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「<傍若無人>授業妨害」は「業務妨害」で逮捕を--心理、教育、社会性の発達(61)

2008/03/31
「<傍若無人>授業妨害」は「業務妨害」で逮捕を--心理、教育、社会性の発達(61)

3月中旬、ある学校の教育現場のひどいニュースが流れた。
「<傍若無人>生徒8人がつば、放尿、喫煙…福岡の中学校」というものである。以下に引用するが正視に堪えない有様である。
美術準備室に隔離したが溜まり場になってしまったとの記述も見られる。長く有効な対策が打てずに放置された結果である。無法行為は小さな芽のうちに摘まなければ手に負えなくなる、という典型である。
その後、首謀者の2人(3年生と2年生)は逮捕されたが、問題は解決されているわけではない。微罪逮捕なのですぐに野放しになるだろうし、騒ぎを起こした仲間は同じ中学にまだ残っている。
PTAも手を拱いていたわけではないようだし、学校も幹部は鳩首対策を検討していたようではある。しかし、現場の教師がどこまで学校正常化に尽力したかは伝わっていない。有効な手が打てなかったのは、どうしてなのだろうか。校長も教頭もこの件で休職してしまったというのは、本人らの弱さではなく、身を賭した強いメッセージだったに違いない。
私は、以前から、授業妨害は「業務妨害」であり、教師の手に負えない場合には直ちに警察を導入して排除したり逮捕したりすべきであるという考えである。学校も治外法権ではない。他の生徒学生の教育を受ける市民的権利を阻害する者は法によって裁かれるべきである。廊下への放尿などにいたっては器物損壊罪にあたる。喫煙行為は学外でさえ補導にあたるのに、なぜ放置されていたのかと疑問に思う。
「<傍若無人>授業妨害」は「業務妨害」で逮捕をすべきである。彼らの行動は明らかに、学校の業務を著しく妨害する行為である。学内に隔離するという考え自体が的を外れている。社会的さばきと場合によっては社会的隔離(刑務所、少年院)が必要である。湯飲みを割った、食器棚を壊したというような個別の行動だけで取り締まるのは、枠組みが小さすぎる。
反社会的行動は罰せられるということを教えるのも、教師と教育機関の役割である。少年らに反社会的行動が容認されるという間違った観念を与えるべきではない。学校や教師らに、いささかも躊躇があってはならないと思う。
3月22日には、昨年卒業したこの学校の元生徒たちが母校を救おうと仲間を募って学校の清掃にやってきたというニュースもあった。このニュースを聞いて周囲には涙している教員もいた。それだけ教育現場は困難に見舞われていて、対策に苦慮しているということである。
先生たち、負けるな。校長先生、教頭先生、日本中の教師仲間と市民が応援していることを忘れないでほしい。
3月22日に清掃に集まった元生徒の皆さん、ありがとう。
ネット上のニュースは、すぐに消えてしまうので、記録のために引用しておく。

ヤフーニュース(2008.03.13)
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<傍若無人>生徒8人がつば、放尿、喫煙… 福岡の中学校
3月13日2時36分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080313-00000019-mai-soci
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福岡県田川郡内の公立中学校で、一部生徒による“授業妨害”が続き、校長と教頭が心労で体調を崩し休職や自宅療養する事態となった。管理職不在を避けるため、校長は今月1日に後任が着任した。生徒たちは2月末まで約1年間、校内の一室に“隔離”されていたが、現在は指導が事実上及ばない状態にあり、教育委員会は「混乱のおそれがある」として卒業式の14日、県警に警備の要請を検討している。 
教委によると、これらの生徒は2、3年生の計8人。廊下の窓や校長室のロッカーを壊すなどの器物損壊や教師への威嚇行為を繰り返した。また、校内を徘徊(はいかい)しては訪れた保護者につばを吐きかけたり、2階渡り廊下から放尿したこともあったという。
学校側は生徒たちを美術準備室に個別断続的に“隔離”したが、生徒はテレビゲームや電熱器、ラジカセなどを自宅から持ち込み、喫煙や飲食するなど事実上のたまり場となったため、2月末に準備室は閉鎖された。現在も生徒たちは登校しているという。
この間、教頭は昨年末に約1カ月間休養し、2月下旬から現在まで自宅療養中。校長も2月上旬から病欠し、今月1日から休職した。ともに心労で体調を崩したという。
所管する自治体の教育長は生徒たちの行動について「原因は分からない」と話す。教育長によると、学校側は生徒らの親に話し合いを求め、生徒が一度は学校や親の注意を聞いても、仲間で群れると再び荒れ出したりするといい、結果的には改善できなかったいう。
校長の病欠を受けて、教委は事故防止のため職員6人を連日学校に派遣。一部保護者も週1回、校内のたばこの吸い殻などを拾う活動を始めた。しかし、実態に憤る保護者は少なくなく、2月末の緊急保護者会では「生徒らを出席停止にしてほしい」との要望も出た。また、4月に入学する新1年生数人は、親類宅などから通う形で隣接自治体の中学校への進学を決めているという。
1年生の保護者という40代の主婦は「校内は吸い殻が散乱しているし、荒れているのは事実。子供が巻き込まれないか心配でたまらない」と話した。
教育長は「信頼される公立学校という責務を全うできず、深く反省している。正常化に向けて地域の協力もあおぎ、生徒の生活指導を徹底して、全力で立て直したい」と話している。【林田雅浩】
最終更新:3月13日11時16分
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ヤフーニュース(2008.03.15)
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校内暴力 福岡・田川の中学生2人を逮捕
3月15日10時4分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080315-00000010-maip-soci
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卒業式後、取材レポーターのマイクを奪い、歌いだす生徒=福岡県田川郡内で2008年3月14日午前11時(写真省略)
福岡県田川郡内の中学校で男子生徒8人が授業妨害を繰り返し、校長と教頭が休職・自宅療養となってる問題があり、県警田川署は14日、グループの3年生(15)と2年生(14)を暴力行為等処罰法違反容疑で逮捕した。2年生は校長室の湯飲みを割り、3年生は校長用ロッカーをけって損壊した疑い。2年生は容疑を認めているが、3年生は「(扉が)開いていたロッカーを足で閉めただけ」と否認しているという。
調べでは、2人は今月6日午後0時20分ごろ、職員室に「(自分たちがいた)美術準備室の荷物をどこへやったか」と言いながら入った。男性教諭が保護者へ連絡しようと校長室に移ると2人も後を追い、2年生は持っていた長さ約50センチの鉄パイプを振り回した。2人は「部屋を片付けたのは誰か」と言い、湯飲み2個を床に投げてロッカー1台(被害計2万1400円相当)を正面からけって壊した疑い。
校長室には当時「グループが中庭で大声を出してバレーボールで野球をしている」との連絡を受け、学校を訪れた所管自治体の教委職員と校長の計4人がいたが、室外に避難した。またこの日、保健室の窓ガラス1枚が割られる事件もあり、午後1時15分ごろ駆けつけた田川署員が、校長室の被害も確認した。学校側は同日被害届を出した。
最終更新:3月15日12時34分
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ヤフーニュース(2008.03.15)
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<授業妨害>高校生らOB60人が清掃活動 福岡・町立中
3月22日21時21分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080322-00000088-mai-soci
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一部生徒による授業妨害で校長と教頭が休職・療養に追い込まれた福岡県田川郡内の町立中学校で22日、同校を卒業した高校生ら約60人が学校に集まり、清掃活動をした。「母校の力になりたい」と昨年卒業した高校1年女子(16)らがメールで声をかけて広がった輪。PTAや町職員ら80人も加わった。
やや肌寒い午前中、卒業生たちは軍手をつけて校内のごみを拾い、雑草を抜いた。ぞうきん持参の参加者は黙々と廊下や窓ガラスをふいた。
「学校が汚されているようで悲しかった。楽しい学校に戻ってほしい」と高2女子(17)は話す。今月赴任した後任校長は「今日を再生の第一歩にしたい」。卒業生らの担任だった男性教諭(37)は「清掃活動すると聞いた時は涙が出そうなほどうれしかった」と話していた。【林田雅浩】
最終更新:3月22日22時10分
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ポトフ風ソーセージと野菜煮込み--オヤジと家族のお料理ライフ(17)

2008/03/30
ポトフ風ソーセージと野菜煮込み--オヤジと家族のお料理ライフ(17)

奥さんが作って、家族がホッとする料理がある。

「ポトフ風ソーセージと野菜煮込み」
中くらいのジャガイモ3個を一口大に、ニンジン1本を小さめの乱切り、タマネギ1個を1センチ角、セロリ1本を2ミリ幅くらいに刻んで、ソーセージ12-3本とともに鍋に入れ、豚コンソメ小さじ1杯、胡椒たっぷりと塩少々、料理酒を振って、水は具が表面から1センチくらい顔を出している程度に入れる。
強火でいったん沸騰したら、トロ火に切り替えてコトコトと20分くらい煮る。ソーセージの味と野菜の味が複雑に交じり合うゆっくりとした時間が流れる。煮込んでいる間にいいにおいが家の中に広がってくる。
フランスのおでんとも称される煮込み料理ポトフに近いものである。
本来のポトフは、塩と胡椒を控えめにして具材を煮揚げたあと、具はスープから取り出して汁なし状態で平皿に盛りマスタードなどを添えて食卓に出す。具を取り出した後のスープには別途胡椒たっぷりと塩を少々追加して再び一度沸騰させ、スープ皿に別途盛って食卓に出すものである。
我が家の奥さんの作る煮込みは、具とスープが一緒に深皿に盛られて出てくる。一緒においしいし、日本の家庭料理としてまことに自然である。ポトフよりも簡単なので、お勧めかも知れない。
老母も、違和感なく食べてくれる。

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ビートたけし君の才能は同窓生の誇り--交友の記録(28)

2008/03/28
ビートたけし君の才能は同窓生の誇り--交友の記録(28)

ビートたけし、こと、北野たけしは、私と高校が同じである。都立足立高校で同学年だった。彼が時々テレビで言うように「オイラの高校はひでぇ高校だった」というように、事情があって学期ごとに成績順にクラス編成がされ、小テストのたびに成績順の席次になった。1番から50番が9組、51番から100番までが8組、・・・、という具合だった。学期の中間試験や期末試験の結果は、いつも廊下に張り出されていた。成績が落ちてクラスを移ることになりそうな恐怖で精神を狂わせる生徒も続出した。よい友と良い教師には恵まれたが、そんなこんなである意味ではひどい学校だったのである。私は9組、彼は6組、クラスが違うので交流はなかった。彼と親しくしていたのは私の従兄弟だった。彼は1学年上だったが、クラス番号が6組で共通していたことから、学校行事では何かと一緒だったのである。北野君の講談社殴り込み事件の後、お詫びのパーティに同席した坊さんがその従兄弟である。
最近、テレビで、彼は良く「東大に行った同級生の奴よりも俺のほうが数学ができたんだから」という。「東大に行った高校の同級生」とは私しかいない。彼がブラウン管の中でそう言うたびに私は愉快になって思わず笑っている。当時、彼は私を知っていたかといえばそうではないに違いない。もちろんシャレに違いない。
その高校では総合成績で学年1位の生徒は始終入れ替わっていた。私は総合成績では不動の2番だった。やっと1番になれたのは3年の3学期だったと思う。学校教師たちも1番になった生徒のことはよく覚えているらしいが、いつも1番を他人に譲って2番になり続けた私のことを覚えてはいないらしい。数学だけはほとんどいつも1番で、全国模試でも10番前後だった。恐縮だが北野君の名前を見た覚えはない。
私も彼も、大学は違うが理工系専攻に進んだ。
彼は明治大学理工学部在学中に芸人の道を選んでを中退し、芸人の世界を極めた。世情を騒がせたバイク事故を経て、映画監督をつとめて、2005年4月から、彼は東京芸術大学大学院映像研究科の教授および映画専攻長もしている。兄の北野大氏も今は明治大学の教授である。
一方の私は、東京大学を卒業後、理工系出版社勤務を経て、システムハウスの社長業を兼ねながら明治大学などの非常勤講師などををさせていただいている。
お互いにそれぞれ異なる意味の苦労はしてきたが、到達した世界は北野君のほうがはるかに大きい。トンガってトンガって生きてきた北野君のほうに軍配はあがる。思えば私はいつもトンガリ切れずに、ツノをタメ、妥協して小さく小さく生きてきた。その差は大きいだろう。
私の奥さんが大好きなので「テレビタックル」と「平成教育委員会」は私もときどき見ることになる。「平成教育委員会」の数学の問題では「マス北野」の鮮やかな解説に私は思わず感動してしまう。優れもののシナリオライタさんがいるのかもしれないが、演ずる本人も理解していなければあぁも見事に説明はできないだろう。
すばらしい! 私はいつもため息混じりに賞賛の声を上げる。妻は笑って、「"東大に入った奴"よりできたんだから、当たり前でしょ」と言うのである。そ、そうだよね、と私。
ちなみに、先日の3月19日、日本数学会は、北野たけし君に「出版賞」を送ったという。20日の朝日新聞朝刊13版37ページに小さな記事が載っていた。おめでとう。「平成教育委員会」の「マス北野」というキャラクターが評価されたということである。日本数学会もやるものである。

北野君は、我が都立足立高校の誇りである。

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琵琶


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"S-O-V"も"O-S-V"も、日本語への目覚めころ--日本語の探検(1)--その他、シリーズ外の記事

2008/03/26
"S-O-V"も"O-S-V"も、日本語への目覚めころ--日本語の探検(1)--その他、シリーズ外の記事

私は、成長の過程で、いくつもの道を目指して挫折を繰り返し、性懲りもなく新しい分野に挑戦を続けてきた。端から見ていれば、好きなことを無定見にやってきただけのような男に見えるだろうと思う。振り返れば、苦しかったけれど、それを許してくれた周囲が居たということである。まことにありがたい半生だった。少年期は画家を目指していたが、画壇でトップクラスの皆さんに可愛がられると専門家の力量に比べて自分の非力に思い至り画業で生きてゆく自信をなくして小学校の3-4生のころには挫折した。替わりに頭をもたげた思いは物書きになることだった。
当時は志賀直哉の簡潔な文体にあこがれた。我が家には、学校教師だった父(故人)がたぶん姉のために当時流行りだった割賦で買ったのであろうう全集本がそれなりにあった。小学校4-6年の間に、うろ覚えだが新潮社(?)の日本文学全集(多分2-30冊くらいはあったと思う)は全て読破していた。同時に読んだ覚えがあるのは、小学館の「小百科」と中央公論の「日本の歴史全集」「世界の歴史全集」である。アインシュタインの相対性理論が「小百科」に数式を使って解説してあり、小学生の自分にはすぐにはわからずにずいぶんじれったい思いをした。中学に進学してから所属した理科部の教師や実験助手に来ていた東大の学生に懇切に教えてもらってやっと理解したものだった。「世界文学全集」(多分70冊くらい)は中学の1年のときに全部読み終えた。読み始めると1晩か2晩で箱入りの全集本1冊は読んでいたように記憶している。濫読の限りを尽くしていたというべきである。田舎の小中学だったこともあり、中学の1年生くらいまでは、いわゆる勉強はしなくても十分だった。
中学に進むとすぐに図書委員を命じられて、普通の教室の半分くらいに書架を並べただけの粗末な図書室に入り浸ることになった。ここにはなぜか、「般若心経講話」や「天皇の人間宣言」、「二宮尊徳伝」などの正統派(?)の本に混じって「宮本百合子全集」や毛沢東の「実践論」や「矛盾論」なども混じっていた。どうしてそんなものがあったのかいまだに不思議である。戦後の食べ物にも事欠く貧困時代に教師がそれぞれに持ち寄りによって作った図書室である。当時の子供たちに、いまどきのようなケーム機もなければ遊びに行く金銭的余裕も乏しかった。活字があればそれだけでありがたかったというのが実感である。贅沢はいえなかった。200冊くらいしか蔵書がないのだから、2年生の夏休みの終わりころには隅から隅まで全て読み終えてしまった。
中学の現代国語の教師が日本語文法について、1時限のうちの半分くらいしゃべった。現代国語の教科書に付属する別冊「国語文法」を開いて、「この別冊で授業を2回くらいやることになっているんだが・・・」と口ごもって、ため息をつきながら「品詞分類」を説明した。その後、「あとは読んでおくように」と言った。私は英文法の時間にも、英語は上の空で日本語文法はどうなっているのか、と不届きな思いに熱中していた悪い生徒だった。私は、文学かぶれの少年にありがちなように国語文法を教えてくれるというのは楽しみだったし、うれしくてたまらなかった。しかし、何か様子がおかしかった。この教師は実に誠実な人柄なのだが、このときは何か思いつめた表情だった。私はその「国語文法」にすばやく目を走らせると、手を上げて、「先生、これって変ですよ。だって、私たちは、主語、目的語、述語の順番(S-O-V)では必ずしも話しません。たしかに"私は先生に話しました"とも言いますが、事情によっては"先生に私は話しました"とも言いますね。このときは目的語と主語の順番が逆(O-S-V)になっています。逆でも場合によっては不自然ではありません。間違っていますか」と言った。先生は、ぎょっとしたように私をにらむように見返すと、「その件は後で」と言って、別の話題に移ってしまった。私はいけないことを言ったに違いないと良心が痛んで、ことさらに忘れるようにしていた。
1960年の冬、中学2年生の2学期の終わりころ、図書館にはほとんど読んでいない本はないはずだった。しかし、立ち寄ると読んでいない本が一冊目に付いた。手にとってみると「象は鼻が長い」(三上章)だった。私は、その装丁の真新しい本を手にして、これって、2学期の初めにはなかった本だ、と確信して、ドキドキしながら借りて帰った。私には書かれていることの全てが納得の行く内容だったが、著者は異説の存在をたいそう気にしており、幾度も反論を試みていることがその文面の随所から見て取れる。・・・当たり前のことを言っている著者が、何かにおびえるかのように反駁に勤めている様子がとても奇妙に思えた。書名の「象は鼻が長い」は、「象は」と「鼻が」という二つの主語があるかのように見える。それでも、この文章は日本語として正しい、正しい日本語を正しく解釈できない日本の文法は間違っている、、、。私もそう確信した。
私は今でも、その本は、「その件は後で」と言った国語教師が、私のために、そっと買い足してくれた本だと信じている。遅ればせながら、ほんとうにありがとうございました。深く感謝申し上げます。
後で知ったことであるが、当時の学校文法(主として橋本進吉説に依存)はおよそ50年を経た今でも中学で教えられているという。これを教える国語教師たちはいまでも大変な災難であるに違いない。国語の先生方は主として国文学を学んできたので、学校文法に真理がないことを十二分に知っている。それなのに真理を万力で押さえつけるようにして捻じ曲げてもっぱらウソを子供たちに教えなければならない。「国語文法」は教師に苦悩を与える教科となっているのである。こんな状況で本当によい日本語教育ができるだろうか。
母国語(日本語)教育の重視を--心理、教育、社会性の発達(48)
私は、この「学校文法」こそ、いろいろな意味で罪作りな存在であると思う。子供たちの論理的思考能力を奪っている大きな原因の一つであると言いたい。否、いまどきの大人たちにも緻密な思考を許さない原因になっていると思う。言いすぎとのお叱りを覚悟してあえて言わせていただければ、いまだにこの種のウソに満ちたテキストを作っている教科書会社もこれを指導している文部科学省も、百鞭の刑に値すると思う。
私は国文学者でもなければ日本語文法の研究者でもない。ただの素人の日本人である。
しかし、同じ思いを抱く国語の教師の皆さんは少なくないはずである。教科書採用で力を振るう校長先生の何割かは国語科の出身であるはずだ。ご専門の立場で大いに発言してもらいたいものである。
ちなみに、10年以上前のことであるが、外国人のための日本語教師の資格を持つ方のテキストを見せていただいたことがある。文部省(現文部科学省)の認定講座で使われる日本語教科書である。驚いたことに、そこに採用されていたのは橋本文法(学校文法)ではなくて、基本的には三上文法だった。ここでは、文部省(現文部科学省)は、当然のことだが、愚鈍でも反日本文化主義者でもなかったのである。
それでは、なぜ・・・? 日本人向けの国語教育は反日本語的橋本文法なのか? 外国人には正しい日本語文法を教えて、日本人には日本語にあらざる反(半?)日本語文法を教えているのはまことに奇妙なことである。その理由はどこにあるのか? 疑問は尽きないのである。日本語文法を専門的に研究している方も多いに違いないが、どしどし発言してもらいたいものである。

私は、高校や浪人時代に、同人誌に参画して、毎号連載小説を2-3本、和歌や俳句、自由詩などを数編ずつ発表した。その傍らで、成績順の進路指導のおかげで無思慮にも大学では理系に進学して大きな違和感の中で時間を過ごすはめになり、文学部に転部を試みたものの、見事に失敗して、理系のまま卒業した。本人にとってはいまだに笑えない笑い話である。

私が、理工系の学問を修めてなお出版社に勤務したこと、後に、文字列の類似度に関する研究に没頭したり、日本語プログラミング言語の発展普及に肩入れしたりするのは、行き当たりばったりの結果に過ぎないが、たぶんこんな人生の紆余曲折が背景があったからに違いない。

(参考)
1.象は鼻が長い:
三上章、「象は鼻が長い―日本文法入門」、三上章著作集、270pp.、くろしお出版 (1960)
2.文字列の類似度:
私、"学会発表-テキストの類似度--感性的研究生活(1)"
私、"「久しぶりの学会発表-文字列類似度の汎用的尺度--感性的研究生活(2)"
私、"田子の浦ゆ打ちいてでみれば--感性的研究生活(9)"
私、"「テキスト類似度・飯箸法」がアピール、第16回次世代大学教育研究会「知の発掘」(東京)--感性的研究生活(25)"
3.日本語プログラミング:
私、"研究発表-技術史教育学会--感性的研究生活(3)"

次の機会があれば、「日本語=ウラルアルタイ語説を信ずる時代遅れインテリたち」というテーマで書くつもりである。

琵琶


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土浦連続殺人、「犯人はゲームオタク」について--心理、教育、社会性の発達(60)

2008/03/25
土浦連続殺人、「犯人はゲームオタク」について--心理、教育、社会性の発達(60)

また、起きてしまった事件というべきだろうか。昨日(3月24日)、金川真大容疑者(24)は茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅構内で8人を殺傷した。その数日前(3月19日)には、同市の三浦芳一さん(72)を殺している。24日の事件は、警官が張り込みをしている目の前での事件だった。その警官さえも2人目に刃物で顔を切られており、応援を呼んでいる最中に残りの6人が切りつけられ、一人が亡くなっている。
いわば確信犯で、計画的なものであったことも次々に明らかになっている。警察の手抜かりが批判されているが、それは後で言えることで、事前にこれほどの犯行に及ぶと予想した者はいなかったのではあるまいか。金川真大容疑者(24)は、一見したところではヤサ男でこれほどの凶行に及ぶとは思えないだろう。しかし、ゲームに負けると尋常でない荒れ方を見せたという証言もあり、人格的障害を負っていたことは十分に考えられる。
人格障害を理由に罪を軽減するという判決も最近では見られるようだが、私は反対である。刑務所の役割の一つとして「矯正」というものがあるが、これは「ゆがんだ人格を矯正する」ことに他ならない。人格がゆがんでいるから刑務所を活用しないと言うのは、法理論を知らない裁判官のなす業ではないだろうか。多くの裁判官が賢くも選択するように「ゆがんだ人格であればこそ矯正する」のが正しい対処であると思う。

Nifty ニュース(2008.03.24)
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土浦8人殺傷の通り魔犯 典型的秋葉原「ゲームオタ」だった
2008年3月24日(月)18時31分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-18172/1.htm
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茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅構内で8人が殺傷された事件で、逮捕された金川真大容疑者(24)は、典型的な「ゲームオタク」で、5年ほど前に秋葉原で開催された全国規模のゲーム大会で準優勝していた。
<容疑者は秋葉原を中心に動き、拠点にしていた>
茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅構内で2008年3月23日午前11時過ぎに、包丁とサバイバルナイフを持った男が次々に通行人に切りつけ、1人が死亡、警官を含む7人が重軽傷を負った。茨城県警土浦署は近くの交番にいた男を確保。男は3月19日に発生した同市の三浦芳一さん(72)殺人容疑で指名手配していた無職金川真大容疑者(24)で、三浦さん殺害容疑で逮捕された。調べに対し、金川容疑者は「誰でもいいから殺したかった」と供述。三浦さん殺害や23日に発生した8人殺傷事件の犯行を認めているという。
知人の証言などによれば、金川容疑者は引きこもりの傾向があり、趣味はゲーム。県警は3月23日の会見で、「秋葉原に行ったのは夕べ、頭を刈りに行ったのも秋葉原です」「犯行後も秋葉原に行っているような話をしておりますが、確認中です」「秋葉原に泊まったというだけしか、聞いておりませんので」などと述べており、金川容疑者が秋葉原を中心に動き、拠点にしていた可能性が高そうだ。
さらに、2008年3月24日放送のフジテレビ系番組では、金川容疑者と最近知り合ったという人物が、
「(ゲームに)負けると、たぶん自分に頭きて怒ってると思うんですけど、(ゲームの)台(を)蹴っ飛ばしたりとか、普通に怒っているようなああいうのとは比べものにならなくて、目つきが違うんで(ゲーム)やっている時は」
との証言が放送されている。
<全国規模のゲーム大会で準優勝>
金川容疑者はかなりのゲーム好きとして知られていたようで、2003年に秋葉原で行われた全国規模のゲーム大会で準優勝した実績を持つ。この大会の様子をレポートした、あるニュースサイトに掲載された記事では、金川容疑者について、
「最後まで勝ち残ったのは冷静に戦い抜いた○○さんと金川真大さんのお二人。特に金川さんは『○○全国大会』で優勝した○○さんを準決勝で接戦のに末破り、決勝にコマを進めただけにかなりの実力者」
(編注:○は固有名詞)
と書かれており、「実力派ゲーマー」であるとされている。記事には、長髪メガネ姿の金川容疑者の写真も掲載されており、典型的な「オタク」といった風貌だ。ただ、このサイトでは、2008年3月24日午後現在で金川容疑者に関連する記述と写真が削除されている。
インターネット上の掲示板「2ちゃんねる」でも、金川容疑者がゲーム大会で準優勝したことが話題になっており、ゲームと殺人の関連性について議論が交わされている。さらに、最近になって個人情報が不特定多数に知られるとして問題になったアマゾンの「ほしい物リスト」で、容疑者の名前で検索すると、ゲーム機器や漫画、オタク関連の書籍が「ほしい物リスト」にリストアップされていることが指摘されている。この「ほしい物リスト」が金川容疑者のものだったのかは今のところ特定できていないが、通り魔の容疑者が典型的な「ゲームオタク」だったことから、ネット上も騒然としている。
------------------------------------------------------------------------

マスコミ報道でも「山口県で祖父を殺した少年」の例が引き合いにされているものがあるが、事件の態様が似ているとはいえない。山口県のケースはゲームを禁じられたことが殺人の動機となっているので、殺意は特定の人物にだけ向けられていた。今回の茨城県土浦市の場合は、不特定多数を殺傷している。しかし、最初は妹を殺害するつもりだったようなので、もともと向けられていた殺意の対象を見失ったための無差別殺人だった可能性もある。
共通して言えるのは、ゲーム依存性が見られて、偏執的であることだろう。ゲームが人格を破壊したというのは短絡的過ぎるが、無関係だったとはいえない。社会につながるか細い道がゲーム以外になかったという点では共通かもしれない。前者は年が若く社会を覗いてみる窓がゲームというゆがんだガラスだったこと、後者は自己発現の場がゲームで勝つ以外になかったこと、が原因と見ることができる。同じように見えて、実は異なる部分もある。前者は社会参加の仮想体験(シミュレーション)をゆがんだ心の窓から希求するあまりに起こしてしまった事件だが、後者はゲーム以外に主たる自己発現の手段のない容疑者に、ゲームを通した社会参加そのものを疎外する大きな壁が生じたための暴発であるような気がしてならない。
酒飲みが酒を禁じられて希には殺人まで起こすことはよく知られている。ゲーム依存性の高い人格がゲーム人生に暗雲が立ち込めて暴発することは十分ありうることである。酒を禁じられて殺人事件を起こせば刑務所に入ることになる。今のところ単なる推測に過ぎないが、ゲーム人生に暗雲が立ち込めて殺人事件をおこしたと仮定すれば、これも刑務所に送られるべきであろう。
今後、この事件については容疑者が成人(24歳)であることもあるので、動機などに関しても詳しい報道があるものと思われる。今後に注目して、判断材料が出てきたところで、再び論じたいと思う。
以下には、山口の事件をテーマにした「ゲーム考、"少年のゲーム嗜好と殺人-その3"」などの私の記事の参照先を引用しておく。

ミニシリーズ:心理、教育、社会性の発達「少年のゲーム嗜好と殺人」(全3回)
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1.山口県で祖父を殺す、禁じられて(?)、「少年のゲーム嗜好と殺人-その1」--心理、教育、社会性の発達(44)
2.パーソナリティ形成への環境的障害と抑圧、「少年のゲーム嗜好と殺人-その2」--心理、教育、社会性の発達(45)
3.ゲーム考、「少年のゲーム嗜好と殺人-その3」--心理、教育、社会性の発達(46)
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少なくとも、彼らは子供の頃、子供同士で殴り合う経験が足りているとは思えない。殴られたら痛い、ということも十分知らないに違いない。
ゲームはなぜ少年らをとりこにするのだろうか。実は、ゲームは社会に出るための仮想体験の一つであると、私は捕らえたのである。なぞなぞあそび、小説や漫画、映画などと本質的には変わらない役目である。しかも、他のジャンルに比べると、制作者に人間的誠意が問われない傾向にある。青少年を反社会的人生観に誘導するゲームも多い。制作者に人間的誠意を要求し、正しいゲーム選びを親子で推進すれば、青少年の成長に良い影響のあるゲームが増えるだろうに、と誠に残念に思う。
殺傷してもリセットしたら生き返るシミュレーションを徹底して繰り返し脳裏に焼きこんでしまったゲーム少年に「死別(永遠の別れ)」という感覚は生まれない。二度と戻らない命という悲しみ、すなわち「死別の悲しみ」を教えるのは至難の業である。これは教師としての実感である。
青少年よ、二度と戻らない命を奪うな、自分の命も大切にしろ、私は叫びたい思いだ。

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琵琶


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個性もいろいろ知能もいろいろ
-知能を育てる(その6、番外編)--心理、教育、社会性の発達(59)

2008/03/24
個性もいろいろ知能もいろいろ
-知能を育てる(その6、番外編)--心理、教育、社会性の発達(59)

ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」(全6回)
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1."スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
-「知能を育てる(その1)」--心理、教育、社会性の発達(54)

2.楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-「知能を育てる(その2)」--心理、教育、社会性の発達(55)

3.人工知能に見る知能の構造
-「知能を育てる(その3)」--心理、教育、社会性の発達(56)

4.ヒトの知能の構造と知能教育
-「知能を育てる(その4)」--心理、教育、社会性の発達(57)

5.レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-「知能を育てる(その5)」--心理、教育、社会性の発達(58)

6.個性もいろいろ知能もいろいろ
-「知能を育てる(その6、番外編:)」--心理、教育、社会性の発達(59)

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(前の記事)

このミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」では、知能を育てることをテーマにしたので、知能は全ての人に平等に育つかのように説明してきた。
しかし、筋力でも人によって強い人も弱い人もいる。走るのが得意の人も得意でない人もいる。絵が上手な人もいるがどうしても上達しない人もいる。歌が巧みな人もいれば、いつまでたっても調子はご愛嬌という人もいる。
ある人はマラソンには強いが絵は上手とはいえない、ある人は人を笑わすことが得意だが数学が不得意である、ある人はプラモデルを作らせると一流だが歌はからきしダメ、などの場合も多い。これらは後天的な要素もあるがある程度先天的な部分もある。先天的な部分が利用されながら子供同士、または大人との交流の中で社会性を獲得しつつそのヒトの個性として発展しつつ定着してゆく。
大脳系の知能を特異に発達させるひともいるが小脳系の反復能力を発達させる人もいる。大脳系でもクロマニオンの子孫らしく網目状知能(メタ型とリンク型の双方)をもって応用能力を発達させる人ばかりではなく、応用が利かない単線型思考様式を事柄ごとに発展させることしかできないネアンデルタール人風の思考形式(「相互乗り入れなしの複線型」)の人もいるに違いない。
これらも個性である。と私は言いたい。
60万年前狩猟採集の生活を村で営む生活様式を始めて、最近では数万年にわたって農耕を主とした生活を営んできた人類は、知的能力においても数百年前までは個性的でバリエーションに富んでいたのではないだろうか。狩の群れのリーダになれる人は限られており、農作業のリーダも限られていた。リーダには高度な知能が要求された。一方、号令のもとに正しく行動できれば生きてゆくことがとりあえずは許容される人々も多かったに違いない。号令のもとに正しく行動できれば生きてゆくことがとりあえずは許容される社会は工業化社会でも続いてきた。多くの人にとって自発性や創発性はむしろ邪魔だった。自発性や創発性は限られた神官や指導者にだけ要求される能力だった。知能が優れているのにリーダになる機会から排除されている悲劇もあっただろうが、知能が十分でないのに血統ゆえにリーダにならざるを得ない群れまたは村全体の悲劇もあったかもしれない。血統の不幸を避けるために日本の江戸期には養子縁組が盛んに行われた。今は、かつてに比べれば誰でもリーダになれる機会均等の社会になりつつある。しかし、、、機会均等ということは能力が均等というわけではあるまい。
いま、市民が社会の主人公として社会に参画するようになると、全ての人に知能が等しく備わることが期待され、全員が高度な知能を持つインテリまたは知的労働者でなければならなくなる。そんなことが実際問題として可能なのだろうか。全てのヒトがアインシュタイン並の頭脳がなければ生きて行く権利のない社会だったら息が詰まってしまう。私にも生きる権利がなくなるということだ。失礼だが、おそらくと読者の大半もそうだろう。一体、そんなことになったら何人が地上で生活できるだろうか。・・・、暴論といわれるかもしれないが、神様はヒトに個性を授けてくれたが、そのためにこそ能力は不均質に与えてくれたと考えたほうが自然ではあるまいか。不均質なヒトの集りだから、人々は力をあわせる喜びを感じヒトとの交流が楽しいとも言えるのではあるまいか。ヒトの能力の不均質は、個性であって、上下ではあるまい。
私の職業は、人々の知能を開花させ発展させることを不可欠としている。たとえば知能50の人を知能80にすることには自信がある。たとえば知能80の人を知能90にすることも問題はない。しかし、知能10の人を等しく80-90にすることは一部の少数の例外を除けば不可能に近い。他方、たとえば知能10の人を知能30にすることはできるだろう。知的訓練も訓練である。素質があれば120%の開花もありうるが素質がなければ、それなりの進歩にとどまることは十分に考えられる。
 ☆知能指数の平均以上の人の割合☆
 賢明:知能指数 115以上、6人に1人の割合、上位16%
 中程度にギフテッド:130以上、50人に1人、上位2.1%
 高度にギフテッド:145以上、1000人に1人、上位0.1%
 並外れたギフテッド:160以上、3万人に1人、上位0.003%
 完全なギフテッド:175以上、3百万人に1人、上位0.00003%
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%95%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89、2008.03.01
大学の教員の皆さんは、たいへん優秀な人が多い。ギフテッドと呼ばれるのは、目安として知能検査を利用すると、平均以上の人ということになる。私が小学校の頃に受けた知能検査の結果は(かなりいい加減なものだろうが)160台だったようなので、これを信ずれば30,000~3,000,000人中1人程度の確率ということになる。まさか?、本当かな?、という思いだ。とは言え、「完全なギフテッド」のクラスには届いていないようである。大学の教員には私以上の人たちが実感としてたくさんいる。それらの教員の皆さんは自分がそうであったように学生全員が完全なギフテッドになるはずと思っていらっしゃる方もいるような気がする。実は、長い間、私もそう思って思い通りに成長しない学生諸君を前にジタバタとしてきた。しかし、それは無理というものであり、教育学習の事実はそれぞれにそれなりの成長を成し遂げるというものだった。
この数値を見てしまうと、全市民または全人類をギフテッドにすることは不可能だろうとは容易に想像ができてしまうのである。
教育でできることは、放置されていたら伸びない能力をいっそうの高みにつれてゆくことだけで、全員を等しくギフテッドにできるというものではない。
したがって、大脳系の応用能力をもっていて知能を一定水準以上に高度に発達させることのできる人は、基準にもよるだろうがかなり限られた人たちだけではないだろうか。その他の人々は、それぞれに相応に発達させることができるにとどまるのではないだろうか。
これまでの社会では、まちまちな知能の程度、と言うよりもまちまちな知能の種類の人たちが個性豊かに存在して交わっていて豊かな関係を作り出していたに違いない。知能優秀な人だけが尊敬の対象だったわけではあるまい。剣の達人、芸能の達人も尊重されたに違いない。
これからの社会が全員に高度な知能を要求するとすれば、社会の二極化は避けられないだろう。そもそも無理な人に、ある水準以上に知能を要求すると、脳が壊れてしまう事だってありそうである。いや、現代病としての鬱や統合失調症はこうして露見しているのではあるまいか。IT業界に長く身を置いてきた私はこれらを発症し苦しむ人たちを多数見てきた。私は、そこまで人を追い詰めなくとも良いものをと思ってしまうのである。IT業界はヒトの精神に過酷な職場である。もっと追い詰めない職場が別にあって良いはずだとも思ってしまうのである。無理は無理なのである。一方に知能を高度化できる人が居て、他方にはこれがある程度にとどまる人がいる、いやその中間も連続したスペクトラムのように満遍なく存在するに違いない。
知能においてもバライティに富んだ個性豊かな人々が幸福な共存を図ることを前提に社会を運営しなければならないのではないだろうか。
どんなヒトでも今よりも大脳の能力向上が可能であるし、今までも私はそのための悪戦苦闘してきたし、今後もしなければならないと私は思う。しかし、その結果として全員の知能が同一の水準になるとはいえない。そのバリエーションは個性の一部を構成すると思うのである。
大脳系の知能が並みだったりそれ以下であったりしても、他の能力が優れていれば、その人はその能力ゆえに立派に集団の中で尊重され居場所を見出すことができるはずである。
知能は伸ばすべきである。しかし、思うように伸びなくとも悲観しなくて良いはずである。自分の他の長所を見つけて、その利点を伸ばしてゆけば良いのである。
知能には、平均もあれば平均以上も平均以下もある。社会は平均以上の人だけに優しくして、平均以下の人につらく当たってはならないだろう。知能が平均以上の人は社会に向かって知恵を提供し、平均以下の人はその知恵を享受して、別の能力を開花させて何かを社会に還元してやれば良いはずである。
大脳系の知能が高度に発達している人は、これからの社会でも歓迎されるだろう。しかし、極論かもしれないが、それらの人たちだけが優遇され、以下の人たちが困窮するようなことのないような社会にすべきではないだろうか。そのためには、大脳系の通常の知能教育だけではなく、小脳系や「相互乗り入れなしの複線型」などの反射系スキル教育や芸術教育、などもあって良いはずである。
スキル教育の分野で発達したデジタルシミュレーション技術を知能教育でも応用できるかという問いには、「伝統的なクイズでできることをデジタルシミュレーション技術でできないことはない」と、私は答える。そして、大いにそのような技術の開発を歓迎し、私も私のチームも機会あれば率先して参加することを表明する。思い上がりという謗りを覚悟であえて言えば、個人的にはギフテッドの端くれとして、人生を通して自分の能力の開花を抑圧され続けてきた苦しみのほうがはるかに大きかった。そのくびきを解放してくれるのであれば人生どんなに楽だったかとも思う。しかし、全てのヒトをギフテッドするような強制は非人間的にすぎるという思いもあるのである。

ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」終わり。
ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」の先頭へ


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琵琶


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サツマイモと油揚げとゴボウ、奥さんの作品--オヤジと家族のお料理ライフ(16)

2008/03/23
サツマイモと油揚げとゴボウ、奥さんの作品--オヤジと家族のお料理ライフ(16)

最近、奥さんが作ってくれた、おいしい料理がある。

「サツマイモと油揚げとゴボウ、奥さんの作品」
買い置きのサツマイモがあったからというので、奥さんが料理を作ってくれた。
大きくて立派なサツマイモである。たしか、1本100円ぐらいで、やはりデンブン系では破格に安いのがサツマイモである。
サツマイモを斜め切り半月形にする(厚いほうが1センチくらい)、ゴボウは普通の斜め切り、油揚げは半分に切って、それぞれを幅1センチくらいの縦長にきる。これらを鍋に入れて具の3分の一を残すくらいの水を加える。ミリンと醤油を大さじ3倍ずつ、塩少々、をくわえて、フタをして沸騰させる。イモに箸が通ったら出来上がり。
ほんのりと甘い。砂糖を加えていない天然の甘さである。懐かしいような味で、しかもおいしい。サツマイモ特有の絡みつくようなにおいや味はゴボウで見事に消えている。ゴボウにサツマイモの甘みがしみていて、これもうまい。
納得の一品である。

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レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-知能を育てる(その5)--心理、教育、社会性の発達(58)

2008/03/21
レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-知能を育てる(その5)--心理、教育、社会性の発達(58)

ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」(全6回)
------------------------------------------------------------------------
1."スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
-「知能を育てる(その1)」--心理、教育、社会性の発達(54)

2.楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-「知能を育てる(その2)」--心理、教育、社会性の発達(55)

3.人工知能に見る知能の構造
-「知能を育てる(その3)」--心理、教育、社会性の発達(56)

4.ヒトの知能の構造と知能教育
-「知能を育てる(その4)」--心理、教育、社会性の発達(57)

5.レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-「知能を育てる(その5)」--心理、教育、社会性の発達(58)

6.個性もいろいろ知能もいろいろ
-「知能を育てる(その6、番外編:)」--心理、教育、社会性の発達(59)

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(前の記事)

「レインマン」という映画を見た人は多いだろうか。私は残念なことにまだ見たことはない。レインマンは、サヴァン症候群といわれる人を比較的忠実に描いたものといわれている。
サヴァン症候群とは、知的障害があるにもかかわらず、特定の分野の能力はとてつもなく優れているような症状を示すものである。
考えにくいかもしれないが、例としては、次のような症状が知られている。

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特定の日の曜日を言える(カレンダー計算)。ただし通常の計算は、1桁の足し算でも出来ない場合がある。
航空写真を一瞬見ただけで、細部にわたるまで描き起すことができる。映像記憶。
楽譜は全く読めないが、ピアノで弾いた曲を聴き、最後まで間違えずに弾くことができる。
書籍や電話帳を、一回読めばすべて暗誦できる。内容の理解を伴わないまま暗誦できる例もある。
芸術性の非常に高い作品(絵画、彫刻など)を作ることができる。健常者およびサヴァンの幼児の描画を比較参照(Discover(2002年2月号)p.46,47。ただしNadiaの描画時の年齢3歳とあるのは5歳の誤り)。
並外れた暗算をすることができる。
この他にも様々な能力(特に記憶に関するもの)がみられるが、対象物が変わると全く出来なくなってしまうケースがある(航空写真なら描き起こすことができるが、風景だとできない、等)。
--------------------------------------------------------
引用: 「サヴァン症候群」、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4、2008.02.29

どうして、こんなことが起こるのか、以前の記事に取り上げた図を少し修正して、仮説を立ててみよう。
下記の画像をクリックすると大きく表示することができる。

Photo_2

通常のヒトは、記憶を構成(知識獲得部)したり、知識を利用して推論(推論部)したりする部分は大脳にある。図の緑の矢印に沿って知識の獲得とその利用が行われる。この知識獲得部や推論部が欠けているか、著しく脆弱であっても、記憶部だけは正常である場合には、残された脳の部位を利用して記憶部に記憶を送り込み、定着した原初的記憶を再生して音声や動作に表現することができるようになったヒトがサヴァン症候群という人たちであろう。
知識獲得部や推論部だけではなく、記憶部にも何らかの障害を負っていれば、普通の知的障害であり、知識獲得部や推論部は正常なのに記憶部に障害がある場合には、記憶障害と呼ばれるに違いない。
知識獲得部や推論部が欠けているか、著しく脆弱であっても、記憶部だけは正常である場合では、記憶の構成は高度化せず、原初的記憶の範囲を大きく超えることはないだろう。知識獲得部と推論部が現実と悪戦苦闘の試行錯誤をする中で記憶の構成の高度化が進むと考えられるので、知識獲得部と推論部に障害があれば高度化の弱い記憶になるに違いない。それでも、他の大脳の一部、または小脳を使用することができれば、記憶部に記憶を送り込んだり、その記憶を基に言葉や図示、リズムや音曲、反射的で繰り返しの動作に表現することも可能だろうと思われる。
上図にはサヴァン症候群を意味するものとして小脳を経由した矢印を黄色で描いたが、実態はもっと複雑で部分的には大脳の利用できる他の部分を利用し経由するものもあって複合しているに違いないと思う。大脳系でもクロマニオンの子孫らしく網目状知能をもって応用能力を発達させる人ばかりではなく、応用が利かない単線型思考様式を事柄ごとに発展させることしかできないネアンデルタール人風の思考形式(「相互乗り入れなしの複線型」)の人も混じっているに違いない。
しかし、ここでは簡単のために小脳経由だけの図を描いた。
複雑であるに違いないが、経由部分が小脳にあることが多いことはたぶん間違いがないだろう。

人工知能の世界にはニューロネットワークという技術がある。これは、1957年に心理学者フランク・ローゼンブラットによって提案されたモデルを利用するもので、その後にさまざまな発展を遂げている。
1970年頃、David M.rとAlbus,J.Sによって小脳がパーセプトロンであるという仮説が提案され、1982年伊藤正男によって、実証されることになった。
参考: Ito,M., Sakurai,M. and Tongroach.P., Climbing fibre-induced depression of both mossy fibre responsiveness and glutamate sensitivity of cerebellar Purkinje cells.,J.Physiol.(Lond.), 342, 113-134, 1982.
小脳の働きは、反射的で定型的である。パーセプトロンはまさしく反射的で定型的に記憶の形成と再生には向いている。しかし、それ以上の人間的な思考力を示さないのである。この事実は、人工知能の研究者や技術者は(私も含めて)皆知っていることではある。

小脳は海水からあがった動物が獲得した器官であり、小脳の構造は大脳と違って反射的行動に適しているものである。高度な知能とは本来無縁である。しかし、後に獲得し、人類になって大きく成長した大脳の一部である記憶部だけが使えるとき、これだけが小脳と協奏的に結びつくことがあってもよいに違いない。
上記のサヴァン症候群の事例(Wikiから)を見ると、サヴァン症のヒトの記憶とその再生の間には、深い知性的関係は見られない。ほとんど反射神経の動きというべきである。反射神経と記憶の結び付きが強力であれば、サヴァン症候群ということになるに違いないと思わせるものである。

さて、この項でも長々しく述べてきたが、要するに通常のヒトには知識獲得部の機能と推論部の機能が記憶部の機能とは別に存在するに違いないということである。それが脳内物質の種類の違いを意味しているのか、物理的領域の違いなのかはこれだけではわからないが、機能は別であることは明白である。そして、ここで注意しなければならないのはサヴァン症候群は知的障害者でもあるということである。しかもサヴァン症候群は全世界で数十名であろうと言われている。ごく希な存在である。一分野の原初的な記憶にたよる行動だけは他の能力よりは優れているが健常者に比べて決して優れているわけではないヒトもサヴァン症候群と呼ばれることがある。その場合はかなりの数にはなるだろうが、通常の知的障害者といわれるだけで、天才的能力の持ち主というわけではないのである。天才的能力をもつ知的障害者というのは、原理的に希なケースとなる。

「知性なき丸暗記」とは、知識獲得部をできるだけ活動させないで記憶するものであり、推論して現実にぶつかってその知識の構成を高度化することも、できるだけしないものである。ということは、知的障害を人為的に作っているようなものである。・・・、受験生の皆さん、高校や予備校の先生方、それで良いのでしょうか。

サヴァン症候群のヒトはすばらしい。「山下清画伯」の絵画に感動しないヒトは少ない。「山下清画伯」がサヴァン症候群だったという証明はまだないが、おそらく類似だろうと思う。しかし、全ての子供たちに画才があるかといえばそうではあるまい。そのような普通の子供たちに人為的知識障害を引き起こして知能を引き下げても、画才が開花することはあるまい。
単純反復動作、反射的行動を教えるだけの教育を知育教育というならば、仮性の知識障害者を無理やり作る教育ということになる。トンデモ教育である。
スキル教育でさえも「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」(伝 山本五十六)なのだから、「言って聞かせ」る必要もあるのであると私は思う。
知識獲得や推論も脳の働きなので、その訓練をシミュレーションで行うことも当然できる。クイズはアナログのシミュレーション課題である。学問をクイズのように教えるというのも一案である。これを「知能教育」というならば、「知能教育」である。アナログシミュレーションであれ、デジタルシミュレーションであれ、知識獲得や推論も訓練はできるという意味ではスキル教育である。呼び名はこだわらない。「スキル教育」でも「知能教育」でも良いに違いない。
ただし、世に言うスキル教育と知能教育の違いは主として「小脳」を鍛えているのか主として「大脳」を鍛えているのかの違いである。
「小脳」も鍛えなければならないが、「大脳」も大いに鍛えなければ社会人になれない。大脳を大きく発達させてサルはヒトになったのである。大脳を鍛えずしてヒトであろうか。私は講義中によく「君たちは脳みそに汗を掻きなさい。スポーツは体中に汗をかいて体を鍛えるが、学問は脳みそに汗をかくんだ」と話す。大脳に汗を掻くくらいの熱中が起こらないと賢くはならないのである。
「知能を育てる」とは、小脳とともに大脳を鍛えることである。
大脳を鍛えるデジタルシミュレーションは、1980年代に私はその世界の製造の先頭にいたが、普及はしなかった。tool群が脆弱で工数がかかることが製造上の問題だったが、教育界は当時から「丸暗記支援」だけを期待していて「知能教育」には関心が薄かったようである。その後は、私のチーム以外からも散発的に様々な試行がされたが、大きく成功したものはない。存在しないとはいわないが、デジタルシミュレーションまだほんの少ししか存在しない。機会があれば、またデジタルシミュレーションのとびきり優秀なものを世に送り出したいという思いもないわけではない。機会が来るまでは、待つしかない。
さぁ~て、これからも当面はクイズ(アナログシミュレーション)を大いに活用して、学生の皆さんと一緒に楽しく学習をしてゆきたいものである。

(次の記事)

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白菜とベーコンのトロトロ煮、肉じゃが、息子の作品--オヤジと家族のお料理ライフ(15)

2008/03/19
白菜とベーコンのトロトロ煮、肉じゃが、息子の作品--オヤジと家族のお料理ライフ(15)

私の大学での講義がお休みの期間、私が料理していることが多い。
悪いと思ったのか、家内と息子が、それぞれに努力すると誓ってくれた。とはいえ、講義が始まれば二人にかなりの回数は頼まざるを得ない。
息子が作ってくれた最近の料理でおいしかったのは次のようなものである。

「白菜とベーコンのトロトロ煮」
白菜は煮込むと甘くトロトロになる。これをうまく利用した息子の得意料理。
白菜を5分の一~6分の一くらいを、縦にも横にも切って一口大にする。鍋に入れて、くつくつと煮る。ここにベーコン4-5枚を1センチ書く程度に切ったもの、カツオだし、みりん、砂糖、塩を適宜入れて、牛乳を少々加えて、煮込む。白菜が溶けかけたら、水溶きしたカタクリ粉を加えて出来上がり。
息子の味付けでは、あっさりと仕上がっている。安心して口にできる。老母の口にも合うに違いない。

「肉じゃが」
最近、長崎のジャガイモがスーパーに出回っている。北海道産のものよりも大きくて身もしっかりしているような気がする。1.5センチくらいのサイの目にする。豚肉は薄切りを2センチ角。ニンジンの1ミリ幅の輪切りを二つ切りにしたものと絹サヤ(さやえんどう)2センチ幅で切ったものを用意する。
鍋に、ジャガイモ、ニンジン、豚肉を入れ、ミリン、砂糖、醤油、昆布だしを加えて、タレが具の上1センチくらいになるまで水を入れて火をいれる。ニンジンに火が通ったら、切ってあった絹サヤを加えてもうひと煮立ちすれば完成である。息子の仕事は丁寧である。形も大きさも厚さもきれいにそろっている。ニンジンの赤、絹サヤの緑が鮮やかである。ほんのりと甘い肉じゃがで、私の作るオヤジ風豪快肉じゃがとはだいぶ違う。
私が作る肉じゃがは、昔の学生街の定食屋さんで食べ盛りの男子学生の胃袋を満たしてやろうと、おばちゃんが精一杯のサービスで作ってくれたでかいジャガイモと、引き上げてみれば透けて見えるような薄切りのブタコマをそれでも精一杯たっぷり入れた肉じゃがを思い出すような代物だ。
息子の肉じゃがはもてなし料理にも使えるような上品な仕上がりである。料理には性格が現れる。

どっちもおいしかった。舌も胃袋も心も満足した。

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琵琶

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ヒトの知能の構造と知能教育
-知能を育てる(その4)--心理、教育、社会性の発達(57)

2008/03/17
ヒトの知能の構造と知能教育
-知能を育てる(その4)--心理、教育、社会性の発達(57)

ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」(全6回)
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1."スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
-「知能を育てる(その1)」--心理、教育、社会性の発達(54)

2.楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-「知能を育てる(その2)」--心理、教育、社会性の発達(55)

3.人工知能に見る知能の構造
-「知能を育てる(その3)」--心理、教育、社会性の発達(56)

4.ヒトの知能の構造と知能教育
-「知能を育てる(その4)」--心理、教育、社会性の発達(57)

5.レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-「知能を育てる(その5)」--心理、教育、社会性の発達(58)

6.個性もいろいろ知能もいろいろ
-「知能を育てる(その6、番外編:)」--心理、教育、社会性の発達(59)

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(前の記事)

さて、それでは、ヒトの知能の構造はどうだろうか。まずは前の記事に掲載した図を再掲する。
(図をクリックすると拡大表示する)

2

脳科学の進歩は目覚しい。しかし、ヒトの知能の構造は、良くわからないことが多い。まだ、研究者が勝手な思いを描いて推測を延べているだけのことが多い。
一人の研究者が「ヒトの知能」を思い描くことには限度かある。しかし、コンピュータで実現した「人工知能」は数万の研究者とは言わないが、数千のコンピュータ技術者と研究者が切磋琢磨して作り上げたものである。しかも、「人工知能」は数億人規模のテストに耐えたモデルである。機械であることの限界はあるが、手本にすべき部分は多い。
1)記憶部と推論部と記憶獲得部
図の上部(a)に示したように、ヒトの知能にも「記憶部」と「推論部」と「記憶獲得部」があると想定して間違いはないだろう。
2)記憶獲得部と推論部
記憶獲得部は、推論部と相当に重なっており、記憶獲得のプロセスも記憶され、推論機能のために活用される。
3)記憶部の構造
記憶部は、さまざまな種類の記憶の形式が存在する。「スクワイア-飯箸モデル」をここに再掲する。
左側が心理学における記憶である。ラリー・スクワイアのモデルをベースにした。◎印は飯箸が追記した項目である。右側がコンピュータの記憶で、飯箸が心理学上の記憶と対応付けたものである。
-------------------------------------------------
1 感覚記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・データ以前のヒトの記憶
2 短期記憶(STM) ・・・・・・・・・・・・・データ直前のヒトの記憶
3 作動記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・データ化作業中のヒトの記憶
 3.1 中央制御系
 3.2 音韻ループ
 3.3 視空間スケッチパッド
4 長期記憶(LTM) ・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のデータ・情報・知識、プログラム
 4.1 陳述記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のデータ・情報・知識
 ◎4.1.1 原初的記憶・・・・・・・・・・・コンピュータ上のデータ
 ◎4.1.2 トピックス記憶・・・・・・・・・ヒトにわかりやすく加工され紐付けされたデータ=情報
  4.1.3 エピソード記憶 ・・・・・・・・事例ベース
  4.1.4 意味記憶 ・・・・・・・・・・・・意味ネットワークのノードが事例または知識ユニット
                     (ZigZagなど)
 ◎4.1.5 構造化(メタ化)記憶・・・・フレーム
 4.2 非陳述記憶 ・・・・・・・・・・・・・コンピュータ上のプログラム
 ◎4.2.1 獲得環境記憶・・・・・・・・・データのヒストリー
 ◎4.2.2 内的関連記憶・・・・・・・・・データのリンク
  4.2.3 手続き記憶 ・・・・・・・・・・・プロダクション・ルール
  4.2.4 プライミング・・・・・・・・・・・・意味ネットワークのノードが事例または知識ユニット
                      (ZigZagなど)のリンク
 ◎4.2.5 総合化記憶・・・・・・・・・・・予期駆動型フレーム
5 自伝的記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・・文書ファイル
6 展望的記憶 ・・・・・・・・・・・・・・・・文書ファイル
-------------------------------------------------

今回は特に、次の4項目を加えた。
 4.1 陳述記憶に2つの項目
 ◎4.1.1 原初的記憶・・・・・・・・・・・コンピュータ上のデータ
 ◎4.1.2 トピックス記憶・・・・・・・・・ヒトにわかりやすく加工され紐付けされたデータ=いわゆる情報
 4.2 非陳述記憶に2つの項目
 ◎4.2.1 獲得環境記憶・・・・・・・・・データのヒストリー
 ◎4.2.2 内的関連記憶・・・・・・・・・データのリンク
この結果、長期記憶の陳述記憶に限っても、次のようにたくさんの記憶の種類がある。
「4.1.1 原初的記憶」
「4.1.2 トピックス記憶」
「4.1.3 エピソード記憶」
「4.1.4 意味記憶」
「4.1.5 構造化(メタ化)記憶」
「4.1.1 原初的記憶」とは、目に映るもの、耳に聞こえるもの、手に触れた感覚など一時記憶にあるものがそのまま残るものであるが、世間で「記憶」というとこれだけを意味する場合が多いようだ。そうではないことにここでは着目したい。
「丸暗記」とは、「4.1.1 原初的記憶」だけをやり遂げようというものである。「4.1.1 原初的記憶」は繰り返し思い出すようにすれば記憶に定着する。もし、それが成功すれば、トピックス記憶もエピソード記憶も、意味ネットも、構造化記憶も構成しないということを意味する。言葉遊び的に問われたら反射的にこたえるだけならばこれでも何とかなるだろう。トピックスとしてまとめたり(トピックス記憶化する)、物語りの中に埋め込んだり(エピソード記憶化する)、多方面の概念との関連を調べて意味を安定的にしたり(意味を関連の中で安定化する、意味ネットワーク化する)、上位概念と下位概念の関係を整理し概念のヒエラルキーを作ったり再構成したり(概念を構造(メタ)化する)ことはまったく含まれていない。これらのことをやろうとすると、新しい事物にぶつかるたびに、大げさに言えば沈思黙考して思いを巡らせて行かなければならない。実際そうしないと整理できないこともヒトにはしばしば生起する。しかし、多くの場合は、一瞬立ち止まって、あぁ、あのことと関係があるぞ、あのことと同じ種類のことだ、と思うだけですむ。それでもその時間がもどかしいと、多くの場合、子供たちも先生たちは思うのだろう。一瞬考える時間の代わりに、繰り返し、刺激を与えて原初的記憶だけを定着させようとした結果が「知性なき丸暗記」となってしまったのである。「知性なき丸暗記」の結果、抜け落ちてしまう記憶は、「4.1.2 トピックス記憶」「4.1.3 エピソード記憶」「4.1.4 意味記憶」「4.1.5 構造化(メタ化)記憶」である。
そうは言っても「4.1.1 原初的記憶」は、10歳くらいまでは優勢である。いつどんなときに知ったという環境記憶と一緒に覚えさせれば乾いた布が水を吸い込むように記憶を吸収してゆく。しかし、それだけを追求したら本能に反するので子供たちにはつらくて、少年少女期の「丸暗記」といえども記憶の効果には限度がある。特に10歳前後(女の子は9-10歳、男の子は10-11歳)の第二次性徴期の始まりにあわせて、子供たちは自我の形成から自己実現の欲求に向かう頃、「丸暗記」(「原初的記憶」)型優位の記憶獲得を卒業して、「トピックス記憶」「エピソード記憶」「意味記憶」「構造化(メタ化)記憶」などのより複合的な記憶を好むようになる。つまり10歳以上の子供たちには「丸暗記」強要型の教育は効を奏さず、子供たちの抵抗と反抗の原因になるのである。そこで、「丸暗記」をしやすくするために、せめて記憶獲得のヒストリーと一緒に覚え込ませよう・覚えようということになり、「原初的記憶」に対応する非陳述記憶を刺激する替え歌や語呂合わせなどを活用した連想手法が用いられたりする。これは「トピックス記憶」の基盤にはなるが、それだでは社会人に不可欠な「トピックス記憶」「エピソード記憶」でも「意味記憶」でも「構造化(メタ化)記憶」でもない。いわばネアンデルタール人以前の記憶形式である。替え歌や語呂合わせで飽き足らない子や教師は、トピックス化(これまでにない知識として区別して記憶)したり、物語り化(エピソード化)したり、意味ネット化したりする。ここまでくると、やっとネアンデルタール人の記憶構造に近づく。この経験を持つ子どもたちさえめっきりと減った。その後に来る「構造化記憶」は、人がネアンデルタール人型からクロマニヨン型に飛躍を開始するとともに始まった記憶の形式である。つまり、「構造化(メタ化)記憶」は、ムレからムラへという人の社会のヒエラルキー成立とともにわずか60万年ほど前にヒトが獲得した新しい能力である。家族という単位組織をいくつも組み合わせて社会のヒエラルキーを構成するということは、ひとまとまりの概念(カテゴリー)を複数構成できるだけではなく、それをヒエラルキーの形に複合化(メタ概念化、構造化概念)し、関連付ける能力が必要である。初歩的とは言え構造化(メタ化)概念の能力を獲得したためにムラが構成できるようになったのだともいえるのだが、社会の一員としてを巧みに生活し、また社会を高度化発展維持するために構造化概念の能力が強化されてきたともいえるのである。構造化概念の能力(「構造化(メタ化)記憶」と「総合化記憶」の能力)が強化された人は生存に適しているのでその遺伝子はより良く残り、構造化概念の能力(「構造化(メタ化)記憶」の能力)に乏しい人(遺伝的な反社会性人格障害を持つ人)は生存に適しないので次第に減少したと考えられるのである。(現在もなくなったわけではなく、少数は残っていると考えられる)
潜在的な欲求は高まっているにもかかわらず社会性の発達を押しとどめられた子供たちは「構造化(メタ化)記憶」に進むことができない。「構造化(メタ化)記憶」は、子どもたちにとって、社会性の発展なくしては受け入れがたい記憶形式なのである。いな、いまどきの教師の多くも社会性未発達のまま大学を卒業しているので、教師も子どもたちもともに受け入れがたい記憶の構造である。「仮性の反社会性人格障害(社会性未発達)」と「知性なき丸暗記」は双子の困難である。
こうして構造化が抜け落ちた記憶のまま、大学に入学し、「自分で考えなさい」といわれると、「正解を教えてくれなければ答えられない(!)」と大反発する学生が発生するのである。えっ、学生の声のほうが正しいのではないか、と思った方は、自らの知性を相当に反省していただく必要があると思う。しかし、少なくとも大学教師にはそんな方はいないと思う。
非陳述記憶にいたっては、もっと悲惨である。子どもたちも教師も意識することはほとんどない。たまに、そうかなと思うだけだろう。
非陳述記憶には、以下のようにものがある。
「4.2.1 獲得環境記憶」
「4.2.2 内的関連記憶」
「4.2.3 手続き記憶」
「4.2.4 プライミング」
「4.2.5 総合化記憶」
「4.2.1 獲得環境記憶」とは、ある原初的記憶がいつどんな場所でどんな場合に記憶されたかの記憶である。コンピュータ技術で言えば、データのヒストリ(データの由来を記録したもの)である。記憶の対象そのものではないが、その周辺的にまといつく覚えである。これは、その他の「内的関連記憶」「手続き記憶」「プライミング」「総合化記憶」の基礎になる部分だろうと思われる。
「4.2.2 内的関連記憶」は、自分の記憶内にある別の記憶と関係があるという記憶である。コンピュータ技術で言えば「リンク」である。この記憶が失われたり切れ切れになっていると、知っているが思い出せないという現象になる。
「4.2.3 手続き記憶」とは、内的関連記憶を頼りに、知識の獲得過程とその逆経路を記憶にとどめるもので、コンピュータ技術で言えばプロダクションルールに相当する。
「4.2.4 プライミング」とは、内的関連記憶や手続き記憶を基にして、つながりの先に別の概念が意識されているもので、はっきりした連想はこれがないと困難である。連想される構造そのものと記憶というよりは、連想されるものが確かにあるという記憶である。コンピュータ技術で言えば意味ネットワークに近いが、それよりは少し高度である。意味ネットワークにはリンクとその結合部であるノードがある。ノードにはリンクで結び付けられた「単語(多くはオブジェクトにつけられた名詞)」が置かれる。プライミングが意味ネットワークと決定的に違うのは、ノードにあるものがひとかたまりの概念であるという点である。この有様は、テッド・ネルソンのザナドゥプロジェクトの一環として作られたZigZagというシステムに良く似ている。プロジェクトを指揮したインターネット界の巨人テッド・ネルソン氏は、会ったことのある人ならば分かってくれるだろうが、生身の思考形式においても「連想」を至上のものとしており、メタ型の概念構造を持たない人物である。自らの連想思考形式を至上崇高なものと確信しているようにも思われるので、その意味でまことに研究に値する興味深い人物の一人である。私はこの種の特異な思考形式の日本の大学教授を別途一人知っている。テッドネルソンはクリエイティブだが、他方の日本人教授はクリエイティブというよりも強烈な物知りであった。
「4.2.3 総合化記憶」は、概念の上位概念下位概念を作り上げる手順を覚えているものである。コンピュータ科学で言えば予期駆動型フレームに相当する。
この手順が記憶されていることが、問題解決の知力の源泉である。目的に向かって、行うべき副問題を意識し、その副問題をさらに小さな副問題に分解し、一つ一つは自分がやり遂げうる課題にまで落としたときに初めてヒトは問題が解決できると確信するのである。主たる目的を見出したときに、これを解決できる能力がここにある。
また、日々刻々と新しいくなる環境の変化に対応して、対応すべき問題を理解するものは、この手順の束を仮説にして解決策を探るところから生じている。自分の中に解決のルートのない問題であることがわかったときには、手っ取り早く先達に尋ねたり、自分の記憶(陳述記憶と非陳述記憶の両方にまたがって)をあれこれとたぐり、新しい概念構成を作ってみるように努力する。似た事例があれば少しの変更で問題解決のプロセスが見えてくる。まったく新しい事態であれば、新しい方策を作り上げるまでに相当な試行錯誤が必要だろう。解決策が見えてくると逆に問題もはっきりと見えてくる。
よく、問題の発見が先で、問題解決が後、という人がいる。それは大きな誤解である。問題解決のプロセスを考えることなしに問題がはっきりとするいうことはない。「問題」はただ生理的な不快感として感じられるだけだったり、単に見過ごされたりするだけである。

いずれにしても、知能の獲得部や推論部に格別に役立つ記憶がここにはある。もちろん、陳述記憶がなければ知能は成立しない。しかし、陳述記憶、それも原初的記憶だけでは知能になりえないのである。

ヒトの知能は、知識獲得部や推論部の成長が必須である。知識獲得部や推論部が高度にあるだけでは役に立たない。それらが生きてくるためには、知識獲得部や推論部が利用する記憶部の構成も高度でなければならない。原初的記憶だけでは、人らしい豊かな判断力や含蓄ある言葉は生まれない。「原初的記憶」も必要だが、陳述記憶には、「トピックス記憶」も、「エピソード記憶」も、「意味記憶」も、「構造化(メタ化)記憶」も必要である。
「獲得環境記憶」ばかりではなく、非陳述記憶にも、「内的関連記憶」、「手続き記憶」、「プライミング」、「総合化記憶」も必要である。

次回は、「反射能力や単純記憶」と「知能の向上」について、まとめたい。

(次の記事)

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琵琶


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ボク(愛犬様)の綱さばき--我が家の愛犬様(24)

2008/03/16
ボク(愛犬様)の綱さばき--我が家の愛犬様(24)

愛犬様は、綱さばきが得意である。人間様と散歩に出る時は、綱を引いて外に出る。人間様は、愛犬様のハーネスの後ろにつけた綱にぶら下がるようについてくる。人間様は、ボンヤリしていることが多いので、こっちだこっちだと引いてやらないと散歩がはかどらない。人間様は怠惰なもので、なかなかしっかり歩いてくれないし、ましてや走ってくれたりなどはほとんどしやしない。まったく、もっと人生にがんばってほしいとボクは思うのである。
歩いていると、道の脇には電信柱があったり大きな木が生えていたりする。ボクは、その根元をかいだり、テリトリ宣言のために高らかに放尿したりするのだが、ボクがその向こうに回りこんで前に進もうとすると、人間様が握っている綱が電信柱や立ち木に絡んで、人間様が転んだり電信柱に衝突したりしている。やれやれ、人間様とはトロくて厄介な生き物である。
ボクは、電信柱や立木があると、ちらりと人間様と綱の位置関係を確かめて、絡まないようにすばやく後ろ回りに道路側に出てくる。うまいものである。ちょっと得意だ。ボクってうまいでしょ、とご主人様を見上げると、ご主人様も満足そうな顔だ。これができるようになったのは、ボクがこの家に来てすぐだった。生まれて2週間目にこの家族の人たちと出会って6週間目にこの家に来たんだ。だから、たぶん生まれて2か月目くらいにはもう綱が絡まない歩き方ができるようになっていたんだよ。エヘン。偉いだろう。
車に乗る時は、もっと、スゴイことになっている。
とくにお父さんの場合は、「車に乗るぞ」と声を掛けて、綱の握り手の部分をボクに差し出してくれる。自分で持ってゆけっていうんだ。エヘッ、ボク一人で行っていいの? と嬉しくなってしまう。綱の握り手の部分を口でくわえると、玄関ドアから一目散で走り出す。嬉しくって庭中を走り回っちゃうんだ。でも、道路に出たりはしないよ。そこはちゃんと心得ているさ。だって、遠く行ったりしたら、ご主人様がボクを置いて勝手に車で出かけたりしちゃうかもしれないだろう。ちゃんと車が見える場所には居るんだ。お父さんは、自分が車の脇に到着すると「seat!」って怒鳴るんだ。「座席に座れっ」ていうことだよね。ねェ、ねェ、「seat」って、英語で「座席」のことだろ? お父さんがドアを開けて運転席に座る瞬間に、ボクはパッと飛んで、お父さんのひざの上を一瞬で通過して、お父さんの隣の席、助手席に座るんだ。ここは見晴らしはいいし、なんといってもお父さんはそばに居るし、特等席なんだよね。
実は、ボクがこの家に来るまではここはお母さんの特等席だったらしいんだけど、ボクのために明け渡してくれたんだ。時々、お母さんたら、ボクに向かって、悔しそうに「ホントはね、その席はお母さんの席だったんだからネ」というんだよ。でもボクはすごく気に入っているから、絶対にこの席を誰にも譲らないからね。おかあさん、ゴメンね。
この席に座ると、お父さんが安全ベルト替わりの別の綱をボクに掛けてくれる。座席から飛び出すのを防止してくれる綱なんだ。これがないと車が急ブレーキを踏んだ時に、ボクが前に飛び出しちゃう。一度はフロントの出っ張りにアゴをぶつけて目が回りそうだったことがあるんだ。それからというもの、この綱がつけられるようになったんだな。
綱がしっかりつけられるまで、ボクはその場を動かないようにしているんだよ。・・・、もう、じれったいな、早くつけてよ、と少しはジタバタしたり、座席の下面に頭を押し付けてゴリゴリやったり(これって、秘密なんだけど、目やにが取れて気持ちがいいんだ)するんだけれど、綱をつけてもらう時は、じっとしているんだ。えらいだろ。
綱は、ボクにとって、「着けられてしまうもの」じぁなくて、「着けさせるもの」だし、「引かれるもの」じぁなくて、「引くもの」なんだな、これが。エヘン。

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人工知能に見る知能の構造
-知能を育てる(その3)--心理、教育、社会性の発達(56)

2008/03/14
人工知能に見る知能の構造
-知能を育てる(その3)--心理、教育、社会性の発達(56)

ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」(全6回)
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1."スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
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2.楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-「知能を育てる(その2)」--心理、教育、社会性の発達(55)

3.人工知能に見る知能の構造
-「知能を育てる(その3)」--心理、教育、社会性の発達(56)

4.ヒトの知能の構造と知能教育
-「知能を育てる(その4)」--心理、教育、社会性の発達(57)

5.レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-「知能を育てる(その5)」--心理、教育、社会性の発達(58)

6.個性もいろいろ知能もいろいろ
-「知能を育てる(その6、番外編:)」--心理、教育、社会性の発達(59)

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さて、「知能を育てる」とはどんなことなのだろうか。このことについては百家争鳴である。しかし、いろいろな書物を読んでもしっくりこないのは私だけだろうか。「知能を育てる」ことを解説する人たちが説いているのは、その人の哲学だったり、宗教だったり、信念だったり、空想だったりするような気がしてならない。つまり、科学ではないような気がするのである。
それば多分知能のそのもの、知能の構成、すなわち知能構造をだれも説明していないからに違いない。
私も、知能と社会性の関係については、このシリーズで、何度も解説してきたが、知能そのものについては述べていない。
知能と社会性の関係については下記を参照のこと。

「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)
ぼんやり考える力と階層的思考能力--心理、教育、社会性の発達(25)
情報デザインのワーキング・パスを明かす--情報デザイン研究ノート(7)

知能の構造が何の躊躇もなくここに説明できれば、それほどうれしいことはない。しかし、進展目覚しい大脳科学でもそこまでは到達していない。
そこで、ここでも、私は、コンピュータ科学の知識を援用したいと思うのである。
コンピュータ科学の一分野である人工知能(認知工学)では、一般的な「知能」を下記の図のように理解している。
図はクリックすると大きく表示される。上半分の図(a)は、ヒトの知能を極端に単純化した模式図、下半分の図(b)が人工知能の概念図である。
(下図をクリックすると図を大きく表示することができます)

Photo

下半分の図(b)に注目することにしよう。左から名称を挙げる。
(イ)Q&Aインターフェイス(ヒューマンインターフェイスとも言う)
(ロ)推論エンジン
(ハ)知識ベース(知識のデータベース)
(ニ)知識獲得部
(ホ)知識獲得インターフェイス

人工知能のコンピュータシステムは、おおむね、「(ハ)知識ベース」が必須条件である。
「知識」という言葉に似ている用語には、「データ」や「情報」がある。
人工知能システムの世界で使われているこれらの意味を列記すると次のようになる。固定した定義はないので、よく使われる意味という程度にご理解をいただきたい。
「データ」…計測した事実を数値や記号で表したもの
「情報」…「データ」を人にわかりやすく整理(代表値や比較値を駆使)したもの
「知識」…「情報」に条件分岐が付いており、問い合わせに即時にこたえられるようにしたもの
かくして、「知識ベース」とは「情報」に条件分岐が付いており、問い合わせに即時にこたえられるようにしたものを容易に入力・編集・検索・削除できるようにまとめられた集まりのこと、すなわち「知識のデータベース」という意味になるのである。知識のデータベースは、条件分岐の付いた大量のデータ、すなわち大量の知識とそれらを容易に入力・編集・検索・削除できるように作成された膨大なプログラム群(データベースマネージャ)からできているのである。
「(ハ)知識ベース」を中心に、その周辺を説明しよう。
「(ロ)推論エンジン」は、「(b)人工知能の知識処理」の図では、「(ハ)知識ベース」の左側にある部分である。ここは、人から問い合わせがあったときに知識ベースから答えを見つけるために知識ベースの中を探って歩くプログラムの集まりがある。この部分がなければ、どんな知識が蓄えられていても、それを引き出して答えを出すことはできない。
「(イ)Q&Aインターフェイス(ヒューマンインターフェイスとも言う)」は、「(b)人工知能の知識処理」の図では一番左、「(ロ)推論エンジン」のさらに左側にある部分である。ここにはアイコンや入力欄、図像やグラフの表示、音声入力や音声発生の機能を実現するプログラムやオブジェクトが複雑に組み合わせられて用意されている。ヒトが質問を思いつきやすく入力しやすい環境を用意し、ヒトからの質問を確実に受け取り、推論エンジンにこんぴゅーが理解する形式にして正しく渡すことが必要である。また、逆に推論エンジンから帰ってきたコンピュータ西川からないような答えをヒトにわかるように変換しそれだけではなく心を沸き立たせるようにするための言葉や画像やグラフ音声などの機能が働くようなプログラム群も用意される。
さて、人工知能は役立たずと思っている方もいらっしゃるが、他方何でもできるすごい奴と思っている人もいるようだ。どちらも間違いである。かなり役に立つが、いまのところヒトに比べればかなり馬鹿でもある。
役立たずのところを特に取り上げてみると、「知識の獲得が基本的には自動的にはできない」ということである。えっ、そんな馬鹿なの? と言うなかれ。今のところ、「知識の獲得はほとんど人間にしかできない」といってよいのである。ニューロネットワークや遺伝的アルゴリズムを取り上げて、知識獲得できる能力があるという方もいるが、せいぜい条件分岐のフルイ分けの精度を上げることができる(ニューロネットワーク)だけだったり、複数知識の組み合わせを変えてそのどれが最もよさそうかを決めることができる(遺伝的アルゴリズム)だけだったリする。新しいフルイを作ることもできなければフルイ以上の働きをすることもない(ニューロネットワーク)し、よほどそれらしく仕組まないと変異は生まれず「予期せぬ遺伝子が生まれる突然変異」を作り出すこともできない(遺伝的アルゴリズム)、つまり創造的活動はできないのである。
「(ニ)知識獲得部」…「(b)人工知能の知識処理」の図では、「(ハ)知識ベース」の右側にある部分である。しかし、「(ニ)知識獲得部」は、実は書いてはあるものの、とても小さなもので、通常はないといってもよいくらいである。その代わりに知識を入力・検索・編集・削除しやすいインターフェイスが用意される。
「(ホ)知識獲得インターフェイス」…アイコンや入力欄、検索ボタンなどが用意され、それらを操りながらナレッジエンジニアと呼ばれる人々が知識ベース(知識のデータベース)に書き込んだり編集したり、削除したりしているのである。なんとも原始的であるが、これが人工知能の現状なのである。

さて、図には書ききれていないが、コンピュータの知識ベースにはたくさんの種類がある。
代表的なものを列記すると次のようになる。
(あ)プロダクションルール
 IF分を羅列するようなもの。演繹的推論に適している。
(い)意味ネットワーク
 ワードとワード間の意味のつながりを記述するもの。連想を記述するのに適している。
(う)事例ベース
 ヒトのエピソード記憶に相当するもの
(え)フレーム&予期駆動型フレーム
 階層的概念構成を記述でき、与えられた条件によって動作すべき手順も記憶できる。「最強の知識記述法」といわれることがある。
(お)その他
コンピュータ技術者がこれらのものを編み出したのは、ほとんどの場合、ひたすら自分の思考行動を内省するところからであった。脳科学はまだこのあたりを解明しえていない。1956年ダートマス会議にて、ヒトのように考える機械を作ろうと討議したのが現代的な人工知能の出発点である。「ヒトのように考える機械」とはとりもなおさず「自分のように考える機械」というように置き換えてよいはずである。何しろ自分も「ヒト」なのだから。
しかし、ヒトによって考え方がまちまちで、いろいろな考え方があり、どうやら同一のヒトの中にも併存しているらしいことがわかってきた。たぶん提案されている知識ベースは全てヒトの考え方の一部なのに違いない。ヒトの脳はこれらの多様な考え方とそれに適した記憶を持っていて、必要に応じて使い分けたり補強しあっていたりするらしいということになる。一方、ヒトによってはそれらの考え方のあるものは決して受け付けない場合や特定の考え方だけが格別に優れているヒトもいるのである。私は、意味ネットワーク的な思考パターンが得意で階層的知識をたどるような思考パターンを一切取れないヒトに出くわしたことが若いころに2度ある。一つの事柄が想起されると、関連する事柄が次ぎ次と出てくる。すばらしい記憶力だが、とどのつまり何が言いたいのか、聞いている私にはさっぱりわからない。「で、結局、私は何を理解すればよいのでしょうか」と聞き返すと、また最初からつながりのある事柄が洪水のように繰り返し述べられるだけである。お二人とも大学教授の肩書きを持つ方であったことはびっくりした。一人は日本人、他の一人はアメリカ人であった。どちらの場合も、周囲のヒトは「彼は頭がよすぎるので、我々には理解不能なのさ」と言っていた。そうかも知れない、、、そういうことにしておかないと、なんとも言いようのない不安が湧き上がる。知識を階層化して蓄えることのできないヒトがいるということは少なくとも私にとって驚愕だったのだが、後に大学や専門学校で教壇につと、それはそれほど珍しい現象ではないこともすぐにわかった。大学教授のお二人とは違って、洪水のように連想ができるほど知識はないが、乏しい知識とはいえそれらを階層化してまとめ上げることができない学生はいくらでもいた。いな今もどんどん増殖していると言っていいかもしれない。
ヒトの知能ということを考えると、知識ベースの構造にも立ち入らなければならないだろうと思う。この構造はその人の社会性と対を成しているということはこの記事の冒頭に引用したように繰り返し私が述べてきたとおりである。

さて、それでは、ヒトの知能の構造はどうだろうか。その問題はこのミニシリーズの次の記事にに譲る。

(次の記事)

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(57)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/03/358_3a4f.html
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琵琶


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楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-知能を育てる(その2)--心理、教育、社会性の発達(55)

2008/03/12
楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-知能を育てる(その2)--心理、教育、社会性の発達(55)

ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」(全6回)
------------------------------------------------------------------------
1."スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
-「知能を育てる(その1)」--心理、教育、社会性の発達(54)

2.楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-「知能を育てる(その2)」--心理、教育、社会性の発達(55)

3.人工知能に見る知能の構造
-「知能を育てる(その3)」--心理、教育、社会性の発達(56)

4.ヒトの知能の構造と知能教育
-「知能を育てる(その4)」--心理、教育、社会性の発達(57)

5.レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-「知能を育てる(その5)」--心理、教育、社会性の発達(58)

6.個性もいろいろ知能もいろいろ
-「知能を育てる(その6、番外編:)」--心理、教育、社会性の発達(59)

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(前の記事)

丸暗記も必要である。しかし、人の頭と心を鍛えるとき、いかにも丸暗記だけでは不足である。

私は、現在の教育界に蔓延する「知性なき丸暗記」に深い憂慮を抱いて、繰り返し警鐘を鳴らしてきた。相変わらず小中高の教育現場では「知性なき丸暗記」が横行してはいるが、それでも、今は、識者の間で少しは私の主張が浸透してきたかなと思えるようになってきている。

超える努力--心理、教育、社会性の発達(8)
「出された課題に正解が書いてない」(?!)--心理、教育、社会性の発達(11)
学生は変わったか--心理、教育、社会性の発達(1)
多すぎる、社会性の発達阻害の原因--心理、教育、社会性の発達(15)
急増する小学生の教師への暴力--心理、教育、社会性の発達(9)
金沢大学のいらだち--心理、教育、社会性の発達(19)
一人にしない教育者と、一人にしない教育を--感性的研究生活(6)
学習の社会性について--心理、教育、社会性の発達(18)

少しでも学生らに知性を身に着けてもらおうというのが私の願いであり、そのために教壇では日々悪戦苦闘することになる。考えて、毎日勇んで教壇に立ち、毎日反省しつつ帰路をたどるという日常でもある。
しかめ面して教壇に立っても学生は付いてこない。知の楽しみを伝える伝道者としては心からの知の喜びを体現できなければならない。そして学習は楽しくなければ身につかない。教師として、考えることは多くて、反省することも多い。
少しだけ私の授業が成功しているとすれば、グループ学習の徹底した実践で知の喜びが「つながる喜び」と結合する授業となっていること、ときどき授業にクイズやゲームが採用されていることである。
授業でクイズやゲームというと、謹厳実直な諸先生からは授業中に遊ぶなとしかられそうである。このシリーズを最後まで読んでいただければ、遊んでいるわけではないことがわかってもらえると思う。
一方、丸暗記主義の方からは私だってやっているさ、という声が聞こえてきそうである。たしかに「言葉あてゲーム」は丸暗記向きなので、「丸暗記課題」でもよく使われている。「丸暗記」もある程度は必要である。それを楽しく効率的に行うのも大切である。あなたは立派です。
しかし、私は、「言葉あてゲーム」はほとんど採用しないのである。その代わりに、「警官と強盗(B&W)クイズ」(状態遷移のテーマで)、「5目並べ」(α枝がり、β枝がりのテーマで)、などを採用している。クイズは楽しい。学生らに足りていないのは「丸暗記能力」ではなくて「知力(問題発見・解決や創発の能力)」なのである。クイズは楽しい。できた順に黒板に書かせようものなら、我先に学生らは黒板に突進してくる。もちろん黒板答えを書いたグループには、たとえ子と絵が間違っていても点数を上げるのである。コツは、8割程度の学生が答えを書いたら、打ち切ってしまうことである。のこりの2割になるまいとして教室は騒然となる。間違いなくこの瞬間、学生たちの頭の中はフル回転している。その興奮冷めやらないうちに、状態遷移図やそれに伴う理論、ゲームアルゴリズムなどを教えるのである。学生たちは、社会で活躍するときになっても、「状態遷移」といわれれば、間違いなく「警官と強盗(B&W)クイズ」のあの興奮の記憶とともに、ボンヤリとでも「状態遷移」が何であったかを思い出してくれるに違いない。人はエキサイトしたときのことは深く覚えているものである。
ところで、ゲームやクイズとは何だろうか。
「ゲームとは、まだ見ぬ事態や直接実践しがたい事態を仮想的に体験する手段方法の一つ」であり、子供は子供なりに、青年は青年なりに、そして大人は大人なりに仮想的に体験することを本能的に望んでいるのである。
ゲーム考、「少年のゲーム嗜好と殺人-その3」--心理、教育、社会性の発達(46)
これらは、実体験することが難しい事柄を仮想的に体験して、これからの人としての生存に役立つように本能として遺伝子に組み込まれているのである。哺乳類に共通する能力である。
ゲームとクイズは概念上それほど明確な区別はされていない。どちらも遊びである。ケームはどちらかといえば直接的な五感や大脳辺縁系に働きかけて身体的反射的仮想体験を与えて小脳やパーセブトロンを鍛えるものを意味しており、クイズは前頭葉を中心とした思考能力を鍛えるものを意味していることが多いようだ。
いずれにしても、シミュレーションを実行しているに変わりない。直接的な五感や大脳辺縁系に働きかけて身体的反射的仮想体験を与えて小脳やパーセブトロンを鍛えるのは、通常技能教育とかスキル教育、または技能訓練とかスキル向上などと呼ばれる。他方の前頭葉を中心とした思考能力を鍛えるものは知能向上とかナレッジ教育ということができる。人間は地上に誕生したこの方、否、哺乳類が地上に出現してこの方、遠い祖先の時代から人はシミュレーションゲーム(遊び)というシミュレーションによってスキル向上を図っており、おそらくは現世人類が登場して高度に知能が発達してからはこれに知能の向上のための行為=「物語り」と「クイズ」が始まったのに違いない。「物語り」についてはここで詳しく述べないが、ヒトの記憶能力の一画を占める「エピソード記憶」の成長と関係しているに違いない。数億年前のシミュレーションゲーム(追いかけっこ、じゃれ合い遊び、狩遊びなど)や60万年前から始まったに違いないシミュレーションクイズ(なぞなぞ遊び、謎解き遊びなど)はどちらもコンピュータによるものではなくて、哺乳動物やその一部であるヒトが身体と言語を用いて行うマニュアルシミュレーション(遊び)である。マニュアルシミュレーション(遊び)が可能ならば、コンピュータシミュレーションで効果を上げる事だって原理的には可能である。ナレッジ教育も原理的にシミュレーションで可能という意味で、家本教授の観点は正しいと言うことになる。
ゲームやクイズは楽しい。ヒトがそれ(疑似体験)を求めるのは本能だからである。ヒトとして生きてゆくための能力を獲得するための仮想的なつまり擬似的な体験行為だからである。遺伝子に組み込まれた行為だからである。楽しくなければヒトはやらない。楽しんでやれるように遺伝子は作られているのである。
ところで、今私は「ヒトとして生きてゆくための能力を獲得するための仮想的な行為」と書いたが、仮想的な行為なので、背徳的な仮想的行為を仕組むこともできないこともない。それもドーパミン全開になるのが動物としてのヒトの悲しいサガである。背徳的なゲームや背徳的なクイズで育った青年は背徳的な行動と思考方法が刷り込まれているので背徳的行動をするだろう。子供に与えるゲームのよしあしを判別してよいゲーム(ヒトとして生きてゆくための正しい能力を獲得するための疑似体験ができる)を与えるのが大人の責任である。背徳的なゲームや背徳的なクイズが野放しになっていて、大人たちは「見るのも汚らわしい」と敬遠して峻別しないために、子供は背徳的なゲームと背徳的なクイズにドーパミンを前回にして楽しんでいるのが現代社会の問題でもある。
他方、哺乳類の生物史、ヒトとしての人類史に磨かれたゲームやクイズは、生きてゆくための能力を獲得するように仕組まれている。生きてゆくための能力を獲得したものは生き残り、背徳的行動様式を身に着けた者は生存に適さず生物学的・社会学的に徐々に排除されるからに違いない。
本来楽しいゲームやクイズをしかめつらしくやる必要はない。生きてゆくための能力を獲得するように仕組まれているゲームやクイズを、目いっぱい楽しくやればいい、と私は思うのである。
勉強は楽しくやるのがベターである。背徳の喜びで狂喜させるのはヒトを育てる教育ではない。ヒトとして生きてゆくことに必須の社会性と知恵を楽しく教えるのが教育であると私は思うのである。

(次の記事)

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琵琶


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"彼"が、まさか、「明治大学と言えば」の有名人37位(?!)--その他、シリーズ外の記事

2008/03/11
"彼"が、まさか、「明治大学と言えば」の有名人37位(?!)--その他、シリーズ外の記事

ごく身近なヒトから教えられてそのページを見たのだが、まさかのびっくり、ドッキリだった。
「明治大学と言えば」、http://gz5432.husuma.com/daigaku/ieba663.html、2008.03.07
私がよく知っている"彼"の名前が、「明治大学と言えば」のWEBページの人物の37位にあった。
トップはリバティータワーの建設決定をしたことで知られる元学長の「岡野加穂留」で、これは順当だろう。明治大学の創始者「岸本辰雄」が3位、作曲家「古賀政男」は4位、島岡御大と言う呼び名で知れらた元明治大学硬式野球部監督「島岡吉郎」は9位、このあたりまではしごく順当と思う。
ここに掲載されているヒトは明治大学の教員が全てというわけではない。明治大学の卒業生や何かの仕事で明治大学に関係した方も入っている。明治大学の教員は元も含めて20名ほどでしかない。現役に限ればもっと少ないかもしれない。
"彼"は、専任の「和田格先生」には及ばないが、女子アナの「平井理央女史」、歌手の「浜田麻里女史」の次に名前が挙がっている。
"彼"は、明治大学ではただの非常勤講師である。3教科と1ゼミを担当しているに過ぎない。本業もあるはずである。見間違いかと思ったが、そうでもない。
とにかく、50位中20名程度の明治大学の教員の中に"彼"がいるとは驚きだ。明治大学には専任の教員が約600名、非常勤講師が約900名いる。この瞬間だけを見ると、ネット上では、1500名の教員の中の有名度上位20名以内に"彼"がいるということになる。
そう言えば、自分でも学会発表を物好きにもいろいろやったり、ゼミ活動を学生らに発表させたりしたので、少し目立ったのかもしれない。
GoogleとYahoo!で検索しても、そんなにたくさんの記事が検索されるわけではない。一件当たりのヒット数が多いということなのだろう。
Google: 明治大学 "彼"
Yahoo!: 明治大学 "彼"
今は上位と言っても、ネット上の評価は流動的である。すぐに消えてしまうかも知れないので、記念のために、ここにその画像を掲載しておく。

(画像をクリックすると大きく表示することができます)
Photo2

さて、それでは、どんな基準で、このランキングがされているのかをこのWEBページの上位のページ「ほにゃららと言えば」を調べると次のように記載されていた。
-----------------------------------------
作り方
Yahoo!のAPIを使って、検索エンジンのヒット数、各ページのタイトルとサマリーを取ってくる
ヒット数を有名度とする
CaboChaを使って、形態素解析と固有表現抽出をして、タイトルとサマリーに含まれる人物、組織、場所、名詞を抽出する
各単語ごとにTF-IDFを計算して、上位50件をキーワードとして表示する
-----------------------------------------
「~~と言えば」が権威のあるサイトなのかどうか私にはわからないが、「奈良先端大学松本研究室」と関係があるらしい。
"彼"に替わってこのサイト運営者の方に深く感謝いたします。

琵琶


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"スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
-知能を育てる(その1)--心理、教育、社会性の発達(54)

2008/03/10
"スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
-知能を育てる(その1)--心理、教育、社会性の発達(54)

ミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」(全6回)
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1."スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく
-「知能を育てる(その1)」--心理、教育、社会性の発達(54)

2.楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界
-「知能を育てる(その2)」--心理、教育、社会性の発達(55)

3.人工知能に見る知能の構造
-「知能を育てる(その3)」--心理、教育、社会性の発達(56)

4.ヒトの知能の構造と知能教育
-「知能を育てる(その4)」--心理、教育、社会性の発達(57)

5.レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力
-「知能を育てる(その5)」--心理、教育、社会性の発達(58)

6.個性もいろいろ知能もいろいろ
-「知能を育てる(その6、番外編:)」--心理、教育、社会性の発達(59)

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ナレッジ教育かスキル教育かという議論は多い。知能を育てる教育に重点を置くか、技能教育に徹するべきかというものである。実際問題として、受験戦争をくぐり抜けてきた学生は、大学に入るとき見事に「成績」順に輪切りされている。語弊を恐れずに言えば、有名大学にはいわゆる成績が良い子が集まる。知能程度は高く、問題発見・解決や創発の能力を備えていることも多いので、研究開発または企画開発向きの人材として知能教育が行われる。有名大学でない学校では、問題発見・解決や創発の能力を備えた学生が集まる可能性が低いので、丸暗記と繰り返し訓練で、技能を身につけさせる技能教育が行われる。前者を「ナレッジ教育」、後者を「スキル教育」ということが多い。しかし、「ナレッジ教育」も、定形的な問題発見・解決や創発の事例を、次々にシミュレータで体験させたら技能教育型でも教えることができるのではないかというアイディアが生まれる。そうすれば「ナレッジ教育」と「スキル教育」の基本的な差はほとんどなくなるのではないかというのである。
"「知」教育vs「識」教育"というのは、「考える」教育と「詰め込み式」教育という意味だろう。仏教の言葉で、「知」は知恵、「識」は記憶を意味しているところからくるに違いない。
これらは、先月行われた「第22回次世代大学教育研究会」で、大いに盛り上がったテーマでもある。
丸暗記も必要である。しかし、人の頭を鍛えるという意味で、丸暗記だけでは不足である。丸暗記だけではない知能を鍛える教育が必要に違いないという思いが、この研究会に集まった大学教師や教育ソフト技術者の共通の思いであることは、間違いない。
この後、このミニシリーズでは、「知能を育てる」とは一体何かを解き明かしてゆきたい。

(次の記事)

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老母の体重がもどる--オヤジと家族のお料理ライフ(14)

2008/03/09
老母の体重がもどる--オヤジと家族のお料理ライフ(14)

隣の隠居所に住む老母が、嬉しそうに次のように言った。
「あんたにはまだ言っていなかったね。私、この前病院に行ったときに計った体重が39キロになっていたんだよ。あの頃は32-3キロしかなかったんで、ずいぶん回復したということだね。こうやってお料理を運んでくれるのがよかったということだね」
私や私の家族の力ばかりではないが、こう言われると、私もまんざらではない。
昨年の夏、大腿骨骨折で入院したときは、確かに痩せていた。87歳の老女が大腿骨骨折になるということは寝たきりになる危険性もないわけではなかったが、リハビリに務めて秋口には退院できた。はじめは、自分で料理すると言い張ったが、やはり杖をつきながらの台所仕事はつらかったようだ。我が家から毎日届く料理が少しは助けになっただろうとは思う。近くに住む他の兄弟の家からも何かにつけて料理が届けられる。介護士さんにも家事支援の枠で、週一回程度料理を作ってもらうことにした。隠居所の廊下では老母が歩く練習を重ねていた。お花のお稽古も再開した。気力と体力が徐々に戻ってきたのである。

最近、老母に評判のよかったものは、刺身である。というよりももともと大好物である。お寺の娘として生まれた老母の好物が刺身とは怪訝に思う人もいるかもしれないが、老母の父は、うなぎ、ステーキ、すき焼き、刺身、そして酒(般若湯)を大いに楽しんだ。学問があり、読経や村人への説法など、希に見る精力的な布教活動をしたお坊さんだったが、開明的でもあり、息子がいなかったこともあって、6人の娘らにも仏法を教え、当時としては最高の学校教育をも施してもいた。

今週、我が家のオヤジが老母のために作ったお刺身は次のとおりである。

「あぶりマグロのお造り」
赤味のマグロを柵で買ってくる。スリオロシしょうが、塩、ミリンを適度に混ぜて両手でもみこむ。
ガスレンジを強火で3分ほど暖めてから、上記のマグロをそのままレンジに入れる。強火のまま30秒から1分の間あぶる。表面の8-9割がが白っぽくなったらひっくり返す。焼きすぎるとマグロの焼き魚になってしまう。同様に反対側の表面のあらかたが白っぽくなったらレンジから取り出して俎板に置く。
はじめの片面は全部白くなるまで待たないのは、ひっくり返した後も下になった表面が少しずつ焼け進むからである。白い部分が厚みの4分の一くらいまで焼き進むように焼くと半生のマグロになる。これもおいしいので、時々作る。
今回はあぶりマグロなので、表面だけを焼くにとどめる。
俎板の切り身を、刺身包丁で斜めに切る。厚さは3ミリくらい。1切れ切ったら、切った方向とは反対側に倒すように切り身を重ねてゆく。老人でなければ5-7ミリくらいの厚みがあるほうが歯ごたえがあっておいしく感ずるものだが、老母にはそれでは熱すぎるのである。
老母用には、手のひらに乗る程度の小皿に大葉かレタスの葉を広げて、切ったばかりの切り身を3枚ほど盛り付ける。今回は大葉の用意がなかったので、レタスにした。家族向けには、少し大きめの皿に同じように盛り付ける。
「尾長(ビンチョウ)マグロの甘酢漬け」
黒マグロに比べると尾長(ビンチョウ)マグロはお安い。しかし、そのまま切っても身にしまりがやや欠ける。私は、これを甘酢漬けにする。
尾長(ビンチョウ)マグロを柵のまま買って来ると、調理用のペーパータオルにくるんで、すっぽり収まるくらいの器に入れる。本職のようにバットで漬け込むと、タレがたくさん必要で不経済になるからである。マグろの切り身が大きくて、うまく収まる器が見当たらなければ、マクロの切り身を2つか3つに切ってもよい。ペーパータオルにくるまれたマグロのかたまりの上に塩を小さじ3分の一くらい乗せ、酢とミリンを交互に入れて、マグロのかたまりの半分が隠れるくらいにすれば上出来である。そのままラップして冷蔵庫に入れ、1時間以上、好みと気分によっては1昼夜そっとしておく。
事後ペーパータオルをそっと外すとマクロの表面が酢で白くなっている。これを俎板の上において、斜め切りにする。甘酢漬けの場合、薄ければ薄いほどうまみが出る。老母向けには1ミリ程度、我が家で食べる分は2-3ミリに切る。できるだけ浅い角度で断面を広くするようにする。切った後に、もう一度、うつわに残った甘酢にくぐらせる。
老母用には、やはり手のひらに乗る程度の小皿に大葉かレタスの葉を広げて、切ったばかりの切り身を3枚ほど広げるように盛り付ける。今回は大葉がなかったのでレタスにした。上からは白いスリオロシゴマを振る。甘酢の香りとゴマの香りの相性は抜群で、食欲が増す。家族向けには、少し大きめの皿に同じように盛り付ける。

実は、マグロなどの刺身を老母に素で提供するのは控えているのである。刺身にしてから、老母の口に入るまでの間に冷蔵庫に置かれて時間がかかる場合もあるので、生のままというのは衛生上心配があるのである。ヒトフリ、あぶり、半生、甘酢漬け、ヅケ、紙敷、などの江戸前スシの技法はこのような場合に大いに役に立つ。

・ヒトフリ 粗塩を柵や切り身の上に一振りすること、刺身の味
 がグッと濃厚に感じられるようになる。荒々しい味になる。
・あぶり 表面を強火でサッと焼く。身のこげる香ばしい香りと
 刺身の本来の味が融合するうまさになる。
・半生 芯だけが生、周囲は火が通っている状態で仕上げる。
 独特の甘みやうまみが生まれる。「あぶり」がステーキの
 "レア"とすれば、「半生」は「ミディアム」である。少し厚め
 の1-2センチの幅にそろえて切って食す。
・甘酢漬け 酢の酸味とミリンの甘さと塩の力で刺身の意外な
 うまみが演出される。
・ヅケ 醤油と酒ベースの漬け汁につけることが多い。刺身の
 持ちがよく、純粋に生のものとは違う。山椒、柚子、ショウガ、
 などをそれぞれに加えると様々なバリエーションも楽しめる。
・紙敷 俎板に塩を広げて、その上に薄い和紙を載せ、その
 紙の上に柵の刺身を置く。下に敷いた和紙でくるんで上から
 さらに塩を振れば両面うっすらと満遍なく塩味がしみるので
 ある。ヒトフリに比べてまことに上品な味に仕上がる。

刺身の盛り合わせで山水を描くのは、老母を自宅に招く機会のあるときだけである。このときは、生の刺身を主体にお造りにする。

△次の記事: オヤジと家族のお料理ライフ(15)
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柏そごう龍生派華道展、老母の出展--交友の記録(27)

2008/03/04
柏そごう龍生派華道展、老母の出展--交友の記録(27)

3月2日、柏そごうに家族3名が車に乗って訪れた。龍生派家元教授を長年務めて今は家元顧問という肩書きをいただいている老母(87歳)がお弟子さんらと出展する華展である。老母の作家名は飯箸翠峰という。
この華展は、柏そごうができてから毎年行われているもので、年2回開かれている。
私が中学、高校、大学の頃は花材の運び込みや撤去の手伝いに行った。社会人になっても、よく「活けこみ」の手伝いなどにお付き合いしたものである。父が定年で教職を辞するとその父が手伝っていた。父が病気になり、やがて亡くなると、私の息子、私の姉、弟の奥さんなどが手伝うようになった。
昨年の夏、老母は大腿骨骨折で入院しリハビリをするという事態になったので、一時は完全引退を考えたりしたが、その後、お弟子さんを減らして稽古日も減らして活動を細々と再開した。参加はもとよりあやぶまれていたし、年明けのお弟子さんたちの新年会の席上では貧血で倒れて、救急車で緊急入院という経験もした。それでもお弟子さんや師匠(先代の当主を支えた関本先生)のご子息たちの勧めで、今年も華道展に出品したのである。
年寄りの作家は古典華、立華などを担当することになるのだが、これらは大変な腕力が必要である。芸術性ばかりではなく、幹の太い大きな花木を切ったり、たわめたり、根締めに渾身の力を込めてねじ込んだりしなければならない。今年の活けこみの日(3月1日)、私は湘南藤沢キャンパスにいた。お手伝いはできない。老母一人ではとうてい無理と思われたのだが、お弟子さんや師匠のご子息たちのご協力でなんとか「活けこみ」は完了したらしい。
3月2日は華展初日だったのである。
白梅の巨木の根元にツバキの花があしらわれたシンプルな古典華である。老母が得意とする構図だが、今年はひときわ出来がよい。白梅の枝のたわみが大きくたおやかである。白梅はどの花も上を向き、それでいてでしゃばらず控えめである。その姿はまるで梅の枝にかすかに残った名残りの雪のようにも見える。最初にこの活花を見つけた息子も小さく歓声を上げたくらいだった。我が母なれど、すばらしい。私も思わずうなってしまった。さすがに年季の力を感ずる。お華のことはからきしわからないという家内もしばらく見とれていた。
老母のお弟子さんらの作品も鑑賞してから、会場係りをしていた老母の一番弟子の大澤さん(元小学校教員)にお会いしてご挨拶もした。来年は、老母も本当に出展できるかどうかわからない。老母の後は、お弟子さんの皆さんになにとぞよろしくお願い申し上げます。

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MMLの終息、そして今へ「世界初MMLシステム-その4」--アルゴリズム戦記(20)

(「鐘の声 ブログ」記事マップ)

2008/03/07
MMLの終息、そして今へ「世界初MMLシステム-その4」--アルゴリズム戦記(20)

ミニシリーズ:アルゴリズム戦記「世界初MMLシステム」(全4回)
-------------------------------------------------------------------------------
1.花のマックスファクターとの出会い「世界初MMLシステム-その1」
  --アルゴリズム戦記(17)

2.ユーザを待たせないアルゴリズム「世界初MMLシステム-その2」
  --アルゴリズム戦記(18)

3.早く到達しすぎたリッチクライアントシステム「世界初MMLシステム-その3」
  --アルゴリズム戦記(19)

4.MMLの終息、そして今へ「世界初MMLシステム-その4」
  --アルゴリズム戦記(20)

-------------------------------------------------------------------------------
前回の記事から続く

アメリカのマックスファクター本社はプロクター&ギャンブルに買収された。日本のマックスファクターの株式の51%はアメリカのマックスファクター本社のものであった。日本のマックスファクターがどのように買収され解体されて行ったかは、24時間体制で仕事をしていた私たちには、誰よりも良く分かった。どんな小説よりも陰惨で熱く激しいドラマだった。もはや時効ではあると思うが、まだ関係者が存命なので今は多くを語らないでおく。

MMLの成功は、我々を英雄にしたが、多くのねたみも買ったようである。
大手のコンピュータメーカ数社が広くシステムハウスにMMLシステムの構築の提案を求めた。当時のマイコンソフトハウスならどこでもできるに違いないと大手のコンピュータメーカは予想して、一番安い提案を求めたのである。しかも、実際はMMLで成功を収めた当社は嫌われていたらしい。自分たちよりも先を走る小ぶりだが気合の入ったシステムハウスなんて、うざったいだけで「可愛くない」と思われていたらしい。下請け企業は目立ってはいけないのである。我々は目立ちすぎていた。我々は、幾つかのコンピュータメーカに提案した。他社からは目指すような提案はなかった。当たり前である。マイコンシステムハウスはマイコンのことしか分からず、伝統的なホスト系システムハウスは相変わらずマイコンを知らなかったからである。その上、データベースも通信にも、そして画面のデザインにも強くなければならないのだから、おいそれとは新規参入者はなかった。当社は、パッケージ化したものをカストマイズしてコストを下げる提案をしたが、コンピュータメーカの担当者は当社以外に発注先がないことにいらだっているのが手に取るように見えた。そして、全てのメーカが撤退した。
実は、そんなことで、グスグスしているうちに、クライアントサーバシステムが台頭し、クライアント(パソコン)とサーバ(比較的大きなマシン)を結ぶことが容易になってきたのである。当初はMMLのほうがスピーディで、大型計算機の巨大パワーが生かせるという意味での利点も多かったが、いかんせんクライアントサーバシステムのほうがはるかに安かった。イノベーションは安くて劣るパフォーマンスの姿をしてやってくるのである。我々も時間の勝負と早くから決めていたが、交代の時期はすぐにやってきていた。
マックスファクターの後には、エステー化学(株)に当社のMMLの製品であるDSS-CUBICを納入してカストマイズし幾つかの追加機能を製造したのを最後にMML事業は終わった。
MMLの歴史的役割は終わったが、歴史に足跡を残すことができたこと、この仕事で通信の技能を獲得し、分散協調システム、後の世の言葉で言えば「リッチクライアントシステム」の実際を作り上げた実績を蓄えることができたのである。これらは、今でも我々の財産である。
ミニシリーズ:アルゴリズム戦記「世界初MMLシステム」終わり。

ミニシリーズ:アルゴリズム戦記「世界初MMLシステム」の先頭へ。

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琵琶


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  ・心理、教育、社会性の発達シリーズ
  ・社長の条件シリーズ
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  ・我が家の愛犬様シリーズ
  ・妻が、車に撥ねられるシリーズ
  ・その他、シリーズ外

いつのまにか、このブログは携帯にも公開--その他、シリーズ外の記事

2008/03/06
いつのまにか、このブログは携帯にも公開--その他、シリーズ外の記事

私はパソコンのブラウザに私の記事が掲載されることを想定していた。まさか、携帯でも閲覧できるようになっているとは思わなかった。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/78587/73834
これは最近のことであるらしい。携帯用に公開された私の一番古い記事は今年(2008年)2月12日の「「疑心暗鬼の時代」を越えて生きる--社長の条件(36)」らしい。ニフティによると、これ以前の記事は、テンプレートに特別なタグを書かないと見ることができないそうだ。
この記事のパソコン版携帯電話版を見比べてみればその違いが歴然である。
携帯の画面では文字数に限度があるので、見かけはかなり違う。1つの記事が長さに応じていくつものブロックに分割されている。
こうして携帯の画面で見られるヒトには少しは便利になったのではないかとうれしい。
気づいたのが、まさに今日だった。
ニフティからはお知らせがあったのだろうか。うかつにして見逃していただけだろうか。

ところで、携帯電話で見た場合には、アクセス数にカウントされないらしく(*)、それ以前と以後を比べると、アクセス数が3割ほど減ったような気がする。その分、携帯で読んで良しとしている方が生じたということに違いない。
しかし、当然のことだが携帯版では図が小さくて見にくいような気がする。また、携帯版の記事中のリンクは正しく動作しないこともあるような気がする。
いろいろとまだ不都合があるようだが、多くのヒトの目に私の記事が触れているということはありがたいと思う。
携帯版の読者の皆さん、私は皆さんの中心世代よりもかなり年寄りですが、応援のほど、よろしくお願いいたします。

*追記(3月6日18時)。 本日午前7時の段階で、携帯電話はアクセス数にカウントされないらしいと書いたが、なんと本日から別途カウントされることが発表されました。

琵琶


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経団連の新卒選考基準に思うこと--心理、教育、社会性の発達(53)

2008/03/05
経団連の新卒選考基準に思うこと--心理、教育、社会性の発達(53)

私は大学の教員でもあるが、小さな企業を経営する企業人でもある。人材育成という問題には、大学人として育成の実務を行う部分と新卒人材を受け入れる部分に半分ずつ係わっていることになる。(プロフィール
これまで、このシリーズに、私は、学生とともに成長する教員という角度から記事を書き続けてきた。今回は、例外的に企業人として人材の育成をどう考えるかについて書くことにする。

少し古い調査だが、「2005年度・新卒者採用に関するアンケート調査集計結果」(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2006/002kekka.pdf)が公表されている。
この報告には、面白いデータが幾つか見られるが、ここでは「(新卒採用の)選考にあたっての重視点」に着目したい。実は、先日の第22回次世代大学教育研究会で立正大学の今井賢教授が近い話題を取り上げていたので、ニュースソースを改めて入手して読んでみたことが、この記事を書くことにした直接の動機である。
2005
「2005年度・新卒者採用に関するアンケート調査集計結果」の「6.採用選考②選考にあたっての重視点」
上図からは、新卒採用に当たって、この調査アンケートに答えた企業は、何を重視したかが見て取れる。
1位 「コミュニケーション能力」
2位 「チャレンジ精神」
3位 「主体性」
4位 「協調性」
5位 「誠実性」
6位 「責任感」
7位 「ポテンシャル」
8位 「創造性」
9位 「論理性」
10位 「職業観/就業意識」
5位までは、今井先生も引用していたものだが、6位以降は私が追加している。
5位までの範囲を見ると、企業内日常で、先輩らが新入社員の何に困惑しているかが透けて見えてくる。企業が選考時に重視している能力とは、新卒者一般に欠けている能力ということである。
1位 「コミュニケーション能力」->「会話が成立しがたい」
2位 「チャレンジ精神」->「初めての仕事はすすまない」
3位 「主体性」->「指示がなければできない」
4位 「協調性」->「チーム内で仕事を補い合うことができない」
5位 「誠実性」->「こちらの事情を知らないあいつが悪い」
まとめて言えば、「初めての仕事はゴールを思い描くことが困難(チャレンジ精神欠如)」で、「チームが目標を共有することができず(主体性の欠落)」、「互いに補い合う気持ちがない(協調性がない)」ので、「チームメイトの迷惑になるのもお構いなしに各自事情を口にしない(誠実性の欠落)」ので、「仕事にかかわるシリアスな会話が成立しない(コミュニケーション能力の欠如)」、のである。
要するに、目的に向かってチームが一丸となって力をあわせるということがないということである。かつて「目的に向かってチームが一丸となって力をあわせる」は、日本人のお家芸であり、アメリカ人がねたみを込めて「日本人はグループでしか行動しない」などといわれたものである。にもかかわらず、以前にも書いたが、近年、私はアメリカ人から、「日本人にはチームスピリットがないのか」と言われる程度にまで、その能力は低下しているのである。
6位以下も同様に砕いてみることにしよう。
6位 「責任感」->「こんな仕事できないよ、それが分からない上司が悪い」
7位 「ポテンシャル」->「丸暗記モノをオウム返しに答えることはできるが、毎日ぶつかる問題がことごとく解決できない。底力がまるでない」
8位 「創造性」->「一つのものは一つの名前、それ以外に意義も背景も意味も、一切の関連が思い浮かばない」
9位 「論理性」->「一つのものは一つの名前、それ以外に意義も背景も意味も説明できない」
10位 「職業観/就業意識」->「社会は他人をだまして金儲けするところ、怖いから、給料分時間が来るまでじっとしている」
まとめて言えば、次のようになるだろう。「社会は他人をだまして金儲けするところ、だまされないようにできるだけヒトと親しくせず、目的を同じにしない(職業観/就業意識の欠落、誤った社会観・人生観)」し、「丸暗記が一番と教えられてきたのに今さら考えろといわれても何をしていいか分からない(創造性・論理性の欠如)」ので、「毎日のように"問題"を持ち込むばかりで、マニュアルどおりやれるような仕事をくれない(ポテンシャルの欠如)」ような「上司や同僚が悪い(責任感のなさ)」ということになるだろう。
彼らが誤った社会観・人生観を持ち、丸暗記しかせずに無能な人材として社会に放り出されているのは、まったくその通りである。その責任はどこにあるのだろうか。社会性を育てなかった幼小中高大のそれぞれの誤った教育、親和性豊かな家族の崩壊、個人間の争いを勧めて成果主義をはやし立てた産業界(*)、それぞれに問題があったのではないだろうか。
 * 「個人間の争いを勧めて成果主義をはやし立てた産業界」があったが、当社では古くから「(当社における)競争とは、競って争わぬことである」と言い習わしている。世間にはその逆「争って競わぬ輩」が昔から多いが、足の引っ張り合いになるだけで百害あって一利なしである。

企業人の端くれの一人として、私は経団連のアンケートにいいことをしてくれたという思いとともに、少々違和感がのこる。
このアンケートでは、企業が新卒者に抱く苛立ちを浮き彫りにすることはできるが、これを見ても解決の方向性は出てこない。
企業が本当に求めているのは、Thought leadership(知のリーダシップ)を持つ人材(Thought leader)ではないだろうか。少なくとも、私の会社の社員にはThought leadershipが必須である。
企業は日々刻々と変化を要求される。環境の変化に応じて刻々と前向きに変化することができない企業はつぶれてゆく。社内には変化の源泉である高い知の湧き出す源泉が必要である。知の源泉はヒトである。人類の行く末に希望を求めながら、社会の動向を理解し、社会の求める商品やサービスの提供のありようを不断に創案し、フォーマル・インフォーマルを問わず社内の様々なグループでチームメイトを説得し、牽引できる知のリーダ(Thought leader)がいなければ、会社は社はつぶれてしまう。
知のリーダ(Thought leader)は、日々学習し、高い知性と見識がなければならないのは当然だが、社会性を備えて人望がなければ説得力が不足する。社内のチームはそれぞれに学習し互いに知を補い合い、力を補い合う実践を積んで訓練されていなければならない。
たくさんの既存の事物の名前が言えるというだけのお受験秀才は役に立たない。お受験秀才であっても社内性を備えていて、チームメイトを勇気付けたり助けたり、自分の足りないところは補ってもらって素直に感謝できる若者でなければ会社の中での存在価値はない。
「一つのものは一つの名前、それ以外に意義も背景も意味も、一切の関連が思い浮かばない」とは反対に、「一つのものは主たる一つの名前、それ以外にも一つのものにはたくさんの名前があること、それぞれに意味も意義も背景もあること、一つの概念はこれを支える多数の概念が階層をなして広がっていること、その上、今着目している概念の上位の概念もあることを理解していること、それだけではなく、その概念のピラミッドとは別の様々な概念や方法論、手段や体得している技能のありとあらゆる事柄と様々なリンクがはりめぐらされている。いつでも、出動できる能力の束がたくさんその背後にひも付けされていること」が必要である。「一つの事物、またはその名前が、他のいろいろなことに関連付けされてこそ価値がある」ということは、「一人のヒトが、様々な社会の単位組織に同時に存在し、影響関係というコミュニケーションによって結びついていること」を体得することなしに理解することは困難である。社会性を磨かなかったお受験秀才が役立たずになってしまうのは、まさにここに問題があるのである。
逆は真ならず、と言う人もいるに違いない。「社会性が育っても、知性は育たない人もいる」というのである。あはん、芸能人の一部にいる「おバカキャラ芸人」「足りないアイドル」がそうだろう。100%の人間に知性が必要かといえばそうとも言えないだろう。まさか80%の人がおバカキャラでは社会が成り立たないが、80%の人に普通の知性が宿れば社会はひとまず安泰で、優れた知性は20%程度の人にあれば十分かもしれない。知性がなくとも他に優れた長所があってやってゆける人もいるのである。それくらいならば正常だろう。
それはそれ。しかし、知性というものは社会性なくしては育たないのである。アインシュタインやエジソンはまともに学校に通えなかったのに天才になれたという人もいる。ノーノー。彼らは、当時の学校が強制するルールを越えた知性をすでに獲得していたから、学校になじめなかったのである。現代でも学校でイジメに遭う子の2-3割はこのような「浮きこぼれ」なのである。アメリカではギフテッド(Giftted)またはタレンテッド(Talentted)などと呼ばれて格別な教育プログラムが用意されている。イジメに遭う子は「落ちこぼれ」ばかりではない。社会性とは従順性ということではない。「言うことをきく子」が「社会性の高い子」というのは大きな誤解である。「言うことをきく子」がニートや引きこもりになりやすいということも歴然たる事実である。「言うことをきく子」が突然キレたり、不登校になったりするのである。
思うに、社会性が高い子は、所属する社会の成り立ちやその中での自分の立ち位置、そこに貢献するための自分役割が理解でき、チームの目標設定が適切にできて、チームの中で互いに補い合うことに貢献できるのである。これらのいずれかが欠けていれば、社会性に乏しい子ということになるのである。

経団連アンケートに答えた企業は、「コミュニケーション能力に優れていて、チャレンジ精神が旺盛で、主体性があって、ドンドン独立するような若者」ばかりがほしかったのだろうか。
そうではあるまい。社会性と知性にあふれて、人望を集め、社内ではThought leader(知のリーダ)として説得の力のある若者にたくさん入社してもらいたいのではあるまいか。
私は、このブログの別のシリーズ記事(社長の条件)に書いた「新人採用の基本--社長の条件(38)」には、新卒採用に当たっては"いの一番"に「知のリーダシップ(thought leadership)があること」を挙げた。
いま人事関係者が嘆くのは人材定着率の低さである。しかもここ2-3年はもっと深刻な問題が起こっている。あえて言葉を選ばすに言えば他社で雇ってくれないような「くず人材(ゴメン!)」は、会社にしがみついていて、優秀な社員ほど短期で転職して行くことである。自社がますます空洞化してゆく、、、という強い危機感が企業の人事部には生まれているのである。社内から優秀な人材がドンドン抜けて行く現状は望ましくはないに違いない。「コミュニケーション能力に優れていて、チャレンジ精神が旺盛で、主体性があって、ドンドン独立するような若者」ばかりを集めても会社は持たない。社会性と知性にあふれて、人望を集め、社内ではThought leader(知のリーダ)として説得の力を発揮する若者にこそ入社してほしいはずである。少なくとも、企業経営者の一人として、私はそう願わざるを得ない。
今年も経団連は同様のアンケートをしているようである。そろそろ、その結果も発表されるころだろう。
経団連は今後ともアンケートの内容をいっそう工夫し、企業人事部の本当の声を集められるようにしていただきたいものである。経団連が発するシグナルは大学教育や幼小中高の教育に言い知れぬ影響があることを肝に銘じていただければと願うものである。

△次の記事: 心理、教育、社会性の発達(54)
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慶応大学 大岩元教授と古川康一教授の最終講義&公演&パーティ--交友の記録(26)

2008/03/04
慶応大学 大岩元教授と古川康一教授の最終講義&公演&パーティ--交友の記録(26)

3月1日(土)、慶応大学大岩元教授と古川康一教授の最終講義&公演&パーティが行われた。場所は慶応大学湘南藤沢キャンパス、通称SFCである。
実は、大岩元教授は私にとって東京大学で4歳年上の大先輩である。彼は物理学科、私は化学科で学年も違うし、隣りあわせといえども建物も違うので、学部の学生の頃は顔をあわせることもなかったはずである。私が大岩先生を意識したのは、大学卒業後、10年の出版社勤務を経て大学に戻った時のことである。その時の私の所属は理学部情報科学科國井研究室であった。彼はアメリカ留学から帰ってきたばかりだった。お互いに学内には知り合いがまだ少なかった。お互いに交友を広げようと模索していた頃だったと思う。
東京大学の情報科学は高橋英俊名誉教授が創始したといって良いに違いない。いや、日本の情報科学の開祖と言ってよいはずである。「高橋英俊名誉教授-後藤英ニ教授-大岩元先生」、「高橋英俊名誉教授-國井利泰教授-私」という「家系図」になる。そろって高橋英俊名誉教授の孫弟子なので、顔をあわせることが多かったというわけである。
その後、私がSFCに係わるようになったのは、大岩元教授がSFCの教授に就任したことがきっかけだったし、その後は幾つかの仕事に参加させていただいた。
情報処理信仰事業協会 独創的情報技術育成事業 カード操作ツールを用いた要求仕様作成支援システム研究開発報告書 株式会社日本コンピュータ研究所(飯箸泰宏、大岩元、ほか) 1995
トランスコピーライト実証実験報告書、慶應義塾大学(飯箸泰宏、Ted Nelson、大岩元、ほか) 1998。
次のような仕事のきっかけも、大岩元先生の手配によるものである。
多民族文字コードサイバーセンス報告書、慶應義塾大学(飯箸泰宏、三上喜貴、ほか) 2001。

さて、この日(3月1日 土曜日)、10時40分自宅を車で出発、最寄り駅の駐車場に車を預けるとJRで東京駅にでる。東京駅から東海道線でJR戸塚駅、横浜市営地下鉄に乗り換えて湘南台、湘南台からはバスで藤沢キャンバス(SFC)に降りる。所要時間2時間40分位である。SFCは遠い。それでも便利になったのだ。私がSFC研究所の所員(訪問)になったばかりの頃は、東海道線の辻堂駅に降りて1時間に1本くらいしかないバスに乗って1時間近くかかったのである。当時は所要時間3時間20分くらい。今では、自宅から2時間40分。40分くらいの時間短縮になっている。
それにしてもようやくキャンパスにたどり着いて、目指す建物に到着すると受付には松澤君がいた。かれは、コラボレイティブ・マネージメントの件でも紹介したが、大岩研でも優秀な弟子である。やぁやぁとエールを交換して、受付を済ませて、会場に入る。
まだ数人しか会場には居ない。しかし、壇上では木管カルテットが音あわせをしている。良く見ると大岩教授もその中に居た。今回の会は、「最終講義と演奏の会」と銘打ちれて居たのである。
しばらくするといったん壇上は片付けられて、講演の準備ができた。最終講義の始まりである。

最初の最終講義は大岩教授である。
パワーポイントを使った講演が始まり、生い立ちからの経歴が紹介される。満州に生まれて3歳の時、あわや残留孤児になりかけながらやっとの思いで帰国したこと。大学では東京大学オーケストラ部に所属したこと、実は一緒に最終講義をする古川康一教授は大学でクラスも一緒、取る単位も一緒、クラブも一緒、進学した学科も一緒と
いう間柄であることも紹介された。
若い頃の研究は、別物だったようだが、豊橋技術科学大学の助教授になった時からコンピュータ教育に携わるようになり、以降の業績のほとんどがこれにまつわるものである。タッチタイピングの一つを広めたり、日本語プログラミング言語「言霊」を育てたりしたのは大岩教授の功績である。
タッチタイピングの一つを広めたり、日本語プログラミング言語に注力した理由が明かされたことには、大いに心が動かされた。
日本語プログラミング言語については、「プログラミング教育で論理性を育てる」という命題が日本ではうまく行かないことがその背景にあった。欧米でうまくいって日本でうまく行かないのは、一般的なプログラミング言語が欧米式の語順になっており、日本人とっては思考負荷が大きいという欠陥があったからであるという。日本語の語順は決して悪くはない。オブジェクト指向は欧米語よりもむしろ日本語の語順に近い。日本語の語順でプログラミングができれば学生らはアルゴリズムに集中できるはずである。この考え方は私が1981年ころから声高に主張してきたことと全く重なるものである。なんとなく、聞いていて安心した。嬉しかった。

次は、古川康一教授の最終講義である。間の休憩時間にまた知り合いの大岩研の弟子たちと立ち話を続けた。
古川康一教授は第五世代コンピュータプロジェクトのリーダとして世界的に名高い人であり、その業績はすばらしい。海外の交流も研究者の中で群を抜いているといってよいだろう。
満州で生まれて、あわや残留孤児という経験も大岩教授と同じというのだから、良く似たおふたりである。若い頃の研究はタイムシェアリングシステムのコントローラの開発に始まって、続いては論理プログラミングという分野ということで、第五世代コンピュータプロジェクトのリーダになるべくしてなったというべき方である。第五世代コンピュータプロジェクトは日本が世界の知性をリードした数少ない輝かしいプロジェクトだった。大成功だったが、一つだけ失敗だった。それはキラーアプリケーションを創出しなかったことである、と明言されて、私は長年つかえていたものが取れたように感じた。第五世代コンピュータプロジェクトの時代、私は自分のシステムハウスを立ち上げたばかりだった。世界初との言うべき人工知能の実用システムを作った経験も私は持っていた。業界団体や周囲の先輩ソフトハウス、当時の通産省の技官たちに盛んに奨められて、第五世代コンピュータプロジェクトに関連してキラーアプリケーション開発の提案をしたが、ことごとく退けられた。高速処理マシンの開発費が優先され、アプリケーション開発の予算が取れないというのがその理由だった。そのころ、私は第五世代コンピュータプロジェクトのリーダたちにひどく落胆し、この人たちは人工知能というものをきっと理解していないのだと思ったりしていたものである。ご本人たちからいつかこのあたりの本音を聞いてみたいと願っていたのだが、ご本人(「張本人」といったら失礼だが)の口から、この日、それこそが失敗だったとの表明が聞かれて、あぁ、優れている人はあらたむるにも潔いものと納得したり感心したりしたものである。
並列の知的処理プログラミング言語の開発の立役者で世界的権威の古川康一教授の業績は何人とも賞賛してやまないだろう。私は、それ以上に、失敗もまた率直に認める人柄に感動した。
最近では、「スキルサイエンス」と称して、音楽やスポーツにおける習熟に関する研究を進めているという。この研究の成果がご自身のチェロ演奏の上達につながっているというくだりは会場を大いに沸かせていた。

講演は各1時間ずつ、話術に長けたお二人のお話はあっという間に終わって、演奏会となった。大岩教授は、東大オーケストラ時代のお仲間の方たちと4人でカルテットで演奏した。大岩教授は長年演奏してきたフルートである。プロとは違うので、良し悪しはともかく、お仲間たちの暖かい雰囲気が会場いっぱいに広がってゆくのが感じられた。かつて聞いた大岩先生のフルートよりも今回のほうがはるかに心にしみる。満喫できる演奏だった。
古川康一教授に交代して、先生はチェロで、伴奏ビアノは次男さんの奥さん、司会は先生の奥さんのお友達のお嬢さんというタレントで「公演」が開始された。チェロの演奏はすばらしかった。ほとんどプロ級と言ってよいかもしれない。本当に「スキルサイエンス」の成果かも知れないと思うほどだった。数曲演奏した後で、大岩教授も登場し、二人でチェロとフルートの演奏、万来の拍手、幕に引き込もうとするとアンコール、アンコールの掛け声。「打ち合わせになかったこと」などと、ぼやきつつ、もう一曲を演奏し、それからが、会場大騒ぎになるハプニングがあった。事前の講演で大岩教授は、フルートからファゴットに転向しようと思っているという言葉があったのだが、会場はすっかり忘れかけていた。大岩教授がいったん幕に引っ込んで再登場するとなんと手にはまさかの真新しいファゴットがあった。会場は割れんばかりの拍手。曲目が発表されると会場は拍手に加えて爆笑の渦。「森のクマさん」だった。
ファゴットとチェロの暖かい音質に包まれて、楽しくうっとりと聞き入る。やがて曲がおわるとたくさんの余韻を残して散会となった。

続いて、懇親会がある。少し遠い建物に移動してゆく。
懇親会が始まるまでの間に、松澤君(2日前に博士号取得)、浅加君(ソニー勤務)、海保君(自営)、中鉢君(首都大学大学院大学教授)などとの話が弾む。豊橋技術科学大学教授の竹田先生にもお目にかかる。松澤君とはコラボレイティブ・マネージメント関連で研究会を持つ約束をした。浅加君(ソニー勤務)は仕事が順調なようだ。海保君(自営)は、最近仲間の会社に合流したとのことだが、苦労もあるらしい。六本木に事務所があるというので、今度は尋ねてゆく約束をした。中鉢君(首都大学大学院大学教授)は、システム開発から教育の立場に替わって、いろいろと大変という話をしていた。なーに、中鉢君ならば何とかするだろう。
懇親会は、間もなく始まって楽しい話題が次々に披露されてゆく。古川先生には弟子たちが立派な譜面台をプレゼント、大岩先生には懐中時計がプレゼントされた。
会場で日本語プログラミング「言霊」の開発者岡田君を発見。早速近づいて近況を聞く。昨年後半は体調を崩したそうだが、働きすぎに違いない。まぁ、ゆっくりやればいい。日本語プログラミングでは私もいろいろと思い入れがある。彼が言うには、最近学生のプログラミング教育に自分の「言霊」を使用して、「日本語」であることの利点を深く感じたという。それまでは理屈に走りすぎていたが、これで良いという実践的な確信が得られたようだ。いいぞ。私は心の中で叫んでいた。これからも応援するぞと約束した。

楽しくて刺激的で、嬉しい一日だった。遠くまで出かけたかいがあったというものである。帰りは、乗り換えの少ない新宿回りで帰った。

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琵琶


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必殺仕事人は段取り上手、料理・仕事・アルゴリズム--社長の条件(39)

2008/03/03
必殺仕事人は段取り上手、料理・仕事・アルゴリズム--社長の条件(39)

社長は、必殺仕事人でなければならない。当たり前のことである。社員の誰よりも仕事ができて当たり前である。少なくとも専門分野の一つと営業においては、誰に対しても勝てる自信がなければ勤まらない。
映画007のジェームズボンドのように、狙いを定めたターゲットに対しては万難を排して、思いもよらぬ方法を考えて、着実にすばやく正確に任務を実行しなければならない。
言うは易し、行なうは難し。そんなことを言われてもどうしたら必殺仕事人なれるのか、わからないという者もいるに違いない。

2月21日の日経産業新聞(23面)に面白い記事が載っていた。
「仕事の段取り 料理から学べ」
-まず完成形イメージ、物探す時間は最もムダ、失敗と反省 繰り返せ-
記事では、まずは、料理研究家の加藤和子氏と服部幸應氏に聞いている。以下は、この記事からの引用である。
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加藤氏「まず完成した料理をイメージすることが大切」と話す。「熱々の状態で食べたいものは何か、冷やして食べたいものは何か?を考える」。たとえば夕食のトンカツ定食を想像する。ご飯は炊きたて、カツは揚げたててで衣がサクサクした状態がおいしそうだ。みそ汁も熱いほうがいいが、風味が飛んでしまっては味気ない。
完成した絵を想像できれば、おのずと手順は見えてくる。最初に炊飯器のスイッチを入れ、カツは肉への味付けと溶き卵につけるなど下準備まで。みそ汁も出しや具を入れていったんあたためておく--といった具合。
プレゼンなどをする際も闇雲に作るのではなく、まず完成形をイメージすれば、必要な資料やデータなどを漏らさず集められるだろう。
・・・。
「物を探している時間は、もっとも無駄だ」と言い切る。段取り良く料理をするためには使いたい道具がすぐ使える状態にあるかが重要。包丁も時間に余裕のあるときにあらかじめ研いでおく。
仕事でも、資料探しなどにかける時間は案外長い。一つ一つは数分でも積み重なると1日1時間近く仕事を滞らせてしまっていることも少なくない。机周りの整理整頓やホチキスの芯などの補充も、段取り良く仕事を進める上で大切なポイントとなりそうだ。
・・・
(服部氏は、)料理を三分間で作るテレビ番組やレシピ本はあるが、初めて作る人は大抵三分では作れない。「頭で考えるだけではなく、実際に作ってみる」。火加減などを反省しながら繰り返し作ることことでできるようになる。仕事も同じ。プレゼンなどは何度も練習し、失敗・反省を繰り返すことで、段取り良く進められるようになる。
・・・、時間がないのを理由に「電子レンジの加熱に使うプラスチック容器のまま料理を出す」という声の多さに驚くという。「お皿にきれいに盛りつけるだけで、見栄えも相手の心象もよくなるのに」と嘆く。
取引先に見せる資料も同じ。必要事項が書かれていても、手を抜いたのが明らかな乱雑な掻き方では読む気がうせる。服部氏は「段取り良く仕事をすることと手を抜くこととは違う」と話す。ちょっとした気遣いが結果的に仕事を円滑に進めるのだ。
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-最悪の事態 回避するには?、自分独自のルール作りを-
この記事の中では、マーキュリッチ代表取締役西野浩輝氏にも聞いている。西野氏の発言部分を続けて引用する。
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・・・。
料理の場合はおいしく出来上がった場面を創造するが、仕事の場合は成功した場面に加えて、失敗したケースも考えることが大切。今日この作業をおろそかにしたら明日はどうなるだろう、一週間後どうなるだろうといった「バッド(悪い)イメージング」を合わせることで、段取り力が養われる。
料理の前に調理道具を整頓するように、机の周りや仕事道具を使いやすい状態にする。その状態にするための自分独自のルールも欠かせない。
たとえば手帳だが、私はやるべき仕事のメモはボールペンで掻き、変更する可能性がある予定は鉛筆で書く。手帳が汚くならず、予定の重複や締め切り忘れと言った最悪の事態に陥らずにすむ。治部に会ったルールを見つけてほしい。
・・・。
聴衆がどの程度知識があるのか、事前の情報収集は必須。わからないときは先方に聞く。相手の好みを知るためには「聞く」のが一番確実。聞くことをためらう人は多いが、情報を集めなければ成功できない。
こういった段取りを練る時間に、仕事の10%程度を費やしてもいいと考えている。利用利も仕事も、段取りこそおいしい結果をもたらす。
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長々しく引用したが、大切な内容がいっぱい詰まっている。
何であれ、極めた人の言葉は重い。彼ら必殺仕事人は段取りこそ大切と言っているのである。

たとえば、協力会社さんの管理の段取りを考えてみよう。「今は忙しいから発注仕様書をヒマになったら書こう」という発想はどうだろうか。合理的な仕事の仕方と言うことができるだろうか。
その後の様子を予想すると「ヒマになったから、発注仕様書を掻き始めた」「発注仕様書を詳しく書くよりは、自分で作ったほうが思い通りで来そうだなァ・・・」「発注を取りやめよう・・・」・・・。そして、また繁忙期にまたたくさんの仕事が重なって、アップアップして「なんでオレだけこんなに忙しいんだよ」と悲鳴を上げるのである。
何処が間違っているのだろうか。段取り上手の諸君はすぐにわかると思うが、忙しいときにこそ、協力会社さんに働いてもらわねばならないのである。自分が他の仕事に熱中しなければならないとき、併行で協力会社さんがお願いした仕事に熱中していなければおかしいのである。自分が忙しいときまたは忙しくなる直前に発注しなければ、忙しいときに助けてはもらえないのである。
目前の仕事に熱中するのは当然だが、一日に何回かは、少し頭を高い位置において、先を見て、年度末までの仕事の完成状態を思い浮かべて、いい結果を生むケースと悪い結果になりそうなケースをいくつもシミュレーションしてみればよい。いい結果を生むケースと思われる段取りを採用すればよい。いま取り上げた協力会社さんへの発注管理は、「忙しいときほど、他の仕事を後回しにしても、発注仕様書を書き上げてしまう」という段取りが正しいのである。
私は、料理もたくさんするしアルゴリズム戦線では負け知らずだった。仕事も多分普通の他人よりはやっただろう。今は楽をさせてもらっているが、人一倍「段取り」には踏ん張ってきたように思う。もっと優れた人たちもたくさんいるだろう。諸君はそれらの優れものたちとこれから競争するのである。アルゴリズムという言葉には 故 高橋秀俊東京大学名誉教授による「算法」という訳語が与えられているし、「チューリングの状態遷移」をアルゴリズムというという狭い解釈もあるが、要するに私は「乱暴に言えばアルゴリズムとは"段取り"のことである」といい続けてきた。だからこそアルゴリズム戦線では負け知らずだったとも思うのである。算数でも数学までも状態遷移理論でもない、「段取り」が日本語としては一番意味が近いと思うのである。「段取りを想起しうる能力」つまりは「戦略が常に想起できる能力」こそが、社長に必要な能力の一つである。
目的なくして戦略はない。目的なくして段取りもない。段取りを考えるときは目標となる結果を思い描くところから始めよ、と料理の達人たちは教えている。
諸君も、いっそう段取り力を磨いてゆけ。
段取りを考えるのは、囲碁や将棋の手を読むことと基本的には同じである。いくとおりもの手筋をたどってみて、よい結果になりそうなものに照準を合わせて、一手目はこれ、二手目はこれ、と予定を積み上げてゆくことである。実は、そのためには、その未来の手筋を忘れずに記憶している時間的展望の能力が必要である。
時間的展望が欠落するのはアスペルガー症候群などに良く見られる現象である。鬱や統合失調症にもみられる。それらの人々の時間的展望を維持するには本人の努力のほかに周囲の人々と医師たちの支援が必要である。それはたいへんな努力が必要である。諸君のように正常な精神と人格の持ち主には、そもそも正常な時間的展望の能力が備わっているので、それほど困難ではないはずである。
「段取り力の向上」、これも社長の条件である。

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春、モグラに吼える--我が家の愛犬様(23)

2008/03/02
春、モグラに吼える--我が家の愛犬様(23)

早朝、ネギ畑に囲まれた我が家の周囲には霜柱の立つ日が続いている。しかし、もう、春は始まっているらしい。裏の庭に毎年咲く梅の花はちらほらと咲き掛けている。
本日は休日、のんびりと自宅でくつろいでいると、愛犬様の激しく吼える声。誰か来たのかな、とドアをあけるとあらぬほう方向を見て吼えている。
綱は目いっぱい張っていて、愛犬様は、すでに立ち上がっている状態だ。耳は前に揃えて、たれている。好奇心いっぱいの顔つきだ。視線は、庭の片隅の植え込みのあたりに注がれている。何があるのかと良く見ると、モグラのやぐらが立っている。じっと見つめるとてっぺんあたりがモゾモゾと動く。モグラが地中から出てきているのである。我が家では珍しい光景だ。
愛犬様は、自分のテリトリを冒す者は誰でも許さない。
カラスは天敵である。愛犬様の食べ残しのドックフードを狙ってやってくる。ネコは、愛犬様の綱の届く範囲を良く知っていて、その限界の外を堂々と通過してゆく。最近はカケスやオナガが庭木の枝で我が物顔にしている。愛犬様は悔しくて仕方がない。
カラスの時は、えさに近寄ると容赦なく飛び掛る。カラスのほうが用心しているので、一瞬で飛び上がるので、なかなかつかまらない。一羽のカラスを追いかけているとその後ろに回った別のカラスがエサをくわえて飛び去ってゆく。カラスは賢くて群れで連係プレイをしているのだ。オトリ役と強奪係がいる。愛犬様は、きゃ~ん、と悔しそうな声を上げてそのカラスを追う。あるとき、愛犬様は悟った。追っては負けということだ。カラスが来ると、エサの前から動かない。近寄るカラスに威嚇して吼えるだけにしたのだ。これは成功だった。カラスは、もうエサを奪えなくなった。
カケスやオナガは直接愛犬様のえさを狙ったりしないので、カラスに対するほど敵愾心は持たないが、じっと観察して悪事を働かないかどうか観察し続ける。たまたま、ご主人様やその奥さんや息子がそばにいるときだけは、飛び上がって小さく声を上げて威嚇してみることもある。カケスやオナガもなれたもので、一瞬宙に舞って逃げるそぶりを見せるが、すぐに舞い戻ってくる。庭にはおいしい木の実がなっているのだからおいそれと逃げ出すわけには行かないのだ。愛犬様は追ってももどっくる奴らが悔しい。キ~ン、ワン、と鳴く。
追ってもネコは綱が届かないところにいるからつかまらないと分かった。それならと、伏せをして動かないことにする。ネコが油断して綱の範囲に入ってきたときは、猛然と突進する。ネコはびっくり仰天してぴょんと飛び上がると一目散で逃げてゆく。ヘッヘッヘ、愛犬様はだらりと舌をたらして、口をあけたまま私のほうを振り返って得意の顔を見せる。
モグラは初めてだ。なんだ、なんだァ! あのむくむくする土を前足でかきむしってみたい! ・・・。
「ダメ、仲良くしなさい」と私。エッ、という顔をする愛犬様。あんな奴と仲良くしろっていうのかい、という顔である。まぁ仕方がないか、モグラの実体を見たわけじゃないしな、と私。私の声に、一瞬静かになったかと思うと、また吼え始める。綱がなかったら、モグラを土から掻き起こして、食べてしまいそうな勢いである。野生の血が勝っている君にはそれが自然だよね。
春ののんびりした日のことである。

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