「続編1: 高橋優三名誉教授 "白い巨塔から"」第49回日本医学教育学プレコングレス(その11)--感性的研究生活(75)
2017/08/26
「続編1: 高橋優三名誉教授 "白い巨塔から"」第49回日本医学教育学プレコングレス(その11)--感性的研究生活(75)
ミニシリーズ:
「SNS中継、映像中継によるプレコングレス【人工知能の発達に対応する医学教育】第49回日本医学教育学--感性的研究生活」--at 2017.08.17
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1. プレコングレスの開催、これからのAI教育など
2. 飯箸によるトリガースピーチ "始まったAI友の時代"
3. 飯箸による詳細説明書の紹介
4. 事前討議《1》: 中本浩之氏 "処理ロジックについて" など
5. 事前討議《2》: 伊藤昌夫氏 "チャペックの R.U.R. " など
6. ディープラーニングは人工知能の全部か/一部か
7. いわゆるヒラメキをAIが提供してくれるか?
8. AIは空気が読めるか、ジャッジは人間優先か・AI優先か
9. Dr. Akira Naito(精神科医、英国在住)との対話: "ヒトは危うい、ましてやAIは?
10. 『問答』を終えて
11. 続編1: 高橋優三名誉教授 "白い巨塔から"
12. 続編2: 週刊プレイボーイ "人間は『命に関わるAI』を使いこなせない?" "AIの暴走=ブラックボックス"
13. 続編3: 授業におけるFBなどのSNSの可能性
14. 続編4: "共感とAI"、"AI教材は何から始まる"
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このシリーズは閉じることにしたのに、議論はまだ続いた。
高橋優三名誉教授の投稿とそれに続く私とのやり取りをここに採録します。
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高橋 優三
AI時代の医療についてのマスコミ記事です。軽く読み流す程度ですが・・・
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『白い巨塔』の財前教授、AIでさらなる高みへ?
JBpress、朝岡 崇史、2017.08.24
医療画像の読み解きに人間は不要になるかもしれない。© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 医療画像の読み解きに人間は不要になるかもしれない。
AIは人間の仕事を奪わない。逆に、新たな職種を生み出したり、既存の仕事の内容を、進化させたりするだろう。
AIの導入が進めば進むほど、個々のお客さまの気持ちの変化に寄り添い、お客さまの体験が豊かになる方向で企業(や病院などの公共サービス機関)が提供する商品やサービスの内容を最適化(デザイン)する目配りや気配りが、企業間競争の最強の差別化ドライバーとして注目されるはずである。
AIの導入により、「医療の現場」で起きるドラスティックな変化を例に取って、来るべき未来予想図を検証したい。
『白い巨塔』で描かれるアナログな医療の現場
「さすがに君だ、たった2枚のフィルムで、こんな早期の癌を発見できるとは、君の読影力の高さには頭が下がるよ」
素直に感服すると、財前の顔に得意げな笑いがうかんだ。
・・・
(続きは『白い巨塔』の財前教授、AIでさらなる高みへ?で)
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飯箸泰宏
高橋先生の指摘は誠に正しいと思います。
過去の歴史に学ぶことが可能で、かつ必要で、有用と思います。
(1) 社会の成立と水平および垂直分業
ヒトが社会を作った60万年前から指揮を執る人と従う人の分業が生まれています。仕事の水平分業とリーダーの選出と言う垂直分業の誕生によるものです。指揮を執る人は群れまたは村の生存に関わるので実力優先で公平に選ばれていただろうと思われます。古代王朝が成立すると水平分業も複雑化しますが、垂直分業も高度化してゆきます。「考えて指揮を執る」人々と「(考えることは上に預けて)言われたことを従順に行う」人々が分化していった歴史でもあったと思います。万人が考えるよりも少数の専門職が考えたほうが社会全体としての生産効率が上がるという理屈がここにはあります。その極端な例は命じられたとおりに死地に赴く兵士の誕生です。兵士の制度を生産の現場に持ち込んだものが産業革命以降の工場労働・事務労働でした。
社会は「a.自発的に考えて行動する=王侯・神官」「b.ルールに沿って考えて行動する=官吏」「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する=庶民(農民、労働者など)」に分化したことになります。
「(考えることは上に預けて)言われたことを従順に行う」人々の時代は長く続いています。IT革命(1980-2010)の直前まで続きました。自閉症が目立たない時代が長く続いていたと言ってもよいと思います。
(2) IT革命で何が起こったか
AIの普及はこれからのことですが、IT革命の30年(1980-2010)に、ITは人々を単純反復作業から解放しました。大きな成果ですが、単純反復作業によって職を得たいた大量の人々の雇用を無用なものにしました。とりわけ単純肉体労働者はIC制御工具と土木機械の普及によってその7割が職を失いました。事務作業がパソコンの導入で効率化すると会計課の職員など事務職の職域は激減しました。労働人口の半数以上が元の仕事を失ったり希望の職につけなくなったことになります。この人々は、もともと労働人口の7割を占めていました。決して悪いことをした人ではありません。「言われたことならば間違いなく行うことのできる従順でまじめな方々」でした。教育も「言われたことをそのまままじめにやれる人材を育てる」ことに眼目が置かれていました。
「a.自発的に考えて行動する」「b.ルールに沿って考えて行動する」「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する」のうち「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する」の職場が讒言を開始して30年で半減したのですから、大変です。
もともと単純反復作業に勤めただろう労働人口の半分は士(師)業やスペシャリストなどの資格または専門技能を目指して大移動したことになります。しかし、「言われてもいないことを考えてやれねばならない」ことにどうしてもなじめない人々が大量に生まれました。「『気分は形而上 実在OL講座』」というマンガはそんな時代の風潮を表しています。ちなみにここの "形而上" は「うああ」と読みます。自発的に行動を起こさなければ生き残れない(言うことを聞いているだけではだめ、待ち人間は失格)という圧力が高まると、これについてけない子供(や大人)にはKY(空気が読めない)となじられて傷つき、それまでは目立たなかったアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の人々が生きづらくなり浮き彫りになってきたりしました。「社会の圧力」に敏感な子供たちは自発的な創意工夫を求めるのに対して学校現場では相変わらず「斉一性学習方式」を採用しており、児童生徒に脱個性化の圧迫を加えるので、「学級崩壊」が続発しました。
学習障害や知的障害も放置されると生存困難な社会に移行したことになります。実は、それ以外に士(師)業や専門職に移行できなかった大量の人々が就業拒否やアンマッチ退職なとで引きこもりになり、良くてもアルバイト人生を送ることになりました。職場で居心地の悪い思いをしている「(隠れ)待ち人間」が大量にいますから、うつ病発症率も高くなっています。これらを含む潜在的失業者はおそらく日本に限っても一千万人以上はいるはずです。これらの人々は疎外感と不利益に対していらだちと焦燥を募らせて、都市型保守層の中核となっており、孤立主義潮流(トランプ流、安倍流、、、)の「物言わぬ」支持者になっているものと思います。カリソマを求め、剛腕リーダーの幻影を追い続けるのがこの人々の特徴です。なにしろ「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する」ことが最も居心地が良いというのがこの人々だからです。
本来(?)「言われたことならば間違いなく行うことのできる従順でまじめな方々」は、果たして教育だけで変えることが可能でしょうか。「自発的に考える」ことはできなくともせめて「ルールに沿って考える」ことはできるようになるのでしょうか。「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する」半数の人々は無理やり「b.ルールに沿って考えて行動する」に移行することができましたが、残りの半数が悶々としています。遺伝学の世界では、10万年ほどの時間があるとある程度の遺伝子の固定化が起こると言われています。ヒトが社会を作ってからすでに60万年もの時間がすでに経過しています。「a.自発的に考えて行動する」「b.ルールに沿って考えて行動する」「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する」という3つの行動パターンは、遺伝的固定化が進んでいないでしょうか。私は、大変な危機感を抱いていますが、今は「教育によってこの壁は突破出来る」「すべての人を自発的に考えて行動するヒトにすることが可能である」という仮説に今は単純にしがみついています。ここに根拠も理由もありません。
万一危惧が現実であったら、「a.自発的に考えて行動する」「b.ルールに沿って考えて行動する」「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する」それぞれのヒトがそれぞれに満足行く仕事を生み出し、生きて行ける社会を実現しなければならないと思います。どんな人でも人は人です。
(3) AI普及後の仕事はどうなるのか
さて、AIが今後普及するとどうなるのでしょうか。
IT革命は、「a.自発的に考えて行動する」「b.ルールに沿って考えて行動する」「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する」の内の「c.他のヒトの考え(言うこと)に従って行動する」を絶滅の縁に追いやっています。
始まったAI革命は、残っている「a.自発的に考えて行動する」「b.ルールに沿って考えて行動する」の内の「b.ルールに沿って考えて行動する」の人々をも絶滅の縁に追いやろうとしているということです。
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オズボーンの論文「雇用の未来」より
THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION? Carl Benedikt Frey and Michael A. Osborne September 17, 2013
今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論に至った。
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アメリカのオズボーンの論文は、アメリカ国内では現実的なものと受け止められているようですが、日本では嫌なもの、蓋をすべきものという扱いを受けているようです。
この論文が指摘していることは、前述してきた歴史を見れば整合性のある納得行くものであることは容易に理解できるところです。
つまり、「b.ルールに沿って考えて行動する」人々(士(師)業や専門職)の大半は仕事を失うという現実は始まっているということです。
(4) 高橋優三先生の心配は現実です
医師もまた例外ではないということです。「b.ルールに沿って考えて行動する人」(ルールに沿って考えて行動するだけの医師)は要らなくなります。
残された仕事の領域は、「a.自発的に考えて行動する」しかありません。
残された希望は、次の二点だと思います。
・仕事を思いつく人(仕事を思いつく医師)=AIに負けないファンダメンタルな発想のある人になる
・人に納得のゆく説明のできる人(人に納得のゆく説明のできる人)=哲学のある人になる
言葉を変えれば、創造力の高い人と、グラウンドセオリー(実はAIが提供してくれるグラウンドナレッジ)を正しく理解して扱うことのできる哲学を有する人だけが職業人として生き残れるのだろうと思います。
やがて、AIによって社会的生産性が向上し、BI(ベーシックインカム)またはこれに替わる生活保障が低ちゅくするでしょうから、職業なのかボランティアなのか趣味なのかの境目もあいまいな時代になるでしょう。その時、尊敬を集める人は、創造力の高い人と、グラウンドセオリー(実はAIが提供してくれるグラウンドナレッジ)を正しく理解して扱うことのできる哲学を有する人なのではないでしょうか。
(5) 今の哲学は大丈夫か
実は、今の大学の哲学は大丈夫ではないというのが、私の見方です。
ヘーゲルは偉大な哲学者でしたが、彼以前からくすぶっていた哲学の課題にあっさり見切りをつけて捨ててしまった点はある意味で大きな功績であったとともに哲学の堕落の始まりにもなったと思っています。
ギリシア哲学でいえば「自然理解(自然哲学)」から始まった哲学(愛智)にソクラテスで「倫理学」が加えられ、プラトンが「政治学」「教育学」を加えて、アリストテレスが「天文学(天動説)」「論理学」を加えてゆきました。これらは別々のものではなく、全体で一体となったグラウンドセオリーと理解され、長い間、哲学とはグラウンドセオリーを学ぶこととそれらを身に着ける手法並びに新たな知を加える方法論として発展してきました。
しかし、時代が下ると、絶対的権威をもっていた天動説が地動説によって崩れ、進化論によって生命観や人間観が崩れてしまいました。グラウンドセオリーを立て直して維持する仕事は、医学や物理学や生物学などに移行して哲学の中から失われてしまったのです。ヘーゲル(とその弟子たち)は「エンチクロペディー」を残しましたが、内容は表題の「百科事典」とはかなり違って、歴史的知識を利用して知の方法論を明らかにすることに主眼が置かれた内容になっています。もはや、科学の進歩が速すぎて知識の量も膨大となり、グランドセオリー(実はグラウンドナレッジ)を哲学の中に取り入れることが不可能になってしまったことをはっきりと示していると私には思える内容となっています。
ヘーゲル以降、哲学者のほとんどが、グランドセオリー(実はグラウンドナレッジ)を追うことをあきらめ、多くは思考の方法論に傾斜してゆきました。多くの哲学思想が発表されましたので、のちの時代になると、言うべきことが次第になくなり、個人的な思考経験の特殊事例を論文にするようなことになってしまいました。私は、これをあえて「哲学の堕落」と言っています。
つまり哲学が思い付きと思い込みの学問に堕してしまって、人類における知の普遍性を失ってしまったというのが私の見方です。哲学の皆さん、ごめんなさい。
もう一度、哲学は、"万人の「思慮」の科学" になる必要があるというのが私の思いです。
哲学の復権、それは、AIとの共存が前提です。人が個人では扱え切れなくなったグランドナレッジ(グラランドセオリーを含む)の本体はAIが管理してくれれば大助かりです。グランナレッジ(グラランドセオリーを含む)を正しく豊富化したり、訂正したり、整合性維持したりするAIエンジニアと提携して・・・。人類共通の普遍的叡智はグランドナレッジ(グラランドセオリーを含む)の上にしか花開きません。
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高橋 優三
診断、特に画像診断についてはAIが、人間医師と共進化しつつ進化することは確実です。その時、新米でもベテランと同じ診断能力を得るわけですので、従来 診断能力の育成につぎ込んでいた膨大な時間と労力を何に振り分けるかが大問題です。
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高橋 優三
もう一つの大問題は、AI主治医をスマホやiPadに入れた患者が、人間医師の診察を受けにやってくることです。その時、人間医師は、どのように患者からの信頼を得るのか?
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飯箸 泰宏
(6) 高橋先生の問いに対して
僭越ですが、AI職人からの一つの回答例として申し上げます。
①<従来 診断能力の育成につぎ込んでいた膨大な時間と労力を何に振り分けるか>
まずは、おバカなAIを賢いAIにするべく育てていただければありがたく思います。生まれたてのAIはおバカなままです。教育しないと育ちません。まもなくその必要もなくなるかもしれませんが、その後はAIが見つけられない問題を発見して解決するため(つまり創造力の発揮のため)により多くの時間を割いてください。そして学生たちには、技能教育とは別に人類哲学をしっかり教えていただきたいとお願いいたします。当初は技能教育8割、哲学教育2割くらいでよいかと思います。やがてその比率は逆転するかもしれません。ヒトはヒトからしか生き様や心根は学びません。哲学は言葉だけでは伝えられません。その人となりからしか伝わらないものがあり、背中で教える部分も少なくないと思います。
次項②のための準備も忙しいはずです。
時間があったら、子育てや、農業(家庭菜園もどき)やお料理に時間を使って人生を楽しんでください。釣りや囲碁にも時間は使えます。個人ジェット機を操縦して世界旅行も楽しめるようになっているかもしれません。今のお医者様は忙しすぎます。もっとゆったり人生を味わえるようになっていただきたいと思います。奥様も喜ばれると思います。
②<もう一つの大問題は、AI主治医をスマホやiPadに入れた患者が、人間医師の診察を受けにやってくることです。その時、人間医師は、どのように患者からの信頼を得るのか?>
人とは何か、ヒトの命とは何か、地上の未来50億年(地球が太陽に飲み込まれるまでの時間)の間の社会はどうあるのか、・・・宇宙観、世界観、社会観、生命観の深い思いから、患者の心に共感を寄せて相談に乗れる医師ならば、患者からの信頼は間違いがないでしょう。そのうえで、同じAI主治医との対話を、患者と並んで患者目線で一緒にできる人間主治医であれば良いと思われます。
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高橋 優三
はい、おっしゃる通りですね。これを我々の職務である医学教育に上手く落とし込む方法を考えねばなりません。大切な若者を社会から預かる医学教育者の責務です。
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飯箸 泰宏
ありがとうございます。
私にもう一度教育の機会が巡ってくるかどうかはわかりませんが、どんな教育の場面でも基本は一緒だと思います。
高橋先生をはじめとしてこの会に参加されたたくさんの医学教育関係の皆さんのこれからの獅子奮迅を期待しています。
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飯箸 泰宏
しかし、正直なところ、教師と呼ばれる人の中に教えるに足るだけの宇宙観、世界観、社会観、生命観、倫理観を持っている人がどれだけいるのかも不安がありますね。我が身を振り返っても改めて勉強不足が嘆かれます。まだまだこれからも勉強をさせていただこうと思っています。
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高橋 優三
あっ、私の印象では、不完全な教員ばかりですね。教員の値打ちは、学生とともに不完全から完全を目指して自己成長を遂げようとする真摯な姿勢です。飯箸先生の、これからも勉強、という姿勢に共感を感じます。
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話足りないですね。
対談でもしたくなりました。
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琵琶
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