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上野のサクラ、美術文化展、岩田哲夫氏の作品--交友の記録(29)

2008/04/05
上野のサクラ、美術文化展、岩田哲夫氏の作品--交友の記録(29)

今年も、美術文化展の季節がめぐってきた。

岩田哲夫氏の個展に赴く--交友の記録(11)
妻の心の支えと私の老母の出会い、美術文化展--交友の記録(14)

3月26日(水)、私と家内と息子の3人は上野の都美術館に向かった。
例年通り、美術文化展が開かれたためである。
午後1時45分、上野駅公園口に立つと、すでにいつもよりもたくさんの人出を感ずる。ゆっくりと上野動物園の入り口を目指す。途中交差する上野の山のメインストリートに差し掛かると、雲のごときサクラの花の広がりが目に入ってくる。まだ、5分も咲いたかどうかと期待も半ばにやってきたのに、それはそれは衝撃的な花の大群だった。
3人とも、うぁ~、と歓声を上げたが、まずは美術文化展が先である。上野動物園の正門前を右折して、都美術館に向かう。だらだらと坂を下って地下の入り口に歩みを進めると右手からは弦楽器のような美しい音色が聞こえてくる。何かなぁと目を凝らすと、なんと、のこぎりの歯をバイオリンの弦か胡弓の弦に見立てて、弓らしきもので引いているのである。音の高低は自在に反り返るのこぎりを片手で曲げて調節しているらしい。ヘブン・アーティスト(大道芸術家)の見事な演奏だ。気になったが、見とれているヒマはない。その前を通り過ぎるとすぐに館内に入る。大きく回りこんで行くと、そこは美術文化展の会場である。
入り口でやや待つと、岩田哲夫氏がやってきた。
まず、私の母がやってこれないことを説明して、お許しを願った。私の母は、昨年夏、大腿骨骨折を経験して、長時間、出歩くことはできなくなっていた。それでも、私の母は、岩田氏と再会できることをずいぶんと期待していたのだが、10日ほど前、岩田哲夫氏から招待状が届いたころ、自分の体力と相談して、無理と判断したのである。かなり以前から楽しみにしていたので、無理でも行きたいとただをこねるかもしれないとひそかに恐れていたのだが、冷静に自己判断を下した。ボケてはいないのである。実際、上野の駅の改札口から、美術館の間を老婆が歩行するというのは私の眼から見ても無理と思われた。結果として、老母を除く我が家族の3人だけがお邪魔したのである。
岩田哲夫先生からは老母に桜餅のお土産をいただき、家内からは岩田先生の奥様へのお土産として「変わり最中」の一種を持参した。私は会の受付などの皆様のお茶請けを用意した。
さて、ご案内をいただいて、館内に入るとすばらしい作品の数々が目に入る。入り口に一番近い地下一階のフロアには、会を代表する作品が並べられている。漁村らしい浜辺に古い杭があり磨り減っているような漁網が無造作に打ちかけられており、その向こうの水面には壊れかけた葦舟が浮かんでいる。浜も網も海面のさざなみも葦舟も全てが大味の紬糸(つぐみいと)で織り上げられたような重厚なつくりである。帆船の帆を巻き上げたかに見える位置に雲がたなびいているが、その雲も紬糸の束のように見える。描き込みは何層にも丹念に行われているが、見た目は重たくもなく、特製の太い木綿の糸で織り上げられたふわりとした布地のようである。この作品が美術文化展賞に輝いたのだそうである。
帰路のない道と題する絵は、壊れた桟橋をわたった向こうに後ろ向きで背を丸めた男の老人が小さく歩いている。よく見るとその老人が通り過ぎてきた桟橋と老人の今いる位置の間に道はない。左手の上部にはプロペラつきの紙飛行機のような絵が描かれている。岩田先生の説明によれば、作者は特攻隊のゼロ戦を描いたといっていたという。なるほど、帰りのない空路(そらじ)である。画面の右側3分の一くらいが豊かに茂る大きな葉の木々が並んでいるように見えたが、近づいてみるとそれは緑色のハトの群像だった。ハトは一つ一つ違った姿をしていた。よく見ると、シュールリアリスムの巨匠マルグリッドが描いたハトの形に良く似ている。形をまねて平和というモチーフを表現したかったのだろう。岩田哲夫氏よりも年配の方の作品ということなので、厳しい戦中体験や今迎えようとしている人生の終焉をそこに投影しているに違いない。
その絵の左を見ると、太い輪郭の抽象化した顔が描かれている。線の扱いはマチスのようだが、描かれている顔はピカソの絵のようだ。中央の上部に描かれた大きな目が一つ、これは明らかにビカソが人の"横顔"に書いた「正面から見た眼」である。
説明をお聞きしながら、展示作品をめぐってゆくと、岩田哲夫氏の作品が出てくる。横に長い大きな絵である。しかも横長のキャンバスを2枚続けて見せる大作である。「寂」と銘打たれたその作品はたしかに「静寂」をたたえていた。キャンバスに描かれているのは前衛的墨絵である。白と黒だけの世界は独特であり、それだけで凄みがある。大きな湖か海岸の前に立っていて、向こう岸の水際が見え、その上にそびえる木々や家々の影が水面に強く写っているという有様である。左の上には虫食いのように雲が一部にかかっている満月があり、右手には上限の月がかかっている。画面左下、すなわち水面(みなも)の左手前には、半月が写っている。この位置からは右の上限の月が写りこんでいるのではなく、左の満月が水面では半月になっているという不思議な光景である。
静寂と安らぎを表現したとおっしゃっていたが、そのとおりの作品になっている。作家仲間が「癒しのある絵」と言ったとおっしゃっていたが、それもそのとおりだろう。美術文化展賞の選考では最後まで1位を競ったが同点決選投票に敗れたというようなお話もされていた。なに、我々のような鑑賞者にとっては、人がつけた順番は問題ではない。我が心を撃つかどうかである。もし、選考時に何か問題視されたとすれば、静寂な絵の中の筆致や墨の飛沫にやや強い"元気"が感じられることだろうか。まぁ、実際、会ってみればすぐにわかるが、岩田哲夫氏は、御歳80歳とはとうていみえないエネルギッシュな人物である。ご自身が最高に静寂な気分感情描いても、他人が見るとわずかに漏れてくるエネルギーを感じてしまうのかも知れない。そのエネルギーを消し去れといわれてもそれは不可能というものであろう。ほの見えるものは、私たちには問題のない人としての内面の力だった。
その後の絵については、我々が勝手に見て歩くことにした。岩田哲夫氏は、東京に来てからの連日の会務とこの日の昼にお弟子さんと飲んだビールの後遺症でいささかお疲れのようだった。珍しく、ご自身から、少し休んでいますので、ご自由にご覧になってくださいとおっしゃったのである。
地下1階のフロアを続けて見終えると我々は2階のフロアに上がって、ワイワイと言い合いながら絵を鑑賞すると1階のフロアに下りて続きの作品を見た。1階フロアの展示室の入り口手前のソファに腰掛けている岩田哲夫氏を確認して中に入った。それぞれのフロアにはそれぞれの工夫がされていたが、昨年に比べるとどの作品も力作で、迫力を秘めているようなものだった。中身の薄い作品はない。実は、会員の作品ばかりではなく、各フロアの奥の半分は、それぞれ招待作品で埋められていたようである。会員の作品は良いものに絞って、招待作品を増やして展覧会の質の向上を狙った改革が感じられた。全ての作品に私は心が満たされた。
1階フロアが私たちにとって最後になるので、ここで岩田哲夫氏にはご挨拶をして、来年は、調整ができたら、我が家まで私の車で来ていただいて、老母と会っていただくという約束もした。果たして来年の春も老母は元気だろうか。お忙しい岩田哲夫氏のお時間の調整は可能だろうか、とわからないことが限りなくある。まぁ、直前になったら、また連絡をし合えばよいことだと思いつつ、会場をあとにした。
美術館を出て、桜並木の下を歩くことにした。妻と息子は興奮気味である。確かに圧巻である。まだ散り始めてはいないが、9分半くらいは咲いている。所々につぼみが見られる程度で、ほとんどの花は咲いている。偶然とはいえ、花は咲き染めしころいとおかし、盛りの後の散りゆくもおかし、で、満開時よりもその直前または直後のほうが深いおもむきがあるように思う。
帰りがけ、上野の画伯(路上似顔絵描き、テレビによく登場する酔っぱらい画伯もいた!)たちを覗き込んだり、上野駅前の京成ビルのレストランじゅらくが4月21日に閉店になるとの張り紙を見て、感慨にふけったりした。この店は老母がまだ若いころ、上野松坂屋で買い物した後、同行した近所のおばさんや私と食事をしたところである。アメ横の入り口に入ってすぐの左手にそのじゅらくの本店があるので、ここに入る。メニューを見て、下町の洋食屋の定番はオムレツであることを思い出した。息子はハンバーグ・オムレツ、妻はハヤシ・オムレツ、私はカレー・オムレツとなった。懐かしくもおいしい。食後にアイスコーヒーをいただきながら一服した。歩き疲れたが、妻や息子も満足したようだ。
さて、せっかくアメ横に来たのだからと妻と息子を拝み倒して、おサカナの買い物に出向く。巨大なサワラ三尾500円、大き目のコノシロ十尾500円、しめて千円なり。地元のお魚屋さんの半額以下の値段である。しかも最近では、コノシロや丸ごとのサワラなどは店頭にないことのほうが多い。珍しいサカナをお安く仕入れられたので、食いしん坊の私はここでも大満足。
妻と息子に自宅まで持って帰ることをお願いして、私は足早に山手線に乗り、オフィスに向かう。オフィスには懐かしい客人が来て、スタッフらと打ち合わせをしているはずなのである。客人が帰る前に到達してご挨拶くらいはしたいものと心が急いた。
帰社すると、ちょうどこの客人が帰るところだった。すんでのところではあったが、客人とかろうじてご挨拶を交わすことができた。
この日は、何から何までうまくいった。こんな日もあるのだから、雨風の強い日には歯を食いしばることもできるのさ、と私は内心つぶやいた。

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琵琶


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