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ご当地同窓会20070908--交友の記録(22)

2007/09/12(3/3)
ご当地同窓会20070908--交友の記録(22)

この日の3つ目のパーティである。
デザイナー宅で、友人らと焼酎をたくさんいただいた後は、私の地元にむかった。電車の中で眠ったので、いくらか酔いもさめたかもしれないが、「自宅に寄らずに会場に直行する」という電話をしようとすると、携帯の番号を何度も押し間違えた。ああ、酔うとはこういうことか、と内心苦笑いである。
タクシーに乗り込んで、お約束のスナックに向かう。ここ数年はこのスナックが会場である。初期には別のスナックが利用されていたのだが、ご主人がなくなって廃業してしまった。その後は長く決まった会場がなく毎年漂流していたのだが、皆が気に入って、このスナックに定着した。人の良いご夫婦が経営しているのだが、奥さんの従兄弟に同級生がいたので、ここを試したのがはじまりだった。ご夫婦ともに地元の農家の出身で、飾らない人柄がいいし、手入れの行き届いたカラオケの設備はすばらしい。しかし、参加者の本音を言えば、出される料理が感涙モノなのである。一口には頬張り切れないほど大きな田舎風の焼き鳥、昔懐かしいキンピラ、こんにゃくの甘辛煮、止まらないやめられないほどうまい野菜の煮っ転がし、などには本当にひきつけられてしまう。加えて、きゅうりやナス、白菜の漬物がまた絶品である。1年に1度の会合の楽しみがいっそう大きくなる仕掛けである。
10分ほど前に会場に到着すると、すでに半分ほど会場は埋まっている。タイヤ業のA君と大農家のB君が万年幹事をしている。実は、この市では一番広域の町(昔の村)の出身者の同窓会である。私たちが小学生ころにはこの地には農家しかほとんどありえない純農村地帯だった。地縁の結束は固かったが、中学から高校に進むころ、部分的には宅地開発も進み、様々な職種の人々が入り込んだり、次男三男は、自営業に進んだりした。当時、この地域の小学校は1校、この地の中心地に中学はなかったので、中学はやや遠い3つの中学校に分かれて通った。高校に進学する子供は極めて少なかった。私の父はこの村の出身である。父は、父の父を若くして亡くすと、父はこの村で一番の大農家(元の庄屋の叔父の家)に身を寄せて教員になり、交通の便の良い隣町に所帯をもった。私は、その隣町(村)に生まれて育ったのだが、中学では、この土地の出身の子供たちとも一緒に過ごした。後に所帯をもって、父が先祖から残していただいた小さな土地に家を建てると父の育った町(村)に私は帰った事になった。引っ越して10年ほどたったとき、大農家を経営するB君とたまたま会食する機会があり、この同窓会のあることを知った。「生まれは隣の土地だが、今はすんでいる町、父も生まれた土地、私も仲間に入れてほしい」と懇願して仲間にしてもらった。少しずつ参加者の幅も広がって、今は、生まれは違っても、この町に住む同世代、3つの中学で一緒だった仲間たち、この地で生まれて、遠くに嫁に行った同年代の昔の娘たち、当時の小中学校の先生たちがやってくる。
同一の学校やクラスというわけではない。それでも、どこかで会って遊んだり、喧嘩したり、一緒に柿ドロボウに出かけて怖くて実はやさしいオヤジさんにこっぴどく一緒に叱られた後、オヤジさんに「お前たちの取った柿の実はまだ渋い。熟したやつを採ってあげるから持ってゆけよ」とよく熟した実を両手にもてないほど貰って、ばつが悪いやらうれしいやらで顔を真っ赤にして帰ってきたというような共通体験のある連中ばかりである。中には"一時はコノヒトといい仲だったのよ"と公言するおば様もいて、男たちはタジタジになりながら、まことににぎやかである。
私は、その昔、いじめっ子から女の子を守る側の役割ばかりするいい役回りだったので、いまでも比較的女性陣に人気がある。(「そういうのを安全パイっていうんだせ」とは仲間の弁) しかし、口うるさい男の親友からは「ひとりの女性にだけ時間が偏らないように平等に時間を割り振るようにしろよ」と厳しく忠告されている。楽しいが、結構気配りしんどいものである。男連中だって久しぶりで私と話をしたがっているのである。私だって聞きたい話もある。あちこちの座席に移動したり、向こうから移動してくるものもあって、一巡するころにはたちまち2-3時間がたっている。この土地の政財界の裏話はほとんどここでは開けっぴろげである。秘密というものは何もない。参加者同士の秘密だって全部さらけ出されてしまう。さらけ出しても安全だという思いがここを支配している。
一巡したころ、この会の常連の元教師の80歳代の女性が私を手招きする。おばあちゃん先生である。いつものお元気そうなふくよかなお顔だちでニコニコと語りかけてきた。私の姉も、弟も教えていただいた先生である。参加者の大半はこの先生の教え子でもある。はいはい、と私が近づくと、「お母さんはお元気」と尋ねられる。母とは3-4違いという間柄で、PTAや民生委員、社会福祉ネットワークなどの分野でかなりの交流があったらしい。「今年の夏、母は、大腿骨骨折で入院しましたが、もう退院して、元気にしています」というと、いかにもうれしそうで、続いて、姉や弟の消息も聞いてくる。実に記憶力が優れていて、最近の若い話題にも難なく付いてくる。結婚して、この町に新居を構えて55年、ご主人はなくなってもこの町が好きとおっしゃる先生は、この同窓会のスターでもある。皆がこのおばあちゃん先生の周りに順番待ちのようにたかって、思い出話や、苦労話をしている。「苦労したわね。でもその甲斐あって、今日も楽しくお会いできましたよね」などと先生に言われて、ウルウルしているご婦人もいる。先生はいつまでたっても「先生」である。他の人が先生にまつわりついているので、私が遠慮しているらしいと見抜いて、私をわざわざ呼んでくれたようだった。
もう、カラオケも全開で、ノド自慢が次々と壇上に上がる。一時期歌手を目指してドーナツ盤も出した事のある昔の可愛いお嬢さん(今は可愛いおばさん)は、まるでレコードを聞いているかのような正確な歌で、思わず生身の人間がそこにいるのを忘れてしまうくらいうまいのである。男性の歌い手も負けてはいない、演歌、ポップ、ジャズ、ロック、何でもこなす芸人もいて、日ごろの真面目なお父さんの顔をかなぐり捨てて歌いまくる。
会が始まって4時間ほど経過したところで、先生とスナックのママさんに花束の贈呈式。これも恒例だが、幹事のA君がいつも手配してくれる。先生もスナックのママさんも満面の笑みである。
先生が、例年より少し早めに「歳だから、そろそろ、」などといいながら、その後、退席。しかし、宴はますます盛り上がっている。気がつくと、23時を回っている。私も、そろそろ退散の時間である。息子に電話して、迎えの車を出してもらうことにした。
たぶん、このころ帰ったのは、私一人、まだほとんどの人は残って、宴は続けられていた。例年朝の4時か5時、場合よっては朝の8時ころまで、この宴は続くのである。私は体力の限界を感じていつも11時ころには退散するが、他のメンバーは意気軒昂であった。「なぁ~に。ここからなら、寝床まで這って帰ったってたいしたことはねぇよ」というのが彼らの言い分である。女性陣も、この日はご主人公認ということで、存分に羽を伸ばしているようだった。
日ごろのうさは、全て消えた一日だった。
しかし、あぁ、しんど。

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琵琶


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旧友たちとの持ち寄りパーティ20070908--交友の記録(21)

2007/09/12(2/3)
旧友たちとの持ち寄りパーティ20070908--交友の記録(21)

この日は、國井利泰先生のお誕生日パーティがあり、その後に2つのパーティが予定されていた。
ガーデンパレスの主たるパーティの後、ホテルのバーで2次会を済ませて、夜の長時間パーティに向かう前の一瞬、旧友たちとの持ち寄りパーティに顔を出すことにしていた。それも、なんと前日になって、突然送られてきたメールでのお誘いによるものだった。
学生時代の破天荒な生活を送っていた時期に一緒の時間を過ごしたり、その友人の友人という関係のメンバーたちである。このメンバーはどういうわけか漁業や船舶に関係する仕事についている者が多い。他の分野の友人がたくさん居る中では異色の人々である。この仲間には漁業分野のほとんど頂点に上り詰めているもの、大手企業の役員を経て子会社の社長をしているもの、とたくさんいる中でデザイン製作会社の部門長を経て、引退間際のデザイナが居る。彼の仕事の一部にWEBデザインがあって、大学を卒業して30年間のブランクを経て仕事を通じて私とも再開し、その友人らにも連絡がつくようになった。私の出身大学とは異なる大学を出た面々だが、絵描きを目指していたこともある私の若き日の無頼の交流のその先にいた人たちである。今回は、そのデザイナの友人が自宅に皆を呼んだもので、前日になって私のことも思い出してくれたらしい。メンバーの中には、当時学生寮の一室に一晩泊めてくれた人も居る。「酒持込歓迎」との文字がメールには躍っていた。昔から、そんなだった。格好をつけた「おもてなし」などは、似合わない。思い思いのものを持ち寄って、語り明かすのが楽しかったものだ。
今回、ガーデンパレスからの帰り道、神田明神の前を通りかかったので、天神前の天埜屋(あまの屋)で変り種の漬物3種を買い求め、焼酎1本を道すがら、スーパーで調達した。
会場には、私が一番乗りだった。デザイナとは始終会っているので珍しくはない。まめな彼は客人のための座布団を用意したりしながら、誰が来る予定で、誰がこれなくなったと説明してくれた。5分もすると、最寄の駅に到着した、と次々に電話がかかってくる。すぐに会場はにぎやかになった。
遠く博多から来たというものもいて、各地の名産、名酒が山となった。10分で帰ると宣言したが、簡単に帰してくれるかといえば、そうは行かない。矢継ぎ早の質問攻め、グラスにはいろいろな酒がまぜこぜに何度も注がれる。直近の参議院選挙では、漁業関係の自民党の代議士を担いで、各地の選対本部長をやったという者が2名もいたのも面白かった。農林大臣の不祥事で揺れた選挙だったので、疲労困憊の上に結果は惨敗だったそうである。1時間ほど、勢い込んで飲んでしゃべって、「次があるっ。」と叫んで会場を出る。
フラフラでかなり酔ったと自覚しつつ、電車で地元の最寄り駅に降りる。いったん自宅に立ち寄るつもりだったが、そんな時間はない。自宅に電話して、「このままタクシーで地域同窓会(ととりあえず呼んでおく)の会場にゆく」「息子に、夜半に迎えに来てくれと伝えてくれ」と話して、会場に向かった。
後日、デザイナー宅に集まった人たちの一人(私とはあまり交流のなかった人の一人)が、そのときの写真を送ってくれた。いや~っ、実にうれしそうで、実に酩酊の様子、、、。なんだかうれしいやら、恥ずかしいやら、、、。

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琵琶


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