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要約や模写なら盗用にならないか?--独創力の創り方(12)

2008/05/26
要約や模写なら盗用にならないか?--独創力の創り方(12)

さて、いよいよ本丸である。
前回の記事で、本文中に引用(異なる著者による複数の文献)がないものには点をあげないと指導すると、多くの学生は、カギカッコをつけて、引用文献を示すように書き直してくる。
実は、ここからが大変である。

(1)図の模写について
ある学生は、自分のレポートに「以下に自分で書いた図を示す」とわざわざ書き込んでいた。どれどれっ、と引用文献を当たると、ほぼそっくりの絵が見つかる。こんなことは珍しくない。彼は文献の図を模写したのである。「模写したもの」と「自分で書いたもの」との区別がついていないのである。模写とは元図があるということで、図に込められた創意工夫をそっくりいただいたということになる。つまり、盗作である。「こんなケースは零点よりももっと悪い。犯罪なので、マイナス点だ!」とわたくしはその学生の名前を伏せて学生たちの前で絶叫する。学生たちはキョトンとして静かにはなるが、"この先生は何を怒っているの?"という疑問だらけの顔である。
その図を使用するならば、「以下には、文献xの図4-3を一部改変して引用した」と書くべきである。改変の必要がない図をわざわざ模写しただけならば、模写の図はやめて、もとの図をコピーして挿入し、図タイトルの後に"(文献xのp.42の図4-3)"と引用を明記すべきである。模写でないほうがもと図の意図を正確に伝えることができて元の著者にたいする礼儀にもかなっている。
小、中、高校のいわゆる「レポート」では、模写もオリジナルと言い張ることなど朝飯まえ、全部許されて来たのかもしれない。今更、私が、許されないこと、と絶叫しても、カエルのツラになんとやら、という風情なのだ。
あぁ、ぁぁ、徒労感が・・・。まぁ、来週までに何人の学生がレポートの修正を知らせてくるのだろうか。

(2)要約
さて、専門家でもないのに、レポートに威風堂々の論陣を張っている者がいる。うン、かなり勉強して自信があるのかなと思ってみたりする。しかし、引用文献がついていない、、、。「あなたはこの分野の専門家ではありませんね。このようにここであなたがあえて述べる論拠となる文献を示しなさい」とわたくしが指摘する。・・・学生が「これは私のオリジナルな主張だ」と言い張るのかと思ったら、文献を書いてきた。すべて参考文献である。「レポートの中に論拠として引用する言葉が明記されていなかったら、やはり論拠のないレポートということには変わりがない」とわたくしがいうと、彼女は怒り出してしまった。「いろいろな文献を読んで、わたくしなりに考えた結果を書いたのだから、引用などはない」というのが彼女の言い分である。
この種のことも実に多い。やれやれ、私は彼女の持ち出してきた文献を探して、隅から隅まで読む羽目になる。・・・、「あなたのレポートのこの部分は、この本の第3章の2節を要約したものですね。この部分は、こちらの本の最終章の最後のページのまとめの文章を少しだけ改変して写したものですね」といちいち説明しなければならなくなる。彼女は「要約」と「自分で書いた文章」、「改変して引用」と「自分で書いた文章」のそれぞれの区別ができないのである。「だってェ、高校や予備校で書いたレポートは、要約でいいって先生たちが言ってましたよ」・・・、彼女の発言は事実に反するかもしれない、いや、事実に反してほしいと願わざるを得ない。
他人の考えを要約して伝えるのであれば、「文献aの第3章の2節によれば、○○は××ということであるが、この指摘は、文献bの第5章の7節の見解と真っ向から対立する。しかし、私が前節で述べた仮説が正しいとすれば、両者の見解は単にみている角度が異なるだけで同一の事象を示しているということになる」などのように記述されるべきである。つまり、概括して他人の見解をいう場合にも、その根拠となる文献や人物を明示して、文中に紹介すべきである。根拠となる文献や人物を明示しなかったらアウトである。
他人の考えを自分の考えであるかのように書くのは、盗作である。犯罪である。私の胃は学生たちの前でキリキリと痛む。「こんなことではマイナス点だよ」、私は情けなくも悲しい顔で語りかける。しかし、ご本人は、「自分は、いろいろと本を読んでその立派な考えをいただいて書いたのよ。なぜ私が叱られなくちゃいけないの? 立派過ぎるから先生ったら、ねたんでるのね」ぐらいの顔をする。「いやいや、その立派な文章の元を書いたのはあなたじゃなくて、この本やあちらの本の著者の方々でしょう。褒められるべきなのはそれらの本の著者たちなのに、名前を隠して利用されてしまったら、著者の皆さんは怒りたくなりませんかね。本来、その著者の皆様が受けるはずの名誉をあなたが横から奪ってしまったことになるので、あなたはドロボウと同じということになるのですよ」と私。・・・、彼女には、わかったかなぁ~。あれから10日ほど経つけれど、彼女からはまだレポートの修正のお知らせは届いていない。
疲れる、つかれる。・・・。

(3)多勢に無勢、しかし。
「要約」や「改作」が「創造」だというとんでもなく曲った習慣が蔓延している。一人の教師が絶叫しても、それを打ち消す有象無象が周囲にはたくさんいる。学生同士相談しあうともっとひどいことになる。「先生はヒスを起こしているだけよ。男のヒスね。そのままで絶対点数をくれるわよ。私たち(要約や改作に)頑張ったんだものね」「そうね」「そうよ」という具合らしい。
おいおい、何度も言うけれど、要約や模写は引用を明記しなかったら立派な盗用で、犯罪だよ。
真の独創性は、他の人達の独創性を尊重するところから始まるのである。他人の独創性を盗むところからは真の独創性は生まれない。
有名国立大学のいくつかで論文の偽造が発覚している。助教授による盗作騒動の記憶がまだ新しい私立大学もある。これらは、いずれも厳しく処断された。これらの事件は、もちろん不祥事ではあるが、その一方で自浄能力を示したという意味でそれぞれの大学の健全性を示すものである。
遅きに失しているのかもしれないが、大学の教師たるものは、力を合わせて多勢の逆流にさおさして、学生たちに潜在する独創性を育て創り出す努力を地道に続けましょう。
皆さん! 助けてくださいっ!

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琵琶


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コメント

勇気あるコメント投稿をありがとうございます。
しばらくココログから離れていましたので、コメント投稿に気づくのが遅くなり、失礼しました。
こういうことになかなか反論できない学生さんが多いのに、率直な意見を述べていただけたことに感謝いたします。
私はすべての大学の教員を70歳で定年退職している今は「元大学教員」です。
元の私の記事は2008年に投稿したもので、13年前のものです。当時は61歳で、現役の大学教員でした。
ご意見は、ごもっともですね。負担は大きいと思います。実は勉強とは知らないことを学んで身に着けることですから、負担を感ずるものなのです。負担が全く感じられないのは「単純作業」でおそらく勉強にはなっていないはずなのです。
そもそも学生の皆さんは、大学で、社会に出て活躍できる能力を身に着けるために日夜勉強をしているはずです。単純作業を繰り返して大卒の資格が取れるのであれば、せっかく大学に入ったのに、新しい能力をまったく身につけずに、高卒のときの能力のまま大学を出ていくだけですね。それは、大卒の能力を持たないのに大卒資格だけを名乗る「詐称」に等しいと私は思います。私は、卒業生がそのような「大卒詐称」にならないように、社会で通用する人物になっていただけるように努めていました。
「それを求めて評価するための基準にすること」という主張が見られますが、これは、「学生からの提出物に×をつけて済ませるだけ」を意味しているように思われます。学生からの提出物に×をつけて済ませるだけならば、ここに書いたような苦労は要りませんから、楽ちんなのです。学生も×を食らって単位を落とすだけなのでそれほどの負担ではないでしょう。
教師が×を○に変えるにはどこをどう直すべきかを教えようとすると、ここに書かれているような教師の悪戦苦闘が必要になるのです。×を○に変えるには本人も努力が必要ですから、当然負担が生じます。学生さんに負担をかけない教師は「落単先生(楽に単位をくれる先生)」と呼ばれて授業評価も高いのは十分知っています。私はあくまでも、学生にとっての実利を重視して「落単先生(楽に単位をくれる先生)」になることを拒否して教員を貫きました。あなたが書かれたような批判(批難)が出ることは常に覚悟して授業に臨んでいたというわけです。
さて、ご存じのように、社会的地位も身分も持った立派な大人が、文献や図表の盗用で告発され、人生のほぼすべてを失う事件がときどき起こりますね。そんな大人にならないためには、どこで学ぶべきでしょうか。社会に出てからは、文献や図表を正しく引用できない無知な大人に顔をしかめる他人は多いでしょうが、面と向かって教えてくれる人はめったにいません。気づいた時には名誉を失い、損害賠償請求の前で呆然とする自分に気づく羽目になってしまいます。知らなかったのは確かに本人の自己責任ですが、教えなかった教員も悪いのではないでしょうか。教えてももらえなかったのに、いきなり罪に問われるというのは「民を網する(市民を罠にかける行為)」に引っかかったも同然です。
文献や図表を正しく引用すべきだという公序良俗に属する常識や法律知識はどこで学ぶのでしょうか。この知識を正しく生かすには、引用の方法などのテクニカルな知識も必要ですね。これらは、日本の幼小中高で学ぶ機会があるでしょうか。残念ながら、日本の幼小中高では、わずかな例外を除いては、事実上、どこでも教えていませんね。諸外国に目を向けてみると、高校ではすでに教えるとしている先進国は少なくありまりせん。幼稚園時代から「幼児の哲学」で教えるフランスのような国もあります。対する日本では幼小中高のいずれかで教えるべきと指針を文部科学省も示していませんし、幼小中高の教員たちも教えるべき方法論を訓練されていません。
大学の教員は、多くの場合、採用時に直近2年ないし3年以内に審査付きの論文誌に5報以上の論文が掲載されていることなどの条件が課されている場合がほとんどです(少なくとも私が大学教員にスカウトされたときの条件はこれでした)。つまり、多くの場合、文献や図表の引用を公序良俗と法律に照らして正しくできて、しかも本文の内容に新規性または独創性のいずれかまたは両方が認められる文章(論文)が書けると推定できる人物しか大学の教員にしていないはずなのです。日本の場合、幼小中高の先生が教えてくれないのであれば、大学の先生がしっかり教えるべきなのではないでしょうか。私が学生時代、まだ知らなかった知識に導いてくれる授業はワクワクして出席していたものです。まだ身についていないことを丁寧に教えてくれる授業は、それだけ中身のある授業なのです。高校の授業の延長のような知識の単純詰込み授業は退屈で苦痛でたまりませんでした。
しかし、"逆は必ずしも新ならず"ですから、負担を感ずる授業がすべて良い授業とはいいがたいですね。「うさぎ跳び校庭10回」みたいな、過重な量を要求するだけの授業は悪い授業です。中身のある授業は良い意味で負担が重くてもいい授業です。今、私は大学では教えていませんが、「創造力の作り方」のような中身のある授業をしてくれる先生がいたら、心の負担が大きくとも、ぜひともその先生の話に耳を傾け、内容を理解して、真似してやってみて、点検を受けて、訂正して、良い点が取れるまで食らいついてみてください。きっとその先生は君に先生の睡眠時間も削ってでも教えてくれるはずです。
若いうちは汗の数だけ筋肉が強くなります。頭にもたくさんの汗をかいて頭も強くしていただきたいと思います。


>大学生さん
>
>そもそも大学に学びにくる人にオリジナルの論文をかけるわけがないので、それを求めて評価するための基準にすること自体に、無理があると思います。誰でも、初めは色々な教科書、参考書、文献を一生懸命読んで学びます。そしてそこから自分の考えが醸成されていくじゃないですか。いちいち引用文献参考文献云々を求めるのは、大学生の立場から言わせてもらうと、非常に負担です。

そもそも大学に学びにくる人にオリジナルの論文をかけるわけがないので、それを求めて評価するための基準にすること自体に、無理があると思います。誰でも、初めは色々な教科書、参考書、文献を一生懸命読んで学びます。そしてそこから自分の考えが醸成されていくじゃないですか。いちいち引用文献参考文献云々を求めるのは、大学生の立場から言わせてもらうと、非常に負担です。

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