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柴谷篤弘先生(享年90歳)、逝く--交友の記録(63)

2011/3/27

柴谷篤弘先生(享年90歳)、逝く--交友の記録(63)

柴谷篤弘先生(享年90歳)、が亡くなった。私は絶句した。先生は、なんだが、ずうっと死なないような気がしていた。

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<訃報>柴谷篤弘さん90歳=元京都精華大学長
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110326-00000081-mai-peo
毎日新聞 3月26日(土)19時19分配信
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柴谷篤弘さん90歳(しばたに・あつひろ<本名・横田篤弘=よこた・あつひろ>元京都精華大学長、生物学専攻)25日、肺炎のため死去。葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻眞佐子(まさこ)さん。
「反科学論」「科学批判から差別批判へ」などの著書で、科学者からみた科学批判を展開した。 .
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柴谷篤弘先生は、私の会社から、「私にとって科学批判とは何か」という本を出版している。
先生とは、1982年か83年、オフィスとは名ばかりの戦前から残った根津の民家の2階を改造した当時の私の会社の部屋でお目にかかった。立ち上げたばかりのガレージ産業にふさわしく、傾いた建物で、一階には焼鳥屋さんが入っていた。夕刻になれば焼き鳥のおいしそうな匂いが部屋に充満する。世界に名だたる柴谷先生が本当に来社してくださっただけでも驚きだったが、私の話しに耳を傾け、ついには名もない会社からの出版も引き受けてくださったのである。
柴谷先生と言えば、1973年に出版された「反科学論」が有名である。のちに、構造主義生物学を提唱され、差別批判へと進んだことはよく知られている。
私は、1981年に自分の会社を立ち上げたが、1973年に出版された「反科学論」の後、科学の世界に身を置きながら科学を批判する先生の姿勢に、強い関心を抱いていた。また、有名になった「反科学論」という本のタイトルのために「科学を唾棄する者」という誤解が広まっていることに対しても大きな懸念を抱いていた。柴谷先生は科学嫌いではない、科学に内在して活動するからこそ、科学の持つ腐臭を放つ部分に鋭いメスを入れ、批判することが出来たのである。世間の誤解をいち早く解かなければ、柴谷先生だけではなく、日本の科学と科学によって導かれるべき民衆の不幸は続くと私は強く感じていた。
私は、谷中の豆腐屋「笹の雪」に先生をお誘いした。庶民的なお店である。私は、先生に熱っぽく自分の思いを語った。先生は、「ちょうどよい、雑誌で連載した記事があるので、まとめて1冊の本にしよう」とおっしゃってくださった。私の言説を聞いて、「ならば、その点に答える内容を書きたそう。そうすればオリジナルな本として意義が出てくる」とおっしゃったのである。私は、本当にうれしかった。私の気持ちが通じた。それだけではない。「反科学論」の後、当時は誤解の軋轢から埋もれがちだった柴谷先生に、この本で、もう一度光を取り戻すことが出来るに違いないという思いで、飛び上がらんばかりの思いだった。
1984年、柴谷先生の本は、私の会社からついに出版された。

その後、「アインシュタインの秘密」で有名になった我が畏友 唐木田健一氏 との面談を私のお世話で実現したりもした。
のちには、当社のシリーズ(「知性の華叢書」シリーズ)にも第2回配本分として収録された。

柴谷篤弘著、「私にとって科学批判とは何か」、 四六判 354ページ 定価3,873円(本体価格3,689円) ISBN4-915572-45-5 C0040

オーストラリアの研究所から、京都精華大学の学長として急きょ帰国した際には、電話で「金輪際、学問の世界で出世なんかしたくないと思っていたんだが、遣り手がなくてはやむをえない。思想と哲学はしばらくお休みする」と大学経営に注力する決意を述べていたりもした。しかし、その後も旺盛な思索はやむことなく、たくさんの著作を残したことは多くの人がご存知通りである。
私ごとき、市井の民とも心を開いてお付き合いいただいたことに深く感謝し、長い長い思索の闘いを一時休止してしばらくは、天国でゆっくりとお休みください。私も、いずれ、お近くにまた参ります。

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琵琶


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学生バイトさんたちの追いコン--交友の記録(62)

2011/3/26

学生バイトさんたちの追いコン--交友の記録(62)

昨日(3月25日)は、私の会社の一つであるシステムハウスの学生アルバイタさんたちの追い出しコンパ(追いコン)が開かれた。
会場は、バイトさんたちの要望で焼き肉食い放題・飲み放題のお店だった。新人アルバイタたちが幹事役をしてくれた。私たち社長夫婦と社員たちは飲んで食べていただけ、「お客様」でいればよかった。あっ、もちろんスポンサーは私ですが。
3年勤めたアルバイタもいたのでほんとうに感慨深い。送られる学生たちは皆私の教え子でもあった。
この日は、なんといっても幹事役の年下アルバイタの二人が頑張った。抱腹絶倒の宴会芸まで披露してくれてびっくりした。
若者の胃袋は偉大だ。改めて驚嘆です。お肉を次々に注文して、どんどん届きます。目を白黒している暇もないくらいに、彼らは食べまくります。30分もしたら、食べるのに忙しい若者のために、私は早々と焼き手に回って、次々に若者のお皿に焼きあがったお肉を配っていた。だって、もう、私は食べられないっ。おなかいっぱいでした。食いしんぼの異名が泣くって? いや、もうすっかり負けていた。社長夫婦は早々と戦線を離脱だが、若者たちは互いに負けずと平らげて次々に注文します。制限時間は通常より長い3時間ですから、若者たちは一人1キロ位の肉を平らげたのではないでしょうか。最後のほうは店長が直々にお肉を我々の個室まで届けてくれました。店長は内心「本当に食べているのかな」と心配になったのでしょう。しかし、皿の上は、いつも空っぽです。びっくりの顔をしていました。
あっという間に、約束の時間の終わりに近づいたので、絶頂を迎えていた宴会芸を中断して、社員の一人が締めのあいさつをすることになった。彼は、6年前に中国からやってきて、この会社に勤めて5年、仲良くなった若者たちと別れることがつらかったのでしょう。二言、三言、話し始めたとたんに、涙なみだになってしまって、声にならなくなってしまった。もういいよ、と皆が慰めて、最後は、涙目のままに皆が肩を寄せ合いながら記念撮影。私の一本締めでお開きにしました。
巣立つ諸君は、すべて飛ぶ鳥を落とす勢いの優良企業への就職が決まっている。私の会社でシステム開発の技術を磨いたことを面接ではよくよく語って職を得ることが出来たのだとか、ほんとうかな。周囲を見ると就職難でたくさんの学生が苦労しているのに、確かに、今は勝率100%の勝ち組のようだが、勝負は社会人になってからに違いない。社員からは、「入社したらその日から、あいつは大した奴だ、と思われるようにしなかったら、一年たっても十年たっても奴は駄目な奴、と思われ続けるぞ。最初から人の3倍働いて、人の10倍気を利かせろよ」と、激励の言葉もあった。そう言う彼も、言った通りの働きをしているのだから、説得力がある。体に気をつけて、力いっぱいに活躍してほしい。疲れたら、ここに遊びに来ればいい。
また、オフィスにおいでっ、みんなで飲みに行こうゼ。

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琵琶


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国家にとっての「利益とコスト」と事業者にとっての「利益とコスト」との間--情報社会学、予見と戦略(37)

2011/03/25
国家にとっての「利益とコスト」と事業者にとっての「利益とコスト」との間--情報社会学、予見と戦略(37)

人類社会と国家と民族がどのような位置関係になって行くかについては、しばしばプログに書いてきた。http://bit.ly/i0oGhJ
それとは別に現行の国家は、政策決定にあたって国民の利益と国民のリスクを天秤にかけなければならない。国民の利益と言うと「手当がいくらか」などという目先の金額に矮小化してしまう向きもあるが、国家の考えるべき国民の利益は、国民の生命財産を守ることと国民の未来永劫の繁栄が優先である。何らかの政策を決定する際には、利益とともにこれに伴うリスクを考えねばならない。国家の考えなければならないのは社会的リスクとそれに伴う社会的コストである。
原子力発電は、今回の事故ではっきりしたように大きな社会的コストを払うリスクが常に伴っている。社会的インフラとしての利益も大きいが社会的リスクとそのコストも莫大である。国民の命と財産の多くを失い、これを保障し、もとにもどすためには国家の財政を傾けてかつ何世代もの努力と時間が必要である。
原子力発電のような社会的インフラを造る際に利益とコストを東電などの事業者に判定させれば、基本的には「売り上げ利益と製造原価」しか考えないであろう。事業者の視点は、「国民の利益と社会的コスト」を考える国家の視点とは全く別のものである。
しかし、1946年以降、「国民の利益と社会的コスト」と「売り上げ利益と製造原価」をごっちゃにしてきたのが日本の実情である。
この点をはっきりさせない限り、この種の事故は必ず再発する。まだ、直面する火急の課題が解決していない。まだまだ余裕はないが、今後は一歩下がって、「国民の利益と社会的コスト」と「売り上げ利益と製造原価」の違いをはっきりさせてゆくことが必要である。もちろん、これらの中間には、NPOなどの社会的インフラと社会的コストをになう者もいるので、これらをよく整理しなければならないだろう。
れらを冷静に判断してこそ、具体的に今日本の福島に原子炉が必要か不要かが議論できるものと私は考えている。
原子炉も一つの道具であり、使って具合が悪ければ直すか、辞めるのが妥当である。直して使えるなら使ってもよい。しかし、社会的コストが合わなければ辞めるべきであり、社会的コストよりも利益が勝るならやるべきである。
悲劇は、社会的コストを基本的に事業者に押し付けるという国家の姿勢である。事業者というものは商法の原則に立って製造原価以外のコストは考えないのが正しいのである。人命コストに対する対策費などは例外的な処理となる。ましてや町や村がなくなった際の社会的コストなどは商法の範囲を超えている。国が補助金を払うくらいで済む話ではないのである。事業者からすれば責任を持てというなら、国庫をそのままくれ、くれないなら責任は取れないという、無責任が発生しかねないのである。こうして、今は、まさに事業者だけでは責任は取れないので、国家(国民)が責任を負う事態になっているのである。
社会的インフラ全体に共通する問題であり、国家にとっての「利益とコスト」と事業者にとっての「利益とコスト」の区分をしっかりしてゆく必要性を感じる。
国家は、社会的リスクとそのコストを引き受ける覚悟なしに政策を決定すべきではない。社会的リスクとそのコストを引き受けてなお利益があるのであれば、国民に細部まで情報を公開して納得してもらうべきである。

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