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「独創性をつくるレポート指導」情報コミュニケーション学会--感性的研究生活(46)

2009/03/27
「独創性をつくるレポート指導」情報コミュニケーション学会--感性的研究生活(46)

3月1日、第6回情報コミュニケーション学会年次大会の二日目の午前中、発表をひとつ終えると、すぐに私のもうひとつの発表である。当日のプログラムでいえばK会場の4番目のコマにあたる。

6. 独創性をつくるレポート指導
私は、会社を興してから28年が経過するが、教壇にたつことも同じく28年になる。
まず、会社を興したときに、同時に専門学校の専任教師になった。その後、十数年前のこと、大学の教壇に立つことになった。今は、1雌雄間で、4大学、10教科、11コマを担当している。
28年前から、私は、教壇の上で苦しみ、帰宅して悩み、工夫して次の日も教壇に立つとことを繰り返している。なにを悩んでいるのか、それは、学生たちに独創性を育てようとして、必ずしもうまくゆかない現実に悩むのである。
「出された課題に正解が書いてない」(?!)--心理、教育、社会性の発達(11)
個人ブログ: 「心理、教育、社会性の発達」シリーズ
私の授業は、毎日が反省、毎日が改善である。
今回は、少し意識して授業を計画し、その成果を探ってみることにしたのである。

(1)常識のウソ
「独創性なんて教えられない」「独創性は自分で身につけるものだ」という声がある。新任の大学教員が先輩教員からそう聞かされる人もいるはずである。
本当に、「独創性なんて教えられない」のだろうか。それならば、私が毎日のようなしている悪戦苦闘は無駄な努力というものである。
しかし、適切な学習戦略(学びのデザイン)があれば、「独創性の学び」もありうると、どうしても思いたいのである。(図1)
「独創性なんて勝手に身につけるもの」というのは常識のウソとしてしまいたいところである。
「独創性の学びはある」という仮定を設けて今回は、その検証に取り組んだ。

図1 常識のウソ
(図をクリックすると拡大表示されます)
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(2)レポートのテーマの選択とレポートの構成
さて、今回、検証授業の対象に選んだ課題は、「レポートの作成」である。
学生が、それぞれレポートのテーマを選択するというのは、なかなか厄介なものである。教師があらかじめ決めれば、そんなテーマは面白くない、別のテーマにしたいという学生が必ず登場する。それじゃ、とばかり、「テーマは自由」とすると、テーマを決められないで、ずるずると提出期限を超えてしまう学生が続出する。
どちらも良いテーマの与え方ではないのである。
そこで、私は、レポート作成の課題に限って(レポートの内容に焦点があるのではななく、レポートというものを身につけさせる場合に)、教師側からテーマを2-3提示し、それらのどれかに取り組んでもよいが、それらよりももっと関心のあるテーマがあれば自由に選んでよいとするのである。
ところで、私は社会的学習の推進者である。「レポートの作成」であっても、個人に任せることはしない。個人バラバラにレポートを書かせれば、大半が「感想文」に堕してしまう。
とりわけ新しい概念を導入する際には、学生らの中に正統的周辺参加というプロセスが見られるので、学習進度がばらばらの学生が集まってワイワイとやることが最も効果的なのである。
学習の社会性について--心理、教育、社会性の発達(18)
教室は「社会シミュレータ」--日本の成育環境(5)--心理、教育、社会性の発達(77)
したがって、完成するレポートは、個人別だが、テーマは学習グループ(=学習コミュニティ、3~7名)でそれぞれ1つとするのである。テーマの選択の時こそ、学生たちが好き嫌いをむき出しにして一番賑やかに話が弾む。意見が割れると、「しょうがない、先生の出したテーマにしよう、などとお仕着せのテーマに落ち着くことも多い。
今回のレポート作成では、次のようなテーマを提案した。
・日本語の起源
・10年後石油の価格はどうなっているか
・その他自由テーマ
与えたテーマ(「日本語の起源」と「石油の価格」)は、現時点では学会でも定説や結論があるわけではない。ない方が好都合である。自分で考えなければ結論はないのだから。
レポートのテーマが決まったら、レポートは感想文ではないということを説明して、レポートの構成を示す。レポートの構成の仕方には様々な流儀があるが、私の場合、レポートの構成は 故 木下是雄 学習院大学元教授の提案に準拠している。
学生たちは、小中高と一貫して、感想文ばかり書いていて、レポートというものを本質的に知らないのである。生活綴り方の影響を汲んで、小学校ではまず生活感想文を書かされる。クラス旅行などの際には旅行感想文が求められる。小学校高学年から高校にかけては、読書感想文が主流を占めてくる。たとえ、それがレポートという名前であっても、実際は感想文なのである。過去に私が行ったアンケートでは、大学初年生の約99%がレポートの書き方を学んでいないことが分かっている。逆に100人に一人程度は、心ある高校の教員によってレポートの書き方を学んでいる程度なのである。この状況は、アメリカ、ヨーロッパ、中国、ベトナム、フィリピンなどと比較して、極めて特異な状況といってよいと思う。生活綴り方運動の成功体験から日本の教育界がまったく抜け切れていないということに違いない。
レポートの構成の仕方を一通り、板書をしつつ、教えると、学生たちは、わかったような顔をする。しかし、そのまま「さぁ、書いてごらん」といったら、たいへん、ほとんどの学生は、目次すら描けないし、だらだらと感情表現ばかりが続く感想文を書いてくる。これをダメというと次には、どこかのホームページに上がっている小論文をそのままコピーして持ってくるのが関の山である。「だって、~、レポートの書き方なんてだれも教えてくれなかったし、入試にも出ないし、知らないんだからっ、コピペ以外にやりようがないよ」というのが学生らの言い分である。教えてもらえていないんだからできない!って・・・、そりゃ、もっともだ、とわたくしは思う。だから、入念にレポートの書き方を教えるのである。

図2 テーマの選択とレポートの構成
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(3)社会的脳モデルとレポートの作成
社会の基本的な構造と知識の基本的な構造はよく似ている。約60万年前、ヒトは社会を造るヒトと、社会を作らないヒトに分かれた。前者の一部はクマニヨン人と呼ばれており、我々現生人類は、ヒトは社会を造るヒトの子孫である。後者ではクロマニヨン人と同時代を生きたネアンデルタール人が有名である。前者はムレだけではなくムラを作った。
社会を造るヒトたちは、血縁のない人たちとも一緒に暮らして共同作業や分業と協業によって生産性を高め、外敵と闘って、生存の効率を高めた。ムラでのヒトたちは、社会を作りその中で融和してゆくだけの知能を持たなければ、ムラから排除され、生存不能となったに違いない。指揮命令を効率よく行う縦型組織も、ムラの中の情報共有のための人のネットワークも、ヒトが脳内世界にモデル化して構築しない限り対応が難しい。シミュレートできる脳の力(ミラーニューロン)の力は大いに発揮されただろう。
結果として、ヒトは「社会的脳」を獲得したといわれている。しかし、私は、寡聞にして「社会的脳」とは何なのかを説明した文献に出会ったことはない。「社会的脳」と言ってしまえば説明が済んだような気になってしまうのかもしれない。
私は、「社会的脳」モデルの前に、情報コミュニケーションのモデルを説明するために「社会モデル」を提案している。この社会モデルは、単位組織の存在と上位組織と下位組織の関係(メタ関係、参加の権利と服従の義務の関係)と、縦割りの組織や上下関係を越えてつながってゆく、ヒトのリンク関係(ネットワーク関係)が、縦糸と横糸のように社会を織りなしている様を示している。国民国家の時代に沿ったモデルという意味で時代限定的であるが、60万年前に成立したムラの構造も、基本形においては大差がないはずであり、最上位が「国民国家」ではなくて、ムラ長か長老会議という違いがあるにとどまるだろう。よく見れば、現代の単位組織は家族だけではない社会的単位組織(グループ)が、家族の数よりもはるかにたくさんになっている。太古の昔も、ムラであれば家族だけではない社会的単位組織(狩りのチーム、果物狩りのチームなど)が混在するが、その数は、家族の数ほどが限度であり、通常は家族の数よりは少なかったに違いない。

図3 社会の飯箸モデル
(図をクリックすると拡大表示されます)
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図3の社会モデルとは独立して提案された社会的脳モデルは、図4に示した。同一人物の提案だから当然かもしれないが、酷似している。社会モデルの単位組織を単位知識に置き換えて、「階層化した知識(メタ知識関係、構造化知識=頭頂葉の知識)」と「知識が階層のもつディレクトリ構造の縦割りや上下関係を無視してつながるリンク(ネットワーク関係、意味知識=側頭葉の知識)」から構成されていることが示される。
脳の能力は社会成立以前に獲得された部分も内包されているし、その後獲得された(特にアフリカのイブ、Y染色体アダムなど)能力もあるが、社会の構造を理解し社会的行動をそつなくこなすことができるようになるためには、社会的脳モデルにある能力が必須条件である。
現生人の知識の分類については、前回の記事(「新しい"記憶の分類"の提案」情報コミュニケーション学会--感性的研究生活(45))を参照されたい。
レポート作成の課題は、側頭葉のネットワーク(意味ネットワーク)を縦横にめぐらせて、頭頂葉のメタ知識関係を冷静に育て上げることができると考えられる。逆に、今どきの学生はほとんど丸暗記しか経験していないので、側頭葉のネットワーク(意味ネットワーク)を縦横にめぐらせたり、頭頂葉のメタ知識関係を辿ってみたり再構築したりという、まことにアクロバティックな知能活動の荒業を体験したことがないのである。彼らは、私の授業で、この荒業を単位を落とすかもしれないという崖っぷちで体験することになるのである。
・・・補足: 側頭葉のネットワーク(意味ネットワーク)を縦横にめぐらせて、頭頂葉のメタ知識関係を育てることがおろそかになっているのが、ニートや引きこもりの大きな原因になっていると思う。

図4 社会的脳モデル
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(4)実践計画
レポート作成の課題の進め方は、大きく分けて2段階である。
第一段階 文献調査(大量の新しい知識を獲得する)
第二段階 レポートを組み立てる(知識の構造化=メタ化・ネットワーク化を進化させる)
第一段階の文献調査はグループ内で分担して行う。
第二段階は基本的には個人の作業だが、一度作成したレポートをグループ内で相互点検する。点検結果をもとに更にレポートを書きなおして完成となる。
世間には、「考える力」をつけると称する授業はいろいろあるようだが、知識の獲得だけだったり、ありあわせの知識をつなぎ合わせるだけだったり、ひどいケースでは反射神経を鍛えるだけのものだったりする。反射神経を鍛えるのはもちろん賛成だが、「考える力」をつける授業とは別に行ってほしいと思うところである。
実際のところ、メタ型の知識、ネットワーク型の知識を再構築しようとすれば、新しい知識もたくさん補充しなければたいていは無理というものである。両者(第一段階と第二段階)は切り離すことができないのである。

図5 実践計画
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(5)授業計画と実践プロセス
春学期と秋学期では、カリキュラムは同じだが、学生は全員入れ替わる。毎日が反省、毎日が改善という授業スタイルなので、春学期で見つけた反省点は、秋学期の進め方で変更が加わる。
赤い波線で囲まれた部分は、春学期ではなかった部分であり、秋学期で加えられたものである。
レポートの課題に取り組む前、この課題は90分授業2回ですます予定だった。3日目は予備日として発表と講評にあてようという心づもりだった。
実際に取り組んでみると、実に4回もかかってしまった。学生たちは相互点検をする前のレポートの下書きの段階での出来が悪かったのである。感想文との違いをあれほど口酸っぱく言ったのに、ほとんどが感想文の域をでないものであった。感想文なので、木下是雄先生流の目次立てなどお構いなしである。つまり、高校までに書いてきた読後感想文のスタイルのままで、レポートとは程遠いシロモノである。相互点検させようも、点検する役割に回っても学生の頭には判断基準の自分なりの論点がないのだから、評価もできないのである。下書きのやり直しとモタモタの相互点検で時間を浪費したのである。なんとか教室としては最後にたどりついたものの、見切り完成品の成果物の評点も低いものにならざるを得ない。私は、内心かなり傷ついて反省した。振り返れば、これまでやってきたレポート指導でも結果は似たようなものであったが、準備万端して取り組んた今回のケースでもこんなものか、と思うと悔しかった。
そこで考えた。学生たちの行動を見れば、他人の考えを無批判に取り入れているだけなのだから、感想以外に書きようがないのではないか、と思い当った。批判的に読め、と言っても、本意は伝わらないだろう。おそらく彼らに「批判」と「批難」、「批判」と「反論」などの区別を教えるのには、1回の授業を追加したくらいでは済まないに違いない。ともかく現代の青少年は「批判」がタブーの時代を育っている。情けないとは思いながら、「批判」という言葉はグッと飲み込んで、「論評を書け」ということにしたのである。
秋学期、レポートの課題の最初の授業で、論文の書き方と手順を説明する。文献調査は新しいが、続く要約作成についてはほとんど心配がない。最近では「考える力」をつける授業という位置づけで高校でも練習する。大学入試にも「長文要約」が出ることが知られているので予備校でもかなり良く学習がされている。
続いて「感想」と「論評」の違いを説明する。
「君たちが高校生または予備校生までに習った作文やレポートといわれるものは、ほとんどすべてが感想文である。生活感想文、旅行感想文、読書感想文などがそれだ。感想というのは、事物や出来事、書物などを自分の感情・情念に照らして思うところを述べることだよね。これと違って、論評とは、自分の理念・論理に照らして思うことを述べることなんだよ。だから論評にはうれしかった、かなしいことだ、怒りを感ずるなどの感情表現はあってはならないよ。ひとつでも感情表現があったらレイテン(零点)だからね」(私)
「レイテン!!!」という言葉に学生たちは敏感である。しかし、一方、はじめてのことに武者ぶるいのような小さな歓声(ヨッシャ、・・・)も上がる。後述するが、実際は、「論評」は効果がきわめて高かったのであるが、学生らにとってはかなりハードルも高かったようである。
いまどきの大学のホームページには、図書館システムがアップされている。学生らは、ネットを使って必要な文献を探す。目指す文献が自分たちのキャンパス内の図書館にあるのか、貸出中なのか、他のキャンパスの図書館なのか、否、他大学の図書館にあるのか、国会図書館に行けば読めるのかが素早く検索できるのである。自分たちのキャンパス内の図書館にあるものが一番便利なので最優先である。図書館に行けは、他から取り寄せることもILLシステム(インターローンライブラリシステム)を利用してほとんど手間なしにできる。
文献の書き方を教えて、グループ内で、手分けして対象となる文献のリストを作り上げゆく。図書×3件、論文誌×3件、その他(ネット・新聞・一般雑誌など)×3件が最低義務という縛りをつけておく。全員分を合わせてブログに書く。次には、手分けして文献を読んで要約を書くのである。担当を決める段階になるとワイワイと賑やかさが増してくる。このワイワイがよいのである。ワイワイの輪に参加できない子はこのあとたいてい脱落してしまう。
要約を書くことには、学生らは自信がある。しかし、驚いたことに図書館にはいったことがないというものが多数なので、教室に残ってネット上の文献を検索している学生の面倒と図書館への引率をTAさんと手分けする。図書館では、司書の先生方が大忙しになってしまうが、多くの学生たちはここでも元気いっぱいである。物珍しさで目が輝いている。他方、ここで、一緒に行動できない学生も少数いて、たいていは脱落してしまう。新しい環境に好奇心がわくというよりも恐怖心が出てくるようである。
ここまでで「文献のリスト」、「要約と論評」が出来上がる。「文献リスト」はレポートの最後の項目にそのまま転記されるものである。グループ全員分の「要約と論評」に文献リストとのつながりを示す引用記号を挿入すれば、ほとんどそのままで本文が出来上がる。
本文は、結論を証明する部分なので、そのつもりで書き直せばよい。「結論を証明する」とは、刑事モノや弁護士モノのテレビ番組で、裁判の場面があったのを思い出せ、判事が被告がうその反論をするのに対して、言い逃れできないように証拠を次々に突きつけながらお前こそが犯人だと断定するだろう。本文は「刑事の論告求刑」のように書けばいい。その上で、ここで使用した「論評」全部を自分の考えに沿うようにまとめれば、「結論」が記述できる。と教えるのである。
そして、「はじめに」は最後に書くものだ、と教えるのである。「はじめに」は自分にとっての初めにではない、読み手にはじめに知ってもらいたいことを書くのである。「はじめに」には、「結論の予告」と「証明の方法」を書け。「結論の予告」は結論の欄に自分が書いた文章を読んで書けばできる。「推論の方法」は本文に書いた「論告求刑もどき」の証明の方法やエッセンスを書けばよい。と教えるのである。
レポートという構造物を教えるのに、建築素材の手に入れ方を教えなければならないというのが、最近の私の考えである。文献調査と要約だけでは足りないと気づかされたのが、今回の計画的な授業だった。キーポイントは「論評」であった。このおかげで、レポート作成時間は1日分縮まって3日となり、最終作品の評価点も高くなった。

図6 授業計画と実践プロセス
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(6)前期と後期の成果の比較
図7の表を見ると、前期と後期で、日数が異なること、最終成果物の平均点が異なることがわかる。評点はいずれも教師の主観的評価なのだから、どこまで客観的な指標になるかは疑問ではあるが、目安にはなるものと思う。春学期は平均62点で、秋学期は78点である。平均62点とは、合格点(60点)を下回る学生も少なくなかったことを意味しているが、他方の平均点78点にはほぼ満点に近い(95点)の学生もいたのである。
「論評」の威力は大きかった。しかし、最終成果物を出した学生の歩留まり率を比較すると、春学期は22名/32名=約69%、秋学期は9名/17名=約53%であり、歩留まり率は下がっている。「額じゃなくて、脳ミソに汗をかけ」というのが私の口癖だが、「論評」という「脳ミソに汗」の部分が加わったことで、脱落率が増えたということである。この点は次の授業のための大いなる反省点である。

図7 前期と後期の成果の比較
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(7)図8 レポートの相互点検表
学生たちが、相互にレポートを点検しあうための点検表というものを用意している。初日に点検表を配っておくのである。機転の利く学生は、素早くどんな点検項目があるから見てとると、効率よく点検を通過できるようにと考える。これは教師の思うつぼである。シメシメ、学習グループの中に一人でも先読みする学生がいると全体が引っ張られてゆく。
実は、このような点検表は、全ての課題で私は用意している。学生らの学習効果をいやがうえにも高める私流の小道具なのである。
発表の最後には、こう言い添えた。
「高校や小中学校の先生方は、教授法をしっかり習ってから教壇に立っていますね。大学の教員は教授法を全く知らずに教壇に立ちます。授業計画を立てる習慣もない大学教員は多いですし、そうする義務もありません。私のような発表が大学教員の皆さんからたくさん出るようになるとうれしいと思っています。大学における教授法がオープンに真剣に議論される日が来ることを期待しています」
詰めかけていた方には教育学部の先生も多いようにお見受けされたからである。
大きくうなづく人が多かった。

図8 レポートの相互点検表
(図をクリックすると拡大表示されます)
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(8)質問! びっくり、俵木君が手をあげた
発表が終わると、質問の時間である。しかし、発表が終わるといささか本人は気が抜けている。ぼんやりした瞬間、ハイと手を挙げる男性がいる。視線をやる前に、聞き覚えのある声であることを感じた。どこにいるのか、誰っ?とややあわてた。
その男性は、座長から指名されると立ち上がって、「東京大学前博士課程の××です」という。
××の部分がややかすれて聞こえたが、まぎれもない、「俵木」君だった。びっくり仰天した。前日の懇親会にはいなかったので、本日早朝に日帰りのつもりで大阪までやってきたのだろう。
その昔、彼と出会ったのは彼がまだ学部の2年生の頃であった。彼は学生からアンケートを集めていた。私のゼミでも別の種類のアンケートを集めていた。意見交換を求めてゼミの部屋を訪ねてきたのが最初だった。その年の年度末に行われた情報コミュニケーション学会の大会では彼の発表と私の発表が連続して行われたりもした。次の年、私が担当する「情報システム論」と「情報デザイン論」の講義に出席し1年間、我慢強く、熱心に私の講義に付き合ってくれた。3年生の時もそれ以降も彼は情報コミュニケーション学会の大会の常連発表者であった。私は、ずうっとこの学会では発表しなかったので、久しぶりなのだが、彼は今年もいるだろうと思ってプロクラムを見ると今年に限ってその名はなかったのである。そのため、いささか残念に思っていた。会えない、と思っていた彼が目の前にいた。びっくりした。そしてうれしかった。
俵木君のホームページ「Dream Square(ドリスク)」
「ヒョウキクン?!」とわたくしは頓狂に声をあげた。
「はい。俵木です」といつも通りのクールな声である。
「論評をやらせたおかげで、成績は良くなってよかったとは思いますが、学生が出てこなくなってしまうというのは今後どうすべきだと思いますか?」(俵木君)
さすがに、鋭い。きっと、誰かが質問するだろうと思って用意しておいた予備のスライドを表示しながら、私は答えた。
「選択科目なので、つらい授業をやると学生はどんどん減ってゆきます。また、つらい課題が終って、別のテーマに移ると、また出席してくる学生もいますね。今回は、確かに、論評を課題に加えたことで歩留まり率が下がりました。脱落者はどちらの学期の場合もいますが、グループ活動が上手でない学生と脱落学生はほぼ同一人物であることが観察されています。学期の最初に自己紹介やじゃんけん遊びなどグループ活動を促進す工夫を次回からは加えたいと思います。子供じゃあるまいにという批判はあると思いますが、今の学生はそのくらいグループで行動することが苦手です。グループに参加できないから、聞き逃した一言を仲間にちょっと聞いてみるということができなくて脱落しているよう見受けられるので、来年の実践では、試してみたいと思っています」(私)
「ありがとうございます」(俵木君)
質疑の時間も終って、座長先生が散会を表明してお開きとなった。パソコンの後始末をしながら、早く、俵木君のあとを追って近況などを聞こうとあせった。荷物を持って立ち上がったところに、最初に質問してくれた女子学生さんが、駆け寄ってきた。この学生が発表した時に私は大人げない発言(「おる」と「いらっしゃる」の違い)をしたお相手でもある。
「ちょっとよろしいですか?」 女子学生さんの質問を断われる教師はほとんどいないだろう。
「まず、討議すると長期記憶になるという点ですが、・・・」
「はい、長期記憶にするには、十分な睡眠や座禅や瞑想も効果的です。討議すると、話題になっていることが自分の別の記憶としっかり結びついて安定した記憶になるという効果がありますね。座禅や瞑想、夢などではヒトは自問自答している状態ですから、覚醒していて自問自答することも効果があると思います」(私)
「そうですね。私もよく自問自答します」(質問者)
「それから、私、秘書クラブにも属していて秘書検定も目指しているんです。言葉づかいを指摘されましたが、どうしたら正しい言葉づかいを身につけることができるでしょうか」(質問者)
「その道の専門家ではないので、適切かどうかはわかりませんが、年長者のいる研究会や会議に積極的に出ることがよいかもしれませんね」(私)
やり取りをしているうちに、会場からどんどん人がいなくなってゆく。
「機会があったら、また、どこかでお目にかかりましょう」(私)と述べて、女子学生さんとお別れすると、一生懸命に俵木君の姿を探したが、見つからない。次の特別講演の会場に行けば会えるかもしれないと思いなおして、息子とともに別の会場に向かう。山本恒 園田学園女子大学教授の特別講演は、最終講義を兼ねるもので、面白くて、楽しくて、いろいろと考えさせられた。
しかし、どこを眺めても俵木君の姿はなかった。帰ったのだろうか。
東京から日帰りで来たら、私の2つ目の発表時間に間に合うのがやっとかもしれない。私は、一つめの発表時間に間に合わせるために前日から近くの宿に泊まったのである。その上、俵木君は私の発表が終わると同時に帰ったとすれば、私の発表を聞くためだけに来たのかもしれない。うれしいが、直接にお話ができなかったことが心残りだった。
俵木君、ありがとう。何かあったら、メールをください。お互いに都内にいるのだから、いつでも会えるよね。

参考文献(口頭発表含む)
1.飯箸泰宏、情報コミュニケーション学会第6回全国大会発表論文集、pp.92-93(2009)
2.飯箸泰宏、情報コミュニケーション学会第6回全国大会口頭発表資料(2009.03.01)

[1] 木下是雄, レポートの組み立て方, 269pp. 筑摩書房(1994)
[2] 飯箸泰宏、情報コミュニケーション学会第4回研究会, 発表資料(2008.11.08)
[3] 飯箸泰宏、情報コミュニケーション学会研究報告、5(2)、pp.14-15(2008)より不備訂正して引用

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琵琶

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「新しい"記憶の分類"の提案」情報コミュニケーション学会--感性的研究生活(45)

2009/03/26
「新しい"記憶の分類"の提案」情報コミュニケーション学会--感性的研究生活(45)

3月1日、第6回情報コミュニケーション学会年次大会の二日目の午前中のことである。
私の発表は、K会場の3番目と4番目の2コマ連続である。

4.私の発表の前のこと
私の発表は、午前中の3番目である。
私の前には、これから修士に進学するという学生たちの発表が行われた。
一人目は中国人留学生に「大阪弁」を教えるという課題で、当の中国人留学生がその試みを発表していた。
大阪弁のわかりにくい方言(単語)を使用される状況を演出して教えるというもので、そのビデオも撮ったと説明があった。
面白い試みで、感心しながら聞いたが、肝心のビデオ映像がスクリーンには映されない。
そこで、質問の時間に、「時間の関係で割愛されたのだと思うが、そのビデオをチラリでよいので見せていただけないでしょうか」といって見た。
発表者の中国人留学生は、戸惑う態度でしばしの沈黙。・・・、指導教官の先生が立ち上がって、「今回は、発表にもありましたように、言葉の使用状況と言っても、ゼミ室の中で数名が集まって話しているだけなので、お見せするようなものではないんです」と説明された。私は納得して、引き下がった。
二人目は、中学校で情報を教える先生方のスキル向上のための講習を行ったという実践報告で、事前にモチベーションアップの工夫をしたために効果が上がったというものである。これも興味深い報告で、感心した。
しかし、私が年寄りのせいか、言葉遣いが気になってしまった。思わず、「すいません。質問ではないのですが、"~~という先生もおられましたので、・・・"とおっしゃっていましたが、先生を尊敬していう言葉としてはおかしいですね。私くらいの年の人にとっては、"おる"は外部の方に対して身内の存在をいうときに使用する謙譲語です。"おられる"は"おる"の丁寧語ですね。決して尊敬語ではありません。言葉は年代とともに変わりますから、若い方たちの中でお話になるときはまったく問題はありませんが、年寄りが混じっているこのような集まりでは、少し気をつけられたほうが良いと思います。"~~という先生もいらっしゃいましたので、・・・"というほうがよかったと思います。余計なことですが、・・・」と言ってしまった。・・・、しまった、私っていやなジジイだな、と思ったのも後の祭りである。
さてさて、いよいよ、私の発表の番である。

5.「新しい"記憶の分類"の提案」(私の発表、その1)
(1)問題意識
私は、壇上に立つと、まず問題意識をのべた。
学生たちの「知性なき丸暗記」を克服し、独創性を育てるためには、われわれが何に努力すべきかがをわからなければ、手も足も出ない。学生たちの、すべからくヒトの頭脳の働きの全体像を明らかにすることなしに、偏狭な丸暗記教育から脱却することはできないに違いない。ヒトの頭脳の全体像を明らかにしてみたいということから「記憶の分類」というものに取り組んできた。・・・、と述べた。

(2)ラリー・スクワイアの記憶の分類(1980年代)
まず1980年代に提唱されたラリー・スクワイアの記憶の分類を取り上げた。
この分類にひどい違和感を感じたのは、私一人ではないかもしれない。
この分類と私が永く生きてきた人工知能の世界での知識記述の技術を対応させてみると、よく似ているが、明らかに違いもある。
人工知能の世界での知識記述法は、コンピュータ科学の研究者と人工知能システムの開発技術者が試行錯誤で作り上げた数々のものがある。泡沫のごとく消えてゆくものもある。しかし、その中に何年も、何千何万ものシステムに採用され、数千万もしかすると数億の人々に違和感なく受け入れられているものもある。「これが人工知能です」などと華々しく謳わなければ受け入れられないような代物は本物ではない。ヒトの作業をさりげなく賢く支えて違和感がないものが本物の人工知能システムである。
人々の鋭い感性のふるいを潜り抜け生き残った推論エンジンや知識記述法は、案出されたいわゆる「人工知能」の数に比べればはるかに少ない。生き残ったものこそ、本物か本物に非常に近いものに違いない。
生き残った人工知能の知識記述法とラリー・スクワイアの記憶の分類を照合してみると、ラリー・スクワイアの記憶の分類には、明らかにかけているもの(穴)があった。その主たるものが、階層的知識構造である。
図1には、ラリー・スクワイアの記憶の分類と有力な人工知能の知識記述法の比較を示した。表の左がラリー・スクワイアの記憶の分類で、右が有力な人工知能の知識記述法の一覧である。両社はかなり一致しているが、ラリー・スクワイアの記憶の分類には欠けているもの(分類の穴)も見られる。欠けている部分は、人工知能の世界ではフレーム理論として知られている階層的知識の構造である。

図1 ラリー・スクワイアの記憶の分類の穴
(図をクリックすると拡大表示されます)
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(3)スクワイア-飯箸の記憶分類(2005年)
ラリー・スクワイアの記憶の分類の穴を埋めたものが2005年に飯箸から提案されている。
ラリー・スクワイアの記憶の分類を補正したものであるので、その後は「スクワイア-飯箸の記憶分類」と呼ばれている。(図2)
図2の「スクワイア-飯箸の記憶分類」は図1に似ているが、左側の列に空白がない。

図2 スクワイア-飯箸の記憶分類
(図をクリックすると拡大表示されます)
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この提案は鐘の声ブログでも取り上げられている。
「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)

(4)脳科学の発展
近年、脳科学の発展は著しい。
従来は、心理学の世界で研究者が自分の心の動きを考察して、記憶の構造や機能を考えていたにすぎない。
しかし、脳科学(古くは大脳生理学とも言った)は、物理的な脳の損傷の位置と記憶の構造や機能の欠落や異常を対応付けてきた。膨大な論文とデータはあるが、どれも巨象にとりついたアリの眼で見つめるようなお仕事である。ひとつひとつは素晴らしい研究だが、「・・・、だから、脳は総体としてどんな働きをしているのか」という素朴な疑問に答えているとは言えない。いかにももどかしい。
原理を仮定してモデルを作り、現実のサンプルと合致するかを研究するのは物理学者だが、途方もなく膨大なデータから、何かの原理や傾向を見つけ出すのは化学者である。
私も化学の世界にほんの少しだけ影響を受けている。
膨大なデータを前にして、勇気凛凛にならざるを得ない。しかし、論文を読めば読むほど、混乱する。ごく近くの部位でも障害の内容が極端に異なるように思えるものがある。論文ごとに正確に比定してゆくのは、門外漢には、困難であるように感じた。そのうち、私が混乱に巻き込まれたのは、前頭葉として一概にくくられている脳の部位に関係するものがほとんどであることが見えてきた。よくよく調べると、前頭葉は、後ろ半分(頭頂葉に近い方)が運動野と呼ばれる部分であり、前頭葉の前半部(ひたいに近い部位)とは基本的に異なることが次第に分かってきた。論文によっては、同じ機能障害に関係する部位を異なって主張しているものもある。いずれが正しいのか、両方共に関与しているのか、機能が似て見えるだけで実は別の機能を意味しているのか、など正確な判断は私に難しい。(図3)

図3 大脳の構造(寺沢宏次監修、脳の仕組みがわかる本、成美堂出版(2007)、p.27より)
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_3

一つ一つを比定することはあきらめて、大筋において妥当と思われる分類を大脳の大局的分類(四葉とそれぞれにあるいくつかの野)に振り当てて仮説としてみることにした。すると、大部分の機能と部位の分類に説明ができるように見えてきた。しめた、これで行こう。証明はこれからだが、確からしい記憶の分類モデルの初期バージョンはこれで説明できるのではないかと思われた。虫食いだらけであることは明らかであるし、仮説的記憶構造にも間違いはあるだろう。しかし、スクワイアのモデルやスクワイア-飯箸モデルよりもはるかに説明可能性が高い。これを基に、私は、先に進めるに違いないと思うに至った。
したがって、私が示した記憶の飯箸モデル(飯箸の記憶の分類)は、事実を積み上げたものというよりも、これから検証されるべきモデルにすぎないのである。したがって、発表のタイトルも「・・・の提案」としたのである。

(5)飯箸の記憶の分類(飯箸モデル)
飯箸の記憶の分類は、まず、次のような大きなくくりからなる。
1)意識下の記憶・・・延髄・小脳・視床下部など
2)短期記憶・・・後頭葉・側頭葉・海馬・ワーキングメモリーなど
3)理解記憶(長期記憶の一つ)・・・側頭葉(ネットワーク型記憶=意味記憶)・頭頂葉(構造化記憶)
4)展望的記憶(長期記憶の一つ)・・・運動野(前頭葉の一部)
5)意欲と記憶の保守(長期記憶の一つ)・・・前頭部位(前頭葉の一部、運動野を覗く部分)
これらの大分類の下に中分類、その下に小分類があると考えたのである。(図4)
つまり、ヒトの記憶の種類は、脳の物理的構造によって分かれていると仮定したのである。このような大胆な仮定は、これまで誰も口にしてこなかった。脳科学者たちは、それぞれに何かを予想し考えを巡らせていたかもしれないが、用心深く証拠がすべて集まるまではもしも温めていたとしてもその密かなるもでるを明かすことはないだろうし、仮定が外れた時にそしりを受ける危険を冒すくらいならば、黙って、小さな部位の損傷と機能の損傷の対応を論文にしてゆく方がはるかにたくさんの論文となり、学者としての成果成績としても有利な行動となるのである。
幸か不幸か、私は脳科学者ではない。心理学の専門の学徒でもない。世に資するならば、向こう傷は意に介さない。心理学と脳科学のはざまに立って、システム職人としてまたは情報科学の学徒として、それらの懸け橋になれれば、こんな幸せはない。
ここで一歩でなければ、誰が前に出るのか、とわたくしの血が騒ぐ。あ~ぁ、私っていけない人かなぁ、と思ったりする。

図4 飯箸の記憶の分類(飯箸モデル)(2009年3月)
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_4

(6)飯箸の記憶の分類とスクワイアの分類(2009年3月)
かくして、記憶の分類は、スクワイアの影響色濃い「スクワイア-飯箸モデル」から、スクワイアから根本的に離れた「飯箸の分類」になったのである。
もう一度、新しい飯箸の記憶分類と古いスクワイアの記憶分類を比較してみよう。(図5)

図5 新しい飯箸の記憶分類と古いスクワイアの記憶分類の比較
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_5

図の下敷きになっているのが新しい飯箸の記憶分類である。古いスクワイアの記憶分類は右の上のほうに重ねてある。
スクワイアの記憶分類の各項目が、新しい飯箸の記憶分類のどこに対応するのか、矢印が伸びている。スクワイアの分類も間接的には脳の働きの分類なのだから根拠がないわけではない。だいたいは、新しい分類で説明ができるようである。しかし、スクワイアの記憶分類の各項目から伸びている矢印が届いていない新しい分類もある。四角い緑色で囲んだ部分である。頭頂葉に関係する記憶の部分と、前頭葉に関係する記憶の部分がすっぽり抜けている。そして、知識の最小単位であるユニット(それぞれがオブジェクトと属性がセットで構成される)も抜けている。

(7)言葉を超える記憶たち(2009年3月)
それでは、これらの抜けている記憶の部分は一体何だろう。ラリー・スクワイア氏ともあろう人が、なぜ、このように重要な記憶をすっかりふかしているのだろうか。
よく見ると、それは、なんとなくわかってくることがある。ラリー・スクワイア氏は心理学者であり、医学者でも物理学者でも、科学者でもない。私のような情報科学を専門にするものでもない。
実際、心理学とは、大学では伝統的に「文学部心理学科」で扱われてきた学問である。現在は教育学部心理学科も体育学部心理学科もあるが、それは新しい派生にすきせない。つまり、心理学とは文学や評論の延長にあって、心の動きを言葉の海の中から内省的に探る学問だったのである。ラリー・スクワイア氏は、言葉の世界の中ですぐれた仕事をしてきたのである。その世界だけに限れば、当時手に届く限りのすべての知識を動員して到達した記憶の分類が、「ラリー・スクワイアの記憶の分類」であったのに違いない。その上、言葉以下の直観的記憶もとらえているのだから隊ものである。しかし、ヒトは自分自身をなかなか認識できないのと同じに、言葉では言葉そのものの基礎である知識ユニットをとらえることができず、言葉の世界を超えた知識の構造化・階層化という高次の知識に思いを致すことがなかったのである。ましてや、言葉であらわされる知識にこだわるかぎり、言葉で記述される知識を越えて保守し、知識を動員する意欲(目的意識)を知識の活動(大脳の活動)として理解することができなかったのである(と思う)。
言葉の世界を中心に彼が捉えたものと私がはじめて知識の分類にとらえたものをポンチ絵にしたものが図6である。

図6 言葉を超える記憶たち
(図をクリックすると拡大表示されます)
Photo_6

図の上部の緑色の部分が、ほぼ新しい分類の中にとらえられたものであり、真ん中の赤い部分が言葉の領域になり、下位の肌色の部分が言葉以下のの記憶の部分である。虫食いがあちこちにあるのは、スクワイアの分類にも、飯箸の分類にもまだまだ穴だらけであることを意味している。穴をあけたムシ君が、右のほうにいるが、かわいいものである。いずれは、全てのムシも、たくさんの人の手で退治されることを願っている。

(8)質問!!
まず、すでに発表を済ませた女子学生さん(当日2番目の発表者)が手をあげて質問した。
「短期記憶を長期記憶に変えることは大事なことだと思いますが、どうしたらよいのでしょうか?」(質問者)
「ワーキングメモリーと海馬を使って、短期記憶されたものが繰り返し思い出されることによって短期記憶は長期記憶になってゆきます。その脳の活動は寝ているときや半睡眠状態でよく起こります。受験生のように寝ないで勉強する、というような無茶は短期記憶をためるには良いですが、長期記憶にはなりませんので、効率が悪いですよね。よく寝ることが必要だと思います。それから、記憶のネットワーク化や構造化によって長期記憶としてより一層定着すると考えられますから、友人や先達と議論することが大切だと思います」(私)
「あっ、そうですね。話し合ったことはよく記憶しているという経験はあります。ありがとうございます」(質問者)
続いて、やや遠巻きに立って私の話を聞いていた男性の大学教員の方らしい人が手をあげて質問した。
「私はイランで教育にあたっていた経験がありますが、そこではコーランを丸暗記することが教育のすべてで、自分でものを考えてはいけないとされています。これを突破するよう方法はありませんか」(質問者)
「丸暗記だけではだめと思いますが、丸暗記も必要です。たとえば、考えを深めるにあたって、知識が足りないので、あらためて調べ物をして知識を詰めんでからもう一度考え直すという経験はよくあることですよね。また、日本でも江戸時代は、寺子屋で"論語"をとにかく丸暗記するというような教育がされていました。丸暗記だけで放っておかれたらいけませんが、折にふれて指導者が、こんな時は、あそこに書いてあったこういう考え方で臨めばよい、というような指導を行うことで、深い考えに到達することができていたのだろうと思います」(私)
「なるほど、ありがとうございます」(質問者)
ところで、このやり取りを会場で聞いていた息子が後で、「お父さん、イスラムでは、宗派によってだけれどコーランに解釈を加えてはいけない、というところもあるんだよ。そんときは、丸暗記以上のことを教えるのは難しいんじゃないのかな」と忠告してくれた。ことはすでに遅しであったが、"ムムム、そうか、コーランを解釈していけないということもあるとは確かに聞いていた。まぁ、逆に、現実に遭遇した事態をコーランで解釈するのはコーランを解釈することにはあたらないのだから良いのではないかな"とも考えて、内心自己弁護することにした。ご質問の先生、私が趣旨を取り違えていましたらお許しください。

質問が終わると、すぐに次が始まる。

[参考文献]
-------------------------
1.飯箸泰宏、「新しい記憶の分類の提案」、情報コミュニケーション学会第6回全国大会発表論文集、pp90-91(2009)
2.飯箸泰宏、「新しい記憶の分類の提案」、情報コミュニケーション学会第6回全国大会口頭発表資料(2009.03.01)
-------------
[1] Larry R.Squire著, 河内 十郎訳,「記憶と脳―心理学と神経科学の統合」,317pp(1989)
[2] 飯箸泰宏、「記憶」の社会性--心理、教育、社会性の発達(3)、鐘の声ブログ(2005.08.21)、http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/3_e921.html(2009.01.30確認)
[3] Neuroscience, Dale Purves, et al., Sinauer Associates Inc., England(2007)
[4]Giacomo Rizzolatti et al. (1996) Premotor cortex and the recognition of motor actions, Cognitive
[5]加藤忠史 (編), 甘利俊一 (監修) 、精神の脳科学、シリーズ脳科学6、pp.288ページ、東京大学出版会 (2008/3/14)
[6]脳のしくみ―ここまで解明された最新の脳科学、ニュートンムック Newton別冊、pp.159、ニュートンプレス (2008/08)
[7]加藤忠史、脳と精神疾患、脳科学ライブラリー、pp.214ページ、朝倉書店 (2009/01)
-------------------------

(次の記事につづく)

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琵琶

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上野不忍池の柳の花--人生に詩歌あり(10)

2009/03/13
上野不忍池の柳の花--人生に詩歌あり(10)

友あり。メールにて、上野不忍池に春が訪れていることを知らせてきた。
いろいろあったが、男60歳になったという。
絵描きらしい観察である。
今、病を得て眼を痛めているという。その眼にようやく映る新緑の柳とつつましいその花は心と眼を休ませてくれるのではないか。

> 不忍池は寒緋桜が満開です。
> 池の畔の柳は、先週、新芽が開いたと思いましたら
> 今日は小さな花が咲き始めています。
> 川鵜はもうずいぶん前から姿が見えません。
> 数種の鴨は渡りの前に忙しく泳ぎ回っています。
> ユリカモメもそろそろ帰る頃です。

私のご返事は、次の通りだった。
--------------------------
春の知らせ、うれしいものですね。

 川鵜去り 鴎も立ちて 忍ばすの 柳の花も 春おおらかに

--------------------------

柳の花ではなくて、寒緋桜でもよかったが、以前「冬桜」を題材にしたので、今回は柳にした。柳であれば、水辺であることもおのずと知れてよいかなと、強弁も、浮かんだ。
ともあれ、すなおに、池の端の柳は、ソメイヨシノに先駆けて、ひっそりと美しい。
メールで送った歌では、「春高らかに」としたが、彼の言葉がいかにも角が取れていたので、「春おおらかに」とここでは直した。

琵琶

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シゲちゃんと20年振りの再会、知恵組フェスタ--交友の記録(44)

2009/03/08
シゲちゃんと20年振りの再会、知恵組フェスタ--交友の記録(44)

3月08日(日)、奇怪な集まりがあり、仕事に追われているのに午後から参加した。お待たせしているお客様、誠に申し訳ありません。
実は、この日の集まりの午後のファシリテータが、昔、私の会社に4年間勤務した人物だったのである。
知恵組フェスタという集まり自体、かなり斬新なもので、ご紹介に値するものなのだが、この知らせがメールで届いて、プログラムを見た家内が、あっと声をあげた。「S.N.」、当時の呼び名は"シゲちゃん"だった。彼の名がそのプログラムの中にあったのである。

*******************************
【知恵組フェスタ3.8】“集え!学習コミュニティー”

~出会い、気づき、生まれる力!
 ”場活”によって学び合いの場に化学反応を起こす~

来る3月8日(日)明治大学(御茶ノ水)にて、

勉強会や研究会などを開催している『学習コミュニティー』が
一堂に会し、自分のコミュニティーを紹介したり、OPENな場で、
勉強会を行うワイガヤ大会を行います。

参加者は自分のコミュニティーだけでなく、他に参加
することもOK。
それぞれのコミュニティーが持つ“エネルギー”が
相互に交流することで、気付きと学びがさらに加速されます。

そういった学習コミュニティーどうしが活性化する
化学反応の場として、知恵組フェスタを開催することにしました。

その化学反応を活性化するためのエッセンス“場活”の
仕掛けを用意しました。
参加者は、ただただ純粋に、”学びと出会い楽しむ”つもりで
お気楽に参加ください。

■参加認定学習コミュニティー

・場活プロジェクト
・若手成長研究会
・ウェルネスアップ会
・定年GO
・明治大学死生学研究所
・人材育成マネジメント研究会
・ワークライフバランス実践プロジェクト
・次世代大学教育研究会
・ケータイ活用教育研究会
・NEO-OJT実践会・Hiro志塾
☆………………………………………………………………………☆
  <限 定> 参加認定学習コミュニティーのメンバー限定です。

 <日 時> 2009年3月8日(日) (開場9:30~)
       10:00~19:00 (交流会) 

 <参加費>  6千円(税込。交流会費込み) ※学生は無料
       ※当日、会場受付にてお支払いいただきます
 <申込み>   http://chiegumi.jp/entry.html
アクセスして、お名前等必要な情報を入力して、申し込み下さい。

  <問い合わせ> order@chiegumi.jp までメールにてお問い合わせ下さい。

=====================================================
  主催 明治大学死生学研究所
  共催 NPO人材育成マネジメント研究会
     次世代大学教育研究会、
     ウィルビジョン株式会社、株式会社ネットマン
     株式会社キャリアライズ
  後援 明治大学情報基盤本部
  協賛 明治大学リバティアカデミー
 <会 場> 明治大学アカデミーコモン2階ビクトリーフロア

      http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html
      ■JR中央線・総武線、丸ノ内線/御茶ノ水駅 徒歩3分
      ■千代田線/新御茶ノ水駅 徒歩5分
      ■三田線・新宿線、半蔵門線/神保町駅 徒歩5分

<内 容>

  ・総合司会 阪井和男  明治大学法学部教授

  ・10:00~10:15 開会宣言 永谷研一 ネットマン 代表取締役
  ・10:15~11:00 セミナー1) 泉一也
   「場活とは? 学びと気づきが起こる場作りの極意」
      ウィルビジョン株式会社 代表取締役

  ・11:10~11:50 セミナー2) 池田啓実
「学生に”生き抜く力”をつける場のマネジメント」
     ~社会協働学習の実践 ~地域の活性と働く力~
      高知大学人文学部社会経済学科 教授

  ・11:50~13:00 <休憩>

 ・午後の部ファシリテータ  中川繁勝 エスジェイド代表
  ・13:00~13:25 オーナーアピールタイム
 学習コミュニティーオーナーによる紹介 
  ・14:00~16:30 ワイガヤ会 パネルセッション形式
     コミュニティー単位のワイガヤ勉強会
    (車座、セミナー、オーナーの自由な発想の学びの会)

  ・16:30~17:00 交流会オープニングダンス 加賀谷早苗 
     株式会社オフィス友惠 代表取締役

 ・交流会の部ファシリテータ 門田政己 門田道場代表
  ・17:00~19:00 交流会・懇親会

☆………………………………………………………………………☆

私は、彼に黙って、参加することにした。驚かせてやろうと思ったのである。
午後の部が始まる直前、私は会場に到着した。受け付けをしながら事務局の部屋のほうに目をやると背中向きの3人ほどの男性が何やら話している。そのうちの一人は、きっと、彼であった。声をかけるには少し遠すぎる。受付でもたもたするうちに姿が見えなくなった。
受付を済ませると、会場係の皆さんから「始まりますよ」と声がかかる。私もあわてて、会場に入る。時間まであと3分というところである。壇上に上がったり降りたりしている彼が目に入る。ここで声をかけたら、スムーズな午後の開演ができないだろう。私ははやる心を押さえながら、椅子に座ってじっとしていた。彼の司会でオーナーアピールが次々に進行する。堂に入っている。この種のことで人前に立つことに習熟したことがよくわかる。成長したな、・・・、あたりまえだよ、あの時はまだ学生だったもの、・・・、と心の中でつぶやく。なんだか誇らしくなって、少し胸を張ってみた。
彼の号令で、聴衆は3つの分科会に分かれてワイガヤ会が始まる。人々が移動を開始し始めたとき、私は、壇上に接近した。心配した阪井教授もどこからともなく登場し、そばに立った。私がとんどん壇上に近づき、彼も気がついて私を見る。「わかったかな?」と私が言う。「あーっ、お久しぶりです」とシゲちゃん。20年振りの再会だ。阪井教授が「事前に言わないでくれって頼まれていたんだ。驚いたかい」とシゲちゃんに向かって言う。私は、手短に近況を説明して「交流会のとき、お話をする余裕はあるかな」と聞く。「大丈夫と思います」というご返事。
ワイガヤ会では、高知大学の池田啓実教授、明治大学死生学研究所の事務局長の川合真先生、人材育成マネージメント研究会の堤宇一氏、看護学校で教鞭をとる上坂先生、ウィルビジョン株式会社の奥山美奈さん、リコーの間藤さんなどとお話ができた。池田啓実教授と川合真先生は初対面だったが、堤宇一氏、上坂先生、奥山美奈さん、間藤さんはこの種の集まりでよくお見かけする人たちである。
ところで、シゲちゃんことS.N.氏は、当時、中央大学理工学部の学生だった。4年間、私の会社でアルバイトをした。2年目には世間でいうSEとして十分通用する技能を獲得していた。彼の同級生のM.M.君(当時の呼び名はゲンキ君)ととても仲の良い関係で、生まれた町も病院も誕生日も同じで同じ大学の同じ学部に通っていた。二人はアルバイトも一緒に通って来た。仕事が忙しかったり、レポートで追い詰められると、当時JRお茶の水駅の北側にあったオフィスに二人は寝泊まりして、そのまま歩いて大学に向かったりもしていた。当社にとっては大事な戦力であるとともに、将来はこの会社を担ってくれるかもしれない一人として、ひそかに期待したりしていた。
しかし、彼は、SEの仕事はし尽くした、と考えたらしい。就職は証券会社に決めた。
そして、すべての会の終わりにビール片手の交流会では、私はほぼシゲちゃんを独り占めして、昔話と近況を語った。彼が知らない、その後の会社の変遷、私をめぐる変化のいろいろも話した。もちろん、彼のたどってきた人生の道筋についてたくさんたくさん聞いた。うれしくて時間のたつのが早くて、気がつくとテーブルの上の食事はすでになくなっていて、私もシゲちゃんもすっかり食べそこなってしまったくらいである。
証券会社は半年で退職して、M.M.君がいたエンジニアリング会社に転職したのだそうである。そのエンジニアリング会社に8年半いたということは、このとき聞いたのである。ゲンキ君とシゲちゃんともう一人の3人で新規事業を立ち上げて会社の売り上げの3分の一まで成長させたこと、その後本社の都合か(または社内のねたみか?)で、海外の同業他社が親会社によって買収され、自分たちの事業は事実上解消になったこと、その後、別の会社の人事部の社内教育担当に移ったことなどを聴いた。社内教育担当の時代に社外にも人材育成の人脈を広げたのだそうである。そして、今年2月、ついに独立したのだそうである。仕事は人材教育のアドバイザというような内容らしい。昔のSEからはずいぶん遠い仕事に行きついたようにも思うが、彼の資質は、単なるコンピュータオタクではなかった。顧客の心が読めるSEだったのである。ヒトの心を読む能力というのは、訓練にもよるが、才能によるところも大きい。私が彼を買っていたのは、むしろヒトの心を読む能力だったので、なるほど、自分の能力を生かした進路だったのだなと、やっと納得した。
この時代に独立というのは大変厳しいものがあるかもしれない。私が独立した時も不況のさなかだった。困難の中から立ち上がった芽はしぶとく生き残るのが世の常である。りっぱに成長してほしい、否、彼ならばやり遂げるだろうと私は確信した。
交流会の終わりに、また必ず会おうと約束して、別れた。

<2009年3月13日の追記>
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
3月13日、ご本人からメールが届いた。言い忘れた近況などが追加で書かれていた。
経歴についても私の記述があやふやなので、正しく改めて書いてきた。
彼の記述をここに引用しておく。固有名詞だけはイニシャルに改めたことをおことわりしておく。
---------------------
(略)
 仕事については中途半端にお話ししていたかも知れません。
 改めてその変遷をお伝えしますと、

 証券会社・営業(半年)
    ↓
 Yエンジニアリング(8年半)
 ・制御システムSE、新規事業調査のため横河電機本社出向
  新規事業(製品企画~設計~開発~営業~海外マーケティング)
  この新規事業ではずっとM.M.と一緒にやってました。
 ・平行して、新人研修改革プロジェクトを立ち上げ、自社に合う
  研修内容にするよう企画・設計から講師までを担当。
    ↓
 Sシステムズ(3年)
 ・ユーザー向けトレーニングのマーケティング担当
 ・eラーニングコンテンツのローカライズ
    ↓
 F社(6年半)
 ・人材教育担当として各種プログラムの導入と研修の促進。
 ・イントラネットの統括ディレクター
    ↓ 
    独立

 という感じです。
(略)
---------------------
皆さん、J-ADEのシゲちゃんことS.N.さんを応援してください!!!

3月8日の会についてのシゲちゃんのWEB日記
当日(3月08日)の記事
http://plaza.rakuten.co.jp/steps/diary/200903080000/
本日(3月13日)の記事
http://plaza.rakuten.co.jp/steps/diary/200903130000/

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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琵琶


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自衛防犯組織は急速に拡大--情報社会学、予見と戦略(30)

2009/03/06
自衛防犯組織は急速に拡大--情報社会学、予見と戦略(30)

3月5日のヤフーニュースは、次のように報じた。2008年末の調べで、防犯のためのボランティア団体は4万を超えたというものである。

3月5日、ヤフーニュース
------------------------------------------------------
<防犯>ボランティア団体4万超す 過去最多を更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090305-00000034-mai-soci
3月5日10時54分配信 毎日新聞
-----------------------------
自主的にパトロールなどを行う防犯ボランティア団体が08年末で初めて4万団体を超え、5年連続で過去最多を更新したことが警察庁のまとめで分かった。参加者も初めて250万人を上回った。
警察庁によると、08年末の団体数は4万538、参加者総数は250万1175人。町内会や自治会による団体が約半数で、子供の保護者による団体は6283。約8割が徒歩でパトロールし、通学路での子供の誘導などにあたっている。
一方、04年6月に防犯ボランティア団体に使用が認められた青色回転灯を装着したパトロール車は前年より約30%増の2万6622台、使用団体は6556にのぼった。【河嶋浩司】
------------------------------------------------------

私は、かなり以前から、自警・防犯・軍事の自助組織が強化増大されるであろうことを予見して、このブログに書いてきた。
たとえば、過去の記事に次のようなものがある。

2006/12/10
直近未来30年の人類史激動の予測図--情報社会学、予見と戦略(7)
2007/12/31
自警・防犯・軍事の自助組織への準備--情報社会学、予見と戦略(14)
2008/01/01
2008年、高まる市民の自立に潮目あり--社長の条件(35)

時代は、予見の通りに進んでいる。2010年ころから、この動きは本格化するであろう。これは、市民の社会参加の必然の帰結であるとともに、ある種の危険をはらむものである。それでも、市民は、あえて火中の栗を拾うのである。そうでなければ、自分も自分の家族も、友人も生産組織も守れない。
用心深くしかし勇敢に、男も女も、手に手を取って立ち上がらなければ生きてゆけない。
今は、まだその前夜である。ボランティア団体の主役は団塊の世代の退職老人だろう。しかし、もう老人ばかりが頑張っていても、わが街のかわいい男の子たちや女の子たちを守り切れない。壮年も青年も力を合わせなければならない。命と生活は、警察任せでは守り切れないのである。60代のばあさんたちもすでにボランティアには参加しているが、40代-50代のお母さんも20代-30代の若いママたちだって黙ってはいられない。わが子や孫、わが街を守るのは我々なのである。
市民は社会参加した。だからこそ、その権利だけではなく、その責任も果たさなければならない時代が来ているのである。

△次の記事: 情報社会学、予見と戦略(31)
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琵琶

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第6回情報コミュニケーション学会年次大会に参加--感性的研究生活(44)

2009/03/05
第6回情報コミュニケーション学会年次大会に参加--感性的研究生活(44)

2009年2月28日-3月1日、第6回情報コミュニケーション学会年次大会に参加し、2つのテーマの発表を行った。
大会での発表は第3回以来なので、3年ぶりということになる。
第2回のときは、史上最多の4件連続発表(1, 2, 3, 4)をこなしたが、今回はややひかえ目にした。他にも発表したいことはいろいろとあったが、準備が間に合いそうでなかった。9月以来偏頭痛があり、12月の風邪以来、体調も万全ではないと感じられていた。そのため、今回も息子に同行を頼んだ。結果として、大会が終わって、帰京するときから発熱し、3月2日は来客が続いたので職場に出たものの、終日浮かぬ顔をしていた。実は、歯痛が発覚したのだ。なるほど偏頭痛の原因もこいつだったのだ。3月3日、歯医者に出かけて、速攻抜歯を頼んだ。今は、歯抜けだが、すこぶる体調が良い。気分爽快である。

大会プログラム ---------------------------------------------
1.期日 2009年2月28日(土)~3月1日(日)
2.会場 園田学園女子大学開学30周年記念館
(兵庫県尼崎市南塚口町7丁目29-1)
http://www.sonoda-u.ac.jp/access2.html
駐車スペースがございませんので公共交通機関でお越し下さい.
3.主催 情報コミュニケーション学会
4.共催 日本情報科教育学会近畿・北陸地区研究会
5.後援 園田学園女子大学,明治大学情報基盤本部(予定),兵庫県教育委員会
尼崎市教育委員会,ひょうごe-スクールコンソーシアム
兵庫県高等学校教育研究会工業部会教育工学委員会
兵庫県教育工学研究会,情報文化学会近畿支部
教育システム情報学会関西支部
6.日程

==2月28日(土)========
09:00
【受付】
09:30~10:30
【一般研究発表1】
A 教科「情報」の実践と評価
B メディアと情報教育
C 地域社会と情報
D ヒューマン・コミュニケーション
10:50~12:20
【基調講演】
「教育の機能を考えなおす~「知識」と「能力」の織りなす綾~」
阪井和男(明治大学)
12:20~13:30
【昼食】
13:30~13:50
【総会】
14:00~17:10
【企画セッション】
E 携帯によるコミュニケーション(14:00~15:30)
F 学習支援システムと授業実践(15:40~17:10)
G 新学習指導要領で教科「情報」をどう教えるか(14:10~17:10)
(日本情報科教育学会近畿・北陸地区研究会との共催セッション)
17:30
【懇親会】(30周年記念館1F開花亭)

==3月1日(日)=====
09:30
【受付】
10:00~12:00
【一般研究発表2】
H 授業支援システムによる実践
I メディアを利用した教育研究
J 授業支援システムの開発
K 授業コンテンツの設計
L 新しいコミュニケーション能力と子どもの学力
12:00~13:00
【昼食】
13:00~14:00
【報告と議論】
「情報コミュニケーション検定」太田和志(東大阪大学短期大学部)
14:10~15:40
【特別講演】
「情報社会と教育」山本恒(園田学園女子大学)
=============

1.初日(2月28日)
2月28日に出発することにしたが、のんびりと準備したので、出発時は11時になっていた。
お弁当を買い込んで新幹線の中で昼食をとる。旅では駅弁が一番の楽しみかも知れない。息子としばらくおしゃべるをした。弁当を食べ終わると息子は読書しながらしきりと私に質問をする。何を読んでいるのかと思いきや、私の発表と関係が深いと息子が勝手に判断して持ち込んだ木下是雄先生の書籍「理工系のための論文の書き方」であった。しばらくすると、二人とも気持ちよく寝てしまった。ふと気がつくと列車は京都を出るところだった。
あわてて、降りる支度をする。
新大阪を降りると在来線で梅田にでる梅田の地上を歩いて阪急神戸線に乗る。降りるは塚口駅である。塚口駅ではタクシーに乗って、園田学園女子大学を目指す。タクシーを降りて校内を歩いて目的の建物にはいると16時になろうとしていた。併設されている協賛企業展示を見て歩いていると、学会会長の阪井教授と会う。先生は「日本語プログラミングのワークショップね、今年もやろう」という。昨年初めて行ったが大成功だったからだろう。役員会で取り上げられたのに違いない。「そうですね、今度は大阪でやりましょうか」と私がご返事する。
続いて、話題は小中学校での携帯電話規制のことで盛り上がった。単純に規制には学会として反対する意向だという。私も大政翼賛会的風潮には賛成できないし、時流に抗するのは嫌いではない。大いに結構なこととお話した。もっとも、携帯電話を学校で児童生徒にうまく使わせるためにはそれなりの工夫や制約もあると思うので、別途提案しようと心の中では思ったりもしていた。
間もなく、懇親会が始まる。人数の割にお料理がたくさんあって楽しい会になった。しかし、私の顔見知りは前回とは違って、まったくと言ってよいほど来場していない。
息子にとっては、親父が自分をほったらかしにして、あちらこちらでおしゃべりして歩く事態が避けられてよかったのかもしれない。阪井会長には、部会ごとで他学会との共同会議の開催などが会運営の活性化にとって大切ではないかと提案しつつ雑談に興じた。
中締めを機に、我々は早々に退席してホテルへと急いだ。私の発表は翌日の午前中なので、少々予習をしておこうという算段である。
ホテルに向かう道すがら、家内と愛犬様に電話する。相互に無事を確認して、愛犬様もその後床に就いたらしい。

2.ホテルの夜
ホテルに到着すると、ノートパソコンと発表にかかわる資料一式を息子の荷物から分けて、私の室に置き、息子は自分の部屋に向かう。シングルの部屋を二つ借りたのである。まずは、テレビのニュースを眺めてから、パソコンを立ち上げ、一通り予習した。どんな質問があるのかな、とぼんやりと思うが、予想ができない。ままよ、とベッドにもぐりこんで目を閉じていると うとうと と睡魔が襲う。
午前2時を針がやや回ったところで、部屋の電話がけたたましく鳴った。何事かと寝ぼけ眼で電話口に出る。30代くらいの男性の声で、「ここはシングルの部屋なんだけどな、ダブルの部屋に変えてくれへんかぁ」と怒鳴るような声。何? 間違い電話に違いない。私は「どちらにおかけですか。ここは客室ですよ」と言う。「えっ! えろうすいません」、ガチャン! と切れてしまった。私はまた布団に入りこむが、すぐには寝付けない。うとうとしかけるとドアをドンドンと叩く音がする。何もの? と、私はそっとドアに近づいて、覗き穴を覗く。背の高い黒い背広の男が、酔ってよれよれという様子で立っている。「オレや。オレ」と怒鳴る。私は息を凝らしている。ドア開ければトラブルが起こるだろうと推測される。やがて、男は携帯電話を取り出して、携帯な向って「オレや、もう来てんや、はよ、あけんかいな。何してんな。オレやで、もう来てんや。何言うとンね、」と大声を上げる。しばらくすると、廊下の遠くでドアが開く音がする。遠くから「こっちや」という声。先ほどの電話の主らしい声である。
急に仲間の男がこのホテルにいる男の部屋に泊まりたいと言い出したに違いない。ホテルにいた男は、シングルの部屋をダブルの部屋に変えてもらおうとして、フロントと間違えて私の部屋に電話してきたに違いない。夜中の2時に部屋を変えてくれという交渉が成功するはずはない。
男たちは、結局、シングルの部屋一つに二人で泊まったのだろう。
やれやれ、安宿はいかんな、と、つくづく思ったりした。
・・・なかなか寝付かれない。無理に目をつぶっているとしばらくしてやっと寝られたようである。

3.ホテルの朝
目が覚めると、7時だった。ちょうど良い。息子との約束の時間は7時半である。顔を洗って、身支度をしているとドアを叩く音、息子である。私もドアを出て、朝食が用意してあるというロビーの一画に降りてゆく。
バイキング形式である。私は、小さなおにぎり3個と香の物少々、お味噌汁にジュースをいただいた。おかずというようなものはない。パンも、かやくご飯もあったが、私は遠慮した。息子は、かやくご飯とみそ汁とジュースをとってくる。ひとつのテーブルに座って、おしゃべりをしながら食べる。息子は、もう一度、席を立って、バターロールパン2個とおにぎり2個をトレイに載せて帰ってきた。若いということは偉大である。私にはそれほど食べられない。息子は、「ここの朝飯てすごいね。炭水化物ばかりだよ」という。宿代が安かったし、朝食代込みなのでこんなものさと私。最後はコーヒーを二人でいただいた。このままホテルを出ると早すぎるよ、と息子。うん、そうだな、でもここではたむろするところもないしね、塚口駅前に喫茶店があったと思うから、そこで時間をつぶそう、と私。早速チェックアウトして、駅に向かう。
塚口の駅に降りると、すぐのところに喫茶店がある。あっ、モーニングサービスがあるぞ。ここで朝食でもよかったねと私。しかし、二人とももうお腹はいっぱいなので、飲み物だけで、少し時間をつぶすことにした。
息子は、昨日の木下先生のご本を取り出して、読みながら、続きの質問を私にぶつける。なかなか、鋭い。私はタジダジ、・・・。
やがて、時間が迫ってきたので、歩いて会場に向かうことにした。昨日はタクシーで移動した道をてくてくと歩く。
会場に到着したのは、受付開始から5分くらいの時間だろう。昼食のお弁当の食券を買い込んで、発表会場へとエレベータを上がる。
間もなく、発表開始である。私の発表は、3番目と4番目の2コマ連続である。

(次の記事につづく)

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琵琶

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