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武蔵野美術大学7年ぶりの講義「WEB情報デザイン」--心理、教育、社会性の発達(79)

2009/07/24
武蔵野美術大学7年ぶりの講義「WEB情報デザイン」--心理、教育、社会性の発達(79)

2002年、私はできたばかりの講座の担当教員となった。実務の世界で大変お世話になったデザイナの田中克明氏が母校の教授になり、応援を求めてきたためである。武蔵野美術大学は私が子供(小中学生)のころあこがれた大学の一つであり、誘われたことは感激だった。
通信教育課程のデザイン情報学の一コマを担当することになった。学生はほとんどが社会人で、デザイナとしてはすでに一流の方々も2-3割はいただろう。絵書きとして頭角を現しつつある人もいた。この人たちとの素晴らしい出会いと感動は今でも忘れない。
わけがあって、1年と少々の期間でこの講座の教員を辞めた。
いつか機会があれば、再び、通ってみたい大学たった。

6月30日、突然、その田中克明教授からファックスが届いた。スポットで夏季スクーリングを引き受けられないかという相談だった。私は飛び上らんばかりに嬉しかった。
しかし、スクーリングの期間は、7月中旬-下旬というもので、他の大学の講義もまだ続いている。母の病状もはっきりしなかった。
一晩悩んだが、私の会社の元社員で、最近は社員教育の講師なども引き受けている50歳台初めのF氏がいる。彼ならば、なんとかしてくれるだろう。F氏とメールと電話で話をして、喫茶店で会って、無理やりお願いした。デザイン情報学の4年生が対象のデータベースのコースである。無理をお願いするので関連する書籍の代金は私もちということにした。
田中教授とF氏を引き合わせることになり、ランチを食べながらお話をした。カリキュラムはMySQLとPHP、HTMLを組み合わせて、簡単なホームページを作成して画像のWEBデータベースを作成するというものである。デザイン情報学コースの最終課題ということで、難度は相当に高い。ここまで登りつめてきた学生たちもかなりの実力者らしかいが、MySQLとPHP、HTMLもカリキュラム上は初挑戦ということだった。
昨年まで実質授業の主役だった助手は自立しており、名簿上担当していた教授は病んで休職中ということだった。昨年まではどんな授業をしたいたのかは全くわからない。
尋常な進め方ではクリアできそうでない授業計画における作戦は、私が提案した。
田中教授は、学生たちはデザイン情報を学びたくてこのコースを選んでいるのに、カリキュラムにはほとんどそれらしい項目がないという事実を嘆いていた。休職している担当教授と助手の人に任せきりだったらしい。
私は、スクーリングの一コマを割いていただければ、WEB情報デザイン論のさわりの講義ができるので、やらせてほしいと申し出た。F氏は返答に窮していた。私は、その時間の講師料はいただかないからやらせてくれと懇願した。田中教授は笑っていた。私は、あの楽しかった昔の講義を再現してみたかった。しばらく遠ざかっていたことの罪滅ぼしができるという思いも募った。

私の講義に出席したことのある学生の何割かは私のWEB情報デザインの講義を体験しているはずである。
WEB情報デザインの枠組みを図示するところから講義は始まる。
・フィーリング
・ユーティリティ
・ユーザビリティ
・アクセシビリティ
・情報アーキテクチャ
互いに重なりあう関係も示して、実際の画面の解説、WEBデザイン調査の実習で前半を終わる。通常の講義では、これで90分の一コマが終わる。
WEBデザインの調査は、いずれにしても主観的な要素がきわめて強い。後半には、WEB調査の結果を持ち寄って、デルファイ法の実践を通じて、主観的判断をより客観的な評価へと高める体験を行う。
授業の進め方は、「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」(伝 山本五十六)の実践である。
後半も通常授業では90分一コマが割り当てられる。今回の講義では、合計3時間40分が割り当てられたので、講義録も新たにして、進め方も少しゆったりとしたものにした。

学生たちの理解力は驚嘆にあたいするものであった。
それもそのはずである。学生は実はプロの方である。

TTさん 男 43才 T学園専門学校勤務
 職務に必要

ATさん 男 31才 M工業大学卒 Nエレクトロニクス(株)勤務
 アクセシビリティの向上にはデザインが重要な要素となると考えているため

WNさん 女 ホームページ制作


講義後に、F先生は私の講義についての感想を学生に書かせたという。最初に届いた感想文は次の通りである。個人が特定されないよう一部改変して引用する。後の2名はペーパーで提出されたということで、F先生と次回会うときのお楽しみとすることにした。

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(琵琶)先生の講義の感想

私は今まで、WEBサイトを作成するとき、「私と非常に異なった状況のもとで操作をしている可能性」ということを一度でも考えたことがあったであろうか?「見ることができない」「聞くことができない」「ある種類の情報を簡単に処理できない」。そのような状況を想定したことは、恥ずかしながら一度もない。
“重要なことは赤で書くことにしよう。目立つから。”
いつも、これくらいの考えと自分の物差しで決めていた。
不特定多数の人が目にするWEBサイト。
センスのよいデザイン、htmlやPHPといった技術面、そして、ユーザビリティ、アクセシビリティなどなど、考えれば考えるほど奥の深いものだと感じます。
「ユーザビリティ」「アクセシビリティ」。この単語はよく聞きますが、WEB関係の仕事をしていながら、こういったお話をちゃんと聞くのは初めてでした。そして授業でやったWEB調査表。
あのような目線でWEBサイトを見ると、今まで何とも思っていなかったWEBサイトが急に使い勝手が悪いような気がしてきたり、また逆にイマイチなデザインのページだなと思っていたページがよく思えてきたりします。
これからはWEBサイトを見るときも、作るときも、人に優しいページというのを少し気にして見てみようと思います。

P.S 先生のなんだかとても優しそうな笑顔に癒されました。
私は以前に、天王台のNECに勤めていたことがあり、柏や松戸は会社の行き帰りに時々立ち寄っていました。
松戸って、なんだか知っている地名に少し嬉しくなりました。
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私にとっても、とてもうれしい機会だった。受講された学生の方にもこれほど喜ばれたら教師冥利に尽きるというべきである。母の死と葬儀でいささか曇りがちだった我が心に明るい日差しが差し込むような体験だった。

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琵琶


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母の告別式--その他、シリーズ外の記事

2009/07/10
母の告別式--その他、シリーズ外の記事

7月7日 老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)
7月9日 母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事
7月10日 母の告別式--その他、シリーズ外の記事

7月10日
12時に告別式が開始された。
導師による告別の儀と初七日の儀を滞りなく済ませると、喪主の出棺の言葉が促される。
私は立って話し始める。進行かがりからは前夜2分で頼みますと言われた。短く話すのは誠に難しい。前夜、あわててメモを用意したが目が滲んで字が読めない。浮かぶ言葉をひたすら述べた。
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お暑い中、またご多用にもかかわらず、故人母文子のためにご参集いただき、ありがとうございます。
私は、文子の長男です。喪主を務めさせていただきました。
母文子は89歳で亡くなりました。長寿であったと思います。
母文子は、6年前に亡くなった父を助け、またその父に助けられながら、3人の子供を育て、5人の孫と1人のひ孫に恵まれました。ご近所の方々の人情に支えられ、ご親類の皆様からは物心両面のご支援をいただき、ようやくやり遂げた人生でした。今も会場にお見えですが、PTA以来のお仲間がいて長い交流があり、民生委員-社会福祉関係では各町会の役員の皆様や市役所の皆様、福祉団体や施設の皆様に支えられておりました。社会福祉関係では松戸市社会福祉ネットワーク協議会の会長も務めさせていただきました。華道では龍生派家元顧問となり、良いお弟子さんたちに囲まれて幸せに過ごしてまいりました。大切な華道展を控えていましたので、お弟子さんたちのために何としても生きて帰りたいと最後まで言っていました。
亡くなったことは悲しいことですが、皆様のおかげで充実した人生を送れたことを、今は母とともに喜びたいと思います。
母文子を支えてくださったたくさんの皆さま、本当にありがとうございました。
残された家族は、母の分もしっかりと生きてまいります。これからも、私どもの家族をなにとぞ温かくお導きいただきたくお願いを申しあげます。
ほんとうに、ありがとうございました。
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マイクの向こうに、ご近所の方の顔が見える。PTA以来のお友達も高齢を押して来てくださっていた。父方の主だって親類たち、老姉妹の家族もいる。民生委員のお仲間だった方も、当時の市役所の方もいる。病院で、最後まで彼女らのために生きて帰るのだと言っていた当のお弟子さんたちの姿も見える。一人ひとりがうなずかれたり、目がしらを抑えたりする姿が見えた。私の声も震えてとぎれとぎれになっていた。

ひつぎには、かねて私が望んだように、花をいっぱいに入れた。白菊を敷き詰めて、その上には華やかな色どりの洋花を積み上げた。右手側には、本人が最後まで育てていた庭や居室の南にしつらえた温室の花々を集めて作った手作りの花束を一つ置いた。花は姉に頼んで今朝切り集めてもらったものである。
最後に白い胡蝶蘭の花を飾って、花で山盛りとなった棺の蓋を閉じた。さようなら。

導師に続いて位牌を持つ私、写真を持つ弟の長男、花束を抱えた私の長男、そして親族、一般の参列者が続く。葬送の列である。霊柩車、ハイヤー、バス2台に乗って火葬場に向かう。
いくつもの儀式を経て遺骨を骨壷に収めると、再び親族らと式場に戻り、会食となった。私は、導師の前の席で、久しぶりのいとこ同士の話題で盛り上がる。母がまたこんな機会を作ってくれたのかな、と、ふと思う。

帰宅後葬儀場から後飾りの材料が届き、主なき隠居所の中に真新しい小さな祭壇がしつらえられた。あらためて手を合わせる。

この日、私は誕生日を迎えて、63歳となった。

関連記事: 「老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)」
       「母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事」
       「告別式--その他、シリーズ外の記事」


琵琶


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母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事

2009/07/09
母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事

7月7日 老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)
7月9日 母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事
7月10日 母の告別式--その他、シリーズ外の記事

7月7日はまだ命があった。
「老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)」
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2009/07/--13-4921.html

7月8日、午前10時20分、老姉妹とわが家族に囲まれて、老母(89歳)、やすらかに永眠。
7月9日、午後6時30分より、通夜。
7月10日、正午より告別式の予定。くしくも、この日、私は63歳の誕生日を迎える。
私が喪主である。

通夜では、喪主があいさつする場面はない。私は茫然と導師の読経に聞き入っていたが、途中ではっとして焼香台に視線を移すと、ご親類、仕事関係者、母の親しい友人たち、母がお世話になった人々、さまざまな人がやってきた。ひたすら頭を下げた。
母はお寺の娘として育ったので、お寺の親類は多い。その母の姉の子、つまり甥(70歳)が導師を務めてくれた。菩提寺の住職はその子であるが、元住職と現住職の親子二人で法要を仕切ってくださった。

ご来場の皆さまとは、お話しする機会はなかったのでもどかしく感じたが、ご来場の皆様にお伝えしたかったことを次に記します。

お暑い中、またご多用にもかかわらず、母文子のためにご参集いただき、ありがとうございます。
私は、文子の長男で、喪主を務めさせていただいております。
母文子は、流山の光明院という寺(真言宗豊山派)に生まれました。女ばかり8人姉妹の6女として生まれ、若くして亡くなった二人を除く6姉妹の4番目として育ちました。母の父は、大正ロマン華やかな開明期でもありましたので6姉妹に男の子なみの教育をほどこし、男に負けず劣らずの先進的女性に育てようとしたように推測されるところです。穿てば、男の子に恵まれなかったのでその替わりだったのかも知れません。
母を囲む姉妹たちはいずれも高い教養と時代に敏感なアンテナを有する先取の気風あふれる当時としてはめずらしい女性たちです。本日も老姉妹の皆様がご参列をいただいておりますが、この方たちに揉まれて、母も時代を少し早く進みすぎた女性の一人だったかも知れません。
教員だった父のもとに22歳で嫁ぎました。実家の寺の有力なお檀家さんであった松本家のお口添えによるものだったと聞いております。
23歳で長女を産み、26歳で長男の私、29歳で弟を産みました。
教員の安い給与で三人の子育ては容易ではなかったと思いますが、父方の安蒜家、松本家、浅井家、折原家などのご支援はもとより、母の実家の光明院椎橋家、西栄寺栗山家など母の諸姉妹の方々のご援助も得て、ようやく家計を切り盛りししていたことを子供心にも刻まれております。皆々様のご支援に深く感謝申し上げます。
子育て時代、すでに華道の修行に余念なく、父兄会や地元のさまざまな集まりにも積極的に参加しており、大変忙しく、私たち小さかった子供たちが夕刻もひたすら母の帰りを待つようなこともしばしばだった記憶があります。
当時の父兄会のお仲間の皆さんとは、母はその後も長くお付き合いをいただき、女として母として市民としての怒りや悩み、慰めを共有してこれたように思います。皆様、ありがとうございました。
幸い理解ある父であったため、その後も母の社会での活動はとどまることを知らず、いつの間にか華道では龍生派家元顧問にまでなり、社会福祉関係では長く松戸市社会福祉ネットワーク協議会の会長も務めました。
華道では、よいお弟子さんにたくさん恵まれました。後半生の生きがいは何と言ってもお弟子さんたちとの交流だったのではないかと思います。本日もたくさんのお弟子さんがいらして下さっています。最後の入院になった先ごろの病院でも間もなく開かれる華道展のことが気になり、その日までに生きて帰らなければお弟子さんたちに申し分けない、私を何としても助けてくれ、と繰り返し申しておりました。
亡くなってしまったことは残念ではありますが、最後まで充実した人生を送れたのはお弟子様方のおかげであると思います。誠にありがとうございました。
民生委員-松戸市社会福祉ネットワーク協議会などの福祉関係の活動では市役所や各町会の皆さま、福祉関連施設の皆様に大変にお世話になりました。ありがとうございました。
母は、しばしば父にも負けまいとする負けん気を見せることもありましたが、父を一歩先に立てたいという古風な一面もありました。母が早くして叙勲を受けると父に叙勲がないことを大変気にしており、父の叙勲は父よりも母が望んでいたように感じました。のちに父も死後叙勲されますが、自分の序列よりもわずかに高かったことに深い安堵を見せ、ことのほか喜んだりしていました。
わたくしたち母の子供たちがそれぞれに結婚し家族を持つと、それぞれの家庭のさまざまな悩みを聞き、家族仲良く、兄弟仲良くのための調整に心を砕き、孫の家族を含めて心配りを怠りませんでした。おばあちゃん、ありがとうございました。
老母は、ご近所の皆さまをはじめとして多数の方々のご理解とご支援を受け、充実した生涯を全うすることができました。一人ひとりを取り上げて申し上げることはできませんが、すべての方々に感謝申し上げます。
また、通夜と告別式の儀を取り仕切ってくださった長聖寺住職の栗山秀隆様、長聖寺元住職で現西栄寺住職の栗山秀純様にもありがたく深く感謝申し上げます。

皆様、誠にありがとうございました。

関連記事: 「老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)」
       「母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事」
       「告別式--その他、シリーズ外の記事」


琵琶


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老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)

2009/07/07
老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)

7月7日 老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)
7月9日 母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事
7月10日 母の告別式--その他、シリーズ外の記事

6月14日(日)早朝、老母(89歳)は脳梗塞で緊急入院した。
前夜から不調を訴えていたので私の息子(老母の孫)が添い寝した。息子からの連絡で、脳梗塞が疑われたので自家用車に乗せて当直病院に向かった。

その後一時回復を見せたが、3週間後、病状の悪化は明らかだった。
7月7日病院にて。

わが名呼ぶ 雨だれを追う 眼あやかしく 汝(な)の児ここにあり 強く手を握る

弟子たちの 発表会の 日取り迫りて 生還の契り 心揺れ動く

わが膝に 手を置きて言う 助けてと さする肩細し 雨音静かなり

救うてよ 神仏あれば 我が母を 涙雨を仰ぎて ひそかに目をぬぐう

修羅場去り まどろむときこそ もの思う 窓辺うつ雨 心撃つ思い出

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2009.07.09付記:
7月7日、上記の記載のとおり、まだ存命だった。老母がなくなる前日のことである。
7月8日、午前10時20分、老姉妹とわが家族に囲まれて、老母、やすらかに永眠。
7月9日、午後6時30分より、通夜。
7月10日、正午より告別式。
喪主は私がつとめる。

関連記事: 「老母のいる病室--人生に詩歌あり(13)」
       「母の通夜の後に--その他、シリーズ外の記事」
       「告別式--その他、シリーズ外の記事」


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