カテゴリー

  • 日記・コラム・つぶやき
  • 経済・政治・国際

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

無欲の討論は面白い、第22回次世代大学教育研究会への参加--感性的研究生活(29)

2008/02/29
無欲の討論は面白い、第22回次世代大学教育研究会への参加--感性的研究生活(29)

2月21日(木)、第22回次世代大学教育研究会が開かれた。
しかし、私の会社は2月末が年次決算の締め日で、この日は朝からあわただしかった。税理士先生が、この日までに進んでいる決算処理の状況を見にきてくれることになったからである。小さな会社なので経理も人事も担当する総務部長(私の奥さん)はこの日のために試算表を間に合わせるべく、大車輪である。小口支払いの伝票を入力したり、銀行通帳と帳簿の突合せをしたり、と10日位は口をきく時間もないくらいだった。午前11時、税理士の先生は約束の時間ピッタリに現れた。赤字がちの、どちらかといえばあまり嬉しくないこの会社の経理を我慢強くご指導いただいている謹厳実直な先生である。費目の間違いがないか、仕掛りの見落としはないか、・・・、など、まずは勘所を私や総務部長に質問しながら調べてゆく。幾つかの指摘して残りは持ち帰って細かく見ていただけることになった。ついでに、企業コンプライアンスの観点から幾つかのご注意もいただき改善のアドバイズもいただいた。
先生がお帰りになった後、書類の整理や、顧客や協力会社への問い合わせ事項などをまとめていると、あっという間に時間が過ぎてゆく。さて、気がつくと、午後2時を回っている。後は、総務部長に任せて、会社を飛び出した。楽しみにしていた、第22回次世代大学教育研究会はもう始まっている時間なのだ。
タクシーに飛び乗って会場に駆けつける。約30分で到着。タクシー代は3000円くらいだった。

-----------------------------------------------------
■ne22> 2008年2月21日(木) 13:30-17:30 明治大学
 駿河台キャンパス12号館6階情報教室Ⅴ
 http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html
 主催:次世代大学教育研究会
 共催:明治大学情報基盤本部
 後援:eラーニング戦略研究所
 後援:eエデュケーション総合研究所
第一部:C-Learningへの誘い
13:00-13:50
 1.浅川陽子先生(お茶の水女子大学)
   ※質疑応答につきましては携帯電話を使用いたします。
14:00-14:50
 2.今井賢先生(立正大学)
第二部:教育創生とeラーニング 
15:15-16:00
 3.家本修(大阪経済大学)「高等教育の創生への展開」
16:15-17:00
 4.阪井和男(明治大学)「次世代大学教育の創造を目指して」
17:15-18:00
 5.江原素有(東通産業)「How to success e-Learning service」
懇親会 18:15-20:00
-----------------------------------------------------
浅川先生の講演には間に合わなかったが、今井先生のお話の途中からは参加することができた。
今井先生のお話は久しぶりにうかがったが、いつもの誠実な話し方で、しみじみときくことができた。背景にしている内容の多くは、私が「心理、教育、社会性の発達」シリーズに書いているものとほとんど重なっており、同意できるものだった。ケータイを利用する教育実践についての説明が中心テーマだが、会場からは対面教育の補助に過ぎないのではないか、目新しいから学生が最初は飛びつくが長続きしない、統計を取るとケータイで初めて発言する学生も少しはいるが、対面で発言しない問題学生の多くはケータイでも発言していないことが分かっているなどの問題を指摘する声もあった。面白い話としては、「経団連の要請する人材(2005年のまとめ)」という紹介があったことである。
1位 「コミュニケーション能力」
2位 「チャレンジ精神」
3位 「主体性」
4位 「協調性」
5位 「誠実性」
なるほどと思いつつ、こんな人が入社したら、すぐに退職するだろう、主体性を持った人は独立するか転職するね、という声が会場から湧き上がった。産業界では成果主義の失敗というトラウマがあるのだが、まだ成果主義に幻想を抱く人も多い。成果に至るまでのプロセスが大切にされていないのであるというのが会場と今井先生が一致した結論であった。この問題には私の考えもあったが、発言するタイミングを失したので、後日、「心理、教育、社会性の発達」シリーズで書くことにする。
家本先生のお話は、相変わらず過激なもので、研究会のメンバー以外の人がきいたら、びっくりするに違いない。
面白かったのは、「スキルとナレッジは本質的に区別できるか」と言うものである。
家本先生のお話は、アメリカで見てきた「ファイティングパイロット(戦闘機乗り)」の訓練はもっぱら大掛かりで精巧にできているシミュレータで行われるという見聞から始まっている。実践では失敗すれば死んでしまうが、シミュレータでは何度でもリセットができて、成功するまでトライを繰り返すことができる。シミュレータで訓練を受けたパイロットは敵のミサイル攻撃に遭遇しても落ち着いてこれをかわす動作ができるというのである。同じように、試行錯誤を繰り返して成功にいたる思考のシミュレータができればスキルと同じようにナレッジもシミュレーションで磨くことができるかもしれないというものであった。
スキルとナレッジは見る角度が違っているだけで同じものと主張する家本先生に対して、知識の「知」がスキルで「識」がナレッジではないか、という者も、スキルは熟練技能でナレッジは単なる頭の中の知識、という発言者もいて、百家争鳴状態となった。この問題についても私見は後日「心理、教育、社会性の発達」シリーズに書くつもりである。
それよりも、言葉にはしなかったが、米軍のシミュレータは別のものもあるのを思い出していた。人間を次々と撃ち殺すシミュレータである。ふつう、初めて戦場に出た兵士は、敵と遭遇しても弾を撃つことができない。引き金が相手を殺すと分かっているからこそ、打てないのである。撃たなければ撃たれて死ぬのが戦場である。実戦経験のある兵士は躊躇なく打てるのである。ベトナム戦争では新兵をどんなに訓練しても戦場では躊躇するという問題を解決できなかったアメリカは、人を撃つシミュレータで訓練したのである。これでイラクでは、アメリカ軍は躊躇なく発砲する軍団となったのである。そんな話題を脳裏に浮かべながらきいていたので、会の皆さんの発言をきくのに精一杯、自分からは思うところを発言できなかった。ちょっと残念。
阪井先生の発言は、「創造性啓発を中心にすえた教養教育」に再度挑戦しようというものであった。たいへん良い提案で、私に異論はない。すぐに幾つかの質問が頭に浮かんだ。
質問: 「某有名××大学教養学部教養学科の顛末をご存知と思いますが、真に人の教養を育てる教育と研究を行うとして創設された教養学部教養学科でしたが、今では単なる個別学問の専門家が多数集まっているだけになっています。学際的でさえありません。振り返れば私が教養学部から専門課程に進学するころにできた学科で同級生の何人かも意気に感じて教養学科に進学したものですが、今はその面影さえありません。そうなってしまわないための歯止めはどのようにお考えでしょうか(私)」
回答: 「日本の教養教育は、全て失敗していると思います。おっしゃる意味の歯止めはないでしょう。それでも再構築が必要だと思っています(阪井先生)」
質問: 「創造性啓発教育は、今の大学では可能性ゼロとはいいませんが困難です。むしろ私が前回の研究会で発表したような民間とのコラボレーションによってのみ効率的になされるのではないかと思います。企業は創造的独創的でなければつぶれてしまいます。生き残るためには強烈な努力があります。大学で創造性啓発教育が成功するようになるまでの今後数年間は民学コラボレーションを続けることに意義があると思われます。阪井先生のお考えは?(私)」
回答: 「創造性啓発教育の可能性は、今の大学ではゼロです。だから、再構築が必要であると思いました(阪井先生)」
質問: 「創造性啓発教育に関連して、TRIZという創造の技術を研究しているグループがありますが、ご存知でしたら、ご意見をいただきたい(私)」
回答: 「知りません。知りたいと思います(阪井先生)」
というわけで、私は、TRIZの日本のリーダてある中川徹先生とのコラボレーションを模索することにした。中川徹先生は、私の大学時代の先輩で、私が出版社勤務時代は著者でもあり、その後はよい相談相手の一人でもある方である。
この研究会に出るたびに思うのは、この研究会はなぜこんなに楽しいのか、ということである。
おそらく、少なくとも私にとってはなんらの利害のカラミがないということだろう。出世にも売り上げにも無関係、単に知の興奮とエキササイズがあるのみだからである。
研究会の後の懇親会がまた楽しい。今回は家本先生の前にすわって、言いたいほうだい、質問のし放題。楽しくないわけはない。

△次の記事: 感性的研究生活(30)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/04/5at1230_2a2d.html
▽前の記事: 感性的研究生活(28)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/227_51b3.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  感性的研究生活シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

新人採用の基本--社長の条件(38)

2008/02/28
新人採用の基本--社長の条件(38)

当社のような小さな会社は、新人採用も社長の判断力が必要である。
状況によって採用の基準もその都度に変えなければならない。
2008年度新卒採用人事は日本中で終了を迎えており、2009年度の新卒採用の活動が昨年秋から始まっている。当社に来春採用があるかどうかは今のところ分からないが、もし必要になった場合に備えて、忘れぬうちに採用の条件を記しておく。

(1)派遣人材
派遣人材は、以下の条件を満たすときに受け入れる。
1)市場の競争水準以上の技能と人格を備えた者であること
  社員より優れていてもいなくとも、市場水準を越えていることが条件で
  ある。
2)派遣元会社に教育制度が完備していること
  派遣先で教育してもらおうという考えの派遣会社は敬遠すべし。
3)仕事量に人材が追いつかない場合に限ること
  社員でまかなえる作業量は社員でまかなう。
4)社員の技能が不足している場合は例外
  数年前には、入社したばかりの社員らのために、社員の技能を補い、
  社員が学ぶ対象としての派遣を受け入れていたことがある。このケー
  スでは当該社員の技能が向上すれば派遣人材は不要になる。
5)社員か派遣人材か
  ケースバイケースだが、新入社員を雇っても全社員の総合力で市場
  の競争水準以上の技能を確保できない場合は、派遣人材を優先す
  る。新入社員を雇ってかつ全社員の総合力で市場の競争水準以上
  の技能を確保できる場合は社員採用を優先する。
(2)途中採用
途中採用者は、定着率が低いので、定着を期待すると落胆が大きい。また、実際問題として人格や生活に問題があり、正常な勤務に耐えない者もいる(そのために、他社でも勤務継続が困難になった場合)ので、技能が優れていても精査が必要である。
1)市場の競争水準以上の技能と人格を備えた者であること
  社員より優れていてもいなくとも、市場水準を越えていることが条件で
  ある。
2)正常勤務に耐えるものであること
  就業規則等、当社の勤務条件を読み聞かせて、その条件をクリアでき
  るかどうかを本人に聞くことが必要である。
3)経歴詐称、氏名詐称がないこと
  正社員では該当者はなかったが、過去にはパート勤務者に経歴詐称
  者がいた。経理補助で入った中年女性は元銀行勤務を謳っていたが、
  真っ赤なウソで、後の顔写真入の新聞報道で知ったことだが、他社か
  らも不正経理や詐欺などの疑いで追われていた。採用直後に私が働
  きぶりに疑念を抱いたため、出社しなくなりすぐに退職した。
4)倒産会社の社員は原則として雇うな
  会社倒産の責任は経営者にあり、社員には責任はないとされている
  が、倒産に至るまでになにもできなかった社員というのは、問題があ
  る場合が多い。例外もあるが、相当に感度が鈍いか、会社改革に奔
  走できなかったボンクラである危険性が高い。会社改革に最後まで不
  眠不休で奔走した人物や、倒産後も会社整理にボランティアでかかわ
  ったような人物以外の者は、十分な審査が必要である。
5)途中採用か新卒採用か
  新卒採用よりも途中採用のほうが良いケースというものはほとんどな
  い。新卒採用が困難で派遣人材も難しい場合は、中途採用も考慮す
  る。
(3)新卒採用
1)知のリーダシップ(thought leadership)があること
 ・豊かな人生観、社会観があること
 ・グループで成果があげられ、テーマによってはリーダの下で協力的に
  行動ができ、場合によってはリーダを進んで引き受けリーダシップが
  発揮できること
 ・常に率先して自学学習し、常にコミュニケーションに務めて、他の社
  員からも知識を吸収し、知の共有ができること
2)法令を遵守し、規律を守れること
 ・法令が守れること
 ・市民としてのマナーが守れること
 ・取引先と癒着するなどの不正を働く余地のないこと
3)基礎学力と基礎的能力があること
 ・日本語能力/数学が当社の要求水準であること
 ・世界の政治経済社会の問題に関心があり、自分なりの考えがある
  こと
 ・常に率先して自学学習し、自己能力の向上に努められること
4)生活能力が普通にあること
 ・健康と生活の自己管理ができ、遅刻等、職務に支障のある行動を
  取らないこと
 ・タバコをすわないこと、過度の飲酒やギャンブルや享楽におぼれるこ
  とのないこと
5)理工系大卒以上か文科系大卒以上か
 当社の業態から見ると、比率は半々であることが望ましい。

この採用の条件は、随時書き換えることを前提の覚えである。


△次の記事: 社長の条件(39)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/11/--39-425f.html
▽前の記事: 社長の条件(37)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/karetta537_c1d2.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  社長の条件シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

「ゆとり教育」の失敗は、社会性を育てなかったこと--心理、教育、社会性の発達(52)

2008/02/27
「ゆとり教育」の失敗は、社会性を育てなかったこと--心理、教育、社会性の発達(52)

ゆとり教育を推進したのは文部科学省の役人ばかりではない。元文部大臣の有馬朗人氏(元東大総長)などの教育界の重鎮もいた。「ゆとり教育」=「(教師の)手抜き教育」になってしまったという批判がある。有馬朗人氏が、教員の手抜きを勧める方針などを打ち出すはずがない。ご本人にとって、「ゆとり教育」の弊害ばかりが取り上げられるのは不本意だと思う。真意は、「学力訓練」に偏りすぎた教育を是正したかったというのも、良く分かる。
しかし、とそれでも、まことに残念なことに「ゆとり教育」は失敗だったと私は申し上げたい。
最近のことだが、福島県相馬市から県立相馬高校の2年生14人が、元文部大臣の有馬朗人氏(77)を東京に訪ねた。このときのことを産経新聞が記事として掲載し、そのままヤフーニュースに取り上げられていた。

ヤフーニュース
---------------------------------------------------
「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080217-00000913-san-soci
2月17日16時4分配信 産経新聞
-----------------------------
「未来像…学力低下はさらに進む!!」。昨年12月下旬、福島県相馬市から県立相馬高校の2年生14人が、元文部大臣の有馬朗人氏(77)を東京に訪ねてやってきた。
生徒たちは研究発表の資料を携えていた。「学力低下の要因の1つは『ゆとり教育』」「授業で習うことが社会で役に立たないから、学習意欲・関心が低下している」「教員の質も問題だ」…。資料には有馬氏を詰問するかのような学力低下の“分析結果”が並んでいた。
物理学者で東大総長も務めた有馬氏は、平成8年に「ゆとり」「生きる力」を打ち出した中央教育審議会の当時の会長だ。
生徒たちは、理数教育を推進する「スーパーサイエンスハイスクール」活動の一環として教育の科学的考察に取り組んだ。きっかけは、昨年12月上旬に発表された「生徒の国際学習到達度調査(PISA)」の結果で、「日本の順位がまた落ちた」という報道だ。
「学力は下がっていない」。きっぱりと反論する有馬氏に、生徒は目を丸くした。熱弁は2時間近くに及んだ。
有馬氏は内心ではこう嘆いたという。「自分たちが悪い教育を受けてきたと思っている。過度の『学力低下』批判が、子供たちの自信を失わせた。学力の問題より、こちらの方が大変なことではないのか」
                ◇
「お前、ゆとりだろ」。ネットの掲示板などで相手をおとしめるため使われる言葉だ。昨年12月、巨大掲示板「2ちゃんねる」のユーザーが中心となって投票した「ネット流行語大賞」では、銅賞に選ばれている。
中教審委員として前回と今回双方の指導要領改定に携わり、私立有名進学校を経営する「渋谷教育学園」の田村哲夫理事長(71)は、ゆとり教育の目指したものについて「教育の目的は不測の事態への適応力をつけるための訓練。高めるには知識などの学力が3割、意欲や思考力などが7割-が心理学の定説だ。前回の改定は、学力訓練に注力しすぎた教育をただすためだった」と位置づける。
だが、「時間を減らしたら、教える側が何もしなくなってしまったのが実情。できた余裕が現場でまったく生かされず、マイナスだけが出てきた」と、今回、30年ぶりに授業時間増に転じる理由を説明する。
「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。
「答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」
                ◇
今年1月16日、東工大のシンポジウムで有馬氏は、ここでも「学力が下がっていると言われるが、全く下がっていないことを証明する」と言い切り、「理工系学生の学力・学習意欲の低下が問題化している」と“弱気”なあいさつをした主催学生を勇気付けた。
有馬氏は、昨年10月に文部科学省が発表した全国学力調査の結果などを引用し、小学校6年生の漢字で「(魚を)焼く」と正しく書けたのは70・9%で昭和39年調査の33・8%を大幅に上回ることなどから、「義務教育段階での知識型学力は落ちていない」とする。
一方で中学で学ぶ2次方程式を解ける大学生が3割しかいない例をあげ、「大学はガタ落ちだ」とも認める。
学力が身についていない。応用型の国際学力調査などで成績が伸びていない現状は否定できない。
冒頭の生徒たちは有馬氏の説明を受け、氏家由希子さん(17)は「ゆとりが目指したものを知らなかった」とし、「有馬先生の考えが、親や地域の人にどれだけ浸透していたのか。納得いかないところもあった」とも。
「学習指導要領が改定されるなら、本当の狙いがちゃんと分かるようにしてほしい。でなければ誤解が二重になっていく気がする」。佐藤恵里香さん(17)はそう話した。
最終更新:2月17日16時4分
---------------------------------------------------

「ゆとり教育」のどこが失敗だったのか。それは、「学力訓練偏重」をどちらの方向に向きを変えさせたのかということに問題があったのである。「学力訓練偏重」を是正するのは「ゆとり」だったのだろうか。私は、「社会性の育成」であるべきだったと思うのである。
当時、教えても教えても知力が向上しない子供たちがいた(今も増加している)。「学力訓練」を行う教師の力量も歴史的理由で落ちていた。その上、教えても受け付けない子供たちも増えていたのである。「もっと学力訓練を」と叫んでも現場は悲鳴を上げるだけだったのである。現場のある人たちは「ゆとり教育」という掛け声を天の声とばかりに歓迎した。教えても理解しようとしない子供たちにサジを投げてよいと文部省が言ってくれたのだと理解したのである。小中高の教師のある部分の人たちは、ありがたく安心して「学力訓練」の努力を控え目にしたのである。少数の熱心な教師だけが総合学習の教材開発などに知恵と汗を搾り奔走していた。この時代の熱意ある教師の孤立感はいかばかりだっただろうか。
このとき、もしも、当時の文部省が次のように言ったらどうだっただろうか。「教えても理解しようとしない子供たちが漸増しているが、その理由は社会性を獲得していない子供たちが増えているからである。社会性の育成に力を入れれば、知力の引き上げに効果がある。回り道のように見えても、社会性の育成に力を入れて、さらに学力訓練を重ねてみよう」と現場に言ったならば、結果は大きく違っていたに違いない。
「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)
学習の社会性について--心理、教育、社会性の発達(18)
「学力訓練偏重」だったというのも実は誤りである。「学力訓練」も低下していたのである。正しくは、「教師が忘れていた社会性育成にあらためて熱意を傾け、その上で学力訓練にいっそう注力せよ」というべきだったのではないだろうか。その大切なことを言わないのは敵前逃亡である。「ゆとり教育にする」とは、的が外れたというべきではないだろうか。
有馬氏などは、問題を感じ取ることには成功したが、解決の方法が間違っていたのである。百歩譲っても正しい解決の方針を提示してはいなかったのである。
福島県立相馬高校の2年生14人が感じて報告にまとめたことの中にこそ真実があると私は思うのである。
めげるな高校生。
しかし、他人任せにしていては、君たちの学力も知力も向上しない。力をあわせて分析した「協同の体験」とそれによって獲得した「社会性」こそ、君たちの財産である。「知識の社会性」の神様も「教育の社会性」の神様も、君たちに微笑んでくれている。これを武器に、大人たちの言い訳じみた言説をさっさと乗り越えてゆこう。実際問題、有用な知識は大きくて深い。どんなに良い教師に恵まれても、教えてもらえることなどたかが知れている。しょせん、教師が教えてくれないことのほうが多いのだ。自前で知識と知力を手に入れるワザを磨いてしまえ。そうすれば、大人に文句を言うヒマに大人越えてゆく事だってできる。君たちは大人の手前、大人の入り口にいる。黙って越えてゆくのが力のある若者というものだ。
遠慮はいらない、「お先にゴメン」は若者の特権だ。教師を乗り越えるのは恩返しである。
私は君たちを応援する。
福島県立相馬高校の2年生を指導した教師の方に敬意を表する。

さて、とは言え、「ゆとり教育」は失敗だったからと言って、また昔の詰め込み教育一辺倒に戻るというのはおろかなことである。「ゆとり教育」の時代で優勢だったのは「知性なき丸暗記」教育だった。記憶を増やすには一番効率的で楽だからである。それが「ゆとりだ」と思われたのかもしれない。その代わり、全く応用の利かない青年が大量に発生することになった。「知性なき丸暗記」は、せっかく有名大学に入り有名企業に入っても、社会に交わるや青年にダメ印を押させるだけで、その人生を台無しにしているのである。小中高の皆さんは大人の短慮に抗して知性あふれる青年に育つことを心がけなければならない。教育界の大人たちは、私も含めて知性あふれる頼もしい青年男女を育てることが責務である。小中高の皆さんは反骨の炎を燃やせ、教師はもう一度教育にかける情熱の火をかきたてよう。
自戒と責任の重みを感じつつ、たくさんの方のご意見も賜りたいと念願しております。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(53)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/03/54_ee36.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(51)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/51_f5f8.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

南極に進出!、香港、嶋村茂治、植物工場--交友の記録(25)

2008/02/25
南極に進出!、香港、嶋村茂治、植物工場--交友の記録(25)

たまに、このブログのアクセスログを眺めてみると、いろいろなことが分かる。感慨深いこともあるし、私の特許を無断使用している企業からのアクセスがあったりもする。海外からのアクセスを見つけると、ああ、ブラジルで活躍している教え子のA君かな、今ヨーロッパを講演旅行しているO先生かな、などとと思いをめぐらせたりもする。
2月19日(火)のアクセスログに、東京三菱銀行(香港)からの接続を見つけた。Googleを使っていて、「植物工場 みらい 嶋村」という検索キーで私のブログを見つけていただいたようだ。探した記事は下記のものらしい。
1.市内の植物工場の見学--街に活力を(5)
2.12月17日、第53回SH情報文化研究会「忘年会」の開催--感性的研究生活(26)
今、東京三菱銀行(香港)には、私の知合いの心当たりはない。おそらく、全くの偶然に検索されたに違いない。
さて、良くみると国内からの検索にも特定の言葉が多くなっていることに気づく。「みらい 植物工場」「南極 嶋村茂治 植物工場」・・・などが多数並んでいる。
思い当たるのは、最近の日経ビジネスの記事である。
鈴木雅映子署名記事、嶋村茂治氏(みらい代表取締役)「南極に野菜工場の夢実現」、コラム「ひと劇場」、日経ビジネス、pp.104-106、2008年2月18日号
この記事には、嶋村茂治氏の顔写真も掲載されている。いい顔をしている。いい仕事をする人はいい顔をするものだという良い例だろう。
彼は、葉物野菜を工場で作る実践をしているベンチャ企業の社長である。わが街のマンションの一室に工場をもち、店売用の店舗も併設している。彼のことは、上記の2つの記事()に紹介してあるので、ここでは詳しく説明はしない。後者の記事の中では、私と家内が主宰するSH情報文化研究会でもご発表いただいていることが書かれている。
今回の日経ビジネスの記事は、彼の植物工場が南極に進出するという話題を取り上げている。なるほど、電気さえあれば植物が育つ「植物工場」は南極では、大いに活躍できるだろう。もちろん、極寒の中で作業者が出入りする植物工場の温度を一定保つことや採集された野菜の搬出などでいろいろな工夫があるに違いない。植物も機械も分かる彼には他人に比べれば容易だっただろうが、エキサイティングなチャレンジだったに違いない。
以前の記事にも書いたが、彼は、千葉大学園芸学部の大学院を出た秀才である。指導教官は丸尾準教授である。
ところで、南極といえば、環境の厳しい世界である。宇宙(火星)も意味が違うがいっそう環境が厳しい。先に取り上げた山下雅道教授の「宇宙農業」とは、一脈通じているところがある。山下教授と嶋村氏を引き合わせる機会を作ろうと私は密かに考えているところである。
まだ数年のお付き合いだが、私にとっては大切にしたい方の一人だ。ご本人にはご迷惑かも知れないが、これからも、なにとぞ良いお付き合いをお願いいたします。

△次の記事: 交友の記録(26)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/03/26_52b9.html
▽前の記事: 交友の記録(24)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/24_d72e.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  交友の記録シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

ひそかに再開、オヤジ流の紹介から--オヤジと家族のお料理ライフ(13)

2008/02/24
ひそかに再開、オヤジ流の紹介から--オヤジと家族のお料理ライフ(13)

最近一週間の間では、評判のよかった料理に、ネギ納豆玉子、シラスおろし、カレイの唐揚げがある。
凝った料理よりも、こんな料理のほうが良いようだ。
家族も老母も喜んでくれた。
我が家のオヤジ風のレシピ(4人前)は次のとおりである。

「ネギ納豆玉子」
・ネギ半分(やや太め)。タテに4つに裂いて、みじん切りにする。4つに裂いて幅2ミリくらいがちょうどよいようだ。
 みじん切り状態で、電子レンジの「あたため」でチン。
・納豆2パック。
・卵1個。
・カツオブシ1袋。
・タレ。納豆についているタレも入れる。昆布だし+醤油小さじ0.5+ミリン小さじ1。
ポールに全部入れて、納豆豆を傷つけないように優しくあわ立てるように掻きまぜる。
小さな器に盛り分けて、もみ海苔を振って出来上がり。納豆の臭みを卵が包んで、納豆臭さがずいぶんと減っている。口の中で、納豆豆のつぶれる微妙な歯ごたえの合間にシャキッとネギの香ばしい香りがしてくる。老母の好物。
ちなみに、ネギをあらかじめチンしておかないと、辛すぎるのである。

「シラスおろし」
・大根4分の3くらい。面取りの要領で皮を剥き、大根おろし器ですり下ろす。
・小さな器に盛り分ける。大根の汁が器の底に広がる程度に汁もいれる。固く絞りすぎるとおいしくない。
・シラス。電子レンジの「あたため」であらかじめ加熱しておく。生臭さが抜ける。
 盛り分けた器の大根おろしの上にシラスをトッピングする。
・カツオブシ。飾りと香り付けなので、うっすらと散らす。
・あれば、かいわれ大根の芽を数本添える。
・タレ。昆布だしと醤油であっさり目がよい。
老母の食欲が減退しているときには、必ず用意する一品。
大根おろし器に残った大根の絞り汁はどうするか? 捨てる? もったいない! 料理人がそのまま飲んでしまうのがオヤジ流。うまい。心まで洗われるような気がする。

「カレイの唐揚げ
・手のひらより少し大きい程度のカレイ4尾。さっと水洗いして軽く塩を振っておく。30分くらい経ったら、キッチンタオルで表面をたたくようにしてぬぐう。カタクリコ大さじ2杯、塩小さじ半分くらいを調理用のポエチレンの袋に入れ、口を片手で握ってふさいで他方の手でぽんぽんと袋をしたから突き上げるようにするとカタクリコと塩がよく混じる。ここに、カレイを4枚とも入れて、もう一度、ぽんぽんと袋をしたから突き上げるようにするとカレイの身に白い粉が満遍なく着く。粉の着いていない部分があったら、さらにポンポンを何度か繰り返す。
・アブラを170度くらいまであたためたら、油にカレイを丸ごと入れてゆく。油鍋が小さければ、1匹ずつ入れる。最初は水分があるので大きく泡が立つ。十分火が通るかどうかを気にせずに、泡が小さくなったら、アブラ漉しのアミを使って身が崩れないいようにゆっくりと上げ、上げ皿に入れて、次のカレイをアブラなべに入れる。カレイが4枚揚がったら、一番最初に上げ皿に入れたカレイの順に、もう一度170度程度の油なべに入れる。また、勢い良く泡が立つが、やがて泡の出方が静かになる。しずかになったら、また上げ皿に上げて、次のカレイを入れる。4枚ともに2度目の揚げがすんだら、アブラの温度を190度程度まで上げて、3度目の揚げを行う。やはり泡の出方が少なくなったら、すぐに揚げてしまうのである。
個別の皿に一匹ずつ盛り分ける。
・タレ。水400CCくらい+カツオだし+昆布だし+すりオロシショウガ大さじ1+ミリン小さじ1+醤油大さじ2でヒト煮たちさせる。小どんぶりに盛りわける。カレイの唐揚げをいただくときには、このタレをつけていただくのがよい。おいしい。

さて、前回(2007/09/05)、「オヤジと家族のお料理ライフ」シリーズは、長く休載してきたが、このまま終了とする。」と書いた。本当に止めるつもりだったが、なぜか再開する気になった。あれから半年もたっているのに、今でも、「オヤジ 家族 お料理」で検索して私のブログ到達するヒトが少なくない。つい調子に乗ってしまったというのがその深層心理に違いない。
前回までは、一回のお料理のセットを全て書いて、栄養のバランスも反省できる材料にしようと思っていたのだが、そうすると結構書くのが億劫になることがわかった。
これからは、料理の単便のレシピを書くことも多くなるだろうし、フルコースを取り上げることもあると思う。
いったん止めるといったのに男らしくないと言うなかれ。心の傷か癒えれば、また立ち上がることができるのである。
あらためて、これからも、暖かいご声援をなにとぞよろしくお願いいたします。

△次の記事: オヤジと家族のお料理ライフ(14)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/03/14_e62f.html
▽前の記事: オヤジと家族のお料理ライフ(12)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2007/09/12_a4e1.html


琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  人生に詩歌ありシリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

風前の知性と社会性、「心の信用収縮・疑心暗鬼の時代」--心理、教育、社会性の発達(51)

2008/02/22
風前の知性と社会性、「心の信用収縮・疑心暗鬼の時代」--心理、教育、社会性の発達(51)

私は、すでにこのブログの2つのシリーズで、「心の信用収縮・疑心暗鬼の時代」についての記事を書いている。

「疑心暗鬼の時代」を越えて生きる--社長の条件(36)
「心の信用収縮の時代の悲しみをバネに--情報社会学、予見と戦略(18)

現代が、悲しいかな「心の信用収縮・疑心暗鬼の時代」に突入しているという事実に踏まえて、「企業経営者たるものの心構え市民としての心構えをそれぞれに書いたものである。
しかし、実は、教育の現場ではもっと大きな問題が発生しているのである。円満な社会性を獲得している学生はすでに多くはなく、(仮性の)回避性人格障害をもつ者、(仮性の)反社会性人格障害をもつ者がじわりと増大しているのである。

数年前に行った大学生対象の私の調査では、学生らを4つの群に分けた。
-------------------------------------------------------------------------
               | 他者優先の人生観を持つ | 私欲優先の人生観を持つ
-------------------------------------------------------------------------
社会性を備えていない  |仮性の回避性人格障害者 |仮性の反社会性人格障害者
社会性を備えている   | 円満な市民         | 競争型ビジネスマン 
-------------------------------------------------------------------------
それぞれの群に属する学生らの割合は、次の通りである。
仮性の回避性人格障害者=約50%
仮性の反社会性人格障害者=約10%
円満な市民タイプ=約30%
競争型ビジネスマン タイプ=約9%
他者優先の人生観は、仮性の回避性人格障害者と円満な市民を合わせれば約80%に達するので、いまどきの学生もまだまともというべきである。
一番の問題は仮性の回避性人格障害者が約50%と一番多いことであり、社会問題化しているニートの予備軍と考えられるものである。
仮性の反社会性人格障害者群は約10%と少ないとは言え、犯罪者予備軍とも考えられるもので大変危険な状況とも言うことができる。仮性の反社会性人格障害者はじわりとその後も増え続けているような気がする。
この4群とそれぞれの学業成績のよしあしを組み合わせると8つのキュービックが形成される。

図は、「いまどき学生の人生観と学習モチベーション--心理、教育、社会性の発達(21)」より)
Photo
学業成績が極端に悪いのが仮性の反社会性人格障害者の群(約10%)である。円満な市民群(約30%)と競争型ビジネスマン(約9%)は成績が良い。中でも円満な市民群(約30%)はもっとも成績が良い。仮性の回避性人格障害者(約50%)は、成績の良い2つの群には及ばないものの、仮性の反社会性人格障害者群(約10%)よりはかなりマシである。

同上より)
1
とりあえず、最低でも学生の学業成績を向上させるのが教師の義務というものである。
上記のキュービックを見れば、一目瞭然なのは、学生らの社会性を獲得させることである。理由は、知性は社会性とともに発達するもので、どちらを欠いても他方が成長しない。
もちろん、社会性を磨くだけでは知性は育たないという批判もあるだろう。同感である。知力は知力で、運動能力が練習によって鍛えられるように、理論的仮想体験や実地の練習によって鍛えるよう指導しなければならない。この分野は教師たるものの得意分野である。慢心を恐れるところだが、ひとまず任せておきなさい、といいたい。しかし、これだけでは、うまくないのである。教えても教えても、知性に進歩のない者もいるのが事実である。何年も教壇に立っていると、歩留まりは50%もあればいいかと、やや投げやりな気持ちになったこともないとは言わない。いや、待てよ、50%を80%に80%を99%に高める秘策があればなぁ・・・、その解が社会性の育成にあるのだと私はいいたいのである。
このあたりについては、このシリーズの「「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)」「学習の社会性について--心理、教育、社会性の発達(18)」の記事に説明した。
私が、長く採用しているグループ学習(学生参画型授業)が、学生の社会性獲得に絶大な効果がある。教室で観察する限りでは仮性の回避性人格障害者群に属する学生は、丁寧にグループ活動をサポートしてあげれば、1年程度のグループ学習で目だって改善が進む。成績も向上する。
しかし、仮性の反社会性人格障害者群の学生らは、そもそもグループ学習ができないのである。いや、できないというよりも、人生を懸けてもこれを拒否するのである。他人を助けるなんて自分が損をすると固く信じているし、他人に教えてもらうなんて、後で何をされるか分からない、と敵意丸出しに拒否するのである。何年も、何度もいろいろな試みをしたが、彼らにはクループ活動をさせることは至難の業だった。あるとき、私は、これらの学生らにある言葉が薬のように効くということを発見した。「人望がなければ、人もお金も寄ってこないぞ」と言うのである。これは商人道に古くからある言葉である。まさか、商人道の言葉が学生らに利くとは思わなかった。商人道の一端をあらわすこの言葉には、自分の私利私欲に自分が負けないことが大切で、それが自らの商益の源であるという意味合いが込められている。人生の真理を深い部分で言い当てているのである。資本主義は個人の私利私欲に対する因習に満ちた束縛を廃止してこれを解放した。しかし、それでも、自分の私利私欲に自分が負けたらおしまいである。自由であるがゆえに正しく自己コントロールできたものが名声と利益を得るのである。自分の私利私欲をコントロールすべきことを指摘する「人望なければ人もお金も寄ってこない」という商人(あきんど)の言葉が、仮性の反社会性人格障害にとらわれている学生らの心の扉をそっと開けることができたのである。

さて、社会性未発達の人々が増加したのは、いつのころからだろうか。私は、団塊世代の子弟たちからであると推定している。団塊世代の人たちは豊かな社会性を身に着けた人々であり、その社会性を武器に社会を市民参加型社会に変革しようと1980年ころからの30年間、ひそかに小さく戦い続けてきた。彼らはある意味で傷つきながらもある意味では市民参加型社会の創出に成功し、他方ではせっかく育てた子供たちがニートになってしまうという悲哀を味わっているのである。
団塊の世代の人々は、次のようなことを実現した人たちである。
・オヤジの権威を越えて個性の突出を実現した。
・「お上に逆らえない」という行政の権威にもしぶとく抵抗して、市民的対等を実現してきた。
・「上意下達」が当たり前の企業社会や行政組織内をネットワーク型に転換し、タテ社会をヨコ社会にした。
世の中のありとあらゆる権威を身近な存在に変えてしまったのである。
その結果、オヤジは強くて、いつも家族を守ってくれる、という家族観は失われた。オヤジの権威失墜である。
お上に従っていれば、庶民は守ってもらえるという予定調和的な社会観は失われた。
上司の言うとおり、といっていればとりあえずは自分の身分と生活は守られるということはなくくなった。
つまりは、個々人を守ってくれる外部的な権威というものはなくなってしまったのである。
このようなことを実現してしまった団塊世代の人々の子供たちは、どうなったかといえば、用心深くなって、人と接することを避けるようになり、社会性を磨くことを避けるようになったのである。積極的に行動しようとする子供でも、他人と接して助けたり、助けられたりするのは真っ平だと思うように育ったのである。
子供たちは他人に対して「疑心暗鬼」で、「信頼できない」という態度をとるのは当然である。時代はまさに世界史的規模で、「心の信用収縮」が進行している。子供たちの心はますますかじかんでゆく。気が小さくて回避的か、荒っぽいが反社会的の子供ばかりが増えてゆく。つまりは社会性が欠落しているのである。見方を変えれば了見の狭い子供ばかりが増えてゆくのである。
そして、そんな育ち方をよしとする団塊以降の大人たちの理論も追い討ちをかけていた。「一人遊びは個性を育てるからよい(一人遊びは社会性を育てないので、個性も育たない)」「学級崩壊やイジメが起きないように、学内で他の子供とは話をしないようにと指導する(子供同士のいざこざが減った代わりに教師への暴力が増加した)」・・・。いずれもとんでもない理論である。
そのうえ、伝統的な「教育心理学」が、社会性崩壊の時代を予想していなかったので、教育の現場で社会性を育てるような道筋を示していないのである

子供たちの健全な成長のためには、やるべきことが多い。
まず子供たちの社会性をはくぐむためには、まず、家庭での豊かな人間関係とコミュニケーションが必要である。
そして、まずは、生きてゆくためのモチベーションが大切である。小中高校では、グループ活動、グループ学習を満遍なく大切に行わせるべきである。人は回避すべきものではなくて仲間にして、見方を増やすほうがよいと感じられるようにすべきである。「他人を敵にしてでも金を稼げ」ではなくて、「人望によって、人もお金も引き寄せよう」と語りかけるべきである。
これらを間違えれば、我らの子孫に未来はない、と肝に銘ずるべきであろう。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(52)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/52_c6da.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(50)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/50_7647.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

「SPA」に登場、宇宙農業のトップランナー山下雅道教授--交友の記録(24)

2008/02/20
「SPA」に登場、宇宙農業のトップランナー山下雅道教授--交友の記録(24)

この人は、たいへん偉い方である。JAXA・宇宙化学研究本部の教授という肩書きを持っている。普段は「SPA」のような通俗的な雑誌に登場するような人ではないのだが、素人にもわかりやすく、それでいて目を剥くような仕事をしているということなのだろう。
実は、私とは大学の同期の一人である。学生時代から一風変わっていたが、変わり者という意味では私と大差はなかった。しかし、一方は研究一筋で今は教授、私は民間にいて兼任講師という具合に大差が付いている。学生時代に互いに何をしていたかは秘密である。
もともとは私と同じ化学を専攻して、ロケットの推薬などの爆発反応などの権威だった倉谷教授の下にいたのだが、いつの間にか宇宙生物学者と目されるようになり、これまでも宇宙にカエルを飛ばしたり、イモリを飛ばして、マスコミに登場する頻度は多い。
実は、2004年9月、私が主催する研究会(2004年9月、第44回SH情報文化研究会)にも講演をいただいている。
このときは、田中耕一氏が質量分析における「ソフトレーザーイオン化法」でノーベル賞をもらったときで、山下氏は一部のマスコミで「もう一人の田中さん」と呼ばれていた。
田中さんと一緒に質量分析の分野で「生体高分子の質量分析法のための穏和な脱着イオン化法」の発明者としてノーベル賞を受賞した米バージニア・コモンウエルズ大教授のジョン・フェン博士に、招待されて山下氏はノーベル賞の受賞会場に参加している。山下氏がフォン教授の下に留学していなければフォン教授の受賞はなかったからとのがその理由である。
今回、2008年2月12日「SPA」に登場した理由は、「宇宙農業のパイオニア」というものである。
彼は、同じ記事("宇宙農業-100年後の有人火星探査に向けた生命維持システム"、SPA、p.27-28、2008.2.12号、扶桑社)の中で、山下氏は、次のように語っている。「国際宇宙ステーションに日本実参加することになり、日本のモジュールを作る事が決まった。そのモジュールで何を実験するのか検討されたのですが、その項目のひとつとして挙がったのが宇宙農業です。先進的な宇宙空間での生命維持装置の研究ということだったのですが、・・・」「(火星で宇宙農業が実現すると予測される100年後)私はもう生きていないでしょうけど、次の世代のために種を蒔いている。それに、宇宙農業研究の技術は、地球上でも応用して役立ちますから。・・・」
彼のような研究を「非科学」として遠ざける向きもないわけではない。学者の世界は、案外陰湿である。
「もう一人の田中さん」と呼ばれたときも、ねたみに起因する陰湿なバッシングがあった。彼を持ち上げた私もついでにたたかれたが、友人のためならば名誉なことだと胸を張っていた。ここで、また、「SPA」に登場したことで、足を引っ張る者やバッシングに遭う危険性もないわけではないだろうに、彼は、むしろ研究内容を庶民により広く理解してもらうことの正当性を選んだのに違いない。
一昨年、品川の「天狗」で、共通の先輩である江草氏と痛飲して以来会っていないが、雑誌でうれしそうな顔写真を見ながら、楽しくなくっちゃ仕事じゃないよな、と声をかけたくなった。
同窓会でもやりたいな。

△次の記事: 交友の記録(25)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/25_7938.html
▽前の記事: 交友の記録(23)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/23_e24e.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  交友の記録シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

心の信用収縮の時代の悲しみをバネに--情報社会学、予見と戦略(18)

2008/02/18
心の信用収縮の時代の悲しみをバネに--情報社会学、予見と戦略(18)

このシリーズは情報システムの老職人として眼前に浮かぶ「人類史の行く末」を思うままに書いている。2008年の今は、古いイケイケの時代(市民の社会参加へ、高度情報化社会)が終わって、市民が社会サービスを担う時代になりかかっている、と私は思う。
まずは、今の時代がどのような段階かを過去の記事で見てほしい。
直近未来30年の人類史激動の予測図--情報社会学、予見と戦略(7)
上記の記事に書いた図を以下に引用する。

060

私は、最近、このブログの別のシリーズ(「社長の条件」シリーズ)で、「疑心暗鬼の時代」を越えて生きる--社長の条件(36)という記事を書いた。ますば、困難な時代について、文字通り次世代をになう社員らに、私ともども自戒と慎重さを求めたかったからである。
市民が社会サービスを担う時代へ--この変化には夢も希望もある。一方、このとき、市民が自ら対処しなければならない暴力と戦乱もありうるということは何度も警告し書いた。
仔細に見れば、今は、暴力の増大の前に人々の「疑心暗鬼」がすでに始まっているのである。マスコミは金融の信用収縮を取りざたしている。確かに、アメリカのサブプライムローン問題に端を発する全世界的株安と経済不況がある。それも良い指摘だ。しかし、金融信用収縮は、部分的には比較的短期に技術的問題として緩和または回復するだろう。
実際問題、重大な問題は「金融信用収縮」の陰にある「心の信用収縮」である。これは、これから数年、否、底流としては30年近く続くだろうと思われる。日本人は、かつて、どちらかといえば他人は自分に向かって善意を持って行動するという前提で社会生活を送ってきた。今は、悪意ある他人かも知れないという前提で交流している人が目立って増えている。そうでもなければ振込め詐欺やカルトビジネスで大きな被害にあうのがご時世である。お人よしのはずの日本人でさえ、他人が信用できなくなっているのである。
教育の現場では「モンスターペアレント(怪物的親)」という言葉がある。「うちの娘は箱入り娘にしたいから、誰とも喧嘩させないでくれ」「うちの子は塾で疲れているから学校では居眠りを認めてほしい」などとねじ込んでくるような親たちである。教育現場には実現不可能なことでもお構いなしに無理難題を持ちかける。また、他の子供の被害や損害には心が痛むことがないのであるる。ただひたすら、自分の家族の利害しか眼中にないのである。「モンスターペアレント(怪物的親)」というよりは「自子中心主義」である。下記の産経新聞から引用された記事は事態の一つの側面を捉えている。個別の事実関係は確かめる必要があり、書かれたようなことが本当にあったのかどうか断定はできないが、こうした傾向があることは身近な事例からもうなづけるのである。

ヤフーニュース
---------------------------------------------------
【溶けゆく日本人】“自子中心”の保護者 不安が生み続ける連鎖
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080205-00000903-san-soci
2月5日11時9分配信 産経新聞
-------------------------
「自子中心主義」の親が増えている。子供に影響を及ぼさないためにも、節度ある行動が求められているが…(写真は本文と関係ありません)
■不安が生み続ける連鎖
大阪府内の閑静な住宅街近くの保育園で、5歳の女の子を迎えに来た父親が、同じクラスの男の子を押し倒し、蹴(け)飛ばす“事件”が起きた。
ことの次第はこうだ。仕事が早く終わった父親が夕方、保育園に来たとき、子供たちは外で遊んでいた。女の子は友人と遊んでいたが、けんかになり泣きだした。それを数人の男の子がからかい始めた。父親はしばらくその様子を見守っていたが、からかいが止まらないため、「しつこいぞ」としかった。
それでいったんは収まったかに見えたが、数分後、まだ泣いている女の子のところに1人の男の子が再び戻ってきて、何か話しかけた。父親はそばにいた保育士に仲裁するよう声をかけたが、保育士の返答があいまいだったため、ついに自制できなくなり、怒鳴りながら男の子を追い回した。最後は「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら逃げる男の子への暴行となった。
女の子の家は父子家庭で、父親は仕事から帰ると祖母から毎日のように、「この子は保育園でいじめられているらしい。迎えに行くといつも泣いている」と聞かされ、心配でたまらなかった。そしてこの日、目の前で泣くわが子の姿に逆上したのだという。
保育園では、男の子のけがはたいしたことがなく、保護者も警察に被害届を出したくないとの意向だったことから、父親からの謝罪で解決しようとした。しかし、当の父親は「自分は悪くない」と譲らず、結局、謝罪もないまま卒園を迎えたという。
(後略)
最終更新:2月5日19時47分
---------------------------------------------------

以下には、私の別のシリーズ(社長の条件)に書いた記事の抜粋である。
---------------------------
今は、アメリカを初めとする国家の威信は低迷し、国民国家がいかにも頼りなく見える時代でもある。金融信用収縮はサブプライムローンの破綻に端を発して世界を暗く包み込んでいる。金融上の問題は何とか早晩にはクリアされるだろうが、人々の心の信用収縮はまだ留まらない。
古い秩序が崩壊し新しい秩序が成立するまでの間は、誰もが疑心暗鬼になる。
古い秩序が崩壊するときは、既存の権威やカリスマが次々に打ち倒される。少なくとも嫌われるのである。今アメリカでは民主党の予備選挙が白熱状態である。権威やカリスマ性をまとうヒラリー・クリントンは嫌われ、権威ではない・カリスマではない、を前面に押し出すオバマ氏がヒラリー女史を猛追している。
アメリカは権威主義の共和党を離れて民主党を選び、中でも政権担当能力ではヒラリー・クリントンよりも明らかに数段の差がありそうに見えるオバマ氏が選ばれようとしている。
権威は嫌われる、これがこれからの数年または数十年の時代の特徴の一つになるだろう。そして正統派は疑心暗鬼の嵐にさらされる。非正統派であるものが一時的に人々の熱狂的な支持を集めるのである。そして、支持された非正統派もエスタブリッシュメント(権威ある地位)に着くとたちまち嫌われるのである。政権は短期政権となり、アイドルはめまぐるしく捨てられてゆく。非正統派は力がないから安全パイに見えるのである。非正統派が政権に就いたり権威の座に着いたりすればたちまち嫌われるのである。
この時代の特徴は、人々の心に広がりを見せている「疑心暗鬼」である。守ってくれるはずの古い秩序や権威が頼りなくなったとき、人々は自分しか信じられなくなるのである。今までは、少しのはみ出し発言ややんちゃは許された。多少は脱線することがあっても古い社会の枠組みの中で事態は回復され、正しい軌道に戻るだろう事が期待されたからである。今は、社会の枠組み自体が揺らいでいるのである。少しのはみ出し発言ややんちゃも、自分に危害が及ぶかもしれないと警戒し、刃を研ぎ、心を閉ざして、スキあればやっつけてやろうと突出してくるのである。ある意味では良いことではあるが、危険な一面も持っている。
---------------------------
この時代は、良識的なものは攻撃にさらされ、虐げられていた人々のパワーが全開する。古い時代の法律は軽視され、むしろ超法規的なもの、すなわち古い枠組みの目から見れば「脱法」が熱狂的歓迎を受ける。犯罪者が英雄視される傾向がある。これは市民生活にとってはきわめて危険である。
市民は自衛しなければ身が守れないのである。しかし、善良な市民に襲い掛かるのも別の市民にちがいない。価値の基準が狭い範囲の「自分たち」だけになりがちだからである。騒音おばさん、ゴミ屋敷などがその例である。イギリスの古い社会を抜け出してアメリカに新しい天地を目指したアメリカ開拓史の初期、新しい秩序が成立するまでは、頼るべきは手元の拳銃とライフルだけだった。人が人を襲い、互いの正当性を言い合いながら殺しあった。アメリカの輝かしい開拓史のもう一つの暗い側面である。
古い秩序がなくなるとき、人々は、互いに殺しあう傾向を持つこと、カリスマ的指導者を求める傾向があることが認められる。カリスマ的指導者はともすればヒットラーのような独善的独裁者になる危険性がある。しかし、楽観主義者の私は、歴史から多くを学んできた現代の市民は、独善的独裁者を厳しく選別し、心正しい指導者を選ぶだろうことを期待したい。
市民はばらばらにならずに、世界を繋ぐコミュニケーションの場を確保し、新しい時代を流血や悲惨な犠牲を少しでも少なくして作り上げてゆかなければならないだろう。
短絡的に他の家族の子供を突き飛ばすようなことがあってはならない。「他人の犠牲が我が利益」というのは、学生らに対する調査でもまだ少数(10%程度)であるが、漸増していることが不気味である。古い心理学の尺度に単純に照らして言えば、「反社会性人格障害」ということになるが、遺伝的なものであればこれよりも数十から数百分の一程度しか発現しないはずである。これほど多いということは遺伝的なものとは考えられないので、後天的なもので、家庭やテレビ文化を含む教育環境の仕業であると考えざるを得ない。私は「仮性の反社会性人格障害」と呼ぶことにしている。
「仮性の反社会性人格障害」を減らして市民と市民が手を繋ぎ助け合う社会を作るのは、家庭やテレビ文化、学校教育などの教育環境の課題であると私は思う。
「心の信用収縮の時代」だからこそ、時代の流れに抗して、教育環境とコミュケーション環境の改善が必要であると私は思うのである。

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(19)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/04/19_550c.html
▽前の記事: 情報社会学、予見と戦略(17)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/storm16_efbd.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  情報社会学、予見と戦略シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

なんと、書籍原稿サイト(Karetta)で3位--社長の条件(37)

2008/02/15
なんと、書籍原稿サイト(Karetta)で3位--社長の条件(37)

なんと、私のこのシリーズ(「社長の条件」シリーズ)が、書籍原稿サイト(karetta)で3位になってしまった。
(36)「疑心暗鬼の時代」を越えて生きる などがここには掲載されている。
数十件ある公開作品中で週間アクセス数が3番目ということである。何かの偶然だろうが、一瞬といえども、「にゃんこハウス建設記」 「JavaプログラマのためのC言語入門」「ガーデニングBerry奮闘記」「冗談作法ノート」「コの業界のオキテ」「還暦少年団作文集『厚顔無恥』」などなど、面白そうなタイトルがたくさんあるのに、それらを越えてしまったことに驚嘆してしまった。ネットのアクセス順位は常に流動的なので、明日は5位以内にすら残っているかどうか分からない。記念すべき3位の画面を以下にかがげる。画像をクリックすると大きく表示することができます。

3karetta_2

トップの画像は、依頼されてまず作ったものが上の画面にはめられているが、その後やはり私が作り直した画像に差し替えられている。いずれも3分くらいで作ったものである。
Ceorequirement

思えば、もともと、奇特な方が、私のブログ記事をこのKarettaに登録してくださったのが始まりである。
びっくり、第三者のサイトKarettaに、このブログの3つのシリーズがエントリしている。
Karettaに、さらに私のブログの2つのシリーズが追加エントリされている
週間3位になったのは、次の2つの記事が特に多く読まれたからに違いない。
2008年、高まる市民の自立に潮目あり--社長の条件(35)
「疑心暗鬼の時代」を越えて生きる--社長の条件(36)
たくさんの読者の皆さんのおかげというしかない。心から感謝するとともに、今後とも応援をよろしくお願いいたします。

△次の記事: 社長の条件(38)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/38_1212.html
▽前の記事: 社長の条件(36)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/36_fe06.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  社長の条件シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

姪の結婚お披露目会--交友の記録(23)

2008/02/14
姪の結婚お披露目会--交友の記録(23)

2月10日、今年30歳になる姪の結婚お披露目会が開かれた。2年前、アメリカで入籍し、昨年はご主人の実家のある博多で入籍し、続いてキリスト教式の結婚式を挙げ、披露宴も博多で済ませていた。国籍は日米2つを持っている。
話せば長いが、私の弟は、地方自治体の部長職である。娘が高校生の頃、外国に行くと聞いてずいぶんおろおろとしていたものである。弟の娘は、カリフォルニア大学(バークレイ)で舞台芸術学科を卒業した。卒業後アメリカで舞台関係の仕事を望んだが、順番待ち状態で、長く大学図書館の司書の雇員をしていた。その後、生活の基盤を強化するために、日系企業のアメリカ支社に勤務した。支社は小さな所帯だったので、そこでは、経理、営業、WEBデザイン制作など何でもやらされたようだ。ここに、営業マネージャの頼もしい男がいたというわけである。
彼は、博多出身だが、父をアメリカ人、母を日本人に持つハーフである。見る限りは日本人で、格別に説明されない限り血統はわからない。アメリカ人の父は日本の大学教授にして牧師である。

この結婚を一番望んでいたのは、私の母(姪の父方の祖母)と弟の妻の母(姪の母方の祖母)である。東京近郊でお披露目の会を開くというのは、高齢になり長距離の移動が難しい二人の老母のためであった。そのため、新郎の父と母が遠路、わざわざやってきたというわけである。
会は、形式ばったものではないので、司会は弟(新婦の父)が務めて、その兄(会社経営と大学講師を兼務する私)が「歓迎の辞」(主賓挨拶に替わるもの)を述べ、姪の母方の長女の旦那(小学校校長)が乾杯の音頭をとった。
私は挨拶の内容にずいぶん迷ったが、弟の注文は、皆が言い始めると長くなりそうな「家系自慢」に及ばないこと、短いこと、ということであった。私は、堅苦しくないように、しかし、二つの家族の結びつきを喜ぶ内容にしたいと思った。
------------------------------------------
ご紹介をいただきましてありがとうございます。私は新婦の父の兄に当たります。
こちらは、新婦の父の母、つまり新婦のおばあちゃんです。高齢ですので、母に代わって私が当家を代表してご挨拶申し上げます。
新郎のご両親様、遠路お運びをいただきありがとうございます。
本日は、お日柄もよく、また新郎のご家族様のご尊顔を拝することができ、私どもはたいへん嬉しく、幾久しくご交誼を賜りたく念願いたします。
新郎、新婦、ご結婚おめでとうございます。
結婚は、ご本人たちの幸せの結びつきが第一義ですが、ご本人につながる係累の結びつきが広がる喜びも伴います。
北九州と千葉県と申しますと、距離にすればたいへんに遠いといえないこともありません。しかし、実は、鎌倉-室町幕府の頃、千葉県の名前の元になった下総の覇者 千葉氏が蒙古来襲(元寇)の際に肥後に出兵し、一部がそのまま北九州に定着し、肥後千葉氏として北九州は博多あたりからの西半分を治め勢力を誇っていた時代がありました。その後九州の千葉氏は鍋島藩の重鎮を永く務めたとされています。当時より下総と北九州は人や物の交流もありましたし、海の幸に恵まれ、温暖な気候に包まれている点でも2つの地域はよく似ていて、文化的にもおそらく共通する部分があるはずです。
遠くとも近いいわば兄弟の地に暮らす家族たちがともに手を携えてともに発展する素地はもとより存在しているものと思いますし、このたびのご縁を機会により良い結びつきがいっそう深まることを心から祈念しております。
簡単ではございますが、歓迎のご挨拶とさせていただきます。
------------------------------------------
私の話は概して好評だったようだ。話の内容を肴に、いろいろな人たちがお酒を注ぎにやってきた。
次第に宴は盛り上がり、新婦の父の友人たちで作るプロ級のバンド(Zoo Bucks)のジャズ演奏、校長先生の演歌や弟夫婦のピアノ演奏(連弾も)、おば様(小学校教員)たちによる歌唱指導で全員合唱など、さながらファミリー音楽会のような様相のうちにお開きになった。
こんな機会でもないとなかなか会えない、新婦の母方の親類たちとも交流ができ、また新郎のご両親ともお話ができた。新郎はこれからオラクルジャパンに転職が決まっているとのこと。同じ業界になるので、頼もしく、うれしくて、互いに強く握手して「男同士の付き合いをよろしく」と今後の親交を約束した。
係累が増えるというのは、なんともうれしいものである。

△次の記事: 交友の記録(24)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/24_d72e.html
▽前の記事: 交友の記録(22)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2007/10/2007090822_d1a6.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  交友の記録シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

「疑心暗鬼の時代」を越えて生きる--社長の条件(36)

2008/02/13
「疑心暗鬼の時代」を越えて生きる--社長の条件(36)

直前の記事「2008年、高まる市民の自立に潮目あり--社長の条件(35)」には、次のように書いた。
「社会に参加してしまった市民は、今や単に社会サービスを受け入れる受身の市民でい続けることはできない。自分たちが社会サービスを提供する市民にならなければ、その存在が問われるのである。」
この変化にはビジネスチャンスもあると私は書いた。

さて、今回の記事には、この時代は機会ばかりではなく危機も併存するということを述べておきたい。
今は、アメリカを初めとする国家の威信は低迷し、国民国家がいかにも頼りなく見える時代でもある。金融信用収縮はサブプライムローンの破綻に端を発して世界を暗く包み込んでいる。金融上の問題は何とか早晩にはクリアされるだろうが、人々の心の信用収縮はまだ留まらない。
古い秩序が崩壊し新しい秩序が成立するまでの間は、誰もが疑心暗鬼になる。親切そうな言葉や態度にはひどくもろいのに、華々しい振る舞いや派手派手しい言動は胡散臭く思われる。文化人でもないのに、芸能人の行き過ぎた発言が「面白がられる」時代は過ぎていて、激しいバッシングに晒される。沢尻エリカ事件(2007年9月29日映画「クローズド・ノート」の舞台挨拶)や倖田來未の「羊水が腐っている」事件(2008年1月30日午前1時からのニッポン放送)はその一端である。古い秩序が崩壊するときは、既存の権威やカリスマが次々に打ち倒される。少なくとも嫌われるのである。今アメリカでは民主党の予備選挙が白熱状態である。権威やカリスマ性をまとうヒラリー・クリントンは嫌われ、権威ではない・カリスマではない、を前面に押し出すオバマ氏がヒラリー女史を猛追している。
アメリカは権威主義の共和党を離れて民主党を選び、中でも政権担当能力ではヒラリー・クリントンよりも明らかに数段の差がありそうに見えるオバマ氏が選ばれようとしている。
権威は嫌われる、これがこれからの数年または数十年の時代の特徴の一つになるだろう。そして正統派は疑心暗鬼の嵐にさらされる。非正統派であるものが一時的に人々の熱狂的な支持を集めるのである。そして、支持された非正統派もエスタブリッシュメント(権威ある地位)に着くとたちまち嫌われるのである。政権は短期政権となり、アイドルはめまぐるしく捨てられてゆく。非正統派は力がないから安全パイに見えるのである。非正統派が政権に就いたり権威の座に着いたりすればたちまち嫌われるのである。
この時代の特徴は、人々の心に広がりを見せている「疑心暗鬼」である。守ってくれるはずの古い秩序や権威が頼りなくなったとき、人々は自分しか信じられなくなるのである。今までは、少しのはみ出し発言ややんちゃは許された。多少は脱線することがあっても古い社会の枠組みの中で事態は回復され、正しい軌道に戻るだろう事が期待されたからである。今は、社会の枠組み自体が揺らいでいるのである。少しのはみ出し発言ややんちゃも、自分に危害が及ぶかもしれないと警戒し、刃を研ぎ、心を閉ざして、スキあればやっつけてやろうと突出してくるのである。ある意味では良いことではあるが、危険な一面も持っている。
我々は、いままでは、顧客の信頼を頼りにお仕事をいただき、収入も得てきた。その信頼が今のままでは危ういかもしれないのである。うぬぼれに過ぎないかもしれないが、望んだわけではないしただひたすらお仕事に忠実であろうとしてきただけだが、いつの間にかほんの少しだけ我々は職人的権威になりかかっている。幸い、現在は、私たちの現在の顧客は強い信頼で結びついている。しかし、権威視されることは危険である。私たちは権威だったことはないしこれからも権威であることはありえない。技術と誠意を信頼していただく以外ない存在である。今は、いつ疑心暗鬼の隙間風が吹かないとも限らない時代になっていることをしっかりと用心しながら認識しておかなければならない。われわれは、これまでも、今も、そしてこれからも、お客様から勉強させていただき、社会の皆様に導かれて生きてゆくのである。いささかも偉そうな発言をしたりしてはならない。いささかも権威くささがあってはならない。私たちは、どんなときでもお客様の暖かい心遣いと配慮がいただければ生存の難しい職人の集団なのである。我々は誠意を尽くして、お客様からはどうにか可愛がっていただく以外にないことを肝に銘じていなければならない。発言は、もっと控え目に、態度はもっとひそやかにしよう。
おそらく、信頼を壊すのは、顧客でもないし我々でもない。疑心暗鬼の時代の波なのである。誰かさんの疑心暗鬼に反論をしても効果はない。ますます心を閉ざして攻撃の炎を燃やすだけだろう。
我々にできることは、正しいことをコツコツと、またおごらず高ぶらず淡々と成し遂げてゆくだけである。疑心暗鬼から攻撃的になった人たちをあえて救おうとしてはならない。我々の善意をますます疑い、ますます攻撃的になるだろう。疑心暗鬼から攻撃的になった人たちからは、黙って遠ざかり、何も言わず、手を出さないことである。我々がいなくなって、その価値をはじめて認識していただける場合もあるだろうし、その人たちとは無関係なところで活躍する我々をいつか再び発見して、疑うべき相手ではなかったと理解していただける場合もあるに違いない。歴史がやがて審判を下すのである。
今は、何もないが、これからはそのような危険が増す時代である。危険に遭遇しても慌ててはならない。じっと耐えて、疑心暗鬼の刃を避けて生き残る知恵を働かせよう。
振り返ってみれば、1970年代には、同じような疑心暗鬼の時代があった。上意下達をモットーとする古い枠組みの社会が音を立てて崩壊する時代だった。その時代、私も自己犠牲的で心正しいがゆえに攻撃にさらされたことがあった。正しい言動が素直に受け取ってもらえずに「裏があるに違いない」という排斥の理由にすらなったのである。3年後にはそのような言動は全て払拭されていたのだが、極貧のまま大学の研究室に身を寄せて、一時はすべてに耐えなければならない時期もあった。
今も同じような危険が迫っている気配が感じられてならない。1980年から始まった国民国家の安定と権威の下に小さな政府と規制緩和に向かった時代、すなわち世界を巻き込んで分散型ネットワーク社会への突進(高度情報化社会とも言われた)が、2010年の直前を迎えた2000年代最後のいまは、また一つの曲がり角に来ているのである。日本では「小さな政府化方針」は失敗に終わって、予算がなくて国民には役立たない大きな政府のままになった、と嘆く人もいる。いずれにしても日本やアメリカを含む世界各国で、国民国家の威信と権威が低下し、「小さな政府化方針」では人々の生活が守れず、「規制緩和」によって生存の危機が増加していることに人々は気づいているのである。今は自分たちが自分たちの生活を守らなければだれも支えてはくれないとうすうす感じているのである。つまり、今は誰も自分を守ってくれないと感じている時代である。市民は「一人にしないで」と心が張り裂けそうになっている。人々は社会的サービスを受けるだけではなく、社会的サービスをする側に参加する喜びも、参加しなければならない苦痛も同時に感じている時代の変化の局面にいる。しかし、その事実の本質に本当に気づいている人はまだ少ない。「市民が社会的サービスをする側になる」という、時代を客観的に描写する表現でさえ、今は疑心暗鬼のタネになりそうなのである。
論理的批判があれば真摯に対応したい。しかし、疑心暗鬼から過激な攻撃的言動をする者からはそっと遠ざかり、じっと耐えて行くことにしよう。われわれは、今までもそうだったように歴史によって自分たちの正当性が証明されるものと信じてやまない。われわれのように、権威も力もない者は、耐えるのが唯一の生存戦略である。
氷河期、多くの大型動物が死んでゆく中で、小型の哺乳類は土の中にもぐって生き延びた。我々は、金融信用収縮の時代というよりも「心の信用収縮の時代=疑心暗鬼の時代」すなわち社会と経済の氷河期をつつましく生きて、生き延びよう。
大きくなり過ぎた恐竜のように虚勢を張って死に絶えるのは愚かである。今以上に、謙虚に、ひたむきに、いっそう注意深く顧客に最善を尽して、つましくささやかな営みで顧客に安心とご信頼をいただき小さくとも生き延びることを、次世代の諸君に期待する。
変化はチャンスであり、その勝機をつかむことは大きな喜びであるが、諸君らはこれまで接したことのない「心の信用収縮」という時代の危機も身近にあることを忘れてはならない。
企業の経営は「獅子のように勇猛に、狐のように用心深く」なければならない。

△次の記事: 社長の条件(37)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/karetta537_c1d2.html
▽前の記事: 社長の条件(35)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/01/post_7ec6.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  社長の条件シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

教師の時間外手当支給は是か非か、その先にあるもの--心理、教育、社会性の発達(50)

2008/02/12
教師の時間外手当支給是非論争、その先にあるもの--心理、教育、社会性の発達(50)

文部科学省は9日、公立小中学校の教員給与に、時間外勤務手当を導入する方向で検討に入ったとのニュースが流れた。
小さな記事なので、多くの人の目に留まっていないと思われるが、大事な事柄が含まれているように思う。

ヤフーニュース
-------------------------------------------------
教員給与に残業手当=教職調整額見直しの方向-勤務時間管理など課題も・文科省
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080209-00000051-jij-pol
2月9日15時1分配信 時事通信
------------------------------
文部科学省は9日、公立小中学校の教員給与に、時間外勤務手当を導入する方向で検討に入った。仕事のどこからが残業かを明確に区分することが難しい教員については現行、給与月額の4%を残業分とみなした「教職調整額」が一律支給されているが、同省は勤務実態に応じた公平な配分に改める方針だ。
手当支給により教員の勤務意識に大きな変化が生じることが予想されるほか、学校側が残業時間を厳密に管理できるかといった課題もあり、議論を呼ぶのは必至。同省は、今夏の2009年度予算概算要求までに結論をまとめる。
教職現場では「教員の勤務は自発的なもの」との理念の下、「残業」という概念がない。調整額は、繁忙時でも休職中でも一律支給になっている。同省は昨年、勤務の負担に応じて調整額を増減させる改革案を検討したが、法的な問題から断念。時間外勤務手当に転換する案を軸に、再検討することにした。 
・・・
最終更新:2月9日18時39分
-------------------------------------------------

時間外手当を支給していないなどと聞くと、民間に長くいる私などには、ひどい違和感がある。民間にもサービス残業が当たり前の職場もないとはいえない。裁量労働制がふさわしい職場もある。サービス残業などは許されるべくもないが、それらが現場ではそれとなく認められる背景には良く働く社員には昇給額が大きいなどの見返りがあるからに過ぎない。また、合法的な裁量労働制とは、実は個別契約賃金や年俸制賃金が対になっており、個人間格差はとても大きいのが実情である。
その昔、教職は聖職であるがゆえに時間とは無関係に全人格を傾けて仕事をするものと考えられていて、時間外手当というものがなかった。1950年代、日教組の激しい要求もあって、時間外手当に替わるものとして、給与月額の4%を残業分とみなした「教職調整額」が支給されてきた。見かけ上、教員の給与が大幅にアップし、公務員の中でも高級取りであるかのような外見を持つことになった。以来、時間外に働かない教員はその恩恵を100%教授し、時間内、時間外を問わずよく働く教員は時間当たりの賃金はきわめて低いままになったのである。教員には時間外を働かない権利もあるので、働かない教員は働かないのである。
私は、1990年前後、10年間にわたって埼玉県川×市の教育委員会の仕事に携わっていた。教育ソフトのパイオニアだった私たちは、ソフト開発の依頼を受け、教師の皆さんと仕様をすり合わせるという委員会が開かれた。毎週土曜日の午後4時間から8時間をこの時間に割くことになった。夏休みも冬休みもこの委員会は開かれた。当時は情報教育などというものは全国的に見てまだ珍しい時代だった。私にとっても大変勉強になる時間だったが、教育委員会から指名されてやってくる20数名の教師の皆さんは、ほとんどの方にとってパソコンに触れる初めての機会でもあった。教えることに慣れた先生方にとっては教えられる苦痛の時間帯であったかもしれない。
先生方は2年の任期があり、1年に半数ずつ交代した。2年目になると先生方もパソコンやパソコンを利用した教育に慣れ、ついで業者でもあるがボランティア・インストラクタでもある私にもずいぶん慣れた。帰りがけ、駅に向かう車の中で、いろいろな愚痴も聞かされた。こういう委員会にでる教員は非常に偏っているのだと、他の教員がいないところではどなたもそうおっしゃった。
サッカー部の顧問をして、理科クラブの顧問もしているので星空の観察にこれから向かうのだと言うある教員は、「全校25名の教員のうち20名が女性、5名が男性だ。クラブの顧問をしているのは音楽部顧問の女性教師を除くと5人の男性教員だけになる。男性は2つないし3つのクラブの顧問をしている。運動部の顧問は40歳までの2人の男性教師がそれぞれ野球とサッカーの顧問をしている。他の運動部も作ってくれという子供たちの声も知っているがとてもこれ以上はできない。残り3名の教師は年齢が上なので文化部専門だが、理科クラブだけは理科の教師ということで私が担当している。校外の研究会や委員会もかなりの数になるが、ほとんどが男性教員がカバーしている。女性教員も全くやらないとは言わないが、子供や旦那の世話があること、体力的に無理などの理由で教科以外の仕事はほとんど回避されている。時間外は仕事を拒否しても良いのだから、我々も拒否すれば良いのだが、校長の困った顔を見てやらざるを得ないというのが実情だ。・・・、いつも寝不足で、疲れている。・・・」と言った。
今でもそんな事情は変わっていないだろうと思われる。
子供たちを一人にしない教育を、と私は言い続けている。しかし、上記のような環境にいる教員たちに果たしてそんなことが十全になしうるのだろうか。
はっきりというが、教員の世界は悪平等である。だから、子供たちにも悪平等を押し付ける。個性を伸ばすのではなく、個性を殺すことを要求する。運動会で全員手を繋いでゴールさせ、全員一等賞にするなどはその典型的な例である。子供たちには理不尽な斉一性への圧力が大きくのしかかる。実は提供している労働の量も質も違うのに、待遇だけは同じにしてよし、とする「教職調整額」の大きな弊害である。
全員ほぼ同じ賃金で、働く内容に極端な格差があってはたまらない。よく働く教師のモチベーションは下がってしまうに違いない。
また、時間外手当がないので、労働時間の正確な把握がされていないという弊害もある。長時間過密労働は、確かに一部の教師には見られるのである。過労死があって不思議はない。民間であれば社員の健康管理は会社としてのパフォーマンスに直結するので、過重労働にならぬように管理するのが当り前である。時間外手当てが導入されれば、勤務時間の管理もおのずとされるようになり、日教組などが問題視している長時間過密労働にも歯止めがかかるに違いない。

さてさて、ところで、ここで、公立高中小学校が永遠に続くことを前提に、今、私は述べてきたが、がらりと角度を変えてみれば、どうなるだろうか。公立高中小学校を大胆に廃止したらどうかという発想である。私は、これも以前から、公教育の歴史的使命は基本的に終わっていると指摘してきた。今の公立高中小学校の9割(*)は民間に明け渡したらいいと思う。私立の小中高であれば、時間外手当などは当たり前である。悪平等などはありえない。学校の看板にふさわしい教員が優遇され、教育の現場にふさわしくない教師は優遇されることはないだろう。さらに言いすめれば、児童の遺体写真を性的興味で収集しホームページにアップする教師や、女性のパンツを収集する教頭、男の子たちを脅してパンツを奪うような教師が野放しになっている学校はつぶれて行くだけに違いない。
民間は、社会に貢献しない企業は市場から退場を余儀なくされる厳しい世界である。高中小学校も社会に貢献してこそ生き残れるという環境におかれるべきではないだろうか。単純化して言えば、心貧しい者が半数を超えた組織は自浄作用が働かないのである。そのような組織の中では心正しい者はイジメに遭って潰されるか、排除されるのである。腐った組織は民間では「倒産」という形で取り除かれてゆく。腐った公立の学校はどうやって取り除かれるのだろうか。
賃金はどんなに工夫しても不公平感が残るものである。しかし、都度不公平感を是正する努力が大切である。努力が途絶えれば職員のモチベーションが低下する。ここでは時間外手当の導入に、私はとりあえず賛成する。しかし、もっと進めて、学校経営を大幅民営化すべきであると申し上げたい。
文部科学省、教育の現場の皆さんのたくさんのご意見を賜りたい。
* 福祉の観点で少しは公立校を残したほうがベターというのが私の考えである。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(51)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/51_f5f8.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(49)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/49_4dff.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

「仮想会社による学習実践~民学コラボレーション2~」の発表--感性的研究生活(28)

2008/02/08
「仮想会社による学習実践~民学コラボレーション2~」の発表--感性的研究生活(28)

2月1日(金)、午前10時~12時まで、第54回SH情報文化研究会&第21回次世代大学教育研究会が開かれた。
テーマは、「仮想会社による学習実践~民学コラボレーション2~」である。
私が、担当する「問題発見ゼミ」の学習実践を主として学生らが発表したものである。

第54回SH情報文化研究会&第21回次世代大学教育研究会………◆
■「仮想会社による学習実践~民学コラボレーション2~」■
第54回SH情報文化研究会
第21回次世代大学教育研究会
【共催】SH情報文化研究会
    次世代大学教育研究会
【後援】明治大学情報基盤本部
【日時】2008年2月1日(金) 午前10時-12時
【場所】明治大学駿河台キャンパス12号館6階の情報教室Ⅴ
 http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html
【発表内容】
 仮想会社による学習実践~民学コラボレーション2~
  0.学習実践の狙い 飯箸泰宏
  1.ゼミ活動の時系列的紹介 中村ひとみ
  2.前期の活動
  ・イノベーションのジレンマ 畠山拓也
  ・問題発見能力を高める 石川雄也
  ・社長の条件 溝上龍一
  3.後期の活動
  ・社長挨拶 石川雄也
  ・アンケートサイトの構築と運用 吉田統太
  ・お祭りサイト運用支援 西山知之
  ・サイエンスハウスとの関係 吉田卓磨
  4.まとめ
  5.質疑応答
【懇親会】夕刻ゼミコンパ
 研究会会費 無料(いつも無料)
 懇親会会費 実費(3000円程度)、参加者限定につき抽選。
------------------
初めて参加される方や発表を希望される方は、事前にご連絡ください。
……………………………………………………………………………………◆
「民学コラボレーション1」は昨年度、ほとんど同じ時期に、第54回SH情報文化研究会&第21回次世代大学教育研究会の共催で発表している。
民学コラボレーションとは、大学の教育実践を民間の力を借りて進めるもので、2006年度から構想し、2007年の早い時期から取り組んだものである。似た試みは日本の大学にもう一つ存在する。私たちよりやや遅れてスタートした慶応義塾大学SFCの試みで、2007年度は文部科学省から潤沢な予算をいただいて推進していた。本年度は企業からの寄付で進めているとのことなので、いずれにしても純粋にゼロ資金で行っている我々とはだいぶ異なる。
慶応義塾大学の取り組みはシステム技術者を育成することに主眼が置かれており、私たちの試みはむしろシステム開発のパワーを学外に求めるので狙いは正反対に見える。いずれにしても、学内だけで教育を完結させられるほど社会も学習課題も単純ではないという分析の上に立った実践であることには違いない。
昨年度(2006年度)と本年度(2007年度)の私たちの学習実践の主な違いは、次の通りである。

・主たる目的
2006年度 学生らの企画力の向上
2007年度 問題発見能力の向上
・活動テーマ
2006年度 お祭りサイトの構築
2007年度 仮想会社の設立と運営

設立した仮想会社は、株式会社ではなく、気力を寄せ合って作るという意味で「気式会社」とした。社名は「気式会社起こせムーブメント(愛称: オッコセイ)」である。
私が担当しているゼミは、2年生だけの単年度生で構成されている。先輩から後輩への文化の伝承が著しく困難である。ゼミの時間に先輩らの参加を呼びかけたり、ゼミコンへの参加をわびかけたりしたが、それだけでは足りなかった。先輩らを私の会社のアルバイトとして確保して、ゼミ文化の伝承を担わせるようなこともしている。
昨年度まではゼミが終わって3年生になってからアルバイトに誘ったのだが、それでも伝承は困難を極めた。先輩がゼミ生のところに出向いてゆくのは、なかなか時間的制約があって難しいのである。本年度は、現役ゼミ生も希望者をアルバイトに誘った。職場でも先輩から後輩への文化の伝承が惹起されるようにしたのである。
実は、今年、ゼミ生らに活動テーマの希望を募ったところ、次のような案が出てきた。実際問題としては、一つに絞ることは難しい。
------------------------
・ HPを作る
・お祭りサイトを運営?  
・グッズ作成
・ほかの社長さんと提携してサイト等を運営
・学生アンケート
・大学の講義に出て授業改善点をまとめて提供
・広告を作る(お金余ったらCMも)
・ゴルフQ&A
・出店(明大祭)
・etc.
------------------------
悩んだ末に、いっそのこと、活動主体を「ゼミ」ではなく、「仮想の会社」にしてしまえ、という発想に行き着いた。いろいろなテーマがあっても、会社組織ならば、限られた資源を活用して最大の効果を挙げるぺくテーマに絞るはずである。「できるテーマは何か」を仮想会社の運営という疑似体験の中で体験させたらどうか。そもそも会社というのは目的があって活動をするわけであるが、「問題」とは目的と現状のギャップなのだから、会社ならば、その種の「問題」の宝庫である。
しかし、企業の事業計画というのはどうだろうか。事業計画といえば、資金計画も重要な柱である。学生ができそうなことで、資金計画まで作ることができるだろうか。どんな収入があるというのだろうか。仮想の学生会社を相手にしてくれるリアルな民間人または企業などはあるだろうか。悩ましいところは多い。しかし、「悩み」それがすなわち「問題」ではないだろうか。仮想の企業、それはすばらしい教材である! と私は判断するに至った。
サントリー創始者鳥井信治郎は「やってみなはれ」と二代目社長・佐治敬三氏に言ったと伝えられている。我田引水ではあるが、学生にも「やってみなはれ」と言ってみよう。やる前から、売り上げの見込みなどは立たないが、やってみればどの程度が可能かも分かるというものである。
・やりたいことでやれそうなことがあれば、
・やってみて、失敗して問題を知り、
・改善を重ねて問題解決能力を高める  
で良いに違いない。
ところで、かつて大学は就職難の学生を炊きつけて学生ベンチャをたくさん作らせたものである。数千の学生ベンチャのうち、3年後残っているのは1割程度、5年後5分、というのが常識である。多くの学生ベンチャは親の財産も担保に入れて数千万円の借財を背負って倒産し、夜逃げ、一家離散などの辛酸を経験することになったのである。
私のゼミ生に同様のことを味あわせることはできないので、あくまでも出資は「気力」だけで、お金の投資は一切要らない事業に特化しようという提案を行ったのである。
その結果、アンケートの請負ビジネス、お祭りサイトの運営支援が事前投資が限りなくゼロに近い。しかも必要な投資は全て協力してくれる民間企業(私の会社)に負わせることができる。投資が限りなくゼロに近いということは、それでも学生たちには負担の大きなことであるが、企業にしてみればそれほどの負担ではない。企業に負ってもらえれば安全というものである。
曲りなりに、アンケートサイトはテストアップできた。お祭りサイトにはデータを登録して、気式会社は初めての売り上げをゲットした。金額はわずか2000円だが、ゼミ生らは歓声をあげて喜んだ。
アルバイトを希望したゼミ生らは、プログラミングやシステム構築の初歩を学びながらお給料も貰っている。少しすると会社の仕事に貢献したり、お祭りサイトやアンケートサイトの構築もできるようになるだろう。事前投資のお金を払っているのは民間の企業なので、成果物はその会社のモノになるが、完成したものは気式会社もタダがタダ同然で使用することができるはずである。
ゼミ生らと民間企業は、互いにハッピー、WinWin関係である。
その上、ゼミ活動は、生き生き、活発、学習効果は誠に優れているのである。ツボにはまったとき、教師は猛烈に忙しいのに、ふと楽になった心地がするものである。教師が忙しくする速度を越えて学生たちが急速に階段を駆け上がるように進化し始めるからである。今まで、手を引き、背中を押していなければならなかった学生たちが、突然、自分たちの力で急勾配を駆け上がってゆくのである。もう、手を引いたり、背中を押して無理やり高みにつれてゆく必要はない。彼らの自発性に委ねれば良いのだと実感したとき、とてもうれしいし、楽になったと感ずるのである。もちろん、軌道を外れてトンでもない方向に飛び出していったり、うっかり大きな被害にあったりしないように目配りし続ける必要はある。でも、それは、学生らの目障りにならないように、自由に活動できるように我慢に我慢を重ねながら、ゆったりと眺めていなければならないのである。学生らが走り始めたら、無闇にブレーキなどかけるのは野暮というものである。あくまでも「やってみなはれ」の心意気が学生を開花させるのである。
学生らの発表に、岡山大学から駆けつけてくださった橋本教授、明治大学の阪井教授、リコー中央研究所のNo2の飯沢様、仕事の仲間の古友社長、中本社長などから、厳しくも暖かい質問とご指導の言葉が次々に発せられた。バイト先の私の会社の社員から質問が出た時には、もうがくがく震え出しそうな学生もいたくらいである。学生らは、青くなったり、赤くなったり、大変な様子だったが、わずか2時間で100時間ほどの講義に匹敵する勉強をしたに違いない。
昼間はいったんチリヂリになったが、夜はゼミコンで集まったゼミ生らは、口々に会場からいただいた様々な言葉を再現して、どう答えればよかったのか、準備にはこんなところも気を配らなければいけなかったなど、口をとんがらせて、泡を飛ばして議論していた。どの顔も上気していて、冷や汗をかいたとこぼしながらもうれしそうだった。アルコールの力だけではこうはなるまいと思われた。酔うほどに「やったんだよね、先生!」とグラスを掲げる学生もいる。「これからもゼミには集まろうぜ」と叫ぶ学生もいる。「ゼミコンには呼んでよ」と私にせがむ学生もいる。
私も、達成感で満たされたしあわせな晩となった。

△次の記事: 感性的研究生活(29)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/2229_20d8.html
▽前の記事: 感性的研究生活(27)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/01/2027_aca7.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  感性的研究生活シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

『Storm』ワームの犯人逮捕寸前: ネチズンの奮起を促す"ネットアウトロー"--情報社会学、予見と戦略(17)

2008/02/06
『Storm』ワームの犯人逮捕寸前: ネチズンの奮起を促す"ネットアウトロー"--情報社会学、予見と戦略(17)

2月1日のヤフーニュースは『Storm』ワームの犯人逮捕寸前の報を伝えた。
『Storm』ワームの犯人たちは複数で、スパマにメール配信の権利切り売りする商売をしていたと考えられる。
ネットの世界のアウトローは愉快犯ばかりかといえば、そうではないという証拠でもある。

ヤフーニュース2008.02.01
--------------------------------------------------------
『Storm』ワームの作成者、ついに特定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080201-00000004-inet-sci
2月1日12時3分配信 japan.internet.com
--------------------------------
インターネット史上最悪のマルウェアとも言われる、通称『Storm』ワームに関し、米国とロシアの法執行機関がついに、その背後にいる犯人たちを特定した。
しかし大変なのはこれからだ。犯人逮捕をとりまく諸問題がある。
Storm ワームは非常に高度な技術で作成されており、根絶がきわめて困難なワームだ。30分ごとにバイナリを変更するためにウイルス定義情報では検知できない上、大半のワームとは異なり、集中管理システムやハブを持たないないためだ。
ロシア当局は、外交や法執行機関、政府など複数のルートからの要請に対処しながらも、関連する容疑者の正確な人数や身元などについては、まだ明らかにしていない。
米国当局側が犯人たちの引き渡しを求めた場合、状況はさらに複雑になる可能性が出てくる。
確かに、Storm ワームによる損害を被った企業は米国がもっとも多い。しかし、事実上ほぼすべての国のインターネットユーザーが影響を受けたり感染していることから、Storm ワームを広めた犯人たちの身柄を求めるのが、米国だけではないのは必至だ。
セキュリティ製品を手がける Secure Computing で主席研究員を務める Dmitri Alperovitch 氏は、取材に対し次のように語った。「これが、サイバー犯罪のもどかしさだ。今日のこうした犯罪はきわめて国際的で、すべての大陸にまたがる人々が関係し、長時間の協力が必要になるからだ」
最終更新:2月1日12時3分

<2014年5月14日、ヤフーニュース2008.01.28に関係する記述を削除しました>

人類史の発展は、世界を主として国民国家として分割して統治する時代を招来している。海を越える通商と国家の力が世界の諸民族に直接襲い掛かった植民地時代、これを跳ね除けようとした民族独立=民族国家を目指した世界戦争の時代、そしてその最後にやってきたのが国民国家の誕生であった。国民国家の時代とは、国民国家と呼ばれる一定の地域内に多民族を包含し協調して繁栄を目指す統治形態が地上の過半数を占めた時代のことである。この時代は成立してまだ100年に満たない。
人類社会または地球国家というまだ存在しない統治形態を想起してみると、その姿も危ういもののように見える。蛇×もヤ××もマ××アも国家を超えて活動する。ネット犯罪者が国家を超えるのはもっと簡単である。ネットでは一つのウイルスをばら撒くなどの行為で世界各国に同時に被害を与えることができる。同一の行為がどの国の被害者に打撃を与えたかを特定することは難しい。国家が特定できないと犯罪を処罰できないという不便さが存在する。なにしろ、犯罪を取り締まる国際法も国際司法機関も全く未発達なのである。犯罪を取り締まるのは、圧倒的にそれぞれの国の法律であり、その法を執行する司法機関である。「世界政府」や「時類社会」は、まだ成立していないということである。
一方、ネット社会の住人たちにも基本的に国境がない。この人たちは、古く(1990年頃)から「ネチズン」と呼ばれているのだが、世界がそれぞれの国境に分割されていることを意識することは少ない。ネット犯罪が国際的だからと言って、「何が困るの?」という程度の認識だろう。犯罪があれば単純に反撃すればいい、としか思えないのである。「ネチズン」とは「ネットシチズン」つまり「ネット市民」と言うわけだが、彼らは主観的にはすでにネット社会の「市民」である。「市民」の感覚からすれば、市民の身体財産生命を守ってくれるものが何かあるのが当然ということなのだが、グローバルなネット社会の「市民警察」はまだ存在していない。世界の警察を標榜するアメリカ軍でさえ、自国の利益しか眼中にないのは、あまりにも露骨である。グローバル世界の有様に目が肥えてしまったネチズンには暗黙の前提でしかないように感じられている。しかし、暗黙のうちにもう一つの部分については考えが及んでいないネチズンたちも多いようだ。それは、グローバル化されてしまっているネット社会に固有の市民警察、すなわち国際ネチズン警察がいないという現実である。国際ネチズン警察がいなければ、ネット犯罪を直接取り締まることができないのである。
いな、ネット社会はリアル社会の一部であり、リアル社会の変化をほんの少し先取りしているように見えているだけなのである。今は、国家の壁を越えた市民=コスモポリタンが地上にあふれかえる前夜、かろうじてネット世界がそうなったに過ぎない時代である。しかし、間もなく、リアルワールドもそうなるであろうことを暗に示しているのである。善良な市民はまだ国家の壁に身の安全を託している。しかし、犯罪者はもともと国家を利用することはあっても国宝に従うつもりなどさらさらないのだから、国の壁を越えて自在に犯罪を行うのである。
犯罪はモノクロを反転した社会の投影であるとよく言われるが、犯罪はむしろ社会よりも進化を一歩先に進めていることが多いのである。犯罪を排除しようとする社会の機能を先取りして、その規制の網を潜り抜けようとするので、その動きを封ずる社会の進歩が一歩遅れてしまうのである。
だからこそ、次のような事態も生じているのである。
「闇の職安」は不気味な未来予告、愛知女性拉致殺害--情報社会学、予見と戦略(13)
「闇の職安」は日本語の壁のおかげで国内事件だったが、『Storm』ワームは言語の壁を越えて多言語に対応してスバムメールを発信するので、国の壁を破っていったのである。
こうして、今回のように国家の壁を越えた犯罪が「国民国家の林立」という人類史の現代的弱点を突いて発生するのであれば、コスモポリタンにはなりきれていないネチズンも、少しばかり慌てているのが現実なのではあるまいか。先の記事の中で、Dmitri Alperovitch 氏が「これが、サイバー犯罪のもどかしさだ。・・・」と述べているのは、その表れの一つである。
さて、こうして、ネチズンをイラだたせるネット犯罪が起きるたびに、ネットの市民は、「ネット社会にネット市民警察を」と叫びだしたくなっているのである。それは、実は、世界を統治する市民世界の創出を求める声である。ネチズンは今のところ無自覚だが、声を出して要求するものが現れるのは時間の問題であろう。それよりも先に、国を離れた軍隊(株式会社軍隊=主にアメリカ、NPO軍隊=主としてアラブ世界)が、すでにじわりとその力を広げている。市民の自警組織は日本でも当たり前のように広がり始めている。
ネット犯罪にネチズンをグローバルな声を上げる頃には、水面下で進む不法とも合法ともつかぬ不気味な武装集団がじわりとその姿を現すだろう。
犯罪者のネガティブ行動が、これに対抗しようとする市民の英知と奮起を呼び起こし、人類史をともかくも前に進めて行くことになる。ネガティブ行動がポジティブ行動を惹起する。これは、人類社会が健全である証左でもある。
水面下で進む市民の変貌は見えにくいが、ネチズンの決起は目立つに違いない。彼らの奮起を期待しつつウォッチを続けることにしたい、というのが、システム世界の老兵である私の想いである。もう、私は若くはない。若者たちよりも速く走ることも、徹夜競争に勝つ自信もない。しかし、老兵の目には、現在あわ立つがごとく変転限りないシステムの行く末が遠くまで見えてくるのである。その視界には、ネット社会だけではないものが見えている。言わずもがなではあるが、社会が変わるからネットも変わるのである。ネット社会は大河をゆく水草の如し。人類史という巨大な流れの上で、奔流に身を躍らされる浮き草のようなものである。
若きネチズン、いなコスモポリタン予備軍の諸君が、この奔流を巧みに泳ぎきり、人類の未来に永遠の輝きをもたらせてくれることを期待する。

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(18)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/18_9797.html
▽前の記事: 情報社会学、予見と戦略(16)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/01/16_aec8.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  情報社会学、予見と戦略シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

教師による「ズボン脱げ」事件: 再論、教員資格認定にメンタルテストを--心理、教育、社会性の発達(49)

2008/02/04
教師による「ズボン脱げ」事件: 再論、教員資格認定にメンタルテストを--心理、教育、社会性の発達(49)

今回は、羽村市西羽村小学校の教諭が起こした事件である。
この小学校とJR青梅線をはさんで反対側には羽村松林小学校がある。羽村松林小学校の教諭が死亡した児童の写真などをネットに掲載する事件があったことは記憶に新しい。類は友を呼ぶの習いなのか、奇妙な教師が同じ市内に集まっていたことになる。

Yahooニュース
-------------------------------------------------
昭島の強盗傷害:「ズボン脱げ」容疑者逮捕 まさか先生とは /東京
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080129-00000117-mailo-l13
1月29日13時2分配信 毎日新聞
------------------------------
昭島市で男子中学生8人が若い男にズボンなどを奪われた強盗傷害事件。逮捕されたのは昭島市に住む羽村市立羽村西小学校教諭、山本貴之容疑者(26)だった。羽村市では昨年2月、別の市立小教諭の男(34)も児童らの裸の写真を愛好者にメールで送ったとして児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕されたばかり。
昭島署の調べでは、山本容疑者は20日夜、昭島市立小の校庭で遊んでいた中学1年の男子生徒8人に包丁を突きつけて「ズボンを脱げ」と脅し、6人からズボンなどの衣類、現金約5000円を奪うなどした疑い。
羽村西小によると、山本容疑者は新任教諭として04年度に赴任。寝過ごして2回遅刻したほかに無断欠勤や素行上の問題はなく、21日以降も通常通り出勤。宇都宮透校長は「児童らと一緒によく遊ぶ明るい先生として人気だった」と話す。指導上の悩みなどは聞いていないという。
山本容疑者は約5年前、昭島市内のアパートに引っ越してきた。住民によると、山本容疑者はおとなしそうな印象だが、夜中に「うあー」「ふざんけんじゃねー」と大声で叫ぶのを何度も聞いた。「あまりにうるさいので一度警察に相談した。学校の先生だったとは」と驚きを隠さない。
羽村市教委は昨年2月の事件後、市立小中学校10校を巡回し、(1)情報漏えい(2)わいせつ・セクハラ行為(3)飲酒運転――の防止を重点に指導した。昨年12月には精神的なケアを希望する教諭に研修も実施したが、山本容疑者は参加しなかった。【神澤龍二、伊藤直孝】
1月29日朝刊
最終更新:1月29日13時2分
-------------------------------------------------

以前の記事でも、書いたように、教師に採用するに当たっては、メンタルテストが必要である。また、採用後も教師の職業に支障のある病気、精神障害、人格障害が発覚した場合には、これを退職させる法令が必要である。
この種の事件に世間は慣れっこになっており、関心も薄らいでいるように感じられるが、もう一度、「教員資格認定にメンタルテストを」と申し上げておきたい。
教員資格認定にメンタルテストを--心理、教育、社会性の発達(30)
上記の記事の中にも触れてあるが、さまざまな公的な職種では、知的または精神的、人格的な障害をもたないことが採用の条件となっている。採用後も知的または精神的、人格的な障害があることがわかれば、退職させることになる。しかし、なんと、教師だけはそのような規定から免れているのである。
これは奇妙なことである。教壇に立つ人格がゆがんでいても、精神障害があっても、知的障害があってもよほどの事件がおきない限りその教員は勤務の継続が許されているということなのである。なんとも言いようのない苛立ちを感ずるのは私だけだろうか。

(追記)
この記事を書いている最中に、次のようなニュースも飛び込んできた。

News@nifty
-------------------------------------------------
下着盗の疑い、神奈川・相模原の小学教頭逮捕(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/news/ts/ts__yomiuri_20080203-571-OYT1T00538.htm
2008年02月03日配信 読売新聞
------------------------------
神奈川県警相模原北署は3日、同県相模原市城山町原宿南、同市立広田小学校教頭中島保夫容疑者(54)を窃盗の疑いで緊急逮捕した。
調べによると、中島容疑者は2日午後10時ごろ、同市のアパート1階に住む大学院生の女性(23)が軒先に干していた下着1枚を盗んだ疑い。
中島容疑者は乗用車で逃げたが、物音に気付いたルームメート(24)が車のナンバーの一部を覚えていた。調べに対し、中島容疑者は「ほかにもやったことがある」と供述している。
[読売新聞社:2008年02月03日 21時46分]
-------------------------------------------------
この種の事件は、冤罪もゼロではないので、刑が確定するまでは断定的なことはいえないが、もし報道が正しければモラルを教えなければならないはずの教育者の職業倫理を大きく逸脱した愚かしい犯罪である。本人は他にも同様のことをしているようでもあるので、もはや教育界からは追放せざるを得ないだろう。
しかも、この犯人は「教頭」である。この種の人格破綻を見抜くことができなかったのか、審査しなかったのかはともかく、昇進時の審査でふるい落とすことができなかったということでもある。このような教師は、これまでも少なくなかった。いまだに根絶できないでいるということは、制度的に何か問題があるに違いない。
通常の民間企業であれば、「問題」が発覚すれば再発防止のための対策を決定するのが通例である。再発が防げなければ、企業の生命・存続にかかわる。公教育の現場には、そのような厳しさが貫徹しているだろうか? 稲といわざるを得ない。
私は、かなり以前から、日本における公教育の歴史的使命は終わったと発言してきた。現在の公立の9割は私学に転換してよいというのも持論である。福祉的観点から1割程度は残しても良いとは思うが、他の小中高大学は、競争の中で磨かれる私学に転換されるべきであると思う。
転換の初期には、商人道や商道徳になじまぬ教師がホリエモン的汚れた偶像を追うような弊害も発生することは容易に予想できるが、やがて市場は反社会的企業も学校も市場からの退場を促すことになるのである。
教師にメンタルテスト、そして私学への転換へ、行政も教育現場も大きく変わらなければならないと私は思う。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(50)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/02/50_7647.html
▽前の記事: 心理、教育、社会性の発達(48)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/01/48_8f5c.html

琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  心理、教育、社会性の発達シリーズの記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ