伏見康治氏の思い出--交友の記録(31)
2008/05/31
伏見康治氏の思い出--交友の記録(31)
日本の物理学の巨星がまたひとつ、この世を去った。5月8日午後8時17分、伏見康治大阪大学名誉教授98歳である。私にとっては、曲折激しい人生に大きな位置を占める重大な存在である。
とはいえ、氏には長男譲氏(埼玉大学名誉教授)をはじめとして二男二女がいる。たくさんの弟子がいて、政財界にも大きく交友の輪は広がっている。書籍を通じたファンも多数にのぼる。氏から見れば私などは序列にすると万余の人波の後ろにいるその他大勢の一人にすぎないに違いない。
アサヒコムおくやみ記事
http://www.asahi.com/obituaries/update/0509/TKY200805090215.html
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阪大名誉教授の伏見康治さん死去 原子力の平和利用推進
2008年05月09日18時54分
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元日本学術会議会長で大阪大名誉教授の原子核物理学者、伏見康治(ふしみ・こうじ)さんが、8日午後8時17分、老衰のため横浜市内の病院で死去した。98歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前11時30分から横浜市港北区菊名2の1の5の妙蓮寺斎場で。喪主は長女康子さん。
伏見康治氏
1909年名古屋市生まれ。33年東京大理学部卒。40年大阪大教授、61年名古屋大プラズマ研究所長に就任する。
原子核物理の専門家として、原子力の平和利用を推進した。54年、中曽根康弘衆院議員(当時)らが、急きょ原子炉製造のための修正予算案を提出したのに対し、一晩で原子力憲章草案を書き上げる。案を受けた日本学術会議は、民主、自主、公開の原子力三原則をまとめ、55年の原子力基本法に盛り込まれた。
83年から参院議員(公明)を1期務め、故湯川秀樹氏らが結成した「世界平和アピール七人委員会」の委員として、核兵器廃絶と原子力の平和利用を訴える活動に携わった。折り紙が趣味で、著書に「折り紙の幾何学」がある。
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私がまだ25-6歳のある日、私よりもさらに若い駆け出しのデザイナ尾崎尚文氏(後に日本明治美術史研究会の事務局長。月刊誌「中央公論」での執筆多数。「今病院だけど、必ず復活するから、待っていてくれ」と唐突に電話をくれて以来音信不通である)を連れてお宅を伺った事がある。それより前にも何度か伏見邸にお邪魔したことがあり、初めての訪問というわけではない。
尾崎氏はいわばサルバドール・ダリのような画家で、どんな絵でも描くことができるという職人のような絵描きだった。ずいぶんうらやましいと思ったが、本人には、そのこと自体が恨めしい事だったようで、絵がかけてそれが人生の目標なのか? という青年期にありがちな種類の哲学的悩みを抱えていた。命じられればどんな絵でも描けてしまうのに、少しも楽しくないのだと悲嘆に暮れていた。その活路をエッシャーらのだまし絵に見出した時期があり、錯覚を通じて新しい世界を見る者に提供したいと彼は考えていた。尾崎氏は法隆寺の5重の塔を修理再建した材木商にして宮大工を父に持ち、子供のころから法隆寺の宝物殿を遊び場にして育ったため、日本の多くの古文書の大家が彼に古い書きつけの判読を頼んでくるような不思議な若者でもあった。彼は、どうしても物理学の大家である伏見康治氏がエッシャーに熱心なのかを知りたがっていた。当時、伏見康治氏はエッシャーの本を出版していたりしたのである。尾崎氏は伏見康治氏がエッシャーの向こうに何を見ているのかを知りたがっていた。それがわかれば、伏見氏が見ている向こう側の世界を自分の筆で描いて見せようという若い絵描きらしい野望も抱いているようだった。
事情を話すと伏見康治氏はあっさりと来訪をお許しくださり日時を指定されたので、その日、尾崎氏を連れて訪問すると、伏見康治氏は尾崎氏をすっかり面白がって質問攻めにしたり、自分の仕事をボランティアで手伝えと誘ったりしていた。尾崎氏は、伏見康治氏が"ちぎり絵"をよくしているとの説明を聞き、奥様との共同作品を見せられてその素晴らしい出来栄えに仰天したりしていた。しばらく話しこむと、伏見康治氏はいきなり紙でできた正二十面体を取り出すと、これは折り紙なのだが、君はこんなものを折ることがてきるかと言い始めた。尾崎氏が挑戦しかけたが苦戦してると、そのそばで伏見康治氏が着々と紙を折りたたんでゆく。最後に折りヅルの腹を膨らませる要領で、伏見氏がプッと吹くと、小さくたたまれた紙の固まりが、ポンと膨らんで正20面体になった。尾崎氏は眼をまん丸にしてびっくりしていた。折り紙も奥様との共同の世界ということで、買い物から帰ってきた奥様も途中から座に参加した。伏見康治氏は、奥さまにこの絵描きさんにちぎり絵を褒められたところだという紹介をしたので、奥さまはご機嫌で、まぁうれしいわね、夕飯を食べてゆきないということになって1時間で退席する予定が、7-8時間、よるの9時位までおじゃますることになってしまった。おいしいワインが記憶に残っている。
その後、伏見康治氏が学術会議の議長を務めている時代に、原子力船むつの事故調査委員会の委員長を務められ、報告書が公表される直後に原子力船むつの事故についての「談話」が、当時私が勤務先で担当していた科学雑誌の2ページ分で掲載された。当時は原子力安全神話の真っただ中の時代で、安全だから事故はないとだれしも言い張る時代だった。伏見氏は、原子力の安全を守るためには事故もありうることをむしろ認めて対策に注力すべきである(国は事故防止に予算をもっと使うべきである)という立場だった。私も同感だったので、この談話記事も、私から議長室にかけた1本の電話でほぼすぐに決定した。
談話の趣旨は、「原子力船むつの事故については、原子炉にも、船体にも設計に照らして問題はなかった。しかし、それらの"つなぎ"の部分に不具合があった」という趣旨だった。つまり、船長の運用ミスではなく原子力船の建造にかかわる技術的な問題であることを明言したのだった。この談話は、雑誌の発売翌日には国会の質問で取り上げられ、政争とビジネス戦争の焦点になってしまうのだが、強者伏見康治氏は、これに耐え、初めて安全性研究の国家予算を引き出すことに成功し、続いては国会議員(参議院議員、1期)にもなった。原子力の安全神話から、安全性は人が努力して確保するものという考えに時代の舵を切った表の功績はまぎれもなく伏見康治氏のものである。
一方のよるべなき弱者の私は、3年半の抵抗空しく職を失い、再就職先も得られない極貧生活を強いられることになった。居場所もなかったので、大学の先輩らを頼って情報科学の國井利泰東大教授(当時)にかくまわれたことはすでに書いた。幼い我が子を抱えて、今晩、そして明日の食事のあてもないという日々がかなり続いた。日銭を稼ぐ低賃金のアルバイトにも追われた。政争の陰に見え隠れするわたくしを邪魔に思う者もいたのだろう、わざわざ自殺をしてはどうかと勧めにきた者も一人ならずいた。おかげて、「この私に自殺を望むものがいるのか。何くそ、こんなところで死んでたまるか」という反骨心がモリモリと湧いてきて、今まで死なずに済むことになったようにも思う。いろいろなことがあった一方で、その時に國井教授の下で改めて勉強させていただいた情報科学がその後の私の身を支えてくれたのだった。まさに、禍福糾う縄のごとしである。
私が前職を去るにあたり私と同僚だったご子息(次男さん)の進路を事前にご相談に参上したのがたぶんお宅にうかがった最後だったと思う。
以来、伏見康治氏からは、私設秘書を探しているが良い人があったら教えてくれとか、イギリスの若い物理科学者の論文に素晴らしいものが出たから読んでみよ、とか、思い出したようにご連絡をいただいた。ありがたかったが、強者と弱者にある天地ほどの現実の差に、もとより当たり前なのに、私の心は少しばかり萎えていた。おん前に出ることが憚られていた。
おそらく直にうかがえば、たくさんの苦難をかく乗り越えてきたという教訓に満ちたお話の数々を伺えたであろうに、私の狭隘な気持ちがそれを拒んでしまった。くやんでも、もう会うことができないということはまことにさびしい。
偉大な功績の数々、芸術に及ぶその才能を思い起こして、本当に残念に思う。深くご冥福をお祈りすると共に、残されたご子息ご姉妹のますますのご発展とご繁栄をお祈り申し上げたい。
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琵琶
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