金融の役割-新しい「公」への希望(3)--情報社会学、予見と戦略(28)
2009/01/03
金融の役割-新しい「公」への希望(3)--情報社会学、予見と戦略(28)
ミニシリーズ: 新しい「公」への希望(全4回)
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1.2009年年頭に想う-新しい「公」への希望(1)--情報社会学、予見と戦略(26)
2.古き「公」と新しい「公」-新しい「公」への希望(2) --情報社会学、予見と戦略(27)
3.金融の役割-新しい「公」への希望(3) --情報社会学、予見と戦略(28)
4.地中の芽-新しい「公」への希望(4)--情報社会学、予見と戦略(29)
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新春にあたって、旧年の苦悩を振り払い、近未来にある希望をはっきりとさせておきたいと思う。
今年は、希望が見えてくる年である、と私は思う。
それは、単純に景気が回復するというような希望ではない。激動と動乱もあるかもしれないが、その先にある未来に一条の光を見るのである。
3.金融の役割
金融は国家の保証を得て信用を勝ち得ている。中央銀行(日銀)は、銀行に融資することによって銀行を支援し、またインフレにもデフレにもならないように通貨の調整を行う。民間の資本は銀行からの資金の調達によって安定的に投資し、回収する資金との差額を利益として得ている。市民は経済活動に参加することによって、生活費を得て、またそま生活費を利用して生活のための物資とサービスを得ている。
巨万の富とマフィア化資本は、銀行の資産運用のための金融商品や上場株の売買、企業の買収と売却、流通基本の支配などを通じて巨額の利益を上げてきた。最近は、動産不動産の売買益だけではなく、動産不動産の所有権や利用権を証券化して売却することで、短期に多額の売却益を得る傾向を強めている。生産者を買いたたいて消費者に高く売りつける、農民や漁民から土地や海を安く取り上げて不動産業者に高く転売することが基本だが、おいしい成果に結びつくまでに時間もトラブル対応も覚悟が必要である。買う権利、売る権利を欲に目がくらんだ小金持ちに売却するほうが手っ取り早いのである。欲に目がくらんだ小金持ちに売却できるのであれば、それらは金融商品となり、銀行が一括して買い上げて、欲に目がくらんだ小金持ちに小分けして売却することが容易になる。つまり、巨万の富とマフィア化資本は、買いたたいた不動産や動産を手間暇をかけて売りさばく代わりに銀行に一括して買ってもらうのである。つまり彼らにすればリスクを銀行に押しつけててっとり早く現金が手に入る。証券化された権利と他の金融商品がセットになったデリバティブ(派生)金融商品は限りたく複雑に多様なものが生み出され、利益とリスクの関係がほとんど見えなくなってしまう。これらを買う小金持ちもまた仲介する金融機関もリスクを十分理解することなく、絵にかいたモチである予定利益だけに目がくらんでしまうのである。巨万の富とマフィア化資本は、こうして銀行に時間とトラブルのリスクを押し付けて、利益を短期に確定して、次の獲物に向かうことができるようになってきたのである。錬金術も高速化し、獲物を食いつくす側は大食いになり、食われる生産者と消費者は種族の維持にさえ事欠く状態になったのが2008年の不況の実態である。
つまり、2008年の不況の主犯は巨万の富とマフィア化資本であり、国家と金融機関はだまされたか脅されて付和雷同し、うすうす勘ずいていたではあろうが、共犯者になり下がっただけなのである。
金融を自由経済の中に置くことが、国家の金融政策の基盤だったが、金融を統制しないかぎり国民経済は乱れて破たんしてしまうという現実が生まれてきた。このような時、国家はどのような対応をとるかと言えば、1990年代の初めに、世界に先駆けてバブル崩壊を経験した日本がとったように、ゼロ金利政策、中央銀行による量的緩和策、銀行への資本注入が3本柱である。ゼロ金利政策、中央銀行による量的緩和策は、巨万の富とマフィア化資本が歓迎するところであり、これらに関する政策発動のニュースが流れると株価はプラスに転ずる。銀行への資本注入は、巨万の富とマフィア化資本が嫌うところであり、これに関する政策発動のニュースが流れると株価はマイナスに転ずる。この原理は極めて単純である。
銀行への資本注入に関する政策発動のニュースが流れると株式評論家や経済評論家は「明日の市場は好転するだろう」と間の抜けたコメントを語っていたが、そのたびに結果は逆に悪化したことのは、多くの人の記憶に新しいはずである。「政府は経済に良いことをしたはずなのに、市場は反応しなかった」などと負け惜しみのコメントが翌日はテレビや新聞をにぎわしていた。銀行への資本注入は、実際巨万の富とマフィア化資本が嫌うところなのである。その理由は極めて明快である。銀行への資本注入とは、とりもなおさず、国家による銀行の監視を強めるということであり、巨万の富とマフィア化資本が銀行をだましたり脅したりすることを難しくするということなのである。当たり前のことだが、巨万の富とマフィア化資本は、銀行に対する国家の統制の強まった国からは逃げ出して、統制の弱い国に稼ぎ場を移してゆく。巨万の富とマフィア化資本に首輪をつけ鎖を握ることのできる人は今世界に一人もいないのである。
株式評論家は必ずしも経済の専門家ではないのでやむをえないが、経済の専門家がこんな単純なことに気がつかないでどうするのだろうか。しっかりしてほしいものである。
今は金融資本主義の時代であり、金融は国家のかなめである。金融は国家に頼り、国家は金融を介して国民経済を掌握してきた。いま、国家は、巨万の富とマフィア化資本にコケにされ、金融は巨万の富とマフィア化資本に手玉に取られている。巨万の富とマフィア化資本から金融を取り返そうと国家が踏んばると多額納税者である巨万の富とマフィア化資本はその国から逃げ出してゆく。国家は板挟みに合っているのである。金融と国家は貧乏な結合を再開するか、やりたい放題の熱狂と悲惨を継続するかの選択を迫られている。金融と国家の複合体は、その結合の意義を失いかねない瀬戸際に今たたされているのである。
国家における銀行の役割は、おそらく終焉を迎えようとしているのである。銀行もまた国家の枠内ではもはや生存が困難になっているのかも知れない。その責任は、国家にあるのでもなく、銀行にあるのでもない。巨万の富とマフィア化資本が国家の手に負えないほどに巨大化してしまったことにあるのである。
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琵琶
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