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「新しい"記憶の分類"の提案」情報コミュニケーション学会--感性的研究生活(45)

2009/03/26
「新しい"記憶の分類"の提案」情報コミュニケーション学会--感性的研究生活(45)

3月1日、第6回情報コミュニケーション学会年次大会の二日目の午前中のことである。
私の発表は、K会場の3番目と4番目の2コマ連続である。

4.私の発表の前のこと
私の発表は、午前中の3番目である。
私の前には、これから修士に進学するという学生たちの発表が行われた。
一人目は中国人留学生に「大阪弁」を教えるという課題で、当の中国人留学生がその試みを発表していた。
大阪弁のわかりにくい方言(単語)を使用される状況を演出して教えるというもので、そのビデオも撮ったと説明があった。
面白い試みで、感心しながら聞いたが、肝心のビデオ映像がスクリーンには映されない。
そこで、質問の時間に、「時間の関係で割愛されたのだと思うが、そのビデオをチラリでよいので見せていただけないでしょうか」といって見た。
発表者の中国人留学生は、戸惑う態度でしばしの沈黙。・・・、指導教官の先生が立ち上がって、「今回は、発表にもありましたように、言葉の使用状況と言っても、ゼミ室の中で数名が集まって話しているだけなので、お見せするようなものではないんです」と説明された。私は納得して、引き下がった。
二人目は、中学校で情報を教える先生方のスキル向上のための講習を行ったという実践報告で、事前にモチベーションアップの工夫をしたために効果が上がったというものである。これも興味深い報告で、感心した。
しかし、私が年寄りのせいか、言葉遣いが気になってしまった。思わず、「すいません。質問ではないのですが、"~~という先生もおられましたので、・・・"とおっしゃっていましたが、先生を尊敬していう言葉としてはおかしいですね。私くらいの年の人にとっては、"おる"は外部の方に対して身内の存在をいうときに使用する謙譲語です。"おられる"は"おる"の丁寧語ですね。決して尊敬語ではありません。言葉は年代とともに変わりますから、若い方たちの中でお話になるときはまったく問題はありませんが、年寄りが混じっているこのような集まりでは、少し気をつけられたほうが良いと思います。"~~という先生もいらっしゃいましたので、・・・"というほうがよかったと思います。余計なことですが、・・・」と言ってしまった。・・・、しまった、私っていやなジジイだな、と思ったのも後の祭りである。
さてさて、いよいよ、私の発表の番である。

5.「新しい"記憶の分類"の提案」(私の発表、その1)
(1)問題意識
私は、壇上に立つと、まず問題意識をのべた。
学生たちの「知性なき丸暗記」を克服し、独創性を育てるためには、われわれが何に努力すべきかがをわからなければ、手も足も出ない。学生たちの、すべからくヒトの頭脳の働きの全体像を明らかにすることなしに、偏狭な丸暗記教育から脱却することはできないに違いない。ヒトの頭脳の全体像を明らかにしてみたいということから「記憶の分類」というものに取り組んできた。・・・、と述べた。

(2)ラリー・スクワイアの記憶の分類(1980年代)
まず1980年代に提唱されたラリー・スクワイアの記憶の分類を取り上げた。
この分類にひどい違和感を感じたのは、私一人ではないかもしれない。
この分類と私が永く生きてきた人工知能の世界での知識記述の技術を対応させてみると、よく似ているが、明らかに違いもある。
人工知能の世界での知識記述法は、コンピュータ科学の研究者と人工知能システムの開発技術者が試行錯誤で作り上げた数々のものがある。泡沫のごとく消えてゆくものもある。しかし、その中に何年も、何千何万ものシステムに採用され、数千万もしかすると数億の人々に違和感なく受け入れられているものもある。「これが人工知能です」などと華々しく謳わなければ受け入れられないような代物は本物ではない。ヒトの作業をさりげなく賢く支えて違和感がないものが本物の人工知能システムである。
人々の鋭い感性のふるいを潜り抜け生き残った推論エンジンや知識記述法は、案出されたいわゆる「人工知能」の数に比べればはるかに少ない。生き残ったものこそ、本物か本物に非常に近いものに違いない。
生き残った人工知能の知識記述法とラリー・スクワイアの記憶の分類を照合してみると、ラリー・スクワイアの記憶の分類には、明らかにかけているもの(穴)があった。その主たるものが、階層的知識構造である。
図1には、ラリー・スクワイアの記憶の分類と有力な人工知能の知識記述法の比較を示した。表の左がラリー・スクワイアの記憶の分類で、右が有力な人工知能の知識記述法の一覧である。両社はかなり一致しているが、ラリー・スクワイアの記憶の分類には欠けているもの(分類の穴)も見られる。欠けている部分は、人工知能の世界ではフレーム理論として知られている階層的知識の構造である。

図1 ラリー・スクワイアの記憶の分類の穴
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo

(3)スクワイア-飯箸の記憶分類(2005年)
ラリー・スクワイアの記憶の分類の穴を埋めたものが2005年に飯箸から提案されている。
ラリー・スクワイアの記憶の分類を補正したものであるので、その後は「スクワイア-飯箸の記憶分類」と呼ばれている。(図2)
図2の「スクワイア-飯箸の記憶分類」は図1に似ているが、左側の列に空白がない。

図2 スクワイア-飯箸の記憶分類
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_2

この提案は鐘の声ブログでも取り上げられている。
「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)

(4)脳科学の発展
近年、脳科学の発展は著しい。
従来は、心理学の世界で研究者が自分の心の動きを考察して、記憶の構造や機能を考えていたにすぎない。
しかし、脳科学(古くは大脳生理学とも言った)は、物理的な脳の損傷の位置と記憶の構造や機能の欠落や異常を対応付けてきた。膨大な論文とデータはあるが、どれも巨象にとりついたアリの眼で見つめるようなお仕事である。ひとつひとつは素晴らしい研究だが、「・・・、だから、脳は総体としてどんな働きをしているのか」という素朴な疑問に答えているとは言えない。いかにももどかしい。
原理を仮定してモデルを作り、現実のサンプルと合致するかを研究するのは物理学者だが、途方もなく膨大なデータから、何かの原理や傾向を見つけ出すのは化学者である。
私も化学の世界にほんの少しだけ影響を受けている。
膨大なデータを前にして、勇気凛凛にならざるを得ない。しかし、論文を読めば読むほど、混乱する。ごく近くの部位でも障害の内容が極端に異なるように思えるものがある。論文ごとに正確に比定してゆくのは、門外漢には、困難であるように感じた。そのうち、私が混乱に巻き込まれたのは、前頭葉として一概にくくられている脳の部位に関係するものがほとんどであることが見えてきた。よくよく調べると、前頭葉は、後ろ半分(頭頂葉に近い方)が運動野と呼ばれる部分であり、前頭葉の前半部(ひたいに近い部位)とは基本的に異なることが次第に分かってきた。論文によっては、同じ機能障害に関係する部位を異なって主張しているものもある。いずれが正しいのか、両方共に関与しているのか、機能が似て見えるだけで実は別の機能を意味しているのか、など正確な判断は私に難しい。(図3)

図3 大脳の構造(寺沢宏次監修、脳の仕組みがわかる本、成美堂出版(2007)、p.27より)
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_3

一つ一つを比定することはあきらめて、大筋において妥当と思われる分類を大脳の大局的分類(四葉とそれぞれにあるいくつかの野)に振り当てて仮説としてみることにした。すると、大部分の機能と部位の分類に説明ができるように見えてきた。しめた、これで行こう。証明はこれからだが、確からしい記憶の分類モデルの初期バージョンはこれで説明できるのではないかと思われた。虫食いだらけであることは明らかであるし、仮説的記憶構造にも間違いはあるだろう。しかし、スクワイアのモデルやスクワイア-飯箸モデルよりもはるかに説明可能性が高い。これを基に、私は、先に進めるに違いないと思うに至った。
したがって、私が示した記憶の飯箸モデル(飯箸の記憶の分類)は、事実を積み上げたものというよりも、これから検証されるべきモデルにすぎないのである。したがって、発表のタイトルも「・・・の提案」としたのである。

(5)飯箸の記憶の分類(飯箸モデル)
飯箸の記憶の分類は、まず、次のような大きなくくりからなる。
1)意識下の記憶・・・延髄・小脳・視床下部など
2)短期記憶・・・後頭葉・側頭葉・海馬・ワーキングメモリーなど
3)理解記憶(長期記憶の一つ)・・・側頭葉(ネットワーク型記憶=意味記憶)・頭頂葉(構造化記憶)
4)展望的記憶(長期記憶の一つ)・・・運動野(前頭葉の一部)
5)意欲と記憶の保守(長期記憶の一つ)・・・前頭部位(前頭葉の一部、運動野を覗く部分)
これらの大分類の下に中分類、その下に小分類があると考えたのである。(図4)
つまり、ヒトの記憶の種類は、脳の物理的構造によって分かれていると仮定したのである。このような大胆な仮定は、これまで誰も口にしてこなかった。脳科学者たちは、それぞれに何かを予想し考えを巡らせていたかもしれないが、用心深く証拠がすべて集まるまではもしも温めていたとしてもその密かなるもでるを明かすことはないだろうし、仮定が外れた時にそしりを受ける危険を冒すくらいならば、黙って、小さな部位の損傷と機能の損傷の対応を論文にしてゆく方がはるかにたくさんの論文となり、学者としての成果成績としても有利な行動となるのである。
幸か不幸か、私は脳科学者ではない。心理学の専門の学徒でもない。世に資するならば、向こう傷は意に介さない。心理学と脳科学のはざまに立って、システム職人としてまたは情報科学の学徒として、それらの懸け橋になれれば、こんな幸せはない。
ここで一歩でなければ、誰が前に出るのか、とわたくしの血が騒ぐ。あ~ぁ、私っていけない人かなぁ、と思ったりする。

図4 飯箸の記憶の分類(飯箸モデル)(2009年3月)
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_4

(6)飯箸の記憶の分類とスクワイアの分類(2009年3月)
かくして、記憶の分類は、スクワイアの影響色濃い「スクワイア-飯箸モデル」から、スクワイアから根本的に離れた「飯箸の分類」になったのである。
もう一度、新しい飯箸の記憶分類と古いスクワイアの記憶分類を比較してみよう。(図5)

図5 新しい飯箸の記憶分類と古いスクワイアの記憶分類の比較
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_5

図の下敷きになっているのが新しい飯箸の記憶分類である。古いスクワイアの記憶分類は右の上のほうに重ねてある。
スクワイアの記憶分類の各項目が、新しい飯箸の記憶分類のどこに対応するのか、矢印が伸びている。スクワイアの分類も間接的には脳の働きの分類なのだから根拠がないわけではない。だいたいは、新しい分類で説明ができるようである。しかし、スクワイアの記憶分類の各項目から伸びている矢印が届いていない新しい分類もある。四角い緑色で囲んだ部分である。頭頂葉に関係する記憶の部分と、前頭葉に関係する記憶の部分がすっぽり抜けている。そして、知識の最小単位であるユニット(それぞれがオブジェクトと属性がセットで構成される)も抜けている。

(7)言葉を超える記憶たち(2009年3月)
それでは、これらの抜けている記憶の部分は一体何だろう。ラリー・スクワイア氏ともあろう人が、なぜ、このように重要な記憶をすっかりふかしているのだろうか。
よく見ると、それは、なんとなくわかってくることがある。ラリー・スクワイア氏は心理学者であり、医学者でも物理学者でも、科学者でもない。私のような情報科学を専門にするものでもない。
実際、心理学とは、大学では伝統的に「文学部心理学科」で扱われてきた学問である。現在は教育学部心理学科も体育学部心理学科もあるが、それは新しい派生にすきせない。つまり、心理学とは文学や評論の延長にあって、心の動きを言葉の海の中から内省的に探る学問だったのである。ラリー・スクワイア氏は、言葉の世界の中ですぐれた仕事をしてきたのである。その世界だけに限れば、当時手に届く限りのすべての知識を動員して到達した記憶の分類が、「ラリー・スクワイアの記憶の分類」であったのに違いない。その上、言葉以下の直観的記憶もとらえているのだから隊ものである。しかし、ヒトは自分自身をなかなか認識できないのと同じに、言葉では言葉そのものの基礎である知識ユニットをとらえることができず、言葉の世界を超えた知識の構造化・階層化という高次の知識に思いを致すことがなかったのである。ましてや、言葉であらわされる知識にこだわるかぎり、言葉で記述される知識を越えて保守し、知識を動員する意欲(目的意識)を知識の活動(大脳の活動)として理解することができなかったのである(と思う)。
言葉の世界を中心に彼が捉えたものと私がはじめて知識の分類にとらえたものをポンチ絵にしたものが図6である。

図6 言葉を超える記憶たち
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_6

図の上部の緑色の部分が、ほぼ新しい分類の中にとらえられたものであり、真ん中の赤い部分が言葉の領域になり、下位の肌色の部分が言葉以下のの記憶の部分である。虫食いがあちこちにあるのは、スクワイアの分類にも、飯箸の分類にもまだまだ穴だらけであることを意味している。穴をあけたムシ君が、右のほうにいるが、かわいいものである。いずれは、全てのムシも、たくさんの人の手で退治されることを願っている。

(8)質問!!
まず、すでに発表を済ませた女子学生さん(当日2番目の発表者)が手をあげて質問した。
「短期記憶を長期記憶に変えることは大事なことだと思いますが、どうしたらよいのでしょうか?」(質問者)
「ワーキングメモリーと海馬を使って、短期記憶されたものが繰り返し思い出されることによって短期記憶は長期記憶になってゆきます。その脳の活動は寝ているときや半睡眠状態でよく起こります。受験生のように寝ないで勉強する、というような無茶は短期記憶をためるには良いですが、長期記憶にはなりませんので、効率が悪いですよね。よく寝ることが必要だと思います。それから、記憶のネットワーク化や構造化によって長期記憶としてより一層定着すると考えられますから、友人や先達と議論することが大切だと思います」(私)
「あっ、そうですね。話し合ったことはよく記憶しているという経験はあります。ありがとうございます」(質問者)
続いて、やや遠巻きに立って私の話を聞いていた男性の大学教員の方らしい人が手をあげて質問した。
「私はイランで教育にあたっていた経験がありますが、そこではコーランを丸暗記することが教育のすべてで、自分でものを考えてはいけないとされています。これを突破するよう方法はありませんか」(質問者)
「丸暗記だけではだめと思いますが、丸暗記も必要です。たとえば、考えを深めるにあたって、知識が足りないので、あらためて調べ物をして知識を詰めんでからもう一度考え直すという経験はよくあることですよね。また、日本でも江戸時代は、寺子屋で"論語"をとにかく丸暗記するというような教育がされていました。丸暗記だけで放っておかれたらいけませんが、折にふれて指導者が、こんな時は、あそこに書いてあったこういう考え方で臨めばよい、というような指導を行うことで、深い考えに到達することができていたのだろうと思います」(私)
「なるほど、ありがとうございます」(質問者)
ところで、このやり取りを会場で聞いていた息子が後で、「お父さん、イスラムでは、宗派によってだけれどコーランに解釈を加えてはいけない、というところもあるんだよ。そんときは、丸暗記以上のことを教えるのは難しいんじゃないのかな」と忠告してくれた。ことはすでに遅しであったが、"ムムム、そうか、コーランを解釈していけないということもあるとは確かに聞いていた。まぁ、逆に、現実に遭遇した事態をコーランで解釈するのはコーランを解釈することにはあたらないのだから良いのではないかな"とも考えて、内心自己弁護することにした。ご質問の先生、私が趣旨を取り違えていましたらお許しください。

質問が終わると、すぐに次が始まる。

[参考文献]
-------------------------
1.飯箸泰宏、「新しい記憶の分類の提案」、情報コミュニケーション学会第6回全国大会発表論文集、pp90-91(2009)
2.飯箸泰宏、「新しい記憶の分類の提案」、情報コミュニケーション学会第6回全国大会口頭発表資料(2009.03.01)
-------------
[1] Larry R.Squire著, 河内 十郎訳,「記憶と脳―心理学と神経科学の統合」,317pp(1989)
[2] 飯箸泰宏、「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)、鐘の声ブログ(2005.08.21)、http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/3_e921.html(2009.01.30確認)
[3] Neuroscience, Dale Purves, et al., Sinauer Associates Inc., England(2007)
[4]Giacomo Rizzolatti et al. (1996) Premotor cortex and the recognition of motor actions, Cognitive
[5]加藤忠史 (編), 甘利俊一 (監修) 、精神の脳科学、シリーズ脳科学6、pp.288ページ、東京大学出版会 (2008/3/14)
[6]脳のしくみ―ここまで解明された最新の脳科学、ニュートンムック Newton別冊、pp.159、ニュートンプレス (2008/08)
[7]加藤忠史、脳と精神疾患、脳科学ライブラリー、pp.214ページ、朝倉書店 (2009/01)
-------------------------

(次の記事につづく)

△次の記事: 感性的研究生活(46)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2009/03/--46-607b.html
▽前の記事: 感性的研究生活(44)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2009/03/post-5227.html

琵琶

(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
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(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
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