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慶応大学 大岩元教授と古川康一教授の最終講義&公演&パーティ--交友の記録(26)

2008/03/04
慶応大学 大岩元教授と古川康一教授の最終講義&公演&パーティ--交友の記録(26)

3月1日(土)、慶応大学大岩元教授と古川康一教授の最終講義&公演&パーティが行われた。場所は慶応大学湘南藤沢キャンパス、通称SFCである。
実は、大岩元教授は私にとって東京大学で4歳年上の大先輩である。彼は物理学科、私は化学科で学年も違うし、隣りあわせといえども建物も違うので、学部の学生の頃は顔をあわせることもなかったはずである。私が大岩先生を意識したのは、大学卒業後、10年の出版社勤務を経て大学に戻った時のことである。その時の私の所属は理学部情報科学科國井研究室であった。彼はアメリカ留学から帰ってきたばかりだった。お互いに学内には知り合いがまだ少なかった。お互いに交友を広げようと模索していた頃だったと思う。
東京大学の情報科学は高橋英俊名誉教授が創始したといって良いに違いない。いや、日本の情報科学の開祖と言ってよいはずである。「高橋英俊名誉教授-後藤英ニ教授-大岩元先生」、「高橋英俊名誉教授-國井利泰教授-私」という「家系図」になる。そろって高橋英俊名誉教授の孫弟子なので、顔をあわせることが多かったというわけである。
その後、私がSFCに係わるようになったのは、大岩元教授がSFCの教授に就任したことがきっかけだったし、その後は幾つかの仕事に参加させていただいた。
情報処理信仰事業協会 独創的情報技術育成事業 カード操作ツールを用いた要求仕様作成支援システム研究開発報告書 株式会社日本コンピュータ研究所(飯箸泰宏、大岩元、ほか) 1995
トランスコピーライト実証実験報告書、慶應義塾大学(飯箸泰宏、Ted Nelson、大岩元、ほか) 1998。
次のような仕事のきっかけも、大岩元先生の手配によるものである。
多民族文字コードサイバーセンス報告書、慶應義塾大学(飯箸泰宏、三上喜貴、ほか) 2001。

さて、この日(3月1日 土曜日)、10時40分自宅を車で出発、最寄り駅の駐車場に車を預けるとJRで東京駅にでる。東京駅から東海道線でJR戸塚駅、横浜市営地下鉄に乗り換えて湘南台、湘南台からはバスで藤沢キャンバス(SFC)に降りる。所要時間2時間40分位である。SFCは遠い。それでも便利になったのだ。私がSFC研究所の所員(訪問)になったばかりの頃は、東海道線の辻堂駅に降りて1時間に1本くらいしかないバスに乗って1時間近くかかったのである。当時は所要時間3時間20分くらい。今では、自宅から2時間40分。40分くらいの時間短縮になっている。
それにしてもようやくキャンパスにたどり着いて、目指す建物に到着すると受付には松澤君がいた。かれは、コラボレイティブ・マネージメントの件でも紹介したが、大岩研でも優秀な弟子である。やぁやぁとエールを交換して、受付を済ませて、会場に入る。
まだ数人しか会場には居ない。しかし、壇上では木管カルテットが音あわせをしている。良く見ると大岩教授もその中に居た。今回の会は、「最終講義と演奏の会」と銘打ちれて居たのである。
しばらくするといったん壇上は片付けられて、講演の準備ができた。最終講義の始まりである。

最初の最終講義は大岩教授である。
パワーポイントを使った講演が始まり、生い立ちからの経歴が紹介される。満州に生まれて3歳の時、あわや残留孤児になりかけながらやっとの思いで帰国したこと。大学では東京大学オーケストラ部に所属したこと、実は一緒に最終講義をする古川康一教授は大学でクラスも一緒、取る単位も一緒、クラブも一緒、進学した学科も一緒と
いう間柄であることも紹介された。
若い頃の研究は、別物だったようだが、豊橋技術科学大学の助教授になった時からコンピュータ教育に携わるようになり、以降の業績のほとんどがこれにまつわるものである。タッチタイピングの一つを広めたり、日本語プログラミング言語「言霊」を育てたりしたのは大岩教授の功績である。
タッチタイピングの一つを広めたり、日本語プログラミング言語に注力した理由が明かされたことには、大いに心が動かされた。
日本語プログラミング言語については、「プログラミング教育で論理性を育てる」という命題が日本ではうまく行かないことがその背景にあった。欧米でうまくいって日本でうまく行かないのは、一般的なプログラミング言語が欧米式の語順になっており、日本人とっては思考負荷が大きいという欠陥があったからであるという。日本語の語順は決して悪くはない。オブジェクト指向は欧米語よりもむしろ日本語の語順に近い。日本語の語順でプログラミングができれば学生らはアルゴリズムに集中できるはずである。この考え方は私が1981年ころから声高に主張してきたことと全く重なるものである。なんとなく、聞いていて安心した。嬉しかった。

次は、古川康一教授の最終講義である。間の休憩時間にまた知り合いの大岩研の弟子たちと立ち話を続けた。
古川康一教授は第五世代コンピュータプロジェクトのリーダとして世界的に名高い人であり、その業績はすばらしい。海外の交流も研究者の中で群を抜いているといってよいだろう。
満州で生まれて、あわや残留孤児という経験も大岩教授と同じというのだから、良く似たおふたりである。若い頃の研究はタイムシェアリングシステムのコントローラの開発に始まって、続いては論理プログラミングという分野ということで、第五世代コンピュータプロジェクトのリーダになるべくしてなったというべき方である。第五世代コンピュータプロジェクトは日本が世界の知性をリードした数少ない輝かしいプロジェクトだった。大成功だったが、一つだけ失敗だった。それはキラーアプリケーションを創出しなかったことである、と明言されて、私は長年つかえていたものが取れたように感じた。第五世代コンピュータプロジェクトの時代、私は自分のシステムハウスを立ち上げたばかりだった。世界初との言うべき人工知能の実用システムを作った経験も私は持っていた。業界団体や周囲の先輩ソフトハウス、当時の通産省の技官たちに盛んに奨められて、第五世代コンピュータプロジェクトに関連してキラーアプリケーション開発の提案をしたが、ことごとく退けられた。高速処理マシンの開発費が優先され、アプリケーション開発の予算が取れないというのがその理由だった。そのころ、私は第五世代コンピュータプロジェクトのリーダたちにひどく落胆し、この人たちは人工知能というものをきっと理解していないのだと思ったりしていたものである。ご本人たちからいつかこのあたりの本音を聞いてみたいと願っていたのだが、ご本人(「張本人」といったら失礼だが)の口から、この日、それこそが失敗だったとの表明が聞かれて、あぁ、優れている人はあらたむるにも潔いものと納得したり感心したりしたものである。
並列の知的処理プログラミング言語の開発の立役者で世界的権威の古川康一教授の業績は何人とも賞賛してやまないだろう。私は、それ以上に、失敗もまた率直に認める人柄に感動した。
最近では、「スキルサイエンス」と称して、音楽やスポーツにおける習熟に関する研究を進めているという。この研究の成果がご自身のチェロ演奏の上達につながっているというくだりは会場を大いに沸かせていた。

講演は各1時間ずつ、話術に長けたお二人のお話はあっという間に終わって、演奏会となった。大岩教授は、東大オーケストラ時代のお仲間の方たちと4人でカルテットで演奏した。大岩教授は長年演奏してきたフルートである。プロとは違うので、良し悪しはともかく、お仲間たちの暖かい雰囲気が会場いっぱいに広がってゆくのが感じられた。かつて聞いた大岩先生のフルートよりも今回のほうがはるかに心にしみる。満喫できる演奏だった。
古川康一教授に交代して、先生はチェロで、伴奏ビアノは次男さんの奥さん、司会は先生の奥さんのお友達のお嬢さんというタレントで「公演」が開始された。チェロの演奏はすばらしかった。ほとんどプロ級と言ってよいかもしれない。本当に「スキルサイエンス」の成果かも知れないと思うほどだった。数曲演奏した後で、大岩教授も登場し、二人でチェロとフルートの演奏、万来の拍手、幕に引き込もうとするとアンコール、アンコールの掛け声。「打ち合わせになかったこと」などと、ぼやきつつ、もう一曲を演奏し、それからが、会場大騒ぎになるハプニングがあった。事前の講演で大岩教授は、フルートからファゴットに転向しようと思っているという言葉があったのだが、会場はすっかり忘れかけていた。大岩教授がいったん幕に引っ込んで再登場するとなんと手にはまさかの真新しいファゴットがあった。会場は割れんばかりの拍手。曲目が発表されると会場は拍手に加えて爆笑の渦。「森のクマさん」だった。
ファゴットとチェロの暖かい音質に包まれて、楽しくうっとりと聞き入る。やがて曲がおわるとたくさんの余韻を残して散会となった。

続いて、懇親会がある。少し遠い建物に移動してゆく。
懇親会が始まるまでの間に、松澤君(2日前に博士号取得)、浅加君(ソニー勤務)、海保君(自営)、中鉢君(首都大学大学院大学教授)などとの話が弾む。豊橋技術科学大学教授の竹田先生にもお目にかかる。松澤君とはコラボレイティブ・マネージメント関連で研究会を持つ約束をした。浅加君(ソニー勤務)は仕事が順調なようだ。海保君(自営)は、最近仲間の会社に合流したとのことだが、苦労もあるらしい。六本木に事務所があるというので、今度は尋ねてゆく約束をした。中鉢君(首都大学大学院大学教授)は、システム開発から教育の立場に替わって、いろいろと大変という話をしていた。なーに、中鉢君ならば何とかするだろう。
懇親会は、間もなく始まって楽しい話題が次々に披露されてゆく。古川先生には弟子たちが立派な譜面台をプレゼント、大岩先生には懐中時計がプレゼントされた。
会場で日本語プログラミング「言霊」の開発者岡田君を発見。早速近づいて近況を聞く。昨年後半は体調を崩したそうだが、働きすぎに違いない。まぁ、ゆっくりやればいい。日本語プログラミングでは私もいろいろと思い入れがある。彼が言うには、最近学生のプログラミング教育に自分の「言霊」を使用して、「日本語」であることの利点を深く感じたという。それまでは理屈に走りすぎていたが、これで良いという実践的な確信が得られたようだ。いいぞ。私は心の中で叫んでいた。これからも応援するぞと約束した。

楽しくて刺激的で、嬉しい一日だった。遠くまで出かけたかいがあったというものである。帰りは、乗り換えの少ない新宿回りで帰った。

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琵琶


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