持って対応したり、体が覚えている方法で反射的に対応できたりするのである。また、もっと広く社会への寄与や貢献を仮想的に体験させるものもある。まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験する手段方法には、実にいろいろなものがある。兵の配置や戦端の開き方を体験的に知ることのできる「将棋」「チェス」「囲碁」などの「ゲーム」も多い。直接、刃物を手に白兵戦をする代わりにサッカーやラクビーに興ずることもある。仮想的現実を提示して見せるのは、ゲームばかりではない。ケモノの走り方や飛び跳ね方を長老がやって見せ、動物の種類の見分け方を教えて、それぞれの狩の仕方を教える部族は多い。昔からの伝承を語って聞かせる昔語りもその一部だろう。昔語りの代わりに、芝居や演劇、歌や踊りにして伝えるものもある。小説、絵画、詩、映画、ラジオの朗読、・・・などなど、芸能と芸術、文化の大半の役割がこれだといってもよいくらいである。
人は、社会的に学習する動物である。本能だけでは社会を構成して生きてゆくことができない。生れ落ちた後に、膨大な知識と生活の技術を身につけなければ生きてゆけないのである。学校の勉強ばかりが社会的学習ではない。私は教師でもあるので、学校の勉強だけを推奨する人のように誤解されることがあるが、正反対である。学校の勉強は、必要な勉強の万分の一にすぎない。
昔は、「小説ばかり読んで、勉強もしない若者」が非難された。「映画館にばかりいて、勉強もしない若者」が非難の対象だった時代もある。長く「テレビばかり見ていて、勉強もしない若者」が非難されていた。いまは「コンピュータゲームに熱中して勉強しない若者」が非難されている。他の媒体に比べると、ゲームの種類によっては、脳内ホルモンの異常分泌を促して、本人の脳細胞にダメージを加える危険性がいっそう高まってはいるが、大枠では、やっていること、弊害を起こしていることに大差はない。なぜ、若者は非難されても、「小説ばかり読み」、「映画館にばかり行き」、「テレビばかり見ていて」、「コンピュータゲームに熱中して」しまうのだろうか。
"まだ見ぬ世界をあらかじめ仮想的に体験しておく"のは、人が生きてゆく上で、きわめて有利である。嵐や災害、人の起こす危害など、普段からは予想もつかぬ出来事に対して、あらかじめ対処法を理解していたり、反射的に対応できれば、人やその家族、またはその群れや邑(むら)、または人の社会そのものの存続の危機を回避する可能性が高くなる。人は本能的に、"まだ見ぬ世界をあらかじめ仮想的に体験しておき"たがるものであり、成長期にはなおのこと、これを渇望するのである。
いわば本能が渇望する行為であるからこそ、これを禁止されれば、自分が生きて行くことを拒否されていると感じてしまうのも無理のないことである。
防衛機制という動因を背景にして、抑圧する者への激しい攻撃が引き起こされたに違いないと思うのである。
以前の記事で引用したニュースとは別のものであるが、ここに引用する。私には、悪いこととはいえ、少年のやるせない叫びのようなものが感じられてならない。

Gooニュース
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-23X110.html(2007.8.23)
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「隠れてゲーム、怒られた」=祖父殺害の高1、弁護士に-山口
2007年8月23日(木)21:53
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山口県上関町で無職男性(79)が殺害された事件で、殺人などの容疑で逮捕された孫で県立高校1年の男子生徒(16)が「隠れてゲームをしていたのを祖父に見つかって怒られ、(殺害の)一因になった」と話していることが23日、分かった。
同日、田井正己弁護士が生徒が拘置されている県警平生署で初めて接見し、明らかにした。
田井弁護士によると、生徒は今年、お年玉などで携帯型ゲーム機を購入。隠れて遊んでいたが、7月から8月にかけて数回、祖父に見つかって「続けると学校を辞めさせる」と怒られた。 
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(2)これまでの「ゲームとは」は不完全
こういうと、たくさんのゲーマの皆さんが、こぶしを振り上げて、「違う、ちがう!」と叫びだしそうである。けっこう、叫んでほしい。叫びたいだけの理由があるのだろう。近頃、自説を絶叫する青少年が少なくなって少々さびしいくらいである。
さて、「ゲーム」についての、"これまでの"定義はどうか。
「ゲーム」の研究家で紹介者でもある松田道弘氏(1936年 -)によれば、「遊戯としてのゲーム」の定義として「勝敗を争う事で楽しむ遊戯」ということである。これは、外延的定義としては、おおむね外れてはいないだろう。

(参考1)Wikipedia「ゲーム」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
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松田道弘はその著書『トランプの楽しみ』で、「遊戯としてのゲーム」の定義として「勝敗を争う事で楽しむ遊戯」という定義を採用している。この定義は単純明快であり、かつ言い得て妙である。
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ゲーム 本 趣味
http://www.d2timm.com/game-book/
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ゲームとは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博のこととして一般には認められているが、「ゲーム」という言葉が実際に使われている範囲は幅広く、万人に通じる定義付けは難しい。
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(参考2)松田道弘氏の著作など
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%BE%C5%C4%C6%BB%B9%B0?kid=131186

しかし、松田氏の定義によれば、「勝敗を争う事」という文言には、普通には「"人が複数で"勝敗を争う事」を意味しているので、一人遊びは含まれなくなってしまう。また、なぜ、人という種が、ゲームをするのかという疑問には、何も応えることのない定義である。
今回の山口の祖父殺しなどで取り上げられるゲーム(テレビゲーム)は、どちらかといえば一人遊びゲームで、勝敗は仮想の相手との間で決まるのである。仮想の相手も加えて「勝敗を争う事」と見なせば、間違いではないといえるが、誤解を与える定義である。
「"人が複数で"勝敗を争う」のであればおのずと参加者の社会性も試され鍛えられることになるのだが、全てのケースではないにしろ、場合によっては、一人遊びであるがゆえに参加者の社会性が試されることは少なく社会性の発達を阻害したりする疑いがあるのである。このような問題をよく考えようとする場合、松田氏の定義は不十分といわざるを得ない。

(3)ゲームの種類と分類
同じWikipedia「ゲーム」のページには、ゲームのジャンルも示されている。

(参考1)Wikipedia「ゲーム」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
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こどもの文化
テーブルゲーム
カードゲーム
パズル
脱出ゲーム
ボードゲーム
アブストラクトゲーム
パーティーゲーム
シミュレーションゲーム
アクションゲーム
アクションロールプレイングゲーム
対戦型格闘ゲーム
スポーツゲーム
レースゲーム
シューティングゲーム
ロールプレイングゲーム(RPG)
テーブルトークRPG (cf. en:Role-playing game )
コンピュータRPG (cf. en:Role-playing game (video games) )
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私は、別の分類軸をもって説明したい。
以前、私は、人格のスペクトラムを次の図(飯箸の人格スペクトラム階層図)を用いて説明した。
Photo_9
-図をダブルクリックすると拡大表示されます-
人格のスペクトラムは、、『精神障害の診断と統計の手引き』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders )「DSM-Ⅳ-TR」の中にある10種類の人格障害をさらに整理するために行われた分類で、考案者の名前を付して「飯箸の人格スペクトラム階層図」と呼ぶ。
この図で若草色の部分が正常な人格である。
単純に言えば、若草色の部分に誘導し、正常な成長を促す仮想体験はよい仮想体験ということができるだろう。ピンクや肌色、ブルーの人格に誘導する仮想体験は、障害者を作り出すことになるので、傷害罪である。すなわち刑事犯に等しいのである。

図の上部:
自分の心象検証能力を過信している障害とは、自分の精神に生起する心象が現実以上に現実であるかのようⅡ思う傾向を示しており、カルトへの誘導などがこれに該当する。生得的障害を持っている青少年や大人は、容易にこの方向に誘導される。
図の真ん中:
自分の心象検証能力に過信もしていないが、積極的に事実を確かめる行動を実行して心象を現実と照合してゆく能力を備えている状況である。この状況にあっても、利己的人生観に毒されれば反社会性人格障害や自己愛性人格障害を招来する。貢献満足型人生観を身に着けても、社会的活動意欲を育てなければ回避性人格障害となる。
図の下部:
自分の心象検証能力をいつも不安に感じている障害とは、他人に依存しやすかったり、常に他人の関心をひきつけるために演技性の障害に陥ったりする。攻撃性や破滅的性格などを示す境界性人格障害もこの領域にいる。自分が見ている世界が確証できない状況に仮想現実伝達メディアが誘導することは比較的容易である。不安があおられるとこの方向に誘導されてしまう。

こうしてみれば、自己のの心象を現実によって検証する実践的科学的能力を養い、貢献満足型人生観を育成し、社会的活動意欲を育てることが、青少年の健全な成長を促すものであることが一目瞭然である。
一般に、道徳的ゲームは売れない、背徳的ゲームは売れる、という。
多くの大人は「道徳」を口にする。その大人たちにこっそり隠れて背徳を知るのは子供たちにとっては蜜の味である。それは今に始まったことではない。つまり、昔のように、青少年が背徳を知ってもそれを上回る道徳へと誘う力が社会にあれば、問題は少ない。しかし、今の社会にその力がないのである。主として親から子へ、先生から児童生徒学生へ、親方から弟子へと伝えられるべきライフコンペティンシー(生きる意義、生きる方法、道徳)がほとんど伝えられていないのである。青少年が、「背徳を知って、なお道徳を選ぶ」という心の高まりを経験しない危険性が大きくなっているのである。
このような危うい環境でのゲームの内容の分類は、以下のようなものといってよいだろう。
 ・妄想性人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・分裂病質人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・分裂病型人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・反社会性人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・境界性人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・演技性人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・自己愛性人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・回避性人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・依存性人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・強迫性人格障害誘発犯罪的ゲーム
 ・正常人格育成ゲーム
もちろん、普通に言えば、望ましいのは最後の「正常人格育成ゲーム」であろう。これに該当するテレビゲームは今もたしかに少なくはない。他方の各種の自覚障害誘発型の犯罪的ゲームもそれぞれ同程度にある。「正常人格育成ゲーム」は埋もれているといって良いかもしれない。
しかし、考えければならないのは、無菌室で育てるのが本人の健康に役立つかという問題である。 無菌室で育てると、無菌室に居る限りは病原菌には犯されないだろうが、運動不足や閉所弊害で他の病気にはなるだろう。さらには、無菌室を出たとたんに病原菌に犯されて発病し、たちまち死んでしまうに違いない。これは不健全である。
したがって、正常人格育成メディアだけを与えておけばよいというわけではなく、精神的免疫抵抗力を増すために、多少は毒々しい仮想現実を見せておくことも必要に違いない。一部のゲーマからは、賛同の絶叫が聞こえてきそうだ。しかし、それには少々制約がある。青少年が接触する仮想現実メディア(ゲームを含む)の多数が正常人格育成メディアで、ばい菌並の毒々しい仮想現実メディア(ゲームを含む)は少数でなければ、健全な発達は望めない。背徳が過半を占める環境下では犯罪者しか育たない。正常な人々は金品を奪われて、傷つけられて、場合によっては殺される。殺される前にその環境から逃げ出す正常な人も居るので、背徳が過半を占める環境は正常化することは決して起こりえない。犯罪集団はその中では安定組織となることがわかっているのである。青少年が接触する仮想現実メディア(コンピュータゲームを含む)の多数が正常人格育成メディアで、ばい菌並の毒々しい仮想現実メディア(コンピュータゲームを含む)は少数であれば、抵抗力のある道徳的でたくましい青少年が育つはずである。許容される、ばい菌並の毒々しい仮想現実メディア(ゲームを含む)は、一人の青少年についてせいぜい1-2割ではないだろうか。

コンピュータゲームに限れば、その分類はこればかりではない。
・反射型のキーボート連打型ゲーム
 脳内ホルモンの過剰分泌を促すもので、大脳に障害を与える恐れるあるもの
・射幸心刺激型ゲーム
 家庭の中での正常な役割や、学校や仕事などに支障が生ずるほどに射幸心をあおるもの
などもある。
これらは、物理的に脳を破壊する恐れのあるもので、内容的に人格障害を誘導するものではないが、いずれも結果として人格を破壊し、正常な社会人としない、傷害罪相当の犯罪的ゲームである。これらについては、下記のような記事で私は繰り返し、その問題点を指摘してきた。
ビデオゲーム中毒を精神障害と認定、米医療情報学会(AMA)--心理、教育、社会性の発達(39)
気がつけば全般的学習困難と学習障害--心理、教育、社会性の発達(10)
多すぎる、社会性の発達阻害の原因--心理、教育、社会性の発達(15)
もう一つのパンチドランカー/ゲーム・オタクへの心配--心理、教育、社会性の発達(12)
ゲーム・オタクへの心配--心理、教育、社会性の発達(13)
「脳内汚染」を読んで--心理、教育、社会性の発達(16)
この種のゲームは、賭博やタバコなどと同じような習慣性と嗜好性が伴うので、本人の自覚だけでは正常化することが困難な部分がある。このようなゲームが、無制限に販売され、利用が薦められているのは問題である。販売を禁止する必要はないかもしれないが、使用時間や繰り返す頻度の制限、またそのゲームを使用するとどのような問題が起こりうるかなどを明記し、広く知らしめておかなければならないだろう。これらの指導的明示のないソフトは販売や譲渡を禁じたらよいと思う。まぁ、タバコでさえも制約事項を明記して販売しているのだから、当面はこの程度の扱いにしてはいかがだろうか。

(4)ゲーム作者は障害罪になるかならぬか
それでは、犯罪的ゲームはそれだけで傷害罪になるのかといえば、それだけではならないというのが正解だろう。
無制限に使用することを薦めるなど、内容的に人格破壊したり、物理的に人格を破壊することを、作為的または無作為に推奨した場合という条件に当てはまれば、傷害罪が適用されるのが相当であると私は思う。

「ゲームとは、まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験する手段方法の一つである」
正しいライフコンペティンシーを伝え、社会で心正しく生きる意欲と手段方法を教えてくれるものが望ましい。そのいわばツマまたは香辛料として、一人について言えば接するゲーム全体(コンピュータゲームを含む)の1-2割を超えない程度は毒のあるゲーム(コンピュータゲームを含む)も許容だろうというのが私の考えである。
それは、人格(パーソナリティ)形成のための本能的行為の一部であり、むやみに抑圧してはならないと思う。
ただし、普段は見てみぬふりをしながらも、限度を超えた無秩序な行為には、鉄拳も平手打ちも大人たちは遠慮すべきではないとも思う。

(5)ゲームは禁止すべきか否か
「ゲームとは、まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験する手段方法の一つである」
仮想的現実を伝えるメディアは多い。口述、演技、演劇、講演、書籍、雑誌、漫画、映画、テレビ、そしてテーブルゲーム、コンピュータゲーム(テレビゲーム)などである。コンピュータゲーム(テレビゲーム)はそのほんの一角、一部に過ぎない。青少年のライフコンペティンシーの一部は、このような仮想的現実メディアを通じて獲得される。仮想的現実メディアの過半が間違った人生観を与えたり、心象検証能力を阻害したりすれば、青少年の人格を損なう。物理的に脳を破壊して人格を損なう場合も青少年の人格を損なう。しかし、「まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験する」ことは、人の成長と生活の改善のためには必要不可欠なことでもある。これを禁止すれば、人は生存の本能を否定されたものと認識し、命がけの反撃に出ることもある。
その意味で、ゲームは禁止すべきではない。しかし、毒のゲームばかりでは情けない。100あるソフトの80以上は、正しくライフコンペティンシーほ与える仮想的現実を伝えるメディアであってほしい。売上げの比率も100中80以上であってほしい。個人にとっても、一人当たり10の時間をゲームに当てるなら、8以上は正しくライフコンペティンシーほ与える物であってほしい。
物理的に脳を破壊して人格を損なう危険性のあるソフトには、警告文を明記してほしい。
禁止ではない。正しく用いられるように大人たちの配慮と誘導をすべきである。
図書に「学校推薦図書」があるように、「学校推薦ゲーム」があってもよいのではないだろうか。
むしろ、単純な禁止はときとして殺人事件にまで発展する危険性もあるということを大人は自覚し、一段と寛容で高い立場からの指導をすべきだろうと思う。
毒のあるゲームも禁止しない代わりに、行過ぎた毒ゲーム遊びにはオヤジの拳固や警官の平手打ちは当然で、教育的体罰は許されるとすべきである。どんな哺乳類も悪ふざけもほどほどならば、群れのボスや大人たちは見てみぬふりをしているものである。子供の成長にはある程度の悪ふざけも必要と本能が理解しているのである。ただし、その悪ふざけが過度になれば、うなり声で警告したり、それでも駄目ならば猛然と噛み付いたり、鋭いつめで鼻先を引っかいたりする。そのくらいのことをしないと、哺乳類の子供の過ぎたる悪ふざけは止まらないのである。悪ふざけに対する寛容と過ぎたるときの体罰の絶妙なバランスこそが今必要なのではないだろうか。人間だけが例外であるはずがない。これは、人類史が始まってからの長い間、人間でも当たり前のことだったのである。今流行の児童虐待では殺したり後遺症が残るような暴行がなされている。こんなことは周囲と警察の力で断固防止すべきである。殺してしまったり成長して生活に困るような後遺症が残っては子育ての失敗である。そうならない程度の教育的体罰は立派な社会人を育てる上で不可欠と思うのだがいかがだろうか。
(ちなみに、私は我が子に手を上げたことはない。大げさに怒って見せたり、落胆して見せたりすることはある)

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琵琶


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親父はつらいよ、日本の親父たち、一緒にがんばろう--オヤジと家族のお料理ライフ(12)

2007/09/05
親父はつらいよ、日本の親父たち、一緒にがんばろう--オヤジと家族のお料理ライフ(12)

注:
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この記事は、2007年9月初め、最終回のつもりで書いたものである。しかし、約半年の休載のあと、なんとなく再開することにした。ご心配をおかけした読者の皆さん、ごめんなさい。
また、ボチボチ書きつづけますが、家族に特に評判のよかった料理のオヤジ流レシピや料理や食事にまつわるトピックスを気が向いたときだけ書かせていただきます。実は、何気なく使う包丁と手順なのに1食分でさえ文章で書くととても書ききれなくて疲れるし、書き足りなくてストレスがたまる。きっと、料理には食べてくれる人への思いいれがいっぱいにあるからなのだろう。10以上ある私のシリーズの中で、一番このシリーズが疲れるのである。
せめて、私が死んでも、私の料理の再現の手かがりとなるオヤジ流レシピと、食事のときに思い出すだろう家族の風景は時間と気分が許すときにほんの少しだけ書き留めておこうと思う(2008.2.24記す)。
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「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズは、長く休載してきたが、このまま終了とする。
ここまで続けられたのは、愛読してくださった多くのファンの皆さんのおかげというしかない。途中、忙しすぎて何度か挫折しかけたが、「オヤジと家族の・・・はどうしたの?」「続きは?」と、会う人に突然言われたり、メールで励ましてくれた人が居て、やっと続けてこれたといって過言ではない。
わたくしのお料理三昧は続いているし、お料理のおかげで家族が和み、絆も強くなってきた。老母への幾分かの支援も続けてこれた。
オヤジを先頭に家族が力をあわせて、料理を作る日々はこれからも続く。

このシリーズを終了しようと思ったのには、3つの理由がある。
(1)長く休載していて、再開のエネルギーが私の体内からなかなか沸いてこないこと
(2)書籍執筆支援サイトKarettaに、「オヤジと家族のお料理ライフ」が再掲載の形で連載になってところ、短期間でアクセス数がなんと1万件を越えたという事実が確認されたこと
(3)老母のお料理を作って届けるという事情が生じたところから始まった「オヤジと家族のお料理ライフ」に、いろいろな変化が生まれていること
これらの理由に少しずつ言及したい。

(1)長く休載していて、再開のエネルギーが沸かない
このシリーズの中で一番アクセスがあったのは、「めげずにお料理--オヤジと家族のお料理ライフ(5)」だった。家庭でのお料理は多くは主婦がこなしてきた。オヤジが主体でやっている家庭は増えてきてはいるがいまでもそう多くはないに違いない。多くの主婦の皆さんが、まず読むのは「めげずに、・・・」だったようだ。多くの(家庭の)料理人の共感を呼んだようである。そう、家族がいればお料理は待ったなし、毎日励むものである。食べてしまえば見えなくなってしまうのだ。めげることもあるでしょう。もう、いやっ。と叫びたくなるときもあるかもしれない。しかし、そのお料理は、大切な家族の絆を確認し、確実に明日の家族のエネルギーになっているのである。思い直して、めげずに料理!!! は、料理をする人の心に響いたように思う。
さて、私のブログには、たくさんのシリーズがある。「オヤジと家族のお料理ライフ」以外のシリーズはお堅いものが多い。「社長の条件シリーズ」「心理、教育、社会性の発達シリーズ」「アルゴリズム戦記シリーズ」「情報デザイン研究ノートシリーズ」「情報社会学、予見と戦略シリーズ」「感性的研究生活シリーズ」「街に活力をシリーズ」などなど、どれも決して易しくないし、厳しい内容も少なくない。
そんな中では、この「オヤジと家族の・・・」シリーズは読者の皆さんにとってホッとする記事だったとも思う。普段えらそうなことを言ったって、家庭ではタダのオヤジじゃないか、と溜飲を下げられた方も少なくなかったかもしれない。はい、ウソ偽りなく、家庭ではタダのオヤジであります。悪いですか。と居直って、のびのびと書かせていただいた。
しかし、「めげずに、料理」はできても、「めげずに、執筆」を続けることは、なかなか大変である。そうこうしているうちに、奥さんは率先してお料理をするようになってきたし、息子の上達は目覚ししい。悔しいけれど、二人とも、仕事の丁寧さではいつも脱帽である。私の料理は勢いで作るスピード料理だ。彼らは丁寧にセオリーどおりに作る。時には私よりうまい料理を作ってくれるようになったので、とりわけ、このシリーズを書くことで尻をたたく必要もなくなってきた、という事情も発生していると思う。これは、我が深層心理である。
そうは言っても、オヤジが手抜きをすれば、家族も手抜きをする。オヤジはあくまでも親父らしく、どんな忙しくて、仕事がつらくとも平然と(その地位を維持するために?!)、分担する料理は着々とこなしてみせるのである。そのいくつかは、口にして言葉も発することができないくらいうまいやつを造って見せるのだ。これがオヤジの意地というものである。オヤジはつらいよ、寅さん、がんばろう。

(2)書籍執筆支援サイトKarettaで1万件を越えた
ありがたいことだが、きわめて短期間に1万アクセスを超えたのだそうである。
もとのこのブログでも長い機関ではあったものの、2万アクセス位にはなるだろう。しかし、短期間に2万というアクセス数は敬意に値する。たくさんの原稿が集まっているKarettaの威力である。このようなサイトを発案し運営する皆さんを尊敬するので、私も審査委員を引き受けたりしながらご協力をしている。
それにしても、この短期間に1万アクセスとは、なんと心優しい読者の皆さんだろうか。感謝と満足感でいっぱいである。

藤原博文、Karetta人気予測、20冊目の1万突破『オヤジと家族のお料理ライフ』
http://karetta.jp/article/blog/fuji/191376
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1万の大台に載ったのが、これで20冊となった。
執筆を始めたら、まず1000visitsを目指すだろうが、これは書いていれば簡単にクリアできる。次は、1万を目指すだろうが、これはなかなか厳しい。執筆開始から3ヵ月以内で突破する本は珍しい。1万を越え、最近7日間のvisitsも700(1日平均100)を越えている本は、内容がある。アクセス数と内容は、完全一致ではないが、非常に高い相関関係がある。
20 10026 06/15 オヤジと家族のお料理ライフ
この本、オヤジと家族の料理の記録であるが、今は更新が止まっている。オヤジが料理に頑張り過ぎて、家族よりもはるかに料理に力が入ってしまい、家族が料理の戦いについていけなくなった記録のような気がしないでもない。
実際の料理作りの戦いはまだ続いているのかも知れないが、オヤジの頑張り過ぎで執筆の方は止まってしまったようだ。料理はあるいは掃除は旦那の方がはるかに上手だという家庭はいくつか知っているが、そういうことはあまり堂々と書けないものだろうか。
料理の本は、いまのところこの本くらいしかない。料理のレシピだけでなく、道具の使い方とか、細かい作業のやり方などの解説が図入りであると嬉しいかな。自炊生活のための料理本なども嬉しいかも。
といっても、私は料理はしないが。
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オイオイ、藤原さん。「家族が料理の戦いについていけなくなった記録」じぁないんですけどね。実体は、家族が進歩して、オヤジに並んできたので、親父の執筆意欲が薄らいだという次第なのですよ。多分、私はイイカッコシイの記事を書いていたので、オヤジばかりの独行・先行と見えたかもしれないですが、実態はなんてそんなものではないんです。(妻や息子の名誉のためにも)そのことははっきりと申し上げておきたいのです(!)。
とほほ、オヤジはつらいよ。威張りたくとも威張れない、、、。

(3)老母と「オヤジと家族のお料理ライフ」に変化
我が家と軒を接する隠居所に住む老母の食事を作ることが発端で、このシリーズは始まった。しかし、今、老母と「オヤジと家族のお料理ライフ」の関係にある種の自然な変化が少しだけ生まれている。
老母は、この春、87歳になった。日に日に老いてゆく。夏の初めには「大腿骨頸部骨折」をやって、入院手術した。腹部に小さな穴をあけて、折れた骨を硬いプラスチックのような釘状の補強具でねじ止めした。昔はこんなことはできなかったので、「大腿骨頸部骨折」即「寝たきり老人」という流れだっだが、今の医学の進歩はすばらしい。老人の骨はすぐには着かない。しかし、補強具のおかげで、時間をかけてつながるのを待つことができる。
入院は1か月半に及んだ。後半は、少し遠いリハビリ専門の病院であった。自家用車で小一時間のところにある。嫌がるかと思った息子が積極的に、毎日のように車で老母の下に通った。私の兄弟とその連れ合いたちも、交代で病院に通ってくれた。私の奥さんも、私以上に頻繁に通った。
老母は、この病院の食事をたいそう気に入った。1週間の献立の中に一つとして同じ料理はないのである。老母は病院の栄養士さんを褒めちぎっていた。しかし、普段と違って運動量が少ないので、食が進まないときもある。転院して早々のある日、私に「佃煮を作ってくれ」と言った。老母は私のつくる佃煮がお気に入りである。おやすい御用だが、汗をかくことが少ない病人に塩分の濃いものはよくないに違いない。私は、三温糖でカラメルを作り、加える醤油を半分くらいにして作成することにした。
小エビと昆布、昆布とカツオ、昆布としいたけ、・・・、いろいろ届けた。箸先にそっと載せてほんの少しずつなめるようにして食べるらしい。器も一番小さいガラス容器(50CCくらい)で、フタのあるものにした。そこに3分の一くらい私が作った佃煮を入れて届けるのである。最後に、牛肉と昆布の佃煮を作って届けたが、これが一番気に入ったらしい。
先日、やっと退院した。家の中でも杖をつくことになったので、少しは作れた料理も以前のようにはできない。毎朝の味噌汁も届けてほしいとのことなので、「オヤジと家族」は手抜きができなくなった。今は目立った変化はそれくらいだが、実は入浴も大変になっている。
「オヤジと家族」は、「お料理」でがんばる時期を卒業して、その先が求められているようである。
さて、老母は頭はしっかりしている。病室でも、新聞は欠かさず読んで、テレビではニュースと時事解説を見て、「脳を鍛える・・・」シリーズを2冊、鉛筆なぞり字本(万葉集など)の3冊をつぶして、俳句と川柳を毎週投稿するなど、ボケない対策はガッチリである。華道教室の弟子たちにはこまめに筆ペンで手紙を書き、退院したあとの段取りを打ち合わせていた。手紙は毎日届くし毎日何通かは書いていた。やれやれ、気持ちが元気なのである。
退院して帰宅すると、早速、私と息子がお盆飾りの後に余分に片付けたらしいものがあって見つからないとお叱りの電話が飛んでくる。仏壇のそばにおいていた仏様用のお盆(白木の)をどこにかたづけたのか、というわけである。いつまでたっても小言はあるものである。
ハイハイ。いま行きますよ。さがしますから、ちょっと待ってください。電話口で答えて、息子と一緒に隣の隠居所に向かう。
オヤジはつらいね。でもオヤジを張っていればこその家族とその人生かな。がんばろう、日本の親父たち。
料理と介護については、それぞれ別のシリーズになるかも知れない。もう、このあたりの話題は書かないかもしれない。いずれにしても気分次第ということで、なにとぞ、ご容赦のほどを。

「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズ、終わり。-->と思っていました(2007年9月)が、再開しました(2008年2月)

△次の記事: オヤジと家族のお料理ライフ(13)
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▽前の記事: オヤジと家族のお料理ライフ(11)
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琵琶

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パーソナリティ形成への環境的障害と抑圧、「少年のゲーム嗜好と殺人-その2」--心理、教育、社会性の発達(45)

2007/09/03
パーソナリティ形成への環境的障害と抑圧、「少年のゲーム嗜好と殺人-その2」--心理、教育、社会性の発達(45)

ミニシリーズ:心理、教育、社会性の発達「少年のゲーム嗜好と殺人」(全3回)
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1.山口県で祖父を殺す、禁じられて(?)、「少年のゲーム嗜好と殺人-その1」--心理、教育、社会性の発達(44)
2.パーソナリティ形成への環境的障害と抑圧、「少年のゲーム嗜好と殺人-その2」--心理、教育、社会性の発達(45)
3.ゲーム考、「少年のゲーム嗜好と殺人-その3」--心理、教育、社会性の発達(46)
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<前の記事>

彼の生活史を見ると、今の子供たちが受けている貧困な生育環境が見えてくる。
「貧困な生育環境」と述べたのは、生活費にこと欠くというような意味での貧困ではない。
まず、彼の両親は離婚していた。父は医師で、母は歯科医という、普通に言えば豊かな家族だったに違いない。この両親は離婚して、彼は母方に暮らした。母親は仕事があるので、子供に接する時間は、それほど多くはなかったろう。離婚も母親の仕事も、やむを得ざる事情であったことは推測できることであり、このことで母親を責めたりしてはならない。しかし、父や母の献身的な愛を彼が十分に享受したかどうかには大きな疑問が残る。
家族のきづなの実感を人間関係のベースに、友人関係や教師と児童生徒の関係を築いて、社会性を獲得することを通じてパーソナリティを確立する大切な期間を、どのように過ごすことができたのか、身近な事例に照らすとそれだけで心が痛む。パーソナリティの確立は、社会性の確立のもう一つの分身である。社会性を獲得して初めて個性が獲得できる。個性を育てずして社会性は育たないのである。
この不安定で、綱渡りのような青年期の成長過程が、完全に壊されたのは、彼が有名校進学のために転校したことに始まるようだ。友達が失われた。社会性の発達のためにも個性の発達にとっても友達の存在は絶大である。昔の親は良い友達ができるように心を砕いたものだったが、今の世は親も教師も友達との交友を抑制したり断絶させたりする傾向がある。彼の母親は幸いにして友達については寛容にして正しい態度をとっていたようだが、転校という物理的断絶によって友達との交流はほとんど土耐えたものと思われる。しかも、その受験に予期せぬ失敗をしてしまう。自衛隊の養成学校と夜間高校に席を置くが、すぐにどちらからも退学してしまう。おそらく、彼の心の中では、進学の失敗とそれをめぐる周囲の視線には耐え難い自尊感情棄損の念が渦巻いていたものと思われる。少年にとって、自尊感情は生きてゆくためのほとんど唯一のよりどころである。これを傷つけられると、自暴自棄、攻撃的になりやすい。その程度は、女子よりも男子に強いように思う。
しかも、そのとき、普通ならば慰めてくれるであろう友人たちも居なかったと考えられるのである。
翌年、1年遅れで、母親の元を離れて、祖父母の住む山口県で普通高校に進学する。彼の自尊感情は幾分癒されたものと思われる。軟式野球部に入り、友達を得ようと努力した形跡もある。それでも、年の差が埋めきれぬ寂しさからであろうか、早朝や深夜、人気のない時間帯に一人で壁を相手にキャッチボールをしている姿を近所の人は見ている。1学期の終わりには、足の指の怪我をきっかけに軟式野球部も退部しているが、その際には「今後は勉強に専念したい」というようなことを行っていたらしい。事実は不明だが、この退部にも勉強に専念するように強く指導する祖父の影響がなかったかどうかが考えさせられる。こうして、彼はほとんど一人ぼっちになった。
彼は、普通の少年ならば、社会に出るための準備として(社会性を獲得する一つの本能的で自然な行動として)、小説やテレビ、漫画なとで社会での体験を擬似的に先取りする仮想体験をほとんどしていないと考えられる。彼は、唯一、隠れて買った携帯型のゲーム機の中にそれを求めていたと考えられる。このゲーム機はお年玉などをためて、今年2月に購入したもので、数回祖父に見つかり、使用を厳しくとがめられていたという。
そして、ついに、最後には「今度、ゲームをしているところを見つけたら学校を辞めさせる」という祖父の言葉を聴いてしまうと、彼はひそかな決意をしたと考えられる。「もう、これが限界かな」と学校の友人に語ったという。ゲームを奪われるだけではなく、ようやく手に入れた自尊感情の基盤さえ、奪われようとしている、と彼が感じたとしても不思議ではない。仮想体験への本能的な強い欲求、学校を辞めさせられるかもしれないという自己生存の意義否定の渕に彼は立たされたのに違いない。
最後の一線を越えたのは、犯罪である。確かに罪は罪である。しかし、思うに、同情してやまぬものがある。
祖父にも悪気はなかったと考えられるし、彼の将来を思えば不遇な境遇を跳ね除けて生きてゆける学歴や知識を身につけさせたかったに違いない切実な思いも聞かずともよくわかる。まことに深い同情を禁じえない。
もう一つ、彼が手にしていたゲームの内容自体に問題がなかったかという問題がある。一般論として言えば、心理学において「攻撃」の理由にいろいろな仮説が提案されている
・本能説
・動因説(欲求不満-攻撃仮説、攻撃手がかり説)
・社会的学習説
・社会的機能説
私は、「本能的な社会性獲得への抑止」や「本能的な仮想体験への禁止」が、防衛機制という動因を背景にして攻撃が引き起こされたのではないかと推測している。
ここに彼がたまたま触れたゲームが背徳的攻撃を助長する内容であれば、「観察学習による攻撃性」(社会的学習説)も原因に加える必要があるかもしれない。しかし、彼が熱心にやっていたゲームの内容が明らかでない今は、「観察学習による攻撃性」は疑いが残るというにとどまる。

<続く>

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琵琶


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