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3月23日、野津憲治教授の最終講義--交友の記録(55)

2010/03/24
3月23日、野津憲治東大教授の最終講義--交友の記録(55)

野津憲治君は、東京大学理学部化学教室の同級生である。この年代の者で学内の教授になった者は多くない。厳密にいえば、濱口宏夫教授と野津憲治君の二人だけである。山下雅道君は、宇宙航空研究開発機構の教授だが、もともとこの機構は、おおざっぱに言うと東大航空宇宙研究所が発展したものなので東大教授のようなものではあるので、加えてもよいのかもしれない。もちろん、他の大学や研究機関で、教授または教授相当(主任研究官など)になった者は多い。
東大教授になりにくかった世代というのか、なり手が敬遠していた世代と言うのか、人によって言うことは異なるだろうが、とにかく貴重な存在であることには間違いがない。

本郷キャンパスに来るのは久しぶりである。出版社勤務時代は取材先であり、ニュースソースの宝庫として足しげく通ったし、大学に戻って情報科学研究室に所属していたころは毎日通っていた。システム会社を作ってからも、会社がすぐそばにあったのでしばらくはよく通った。しかし、会社が現在地に移転してからの十数年は同窓会でもない限り足を踏み入れることがなくなった。
キャンパスには早い時間に到着していたので、会が始まるまでの間キャンパス内を散策した。美しい立派な建物が目につくが、当時からある古い建物もまだ残っている。
時計を見るとまだたっぷり時間がある。昼時である。そうだ、学食に行ってみよう。
第二学生食堂、、、化学教室に近い学生食堂である。実は学生時代は、小遣い銭があれば、ほとんど大学周辺の学生向けの定食屋さんか、お蕎麦屋さんか、カレー屋さんに通っていた。第二学生食堂に入った記憶は1-2度しかない。かすかな思い出をたどるように建物に入る。建物自体は昔のままではある。以前よりは清掃が行き届いて清潔感はあるようだ。
二階に向かう階段をゆっくりと登る。若い学生が軽い足取りで私を追い抜いてゆく。私がいかに歳をとったのかをはっきりと思い知らされた一瞬だった。入口には、色とりどりのサンプルも並んでいる。お料理を一品ずつバランス良く選べば、そこそこの食事ができそうだった。品ぞろえは昔と大違いである。私は、昔のままの学生の気分でビーフカレーと菜の花のおひたしだけにすることにした。合わせて460円也。お安い。昔よりもルーの味は格段に良くなっているが、具はお値段相当というべきか。まぁ、コストパフォーマンスは上々ではあった。店内を見回すと、学生らしき若い男女のほかに大学の教員、職員、海外からの研究者らしい人たちもかなり交じっていることに気づく。なかなかの盛況である。イスラム教徒も食べられるメニューも用意されているらしく、そのような張り紙も出ていた。

午後2時、開場の時刻に合わせて、昔の理学部の事務棟のあったあたりに作られた新しいビルの2階の小柴ホールに入る。会場は開演前の準備があわただしく進められていて、野津憲治君も壇上で司会の長尾先生と打ち合わせ中だった。私が会場に入ると、目ざとく彼は私を見つけて手を挙げる。私も手を挙げて応えた。年末に私を訪ねてきてくれた時よりもさらに少し痩せたかもしれない。
私たちくらいの年になれば、いくつかの病気を抱えていても不思議ではないし、私も自分の病気となんとか折り合いをつけながら付き合いつつ10年以上生き続けているのだが、彼にも抱えている病気がある。
今回の最終講義は、いわば病を押しての晴れ舞台である。緊張のほかに少しばかり悲壮感が顔に表れている。昔から皮肉屋でひとひねりしたモノ言いを得意にしていた彼が、年末の会食ではやけに素直だったのが、むしろ気になっていた。病気が少しばかり深刻なのかもしれない。内心、心配が募るが、見守るしかできない。
席に着くと、左の席には元電力中央研究所の大隅多加志君が座った。同じ研究室の後輩である。私の兼務社長の名刺を手渡して、私のところで免許を取るようにと「営業話」をして、盛り上がった。地元が近いのである。彼はクルーザは乗り回すくせに自動車の運転免許を持っていないのだ。
やがて、右手には同級生の廣田洋(横浜市立大学大学院総合理学研究科大学院客員教授)がやってきた。近々に予定されている同窓会の会場づくりの相談などをして講義の始まりを待つことになった。

定刻となり、後任の長尾敬介施設長(東京大学地殻化学実験施設)が開会を宣告し、野津憲治教授の紹介をした。
森俊哉准教授が野津憲治教授の業績を紹介した。さすがにたくさんのことをやってきている。基礎研究も多いが地震予知や火山予知の応用分野、これらにかかわる行政上の仕事にも多数参加している。
ご本人の登壇となり、最終講義が始まる。お話の骨子は、次の3点だった。
・日本における地球科学宇宙科学100年(日本における黎明期の地球宇宙科学)
・最近の40年(自分の業績も含めて)
・彼を導いた先輩たちの言葉(5人分)

(1)日本における地球科学宇宙科学100年(日本における黎明期の地球宇宙科学)
「地球化学の父」として有名なGoldschmidtらによる地球科学宇宙科学の定義に始まって、地球化学という学問の始まりを議論し、日本への伝搬が早かったことなどが紹介された。大正から昭和にかけて活躍した柴田雄次教授の業績を中心とするお話が、いわば目玉で、初耳に属することも多く、刺激的な内容であった。
(2)最近の40年(自分の業績も含めて)
40年前、1973年の「消滅核種Sm146とP process chronology」で、消滅核種Sm146の半減期をつき止めたのは彼であるが、その話は一番最後に回して、その後の40年間の地球化学の進歩発展を語った。しかし、黎明期の地球化学宇宙科学の話に力が入りすぎて、いかんせん時間が押してしまった。速足で説明を聞いたが、よくわからない。アレンデ隕石の話などは生半可とはいえ知識のある私でも飛ばしすぎと感ずるくらいで、専門外の人にはさっぱ立っただろうと思う。廣田洋君とは、「同窓会のときには、この話題に絞って詳しく聞こうね」と言い合ったものである。
亡くなった方も多いので、この時代のエキサイティングな研究競争などについても証言できる人はもう限られている。しっかりと聞いておきたいと願わざるを得ない。
(3)彼を導いた先輩たちの言葉(5人分)
思い当たる人たちの言葉ばかりである。
このうちの二人について、とくに思い当たることがあるので、ここに書き留めておく。
故小沼直樹氏の言葉として「研究者は、ある意味で予言できるだけの思想がなければならない」というたぐいのことを野津憲治教授述べていた。私が当時の小沼氏(35歳ころ)から直接聞いたのは、「仮説、仮説、かせつ!」という絶叫に近い言葉である。両者にはしっかりと通ずるものがある。予見性こそが独創力の真髄であることを小沼氏は言いたかったのであろうと思うのである。
故濱口博氏の言葉として「リンゴの実を叩き落とそうとする者がいるが、リンゴの実はやがて熟する。熟せば自然に落下して来るのだから手を差し伸べていればよい」という内容のことを紹介していた。私が恩師濱口博元教授からいただいた座右の銘は「流水先を争わず」であった。二つの言葉はよく似ている。後者は、流れ行く川の水は、先を争わなくとも必ず大海に達する、という意味で、先陣や名声を争うとかえって川からはじき出されるだけで良い結果にならないこと、流れに身をゆだねていれば優れている者はおのずとその姿があらわれて大成するものだということを意味している。焦燥感をにじませて生きていた若いころの私をいさめて、あえて、私にくださった言葉である。猟官漁職を嫌い、弓と囲碁を良くし、自然体で研究者の責務を果たしつつ、国家の要職をこなしていた恩師の悠々たる人生訓である。熟したリンゴと流水とでは、たとえに取り上げているものは異なるが、おっしゃりたいことに共通点が存在する。
他の方の言葉にもいろいろと思い当たる節があったが、とくにこのお二人については、言葉をお聞きしていたのにと、響きにおいては共通だったので、強く思いだされたのである。

講義のあと、司会者が(儀礼的に)「質問はありませんか?」と促しても、会場からは反応がない・・・。ずいぶんと失礼な聴衆だな、と私は内心憤慨して手を挙げた「同級の者です。野津先生のお話を聞くと、あれも今後の研究が必要、これも残された課題とおっしゃっていました。やり残しがたくさんあるので、今後はどうするのか、抱負を聞かせていただきたい」と言った。彼の講演には、自身の前途を悲観する言葉が見え隠れしていた。なんとか元気づけて前向きに考えてもらおうとしての質問だったのである。彼の回答は「ピークは45歳でしたから、もういいです」というような内容だった。
おいおい、君らしくないぞ。空元気(からげんき)でもいいから夢を語ったほしいよ。若い人たちは、君の夢に食らいついて次への意欲を掻き立てるだろう。私たち年寄りだって元気が出るというものだ。誰でも定年退職ではセンチメンタルになるものであるが、人生はこれからなのだから、神様が残してくれた命のある一瞬一瞬を精いっぱい輝いてほしい。私もそうありたいと頑張って生きているのである。楽しく生きてこそ"野津憲治"だと思う。今後の君に精いっぱいのエールを送る。同窓会の特別発表も楽しみにしているよ。

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琵琶


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