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元東大教授 佐々木行美(ささき・ゆきよし)先生を偲ぶ会--交友の記録(64)

2016/10/22

元東大教授 佐々木行美(ささき・ゆきよし)先生を偲ぶ会--交友の記録(64)

本日、元東大教授佐々木行美(ささき・ゆきよし)先生を偲ぶ会が開かれた。
6月25日、佐々木行美先生は、88歳となる前日にお亡くなりになった。
ご家族で執り行われたご葬儀とは別に、元東大教授佐々木行美先生の側近の研究者の皆さんが発起人となり、研究仲間や弟子たちによる偲ぶ会が学士会館で催されたものである。
発起人会の岩本振武先生や西原寛先生からお誘いがあり、私も参加させていただけることになった。
会場で配られた座席表によれば、参加者は98名で、知り合いの方も少なくなかった。
佐々木行美 元東大教授のご家族を代表して、ご長男(佐々木行雅様)とご次男(佐々木行紀様)が参加されていた。
その他、お顔とお名前が一致した方々を敬称を略して列記すると次のようになる。
和田昭光、水町邦彦、岩本振武、西原寛、朽津耕三、岩村秀、川島隆幸、菅野等、小林昭子、山村剛士、藤原祺多夫、野津憲治、松本和子、岡本博明、福島和夫、井本英夫、西川恵子、地位衣、中島真幸、大沢吉直、中村浩士、・・・。
同級生なのにめったに会えない藤原祺多夫や中島真幸、松本和子ら同級生たちと会えたのは大きな収穫だったし、その後も私の弟子の件でお世話になりっぱなしになっていた西川恵子先生にお会いできたことも大きな収穫だった。会場で顔を見かけていて挨拶できなかった山村剛士氏(ニックネーム「社長」)については惜しいことだった。岩本振武先生は幹事役で多数の人に囲まれていて、ついに会場では挨拶ができなかった。残念だった。中村浩士君は國井利泰東大名誉教授のお誕生バーディでも会うので、びっくりして私に駆け寄ってきた。彼も学部は化学科だったのである。
菅野等先輩、畏友 野津憲治君など頻繁にあっている人も少なくなかったので心やすい会場だった。
偲ぶ会は、入場者が一人ずつ玉串を遺影写真に捧げることから始まった。
以下は同日のFacebookに書いた記事である。
https://www.facebook.com/yasuhiro.iihashi/posts/1140909232651562
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私は佐々木行美先生の研究室(無機合成化学研究室)に属したことはないが、研究室の中枢の支えた偲ぶ会の発起人の皆さんからお誘いをいただき参加することになった。
そもそも、私は同じ無機系とはいえ別の濱口博教授の研究室(放射化分析研究室)に属していた。卒研の時期、ボスの濱口博教授はアメリカにいて、予定の期日を大幅に超えて日本を留守にしていた。当時の助教授・助手の方々、秘書の皆さんが、気をもんで、私の卒研テーマの決定などをアメリカにいる教授に問い合わせたが、確たるご返事はなく、時間だけが過ぎてゆく状況となっていた。
結果として、卒業の時期をだいぶ過ぎてから教授が帰国した。帰国するまでの間、当時の研究室の助手のお二人は、私に「先生を待っていたら間に合わない。自分の好きなテーマを研究しておけ」と盛んにけしかけてくれた。私は、たまたま放射化分析の世界で便利なカラム充填剤(HAP ハイドレッド・アンチモニー・ポリアシッド)の不思議な挙動の機作を探ることにした。これが私を佐々木先生と結びつける細い糸になってゆくのである。最初は大型計算機センターの計算機の利用枠をとって計算を始めたが、学部学生に割り当てていただけるのは公式には1か月に数時間のみ。大型計算機センターの技師長の安楽さんに頼み込んで、早朝のマシン起動の作業を引き受ける替わりに、定時より2時間ほど早くマシンを立ち上げて、他の使用者がやってくるまでの間使わせてもらったが、それでも時間が足りない。やむなく原始的だが、すでに誰も使わなくなりつつあったタイガー式計算機(手回し式計算機)を学部事務から借り受けて、朝から晩まで回し続けることになった。
濱口教授が帰国すると助手のお二人は濱口教授に私の試行的な成果物(レポート用紙50枚くらいの概要レポート)を示して、このテーマで飯箸の卒研を進めてはいかがと提言してくださった。しかし、濱口教授は「君はボクの研究室に来たのだから、ボクのテーマでやり給え」とあっさりと却下。私は、教授の専門領域のアメリカンスタンダードロックの最深度に近い位置のレアース(希土類元素)の含有量をはかることになった。それまでに先行する研究ではことごとく検出限界以下とされているごく微量のレアース(希土類元素)を検出するというテーマと決定した。紆余曲折の末、幸い岩石試料分析で世界で一番と言われる教授の絶大な支援と私が提案してお許しいただいた新しい計算手法のおかげで、幸い世界で初めてのごく微量の含有量の決定に成功することができた。この仕事は原子炉の強い中性子線フラックス(中性子線の流束)が必要だった。当初使用した某大学の実験炉では、初回の実験結果から試算してみると、先行研究が示した検出限界に近づくには、何十年も実験炉を独占しなければならないという結果になった。先行研究の検出限界を超える可能性は限りなく小さいということである。この事実を教授に伝えると、当時は国内で最も強力な中性子線フラックスを見込めた東海村の原子炉の利用枠の確保をしていただいた。ありがたかったが、数か月に一度ずつしか使えないことが分かった。先輩たちにに相談すると、誰もが「時間があるなら、HAPを続けろ」とおっしゃるので、補足の計算をタイガー計算機でやりつつ、レポートから論文へと書き換え始めた。途中経過は、研究室内の茶話会などで発表した。
何度か話すと、濱口教授もついに根負けして、「君のそれ("HAPの秘密" 研究)とボクのテーマの二つを卒研の審査にかけられるように教授会で諮ることにする」とおっしゃっていただいた。
結果として、私は、アメリカンスタンダードロックの分析結果の英語論文(8ページ位?)と「HAPハイドレッド・アンチモニー・ポリアシッド」の日本語論文(430ページ位)の二つを提出することになった。
濱口教授は、二つを卒研の審査にかける件は教授会で難航していると何度もおっしゃった。しばらくすると、アメリカンスタンダードロックの分析結果については、主査が濱口教授でよいが、「HAPハイドレッド・アンチモニー・ポリアシッド」については、佐々木行美先生が主査を引き受けてくれることになった、ボクのテーマについての審査結果はもちろん十分OKだが、「HAPハイドレッド・アンチモニー・ポリアシッド」については佐々木行美先生次第だ、二つの審査結果の加算ではなくて平均で君の評価が決まるということになったので、君にとっていいかどうかはわからないよと伝えてくれた。直属の教授でない佐々木行美先生が私の卒論に対して好意的な評価するかどうかについては、一抹の不安が感じられたが、濱口教授が相当に頑張ってくださったことはひしひしとわかったので、深謝して、この方針を受け入れるとお伝えした。
待つこと6週間ほどすると、それまでめったにお目にかからない佐々木行美先生が秘書室に来ていると当時の秘書さん(菊池さん)からお呼びがかかった。佐々木行美先生は、私の顔を見るなり「君がこの論文を書いたの? ふーん」とまじまじと私の顔を覗き込んで、「いや、エキサイティングだよ。ボクの審査結果は明後日の教授会で話すのでここでは話せませんがね、とても驚嘆しているとだけ言っておきたいと思いましてね。じゃ」と、秘書が出してくれたお茶も飲まずに立ち上がって帰られてしまった。私は緊張のあまり、自分は何をお話ししたか覚えていない。「驚嘆」???、まるでダメということなのか、・・・。悪い思いがよぎった。
その1週間後、濱口教授から「優」判定という結果が伝えられた。
ただ、うれしかった。
濱口教授には、研究室に残る気はないか、と何度が聞かれたが、家庭の事情からするとこれ以上の経済援助は受けられそうにないことを申し上げて、これを固辞した。
その直後、所定の卒業年度を1年半遅れで卒業して、そのまま濱口教授の指定する小さな出版社に就職したのだが、、、。
1か月半ほどした12月下旬に、佐々木行美先生の研究室(たぶん助手の小林女史)から勤務先に電話があり、佐々木行美先生のお部屋に来るように伝えられた。すぐにお伺いすると、なぜかとても遠回しのお話の仕方で、なぜか照れているかのような口ぶりで、そんな出版社のどこがいいの? 君はこの論文の続きをやる気はないのか? 私のところに来ればその機会があるよと言って私の顔をまじまじと見つめられた。私はドキマギして、(出身研究室の)濱口教授の紹介の会社なので、濱口先生にご相談しないとそんなに簡単ではないです、生活費も大事ですし、、、と言い訳ばかりお話ししていたように思う。実は、その会社に勤める際に、私は、どうせ務めるなら生涯をこの会社に捧げようと固く心に誓っていたのである。
先生は話題の矛先を変えて、天皇家について君はどう思う? というお話からいろいろなお話をめぐって、最後に、先生が女子学生のお一人に心を惹かれているがどう思うかという冗談のようなお話だが、それをひどく寂しそうな表情で語られて、私は大いに慌てた。女子学生はどの学生も自分に向かっては親し気な態度を向けてくる、中でもその女性は本気のような気がしてならないとおっしゃるのだった。先生、それはダメですよ、先生には素敵な奥様がいらっしゃるじゃありませんか、と一生懸命説得した。じゃ、君、彼女の本音がどこにあるのか分かるのか、分かったら教えてほしいんだと食い下がってくる。後で、振り返ると、先生は私との次回の面会の口実を作っておくためのお芝居をされたのかもしれないとも思われるのだが、その時はウブだったので、大きな秘密を私だけが聞いてしまった、他人には言えない、彼女とは同級生ではあるので、それとなく周辺から動向をうかがうことはできるだろうと、気をまわしていた。彼女の動向はすぐにわかった。彼女は先輩の男子学生と結婚を前提とする確かな交際をしていて、間もなく結婚するだろうというものだった。確かにお似合いである。
2-3週間後の年明け、取材にかこつけて佐々木先生のお部屋にお邪魔して、二人だけになったところで、彼女は××先輩と結婚する予定だそうですよ、というと、また、とても寂しそうなお顔を見せて、じっと黙りこくってしまった。私は、また慌てて、帰ろうとすると、「で、君は、あの研究の続きをする気はないのかな」とおっしゃった。あっ、私が乗せられていたのかなとやっと気づいた。「君ね、僕はね。こうして君の論文のコピーをこうしていつもそばに置いて、読み返しているんだよ。読むたびにアイディアが涌いてくる。君と一緒にやりたいと思っているんだけれどね」と目力のこもった目を向けられた。私は前回と同じような言い訳をいろいろと並べ立てて、振り切るように逃げ帰った。
気にはしていたが、お弟子さんがたくさんいる先生なのだからすぐに私のことなど忘れてしまうだろうと思っていた。
ところが、その後、3月下旬にも、またそのあとの7月初旬にもお呼びがあり、今度は女子学生さんの話は気配もなく、単刀直入に研究室に来るようにというお話をされた。趣旨は、佐々木先生がこれまでのポリ酸の仕事から包摂化合物やクラスター化合物に舵を切ったのは君のこの論文のせいなんだ、君には僕と一緒にやる必然性があるはずだという内容だった。くすぐったかったが、私はと言えばやっと生活の基盤ができて、平凡だが結婚もできるかもしれないという怠惰な考えにとらわれていたので、頑迷にも首を縦に振らなかった。
その後も、折に触れて数年間にわたって同様のお誘いを受けることになった。先生のお部屋にうかがうと私の卒論のコピーが左側の窓際にいつもおかれていた。私は、その都度、面映ゆくなり逃げ帰ってしまっていた。
佐々木先生、本当に申し訳ありませんでした。素直にお言葉に従っていれば、私の人生は、違った輝きをいただくことができたかもしれないと思います。そして、私がごとき、生意気な若造を長くお心にかけてくだったことを心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
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(補足)
私を自分の研究室に来いと言ってくださった先生は、もう一人いらっしゃいます。赤松秀雄先生です。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/27778/1/rgn19_4_30.pdf
当時赤松先生は、東大から横国大や岡崎の分子研に移っていた。私は小さな出版社に入社数年目だったと思うが、勤務先の社長と編集長と立ち話をしている私のところに赤松秀雄先生からの電話が回ってきた。赤松先生は、電話口で「君、そんな会社にいたらいかんよ。早くやめて僕の研究室に来給え。学位もやる。地位も保証する。環境について真剣に考えて僕を支えてくれる人が僕には必要なんだ」と、何ども大きな声で繰り返された。電話口からは音が漏れていたので、社長と編集長は目と口を三角にして私をにらんでいた。
このような電話が数日続いたことが2回あり、いずれもご病気で入院されていたときだった。2度目の時は、切羽詰まった先生の声に、さすがに私も心が動かされた。「先生、明日、手術ということですね。約束します。退院されたら、すぐに先生のもとにうかがいます」というと、「あぁ、分かった。うれしいね。必ず、生還するからな。いいかい。必ず来てくれよ。約束だよ」とおっしゃってくださった。声が震えていたので、私も思わず涙ぐんでしまった。しかし、神様は残酷な試練を我々に与えた。赤松先生はそのベットからついに帰ることはなかったのである。
赤松先生にもこの場を借りて、優柔不断な自分であったことを悔いつつ、そんな私を最後まで心にかけてくださったことに深く感謝いたします。合掌。

△次の記事: 交友の記録(65)
(準備中)
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琵琶


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