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迷信「アルタイ語説」を越えて--日本語の探検(2)--その他、シリーズ外の記事

2008/04/04
迷信「アルタイ語説」を越えて--日本語の探検(2)--その他、シリーズ外の記事

会場からは「日本語はウラル・アルタイ語族というのが定説。あなたの回答はただの思いつきか?」と、思いもよらない怒声が飛んだことがある。

直前の質問者が
「日本語と韓国語は文法上良く似ている。あなたの文字列類似度の理論で、これを実証することはできないか」
という質問をしたのである。
この質問者は日本APL協会の会長さんである。いわば趣味でプログラミングをするようなご長老で、日韓-韓日翻訳ソフトを完成させたばかりだった。韓日の単語の対応表があれば、ほぼスムーズな訳が出来上がるという。要するに、文法はほとんどそっくりだというのである。
私の回答は
「韓日の単語の対応表や類似語テーブルとそれぞれの言語内のシソーラスを駆使して、日韓-韓日翻訳の長文、たとえば小説類など、の文字列類似度解析をすれば、語彙の順番の類似点などは見出せると思う。ご希望があれば共同研究に加わらせてください」
というものであった。
続いて、別のお若い方からの質問。
「ちょっと筋誓いの質問かもしれませんが、なぜ日韓-韓日両言語の文法が似ていると考えていますか」
この方は日本語の韓国起源説を唱えたいようだったが、残念だが、学問上は全く可能性のない言説である。いずれにしても、日本語の起源についての話題では、面前で否定するのはご法度である。
私の回答は、次のとおりでした。
「最近の学説では、日本語はクレオールタミル語ということが優勢になっているようです。私もどちらかといえば、この説に傾いているので、この説に副ってやや空想も含めていいますと次のようになるかと思います。モンゴロイドは各地に定住する部族を残しながら、ユーラシア大陸の東岸をマンモスなどの大型獣を追って北上し、現在のモンゴルの地に到達していたと考えられます。約3万年前、最終氷河期に当たって、氷点下60度にも達する極寒に見舞われたモンゴル東の地からモンゴロイドは南や西、東へと移動します。東に異動した部族のあるものはベーリング海を渡って北米に到達し、南下しながらネイティブアメリカン、いわゆるアメリカインディアンになってゆきます。東に向かったモンゴロイドの一部は、黒曜石のやじりを使い狩を続けながら凍った樺太=サハリンの周囲の海を渡っていわば陸続きの北海道に渡ったのが日本列島に人間が入った最初と考えられています。石器などの遺物で見る限りでは北海道のヒトは16000年前までさかのぼることができます。冬季、凍結した津軽海峡をわたって幾つかの家族は本州にわたり、やがて日本列島全域に広がったと考えられます。一方、はるか太平洋の南からは丸石の斧を使って丸木舟を作る技能を持つ人々が北上してきます。沖縄では港川人という名で呼ばれる約18000年前の人骨が発見されています。北からのやじりと狩の人々と南からの丸木舟の人々はともに人を殺して我が意を貫くという戦争の文化が支配的とは言えなかったため、混血して均質化してゆきます。3000年ほど前までには、ほぼ均質化が終わっていたと考えられます。この人々が縄文人といわれる人々であったと考えられます。その後、中国大陸では、春秋戦国の時代となり、戦乱の相次く時代を迎えます。周が都を洛邑(成周)へ移してから秦が再び中国を統一するまでの間、すなわち紀元前770年から紀元前221年頃までです。この間、戦いに敗れたり戦乱を逃れようとした中国の部族の一部は、揚子江の河畔や朝鮮半島を経由して、日本へ上陸してきます。彼らは人を殺して我が意を貫くという戦争の文化と戦争技能を色濃く身に着けていましたので、縄文人は居住域を圧迫されます。大陸からやってくるこれらの人々を後代の人も含めて帰来人と言います。しかし、この時代には、第三の勢力も登場していました。南方から帆船に乗った貿易の民たちです。南インドを拠点に活動していた彼らは、世界をまたに交易していたと思われますが、元々は中央アジアから次々に押し寄せるインドヨーロッパ語族の後発部隊に押されてインダス流域-ネパール周辺からインド中部を徐々に移動してインド南端に達して、インドの南端とスリランカにまたがる海洋国家を形成し交易によって栄えていたと推測されます。日本海沿岸にやってきていたのはそのタミル王国の船乗りたちです。タミル王国は後続の部族との戦いに敗れてついに海に追い落とされてしまいますが、インド大陸とスリランカの間の海峡の交易で栄えたように、後継者たちは朝鮮半島と日本列島の各地の港ポリスを拠点に拠点間の交易を盛んにすることによって栄えていたと考えられます。この時代は日韓-韓日の文物と人の往来が盛んだったと考えるべきでしょう。日本海岸の日韓各地の港ポリスの連合体が邪馬台国の実態と推測されるところです。かれらは、交易の権益を守るために、縄文人や古韓国人と帰来人たちとの間に立って、防戦に努めることになったと考えられるのです。縄文人と古韓国人は民族も言葉も異なりましたがタミル人の支配下に入ることで両者はともに身の安全を確保することになったものと思われます。多民族によって征服された地域では、言語を構成する単語は現住民の言葉が残り、文法は支配した民族のものが残るというのは、歴史的に証明された事実で、クレオール語と総称されています。日本語も韓国語ももともとの原住民は異なるのに、支配した民族が共通だったので文法はほぼ共通することになったと考えるのが、自然ではないでしょうか。ついでに言いますと、新羅の王朝の祖先と天皇家の祖先に何らかのつながりがあると推測されるのは、たぶん両者ともにタミル族の後継者だったということだろうと思います」(日本語の起源に関する飯箸仮説)
韓日"親子"説ではないが、いわば韓日"義兄弟"説だったので、そのお若い方はずいぶんと満足したようだった。
その時、問題の方が立ち上がって、発言をしたのである。
「日本語はウラル・アルタイ語族というのが通説。あなたの回答はただの思いつきか?」 怒気を含んだこの方の発言で会場は一瞬シンとなってしまった。発言者は教育学の権威である。日本語の起源を語るときは、ほんとうに難しい。
また、学会活動で、身分の高い方をあからさまに批判するのはご法度である。
私は「日本語の由来については諸説ありますので、私の説明は、一つの仮説としてご理解をいただきたいと思います」と述べた。教授先生は、勝ち誇ったようにどっかとまた椅子にすわった。
内心では、・・・、た、たいへん恐縮ですが、日本語ウラル・アルタイ語族説というのは、過去のもの、現役の研究者でこの説を取る人はほとんどいらっしゃらないのです、、、と言おうかとも思ったのだが、お怒りの火に油を注ぐことになりそうだったので、思いなおしたのである。いずれせよ、私の説明は、専門家であればいいたくとも言えない大胆仮説を含んでいることは紛れもない。
しかし、この先生ほどの教育学の御大家が、化石となっている日本語ウラル・アルタイ語族説を持ち出そうとは、思いも寄らぬことだった。後日、幾つかの啓蒙書を見てみると、なんと言語学の黎明期の思考仮説に過ぎなかったはずのこのボロボロの古い言説が、あたかも現代の定説であるかのように書いているものがずいぶんたくさんあることに気がついて、もっと驚いたものである。この先生だけの特殊なことではなく、おそらく私が教育界の「常識」を知らなかっただけだったと反省した。

「ウラル=アルタイ語説」というのは、フィンランド語・ハンガリー語等のウラル語と,満州語等のアルタイ語が共通の祖先を持つという説で、日本語はそのうちアルタイ語に属しているというものである。
しかし、そもそも、アルタイ語族の存在を指摘したG. ラムステット(1873-1950)やその学説の展開に努めたN. ポッペ(?-?)は、この語族に朝鮮語や日本語が含まれることには疑問を呈していたのである。にも係わらず、「日本語はアルタイ語」を証明しようと成果に結びつかない努力を続けた人は多い。この方面につながる人で著名で誠実な日本人研究者には服部四郎(1908-1995)と村山七郎(1908-1995)がいる。かれらは、決して日本語=アルタイ語という断定を行わなかったが、それを秘めたる仮説として研究人生を送ったと考えられている。そして、日本語=アルタイ語説はついに証明されていないのである。実際、彼らが学んだ「比較言語学」はG. ラムステットやN. ポッペに由来するのだが、G. ラムステットやN. ポッペはもっぱらアルタイ語族を研究していたので、研究の手本がアルタイ語族研究だったからである。
日本語の起源をめぐっては、新旧取り混ぜていえば、アルタイ語族説、オーストロネシア語の影響を指摘する研究、日本語・高句麗語同系説、日本語・朝鮮語同系説、オーストロネシア語起源説(混合語起源説)、タミル語起源説、日本語クレオールタミル語説などが登場した。
少しややこしいのは、タミル語起源説、日本語クレオールタミル語説は同一人物の提唱になるもので、タミル語起源説は旧説、日本語クレオールタミル語説は後の説である。旧説を唱えた直後の大野晋は、国内では学界の大家から激しいバッシングをうけて海外での研究生活に転じた。後に、膨大な研究成果を携えて、新説日本語クレオールタミル語説を掲げて国内凱旋を果たしたといってよいだろう。旧説との違いは、日本語研究者がとらわれ自身も絡めとられていた言語系統論をあきらめて、ピジン・クレオールという概念をキーにしたことである。
 注1 ピジン語: bussiness語から転じたと言われる中国語で、商売で使う中国語
    風の英語というのが語源で、交易に伴って形成される中間的な言葉の総称
 注 クレオール語: 占領支配した民族の言葉が現地の言葉を取り入れて独特の
    言語を形成し定着したもの。文法は支配民族のもの、単語の多くは現地の
    民族のものになる特徴がある。
私は、大野晋の日本語クレオールタミル語説に賛意を表するものだが、日本語の系統研究自体が無意味とは思っていない。大野晋も日本語の系統研究を否定しているものではないだろう。
上記の「日本語の起源に関する飯箸仮説」を見ても分かるように、決して一筋の系統では説明できない複合的な系統の存在が示唆されるのである。
ではアルタイ語起源説もその多様な起源の一つとして残れるのだろうか。
日本語の系統研究の大家の一人である松本克己は、たまたま購入した近著の中で、次のように述べている。

松本克己、「世界言語の中の日本語-日本語系統論の新たな地平」、p.75、三省堂(2007)
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・・・、旧ソ連のアルタイ学者ニコラス・ポッペが取りかかった「アルタイ語比較文法」は、その第1巻にあたる『音韻』(Poppe: 1960)が出版されただけで、後が続かなかった。それ以後、アルタイ比較言語学あるいは比較文法と銘打った書物は、管見のかぎり、一度も世に出ていない。これをもって直ちにアルタイ語比較言語学の挫折と見るのはやや性急かもしれないが、その後の日本語の系統をめぐる研究が、それ以前に比べてかえって混迷の度を深めたかに見えるのは、「ウラル・アルタイ説」あるいはそれを継承した「アルタイ説」の行き詰まりと決して無関係とは言えない。
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実は、同氏は、同じ本の第三章(pp.43-72)には、もっと専門的で詳細で痛烈な「ウラル・アルタイ語」の批判を書いている。「ウラル・アルタイ語説」は戦前の定説に過ぎない、戦後は「アルタイ語」と言い換えられたが、「アルタイ語族」という概念自体が危うくなっているという指摘である。専門的に過ぎるし長くなるのでここには引用しないが、関心のある方は購入するか図書館などで実際に当たっていただきたい。
松本克己氏は、オーストロネシア語に日本語起源を求めようという立場の研究者である。
私は、オーストロネシア語単独日本語起源説には簡単には同意できないが、北方からの新モンゴロイドの言葉と南方からオーストロネシア語が混合してできた縄文人の言葉が日本海大貿易時代にタミル語の支配を受けるようになり、高句麗、新羅、天皇家などを創立したタミル族の後継者がそれぞれの地でタミル語の文法を支配的にしたとの飯箸仮説に同意する。この仮説は、韓国と日本の単語の類似性が多言語と比べて小さいにもかかわらず文法だけは良く似ているという事実をよく説明する。オーストロネシア語は日本語に流入したの複数の言語の一つであることには同意するものである。

通俗的な解説では、Wikipediaが次のように書いている。

日本語の起源、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90、2008.03.21現在
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・・・、そもそも、比較の基礎となるアルタイ語族説の基盤が非常に脆弱なことである。現時点において、信頼できるアルタイ比較文法辞典も語彙辞典も存在しないし、今後も現れる見込みはない(2003年にBrillから"Etymological Dictionary of the Altaic Languages", 3 vols.が出版されている)。アルタイ祖語の音韻の再構については、N. ポッペの説が有力とみなされてきたが、それすらも強力な反論に遭遇して停滞している。アルタイ仮説は破綻したと見る言語学者は多い。
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日本語ウラル・アルタイ語説は、少なくともすでにはるか定説とは言いがたいところにあるということである。
日本語の起源を語るとき、ヒトはなぜかくも熱くなるのだろう。
ヒトはだれしも自分のルーツに強い関心を抱く。それはもっともなことである。しかし、いったんは、遠い目で自分自身の言葉の由来を、心を研ぎ澄ませて考えたほうが良いのではないだろうか。

琵琶


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