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ヒトには「借脳」の力がある--独創力の創り方(25)

2009/09/29
ヒトには「借脳」の力がある--独創力の創り方(25)

1.尊敬する佐伯胖教授と状況論(社会的構成主義)

ヒトは、言葉や図形という道具を用いて自分の知能の発達を助けてゆく。ヒトが成熟するとは道具を媒介として共同体が成熟してゆくことである。という議論は、これまでも行われてきた。
私が、最も尊敬する心理学の研究者の一人、佐伯胖(青山学院大学)教授は、「学習」について、次のように述べている。表向きは児童心理学がご専門だが、発達心理学-教育心理学を主にカバーしていると勝手に推測させていただいている。

佐伯胖、「学び」を育てるコラボレーション環境、2009.08.26最終更新日、http://www.unisys.co.jp/renandi/topics/3.pdf(2009.09.28確認)
スライドNo.2、「学習」論が変わった! ~「できる」、「わかる」から「学ぶ」へ~
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◆「学習」とは何か
•「できる」ようになること←行動主義心理学
•「わかる」ようになること←認知心理学
•「学び」が深まり拡張すること←社会的構成主義
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佐伯胖教授は、できて、わかって、「学び」が深まり拡張することが「学習」であるとしている。
この並べ方をみても、彼が深く関心を寄せて、一番実現に力を入れているのは、"「学び」が深まり拡張すること←社会的構成主義" であることは一目瞭然である。もっとも、佐伯胖教授の言う社会的構成主義はアメリカ学派の状況埋没論ともすこし違うように思われる。両者を同一に論ずることができないことは、私もよく理解しているつもりだが、読者の皆さんにも注意を喚起しておきたい。
上の資料全体は、最近の彼の基本的なアイディアをまとめたスライドで、たまたまネットに公開されているものである。上に引用したスライドNo.2は、内容を伴うトップのスライドである。
このページに呼応する最後のスライドには望ましい教育とは次のようなものであると述べている。

佐伯胖、「学び」を育てるコラボレーション環境、2009.08.26最終更新日、http://www.unisys.co.jp/renandi/topics/3.pdf(2009.09.28確認)
スライドNo.25、高度教育のコラボレーション環境
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◆行動主義・認知主義・状況論(社会構成主義的)の学習の適切な混合(ブレンディッド・ラーニング)
◆現実問題解決と、「現実離れ(遊び)」の併存
◆鑑識眼的評価の育成と発展
◆創発的な対話環境(ズレをおもしろがる)
◆異質な組織を「統合」するのではなく、「併存」させつつ、多様な関係をもたせる。
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ここに登場する状況論(社会的構成主義)は、主にアメリカで発展をした考え方である。Michael Cole、Barbara Rogoff、Jean Lave、Lucy Suchman、Edwin Hutchinsなどの一群の流れを指している。
ひどく単純化していうと、おおむね、個体は共同体の中の役割を演じながら共同体の成熟に寄与するのだから、共同体を離れた「個体の成熟」はないという考えである。
私は、佐伯胖教授の大学の講義に出席したこともなく、弟子入りを許されたわけでもないが、好んで彼の本を読み、彼が発表する研究会には極力出かけてお話を聞いた。いつお話を伺っても感動的で、得るところが多い。私は、門前の小僧で、単なる"追っかけ"の一人といってもよい。
私が担いている社会的学習理論(Albert Bandura など)に近いものがあり、なるほどと思いつつ、読み入ったり、聞き入ったりしてしまうのである。
最近、佐伯胖教授の思考の背後にLev Semenovich Vygotskyの思想があることに気がついた。見当違いならばお叱りを甘んじて受けるつもりである。このスライドにも、Vygotskyは登場する。

佐伯胖、「学び」を育てるコラボレーション環境、2009.08.26最終更新日、http://www.unisys.co.jp/renandi/topics/3.pdf(2009.09.28確認)
スライドNo.11 思考の領域固有性→文化によって思考の発達は異なる。
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「わかる」のは、「個人のアタマの中」か
◆思考とは、社会的関係の内化である(L. S. Vygotsky; 1896-1934 )。
◆思考は道具(含、シンボル)に媒介されている。
◆学習も、社会的であり、媒介された行為である
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Vygotskyは、ロシアの心理学者であり、文化論者であり、社会学者であり、・・・、万能の才能をキラ星のごとく持ちあわせた人だったようだが、天才は夭折するのである。37歳という若さでなくなってしまう。私がこの人物の存在に気付いたのはごく最近で、アメリカの状況論の人々の引用にしばしば登場する人名であることからだった。佐伯胖教授は、ずうっと以前から、おそらく学生のころからこの夭折した天才を知っていて、その理論を心の基底においてきたのに違いない。
Vygotskyは、まず、ヒトは道具を用いて己の知能を発達させるということを初めて喝破した人である。この場合、道具とは言葉や図形のことである。続いて彼は、道具を介在させて、ヒトは他の人と媒介することで学習することに気づくのである。この着想は、彼の映画論や絵画論にも展開されてゆく。長生きしていたら、もっとたくさんの、あるいはもっと深い理論が彼の頭からほとばしり出て、人々に広く深く影響を与えただろうにと残念である。若くして死んだこともあって、ロシアでは注目されることが少なく、次第に忘れ去られる存在になりつつあったが、冷戦時代が終わり、アメリカ国内でロシアの学問を取り上げても、「赤」呼ばわりされなくなると、なぜかアメリカでVygotskyを称賛する声が広がり、彼の後継者となる人たちが次々に登場するようになった。Michael Cole、Barbara Rogoff、Jean Lave、Lucy Suchman、Edwin Hutchinsなどの一群の研究者である。
佐伯胖教授は、これらの人々の一人ひとりをどのように評価しているのか、寡聞にして私は知らない。

私が、浅学菲才を顧みずに、これらアメリカ学派の皆さんの主張を見る限りでは、George Armitage Miller のような「行動はプランの実行にすぎない」というような単純化しすぎた認知モデルに対する強烈なカウンターパンチにはなっているが、「子供の発達とは共同体に埋め込まれた状況の成熟にすぎない」としてしまうことは、行き過ぎた没個性論であるように感ずる。
私の実感からいえば、私自身の子供のころは、未成熟な共同体に押しつぶされそうになりつつ、これに抵抗しようといい子としての面従腹背の演技をつづけ、お馬鹿な失敗を常に故意に演じてみせて、大人たちよりも優れていないことをわざわざ公式に証明しつつ、隠れて勉強し、思い悩み、成熟しない状況を少しでも乗り越えようとあがいたのである。それは、私の子供から青年期まで続いた実態だったように思う。いな、わたくしだけではなく、団塊の世代の多くがかいくぐってきた共通の発達過程ではないだろうか。子供の発達が状況の成熟に帰結するなどといわれては、たまらない思いがするのである。旧世代の成熟の殻を破る次世代がいるからこそ、社会も発展進化するのである。旧世代の成熟の殻に埋没するばかりの新世代しか生まれないのであれば社会は衰退の一途のはずである。
音楽の世界に優れた若き才能があり、絵画の世界にも別の若い才能がある。これらの世界でやっと認められる程度の並みの芸術家もいるが、我々のようなその他大勢の凡人のほうが圧倒的に多いだろう。学問の世界にも高い能力を示す者も、並みの人も並み以下の人もいるのである。
状況論の皆さんは、凡人を育て上げるのでさえ大変なのだから、それ以上のことは言わないほうが花と思っていらっしゃるのかもしれないが、少しばかり物足りない。世界を革新させる新しい独創的な力は、状況論の中からは見いだせないと思う。
状況論(社会的構成主義)は、学習共同体での学習効果を肯定する意味で、画期的な役割を果たしたと私高く評価している。しかし、そこでとどまってはいけないようである。その先も必要なのではあるまいか。

2.「べてるの家」の視察と「借脳」の発見

私は、この夏、視察で訪れた北海道日高支浦河町の「べてるの家」で、ほぼ一昼夜、彼らと行動をともにして、一つの発見をしたと感じている。
SIGEDU & 第63回SH情報文化研究会ジョイントフォーラム in滝野川会館--感性的研究生活(52)
北海道、べてるの人々への訪問--その他、シリーズ外の記事
べてるの家の人々--人生に詩歌あり(15)
北海道の海--人生に詩歌あり(14)
その発見とは、ヒトには「借脳」の力がある、ということである。
「べてるの家」とは、浦河日赤病院精神科の医師の投薬管理を受けている精神障害を持つ人たちのためのリハビリ共同体組織である。
ここでは、つぎの3つの共同が行われている。
・リハビリの共同
・共同労働
・共同生活
そして、ユニークなのは、「幻覚妄想大会」(誰の幻覚妄想が一番面白いかを競う年に一度の大会)や、1か月に1度開催を目標にしている「当事者研究」(精神障害を持つ当事者が自分の病態を皆の見ている前で分析して語るというもの)がある。まずは、「幻覚妄想大会」に出場しようとする人は、自分のところに現れた「お客さん(とべてるの皆さんは言う)」が、神様でも悪魔でもなく、自分の想念の一部であることを自覚して、対処法を身につけてゆくのである。そのために長く「幻覚妄想大会」が有効だった。近年、一歩進めて「当事者研究」を始めた。壇上に立つ当事者は、自分の病態を他人に説明しようと悪戦苦闘する。聴衆は、やんやの突っ込みをいれる。飾った言葉や、言い訳はすぐに化けの皮がはがされる。当事者が病気を自覚するだけでは済まなくなってくるのである。聴衆のつっこみで、自分の少しゆがんだ想念が否応なしに矯正の力を受けるのである。傷を負ったり、発達しなかったために生活上の不都合を生じたいた心理的弱点などが、次々に白日のもとにさらされ、他の多くの患者からの矯正の力を受けるのである。精神科の医師による3分間診療のついでに行われるカウンセリングに比べればはるかに濃密な精神疾患の矯正(治療)が行われれていることになる。
実はそれだけではないのである。
べてるの家の作業場を訪れると、壁一杯に張り出してある標語が目に入ってくる。その中に「手を動かすよりも口を動かせ」というものがある。普通の職場では逆の標語「口を動かすよりも手を動かせ」が書かれているかもしれないが、「手を動かすよりも口を動かせ」はないだろう。
作業しながら、実に皆さんはおしゃべりをする。いつもではないが、「お客さん」の話も出てくる。気軽に、ボランティアの人に対する非難の言葉も出てくる。即座に、大向かいのほうから、「そいつは、お客さんだよ。神様の声なんかじゃないぞ」と声がかかる。「えー、あの人はそんな悪い人じゃないぞ。君の妄想じゃないのか」と隣の人がいう。
障害者の人がたくさん集まってみると、同じ病名が付いている人たちであっても、同じ個所に不具合を生じているということはめったにない。障害者は損失している部分やゆがんでいる部分は確かにあるが、それはその人の脳の働きの一部にすぎない。つまり脳の働きの全部が駄目ということはない。一人ひとり異なる小さな部分がそれぞれに損傷を受けているのである。いろいろな病名の人がたくさん集まると、一人のヒトの足りていない機能部分は他の人は十分正常である。一人のヒトの足りない部分は、多分他のすべての人が補ってあげられるに違いない。ここの人たちは、他の人たちの脳の働きを借りて自分の足りない部分を補っているのだと思い知らされたのである。素晴らしい。
「三度のメシよりミーティング」と書かれた標語の紙もある。これも、互いに補い合う作用を期待して行われているのだろう。素晴らしい。
実践のほうが学問よりも先に進んでしまうことはしばしば起こるのである。
ここで、私は考えた。健常な人でも、100%完全な人というものはいないだろう。足りない部分もあれば、他の人よりすぐれた部分もある、というのが普通の状態だろう。足りない部分は他の人の力を借りて、他の人が困っている部分は手助けしてあげるというのはごく普通の社会人のありようである。もちろん、単なる肉体的な力の過不足だけではない。脳の働きの長短、過不足についてこそ頻繁に行われているのではあるまいかと考えたのである。
この考え方は、状況論(社会構成主義的)によく似ているが、実はかなり違っていることにも気がついた。何か言葉を見つけようと模索した。その結果、私は、この様子を「借脳」ということにした。ひとは「借脳」の力を持っている、と。

3.「借脳」の効用
精神障害を持つ人にとっての「借脳」は、他の人の脳の働きの力を借りて、自分の脳の働きが歪んだり、欠落してしまっている部分を発見したり矯正を受けたりして、社会復帰できるまでにリハビリを続けるために極めて有効である。「借脳」によって、共同体の成熟度が上がるとか上がらないとかは全く関係がない。個人がリハビリに成功すれば、その方は「べてるの家」をめでたく卒業してゆく、障害者が回復しかけるとボランティア支援要員になるのがここのルールである。すっかり回復して健常なボランティアメンバーになったら、すぐにいなくなってしまう宿命なのである。共同体には、障害に苦しむ新しいメンバーがやってくる。共同体としての成熟度は高くなっているとも、足踏みしているとも一時的には下がるともいえるのである。べてるの家は、それでいいのである。共同体として限りなく成熟度を高めてゆかなければならないという使命感とは、別の次元の問題である。
「借脳」の効用にあずかるのは、あくまでも当事者本人である。
面白いことに、「借脳」は「借金」に似ている。借りてばかりいると誰も貸してくれる人がいなくなる。借りたら返す、または前回自分が借りたら今回は自分から他人に貸す元気がなければ、貸してくれなくなってしまう。つまり、「借脳」も「借金」に似て、「お互いさま」が貫かれなければ成立しないということである。
さて、健常者の場合はどうだろうか。社会生活の中では「借脳」が当たり前である。共同体の中で他の人の考えや知識や知恵をお借りして自分の脳の力を強めてゆく。教室の中でも、教師の脳みそはもちろん、学習共同体の仲間の一人ひとりの脳を借りて、知恵や知識や考え方を真似し理解し自分のものにしてゆく。ここに見られる成果は本人の能力のアップである。状況の改善や共同体の成熟度を上げてゆくという課題でもない。仲間から得た知恵は、党外の共同体の成熟度をアップすることには何ら役に立たない場合もある。学習共同体の場合はほとんどそうである。獲得する能力は卒業後社会に入ってこそ発揮される能力であるかも知れない。それこそが学習のせいかであったりする。
「借脳」は状況論(社会的構成主義)では解釈できない「人の行動」である。
もちろん、共同体内部で行われる相互の「借脳」によって、すべての人が等しい能力に到達することもあるかもしれないが、貸し手ばかりではなくて、借り手の素質や心構えによって、得られる成果はまちまちだろうから、均質化するというのは空想にすぎないだろう。個人の能力の成熟は、状況の成熟に結果するにとどまるのではなく、「借脳」によって得た個人の能力は、別の共同体にその個人が移動すれば、前の共同体で強化された能力が移動した先の新しい共同体でも生きてくるのである。このような現実的な説明のほうが、状況論のような説明よりも実際的である。ここでは、ポエティな感傷じみた「解釈」よりも現実をよく説明できるアイディアを大切にしておきたい。感傷じみた言説は、私からみると詩歌の世界だけで十分である。

ところで、かく言う私も「借脳」の力を目いっぱい借りて今日をようやく迎えているのである。多少は借りも返さなければならないし、恩返しもしなければならない。
そのためには、30近い教員生活で持てるものはさらけ出し、学生のみなさんに多くを貸し出している。私が小中高大で借りた他人の脳の力の万分の一程度は返したかなと思えるこの頃である。研究会や学会では、おそらく類似の先行発表は皆無という分野で、ささやかな研究成果を開示して、おおいに借り手を募っている。借りてゆく人も少なくないようで、類似発表がそのあとに続いてくるのである。大変うれしい。引用に私の名前を見付けるとこそばゆいが、とても幸せである。
誰かが、そのうちこの「借脳」という言葉も使い始めるときがくるだろう。「借脳」は、わけがあって、私が創った言葉である。「人は"借脳"の力を持っている」と私は述べた。この言葉を使用する際には、私の名が引用されていることを期待している。じじいの楽しみである。

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琵琶


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組織の不思議 「イノベーションと独創力(5)」--独創力の創り方(24)

2009/09/23
組織の不思議 「イノベーションと独創力(5)」--独創力の創り方(24)

ミニシリーズ「イノベーションと独創力」(全5回)
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1. "イノベーション" は "テクニカル・イノベーション"か
  「イノベーションと独創力(1)」--独創力の創り方(20)

2. まわる、マワる、目が回る~~、官僚用語の"イノベーション"
  「イノベーションと独創力(2)」--独創力の創り方(21)

3. クリステンセンの"Innovator"
  「イノベーションと独創力(3)」--独創力の創り方(22)

4. 組織のイノベーションを阻(はば)むもの、突破するもの
  「イノベーションと独創力(4)」--独創力の創り方(23)

5. 組織の不思議 「イノベーションと独創力(5)」--独創力の創り方(24)
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(1)「イノベーション」と「テクニカル・イノベーション」の違い
ここで、もう一度、「イノベーション」と「テクニカル・イノベーション」の違いを強調しておきたい。
「イノベーション」は、組織(国家や社会、企業、・・・)の飛躍的改革のことである。技術の飛躍的進歩ではない。
「テクニカル・イノベーション」とは、技術の飛躍的進歩である。技術の飛躍的進歩は、そのままでは組織のイノベーションにはならない。技術の飛躍的進歩は、その組織が求める目的をよりよく実現することが評価の対象である。「今までとは違ったものができた」と言うだけでは「テクニカル・イノベーション」とは言わない。「テクニカル・イノベーション」は、組織の飛躍的改革に従属するものであって先行するものではない。技術者は(残念だが)組織の指揮官や事務官に基本的には逆らうことができない。「テクニカル・イノベーション」が、無理解によって潰されたり、トップには理解されても、大きく包む組織の保守性に潰されたりする理由はここにある。
「テクニカル・イノベーション」に内在する「創造性」や「独創性」については、このミニシリーズとは別に後の機会に述べる。
また、このミニシリーズの最後には、「組織のイノベーション(=イノベーション)」と「技術のイノベーション(=テクニカル・イノベーション)」の関係をあらためて整理する予定である。

(2)構造のない組織モデルと構造のある組織モデル
このミニシリーズの前回の記事では、組織を構造のない「半開放系」として扱った。ひとつの組織を「閉じた系」とみなして、外界とはメンタル温度の差に応じたメンタルパワーの入出力だけが許されているという仮定である。閉じた系の中に構造らしいものは見当たらないという仮定がされている。このモデルは飯箸のオリジナルになるものであるがいわば「構造のない組織モデル」に相当する。
飯箸のオリジナルになるものに、もうひとつの組織モデルがある。組織が成立する絶対的な条件は、構成員間または組織な組織間、構成員と組織内組織の間、組織内組織とより大きな組織の間、または構成員と組織内組織やより大きな組織の間に存在する無数の関係(これを影響関係であると喝破した者も飯箸であるが)である。それらの関係を整理して、「構造のある組織モデル」を飯箸が提案している。
飯箸の組織モデルには、「構造のない組織モデル」と「構造のある組織モデル」の2つがあることになる。
どんな場合でもモデルは、現実を抽象化しているので、一つのモデルですべてを表現することはできないことが多い。「構造のない組織モデル」と「構造のある組織モデル」は、光の粒子モデルと波動モデルのように両者があってようやく現実のおおよそを描くことができるのである。「構造のない組織モデル」と「構造のある組織モデル」は現実の組織を2つの角度から見たものにすぎない。2つの角度から見て一つの現実が浮かび上がるのである。
さて、前回は「構造のない組織モデル」を取り上げたので、この記事では、「構造のある組織モデル」を取り上げることにする。

(3)目的のない組織はない
組織というと、目的のある組織(ゲゼルシャフト)と目的のない組織(ゲマインシャフト)に分ける古典的な考え方がある。目的のある組織(ゲゼルシャフト)には軍隊や企業、国家などが分類されていて、目的のない組織(ゲマインシャフト)には家族や地域社会が分類される。これは、近代国家成立の熱意の嵐の中で、軍隊や企業、国家などを至高のものとし、家族や地域社会を見捨てるべき下劣なものとみなす偏向の中で生まれた誤った考えである。家族には、まず、子供を産み育てて一人前にする目的がある。あわせて、構成員の日々の疲れをいやし、次の日の活力を再生させる目的がある。これらを成功させるために地域社会や国家に貢献しその見返りを獲得する目的もある。すべてを兼ね備えている場合もあるし、そのうちの1つまたは2つを備えているにとどまる家族もある。地域社会は侵入者や野獣や自然災害に備えて住民の安全を守り、地域の山仕事や野良仕事、海の共同作業を通じて生活を守る目的がある。地域社会に参加するすべての家族に万一のときがあればこぞって支援し、生存と生活を守りあう目的もある。家族にも地域社会にも目的はあるのである。軍隊や企業、国家などのように努力しなければ思いつきもしないし、そのような観念的目的は忘れてしまいそうな「目的」ではなく、ごく自然な「目的」が無理なく存在しているのである。

(4)組織の不思議-その1(組織は饅頭の箱ではない)
一人の人は、同時に様々な組織に存在できる。組織というものは不思議である。
組織を饅頭の箱のように考えて、そのように説明する人がいる。それは大いに間違いである。
饅頭の箱は、一つの饅頭がある箱に収められると、その饅頭は他の箱にも同時に存在することはできない。饅頭には分身の術というものはない。
ヒトはあたかも分身の術を使うかのように、いくつもの組織に同時に存在するのである。饅頭の箱にはない性質である。
たとえば、あなたが、もし大学生であったならば、あなたは、多くの場合、家族という組織の一員であると同時に大学の構成員の一人でもある。バイト先の居酒屋の一員であって、ジャズサークルのメンバーでもあるかもしれない。出身高校の同窓会会員であって、地元のボランティア団体の一員かもしれない。これらを合わせると、このヒトの場合、一人で6つの組織に属していることになる。よく見てみれば、もっとたくさんの組織に入っているのではないだろうか。
つまり組織というのは、物理的にヒトを箱に押し込めて成立しているようなものではなく、ある意味では心の働き(大脳の働き)で出来上がっているのである。その実態は、ヒトとヒト、ヒトと組織、組織し組織の間に存在する影響関係の持続である。影響関係が持続していると感じている間は、ヒトはその組織にとどまり、影響関係が亡くなったときや断ち切りたいとき、ヒトはその組織を離れるのである。ヒトは様々なヒトや組織と同時に影響関係を持続している。それらが集まって社会を構成するのである。

(5)組織の不思議-その2(人は入れ替わっても組織は持続する)
たとえば、あなたが、もし会社員であったならば、会社と言う組織を観察してみると面白いことに気がつくだろう。社長が交代しても会社は会社である。新しい社長が斬新な方針を示して大車輪の活躍をしていてもあなたの会社はあなたの会社である。新入社員は次々に入ってくるし、定年や中途退社で辞める人も少なくない。30年もすると人はきっとほとんどすべて入れ替わっているだろう。それでも、会社は会社である。
あなたが、もし大学生だったら、大学と言うものを考えてみるともっとわかりやすい。毎年新入生が夢を膨らませて入学してくる。大きな大学ならば数千人~2万人も入って来る。しかし、毎年ほぼ同人数の人たちが社会に巣立ってゆく。4年もすると一緒に入った新入生の大半は卒業している。10年もすれば大学院に進学した者もほとんどが大学を出て行っている。教員のみなさんも流動性が高くて3年もすると半分は入れ替わっている。長く務める方もいるが50年もするとすべてお亡くなりになっているか引退されている。創立100年祭をやった大学は多いだろうし、130年記念式典を準備中の大学もある。人は、何度入れ替わったかわからない。それでも伝統あるわが校はわが校である。別の大学になったわけではない。
クラブ活動で、キャプテンと仲たがいした副キャプテンが辞めて新しいメンバーが入ってくるようなことも少なくない。それでも、伝統あるわがテニスクラブはやめた人の分まで頑張るぞと言いながら続いている。
組織とは不思議なもので、メンバーが入れ替わっても組織なのである。
中身が入れ替わっても継続して存在しているものを「定常流的実在」という。たとえば滝と言うものがある。滝の中の水分子はたちまちのうちに滝つぼに落ち、谷川を流れ去ってしまう。それで滝がなくなってしまうかと言えば「滝」はそのまま存在している。滝の上流からは別の水分子が流れ込んできて滝の水となって落下してゆくのである。滝を構成する大量の水分子は一刻一刻と入れ替わっているのに、滝は滝として存在している。滝は定常流的実在の典型としてよく取り上げられる。
実はこのような定常流的な系はたくさんある。たとえば私たちの体もそうである。体を作っている細胞は次々に死滅し、垢や体内から排出される老廃物となって捨て去られてゆく。しかし、新しい細胞は細胞分裂によって次々に生まれており、補われて成長してゆく。一つとしてとどまる物質はないのに、私は私であり、私を形作った物質が何度入れ替わっても私は私である。人間のみならず、生物はすべて定常流的な実在である。
そして、人が構成する組織もまた定常流的な実在なのである。

(6)組織の不思議-その3(大きな組織は小さな組織の階層的組み合わせからなっている)
組織が成立するためにはいくつかの条件がある。大きな組織も実はよく見るとより小さな組織の組み合わせからできているのである。
ここでは、ある大きな企業H社を考えてみよう。一つのH社ではあるが、よく見れば、事業部に分かれている。家電事業部、重電事業部、電子機器事業部、SI事業部、海外事業部、・・・、と全体で17の事業部に分かれている。事業部は5つの事業グループに分かれていて、5人の常務がそれぞれの事業グループをまとめている。具体的には担当常務が主催して事業部長らがそれぞれのグループごとに朝食会で週一度顔を合わせているのである。人数は常務も入れて3人以上7人までの構成である。事業部はそれぞれに10数の部から構成されていて、部長が10数名ずついる。これらの部長も3つから7つのグループに分かれて部長会を構成している。部長会の会長は互選で選ばれている。それぞれの部を観察すると5~20くらいの課に分かれている。もちろん課長会が存在する。課長会のメンバーは3人以上7人以下である。課の下には「班」または「グループ」と呼ばれる組織があり、班長やグループリーダがいる。5-6人ずつに分けられたリーダ会議が頻繁に開かれている。
「班」や「グループ」は原則として1人のリーダと6名のメンバー、合計7名で構成される。少し人数の少ない3人~6人と言う「班」や「グループ」もないわけではないが2名の班とか8名の班というものは例外的に一時的に作られてもすぐに他と合併されたり分割されたりして3-7名の構成メンバーに修正される。
大きな組織の中には、3-7人からなる小集団が随所に存在し、末端から最上位の社長までの階層構造が出来ている。そここに登場する3-7人からなる小集団こそが単位組織であり、60万年前に人類が獲得した社会化の成果である。血縁の外に、結束する3-7人からなる小集団が成立して初めて群れから村への変貌が可能だったのである。血縁の外で結束する3-7人が複雑に組み合わされて社会は構成されているのである。いったん社会が成立すると社会を理解する頭脳の持ち主だけが社会の中での生存が許されるので、社会を理解しない遺伝子の持ち主は急速に淘汰されたに違いない。
下の組織は、上部に向かって意見を言うことはできるが、上部が決定したことには従わなければならない。上下は権利と義務によって結ばれている関係である。
脇道にそれるが、この組織の構造の中で巧みに評価を得て生きてゆくにはそこそこのソーシャルスキルが必要である。自分の立ち位置を客観的にとらえることが出来て、だれやどの人とつながっていることが公式的には正しいのか、しかし、非公式にはどの人たちと親しくしたほうが自分に有利なのか、時々刻々と変わる組織内地図を理解して立ち位置を微妙に変える人は出世するに違いない。とはいっても実力もないのに高い地位だけを望むものは、たちまち責任が問われて失脚するだろう。実力相応に自分の立ち位置を定めて確保してゆくのが組織人として生存してゆく上での知恵である。この点が理解できない人は周囲から浮いたり、見捨てられたりしてしまう。
いずれにせよ、大きな組織も実は小さな組織の集まりであり、横並びの組織もあるが、上の組織と下の組織の間には大きな権限の差がが存在しているという事実は免れないのである。
いまどき「上の人の言うことはよく聞くんだよ。意見を求められたらしっかり自分の意見が言えなくちゃだめだが、上の人がこうしろと言ったら逆らったらいかん」などと教えてくれる親はどのくらいいるのだろうか。そんなの封建的な考えだって?? 上からの指示に従わなければ業務命令違反に問われるのは今の世に生きる現代のルールである。これがいやならば仙人となって霞を食って生きてゆけばよいのだが、、、そんなことが出来ないのはだれでも承知しているはずである。人はおおむね組織を離れては生きてゆけない。縦の縛りを前提にたくましくも生き抜くのが現代の人の賢い生き方なのである。

(7)組織の不思議-その4(横つながりと縦つながり)
組織を構成する単位組織(3-7人でできている)の中では、自由な意見を言う権利があるが、決定されたことには従うという権利と義務の関係が存在する。決定はリーダによる専断的な決定であっても圧倒的に信頼されるリーダであればこれも許されている。しかし、図抜けて信頼されるリーダがいない場合は、多数の意見に従うというルールが成立する場合もある。これを形式化したものが民主主義の原理(多数決の原理)というわけである。
リーダの集まりである上位組織は下部に多数の単位組織を抱えることになる。リーダたちの組織も事実上3-7名の単位で構成されるので、その配下には9人以上49名が参加している。上部組織で決定されたものは下部組織が従わなければならない。従いたくない場合はその集団から離脱することを意味する。上部組織の上部組織も成立するので、こちらは上限が二千数百名(49×49)となる。その上も、その上も可能性があるので、巨大組織が出来るのである。
この組織の特徴は、意見の収集と決定への服従である。とりわけ危機に瀕してはトップの大号令で、参加している全員が一斉に行動することが出来る形態となっている。村やクニが生存をかけて争いを繰り返した数十万年の間、人はこの組織に身を寄せて自らの生存を確保してきた。結束の力が弱い組織は文字通り一人残らず殺されたに違いない。
自由競争の現代においても事情はそれほどの違いを持っていない。企業は、その人的資源の全体を余すところなく動員してライバルと戦い勝ち抜かなければ生きてゆけない。負ければ、すなわち企業の死につながっている。昔のように全員が即刻斬首されて命を落とすことはないだろうが、自殺する社長もいなくはない。路頭に迷う元社員も多い。企業も生き残らなければ、社員の生存が脅かされるのは同じである。
組織には縦の関係(メタ関係)が必須である。
しかし、社会や組織に内在する関係は、このような縦関係だけかと言えばウソである。
このような縦の関係とは別に人はだれとでもつながるという不思議な性質を持っている。人が同時に多数の組織に属することが出来るという性質はこの「だれとでもつながる」をますます助長する。一人の人がH社の社員として上下関係の中にとらえられているように見えても、高校時代の友人と山岳愛好会を作っていて、企業を超えたつながりを持っていたりする。地元の町会を通じてライバル社の営業部長と仲が良かったりもする。社内にあっても記憶媒体事業部の設計一課第二班の新人T君が重電機機関製造部長の甥だったりして、二人はしばしば職場の垣根とは無関係に会食していたりする。このような関係をネットワーク関係と言うが、この関係の特徴は呼びかけられて賛同する場合はこれに従い、賛同しにくい場合はこれを断ってよいという関係である。つまり、参加する権利はあるが義務はないというつながりのことである。山岳愛好会や町会は義務があるが、これらの活動とは別に知り合いの数名に声をかけてご飯を食べようと誘う会には義務はない。気に行ったら参加するだけでよい。音楽界の飯切符が手に入ったから一緒に行こうと誘われても都合つけば参加する権利があっても義務ではない。このような関係をネットワーク関係という。宗教活動や政治活動は主としてこのネットワーク関係を通じて行われるのである。
組織には「権利と義務」がセットになっている「メタ関係」と、「権利だけ」で義務が伴わない「ネットワーク関係」がある。両者が健全に発達している社会は健全な社会である。片方だけでは社会が硬直して破たんするか、ゆるゆる過ぎて破滅する。ネットワーク関係があれば、常に新しい情報がメタ組織にも取り入れられてイノベーションは進展し、硬直しすぎることが防がれる。メタ組織があれば人の生存が保障されて心おきなくネットワーク活動にまい進することが出来る。
たとえてみれば「メタ組織」は社会の縦軸であり、「ネットワーク関係」は社会の横軸である。両者がなければ社会は成り立たない。

(8)組織の不思議-その5(単位組織成立の条件)
単位組織は、どうしたら成立するのだろうか。
 1)一人は自分のことは自分でできる。
 2)一人は仲間のために一つ以上の貢献ができる。
 3)仲間は互いに助け合う。
 4)組織は上部組織や社会に貢献する。
 5)上部組織や社会からは正当な見返りが得られる。
 6)上部組織や社会から得られた成果を仲間は働きと必要に応じて分配する。
 7)組織は3人以上7人以下である。
これらは、家族の性質を血縁とは無関係に成立させるための原理である。家族と同じように仲間は寝食を共にすればその数だけ親密になる。

組織は、単位組織がメタ関係とネットワーク関係によって結びつけられて複雑になり大きくなる。メタ関係によって組織はヒエラルヒーを強大化し、ネットワーク関係によって柔軟に結び付けられる。現代では、その成長した完成形はほぼ国民国家という名の社会になっている。
イノベーションとは、このように構造を持ちながら定常流的実在でもある組織が、その環境に適合しなくなったとき、内部の組み合わせや目的と手段の総体を大きく変化させることを意味している。組織のリーダたちは、その巨大なムーブメントを先導し、正しく時々刻々のイノベーションを実現することが求められているのである。単に生産技術や商品の規格を変更することではないのである。もちろん生産技術や商品の規格を変えるためには、組織のイノベーションが必要であったり、組織のイノベーションのためには生産技術や商品の規格を変える必要があったりするかもしれない。両者は車の両輪かもしれないが同じものではないということをここでは指摘しておきたい。

ミニシリーズ「イノベーションと独創力」(全5回)
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1. "イノベーション" は "テクニカル・イノベーション"か
  「イノベーションと独創力(1)」--独創力の創り方(20)

2. まわる、マワる、目が回る~~、官僚用語の"イノベーション"
  「イノベーションと独創力(2)」--独創力の創り方(21)

3. クリステンセンの"Innovator"
  「イノベーションと独創力(3)」--独創力の創り方(22)

4. 組織のイノベーションを阻(はば)むもの、突破するもの
  「イノベーションと独創力(4)」--独創力の創り方(23)

5. 組織の不思議 「イノベーションと独創力(5)」--独創力の創り方(24)
----------------------------------------------------

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琵琶


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SIGEDU & 第63回SH情報文化研究会ジョイントフォーラム in滝野川会館--感性的研究生活(52)

2009/09/18
SIGEDU & 第63回SH情報文化研究会ジョイントフォーラム in滝野川会館--感性的研究生活(52)

(1)予想外の盛り上がり
9月18日、北区滝野川会館で、「SIGEDU & 第63回SH情報文化研究会ジョイントフォーラム」が開かれた。
予想外に盛況だった。
実は、事前に参加の申し出のあった方の数は発表者を加えて、SIGEDU側4名、SH情報文化研究会側7名だった。ジョイントフォーラムにしては少しさびしいと思っていたのである。
SIGEDU側の参加者のいつもの様子は、私にもわからないが、SH情報文化研究会はシステムハウス関係者が多いので、この間の不況がかなり響いているのかも知れないと心配した。
しかし、ふたを開けてみると、参加者は20名に達していた。結果としてはこれを超えたかもしれない。
"ビール片手に研究会"というキャッチコピーが効いたのかも知れない。集まった人は結構、キライジャナイ、という人だったような気がする。

当初の予定では、20時までに4名の発表を予定していたが、前夜になってから飛び入り発表者の申し出もあったので、時間の延長をした。
-------------------------------------------------
■ジョイントフォーラム「教育の最前線」■
(ソフトウェア技術者協会教育分科会 & 第63回SH情報文化研究会 共催)
-------------------------------------------------------
1.主催
 SIGEDU(ソフトウェア技術者協会教育分科会)
 SH情報文化研究会
2.開催日時
 2009年9月16日(水) 18:00-21:30
3.場所
 滝野川会館内「滝野川文化センター」3階303集会所
 〒114-0024 東京都北区西ヶ原1-23-3(滝野川会館内)
         tel.03-5394-1230 /fax 03-5394-1231
 JR京浜東北線「上中里駅」下車 徒歩7分
 地下鉄南北線「西ヶ原駅」下車 徒歩7分
 http://www2.wagamachi-guide.com/kita/apps/map.asp?it=0&id=76
 http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/facility/052/005224.htm
4.当日のプログラム
 今回は、会場で初めからビール片手に研究会を行います。
 2次会はそれぞれの自由とします。
 18:00 開会
 (1)矢ヶ部一之
   「大学における、情報リテラシー実習教育の実情と問題点」
   東洋大学、跡見学園大学 講師
 (2)飯箸泰宏
   「べてるの知恵を教育現場へ-君も私も要補完人間-」
   国士舘・慶応義塾・法政・明治大学 講師、サイエンスハウス代表
 (3)成澤一浩
   「拡大教科書の現状と今後の動向について」
   東京書籍印刷株式会社 企画編集部
 (4)平野正喜
   「肥大化した情報処理試験が教育現場にもたらしたものは」
   ランドッグ・オーグ
 (5-1)藤原博文
   「米国のハイグレード・ネット教材」
   タイムインターメディア
 (5-2)中本浩之
   「中小企業のランキング支援」
   彩考
 19:30 閉会・後片付け
-------------------------------------------------------
研究会会費 1000円

(2)あれっ、車イスの参加者
会場にはいつもは熊のように歩き回る人が車イスで参加していて、かなり人目を引いていた。初めての車イスということでかなりぎごちないような、それでいて、案外本人になじんでいるようにも見えた。ぎっくり腰をやってしまったのだそうだが、見た目はかなり元気そうだった。あれは将来に備えた練習だったのか、それとも演技だったのだろうか? えっ、本当だったんですか。

(3)矢ヶ部一之先生の発表
「大学における、情報リテラシー実習教育の実情と問題点」
問題の背景には、入学してくる学生のランクが下がっていることを訴えていた。

(画像はクリックすると拡大します。以下同じ)
1

解決の糸口は、教師個人が対応できることとそうでないことがあることを指摘し、矢ヶ部先生のMy対応を紹介しつつ、大学としての対応も必要とした。
SIGEDUのみなさんは、職場教育のプロではあっても大学教育のことはほとんど知らないので、会場での質問ばかりではなく、休み時間等に個別の討議も行われたようだ。中には、「大学でリテラシー教育なんか必要はないと思う。SIGEDUでは、とっくにそういう結論になっている」と言い始める人もいて、あわてたりもした。それだけ、自由な討議ができたということだろう。

(4)飯箸泰宏先生の発表
「べてるの知恵を教育現場へ-君も私も要補完人間-」
結論から言うと、教授法の現場テクニックには、いろいろあるが、精神障害者のリハビリ施設「べてるの家」の実践を見て、大切な手法のいくつかを発見したり、漫然と行ってきた授業手法の意味がはっきりと理解できたものがあるという報告だった。
北海道日高支浦河町にある「べてる家」については、別の記事で報告したことがある。
北海道、べてるの人々への訪問--その他、シリーズ外の記事

Photo

ここで行われているのは、3つの共同である。
 1)共同の治療とリハビリ
 2)共同の作業(協働)
 3)共同の生活
これらはすべて渾然として一体である。別々に行われているわけではない。
壁に張られた標語は次のようなものだ。
--------------------------------
<べてるの家の理念>
・三度の飯よりミーティング
・安心してサボれる職場づくり
・自分でつけよう自分の病気
・手を動かすより口を動かせ
・偏見差別大歓迎・幻聴から幻聴さんへ
・場の力を信じる・弱さを絆に
・べてるに染まれば商売繁盛
・弱さの情報公開
・公私混同大歓迎
・べてるに来れば病気が出る
・利益のないところを大切に
・勝手に治すな自分の病気
・そのまんまがいいみたい
・昇る人生から降りる人生へ
・苦労を取り戻す
・それで順調
--------------------------------
一つ一つ説明するのは大変だが、要は次のようなことである。
 1)がんばるのはやめよう(健常者ぶるのはやめよう)
 2)自己の病態を徹底的に自覚しよう
 3)協同作業を通じて、傷ついた精神活動を互いに注意しあい訂
   正し合おう
 4)他人の脳を借りよう

 1)がんばるのはやめよう(健常者ぶるのはやめよう)
 ・「迎能チーム」による「べてるのズンドコ節」
  ズンズンズンドコ、ズンズンズンドコ、べてるに来てから、おど
  ろくな、統合失調、うつ・××、リストカットに、・・・。
  ・・・
  <--これが客人に対する歓迎の歌である。
 ・『高校三年生』べてる風替歌
  赤い夕日がべてるを染めて
  支援のごはんを食べるころ
  アーアーアーアーアー
  明るい精神病
  ぼくらグループホームに住もうとも
  自炊している人も たくさんいる
  泣いた日もある へこんだ時も
  SSTやったり 話し合ったり
  アーアーアーアーアー
  明るい精神病
  ぼくら 病気をやっているかぎり
  べてるの仲間はいつまでも
 2)自己の病態を徹底的に自覚しよう
 ・自己病名をつけて、発言する時には常にそれを名乗る。
  (例)
  Mさん(名乗る時は本名) 自己病名 「統合失調症・優越感爆発型
  孫悟空仏の手のひらから逃げれないタイプ」.
  Uさん(名乗る時は本名) 自己病名は「統合失調症・体感幻覚暴
  走型・もう誰にも止められないタイプ」。
  発表者の飯箸さんによれば、べてるの家では健常なボランティア
  支援者もすべて自己病名を持っているのだそうである。飯箸さん
  が自分で自己病名をつけるとすれば「貧乏症・手を広げすぎて収
  拾付かないタイプ」だそうで、受け狙いかもしれないが、思わず笑
  ってしまった。
 ・幻覚&妄想大会
  年に一度、幻覚や妄想の体験発表会を行っている。一番、面白
  い体験をして、楽しく発表できた人には賞状が与えられるのであ
  る。
  飯箸さんが参加したバーベキューの夜に隣り合わせになって話を
  聞くことのできた青年(患者)は、べてるの家に来るまでは幻覚に
  悩まされたが、幻覚が来たらしいことが分かると父親が、「来た
  かぁ、やっつけてやる」と腕を空中でふるってくれると幻覚が消え
  たという体験談を話して一等賞に輝いたのだそうである。しかし、
  その青年がいうのには、「その発表をしてからは、その幻覚を見
  なくなっちまったんですよ。なんだか、人生の生きがいを失っちま
  ったみたいで、さびしいです」ということだったそうである。
  幻覚や妄想の体験発表をするということは、どれが幻覚で妄想か
  を強く自覚することになるので、どんな薬よりも病気にはよい作用
  をするようであった。
 ・当事者研究
  最近始めたのが、これで、当事者がたくさんの仲間の前で、自分
  の病態を克明に分析して見せるのである。もちろん、聴衆も発表
  者も、和気あいあい、本人がひと言いうごとに、会場からは3つも
  4つも突っ込みが飛んでくる。
  幻覚や幻聴、人や環境に対する誤った理解が発表されると、違う
  違う、それはお客さんだという声が飛ぶ。
  「お客さん」とは、脳内に発生してくる妙な考え(妄想)や、幻覚、
  幻聴などのことで、正常でないものが現れたというとらえ方をす
  るものである。
  浦河日赤病院の精神科の医師川村先生は、これを「認知行動
  療法」と呼んでいたが、教科書的な意味での「認知行動療法」で
  はない。べてる式の「認知行動療法」である。
  未知の領域での実践は、理論よりもまず行動ありき、やってうま
  く行くのであれば、後で理由をじっくり考えてみるのがベターなの
  ではあるまいか。
  ☆川村医師のお話では、がんは病名告知が進んでいるので、告
  知しない医師はほとんどいなくなったと思われるが、精神科で
  は、告知しない医師の方が多いのが実情である。少なく見積も
  っても6割の医師は、本人に本当の病名を言わないだろう。ここ
  とは、全く違うのですよ。とのことだった。
 3)協同作業を通じて、傷ついた精神活動を互いに注意しあい訂
  正し合おう
  標語を見れば、はっきり分かることだが、これは素晴らしい。
  ・安心してサボれる職場づくり
  ・手を動かすより口を動かせ
  ・べてるに染まれば商売繁盛
  ・利益のないところを大切に
  彼らの共同作業は、利益追求が目的ではないのである。
  いつでも体調や気分がすぐれないときは、安心して休めなければ
  ならない。福祉労働だから時給200円くらいだが、これを放棄すれ
  ばいつでも休めるのである。
  効率優先ではないから、手を動かすより口を動かせ、昨日体験し
  た幻覚や妄想、人に対する誤解も遠慮なく口に出せば、仲間が
  即座に、そいつはお客さんだぁ、いや、まて、病院に行った方がい
  いぞ、役場に頼みに行けばいい。などどの知恵が飛んでくる。黙
  っていたら、何もわからない。わからないうちに悪化しているかも
  しれない。口に出せば、おせっかいにもいろいろと教えてくれる仲
  間がいる。お医者さんの10分や15分のカウンセラよりも何十倍も
  何百倍も言葉が行き来し、心に定着する。
 4)他人の脳を借りよう
  1)から3)にはそれぞれ目的もその効果も期待できる。しかし、よく
  よく見てみれば、どこにでもあるのは、仲間たちの脳の働きを借り
  ている(借脳する)という共通点である。
  ここに集まっている障害者の人たちは、お医者様の治療も投薬も
  継続している。しかし、カウンセリングを長時間受けられるほど日
  本の医療は手厚くはない。心あるお医者様でも1週間に一度か
  2週間に一度せいぜい10分程度のカウンセリングができるだけだ
  ろう。たいていは、「最近どうですか? ・・・、そう、じゃ、このお薬を
  追加しておくよ」程度の会話しかないだろう。3分医療どころか、
  1分くらいなものである。  
  これを、おぎなって余りある効果がこの仲間の脳の働きを借りて
  自分の脳の不足分をおぎなってしまう方法に存在するのである。
  べてるの家の標語の一つに「三度のメシよりミーティング」という
  ものがある。これは、確かに、どんな職場にも、あるいは形を変え
  て大学の教室でも役立つことではあるまいかと思われる。
飯箸先生は、次のように締めくくった。健常人といえども、100%完全な人はいない。君も私も、補完していただかなければ一人前の仕事はできないのではないだろうか。他人の脳で補完してもらうという考え方とやり方は、学生にとっても学習作業を進めるにあたって、役立つに違いない。
従前から、飯箸先生が取り上げてきた教授手法の一覧は次のようなものだそうである。
下記のうち、「準備」~「強調」の7つは君島さんのテキストにも採用されている。すなわちよく知られているものと言ってよいが、「収彙(word gathering)の法則」以降の17個は飯箸先生の命名らしい。
---------------------------------------------
・準備(readiness)の法則
・効果(effect)の法則
・先行(primacy)の法則
・演練(exercise)の法則
・短時間課題(short time task)の法則
・反復(repetition)の法則
・強調(intensity)の法則
・収彙(word gathering)の法則
・命名(naming)の法則
・因果(causality)の法則
・例示(exemplify)の法則
・類似(similarity)の法則
・対比(comparison)の法則
・比喩(simile)の法則
・作組(grouping words)の法則
・作木(tree making)の法則
・結合(linkage)の法則
・要約(summarize)の法則
・論評(criticize)の法則
・描画(drawing)の法則
・自問自答(pondering)の法則
・会話(convwesation)の法則
・表出(expression)の法則
・会合(meeting)の法則
---------------------------------------------
ここに、今回、次の2つを追加するということだった。
・自覚(self-fault research)の法則
・借脳(others‘ judgments borrowed)の法則

(5)成澤一浩さんの発表
「拡大教科書の現状と今後の動向について」
成澤一浩さんは東京書籍印刷という、教科書会社に付属する印刷会社の企画マンである。
教科書については、弱視の児童生徒をもつ親やそれらの子供たちを支援しているボランティアの皆さんから、教科書会社に配慮がないという非難を浴びてきた。そのため、最近では、文部科学省の方針として、文字の大きな教科書も合わせて製作するようにとの指導が行われて、教科書各社はこれに対応してきたという紹介があった。
単に文字を大きくすればよいかと言えば、全く違うのである。明朝系の文字フォントはゴシック系のフォントにしなければならない。文字の背景は白く抜かなければならない。単に判型を大きくするだけでは、レイアウト上の不具合も出てくるので、すべてページ数も配置もやり直すことになる。大変な労力をかけなければ出来上がらないというわけである。
さっそく、会場からは、なぜ単純に拡大するだけではいけないのかと質問が飛ぶ。文部科学省がフォント(明朝系は不可/ゴシック系にせよ)を指定していること、文字が大きくなってフォントが変われば、改行位置も変わる。ページをまたがっての文章の移動も起こる、表組みはそのままではページに収まらなくなって形を変えなければならなくなるなどの事情が説明された。
聴衆の中で、出版編集のことが分かるメンバーは、私を含めて二人しかいない。
説明を聞いてもピンとこない人ばかりである。会場騒然、最後まで個人用か教室用かは別にして拡大表示システムを配布した方が安上がりのはずだという自説を曲げない人もいた。
ちなみに、対象となる弱視の児童生徒は何人いるのかという質問があった。答えは、文部科学省の説明を引用すれば全国全学年で約600名と言うことだった。
ため息のような声が会場に広がった。
約600名と言っても同じ学年で同じ教科書を使用する子供は、そのうち何%になるのだろうか。障害者にも不便なく授業がとれるようにという目的意識は全員同じくしているものの、大量の編集技能者が動員されるという現実問題の前に、打ちひしがれる思いだった。最低限の補助は文部科学省から支給されるようだったが、・・・。

(6)平野正喜さんの発表
「肥大化した情報処理試験が教育現場にもたらしたものは」
情報処理試験が変更になった結果についての報告である。
基礎と応用と発展という直線で学習が進むことを想定した情報処理試験の体系なのだが、応用と発展の分野が広大なので、新たに導入された「ITパスポート試験」の出題範囲が広すぎて、まともな教科書を作れば1200ページを超えるだろうし、半年の講義では教えきれないという問題が指摘された。
まことにもっともなことである。
情報システムとは、社会システムの補強系である。社会のすべての分野に広がっており、一人のエンジニアがすべての分野に対応するとすれば、社会的活動のすべての分野のスペシャリストにならなければならない。政治、経済、社会、物理、化学、生物、数学、異文化コミュニケーション、・・・、etc.
しかも、コンピュータという道具を使い、電子ネットワークという道具を組み合わせるのであるから、電気も電子も機械も通信工学も知らなければならない。
すべての分野に精通するための基礎を勉強するとは、小中高大のすべてのカリキュラム(学部や専攻を超えて)をカバーしても足りないに違いない。到底無理なことを要求しているのである。
SIGEDUのみなさんにとっては死活問題の大問題である。
情報系人材育成についての国家戦略を抜本的に見直す必要があるという課題が鮮明に浮かび上がった発表であった。

(7)藤原博文さんの発表(飛び入り-その1)
「米国のハイグレード・ネット教材」
日本の大学は、WEB-eLearningに血道をあげているが、あまりにも貧弱である。アメリカの進んだ実態を知るべきであるという内容の発表であった。
取り上げた例は、MITの初級物理学のネット授業である。実際に行われた授業風景をビデオにとって編集してネットにアップしているので迫力が違う。
私が今年やる予定だったネット授業は、小さな誰もいない教室で、空席を相手に講義してビデオ撮りして、それをネットにアップするものというもので、通常の講師のデューティの範囲外なのだが、対価はないというものである。全くのボランティアである。まぁ、モノはタメシだし、お世話になった先生からの頼みだから、喜んでやろうとしたのだが、学内の応募者が非常勤講師2名だけというさびしいものになったので、コースとして成立しないので中止になってしまった。せっかくやりたかったに肩透かしで、今でも大いに残念に思っているのである。
アメリカの大学のネット授業は、そのあたりが全く異なる。高額の報酬と、熱心に取り組めば名誉と社会的評価がついてくる。それはそれは、質が天と地ほども違っても当然かもしれない。
コースのサポート要員の数もひとケタ以上異なるし、撮影スタッフもプロとアマの差があるし、人数も5対1くらいの差がある。機材も異なる。
しかし、どんな良い環境でも、教える人のやる気に左右されるこは間違いない。例に挙がった講義は、パフォーマンス十分なもので、一度見た学生は一生忘れないと思われるようなものである。ちなみに、当該授業は、つぎのURLでみることかできる。

Home > Courses > Physics > Physics I: Classical Mechanics
Video Lectures
http://ocw.mit.edu/OcwWeb/Physics/8-01Physics-IFall1999/VideoLectures/index.htm

Photo_2

アメリカの学生はうらやましい。ついでに、教師もうらやましい。

(8)中本浩之さんの発表(飛び入り-その2)
「中小企業のランキング支援」
ご本人が、すでに特許を申請したもので、 中小企業の救済を目指す仕組みを話した。
さぁ、狙い通り、議論百出である。
類似の勝手にランキングするシステムはたくさんあるじゃないか、かなりいかがわしいけれど。--、いや、公益法人の判定などの機能を取り入れて、公平を期します。
知られていないから中小企業は商売に不利なんですよね。このシステムで知られるようになった中小企業はどうするの。--、有名になった中小企業は名簿から外すなどのルールを追加します。
手数料は取るんですか? --、はい、とります。
質疑は尽きない、気がつくと21時40分になってしまった。終了予定を10分もオーバーしている。
私の奥さんに合図して、ライトアップをお願いする。中本さんも気がついて、続きは、席を変えてというお話になった。
21時45分。めでたくお開き。
平野さんは、私に、来年も合同フォーラムをやろうよ、と言っていた。
もちろん! と私も答えた。

会場のカギを事務局に返したのが21時58分。ギリギリセーフの終了だった。
こんなに遅くまで研究会をしたことは初めてである。

その後、新宿で続きをやった方々もいたようだが、私は帰ることにした。

後で聞くと、買い込んだビールは完売して、飯箸先生から差し入れのあった高級ワインも空。乾きものもほとんどなくなって、缶詰類がことのほか好評だったということである。飲食物を買い込んで会場に持ち込み、みなさんに配布したのは私の会社のアルバイトプログラマのみなさんである。感謝、かんしゃ。
車イスの方は、東京から千葉の自宅まで、タクシーで帰ったそうである。腰も痛かったが、お財布も痛かったとはご本人の弁だった。

△次の記事: 感性的研究生活(53)
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▽前の記事: 感性的研究生活(51)
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琵琶

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出版界のお歴々今年も--交友の記録(54)

2009/09/16
出版界のお歴々今年も--交友の記録(54)

9月9日(水)は、大切な出版界の重鎮たちとの会合20090909が開かれた。
一昨年の会については、このブログにも次のような記事が残されている。
台風到来、大切な出版界の重鎮たちとの会合20070907--交友の記録(19)
この会は、毎年常磐線沿線で行われているのであるが、昨年は松戸で開かれた。今年は、柏である。
会の始まりにぎりぎり間に合うと、入口の受付のところに人が何人か固まっている。あれっと思ったが、会費を払って、自分の座る余地を見つけて座り込むと、何やら大変なことが起きていたことが分かった。出席種のお一人が会費を払おうとしたら財布が見つからないというのである。上野駅の構内で書籍を買ったので、その時は確かにあったという。財布の中には現金2-3万円とカードがあったという。本屋のレジに置き忘れたか、落としたか、その後会場までの経路のどこかで落としたか、それとも手だれのスリにあったのか、、、。ご本人は現金はともかくカードが使われてしまうと大変だと青ざめている。ブックカバーには書店名は印刷してあるが電話番語が書かれていない。携帯でWEBが見れるという参加者がWEBで本屋さんを探し出して電話番号を見つけた。ご本人が電話して店に問い合わせだが、それらしい届け物はないとのこと。ご本人はがっくりとしている。明日一番で、カード会社に電話して止めてもらうことにして、比較的近くに住む参加者から会費は借りて、席に着くことになった。席に着くなり、まずジョッキをグビリとゲン直し。そろっての乾杯はまだしていないが、てんでに始めているので、よかろうという勢いである。まぁ、気を取り直せばいつもの豪気が戻っている。
じゃ、乾杯しようとなって、宴が始まった。恒例の近況報告が席順に行われる。今年は、衆議院議員選挙の直後の開催となったので、話題は、これに集中した。
民主党勝利でよかったんじゃないか、という人、まぁまぁだったんじゃないの、という人が半々。自民党の惨敗を残念がる人は珍しくいなかった。自民党はこのあたりでお灸をすえられてよかったということらしい。中には共産党は反省すべしという人もいた。出版界には共産党支持者が多い。議席が伸びなかったのは、何か問題があったはずだというのが彼の言い分だった。長老格の方が、衆議院議員選挙の結果を、うれしさ8割、心配2割と表現した。その数名後に私の番が回ってきたので、私はうれしさ2割、心配8割と表現した。ご長老と比率で反対の評価をしたのである。他党とともに民主党のマニュフェストにも産業振興策が明確でないことなどを挙げて心配の理由を説明した。そのほか、私がした近況報告は、母の逝去(123)と義兄の逝去(456)のこと、べてるの家訪問(789)のことだった。
べてるの家訪問については、事情があまり呑み込めてもらえなかったようだが、障害者を閉じ込めない方針が採用されているということは分かってもらえたようである。「三度のメシよりミーティング」「手を動かすよりも口を動かせ」などの標語を紹介すると会場はざわめきだって、たくさんの質問が飛んできた。
近況報告が終わるか終らないかのころから、報告したことも報告しなかったことも含めて、聞きに来る方、反対に言いに来る方、てんやわんやとなってくる。70歳代半ばを筆頭に若い方でも50歳くらいである。平均年齢はかなり高い。なのに、ビールのピッチャは次々に運ばれ、2合徳利も途切れることなく運ばれてくる。私は、この勢いに押されたら死にそうなので、中ジョッキを2杯あけた後は、一人でウーロンハイを頼んでその一杯をちびちびと最後までなめていた。みなさんは、なんともお強すぎる。
出版界の厳しい現実も次第にリアルにわかってくる。それぞれの皆さんがかつてお勤めだった会社が倒産した話や、有名出版社の苦境など、聞けば涙が出てくるような話ばかりである。
夜も更けて解散となったが、幹事さんの締めの言葉は「来年もお会いできるように健康には留意して生きていてください」だった。妙に真に迫っていたので、酔ってはいたが、少し背筋が伸びる思いだった。
また、生きて会いましょうね。みなさん。

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琵琶


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雑誌「かがり火」の再開を目指して--交友の記録(53)

2009/09/14
雑誌「かがり火」の再開を目指して--交友の記録(53)

9月6日(日)は、私が顧問をしている巨大なボランティア団体の設立30周年記念式典が行われた。素晴らしい人々の集まりで、やっていることも歴史的に最先端である。
レセプションに呼んだ人だけで1200名という大がかりなものである。
ここのリーダや役員の皆さんのことを書こうとしたら、何万行あっても足りない。
その皆さんのことは、後の機会に譲って、ここで会った雑誌「かがり火」の編集長Sさんのことをここでは書くことにしよう。
地方の街や村の元気な変わり者を取り上げて、交流を図ってきた雑誌が「かがり火」だった。幾度も苦境があったが、なんとか乗り越えてきた。しかし、今年6月、ついに、お手上げである、と宣言した。限りなく廃刊に近い休刊である。事務所も引き払って、残った借金をどうしようと、身近な人たちと相談した。私もSさんとは長いお付き合いである。そのような相談された一人となった。悔しいが貧乏な私は自分の会社のことだけで精一杯である。別の会社を救うだけの力はない。
8月、「かがり火」の全国の読者が青年館に集まって決起集会を開いた。「休刊させるな」「俺たちの読む本がなくなる」「少しなら金も出すぞ」と口々に言う人々だった。
さぁ、カンパを集めようということになった。
しかし、とSさんは言う。ありがたいことだ。1500万円もカンパが集まれば、次の号は出せるだろう。しかし、復刊一号で終わらせることはできないだろうし、継続できるかが問題だ。自分も歳である。編集長はできても、出版社の経営をやる気力体力は足りていない。経営を引き受けてくれるヒトや会社はないだろうか、というのである。
そんな、悩みを聞いた地方の篤志家の一人が、その巨大団体に話をつなげてあげようと言ったのだそうである。そのために、彼は、突然、その巨大団体のレセプションにやってくることになった。私は全く知らなかった。
Sさんは、待てよ、とその団体名を聞いて、私とつながりがある団体であるということに、当日になって気がついた。私に電話をして、合流したいと言ってよこした。私はすでに外出していたので、家内が電話を受けた。Sさんの電話の内容は、家内を介して私の携帯電話に伝えられた。
私は、1200名も入る立食パーティの会場で彼を待ち受けることにした。団体幹部の皆さんにも、事情はよくわからないが雑誌「かがり火」の編集長がやってくると伝えた。
彼は、ホールに入るなり、すぐに私を見つけたらしい。彼を紹介してくれた篤志家は何と事情が生じてやってこれなくなったとの連絡も同時に届いた。篤志家と懇意の役員に引き合わせて、団体トップと名刺交換の段取りも済ませた。具体的なお話はその篤志家が都合のつくときに改めて、団体トップにお話しするということになった。
パーディが始まると、場内は熱気でいっぱいである。今回の選挙で当選した新人議員たちも次々に祝いに駆けつけてくる。料理がふるまわれると、会場はいっそう騒然とする。料理は最近ではほとんどお目にかからないほどの豪華なものだった。昨年は、年商100億円に届かないと言っていたのに、今年は249臆円に達したという。施設管理のお仕事が大きく膨らんだためである。
Sさんとおしゃべりしていると、次々に幹部の皆さんがやってきて、私に挨拶をされてゆく。地方で遭ったことのある人も、近寄って声をかけてゆく。人なつこい人々なのである。
最後には、この団体のテーマ曲を全員が輪になって歌うことになった。私は初めて聞く歌である。どうしようと思ったが、とても優しいメロディで、歌詞カードも渡されたので、ままよと歌の輪に加わった。お隣の神奈川県から来たとおっしゃる素晴らしく元気のよい中年の女性の方の歌を片方の耳で聞きながら、音を拾いつつ歌うとなんとか歌えてしまった。爽快、そうかい。深刻な状況にあるはずのSさんも満面の笑みを浮かべて、歌を終えた。
会は締めくくりの儀式がまだ続いているようだったが、退散することにした。帰りの電車の中で、また、復刊に向けたいろいろな方策を話し合った。地方の人々を結びつけるということなら、私のゼミ生の「お祭りネット共和国」だってコラボが可能かもと思いつきを話したりもした。間もなく秋学期は始まる。ゼミの学生らに真っ先に相談してみようと決意した。

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琵琶


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ご当地同窓会20090905--交友の記録(52)

2009/09/12
ご当地同窓会20090905--交友の記録(52)

今年も、9月5日、地元の同窓会がやってきた。

ご当地同窓会20070908--交友の記録(22)

恩師の末永先生もいらしていた。母が亡くなったことなどをお話しようかと思ったが、せっかく華やいだ会場にふさわしくないので、そのことには触れないことにした。
こんにゃくとガンモドキとシイタケの煮込みなど、いつもながらうまい。
最近、飼い犬が亡くなった家の奥さんも来ている。もちろん同級生である。大きなワンちゃん(コールデンリトリバー)が今年相次いで2頭亡くなってしまった。我が家の愛犬様とも仲が良く、私にもよくなついていた。散歩のとき、この奥さんのお兄さんがよく連れて歩いていたが、我々を見つけると、大きなワンちゃん2頭が足早にこちらに近づいてくる。私たちの前でちょこんと座ると、私のなぜなぜと我が家の愛犬様のいささか品に欠ける野性的なクンクン攻撃を嬉しそうにいなすのだった。亡くなったの? 可哀そうに。あちこちから声がかかる。街(昔の村)中から愛されていたワンちゃんたちだったのだ。
久しぶりの人たちがたくさんいる。歌自慢がカラオケ全開である。
先ごろ行われた選挙の話も盛り上がる。だれに入れた? いつもの自民党には入れなかったよ。初めて××党に入れたぞ。俺は、困った挙句に、どうせ当選しない み××の党にいれたよ。棄権よりはいいだろう~。いろいろな声が飛ぶ。庶民の選挙に対する態度はあっけらかんとしている。
この会は、夜明けまで続くのである。私の体力ではもたないのだ。
気がつくと、11時、息子を呼んで車で迎えにこさせた。幹事の安蒜君×2名(地元には安蒜姓が多い)が外まで追いかけてきて、来年はバス旅行を企画するからよ、参加しろよ、と念押し。はいはい、と答えつつ、時間と体調が許すかなと、内心で思う。ままよ、行けるときは行こう。ダメなときはごめんなさいと謝ろうと思い描いた。
気兼ねのいらない皆との集まりが最高だな、また、会おう。

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なぜか、デザインを変更--その他、シリーズ外の記事

2009/09/10
なぜか、デザインを変更--その他、シリーズ外の記事

9月9日、思い立って、鐘の声ブログのデザインテンプレートを変えた。
デザインテンプレートの変更は2度目になる。
最初は、朱色のヘッダーだった。その後は、和風の渋い色調のテンプレートを長く使っていたが、重いテーマが多いこともあって、重苦しい、といわれることが次第に多くなっていた。
歳はとった(当年63歳)が、見かけだけでも少々若く見せようという心境の変化かも知れない。
しばらくは、今回のテンプレートを使うが、もとに戻すこともあるかもしれない。まったく異なるデザインに変えることもあるかも知れない。
筆者のわがままをお許しください。
デザインテンプレートにご意見のある方は、[→連絡先]にご一報ください。ご意見をいただいても、ご返事は差し上げませんので、あらかじめ、ご了承ください。いただいたご意見は、次回、気が向いてデザインを変更する際に参考にさせていただきます。

琵琶


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恐縮です、筑波からわざわざモツ焼き屋に、JOBANS--交友の記録(51)

2009/09/08
恐縮です、筑波からわざわざモツ焼き屋に、JOBANS--交友の記録(51)

9月4日のことである。筑波大学国際関係学類の君島浩先生を含む4名でのJOBANSが当日突然開かれることになった。
実は、来る9月16日、SIGEDU(ソフトウェア技術者協会教育分科会)と私が主催するSH情報文化研究会がジョイントで「教育の最前線」というフォーラムを開く予定になっている。
以前から何かと交流のある研究会同士なのだが、扱っている内容はかなり違う。SIGEDU(ソフトウェア技術者協会教育分科会)のみなさんは、インストラクショナルデザイン論に特化した研究普及活動をしていると言ってよいだろう。方や、SH情報文化研究会はITに関係する一切の文化的話題をその時々の興味で取り上げているので、教育だけがテーマというわけではないし、ましてやインストラクショナルデザイン論に特化しているわけでもない。
メールで会話を進めるとかなりの異文化であることがよくわかる。その異文化交流こそ、学問や技術や文化の発展の最大のチャンスがある。私は、両者の違いを大いに楽しもうと心に決めた。
SIGEDU最強の突っ込み名人と言われる君島浩氏とは心が通ずるので、討論はしやすい。活発で中心的な会員である米島博司氏(N社系列の企業勤務)も突っ込みを入れてくる。SIGEDUのメーリングリストの中で、メールは激しく行き来した。
たまたま、話題が学生たちの社会性の問題に及んだ時、私のこのプログの記事を紹介した。
モチベーションを育てる、涙ぐむ--心理、教育、社会性の発達(17)
この記事への反響メールの一つを以下に抜粋する。
----------------------------------------------------
文章量が多いのですっ飛ばし読みしようと思いましたが、
気になるのでじっくりとリンク先も読ませていただきました。^^;
このM大学の学生たちとH大学、K大学の学生たちと比較してどうかと
いう分析も興味ありますが、
少なくとも大学に来て初めて個人と社会のかかわりの話を聞いて涙するというのは
冗談では済まされませんね。
犯罪被害者が過去にこうむった辛い経験を思い出してなみだぐむというような
光景を思い浮かべます。
教育の場で反自然的な心理を教えてきた関係者、直接的にも間接的にも加害者は
反省すべきですね。いやそれを許している社会全体が反省すべきです。
といっても無理なので^^;気づいた人が根気強く訴え続けるしかないです。
企業は、受験はありません。
個人のパフォーマンスもさることながらそれをベースにしたチームワークが
生き残りの源泉です。
ということは学校を出て会社に入ったり、社会に出て初めて子供たちは救われているのでしょうか。
当然の理屈を紹介しただけで学生が涙ぐむなどと、
あってはならないことだと、こちらこそ涙ぐみたくなりますね。^^;
人と社会のかかわりの真理をクールに学ばせる、
いいなぁ。最高です!
----------------------------------------------------

次が、私のご返事メールである。
----------------------------------------------------
メールありがとうございます。
しかも、私のブログ記事を読んでいただいたようです。なんとも長文すぎると評判の悪い記事を読んでいただいて、恐縮しています。
> ということは学校を出て会社に入ったり、社会に出て初めて子供たちは救われているのでしょうか。
はい、優良な、ゆとりのある企業に入った学生は救われていると思います。卒業生たちに代わって御礼申し上げます。
ただし、最初は飲み会に誘われて、戸惑ったり、毛嫌いしたり、残業代も出ないのに帰らせてくれないと怒ったりしているようです(^^);/。職場が干渉がましくて一人で仕事ができない不満を抱く者もいるようです。しかし、メールで、そんな悩みを言ってくるのは最初の数カ月、夏も過ぎれば、たいていは「いい人達ばかりの会社だから、仕事はいまいちだけどやめられないっス」なんて言ってきます。そこまで待てなくて、退職してしまうアンマッチ退職さんは、転職してもすぐにやめてしまうことになり、ニートまっしぐらです。特定の職種にアンマッチだったのではなく、彼らは社会的組織(企業組織など)にアンマッチだったのです。
例のお店で続きをやるのが早いか、今度のフォーラムのほうが早いか、???
----------------------------------------------------

というわけで、続きはオフでやろうというノリになった。集まるのは、常磐線沿線のモツ焼き屋さんである。だからその集まりの名をJOBANSというのである。
一番乗りは一番遠い君島浩先生(62歳、早生まれなので、63歳の私とは小学校入学は同年のはずである)だった。次は私、続いて米島博司氏。一番遅れてやってきたのは篠崎氏である。当日声がかかってこれだけのメンバーがすぐに集まるというのもすごいことだ。よほどの議論好きなのか呑み助なのかなのであろう。あっ、ごめんなさい。それは私でした。
君島浩先生のお話は面白い。自衛隊の経験があるので、軍略論に話が及ぶ。私の家系は水戸藩に仕えた飯箸柳剛流道場主(柳武館館主)で水戸藩の江戸屋敷剣術指南であった。実践剣法と紹介されることが多いが、要は当時の軍事スペシャリストなので、軍略家でもあったのである。ご先祖譲りの軍略論を下敷きに君島先生のお話を聞くと愉快この上ない。
そのうちやってきた篠崎氏や米島氏が加わると本来の教育論の嵐である。刺激がいっぱいで、私はオタオタのし通しである。
君島先生は10時半ころ終電を気にしながら帰ったたが、私は他のみなさんと一緒に残って11時半ころまで飲み食いしていた。飲みかつ議論することの快感は、何事にも替えられない楽しみである。篠崎氏と米島氏は、さらにその後も続けていたらしい。まぁ、お元気なことである。

来る9月16日に予定されているジョイントフォーラムは、下記のとおりである。どんなことになるのか、楽しみである。
しかも、(内緒だが)フォーラムでは会場で最初からビールの栓が抜かれて、ビールを片手にお話をしたり聞いたりする予定である。議論は暴走しそうだなぁ、と今からいささか心配で楽しみでドキドキである。

=============================================
SH情報文化研究会&SIGEDU ジョイントフォーラム
 ソフトウェア技術者協会 教育分科会 9月月例会
 & 第63回 SH情報文化研究会
=============================================
「教育の最前線」
■ 日時: 2009年9月16日(水) 18:00-20:00
■ 場所: 滝野川会館内「滝野川文化センター」3階303集会所
 〒114-0024 東京都北区西ヶ原1-23-3(滝野川会館内)
         tel.03-5394-1230 /fax 03-5394-1231
 JR京浜東北線「上中里駅」下車 徒歩7分
 地下鉄南北線「西ヶ原駅」下車 徒歩7分
 http://www2.wagamachi-guide.com/kita/apps/map.asp?it=0&id=76
 http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/facility/052/005224.htm
■ 話題提供者とテーマ(発表順未定・敬称略):
 今回は、ビールを片手に発表会といたします。
 SH情報文化研究会
  矢ヶ部一之「大学における、情報リテラシー実習教育の実情と問題点(仮)」
   東洋大学、跡見学園大学 講師
  飯箸泰宏「べてるの知恵を教育現場へ-君も私も要補完人間-」
   国士舘・慶応義塾・法政・明治大学 講師、サイエンスハウス代表
 SIGEDU
  成澤一浩「拡大教科書の現状と今後の動向について」
   東京書籍印刷株式会社 企画編集部
  平野正喜「肥大化した情報処理試験が教育現場にもたらしたものは」
   ランドッグ・オーグ、作家・講使
■ 幹事: 平野正喜・飯箸泰宏
■ 参加費: ¥1,000
※参加者は事前に幹事までお知らせください。会の趣旨からお断りすることもあります。
※フォーラム終了後、有志による懇親会を開催します。(別途実費)
=============================================

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琵琶


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組織のイノベーションを阻(はば)むもの、突破するもの 「イノベーションと独創力(4)」--独創力の創り方(23)

2009/09/01
組織のイノベーションを阻(はば)むもの、突破するもの 「イノベーションと独創力(4)」--独創力の創り方(23)

ミニシリーズ「イノベーションと独創力」(全5回)
----------------------------------------------------
1. "イノベーション" は "テクニカル・イノベーション"か
  「イノベーションと独創力(1)」--独創力の創り方(20)

2. まわる、マワる、目が回る~~、官僚用語の"イノベーション"
  「イノベーションと独創力(2)」--独創力の創り方(21)

3. クリステンセンの"Innovator"
  「イノベーションと独創力(3)」--独創力の創り方(22)

4. 組織のイノベーションを阻(はば)むもの、突破するもの
  「イノベーションと独創力(4)」--独創力の創り方(23)

5. 組織の不思議 「イノベーションと独創力(5)」--独創力の創り方(24)
----------------------------------------------------


(1)技術革新はしばしば組織の壁につぶされる
技術革新がうまく行けば組織のイノベーションもうまく行くという誤解は多い。技術革新がイノベーションのことだと思ってしまう"とんでも"さんがいるのが混乱の元であるが、技術革新はあくまでも「テクニカル・イノベーション」であって、イノベーションではないのである。
「イノベーション」とは、もともと国民経済の基盤である国家規模の社会経済体制の内的な飛躍的進化のことで小さな組織の進化のことことではなかった。ましてや技術革新ではなかったことは、これまでも述べてきた(123.)。
さて、ここでは、社会も「組織」であるという抽象化を行う。企業もボランティア団体も行政組織も趣味のサークルも「組織」である。組織はより小さな組織の組み合わせによって大きな組織にもなるという構造をしている。この社会の構造モデル(社会のモデル by 飯箸)は、すでに何度か掲載してきているが、このミニシリーズの後の記事の中でも触れることにする。
技術革新がうまく行っても組織のイノベーションがうまく行くという保証はない。技術革新の提案は、どんなに良いものであっても、しばしばわからず屋の大群の前に敗退してしまう。技術革新と組織のイノベーションは別物なのである。

(2)組織の保守性はどこから来るのか
新しい提案は、技術革新の提案であろうと経営方針の提案であろうと、組織にとっては基本的には同じである。どんなに良い提案でもこれに抵抗することも多い組織の保守性とはどこから来るのだろうか。
組織はその外とのいわば「温度差」で生きられたり死んだりするのだが、外界の温度のほうが高ければ黙っているだけでエネルギーが流れ込んでくる。外界よりも自己の温度が高かったらエネルギーは流出するばかりである。努力しなければ生き残れない。自己の温度を下界より下げて過ごせば楽なのである。
志の低い組織は、生き残り安く、志の高い組織は生きにくいのである。
志の低い集団は物も言わずに生き残る--感性的研究生活(10)
このような事実は、数式モデルで説明ができる。
飯箸泰宏、メンタルパワーモデルによる組織の局所安定領域、情報コミュニケーション学会第3回全国大会発表論文集、pp.43-44(2006)
以下には、この2006年の学会発表の内容に沿って、組織の保守性、志の高い集団が生き残る方法、鎖国政策がかろうじて成功する理由なとについて解説する。

(3)問題意識
まず、組織とは定常流的実在で有り、きわめて危ういバランスの上で維持されていると考える。
崩壊しそうな組織もたくさんある。企業・大学・諸団体にとって、最強の組織であり続けることは焦眉の課題である。無自覚の組織崩壊は被害が大きい。
しかし、えてして、組織は無自覚のうちに崩壊の危機に直面する。リーダの任務は、組織の局所安定領域を見極めて、必勝の陣形を常に再構築することである。
局所安定領域は常に複数存在する。必勝の局所安定領域はどこか、座して死ぬ局所安定領域にその組織は嵌っていないか。脱するにはどうすべきか。
というのが、問題意識である。

(4)メンタルパワーモデルの提案
組織とは定常流的実在であり、きわめて危ういバランスの上に存在している。
人と人のつながりの上に作られていながら、その要素たる人は他の組織にも同時に所属しているし、その上、脱退したり、新規に参加してきたりもする。
生き残る組織もあるが崩壊する組織も多い。従来言われてきた強さ、硬さ、大きさという尺度だけでは、生き残る組織を見つけることは困難である。
開放系の熱力学に習って、熱量に対応するメンタルパワーという「量」を導入することによって、組織の局所安定領域を発見することができることをここでは示すことにする。

(5)”湧出なし”のモデル(モデル1)の場合
 a)このモデルの説明
組織Oの中に、ある”志”のグループがあるとする。単純のために、モデル1では、”志”が高いが、常に知が湧き出してくる源泉(thought leader)のようなものはないと仮定する。

(画像はいずれもクリックすれば大きく表示される。以下同じ)
Photo

そのグループのメンタルパワーの総量をPとする。
メンタルパワーPは一般に次のようにあらわされるものとする。
1
任意の”志”グループを取り上げ、グループ間の干渉がないと仮定すると
2
ここで、
3
と仮定する。
この仮定によれば、メンタルパワーが大きければ、組織率が1に近づく。すなわち100%に近づく。メンタルパワーが小さければ、組織率が0に近づく。すなわち0%に近づくと考える。
 b)時間がたつと組織率はどんなふうに変化するか
ρOはO内の比メンタルパワー伝達速度。ρO ≧0と仮定できる。
実数の範囲で(1)、(2)から、組織率 を求めると次のようになる。
0≦C≦(1/4)
q について解くと
5
q < 0 はありえないので、q ≧ 0 のみを考える。
時間 t → ∞ の場合を求めると、以下のようなグラフが得られる。
1_2
 c)結果の解釈
・孤立する組織や社会(グラフ中央の縦線部分)は、安定する可能
 性がある。
 ある意味で、鎖国政策は成立する。一定の組織率に終息し安定
 化する。
・周囲よりも”志”が高い組織または社会(グラフの左半分)は一時
 半分を収めることが出来ても、常に破綻する運命にある。
 正直者のロバは疲弊し、良貨は悪貨によって滅ぼされる。
 →”志”が高い組織または社会が生き残るには、モデル2をまた
   なければならない。
・周囲よりも”志”が低い組織または社会(グラフの右上)で、初期に
 過半数を占めているグループは、全員を一つにまとめることに成
 功する。「過半数を超える抵抗勢力」はモノも言わずに生き残る。
 犯罪者だけの集団、不良グループは放置されれば安泰である。
・周囲よりも”志”が低い組織または社会(グラフの右下)で、初期
 に過半数を占めていないグループは、かならず、消滅する。善良
 な市民の前に引き出された犯罪者集団、不良グループは解体す
 る。

(5)”湧出あり”のモデル(モデル2)の場合
 a)このモデルの説明
モデル1の(1)式にメンタルパワー湧出の項を追加する。これは、常に知が湧き出してくる源泉(thought leader)が存在することを意味している。
6
 b)時間がたつと組織率はどんなふうに変化するか
この場合も同様に時間 t → ∞ の場合を求めると、以下のようなグラフが得られる。
2_2
 c)結果の解釈
まず、モデル1との大きな違いは、次のとおりである。
・メンタルパワーの比湧出率が、環境から影響を受ける割合より
 も大きい場合 (赤丸の部分)は、”志”が高い組織または社会
 が生き残れることを示している。
 すなわち、周囲よりも”志”が高い組織または社会であっても、
 メンタルパワーの比湧出率が環境から影響を受ける割合よりも
 大きい場合は、生き残れることを示している。
 この場合、正直者のロバは報われて、良貨は悪貨を駆逐する。
 悪のthout leqaderが出現すれば、それも安定化につながるこ
 とにも注意は必要である。
そのほかの特徴は以下の通りである。
・孤立する組織や社会(、グラフ中央の縦線部分)は、安定する
 可能性がある。
 ある意味で、鎖国政策は成立する。
・周囲よりも”志”が低い組織または社会(グラフの右上)で、初期
 に過半数を占めているグループは、全員を一つにまとめること
 に成功する。「過半数を超える抵抗勢力」はモノも言わずに生き
 残る。犯罪者だけの集団、不良グループは放置されれば安泰
 である。
・周囲よりも”志”が低い組織または社会(グラフの右下)で、初期
 に過半数を占めていないグループは、かならず、消滅する。善
 良な市民の前に引き出された犯罪者集団、不良グループは解
 体する。
・メンタルパワーを常に湧出させるとは、リーダが優れて知の開拓
 者であるか、メンバーが環境から良く学び、知を作り出して共有
 する力を持っている場合のみ可能である。

(6)組織(社会)の維持に不可欠なもの
上記の2つのモデルの結果をみると高いモラルを組織が維持するのは、志を常に湧出する人々の存在が不可欠であるということである。
それでは、組織のイノベーションは、いかにして実現するのだろうか。
このモデルの結果は、そのことを直接示していない。せいぜい、志を常に湧出する人々がいなければ、外界の温度以下に押し下げられ、周囲よりもモラルの低い集団としてその残骸をさらし続ける以外にないということである。そのような低モラル組織にイノベーションの機会は生じないし、イノベーションを興そうと熱意をもつ一定数の人々が生まれたとしても、最初から過半数になることなどは考えにくいので、たちどころに周囲から熱を奪われてその支持を失い少数派になり、やがて消えてゆく運命にあることを示しているのである。
たとえ、外界よりもモラルの高い組織であっても、一層の高みに自己の組織を飛躍させるのは容易なことではない。一層の高みに自己の組織を飛躍させようとするイノベータたちが、多数派にならない限りは、志の高いそのインフォーマルグループはたちまち解体の危機にさらされ、熱を奪われ、組織の補償能力(埋め合わせ能力)によって闇に葬られてしまう。
組織の熱い壁に阻まれて、臍をかんだ経験は、誰でも一度や二度あるものだと思う。
志の高い少数者が、多数者になるとき、組織のイノベーションは成功する。
これは技術の優劣とは無関係な事実なのである。

(7)組織破断の場合
このメンタルモデルを用いると、強引なリーダーシップは、組織の破断を引き起こすこともはっきりと示すことができる。
この点については、上で取り上げた発表論文に先駆けて発表された資料に基づいて解説する。
飯箸泰宏、『組織破断限界シミュレーションの試み』、SH情報文化研究会・明治大学情報科学センター共催、2005.12.10

(8)二グループモデル(モデル3)
モデル1、モデル2は、組織の中の1つのグループに着目したモノだったが、ここでは2つのグループの存在を扱うことにする。
2_3
 a)二グループモデル(モデル3)の数式表現
簡単のため、二グループはその周囲とのみ影響しあい、直接の二グループ間には影響関係がないと仮定すると次のような数式表現が可能である。
2_4
 b)二グループの共存領域
2つのグループの組織率qb, qaは足しても高々100%を超えないので、ブルーの網の範囲となる。
2_5
 c)二グループの共存領域をメンタルパワー空間に射影する
組織率はヒトの心にどのような印象の強さを与えているのだろうか。メンタルパワーを軸にとって二グループの共存領域の写像を生成すると、以下のようになる。射影は「a)二グループモデル(モデル3)の数式表現」から得られる。
2_6
 d)誤った強引ターダシップ
若くして社長に就いたベンチャーの雄などにありがちになことだが、組織が誤った戦略(b)の中にいることに気付いた時、心に映る組織率のインパクトのままに、これを是正しようと強力な指導力を発揮しようとするとどのようなことが起こるだろうか。
下の図を見ればわかりやすいかもしれない。今我々は、左上の矢印の起点、すなわち組織が誤った戦略(b)の中にいると仮定しよう。
Photo_2
心に映る目標は右下の矢印の先端である。矢印の起点から矢印の先端に一直線に進みたくなるのは、急いた心には当然である。しかし、ブルーの網の部分は組織率からみて社内で組織を分け合うことのできる領域であるが、中央から右上に広がる白い部分は、「a戦略支持者の組織率」と「b戦略支持者の組織率」を加えると100%を超えるあり得ない領域である。実際この領域に突入しかけるけることは組織においてはしばしば発生する。・・・外部勢力を引き入れるということである。こうなるとその組織は泥沼であり、分裂と停滞は避けられない。通常は組織破たんである。売り上げは十分あるのに、否、十分あるからこそ、組織の内紛で会社倒産に至るというのは、この白い領域に突入することによって起こるのである。
矢印の起点から矢印の先端に一直線に進むと、ややっ、赤くは焦れたマークの付いている部分で白い部分に飛び出してしまう。組織の破たんである。
誤った「b戦略支持者の組織率」が過半数を超えているときには、強引なリーダシップは組織破壊につながるのである。こんな時、外野は「リーダは無能だ」というのだが、本当に無能で手をこまぬいているだけのリーダである場合と、矢印の先端に迂回してでも到達しようと腐心している老獪な社長の場合とがあるのである。
 e)老獪な社長
上記のような組織破断の危機に瀕したとき老獪なリーダは、どんな手段をとるだろうか。
方法は2つある。
 1.「a戦略支持者」だけで作る「社長企画室」や「社長戦略室」を創
  る。
  こうすれば、「社長企画室」や「社長戦略室」の中だけを見れば、
  「a戦略支持者」が少数派になることはない。徐々にその周辺
  に「a戦略支持者」を増やして、全社の意見を「a戦略支持」に変
  えてゆこうというものである。
  今回の新政権が設立を企図している「国家戦略室」は政治行
  政改革のための同様の戦術である。
  場合によっては、「社長企画室」や「社長戦略室」ではなくて、
  全く別の会社にしてしまうことも考えられる。子会社や別会社を
  作ったり、「a戦略支持」にふさわしい別会社を買収してしまうこ
  ともある。
  このような「社長企画室」や「社長戦略室」、子会社や別会社を
  「舵の舵」、トリムタブにたとえることもできるだろう。

 2.百花争鳴を創る
  2つのグループが張り合っていたら、多勢に無勢、多勢の「b
  戦略支持者」に「a戦略支持者」は負けてしまう。そこで、老獪
  な社長は、a案、b案ばかりではなく、c案もd案も、無限にたく
  さんありうるだろう案をできるだけ数多く検討しようと提案す
  る。
  場合によっては専務や常務にもよく言い含めて協力を願う場
  合がある。
  専務はc案、常務はd案という具合である。
  さまざま意見が出て、意見発表会で堂々の発表がたくさん出
  るようになったころ、各案の組織率はすべて過半数に達して
  いない状態になっているはずであり、そうなるように仕向けな
  くてはならない。
  そのころ合いを見計らって、老獪な社長は、「今こそ、我々
  は、a案にて全力で進むべきである」という大号令を発するの
  である。
  他に多数を占める別案がなければ、小異を捨ててリーダに
  従うのはヒトの正常な心の働きである。
  かくして、老獪な社長は成功するのである。

(9)組織のイノベーションの成功条件
組織は微妙なバランスの上に成り立っている。機械やブロック塀のように固定されたものではなく、定常流的実在である。
組織がイノベーションに成功する条件は、私が考え付く限りでは、次の2つである。
・不断に学習し、志が途切れることなく湧き出すモラル創造的組織であること
・短絡的リーダではなく、若々しい頭脳と老練な手腕をもつリーダが組織を正しく導くこと(トリムタブを利用すること、または、百花争鳴を現出させること)

「イノベーション」と「テクニカル・イノベーション」の違いを説明しようとずいぶん遠くまで来てしまったが、イノベーション=組織のイノベーションとはどんなものか、お分かりいただけただろうか。

ミニシリーズ「イノベーションと独創力」(全5回)
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1. "イノベーション" は "テクニカル・イノベーション"か
  「イノベーションと独創力(1)」--独創力の創り方(20)

2. まわる、マワる、目が回る~~、官僚用語の"イノベーション"
  「イノベーションと独創力(2)」--独創力の創り方(21)

3. クリステンセンの"Innovator"
  「イノベーションと独創力(3)」--独創力の創り方(22)

4. 組織のイノベーションを阻(はば)むもの、突破するもの
  「イノベーションと独創力(4)」--独創力の創り方(23)

5. 組織の不思議 「イノベーションと独創力(5)」--独創力の創り方(24)
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△次の記事: 独創力の創り方(24)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2009/09/5--24-d96d.html
▽前の記事: 独創力の創り方(22)
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琵琶


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