楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-知能を育てる(その2)--心理、教育、社会性の発達(55)
2008/03/12
楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-知能を育てる(その2)--心理、教育、社会性の発達(55)
ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」(全6回)
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1."スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
-「知能を育てる(その1)」--心理、教育、社会性の発達(54)
2.楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-「知能を育てる(その2)」--心理、教育、社会性の発達(55)
3.人工知能に見る知能の構造
-「知能を育てる(その3)」--心理、教育、社会性の発達(56)
4.ヒトの知能の構造と知能教育
-「知能を育てる(その4)」--心理、教育、社会性の発達(57)
5.レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-「知能を育てる(その5)」--心理、教育、社会性の発達(58)
6.個性もいろいろ知能もいろいろ
-「知能を育てる(その6、番外編:)」--心理、教育、社会性の発達(59)
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丸暗記も必要である。しかし、人の頭と心を鍛えるとき、いかにも丸暗記だけでは不足である。
私は、現在の教育界に蔓延する「知性なき丸暗記」に深い憂慮を抱いて、繰り返し警鐘を鳴らしてきた。相変わらず小中高の教育現場では「知性なき丸暗記」が横行してはいるが、それでも、今は、識者の間で少しは私の主張が浸透してきたかなと思えるようになってきている。
超える努力--心理、教育、社会性の発達(8)
「出された課題に正解が書いてない」(?!)--心理、教育、社会性の発達(11)
学生は変わったか--心理、教育、社会性の発達(1)
多すぎる、社会性の発達阻害の原因--心理、教育、社会性の発達(15)
急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)
金沢大学のいらだち--心理、教育、社会性の発達(19)
一人にしない教育者と、一人にしない教育を--感性的研究生活(6)
学習の社会性について--心理、教育、社会性の発達(18)
少しでも学生らに知性を身に着けてもらおうというのが私の願いであり、そのために教壇では日々悪戦苦闘することになる。考えて、毎日勇んで教壇に立ち、毎日反省しつつ帰路をたどるという日常でもある。
しかめ面して教壇に立っても学生は付いてこない。知の楽しみを伝える伝道者としては心からの知の喜びを体現できなければならない。そして学習は楽しくなければ身につかない。教師として、考えることは多くて、反省することも多い。
少しだけ私の授業が成功しているとすれば、グループ学習の徹底した実践で知の喜びが「つながる喜び」と結合する授業となっていること、ときどき授業にクイズやゲームが採用されていることである。
授業でクイズやゲームというと、謹厳実直な諸先生からは授業中に遊ぶなとしかられそうである。このシリーズを最後まで読んでいただければ、遊んでいるわけではないことがわかってもらえると思う。
一方、丸暗記主義の方からは私だってやっているさ、という声が聞こえてきそうである。たしかに「言葉あてゲーム」は丸暗記向きなので、「丸暗記課題」でもよく使われている。「丸暗記」もある程度は必要である。それを楽しく効率的に行うのも大切である。あなたは立派です。
しかし、私は、「言葉あてゲーム」はほとんど採用しないのである。その代わりに、「警官と強盗(B&W)クイズ」(状態遷移のテーマで)、「5目並べ」(α枝がり、β枝がりのテーマで)、などを採用している。クイズは楽しい。学生らに足りていないのは「丸暗記能力」ではなくて「知力(問題発見・解決や創発の能力)」なのである。クイズは楽しい。できた順に黒板に書かせようものなら、我先に学生らは黒板に突進してくる。もちろん黒板答えを書いたグループには、たとえ子と絵が間違っていても点数を上げるのである。コツは、8割程度の学生が答えを書いたら、打ち切ってしまうことである。のこりの2割になるまいとして教室は騒然となる。間違いなくこの瞬間、学生たちの頭の中はフル回転している。その興奮冷めやらないうちに、状態遷移図やそれに伴う理論、ゲームアルゴリズムなどを教えるのである。学生たちは、社会で活躍するときになっても、「状態遷移」といわれれば、間違いなく「警官と強盗(B&W)クイズ」のあの興奮の記憶とともに、ボンヤリとでも「状態遷移」が何であったかを思い出してくれるに違いない。人はエキサイトしたときのことは深く覚えているものである。
ところで、ゲームやクイズとは何だろうか。
「ゲームとは、まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験する手段方法の一つ」であり、子供は子供なりに、青年は青年なりに、そして大人は大人なりに仮想的に体験することを本能的に望んでいるのである。
ゲーム考、「少年のゲーム嗜好と殺人-その3」--心理、教育、社会性の発達(46)
これらは、実体験することが難しい事柄を仮想的に体験して、これからの人としての生存に役立つように本能として遺伝子に組み込まれているのである。哺乳類に共通する能力である。
ゲームとクイズは概念上それほど明確な区別はされていない。どちらも遊びである。ケームはどちらかといえば直接的な五感や大脳辺縁系に働きかけて身体的反射的仮想体験を与えて小脳やパーセブトロンを鍛えるものを意味しており、クイズは前頭葉を中心とした思考能力を鍛えるものを意味していることが多いようだ。
いずれにしても、シミュレーションを実行しているに変わりない。直接的な五感や大脳辺縁系に働きかけて身体的反射的仮想体験を与えて小脳やパーセブトロンを鍛えるのは、通常技能教育とかスキル教育、または技能訓練とかスキル向上などと呼ばれる。他方の前頭葉を中心とした思考能力を鍛えるものは知能向上とかナレッジ教育ということができる。人間は地上に誕生したこの方、否、哺乳類が地上に出現してこの方、遠い祖先の時代から人はシミュレーションゲーム(遊び)というシミュレーションによってスキル向上を図っており、おそらくは現世人類が登場して高度に知能が発達してからはこれに知能の向上のための行為=「物語り」と「クイズ」が始まったのに違いない。「物語り」についてはここで詳しく述べないが、ヒトの記憶能力の一画を占める「エピソード記憶」の成長と関係しているに違いない。数億年前のシミュレーションゲーム(追いかけっこ、じゃれ合い遊び、狩遊びなど)や60万年前から始まったに違いないシミュレーションクイズ(なぞなぞ遊び、謎解き遊びなど)はどちらもコンピュータによるものではなくて、哺乳動物やその一部であるヒトが身体と言語を用いて行うマニュアルシミュレーション(遊び)である。マニュアルシミュレーション(遊び)が可能ならば、コンピュータシミュレーションで効果を上げる事だって原理的には可能である。ナレッジ教育も原理的にシミュレーションで可能という意味で、家本教授の観点は正しいと言うことになる。
ゲームやクイズは楽しい。ヒトがそれ(疑似体験)を求めるのは本能だからである。ヒトとして生きてゆくための能力を獲得するための仮想的なつまり擬似的な体験行為だからである。遺伝子に組み込まれた行為だからである。楽しくなければヒトはやらない。楽しんでやれるように遺伝子は作られているのである。
ところで、今私は「ヒトとして生きてゆくための能力を獲得するための仮想的な行為」と書いたが、仮想的な行為なので、背徳的な仮想的行為を仕組むこともできないこともない。それもドーパミン全開になるのが動物としてのヒトの悲しいサガである。背徳的なゲームや背徳的なクイズで育った青年は背徳的な行動と思考方法が刷り込まれているので背徳的行動をするだろう。子供に与えるゲームのよしあしを判別してよいゲーム(ヒトとして生きてゆくための正しい能力を獲得するための疑似体験ができる)を与えるのが大人の責任である。背徳的なゲームや背徳的なクイズが野放しになっていて、大人たちは「見るのも汚らわしい」と敬遠して峻別しないために、子供は背徳的なゲームと背徳的なクイズにドーパミンを前回にして楽しんでいるのが現代社会の問題でもある。
他方、哺乳類の生物史、ヒトとしての人類史に磨かれたゲームやクイズは、生きてゆくための能力を獲得するように仕組まれている。生きてゆくための能力を獲得したものは生き残り、背徳的行動様式を身に着けた者は生存に適さず生物学的・社会学的に徐々に排除されるからに違いない。
本来楽しいゲームやクイズをしかめつらしくやる必要はない。生きてゆくための能力を獲得するように仕組まれているゲームやクイズを、目いっぱい楽しくやればいい、と私は思うのである。
勉強は楽しくやるのがベターである。背徳の喜びで狂喜させるのはヒトを育てる教育ではない。ヒトとして生きてゆくことに必須の社会性と知恵を楽しく教えるのが教育であると私は思うのである。
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琵琶
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