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2009年年頭に想う-新しい「公」への希望(1)--情報社会学、予見と戦略(26)

2009/01/01
2009年年頭に想う-新しい「公」への希望(1)--情報社会学、予見と戦略(26)

ミニシリーズ: 新しい「公」への希望(全4回)
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1.2009年年頭に想う-新しい「公」への希望(1)--情報社会学、予見と戦略(26)
2.古き「公」と新しい「公」-新しい「公」への希望(2) --情報社会学、予見と戦略(27)
3.金融の役割-新しい「公」への希望(3) --情報社会学、予見と戦略(28)
4.地中の芽-新しい「公」への希望(4)--情報社会学、予見と戦略(29)
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新春にあたって、旧年の苦悩を振り払い、近未来にある希望をはっきりとさせておきたいと思う。
今年は、希望が見えてくる年である、と私は思う。
それは、単純に景気が回復するというような希望ではない。激動と動乱もあるかもしれないが、その先にある未来に一条の光を見るのである。

1.昨年後半に始まった不況の主犯は金融か、国家か
昨年後半は激しい不況に見舞われた。
マスコミも経済学者もこれを「金融不況」と表現している。「金融不況」という表現は、実態を表しているだろうか。
今回の不況が発覚した端緒は確かに金融の失敗からだった。
しかし、世界でも相応に賢い人材が集中しているはずの金融業界が、1990年代初頭の日本のバブルの崩壊から学んでいないはずはない。金融の失敗がそもそもの原因だったのかという疑問があって当然である。金融も大枠でいえばだまされた被害者だったのではあるまいか。厳しく見てもせいぜい付和雷同した共犯者と言ったところだろう。金融業界だけを悪者にするのは酷というものである。
金融業界もひどい状態にはなったが、不況の被害は金融業界に集中しているわけではなく、自動車や家電メーカなど製造業に集中している。なぜ製造業が直撃されたのか。無理なスタグフレーション誘導が世界市民の耐えるところではなくなったからである。誰が無理なスタグフレーション誘導を進めているのか。政治家も経済学者も金融国家複合体の防衛のための目前の課題を何とかしようと躍起になっているだけである。ましてや、テレビのコメンテータも、金融国家複合体の防衛(金融システムの防衛)をヒステリックに語るだけである。
それでは、国家がその原因だったのかと言えば、それもウソである。たしかに、ブッシュが衰退が始まったアメリカとその国民をだまして、米国債拡充という大借金政策で益少なくして被害甚大な戦争を強行したために、人々の効用に向けられるはずだった人類ののもつ資産を軍費として急速に消耗したことは事実である。これがアメリカという国を一気に疲弊させたことが、金融国家複合体の時代の終焉を速めたかも知れないとは思う。
ブッシュもただの"バルンガ病"患者だったというわけではあるまい。彼なりに、アメリカという一つの金融国家複合体の衰退に立ち向かうべく、渾身の力を傾けていたに違いない。否、彼だけではない。彼を支えたブッシュ政権の人々はみな誠心誠意、古き「公」を支えるべく努力を重ねていたのであろう。・・・、無駄な努力だっかも知れないのだが。
そう、古き「公」がその威光を失いつつあるのが、今なのである。渾身の努力は、かえって、古いアメリカ、否、古い世界の、残り少ない体力をたちまち消耗しつくして、古き「公」の瓦解を速めてしまったかのようである。
瓦解の後には消滅だろうか。否、文明は瓦解の後に新たな構築が始まる。古い文明の地は捨てられても新しい文明の地がその活力を示し始める。古き「公」の後には、新しき「公」が始まる。新しい「公」は再びアメリカ一極集中型とは限るまい。新しき「公」の中心は、日本などの東南アジアか、アフリカか、中東か、中南米か、中国か、インドか、ロシアか、・・・、あるいはネット社会なのか。それは、まだわからないが、新しい時代はすでに始まっており、古い時代は終わりかけている。私の予想では、新旧の交代期もここ1-2年で終わるのである。
新しい時代への希望を、2009年の年頭にあたり、ささやかに記しておきたい。
(次の記事に続く)

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(27)
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琵琶

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