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"S-O-V"も"O-S-V"も、日本語への目覚めころ--日本語の探検(1)--その他、シリーズ外の記事

2008/03/26
"S-O-V"も"O-S-V"も、日本語への目覚めころ--日本語の探検(1)--その他、シリーズ外の記事

私は、成長の過程で、いくつもの道を目指して挫折を繰り返し、性懲りもなく新しい分野に挑戦を続けてきた。端から見ていれば、好きなことを無定見にやってきただけのような男に見えるだろうと思う。振り返れば、苦しかったけれど、それを許してくれた周囲が居たということである。まことにありがたい半生だった。少年期は画家を目指していたが、画壇でトップクラスの皆さんに可愛がられると専門家の力量に比べて自分の非力に思い至り画業で生きてゆく自信をなくして小学校の3-4生のころには挫折した。替わりに頭をもたげた思いは物書きになることだった。
当時は志賀直哉の簡潔な文体にあこがれた。我が家には、学校教師だった父(故人)がたぶん姉のために当時流行りだった割賦で買ったのであろうう全集本がそれなりにあった。小学校4-6年の間に、うろ覚えだが新潮社(?)の日本文学全集(多分2-30冊くらいはあったと思う)は全て読破していた。同時に読んだ覚えがあるのは、小学館の「小百科」と中央公論の「日本の歴史全集」「世界の歴史全集」である。アインシュタインの相対性理論が「小百科」に数式を使って解説してあり、小学生の自分にはすぐにはわからずにずいぶんじれったい思いをした。中学に進学してから所属した理科部の教師や実験助手に来ていた東大の学生に懇切に教えてもらってやっと理解したものだった。「世界文学全集」(多分70冊くらい)は中学の1年のときに全部読み終えた。読み始めると1晩か2晩で箱入りの全集本1冊は読んでいたように記憶している。濫読の限りを尽くしていたというべきである。田舎の小中学だったこともあり、中学の1年生くらいまでは、いわゆる勉強はしなくても十分だった。
中学に進むとすぐに図書委員を命じられて、普通の教室の半分くらいに書架を並べただけの粗末な図書室に入り浸ることになった。ここにはなぜか、「般若心経講話」や「天皇の人間宣言」、「二宮尊徳伝」などの正統派(?)の本に混じって「宮本百合子全集」や毛沢東の「実践論」や「矛盾論」なども混じっていた。どうしてそんなものがあったのかいまだに不思議である。戦後の食べ物にも事欠く貧困時代に教師がそれぞれに持ち寄りによって作った図書室である。当時の子供たちに、いまどきのようなケーム機もなければ遊びに行く金銭的余裕も乏しかった。活字があればそれだけでありがたかったというのが実感である。贅沢はいえなかった。200冊くらいしか蔵書がないのだから、2年生の夏休みの終わりころには隅から隅まで全て読み終えてしまった。
中学の現代国語の教師が日本語文法について、1時限のうちの半分くらいしゃべった。現代国語の教科書に付属する別冊「国語文法」を開いて、「この別冊で授業を2回くらいやることになっているんだが・・・」と口ごもって、ため息をつきながら「品詞分類」を説明した。その後、「あとは読んでおくように」と言った。私は英文法の時間にも、英語は上の空で日本語文法はどうなっているのか、と不届きな思いに熱中していた悪い生徒だった。私は、文学かぶれの少年にありがちなように国語文法を教えてくれるというのは楽しみだったし、うれしくてたまらなかった。しかし、何か様子がおかしかった。この教師は実に誠実な人柄なのだが、このときは何か思いつめた表情だった。私はその「国語文法」にすばやく目を走らせると、手を上げて、「先生、これって変ですよ。だって、私たちは、主語、目的語、述語の順番(S-O-V)では必ずしも話しません。たしかに"私は先生に話しました"とも言いますが、事情によっては"先生に私は話しました"とも言いますね。このときは目的語と主語の順番が逆(O-S-V)になっています。逆でも場合によっては不自然ではありません。間違っていますか」と言った。先生は、ぎょっとしたように私をにらむように見返すと、「その件は後で」と言って、別の話題に移ってしまった。私はいけないことを言ったに違いないと良心が痛んで、ことさらに忘れるようにしていた。
1960年の冬、中学2年生の2学期の終わりころ、図書館にはほとんど読んでいない本はないはずだった。しかし、立ち寄ると読んでいない本が一冊目に付いた。手にとってみると「象は鼻が長い」(三上章)だった。私は、その装丁の真新しい本を手にして、これって、2学期の初めにはなかった本だ、と確信して、ドキドキしながら借りて帰った。私には書かれていることの全てが納得の行く内容だったが、著者は異説の存在をたいそう気にしており、幾度も反論を試みていることがその文面の随所から見て取れる。・・・当たり前のことを言っている著者が、何かにおびえるかのように反駁に勤めている様子がとても奇妙に思えた。書名の「象は鼻が長い」は、「象は」と「鼻が」という二つの主語があるかのように見える。それでも、この文章は日本語として正しい、正しい日本語を正しく解釈できない日本の文法は間違っている、、、。私もそう確信した。
私は今でも、その本は、「その件は後で」と言った国語教師が、私のために、そっと買い足してくれた本だと信じている。遅ればせながら、ほんとうにありがとうございました。深く感謝申し上げます。
後で知ったことであるが、当時の学校文法(主として橋本進吉説に依存)はおよそ50年を経た今でも中学で教えられているという。これを教える国語教師たちはいまでも大変な災難であるに違いない。国語の先生方は主として国文学を学んできたので、学校文法に真理がないことを十二分に知っている。それなのに真理を万力で押さえつけるようにして捻じ曲げてもっぱらウソを子供たちに教えなければならない。「国語文法」は教師に苦悩を与える教科となっているのである。こんな状況で本当によい日本語教育ができるだろうか。
母国語(日本語)教育の重視を--心理、教育、社会性の発達(48)
私は、この「学校文法」こそ、いろいろな意味で罪作りな存在であると思う。子供たちの論理的思考能力を奪っている大きな原因の一つであると言いたい。否、いまどきの大人たちにも緻密な思考を許さない原因になっていると思う。言いすぎとのお叱りを覚悟してあえて言わせていただければ、いまだにこの種のウソに満ちたテキストを作っている教科書会社もこれを指導している文部科学省も、百鞭の刑に値すると思う。
私は国文学者でもなければ日本語文法の研究者でもない。ただの素人の日本人である。
しかし、同じ思いを抱く国語の教師の皆さんは少なくないはずである。教科書採用で力を振るう校長先生の何割かは国語科の出身であるはずだ。ご専門の立場で大いに発言してもらいたいものである。
ちなみに、10年以上前のことであるが、外国人のための日本語教師の資格を持つ方のテキストを見せていただいたことがある。文部省(現文部科学省)の認定講座で使われる日本語教科書である。驚いたことに、そこに採用されていたのは橋本文法(学校文法)ではなくて、基本的には三上文法だった。ここでは、文部省(現文部科学省)は、当然のことだが、愚鈍でも反日本文化主義者でもなかったのである。
それでは、なぜ・・・? 日本人向けの国語教育は反日本語的橋本文法なのか? 外国人には正しい日本語文法を教えて、日本人には日本語にあらざる反(半?)日本語文法を教えているのはまことに奇妙なことである。その理由はどこにあるのか? 疑問は尽きないのである。日本語文法を専門的に研究している方も多いに違いないが、どしどし発言してもらいたいものである。

私は、高校や浪人時代に、同人誌に参画して、毎号連載小説を2-3本、和歌や俳句、自由詩などを数編ずつ発表した。その傍らで、成績順の進路指導のおかげで無思慮にも大学では理系に進学して大きな違和感の中で時間を過ごすはめになり、文学部に転部を試みたものの、見事に失敗して、理系のまま卒業した。本人にとってはいまだに笑えない笑い話である。

私が、理工系の学問を修めてなお出版社に勤務したこと、後に、文字列の類似度に関する研究に没頭したり、日本語プログラミング言語の発展普及に肩入れしたりするのは、行き当たりばったりの結果に過ぎないが、たぶんこんな人生の紆余曲折が背景があったからに違いない。

(参考)
1.象は鼻が長い:
三上章、「象は鼻が長い―日本文法入門」、三上章著作集、270pp.、くろしお出版 (1960)
2.文字列の類似度:
私、"学会発表-テキストの類似度--感性的研究生活(1)"
私、"「久しぶりの学会発表-文字列類似度の汎用的尺度--感性的研究生活(2)"
私、"田子の浦ゆ打ちいてでみれば--感性的研究生活(9)"
私、"「テキスト類似度・飯箸法」がアピール、第16回次世代大学教育研究会「知の発掘」(東京)--感性的研究生活(25)"
3.日本語プログラミング:
私、"研究発表-技術史教育学会--感性的研究生活(3)"

次の機会があれば、「日本語=ウラルアルタイ語説を信ずる時代遅れインテリたち」というテーマで書くつもりである。

琵琶


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