« 老母のいる病室--人生に詩歌あり(13) | トップページ | 母の告別式--その他、シリーズ外の記事 »

母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事

2009/07/09
母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事

7月7日 老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)
7月9日 母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事
7月10日 母の告別式--その他、シリーズ外の記事

7月7日はまだ命があった。
「老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)」
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2009/07/--13-4921.html

7月8日、午前10時20分、老姉妹とわが家族に囲まれて、老母(89歳)、やすらかに永眠。
7月9日、午後6時30分より、通夜。
7月10日、正午より告別式の予定。くしくも、この日、私は63歳の誕生日を迎える。
私が喪主である。

通夜では、喪主があいさつする場面はない。私は茫然と導師の読経に聞き入っていたが、途中ではっとして焼香台に視線を移すと、ご親類、仕事関係者、母の親しい友人たち、母がお世話になった人々、さまざまな人がやってきた。ひたすら頭を下げた。
母はお寺の娘として育ったので、お寺の親類は多い。その母の姉の子、つまり甥(70歳)が導師を務めてくれた。菩提寺の住職はその子であるが、元住職と現住職の親子二人で法要を仕切ってくださった。

ご来場の皆さまとは、お話しする機会はなかったのでもどかしく感じたが、ご来場の皆様にお伝えしたかったことを次に記します。

お暑い中、またご多用にもかかわらず、母文子のためにご参集いただき、ありがとうございます。
私は、文子の長男で、喪主を務めさせていただいております。
母文子は、流山の光明院という寺(真言宗豊山派)に生まれました。女ばかり8人姉妹の6女として生まれ、若くして亡くなった二人を除く6姉妹の4番目として育ちました。母の父は、大正ロマン華やかな開明期でもありましたので6姉妹に男の子なみの教育をほどこし、男に負けず劣らずの先進的女性に育てようとしたように推測されるところです。穿てば、男の子に恵まれなかったのでその替わりだったのかも知れません。
母を囲む姉妹たちはいずれも高い教養と時代に敏感なアンテナを有する先取の気風あふれる当時としてはめずらしい女性たちです。本日も老姉妹の皆様がご参列をいただいておりますが、この方たちに揉まれて、母も時代を少し早く進みすぎた女性の一人だったかも知れません。
教員だった父のもとに22歳で嫁ぎました。実家の寺の有力なお檀家さんであった松本家のお口添えによるものだったと聞いております。
23歳で長女を産み、26歳で長男の私、29歳で弟を産みました。
教員の安い給与で三人の子育ては容易ではなかったと思いますが、父方の安蒜家、松本家、浅井家、折原家などのご支援はもとより、母の実家の光明院椎橋家、西栄寺栗山家など母の諸姉妹の方々のご援助も得て、ようやく家計を切り盛りししていたことを子供心にも刻まれております。皆々様のご支援に深く感謝申し上げます。
子育て時代、すでに華道の修行に余念なく、父兄会や地元のさまざまな集まりにも積極的に参加しており、大変忙しく、私たち小さかった子供たちが夕刻もひたすら母の帰りを待つようなこともしばしばだった記憶があります。
当時の父兄会のお仲間の皆さんとは、母はその後も長くお付き合いをいただき、女として母として市民としての怒りや悩み、慰めを共有してこれたように思います。皆様、ありがとうございました。
幸い理解ある父であったため、その後も母の社会での活動はとどまることを知らず、いつの間にか華道では龍生派家元顧問にまでなり、社会福祉関係では長く松戸市社会福祉ネットワーク協議会の会長も務めました。
華道では、よいお弟子さんにたくさん恵まれました。後半生の生きがいは何と言ってもお弟子さんたちとの交流だったのではないかと思います。本日もたくさんのお弟子さんがいらして下さっています。最後の入院になった先ごろの病院でも間もなく開かれる華道展のことが気になり、その日までに生きて帰らなければお弟子さんたちに申し分けない、私を何としても助けてくれ、と繰り返し申しておりました。
亡くなってしまったことは残念ではありますが、最後まで充実した人生を送れたのはお弟子様方のおかげであると思います。誠にありがとうございました。
民生委員-松戸市社会福祉ネットワーク協議会などの福祉関係の活動では市役所や各町会の皆さま、福祉関連施設の皆様に大変にお世話になりました。ありがとうございました。
母は、しばしば父にも負けまいとする負けん気を見せることもありましたが、父を一歩先に立てたいという古風な一面もありました。母が早くして叙勲を受けると父に叙勲がないことを大変気にしており、父の叙勲は父よりも母が望んでいたように感じました。のちに父も死後叙勲されますが、自分の序列よりもわずかに高かったことに深い安堵を見せ、ことのほか喜んだりしていました。
わたくしたち母の子供たちがそれぞれに結婚し家族を持つと、それぞれの家庭のさまざまな悩みを聞き、家族仲良く、兄弟仲良くのための調整に心を砕き、孫の家族を含めて心配りを怠りませんでした。おばあちゃん、ありがとうございました。
老母は、ご近所の皆さまをはじめとして多数の方々のご理解とご支援を受け、充実した生涯を全うすることができました。一人ひとりを取り上げて申し上げることはできませんが、すべての方々に感謝申し上げます。
また、通夜と告別式の儀を取り仕切ってくださった長聖寺住職の栗山秀隆様、長聖寺元住職で現西栄寺住職の栗山秀純様にもありがたく深く感謝申し上げます。

皆様、誠にありがとうございました。

関連記事: 「老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)」
       「母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事」
       「告別式--その他、シリーズ外の記事」


琵琶


(補1)「鐘の声 ブログ」はリンクフリーです。ただし、「鐘の声 ブログ」の記事の一部または全部を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、事前にメール等でお知らせください。[→連絡先]
(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
  その他、シリーズ外の記事一覧 (GO!)
(補3)ブログ「鐘の声」には、10個ほどのシリーズとシリーズ以外の一般記事があります。シリーズの全体構成やシリーズ別の記事一覧は下記(別サイト)にあります。
  ☆「鐘の声」の全体構成(「鐘の声 ブログ」記事マップ)☆ (GO!)

|

« 老母のいる病室--人生に詩歌あり(13) | トップページ | 母の告別式--その他、シリーズ外の記事 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73834/45587895

この記事へのトラックバック一覧です: 母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事:

« 老母のいる病室--人生に詩歌あり(13) | トップページ | 母の告別式--その他、シリーズ外の記事 »