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「飯箸によるトリガースピーチ "始まったAI友の時代"」第49回日本医学教育学(その2)--感性的研究生活(66)

2017/08/19
「飯箸によるトリガースピーチ "始まったAI友の時代"」第49回日本医学教育学(その2)--感性的研究生活(66)

ミニシリーズ:
「SNS中継、映像中継によるプレコングレス【人工知能の発達に対応する医学教育】第49回日本医学教育学--感性的研究生活」--at 2017.08.17
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1. プレコングレスの開催、これからのAI教育など
2. 飯箸によるトリガースピーチ "始まったAI友の時代"
3. 飯箸による詳細説明書の紹介
4. 事前討議《1》: 中本浩之氏 "処理ロジックについて" など
5. 事前討議《2》: 伊藤昌夫氏 "チャペックの R.U.R. " など
6. ディープラーニングは人工知能の全部か/一部か
7. いわゆるヒラメキをAIが提供してくれるか?
8. AIは空気が読めるか、ジャッジは人間優先か・AI優先か
9. Dr. Akira Naito(精神科医、英国在住)との対話: "ヒトは危うい、ましてやAIは?
10. 『問答』を終えて
11. 続編1: 高橋優三名誉教授 "白い巨塔から"
12. 続編2: 週刊プレイボーイ "人間は『命に関わるAI』を使いこなせない?" "AIの暴走=ブラックボックス"
13. 続編3: 授業におけるFBなどのSNSの可能性
14. 続編4: "共感とAI"、"AI教材は何から始まる"
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第49回日本医学教育学全国大会(2017.08.18-19)のプレコングレスのトリガースピーチのトップバッターは私(琵琶こと飯箸泰宏)だった。
トリガースピーチは表紙を含めて4枚のスライドを用いて行った。
スピーチの時間はとても短いので、事前に参加者に限定して公開した4枚のスライド画像それぞれに文章でコメントを付けておいた。コングレスに参加するより前に参加者の皆さんはこれらの画像と説明を読無ことができたということである。
それらをここでは引用して、ご理解の一助とさせていただく。

(1)一枚目のスライド[表紙]について(クリックすると拡大する)
1
飯箸のコメント:
システムハウスの経営は37年目になりますが、その間の36年間は、大学等でシステム系の教員をしてまいりました。年間平均250人前後の学生を教えてきましたので、教え子の総数は延べ8000人を超えるだろうと思います。
人工知能の研究開発には歴史的に3つのピークがありました。
 第一次ブーム(1956年~1966年、推論と探索の時代)
 第二次ブーム(1976年~1986年、知識の時代)
 第三次ブーム(2016年~、特徴表現の機械学習の時代)
この分類でいうと、今は第三次ブーム(2016年~、特徴表現の機械学習の時代)です。
1980年代の初め、日本は通産省(現在の経産省)主導の「第五世代コンピュータプロジェクト」が始まっていました。世界の第二次人工知能ブームの先頭に日本は立っていました。私は所属していた東大理学部情報科学科の國井利泰教授(学部時代のクラブの先輩)の手配で、M造船向け「全船種対応簡易設計積算システム」の設計・制作指揮・製造にあたりました。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyo.../2006/09/5_ec82.html
これは人工知能の父と呼ばれるミンスキーの当時のペーパー(覚書程度のもの)にみられたヒトの知識の構造(フレーム型)についての示唆に勇気づけられて想像力を1万倍に膨らませてあらゆるところで新規創案に取り組むようなお仕事でしたが、民間で唯一成功した知識工学の挑戦的な成果となりました。結果として、図らずも、当時の人工知能ブーム(第二次ブーム、1976年~1986年、知識の時代)の頂点に立たせていただいたことになりました。日本が人工知能では一番進んでいた時代の日本のトップにたまたまなれたということは世界でトップだったのだろうと思います。
今回は、高橋優三先生にお声掛けをいただき、はじめて本学会に登場することになりました。このような機会をいただきましたことを、高橋優三先生をはじめ、ご関係の皆様に深く感謝申し上げます。
医療の専門家ではないのに、お目汚し、お耳汚しになることをまことに恐縮しております。
なにとぞよろしくお願いいたします。

(2)一枚目のスライド[22世紀の人生予測]について(クリックすると拡大する)
2
飯箸のコメント:
人工知能と言う言葉を聞くと身構えたり、反感を抱く人がいるようです。
確かに、人々の不安をあおるかのように、人工知能が人智を超えるだろうとと言われる「2045年問題」=「シンギュラリティ」などといかにもおどろおどろしい音韻の言葉もあり、今後20年くらいの間に士(師)業の40%以上が人工知能に奪われる予想がされていたりします。
しかし、私は、心正しく聡明な皆様には「人工知能は恐れるに足らず」と申し上げたいと思います。
今は21世紀の前半ですが、このスライドは、次の世紀、すなわち22世紀のころを予想したものです。
今でも、ヒトは一つのことしかできないというわけではありません。お医者さんと言えども「パパ」でもありますし、ある時は「釣師」で、ある時は「調理人(家庭の)」だったり、市民農園の農夫だったりもします。最近では、ボランティアで社会貢献する人も増えました。
人工知能が発展すれば、少数の人が少し働くだけで人類が生きてゆくのに足りる生産は十分に間に合うようになります。生まれた富は、社会に貢献する限りはヒトにその対価として配分されますから、少し働いてたくさんのインカムがある時代になるでしょう。ヒトはいわゆる「仕事」で社会に貢献しているだけではなく、笑顔や頑張る姿を見せるだけでも貢献します(芸能人やスポーツマンはこれを仕事にしていますが)。障がい者の皆さんもきっとみごとな生きざまで社会に貢献してくれるでしょう。ゆとりある時代となって、それぞれの人に対価が払われるので、まるでベーシックインカム(BI)が全世界に普及した状態となるに違いありません。場合によっては、制度としてのベーシックインカム(BI)が世界的に制定されるかもしれません。
仕事が少しになるのは困るでしょうか。余った時間はボランティアに力を入れ、趣味に没頭することもできるに違いありません。行き着く先は、一人の人が「特定の専門家」ではなくて、誰がどの専門家という区別も薄らいで単なる得意の一つになり、あらゆる人の振る舞いを一人の人が実現する可能性のある時代、あの遠くなった原人の時代、のヒトのように全人格的ヒト(トータルマン)になるということです。ただし、人類は、その時、AI(人工知能)を友にできたヒト(AIと一体化したポストヒューマン)というべき状態だろうと思います。現代の人がパソコンやスマホなしに社会生活ができないように「AI友」がいないと社会生活が困難となる時代が来ると思います。
「専門」が得意の一つになり、あらゆる人の振る舞いを一人の人が実現する可能性のある時代は、ヒトとして全人格をかけて輝くことのできる時代ではないでしょうか。その時、最も高く輝くのは、ヒトとしての高い志と哲学を持つあなたです。
ヒトは、原人から新人へと移行するにしたがって、人類にとって必要な知識が膨大になり、知識の獲得と保守と活用が、一人の自然脳ではさばききれなくなりました。ヒトは社会を作り分業と協業によって生きてゆくことにして以来、手に余る大量の知識を分割して専門家が必要な部分をそれぞれに分けて担うようになったと考えられます。
現代では、その知識の量がさらに膨大になり、人類全体でも支えきれないほどになっています。専門家はますます細分化され、それでもさばききれない必要な知識と情報は加速度的に増加して日々押し寄せてきます。知識に押しつぶされて心が折れ心を病む専門家も少なくありません。医療従事者はシステム技術者やデザイナの次に精神疾患の発症率が高いことがわかっています。ヒトは機械のおかげで、肉体的な重労働から大半が解放されました(その職業も減りました)。しかし、精神的な重労働からは、多くのヒトがまだ解放されていないのです。
この事態を救う技術として登場したものが人工知能です。人が手に負えない膨大な知識の獲得、保守、活用を替わってしてくれるかわいい奴がAI(artificial intelligence)というものです。
どんな専門家でも、今は、博識の友人に尋ねたり、隣接領域の学界に出かけて新しい知識を手に入れたりします。尋ねるべき友人がいつも身近にいてくれたら助かりますね。それが人工知能で自分の気持ちを分かってくれるのだったらかわいいと思いませんか。

(3)一枚目のスライド[現状の問題点]について(クリックすると拡大する)
3
飯箸のコメント:
スライドに書かれているとおりです。それぞれに少しずつ説明を加えます。
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●これからの30年、「AIが友人」の時代
 知識と技能はAIにかなわない  知識と技能に頼る医師はいらない。
 知識を産みだす医師、説明能力の高い医師が必要。
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当面の間、優れた専門家にはその知識をAIに教える仕事がありますが、教え終わるとリピート客はいません。専門家の知識を取り込んだAIはコピーされて多数で回るようになります。
外科手術などで神業ともいえる医療技術を誇る方も、AIロボットにその技術を教えてしまうと、その後のリピート客はいません。専門家の技能を取り込んだAIロボットはコピーされて多数出回るようになります。
いつの時代でも「専門家は、専門家不要の時代ために生涯をささげる」という真実がここにも存在しています。
新しい知識はAIによって次々に発見され報告されるようになるでしょうが、当初は発見した事象にAIは名前さえ付けられない程度の性能しかありません(低脳?!)ですから、人が名前を付けて、従来の知識群の中との整合性の有無を調べたり、その事象の意義を判定し、新しい人類の英知として取り込んでゆくことになります。しかし、その働きも、海馬を中心とする記憶の保守と知識高度化機能が解明されればいずれAIにも搭載されるでしょう。とはいえ、最初は原始的なレベルからの発展になりますので、人に残されるお仕事も当初はある程度あると考えられます。次第に人に残されるのは高度な判断しかなくなりますから、ヒトとして高度な判断ができる人にしか医師としての仕事がなくなります。ヒトとしての高度な判断は医学的専門知識だけでできるわけではありません。人類哲学(地球人類としての哲学)の力が必要です。
AIの報告を受けて高度な判断をして新しい知識として人智に取り入れることができる医師をスライドでは「知識を産みだす医師」、人類哲学の力あふれる医師を「説明能力の高い医師」としました。トリガースピーチでは、このコメント欄に書いた内容を説明しきれない(かった)からです。
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●これからの30年、定形教育はAIに移行
 定形教育はAIにかなわない  定形教育しかできない教師はいらない。
 日々問題を発見して日々創造し、創造性教育ができる教師が必要。
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SIGEDU(ソフトウエア技術者協会教育研究部会)のお仲間もこの討論には参加していると思われます。皆さん、ご安心ください。定形教育を設計通りに実施する人(IDee)は大幅に不要になりますが、定形教育を設計し、日々メンテする人(IDer)は、当面の間、必要です。
定形教育を設計通りに実施する人(IDee)の仕事は次第にAI教師に譲ることになりますが、人は人によってのみ心の成長が遂げられるという実に厄介な存在なので、心高い先輩が常に励まし、先導することが欠かせません。児童生徒学生はいつもAIが助けてくれる知識の詰込みには以前に増して興味がなく、新しい問題を発見して解決してゆくことに強い興味を抱くようになるでしょう。知識の伝達はAIロボットが個人個人の個性にあった方法で懇切丁寧にやってくれるでしょう。そのため知識伝達型の生身の「先生」はいなくなるかもしれませんが、ヒトとしてのものの考え方、問題発見の方法や解決の方法を伝える生身の「先達(せんだつ)」は残るでしょう。
AIロボット教師は膨大な教育の試行錯誤データを収集しますから、そのビックデータを基にして教育の設計が大きく変化してゆきま。その行き着く先にあるものは教育の個別カスタマイズであり、定形教育の解消ということになります。
一方、定形教育を設計し日々メンテする人(IDer)はAIの支援を得て設計にいそしむことになるでしょうから、AI友が手放せなくなります。ビックデータから抽出される設計手法が重視されるようになり、IDの過度に教条化され現実に合わない部分が次第に解消され、人々に受け入れられやすい設計がされるようになってゆくと思われます。
定形教育を設計し日々メンテする人(IDer)は、次第にAIから提示される設計案(教案)に対して高度な判断だけをすればよくなります。高度な判断だけをすればよくなるということは、高度な判断が必要ということであり、ヒトとしての高度な判断が要求されることになります。ここにも「人類哲学」が欠かせません。教育の方法は次第に個別化してゆきますので、一握りの専門家の手には負えなくなるでしょうから、現場にその判断がゆだねられるようになり、現場にいる「先達」の皆さんもまた高度な判断を迫られることになります。現場にいる「先達」の皆さんは気高い心と人間力を備えた哲人(人類哲学の具現者)であることが求められるようになるでしょう。
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●22世紀、知的活動不要の時代となるのか
 ヒトには「生殖」しか残されていない?
 哲学は生き残る。
 ヒトの哲学とAIは共生してポストヒューマンとなる(期待)。
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ヒトの知的な活動がAIに置き換えられ、AIが生存(動作)できるための機器がAI自らの手で次々と開発されるようになると、AIは老朽化した自分の体を新しい機器に取り換える(機械をファイル移動で乗り換える)ことができるようになります。つまり永遠の命が誕生します。なんと、生殖などという野蛮な行為をしなくとも、です!
人には寿命がありますから、生殖しない限り絶滅してしまう運命となります。
「AIは、やがてあらゆる意味でヒトを超えて、生き残った少数のヒトを動物園に囲い込んで保護し、前時代(神代の時代)の貴重な遺物として研究材料にするのではないか」という予想があります。
悲しい予想であり100%の否定はできませんが、私はそう思いません。いな、思わないとにしています。
ここでは、それらに対する私の勝手な私見をいかに述べさせていただきます。
人はエゴイスティックな動物です。自分たちの種がいつも最高であり、少なくとも自分たちの種だけは永遠に繁栄を続けたいと願っています。おそらく別の生物種もそうでしょう。
拝火教(後にゾロアスター教に統合)は、焼き畑農業の世界的普及とともに地上に現れた最初のグローバル宗教と考えられています。初期の文献はありませんが、その後のグローバル宗教の生みの親になりました。ユダヤ教やバラモン教はその直接の子どもたちです。ユダヤ教やバラモン教の子どもたちがキリスト教やイスラム教、仏教ということになります。グローバル宗教の開祖ともいうべき拝火教(ゾロアスター教)の初期の教えの中に「人の究極の目的は人とその子孫の悠久たることである」というものがあります。究極のところ、ヒトは人とその子孫の悠久たるを目指して生きているのではないでしょうか。
人とその子孫の悠久たるために人々は愛し合い、喜びを分かち合い、子孫を残す営為を繰り返してきました。そのためには、単にうかつに生きているだけでは生物界の中では体力的に見劣りする人は生き延びることができなかったはずです。人は知恵を発達させ、グランドセオリー(実はグランドナレッジ)の獲得に努力し、そのグランドセオリー(実はグランドナレッジ)に日々新しい知見を追加し、すでにある既存知識との矛盾しない結合を模索し、過ちを日々修正し、その成果を活用するという行いを先史以前から続けてきました。西洋文化に毒された言い方をすれば、それは哲学(愛智)です(東洋的に言えば叡智)。
必要な知識が膨大となった今は、AIの力も借りて(友として)グラウンドナレッジとし、またグラウンドナレッジの保守も新規追加もAIの力を借りて高速化して、活用できる時代になったと言えないでしょうか。
あまりにも膨大で変化が速く人類がルネッサンスを過ぎて一度あきらめかけたグランドナレッジをもう一度復権させることができる時代です。ヘーゲルが事実上哲学の範疇からも投げ出したランドセオリー(実はグランドナレッジ)をもう一度取り戻して、今は、新しい哲学(人類哲学)を確立しつつ、ヒトの未来を導く道が開けているように思います。
AIの計り知れない知の力に、熱い人のハートががっちりとタッグを組めば哲学は古めかしいほこりを振り払ってあたらしい時代の哲学として再生され、人類悠久の未来を切り開くことができるのではないかと思う(願望する)ところです。

(4)一枚目のスライド[人工知能技術の現状と問題点]について(クリックすると拡大する)
4
飯箸のコメント:
ここには、これまでの人工知能の進化の歩みとこれからの予想が書かれています。
多くのAI関係者が「2045年=シンギュラリティ(AIが自律的にAIを開発発展させ始めて、ヒトの手に負えなくなる?)」説を取っていますが、私は、2045年では時間が足りないとみています。確かに電子回路の集積度は飛躍的に大きくなっていて、人工知能の処理能力も現在とは比較にならないほど大きくなっていると思われますが、ヒトの脳および神経系全体に比べて、人工知能が到達した能力はあまりにも部分的でひ弱だと言うのが私の見方です。
特に、これまで、ヒトが開発した人工知能は、概ね大脳新皮質の働きをまねたものでした。第一次ブームでは前頭葉の後ろ半分(運動野)と頭頂葉が連動する働きのいくつかをマネできたに過ぎないと思われます。第二次ブームでは側頭葉と頭頂葉と運動野が連動する働きのいくつかをマネできたところです。第三次ブームとなって、後頭葉と小脳の働きの一部をマネできるようになりましたが、脳の広大な領域がまだ手付かずです。大脳辺縁系や、間脳(視床, 視床下部), 脳幹(中脳, 橋, 延髄), 脊髄, 松果体, 脳下垂体, 前頭葉(前部・後部)が手付かずです。全身に広がる神経系と節々にある結節部の神経の塊の働きなどと大脳や小脳の働きとの連動についてもよくわかっていません。
何よりも問題なのは、小脳で得られた知識が大脳でどのように扱われるのか、大脳で処理された結果の知識がどのように小脳に転送され保存されるのかなどについてまったくわかっていないということです。
人工知能の世界で、直面している喫緊の課題は、ディープラーニングで得られた知識(人は説明できない)に名前を付けてフレームなどの知識ベースにどうしたら取り込むことができるのかということです。
世間では、ディープラーニングがその前の人工知能の技術を塗り替えた新しいものという誤解がはびこっていますが、これは間違いです。ディープラーニングもその前の人工知能も並立する技術でやがて融合しなければならないものですが、今のところ別々に存在しているものです。ディープラーニングは最後に目立った成果を上げましたが、その前の技術は社会生活に溶け込んだ様々な情報システムの中でAI××の名や名も知られずに広く使われています。
統合してこそ、完全な人の脳に近づきます。小脳だけで人の脳というわけにはゆきません。
しかし、今は、第一次ブームの成果と第二次ブームの成果はそこそこに結合して利用されていますが、第三次ブームで脚光を浴びているディープラーニングが他の技術と融合できていません。つまり小脳と大脳がまだつながっていない状態です。小脳と大脳の間には小脳虫部という神経線維の束が貫通している部分がありますが、ここに障害があると人ならば自閉症ないし自閉症スペクトラムになると言われていますが、人工知能は全くこの部分がつながっていないのでもっとひどい状態ということになります。
私は、2045年前後にようやくこの問題が解決して、それから30年ほどかけて人工知能は完成に近づくという予想を立てて、この表を作成してあります。人々がシンギュラリティがくると心配する2045年はまだ人工知能開発研究の道半ばだというのが私の見方です。単なる私の勝手な予想ですから、私の予想に反して、他の人々が主張するように2045年にはシンギュラリティがやってきているのかもしれません。今は、何とも断定はできないところです。

次の記事では、詳細説明資料(バワポ)を紹介いたします。

△次の記事: 感性的研究生活(67)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/08/sns493--67-a464.html
▽前の記事: 感性的研究生活(65)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2017/08/sns49--65-6d3b.html

琵琶

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(補2)この記事が含まれるシリーズの記事の一覧は下記(別サイト)のとおりです。
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