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冬近し--人生に詩歌あり(7)

2008/10/28
冬近し--人生に詩歌あり(7)

10月26日
日曜日、束の間、布団を干す。

 陽の香満ち 幸せ満ちる 夢来る 冬近からむ 夜具重ねなむ
 陽の香満つ 夜具重ねなむ 冬近し

琵琶

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お二階までの大冒険--我が家の愛犬様(30)

2008/10/24
お二階までの大冒険--我が家の愛犬様(30)

愛犬様は、我が家の1階、詳しく言えば玄関の住人である。赤いレンガ敷きの靴脱ぎ場の片隅のベッドがお気に入りである。不審者が近くをうろついていればこそお外で警戒を怠らないが、たいていは、この待遇に満足して、夏の暑い日には冷房の利いた玄関内に入りたがり、ちょうどよい季節に気持ちがよくて眠たくなれば玄関内に入りたがり、寒い冬の日は暖を求めて玄関の中に入りたがる。
靴脱ぎ場と玄関の間には仕切りの柵が立てかけてある。ひと押しすればすぐに倒れてしまうような簡単なものだが、約束を守ることをモットーに生きている愛犬様は、滅多にこの柵を越えたりはしない。発情期や叱られたあとなど家族の愛を確かめたいときには、人目を盗んで、柵を飛び越えたり、柵の隙間をこじ開けたりして、玄関のフローリングや居間のカーペットの上にそっと身を低くして入ってくる。こんな時に、元のベッドの位置に押し戻そうとするのは結構大変である。力ずくで捕まえようとすれば、唸り声とともに手を噛まれて血だらけになってしまう。まずは、やさしく抱っこしてやらねばならない。しかし、二階には上がったことがほとんどない。
二階に昇るには、玄関の靴脱ぎからフローリングに上がって、続いて、まるではしごのような階段を登らなければならない。一段一段の間は空間になっていて、前から見れば階段のうしろが素通しで見える。つまり裏板がない。建築士自慢のオシャレ階段だ。登らないようにしつけているとはいうものの、愛犬様の身体能力からすれは登ってしまうことくらい簡単なことに違いない。しかし、彼は、ほとんど登らないのである。このはしごのような構造が苦手なのである。横板の幅は、ヒトの足の幅よりは広いとはいえ、愛犬様の体が全部乗るほどの幅ではない。1枚の横板に直交するように乗ろうとすれば、隙間から下に落ちてしまいかねない。表ではこわもてで通っている愛犬様は口が裂けてもいえないが、実は内心"怖い"に違いない。
昨日のこと、雨が降り続いていた。愛犬様は一日中、外にいた。普通は、夜も、私が帰宅するまで外で待っている。夜半過ぎになっても外にいるのである。息子が彼を中に呼んでも入らない。しかし、昨夜は違った。外の雨がひどかったためか、私がすでに屋内にいると勘違いしたためか、散歩から帰るとすぐに玄関の中に入ったというのが息子からの報告である。息子が階段を上りつつ後ろを振り返ったら、専用のベッドで愛犬様は長々と寝ていたそうである。ほとんどつづけて、約10分後に私と家内が帰宅して見ると彼のすがたは外にはない。玄関の中かなと思いつつドアを開けると、そこにも愛犬様がいない。玄関に入って、見上げると、愛犬様は、階段の上から、身を低くして、胸が2階の床につくのではないかと思われるほど身を乗り出して前足をかがめて、私と家内を見下ろしている。尻尾はちぎれんばかりに振っている。あれっ、そんなところにいたのっ、と家内と私は彼を呼ぶ。彼は、身をよじって降りようとするが、最初の一歩も下には出せないらしい。怖いようだ。彼らしくないが、他人の眼がないところでは日頃の強がりがまったく見られない。からきしいくじなしである。息子が部屋から出てきて、愛犬様の隣に立つ。愛犬様は皆がそろったのでうれしくて目じりも耳も下げっぱなしだが、階段は降りられない。情けない奴である。
私が、階段を上って、彼に近づく。「はい、抱っこ!」と両手を出す。でも、私の腕には彼の手が届かないので、愛犬様はややあせり気味。隣に立っていた息子が中腰になっていたので、ちょうどいいとばかりに、愛犬様は息子の膝に両手をかける。私もようやく階段を登りきって、愛犬様の脇の下に両手を差し入れるようにして抱きあげた。愛犬様は口をやや開けて舌をだらりとして、満足!!! の表情である。やっと私の肩に乗ることができると、安心しきった顔で、おとなしくそのまま抱かれて、階段の下まで降りることができた。
彼は、二階に私がいると勘違いして、階段を上ってしまったのかもしれない。登ったら下りられないのに・・・、無鉄砲な奴である。私はと言えば、会社でも大学でも他人のいるところではハプニングが当たり前、日常茶飯事だが、やれやれ、昨夜は帰宅してもハプニングであった。

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琵琶

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語彙、漢字、検定テスト、第29回次世代大学教育研究会への参加--感性的研究生活(37)

2008/10/20
語彙、漢字、検定テスト、第29回次世代大学教育研究会への参加--感性的研究生活(37)

2008年10月18日(土)14:00-18:00に第29回次世代大学教育研究会が開かれた。
この日は、いつもならば午前に「情報デザイン論」、午後には「情報システム論」が開講される。次世代大学教育研究会は、同じ建物の別のフロアで開催されることが多いのだが、がんばっても3時以降でなければ参加できない宿命である。
しかし、この日は、なんと午後は大学が主催する就活公式セミナーと講義が重なって、休講となった。午前の部が終わる12時10分過ぎには、駿河台の街に出て、ランチの食べられる店を物色して歩いた。久しぶりの神田村散歩である。いろいろとみてあるいたのち、結局、最近できたらしいインド料理レストランのランチセットをいただくことにした。キーマカリー、巨大なナン、野菜サラダ、ライス少々というシンプルなものだったが、インド人だけで経営する店らしく、お味は本格的だった。満足して、少し歩いたら眠くなったので、明大の建物に戻って1階ロビーで一瞬うとうととすると、阪井教授が通りかかって「会場を開けましたから、移動してください」と声をかけてくれた。

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2008年10月18日(土)14:00-18:00 第29回次世代大学教育研究会
明治大学駿河台キャンパス12号館6階メディア教室5
http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html
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14:00-14:05
開会挨拶:阪井和男(明治大学法学部)
14:05-14:35
「手書き認識技術のご紹介 児童・生徒の基礎学力向上のために
~国語力と補習教育~」
多賀 万里子(熊本大学大学院・富士通株式会社)
14:50-15:30
「試験の実施形態に関わる意思決定-AHP(階層分析法)による支援の試み」
劉 東岳(プロメトリック株式会社)
15:55-16:35
「『漢検』結果から見える若年層の言語能力の現状と知識基盤社会に
 求められる言語能力とのギャップについて」
大森 一弘(財団法人日本漢字能力検定協会東京事務局普及部)
16:45-17:35
「未定」
家本 修(大阪経済大学)
18:00-
懇親会
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会は、間もなく開始されたが、家本教授が現れない。後で判明したところでは、法事にぶつかって今回は欠席という阪井教授あての連絡メールがどこかに埋もれていたらしい。

富士通の多賀万里子女史は「語彙の多さが学力不足を解消する」という趣旨で話された。私は、語彙の多さも必要だが、語彙間のメタ関係(上位-下位概念)や(対比、例示、類似、比喩などの)ネットワーク関係が育っていないところに学力不足の問題を見いだしているので、質疑の時間には、執拗にメタ概念関係や概念ネットワークの育成を目指す教育を言いたてた。質疑では、なかなか真意は伝わらないようなので、近々まとめて発表の機会をいただくことにしようと思った。
漢検の大森一弘氏は、日本におけるコミュニケーション能力に占める漢字の比重の大きさを強調して、漢検の活用を訴えていた。漢字は日本語の語彙を世界トップクラスにしている大きな原因という説明もあった。日本語コミュニケーションについて、私には言いたいことが山ほどあったが、とても質疑の中で言い尽くせない。日本の文化に漢字が加わって語彙が豊富化してのは、その以前から存在する各種の民族の言語の混合という豊富な語彙環境があるうえに2字熟語(概念を二重に細分化する機能を持っている)が加わったことになる豊富化であることを私は指摘するにとどまった。また、発表された漢検の成績の分析で、漢字の読み取りや単独の書き取りなどは比較的良い成績になっているが、対比語や類似語を問う問題では成績が良くないという結果が示されていた。私は、この結果こそ、学校教育などで概念のメタ構成化やネットワーク化(対比、例示、類似、比喩などの)を育んでいない明白な証拠ではないか、と指摘した。
プロメトリック株式会社の劉東岳氏は試験問題の運用を適切化する活動を紹介した。主観的にしか推定されない優位選択を二者択一のようにできるだけ単純化してひとが指定することができ、かつ複数項目間の優位関係に生ずる矛盾をできるだけ排除するということがテーマのようだった。途中出てきたマトリックス計算を、聴衆が飽きないようにとの配慮からか計算を省いて端折っていたが、省かないほうが私にはよかった。私は、計算を暗算で追試して納得したが、その間にスライドは2つも先に進んでしまった。(私の計算が遅いからだって? その通りです。ハイ)

懇親会では、日本語の由来や多様な語彙の起源などに話が及び、「イイ(飯豊山の飯など)」は「尖っている」ことのオーストロネシア語、「ハシ(箸塚の箸など)」は銛(モリ)や槍(ヤリ)を意味するオーストロネシア語などという話を披露した。つまり、「イイハシさん」とは「鋭利な銛または槍の使い手」という意味であったことを示唆している。ちなみに「イイモリ(飯森、飯盛り)さん」という苗字も世の中にはあるので、「イイハシ」からの訛りであることが推定される。
ついでに「いかるがの里」の「いかる」とは何ぞやというような謎かけをして、その解は「シュメール語の"はかる"」という意味の言葉であると種明かししたりした。つまり、「斑鳩がの里(いかるがの里)」とは、「測量する人の里」という意味で、古墳時代という大測量時代の技術的担い手が南インドの人々に伴われたシュメール人測量技師群であったことを思わせるというようなお話をした。
今回は、いくらか、座を盛り上げることができたかもしれない。
研究会の後の懇親会こそ面白い。

えーと、当日、名刺を切らせていましたので、初めての方々に大変失礼してしまった。翌日、名刺をいただいた方にはメールをお送りした。
次の機会には、真面目に発表する側に回ろうと、心に誓った。ご参加者のみなさん、チャチャを入れるばかりだった私をお許しください。


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琵琶

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100年後の評価に耐える成果、ノーベル賞の価値--独創力の創り方(19)

2008/10/17
100年後の評価に耐える成果、ノーベル賞の価値--独創力の創り方(19)

ノーベル賞をめぐる話題は尽きない。
産経新聞は、「ノーベル賞が権威を保つ理由」を記事にしている。記事の主眼は、「純粋な学問の世界にとどまらず、広く社会に応用され、世界の発展や改善に寄与したことが授賞の要因になっているようだ」というものである。
しかし、この見方は外れているわけではないが、少しばかり軽薄である。人類史という時間軸が抜けている、と私は思うのである。今日明日の役に立つことがノーベル賞になるとは限らない。ノーべル賞が人々を驚かせ、権威として認められれるのは、もう少し深いところにあると私は思う。
まずは、産経新聞の記事を見てみよう。

ヤフーニュース
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ノーベル賞、世界でも大喜び いまなお権威保つ理由
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081013-00000521-san-int
10月13日18時56分配信 産経新聞
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10月の第1週はノーベル賞の発表が恒例行事となり、世界各国のメディアが賞に応じてスウェーデンの首都ストックホルムかノルウェーの首都オスロに集結する。大きな国際会議の会場になることを除けば、北欧がこれだけ注目を浴びることは少ないだろう。日本人に受賞者が出ると、日本では大ニュースになるが、外国人の受賞者となると、顔と名前は分かっても詳しい様子はあまり伝わってこない。だが、日本人と変わらず、大いなる名誉にどの受賞者も大喜びのようだ。
2008年のノーベル賞の外国人受賞者は13日に発表される経済学賞を除いて、リュック・モンタニエ氏(世界エイズ研究予防財団)、フランソワーズ・バレシヌシ氏(仏パスツール研究所)、ハラルド・ハウゼン氏(独がん研究センター)=医学・生理学賞▼マーチン・チャルフィー教授(米コロンビア大学)、ロジャー・チェン教授(米カリフォルニア大サンディエゴ校)=化学賞▼ル・クレジオ氏=文学賞▼マルッティ・アハティサーリ氏(元フィンランド大統領)=平和賞、となった。
国際舞台でも名の知られたアハティサーリ氏や、一般にもなじみのある文学の世界にいるクレジオ氏の2人以外は科学の専門家でない限り、どういう人か思い浮かぶことはまずないだろう。ただ、ノーベル賞の受賞理由をこの数年、眺めてみると、門外漢には無縁に見える科学分野の受賞も実は身の回りの生活の進歩にかかわっていることが分かる。病気の治療法の確立や薬の開発といった人類を救う業績に焦点が当てられているようだ。
ノーベル賞でもうひとつあまり見かけないのが発表瞬間の様子だろう。受賞者が世界的にも大物で話題の人物となることが多い平和賞ではオスロでの発表がテレビ映像で流れるものの、科学関係や文学賞はいたって地味だ。いち早く受賞者を知るとなると、インターネットでの発表を待つのがいまや常識になっている。注目されるのは受賞者だけに、ストックホルムでの発表記者会見はあまり興味を引かないのかもしれない。
現在はそれぞれの発表機関の責任者が会見の場で受賞者の顔写真を投影しながら行っている。ただ、かつてはどうだったかは定かではないものの、ノーベル賞受賞をめぐる陰謀を描いた映画「逆転」(The Prize、1963年)では、発表機関の責任者が所定の時間、場所に集まった世界各国の報道陣を前に、机の上に発表文を無造作に仏頂面で放り投げるシーンから始まっていた。
ノーベル賞受賞をメーンに扱った娯楽作品は他に見当たらないだろう。しかも主演は先ごろなくなった米人気俳優のポール・ニューマン。文学賞を受賞した若き米国人作家の役で、その受賞発表に続いて日本も含めた世界各国のメディアが一斉に打電するシーンが興味深い。映画のつくられたシーンとはいえ、授賞理由の意味合いを伝えようとするところはいまの現実ともあまり違いはないようだ。
ノーベル賞はダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて1901年に設置され、世界的な権威を持つ賞として色褪せることなく続いている。経済学賞を除いて賞金の原資はノーベル基金で、ノーベルの命日である12月10日に毎回、授賞式が行われる。
授賞者を予測することは難しいが、授賞者の世界へのメッセージや現代世界の実情を反映している場合が多い。2007年の平和賞では、気候変動対策に取り組むアル・ゴア前米副大統領が共同受賞者に選ばれた。現在は環境問題も平和賞の対象に組み込まれている。2008年は医学・生理学賞でエイズウイルスの発見が取り上げられた。
純粋な学問の世界にとどまらず、広く社会に応用され、世界の発展や改善に寄与したことが授賞の要因になっているようだ。それだけに授賞に意外性もある。ノーベル賞は受賞者だけでなく、現代を生きる者にとって授賞の意味を考えさせるものでもあり、いまも権威を保っている理由がそこにあるようにみえる。
(記事中の写真と関連記事リンクを割愛)

最終更新:10月13日20時51分
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ノーベル章の選考基準は公式には秘密なのだが、少なくとも、受賞の歴史を見れば、今何かに役立つのではなく、100年後の人々(国を超えた)に役立つ発明や発見に与えられているという事実が見えてくる。役立たない新規さや珍妙さを競うものでもないし、目先の利益をかなえるものでもないのがこの賞の勘所どころである。
このように考えてみれば、100年後の人々(国を超えた)に役立つ発明や発見、を見抜くことを選考委員は求められるわけで、勢い、古い発明や・発見ばかりが選ばれているように見えるのも事実である。しかし、歴史に耐える選考、という基準は的を射れば、まことに力強い。過去には、やや的外れな賞もなかったとはいえないが、大筋は、歴史に耐える選考であったからこそ、その権威は守られているのである。
実に、人類史の今後を見据えての評価という基準はまことにまれである。千年王国を作るというユダヤの民の思想がその背景にあるのかも知れないとも思われる。ならば、千年後の評価にも耐える発明・発見にこそ賞を与えてよいようにも思うのだが、難しいのかもしれない。
国家でさえ「国家100年の計」を考えねばならぬのである。これから50億年は生き続けるはずの人類の賞としては、たかだか100年後の評価に耐えるものでなければ、賞としての価値はないというべきである。
この意味をしっかり受け止めて運営されているノーベル賞は、(いくらか雑音めいたことはあっても)すばらしいといわざるを得ない。

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琵琶


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おにぎりチョウダイ、河原のレジャー--我が家の愛犬様(29)

2008/10/13
おにぎりチョウダイ、河原のレジャー--我が家の愛犬様(29)

この日は、秋晴れの良い一日になった。
実は、前日から、晴れたら愛犬様を連れて出かけようと、私は、決めていたのである。妻と息子と愛犬様を車に乗せると、途中でおにぎりとお茶を買い込んだ。愛犬様のためには水を買った。ペットボトルの水は愛犬様が大好きである。

畑に囲まれた我が家を出ると、まずは田舎の光景が後ろへ後ろへと行き過ぎる。愛犬様は、定位置である助手席に入り込んで、うれしくて激しく動き回ってはしゃいでいる。フロントに前足をかけて突進する前を覗き、走り去る風景をよく見ようと窓から鼻先を突き出して様子を見る。後ろを振り返って、走り去った事物を確認する。ひとときもじっとしていない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ワンワンワン、ボクは愛犬様です。
家族全員がそろっているし、車は快適に走ります。ボクッ、うれしい、うれしい。でも、そうはいっても、後ろの席が気になってしまう。お兄ちゃん(長男)が手に固く握っているものはなんだぁ? なんだかいいにおいがする。後ろの席に身を乗り出して鼻を近づけてにおいをかいでみる。「コラッ、ダメ」と怒られた。でもにおいはわかったよ。"鳥のササミ"だ。ボクの好物を持ってきてくれたんだ。後でボクにくれるつもりだよ。ルンルン。
周囲がにぎやかになって、すれ違う車も多くなった。車は、一つの街を横切り、どんどん走る。しばらくすると、また緑が増えてきて、畑も広がってきた。やった! もしかすると大好きな江戸川の土手かもしれない。お父さんが運転する車は、駐車スペースを探して、土手の近くの畑の中をゆっくりぐるぐるとまわる。もう、じれったいなぁ。おろしてよ。とっとと土手まで走らせてよ。と、ボクは思ったけれど、人間様にはそれなりの事情があるらしい。駐車場に車が止まると、お母さんとお兄ちゃん(長男)が先に降りて、お母さんが綱を引いてくれる。長い綱である。なんと40メートルもあるんだって。これなら、お母さんのゆっくり目の走り方に合わせなくてもいいし、お母さんの周りを存分に走れるというわけだ。まずは、駐車場から一直線に土手の下に走る。お母さんもあとから追ってくる。土手にそってその下を、前に行ったり後ろに行ったり、気持ちよく走れる。土手の下にやってくると、お母さんたら、予想もしないことを始めた。土手下から、まっすぐ上に登り始めたのである。わっ、大変、ボクも登らなくちゃ、2-3歩登りかけて、後ろを振り返るとお兄ちゃんもお父さんも走ってくる。きっと、同じように土手を登る気らしい。ボクは、一気に土手を駆け上がって、上からみんなの様子を見ることにした。ヘッヘッヘ、やっぱり登ってきた。お兄ちゃん(長男)はすぐに追いついてきた。お父さんもがんばって駆け上がってくる。大丈夫かな、心臓が悪いって言っていたのに。そういえば、最近、お医者さんからだいぶ良くなったって、ほめてもらったって自慢していたっけ。お母さんも長い綱をもって、うしろから、ゆっくり、やっとの思いで、急な斜面を登ってくる。
全員が土手に上にそろうと、川下に向って、歩き始める。ボクは、ただ歩くだけじゃ退屈だから、綱の届く限り前に走って、綱がいっぱいいっぱいになったら、今度は後ろに走って、綱のたるみがなくなったら、前に走って行った。何回か走ると、お父さんが声をかけてきた。「おおい、ここにベンチがあるから、ちょっと座ろう」 もう休憩にするの? お父さん。と、少しばかり不満だったが、ボクは立ち止まって、ベンチのところに戻った。お父さんが、自宅から持ってきたボクの食器を地面において、ペットボトルの水を注いでくれた。ペットボトルから流れ出るところをぺろぺろするのが、本当は大好きなんだけれど、ペロペロしようと思った瞬間に、「お座り。お行儀よく待っていなさい」と、叱られてしまった。でもいいんだ。ちゃんとお座りすれば、きっといいことがあるんだよ。
「よしッ」とお父さんが言うので、おいしい水をごくごく飲んでいると、あれっなんかいいにおい。お父さんとお母さんがベンチに座って、お兄ちゃんはそのそばに立って、何か食べている。なに、何? ・・・、ボクはあわてて、お母さんのほうに飛んで行って、正座した。最近、お母さんって案外やさしくしてくれるんだ。お父さんがダメでも、お母さんに甘えると、いいものをくれたりするんだよ。すると、後ろのお父さんから、「おいで」と声がかかった。後ろを振り向くと、何かちぎってボクに差し出そうとしている。パッと飛んでお父さんの前で正座する。すかさず、お父さんが、一口大にちぎって、ボクの前に差し出したものがある。においをかいですぐにわかった。お米の御飯だ。ボク、ご飯、大好き。人間たちが「おにぎり」というものだ。一口もらうと、そおっと銜えて、少しずつ噛んで少しずつ食べた。おいしい! 食べ終わると、もっとほしい、おにぎりチョウダイ! と、ボク。お父さんは、もう駄目というみたいに、ちょっと首を振った。僕は、今度は、また後ろを向いて、お母さんの前で正座して、ボクにチョウダイとおねだりした。お母さんは、自分で食べるのに夢中みたい。なかなか、くれそうにない。するとまた後ろからお父さんが「こっちにおいで」という。あわてて、向きを替えて正座すると、お父さんはまた一口、おにぎりをちぎるとボクにくれた。そおっと銜えて、少しずつ噛んで少しずつ食べた。おいしい! 食べ終わってお父さんの前で正座していると、またくれた。3-4回繰り返すと、なんと、お父さんの手元のおにぎりがなくなりそうだった。お父さんは、それを自分で食べてしまいそうだった。ボクはあわてて、「オテ」をしてみた。お父さんも仕方なく、手をのばして、ボクの手を受けてくれた。そして、最後のおにぎりのひとかけらもボクは食べることができた。ま・ん・ぞ・く。
お口直しに、水を飲んで、また移動開始。あれれ、前のほうから柴犬のメスがやってくる。ボクを見ておびえたのかな。立ち止まって、動かない。飼い主さんが抱えあげて、川の流れのあるほうに階段を降りてゆく。お父さんが、ボクの綱を引きしめて柴犬が見えなくなるまで動かない。綱が緩むとボクは、健康そうで毛並みの良いメスの柴犬のにおいをかいで、追いかけようと思ったのだが、「品がないよ、我慢しな」とお父さんが言う。「えっ、犬に品も何もあるもんか」と思ったが、お父さんが言うのでは仕方がない。階段を駆け降りると、河川敷ゴルフ場である。ゴルフ場と土手の間には、きれいな芝の広い道が続いている。長い綱をお兄ちゃんが握ってくれる。突然、お父さんが川上に向って走る。ボクはあわてて後ろから一気に追いかけて走りぬく。お兄ちゃんもおいかけてくる。100メートルほど走って、後ろを見ると、お父さんが、今度は反対方向に向かって走っている。あれっ、ずるいよ。僕は、全力で後ろから走って追い抜く。また100メートルくらい追い抜いて後ろを振り返ると、またお父さんは反対方向に走ってゆく。また僕はこれを追いかける。気持ちいい! 久しぶりの全力疾走だ。・・・、れれれっ、今度はお父さんたら、土手の上の向かって走って登っている。ボクもゆくよ~。走って登る。振り向くと今度は下のほうに向ってお父さんが駆け降りてゆく。ボクもジャンプしながら降りて、下に到着するとお父さんはまた上に向って走っている。これはきついよ~。アセ、アセ、アセ、・・・。
そろそろ、ボクも降参っ。土手下に降りてゆくと、お兄ちゃんが、水を用意していてくれた。おいしいおいしい。ゴクゴクゴク。
「さあ~て、そろそろ帰ろうか」とお父さんが言う。僕はさっき降りた階段に向って進んでゆき、階段をのぼってゆく。お兄ちゃんが綱を握っているので、思いっきりひっぱるように駆け上がった。駐車場までの道は、ゆっくりと歩いた。ボクんちの車はすぐにわかった。気持ちいい、時間だった。
帰りの車の中、少し観察してみたんだけれど、人間たちも満足した顔をしていた。お金のかからないレジャーだったなんて言い合っていた。この家族は、連休なのに行楽地に行くこともほとんどないし、遊びにも行かない。ほんとに貧乏なんだね。でも、ボクと一緒に河原に来て、一緒に走るだけでも、気持ちいいし、素敵なレジャーだと思うんだ。ね、ね、また来ようね。

・・・、うん? 鳥のササミを、ボク、もらったっけ。・・・、もらってないよ。夕飯のときにチョウダイ!!!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

平和な一日でした。

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関西人のおしゃべりは独創性の源か。ノーベル賞受賞--独創力の創り方(18)

2008/10/13
関西人のおしゃべりは独創性の源か。ノーベル賞受賞--独創力の創り方(18)

日本人に創造性がなかったわけではないということが証明されたという点では、今回の4名のノーベル賞受賞は、誠に僥倖というべきである。
ノーベル賞4氏の中に独創性はどこから来たのか、あやかりたい人はいろいろなことを考えるらしい。京都大学-名古屋大学に良い先輩がいて、よい指導を受けられたからには違いないが、よき指導者とその指導にこたえられた人々をはぐくんだものはなんだったのだろうかというわけである。
たとえば、次の記事は、ノーベル賞受賞4氏の中に独創性が育まれた理由がどこにあるのかを探ろうという記事である。無難だが、ステレオタイプの記事のまとめ方で、独創性の由来はさっぱり伝わってこない。

ヤフーニュース
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科学はゲーム「おもしろい」 ノーベル賞4氏語る 「理科離れ」歯止め期待 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081011-00000524-san-soci
10月11日12時47分配信 産経新聞
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「科学技術創造立国」を掲げながら、さまざまな調査が若者の「理科離れ」を示している日本。政府関係者がその歯止めになってほしいと期待を膨らませる朗報が今週続いた。日本人4人のノーベル物理学賞、化学賞受賞。4氏はなぜ科学の道を志し、若者が理科を敬遠する日本の現状をどう受け止めているのか。そして対策は。それぞれの言葉から探った。
■好きこそものの…
「物理が好きになったのは、英語が嫌いだったから」。物理学賞の受賞決定翌日の8日、京大名誉教授の益川敏英さん(68)は、学生との対話集会でこう語り、会場の笑いを誘った。
4人の受賞者がそれぞれの研究分野を選んだ理由はさまざまだ。
益川さんとの共同研究で受賞が決まった高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠さん(64)も「覚えるのが嫌で、語学系はだめ。理数系が得意だった」。同じく物理学賞の米シカゴ大名誉教授の南部陽一郎さん(87)は、小学生のころには鉱石ラジオを作って遊んでいた科学少年。当時のあこがれは発明王エジソンだったという。
一方、化学賞の米ボストン大名誉教授の下村脩さん(80)は「薬なんて何の興味もなかった。当時は若者に好きなことをやる自由はなかった」と振り返る。原爆を体験し、高校へも進学できなかった下村さん。長崎医大薬学専門部(現長崎大薬学部)が近所へ移転してきたため、不本意ながら入学したことが、今回の受賞につながった。
■自分の考えを大切に
「なぜ?」を軽視する受験教育や、情報過多が科学への関心の芽を摘んでいるという指摘は少なくない。4人は“後継者たち”の研究・勉学環境をどうとらえているのだろうか。
南部さんは「世界中の論文が毎日、新聞のように手に入ることは幸福だと思う」とする一方で、「自分自身で考える暇がないことが、(独創性が育たない理由に)あるかもしれない」とチクリ。小林さんも「自分の考えを大切にする中で、人それぞれの考え方のバリエーションが出てくる気がする。そういう中からいい仕事も出てくるのではないか」と独創性の大切さを説いた。
南部さんと下村さんはかつて、研究の場に米国を選んだ「海外流出組」。しかし下村さんは「当時と違って日本も豊かになり、日本の方がよい研究ができるようになった。今ならこちら(米国)にくるかどうか分からない」と話した。
■科学はおもしろい
受賞決定後、一気に発言の機会が増えた4人。10日に塩谷立文部科学相と面会した益川さんは科学離れが進む現状について、「今の大学入試は、採点が楽なようにできていて問題がある。人間は本来好奇心がいっぱい。それに応える教育システムが必要だ」と注文をつけた。
小林さんも、現在の日本の教育のあり方には問題があると考える。「自然を理解するためには、できあがった法則を知るだけではだめ。法則の発見に至ったプロセスを伝えなければ」
「(受賞決定が)日本の科学離れの歯止めになれればうれしい」。日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹さんの共同研究者で名古屋大教授だった坂田昌一さん(ともに故人)にあこがれ、名大理学部に進学した益川さん。次代を担う子供たちに「科学は面白いよ。ゲームと同じだ。いろんな本を読んで“活字中毒”になってほしい」とメッセージを送った。
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「■好きこそものの…」、好きなものに没頭すれば独創性が生まれるか? これも間違った常識が災いしている書き方である。パチンコ好きならば物理学者になれるかと言えば、必ずしもさにあらず。ミニチュア車のマニアはいくらでもいるが、ミニチュア車が好きならばそれだけで自動車工学の権威になれるはずはない。「好き」は千余の条件の一つにすぎないだろう。もっといえば「嫌い」でも取り組んでいるうちに好きになってしまうことだって多い。「好き」にただついてゆけば、詐欺師の術中にはまるのも昨今の世情である。凡人は「好きこそものの…」ではなくて、「好きこそ、まずは、眉に唾をつけて」が妥当なところではないだろうか。
「■自分の考えを大切に」、カルトや金融万能主義にはまったひとが、固執する妄想を大切にしても独創性は生まれない。「自分の考えを大切に」してはいけないのである。もちろん、先行する研究が解決し得なかった問題を解決しうる着想を得たときにこそ、その着想を大事にする必要はある。他方、根拠のない妄想に取りつかれやすい凡人には、「自分の考えを大切に」という言葉は、百害あって一利のないスローガンである。
「■科学はおもしろい」、これは、まさしくその通りである。凡人は、科学を暗記モノにしてしまいがちである。小中高の生物も化学も物理も数学もすべて暗記モノにしてしまったのは、子供たちではない。子供たちに罪はない。子どもたちを取り巻く大人たちの責任である。暗記モノに面白さなど存在しない。科学の面白さとは、解を求めて「思いめぐらす」楽しさの中にある。最近の親も教師も、どうかしてしまっている。丸暗記を受験の秘策だと勘違いしてしまっている。丸暗記を強要するあなたたちは、子供たちを社会的廃人にしたいのかと、私は言いたいくらいである。

振り返ってみれば、「思いめぐらす」のは、他の人々との会話や対話によって促進される。あぁでもない、こぅでもないと言い合う習慣がなければ、ひとりで「思いめぐらす」ことなどできやしない。「思いめぐらす」とは一人の胸の内(脳内)で、対話する二人、または複数を登場させて対話や会話を仮想的に進行させることに他ならない。実地におしゃべりする習慣のない人にそれができるはずがない。科学することの基本は、知的な話題をおもしろおかしく語り合うところからスタートする。歴代日本人ノーベル賞受賞者が西高東低であるのは、関西圏が関東・東北エリアより、よくしゃべるからではないかと私は思うのである。関西の芸人は、お品の善しあしは別にして、よくぞここまでかんがえるなぁと関心してしまうことだって多い。芸の天才である。我流にいえば、「独創力は関西人のおしゃべりが育てる」と言いたい。関西芸人のノリで、少しばかり角度を変えて知的話題について熱心に話し合ってみたまえ。ボケとツッコミは特に大切だろう。笑いは脳を活性化する。知の天才も生まれるのではなかろうか。私は関西に生まれたかったと思う。
ちなみに、私の授業では、授業中に小声でおしゃべりすることを大いに推奨している。話せば脳が活性化するというのが持論である。教室内のおしゃべりの条件は、話題が講義内容に関係するものに限ること、声が大きすぎて当事者以外に迷惑が及ばないよう隣同士がわかる程度にひそめることというものである。
ノーベル賞受賞者の皆さんは、あまりにも頭がよすぎるので、頭が良くなる秘訣など問われてもご本人たちにはわからないに違いない。名工は、自分の技能を説明できないものである。独創力の秘密をご本人に聞きに行ったあたりからして、この記事はもとから失敗しているのである。
私が実践している、おしゃべりOKの講義風景の取材にでも来るべきだと思うのだが、いかがなものだろうか。
失礼、我田引水も度が過ぎたかなァ、・・・。

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琵琶


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謙遜にはわけがある。南部さん、益川さん、小林さん、下村さん、ノーベル賞受賞おめでとう--独創力の創り方(17)

2008/10/12
謙遜にはわけがある。南部さん、益川さん、小林さん、下村さん、ノーベル賞受賞おめでとう--独創力の創り方(17)

今年は、日本人が4人も受賞したということで、連日マスコミはこれを報道したり、ワイドショーで取り上げたりしている。その様子はまるで「ノーベル賞騒動」と言ってよいかも知れない。
サイエンス系のノーベル賞受賞者は、ひどく謙遜するので、驚かされる。なぜ、そんなに謙遜するのか。今回故戸塚洋二氏に遠慮したという面も確かにあるだろう。しかし、戸塚洋二氏の一件がない2002年度受賞のの田中さんにしても、今年の下村さんにしても大変謙虚である。
研究者といえども、他分野の研究成果の是非はほとんど判断ができない。多くの研究者は、ご本人の周囲の評判だけを頼りにその人を評価することになる。しかもその結果得られた名声がその人の地位そのものになりかねない。つまり、周囲のほんの一握り人の評価が、研究者社会全体の評価になりかねない危うい世界に一人ひとりの研究者は身を置いているというわけである。
研究者は、評価を渇望している一方で、身近な人たちにねたまれることを極端に恐れているものである。名誉を望まないわけではないが、周囲のほんの20名にも満たない人々からねたまれたらたちまち悪い噂を流す人がでてくるのである。一人の悪口が数千人、多く見積もっても数万人しかいない研究者社会全体に広がるのは多くの時間を要しない。その結果、たちまちわが身が地に落ちてしまう危険性があるのである。どんな場合でもヒトは多勢に無勢となったら、いっぺんにつぶされてしまう。研究者の皆さんは、周囲のほんの一握りの人々からねたまれないように細心に注意を払い、発言に注意しているのである。
研究者社会は、世間が見ているほど甘くもないし、自由でもない。窮屈で、息詰まる社会なのである。この傾向は、アメメカに比べて日本においてはいっそう顕著なので、庶民の耳目には、とても奇異に映る。
名誉を獲得するにはまずはねたまれないようにすること、が研究者たちの本音である。
いや、なに、研究者の世界に入れなかった私のただのひがみですが、、、。

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ヒトの知能の構造-「ヒトの知能に迫る(その1)」--独創力の創り方(16)

2008/10/05
ヒトの知能の構造-ヒトの知能に迫る--独創力の創り方(16)

「ヒトの知能に迫る」というミニシリーズを企画したが、他の興味にひかれてその構想は中断してしまった。この記事は単独の記事としてここに残すことにする。機会があれば別のミニシリーズとして書き進めたい。

参考になる別のミニシリーズ: 心理、教育、社会性の発達「知能を育てる」(全6回)
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1."スキルvsナレッジ"でもなく"知vs識"でもなく-「知能を育てる(その1)」
2.楽しく越える「知性なき丸暗記」の限界-「知能を育てる(その2)」
3.人工知能に見る知能の構造-「知能を育てる(その3)」
4.ヒトの知能の構造と知能教育-「知能を育てる(その4)」
5.レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力-「知能を育てる(その5)」
6.個性もいろいろ知能もいろいろ-「知能を育てる(その6、番外編:)」
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ヒトの知能については、外科的脳の解明も相当に進んでいるので、いまさら、モデルを提示するまでもないという考えもあるだろう。未解明の事象について、仮想的モデルを提示するのは、研究者の命取りだという人もいる。後日、はずれていたら恥ずかしいというわけである。
しかし、私は、プロの研究者でもないので、はずれていたら潔くごめんなさいと申し上げてお許しをいただくことにしたい。お聞き苦しきをなにとぞお許しいただきたい。
これまでも、人工知能にかかわるシステム技術者は人の知能に関する仮想的モデルをたくさん作っては壊してきた。私もそのようなシステム技術者の一人である。作られた仮想的モデルに基づいて、人工知能システムは構築され、万余のユーザの手でテストされた。箸にも棒にもかからないものもあったが、なかなか良いと思われるものもあった。なかなか良いと思われる人工知能システムの構築モデルは、実はそれがヒトの知能の働きをよく反映している場合に違いないのである。
脳の働きは複雑なのに、外科的知見は虫食い的でまだ全体像を言い当てることができにくい。人工知能システムの構築モデルは、ヒトの知能を外見から観察して、推測して作ったものにすぎないが、脳の物理的働きに沿っているかもしれないと思わせるに十分で、これまでも脳科学者のモチベーションを掻き立てるものだったとわたくしは思う。当たっていた場合は、関係するシステム技術者も脳科学者もなんとも幸せであるが、はずれていても「かく予想されていたが、(その仮説に沿って研究したところ)実は違っていた」という反面教師の大役を果たすことはできたと思う。
牽強付会のそしりを覚悟の上でいえば、私が提案する仮想モデルは当たっていようがはずれていようが、学問の進化に大いに役立つはずであると思い込むことにしているのである。この思い込みの上に、今からいくつかの記事をミニシリーズとして書き進めるので、お気に召さなければ、横眼で眺めてにやりと笑ってやり過ごしていただきたい。

さて、今回のテーマは、「ヒトの知能の構造」である。

ヒトの知能の構造モデル図(クリックすると拡大表示されます)
Photo
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この図は、下記の記事のために作成した図を基に、小脳と視床下部を加えたもの加えて拡張したものである。

アスペルガー症候群(AS)、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)とは何か--心理、教育、社会性の発達(69)

レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力-知能を育てる(その5)--心理、教育、社会性の発達(58)

上の記事の図は、アスペルガー症候群(AS)、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)をそれぞれ「情報の獲得部の欠格」と「特定のジャンルの学習についての能力の欠損」、「情報の発現部の欠格」であることを示すための図であった。
次の記事の図は、サヴァン症候群(レインマン)のような現象を説明する図であった。
これらをまとめたものが、今回ここに示した図である。ここに示した図には、視床下部の働きについても忘れないように書き加えてある。
ヒトの脳には、大別して、視床下部、小脳、大脳がある。生物の発生分化の歴史から、それぞれ、爬虫類の脳、哺乳類の脳、類人猿の脳といわれることがある。

この図は、今後何度も引用されることになると思われるが、大事なのは、小脳と大脳には、それぞれ「知識の獲得部(黄色の部分)」と「知識の発現部(ピンクの部分)」と「知識ベース(茶色の部分)」があるということである。また、小脳にはないが、大脳には「知識の獲得部」と「知識の発現部」と「知識ベース」をコントロールして、知識の妥当な構造化を促したり、知識の構造の高度化を昼夜保守し続けたり、知識の発現を知識全体に照らして妥当なものに制御したりする「連合部位(緑色の部分)」がある。連合部位が大きく発展したのは人がムレからムラを作るようになってからのことであり、「社会的脳の発達」と深いかかわりがあると推測される。この部位の存在こそヒトの人格を決定づけるものと推測できるものである。

大脳の知識ベースと小脳の知識ベースは明らかに異なる。小脳の知識ベースは、パーセブトロンの発見によって大いに解明が進んだ。まだ完全解明とはいえないが、いわゆる「ニューラルネットワーク」と呼ばれているものである。「ニューラルネットワーク」は、たくさんの事例とその成果を与えると、成果のある回路だけが太くなる(電流が流れやすくなる)ことによって記憶され、記憶は再現される仕組みである。これは反射的動作の記憶を支えていると考えられる。スポーツ選手が、繰り返し練習に励めば、敵の動きに体が自然に反応するということが起こる。この「体が覚えている」ことが、実は小脳の記憶である。小脳の記憶がまったくなかったり、不十分だったら、ヒトは命をつないでゆくことがほとんどできないだろう。しかし、その記憶の能力は反射的行動のそれに限定されるという限界もはっきりとしている。思いめぐらせたり、高度な概念について思索にふけったりする能力は、小脳にはない。それらは、全て大脳の働きである。
大脳のもつ知識ベースは、「ニューラルネットワーク」(「電子的ふるい」と言われる)のような単純なものではない。もっと別の、高度に構造化された物に違いない。

機会を見て、小脳のパーセプトロンと対比して大脳のもつ知識ベースのモデルについて、解説したい。

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