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大学入試における「脱暗記」に想う--独創力の創り方(27)

2014/01/14
大学入試における「脱暗記」に想う--独創力の創り方(27)

昨年末から、大学入試を「脱暗記」方式にするという話題がニュースに登場するようになった。当時の記事では次のように記載されている。

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Listening:「脱・暗記」トップ押し切る 国立大の「総意」中教審で崩す
毎日新聞 2014年12月19日
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20141219org00m040006000c.html
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 「反対意見が出ると部会長自ら反論する。司会進行役の部会長が一番発言する。今までにない会議だった」。大学入試改革を議論する中央教育審議会(中教審)の部会は、委員の一人が振り返るように異例の展開をたどった。
 8月22日、文部科学省3階で開かれた部会。「個別入試(国立大の2次試験)での学力検査は今後も極めて重要だ」。国立大学協会の里見進副会長(現会長、東北大学長)が国立大の「総意」を述べ始めると、部会長の安西祐一郎・前慶応大学長の顔色が変わった。
 すでに答申予定を1カ月半も過ぎていた。安西氏が個別入試で「学力試験を廃止」する改革にこだわったからだ。この日、安西氏はその改革私案を部会で配り、一気に決着を図ろうとしていた。そこに国大協が「待った」をかけたのだ。
 安西氏の持論はこうだ。
 これから学生に求められるのは知識の多寡ではない。答えのない課題に対し、他者と協働し解決策を探る力だ。「1点刻み」で暗記した知識量を競う「知識偏重」の学力試験を続けるべきではない。学力は大学入試センター試験に代わる新テスト「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」で段階別に評価し、大学別の試験では、論文や面接、集団討論で受験生の資質を見る「多面的総合評価」に転換すべきだ−−。
 だが部会では、国大協の意見に国立大教授の委員らが相次ぎ同調した。受験生全員に多面的総合評価ができるのか。新テストだけで本当に学力が分かるのか。会議は紛糾した。
    ◇
 入試改革は難しい。「知識偏重」から「多面的総合評価」への転換は、15年も前に中教審が打ち出している。なぜ進まないのか。理念には賛成でも実施となると足並みが乱れるのだ。高校は「まず大学入試が変わらないとだめだ」。大学も「高校の授業こそ知識偏重そのもの」と譲らない。関係者からは異論が噴出。そのまま時間が過ぎていく。
 「今回こそ変える」。中教審会長も務める安西氏の思いは強く、特に8月以降、私案を基に議論を引っ張る場面が目立った。
 強気の背景には「教育再生実行」の旗の下、今まで動かなかった「改革」を次々と成し遂げてきた下村博文文部科学相の支えも大きい。道徳教科化、教育委員会制度見直し−−。個別入試での学力試験廃止は下村文科相も同じ考えだ。部会のある委員は言う。「政治的にもその方が改革色が出る」
 数十回もの議論を経てまとまった答申案は「全面に安西色が出た内容になった」と文科省幹部。個別入試は「論を立てて記述する形式の学力評価を個別に課すこともあってよい」。含みは残したが「結局、安西さんが押し切った」。
    ◇
 中教審は22日、大学入試改革の答申を下村文科相に提出する。覚えた知識量を「1点刻み」で競うペーパー試験こそが「公平・公正」とされる入試観を大転換させる内容だ。改革は成功するのか。現場から報告する。
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安西先生を後押ししているのは安倍首相との説もあるので、純粋に教育の問題というよりは「教育"政策"」の問題ということになりそうだ。
安西先生の真意はどのあたりにあるのかは別として、つばぜり合い激しい政治力学の中で一つの舵を切ったことになるので、「大学入試丸」という船頭の多い船がどこに漂着するのかと関係者はハラハラしているという状況になっている。

たとえばツイッター上では、次のような発言も見られる。
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Hjδεka2u H1γοακj @piyota0さんのツイートから
https://twitter.com/piyota0
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Hjδεka2u H1γοακj @piyota0
@piyota0 入試改革の「脱暗記」には、反対。理由は、「税金を使わせていただいて研究をする理系の教員と大学院生に、車輪の再発明は許されない」から。暗記してなくても検索すればいい、という意見は、DBと検索エンジンの特性と限界を、きっとよく知らないひとだ。
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私は "「知性なき丸暗記」から「独創性の創出」へ" と唱えてきた。しかし、膨大な知識がなければ、独創も不可能である。
独創や創造に比べれば、もっと低レベルの検索も難しい。100の知識を持つ人が101個目の知識にたどり着くことはそれなりに可能だが、20の知識しか持っていない人が101個目の知識にたどり着くには、ほとんど無限大の時間が必要だろう。
学習においては創造の方法と喜びを伴う知識獲得が必要で、知識の獲得とともに創造性も豊かになることが大事ということである。
うろ覚えだが、先人(ガンジーの言葉だったか?)の言葉に「もらった籾を食べたら1日は生きていられる。籾を育てたら毎日生きてゆける」というようなお話があったように思う。籾はいらないのではない、あればあるだけ、豊かに育てることができるのである。

国大協の総意というものも、内容の全ぼうがわからないが、創造性試験に対置して「知識試験一本やり」で対抗していたのであれば前時代的な遅れた考えとしか言いようがない。一方の安西氏が「知識はいらない」と主張しているならば、これもおかしな話である。失敗したAO入試制度を全国レベルで押し付けようという試みに外ならない。ちなみに、お騒がせ理研のO女史も早稲田大学理工学部にAO入試で入学した方である。知的水準の低いままの(つまり批判能力のない)人材を育てたいのかというのは穿ちすぎかもしれないが、日本の知性を崩壊させる安易な選択であると思う。
単純に「試験が難しいから創造性が育たない」と言うのは、全くの見当違いである。独創性や創造性を育てる教育がされていないから独創性や創造性が育っていないというのが正解である。
大学入試の問題に創造性、独創性を問う問題が作れるのであれば、大いに結構だが、知識を問う問題をなくすという愚挙はやめるべきである。
創造性、独創性を問う問題とは、たとえば、違った分野(社会学とシステム工学、法学と解析学、心理学と物理学、歴史学と天文学)などの一見無関係な事象(それぞれは高校レベルでは関連なく与えられている知識で、その実、関連がある事象)をそれぞれ取り上げて、統一的に説明させるなど(知られてはいないが)先端的な学問では解の得られている問題などが考えられる。すでに良く行われているような感想文や長文の要約を書かせる程度の問題でよいわけではない。
勘違いのないように願いたい。
このブログでは独創性や創造性を育てる教育のあり方を述べてきた。多くの教育関係者も真剣に「独創性や創造性を育てる教育」を取り上げていただきたい。「脱暗記」がいいわけではない。「脱・知性なき丸暗記」なのである。

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琵琶


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