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企業はどうなる、市民参加型社会の近未来--情報社会学、予見と戦略(20)

2008/05/28
企業はどうなる、市民参加型社会の近未来--情報社会学、予見と戦略(20)

わたくしの古い友人がいる。あえて「友人」といわせていただくが、出版界で活躍した大先輩である。私のブログの記事をじっくりと読んでくれているらしい。
このシリーズ「情報社会学、予見と戦略シリーズ」とは、別の「社長の条件シリーズ」を読んでのことだが、意見を述べてくれた。
以下は、そのときの対話の再現である。

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<Aさん>
「企業理念と8原則--社長の条件(2)」の中に、次のような記述がありますね。
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7.個人資産が多い者であること
実際のところ、日本の企業は適度の借入金によって日常的な運転資金を得ている。中小零細企業に運転資金を貸す金融機関は、ことごとく、社長の連帯保証を要求する。当該企業のもつ社会的価値や将来性にかけて運転資金を貸す金融機関は皆無である。「社長の連帯保証」を求めるということは、社長の個人資産を担保にするということと同義である。24年間の会社経営で、私は結果として親から受け継いだ個人資産のほとんどを金融機関に貢いだことになるが、すくなくとも私が会社の借入の連帯保証ができたから、この会社が存続しているともいえるのである。
なぜ、そのようなことになるのかについては諸説があるが、税制上、運転資金として自前資金を蓄えると高い税金を払うことになるので、もともと利益率の高くない中小零細な企業はたちまち運転資金を税金として吸い上げられてしまうという現実があるのである。金融機関からの借入金については数%から10数%の利息の支払いが必要だが、数十%から60%に上る税金に比べればある意味ではマシという「毒マンジュウ」にも似た社会的経営慣行があるのである。これを避けるには、無借金経営、すなわち、「税金の高額納税企業」になることである。事実上、これは大変に難しいのである。
後継者の人は、連帯保証はしても資産を失うようなヘマはやらないだろう。私が経営した過去には、信じた顧客が倒産したり、経営難となって支払いが不能となったケースがあり、その都度、社員の給与や外注さんへの支払いのために個人資産を提供してきた。「井戸塀政治家」という言葉があるが、私は「井戸塀経営者」だった。その意味で、その結末は経営者としてはあるまじき不覚だった。もって他山の石として、後継社長は「豊な社長」となってほしいものではある。いずれにしても、個人資産がなければ運転資金を確保できないという現実がある。
該当者が多ければ、より多くの個人資産を持つ者が後継者に選ばれる公算が高くなる。
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つまり、社長になるためには、個人資産をたくさん持っていることも条件だといっているのですよね。お説はわからないはないですが、わたくしが勤めていたかつての出版社では、同じ理由を持ち出して、社長一族だけがたくさんの分配に預かる仕組みになっていました。わたくしは、ずいぶんと腹をたてて、何度も喧嘩をしたものです。
他方、あなたの周りの人たちに話を聞くと、あなたは社長なのに、そんなに会社からお金をもらっていないように聞いていますが、同じ理屈で会社からたくさんお金を取るという考えはないのですか。
<私>
多くを取ることに私は同意しません。しかし、「多くを提供しない者は社長になれない」という考えです。多くを提供しなければならないということは、多くを持っていなければなりません。これは確かに不公平です。しかし、現実は、それを求めているというのも事実です。もともと資産は多くないのに、個人の財産にレンメンとせず、いさぎよかっただけで社長になった私は、引退を迎えるにあたってすっかり貧乏になっていました。

<Aさん>
どのくらい、大変だったんですか。
<私>
私は、昔から、社員やアルバイトからよく「世界でいちばん貧乏な社長」とはやし立てられ言われていました。30年近い会社経営で事実上無給の時代が最も長いと思います。今は学生アルバイト程度の月額をいただいていますが、大学からいただく細々とした講師料のほうがはるかに多く、生活の主たる頼りです。講師料がいただけるようになってご関係者の皆さんには本当に感謝しています。明日食べるものがないという生活(実話です。顧客に呼ばれても電車賃がなかったこともしばしばでした)でも体面を整えなければならない時期が長くありました。あまり悲惨な実態をばらすと後継ぎが逃げ出しますので口をつぐんでいます。
次の世代の社長も必ず同じ憂き目に遭うのであれば、引き受け手はいないでしょう。むしろ、たとえ一時であってもこの会社の社長をやってよかったと思える程度の報酬もなければならないと思います。

<Aさん>
ほかの役員さんもいたでしょうから、何もあなただけが負担を負わなくてもよかったのではないですか。
<私>
いつも苦しい経営をつづけてきましたので、中でも一層困難な時期にさしかかると、リスクを負うことを嫌って多くの役員は逃げ出してゆきました。かれらは役員としての名誉と報酬の高いことを願い、当然でしょうがリスクは嫌がりました。それでは安定した経営は成り立ちません。大変なときこそがんばってほしいのが取締役ですが、なかなか理想どおりには行きません。普段からの気持ちの持ちようということもあります。一方、いざというときに逃げ出さないという程度の報酬とはどんなものかも考えさせられました。

<Aさん>
報酬については、どのあたりが妥当な線かを求めるべきなのでしょうね。
<私>
おっしゃる通り「どのあたりが妥当な線かを求めるべき」なのでしょう。

<Aさん>
あなたのブログの記事「社長の条件」シリーズを読むと、一般論としての企業のあり方とは違うようにも思います。利益確保が最優先課題とは見えないところもありますが。
<私>
日本の多くの中小企業の社長さんたちは、私と同じ思いではないでしょうか。社会に歓迎される企業になるべく、命をけずっいるというべきだろうと思います。このあたりは、社長さんたちの思いと社員などの人たちとの考え方がすれ違っているかもしれません。社長たちの"この傾向"は、アメリカンスタンダードには反しますが、おそらく世界的に見てもかなりの普遍性があるものと思います。日本だけが特殊というわけではないように思います。
「社会貢献」というと、詐欺まがいで大儲けしている企業の社員が本社前でほうきを持っている写真を思い浮かべてしまいますが、社業の悪どさを隠すための"いい子仮面"では意味がありませんね。社業、つまり本業が社会貢献になっていなければ会社の存在意義がありません。社会に貢献しない企業を社会が支えたり支援したりすることはあり得ないことです。貢献なくして支援なし、支援を受けられない企業は市場の競争に敗れてやがて市場から退場を余儀なくされます。銭ゲバ大金持ちならば政治献金バラマキで身を守ってもらうこともできるかもしれませんが、財政基盤脆弱な小零細企業にとっては到底かなわぬことです。社会に貢献して社会からの応援とご支援を期待する以外にないわけです。会社と社員を守るためには、"本業での社会貢献"が最優先とならざるを得ません。社会貢献なくして企業の存続なしなのです。

<Aさん>
日本以外のところで、似たようなものはありますか。
<私>
社会的企業(Social Enterprise, Social Entrepreneurship)と言って、社会的課題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体がイギリスをはじめとしてヨーロッパには広く存在します。
日本でも、「振り向いてみれば、多くの零細な企業は社会的企業だった」というように、このところこの言葉が少々もてはやされています。社会的企業でない企業は日本の市場から退場しろ、と過激な発言をする財界人もいらっしゃいますね。
しかし、日本の零細企業は家族や身近な仕事仲間の互助互恵を目指しても作られたものが多いのに対して、ヨーロッパでは、広域な相互扶助を目指す運動体が古くから錯綜して存在していますので、これらを母体に、社会的サービス(行政サービスと競合するような分野のサービス)を主たる事業目的とした事業体が多く成立しています。単なるボランティア団体や慈善団体と違うのは、喜捨や国庫補助を当てにせずに、当該事業によってその事業体の採算を確保することが条件となっていることです。
利益最大化を最優先課題とせず、社会的貢献を最優先課題とすることによって、利用者の支持を確保し、事業体の安定的存続を図るという点では、日本の零細企業とヨーロッパの社会的企業は彼我ともにありようが一致しています。他方、もともとの成立の歴史的経緯が異なるために、平均すればヨーロッパの社会的企業の規模は大きく、日本のそれは小さいです。売り上げ規模でいえば、類似の事業種類同士で比較するとおおむね10倍の差があるようです。

<Aさん>
社会的企業というんですか。そのような事業体ならば、経営者が反社会的行動で利益をむさぼったり、その利益を独り占めするような暴走を止められるとおっしゃりたいのでしょうか。
<私>
残念ながらノーだと思います。
初代社長が善良な経営者であったとしても二代目三代目が同じ善良性を持っているという保証はありません。また、経営者も神ならぬただの人ですから、心が揺れ動くこともあるでしょう。その揺れを自然に抑制し社会と会社の利益折半に向かわせるのは、経営情報の公開とステークホルダ(利害関係者=株主、役員、社員、取引先など)による役員人事への透明性のある適度な影響力確保が必要だと思います。
いわゆる「社会的企業」でもこの問題は模索が続く課題です。
たとえば、リスクを取らずに資産だけ取る輩は人望にもとります。人望が社長や役員の地位に敏感に影響する仕組みがあればよいかもしれません。世襲制などはもってのほかです。Aさんが勤務していた会社の社長は世襲でしたね。世襲では、自浄作用があまりにも働きにくいでしょう。

<Aさん>
社長の選任・解任など役員人事へ利害関係者が関与するというのはかなり難しいですし、下手をすれば乗っ取り屋の餌食になったりもしますよね。
<私>
これまで、株式会社には経済民主主義(株数だけの議決権がある)しかありませんでしたが、たとえば頭数民主主義(社員と株主、社外取締役などが一人1票の議決権をもつ)の経営があってもよいはずです。
たとえば、2004頃から介護事業で、最近では行政の施設管理委託事業で急速にその力を伸ばしている労働者協同組合の約400の事業体は頭数民主主義(社員=株主が一人1票の議決権をもつ)です。しかし、労働者協同組合の今の方式は、リーダに負担が偏りすぎていて、少しバランスを崩しただけでリーダがつぶれてしまうおそれがあります。通常、頭数民主主義は、権利を主張して責任を負わないメンバーに対して無防備です。「負の補償行動」の温床になりかねません。リーダが「正直なロバ」になってしまうと、たちまち止めようもなく事業体自体が破産してしまうでしょう。破産という大きな痛みをこうむることで、無責任なメンバーもツケを払うことになりますから、それは社会的自浄作用が正しく働いていることにはなりますが、この倒産という荒療治はあまりにも乱暴なので対策の手探りが続けられているように聞いています。
多くの国民国家の議会が二院制をとっているように、企業体にも、経済民主主義(株数だけの議決権がある)と頭数民主主義(社員と株主、社外取締役などが一人1票の議決権をもつ)を組み合わせる経営体があってもよいと思います。歴史的には、今は、さまざまな経営体がためされる時代と思っています。
透明な経営、人望なくして役員が選ばれない仕組み、「負の補償行動」に対する抑止力、などなど、それぞれに何を選ぶか、創出するか、そしてどのような組み合わせが良いのか、それらは無数の発意と組み合わせがありますから、国内数百万以上のさまざまな事業体がそれぞれに工夫し試行錯誤する中から、次の時代を担う企業の在り方は選抜されてくるのではないかと思います。
当面の企業経営の姿としては、経済民主主義と頭数民主主義の適度な併用、または多少工夫が加わった頭数民主主義が有力であると私は推定しています。
市民参加型社会への移行という自然な人類史的地殻変動にそって考えても矛盾はないと思います。

<Aさん>
なるほど、何らかの制度的な担保を確保して、健全な経営と健全な経営報酬を衆目のもとに監視しようというわけですね。
<私>
そのとおりです。と言っても、それが私の主義主張というものではなく、否応なしに、もっと大きな歴史的な力がその方向に働くだろうという意味です。
ご質問には、いろいろと考えさせられました。ありがとうございます。
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△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(21)
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琵琶

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