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自覚と回復、(仮性の)アスペルガー症候群 積極・奇異型--心理、教育、社会性の発達(65)

2008/08/11
自覚と回復、(仮性の)アスペルガー症候群 積極・奇異型--心理、教育、社会性の発達(65)

アスペルガー症候群とは、知恵おくれを伴わない自閉症スペクトラムといわれる。つまり正常な知能をもつ自閉症というのである。自閉症という言葉には、引っ込み思案で孤立している人という印象がある。確かにそのような人(孤立型)もいるのだが、周囲が誘えばそのときだけは応ずる人(妥協型)や、健常人には違和感のある積極果敢な言動に終始する人(積極・奇異型)もいるのである。
私は、アスペルガー症候群といわれる人たちの大半は遺伝的形質ではなく、時代の申し子で、生育環境(不適切な母子分離問題を含む)と教育環境の犠牲者であると考えている。長年の経験で、生育環境と教育環境を変えることで大半は回復可能な障害であると私はひそかに確信しているのである。その第一歩は、本人告知である。本人の自覚なくしては周囲の努力は無駄になってしまう。ましてや、本人にあいまいな説明をして(だまして)薬を飲ませるような「医療」は決して行うべきではないと思う。
今回は、まず、積極・奇異型と思われる人々のいくつかの例を紹介したい。本人に告知することの難しさ感じているこのごろである。

Oさん、「メールがただしく書けないくらいで、自閉症の疑いなんて短絡すぎます」
N君、「今日の授業は何もすることがなくって、ヒマでした」
T君、「先生、今の会社を辞めていいですか?」
S氏、「どうして、自分だけ課長昇進がないのかわからん!」
U准教授、「ボクが出席すると、ずうっとボクだけが話し続けていることになるんです」

最近、遭遇した個性あふれる人たちの発言の例である。それぞれの状況についての解説は少し後にするが、いずれも、おそらく精神科の診断ではアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の「積極・奇異型(群)」と呼ばれるに違いない人々の、切実な発言である。
私は、精神科の医師ではないので、あえて「(仮性の)アスペルガー症候群」と呼ぶことにする。あえて(仮性の)と呼ぶのは、これを冠しないと遺伝的で不可避的で回復不能であると思いこむ方がいるからである。私は、一貫して、「アスペルガー症候群」などの社会性の発達が阻害されて来た者たちの症状の大半は、生育環境(不適切な母子分離を含む)と教育環境由来であると主張してきた。これらの大半の人々の症状は、不可避的でもないし、回復不能でもないというのが私の立場である。

(1)Oさん、「メールがただしく書けないくらいで、自閉症の疑いなんて短絡すぎます」
昨年のことである。Oさんという3年生の女子学生が私のクラスにはいた。ほっそりタイプで目鼻立ちのはっきりした美形のお嬢さんである。たいていは男子学生と一緒に教室にやってくるが、同じ男子学生とは限らない。一人で来るときには、顔見知りの男の子の隣にちゃっかりと座る。心やさしい男の子たちは嫌がらずにお相手をしているようだったが決まった彼氏はいないようだった。同性との交流はかなり乏しいようで、女の子とは滅多に話しているのを目にしないのが少し気がかりだった。このお嬢さんは、いつも新鮮な男の子を相手によく話をしている。男の子はどの子もやさしく、聞き役に徹しているようだった。さすがに授業中のおしゃべりはよく聞き取れないが、休み時間や実習のタイミングでのお話はよく聞こえてくる。周囲を気にしない大きな声である。自分が関心を抱いたことに対しては素晴らしい記憶力を発揮する。細部にわたって、いくらでも再現して見せるのである。しかし、少しばかり小難しい授業の話になると、まったく覚えていない、そんな授業があったことすら覚えていないというのである。これに近いことは誰でも多少はあるので、さほど驚くことでもないだろうが、覚えていないことと覚えいることの落差がきわめて大きい。いわゆる認知の穴があちこちにあるらしいとわかるのだった。
私は、どの講義でも、最初に手紙の書き方とメールの書き方を教える。メールが使えるようになっても、メールを受け取った相手が怒り出すようなことになったら、教えた意味がない。メールはあくまでもコミュニケーションの手段にすぎないのだから、と私は思う。
大方の見方では、そんなことは小中学校で教えればいいことと思われるかもしれない。しかし、小中学校で手紙の書き方を教えてもらった経験のある学生は私の経験では皆無であった。丸暗記主義教育ではむぺなからぬことなのだろう。大学受験を控えた高校ではなおのことである。それならばせめて大学1年生に教えれば済むとお思いかもしれないが、大学では、「そんな幼稚なことまでは教えなくてよい」と思われている先生方が圧倒的に多いので、目的意識を持たない限り教えたりはしないのである。
私の担当する教科はバライティに富んでいるので、教科によって1年生から4年生にまでまたがる。たまたま、Oさんは3-4年生が履修できるクラスにいた。彼女は、手紙の書き方を初めて知ったと、感激の面持でその日の感想をブログ(私の授業では、全員にブログを書かせている)に書いている。
講義では、概略手紙の書き方とメールの書き方を続けて教える。
・初めて出すときのお手紙の書き方--「宛名、差出人、拝啓、時候の挨拶、本題、敬具」
・初めてではないときやビジネス上の手紙の書き方--「宛名、差出人、(時候の挨拶は省いて)前略、本題、草々(昔、女性は「草々」の代わりに「かしこ」、今は女性でも「草々」でよい)」
・メールは、題名を書いて、「宛名、差出人、前略、本題、草々」または「宛名、差出人、本題、締め言葉」
のようになる。
さて、学生らはこう聞かされてもはじめは題名空白、本文に宛名も差出人の名前もなく「やりました」とぶっきらぼうに書いてくる輩が多い。拳固の一つもくらわせてやりたいところだが、ここは我慢である。いちいち、「題名を書きなさい」「だれ宛のメールですか(私が読んでいいメール?)」「あなたは誰?」「ご用件は?」「何をやったの?」と返事を書く。2-3回、やり取りをするとたいていはまともなメールになってくる。私の講義は半期で13回-15回である。このお嬢さんのときはたまたま14回だった。毎回課題があり、学生は課題に関係するメールを書くことが必要なので、最低14回のメールはどの学生も私に送ってくることになる。
この女子学生は、毎回「拝啓 紅葉の候、ますますご健勝のことと存じます。さて、・・・」と書いて送ってくるのである。実に丁寧と言えば丁寧。しかし、宛名も差出人の氏名も書いてこない。私は、毎回、「時候の挨拶は省きなさい」「宛名を書かないと私が読んでよいメールかどうかわかりませんね」「あなたは誰ですか? 差出人の氏名を書いてください」と注意点の一覧を書いて返信する。それでもその次の回のメールも全く同じ時候の挨拶が書かれて来るのである。5度目くらいにはさすがの私もキレかかったが、ここで怒ったら私の負けだなと思い返して、その女子学生のメールをすっかりワード文書にコピーして、吹き出しをてんこ盛りにつけて、修正箇所を明示して、そのあとに、メールの書き方のサンプルを書いて、「このメールサンプルをコピーして、もう一度出しなさい」と返信した。なんと返ってきたのは、私のサンプル文書をコピーして、その下に、改めて「拝啓、紅葉の候、・・・」と書いてあったのである。私はがっくりした。この女子学生は頭が悪いわけではない。私をおちょくっているのか? そんなことはあるまい。その後も、彼女は全く変わりない自己流のメールを送り続けてきた。私は、ややあきらめ加減で、毎回、同じような注意メールを送り続けた。13回目のメールを受け取った後、「次回は最後の講義です。最後までメールの書き方がわからなかったようなので、休み時間に教壇まで来てください」とメールに書いた。
休み時間になっても、いっこうに教壇に来るようすのない女子学生をマイクで呼ぶと、「あぁ、なんかメールに書いてありまたね」とあっけらかんとしてやってきた。メールの書き方を画面を見せながら、もう一度説明して、「わかった?」と聞くと「なんか、よくわかんない」と深刻な表情である。ははん、と私は納得した。やはり、彼女はわざと抵抗していたのではないのである。実際、はじめに聞いた「拝啓、時候の挨拶」という書き方に感動して記憶してしまったので、そのバリエーションである「前略、草々」も「宛名のこと」も「差出人のこと」もすっかり頭に入らなくなっていたのである。感心した事実を記憶してしまうとその周辺の知識は"うっかり"抜けてしまうのでなく、受け入れることを拒絶してしまうのである。これは、「刺激に対する過剰選択性」ともいわれるが、特定の事柄にとくに心奪われる傾向があり、その周辺の認知が極端に阻害されて「認知の穴」を生むのが、いわゆるアスペルガー症候群(高機能性自閉症)の特徴の一つである。専門家ではないので断定はできないが、彼女も「(仮性の)アスペルガー症候群」で、その積極性・奇異性から見て「積極・奇異型(群)」に属するのだろうと思う。私の考えでは、この種の人たちは、多くの医療関係者の言うこととは違って、回復できる類の一時的な症状である。まずは本人の自覚を促して、適切な処置が必要なことを理解させなければなるまいと思う。「君は大変頭もいいし個性的だね。個性はかっこいいけれど、時には社会生活に不都合なこともある。一度、大学の学生相談室か大きめの病院の心療内科を訪ねてごらん。私の素人判断では危ないから、専門家の判断を仰いで、カウンセリングなどを受けたほうが良いかも知れない」と机のわきで小声で私。「え~っ、なんか、ワタシ、変ですか?」と彼女。「あくまでも、素人の推測にすぎないから、間違っていたらごめんなさい。無視してくれてもよいんだけれど、自閉症スペクトラムの一部に該当するかもしれないと思うんだ。思い当たることがあったら、専門家の意見を聞くといいと思う」と私。「そ、そんなこと!  ・・・。はい、わかりました」と彼女はひどくおかんむりだった。あ~ぁ、言うじゃなかった。いくつになっても私は女の子の心がわからない、無粋なジジイである。彼女の心を傷つけただろうと、ひどく心が痛んだ。
その日の晩、届いたメールには、「メールがただしく書けないくらいで、自閉症の疑いなんて短絡すぎます」と書いてあった。相変わらず、差出人の名前もなかったし、宛先として私の名前も書いてなかった。時候の挨拶もなかった。携帯メール風のタメ口メールである。つまり、高校生風のメールスタイルに戻ったのである。"はい、はい、メールがただしく書けないくらいで、こう推測したのなら、短絡的にすぎますね。その意味で君は正しい。しかし、君のブログの記事も、男の子に向けた一方向のおしゃべりでも、他の人が彼女をどう見ているのかに関心がないように見えることにも、認知の穴が見事なことなどの中にも、その兆候はたくさん見られるし、君の期末試験の解答を見ても、やたらと詳しいところとまるで抜け落ちているところの差が激しいのが見て取れる。いやいや、ここで素人がいろいろ説明すると火に油だ。今は我慢して、心を傷つけたらごめんなさいとひたすら謝ってやさしく返事を出しておくだけにしよう" と内心では思うばかりだった。いやなに、そのうち思い直して、学生相談室にでも行ってくれることを期待しよう。
「自閉症」というと、孤立して、暗くしている人という誤った常識が蔓延している。孤立型も「自閉症」の一タイプだが、これ以外に「妥協型」も「積極・奇異型」もあるのである。彼女は、人々の誤った固定観念には反する「積極・奇異型」に属する「(仮性の)高機能性自閉症状」を現わしているのであると私は疑っているのである。

(2)N君、「今日の授業は何もすることがなくって、ヒマでした」
昨年の春学期のある日のことである。学生たちのブログを読んでいると、本日の講義の要約と感想という欄に、「今日の授業は先生の講義が短く終わって何もすることがなくって、ヒマでした」と書いてあった。びっくりした。N君は、比較的まじめな男子学生である。やることがなくて、・・・、そんなはずはなかったのであるが、、、。
当日の講義を少なめに終えて、私は、その日、次のように説明した。「前週の課題の提出状況が良くないので、もう一度、わかりにくかったと思うことをここで説明する。前週の課題をこの時間内に済ませるようにしよう。もうひとつ、課題が完璧にできている7人でお助け隊を組織するから、わからないことがあって困っている人は手を挙げてください。彼らを順次派遣する。何が何でも全員ができるまで頑張ろう」とはっぱをかけた。このクラスの学生48名のうち課題を出していない学生が35人、出したが的外れな回答が6名、完璧な回答を出していたのが7名だった。N君も課題を提出できなかった学生の一人である。この日、ほとんどの学生は大忙しだった。周囲の学生の意見を聞くもの、お助け隊を呼ぶもの、ひとりでもくもくと課題に取り組んでいるもの、、、。周囲の騒然たる状況を感じれば、「何もすることがなくって」とは到底思えなかっただろうし、「ヒマ」がありえないと肌で感じていて当たり前の状況だった。しかし、彼には、それが全く感じられなかったのである。「K.Y.=空気が読めない人」という言葉が一時流行ったが、いじめなどにも多用されて評判は芳しくない言葉である。そのためここで取り上げるのははばかれるが、あえて言えば、彼の場合、原義に近い意味での「K.Y.=空気が読めない人」なのである。彼のような人が増えてきたからこそ、「K.Y.」という婉曲表現が流行したのだが、その後、「K.Y.」でもない人に向って根も葉もない悪口として「K.Y.」という言葉投げつけられるようになったのが、事態を悪化させている。
N君は、これ以外にも、しばしば「~~はしないことにします」という言葉と「これから~~に取り組みます」という言葉をそれぞれ反対に理解することも多い学生だった。「今日は課題を出しませんが、来週小テストを行います。出題範囲はこことここです」と私が述べるとほとんどの学生はこことこことだけは予習してくるが、彼は当日になると「小テストだって~っ、聞いてないよ。"小テストはしないことにします"って、先生は言ったのに」と大声で不平を言うのである。はじめ、私は、N君が冗談を言っているのかと思った。しかし、彼の顔は真剣そのもの、怒りで震えんばかりである。仕方がないので、「皆さん、先週先生は"今日は課題を出しませんが、来週小テストを行います。出題範囲はこことここです"と言ったつもりですが、先生の記憶違いですか。言っていないと思う人は手を挙げてください」というとN君は元気よく手を挙げるが、他の学生はザワザワとするばかり。「言ったと記憶している人は?」というと、ほぼ全員が手を挙げる。N君は、それでも怒っているのである。N君は、否定と肯定を逆に理解して記憶しているのである。N君の心象の中では自分の記憶が正しくて、先生や同級生たちはすべて嘘を言っているように感じられているのだろう。続けて述べられた2つの説明「~~はしないが、~~はする」というような言い回しは特に混乱するようだ。
彼も、「積極・奇異型」に属する「(仮性の)高機能性自閉症状」を現わしているのである。
「N君、君は、肯定と否定を逆に理解してしまうことが多いように思うよ。早とちりは誰にでもあることだから悪いとは言わないが、早とちりのままにすると損をすることも多いから、少しでもあいまいだなと思ったら周囲の学生に確かめなさい。一言尋ねれば済むことが多いよ」と私はそばに行って語りかける。私の授業では、他人の迷惑にならない程度であれば、授業内容に関する学生同士の会話を奨励している。黙って静かに聞いていても頭に入らないものは入らない。眠くなって寝てしまうのがおちである。「先生は、今なんていった?」「最初の授業でやったことと今の話は繋がってるん?」くらいの会話は大歓迎なのである。会話は脳の働きを活性化するというのが私の信念でもある。他の先生方が何も知らずに私の教室をのぞいたら、びっくり仰天するに違いない。私語しつつ私の講義を聴くけしからぬ「ながら学生」がほとんどだからである。私も教室を回りながら、学生らの私語にも耳を傾けて、「おっと、それは違うぞ・・・」などと掛け合いをやっている場面もあるのである。
そうは言いながら、"君は(仮性の)アスペルガーではないか"、などとはなかなか言えるものではない。クラスの学生全員に、高機能自閉症やアスペルガー症候群、ADHD、LD(学習障害)などの概念をよくわかるように説明して共通認識を作った上でなければ、無理というものである。Oさんの場合の苦い経験が頭をかすめる。

(3)T君、「先生、今の会社を辞めていいですか?」
このT君は、前回の記事に登場した。職場で、仲間を得ることができない苦痛に悩む青年である。繰り返しになるのでここでは詳しくは述べない。
彼も、「積極・奇異型」に属する「(仮性の)高機能性自閉症状」ゆえに仲間から避けられているのである。このケースのように信頼関係の上にじっくり語り合うことができれば、なにかよい方向が見いだせるに違いない。しかし、それは、まれなケースなのである。

(4)S氏、「どうして、自分だけ課長昇進がないのかわからん!」
S氏は、今年45歳になったばかりである。ある大手のシステムハウスに努めている。40歳になったころから、同期は少しずつ課長になり始めた。今年の6月、最後に残った2人のうち、ひとりには課長職の辞令が出た。彼にはまだ出ないのである。
今年の3月、飲んだ席でA部長に彼は迫った。以下は、彼が私に語ったA部長とS氏のやり取りである。
「自分は、誰よりもたくさん働いています。もう、同じ給料じゃやってられません。誰よりも課長昇進は自分だと思うんです。どうして自分は課長になれないんですか」とS氏。
部長は「君は、調子のいい時には目覚ましい働きをする。調子の悪いときは、パソコンでひとり遊び風にネットサーフィンをしていて他の人が君の分まで働いている、と私は聞いているよ。調子の悪いときのことは君は自分で覚えていないようだと聞かされているんだよ」と、実直そうな部長は言った。
「ウソです。そんなことはありません。徹夜だって一番多いのは自分です」とS氏。
「昼間は机で寝ていて、夜10時くらいから2時くらいまで仕事をして、タクシーで帰ることが多いようだね。まずは健康な生活のリズムを回復することだね」と部長。
「でも、自分抜きでは、プロジェクトはどれもうまくいかないでしょう?」とS氏。
「チームの誰が欠けてもプロジェクトはうまくゆかないものだよ。その意味で、君は役に立っていないというわけではないが、君の夜勤体質はチームメイトに多大な迷惑をかけていることを感じないのかな」と部長。
「昼間は、起きていても無駄なんですよ。電話は鳴るし、隣のやつは年中質問に来るし、仕事なんてやってられないんです。寝ていたほうが、そのあとの効率を考えるとずうっといいんです。見てたらわかるでしょう。私は素晴らしい効率で仕事をしています」とS氏。
「いや、客観的に評価すると、平均成果よりも君の成果は3割程度低いことになっている。とはいえ、評価基準自体にどこまで信頼を置くべきか、迷うところだけれどね」と部長。
「ほらっ、そうでしょう。成果の客観評価なんて、当てにならないんです。わかるでしょ」とS氏は自信満々である。
この会社はいつも6月末に大多数の昇進が発表される。その他の時期に発表されるのは、欠員補充のときなどに限られている。今年の6月末も彼の名は、課長昇進者リストにはなかった。
彼は憤懣やるかたない思いで、私に電話をしてきた。社屋の廊下から携帯で電話をしているらしい。一方的に喋りまくり続けて、40分を超えたあたりで、私は尿意を覚えて、「ごめんなさい、トイレに行きたくなったので、この続きは、週末に飲み会を設定しますので、その時に聞かせてください」と言っていったん電話を切った。困った方だが、大事なお客様の窓口担当者なのである。週末の居酒屋は、長時間になった。丸々4時間くらいの独演会を聞く羽目になった。
彼は、俗にいうジャイアン型のアスペルガー(ドラえもんに出てくる"のび太"と"ジャイアン"を人格分類に当てはめた言い方)で、他人を支配したいのに自分の間違いを指摘してくれる人から離れないタイプである。
私は、「部長が言いたいのは、君の単独の業務成績のことではなくて、チームからの人望や統率力、時間的計画性のことなど、リーダにふさわしい資質があるかどうかということではないかと思いますよ。A部長は、能率のことばかり言う人ではないもの」と繰り返すが、「いや、効率を考えると隣の奴に話しかけられる昼間は寝ていたほうがいい」と言い張ってやまないのである。
彼も、「積極・奇異型」に権力欲が加わった俗にいうジャイアン型で、本当は仲間から嫌われていることになかなか気付かないのである。
権力欲については、彼はこう説明している。「皆んな、本当はえらくなりたいんです。これを言わないのがおかしいです。みんなは、いい子ぶっているだけじゃないですか」と。しかし、彼が「自分を課長にしろ」と部長や周囲の社員に触れまわるほど、反発は広がっているのである。ますます人望は失われてゆくのである。しかし、彼は少しもその周囲の気持ちを感じていないのである。自分の言動が周囲にどのような反応を呼び起こすかをまったく感じないという気質なのである。
やれやれ、この方に、どうやってご本人の障害を説明したらよいものか、いや、それは私の役目ではなくA部長の役目だろうな、と思う。

(5)U准教授、「ボクが出席すると、ずうっとボクだけが話し続けていることになるんです」
U准教授(58歳)の長口舌は有名である。何かというと過去の栄光である自分の論文がいかに優れているかを延々と語るのである。最初は、かなり感心する。そして、その話しっぷりを研究にかけた情熱と思ってしまう。「それで、最近の研究論文の別刷りかコピーがあれば、いただきたいのですが」と私はうっかり言ってしまった。彼は、一瞬黙ったのち、また、過去の話を最初から繰り返し始めた。同じ抑揚をつけ、肝心のところでは声を張り上げて、同じ話題のところでは目をうるうるさせて語るのである。「私の研究に関心があるんなら、この論文を読みたまえ。図書館にはあるはずだから」と言って書いてくれたのは、30年以上前の博士論文とその2年後の共著論文1報である。
だれに向かっても、同じ話をしているということは間もなくわかったが、大学というところは、多様な人格を許容するところなので、いったん助教授に採用した人をやめさせたりはしないのが原則である。昔の助教授は横滑りして今の准教授である。
教授会でも、彼に話題を振ると、我田引水とばかりに、強引に話を自分の過去の栄光ある論文の話に結びつけて語り始めるので、皆さんは困惑して、出席者も一時はほとんどいなくて流会も続いたそうである。最近では、U准教授が挙手しても議長はこれを無視するのが通例になっているそうだ。
学会や研究会でも彼は困ったチャンとして有名なのだが、ご本人は一向に意に介していないようである。
U准教授の先輩の話を聞くと、彼の博士論文は彼の指導教官が書いたもの、僕と共著の論文が一つあるが、それは私が全部書いたので、彼が本当に書いた論文は一つもない。彼の名前の付いた論文は、この2つだけだからね、ということだった。
U准教授の観念の中では、すべてが美しく彩られているようだった。30年前の論文は自分で書いたものでないにしろ、内容は当時としては素晴らしかった。しかし、今となっては古すぎる過去の遺物である。それを今でも後生大事に相手の迷惑を構わずに語り続けているのである。
記憶力は大変良くて知的障害はないと思われるのに、言動が思い込みのままになっているのである。幻聴や幻覚は観察されず、一方的に話している自分を他の時も連続した自分として理解しているので、多重人格(統合失調症の極端な例)でもなさそうである。彼が時々自慢げに語る「ボクが出席すると、ずうっとボクだけが話し続けていることになるんです」という述懐は、ともあれ彼は(間違った観念のもとに、ではあるが)統一した人格であることを示している。
このタイプも、「積極・奇異型」に属する「(仮性の)高機能性自閉症状」と推測されるところである。彼我の関係が正しく理解できず、自分の過去の栄光だけが他の諸研究に比べて最高の名誉が与えられているはずと信じてやまず、他の人が迷惑であることを感じ取ることもできずに、自分の思い込みだけを延々と語り続ける人である。彼の周辺の教授たちは、教授職で彼を迎え入れてくれる地方の私立大学はないか、と探しているのである。このまま、この大学で准教授のまま65歳の定年まで、彼をじっと大切に取り扱うには大学のリソースの消費が大きすぎると感じているのである。しかし、うむ、・・・、預けられる地方大学の負担はどうなるのだろうか。

さて、私は、前回の記事(「いわゆる6月病???、卒業生との対話--心理、教育、社会性の発達(64)」)で私は初めて「アスペルガー症候群」という言葉を使用した。今回はその続きともいえる記事である。
私は、「アスペルガー症候群」を不治の病のように言い立てる風潮が我慢ならなかったので、「アスペルガー症候群」という言葉を避けていた。
むしろ、それぞれの人の人生観と症状(人格障害)の関連を調べたり、新しい分類を提案してきた(「学生たちの人格障害と学習能力--心理、教育、社会性の発達(23)」
症状(人格障害)としては、WHOの基準を採用せず、アメリカ精神医学会の分類(DSM-Ⅳ-TR)を採用した。なにしろ、アメリカは本質論を避けて現象論を議論するのが大好きな国民性なので、未だ精神障害の脳機能の機作を正しく説明できない現代では現象論こそ頼りになると考えたからである。現象論を手がかりに、今は(仮性の)人格障害の本質に迫りたいというのが私の立場である。

ここで、私が思慮するのは、回復に向かうには、まず本人の自覚が必要であるということである。医師やカウンセラーに手助けしていただくとしても、本人が自分の症状を正しく理解していなければ、医療機関を訪ねさせることさえも困難である。告知は医師が行うとしても、本人が自覚できなければ、医師のもとに出向くことに本人が同意することはないだろう。
幸い(仮性の)アスペルガー症候群の方たちの知能は正常である。とはいえ、人間というものは自分のことはなかなか理解できない。ということは他人のことは容易に理解するのである。客観的な(仮性の)人格障害の事例をたくさん示して、その不都合なパーソナリティを理解することはたぶん十分に可能なのである。
私は、そうした一般的な教育を一人に対してではなく、クラスの全員に客観的に実施することができればと念願してやまないものである。人格障害に関する基礎的で多様な事例と分類が理解できれば、自分の性格がそのどれかに近いことが理解できるに違いない。合わせて、遺伝的で回復困難なものは少ないこと、多くは軽快または完治する可能性があることを伝えなければならない。人は、希望と可能性がなければ持続的な行動はしないものである。
自覚なくしては回復なし。しかし、自覚あれば回復に希望ありと私は伝えたいのである。

次の記事: 心理、教育、社会性の発達(66)
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琵琶


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